(全ての者が等しく地球の子ね…)
そして仲間だと言われてもね、とシロエが浮かべた皮肉な笑み。
E-1077に連れて来られて、もうどのくらい経ったろう?
けれど未だに出来ない仲間。いない友達。
(欲しいとも思わないけどね?)
ぼくの方から願い下げだよ、と思う「仲間を作る」こと。
それに「友達」、どちらも要らない。
手に入れたいとも思いはしないし、いつでも一人きりの自分。
何処へ行っても、何をする時も。
一人で暮らすよう定められた個室、それ以外の場所にいる時も。
(みんな、嫌いな奴ばかりだ…)
初対面の時からそういう印象、だから誰とも繋がらない。
チームを組むよう強制されたら、仕方ないから従うけれど。
くだらないことで減点などはされたくないから、組んでおくチーム。
けれども誰の指図も受けない、自分からだって指図はしない。
(どうせ、どいつも…)
機械の言いなりになった人間、全ての者たちが等しく「地球の子」。
生まれ故郷で育ててくれた両親よりも、マザー・イライザを選んだ者。
それが「地球の子」、どうやら此処では。
他の教育ステーションでも、基本は同じなのだろう。
其処を治めるコンピューターを、親の代わりに慕う者たち。
そういう人間が「地球の子」ならば、自分は「地球の子」でなくてもいい。
どうせ地球には幻滅したから。
地球に行くには、大切な過去を捨ててくるしか無いのだから。
ネバーランドよりも素敵な場所だ、と父が教えてくれた「地球」。
「シロエなら行けるかもしれないぞ」という父の言葉で、胸が躍った。
きっと行こうと、いつか必ずと。
そうすれば父も喜ぶだろうし、母も喜んでくれるだろうと。
(…なのに、地球って…)
地球に行くための第一段階、エリートが行ける教育ステーションに入ること。
自分の夢は叶ったけれども、あまりにも大きすぎた代償。
夢の星の地球に行き着くためには、支払わねばならない「過去」という対価。
子供時代を、育った故郷を、両親のことを忘れること。
自分の過去を捨て去ること。
それが地球への第一歩だった、何も知らずに憧れたけれど。
其処へ行きたいと願ったけれども、支払わされてしまった対価。
(…パパ、ママ…)
顔だって思い出せやしない、と唇をきつく噛みしめる。
故郷の景色もぼやけてしまって、本物かどうか怪しいもの。
その上、忘れてしまった住所。
子供だった自分が住んでいた家、其処の住所が思い出せない。
文字を初めて覚えた頃には、得意になって書いたのに。
アルテメシアのエネルゲイアの、その先までもスラスラと。
けれど今では書けない住所。
手さえも覚えていてくれなかった、あんなに何度も書いていたのに。
幼かった自分が繰り返し書いて、両親に見せては自慢したのに。
過去を失くしたと気付かされた時、もう此処に来る船にいた。
ピーターパンの本だけを持って、他の何人もの候補生たちと。
此処に着いたら、行くように言われたガイダンス。
その時に映し出された映像、この世界のシステムを解説するもの。
養父母たちの姿も映っていたのに、「パパ」や「ママ」と口にする者もいたのに…。
(全ての者が等しく地球の子…)
そう聞かされた途端、誰もが変わった。
促されるままに手を取り合って、和やかに始まった自己紹介やら会話やら。
誰一人として、もう両親を思い出そうとはしなかった。
育ての親より仲間が大切、此処で友達を作ることが大切。
アッと言う間に出来たグループ、そうでなければ二人組とか。
(でも、ぼくは…)
入りそびれた「地球の子」たちの輪。
何故だか「違う」と思ったから。
自分は彼らと同じではないと、「地球の子」とやらにはなれそうもない、と。
あの時、心が求めていたのは映像の中にいた養父母たち。
彼らの姿は、何処もぼやけていなかったから。
今はぼやけて思い出せない、自分を育てた両親の顔。
父が、母の顔が、あの映像のように鮮やかに思い出せたなら、と願っただけ。
どうして映像の養父母たちは「違う人」なのかと。
彼らの代わりに「父」を、それに「母」の姿を、映して見せて欲しかった。
そうしてくれたら、二度と忘れないのに。
ほんの一瞬、映し出されただけにしたって、生涯、忘れはしないだろうに…。
映像の中には「いなかった」両親、多分「映っていなかった」故郷。
其処に焦がれて、焦がれ続けて、今も入れない「地球の子」たちの輪。
入りたいとさえ思わないけれど、こちらから願い下げだけど。
(…あんな連中と一緒だったら…)
きっと、こちらまで毒される。
「朱に交われば赤くなる」という言葉通りに、自分自身も染まってしまう。
機械の言いなりになって生きる姿に、過去の自分を捨ててしまった人間たちに染まってゆく。
自分でもそうとは気付かない内に、じわじわと毒に侵されて。
毒を少しずつ摂取したなら、毒が効かなくなるのと同じ。
いつの間にやら「これは毒だ」と思わなくなって、気付かないままにすっかり「地球の子」。
両親を、それに故郷を忘れて、マザー・イライザを母と慕って。
(…そんな風になるくらいなら…)
独りぼっちで生きる人生、そちらの方がよっぽどマシ。
友達が一人もいなくても。
「仲間」と呼べる者もいなくても、チームメイトの中でさえ孤立していても。
それが自分の生き方なのだし、寂しいと思うことはない。
一人きりの日々に満足だけれど、ふとしたはずみに思うこと。
自分は昔からそうだったのかと、故郷での自分はどうだったかと。
(エネルゲイアの学校だって…)
此処と同じに、大勢の同級生たちがいた筈。
彼らの中でも一人だったかと、自分は孤独だったのかと。
友を作りはしなかったのかと、「友達」は誰もいなかったのかと。
(ぼくの友達…)
両親さえも覚えていないし、友達の顔を覚えている筈もないけれど。
きっとそうだと思うのだけれど、どうしたわけだか、次々と頭に浮かぶ顔。
それに名前も、時には何処のクラスの子かも。
(…全ての者が等しく地球の子…)
そのためだろうか、友達の記憶がまるで消されていないのは。
何処かで彼らと出会った時には、もう一度手を取り合えるように。
「また会えたな」と、「久しぶりだ」と。
同じ故郷で育ったのだと、また友情を築けるように。
(…余計なお世話って言うんだよ…)
こんな記憶がいったい何の役に立つんだ、と思うけれども、実際、役に立つらしい。
此処での候補生の中にも、「幼馴染」と組んでいる者がいるようだから。
「あいつと、あいつは同郷だってよ」などと噂も耳にするから。
そういうケースを聞く度に覚える激しい苛立ち。
「友達なんか」と、「そんなものが何の役に立つ?」と。
けれど、此処ではそうなのだろう。
大人の社会で生きてゆくには、「両親」よりも「友達」が大事。
故郷には二度と戻れないから、両親と暮らせはしないから。
もう手の届かない世界よりかは、これからも共に生きられる仲間。
だから機械は「過去」を残した、両親の代わりに「友達」を。
何もかも全て消しはしないで、「友達」だけは残しておいて。
「友達」はいつか役に立つから。
もう用済みの「両親」などより、遥かに意味があるものだから。
それが機械の判断だけれど、だから故郷では「友達」を持っていたようだけれど…。
(こんな記憶なんか…)
捨ててしまってかまわないから、両親を覚えていたかった。
何を捨てるか選べるのならば、友達の方を捨てたと思う。
同じ過去なら、要らないものは「友達」だから。
それは無くても生きてゆけるから、現に自分はそうなのだから。
(地球の子なんかに、なれなくていいから…)
なりたくもないから、要らない友達。
どうせ友達を作らないなら、不要なのだろう「友達」の記憶。
思い出すだけで腹が立つから、普段は記憶の海に沈める。
瓶に詰め込んで、海の底深く沈めてしまって、知らないふり。
けれども、たまに…。
(ぼくに友達はいたんだろうか、って…)
考えるとこうして思い出すから、もう考えない方がいい。
友達なんかは欲しくもないし、この先も、きっと作らないから。
自分は一人で生きてゆくから、孤独に生きてゆきたいから。
(…ぼくには友達なんか、一人も…)
いやしないんだ、と自分自身に言い聞かせる。
ずっと昔からいはしなかったと、これから先もいないのだと。
機械が「友達」を勧めるのならば、そんな「友」など要らないから。
独りぼっちでかまわないから、忘れてしまいたい故郷の「友」。
記憶の海の深淵の底に、瓶に詰めて沈めてしまいたい。
二度と浮かんで来ないよう。
二度と苛立たなくて済むよう、永遠に思い出せないように…。
友達の記憶・了
※シロエが作らない「友達」。それに「仲間」も。欲しいと思うことも無いから。
けれど故郷ではどうだったのか、と考えてみた話。友達の記憶は残るみたいですしね?
(二階級特進させて貰ったが…)
メギドの件もお咎め無しなのだがな、とキースが歪めた唇。
ジルベスター星系からノアに戻って来た夜、自分のためにある部屋で。
事故調査に出掛けて、遭遇したミュウ。
最初の一人は自覚すらも無しに、人類軍の中にいた。
偶然パスした成人検査。
自分が何者なのかも知らないままで、劣等生のふりをしていたマツカ。
彼に殺されかかったけれども、スパイならばともかく、ただのミュウでは…。
(私を殺せるわけがない)
無謀とも言えたマツカの攻撃。彼にとっては命が懸かっていたのだけれど。
失敗した後には、震え、泣くことした出来なかったマツカ。
彼の姿にサムが、シロエが重なって見えた。…どうしたわけだか。
だから殺さず、ジルベスターまで連れて行ったら…。
(並みの人類より、役に立ったというのがな…)
なんとも皮肉な話だけれども、ミュウのマツカに救われた。
ただ一人きりでジルベスター・セブンまで、行方不明の自分を捜しにやって来た彼に。
そればかりか、メギドでも救われた命。
あの時マツカが、自分を追って来ていなければ…。
(ソルジャー・ブルーと心中させられていたぞ)
まず間違いなく、巻き添えになっていただろう。捨て身でメギドを沈めたミュウの。
ソルジャー・ブルーが破壊したメギド。
本来だったら、あれほどの兵器を失った自分は降格処分か、左遷だろうに。
それが当然だと思っているのに、咎められることは無くて特進。
グランド・マザーは、どれほど自分を買っているのか。
(…有難く思うべきなのだろうが…)
余計なことだ、と覚える苛立ち。
この先もきっと、自分が歩いてゆくだろう道は…。
グランド・マザーの手の中なのだ、と心の中で吐き捨てる。
そうやって歩いてゆくのだろうと、それ以外に歩める道などは無いと。
(…マツカは連れて帰って来たが…)
これからも側に置くのだがな、と決めている実に役立つマツカ。
彼がミュウだとグランド・マザーに悟られたならば、ゲームは自分の負けになる。
もしもマツカが処分されたら、あるいは連行されたなら。
(…そのくらいのゲームは許して欲しいものだな)
他に自由は無いのだから、と零れる溜息。
自分はグランド・マザーの手駒で、そのように動かされてゆくだけ。
それに不満を覚えた所で、どうすることも出来ない自分。
ならば行くしか無いのだろう。
この道の先が何処であろうと、何が自分を待っていようと。
(…私はそういう訓練を受けた)
だから従う、と考えはしても、最初から答えは決まっていても。
どうにも落ち着かない心。
メンバーズとして繰り返し訓練を受けたこの身でも、軍の規律を思い出しても。
(……ソルジャー・ブルー……)
奴のせいだ、と分かってはいる。
初めて自分を負かした男に、またしても負けを味わわされた。
傍目には自分の勝ちだけれども、ソルジャー・ブルーは倒したけれど…。
(…自分の命を捨ててまで…)
メギドを沈めて死んでいった男。
きっと永遠に彼に勝てない、彼のように生きることは出来ない。
指導者としての自分の立ち位置、それを捨ててまで戦い、そして散るなどは。
自分の信念を貫き通して、命までさえ捨て去ることは。
そういう教育は受けていない、と胸に湧き上がる悔しさと怒り。
定められた道を進むことしか教えられずに生きて来た自分。
E-1077でも、メンバーズになってからの日々でも。
従うことが自分のやり方、生きる道だと無理やり納得させて来た心。
(…マツカを生かして…)
機械の鼻をあかしてやった、と束の間、酔っていた勝利。
ジルベスター・セブンから生還した後、功労者のマツカを国家騎士団に転属させて。
マツカの正体が知れているなら、けして通りはしない許可。
(グランド・マザーでも、気付かないという所がな…)
してやったり、と思っていたのに、それが自分の「自由」の限界。
マツカが救いに駆け付けたメギド、あの時、命を拾ったばかりに…。
(…もう、この先は…)
きっと前線には出てゆけない。
ミュウが相手でも、二度と出来ない命のやり取り。
それをしようと目論んでみても、他の者が派遣されるから。
上級大佐になった自分は、指揮官としてしか生きてゆけない。
前線に派遣するべき人材、それを選んでは配属するだけ。
もしも自分が殺されるようなことがあるのなら…。
(…暗殺だけということか…)
自分の昇進を妬む輩に毒を盛られるか、車や部屋ごと爆破されるか。
そんな死に方しか出来はしなくて、生きてゆく甲斐もない命。
指揮官だったら、いくらでも代わりはいるのだから。
たとえ自分が斃れたとしても、次の誰かが任に就くだけ。
まだ前線に立っていたなら、充分な働きが出来るだろうに。
ミュウの母船を追って追い続けて、宇宙の藻屑にすることさえも。
けれど出来ない、その生き方。
グランド・マザーは指揮官の道を用意したから、其処を歩んでゆくしかない。
だから苛立ち、心が騒ぐことになる。
ソルジャー・ブルーを思い出したら、彼の死に様を思ったら。
(…伝説のタイプ・ブルー・オリジン…)
どう考えても、ミュウの社会では頂点に立つ男だったろう、ソルジャー・ブルー。
人類で言えば国家主席にも等しい存在、けして前線には出てゆかない筈。
それが人類の社会なら。
人類が定めた枠の中なら、グランド・マザーの采配ならば。
(しかし、あいつは…)
それをものともしないで出て来た、自分の立場を考えないで。
あるいは自ら捨てて来たのか、ミュウの連中にも「否」と言わせはせずに。
ミュウどもがそれを許したのならば、羨ましいとも思う生き方。
思いのままに生きていいなら、望む場所で死んでゆけるなら。
あのような立ち位置に置かれていてさえ、己の心に忠実に生きて死ねるなら。
(…ミュウというのは、皆そうなのか?)
マツカは弱いミュウだけれども、遠い昔に、ああいうミュウを知っていた。
当時はミュウとは知りもしないで、E-1077を卒業してから知ったこと。
セキ・レイ・シロエ。
自分がこの手で殺した少年、シロエもまたミュウの一人だという。
あのステーションにいた「Mのキャリア」は彼しかいない。
軍の噂では、そのMは処分されているから。
同時期に在籍していた候補生の一人が、Mのキャリアの船を撃墜したそうだから。
(…私とシロエ以外に、誰がいるんだ?)
今は廃校になったE-1077、其処で起こったと流れる噂。
Mのキャリアはシロエでしかなくて、その船を撃墜したのが自分。
シロエは自分の意のままに生きて、意のままに死へと飛び立って行った。
あの頼りない練習艇で。…武装してなどいなかった船で。
セキ・レイ・シロエの鮮烈な生き様、それを彷彿とさせるミュウ。
メギドに散ったソルジャー・ブルー。
彼は自由に生きたというのに、死に場所を選び取ったのに。
自分はといえば、もはや選べはしない死に場所。
(…暗殺されても、死に場所を選べはしないのだ…)
自分の意志とはまるで関係無く、道半ばにして殺されるのが暗殺だから。
この生き方を選ばされたなら、せめて全うしたいのに。
志を遂げて散ってゆきたいのに、暗殺者どもは一顧だにしない。
ある日、突然に訪れる終わり。
それを望んではいないというのに、爆弾で、あるいは盛られた毒で。
(…あいつのようには、もう生きられない…)
ソルジャー・ブルーが生きたようには、最期まで戦士であったようには。
よくも名付けたものだと思う、「ソルジャー」というミュウの長の称号。
言葉通りに、戦士として生きたソルジャー・ブルー。
そうして宇宙に散ったけれども、まるでシロエのようだったけども。
(…私には、けして…)
あの生き方は許されない、と分かっているから苛立つばかり。
どうしてこういう道に来たかと、何故、この道を進むのかと。
何ゆえに此処を歩いてゆくかと、逃れられる術を自分は知っている筈なのに、と。
(シロエのように生きたならばな…)
機械の言いなりにならない人生、それを自分が選び取ったら訪れる終わり。
シロエも、それにソルジャー・ブルーも、マザー・システムに逆らい続けて散ったから。
其処を進めば彼らのように生きてゆける、と承知だけれども、選べないから苛立つしかない。
(…いつか終わりがやって来るまで…)
死の方から自分を訪ねて来るまで、生きてゆくしかないのだろう。
いくら死に場所を探し求めても、自分の意志では選べないから。
そう生きる道を進むしかなくて、生きてゆく道はグランド・マザーの手の中だから…。
出来ない生き方・了
※グランド・マザーの意志に従い続けるのがキース、けれど感情はあるわけで…。
シロエやブルーの影響はきっとある筈なんだ、と思っているのが管理人。駄目っすか?
(船だ…)
初めて見た、とシロエが眺めた窓の向こう。
E-1077の食堂、其処のガラス窓の向こうは宇宙。瞬かない星が輝く空間。
此処に来てから、何度目の食事になるだろう。
ただ黙々と食べていた時、その船たちが戻って来た。
そう、「船たち」。
何機もの同じ形をした船、このステーションに所属している練習艇。
何年生かは知らないけれども、上級生たちが乗っているのだろう。
自分の年ではまだ乗れない船、宇宙を飛んでゆける船。
その瞬間に閃いたこと。
あれに乗ったら、飛び出せる宇宙。
このステーションから解き放たれて、ほんの束の間、飛んでゆける宇宙(そら)。
(…練習艇でも…)
船の仕組みは同じ筈。
遠い星へとワープしてゆく船、それらと何処も変わらない筈。
違う部分があるとしたなら、恐らくは…。
(搭載している燃料くらい…)
所詮は練習用の船だし、想定していないワープや恒星間の航行。
其処を除けば、何もかも多分、同じだろう。
この牢獄まで自分を乗せて来た船と。
懐かしい故郷から自分を連れ去り、無理やり運んで来た宇宙船と。
練習艇の存在は知っていたのだけれども、飛んでいる姿を見たのは初めて。
格納庫さえも縁遠い場所で、其処へ出掛ける用も無いから。
けれども、何の前触れも無しに、心の中に住み着いた船。
E-1077に何隻もある練習艇。
(あれに乗るには…)
どういう資格が要るのだろうか、自分の年では本当に乗れはしないのか。
必要な単位を取得したなら、上級生たちの中に混じって飛んでゆくことが出来るだろうか…?
(部屋に帰ったら、調べなきゃ…)
船に乗れたら、此処から逃れられるから。
忌まわしい機械が支配する場所、マザー・イライザの手の中から。
(通信回線は繋がってたって…)
物理的には、何の支配も受けない所が宇宙空間。
マザー・イライザは、E-1077を離れることは出来ないから。
万能の神を気取っていたって、その正体はコンピューター。
メモリーバンクが置かれた此処から、外へと自由に出られはしない。
出られたとしても、せいぜい幻影。
母の姿を真似てくる姿、あれを見せるのが限界だろう。
(…気持ちいいよね…)
マザー・イライザがいない宇宙へ飛び出せたなら。
憎い機械の目から逃れて、鳥のように自由に飛んでゆけたら。
(間違えました、ってふりをして…)
故郷の方へと舵を切ることも出来るだろう。
エネルゲイアがある星へ。
クリサリス星系のアルテメシアへ、懐かしい星が浮かぶ方へと。
乗ってみたい、と思った船。
マザー・イライザの目から逃れられるなら、束の間の自由が手に入るなら。
逸る心で、返しに出掛けた食事のトレイ。
走り出したいような気分で、戻った自分に与えられた部屋。
(…訓練飛行……)
それはいつから許されるだろう、何年経てば飛べるのだろう?
今はまだ、宇宙に出てゆけるだけ。
船外活動と称した授業で、無重力での訓練を受けているというだけ。
どうすれば宇宙を飛べるのだろう、とデータベースにアクセスしてみたけれど。
自分でも飛べる術は無いかと、様々な手段を探すのだけれど。
(……どう転がっても……)
今の年では下りない許可。
トップエリートの成績を取っても、実年齢が邪魔をする。
目覚めの日を過ぎて間も無い場合は、不安定とされるその感情。
常に冷静さが要求される宇宙空間、其処での操縦には不向き。
出来るのは船外活動くらいで、練習艇に乗れる資格は無い。
(パイロットは駄目でも、通信士くらい…)
そう思うけれど、そちらも不可。
万一の時には、パイロットに代わって飛べる技術が必要だから。
このステーションでは成績不良の劣等生でも、他のステーションから見ればエリートばかり。
通信士といえども、鮮やかに船を操れるもの。
並みのパイロットよりも巧みに、初の操船でも経験を積んだ人間並みに。
どうやら乗れはしない船。
マザー・イライザの手から逃れたくても、束の間の自由が欲しくても。
「どうして…!」
何故、駄目なんだ、と机に叩き付けた拳。
途端に気が付く、「この感情が駄目なんだ」と。
練習艇に乗れないだけで、いらつき、怒りを覚える自分。
ついさっきまでは、「このステーションから自由になれる」と、とても気分が良かったのに。
やっと方法を見付け出したと、それは機嫌が良かったのに。
(…目覚めの日を過ぎてから、間も無い場合は…)
不安定だとされる感情、今の自分はまさにそれ。
この時期を過ぎたとされる年までは、練習艇には乗り込めない。
いい成績を収めても。
最高の点数で必要な単位を取得したって、けして乗せては貰えない船。
あれに乗れたら、自分は自由になれるのに。
訓練飛行の間だけでも、ステーションから出られるのに。
(……マザー・イライザ……)
あの機械め、と思うけれども、マザー・イライザが決めた規則ではないだろう。
何処のステーションでも規則は同じで、自分の年では乗れない船。
今、あの船に乗りたいのに。
あれで宇宙へ出てゆきたいのに、自由に飛んでみたいのに。
自由に見えても、それは決められたコースでも。
「間違えました」とミスをしない限りは、故郷に機首を向けられなくても。
(このステーションから出られるだけで…)
一歩、故郷に近付くのに。
記憶もおぼろになった故郷に、両親が住んでいる星に。
一度生まれた夢は消えなくて、どうしても消すことは出来なくて。
けれど、自分の今の年では、シミュレーターさえも、まだ使わせては貰えない。
それは必要ないものだから。
どんなに腕を上げたとしたって、練習艇に乗れる年ではないのだから。
(畜生……!)
直ぐ其処に自由が見えたのに。
このステーションから逃れる方法、マザー・イライザから離れる術が見付かったのに。
なのに開かれない扉。
固く閉ざされ、まだ開いてはくれない扉。
(…そういうことなら…)
気分だけでも飛んでやるさ、とデータベースを探してゆく。
シミュレーターは使えなくても、似たようなものがある筈だから。
自主練習のためとも言えるシステム、自分の部屋でも訓練を積んでゆけるもの。
(航路設定とかだったら…)
きっと何かが見付かる筈、と探す間に出会ったもの。
(ふうん…?)
それは一種のゲームだけれども、明らかに訓練用だと分かる。
シミュレーターに向かうようになったら、自分の部屋からアクセスして重ねる仮想訓練。
(丁度いいってね)
今の間に腕を上げれば、最初の訓練飛行では、きっと…。
(ぼくがリーダーになれる筈…)
航路設定を間違えました、と故郷に舵を切ろうとも。
教官に酷く叱られようとも、その選択が出来る権利が手に入る。
(…最初にするのは、航路設定…)
だったらこう、と入れてゆく座標。
いきなりワープになるのだけれども、故郷のクリサリス星系のもの。
いつか飛ぼうと、自由になれたら最初に機首を向けようと。
そうして何度も重ねた練習。
自由自在に操れるようになった船。
シミュレーターさえ使えないのに、まだ使わせては貰えないのに。
(ぼくは自由になってやる…!)
練習艇に乗せて貰える時が来たら、と挑み続けて、その時はついにやって来た。
マザー・イライザの手から逃れて飛んでゆく時が、自由な宇宙(そら)へ飛び立つ時が。
ただ一人きりの船だけれども、目指す先は自由。
チームメイトは誰もいなくて、代わりにピーターパンの本でも。
行き先は座標も知らない地球でも、きっと其処まで飛んでゆける筈。
ピーターパンの声が聞こえたから。
船で宇宙に滑り出したら、いつの間にやら、両親も一緒に乗っていたから。
だから行ける、と飛んでゆくシロエ。
この日が来るのを待っていたから、やっと自由な宇宙(そら)へ飛び立てたのだから…。
乗れない練習艇・了
※原作はともかく、アニテラのシロエは訓練飛行はしていないんじゃあ…、と思っただけ。
逃亡する時も自分で操船してるというより、サイオンだったし…。そういう捏造。
(…私の他にはいないだろうさ)
宇宙広しといえども一人も、とキースが唇に浮かべた笑い。
国家騎士団にも、宇宙海軍にも、誰一人として。
けれど決めた、と迷いなど無い。
サムの血で出来た、赤いピアスをつけること。
グランド・マザーは「否」とは言わなかったから。
(軍規も一応、あるのだからな)
任務を離れた時はともかく、それ以外では禁止されるのが装身具。
勲章などは許可されていても、耳にピアスは許されない。
だから尋ねた、グランド・マザーに宛てて。
「友の血で作ったピアスをつけても、よろしいでしょうか」と丁寧に。
拒否されたとしても、つけるつもりではいたけれど。
任務は結果が全てなのだし、ピアスをつけても成果を上げればいいだけのこと。
これまで通りに、これまで以上に、ただ淡々と。
(しかし、マザーは…)
何の返事も寄越さなかったし、許可されたと見ていいだろう。
同じ時に送ったジルベスター星系に関する質問、それへの答えは来たのだから。
(…つまり、つけてもいいらしいな?)
これで何処でも、堂々と。
「グランド・マザーの許可は得ている」と、「マザーに問い合わせてくれてもいい」と。
もっとも、そんな度胸を持った者など、恐らくいないだろうけれど。
マザーが許可を出したと聞いたら、誰もが黙るだろうけども。
もうすぐ出来る予定のピアス。
検査のためにとサムから採られた、血液の一部を加工して。
サムは検査を酷く嫌うから、ピアス用にと採血させはしなかった。
「既にあるものを加工しろ」とだけ、病院の方にも伝えることを忘れなかった。
子供の心に戻ったサムには、採血用の針は怖いだけなのだから。
(私と一緒だった頃のサムなら、平気だったろうにな…)
E-1077での、候補生時代。
あの頃のサムなら、採血どころか大手術でさえも、きっと笑っていただろう。
「大したことじゃねえよ」と、「ちょっと痛いかもしれねえけどな」と。
強い心を持っていたサム、死ぬことさえも恐れなかった。
入学して間もない頃の事故では、ただ一人だけで自分について来てくれたから。
上級生たちさえも出ようとしないで、去ってしまった宇宙船の事故。
救助に行こうと支度していたら、サムも隣で開けたロッカー。
「船外活動は得意なんだ」と、「しっかり食って、しっかり動く。それだけさ」と。
宇宙へ救助に出掛けてゆくこと、それだけでも危険だったのに。
其処で制御を失った自分を、サムは迷わず助けてくれた。
命綱すらつけもしないで、命懸けで。
しかも命を懸けたことさえ、まるで自覚の無いままで。
それほどまでに強かったサム。
強くて、優しかったサム。
サムほどに強く優しい男を、今も自分は知らないのに…。
(…あそこで何があったんだ…?)
ジルベスターでMに出会った恐怖か、彼らがサムに何かをしたか。
サムの心は壊れてしまって、チーフパイロットを殺したという。
持っていたナイフで一撃の下に。
死んだパイロットと血染めのナイフと、返り血を浴びたサムの顔。
それが、漂流していた船を発見した者たちが中で目にしたもの。
(お蔭でサムは殺人犯で…)
罪には問われないというだけ、心が子供に返ってしまって正常ではない状態だから。
優しかったサムに、人を殺せはしないのに。
どう考えても、それは事故でしか有り得ないのに。
だから悔しい、サムの仇を討ちたいと思う。
サムを壊したMを探し出して、根こそぎ宇宙から滅ぼすこと。
そのためにジルベスターを目指すし、サムの血と共に在ろうと思う。
友と呼べる者はサムだけだから。
今もやっぱり、ただ一人きりの友だから。
そうするために選んだピアス。
サムの血で作ったピアスを身につけ、何処までもサムと共にゆく。
赤い血のピアス、それが血だとは誰も気付きはしなくても。
「男のくせにピアスなのか」と、冷たい瞳で見られたとしても。
グランド・マザーが許したとはいえ、「ピアスをつけた男」には違いないのだから。
傍目には女々しい男と見えるか、はたまた洒落者と思われるのか。
(…どうせ、誰にも…)
自分の真意は分かりはしないし、伝えようとも思わない。
話したいという気持ちすら無い、誰も知らないままでいい。
サムの他には友はいないし、他に欲しいとも思わない。
自分の周りに、そうしたい者はいないから。
友と呼びたい者もなければ、友にしたい者も今日まで一人も見なかったから。
(…もしもシロエが生きていたなら…)
上手く機械と折り合いをつけて、生き延びてくれていたならば。
彼ならば友に成り得たと思う、憎まれ口を叩いても。
「またですか?」と嫌そうな顔で、何かといえば喧嘩ばかりでも。
けれどシロエは自分が殺して、とうに宇宙から消えた人間。
だから友など見付からない。
今までも、そしてこれから先も。
(…サムだけなんだ…)
自分と共に在れるのは。
共に在りたいと今も思う「友」は、命を懸けてもいい友は。
サムの血のピアス、それがサムへの友情の証。
ピアスにしようと決めた理由は二つある。
一つは、「邪魔にならない」こと。
耳は動かす部分ではないし、其処にピアスをつけていたって、動きを束縛されないから。
たとえ肉弾戦になろうと、自分の邪魔にはならないピアス。
せいぜい耳たぶが千切れる程度で、そのくらいの傷は掠り傷とも言わない。
(これがペンダントの類だと…)
きっと何処かで邪魔になる。
「邪魔だ」と感じる時が来る筈、サムの血を「邪魔」と思いたくはない。
ほんの一瞬、反射的に感じただけだとしても。
直ぐに「違う」と思い直しても、一度「邪魔だ」と考えたならば…。
(サムを邪魔だと言うのと同じ…)
そうならないよう、ピアスを選んだ。
鏡に映して眺めない限り、自分の目では見られなくても。
ただ指で触れて「此処にいるな」と思うだけしか、サムを確かめる術が無くても。
そしてもう一つ、そちらの方が遥かに大切。
自分の身体に傷をつけねば、ピアスをつけることは出来ない。
耳たぶに穴を開けること。
ほんの僅かな赤い血と痛み、けれどもピアスをつけるためには欠かせないもの。
サムがMたちに壊された痛み、それはどれほどのものだったか。
想像さえもつかないものだし、きっとサムにしか分からない。
サムを襲った痛みと苦しみ、心が壊れてしまうほどのそれ。
(…少しだけでも…)
分かち合いたいと思うのが友、だからこそ開けるピアス用の穴。
両方の耳に、サムの血と共に在るために。
ピアスをつけないのならば必要ない傷、それを自分の身体に刻む。
どんな拷問にも耐えられるように訓練を受けた、今の自分の身体には…。
(蚊が刺したほども痛まなくても…)
まるで痛みを感じなくても、耳のその部分に風穴は開く。
風穴と呼ぶにはささやかすぎて、針で刺した程度の大きさでも。
向こう側さえ見えないくらいに、放っておいたら直ぐに塞がりそうなくらいに小さくても。
(それでも、傷は傷なのだからな)
だからピアスだ、と触れてみる耳。
今は傷一つ無い耳だけれど、じきに小さな穴が開く。
サムの血のピアスをつけてやるために、何処までもサムとゆくために。
ジルベスターへも、Mがいるだろう蛇や悪魔の巣窟へも。
(じきに行ってやるさ)
サムを壊したMの拠点へ、友が流した血の報復に。
殺人犯にされてしまったサムの代わりに、Mどもを全て血祭りに上げる。
返り血を浴びたサムの写真は、血まみれの姿だったけれども…。
(…私の方は、耳に血のピアスだ)
Mが気付くか、気付かないままか、気付いたならばどう出て来るか。
ジルベスターではどうなるにしても、自分はサムと共にゆく。
サムの血で出来たピアスが出来たら、両方の耳に開ける穴。
それが自分の決意だから。
何処までもサムと共にゆこうと、サムと在ろうと、そのために選んだサムの血のピアス。
(少しだけでも、「痛い」と思えればいいのだがな…)
ピアス用の穴を開ける時。
サムの痛みを、サムの苦痛を少しでも分かち合いたいから。
傷から溢れるだろう血だって、ただの一滴ではない方がいい。
その血の分だけ、サムの所へ近付けるから。
ピアスが無ければ無いだろう傷、それが深くて酷く痛むほど、サムの心に近付けるから。
耳たぶに穴を開ける時には、願わくば出来るだけ強い痛みを。
開ける時に必ず流れ出す血も、出来るだけ多く。
サムはそれより、遥かに多く苦しんだから。
Mに心を壊されたサムは、この先もずっと、元に戻りはしないのだから…。
選んだピアス・了
※どうしてサムの血のピアスだったんだ、と考えていたら、こうなったオチ。
ピアスは実際、動くのに邪魔にならないわけで…。ドッグタグというのもありますけどね。
「一切の記憶を捨てなさい。あなたは全く新しい人間として…」
地球の上に生まれ落ちるのです、と告げられた声。ブルーの頭の中で。
それが誰かは分からないけれど、女性の声。「一切の記憶を捨てなさい」と。
(ぼくの記憶…)
今日まで生きて来た日々の、自分の記憶。
それを捨てろと、捨ててしまえと命じられるのが「成人検査」の正体。
誰も教えてはくれなかったけれど、健康診断の一種なのかと頭から信じていたけれど。
呼びに来た係は看護師だったし、検査に付き添う者も看護師。
成人検査に使う機械も、医療用のそれに見えたから。
(これが成人検査だなんて…!)
騙されたのだ、と悟った瞬間。
成人検査について教えてくれた学校の教師に、検査を受けに来た此処の職員たちに。
(忘れるなんて…。全部忘れて、違う人間になるなんて…!)
嫌だ、と悲鳴を上げた途端に弾けた何か。…そして本当に起こった爆発。
気付けば機械は砕け散っていて、宙に浮かんでいる幾つもの破片。
(…いったい何が…?)
事故でも起こったのだろうか、と呆然と眺めた金属片。
其処に映っている顔は…。
(…これが、ぼく…?)
嘘だ、と見開いてしまった瞳。
破片に映った自分も瞳を見開くけれども、その瞳の色。
(……ぼくの目じゃない……)
赤い、と見詰めた破片の中。
水色だった瞳は赤に変わって、金色の髪も今は銀色。
とても自分とは思えないのに、それは間違いなく自分自身で…。
(ぼくじゃない…!)
こんなのは、ぼくの姿じゃない、と愕然とした所でフッと覚めた目。
上の方には見慣れた天蓋、「青の間」と呼ばれる自分の部屋。
(……夢……)
夢だったのか、と何度か瞬きした瞳。
側に鏡は無いのだけれども、きっと瞳は赤いだろう。
今の自分が持っている色はそうだから。
赤い瞳に銀色の髪で、色素が抜けてしまったアルビノ。
もうこの姿で長く生きたし、とうに馴染んでいるけれど。
「変だ」と思いもしないけれども、久しぶりに見た遠い日の夢。
あれは本当に起こった出来事、全てが変わってしまった、あの日。
金色の髪と水色の瞳を失くした自分は、一切のものを失くしてしまった。
未来も、「人」として生きてゆく権利も。
成人検査用の機械を壊したサイオン、それが目覚めてしまったから。
「ミュウ」と呼ばれる異人種になって、もう人権は無かったから。
(…あの時から、ぼくは…)
もう人間じゃなくなったんだ、と痛烈に思い知らされる。
「殺さないで」と悲鳴を上げていた看護師。駆け付けて来た保安部隊の者たち。
彼らは自分に銃口を向けて、問答無用で撃ったから。
「ぼくは何もしない」と訴えたのに、聞く耳も持たなかったのだから。
(…無意識の内に、サイオンで弾を止めなかったら…)
きっと自分は死んでいたろう、機械の破片が浮いていた部屋で。
撃ち殺された後の身体は、切り刻んで調べられたのだろう。
「こいつに何が起こったのか」と、「どういう理由で変化したか」と。
そして研究室に並ぶサンプル、元は自分の一部だったもの。
赤い瞳や、脳などが入った幾つものケース。
自分の名前のラベルが貼られて、いつでも取り出して調べられるように。
嫌な夢だ、とベッドの上に起き上がる。
自分は辛くも生き延びたけれど、その後の地獄も無事に脱出できたのだけれど。
この瞬間にも、きっと何処かで同じ目に遭っているだろう仲間たち。
(…タイプ・ブルーは、今も確認されていないが…)
そういう情報は来ていないから、自分と同じに変化した者はいないと思う。
けれど「ミュウだ」と判断されたら、待っているものは「死」でしかない。
その場で撃たれて処分されるか、実験動物として扱われるか。
もとより生かすつもりは無いから、過酷な人体実験の末に迎えるだろう「死」。
死体は刻まれて保存されたり、ゴミ同然に廃棄されたり。
(…ぼくは何人も助けたけれど…)
処分されそうになったミュウの子供を、何人も助け出したのだけれど。
それが出来るのは、この星でだけ。
シャングリラと名付けたミュウの箱舟、白い鯨が雲海に潜むアルテメシアだけ。
他の星では、手も足も出せはしないから。
ミュウの子供が何処にいるのか、それさえ掴めはしないのだから。
(…ぼくたちが此処で助けた以上に…)
その何倍も、何十倍も。
あるいは何百倍かもしれない、何千倍でもおかしくはない。
膨大な数だろうミュウの子供たち、彼らが命を落としていても。
研究施設に送り込まれて、死に続く道を歩んでいても。
(ソルジャー・ブルーと名乗ったところで…)
ミュウの長だと宣言したって、変わることなど何一つない。
自分は何も変えられはしない、この星、アルテメシアでさえも。
発見されては処分されてゆくミュウの子供たち、彼らを救うことしか出来ない。
それも「間に合った」時にだけ。
運よく事前に発見したとか、救出が間に合ったとか。
そうでない時は、救い出せない子供たち。
最期の思念がこの胸を貫き、儚く消えてゆくというだけ。悲鳴だったり、泣き声だったり。
この船で何度、歯噛みしたことか。
「救えなかった」と、「どうして早く気付かなかった」と。
ソルジャーと言っても名前ばかりだと、「戦士」でさえありはしないのだと。
名前通りに戦士だったら、戦い、敵を倒せるだろうに。
ミュウを端から殺すシステム、それを打ち砕けるのだろうに。
けれど自分は「助けて逃げる」ことしか出来ない、殺されかかった子供たちを。
子供たちを殺せと命じる機械を壊すことさえ、今の自分には叶わない。
SD体制を敷いた地球のシステム、グランド・マザーが宇宙に広げたネットワークの…。
(この星の分だけの端末さえも…)
破壊できずに、見ているしかないテラズ・ナンバー・ファイブという機械。
ミュウの子供を発見しようと見張る機械を、成人検査を行う「それ」を。
戦士だったら、戦って壊すべきなのに。
端から機械を壊さない限り、ミュウの子供は殺されてゆくだけなのに。
(…ぼくの代で、いったい何処まで出来る…?)
何処まで変えることが出来るのか、この世界を。…この理不尽なシステムを。
ミュウというだけで殺す世界を、ミュウが生きられない今の時代を。
(…人類と手を取り合えたなら…)
分かり合うことが出来たなら、と思うけれども、夢のまた夢。
さっき自分が見た夢と同じ、人類はミュウを「殺す」だけ。
そうでなければただ恐れるだけ、「殺さないで」と。
ミュウの力を、サイオンを思念を忌み嫌うだけ。
自分一人では何も出来ない、「ソルジャー・ブルー」と名乗りはしても。
ミュウの長だと人類たちに認識されても、船の仲間たちに崇め、敬われても。
(ぼくには力も、それだけの時間も…)
どう考えてもありはしない、と思うのは自分の命の「終わり」。
それが来るまでに何が出来るか、一つでも変えてゆけるのかと。
ミュウの時代に続く扉を見付けられるか、扉の鍵を開けられるかと。
燃えるアルタミラを脱出してから、今日までに流れた長い歳月。
ミュウは長寿で、外見さえも若く留めておけるけれども。
(…それでも、不老不死じゃない…)
自分の寿命はどれほどあるのか、あとどのくらい生きられるのか。
ミュウの子供を助け出すのが精一杯の今を、無力な自分を変えられるのか。
(ぼくの命が燃え尽きる前に…)
神が一つだけ、願いを叶えてくれるなら。
人の力では成し得ないこと、奇跡を起こしてくれるのならば。
(…ぼくは、地球より…)
ミュウの未来を選ぶのだろう、と思うのは自分が「ソルジャー」だから。
皆を導いて此処まで来たから、きっと最期まで自分はソルジャーだろうから。
ミュウの長なら、そう名乗るのなら、捨てねばならない「自分のこと」。
それだけの覚悟は出来ているけれど、いつでも「自分」を捨てられるけれど。
(…ぼくの思いだけで選んでいいなら…)
青い地球を、と願う気がする。
死の床に就いて、神に願いを問われたら。
どんなことでも「一つだけ」夢を叶えてやろうと、神が耳元で囁いたなら。
(ぼくにしか聞こえない声ならば…)
青い地球まで連れて行って欲しい、この目で地球を最期に見たい。
そうは思っても、選べないとも、また思う。
さっきのような夢を見る度、自分の力の限界を思い知らされるから。
生きている間に何処までやれるか、まるで自信が無いのだから。
(ぼくはきっと、いつか…)
地球への夢を捨てる気がする、仲間たちのために。
ミュウが殺されずに生きてゆける世界、その礎となるために。
そうなれば地球は見られないけれど、自分の命が役に立つならそれでいい。
名前ばかりでも、ソルジャーだから。
ソルジャー・ブルーと名乗った以上は、死の瞬間まで「自分」を捨てねばならないから…。
長としての道・了
※「地球を見たかった」というブルーの呟き、あれが未だに忘れられない管理人。
長としての自分はどうあるべきか、ずっと考えていたんだろうな、と思っただけ。
いや、実は前PCがブルー様の祥月命日の翌日にクラッシュ、新PCは酷い不良品でね…。
「本体もOSも壊れてる」なんて思わないから、2週間もそいつと戦ってたオチ。
不良品だと分かって交換、「自分を取り戻したくて」リハビリにブルー。見逃して下さい。