(……サム……)
やはり無理なのか、とキースが握り締めた拳。ノアの自室で。
国家騎士団総司令から、元老院入りを果たしたけれど。
今はパルテノンに集う元老の一人だけれども、そうなった理由。
初の軍人出身の元老、表向きはパルテノンの元老たちの要請。「求心力のある指導者を」と。
「腑抜けた老人たちも、ようやく目を覚ましたようだ」と思ったそれ。
必要とされての抜擢なのだと、ならば期待に応えなくては、と。
(頑張らねば、と思ったのだが…)
初めてパルテノンに行ったら、その場で分かった。「誰も歓迎していない」こと。
自分を元老に推した人物、そんな者などいはしなかった。誰一人として。
(…全てはグランド・マザーの采配…)
人類の聖地、地球に座している巨大コンピューター。SD体制の時代を支配する機械。
グランド・マザーが自分を元老の一人に選んだ。
未来の国家主席として。…人類を導く指導者として。
(私を作らせたのも、グランド・マザー…)
理想の指導者を作り出すため、無から合成された塩基対。
三十億ものそれを繋いで、マザー・イライザが紡いだDNAという名の鎖。
自分は其処から作り出されて、サムを、シロエを糧に育った。
ミュウの長、ジョミー・マーキス・シンと幼馴染だったサム。
それに、ミュウ因子を持っていたシロエ。
サムの心はミュウに壊され、シロエは自分がこの手で殺した。船を落として。
(…サムも、シロエも…)
きっと自分と関わらなければ、壊れも死にもしなかったろう。
ミュウのシロエも、恐らくは器用に生き延びた筈。
彼ほどの頭脳を持っていたなら、可能だろうと思うから。
(…マツカでも生きているのだからな…)
シロエだったら、自分で上手く生きただろう。
SD体制の枠から逃れた反乱軍でも指揮していたか、あるいは気ままな海賊なのか。
どの道だろうと、生きただろうシロエ。…そして壊れはしなかったサム。
自分のせいだ、と何度思ったことか。
廃校になったE-1077、シロエに言われたフロア001。
卒業までには行けずに終わって、何があるかも知らなかった場所。
グランド・マザーに処分を任され、赴いた時に全てを知った。
自分の生まれも、サムとシロエの役割も。…二人が自分の糧だったことも。
(そうやって私を育て上げて…)
いよいよ人類の指導者として立てというのが、グランド・マザーの意向で命令。
従うしかない道だけれども、そのための策も練ったのだけれど…。
(これを実行に移す時には…)
捨ててゆかねばならないノア。人類が最初に入植した星。今の宇宙の首都惑星。
ノアの価値は、この際、どうでもいい。
その策でミュウに勝てさえすれば。
ソル太陽系に布陣した上で、ミュウの艦隊を迎え討ち、そして滅ぼせたなら。
(…しかし、このノアは…)
下手をしたなら戦場になる。
国家騎士団も、人類統合軍の艦隊も、全て自分がソル太陽系に展開させるけれども…。
(艦船を持たない軍人どもは…)
ノアに残るから、彼らがミュウをどう扱うか。
戦わずして降伏だろうと読んでいたって、蓋を開けねば分からない。
頑迷な者が一人いたなら、己の力を過信している者がいたなら、来るだろう破局。
勝てもしないのに、ミュウの母船にミサイルの一つでも撃とうものなら…。
(ミュウどもも容赦しないだろうしな)
血も涙も無い、と今や評判のミュウの長。
降伏を伝えた救命艇さえ、容赦なく爆破したジョミー・マーキス・シン。
(私も大概、冷徹な破壊兵器と言われたものだが…)
今のあいつはそれ以上だな、と感じるジョミーの揺るぎない意志。
「人類軍は全て敵だ」と断じて、躊躇いもせずに殺してゆく。
彼がいる船にミサイルを撃てば、たちまち焼かれるだろうノア。
メギドほどではないだろうけれど、ミサイルを撃った基地の辺りは破壊し尽くされて。
きっとそうなる、と分かっているから、その前にサムを逃がしたかった。
何処でもいいから、ミュウが来そうにない星へ。
ミュウは地球へと向かっているから、逆の方へと逃せばサムは巻き込まれない。
愚かな輩が起こした戦い、負け戦だと最初から見える戦争には。
けれども、今日も届いた報告。サムの病院の主治医から。
(今の状態のサムを移送するのは…)
危険すぎる、と唱え続ける医師。何度確かめても、日を改めて問い合わせても。
このままでは置いてゆくしかないサム。
(…動かすことさえ出来たなら…)
安心してノアを離れられるのに。
他の者たちの命はともかく、サムの命を救えるのなら。
サム一人だけでも、安全な場所に逃げ延びていてくれるのならば。
(だが、そう簡単には…)
いかないのだな、と覚悟を決めるしかない自分。
サムのために計画を変更出来はしないし、グランド・マザーも承認することはないだろう。
個人的な感情で動くことなど、グランド・マザーは良しとはしない。
それをしたなら、未来の国家主席といえども、失脚するのか、降格なのか。
(…そうなった時は、マツカさえも守り切れなくなるからな…)
もしもマツカがミュウだと知れたら、即座に処分されるだろう。
問答無用で撃ち殺されるか、収容所にでも送られるのか。
それではサムも悲しむだろうし、シロエも悲しむに違いない。
(マツカも守れなかったのかよ、とサムなら言うな…)
悲しそうな顔で、「何してんだよ」と。
シロエも同じに言うのだろう。皮肉を少しも交えることなく、「どうしたんです?」と。
(先輩らしくもありませんね、と私を見据えて…)
どうしてその道を選んだのかと問うことだろう。
「マツカを生かして側に置いたこと、ぼくは評価していたんですけどね?」と。
「なのに最後にどうしたんです」と、「守ると決めたら、守るべきだったでしょう?」と。
マツカを安全に生かしたいなら、自分自身の身を守ること。
グランド・マザーの意に背かないこと。
(…すまない、サム…)
どうやら逃がしてやれそうもない、と噛んだ唇。
もはや打つべき手など無いから、ノアは捨てるしかないのだから。
サム自身の運に賭けるしかなくて、運良くノアが戦場にならずに済んだなら…。
(ミュウどもの艦隊を滅ぼした後で…)
見舞いに行ってやるからな、と心で詫びる。
そして手にした、サムに貰った「お気に入り」のパズル。
…あの日からサムに会えてはいない。「あげる」と渡され、貰った日から。
(みんな友達…)
そう言ってサムはパズルをくれた。人のいい笑顔で。
サムは「友達」にこれをくれたのか、それともパズルに飽きただけなのか。
(キース、スウェナ、ジョミー…)
あの時、サムが口にした名前。
木の枝に止まった三羽の小鳥を、白い小鳥を順に数えて。
「みんな、元気でチューか?」とも言った。
遠い昔にE-1077で、ナキネズミのぬいぐるみを手にして、そう言ったように。
(…サムは一瞬、戻って来たように思うのだがな…)
戻って来たから、「友達」の自分にパズルをくれた。そんな気がする。
そうだったのだと思うけれども、あの日のサムが持っていたもの。
小さな望遠鏡のようにも見えた万華鏡。
(あれがサムの新しいお気に入りで…)
パズルには飽きて、もう要らないから、昔馴染みの「おじちゃん」に譲ってくれただろうか。
何度も見舞いに来てくれるから、サムが気に入った「赤のおじちゃん」。
国家騎士団の制服のせいで、自分は「赤のおじちゃん」になった。
サムの心は子供に戻って、同い年の筈の自分が年上に見えているものだから。
子供のサムから眺めた自分は、「友達」ではなくて「おじちゃん」だから。
その「おじちゃん」にパズルをくれたか、飽きたから譲っただけなのか。それすらも謎。
(くれたのだと思いたいのだが…)
あの日から一度も会えていないし、確かめる術を持たないまま。
サムに会えたら、パズルを見せて訊いてみるのに。
(借りっ放しで悪かったな、と…)
差し出したならば、どんな表情が返るのか。
「ぼくのパズル!」と引っ手繰るのか、「おじちゃんのだよ?」と笑顔になるか。
その時にサムが、あの万華鏡の方に夢中でも…。
(おじちゃんのだよ、と言ってくれたら…)
どんなに嬉しいことだろう。
サムと心が繋がったようで、遠い昔に戻れたようで。
(頼むから、死なずに生きていてくれ…)
私がノアに戻れる日まで、と僅かな希望を未来に抱く。
時代がミュウへと味方していても、「負ける」と決まったわけではない。
勝ちを収めたなら、戻れるノア。そして再会できるサム。
(白のおじちゃん、とポカンとしてくれたらな…)
楽しいのだが、と眺めた元老の衣装。
「赤のおじちゃん」の赤い制服は、もう着ないから。今では白い服だから。
サムも自分も生き延びたならば、この服でサムに会いに行こう。パズルを持って。
「元気にしてたか?」と、「白のおじちゃんになったんだぞ」と。
その日が訪れてくれたらいい。
サムを置いてノアを離れるけれども、「白のおじちゃん」がサムの見舞いにまた行ける日が…。
置いてゆく友へ・了
※「白のおじちゃん」になったキースは、サムに会えたのか、会えなかったのかが謎。
会えなかった可能性も高いんだよね、と考えたトコから出来たお話。どうだったんでしょう?
(あと三年と…)
何ヶ月なんだ、とシロエが部屋で折ってみた指。
このステーション、E-1077を卒業できる日までの日数は、と。
(…まだ、かなり先…)
それでも昨日よりかは一日減った、という気分。
たまに、こうして夜に数える。思い立った日に、残りの日々を。
毎日などは、とても数えていられない。そんなことをしたら、持たない神経。
「気が強いシロエ」を演じてはいても、本当の中身は「子供時代のまま」だから。
両親の姿を夢に見た日は、「パパ、ママ…」と涙を零すような子供。
その大切な両親の記憶を機械に消されて、もうどのくらい経つだろう。
目覚めの日から今日までの日数、それを四年から引いた残りが「卒業できる日」までの日数。
悲しい数字を伴う計算、毎日のようにやりたくはない。
そうでなくても、今は地獄の日々だから。生き地獄を生きているのだから。
(…マザー・イライザ…)
今も何処かで監視している、あの憎い機械。
母の姿を真似て現れる、恩着せがましいコンピューター。
今の自分は「あれ」の言いなり、従わされて生きてゆくしかない。
どんなに抗い、逆らってみても、「従っている」自分の姿が見えてくる。
少しばかり距離を置いたなら。…今の「自分」を見詰めたら。
優秀な成績を収めたならば、マザー・イライザの思惑通り。憎い機械の意のままの自分。
E-1077というステーションは、エリートのための最高学府。
より優秀な者が出るほど、マザー・イライザの評価が上がる。
機械に鼻は無いのだけれども、鼻高々になるマザー・イライザ。
優秀な生徒が現れる度に、素晴らしい候補生たちを育てて、此処から送り出す度に。
そう、自分だって、マザー・イライザの手駒の一つ。
マザー・システムを痛烈に批判してみても、成績優秀な生徒だったら…。
(…ぼくをコールして、叱ったことさえ…)
地球の上層部に隠しておいたら、マザー・イライザは無失点。
むしろ褒められもするだろう。
地球を治めるグランド・マザーに、「よくやりました」と。
「そのままシロエを育てなさい」と、「今後に期待しています」とも。
じきに卒業するキース・アニアン、「機械の申し子」と呼ばれるほどの未来のメンバーズ。
彼の成績を幾つも抜いた自分は、どう考えても「優秀」だから。
キースよりも四年遅れて此処を出てゆくエリート、そうなるだろう理想の候補生。
いい成績を取れば取るほど、マザー・イライザを喜ばせる。
(ぼくの態度を隠しさえすれば…)
二人目のキースとも呼べるエリート、それを「育成中」だから。
反抗的な今の態度も、「いずれ収まる」と思っていそう。
何度もコールを繰り返していれば、思いのままに導いたなら。
逆らおうと足掻き続ける激しい感情、それに終止符を打てたなら。
(そう簡単に…)
言いなりになんかなりやしない、と唇をきつく噛むけれど。
機械に操られてたまるものかと思うけれども、きっと今日だって「喜ばせた」。
キース・アニアンが残した記録を、また一つ自分が塗り替えたから。
E-1077始まって以来の点数を取って、教官に褒められたのだから。
(ぼくは、マザー・イライザを喜ばせるために…)
勉強しているわけじゃない、と叫んでみたって、結果が全て。
「セキ・レイ・シロエ」という優秀な候補生、それを擁するステーション、E-1077。
グランド・マザーへの報告の度に、マザー・イライザは得意満面だろう。
「キースの次にはシロエがいます」と。
「四年後にはシロエを送り出します」と、「優秀なメンバーズになってくれるでしょう」と。
自分の成績が上がってゆくほど、マザー・イライザの評価も上がる。
つまりはマザー・イライザの手駒、キースと何処も変わりはしない。
(従順な生徒か、そうでないかというだけで…)
このステーションから送り出せたら、マザー・イライザには「同じこと」。
とても優秀なメンバーズを育て、無事に卒業させたのだから。
将来の地球を導く人材、それを「二人も」送り出したことになるのだから。
(…ぼくが勉強すればするほど…)
マザー・イライザを喜ばせる。…マザー・イライザの評価が上がる。
なんとも皮肉な話だけれども、それが真実。
「いつか機械に復讐する」ために積んでいる努力、懸命に目指すメンバーズ。
その先に続くだろう道だって、順調に歩むつもりだけれど。
キースを追い越し、蹴落としてやって、国家主席に昇り詰めるのが目標だけれど。
(…国家主席になって、機械を止める時まで…)
機械に奪われた記憶を取り戻す日まで、きっと傍目には「機械の言いなり」。
上手く躱して生きていたって、機械の目から見たならば…。
(…成績優秀な候補生の後は、とても優秀なメンバーズ…)
そういう存在でしかない自分。
ドロップアウトでもしない限りは、マザー・イライザの「自慢の生徒」。
何処まで行っても「マザー・イライザが育てた生徒」で、その烙印は消えてくれない。
いつか機械に牙を剥くまで、機械に「止まれ」と命じる日まで。
まだ三年と何ヶ月もある、此処での日々。
マザー・イライザに力ずくで抑え込まれる屈辱、それに歯を食いしばって耐える年月。
ようやっと自由になれる日が来ても、今度はグランド・マザーが来る。
(メンバーズは、グランド・マザーの直属…)
どんな形で抑えに来るのか、果たして自分は逆らえるのか。
今でさえもマザー・イライザの手駒、抗い、もがき続けていても。
力の限りに逆らっていても、結果だけを見れば「マザー・イライザの勝利」でしかない。
マザー・イライザの評価が上がって、喜ばせているだけだから。
いい成績を取れば取るほど、そうなるから。
(…それと同じ日々が、これから先も…)
無限に続いてゆくのだろうか、このステーションを卒業したら…?
メンバーズになって、グランド・マザーの直属の部下になったなら…?
(……嫌だ……)
今の地獄がまだ続くなんて、とギュッと拳を握ったけれども、それ以外には見えない道。
もしもドロップアウトしたなら、地球への道は開けない。
国家主席になれはしなくて、失くした記憶は取り戻せない。
機械に「止まれ」と命じる力も、その権限も、持てずに何処かで力尽きるだけ。
ただのつまらない軍人になるか、教官にでもなって終わりの人生。
(…それだと、本当に機械の言いなり…)
生きた証もありやしない、と思ってはみても、それが嫌なら地獄への道。
いつ果てるとも知れない道を、ひたすら歩んでゆくしかない。
E-1077で三年と何ヶ月かを過ごして、卒業したらメンバーズ。
マザー・イライザの手から自由になったら、今度はグランド・マザーの手の中。
そうしてもがいて、もがき続けて、いつになれば自由になれるのだろう?
いったい何年、茨の道を歩き続ければいいのだろう…?
(…考えただけでも、気が滅入りそうだよ…)
此処での三年と何ヶ月かの残り日数、それさえも「永遠」に続くかのように見えるのに。
まるで果てのない道に見えるのに、まだその先へと続く地獄の日々。
いくら歩いても終わりが見えない、「機械の手駒」として生きてゆく道。
それに自分は耐えられるのか、上手く歩んでゆけるのか。
(……歩くしかないなら、歩くけれども……)
誰か終わりを教えて欲しい、と折ってみる指。
何年耐えれば、国家主席になれるのか。
子供時代の記憶を全て取り戻して、憎い機械を止められるのか。
(…それさえ分かれば…)
まだ耐えようもあるというのに、と考えてみても、見えない「終わり」。
自分の未来は果てのない地獄、E-1077を卒業しても。
メンバーズの道に足を踏み入れ、エリートとして歩み始めても。
(……全部、傍目には機械の言いなり……)
そして機械が得をするだけ、と分かっていたって、歩くしかない。
この屈辱にまみれた道を。
機械に頭を押さえつけられ、這いつくばって進む、泥の中に伸びてゆく道を。
いつか見えるだろう「終点」までは、此処から逃れられないから。
国家主席になりたかったら、機械の手駒として生きる他には、道は何処にも無いのだから…。
機械の手駒・了
※本当は別の意味で「マザー・イライザの手駒」だったシロエ。連れて来られた時から。
けれどシロエは知らないわけで、いい成績を取れば取るほど地獄。機械の手駒。
(ミュウの女か…)
そして私だ、とキースが脳裏に浮かべた光景。
今はもう無い、E-1077で見たモノ。遠い昔にシロエがその目で確かめたもの。
フロア001に並んだ標本、どれも同じ顔をした男と、それに女が何体も。
マザー・イライザが「サンプル」と呼んだだけあって、胎児から成人までが揃った標本たち。
一つ間違えたら自分もあそこに並んだだろう、と今日までに何度思ったことか。
けれど自分は生きているのだし、「生かされた」とも言える人生。
(ならば歩むしか無いのだろうな)
自分の道を、と分かってはいる。
任務に忙殺される昼間は、いつも忘れている光景。自分の生まれも、あの「ゆりかご」も。
シロエはあそこを「ゆりかご」と言った。自分はあそこで「育った」モノ。
成人検査を受けることなく、E-1077に候補生として入れる年まで。
それをこうして思い出す夜も、けして珍しくはないのだけれど。
側近のマツカを下がらせた後は、たまに考えもするけれど。
(…待てよ?)
その夜は、心に引っ掛かった。あの「ゆりかご」の光景が。
ズラリと並んでいた標本。自分と同じ顔の男と、ミュウの母船で出会った女。
(マザー・イライザ…)
自分が処分した、あの機械。マザー・イライザに似ていた女。
彼女はミュウの母船にいた。捕虜とは違って、並みのミュウより上の扱い。
(…どうしてミュウの母船などに?)
他人の空似でないことは分かる。
囚われた時に、ガラス越しに彼女と触れ合わせた手。
其処から流れ込んだ記憶は、寸分違わず自分と同じだったから。
水の中に浮かび、同じ歌を聴いていたのだから。
ミュウの母船に乗っていた女。
自分と同じ生まれの筈で、機械が無から作った生命。
三十億もの塩基対を繋ぎ、DNAという鎖を紡ぐ。マザー・イライザはそう言った。
ならば機械が「ミュウを作った」ことになるのか、彼女がミュウの船にいたなら。
(…ミュウ因子の排除は不可能だと聞くが…)
そう、現代科学をもってしても。
最先端の技術を駆使してみても、ミュウの因子は排除できない。
だからこそミュウは生まれ続けて、それを異分子として処分するのが人類の役目。
機械が作っても「生まれる」のならば、本当に排除できないのだろう。
あの目障りな生き物は。
星の自転も止められるという、忌まわしい力を持つ化け物は。
(…ソルジャー・ブルー…)
ああいうミュウもいるのだがな、と彼の見事な死に様を思う。
自らの命を犠牲にしてまで、メギドを沈めたタイプ・ブルー・オリジン。
けれど彼とて化け物なのだし、自分は「負けた」というだけのこと。
あの生き様が羨ましくても、所詮はミュウ。…所詮、化け物。
其処まで思いを巡らせた時に、ふと思い出した。
ミュウの母船から逃げ出した時に、人質に取ったあの女。
ソルジャー・ブルーは、あの女をとても気にかけていたようだから…。
(…同族と気付いて、攫って逃げたか…)
それも面白い、とクックッと笑う。
ミュウは必ず処分されるし、あの女を攫って逃げたとしたなら、さしずめ「白馬の王子様」。
ソルジャー・ブルーはそれを気取って、何処かに忍び込んだだろうか、と。
(E-1077では有り得ない…)
ならば何処だ、と考えた場所。
ミュウの女は何処で育って、ソルジャー・ブルーが連れ出したかと。
「白馬の王子様」は何処に出たかと、それを知るのも面白かろう、と。
最初はそういう思い付き。
単なる気まぐれ、あの実験はどういう類のものだったか、と。
E-1077を処分した時は、データを取りはしなかった。
コントロールユニットを破壊しただけ、標本どもを維持する装置を壊しただけ。
後はグランド・マザーの命令通りに、E-1077そのものを爆破した。
あそこから近かった惑星の上に、真っ直ぐ落として。
自分を作ったマザー・イライザ、「ゆりかご」の主をマザー・ネットワークから切り離して。
(何も取っては来なかったが…)
グランド・マザーはデータを残しているだろう。
そして望めば、情報は開示される筈。
(E-1077だ…)
手掛かりはそれ、と辿ってゆく。フロア001、其処で行われていた実験、と。
目指すデータは直ぐに出て来た。
「キース・アニアン」を作った実験。
いつからあそこでやっていたのか、関わった者たちは誰なのか。
水槽越しに見た研究者の顔も、その中にあった。
案の定、事故死していたけれど。
自分が水槽から出されて間もなく、E-1077を離れる途中で。
他の研究者たちも一緒に乗っていた船、それが見舞われた衝突事故で。
(……やはりな……)
証拠を残すわけもない、と予想していた通りの結末。
「キース・アニアン」が誰かを知るのは、今ではグランド・マザーだけ。
候補生として生き始めた時点で、マザー・イライザとグランド・マザーの他には…。
(…誰もいなかったというわけか…)
シロエがそれを見出すまで。
彼をフロア001で捕らえた保安部隊の者まで、ご丁寧に事故死している有様。
機械は徹底しているらしい。「キース・アニアン」の秘密を守るためには。
キース・アニアンを其処まで守り抜こうと言うなら、ミュウの女も同じだろう。
ソルジャー・ブルーが攫った後には、消されただろう研究者たち。
(…こちらもそうか…)
実験の場所はアルテメシアか、と納得した答え。
其処で始めた「無から生命を作る」実験。
けれど失敗作が生まれて、ソルジャー・ブルーに攫われる始末。
これでは駄目だ、と実験の場所は宇宙に移った。
マザー・イライザに全てを委ねて、サンプルも全て引き渡して。
(なるほどな…)
あの「ゆりかご」で生まれた時から、目の前にあった「ミュウの女」の標本。
研究者よりも身近なものだし、マザー・イライザが似た姿にもなるだろう。
ミュウの女とマザー・イライザ、まるで正反対なのに。
機械が無から作ったものでも、「ミュウの女」は命あるもの。
マザー・イライザは機械なのだし、命を持っていないもの。
その上、排除されるべきミュウと、排除する側のコンピューター。
なんと皮肉な話だろうか、相反するものが「似ていた」とは。
(…無から作っても、ミュウは生まれる…)
ミュウ因子を排除できないだとは、と歯噛みするしかない現状。
確実に力をつけ始めたミュウ、彼らを宇宙から一掃するには因子の排除が最善なのに。
それさえ出来たら、次の世代のミュウは生まれて来ないのに。
(奴らが始めた、非効率的な自然出産…)
あの程度ではミュウの行く末は見えている。
因子さえ排除してしまえたなら、彼らに同調する者たちは出ないから。
何処の星でもミュウは生まれず、二度と生まれて来はしないから。
(だが、現代の科学では…)
不可能なのだ、と握り締めた拳。
最善の策だと分かってはいても、人は打つ手を持たないのだと。
やむを得ない、と眺めた「ミュウの女」を作ったデータ。
遺伝子データも取ってあったし、それを子細に分析したならミュウ因子も分かりそうなのに。
無から作った生命だけに、交配システムで生まれたものより分かりやすい筈。
それでも駄目か、と「科学の限界」を睨み付けていて気が付いた。
(…この女のデータ…)
遺伝子データは、彼女限りで終わりになったわけではなかった。
次の代へと引き継がれていて、E-1077で作り出された「男」。
「男」のデータは一つしか無くて、どれもが「キース・アニアン」に続く。
幾つものサンプルを生み出した末に、「キース・アニアン」と呼ばれる者へと。
(…それでは、私は…)
あの女の遺伝子データを元に作られたのか、と知ったらゾクリと冷えたのが背筋。
「ミュウの女」の遺伝子データを継いでいるなら、「ミュウ因子」も継いでいそうなもの。
けれども自分はミュウとは違うし、サイオンなども持ってはいない。
第一、「ミュウになりそうな危険」があるというなら、遺伝子データを使いはしない。
それを「取り除けない」というのなら。
ミュウの因子は特定不可能、排除は無理だというのなら。
(…それなのに、何故…)
あの女のデータを使ったのだ、と生まれた不安。
「ミュウの因子は排除できるのではないのか」と。
それを取り除いて作られたのが「キース・アニアン」、此処にいる自分なのではないかと。
(……まさかな……)
まさか、と思うけれども、生まれた不安は拭えない。
「ミュウの女」を確かに見たから、自分は彼女の遺伝子データを受け継いだから。
(…ミュウ因子が特定されているなら…)
グランド・マザーは嘘をついていることになる。出来る筈のことを「出来ない」と言って。
いつか直接確かめねば、と考えはしても、まだ早い。
もっと力をつけないことには、真実はきっと聞けないから。
国家主席に昇り詰めるまで、グランド・マザーは人間如きに何も語りはしないだろうから…。
ゆりかごの因子・了
※排除不可能だというミュウ因子。フィシスがミュウなら、遺伝子データを継いだキースは?
ミュウ化する危険を帯びているわけで、普通はデータを使わない筈。自信が無ければ。
(…記憶が無い…?)
シロエが耳を疑った言葉。候補生たちがしていた噂話。
成人検査前の記憶を一切、持たないというキース・アニアン。
頭の中に何も無い分、色々なことを詰め込めるのだ、と。
彼が成績優秀な秘密は「それ」だとも。
(…記憶って…)
皮肉なことに、その「記憶」のことで苦しんでいた真っ最中。
どんどん薄れてゆく自分の記憶。
懸命に繋ぎ止めようとしても、実感が伴わなくなってゆく故郷の景色。
いずれ自分も全て忘れて、飼い慣らされてしまうのかと。
マザー・イライザの言いなりになって、「マザー牧場の羊」の群れの一匹に。
だから余計に癇に障った。
「過去の記憶を持たない」キースが。
元から嫌っていたのだけれども、いつも以上に。
苛立ちながら戻った部屋。E-1077での、自分の個室。
此処は自分の部屋だけれども、もっといい部屋を持っていた。
E-1077に連れて来られる前は。
故郷の家で、両親と暮らしていた頃には。
(……ぼくの部屋……)
居心地の良かった子供部屋。
けして豪華ではなかったけれども、物心ついた時には自分の部屋を持っていた。
大抵は「其処にいなかった」けれど。
母が料理をしている所を眺めていたり、母の姿が見える所に座っていたり。
父が仕事から戻った時には、両親の側を離れなかった。
眠る時間が訪れるまで。
「もう寝なさい」と、二人に優しく言われるまで。
(…もっと大きくなってからでも…)
趣味にしていた機械いじりや、勉強の時間。
それを除けば、あまり部屋にはいなかった記憶。
居心地のいい部屋だったけれど、もっと素敵な部屋が家にはあったから。
父や母たちがいた部屋に行く方が、ずっと心地が良かったから。
(…パパ、ママ……)
会いたいよ、と呟いてみても、顔もおぼろになった両親。
二人の顔を見たいのに。
眠って夢の中にいたなら、二人ともちゃんと顔立ちが分かる姿なのに。
機械に消されてしまった記憶。
成人検査で、テラズ・ナンバー・ファイブのせいで。
(…ぼくがこんなに苦しんでるのに…)
苦しみながらも、懸命に続けている勉強。
このステーションでトップに立って、メンバーズ・エリートに選ばれること。
それを目指して、その日だけのために歯を食いしばって。
本当だったら、両親の夢を見られるベッドでずっと眠っていたいのに。
勉強するような時間があったら、夢の中で見られる故郷にいたい。
そうでなければ、大切なピーターパンの本。
宝物の本のページだけを繰って、ネバーランドを夢見ていたい。
勉強などをするよりも。…余計な知識を叩き込まれて、過去を忘れてゆくよりも。
(でも、そうするしか…)
今の所は見えない希望。
メンバーズになって、順調に昇進したならば。
上へ上へと昇り続けて国家主席の座に就いたならば、もはや誰からも受けない指図。
地球のトップに昇り詰めたら、憎い機械を止めてやること。
それが目標、「ぼくの記憶を全て返せ」と命じた後に、マザー・システムを止めること。
失くした記憶を取り戻すために。
子供が子供でいられる世界を、もう一度宇宙に作り出すために。
(…そのために、ぼくは必死になって…)
夢と現実の狭間でもがいて、毎日が戦いの日々なのに。
今も苦しみ続けているのに、キースには「過去が無い」という。
よりにもよって、それが自分のライバルだなんて。
過去にこだわり続ける自分と、「過去を忘れた」薄情な奴との戦いだなんて。
何も覚えていないのだったら、きっとキースは楽なのだろう。
戻りたい場所も、会いたい人も、キースは何一つ持ってはいない。
(その分だけ、知識を詰め込めるって…)
だから成績優秀なのだ、と噂していた候補生たち。
成績のことは、羨ましいとも思わない。
過去と引き換えに賢くなっても、自分は嬉しくないだろうから。
たとえキースを抜き去れるとしても、今のぼやけた過去を手放したくはないから。
(…だけど、最初から欠片さえ…)
残らないほどに過去を失くしていたなら、自分だってきっと楽だった。
キースがそうであるように。
何の疑いもなく機械を信じて、「機械の申し子」と呼ばれるように。
(ぼくだって、全部忘れていたなら…)
今頃は此処でこうしていないで、勉強していることだろう。
「もっと賢く」と、「もっと知識を」と。
過去を持たないなら、今と未来があるだけだから。
機械が指し示す未来への道を、真っ直ぐ進んでゆくだけだから。
(過去があるから…)
こうして捕まる、自分のように。
帰りたい過去を持っているから、生きることさえ辛く感じる時だってある。
機械の言いなりになって生きる人生、そんなものに意味はあるのかと。
こうして苦しみ続けるよりかは、幼い間に死んでいた方が良かったとさえ。
(記憶を消されるより前に…)
成人検査を受けるより前に、子供の間に死んでいたなら、幸福だったと思うから。
…両親は悲しんだとしても。
両親との別れは辛かったとしても、忘れてしまって苦しむよりは。
どうして「キース」だったのか。
過去を忘れて、何も持たない人間になってしまったのは。
元からこだわりそうに見えないキースが、何故、その幸運を手に入れたのか。
(…あいつも、ぼくと全く同じに…)
苦しみもがいて生きているなら、まだ幾らかは気が紛れもする。
どんなに平静を装っていても、部屋に戻れば苦しむキースがいるのなら。
薄れた記憶の中の両親、それに故郷を求めるキースがいるのなら。
けれど、そうではなかったキース。
何もかも全て忘れてしまって、ただ未来へと歩いてゆくだけ。
忘れてしまった過去の分だけ、新たな知識を空白の中に詰め込んで。
機械の手口を疑いもせずに、マザー・イライザが導くままに。
(…どうして、あいつだったんだ…!)
そんな幸せな人生を掴んでいる奴が、と悔しさのままに机にぶつけた拳。
過去など持っていないだなんて。
自分は過去にこだわり続けて、取り戻すために生きているのに。
生きる意味など無さそうな生を、いつか来るだろう「機械を止めてやる」日のために。
歯を食いしばって屈辱に耐えて、マザー・イライザの手の中で生きる。
「今はこれしか道が無いんだ」と、「メンバーズになるには、そうするしかない」と。
なのに、メンバーズへの道を約束されたも同然のキース。
彼は持ってはいない過去。
幸運なことに、全て忘れてしまったから。
成人検査の係が何かミスでもしたのか、キースがあまりに無防備だったか。
(何にしたって…)
あいつはとても幸せなんだ、と怒りの炎が噴き上げるよう。
過去を持たないなら、キースは自分と同じに苦しんだりはしないから。
機械の言いなりに生きる人生、それもキースは疑いさえもしないだろうから。
なんて奴だ、と憎らしいけれど。
八つ裂きにしたいほどだけれども、キースが失くした過去というもの。
それを自分が失くしていたなら、きっと幸福に生きられる。
今の苦しみは消えてしまって、「さあ、勉強だ」と机に向かって。
「パパ、ママ? それって、どういう人たちのこと?」と、首を傾げる程度のことで。
両親も故郷も忘れたのなら、そうなるけれど。
今よりも楽に生きられるけれど、キースを憎いと思うけれども…。
(…ぼくがパパとママを忘れていたら…)
それに故郷も忘れていたなら、「セキ・レイ・シロエ」は何処にもいない。
両親に貰った「セキ」も「シロエ」も、ただの記号になってしまって。
名前はどういう意味を持つのか、それも分からなくなってしまって。
(…そんなシロエになるよりは…)
苦しくても今のままでいい。辛くても、辛い人生でいい。
キースを羨ましいと思いはしたって、「取り替えたい」とは思わないから。
過去を全く持たない人生、それを一瞬、羨みはしても、欲しいと思いはしないから。
(…キース・アニアン…)
幸福な奴、と吐き捨てる。
それに似合いの嫌な奴だと、「過去を持たない人間は違う」と。
とても味気ない人生だよねと、「そんなの、ぼくは御免だから」と…。
過去が無ければ・了
※キースが「過去を持っていない」ことを知った時のシロエは、記憶探しの最中だったわけで。
怪しいと思って調べ始める前には、こういう時間もあったのかな、と。…シロエだけに。
「セキ・レイ・シロエが逃亡しました」
その声で我に返ったキース。
いつの間にやら消え失せていた、マザー・イライザが紡ぐ幻影。それに姿も。
「追いなさい」と命じる冷たい声。
いったいシロエは何処へ逃げたのか、此処から何処へ行けるというのか。
E-1077の周りは宇宙で、行ける場所など無いのだから。
それにシロエはまだ…、と考えたけれど。
「反逆者を逃がすわけにはいきません。…命令です」
マザー・イライザの声で気が付いた。
シロエが逃げ出した先は「宇宙」なのだと。
(……シロエ……)
そんな、とグッと握り締めた拳。
マザー・イライザが言う「反逆者」。
もうそれだけで決まったも同じな、シロエの運命。
反逆者という言葉が指すのは、「SD体制に逆らう者」。
そうなったならば、ただ「処分」されるだけ。
まして逃亡したとなったら、言い逃れる術は無いだろう。
…どんなに庇い立てしても。
メンバーズに決まった自分の将来、それを振りかざして庇おうとも。
(…マザー・イライザ…)
仰いでも、其処にあるのは彫像。さっきまでの幻影とは違う。
消えてしまったマザー・イライザ、「話を聞く気は無い」ということ。
ただ命令に従えとだけ、その彫像が無言で告げる。
それが使命だと、「行きなさい」と。
ならば、行くしかないのだろう。
心は「否」と拒否していても。…この身がそれを拒絶していても。
誰かが代わってくれればいい。誰でもいいから、と乱れる心。
マザー・イライザのいる部屋を出た後、格納庫へと向かう途中で。
(…反逆者を追うだけならば…)
なにも自分でなくともいい筈、もっと相応しい者たちが存在している筈。
シロエを逮捕し、連れ去って行った保安部隊の隊員たち。
彼らだったら迷うことなく、シロエを追ってゆけるだろう。
飛び去った船を見付け出したら、容赦なく処分出来るのだろう。一瞬の内に。
(…マザー・イライザは……)
あの場では何も言わなかったけれど、シロエを「処分」するつもり。
シロエが戻らなかったなら。
E-1077に戻ることを拒み、そのまま宇宙を飛び続けたら。
(……戻ってくれれば……)
あるいは道があるのだろうか、望みが残っているのだろうか。
皆の記憶から消されたシロエが、反逆者になったシロエが生き残れる道。
生涯、幽閉されようとも。
厳重に監視された部屋から、一歩も出ることは叶わなくても。
(…メンバーズなら…)
何か手立てがあるのだろうか、候補生の身では無理なことでも。
此処を卒業してメンバーズの道に足を踏み入れたら、打つ手が見付かるのだろうか…?
(…今のぼくには…)
まだ分からない、メンバーズのこと。
どれほどの権限が与えられるのか、マザー・イライザにも命令できるのか。
そうだと言うなら、全ての希望が潰えてはいない。
もしもシロエを連れ戻せたら。
…自分がメンバーズの道を歩み始めるまで、シロエが生きていてくれたら。
夢物語だ、と自分でも分かる。
マザー・イライザは、其処まで甘くはないだろうと。
たとえシロエが戻ってくれても、即座に奪われるだろう命。
保安部隊に引き渡したなら、その日の内に。
候補生たちの目には入らない何処か、其処で撃ち殺されてしまって。
(…今のぼくには、まだ止められない…)
いくら将来が決まっていたって、今の身分は候補生。
保安部隊の者たちの方が、遥かに力を持っているから。…このE-1077では。
(どうして、彼らが行ってくれない…!)
自分よりも力を持つというなら、彼らがシロエを追えばいい。
そして仕事をすればいいのに、どうして自分が選ばれるのか。
他に適任者が大勢いるのに、一介の候補生などが。
(…マザー・イライザ…!)
何故、と苛立ち、歩く間に、通路に倒れた者を見付けた。
明らかに保安部隊の所属だと分かる、その制服。
(さっきの精神攻撃で……)
そういえば皆、倒れたのだった。…自分以外は一人残らず。
過去の幻影に囚われたように、誰もが子供に返ってしまって。
目には見えないオモチャで遊んで、無邪気な笑顔で床へと座り込んだりして。
精神攻撃が遮断されたら、糸が切れたように倒れた彼ら。
今のE-1077には、自分の他には誰一人いない。
シロエを追ってゆける者は。
逃亡者を乗せて宇宙をゆく船、それを追い掛けて飛び立てる者は。
(…そういうことか…)
誰もいないのか、と噛んだ唇。
一人でも残っていたのだったら、捕まえて押し付けるのに。
「反逆者を追う」という自分の役目。
お前がすべき仕事だろうと、「直ぐに飛び立て」と、張り飛ばしてでも。
(…後で、コールで叱られても…)
その方が遥かにマシに思える、自らシロエの船を追うよりは。
シロエを連れて戻ってみたって、彼の命を救えはしない。
微かな望みに賭けるしかなくて、自分が正式にメンバーズになるまで彼が生きていたなら…。
(救い出せる道があるかもしれない、というだけで…)
その道も本当にあるかどうかは、メンバーズになってみないと何も分からない。
マザー・イライザのそれを越える権限、逆に命令できる力を得られるか否か。
(…連れて戻って、それでどうする…?)
処分されると承知の上で、保安部隊にシロエを引き渡すのか。
それとも彼らとやり合った末に、自分の部屋へと匿うのか。
(…二人くらいなら…)
多分、一人で倒せるだろう。
けれど束になって来られたならば、武器を持たない自分は勝てない。
候補生の身では持てない武器。
使い方は何度も教わったけれど、腕は彼らより上なのだけれど。
(……くそっ……!)
駄目だ、と通路の壁へと叩き付けた拳。
どう考えても、シロエを生かす術など持っていないから。
連れて戻れても、シロエ自身の運に賭けるしかなさそうだから。
それでも幾らかは残った望み。
シロエが此処に戻ってくれたら、微かな希望があるかもしれない。
即座に殺されなかったら。…幽閉される道であろうと、生きてくれたら。
(…だが、シロエが…)
素直に戻ってくれるとは、とても思えない。
「機械の言いなりになって生きる人生」、そんなものに意味は無いとシロエは言ったから。
命など惜しくないとばかりに、言い捨てたのがシロエだから。
(……戻らないなら……)
どうなると言うのか、自分がシロエを追って行ったら。
保安部隊の者たちの代わりに、武装した船で飛び立ったなら。
(……ぼくが、シロエを……)
殺すしかないと言うのだろうか、シロエの船を撃ち落として…?
訓練では何度も使ったレーザー砲でロックオンして、発射ボタンを押し込んで。
(…それだけは…)
嫌だ、と叫び出したくなる。
そのくらいなら連れて戻ると、なんとしてでもシロエの船を、と。
シロエは船には慣れていない筈で、拙いだろう操船技術。
まだ訓練飛行が出来る年ではないから、どうやって宇宙へ飛び立てたのかも不思議なほど。
ただ、「やりかねない」と思うだけ。
E-1077を、マザー・イライザを嫌い続けた彼ならば、と。
自分の年では乗れない船でも、夢見て一人で重ねた訓練。
公式なシミュレーターさえも使わず、恐らくは個人練習用の…。
(シミュレーションゲーム…)
それで習得したのだろう。
航路設定も、発進準備も、何もかもを。
今日が初めての宇宙なのだろう、自分の力で飛んでゆくのは。
(…停船してくれ…!)
そう呼び掛けたら、シロエは応じてくれるだろうか。
闇雲に先へと飛んでゆかずに、船は停まってくれるだろうか…?
(…撃ち落とすよりは…)
船を連行して戻れたら、と願いながら着けてゆく宇宙服。
シロエもこれを着けただろうか、操縦するなら必須とされている宇宙服を。
それとも着けずに飛び出したろうか、此処から逃げることに夢中で。
(…とにかく、シロエを連れ戻せたら…)
答えは出る、と無理やり思考を前へと向ける。
でないと、とても追えないから。
最悪のケースばかりが浮かんで、発進準備も出来ないから。
(…頼む、停まってくれ…!)
シロエ、と船に乗り込んでゆく。
武装している物騒な船に。
その気になったらシロエの船を、一瞬で落とすことが可能な保安部隊の船に。
微かな望みに賭けるしかない、今の自分。
シロエの船を連れて戻れて、シロエが直ぐに処分されずに生き延びること。
それにメンバーズが得られる権限、自分の力がマザー・イライザを超えること。
全ては夢物語だけれども、そうでもしないとシロエを追えない。
(…いくら未来のメンバーズでも…)
こんなケースは習っていない、と整えてゆく発進準備。
シロエが停まってくれたらいい。…最悪のケースを免れたなら、と。
戻る時には、船が二隻に増えていたならいい。
微かな望みをそれに繋ぐから、シロエの船を連れて此処へと戻りたいから…。
追いたくない船・了
※シロエの船を追う前のキース。「追いなさい」の時点で既に拳が震えていたわけで…。
追ったらどうなるか分かっていた筈、と思ったら書きたくなったお話。若き日のキース。
