(国家騎士団総司令か…)
肩書きだけは御立派だがな、とキースが歪めた唇。
異例の出世で国家騎士団のトップに昇り詰めたけれども、その自分は…、と。
与えられた「御立派すぎる」部屋。
側近のマツカが控える部屋まで備えられた其処に、今はマツカの影は無い。
「下がれ」と言っておいたから。
とうに夜更けで、不審にも思わず下がったマツカ。
(いくらマツカがミュウでも、だ…)
私の心までは読めまい、と持っている自信。
けれど、誰にも読めない心。読ませない心の中にあるもの、それが時折、疎ましくなる。
どうして自分だったのか、と。
「他のモノ」では駄目だったのかと、どうして自分を選んだのかと。
(…キース・アニアン…)
そういう名前なのだがな、と眺める自分のパーソナルデータ。
軍の上層部にいる者だったら、大抵は見ることが出来るだろう。
ID:076223。
出身地、トロイナス。
父の名はフル、母の名はヘルマ。
生年月日、SD567年12月27日。
誰のデータにも並ぶ内容、IDに出身地、両親の名前と生年月日。
そして誰ものデータが「本物」、其処に偽りは入り込めない。
養父母とはいえ、両親の名は本物だから。
誰が養父母になっていたかで、名前も変わってくるものだから。
サム・ヒューストンなら、「サム」と名付けたのはヒューストンの姓を持つ両親。
シロエだったなら、「セキ」の姓を持っていた両親。
サムの養父母のことは知っている。
E-1077にいた頃にではなく、サムが壊れてから知った。
病院にサムを見舞った時には、子供時代のことばかり話すものだから。
「父さんが勉強しろって、うるさいんだ」とか、「ママのオムレツは美味しいよ」とか。
それほどサムが慕うのならば、と知っておきたくなったから。
いったいどんな養父母だったか、今はどうしているのかと。
(…あいつに似合いの両親だった…)
データだけしか知らないけれども、そういう印象だった養父母。
病院でサムが話す通りに、子供を大事にしそうな両親。
(…そしてシロエは…)
別の方面から見付けた養父母。
ミュウに関わり、彼らを調べてゆく内に。
アルテメシアからモビー・ディックを追い出した時に、シロエの父の名があった。
サイオニック研究所に所属していた「ミスター・セキ」。
シロエの故郷のエネルゲイアが心に引っ掛かったから、調べた詳細。
(…あれがシロエの父親だった…)
自分の息子がMとも知らずに、開発したサイオン・トレーサー。
モビー・ディックはそれに追われて、アルテメシアを離れて行った。
彼が機械を作らなかったら、あるいはシロエは…。
(…あの船に乗っていたかもしれんな)
ソルジャー・ブルーか、ジョミー・マーキス・シンか、どちらかに救われ、命を拾って。
成人検査を受けることなく、それよりも前に。
(…サムもシロエも、データは本物…)
人類だろうが、シロエのようにミュウと判断されようが。
どちらも同じに養父母を持って、彼らに繋がる名前がついた。
サムならば「サム・ヒューストン」。
シロエだったら「セキ・レイ・シロエ」と。
自分の場合も、傍から見たならそう見えるだろう。
「子供時代は覚えていない」というだけのことで、存在している筈の両親。
トロイナスに出掛けて探してみたなら、きっと彼らは…。
(何処かで事故死か、移住したことにでもなっているのか…)
調べたことは無いのだけれども、ごくごく自然に姿を消していることだろう。
父のフルも、母のヘルマの方も。
彼らが暮らしていた筈の家も、きっと存在しているのだろう。
ただし、「データの上で」だけ。
本物の「フル」と「ヘルマ」はいないから。
「キース・アニアン」を育て上げた筈の、「アニアン」夫妻はいないのだから。
(…アニアンも、それにキースの方も…)
知っている者は誰もいない、と握り締めた拳。
今でこそ誰もが知っている名前、国家騎士団総司令。
エリート中のエリート軍人、キース・アニアンをの名を知らない者などいはしない。
軍はもちろん、一般人でも。
何かといえばニュースに出るし、誰もが耳にする名前だから。
けれども、誰が知るだろう?
「キース・アニアン」を「知る人間」など、何処にも存在しないこと。
養父母だった筈の二人は何処にもいなくて、在籍していた学校にさえも…。
(担任の教師の名前はあっても…)
彼らはきっと覚えていない。
「キース・アニアン」の名を持つ少年、それを担当したことを。
今の自分の経歴を誰かが見せたとしたって、その出世ぶりに…。
(素晴らしい子を担当させて貰ったようです、と言いはしてもだ…)
生憎と記憶に残っていない、と答えるのだろう。
「当時は忙しかったので」だとか、誰も疑いはしない理由を述べて。
そんな具合に「消えている」キース。
故郷だった筈のトロイナスから、両親が何処かに行ってしまって。
担任の教師も幼馴染も、誰もが「忘れ去って」しまって。
(…サムがジョミーを忘れたように…)
E-1077の誰もがシロエを忘れたように、それが「機械の仕業」ならいい。
機械が記憶を処理した結果で、皆が忘れてしまったのなら。
それならばそれで、「存在した証」が無いというだけ。
何処かを探せば、欠片くらいは出てくるもの。
サムがジョミーを忘れていたって、「ジョミー・マーキス・シン」は存在しているから。
皆が忘れてしまったシロエも、スウェナが覚えていたのだから。
(完璧に消せはしないのだ…)
その人間が「本当に」生きていたのだったら、この世界からは。
死んだ後までデータは残るし、人の記憶に残りもする。
自分がシロエの父の名前を見たように。…其処からシロエに辿り着けたように。
E-1077を早くに離れたスウェナが、記憶を消されていなかったように。
(しかし、私は…)
私の場合はそうではない、と嫌と言うほど知っている。
かつては自分も信じ込んでいた、「父はフルで、母はヘルマ」ということ。
アニアン夫妻が育てた子供で、彼らが「キース」と名付けた息子。
人工子宮から取り出された日は、SD567年の12月27日だと。
誰のデータもそうだから。
E-1077からは消されたシロエも、養父母を辿れば其処に残っていた記録。
生年月日も「セキ・レイ・シロエ」の名も、彼が暮らしていた家も。
なのに、自分には「無い」それら。
「消された」わけでも、「忘れ去られた」わけでもないのに、存在しない。
何処を調べても、その名残さえ。
意味ありげに残る、わざと仕込まれたデータだけしか。
なんという皮肉なのだろう、と自分を嘲り笑いたくなる。
誰もが知っている「キース・アニアン」、その名を真に知る者などは一人もいない。
何処を探しても、誰に訊いても、「キース・アニアン」を見た者はいない。
(…正確に言えば、あの連中なら…)
多分、知っている筈なのだがな、と思う記憶の隅に「居る」者。
E-1077にあった水槽、それの向こうに自分が見ていた研究者たち。
けれど、彼らも「消された」だろう。
「キース・アニアン」が完成したなら、彼らは用済みなのだから。
マザー・イライザが記憶を消したか、あるいはシロエを処分したように…。
(宇宙船の事故にでも見せかけて…)
存在自体を消しただろうか、念には念を入れねば、と。
けして秘密が漏れぬようにと、口封じに皆、殺してしまって。
(…そんな所だ…)
確かめる気にもなれないが、と忌まわしく思う自分の「生まれ」。
どうして自分を選んだのかと、他のモノでは駄目なのかと。
フロア001に幾つも並んでいたサンプル。
かつてシロエが命懸けで見た、「キース・アニアン」と「同じモノ」たち。
あの中のどれでも良かったろうにと、そして自分はサンプルの方で良かったのに、と。
今頃になって、真実を知るくらいなら。
いずれはミュウに敗れるだろうと思う人類、彼らを導く指導者として無から創られたなど。
(もっと意味のある人生だったら、まだマシなものを…)
時代の流れに抗ってみても、きっと負けるのだろう人類。
その中で自分に何が出来るか、考えるほどに虚しいから。
皆が自分を称える度に、虚しさだけが降り積もるから。
(何が国家騎士団総司令様だ…)
誰も「キース」を知らないくせに、と眺める「キース・アニアン」の名前。
この名を知るのは機械だけだと、「故郷で私と出会った者など一人もいない」と。
記号と何も変わりはしないと、育てた時の数字で呼んでも充分なほどの存在なのに、と…。
偽りの生まれ・了
※いや、キースの両親がいないんだったら、誰が「キース・アニアン」と名付けたんだ、と。
機械が名前を付けたんだよな、と思ったら、こういう展開に。キースには気の毒すぎるけど。
「…これは……」
なんなんだ、此処は、とシロエが見回した周囲。
E-1077のシークレットゾーン、フロア001と呼ばれる区画。
てっきり改造室かと思った。此処へと足を踏み入れる前は。
すまし顔をしたキース・アニアン、彼を「機械の申し子」と罵倒していた頃は。
(……胎児……)
それにキースにそっくりなモノ、と信じられない思いで見詰める。
尻尾が生えているような胎児、其処から少しずつ育った姿。
赤ん坊の次は幼児といった具合に、並ぶ幾つもの「キース」たち。
それから「キース」と対を成すように、同じように並ぶ金髪の女性。これも幾つも。
(…あいつ、機械じゃなかったんだ…)
そうだとばかり思ったのに。
彼の冷たい皮膚の下には、精巧な機械が隠されていると踏んだのに。
だから此処までやって来た。
キースの正体を暴いてやろうと、「自分が何かを知って壊れてしまうがいい」と。
なのに、いたのは「人間」の群れ。
かつては「人間」だったモノたち、今はもう息をしていないモノ。
多分、機械が残したサンプル。
これを胎児から作り上げた機械、あの憎いマザー・イライザが。
きっと何かの参考のために、育てる途中で標本にして。…途中で命を奪い取って。
(そうなってくると…)
キースは「生き延びた」モノなのだろう。
マザー・イライザに気に入られたか、とびきりの出来の人間なのか。
(まあ、とびきりではあるけどね…)
優秀には違いないだろうさ、と眺める内に気付いたこと。
胎児から此処に揃っているなら、キースは此処で「育った」モノ。
E-1077から出てはいないし、何処からも此処に「来なかった」のだ、と。
何処からも「来はしなかった」キース。
そのことは、とうに知っていた。
彼と同郷の誰に訊いても、皆、「知らない」と答えたから。
同じ宇宙船で着いた筈の者も、キースを覚えていなかったから。
(…此処にいたんだとは知っていたけど…)
まさか「育って」いただなんて、と胸にこみ上げる不快感。
機械仕掛けの人形だったら、「やっぱりね」と、ストンと納得できたのに。
キースが機械で出来ているなら、高笑いをして済ませたろうに。
「ほらね」と、「あいつは機械だった」と。
感情などは無くて当然、あったとしても機械の計算。
マザー・イライザだって怒るし、そうプログラムしてあるだけ。
「こういう時には怒るものだ」と、機械の頭脳が弾き出したら怒るだけ。
そうだとばかり思っていたのに、「人間」だなんて。
人工子宮から「生まれる」代わりに、その中で「育ち続けた」なんて。
(…ぼくは途中で取り出されたのに…)
もう充分に生きてゆける、と判断された段階で。
遠い昔なら母の胎内、其処で育って「月が満ちた」ら、「出産」だっただろう時点で。
自分は其処で取り出されたから、エネルゲイアに運ばれた。
養父母の許で育つようにと、「セキ・レイ・シロエ」の名を与えられて。
もう顔さえも思い出せない両親だけれど、幸せだった子供時代。
あれは自分の宝物なのに、何もかも機械に奪い取られた。
懐かしい家も、両親も、全部。
此処に、E-1077にやって来るには、それは「不要」とされたから。
成人検査で消されてしまった自分の過去。
今もその過去を掴み取ろうと、取り戻したいと、日々、苦しんでいるというのに…。
それとは逆だ、と睨み付ける胎児。それに幼児も、少年だって。
此処に並んだ「キース」たちの群れは、人工子宮だけしか知らない。
水槽の中から出ずに育って、途中で成長を止めたサンプル。
何らかの事情で機械がそう決め、彼らの命を奪ったから。
(でも、こいつらは死んだことさえ…)
知りやしない、と沸々と湧いてくる憎しみ。
それともこれは嫉妬だろうか、「何も知らずに」育って、死んだモノたちへの。
人工子宮から出ていないのなら、きっと自我さえ持たなかった筈。
彼らの周りには「誰もいない」し、「誰とも触れ合わない」のだから。
育てていたろうマザー・イライザ、其処から知識を得ていただけ。
キースが特別優秀なように、「エリートとして生きてゆくための」知識。
それだけを流し込まれていたなら、彼らは何も「考えはしない」。
与えられる情報を受け止めるだけで、「そういうものか」と理解するだけ。
(…機械が学習するのと同じで…)
ヒトの形を持っていたって、まるで伴わない「感情」。
「此処で終わりだ」と生命を繋ぐ機械と切り離されても、苦痛さえ覚えない生命。
彼らは「理解する」だけだから。
自分の命は此処で終わると、「学ぶ日々はもう終わったのだ」と。
だから彼らに「表情」は無い。
胎児はともかく、幼児にも、それに少年にも。
自分が知っている「キース」にそっくり、それほどに育った標本にも。
水槽の外で生きていたなら、彼らの顔にはきっと恐怖があるのだろうに。
そうでなければ無念の表情、あるいは苦痛に満ちた表情。
どれも彼らは持っていなくて、「感情が無い」ということの証拠。
「キース」は此処から外に出たから、幾らかは感情があるのだろう。
普通の人間と比べてみたなら、まるで全く足りないけれど。
いくら感情を持っていたって、所詮は「機械の申し子」だけれど。
(なんて奴らだ…)
キースも、それに「こいつら」だって、と湧き上がるのは激しい怒り。
人工子宮の中にいたなら、感情さえ生まれないけれど…。
(…失うものだって何も無いんだ…)
現に彼らは、死の瞬間さえ、「何も恐れていなかった」から。
証拠が彼らの顔にあるから、ただ「憎い」としか思わない。
同じ世界に生まれて来たのに、どうしてこうも違うのか。
人工子宮から外に出されて「セキ・レイ・シロエ」になった自分と、「キース」とは。
外の世界を知らないキース。
ずっと水槽の中で育って、養父母さえも持たないキース。
彼には「過去が無い」のも当然、最初から「持っていない」のだから。
誰もキースを「育てなかった」し、機械がせっせと知識を与えただけなのだから。
(……こういう風に生まれて来たなら……)
ぼくも苦しみはしなかったんだ、と握り締める拳。
人工子宮の外の世界を知らなかったら、両親も故郷も無かったならば。
感情さえも持たずに育って、「今日からは外で暮らしなさい」と外へ出されたならば。
そういう生まれの自分だったら、きっと辛くはなかっただろう。
苦しいとさえも思いはしなくて、ただ勉学に励んだだろう。
(何も失くしていないんだから…)
成人検査で過去を消されることも無いから、「生まれた」後には「得るもの」だけ。
人工子宮から外に出たなら、「外の世界を知ってゆく」だけ。
何一つ失くさず、失いもせずに。
「子供時代」という大きすぎた代償、それを一切、払うことなく。
ただ、のうのうと此処に、E-1077に「生まれ落ちる」だけの生命体。
それがキースで、「生まれなかった」モノがこの標本たち。
何故そうなったか、マザー・イライザしか、多分、知らないだろうけど。
命を絶たれた「彼ら」に訊いても、無表情なままで「終わったから」と言えば上等だけれど。
これがキースの正体だなんて、と抑え切れない怒りの感情。
彼の正体が機械だったら、何も思いはしないのに。
「やっぱりそうだ」と勝ち誇るだけで、証拠を撮影して帰るのに。
(…どうして、あいつが…)
人間なんだ、と考えるだけで腹が立つ。
それも過去など持たない人間、「何も失くしはしなかった」モノ。
マザー・イライザが「お行きなさい」と此処から出すまで、人工子宮で育った人間。
故郷も両親も持ちはしないで、持っていないから「失くさない」。
成人検査で奪うものなど何も無いから、きっとキースは成人検査も…。
(通過してなんかいないんだ…)
あの憎むべき成人検査を知らないのならば、どれほど幸福な人生だろう。
何一つ機械に奪われもせずに、この場所に「生まれ落ちた」なら。
過去という対価を支払うことなく、E-1077に来られたのなら。
(……幸福なキース……)
あいつはなんて幸せなんだ、と噴き上げるような憎しみと怒り。
「何も失くしていないなんて」と、「ぼくは全てを失ったのに」と。
水槽を端から叩き割りたい、この幸福な「人形」たちを。
マザー・イライザが育てた人形、人工子宮から出しもしないで、このステーションで。
(…あいつが機械だったなら…)
こんな思いはしなかったのに、と唇を噛んで、気を取り直す。
まだ終わりではないのだから。
キースを育てた「ゆりかご」は此処で目にしたけれども、まだ足りない。
どういう意図で育てて来たのか、それを暴いてやらないと…。
(キースという名のお人形さんを…)
叩き壊せはしないからね、と自分自身を叱咤する。
「こんな所で、打ちのめされている場合か」と。
キースの全てを暴くのだろうと、「そのために此処に来たんだから」と…。
過去を持たぬモノ・了
※シロエが言っていた「幸福なキース」。どの段階でそう考えたのか、と思ったわけで。
正体を知る前だろうな、と書いてみた話。「無から作った」と知ったら別の思考になりそう。
(幸福なキース…)
あの時、シロエがそう言ったんだ、とキースの胸を掠めた言葉。
首都惑星ノアで与えられた部屋。其処で一人で迎えた夜更け。
遠い昔に、E-1077でシロエが口にしていた。
「あの憎むべき成人検査を知らない、幸福なキース」と。
聞かされた時は、何のことだか分からなかった。
「成人検査を受けていない」と畳み掛けられても、「お人形さんだ」と嘲られても。
けれど今なら、その意味が分かる。
廃校になったE-1077、其処で全てを知ったから。
マザー・イライザの忌むべき実験、無から作られた生命が自分。
成人検査などは必要なかった、「目覚めた」時が生まれた時だったから。
E-1077に入る年まで、水槽の中だけで育って来たのだから。
(…あれでは何も知るわけがない…)
マザー・イライザが教える知識以外は、何一つとして。
故郷も両親もあるわけがなくて、過去さえ持っていないも同然。
成人検査よりも前の記憶は、けして「失くした」わけではなかった。
最初から無くて、持つことさえも出来なかったもの。
けれども自分は幸福だろうか、あの時、シロエが言っていたように…?
本当に「幸福なキース」だろうか、過去さえ持たない生命でも…?
フロア001にあった標本、一つ間違えたら自分も標本だった筈。
それとも標本にさえもならずに、廃棄されて終わりだっただろうか?
マザー・イライザは、「サンプル以外は処分しました」と事もなげに言っていたのだから。
標本にするだけの価値すらも無いと、打ち捨てられて終わりの命。
そうなっていたかもしれない自分が、今、此処に生きていることの皮肉。
フロア001を覗いたシロエは殺されたのに。
何もかもマザー・イライザの罠で、自分がシロエを殺したことさえ…。
(…指導者としての、私の資質を…)
開花させるための計算だったという。
ならば確かに、「幸福なキース」なのだろう。
標本にもならず、捨てられもせずに、「理想の子」として育った自分。
傍から見たなら、誰もが羨む「幸福なキース」。
きっと未来も、約束されているだろうから。
自ら反旗を翻さぬ限り、人類の指導者への道を歩んでゆくだろうから。
…グランド・マザーの導きのままに。
言われるままに任務をこなして、敷かれたレールの上を歩いて。
(いつかは国家主席様か…)
軍人からは出ない指導者、そう、今まではそうだった。
国家主席になれる元老、其処に至るには違う道から行かねばならない。
(行ってやろうとは思っていたが…)
恐らく自分が努力せずとも、されるのだろうお膳立て。
グランド・マザーが陰で動いて、パルテノン入りするよう、巧みにシナリオを書いて。
自分では努力してきたつもり。
上級大佐の今はともかく、ジルベスター星系での事故調査に出発するまでは。
Mの拠点へサムの仇を討ちに行かねば、と決意を固めた所までは。
(…ソレイドでミュウのマツカを生かして…)
グランド・マザーの鼻を明かしてやった、と嗤ったけれど。
「シロエの二の舞は演じなかった」と、「マツカを必ず生かしてみせる」と考えたけれど。
その一方で自分は何をしたのか、本当に正しかったのか。
ジルベスター・セブンを砕いたこと。
伝説と言われたタイプ・ブルー・オリジン、ソルジャー・ブルーを殺したこと。
(…私はとどめを刺していないが…)
むしろ、ソルジャー・ブルーに逆に殺されかけたけれども、撃ったことは事実。
彼を狩ろうと、モビー・ディックでの負け戦の借りを返そうと。
けれど、自分は正しいことをしたのだろうか…?
実はシロエもミュウだったのだ、と知っていながらミュウの拠点を滅ぼそうとした。
メギドまで持ち出し、跡形も無く。
それが正しい道だったのか、あるいは「幸福なキース」に生まれたせいで…。
(…自分では、まるで自覚が無くても…)
ミュウを敵視し、殲滅するよう、与えられた使命があるかもしれない。
シロエが「ゆりかご」と呼んだ所で、水槽の中で育つ間に。
こうあるべきだ、と教え込まれて、そのように動くプログラムが。
もしもそうなら、何処までが自分の意志なのか。
何処からが機械の命令なのか、それを自分は見分けることが出来るのか。
(…幸福なキース……)
シロエは「幸福」と言ったけれども、きっと真実なのだろう。
あれから時が流れたお蔭で、自分にも出来た「過去」というもの。
シロエが失くした「目覚めの日」までの十四年間に匹敵するほど、今の自分も生きて来た。
E-1077で「目覚めて」から。
あの水槽を後にしてから、外の世界に出て来てから。
(…E-1077にいた間だけでも…)
二度も見せられた記憶処理。
サムは「幼馴染のジョミー」を忘れて、シロエは「皆から忘れられた」。
どちらもマザー・イライザの仕業、あれを大々的にやるのが成人検査というものだろう。
シロエは酷く憎んでいたから。
故郷も両親も、何もかも機械が、成人検査が「忘れさせた」と。
それが成人検査の正体ならば、自分は間違いなく「幸福なキース」。
何も失くさず、忘れることなく、此処にこうして生きているから。
「幸福なキース」を育て上げた全てを、あまさず覚えているのだから。
マザー・イライザが計算ずくで、殺すように仕向けたシロエのことも。
ミュウの長のジョミーと幼馴染だから、と出会わせたサムやスウェナのことも。
(…何処までが機械の計算なのか、命令なのかは掴めないが…)
それでも「何一つ忘れていない」のは、「幸福」なことと言えるだろう。
サムの、シロエの、記憶が薄れて曖昧になれば、どれほど悔しく辛く思うか。
今だから分かる、シロエが口にした「幸福なキース」の「幸福さ」が。
シロエは過去を奪われたから。
…忘れたくなかった過去を奪われ、両親も故郷も失ったから。
そうならなかった自分は「幸福」だと思う。
「幸福なキース」は確かに今も幸福だけれど、本当に自分は「幸福」だろうか?
機械が無から作った生命、最初から過去など持たなかったもの。
故郷も両親も持ちはしないで、幼馴染もいないまま。
その上、機械に育てられたから、何処までが自分の本当の意志か、それさえも掴めない自分。
(…ジルベスター・セブンを滅ぼしたのも…)
自分の意志だと思うけれども、ミュウから見たならただの虐殺。
メギドを持ち出し、焼き払うほどの必要が果たしてあったのかどうか。
…止めに現れたソルジャー・ブルーを、狩りの獲物のように扱い、何発も撃ったことさえも…。
(勝ちたかった、というだけではなくて…)
ミュウを殺せ、という機械のプログラムが働いていたかもしれない。
自分の意志だと考えた「あれ」に、機械が仕組んだ何かが絡んでいなかったとは…。
(…言い切れないし、そうでないとも、また言えない…)
機械が自分を作ったことは本当だから。
シロエを、サムを「部品のように」使って、自分を育てたのだから。
そんなことまでやった機械が、何を自分に教えたか。
何をするよう育て上げたか、それさえも今は分からない。
それでも自分は「幸福」だろうか、「幸福なキース」と言えるだろうか?
自分の意志さえ、本物かどうか怪しいのに。
いつか反旗を翻さない限り、「私の意志だ」と自信を持っては言えないのに。
機械に敷かれた道を歩んでゆく間は。
グランド・マザーの意志と自分の意志とが、重なり合っている間は。
(いくらマツカを生かしていても…)
その程度では、とても持てない自信。
「これが私の意志だ」とは。…「何もかも自分で決めたのだ」とは。
どう足掻いても、今の自分は「幸福なキース」。
何も知らない者が見たなら、あの時のシロエが此処にいたなら。
約束された指導者の未来、それに「知らない」成人検査。
傍から自分を眺めるだけなら、きっと幸福だろうから。
自分の意志さえ危ういままでも、皆に羨まれる「幸福なキース」が確かに自分なのだから…。
幸福な生命・了
※シロエが言っていた「幸福なキース」。あの意味をキースが知るのが、遅すぎるアニテラ。
本当に幸福な奴だったよな、と思っていたら、こういう話に。幸福すぎても不幸だよね、と。
「それでね…」
ママ、と呼び掛けた所でパチリと覚めた、シロエの目。
見上げた天井、それはシロエの嫌いなもので。
(…ぼくの部屋……)
だけど、ぼくの好きだった部屋じゃない、とベッドの上から睨み付ける。
此処はE-1077で、懐かしい故郷とは違うから。
大好きな部屋があったエネルゲイアは、「戻れない場所」になってしまったから。
(今のママも、夢…)
直ぐ側で何かしていた母。
自分は何をしていたろうか、夢の中では?
皮肉なことに夢の中では、ぼやけてはいない母の顔。それに父だって。
とても鮮やかに見えているのに、夢が覚めたら覚えてはいない。
どんなに記憶の海を探っても、もう見えはしない両親の顔。
だから悔しい、こうして夢から覚めた時には。夢だったのだと知った時には。
(…もう一度…)
眠ったら思い出せるだろうか、夢の世界に飛べるだろうか?
母とさっきの話の続きが出来るだろうか、と考える。
今日の講義は休んでしまって、夢の続きを追い掛けようかと。
(…何だったっけ?)
午前中にある筈の講義は、と思い出そうとして気が付いた。「休みなんだ」と。
今日は日曜、E-1077にも休日はある。
休暇も無しに勉強ばかりを続けさせたら、生徒は疲れてしまうから。
肉体的にも精神的にも疲弊したなら、いい結果など出はしない。
そうならないよう、カレンダー通りに休みはある。
日曜日の今日は講義の無い日で、何をするのも個人の自由。
(だったら、寝てても…)
いいんだよね、と戻ろうとした夢の中。母がいた世界。
けれど…。
なまじ「休んでもいい日なんだ」と、気分が高揚したせいだろうか。
いくらベッドに入っていたって、一向に訪れない眠気。
入ってゆけない夢の中の世界、あれからかなり経ったのに。
(…もう無理だよね…)
眠くならないなら眠れやしない、と諦めて起きて、顔を洗って。
袖を通した、候補生の服とは違った服。休日ならば外に出てもいい服。
普段は部屋でしか着られないけれど、好きに選んで「自分の物」に出来た服。
(家にいた頃は、ママが選んでくれていたのに…)
母が選んでくれた服なら、こういう服になっただろうか?
「良く似合うわよ」と言ってくれたのか、「シロエにはこっちの方がいいわ」と言ったのか。
もうそれすらも分からないけれど、今の自分が選ぶなら、これ。
少なくとも制服よりはいいから、「自分の好みだ」と思えるから。
それを着たなら、次は朝食。
候補生の部屋にキッチンなどは無いものだから、休日でも行かねばならない食堂。
(シナモンミルク、マヌカ多めに…)
忘れないように今日も言わなくちゃ、と心の中で唱える呪文。
此処へ来てから思い出したこと、きっと誰かが好きだったもの。故郷の家で。
自分か、それとも父か、母なのか。
小さな切っ掛けで蘇った記憶、これを注文するのが幸せ。
「確かに誰かが好きだったんだ」と分かるから。故郷に繋がる記憶だから。
それを忘れずに頼まなくちゃね、と部屋から踏み出した通路。
食堂はこっち、と迷わず歩いて行ったのだけれど。
幾つかの扉の前を通って、曲がったりもしていたのだけれど。
(あれ…?)
気付けば近付いていた食堂。
じきに着くわけで、シナモンミルクを注文だけれど、その食堂。
「其処へ行こう」と考えただけで、他には何も思っていない。
右へ行こうとも、左だとも。…真っ直ぐだとも、此処をどう曲がるとも。
途中で目覚めた夢の世界と、故郷の記憶のシナモンミルク。
それに囚われて歩いていたのに、何処も見回してはいなかったのに。
もう立っているのが、食堂の入口に当たる場所。
(どうやって此処まで来たんだっけ…?)
思い出せない、道中のこと。
誰かとすれ違ったりしたのか、それとも誰もいなかったのか。
こっちへ行こうと考えていたか、「こっちは違う」と考えたのか、それさえも。
(ちょっと待ってよ…?)
ぼくは何にも考えてない、と振り返ってみた、今、来た方向。
それをどういう風に辿れば部屋に着くのか、それならば分かる。
いとも簡単に思い出せるし、つまりは部屋から食堂までの道順は…。
(ぼくが覚えていると言っても…)
多分、無意識、あまりにも何度も通ったから。
余所見していても迷わないくらいに、考え事に夢中でも辿り着くほどに。
(…此処に来てから、まだそんなには…)
経っていないのがE-1077という場所。
成人検査の後に船に乗せられ、ピーターパンの本だけを持って離れた故郷。
覚えているのは、その船の中で「我に返った」ことと、「過去の記憶を消されていた」こと。
テラズ・ナンバー・ファイブが消してしまった、子供時代の記憶をすっかり。
両親の顔も、故郷も、家も。
家があった場所も、幼い頃には得意になって何度も書いた住所も。
(…全部、機械に消されたけれど…)
もしかしたら、と思ったこと。
今、こうやって食堂まで歩いて来た自分。
何処を通ったか、誰に会ったのかも、まるで気付きもしない間に。
その上、夢の世界の中では鮮やかに見える両親の顔。
だったら、家もそうかもしれない。
家から何度も出掛けた場所へは、今の食堂までの道と同じに行けるとか。
慎重に記憶を辿ってゆけば。…こっちの方だ、と進んでゆけば。
思いがけなく得られたヒント。
家の住所が分からないなら、その逆の手を使えばいい。
(ぼくの部屋は覚えているんだから…)
今も記憶に残っているのが、エネルゲイアの家で暮らした子供部屋。
機械も其処までは消さないらしくて、部屋のことなら覚えている。
その部屋にあった、アルバムの中身は怪しくても。
多分、飾っていただろう写真、其処に両親の顔は無くても。
(…でも、あの部屋はぼくの部屋…)
あそこから逆に進んでみようか、家の外へと。
まずは自分の部屋を後にして、リビングなどを通り抜けて。
いつも父が「ただいま、シロエ」と入って来ていた、あの扉から外に出て。
(通路に出たら、エレベーターで…)
住んでいたのは高層ビルだし、間違いなくあったエレベーター。
それに乗り込んで下に降りたら、ビルの一階に着くだろう。
其処がどういうフロアなのかは分からないけれど、外へ出たなら…。
(何処かへ歩いて行ける筈だよ)
場所さえ覚えていない学校、その門の前に立てるとか。
休日には何度も出掛けたりした、公園に辿り着くだとか。
(学校とか、公園だったなら…)
多分、上手に調べさえすれば、何処に在るのか分かる筈。
機械が偽のデータを混ぜても、注意深く探していったなら。
「こういう道の先に在った」と、「こう曲がって…」と辿って行ったなら。
きっと身体が覚えている筈、自分の記憶の中には無くても。
何も考えずに「あの部屋」を出たら、子供部屋を後にして歩き出したら。
最初はリビングなどを進んで、「ただいま、シロエ」と父が帰って来た扉。
あの扉から通路に出たら、エレベーターに乗ったなら。
何処に着くかは分からなくても、何処だっていい。
エネルゲイアの何処かに着けたら、それが手掛かりになるのなら。
やっと見付けた、と弾んだ胸。
ワクワクしながら食堂で頼んだシナモンミルク。
これから起こる素敵な出来事、それを思いながら、いつものように。
「シナモンミルクも、マヌカ多めにね」と弾ける笑顔で。
食事はきちんと食べなくちゃ、と一人きりで座る食堂のテーブル。
友達なんかは欲しくも無いし、誰かと食べる趣味も無いから。
(栄養はきちんと摂らなくちゃ…)
うんと頭を使うんだしね、と黙々と食べて、食事の合間にシナモンミルク。
これを好んだのは父か、母なのか、それとも幼い自分だったか。
(パパ、ママ、もうすぐ…)
ぼくたちの家を見付けるからね、と嬉しくてたまらない休日。
なんて素晴らしい日なんだろうと、もうすぐ家が分かるんだから、と。
食堂からの帰りの通路も、そのことだけで胸が一杯。
何処を歩いたのか、どう歩いたかも気付かない内に着いていた部屋。
(ほらね、やっぱり…)
あの部屋からだって、今のと同じように何処かへ、と転がったベッド。服を着たままで。
そうして、そっと閉ざした瞼。
(うん、ぼくの部屋…)
こうだったよ、と思い浮かべた懐かしい故郷の子供部屋。
部屋の扉を開けて進んで、気付けばリビングに立っていて。
(あそこの扉から、パパが「ただいま」って…)
よし、と扉を開けたのだけれど。
通路に出たらエレベーターに、と勇んで外に踏み出したけれど。
(……嘘……)
扉の向こうはただの空間、通路と思えば通路のようで、道路と思えば道路のような。
おぼろに霞んで、あるわけがないエレベーター。
機械はきちんと計算していた、「扉を開けて外に出てゆく」子供がいるということを。
こうして住所を探り出そうと試みる子がいることを。
だから行けない扉の向こう。
…これからもきっと、夢でしか。
夢の中でしか出られない扉、夢でしか出会えない両親。
(…テラズ・ナンバー・ファイブ…)
許せない、と激しく噴き上げる怒り、けして機械を許せはしない。
自分の故郷を奪ったから。
両親も家も、何もかも全て、機械に消されて何も残っていないのだから…。
部屋を出たなら・了
※意識しないで歩いていたって、いつの間にか辿り着けた食堂。それなら、と思い付いたのに。
機械に消されて、残っていなかった家の外の通路。住所は分からないままなのです。
(自らの命を犠牲にして、メギドを止めたのか…)
ソルジャー・ブルー、とキースの心を占めるもの。そう、今も。
メギドを失い、グレイブの艦隊に残存ミュウの掃討をするよう命じたけれど。
その時からの思いで、今も消えない。
自室に引き上げ、こうしてシャワーを浴びている今も。
グレイブが指揮する艦隊とは別に、こちらの船はジルベスター・エイトから離脱中。
ミュウどもが「ナスカ」と呼んでいた星、ジルベスター・セブンも遠ざかりつつあるけれど。
ジルベスター・セブンは砕けて、跡形も無いのだけれど。
(…ソルジャー・ブルー…)
もういない、伝説のタイプ・ブルー。…タイプ・ブルー・オリジンと呼ばれた男。
自分が彼を撃ち殺したと言っていいのか、それとも成し遂げられなかったか。
(これで終わりだ、と…)
撃ち込んだ弾は、彼のシールドを突き抜けて右の瞳を砕いた。
あれで終わりだと思っていたのに、倒れなかったソルジャー・ブルー。
代わりに起こしたサイオン・バースト、噴き上げるように広がり始めた青い光の壁。
危うく、それに…。
(巻き込まれていたら、今頃、私は…)
生きて此処にはいなかったろう。
サイオンの光に一瞬にして焼き尽くされたか、あるいは意識を失ったのか。
もしも、あそこに倒れていたなら、自分の命は無かった筈。
メギドの制御室は、そういう所だから。
発射される時に其処にいたなら、命が危ういエネルギー区画。
それが常識、だからマツカは「行っては駄目です」と止めにかかったし、後を密かに…。
(つけて来ていたから、私を救い出せたんだ…)
サイオンの光に巻き込まれる直前、走り込んで来た忠実なマツカ。
彼が自分を抱えて「飛んだ」。
瞬間移動で、制御室からエンデュミオンの艦内まで。
そうして辛くも救われた命。
自分の命がどれほど危ういものであったか、嫌と言うほど思い知らされた。
残党狩りを命じた後に、「部屋に戻る」と戻って来たら。
酷く疲れを覚えていたから、気分転換に浴びようと思った熱いシャワー。
バスルームの扉を開けた途端に、其処の鏡に映った自分。
(セルジュたちにも見られたな…)
煤まみれになった、あの顔を。
けれど彼らは、「ソルジャー・ブルーと死闘を繰り広げた結果」なのだと思っているだろう。
戦いの最中に起こった爆発、その時に浴びた煤なのだと。
(…それならば良かったのだがな…)
生き残ったことを誇れもするし、死の淵からの生還の証と言えるのだから。
メギドを失ったほどの爆発、それを食らっても「生き延びる術」を持っていたのだと。
(…だが、実際は…)
マツカが助けに来なかったならば、失われていた自分の命。
本当に命の瀬戸際だったと、顔についた煤が示していた。
間一髪で救われただけで、そうでなければ失くした命。
サイオンの光に焼かれて死んだか、あるいはメギドの発射で命を落としたか。
どちらにしたって、生き残れていたわけがない。
いったい自分は何をしたのか、どれほど愚かだったのか。
それを突き付けられたのが鏡、其処に映った煤まみれの顔。
「これがお前だ」と、「お前がやったことの結果がこれだ」と。
マツカがいなければ死んでいたのだと、「なんと無様な姿なのだ」と。
煤まみれの顔が映っているのは、生きて此処にいる証拠だけれど。
その命は何処から拾って来たのか、ちゃんと自分で守ったのか。
答えは「否」で、一人だったら失くした命。
瞬間移動など出来はしないし、きっとメギドの制御室で。
ソルジャー・ブルーと共に倒れて、それきりになっていたのだろう。
「アニアン少佐は戻らなかった」と報告されて。
元より、命が惜しくはない。
軍人なのだし、惜しいと思ったことさえも無い。
ただ、その「命」の失くし方。…何処で失くすか、どう失くすのかで違う価値。
命を捨てた甲斐があるなら、軍人冥利に尽きるのだけれど。
何の成果も上げることなく死んでいったら、それは無駄死に、犬死にでしかない。
いくら「名誉の戦死」でも。
作戦中の死で、二階級特進になったとしても。
(…まさに無駄死にというヤツだ…)
あそこで死んでいたのなら。
ソルジャー・ブルーに巻き添えにされて、命を失くしていたのなら。
自分が死んでも、何の役にも立たないから。
この艦隊の指揮官の自分、それを失くしてきっと混乱したろう「その後」。
セルジュが代理を務めるとはいえ、彼も詳しくは知らない作戦。
「目的はミュウの殲滅」だという程度しか。
如何にセルジュが副官だとしても、伝えられない軍事機密も多いのだから。
(それなのに何故、私は、あの時…)
ソルジャー・ブルーが来たと知った時、制御室へと行ったのか。
彼を狩ろうと考えたのか。
「仕留めてやるのが、狩る者の狩られる者に対する礼儀だ」などと格好をつけて。
伝説の獲物が飛び込んで来たから、それを仕留めに行ってくる、と。
(保安部隊では、太刀打ち出来ない相手だが…)
ただの兵士では歯が立たないのがソルジャー・ブルー。
自分は身をもって知っているから、ミュウどもの船で負け戦を味わわされたから…。
(今度は勝ちたかったのか?)
ミュウの船ではなく、自分の船が戦場だから。
より正確に表現するなら、自分の船とドッキングしているメギドを舞台に戦うのだから。
「今度こそ勝つ」と思っただろうか、それが出掛けた理由だろうか?
ソルジャー・ブルーの覚悟のほども知りたかったし、見届けたくもあったから。
「お前は、どれほどの犠牲を払える?」と。
そうして出掛けて行ったメギドで、またも無様な負け戦。
傍目には「勝ち戦」だけれど。
セルジュたちも、きっとグランド・マザーも、そうだと思うだろうけれど。
(しかし、自分を誤魔化すことは…)
けして出来ない、勝ち戦だなどと思えはしない。
マツカが自分を救いに来たこと、それを誰にも漏らさなくても、自分自身は誤魔化せない。
あそこでマツカが来なかったならば、失くした命。
それも犬死に、何の役にも立ちはしない死。
艦隊が無駄に混乱するだけ、指揮官が死んでしまっただけ。
「名誉の戦死」で、「ソルジャー・ブルーと死闘を繰り広げた末の最期」でも。
ソルジャー・ブルーと共に散っても、皆が自分を褒め称えても…。
(…私の死などは、それだけのことで…)
実際の所は、狩るべき獲物に返り討ちにされただけのこと。
ソルジャー・ブルーに巻き添えにされて、命を失くしてしまっただけ。
彼を狩ろうと考えたから。
「今度こそ、私が勝ってみせる」と、自分の誇りにこだわったから。
いくら伝説のタイプ・ブルーでも、「今度はそうそうやられはしない」と。
二度も負け戦でたまるものかと、「来たことを後悔させてやる」と。
相手はミュウで、宇宙から排除されるべきもの。
撃ち殺してやれば自分の勝ちだし、反撃されても「今度は勝つ」。
メギドが発射されてしまえば、彼が来た意味は無くなるから。
ソルジャー・ブルーは「狩られるために」飛び込んで来ただけのことになるから。
飛んで火にいる夏の虫だし、彼を殺せば自分の勝ち。
(…まさか、サイオンをバーストさせるなど…)
まるで思いはしなかった。
サイオン・バーストを起こしたミュウを待つものは、「死」のみ。
命を捨てる覚悟が無ければ、サイオンを全て放出するのは不可能だから。
そんなミュウなど、見たことがない。
聞いたことすら一度も無かった、死への引き金を自ら引いたミュウの話は。
きっと最初から、ソルジャー・ブルーは命を捨てる気だったのだろう。
生きて戻ろうとは微塵も思わず、ただ一人きりでやって来た。
(たまたま、私に遭遇したから…)
何発も弾を撃ち込まれた末の死だったけれども、そうでなくても死んだのだろう。
メギドもろとも、命を捨てて。
持てるサイオンを全て出し尽くして、メギドそのものを道連れにして。
(…そしてあいつの思い通りになったというわけだ…)
メギドは沈んで、ミュウどもの船はワープして逃げた。
ソルジャー・ブルーは仲間を救った、自らの命を犠牲にして。
あの船に乗っていた仲間を守って、宇宙に散ったソルジャー・ブルー。
彼が守ったのはミュウの仲間と、その未来。
逃げ延びたならば、巻き返しのチャンスもあるだろうから。
場合によっては、ミュウの勝利もまるで無いとは言い切れないから。
(…あいつは無駄死にしなかった…)
無駄死にどころか、万が一、ミュウが勝利した時は、どれほどの価値があることか。
ソルジャー・ブルーが捨てた命に、仲間のために払った犠牲に。
それに引き換え、自分はといえば…。
(…マツカが助けに来なかったなら…)
犬死にだった、と情けない気分。
またしても自分は負けたのだろう、ソルジャー・ブルーという男に。
もう永遠に前に立ってはくれない男に、逝ってしまって「二度と戦えはしない」相手に。
それを思うと、もう見たくもない自分の顔。煤まみれになっていた時の顔。
(…煤と一緒に、何もかも洗い流せたら…)
ソルジャー・ブルーに負けたことまで、洗い流してしまえたら、と浴び続ける水。
熱いシャワーを浴びるつもりで来たというのに、水しか浴びる気になれない。
犬死にしかけた愚かな自分を、ソルジャー・ブルーに負けた自分を、流し去りたい気分だから。
水ごと全てを洗い流せたら、きっと元通りの自分が戻って来るだろうから…。
永遠の敗北・了
※なんだってキースは「ギリギリまで粘って」撃ち続けたのか、未だに疑問な管理人。
とりあえず今はこんなトコです、考え方としては。結果だけを見ればブルーの勝ちだ、と。