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カテゴリー「地球へ…」の記事一覧

「マツカ。…コーヒーを頼む」
 そう言ってからハッと気付いたキース。「もういないのだ」と。
 いったい何度目になるのだろうか、こうして呼んでしまうのは。
 可哀相なくらいに優しかったマツカ、彼の名前を。…もういない部下を。
(あいつは優しすぎたのだ…)
 どうして私などを庇った、と握った拳。机の下で。
 コーヒーのことは、今はもういい。
 他の部下を呼んで命じたならば、直ぐに届くと分かっていても。
 今は誰とも会いたくはないし、そういう気分。
 「マツカはいない」と気付く前なら、普段通りに執務の時間だったのに。
(……マツカ……)
 あれほど邪険に扱ったのに。
 彼が最後のミュウになったら、「殺すだろうな」とも脅したのに。
 それでもマツカは逃げもしないで、ただ忠実に仕え続けた。
 彼の仲間を、ミュウを宇宙から殲滅するべく、策を練り続ける上官に。
 血も涙も無いと評判の主に、誰もが恐れる「キース・アニアン」に。
(逃げようと思えば、幾らでも…)
 逃げ出すためのチャンスはあった。
 彼一人、仮に逃げた所で、戦況が変わるわけでもない。
 マツカに心は読ませていないし、得られる筈もない国家機密や軍の情報。
(もしも、マツカが逃げていたなら…)
 知らぬふりをしておいただろう。
 「私が命じた」と、許可なく発進した船を、誰にも追わせないように。
 マツカは極秘の任務を果たしに、単身、ミュウの拠点に向かって行ったのだ、と。
 それでマツカが戻らなくても、誰も不審に思いはしない。
 てっきり殉職したと考え、グランド・マザーも、また疑わない。
 そしてマツカは特進したろう、任務の途中で命を落としたのだから。


 実際、今ではそうなったマツカ。
 身を呈して国家主席を救った側近、そういう栄えある地位に置かれて。
 セルジュやパスカルたちに惜しまれ、「どうして逝った」と悲しまれて。
(…何故、その道を選んだのだ…)
 答えは分かっているのだけれども、「何故」と問わずにはいられない。
 自分はマツカに、「何もしてやらなかった」から。
 ただの一度も、素直な言葉を掛けてやりさえしなかったから。
 マツカの瞳の奥にいつもあったもの、頑なに「キース」を信じる心。
 どんなに冷たくあしらおうとも、厳しい言葉をぶつけようとも。
 いつだったか、口にしたマツカ。
 「本当のあなたは、そんな人じゃない」と、彼の心を占める思いを。
 珍しく、感情の昂るままに。
 それさえも切って捨てたのが自分、マツカは真実を言い当てたのに。
 誰にも読ませぬ心の内側、それを見抜いていたというのに。
(…あの時くらいは…)
 表情を動かすべきだったろうか、マツカに報いてやりたかったら。
 心の奥では「早く逃げろ」と、ミュウの母船へ行くよう促していたのなら。
 いずれ敗れるだろう人類、道を共にすることなどは無い。
 ミュウの母船に辿り着いたなら、彼らはマツカを船に迎えるだろうから。
(もっとも、私が言った所で…)
 マツカは、けして逃げたりはしない。
 きっと逆らい、声を荒げてでも国家騎士団に残っただろう。
 「これが任務だ」と命じたとしても。
 ミュウの母船に行くことが任務、「キース・アニアンからの最後の命令だ」と言い放っても。


 逃げ出すチャンスも、逃げる手段も、どれも使わずにマツカは残った。
 そればかりか、船に入り込んだミュウと…。
(戦った挙句に、殺されたのだ…)
 セルジュたちは、「部屋を破壊したのはミュウだ」と信じているけれど。
 そうとしか思えぬ有様だったけれど、自分には分かる。
 「マツカもあそこで戦ったのだ」と、「何もしないでいたわけがない」と。
 侵入者と戦い、サイオンを使い過ぎていたから、マツカは助からなかったろうか…?
 かつてミュウの母船から逃れた自分を、マツカはサイオン・シールドで…。
(やったことがない、と言いながらも…)
 包んで見事に救ったのだし、きっと能力は高かった筈。
 咄嗟にシールドを張れていたなら、マツカはその身を守れただろう。
 床に倒れて心肺停止の「キース・アニアン」をも、シールドの中に取り込んで。
 どちらも掠り傷さえ負わずに、侵入したミュウが他の兵士たちに見咎められて逃れるまで。
(そうしていたなら、きっとマツカは…)
 今もこの船で生きていたろう、コーヒーを淹れてくれたのだろう。
 「コーヒーを頼む」と言ったなら、直ぐに。
 あの穏やかな笑みを浮かべて、「熱いですから、気を付けて下さい」と。
 けれど、そのマツカはもういない。
 自分を庇って逝ってしまった、それは無残な死に様で。
 幾多の戦場を渡り歩いた自分ですらも、目を覆いたくなるような屍を晒して。
(…そうなって、なお…)
 マツカが「キース」を救ったことを知っている。
 死の淵の底へ沈んでゆくのを、マツカの手がグイと引き上げた。
 恐らく、あれは夢ではない。
 「キース、掴まえましたよ」と腕を掴まれたのは。
 「ぼくがあなたを死なせない」と、笑みを湛えていたマツカは。
 直後に自分が生き返った時、マツカは涙を流したから。
 「悲しんでくれた」と、思念(こえ)が聞こえた気がしたから。


(…どうして、あの時…)
 素直になれなかったのか。
 開いたままだったマツカの瞳、それをこの手で閉じてやったけれど。
 悲しみに顔を伏せたけれども、その後、自分が言った言葉は…。
(後始末をしておけ、と…)
 ただ、それだけ。
 「弔う」のではなくて「後始末」。
 マツカはその身を、命を捨てて、自分を救ってくれたのに。
 もっと早くに国家騎士団から逃げ出していれば、あそこで死にはしなかったのに。
(…何故、私は…)
 「冷徹な自分」を貫いたのか、あの時でさえも。
 ただの一兵卒ならともかく、ジルベスター以来の側近のマツカ。
 彼の死を悼み、「丁重に弔ってやるように」と命じた所で、誰も異議など唱えはしない。
 むしろ上がっただろう、「キース」への評価。
 「冷徹無比な破壊兵器でも、忠実な部下には厚く報いてやるらしい」と。
 今だからこそ、必要なものが求心力。
 他の部下たちからの忠誠、「この人にならばついてゆける」と思われること。
 「後始末を」などと言わなかったら、その方面での自分の評価は…。
(…間違いなく上がった筈なのだがな…)
 今の自分がそう考えるなら、平静であれば、きっと「そのように振舞った」だろう。
 マツカを失ってしまった悲しみ、それが心を覆わなければ。
 普段と同じに「冷静なキース」、そんな自分であったなら。
(私らしくもなかったのだな…)
 如何にも「キースらしく」見えたろう、あの自分は。
 長く仕えた側近の死さえ、「後始末を」と言い捨てて去った自分は。
 真に計算高かったならば、逆のことを口にした筈だから。
 マツカを丁重に弔うようにと、「後始末」などとは言いもしないで。


 動揺のあまり、選び損ねた言葉。
 傍目には「キースらしく」見えても、そうではなかった冷たい命令。
(…そのせいで、今も…)
 実感できない、「マツカがいなくなった」こと。
 忠実なセルジュやパスカルたちは、命令のままに動いたから。
 「後始末をと仰ったから」と、彼らが内輪で見送ったマツカ。
 破壊された部屋は他の者に任せて、マツカの亡骸を運んで行って。
(二階級特進の証なども…)
 添えてマツカを送ったのだろう、二度と戻らぬ死への旅路に。
 きっと何処かに墓標も作って、「ジョナ・マツカ」の名を刻んでやって。
(……私は、その場所さえ知らぬ……)
 「後始末」のことなど、報告されはしないから。
 あの部屋がまだ血まみれの内に、「マツカの死体は片付けました」と来たセルジュ。
 「これから部屋の修理であります」と、「当分は区画を閉鎖します」と。
(…何故、あの時に…)
 ただ頷いただけだったのか、愚かな自分は。
 「待て」と一声掛けさえしたなら、出られただろうマツカの葬儀。
 そして上がった「キース」の評価。
 「やはり閣下は素晴らしい人だ」と、「忠実な部下には報いて下さる」と。
 それが「勘違い」であろうとも。
 本当の所は「マツカだからこそ」、弔わねばと考えたのが「キース」でも。
(……行こうと思えば、行けたのだがな……)
 私は二度も間違えたのか、と今も悔やまれる自分の選択。
 「後始末を」と言い捨てたことと、マツカの葬儀の日時を尋ねなかったこと。
 間違えたせいで、今になっても…。


(いないことさえ、私には…)
 認識できないままなのだ、と悔やんでも悔やみ切れない思い。
 マツカがどれほど大切だったか、こうして思い知らされる度に。
 「コーヒーを頼む」と口にする度、それに答えが返らないままになる度に。
 どうして自分はこうなのだろうか、いつも間違えてしまうのだろうか。
(…シロエの時にも…)
 彼を見逃し損ねたのだ、と思いは過去へと戻ってゆく。
 「いつも、私は間違える」と。
 他に取るべき道を探らず、いつも間違え続けるのだ、と…。

 

        もういない者へ・了

※マツカがいなくなった後にも、「コーヒーを頼む」と言っていたキース。ごく自然に。
 なのに「後始末」という酷い言いよう、無理しすぎだよ、と。弱みを見せられないタイプ。








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(…しつこいんだから…)
 なんて機械だ、とシロエが叩いた机。
 E-1077の個室で、マザー・イライザが消え失せた後に。
 感情の乱れを感じ取ったら、「どうしましたか?」と現れる幻影。
 機械に監視されている証拠で、心まで盗み見ているそれ。
 怒りを口にしてはいないし、何かに記したわけでもない。
 けれど、何処からか読み取られる。心を乱してしまった時は。
(…機械なんかに…)
 何が分かる、と言いたいけれども、同期生たちは挙って褒め称える。
 このステーションのメイン・コンピューター、マザー・イライザの素晴らしさを。
 「あんなに優れた母親はいない」と、「何でも理解してくれている」と。
 成人検査で彼らが別れた、故郷の養母。十四年間、彼らを育てた母親。
 その母よりも「ずっと素晴らしい」と、「必要なものは全て与えてくれるから」と。
 慰めに励まし、時には叱って、皆を導くマザー・イライザ。
 名前の通りに「母」に相応しいと、彼女こそが「母親の鑑」だとも。
 所詮、機械だと思うのに。
 膨大なデータを持っているなら、何にでも答えを出せて当然だと思うのに。
(計算も出来ないコンピューターなんか…)
 出来損ないだよ、と嘲笑いたくもなるけれど。
 実際、笑ってやるのだけれども、そのイライザに悩まされる。
 何かあったら、母親面して現れるから。
 故郷の母に似せた面差し、それを持っている機械の幻影。
(…人が親しみを覚える姿で…)
 現れるように出来ているから、マザー・イライザは母に似ている。
 もう顔さえもおぼろにぼやけた、懐かしい母に。
 夢の中でしか、その顔立ちを見ることが出来ない、優しかった母に。


 マザー・イライザが現れた時に、心に幾らか余裕があったら、描き留める姿。
 母の姿に似ているのならば、絵を描く間に本当の母を思い出せるかもしれないから。
 ある日突然、「これがママだ」と思う姿を、描ける日が来るかもしれないから。
(でも、あれは…)
 母の姿を真似てみせるだけの、忌まわしい機械。
 幻影が現れるのはまだマシな方で、コールを受けてしまった時には…。
(…呼び出される度に、何か失う…)
 そう確信している、イライザのコール。
 マザー・イライザが姿を現す、ガランとした部屋。女性の彫像が置かれた場所。
 大理石のように見える室内、其処が一面の草原のようになったなら…。
(ベッドが出て来て、其処に寝かされて…)
 眠りなさい、と命じる言葉に逆らえない。
 どう頑張っても、歯を食いしばって抗ってみても、引き摺り込まれる眠りの淵。
 歌うように響く、マザー・イライザの声。
 「導きましょう」と。
 より良い道へ進めるようにと、「それが私の役目ですから」と。
 コールを受けて呼ばれた者たち、彼らは誰でも口を揃えてこう言うもの。
 「コールの後では心が晴れる」と、叱られた時でも晴れやかな顔で。
(…そりゃあ、軽くもなるだろうね)
 マザー・イライザは、「悩みの種」を心から消してしまうのだから。
 時には悩みがあったことさえ、分からなくなるほどだから。
(呼ばれて喜ぶ奴らはいいけど、ぼくの場合は…)
 失うものが多すぎるんだ、と噛んだ唇。
 コールの度に薄れて消えてゆく記憶、辛うじて心に残っていたもの。
 成人検査を受けるよりも前に、自分が心に刻んだもの。
 それが少しずつ消えてゆくのは、マザー・イライザが端から消してゆくからなのだ、と。


 なんとも忌々しい機械。
 心を盗み見、記憶まで奪ってゆくコンピューター。
 どうして此処の候補生たちは、あんな機械に従えるのか。
 従うどころか、「母親のように」慕えるのか。
 けれど、そう思うのは、どうやら自分一人だけ。怒り、苛立つのも自分だけ。
 そんな自分を従わせようと、あの手この手のマザー・イライザ。…そう、今日のように。
 「どうしましたか?」と親切そうに現れてみては、心に入り込もうとして。
(…ぼくは、機械に隙なんか…)
 見せるもんか、と握り締める拳。
 心の弱さを見せたら負けると、大切なものを失うだけだと。
 成人検査で、テラズ・ナンバー・ファイブに記憶を奪われたように、きっと此処でも。
 ある日、気付いたら、両親や故郷を懐かしむ心も、すっかり失くしているだとか。


 他の候補生たちがどうであろうと、ぼくは機械に懐きはしない、と誓った心。
 友達の一人もいないままでも、かまわないから、と思って生きて。
(…迷える子羊…)
 とある講義で、耳慣れない言葉を聞かされた。
 エリート候補生を育てるためには必須の科目の、宗教学概論。
 機械が治める時代とはいえ、人には「神」が必要なもの。
 その「神」について教える講義で、教官が話した聖書の一節。
(百匹の羊を飼っている人がいて、その中の一匹が迷子になって…)
 行方不明になってしまったなら、残りの九十九匹を置いて、探しに行くのが神だという。
 何処に行ったか分からない羊、それを探しに。
 あちこち探して見付け出したら、その一匹のために「とても喜ぶ」ものだとも。
 それほどに神は慈悲深いもの、というのが講義のポイント。
 人間は誰もが神の羊で、神は「心優しき牧者」だとも。
(……神様ね……)
 本当に神がいると言うなら、救って欲しいと心から思う。
 機械の言いなりになって生きる人生、こんな地獄から一刻も早く。
 自分以外の九十九匹、それが安穏と暮らしているなら、彼らのことは放っておいて。
 今も荒野を彷徨い続ける、迷ってしまった「セキ・レイ・シロエ」という羊を。



(だけど、神様は助けになんか…)
 来やしない、と部屋に帰っても波立つ心。
 神様よりかは、きっと頼りになると思えるのがピーターパン。
 夜空を飛んで来てくれる彼は、神よりもずっと頼もしい。
(ピーターパンは子供の味方で、ネバーランドに連れてってくれて…)
 羊を飼ってる神様よりも、本当に頼りになるんだから、と思った所で気が付いた。
 百匹の羊を飼っている神と、其処から迷い出た一匹の羊。
(…マザー・イライザと、ぼくみたいだ…)
 九十九匹の羊は大人しく群れているのに、行方不明の羊が一匹。
 好奇心旺盛な羊だったか、はたまた何かに驚いたのか。
 いずれにしても群れを離れて、放っておいたら狼の餌食かもしれないけれど…。
(羊には羊の都合ってヤツが…)
 存在しないとどうして言える、という気分。
 マザー・イライザが羊飼いなら、自分だったら全力で逃げる。
 逃げ出した先が荒野であろうと、狼の遠吠えが響こうとも。
(…食べる草なんかは何処にも無くって、飢えて死んでも…)
 このまま飼われて、記憶を全て失うよりかは、ずっといい。
 狼の餌食になったとしたって、懐かしい故郷を、両親の記憶を失くさないままで死ねるなら。
(飼われたままだと、いつか何もかも…)
 失くしそうだ、と恐れる自分。
 だから抗い、逆らうけれど。
 マザー・イライザを嫌うけれども、追って来るのが憎らしい機械。
 何処へ逃げようとも、「どうしましたか?」と。
 幻影を見せて追って来る日や、コールサインで呼び出される日や。


 本当に恩着せがましい機械。
 迷い出た羊は放っておいてくれればいいのに、しつこく探しに来る機械。
(…そんな機械に懐いてる奴は…)
 羊なんだ、と掠めた思い。
 「此処にいるのは、みんな羊だ」と、「マザー牧場の羊なんだ」と。
 神に飼われた羊だったら、まだしもマシな気がするけれど。
 人間は誰でも神の羊ならば、それに異論は無いけれど。
(…神様ならいいけど、機械に飼われている羊なんか…)
 ただの屑だ、と思えてくる。
 機械の言いなりに生きている羊、自分自身の考えさえも無さそうな「群れた羊」たち。
 マザー・イライザが導くままに、右へ左へと歩いてゆく。
 九十九匹で群れを作って、行方不明の一匹のことは考えもせずに。
(…羊だよね…)
 此処にいる候補生たちは、と唇に浮かべた皮肉な笑み。
 マザー・イライザが連れ歩く羊、「マザー牧場の羊」たちが暮らすステーション。
 連れて来られて間もない間は、群れから離れてゆきそうな羊もいるけれど…。
(じきにイライザに飼い慣らされて…)
 マザー牧場の羊になるんだ、とクックッと笑う。
 「そんな道は、ぼくは御免だね」と。
 神が羊を飼っているなら、その羊でもいいけれど。
 機械仕掛けの羊飼いには、けして自分は懐きはしない。
 一匹だけ群れをはぐれた挙句に、荒野で飢え死にしようとも。
 狼の牙に喉を裂かれて、血染めの最期を遂げようとも…。

 

        イライザの羊・了

※シロエと言えば「マザー牧場の羊」発言ですけど、羊なんか何処で見たんだろう、と。
 エネルゲイアに羊の群れはいそうにないし、と思った所から出来たお話。羊ならば聖書。







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(……サム……)
 やはり無理なのか、とキースが握り締めた拳。ノアの自室で。
 国家騎士団総司令から、元老院入りを果たしたけれど。
 今はパルテノンに集う元老の一人だけれども、そうなった理由。
 初の軍人出身の元老、表向きはパルテノンの元老たちの要請。「求心力のある指導者を」と。
 「腑抜けた老人たちも、ようやく目を覚ましたようだ」と思ったそれ。
 必要とされての抜擢なのだと、ならば期待に応えなくては、と。
(頑張らねば、と思ったのだが…)
 初めてパルテノンに行ったら、その場で分かった。「誰も歓迎していない」こと。
 自分を元老に推した人物、そんな者などいはしなかった。誰一人として。
(…全てはグランド・マザーの采配…)
 人類の聖地、地球に座している巨大コンピューター。SD体制の時代を支配する機械。
 グランド・マザーが自分を元老の一人に選んだ。
 未来の国家主席として。…人類を導く指導者として。
(私を作らせたのも、グランド・マザー…)
 理想の指導者を作り出すため、無から合成された塩基対。
 三十億ものそれを繋いで、マザー・イライザが紡いだDNAという名の鎖。
 自分は其処から作り出されて、サムを、シロエを糧に育った。
 ミュウの長、ジョミー・マーキス・シンと幼馴染だったサム。
 それに、ミュウ因子を持っていたシロエ。
 サムの心はミュウに壊され、シロエは自分がこの手で殺した。船を落として。
(…サムも、シロエも…)
 きっと自分と関わらなければ、壊れも死にもしなかったろう。
 ミュウのシロエも、恐らくは器用に生き延びた筈。
 彼ほどの頭脳を持っていたなら、可能だろうと思うから。
(…マツカでも生きているのだからな…)
 シロエだったら、自分で上手く生きただろう。
 SD体制の枠から逃れた反乱軍でも指揮していたか、あるいは気ままな海賊なのか。
 どの道だろうと、生きただろうシロエ。…そして壊れはしなかったサム。


 自分のせいだ、と何度思ったことか。
 廃校になったE-1077、シロエに言われたフロア001。
 卒業までには行けずに終わって、何があるかも知らなかった場所。
 グランド・マザーに処分を任され、赴いた時に全てを知った。
 自分の生まれも、サムとシロエの役割も。…二人が自分の糧だったことも。
(そうやって私を育て上げて…)
 いよいよ人類の指導者として立てというのが、グランド・マザーの意向で命令。
 従うしかない道だけれども、そのための策も練ったのだけれど…。
(これを実行に移す時には…)
 捨ててゆかねばならないノア。人類が最初に入植した星。今の宇宙の首都惑星。
 ノアの価値は、この際、どうでもいい。
 その策でミュウに勝てさえすれば。
 ソル太陽系に布陣した上で、ミュウの艦隊を迎え討ち、そして滅ぼせたなら。
(…しかし、このノアは…)
 下手をしたなら戦場になる。
 国家騎士団も、人類統合軍の艦隊も、全て自分がソル太陽系に展開させるけれども…。
(艦船を持たない軍人どもは…)
 ノアに残るから、彼らがミュウをどう扱うか。
 戦わずして降伏だろうと読んでいたって、蓋を開けねば分からない。
 頑迷な者が一人いたなら、己の力を過信している者がいたなら、来るだろう破局。
 勝てもしないのに、ミュウの母船にミサイルの一つでも撃とうものなら…。
(ミュウどもも容赦しないだろうしな)
 血も涙も無い、と今や評判のミュウの長。
 降伏を伝えた救命艇さえ、容赦なく爆破したジョミー・マーキス・シン。
(私も大概、冷徹な破壊兵器と言われたものだが…)
 今のあいつはそれ以上だな、と感じるジョミーの揺るぎない意志。
 「人類軍は全て敵だ」と断じて、躊躇いもせずに殺してゆく。
 彼がいる船にミサイルを撃てば、たちまち焼かれるだろうノア。
 メギドほどではないだろうけれど、ミサイルを撃った基地の辺りは破壊し尽くされて。


 きっとそうなる、と分かっているから、その前にサムを逃がしたかった。
 何処でもいいから、ミュウが来そうにない星へ。
 ミュウは地球へと向かっているから、逆の方へと逃せばサムは巻き込まれない。
 愚かな輩が起こした戦い、負け戦だと最初から見える戦争には。
 けれども、今日も届いた報告。サムの病院の主治医から。
(今の状態のサムを移送するのは…)
 危険すぎる、と唱え続ける医師。何度確かめても、日を改めて問い合わせても。
 このままでは置いてゆくしかないサム。
(…動かすことさえ出来たなら…)
 安心してノアを離れられるのに。
 他の者たちの命はともかく、サムの命を救えるのなら。
 サム一人だけでも、安全な場所に逃げ延びていてくれるのならば。
(だが、そう簡単には…)
 いかないのだな、と覚悟を決めるしかない自分。
 サムのために計画を変更出来はしないし、グランド・マザーも承認することはないだろう。
 個人的な感情で動くことなど、グランド・マザーは良しとはしない。
 それをしたなら、未来の国家主席といえども、失脚するのか、降格なのか。
(…そうなった時は、マツカさえも守り切れなくなるからな…)
 もしもマツカがミュウだと知れたら、即座に処分されるだろう。
 問答無用で撃ち殺されるか、収容所にでも送られるのか。
 それではサムも悲しむだろうし、シロエも悲しむに違いない。
(マツカも守れなかったのかよ、とサムなら言うな…)
 悲しそうな顔で、「何してんだよ」と。
 シロエも同じに言うのだろう。皮肉を少しも交えることなく、「どうしたんです?」と。
(先輩らしくもありませんね、と私を見据えて…)
 どうしてその道を選んだのかと問うことだろう。
 「マツカを生かして側に置いたこと、ぼくは評価していたんですけどね?」と。
 「なのに最後にどうしたんです」と、「守ると決めたら、守るべきだったでしょう?」と。


 マツカを安全に生かしたいなら、自分自身の身を守ること。
 グランド・マザーの意に背かないこと。
(…すまない、サム…)
 どうやら逃がしてやれそうもない、と噛んだ唇。
 もはや打つべき手など無いから、ノアは捨てるしかないのだから。
 サム自身の運に賭けるしかなくて、運良くノアが戦場にならずに済んだなら…。
(ミュウどもの艦隊を滅ぼした後で…)
 見舞いに行ってやるからな、と心で詫びる。
 そして手にした、サムに貰った「お気に入り」のパズル。
 …あの日からサムに会えてはいない。「あげる」と渡され、貰った日から。
(みんな友達…)
 そう言ってサムはパズルをくれた。人のいい笑顔で。
 サムは「友達」にこれをくれたのか、それともパズルに飽きただけなのか。
(キース、スウェナ、ジョミー…)
 あの時、サムが口にした名前。
 木の枝に止まった三羽の小鳥を、白い小鳥を順に数えて。
 「みんな、元気でチューか?」とも言った。
 遠い昔にE-1077で、ナキネズミのぬいぐるみを手にして、そう言ったように。
(…サムは一瞬、戻って来たように思うのだがな…)
 戻って来たから、「友達」の自分にパズルをくれた。そんな気がする。
 そうだったのだと思うけれども、あの日のサムが持っていたもの。
 小さな望遠鏡のようにも見えた万華鏡。
(あれがサムの新しいお気に入りで…)
 パズルには飽きて、もう要らないから、昔馴染みの「おじちゃん」に譲ってくれただろうか。
 何度も見舞いに来てくれるから、サムが気に入った「赤のおじちゃん」。
 国家騎士団の制服のせいで、自分は「赤のおじちゃん」になった。
 サムの心は子供に戻って、同い年の筈の自分が年上に見えているものだから。
 子供のサムから眺めた自分は、「友達」ではなくて「おじちゃん」だから。
 その「おじちゃん」にパズルをくれたか、飽きたから譲っただけなのか。それすらも謎。


(くれたのだと思いたいのだが…)
 あの日から一度も会えていないし、確かめる術を持たないまま。
 サムに会えたら、パズルを見せて訊いてみるのに。
(借りっ放しで悪かったな、と…)
 差し出したならば、どんな表情が返るのか。
 「ぼくのパズル!」と引っ手繰るのか、「おじちゃんのだよ?」と笑顔になるか。
 その時にサムが、あの万華鏡の方に夢中でも…。
(おじちゃんのだよ、と言ってくれたら…)
 どんなに嬉しいことだろう。
 サムと心が繋がったようで、遠い昔に戻れたようで。
(頼むから、死なずに生きていてくれ…)
 私がノアに戻れる日まで、と僅かな希望を未来に抱く。
 時代がミュウへと味方していても、「負ける」と決まったわけではない。
 勝ちを収めたなら、戻れるノア。そして再会できるサム。
(白のおじちゃん、とポカンとしてくれたらな…)
 楽しいのだが、と眺めた元老の衣装。
 「赤のおじちゃん」の赤い制服は、もう着ないから。今では白い服だから。
 サムも自分も生き延びたならば、この服でサムに会いに行こう。パズルを持って。
 「元気にしてたか?」と、「白のおじちゃんになったんだぞ」と。
 その日が訪れてくれたらいい。
 サムを置いてノアを離れるけれども、「白のおじちゃん」がサムの見舞いにまた行ける日が…。

 

           置いてゆく友へ・了

※「白のおじちゃん」になったキースは、サムに会えたのか、会えなかったのかが謎。
 会えなかった可能性も高いんだよね、と考えたトコから出来たお話。どうだったんでしょう?








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(あと三年と…)
 何ヶ月なんだ、とシロエが部屋で折ってみた指。
 このステーション、E-1077を卒業できる日までの日数は、と。
(…まだ、かなり先…)
 それでも昨日よりかは一日減った、という気分。
 たまに、こうして夜に数える。思い立った日に、残りの日々を。
 毎日などは、とても数えていられない。そんなことをしたら、持たない神経。
 「気が強いシロエ」を演じてはいても、本当の中身は「子供時代のまま」だから。
 両親の姿を夢に見た日は、「パパ、ママ…」と涙を零すような子供。
 その大切な両親の記憶を機械に消されて、もうどのくらい経つだろう。
 目覚めの日から今日までの日数、それを四年から引いた残りが「卒業できる日」までの日数。
 悲しい数字を伴う計算、毎日のようにやりたくはない。
 そうでなくても、今は地獄の日々だから。生き地獄を生きているのだから。
(…マザー・イライザ…)
 今も何処かで監視している、あの憎い機械。
 母の姿を真似て現れる、恩着せがましいコンピューター。
 今の自分は「あれ」の言いなり、従わされて生きてゆくしかない。
 どんなに抗い、逆らってみても、「従っている」自分の姿が見えてくる。
 少しばかり距離を置いたなら。…今の「自分」を見詰めたら。
 優秀な成績を収めたならば、マザー・イライザの思惑通り。憎い機械の意のままの自分。
 E-1077というステーションは、エリートのための最高学府。
 より優秀な者が出るほど、マザー・イライザの評価が上がる。
 機械に鼻は無いのだけれども、鼻高々になるマザー・イライザ。
 優秀な生徒が現れる度に、素晴らしい候補生たちを育てて、此処から送り出す度に。


 そう、自分だって、マザー・イライザの手駒の一つ。
 マザー・システムを痛烈に批判してみても、成績優秀な生徒だったら…。
(…ぼくをコールして、叱ったことさえ…)
 地球の上層部に隠しておいたら、マザー・イライザは無失点。
 むしろ褒められもするだろう。
 地球を治めるグランド・マザーに、「よくやりました」と。
 「そのままシロエを育てなさい」と、「今後に期待しています」とも。
 じきに卒業するキース・アニアン、「機械の申し子」と呼ばれるほどの未来のメンバーズ。
 彼の成績を幾つも抜いた自分は、どう考えても「優秀」だから。
 キースよりも四年遅れて此処を出てゆくエリート、そうなるだろう理想の候補生。
 いい成績を取れば取るほど、マザー・イライザを喜ばせる。
(ぼくの態度を隠しさえすれば…)
 二人目のキースとも呼べるエリート、それを「育成中」だから。
 反抗的な今の態度も、「いずれ収まる」と思っていそう。
 何度もコールを繰り返していれば、思いのままに導いたなら。
 逆らおうと足掻き続ける激しい感情、それに終止符を打てたなら。
(そう簡単に…)
 言いなりになんかなりやしない、と唇をきつく噛むけれど。
 機械に操られてたまるものかと思うけれども、きっと今日だって「喜ばせた」。
 キース・アニアンが残した記録を、また一つ自分が塗り替えたから。
 E-1077始まって以来の点数を取って、教官に褒められたのだから。


(ぼくは、マザー・イライザを喜ばせるために…)
 勉強しているわけじゃない、と叫んでみたって、結果が全て。
 「セキ・レイ・シロエ」という優秀な候補生、それを擁するステーション、E-1077。
 グランド・マザーへの報告の度に、マザー・イライザは得意満面だろう。
 「キースの次にはシロエがいます」と。
 「四年後にはシロエを送り出します」と、「優秀なメンバーズになってくれるでしょう」と。
 自分の成績が上がってゆくほど、マザー・イライザの評価も上がる。
 つまりはマザー・イライザの手駒、キースと何処も変わりはしない。
(従順な生徒か、そうでないかというだけで…)
 このステーションから送り出せたら、マザー・イライザには「同じこと」。
 とても優秀なメンバーズを育て、無事に卒業させたのだから。
 将来の地球を導く人材、それを「二人も」送り出したことになるのだから。
(…ぼくが勉強すればするほど…)
 マザー・イライザを喜ばせる。…マザー・イライザの評価が上がる。
 なんとも皮肉な話だけれども、それが真実。
 「いつか機械に復讐する」ために積んでいる努力、懸命に目指すメンバーズ。
 その先に続くだろう道だって、順調に歩むつもりだけれど。
 キースを追い越し、蹴落としてやって、国家主席に昇り詰めるのが目標だけれど。
(…国家主席になって、機械を止める時まで…)
 機械に奪われた記憶を取り戻す日まで、きっと傍目には「機械の言いなり」。
 上手く躱して生きていたって、機械の目から見たならば…。
(…成績優秀な候補生の後は、とても優秀なメンバーズ…)
 そういう存在でしかない自分。
 ドロップアウトでもしない限りは、マザー・イライザの「自慢の生徒」。
 何処まで行っても「マザー・イライザが育てた生徒」で、その烙印は消えてくれない。
 いつか機械に牙を剥くまで、機械に「止まれ」と命じる日まで。


 まだ三年と何ヶ月もある、此処での日々。
 マザー・イライザに力ずくで抑え込まれる屈辱、それに歯を食いしばって耐える年月。
 ようやっと自由になれる日が来ても、今度はグランド・マザーが来る。
(メンバーズは、グランド・マザーの直属…)
 どんな形で抑えに来るのか、果たして自分は逆らえるのか。
 今でさえもマザー・イライザの手駒、抗い、もがき続けていても。
 力の限りに逆らっていても、結果だけを見れば「マザー・イライザの勝利」でしかない。
 マザー・イライザの評価が上がって、喜ばせているだけだから。
 いい成績を取れば取るほど、そうなるから。
(…それと同じ日々が、これから先も…)
 無限に続いてゆくのだろうか、このステーションを卒業したら…?
 メンバーズになって、グランド・マザーの直属の部下になったなら…?
(……嫌だ……)
 今の地獄がまだ続くなんて、とギュッと拳を握ったけれども、それ以外には見えない道。
 もしもドロップアウトしたなら、地球への道は開けない。
 国家主席になれはしなくて、失くした記憶は取り戻せない。
 機械に「止まれ」と命じる力も、その権限も、持てずに何処かで力尽きるだけ。
 ただのつまらない軍人になるか、教官にでもなって終わりの人生。
(…それだと、本当に機械の言いなり…)
 生きた証もありやしない、と思ってはみても、それが嫌なら地獄への道。
 いつ果てるとも知れない道を、ひたすら歩んでゆくしかない。
 E-1077で三年と何ヶ月かを過ごして、卒業したらメンバーズ。
 マザー・イライザの手から自由になったら、今度はグランド・マザーの手の中。
 そうしてもがいて、もがき続けて、いつになれば自由になれるのだろう?
 いったい何年、茨の道を歩き続ければいいのだろう…?


(…考えただけでも、気が滅入りそうだよ…)
 此処での三年と何ヶ月かの残り日数、それさえも「永遠」に続くかのように見えるのに。
 まるで果てのない道に見えるのに、まだその先へと続く地獄の日々。
 いくら歩いても終わりが見えない、「機械の手駒」として生きてゆく道。
 それに自分は耐えられるのか、上手く歩んでゆけるのか。
(……歩くしかないなら、歩くけれども……)
 誰か終わりを教えて欲しい、と折ってみる指。
 何年耐えれば、国家主席になれるのか。
 子供時代の記憶を全て取り戻して、憎い機械を止められるのか。
(…それさえ分かれば…)
 まだ耐えようもあるというのに、と考えてみても、見えない「終わり」。
 自分の未来は果てのない地獄、E-1077を卒業しても。
 メンバーズの道に足を踏み入れ、エリートとして歩み始めても。
(……全部、傍目には機械の言いなり……)
 そして機械が得をするだけ、と分かっていたって、歩くしかない。
 この屈辱にまみれた道を。
 機械に頭を押さえつけられ、這いつくばって進む、泥の中に伸びてゆく道を。
 いつか見えるだろう「終点」までは、此処から逃れられないから。
 国家主席になりたかったら、機械の手駒として生きる他には、道は何処にも無いのだから…。

 

          機械の手駒・了

※本当は別の意味で「マザー・イライザの手駒」だったシロエ。連れて来られた時から。
 けれどシロエは知らないわけで、いい成績を取れば取るほど地獄。機械の手駒。








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(ミュウの女か…)
 そして私だ、とキースが脳裏に浮かべた光景。
 今はもう無い、E-1077で見たモノ。遠い昔にシロエがその目で確かめたもの。
 フロア001に並んだ標本、どれも同じ顔をした男と、それに女が何体も。
 マザー・イライザが「サンプル」と呼んだだけあって、胎児から成人までが揃った標本たち。
 一つ間違えたら自分もあそこに並んだだろう、と今日までに何度思ったことか。
 けれど自分は生きているのだし、「生かされた」とも言える人生。
(ならば歩むしか無いのだろうな)
 自分の道を、と分かってはいる。
 任務に忙殺される昼間は、いつも忘れている光景。自分の生まれも、あの「ゆりかご」も。
 シロエはあそこを「ゆりかご」と言った。自分はあそこで「育った」モノ。
 成人検査を受けることなく、E-1077に候補生として入れる年まで。
 それをこうして思い出す夜も、けして珍しくはないのだけれど。
 側近のマツカを下がらせた後は、たまに考えもするけれど。
(…待てよ?)
 その夜は、心に引っ掛かった。あの「ゆりかご」の光景が。
 ズラリと並んでいた標本。自分と同じ顔の男と、ミュウの母船で出会った女。
(マザー・イライザ…)
 自分が処分した、あの機械。マザー・イライザに似ていた女。
 彼女はミュウの母船にいた。捕虜とは違って、並みのミュウより上の扱い。
(…どうしてミュウの母船などに?)
 他人の空似でないことは分かる。
 囚われた時に、ガラス越しに彼女と触れ合わせた手。
 其処から流れ込んだ記憶は、寸分違わず自分と同じだったから。
 水の中に浮かび、同じ歌を聴いていたのだから。


 ミュウの母船に乗っていた女。
 自分と同じ生まれの筈で、機械が無から作った生命。
 三十億もの塩基対を繋ぎ、DNAという鎖を紡ぐ。マザー・イライザはそう言った。
 ならば機械が「ミュウを作った」ことになるのか、彼女がミュウの船にいたなら。
(…ミュウ因子の排除は不可能だと聞くが…)
 そう、現代科学をもってしても。
 最先端の技術を駆使してみても、ミュウの因子は排除できない。
 だからこそミュウは生まれ続けて、それを異分子として処分するのが人類の役目。
 機械が作っても「生まれる」のならば、本当に排除できないのだろう。
 あの目障りな生き物は。
 星の自転も止められるという、忌まわしい力を持つ化け物は。
(…ソルジャー・ブルー…)
 ああいうミュウもいるのだがな、と彼の見事な死に様を思う。
 自らの命を犠牲にしてまで、メギドを沈めたタイプ・ブルー・オリジン。
 けれど彼とて化け物なのだし、自分は「負けた」というだけのこと。
 あの生き様が羨ましくても、所詮はミュウ。…所詮、化け物。
 其処まで思いを巡らせた時に、ふと思い出した。
 ミュウの母船から逃げ出した時に、人質に取ったあの女。
 ソルジャー・ブルーは、あの女をとても気にかけていたようだから…。
(…同族と気付いて、攫って逃げたか…)
 それも面白い、とクックッと笑う。
 ミュウは必ず処分されるし、あの女を攫って逃げたとしたなら、さしずめ「白馬の王子様」。
 ソルジャー・ブルーはそれを気取って、何処かに忍び込んだだろうか、と。
(E-1077では有り得ない…)
 ならば何処だ、と考えた場所。
 ミュウの女は何処で育って、ソルジャー・ブルーが連れ出したかと。
 「白馬の王子様」は何処に出たかと、それを知るのも面白かろう、と。


 最初はそういう思い付き。
 単なる気まぐれ、あの実験はどういう類のものだったか、と。
 E-1077を処分した時は、データを取りはしなかった。
 コントロールユニットを破壊しただけ、標本どもを維持する装置を壊しただけ。
 後はグランド・マザーの命令通りに、E-1077そのものを爆破した。
 あそこから近かった惑星の上に、真っ直ぐ落として。
 自分を作ったマザー・イライザ、「ゆりかご」の主をマザー・ネットワークから切り離して。
(何も取っては来なかったが…)
 グランド・マザーはデータを残しているだろう。
 そして望めば、情報は開示される筈。
(E-1077だ…)
 手掛かりはそれ、と辿ってゆく。フロア001、其処で行われていた実験、と。
 目指すデータは直ぐに出て来た。
 「キース・アニアン」を作った実験。
 いつからあそこでやっていたのか、関わった者たちは誰なのか。
 水槽越しに見た研究者の顔も、その中にあった。
 案の定、事故死していたけれど。
 自分が水槽から出されて間もなく、E-1077を離れる途中で。
 他の研究者たちも一緒に乗っていた船、それが見舞われた衝突事故で。
(……やはりな……)
 証拠を残すわけもない、と予想していた通りの結末。
 「キース・アニアン」が誰かを知るのは、今ではグランド・マザーだけ。
 候補生として生き始めた時点で、マザー・イライザとグランド・マザーの他には…。
(…誰もいなかったというわけか…)
 シロエがそれを見出すまで。
 彼をフロア001で捕らえた保安部隊の者まで、ご丁寧に事故死している有様。
 機械は徹底しているらしい。「キース・アニアン」の秘密を守るためには。


 キース・アニアンを其処まで守り抜こうと言うなら、ミュウの女も同じだろう。
 ソルジャー・ブルーが攫った後には、消されただろう研究者たち。
(…こちらもそうか…)
 実験の場所はアルテメシアか、と納得した答え。
 其処で始めた「無から生命を作る」実験。
 けれど失敗作が生まれて、ソルジャー・ブルーに攫われる始末。
 これでは駄目だ、と実験の場所は宇宙に移った。
 マザー・イライザに全てを委ねて、サンプルも全て引き渡して。
(なるほどな…)
 あの「ゆりかご」で生まれた時から、目の前にあった「ミュウの女」の標本。
 研究者よりも身近なものだし、マザー・イライザが似た姿にもなるだろう。
 ミュウの女とマザー・イライザ、まるで正反対なのに。
 機械が無から作ったものでも、「ミュウの女」は命あるもの。
 マザー・イライザは機械なのだし、命を持っていないもの。
 その上、排除されるべきミュウと、排除する側のコンピューター。
 なんと皮肉な話だろうか、相反するものが「似ていた」とは。
(…無から作っても、ミュウは生まれる…)
 ミュウ因子を排除できないだとは、と歯噛みするしかない現状。
 確実に力をつけ始めたミュウ、彼らを宇宙から一掃するには因子の排除が最善なのに。
 それさえ出来たら、次の世代のミュウは生まれて来ないのに。
(奴らが始めた、非効率的な自然出産…)
 あの程度ではミュウの行く末は見えている。
 因子さえ排除してしまえたなら、彼らに同調する者たちは出ないから。
 何処の星でもミュウは生まれず、二度と生まれて来はしないから。
(だが、現代の科学では…)
 不可能なのだ、と握り締めた拳。
 最善の策だと分かってはいても、人は打つ手を持たないのだと。


 やむを得ない、と眺めた「ミュウの女」を作ったデータ。
 遺伝子データも取ってあったし、それを子細に分析したならミュウ因子も分かりそうなのに。
 無から作った生命だけに、交配システムで生まれたものより分かりやすい筈。
 それでも駄目か、と「科学の限界」を睨み付けていて気が付いた。
(…この女のデータ…)
 遺伝子データは、彼女限りで終わりになったわけではなかった。
 次の代へと引き継がれていて、E-1077で作り出された「男」。
 「男」のデータは一つしか無くて、どれもが「キース・アニアン」に続く。
 幾つものサンプルを生み出した末に、「キース・アニアン」と呼ばれる者へと。
(…それでは、私は…)
 あの女の遺伝子データを元に作られたのか、と知ったらゾクリと冷えたのが背筋。
 「ミュウの女」の遺伝子データを継いでいるなら、「ミュウ因子」も継いでいそうなもの。
 けれども自分はミュウとは違うし、サイオンなども持ってはいない。
 第一、「ミュウになりそうな危険」があるというなら、遺伝子データを使いはしない。
 それを「取り除けない」というのなら。
 ミュウの因子は特定不可能、排除は無理だというのなら。
(…それなのに、何故…)
 あの女のデータを使ったのだ、と生まれた不安。
 「ミュウの因子は排除できるのではないのか」と。
 それを取り除いて作られたのが「キース・アニアン」、此処にいる自分なのではないかと。
(……まさかな……)
 まさか、と思うけれども、生まれた不安は拭えない。
 「ミュウの女」を確かに見たから、自分は彼女の遺伝子データを受け継いだから。
(…ミュウ因子が特定されているなら…)
 グランド・マザーは嘘をついていることになる。出来る筈のことを「出来ない」と言って。
 いつか直接確かめねば、と考えはしても、まだ早い。
 もっと力をつけないことには、真実はきっと聞けないから。
 国家主席に昇り詰めるまで、グランド・マザーは人間如きに何も語りはしないだろうから…。

 

         ゆりかごの因子・了

※排除不可能だというミュウ因子。フィシスがミュウなら、遺伝子データを継いだキースは?
 ミュウ化する危険を帯びているわけで、普通はデータを使わない筈。自信が無ければ。








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