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カテゴリー「地球へ…」の記事一覧

(…デカイ顔をしていられるのも、今だけだよ)
 キース・アニアン、とシロエが浮かべた皮肉な笑み。
 視界の端に、キースの姿を捉えたから。
 講義を終えて自分の部屋へと戻る途中で、すました顔で立つ彼の姿を。
 「機械の申し子」と異名を取るのが、キース・アニアン。
 E-1077始まって以来の秀才、教官たちも挙って彼を誉めるけれども。
(いずれ、このぼくが…)
 あいつの成績を全て抜き去ってやる、と心に決めている。
 だから今だけ、「キースがトップに立っていられる」のは。
 未来のエリート気取りのキースは、いつか「セキ・レイ・シロエ」に敗れる。
(ぼくがE-1077を卒業したら…)
 もうその時は、ぼくの方が上だ、と自信を持っている成績。
 キースなどには負けないから。
 キースでなくても、他の誰にも自分は負けない。
(…誰よりも上に立たない限りは…)
 立つことが出来ない、この世界のトップ。
 今は空席の国家主席の地位に就くには、キースよりも、誰よりも上に立つこと。
 それが絶対、そうでなければ「機械の手駒」にされるだけ。
 メンバーズの肩書きを持っていようと、機械に使い捨てられるだけ。
(ぼくが機械に命令するには…)
 とにかく、最高の地位が必要。
 地球にあると聞くグランド・マザーと対等の立場、それに意見を述べられる地位。
 「お前は要らない」と命令したなら、グランド・マザーをも止められる力。
 それが欲しいから、ひたすらに上を目指すだけ。
 最初に蹴落とし、抜き去る目標、それに決めたのが「キース・アニアン」。
 いずれ自分は彼を抜くのだと、此処を卒業したならば、と。


 そうして戻った自分の部屋。
 ベッドに座って、広げたピーターパンの本。
 今の自分の、ただ一つきりの宝物。
 成人検査が奪い損ねた、故郷の思い出を形にしたもの。
(…ぼくが忘れてしまっても…)
 両親の顔も、故郷の風や光もおぼろになっても、この本は消えずに此処にある。
 幼い日に両親に貰った時から、ずっと自分のお気に入りのままで。
(子供が子供でいられる世界を、もう一度…)
 歪んでしまった今の世界に取り戻したければ、自分がトップに立たねばならない。
 ピーターパンの本を愛する自分が、ネバーランドを夢見た自分が。
(他の奴らや、キースが国家主席になっても…)
 何も変わりはしないだろう。
 世界は変わらず機械が治めて、子供たちは過去を奪われ続ける。
 十四歳になったなら。
 「目覚めの日」などと、立派な名前がついている日を迎えたら。
(…何処が目覚めの日なんだか…)
 いったい何に目覚めるんだ、と毒づきたい気分。
 目覚めるどころか、永遠の眠りに突き落とされてしまったかのよう。
 あの日を境に、自分は全てを失ったから。
 両親も故郷も、何もかもを。
 宝物だったピーターパンの本の他には、何も残らなかったから。
(ぼくみたいな子供が、これ以上、生まれないように…)
 いつか自分が機械を止める。
 子供たちから両親を、故郷を奪う機械を。
 成人検査のための機械も、それを束ねるグランド・マザーも。


 ぱらり、と本のページをめくる。
 永遠の少年、夜空を駆けるピーターパン。
 行けると信じたネバーランドは、今の自分の目には見えない。
 子供時代の記憶を失ったせいか、夢見る力を奪われたせいか。
(…でも、それも…)
 いつの日か、きっと取り戻す。
 地球のトップに立ちさえしたなら、国家主席になったなら…。
(機械がぼくから奪った記憶を、戻させることも…)
 出来る筈だし、それだけが励み。
 たとえ茨の道であろうと、歩んで地球のトップに立つこと。
 まずはキースの成績を抜いて、最高の成績でE-1077を後にすること。
 そうしてメンバーズの道に入れば、上には上がいるだろうけれど…。
(キースが今しか、デカイ顔をしていられないのと同じことで…)
 誰であろうと、抜き去るだけ。
 自分よりも上の地位に立っている者、そういった者を一人残らず。
 出来るだけ早く、出来る限りの力を尽くしてトップに立つ。
(ぼくには目標があるんだから…)
 そのためだったら、何だって出来る、と繰ってゆくページ。
 こうして「宝物の本」を此処まで持って来られたように、努力したなら道は開ける。
 そのことを、この本が示しているから。
 本当だったら、この本は「此処に無い」筈だから。
(…成人検査の日は、何も持っては行けない、って…)
 そう教わるから、誰もが信じる。
 何も持たずに家を出たせいで、何も持っては来られない。…故郷からは。
 けれど、自分はピーターパンの本と一緒に此処まで来た。
 「持って行こう」と手にして出たから、きちんと努力したものだから。


 それと同じで、どんな道でも開ける筈。
 国家主席に昇り詰めるまでは、けして自分は諦めない。
 投げ出しもしない、「努力する」ことを。
 どんなに機械が「忘れなさい」と囁こうとも、記憶を消そうと試みようとも。
(…ぼくは忘れない…)
 機械に与えられた屈辱、奪われた子供時代の記憶。
 両親も故郷も奪った機械を、憎い機械を忘れはしない。
 いつか復讐するために。…機械が治める時代を終わらせ、奪われた記憶を取り戻すために。
(…E-1077を卒業したら…)
 其処からが本当の戦いになる、と卒業の日を頭に描く。
 メンバーズとして此処を出てゆく時を。
 候補生の制服に別れを告げて、国家騎士団に入るだろう日を。
(その時までには…)
 いろんな意味で抜き去ってやる、と思う「キース・アニアン」。
 最上級生のキースは、年相応に背だって高い。
 側に来たなら、嫌でも自分は「見下ろされる」形になるけれど…。
(あいつの背だって…)
 出来ることなら抜いてやりたい、自分が上から「見下ろせる」ように。
 口では「キース先輩」と呼ぼうが、メンバーズとしての役職名で呼び、敬礼しようが。
(ぼくの方が、背が高かったなら…)
 もう、それだけで最高の気分になれるだろう。
 「この背と同じに、お前だって、じきに抜いてやる」と。
 メンバーズの世界では上官だろうと、出世したなら自分が上になる世界。
 その日を頭に思い描いて、上からキースを「見下ろして」みたい。
 E-1077で暮らす間は、そうすることは無理だけれども。


(あいつの方が、先に卒業して行くから…)
 自分の背丈が伸びた時には、もういない「キース」。
 今のキースが着ている制服、ああいう上着を自分が纏える頃には、もう。
 E-1077に「キース」はいなくて、残念なことに「見下ろせはしない」。
 メンバーズとして顔を合わせるまで、自分が此処を卒業するまで。
(……残念だね……)
 あいつを見下ろしてやりたいのに、と考えた時に、ふと掠めた思い。
 キースが着ているような制服、それを纏った「セキ・レイ・シロエ」は、どんなだろう、と。
 背が伸びた自分はどんな姿か、どんな顔立ちの人間なのか。
(今のぼくより…)
 大人びていることは確かだけれども、そういう自分を思い描けない。
 此処を卒業してゆくくらいの、「大人」の自分。
 今よりも大人になった「シロエ」を、「少年ではない」自分の姿を。
(……国家主席になるほどだったら……)
 今のキースどころではない、その年齢。
 いったいどういう顔なのだろうか、そうなった時の自分の顔は?
 「セキ・レイ・シロエ」は、自分は、どういう姿形になってゆくのか。
(…今のぼくなら…)
 両親と別れた時の姿と、それほど変わっていないと思う。
 此処では「下級生」の立場で、キースたちのような制服もまだ似合わないから。
 けれども、あれが似合う年頃に成長したなら、自分の姿はどうなるのだろう?
 今の「シロエ」は消えるのだろうか、子供時代の記憶が消えてしまったように…?
(……ぼくの姿も……)
 消えてしまったらどうしよう、と捕まった思い。
 ピーターパンの本が似合わないような、「大人」の姿になるだろう自分。
 此処を卒業してゆく頃には、もうそうなっているかもしれない。
 少年の姿を失くしてしまって、「大人」になって。
 今のキースを見下ろせるほどの、背丈の高い男になって。


(…そんなのは、今のぼくじゃない…)
 今のシロエのままでいたい、と覚えた恐怖。
 子供の心を失くした上に、姿まで自分は失くすのかと。
 今なら姿は、「子供」時代の面影があるし、まだ失くしてはいないのに。
(でも、いつか…)
 それも失くす、と気が付いたから恐ろしい。
 自分は未来を目指すけれども、それと引き換えに失くすもの。
 いつかキースを蹴落とす時には、もはや持ってはいないだろう「もの」。
(……子供が子供でいられる世界……)
 このまま子供でいられたならば、とピーターパンの本の世界に逃げ込みたい。
 それでは未来は掴めなくても、「失う」よりは幸せだから。
 子供の姿を失くすよりかは、今の姿でネバーランドに行く方が幸せに思えるから…。

 

         いつか失くすもの・了

※「大人になったシロエって、思い浮かばないな…」と、考えた所から出来たお話。
 原作ワールドには該当者なしで、どんな顔だか、マジで想像つかないんですけど…!








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「マツカ。…コーヒーを頼む」
 そう言ってからハッと気付いたキース。「もういないのだ」と。
 いったい何度目になるのだろうか、こうして呼んでしまうのは。
 可哀相なくらいに優しかったマツカ、彼の名前を。…もういない部下を。
(あいつは優しすぎたのだ…)
 どうして私などを庇った、と握った拳。机の下で。
 コーヒーのことは、今はもういい。
 他の部下を呼んで命じたならば、直ぐに届くと分かっていても。
 今は誰とも会いたくはないし、そういう気分。
 「マツカはいない」と気付く前なら、普段通りに執務の時間だったのに。
(……マツカ……)
 あれほど邪険に扱ったのに。
 彼が最後のミュウになったら、「殺すだろうな」とも脅したのに。
 それでもマツカは逃げもしないで、ただ忠実に仕え続けた。
 彼の仲間を、ミュウを宇宙から殲滅するべく、策を練り続ける上官に。
 血も涙も無いと評判の主に、誰もが恐れる「キース・アニアン」に。
(逃げようと思えば、幾らでも…)
 逃げ出すためのチャンスはあった。
 彼一人、仮に逃げた所で、戦況が変わるわけでもない。
 マツカに心は読ませていないし、得られる筈もない国家機密や軍の情報。
(もしも、マツカが逃げていたなら…)
 知らぬふりをしておいただろう。
 「私が命じた」と、許可なく発進した船を、誰にも追わせないように。
 マツカは極秘の任務を果たしに、単身、ミュウの拠点に向かって行ったのだ、と。
 それでマツカが戻らなくても、誰も不審に思いはしない。
 てっきり殉職したと考え、グランド・マザーも、また疑わない。
 そしてマツカは特進したろう、任務の途中で命を落としたのだから。


 実際、今ではそうなったマツカ。
 身を呈して国家主席を救った側近、そういう栄えある地位に置かれて。
 セルジュやパスカルたちに惜しまれ、「どうして逝った」と悲しまれて。
(…何故、その道を選んだのだ…)
 答えは分かっているのだけれども、「何故」と問わずにはいられない。
 自分はマツカに、「何もしてやらなかった」から。
 ただの一度も、素直な言葉を掛けてやりさえしなかったから。
 マツカの瞳の奥にいつもあったもの、頑なに「キース」を信じる心。
 どんなに冷たくあしらおうとも、厳しい言葉をぶつけようとも。
 いつだったか、口にしたマツカ。
 「本当のあなたは、そんな人じゃない」と、彼の心を占める思いを。
 珍しく、感情の昂るままに。
 それさえも切って捨てたのが自分、マツカは真実を言い当てたのに。
 誰にも読ませぬ心の内側、それを見抜いていたというのに。
(…あの時くらいは…)
 表情を動かすべきだったろうか、マツカに報いてやりたかったら。
 心の奥では「早く逃げろ」と、ミュウの母船へ行くよう促していたのなら。
 いずれ敗れるだろう人類、道を共にすることなどは無い。
 ミュウの母船に辿り着いたなら、彼らはマツカを船に迎えるだろうから。
(もっとも、私が言った所で…)
 マツカは、けして逃げたりはしない。
 きっと逆らい、声を荒げてでも国家騎士団に残っただろう。
 「これが任務だ」と命じたとしても。
 ミュウの母船に行くことが任務、「キース・アニアンからの最後の命令だ」と言い放っても。


 逃げ出すチャンスも、逃げる手段も、どれも使わずにマツカは残った。
 そればかりか、船に入り込んだミュウと…。
(戦った挙句に、殺されたのだ…)
 セルジュたちは、「部屋を破壊したのはミュウだ」と信じているけれど。
 そうとしか思えぬ有様だったけれど、自分には分かる。
 「マツカもあそこで戦ったのだ」と、「何もしないでいたわけがない」と。
 侵入者と戦い、サイオンを使い過ぎていたから、マツカは助からなかったろうか…?
 かつてミュウの母船から逃れた自分を、マツカはサイオン・シールドで…。
(やったことがない、と言いながらも…)
 包んで見事に救ったのだし、きっと能力は高かった筈。
 咄嗟にシールドを張れていたなら、マツカはその身を守れただろう。
 床に倒れて心肺停止の「キース・アニアン」をも、シールドの中に取り込んで。
 どちらも掠り傷さえ負わずに、侵入したミュウが他の兵士たちに見咎められて逃れるまで。
(そうしていたなら、きっとマツカは…)
 今もこの船で生きていたろう、コーヒーを淹れてくれたのだろう。
 「コーヒーを頼む」と言ったなら、直ぐに。
 あの穏やかな笑みを浮かべて、「熱いですから、気を付けて下さい」と。
 けれど、そのマツカはもういない。
 自分を庇って逝ってしまった、それは無残な死に様で。
 幾多の戦場を渡り歩いた自分ですらも、目を覆いたくなるような屍を晒して。
(…そうなって、なお…)
 マツカが「キース」を救ったことを知っている。
 死の淵の底へ沈んでゆくのを、マツカの手がグイと引き上げた。
 恐らく、あれは夢ではない。
 「キース、掴まえましたよ」と腕を掴まれたのは。
 「ぼくがあなたを死なせない」と、笑みを湛えていたマツカは。
 直後に自分が生き返った時、マツカは涙を流したから。
 「悲しんでくれた」と、思念(こえ)が聞こえた気がしたから。


(…どうして、あの時…)
 素直になれなかったのか。
 開いたままだったマツカの瞳、それをこの手で閉じてやったけれど。
 悲しみに顔を伏せたけれども、その後、自分が言った言葉は…。
(後始末をしておけ、と…)
 ただ、それだけ。
 「弔う」のではなくて「後始末」。
 マツカはその身を、命を捨てて、自分を救ってくれたのに。
 もっと早くに国家騎士団から逃げ出していれば、あそこで死にはしなかったのに。
(…何故、私は…)
 「冷徹な自分」を貫いたのか、あの時でさえも。
 ただの一兵卒ならともかく、ジルベスター以来の側近のマツカ。
 彼の死を悼み、「丁重に弔ってやるように」と命じた所で、誰も異議など唱えはしない。
 むしろ上がっただろう、「キース」への評価。
 「冷徹無比な破壊兵器でも、忠実な部下には厚く報いてやるらしい」と。
 今だからこそ、必要なものが求心力。
 他の部下たちからの忠誠、「この人にならばついてゆける」と思われること。
 「後始末を」などと言わなかったら、その方面での自分の評価は…。
(…間違いなく上がった筈なのだがな…)
 今の自分がそう考えるなら、平静であれば、きっと「そのように振舞った」だろう。
 マツカを失ってしまった悲しみ、それが心を覆わなければ。
 普段と同じに「冷静なキース」、そんな自分であったなら。
(私らしくもなかったのだな…)
 如何にも「キースらしく」見えたろう、あの自分は。
 長く仕えた側近の死さえ、「後始末を」と言い捨てて去った自分は。
 真に計算高かったならば、逆のことを口にした筈だから。
 マツカを丁重に弔うようにと、「後始末」などとは言いもしないで。


 動揺のあまり、選び損ねた言葉。
 傍目には「キースらしく」見えても、そうではなかった冷たい命令。
(…そのせいで、今も…)
 実感できない、「マツカがいなくなった」こと。
 忠実なセルジュやパスカルたちは、命令のままに動いたから。
 「後始末をと仰ったから」と、彼らが内輪で見送ったマツカ。
 破壊された部屋は他の者に任せて、マツカの亡骸を運んで行って。
(二階級特進の証なども…)
 添えてマツカを送ったのだろう、二度と戻らぬ死への旅路に。
 きっと何処かに墓標も作って、「ジョナ・マツカ」の名を刻んでやって。
(……私は、その場所さえ知らぬ……)
 「後始末」のことなど、報告されはしないから。
 あの部屋がまだ血まみれの内に、「マツカの死体は片付けました」と来たセルジュ。
 「これから部屋の修理であります」と、「当分は区画を閉鎖します」と。
(…何故、あの時に…)
 ただ頷いただけだったのか、愚かな自分は。
 「待て」と一声掛けさえしたなら、出られただろうマツカの葬儀。
 そして上がった「キース」の評価。
 「やはり閣下は素晴らしい人だ」と、「忠実な部下には報いて下さる」と。
 それが「勘違い」であろうとも。
 本当の所は「マツカだからこそ」、弔わねばと考えたのが「キース」でも。
(……行こうと思えば、行けたのだがな……)
 私は二度も間違えたのか、と今も悔やまれる自分の選択。
 「後始末を」と言い捨てたことと、マツカの葬儀の日時を尋ねなかったこと。
 間違えたせいで、今になっても…。


(いないことさえ、私には…)
 認識できないままなのだ、と悔やんでも悔やみ切れない思い。
 マツカがどれほど大切だったか、こうして思い知らされる度に。
 「コーヒーを頼む」と口にする度、それに答えが返らないままになる度に。
 どうして自分はこうなのだろうか、いつも間違えてしまうのだろうか。
(…シロエの時にも…)
 彼を見逃し損ねたのだ、と思いは過去へと戻ってゆく。
 「いつも、私は間違える」と。
 他に取るべき道を探らず、いつも間違え続けるのだ、と…。

 

        もういない者へ・了

※マツカがいなくなった後にも、「コーヒーを頼む」と言っていたキース。ごく自然に。
 なのに「後始末」という酷い言いよう、無理しすぎだよ、と。弱みを見せられないタイプ。








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(…しつこいんだから…)
 なんて機械だ、とシロエが叩いた机。
 E-1077の個室で、マザー・イライザが消え失せた後に。
 感情の乱れを感じ取ったら、「どうしましたか?」と現れる幻影。
 機械に監視されている証拠で、心まで盗み見ているそれ。
 怒りを口にしてはいないし、何かに記したわけでもない。
 けれど、何処からか読み取られる。心を乱してしまった時は。
(…機械なんかに…)
 何が分かる、と言いたいけれども、同期生たちは挙って褒め称える。
 このステーションのメイン・コンピューター、マザー・イライザの素晴らしさを。
 「あんなに優れた母親はいない」と、「何でも理解してくれている」と。
 成人検査で彼らが別れた、故郷の養母。十四年間、彼らを育てた母親。
 その母よりも「ずっと素晴らしい」と、「必要なものは全て与えてくれるから」と。
 慰めに励まし、時には叱って、皆を導くマザー・イライザ。
 名前の通りに「母」に相応しいと、彼女こそが「母親の鑑」だとも。
 所詮、機械だと思うのに。
 膨大なデータを持っているなら、何にでも答えを出せて当然だと思うのに。
(計算も出来ないコンピューターなんか…)
 出来損ないだよ、と嘲笑いたくもなるけれど。
 実際、笑ってやるのだけれども、そのイライザに悩まされる。
 何かあったら、母親面して現れるから。
 故郷の母に似せた面差し、それを持っている機械の幻影。
(…人が親しみを覚える姿で…)
 現れるように出来ているから、マザー・イライザは母に似ている。
 もう顔さえもおぼろにぼやけた、懐かしい母に。
 夢の中でしか、その顔立ちを見ることが出来ない、優しかった母に。


 マザー・イライザが現れた時に、心に幾らか余裕があったら、描き留める姿。
 母の姿に似ているのならば、絵を描く間に本当の母を思い出せるかもしれないから。
 ある日突然、「これがママだ」と思う姿を、描ける日が来るかもしれないから。
(でも、あれは…)
 母の姿を真似てみせるだけの、忌まわしい機械。
 幻影が現れるのはまだマシな方で、コールを受けてしまった時には…。
(…呼び出される度に、何か失う…)
 そう確信している、イライザのコール。
 マザー・イライザが姿を現す、ガランとした部屋。女性の彫像が置かれた場所。
 大理石のように見える室内、其処が一面の草原のようになったなら…。
(ベッドが出て来て、其処に寝かされて…)
 眠りなさい、と命じる言葉に逆らえない。
 どう頑張っても、歯を食いしばって抗ってみても、引き摺り込まれる眠りの淵。
 歌うように響く、マザー・イライザの声。
 「導きましょう」と。
 より良い道へ進めるようにと、「それが私の役目ですから」と。
 コールを受けて呼ばれた者たち、彼らは誰でも口を揃えてこう言うもの。
 「コールの後では心が晴れる」と、叱られた時でも晴れやかな顔で。
(…そりゃあ、軽くもなるだろうね)
 マザー・イライザは、「悩みの種」を心から消してしまうのだから。
 時には悩みがあったことさえ、分からなくなるほどだから。
(呼ばれて喜ぶ奴らはいいけど、ぼくの場合は…)
 失うものが多すぎるんだ、と噛んだ唇。
 コールの度に薄れて消えてゆく記憶、辛うじて心に残っていたもの。
 成人検査を受けるよりも前に、自分が心に刻んだもの。
 それが少しずつ消えてゆくのは、マザー・イライザが端から消してゆくからなのだ、と。


 なんとも忌々しい機械。
 心を盗み見、記憶まで奪ってゆくコンピューター。
 どうして此処の候補生たちは、あんな機械に従えるのか。
 従うどころか、「母親のように」慕えるのか。
 けれど、そう思うのは、どうやら自分一人だけ。怒り、苛立つのも自分だけ。
 そんな自分を従わせようと、あの手この手のマザー・イライザ。…そう、今日のように。
 「どうしましたか?」と親切そうに現れてみては、心に入り込もうとして。
(…ぼくは、機械に隙なんか…)
 見せるもんか、と握り締める拳。
 心の弱さを見せたら負けると、大切なものを失うだけだと。
 成人検査で、テラズ・ナンバー・ファイブに記憶を奪われたように、きっと此処でも。
 ある日、気付いたら、両親や故郷を懐かしむ心も、すっかり失くしているだとか。


 他の候補生たちがどうであろうと、ぼくは機械に懐きはしない、と誓った心。
 友達の一人もいないままでも、かまわないから、と思って生きて。
(…迷える子羊…)
 とある講義で、耳慣れない言葉を聞かされた。
 エリート候補生を育てるためには必須の科目の、宗教学概論。
 機械が治める時代とはいえ、人には「神」が必要なもの。
 その「神」について教える講義で、教官が話した聖書の一節。
(百匹の羊を飼っている人がいて、その中の一匹が迷子になって…)
 行方不明になってしまったなら、残りの九十九匹を置いて、探しに行くのが神だという。
 何処に行ったか分からない羊、それを探しに。
 あちこち探して見付け出したら、その一匹のために「とても喜ぶ」ものだとも。
 それほどに神は慈悲深いもの、というのが講義のポイント。
 人間は誰もが神の羊で、神は「心優しき牧者」だとも。
(……神様ね……)
 本当に神がいると言うなら、救って欲しいと心から思う。
 機械の言いなりになって生きる人生、こんな地獄から一刻も早く。
 自分以外の九十九匹、それが安穏と暮らしているなら、彼らのことは放っておいて。
 今も荒野を彷徨い続ける、迷ってしまった「セキ・レイ・シロエ」という羊を。



(だけど、神様は助けになんか…)
 来やしない、と部屋に帰っても波立つ心。
 神様よりかは、きっと頼りになると思えるのがピーターパン。
 夜空を飛んで来てくれる彼は、神よりもずっと頼もしい。
(ピーターパンは子供の味方で、ネバーランドに連れてってくれて…)
 羊を飼ってる神様よりも、本当に頼りになるんだから、と思った所で気が付いた。
 百匹の羊を飼っている神と、其処から迷い出た一匹の羊。
(…マザー・イライザと、ぼくみたいだ…)
 九十九匹の羊は大人しく群れているのに、行方不明の羊が一匹。
 好奇心旺盛な羊だったか、はたまた何かに驚いたのか。
 いずれにしても群れを離れて、放っておいたら狼の餌食かもしれないけれど…。
(羊には羊の都合ってヤツが…)
 存在しないとどうして言える、という気分。
 マザー・イライザが羊飼いなら、自分だったら全力で逃げる。
 逃げ出した先が荒野であろうと、狼の遠吠えが響こうとも。
(…食べる草なんかは何処にも無くって、飢えて死んでも…)
 このまま飼われて、記憶を全て失うよりかは、ずっといい。
 狼の餌食になったとしたって、懐かしい故郷を、両親の記憶を失くさないままで死ねるなら。
(飼われたままだと、いつか何もかも…)
 失くしそうだ、と恐れる自分。
 だから抗い、逆らうけれど。
 マザー・イライザを嫌うけれども、追って来るのが憎らしい機械。
 何処へ逃げようとも、「どうしましたか?」と。
 幻影を見せて追って来る日や、コールサインで呼び出される日や。


 本当に恩着せがましい機械。
 迷い出た羊は放っておいてくれればいいのに、しつこく探しに来る機械。
(…そんな機械に懐いてる奴は…)
 羊なんだ、と掠めた思い。
 「此処にいるのは、みんな羊だ」と、「マザー牧場の羊なんだ」と。
 神に飼われた羊だったら、まだしもマシな気がするけれど。
 人間は誰でも神の羊ならば、それに異論は無いけれど。
(…神様ならいいけど、機械に飼われている羊なんか…)
 ただの屑だ、と思えてくる。
 機械の言いなりに生きている羊、自分自身の考えさえも無さそうな「群れた羊」たち。
 マザー・イライザが導くままに、右へ左へと歩いてゆく。
 九十九匹で群れを作って、行方不明の一匹のことは考えもせずに。
(…羊だよね…)
 此処にいる候補生たちは、と唇に浮かべた皮肉な笑み。
 マザー・イライザが連れ歩く羊、「マザー牧場の羊」たちが暮らすステーション。
 連れて来られて間もない間は、群れから離れてゆきそうな羊もいるけれど…。
(じきにイライザに飼い慣らされて…)
 マザー牧場の羊になるんだ、とクックッと笑う。
 「そんな道は、ぼくは御免だね」と。
 神が羊を飼っているなら、その羊でもいいけれど。
 機械仕掛けの羊飼いには、けして自分は懐きはしない。
 一匹だけ群れをはぐれた挙句に、荒野で飢え死にしようとも。
 狼の牙に喉を裂かれて、血染めの最期を遂げようとも…。

 

        イライザの羊・了

※シロエと言えば「マザー牧場の羊」発言ですけど、羊なんか何処で見たんだろう、と。
 エネルゲイアに羊の群れはいそうにないし、と思った所から出来たお話。羊ならば聖書。







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(……サム……)
 やはり無理なのか、とキースが握り締めた拳。ノアの自室で。
 国家騎士団総司令から、元老院入りを果たしたけれど。
 今はパルテノンに集う元老の一人だけれども、そうなった理由。
 初の軍人出身の元老、表向きはパルテノンの元老たちの要請。「求心力のある指導者を」と。
 「腑抜けた老人たちも、ようやく目を覚ましたようだ」と思ったそれ。
 必要とされての抜擢なのだと、ならば期待に応えなくては、と。
(頑張らねば、と思ったのだが…)
 初めてパルテノンに行ったら、その場で分かった。「誰も歓迎していない」こと。
 自分を元老に推した人物、そんな者などいはしなかった。誰一人として。
(…全てはグランド・マザーの采配…)
 人類の聖地、地球に座している巨大コンピューター。SD体制の時代を支配する機械。
 グランド・マザーが自分を元老の一人に選んだ。
 未来の国家主席として。…人類を導く指導者として。
(私を作らせたのも、グランド・マザー…)
 理想の指導者を作り出すため、無から合成された塩基対。
 三十億ものそれを繋いで、マザー・イライザが紡いだDNAという名の鎖。
 自分は其処から作り出されて、サムを、シロエを糧に育った。
 ミュウの長、ジョミー・マーキス・シンと幼馴染だったサム。
 それに、ミュウ因子を持っていたシロエ。
 サムの心はミュウに壊され、シロエは自分がこの手で殺した。船を落として。
(…サムも、シロエも…)
 きっと自分と関わらなければ、壊れも死にもしなかったろう。
 ミュウのシロエも、恐らくは器用に生き延びた筈。
 彼ほどの頭脳を持っていたなら、可能だろうと思うから。
(…マツカでも生きているのだからな…)
 シロエだったら、自分で上手く生きただろう。
 SD体制の枠から逃れた反乱軍でも指揮していたか、あるいは気ままな海賊なのか。
 どの道だろうと、生きただろうシロエ。…そして壊れはしなかったサム。


 自分のせいだ、と何度思ったことか。
 廃校になったE-1077、シロエに言われたフロア001。
 卒業までには行けずに終わって、何があるかも知らなかった場所。
 グランド・マザーに処分を任され、赴いた時に全てを知った。
 自分の生まれも、サムとシロエの役割も。…二人が自分の糧だったことも。
(そうやって私を育て上げて…)
 いよいよ人類の指導者として立てというのが、グランド・マザーの意向で命令。
 従うしかない道だけれども、そのための策も練ったのだけれど…。
(これを実行に移す時には…)
 捨ててゆかねばならないノア。人類が最初に入植した星。今の宇宙の首都惑星。
 ノアの価値は、この際、どうでもいい。
 その策でミュウに勝てさえすれば。
 ソル太陽系に布陣した上で、ミュウの艦隊を迎え討ち、そして滅ぼせたなら。
(…しかし、このノアは…)
 下手をしたなら戦場になる。
 国家騎士団も、人類統合軍の艦隊も、全て自分がソル太陽系に展開させるけれども…。
(艦船を持たない軍人どもは…)
 ノアに残るから、彼らがミュウをどう扱うか。
 戦わずして降伏だろうと読んでいたって、蓋を開けねば分からない。
 頑迷な者が一人いたなら、己の力を過信している者がいたなら、来るだろう破局。
 勝てもしないのに、ミュウの母船にミサイルの一つでも撃とうものなら…。
(ミュウどもも容赦しないだろうしな)
 血も涙も無い、と今や評判のミュウの長。
 降伏を伝えた救命艇さえ、容赦なく爆破したジョミー・マーキス・シン。
(私も大概、冷徹な破壊兵器と言われたものだが…)
 今のあいつはそれ以上だな、と感じるジョミーの揺るぎない意志。
 「人類軍は全て敵だ」と断じて、躊躇いもせずに殺してゆく。
 彼がいる船にミサイルを撃てば、たちまち焼かれるだろうノア。
 メギドほどではないだろうけれど、ミサイルを撃った基地の辺りは破壊し尽くされて。


 きっとそうなる、と分かっているから、その前にサムを逃がしたかった。
 何処でもいいから、ミュウが来そうにない星へ。
 ミュウは地球へと向かっているから、逆の方へと逃せばサムは巻き込まれない。
 愚かな輩が起こした戦い、負け戦だと最初から見える戦争には。
 けれども、今日も届いた報告。サムの病院の主治医から。
(今の状態のサムを移送するのは…)
 危険すぎる、と唱え続ける医師。何度確かめても、日を改めて問い合わせても。
 このままでは置いてゆくしかないサム。
(…動かすことさえ出来たなら…)
 安心してノアを離れられるのに。
 他の者たちの命はともかく、サムの命を救えるのなら。
 サム一人だけでも、安全な場所に逃げ延びていてくれるのならば。
(だが、そう簡単には…)
 いかないのだな、と覚悟を決めるしかない自分。
 サムのために計画を変更出来はしないし、グランド・マザーも承認することはないだろう。
 個人的な感情で動くことなど、グランド・マザーは良しとはしない。
 それをしたなら、未来の国家主席といえども、失脚するのか、降格なのか。
(…そうなった時は、マツカさえも守り切れなくなるからな…)
 もしもマツカがミュウだと知れたら、即座に処分されるだろう。
 問答無用で撃ち殺されるか、収容所にでも送られるのか。
 それではサムも悲しむだろうし、シロエも悲しむに違いない。
(マツカも守れなかったのかよ、とサムなら言うな…)
 悲しそうな顔で、「何してんだよ」と。
 シロエも同じに言うのだろう。皮肉を少しも交えることなく、「どうしたんです?」と。
(先輩らしくもありませんね、と私を見据えて…)
 どうしてその道を選んだのかと問うことだろう。
 「マツカを生かして側に置いたこと、ぼくは評価していたんですけどね?」と。
 「なのに最後にどうしたんです」と、「守ると決めたら、守るべきだったでしょう?」と。


 マツカを安全に生かしたいなら、自分自身の身を守ること。
 グランド・マザーの意に背かないこと。
(…すまない、サム…)
 どうやら逃がしてやれそうもない、と噛んだ唇。
 もはや打つべき手など無いから、ノアは捨てるしかないのだから。
 サム自身の運に賭けるしかなくて、運良くノアが戦場にならずに済んだなら…。
(ミュウどもの艦隊を滅ぼした後で…)
 見舞いに行ってやるからな、と心で詫びる。
 そして手にした、サムに貰った「お気に入り」のパズル。
 …あの日からサムに会えてはいない。「あげる」と渡され、貰った日から。
(みんな友達…)
 そう言ってサムはパズルをくれた。人のいい笑顔で。
 サムは「友達」にこれをくれたのか、それともパズルに飽きただけなのか。
(キース、スウェナ、ジョミー…)
 あの時、サムが口にした名前。
 木の枝に止まった三羽の小鳥を、白い小鳥を順に数えて。
 「みんな、元気でチューか?」とも言った。
 遠い昔にE-1077で、ナキネズミのぬいぐるみを手にして、そう言ったように。
(…サムは一瞬、戻って来たように思うのだがな…)
 戻って来たから、「友達」の自分にパズルをくれた。そんな気がする。
 そうだったのだと思うけれども、あの日のサムが持っていたもの。
 小さな望遠鏡のようにも見えた万華鏡。
(あれがサムの新しいお気に入りで…)
 パズルには飽きて、もう要らないから、昔馴染みの「おじちゃん」に譲ってくれただろうか。
 何度も見舞いに来てくれるから、サムが気に入った「赤のおじちゃん」。
 国家騎士団の制服のせいで、自分は「赤のおじちゃん」になった。
 サムの心は子供に戻って、同い年の筈の自分が年上に見えているものだから。
 子供のサムから眺めた自分は、「友達」ではなくて「おじちゃん」だから。
 その「おじちゃん」にパズルをくれたか、飽きたから譲っただけなのか。それすらも謎。


(くれたのだと思いたいのだが…)
 あの日から一度も会えていないし、確かめる術を持たないまま。
 サムに会えたら、パズルを見せて訊いてみるのに。
(借りっ放しで悪かったな、と…)
 差し出したならば、どんな表情が返るのか。
 「ぼくのパズル!」と引っ手繰るのか、「おじちゃんのだよ?」と笑顔になるか。
 その時にサムが、あの万華鏡の方に夢中でも…。
(おじちゃんのだよ、と言ってくれたら…)
 どんなに嬉しいことだろう。
 サムと心が繋がったようで、遠い昔に戻れたようで。
(頼むから、死なずに生きていてくれ…)
 私がノアに戻れる日まで、と僅かな希望を未来に抱く。
 時代がミュウへと味方していても、「負ける」と決まったわけではない。
 勝ちを収めたなら、戻れるノア。そして再会できるサム。
(白のおじちゃん、とポカンとしてくれたらな…)
 楽しいのだが、と眺めた元老の衣装。
 「赤のおじちゃん」の赤い制服は、もう着ないから。今では白い服だから。
 サムも自分も生き延びたならば、この服でサムに会いに行こう。パズルを持って。
 「元気にしてたか?」と、「白のおじちゃんになったんだぞ」と。
 その日が訪れてくれたらいい。
 サムを置いてノアを離れるけれども、「白のおじちゃん」がサムの見舞いにまた行ける日が…。

 

           置いてゆく友へ・了

※「白のおじちゃん」になったキースは、サムに会えたのか、会えなかったのかが謎。
 会えなかった可能性も高いんだよね、と考えたトコから出来たお話。どうだったんでしょう?








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(あと三年と…)
 何ヶ月なんだ、とシロエが部屋で折ってみた指。
 このステーション、E-1077を卒業できる日までの日数は、と。
(…まだ、かなり先…)
 それでも昨日よりかは一日減った、という気分。
 たまに、こうして夜に数える。思い立った日に、残りの日々を。
 毎日などは、とても数えていられない。そんなことをしたら、持たない神経。
 「気が強いシロエ」を演じてはいても、本当の中身は「子供時代のまま」だから。
 両親の姿を夢に見た日は、「パパ、ママ…」と涙を零すような子供。
 その大切な両親の記憶を機械に消されて、もうどのくらい経つだろう。
 目覚めの日から今日までの日数、それを四年から引いた残りが「卒業できる日」までの日数。
 悲しい数字を伴う計算、毎日のようにやりたくはない。
 そうでなくても、今は地獄の日々だから。生き地獄を生きているのだから。
(…マザー・イライザ…)
 今も何処かで監視している、あの憎い機械。
 母の姿を真似て現れる、恩着せがましいコンピューター。
 今の自分は「あれ」の言いなり、従わされて生きてゆくしかない。
 どんなに抗い、逆らってみても、「従っている」自分の姿が見えてくる。
 少しばかり距離を置いたなら。…今の「自分」を見詰めたら。
 優秀な成績を収めたならば、マザー・イライザの思惑通り。憎い機械の意のままの自分。
 E-1077というステーションは、エリートのための最高学府。
 より優秀な者が出るほど、マザー・イライザの評価が上がる。
 機械に鼻は無いのだけれども、鼻高々になるマザー・イライザ。
 優秀な生徒が現れる度に、素晴らしい候補生たちを育てて、此処から送り出す度に。


 そう、自分だって、マザー・イライザの手駒の一つ。
 マザー・システムを痛烈に批判してみても、成績優秀な生徒だったら…。
(…ぼくをコールして、叱ったことさえ…)
 地球の上層部に隠しておいたら、マザー・イライザは無失点。
 むしろ褒められもするだろう。
 地球を治めるグランド・マザーに、「よくやりました」と。
 「そのままシロエを育てなさい」と、「今後に期待しています」とも。
 じきに卒業するキース・アニアン、「機械の申し子」と呼ばれるほどの未来のメンバーズ。
 彼の成績を幾つも抜いた自分は、どう考えても「優秀」だから。
 キースよりも四年遅れて此処を出てゆくエリート、そうなるだろう理想の候補生。
 いい成績を取れば取るほど、マザー・イライザを喜ばせる。
(ぼくの態度を隠しさえすれば…)
 二人目のキースとも呼べるエリート、それを「育成中」だから。
 反抗的な今の態度も、「いずれ収まる」と思っていそう。
 何度もコールを繰り返していれば、思いのままに導いたなら。
 逆らおうと足掻き続ける激しい感情、それに終止符を打てたなら。
(そう簡単に…)
 言いなりになんかなりやしない、と唇をきつく噛むけれど。
 機械に操られてたまるものかと思うけれども、きっと今日だって「喜ばせた」。
 キース・アニアンが残した記録を、また一つ自分が塗り替えたから。
 E-1077始まって以来の点数を取って、教官に褒められたのだから。


(ぼくは、マザー・イライザを喜ばせるために…)
 勉強しているわけじゃない、と叫んでみたって、結果が全て。
 「セキ・レイ・シロエ」という優秀な候補生、それを擁するステーション、E-1077。
 グランド・マザーへの報告の度に、マザー・イライザは得意満面だろう。
 「キースの次にはシロエがいます」と。
 「四年後にはシロエを送り出します」と、「優秀なメンバーズになってくれるでしょう」と。
 自分の成績が上がってゆくほど、マザー・イライザの評価も上がる。
 つまりはマザー・イライザの手駒、キースと何処も変わりはしない。
(従順な生徒か、そうでないかというだけで…)
 このステーションから送り出せたら、マザー・イライザには「同じこと」。
 とても優秀なメンバーズを育て、無事に卒業させたのだから。
 将来の地球を導く人材、それを「二人も」送り出したことになるのだから。
(…ぼくが勉強すればするほど…)
 マザー・イライザを喜ばせる。…マザー・イライザの評価が上がる。
 なんとも皮肉な話だけれども、それが真実。
 「いつか機械に復讐する」ために積んでいる努力、懸命に目指すメンバーズ。
 その先に続くだろう道だって、順調に歩むつもりだけれど。
 キースを追い越し、蹴落としてやって、国家主席に昇り詰めるのが目標だけれど。
(…国家主席になって、機械を止める時まで…)
 機械に奪われた記憶を取り戻す日まで、きっと傍目には「機械の言いなり」。
 上手く躱して生きていたって、機械の目から見たならば…。
(…成績優秀な候補生の後は、とても優秀なメンバーズ…)
 そういう存在でしかない自分。
 ドロップアウトでもしない限りは、マザー・イライザの「自慢の生徒」。
 何処まで行っても「マザー・イライザが育てた生徒」で、その烙印は消えてくれない。
 いつか機械に牙を剥くまで、機械に「止まれ」と命じる日まで。


 まだ三年と何ヶ月もある、此処での日々。
 マザー・イライザに力ずくで抑え込まれる屈辱、それに歯を食いしばって耐える年月。
 ようやっと自由になれる日が来ても、今度はグランド・マザーが来る。
(メンバーズは、グランド・マザーの直属…)
 どんな形で抑えに来るのか、果たして自分は逆らえるのか。
 今でさえもマザー・イライザの手駒、抗い、もがき続けていても。
 力の限りに逆らっていても、結果だけを見れば「マザー・イライザの勝利」でしかない。
 マザー・イライザの評価が上がって、喜ばせているだけだから。
 いい成績を取れば取るほど、そうなるから。
(…それと同じ日々が、これから先も…)
 無限に続いてゆくのだろうか、このステーションを卒業したら…?
 メンバーズになって、グランド・マザーの直属の部下になったなら…?
(……嫌だ……)
 今の地獄がまだ続くなんて、とギュッと拳を握ったけれども、それ以外には見えない道。
 もしもドロップアウトしたなら、地球への道は開けない。
 国家主席になれはしなくて、失くした記憶は取り戻せない。
 機械に「止まれ」と命じる力も、その権限も、持てずに何処かで力尽きるだけ。
 ただのつまらない軍人になるか、教官にでもなって終わりの人生。
(…それだと、本当に機械の言いなり…)
 生きた証もありやしない、と思ってはみても、それが嫌なら地獄への道。
 いつ果てるとも知れない道を、ひたすら歩んでゆくしかない。
 E-1077で三年と何ヶ月かを過ごして、卒業したらメンバーズ。
 マザー・イライザの手から自由になったら、今度はグランド・マザーの手の中。
 そうしてもがいて、もがき続けて、いつになれば自由になれるのだろう?
 いったい何年、茨の道を歩き続ければいいのだろう…?


(…考えただけでも、気が滅入りそうだよ…)
 此処での三年と何ヶ月かの残り日数、それさえも「永遠」に続くかのように見えるのに。
 まるで果てのない道に見えるのに、まだその先へと続く地獄の日々。
 いくら歩いても終わりが見えない、「機械の手駒」として生きてゆく道。
 それに自分は耐えられるのか、上手く歩んでゆけるのか。
(……歩くしかないなら、歩くけれども……)
 誰か終わりを教えて欲しい、と折ってみる指。
 何年耐えれば、国家主席になれるのか。
 子供時代の記憶を全て取り戻して、憎い機械を止められるのか。
(…それさえ分かれば…)
 まだ耐えようもあるというのに、と考えてみても、見えない「終わり」。
 自分の未来は果てのない地獄、E-1077を卒業しても。
 メンバーズの道に足を踏み入れ、エリートとして歩み始めても。
(……全部、傍目には機械の言いなり……)
 そして機械が得をするだけ、と分かっていたって、歩くしかない。
 この屈辱にまみれた道を。
 機械に頭を押さえつけられ、這いつくばって進む、泥の中に伸びてゆく道を。
 いつか見えるだろう「終点」までは、此処から逃れられないから。
 国家主席になりたかったら、機械の手駒として生きる他には、道は何処にも無いのだから…。

 

          機械の手駒・了

※本当は別の意味で「マザー・イライザの手駒」だったシロエ。連れて来られた時から。
 けれどシロエは知らないわけで、いい成績を取れば取るほど地獄。機械の手駒。








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