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カテゴリー「地球へ…」の記事一覧

(此処からは、何も…)
 見えやしない、とシロエが見渡した部屋。
 教育ステーション、E-1077で与えられた個室。
 とうに夜更けで、「外」だったならば星が瞬いていることだろう。
 宇宙に浮かんだステーションではなくて、何処かの惑星の上だったなら。
 けれど、此処では瞬かない星。
 真空の宇宙に光る星たちは、それぞれの場所で「輝く」だけ。
 大気が無ければ、星はそうなる。
 チラチラと瞬くことさえ忘れて、ただ光だけを放ち続けて。
 その星たちの中に、クリサリス星系もあるのだろうか。
 エネルゲイアがあった育英惑星、アルテメシア。
 それを擁するクリサリス星系、その中心で輝く恒星。
 「あれが故郷だ」と分かる光は、星たちの中にあるのだろうか…?
(…あったとしたって…)
 たとえ此処から見えたとしたって、「この部屋」からは何も見えない。
 個室には「窓が無い」ものだから。
 そういう構造になっているから、誰の部屋にも窓は無い筈。
 覗きたくても覗けない外、窓の向こうにあるだろう宇宙。
 漆黒のそれを目にするチャンスは、ステーションの外での無重力訓練などを除けば…。
(…食堂の窓くらいしか…)
 候補生が見られる場所も、機会も無いと言っていいだろう。
 星が瞬かない宇宙。
 何処までも暗い闇の色が続く、果てしなく深い宇宙を見ることが出来る場所は、あそこだけ。
 だから、此処から宇宙は見えない。
 故郷があるだろう星も見えない、「あれがそうだ」と探したくても。


 このステーションに連れて来られた直後。
 成人検査で記憶を奪われ、ピーターパンの本だけが支えだった頃。
 窓の有無など、どうでも良かった。
 どうせ故郷には「帰れない」から、「見えはしない」とも思ったから。
 …あまりに悲しすぎたから。
 失ったものがとても大きくて、帰れない過去が多すぎて。
 まるで心に穴が開いたよう、何もかも失くしてしまったかのよう。
 呆然と日々を過ごす傍ら、懸命に勉学に打ち込んだ。
 そうすればいつか、道が開けるかもしれないと。
 今の世界が「おかしい」のならば、「ぼく自身が、それを変えてやる」と。
 いつの日か地球のトップに立つこと、機械に「止まれ」と命じること。
 それだけを夢見て、自分を何度も叱咤する中、ある日、気付いた。
 「此処は牢獄だったんだ」と。
 マザー・イライザが見張る牢獄、けして此処からは逃れられない。
 何処へ逃げようとも、マザー・イライザの手のひらの上。
 このステーションにいる限り。
 E-1077で生きてゆく限りは。
(……牢獄ね……)
 それなら窓があるわけもない。
 囚人に「外」の世界は要らない、見せない方がマシというもの。
 見せれば、出ようとするだろうから。
 自由を求めて足掻き始めて、きっとろくでもないことをする。
(ずっと昔は…)
 食事のためにと渡されたスプーン、それで脱獄した者さえもいた。
 独房の床を、スプーンで少しずつ掘って。
 掘った穴はいつも巧妙に隠し、掘り出した土は…。
(外で作業をする時に…)
 衣服の中に隠して運んで、捨てたという。穴の存在が知られないように。


(……此処じゃ、スプーンで掘ったって……)
 外の世界に出られはしない。
 出られたとしても、その瞬間に潰える命。
 真空の「外」で、人間は生きてゆけないから。
 一瞬の内に死んでしまって、屍が残るだけなのだから。
(…それでも、此処に窓があったら…)
 きっと故郷が見えただろう。
 今も両親が暮らしている星、アルテメシアを連れた恒星。
 その輝きが窓の向こうにあったのだろう、瞬かない星たちの中に混じって。
(…パパ、ママ……)
 家に帰りたいよ、と心の中で呟いてみても、届きはしない。
 クリサリス星系が此処から見えても、其処に声など届けられない。
 けれど見えたら、どんなにか…。
(……懐かしくて、あそこにパパとママがいる、って……)
 毎夜のように、そちらばかりを見るのだろう。
 スプーンで掘っても、外に出ることは出来なくても。
 遠い故郷へ帰りたくても、其処へ飛んでゆく術が無くても。
 きっと焦がれて焦がれ続けて、ある日、割りたくなるかもしれない。
 故郷の星が見えている窓を。
 真空の宇宙と中を隔てる、強化ガラスで作られた窓を。
(割った途端に…)
 中の空気は吸い出されるから、投身自殺をするようなもの。
 死ぬと承知で、高層ビルの窓から外へ飛ぶのと同じ。
 自由になれたと思う間もなく、命は潰えているのだろう。
 ほんの僅かな自由を手に入れ、それと引き換えるようにして。
 空を舞ってから地面に落下するように、真空の宇宙に押し潰されて。


 それでも、と思わないでもない。
 もしもこの部屋に窓があったら、「ぼくは飛ぶかもしれない」と。
 懐かしい故郷に近付けるなら、と漆黒の宇宙へ身を投げて。
(…そのために窓が無いのかも…)
 ぼくのような生徒が外へ飛ばないように、と考える。
 その気になったら、強化ガラスを叩き割ることは出来るから。
 現に自分が持っている工具、それの一つで殴り付ければ、ガラスは微塵に砕けるから。
(…自殺防止って…?)
 ふざけるなよ、と言いたい気分。
 自分は「自殺」などしない。
 この牢獄から「逃げたい」だけで、「自由になった」結果が「死」になるだけ。
 強化ガラスの窓を割っても、きっと後悔などしないだろう。
 「ぼくは自由だ」と夢見るように、瞬かない星を見るだけで。
 「あそこにパパとママがいるんだ」と、「ぼくはこれから帰るんだから」と。
 帰ってゆくのが魂だけでも、自由があるならそれでい。
 この牢獄から逃げ出せるのなら、何処までも飛んでゆけるのならば。
(飛んで行ったら、家に帰れて…)
 もっと飛んだら、ネバーランドに着けるだろうか。
 ネバーランドよりも素敵な地球へも、此処から飛んでゆけるのだろうか。
 この部屋に「窓」がありさえしたら。
 窓の向こうに故郷を見付けて、焦がれ続けて、ある日、「飛んだ」ら。
 強化ガラスの窓を叩き割り、その向こうへと。
 高い窓から身を投げるように、漆黒の宇宙(そら)へ飛び出したなら。
(……きっと、飛べるに違いないんだ……)
 そんな気がしてたまらない。
 窓の向こうには、「自由」が待っているだろうから。
 牢獄の外に、マザー・イライザはいないのだから。


 叩き割ったら外に出られるのは、食堂にある窓でも同じ。
 とても大きな窓を割ったら、たちまち宇宙に放り出されることだろう。
(…でも、あそこだと…)
 死んで終わりで、宇宙を何処までも飛んでゆけはしない。
 あの場所だったら、大勢が見ているのだから。
 「セキ・レイ・シロエが何かしている」と、「まさか、あの窓を割るのでは」と。
(どうせ、あいつらなんかには…)
 逆立ちしたって分かりはしない。
 どうして自分が窓を割るのか、窓の向こうに何があるのか。
 騒ぐ生徒は野次馬ばかりで、誰も分かってなどくれない。
 どんなに自分が「飛んで」ゆきたいか、どうして「窓を割りたい」のか。
(…そんな所で宇宙に放り出されても…)
 無駄に屍を晒すだけのことで、きっと「自由」は手に入らない。
 本当に自由が欲しいのだったら、「誰もいない」場所で飛び立つこと。
 「誰も止めない」、「誰も騒ぎはしない」所で。
 ただ一人きりの場所で窓を割ったら、迎えが飛んで来るのだろう。
 幼い頃から、待って、待ち焦がれたピーターパンが。
 背に翅を持ったティンカーベルが。
(妖精たちは宇宙を飛べなくたって…)
 「窓を割った向こう」にある宇宙ならば、彼らもきっと自由に飛べる。
 そうして、此処に来るのだろう。
 「ネバーランドへ、地球へ行こう」と。
 クリサリス星系にも寄ってゆこうと、「お父さんとお母さんにも会って行こう」と。
(……此処に窓さえあったなら……)
 ぼくは自由を手に入れるのに、と「ありもしない窓」に恋い焦がれる。
 「此処は牢獄なんだから」と、だから窓さえありはしない、と唇を噛んで。
 窓の向こうは、きっと自由な世界だから。
 其処に向かって身を投げたならば、何処までも飛んでゆけそうだから…。

 

           逃れたい窓・了

※いや、E-1077の個室って「窓」が無いよな、と思ったわけで。多分、構造上の問題。
 けれど「無い」なら、見えないのが「外」。こういう話になりました、はい…。









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(ジルベスター・セブンか…)
 こんなことが無ければ、日の目を見ることも無かったろうに、とキースは思う。
 其処へと向かう船の一室で。
 けれど、直接ジルベスター星系へと飛ぶ船は無い。軍の船でさえも。
 まずはソレイド軍事基地に飛び、ジルベスター星系に向かう船を得ること。
 でないと辿り着けないくらいに、その星は遠い。
(百五十年ほど前に、テラフォーミングを断念した星…)
 人類は撤退、そしてジルベスター・セブンは破棄された。
 入植は二度と試みられずに、今もそのままだという星。
 ジルベスター星系の第七惑星。二つの太陽を持つ、赤い星がそれ。
(行ってみないことには分からないが…)
 間違いなくMは其処にいる、と確信に近いものがある。
 かつては目撃情報が相次いでいた、「宇宙鯨」。
 スペースマンたちの間の伝説、暗い宇宙を彷徨う鯨。
 異星人の船とも、本物の鯨だとも言われる物体。「見れば願いが叶う」とまで。
(だが、あれは…)
 けして本物の鯨ではない。
 異星人たちを乗せた船でもない。
 その正体はMの母船で、「モビー・ディック」の通り名がある。
 軍に所属し、追った経験を持つ者ならば分かる。「あれがそうだ」と。
 けれども、絶えた目撃情報。
 この四年ばかり、「宇宙鯨」を見た者はいない。
 それとピタリと重なるように、ジルベスター星系で事故が頻発するようになった。
 グランド・マザーが導き出した答えは「M」。
 彼らが其処に潜んでいると、モビー・ディックはジルベスターにいるのだと。


 Mと呼ばれる異分子、ミュウ。
 彼らは排除すべき存在、だから自分が派遣された。
 ジルベスターへと、ミュウの拠点を探しに。
 見付け次第、彼らを滅ぼすために。
(奴らが、サムの心を壊した…)
 事故に遭った者たちの名簿の中に、見付けた名前。
 E-1077で一緒だった友、サム・ヒューストン。
 彼の病院を見舞ったけれども、「友達」のサムは「いなかった」。
 かつて「友達だろ?」と何度も呼び掛けてくれた、人のいい友は。
(……十二年ぶりに会ったというのに……)
 サムは子供に返ってしまって、ステーション時代を忘れていた。
 彼は今でも「アルテメシアにいる」つもり。
 故郷なのだと語った星に、「成人検査で別れた筈の」父や母と一緒に。
(サムをあんな風にしてしまったのは…)
 明らかにミュウで、恐らく彼らの思念波攻撃。
 思念波が如何に恐ろしいかは、E-1077にいた時に知った。
 ステーション中の人間たちが皆、「一時的に子供に戻った」ほど。
 保安部隊の者たちまでもが、無邪気に遊び続けていた。「存在しない」オモチャを持って。
 あれと同じに、サムも「壊された」のだろう。
 至近距離で思念波を浴びせられたか、あるいは捕らえられたのか。
(船の航行記録は消されて…)
 何も残っていなかった。
 サムと一緒にいたパイロットは、サムのナイフで殺されていて…。
(…サムが錯乱して、チーフ・パイロットを殺してしまった、と…)
 報告書には記載されていた。
 自分が知っていたサムだったら、間違っても人は殺さないのに。
 たとえ自分が襲われたって、「殺してしまうほど」の反撃などはしないだろうに。


 そうは言っても、結果が全て。
 サムは「人殺し」で、「正気ではない」から「無罪」なだけ。
(ミュウどもめ…)
 よくもサムを、と「人殺し」だという濡れ衣だけでも腹立たしい。
 監視カメラの記録も消されて、真相は闇の中なのだけれど…。
(ミュウがサイオンで、サムのナイフを…)
 操ったのか、あるいは「サムごと」操ったか。
 そんな所だ、と思っている。
 「サムは人など殺していない」と、「ミュウの仕業だ」と。
 その上、彼らは「サムを壊した」。
 操り損ねて壊したものか、最初から「壊す」つもりだったか。
(…いずれにしても…)
 サムの仇は取らせて貰う、と右手で触れた「サムの血のピアス」。
 左の耳にも「同じもの」がある。
 「女のようだ」と嘲られようが、この耳のピアスが決意の証。
 何処までも友と共にあろうと、「私はサムを忘れはしない」と。
 サムの無念も、E-1077で友だった頃のサムの勇気も、それに限りない優しさも。
(…ミュウどもを皆殺しにしても…)
 サムの心は、きっと元には戻らない。
 いくらミュウたちの血を流そうとも、異分子どもを贄に捧げようとも。
(それでも、私は…)
 今回の任務を果たすまで。
 ミュウの拠点を見付けて滅ぼし、サムの仇を取るだけのこと。
 サムの血を固めたピアスに誓って、「やるべきこと」をやり遂げるけれど…。


(……Mか……)
 彼らは忌むべき異分子なのだ、と分かってはいても、今も心に引っ掛かること。
 一つは、訓練の過程で「見せられた」もの。
 ミュウの処分を記録した映像、その中で「子供が殺された」。
 それも幼くて、「自分自身が何者なのか」も、分からないほどの小さな子が。
 今でもたまに夢を見る度、夢の中で声を上げている。
 「待て!」と、「そんな子供を!」と、制止しようとする声を。
 メンバーズならば、率先して殺すべきなのだろうに。
 「ミュウは成人検査をパス出来ない」から、「幼い間に」処分するのは「当然」なのに。
(…だが、あれほどに…)
 幼い子供を殺すというのは、どうなのだろう。
 ミュウというだけで「命を奪う」のは、「ヒトとして」やっていいことかどうか。
 今も答えは出せないまま。
 「ミュウの子供」に出会ったことは無いから、「答えを出さずに」来てしまったと言うべきか。
 幸いにして、ミュウの母船が最後に潜んでいた星は…。
(アルテメシアで、それ以降は…)
 育英惑星での目撃情報はゼロで、目撃されていないのならば「子供」もいない。
 彼らが船に乗せた「子供」は、赤ん坊の時に迎え入れたとしても…。
(とうに成人検査の年を迎えているからな…)
 だから、今度の「拠点探し」でも、「子供に出会う」心配は無い。
 「殺すべきか」、それとも「見逃すべきか」で悩む必要など、まるで無い。
 任務と関係が無いのだったら、また先延ばしにすればいい。
 子供の件に関しては。
 けれど、もう一つ、気にかかること。
(…シロエ……)
 自分が殺したセキ・レイ・シロエ。
 「初めて」人を殺した瞬間。
 あのシロエもまた、「Mだった」という。
 「Mのキャリアが生徒にいたから」、E-1077は廃校になったという噂。


 巷では「噂」に過ぎないけれども、メンバーズならば「知っている」こと。
 「それは事実だ」と、「Mのキャリアを処分した者は、キース・アニアンだ」と。
 これが頭を悩ませる。
 自分は「シロエを殺した」わけで、あの時、どれほど涙したことか。
 今日までの日々に、何度自分に問い掛けたことか。
 「本当にあれで良かったのか」と、「シロエを見逃すべきだったのでは」と。
 どうせ、あの船では「地球には着けない」。
 地球はもとより、他の星にも、どんな小さな基地にさえも。
 練習艇には、それだけの燃料が積まれてはいない。
 シロエは何処かに辿り着く前に、燃料不足になった船の中で死んだだろう。
 酸素の供給が止まってしまって、酸欠で眠るように死んだか。
 それよりも先に空調が止まり、絶対零度の宇宙の寒さで凍え死んだか。
(…あの時、シロエを見逃していても…)
 結果は変わらなかった筈。
 船と一緒に爆死していたか、あの船の中で死んでいたかの違いだけ。
 どう転がっても「シロエは死ぬ」なら、船を行かせてやれば良かった。
 撃ち落とさないで、シロエの望みのままに。
 彼が焦がれた「自由」に向かって、暗い宇宙を一直線に。
 そうして自分は戻れば良かった、「シロエの船を見失った」と偽って。
 マザー・イライザに真実を見抜かれたとしても、「大きな失点」になったとしても。
(…サムなら、きっとそうしていたな…)
 シロエを見逃し、エリートの道を踏み外しても。
 せっかく選ばれたメンバーズの道に、二度と戻れないことになっても。
 「サムだったら」と考える度に、自分を責めた。
 シロエの船を落とした自分を、「見逃さなかった」愚か者を。


 そうやって今も心に刺さったままの棘。
 「シロエを殺した」と、「シロエを追ったのが、サムだったなら」と。
 何度も考え続けるけれども、シロエは「Mのキャリア」だという。
 ならばシロエは「ミュウだった」わけで、自分は「すべきことをした」だけ。
 異分子のミュウを「処分した」だけ。
 けれど、この手は「シロエを殺した」。
 友になれたかもしれないシロエを、彼の船ごと撃ち落として。
 いくら繰り返し考えてみても、「正しかった」と思えはしない選択。
 シロエがミュウなら、あれで「正解」だったのに。
 「Mのキャリアだった」と知った途端に、心が軽くなっただろうに。
 なのに心に棘は残って、だから余計に「M」が気になる。
 「彼らは、いったい何者なのか」と、「本当に殺すべき存在なのか」と。
 これの答えは出るのだろうか、自分は出さねばならないのに。
 「ミュウの子供」はいない場所でも、「ミュウ」は必ずいるのだから。
(…サムの仇は、必ず取るが…)
 そうしなければ、と思ってはいても、今はまだ弾き出せない答え。
 きっと答えは「行けば見付かる」から、ジルベスターへと向かうだけ。
 「ミュウは何か」を知るために。
 殺すべきなのか、見逃すべきか、それとも他に道があるのか、答えを見付け出すために…。

 

           Mの拠点へ・了

※ジルベスターに向かうキースの胸中、それを書こうと思ったまではいいんですけど。
 「凄くいい人」なキースになっちゃったわけで、でも、キースって「いい人」だよね、と。








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(キース・アニアン…。待ってろよ)
 お前のすました顔を、このぼくが…、とシロエは深く潜ってゆく。
 ステーションE-1077の奥へと繋がる通路を、ただ一人きりで。
 通路と言っても、候補生たちが立ち入るような場所ではない。
 メンテナンス用にと設けられたもので、言わば舞台裏のようなもの。
 用も無いのに、そんな所を通ってゆく者など無い。
 当てもなく其処に入り込む者も。
(でも、ぼくは…)
 ちゃんと目的を持って入った、と自分自身を励まし続ける。
 小さなライトだけを頼りに、未知の空間を進む間に。
 この先に何があると言うのか、まるで全く知らない自分。
 当てなどは無く進むけれども、「目的」ならば持っている。
 「機械の申し子」、キース・アニアン、彼の秘密を暴くこと。
 それが何処かにある筈だから。
 どういう形か、それさえも謎なものだけれども。
(…あいつは何処からも来なかった…)
 このE-1077に、と確信を持って言えること。
 どんなにデータを集めようとも、集めたデータを手掛かりに「人」に会おうとも…。
(キースが此処に来た時のことは…)
 何処にも記録されていないし、キースと一緒に「来た」者もいない。
 記録の上では、同じ宇宙船で着いた筈でも、誰もキースを「覚えてはいない」。
 それに、ステーションのデータを端から調べてみても…。
(あいつを最初に捉えた画像は…)
 新入生ガイダンスの時の、ホールでのもの。
 他の者なら、その前のものが欠片くらいはあるものなのに。
 宇宙船が発着するポートの監視カメラにあったり、通路のカメラに残っていたり。


 そういった「最初のパーソナルデータ」。
 誰の記録にも伴う「それ」。
 自分にもあるし、サムやスウェナのデータにもあった。
 けれど、キースのものだけは「無い」。
 つまりは、「何処からも来なかった」キース。
 「着いた」画像が無いのだったら、「最初から此処にいた」ということ。
 画像が無いと言うだけだったら、何かのミスで消されたことも有り得るけれど…。
(…誰も覚えていないだなんてね?)
 いくら「記憶の処理」があっても、キースのことまで消さなくてもいい。
 消す必要など無いのだから。
(到着して直ぐに、倒れたって…)
 そういうデータは目にしたけれども、それはキースの失点にはならない。
 むしろ「救助した」誰かがいる筈、「医務室に運んだ」者だとか。
(そんな騒ぎが起こったんなら、なおのこと…)
 皆の記憶に残ってもいい。
 「キース・アニアンを覚えてますか?」と尋ねた時に、「ああ、あの時の…」と思い出すほど。
 それがキースだとは記憶に無くても、「着くなり倒れた人が」と訊いたら、ピンと来て。
 けれど、誰もが無反応だった。
 「覚えてないなあ…」だとか、「さあ…?」だとか。
 キース・アニアンの名を、知らない者などいないのに。
 同郷だったら誇るだろうし、同じ宇宙船で着いただけでも、自慢の種になりそうなのに。
 「キースと一緒だったんだ」と、語るだけで集められる注目。
 「どんな奴だった?」と、「その時の話を聞かせてくれよ」と、皆が周りに集まって来て。
(……それなのに……)
 誰もキースを覚えていなくて、最初の画像も「ガイダンスの時」。
 意味する所はたった一つで、キースは「何処からも来てなどはいない」。
 E-1077で「生まれて」「育てられた」モノ。
 今のキースを構成している、ああいう姿になるように。


 もっとも、キースが「生まれた」かどうか。
 あれを「育てた」と言っていいのか、どうなのか。
(機械仕掛けの人形ではね…)
 あの皮膚の下は冷たい機械で、血など流れてはいないのだろう。
 流れていたなら、それは偽の血。
 「キースは機械だ」と知られないよう、精巧に作られ、配管されて…。
(其処に人工血液を…)
 循環させているだけのことさ、と舌打ちをする。
 「なんて奴だ」と。
 機械でも怒るくらいのことなら、まだ納得も出来るけど。
 「怒ったキースに殴り飛ばされた」のも、「そうプログラムされているんだ」で済むけれど。
(…この四年間に、自然に育ったように見せかけて…)
 何度、器を取り替えたのか。
 「キース・アニアン」という人工知能を「乗せ換えた」のか。
 皮膚の下には、人工血液までも流して。
 「人間だったら怪我をする」ような傷を受けたら、血が流れるように細工までして。
(…その忌々しいアンドロイドの…)
 秘密ってヤツを暴いてやるさ、というのが自分の「目的」。
 キースは「何処で」作られたのか、「何処で」あのように育てて来たか。
 このステーションに「来て直ぐ」のキースは、今よりも背が低くて「若い」。
 何処かで「器を取り替えた」わけで、「人工知能を乗せ換えた」筈。
 それが「何処か」が分かりさえしたら、キースの秘密はもう「手の中にした」も同然。
 後はゆっくり確かめるだけで、キースにもそれを突き付けるだけ。
 「これがお前だ」と、「お前は人間なんかじゃない」と。
 自分が機械仕掛けの人形なのだと、知って壊れてしまうがいい。
 「機械」には似合いの末路だから。
 予期せぬデータを強制的に送り込んだら、人工知能は破壊されるから。


 そのために「キースのデータ」が欲しい。
 「何処で」作ったか、「何処で」今日まで育てて来たか。
 答えの在り処は全くの謎で、行く当てさえも無いのだけれど…。
(……此処は?)
 不意に開けた広い空間。
 頭上に溜まった大量の水。…頭の上にプールの水面があるかのように。
 水の中には、幾つもの黒くて四角い「モノ」。
 規則正しく並べられたそれは、どう見ても…。
(マザー・イライザのメモリーバンク…!)
 やった、と心で叫んだ快哉。
 目指すデータは、此処にある筈。
 自分の部屋の端末からだと、データはブロックされるけれども…。
(コントロールユニット…)
 あれだ、と見抜いたマザー・イライザの心臓部。
 人間の手で操作可能な、「マザー・イライザを構築している」精密機械。
 それに直接アクセスしたなら、もはやブロックは意味が無いもの。
 「何もかも」其処にあるのだから。
 E-1077の生徒たちのデータも、「キース・アニアン」に関するものも。
 何処でキースを作ったのかは、此処で見られる。
 コントロールユニットに、ケーブルを繋いでやったなら。
 そのためだけに持って来ている、小型コンピューターでアクセスしたら。


 クルリと身体を回転させて、逆様だった上下を入れ替えた。
 水面が下に来るように。
 コントロールユニットの前に「真っ直ぐに」立って、中のデータを見られるように。
(…覗かせて貰うよ?)
 ケーブルを繋いでやった途端に、早くも点いた「アクセス可能」を表示するランプ。
 あれほど何度も部屋からやっても、ガードが堅くて、まるで入れはしなかったのに。
(ふうん…?)
 なんて無防備なんだろう、と高笑いしたくなるほどだけれど、それも当然のことだろう。
 誰も此処まで「来はしない」から。
 マザー・イライザの維持管理をする者たちだけしか、此処に入りはしないのだから。
(下手にブロックしていたら…)
 万一の時に手間取るだけ。
 何もかもが後手に回ってしまって、最悪の事態を招きかねない。
(だからこそ、ってね…)
 此処までやって来た「自分」のためには、褒美があってもいいだろう。
 「キース・アニアンの秘密」という名の、E-1077の最高機密。
 マザー・イライザが懸命に隠し続けているもの、それを貰って帰りたいもの。
 どうすればそれが手に入るのかは、ほぼ見当がつくものだから…。
(…キース・アニアン…)
 それから、これ、と次から次へと出してゆく指示。
 「ぼくに情報を開示しろ」と。
 キースは「何処で」作られたのか、「何処で」育てて来たというのか。


 そうやって指示を出して、出し続けて、ついに答えは示されたけれど。
 画面に答えが表示されたけれど、その答えとは…。
(…これは……)
 小型コンピューターの画面にある文字。
 「F001」、そして「ME505-C」。
 それが答えで、キースが作られた場所とキースを示すもの。
(F001…?)
 Fっていうのは何なんだ、と次の問いを出す。
 「ME505-C」は、「キース」で間違いないのか、と。
(…なるほどね…)
 如何にも機械という感じだよ、と思うキースの「製造番号」。
 もう可笑しくてたまらないから、笑いながらデータを集め続ける。
 「F」は「フロア」の意味らしいから。
 「F001」は「フロア001」、E-1077のシークレットゾーン。
(入るためには…)
 パスワードなんだ、と愉快な作業は続いてゆく。
 これで「キースを壊せる」から。
 フロア001で「全てを見た」なら、製造番号「ME505-C」にそれを突き付ける。
(楽しみだよね…)
 「キースが壊れる」瞬間が。
 機械仕掛けの精巧すぎる操り人形、それの頭脳が壊れて「止まる」だろう時が…。

 

          探り当てた秘密・了

※シロエが手に入れたフロア001とキースのデータ。問題は「ME505-C」。
 アニテラだと「ME5051C」、原作だと「ME505-C」。アニテラ、誤植したな…。








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(…私は何をしているのだろうな)
 いったい何を望んでいる、とキースは自分自身に問う。
 生き物は棲めない、死の星と化した地球の上で。
 「地球再生機構」とは名ばかり、巨大なだけのユグドラシルの一室で。
 ミュウたちがついに地球へと降りた。
 会談は明日の午前十時から。
 「それまでは部屋でお休み下さい」と、スタージョン大尉がミュウたちに告げた。
 つまり、それまでは「お互いに顔を合わせはしない」。
 人類からも、客分であるミュウからも。
 それを口実に、警備兵たちを下がらせた。「奴らは来ない」と。
 ミュウがどれほどの脅威であろうと、彼らの目的は「地球での会談」。
 人類との交渉のテーブルに着くこと、それがミュウたちの目当てで「要求」。
 その機会を自ら壊しはしない。
 「壊すわけがない」と、下がらせたのが「無用な部下たち」。
 警備兵はもちろん、本来だったら隣室などに控えているべき直属の部下も。
(……マツカだったら……)
 この状況でも残しただろうか、今の自分の身辺に。
 国家主席として明日の会談に臨む、キース・アニアンの腹心として。
 それともマツカを喪ったから、こうして立っているのだろうか。
 赤い満月が見える窓辺に。
 ただ一人きりで、警備の兵さえ置きもしないで。


 更には、「持っていない」銃。
 とうに背後の机に置いた。
 武器と言ったら、銃の他には無いというのに。
 いくら国家主席のための部屋でも、暗殺を防ぐ仕掛けなどは無い。
 今、背後から撃たれたならば、確実に「終わり」。
 キース・アニアンの命は潰えて、物言わぬ死体が横たわるだけ。
 振り向きざまに応戦するには、「銃」という武器が必須だから。
 銃も持たずに刺客と対峙するなど、「人類」には無理なことなのだから。
(…ミュウならば、可能なのだろうがな…)
 彼らのサイオン、それは人間の心臓さえも握り潰せる。
 指の一本も動かすことなく、一瞬の内に。
(…あのミュウは…)
 オレンジ色の髪と瞳を持った、旗艦ゼウスに侵入したミュウ。
 マツカを殺してしまったミュウ。
 彼は「嬲り殺し」にしようとしたから、サイオンで首を絞めただけ。
 殺すだけなら、直ぐに終わっていたのだろう。
 マツカが気付いて駆け付ける前に、「キース・アニアン」は死体となって。
 それほどの力を持つというのに、使わなかったミュウがいた。
 銃弾の雨にその身を晒して、刺し違えることを狙った男。
(……ソルジャー・ブルー……)
 今でも、彼を忘れられない。
 彼には生涯、勝てはすまいと。
 「伝説」と呼ばれるほどの長きにわたって、ミュウの長だったタイプ・ブルー。
 なのに自ら「死ぬためだけに」、メギドまで来たソルジャー・ブルー。
 彼の真似など、どう転がっても出来はしない。
 人類を、組織を守るためには、指揮官たる者、「生き延びなければ」ならないのだから。


(…奴の真似でもしたくなったか…?)
 今の自分は最高指揮官、ジルベスターの頃とは比較にならない立ち位置にいる。
 明日の朝、国家主席の自分が「死んでいた」なら、会談は「お流れ」では済まない。
 戦況はあくまで「ミュウに有利」で、衛星軌道上にある六基のメギドを使おうとしても…。
(グランド・マザーが地球に在る限り、地球に向かってメギドは撃てない…)
 主だったミュウが、地球に集っていようとも。
 彼らを倒せば、ミュウたちの統率が取れなくなると分かっていても。
 それは即ち、「地球がミュウどもに掌握される」のを看過するしか無いということ。
 グレイブが指揮する旗艦ゼウスが、まだ地球の衛星軌道上にあろうとも。
 艦隊が未だ維持されていても、人類は「地球を失う」だろう。
 冷たい瞳の「ソルジャー・シン」は、グランド・マザーを破壊するだろうから。
 オレンジ色の髪と瞳のミュウにも、「やれ」と冷ややかに命令して。
(…そうなると分かっているのにな…)
 何故、このようなことをしている、と先刻の問いを繰り返す。
 自分は何をしているのかと、自分の望みは何なのかと。
 まず間違いなく、「刺客」が此処へ来るのだろうに。
 ソルジャー・ブルーの仇だと狙う、あの盲目のミュウの女が。


 皮肉なものだ、と暗殺者の顔を思い浮かべる。
 自分に「死」を運ぶかもしれない女は、あろうことか自分と同じ生まれの「人間」。
 あちらがそれを知るかはともかく、自分は既に知ってしまった。
 彼女の生まれを、自分と「彼女」の繋がりを。
 あの盲目の女を「作った」時の遺伝子データが、自分に継がれていることを。
(…私の「母親」が、私を殺すか…)
 息子を殺した母親ならば、神話の時代から幾らでもいるが、とクッと喉を鳴らす。
 ギリシャ悲劇の王女メディアも、そうだった。
 それが此処でも起こるだけのことで、人類は「指導者」を喪う。
 更には地球をも失うのだ、と分かっているのに、何故、暗殺者を待っているのか。
 「刺客が来る」ことを察知しながら、警備の者を退けたのか。
(……やはり、あいつの……)
 真似だろうか、とソルジャー・ブルーの死に様を思う。
 指導者自ら前線に立って、死をも恐れず戦った男。
 「奴と同じに死にたいのか?」と、「あの時の銃とは、違うのだがな」と。
 刺客が来たなら「銃は其処だ」と言うつもりのそれは、メギドの時とは違うもの。
 あれから長い時が経ったし、自分の肩書きも何度も変わった。
 銃も同じに変わってしまって、「使いやすい」銃でも、あの時とは別。
 けれども、それで「撃たれて死ぬ」のも一興だろう、と思う自分がいる。
 そうなったならば、人類は皆、困るのに。
 指導者を、国家主席を失い、地球さえもミュウに奪われるのに。


(…私が此処で斃れなくても…)
 いずれ、その日がやって来る。
 遠からず、宇宙は「ミュウのもの」になる。
 グランド・マザーは、自分にそれを明かしたから。
 「ミュウは進化の必然なのだ」と、「ミュウ因子を排除するプログラムは無い」と。
 あれを聞いた時、崩れた足元。
 自分が信じて歩いて来た道、「SD体制の異分子として」ミュウの殲滅を目指した道。
 それは「誤り」だったのだと。
 時代はミュウに味方していて、自分はそれに抗っただけ。
 そうと知らずに、自分が正義のつもりになって。
 「正しいことをしているだけだ」と、間違った「逆賊の旗」を掲げて。
(…それでも、私は…)
 その道を歩いてゆくしかない。
 もうすぐ此処へと来るだろう刺客、彼女と違って「ミュウに攫われはしなかった」から。
 人類のエリートの道を歩んで、此処まで昇り詰めたのだから。
 自分は責任を果たすべきだし、他に進める道などは無い。
 「そのために」作られ、「育てられた」から。
 サムを、シロエを、贄にして「今」があるのだから。
 それは充分、承知だけれども、こうして自分は「死」を待っている。
 自分の命を奪う死神を、あの盲目のミュウの女を。


 そのくらいの自由は欲しいものだ、と赤く濁った月を見上げる。
 「誤った道」とも知らずに歩いて、これから先も「歩くしかない」。
 ならば途中で終わったとしても、道の半ばで命尽きても良かろう、と。
 どうせ宇宙はミュウのものになるし、人類は過去のものとなるから。
(…打つべき手は、もう打ったのだからな…)
 もしも自分に万一があれば、「これを送れ」と記した圧縮データ。
 宛先は「自由アルテメシア放送」、その筆頭のスウェナ・ダールトン。
 「キース・アニアン」が会談に臨めず斃れた時には、全宇宙帯域で流れるだろうメッセージ。
 ミュウは進化の必然なのだと、「マザー・システムは、時代遅れのシステムだ」と。
 あれを見たなら、「心ある者は」立ち上がるだろう。
 たとえ人類であろうとも。
 「人類はミュウに劣る種族だ」と、突き付けられた側であろうと。
(…さて、どうなる…?)
 あのメッセージを、自分は「この手で」スウェナに送信できるのか。
 それとも自分の死体を目にした、スタージョン大尉が「送る」ことになるか。
 「アニアン閣下の御遺志なのだ」と、その中身さえも確かめないで。
 パンドラの箱の蓋を開く結果になるとも、知らないままで。
(…どう転ぼうとも…)
 もはや時代は、私の思うようには動かせぬ、と仰ぎ見る月。
 此処で死んでも、何も変わらぬなら、「殺される」のも悪くはない。
 自分が渡した銃で撃たれるのも、「ソルジャー・ブルーの仇」と命を奪われるのも…。

 

          死神を待つ・了

※フィシスが来るのを承知の上で、キースは待っていたわけで…。どういうつもりだったやら。
 サッパリ分からん、と思ったトコから出て来た話。撃たれたら終わってましたよね、アレ?








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「ピーターパン…!」
 待って、と声を張り上げたシロエ。「行かないで」と。
 夜空を駆けてゆく少年。
 急いで彼を追い掛けなければ、一緒に飛んでゆかなければ。
 ネバーランドへ、夢の国へと。
 「子供が子供でいられる世界」へ、ピーターパンの背中を追って。
 でないと此処に残されたままで、また牢獄に繋がれる。
 二度と空には舞い上がれないで、ネバーランドにも行けないままで。
「待って…!」
 ぼくも一緒に連れて行って、と叫んだ声で目が覚めた。
 閉じ込められた牢獄の中で、ステーションE-1077の自分の部屋で。
(……まただ……)
 行き損ねたよ、と零れた溜息。
 夢の中なら、何処までも飛んでゆけるのに。
 ピーターパンと一緒にネバーランドへ、時には故郷のエネルゲイアへ。
 けれど今夜は行き損ねる夢で、最近、そちらが増えて来た。
(…子供の心を失くしたから…)
 ぼくは「大人」になりかけてるから、と涙が溢れそうになる。
 テラズ・ナンバー・ファイブに奪われた記憶と、夢の世界へ飛び立つ翼。
 成人検査を受ける前なら、何処からだって「飛べた」のに。
 ピーターパンの本を開けば、ページの向こうにネバーランドが見えていたのに。


 今では「見えなくなった」それ。
 大人の社会への入口に立って、「子供の心」を失ったから。
 自分では「子供のつもりで」いたって、「違う」と思い知らされる。
 ピーターパンの本の向こうに、ネバーランドは「もう見えない」。
 どんなに瞳を凝らしてみたって、夢の国の扉は開かないから。
(……夢の中でも……)
 行けない日が増えてくるなんて、と悲しくて辛くて、胸が張り裂けてしまいそう。
 今夜の夢でも、ピーターパンは行ってしまった。
 自分を残して、夜空を駆けて。
 印象的な赤いマントの残像、それだけを瞳の中に残して。
(…いつか、ホントに来てくれなくなる…)
 ピーターパンは、と痛いくらいに分かっている。
 今でさえも「置いてゆかれる」のならば、もっと「大人」になったなら。
 もっと背が伸びて、声も男らしい声に変わって、少年らしくなくなったなら。
(…大人は、ネバーランドには…)
 行けはしない、と突き付けられる苦い現実。
 ピーターパンに置いてゆかれる夢を見る度に、赤いマントを見失う度に。
(きっといつかは、あのマントだって…)
 見えなくなって、ピーターパンが夜空を駆ける姿も、見られなくなることだろう。
 今は辛うじて残っているらしい、「子供の心」が曇ったら。
 すっかりと錆びて大人になって、目に見えるものだけが「世界の全て」になったなら。
(…そんなの、嫌だ…)
 それくらいなら、「置いてゆかれる」方がいい。
 ピーターパンと一緒に飛んでゆけなくても、ネバーランドに着けなくても。
 夜空を駆ける永遠の少年、ピーターパンの赤いマントを見送ることが出来るなら。


 その方がいいに決まってる、とベッドから下りた。
 まだ夜中だから、充分にある「自由な時間」。
 こんな時には本を読もうと、ピーターパンの本がいい、と。
(…ぼくの宝物…)
 パパとママが買ってくれた本、とギュッと両腕で胸に抱き締め、戻ったベッド。
 その端に腰掛け、膝の上で広げようとした本。
 ふと目に入った本の表紙に、アッと息を飲んだ。
 其処に描かれた、夜空を駆けるピーターパン。
 ティンカーベルもいるし、ウェンディたちも一緒に飛んでいるけれど…。
(……ピーターパンの服……)
 マントなんかは何処にも無い、と今頃になって気付いたこと。
 そういえば、さっき見ていた夢。
 あの夢の中のピーターパンは、この表紙の絵とそっくりだったけれど…。
(服もこの絵とそっくりで…)
 何処も変わりはしなかったけれど、夜空の果てに見えなくなる時。
 消えてゆく時に残った残像、それは真紅のマントの欠片。
(…マントを着けたピーターパンって…?)
 ぼくは知らない、と本のページを繰ってゆく。
 挿絵が入ったページに出会えば、手を止めてそれを覗き込んで。
 「これも違う」と、「これでもない」と。
 どの絵に描かれたピーターパンも、彼らしい服を着ているだけで…。
(……マントなんて……)
 挿絵の何処にも描かれてはいない。
 しかも「真紅のマント」だなんて、自分は何処で見たのだろうか?
 ピーターパンの映画なんかを観てはいないし、知っているのはこの本だけ。
 本の端から端まで見たって、「赤いマント」は出て来ないのに。
 そらで言えるほど何度も読んだ文の中にも、そんな描写は無い筈なのに。


(…赤いマントのピーターパン…)
 この本に、そんなピーターパンがいないと言うなら、夢の中の「彼」は何なのだろう?
 まだ見えるような赤い残像、マントの欠片を自分は何処で見たのだろう…?
(…でも、ピーターパン…)
 あれは確かにそうだった、と夢の光景を覚えている。
 ネバーランドには行き損ねたけれど、ピーターパンを「見ていた」自分。
 「ピーターパンだ」と、「ぼくも一緒に連れて行って」と、夜空を駆けてゆく少年を。
 考えてみれば、いつも、いつだって「見失う」マント。
 ピーターパンに置いてゆかれた時には、いつだって。
(……一緒に飛んでゆける夢なら……)
 その夢の中のピーターパンは、本の表紙と同じ服。
 本の挿絵とそっくり同じで、赤いマントを見ることはない。
 置いてゆかれた夢の時だけ、ピーターパンが残す残像。
 それが真紅のマントの欠片で、目を覚ます度に悲しくなる。
 「ネバーランド行けなかった」と、「ピーターパンに置いてゆかれた」と。
 あまりにも辛い夢なのだけれど。
 いつかは赤いマントの欠片も、見えなくなる日が来そうだけれど。
(…ぼくは確かに見たんだから…)
 今夜も見たし、今までだって。
 追えないままに飛び去る少年、ピーターパンが残してゆく残像は、いつも赤いマント。
 目にも鮮やかな真紅のマントの欠片を残して、ピーターパンは消えてゆく。
 これだけ何度も、同じ夢を見ているのなら…。
(……きっと、本物のピーターパン……)
 彼がそうだ、と閃いた思い。
 ピーターパンの本が書かれた時代は、今から遥か昔のこと。
 人間が地球しか知らなかった頃で、宇宙船は無くて、馬車が走っていた時代。
 その時代からずっと、ピーターパンが今も高い夜空を駆けているのなら…。


 きっと服だって変わるだろう。
 人間が地球を離れた時から、五百年以上も経っている今。
 SD体制が始まるずっと前から、ピーターパンは空を飛び続けている。
 ネバーランドに行きたい子供を見付け出しては、一緒に空を飛ぶために。
 高い空へと舞い上がるために、地球の夜空を、今の時代は宇宙に広がる幾つもの空を。
(違う服だって、着てみたいよね…?)
 長い長い時を駆けているなら、時には違う服だって。
 時代が変わってゆくのと同じに、流行りの服も変わってゆく。
 ピーターパンの本が書かれた時代と、今の時代の服とでは…。
(まるで違うし、どっちの時代の人が見たって…)
 別の時代の服を「変だ」と思うだろう。
 本の中で見るなら「普通に」見えても、それを実際、目にしたならば。
(…ピーターパンは、子供の味方なんだから…)
 子供が親しみやすい服装、それに着替えてゆくのだろう。
 時代が移れば、その時代の子が「素敵だ」と思う類の服に。
 そしてSD体制が敷かれた今の時代に、ピーターパンが着ている服は…。
(赤いマントがついているんだよ)
 マントを目にする機会は全く無いのだけれども、なんと言ってもネバーランド。
 「永遠の少年」のピーターパンは、今の時代は…。
(ちょっと王子様みたいな感じで…)
 颯爽と赤いマントを纏って、剣だって下げているかもしれない。
 出会った子供が「かっこいい!」と目を瞠るように。
 「ぼくも一緒に、海賊たちと戦うんだ!」と、張り切るように。
(…きっとそうだよ…)
 ぼくは本物に会ったんだ、と嬉しくなる。
 ピーターパンが残した残像、赤いマントの欠片を見たのが「本物」の証。
 置いてゆかれてばかりだけれども、ピーターパンには「会えて」いる。
 一緒に駆けてはゆけないだけで、「ぼくはまだ、会えているんだよ」と。


 ピーターパンにまだ「会える」のならば、「子供の心」を失くしてはいない。
 かなり失くしてしまったけれども、消えてなくなってはいない。
(……ピーターパン……)
 忘れないようにするから、ぼくも一緒に連れて行って、と願うシロエは気付かない。
 遠い昔に、彼が出会った「ピーターパン」。
 赤いマントを纏ったミュウの少年、ジョミー・マーキス・シンが「そうだ」と信じたことを。
 彼が自分の「ピーターパン」だということを。
 ピーターパンが残した欠片は、今もシロエの心の中。
 赤いマントの残像になって、いつも、いつだって少年のままで…。

 

          ピーターパンの欠片・了

※シロエが「ぼくは此処だよ!」と呼んでいた「ピーターパン」。ジョミーの思念波通信で。
 だったら覚えていたんだろうか、と考えたわけで…。其処から捏造、赤いマントの残像。







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