(……ピーターパン……)
こんな所へは来られないよね、とシロエが広げる本。
E-1077の個室で、夜が更けた頃に。
ベッドの端に一人座って、ただ懐かしい本を膝の上に乗せて。
宇宙に浮かぶステーションでは、ピーターパンが来る「本当の夜」は無いけれど。
外はいつでも暗い宇宙で、朝日が昇りはしないのだけれど。
此処の昼と夜は、銀河標準時間の通りに照明が作り出すだけのもの。
夜になったら落とされる明かり、昼は煌々と照らし出す「それ」。
ピーターパンが駆けて来るような「夜」などは無いステーション。
「二つ目の角を右に曲がって、後は朝までずっと真っ直ぐ」、そう進む道も見えない場所。
それの通りに歩いて行ったら、ネバーランドに行けるのに。
真っ直ぐに行ける「朝」があるなら、ネバーランドに繋がる道があるのだろうに。
(…ピーターパンは来られなくって、ぼくが行くことも出来なくて…)
なんて酷い所なんだろう、と何度溜息を漏らしたことか。
ピーターパンの本だけを持って、此処へと連れて来られた日から。
両親も故郷も全て失くして、子供時代の記憶も機械に奪い去られた時から。
(……でも、忘れない……)
ピーターパンもネバーランドも、と本のページをめくってゆく。
故郷の記憶が薄れた後にも、この本は「ここに在る」のだから。
両親の顔さえおぼろになっても、失くしてはいない大切な本。
これがあったら、きっといつかは「飛んでゆける日」も来るだろう。
ネバーランドへ、ネバーランドよりも素敵だと父に聞かされた地球へ。
こうして忘れないでいたなら、「ピーターパンの本」を持っていたならば。
ピーターパンが「此処へ来る」ことは出来なくても。
朝まで真っ直ぐ行く道が無くて、ネバーランドまで歩いてゆくことは出来なくても。
いつか、と夢を抱いた時から忘れない場所。
子供が子供でいられる世界で、ピーターパンが住むネバーランド。
幼い頃から憧れ続けて、迎えが来るのを待ち続けた。
「いい子の所には、ピーターパンが来てくれる」から。
ピーターパンが迎えに来たなら、一緒に夜空を駆けてゆこうと。
(…ぼくが大人になっていたって…)
子供の心を忘れなければ、行ける日がやって来るだろう。
「ピーターパンの本」の作者が、その目で「其処を見て来た」ように。
大人になっても「子供の心を持っていた」人が、ネバーランドを見られたように。
(…ぼくだって、いつか行けるんだから…)
みんなのようにならなかったら、と思い浮かべる自分以外の候補生たち。
システムに何の疑問も抱かず、子供時代を捨ててしまった「マザー牧場の羊」たちの群れ。
彼らと同じに「忘れてしまう」ことが無ければ、いつの日か道は開ける筈。
E-1077を離れて、夜空がある場所に行ったなら。
朝には本物の太陽が昇る、「朝がある場所」に行けたなら。
(卒業までは、夜も朝も無いけど…)
此処を卒業しさえしたなら、夜も朝もある場所に行ける筈。
もしかしたら、いきなり地球にさえも行けるかもしれない。
とても素晴らしい成績を収め続けて、メンバーズに選ばれた者のトップに立てたなら。
(……地球には、ピーターパンが生まれた場所があるから……)
本が書かれた場所も同じに地球にあるから、ネバーランドは直ぐ側にあることだろう。
一度滅びてしまった地球には、作者の家も、本に出てくる場所も無くても。
「此処にあった」という場所だけしか、探し当てることは出来なくても。
それでも、ピーターパンは「きっと、いる」筈。
朝まで真っ直ぐ歩いて行ったら、ネバーランドも見付けられる筈。
子供の心を忘れないまま、地球に降り立つことが出来たら。
地球に配属されはしなくても、夜と朝さえある場所に行けば、夢は叶ってくれるだろう。
ピーターパンが夜空を駆けて来てくれて、朝まで真っ直ぐ歩いてゆけて。
(…その時までの我慢なんだから…)
あと三年と何ヶ月だろう、と指を折っては、卒業までの日を数えてみる。
ピーターパンの本を広げて、「それまでの我慢」と自分自身に言い聞かせながら。
(ぼくは絶対に忘れない…)
両親や故郷の記憶は薄れてしまったけれども、子供の心を忘れはしない。
ネバーランドに行ける資格を手放すだなんて、とんでもない。
メンバーズに抜擢されていようと、いつでも「それ」を捨ててしまえる。
ネバーランドに行くためだったら、地位も名誉も、何もかもを。
(今すぐだって、捨ててしまえるもんね…?)
教育の最高学府と名高いE-1077も、此処で収めた「いい成績」も。
そんなものなど要りはしないし、ネバーランドの方がいい。
ピーターパンさえ来てくれるならば、「セキ・レイ・シロエ」はいつでも「行ける」。
幼い頃から夢に見た場所へ、ピーターパンが住むネバーランドへ。
(いい子の所には、ピーターパンが…)
きっと迎えに来てくれるから、と思った所で、ハタと気付いた。
「セキ・レイ・シロエ」は「いい子」だろうか、と。
ピーターパンが迎えに来るのに、相応しいだけの人間なのか、と。
(……いい子って……)
いい子というのは、言葉通りに「良い子供」。
誰もが褒めてくれる子供で、悪いことなどしない子のこと。
(パパやママの言うことを、ちゃんと聞く子で…)
約束だって破りはしなくて、叱られることなど無い子供。
もちろん喧嘩をするわけがないし、我儘だって、けして言わない。
それが「いい子」で、ピーターパンは「いい子」を迎えに来るのだけれど…。
(……パパとママはもう、いないけど……)
いない両親の「言い付け」を聞くことはもう出来ないから、そのことはいい。
けれども、他の「いい子」の条件。
そちらの方はどうだろうか、と思った途端に震えた身体。
「ぼくは、いい子じゃなくなってる」と。
ピーターパンが迎えに来てくれる「いい子」。
約束をしたら破らない子で、叱られることなどしないのが「いい子」。
喧嘩もしないし、我儘を言いもしない子供が「いい子」なのだけれど…。
(…マザー・イライザにコールされたら…)
その度に叱られ、色々と約束させられる。
E-1077の秩序を乱さないよう、「此処のルールに従いなさい」と。
何回、それを繰り返したろうか。
約束を何度、破って「コールを受けた」だろうか。
その上、喧嘩も当たり前のように売ってばかりで、売られた喧嘩は受けて立つもの。
同級生たちと口を利く度、喧嘩になると言っていいほどに。
(我儘だって…)
今この瞬間にも、心に抱いている有様。
E-1077で「するべきこと」は山とあるのに、それを「捨てたい」と。
ネバーランドに行けるものなら、何もかも捨ててしまっていい、と。
「いい子」だったら、そう考えはしないのに。
消された記憶やシステムのことは、この際、置いておくとしたって…。
(…他のみんなの目から見たなら、ぼくなんかは…)
いい子どころか、「悪い子」なだけ。
マザー・イライザが見ている「シロエ」も、間違いなく「悪い子」のシロエ。
「いい子のシロエ」は、何処にもいない。
両親と故郷で暮らした頃には、確かに「いい子」だったのに。
たまに喧嘩もしてはいたけれど、「今よりは、ずっと」いい子だった「シロエ」。
それが「いい子でなくなった」のなら、ピーターパンは…。
(…いくら待っても、来てくれない…?)
悪い子になった「シロエ」なんかを、迎えに来てはくれないだろうか。
ピーターパンが迎えに来る子は、「いい子」だけ。
「いい子」のシロエは迎えに来たって、「悪い子」のシロエは駄目なのだろうか…?
今のシステムがどうであろうと、其処ではシロエは「悪い子」だから。
誰が見たって「いい子」ではなくて、「悪い子」でしかないのだから。
(……まさか、今のぼくは……)
ピーターパンと夜空を駆ける資格を持ってはいないだろうか。
朝まで真っ直ぐ歩いてゆけても、ネバーランドには「行けない」子供になっただろうか。
子供の心を忘れずにいても、「シロエ」が「悪い子供」なら。
けして「いい子」ではないと言うなら、夢が叶う日は来ないかもしれない。
「悪い子」になってしまった子供は、もう「いい子」ではないだけに。
ピーターパンは「悪い子」の所に、迎えに来ることはないだけに。
(…だとしたら……)
どうすればいいと言うのだろう。
システムに従う「いい子」になったら、「子供の心」を失くしそうなのに。
子供の心を抱き締めたままで「いい子」になるなら、生きるのはとても辛いだろうに。
(喧嘩もしなくて、マザー・イライザの言い付けを聞いて…)
そうやって「いい子」でいようとするなら、「子供の心」を持ったままでは辛すぎる。
けれど、ピーターパンが「いい子」を迎えに来るのなら…。
(…どんなに辛くて、苦しくっても…)
いい子でいないと駄目だろうか、と眺める本。
その道は、とても辛そうなのに。
此処で「いい子」で生きてゆくことは、「シロエ」には、きっと出来ないのに…。
いい子の所に・了
※幼い日のシロエは、「いい子の所に迎えに来てくれる」ピーターパンを待っていたわけで…。
それをE-1077でも覚えているなら、こういう考えに陥る時もあるかもね、と。
(…なんと傲慢な生命だろうな…)
この私は…、とキースが心で零す溜息。
それほどの価値があるのだろうか、と夜が更けた部屋で、ただ一人きりで。
「キース・アニアン」という存在。
国家騎士団上級大佐、叩き上げのメンバーズ・エリートでもある。
冷徹無比な破壊兵器と呼ばれようとも、「それが私だ」と歯牙にもかけはしなかった。
むしろ誇りを持ってさえいた。
グランド・マザーが直々に指名するほど、優れたエリート。優れた軍人。
「私は選ばれた存在なのだ」と自信に溢れて、疑いさえもしなかった。
どんな任務を任されようとも、そうして受けた任務の結果がどうなろうとも。
反乱軍を一人残らず地獄へ送ってしまおうと。
SD体制から生まれる異分子、ミュウを星ごとメギドで殲滅しようとも。
(…軍人ならば、それが当然だろうと…)
思ってもいたし、確固たる信念でもあった。
SD体制に異を唱える者、逆らう者は全て滅ぼすべきだと。
その考えが少し揺らいだのが、伝説のタイプ・ブルー・オリジンとの出会い。
長でありながら、命まで捨てて同胞のためにメギドを沈めた男。
(あいつのように、躊躇いもせずに…)
命さえも捨ててしまえる生き方、それを羨ましいと思った。
自分が置かれた地位も立場も、何もかもを顧みることさえもせずに死んでゆけたら、と。
けれど、その時は「そう思った」だけ。
直ぐに「馬鹿な」と冷静になって、「あいつはミュウだ」と、異分子なのだと切り捨てた。
SD体制の枠の中から弾き出された異分子がミュウ。
ならば、そのようにも生きるだろう。
秩序を重んじる「人類」とは違う種族なのだし、組織などには縛られないで。
「長」を失った者たちの混乱、其処まで考えたりはしないで。
そうして思った、「私は違う」という自覚。
ソルジャー・ブルーがどうであろうが、自分は自分。
異分子などには惑わされずに、真っ直ぐに前を見るべきだろう、と。
ジルベスター・セブンで上げた功績、それに相応しく二階級特進したのだから。
(…しかし、私は……)
異分子でさえもなかったのだ、と握り締める拳。
今、握り締めた拳さえもが、「人間」のそれとは違ったもの。
そう、文字通りに「違っていた」。
「キース・アニアン」という存在は。
遠い昔に「機械の申し子」と異名を取った、「グランド・マザーのお気に入り」は。
(まさか、ああして作られたなど…)
誰が思うものか、と腹立たしいだけ。
かつてシロエが「お人形さんだ」と言ったけれども、ただの比喩だと思っていた。
シロエが見て来たE-1077のフロア001、其処が「どういう場所」であろうと。
機械が並んだ改造室でも、「キース」の「元」はあると思った。
何らかの方法で「キースを改造していた」にせよ。
脳に直接、大量の情報を送り込んだりして、「優れた人材」を作っていても。
あるいは体術に秀でるようにと、肉体に手を加えていても。
その程度だろう、と高をくくっていた。
廃校になったE-1077、それの「処分」を命じられるまでは。
フロア001を「見て来る」ように、グランド・マザーに言われるまでは。
(…プロジェクト自体が極秘なだけに…)
大勢の部下を連れては行けない。
マツカだけを伴い、E-1077に近付き、其処から先は単独だった。
人工重力さえも失っていたステーション。
それを蘇らせ、一人きりで目指したフロア001という場所。
其処に並んだ幾つもの水槽、強化ガラスの中に浮かんでいた「サンプル」たち。
何人もの「キース・アニアン」がいた。
胎児から、「今のキース」と「さほど変わらない」キースまでが。
マザー・イライザが無から作った生命体。
三十億もの塩基対を合成した上、それを繋いでDNAという鎖を紡いで。
「キース」は「無から作られた」もの。
ミュウでさえも「無からは」生まれて来なくて、人工子宮で育ってゆくのに。
彼らの「元になった」モノなら、ちゃんと存在するというのに。
けれど、「そうではなかった」キース。
シロエが言った通りに「人形」。
人形だったら、それらしくしていれば良かったものを…。
(…水槽から出されて、育て上げられて…)
いつの間にやら上級大佐で、この先も昇進してゆくのだろう。
グランド・マザーの導きのままに、彼らの「人形」に相応しい道を歩み続けて。
そのこと自体は、どうでもいい。
「そうするために」作られたのなら、「そのようにしか」生きられない。
ただ、問題は「キース」そのもの。
今の「キース」を作り上げるために、マザー・イライザが用いた手段。
(……サムと知り合うように、仕向けていって……)
スウェナの場合は、知り合うどころか、その命さえも弄ばれた。
E-1077までスウェナを乗せて来た船、それを見舞った衝突事故。
それも「仕組まれたもの」だったから。
「キース」が上手く処理するかどうか、その能力を試すためだけに。
(…私が失敗していたら…)
あの船はE-1077の区画ごとパージされていた。
反物質が漏れ出すことで発生する、対消滅からE-1077を守り抜くために。
そうはならずに済んだけれども、スウェナや、あの船に乗っていた者の命。
それを「握っていた」のが「キース」で、失敗したなら、彼らは「死んだ」。
「キース・アニアン」とは、「そういう生命」。
マザー・イライザの「理想の子」とやらを育てるために、人の命さえ弄んだ末に出来たモノ。
スウェナもそうなら、「シロエ」も同じ。
シロエの場合は、人類ではなくてミュウだったけれど。
(…そのシロエもだ…)
もしも「キース」と出会わなかったら、「マツカ」のように生き延びたろう。
少し毛色の変わったエリート、そのように生きたに違いない。
マザー・イライザに選び出されて、「キースに殺されなかったら」。
「キース」を育てる「糧」として贄にされなかったら。
(…反乱軍の奴らを殲滅しようが…)
ジルベスター・セブンを焼き滅ぼそうが、それは「任務」の一環ではある。
「キース・アニアン」が「そうしなくても」、他の誰かが「やるだろう」こと。
成功するか、失敗するかは、また別のことで。
だから、そういう「命」を幾つ踏みにじろうとも、「軍人として」罪の意識は無い。
そんなものなど感じていたなら、とても軍人にはなれない。
けれど、「軍人になる」よりも前。
E-1077を卒業してから、メンバーズ・エリートになるよりも前。
その頃から「キース」は「人の命」を弄んでいた。
「無から生まれた生命体」であって、「人間でさえもない」というのに。
ミュウにさえも及ばない生命のくせに、預けられた「スウェナの船の乗員」の命。
まだ水槽から出されて間もない、候補生としては「ヒヨコ」の頃に。
そう、グレイブもそう言った。
あの日、救助に向かおうとしたら、「ヒヨコは鶏についてくるものだ」と。
ただの「ヒヨコ」であったというのに、幾つの命を預かったのか。
救助に失敗していたならば、何人の命が失われたのか。
(…そうなっていたら、何十人か、あるいは百人ほどもいたのか…)
それが「キース」を育てるための生贄になっていただろう。
マザー・イライザは「懲りることなく」、次の事故を起こしたに違いない。
その時点での「キース」に相応しい事故を、「上手く処理して」戻るようにと。
全ての仕上げに、「シロエ」の船を撃墜させた時と同じに。
「撃ちなさい」と冷たい声で命じて、シロエが乗った練習艇を落とさせたように。
つまり、「キース」は「そういう生命」。
任務とはまるで無関係な場所で、人の命を弄びながら「育った」者。
シロエの命も「キース」が奪った。
キースと出会っていなかったならば、シロエは「死ななかった」のだから。
(…何処の世界に、こんな人間がいるというのだ…)
育つためには「人の命」を欲するような…、と心で零して、漏らした失笑。
「私は、人ではなかったのだな」と。
人間の姿と変わらなくても、「作られた者」が「キース・アニアン」。
ならば、「人」ではないのだろう。
「人の命」を弄びながら、踏みにじりながら「育った」化け物。
化け物ではないと言うのだったら、傲慢なだけ。
自分以外の者の命を糧にして「出来上がった」のならば。
スウェナを乗せていた船の者や、シロエの命。
そういった「全て」を「糧にして育って」、今の「キース」がいるのなら。
(……遠い昔は、そういった者も……)
まるでいなかったわけではない。
王と呼ばれた者の中には、人を虫けらのように扱い、栄華を誇った者たちもいる。
彼らが犯した罪に比べれば、「キースの罪」は遥かに軽そうなのだけれども…。
(…人間でさえもないのが、私だ……)
人の物差しでは測れまいな、と分かっているから、自分自身が呪わしい。
「なんと傲慢な生命なのか」と、「人でもないのに、人の命を糧にしたか」と。
この世に神がいるというなら、神の目にはどう映るのだろう。
それとも「映りもしない」のだろうか、「人間ではない」生命などは。
いくら傲慢に育てられようとも、「神が作っていない」のならば。
(…どちらでもいいことなのだがな…)
今更どうにもなりはしない、と拳を握り締めるだけ。
行き着く所まで行かない限りは、きっと「終わり」の日さえも来ない。
そういう風に「作られた」者は、「そのようにしか」生きてゆけないから…。
傲慢な生命・了
※キースを育てるための計画、アニテラだと半端ないんですよね…。原作以上に。
だったら「自分の正体」に気付いたキースが、こう思うこともあるだろうか、というお話。
(…何故なんだろう?)
どうして、あの人になるんだろうか、とシロエの頭から消えない疑問。
講義を終えて、夕食を食べて個室に帰って、夜になっても。
今日の昼間に目にした光景、それが鮮やかに焼き付いたままで。
(……いつも一緒にいるような……)
今日と同じで、と昼食の時に「見掛けた」二人を思い浮かべる。
少し離れたテーブルだったし、あちらは気付いていないだろうか。
「セキ・レイ・シロエ」が「来ていた」ことも、「自分たちの方を見ていた」ことも。
(…キース・アニアン……)
E-1077始まって以来の秀才、マザー・イライザの申し子とまで呼ばれるキース。
「機械の申し子」という名前もあるほど。
いずれキースは、メンバーズ・エリートになるのだろう。
同期のメンバーズたちの中でも、トップの成績を誇る「エリート中のエリート」として。
(あいつの成績を、全部塗り替えない内は…)
地球のトップになれやしない、と自分でも充分、分かっている。
いつか自分が「頂点に立って」社会を変えてゆこうと言うなら、キースが最大の敵なことも。
必ず勝たねばならないライバル。
蹴落とさなければならない「キース」。
そのライバルが、先にカフェテリアにいた。…「何か食べなきゃ」と入ったら。
キースが「其処にいた」ことはいい。
「先にいた」ことだって、かまいはしない。
E-1077に、候補生のために設けられた「食事が出来る場所」は一ヶ所だけ。
あのカフェテリアで「食べない」のならば、個室で食べることになるから。
もちろんキースも食事のためにと、カフェテリアに来る日は珍しくない。
「そのこと」自体は普通のことだし、「気に入りの席」をキースに盗られたわけでもない。
けれども、気付いてしまったこと。
「キースと一緒に」食べているのは、誰なのかと。
考えてみれば、今日までに何度も目にした「それ」。
カフェテリアでキースが食事中なら、一人きりで来ていない限りは…。
(……サム・ヒューストン……)
彼の姿が、必ずキースの側にあるもの。
向かいに座って食事していたり、「お前の分な!」とでも言うかのように…。
(…キースの分のトレイを持ってて、テーブルに置いて…)
それから椅子を引いたりもする。
キースと「一緒に」食事するために。
食事でなくても、コーヒーを二人で飲んでいるとか。
とうに食事は済んだ後なのか、「水だけが」置かれたテーブルに二人でいるだとか。
(…いつもキースと一緒なわけで…)
カフェテリア以外の場所で出会っても、キースの側には「彼」がいるもの。
初めてキースに「出くわした」時も、サム・ヒューストンの姿があった。
そちらの方には用が無いから、「無視して」終わりだったけど。
ただキースだけを瞳に映して、皮肉な言葉も吐いたのだけど。
(…あれが最初で、あれからも、ずっと…)
キースの側に「誰か」いるなら、サム・ヒューストンでしか有り得ない。
サムと同郷で幼馴染の、スウェナ・ダールトンの姿も見掛けることはあるけれど…。
(あっちは、明らかにオマケだよね?)
サムのオマケだ、と考えなくても分かること。
「スウェナ・ダールトンだけが」キースの「側にいる」のは、一度も見てはいないから。
スウェナがいるなら、サムも必ず「其処にいる」もの。
キースがいる場所が何処であろうと、誰かが側にいるとなったら、それはサムだけ。
「オマケ」のスウェナは、きっと「どうでもいい」のだろう。
サムと一緒に食事をしたり、通路を歩いたりするキースにとっては。
早い話が、サムは「キースの友達」。
あの「キース」などに「友達」だなんて、あまりにも「らしくない」けれど。
友の一人もいさえしないのが、似合いのように思うのだけれど。
(そっちの方が、よっぽど似合いで…)
キースらしいよ、と考えるほどに、引っ掛かってくる「サム」のこと。
彼の噂は「知らない」と言ってもいいくらい。
いつもキースの側にいるから、「また、あいつなんだ」と思っていた程度。
サムの成績が優秀だったら、そんなことにはならないだろう。
キースとしのぎを削るくらいに、優れたエリート候補生なら噂にもなる。
けれど聞かない、サムの「評判」。
優秀だとも、何かの科目でキースと並ぶ成績だとも。
(……サム・ヒューストン……)
キースの側に「いつもいる」なら、彼はどういう人物なのか。
「マザー・イライザの申し子」で「機械の申し子」のキースが、友だと認めている人物。
(…何かあるのに違いないってね…)
迂闊だった、と舌打ちをする。
初めてキースに「出会った」時に「サムもいた」せいで、勘が鈍っていたろうか。
「サムはキースとセットなんだ」とでも、ごくごく自然に思い込んで。
その手の「無自覚な錯覚」だったら、人間、誰しもありがちなこと。
目にした何かを「真実」のように、疑問も抱かず信じることも。
(…成人検査も、それの一種で…)
他の候補生たちは、何一つとして疑いもしない。
システムに疑問を持ちさえしない。
成人検査の「前」と「後」では、「自分の中身」が違うのに。
子供時代の記憶を奪われ、「地球のシステム」に都合よく「書き換えられている」のに。
それと同じで、「サムの存在」を、自分は錯覚したのだろう。
「こういうものだ」と、「キースと一緒にいるサム」を風景の一部のように。
キースがいるなら、その近くにはサムがいるのが普通なのだ、と。
…どう考えてみても、「そちらの方が」変なのに。
「キースなんかに」友達がいるということが。
誰もいないなら分かるけれども、「親友としか思えない」サムが「側にいる」のが。
今日まで気付きもしなかったけれど、サムは「特別」なのだろう。
キースが「友だ」と認めるからには、とびきり優れた「何か」を持っている人間。
(…まるで気付かなかっただなんて…)
ぼくとしたことが、と机の端末に向かい、データベースにアクセスしてゆく。
「サム・ヒューストンに関する情報を出せ」と、パーソナルデータも何もかも、全部。
プロテクトされてはいない情報。
何もブロックされはしないで、サムのデータは全て出揃ったのだけれども…。
(……何なんだ、あいつ……?)
どうしてキースの友達なんだ、と信じられない思いで見てゆく。
出身地だとか、両親だとかは、特に気にはならない。
そういったものは「誰にでもある」し、キースにだって「もちろん、ある」。
サムはキースと同郷ではなくて、アルテメシアの出身だけれど。
(…それは、どうでもいいんだけどね…)
ぼくと同じ星の出身だろうが…、と「アルテメシア」の名は頭から放り出す。
アルテメシアが故郷であっても、サムが育った育英都市はアタラクシア。
懐かしい故郷のエネルゲイアとは違う場所。
だから、そのことは「どうでもいい」。
今、気にすべきは「サムの成績」。
(……下から数えた方が早くて……)
どう転がっても、メンバーズには「なれるわけもない」成績を取っているのがサム。
それも、このステーションに「入って直ぐ」から。
何処かで「取り残された」わけではなくて、サムは最初から「成績が悪い」。
E-1077に入れたことさえ、「間違いなんじゃあ?」と思うくらいに。
同じ日に成人検査を受けた「誰か」と、ミスがあって「入れ替わってしまった」のかも、と。
同姓同名の誰かがいたとか、プログラムが少し狂っただとか。
誰も「ミスだ」と気付かないまま、「一般人向け」のコースと「此処」とを取り違えたとか。
(その方が、うんと自然なくらいに…)
酷すぎるだろう、と思うサムの成績。あの「キース」とは対照的に。
それでも、きっと「何かがある」と調べる間に、見付けた宇宙船の事故の情報。
スウェナ・ダールトンを乗せて来た船、それと軍艦との衝突事故。
(……通信回線が切断された状態で……)
E-1077からの救助部隊は出動しなかった。
代わりに「新入生」だったキースと、サムの二人が向かった救助。
(…このせいで、サムと知り合ったとか…?)
サムの成績を調べてみれば、船外活動は「得意だった」と分かる。
優秀とまでは言えないけれども、非常事態でも、「宇宙に出られる」レベルくらいには。
(二人だけで救助に向かったんなら…)
命を預けて、預けられもして、絆が生まれもするだろう。
いくらキースが「機械の申し子」と呼ばれるくらいに、感情などは「無さそう」でも。
友の一人も「いはしない」方が、似合いに思える人間でも。
(……この時以来の知り合いなわけで……)
それなら「親友」にもなるか、とデータを辿る間に、見付けたもの。
E-1077に入った直後の、新入生のためのガイダンス。
(…嘘だろう!?)
握手している「サム」と「キース」の画像。
ならば、二人は「最初からの」友。
どういうわけだか、どういう風の吹き回しなのか、二人は此処で出会った時から…。
(……友達だったと……?)
しかも、その後の「サム」は劣等生なのに。
キースなら、そんな者とは「付き合いそうにない」のに。
(…何故なんだろう…?)
どうして「友達」なんだろうか、と尽きない疑問。
キースには、「サム」は似合わないのに。
マザー・イライザも他の友を持つよう、キースに勧めそうなのに。
それともキースは、「サムを友達にしている」くらいに、人間味があると言うのだろうか?
そのようには、まるで見えなくても。
人情などとは縁さえもなくて、「機械の申し子」の名が相応しくても…。
友がいる理由・了
※キースと「友達になるように」マザー・イライザが用意したのが、アニテラでの「サム」。
そのサムの成績は「優秀ではない」だけに、シロエ視点だとどうなるだろう、と書いたお話。
(……厄介なことだ……)
明日の予定も変更とはな…、とキースは深い溜息をつく。
首都惑星ノア、其処の自室で、夜が更けた後に。
側近のマツカは、もう下がらせた。コーヒーだけを置いてゆかせて。
そのコーヒーも冷めそうだけれど、明日のことを思うと気が重いばかり。
国家騎士団総司令。
今のキースは、そういう立場。
異例の速さで昇進してゆけば、それだけ敵も増えてゆくもの。
このノアで、それに行く先々で、何度も練られる暗殺計画。
狙撃だったり、爆発物を仕掛けられたり、ありとあらゆる方法で。
そうした一つが、またも発覚したという。
計画した者たちは既に捕まり、レベル10の心理探査を実施させている。
精神崩壊してしまおうとも、知ったことではないのだから。
(だが、肝心の実行犯どもが逃走中では…)
危険が去ったとは言えない。
心理探査を実施させても、計画者たちは「実行手段」までは知らないのが常。
政治のことしか関心が無くて、軍人としての訓練も受けていないのだから。
彼らは、部下にこう命じるだけ。
「目障りな、キース・アニアンを消せ」と。
もっと言葉を並べるのならば、「手段は選ばん」とでも、「任せる」とでも。
それで終わりで、後は「朗報を待つ」だけのこと。
「キース・アニアンの暗殺に成功しました」と、部下の誰かが告げに来るのを。
(…そんな奴らを逮捕してみても…)
本当のことは何も分からん、と苛立たしくなる。
実行犯たちが全て捕まるまで、「キース」は自由に動けはしない。
暗殺の危険がありそうな場所は、悉く避けて通るもの。
たとえ演習の視察であろうと、開発中の兵器の実験、それが行われる時であろうと。
そのせいで、明日の予定も狂った。
一つ予定を変更したなら、他の予定も次々に変わる。
(……サムの見舞いに行きたかったが……)
それも行けなくなってしまった。
何日も前から「この日にゆく」と部下たちに告げて、警備の予定を立てさせたのに。
幾つものルートを用意させた上で、「見舞いに行ける」筈だったサム。
病院に着いてしまいさえすれば、部下たちを暫し遠ざけておいて、サムと話が出来るのに。
サムにとっては、「キース」は「赤のおじちゃん」でも。
E-1077で友だった頃と同じ調子で、「キース」と呼んでは貰えなくても。
(…サムの見舞いに出掛けるだけでも、今の私には自由など無いな…)
ジルベスターに向かう前なら、一人で見舞いに行けたのに。
任務の合間に、自分で車を運転して。
上級大佐になった後でも、今よりは自由に動けたのに。
(国家騎士団総司令などと言われても…)
不自由なものだ、としか思えはしない。
暗殺計画がどうであろうと、実行犯が逃げていようと、今の立場でなかったら…。
(どうとでも動けていたのだろうな…)
上級大佐くらいだったら、「代わりの人材」は幾らでもいる。
「キース」が暗殺されて消えたら、他の誰かが昇進するだけ。
もう直ぐにでも、グランド・マザーが「この者にせよ」と選び出して。
新しい「上級大佐」が来たなら、何もかも、何処も変わりはしない。
「キース」が上級大佐だった頃と、まるで全く。
ただ少しばかり、「やり方」などが違っているとか、部下の顔ぶれが変わる程度で。
(…誰が上級大佐であろうが…)
地球のシステムは変わりはしないし、マザー・システムも不変のまま。
それまで通りの日々が続いて、「キース」は忘れ去られるのだろう。
国家騎士団の者たちからも、ジルベスター以来の部下たちからも。
「キース」を上級大佐に選んだ、グランド・マザーのメモリーバンクからさえも。
けれども、今は「そうはいかない」。
地球のシステムも、マザー・システムも、「キース・アニアン」を失えない。
「国家騎士団総司令」などという、肩書を持っていなくても。
未だ「上級大佐」であろうと、もはや「失う」ことは出来ない命。
「キース」の命が潰えた時には、地球も、マザー・システムまでもが失う「未来」。
それを知る者は、「キース」の他には、誰一人いないのだけれど。
(…知っていたなら、暗殺計画を立てるどころか…)
誰もが「キース」の前にひれ伏し、懸命に媚を売ることだろう。
システムの中で生き残るために、今より以上に出世するために。
「キース」に認められさえしたなら、どんなことでも「望みのまま」になるのだから。
国家主席の地位を除けば、その他のものは、何もかも、全て。
何故なら、「キース」は「作り出された」もの。
グランド・マザーがそれを命じて、神の領域を冒してまでも。
まるっきりの「無」から生まれた生命、マザー・イライザが「作った」存在。
DNAという鎖を紡ぎ出すために、合成された三十億もの塩基対。
それを繋いで作られた「キース」、マザー・イライザは「理想の子」と呼んでいた。
サムもシロエも、「キース」を育てる糧だったとさえ。
(…私を完成させたからには…)
もう「実験」は不要だったのだろう。
E-1077は廃校になって、長く宇宙に捨て置かれていた。
表向きは「候補生にMのキャリアがいたから」だけれど、その真相はどうなのか。
「Mのキャリア」の正体はシロエ、「計算ずくで」連れて来られた者。
ならば最初から「全てを」承知だったのだろうし、廃校などにしなくても…。
(皆の記憶を処理してしまえば、それまで通りに…)
E-1077を維持できた筈。教育の最高学府として。
なのに、「廃校になった」教育ステーション。
政府の者さえ立ち入ることを許されないまま、「キース」がそれを処分した。
自分と同じ顔の者たち、幾つもの「キース」のサンプルごと。
あの「実験」がもう「無い」以上は、「キース」しかいない。
ミュウとの戦いが続く世界で、「地球のシステム」の舵を取れる者は。
SD体制を維持できる者も、マザー・システムを不動にしておける者も「キース」だけ。
「代わりの者」は、何処からも「来はしない」から。
同じ生まれの「優秀な者」は、何処を探しても「見付かる」わけがないから。
(…私は、命を失えない…)
ミュウとの戦いに敗れて、処刑されたりしない限りは。
地球を、システムを守る戦争、それで命を落とす時でも来ない限りは。
(たかが暗殺計画などで…)
死んでしまえば、「全てが」終わる。
この世界は「導く者」を失い、いずれ滅びてゆくしかない。
マザー・イライザが作った「最高傑作」、「地球の子」が「キース」なのだと言うなら。
グランド・マザーも、それを認めているのなら。
(…あの「ゆりかご」を知る前だったら…)
遠い日にシロエが見付けた「ゆりかご」、「キース」が作られた強化ガラスの水槽。
それをこの目で「見る」前だったら、命は「自分のもの」だった。
まさか「失えない」ものだとは、思いさえもしないで。
ソルジャー・ブルーとメギドで対峙した時は、命懸けでさえあったほど。
もしもマツカが来なかったならば、巻き込まれて死んでいただろう。
ソルジャー・ブルーがバーストさせたサイオン、青い焔に焼き尽くされて。
(私の命だと思っていたから、何をしようと自由だったが…)
今では、それは出来ないのだ、と「ゆりかご」を目にして、思い知らされた。
「キース」は「地球を導く者」。
知る者は自分一人だけでも、けして変えられない「生まれ」。
地球を、マザー・システムを「守り抜く」ために、無から作られた生命体。
命さえも「自由にならない」ような。
軍人のくせに、「命を落とすこと」さえ出来ない、システムに縛り付けられた者。
それを知る者は誰もいなくても、暗殺を企てる者たちが後を絶たなくても。
いつまで「こうして」生きてゆかねばならないのか。
サムの見舞いにさえも自由に行けないような、不自由でたまらない日々を。
命など惜しいと思わないのに、その「命」を失くせない生を。
(…私が「作られた者」でなければ…)
きっと全ては違ったろうな、と虚しくもなる。
指揮官は前線に「出ない」とはいえ、自分の場合は「違う」から。
「キース」が命を失った時は、地球の未来が無いのだから。
それを「知らされた」、あの日から、ずっと探している。
この「失えない命」を「捨ててしまっても」、かまわない場所を。
広い宇宙の何処を探しても、ある筈もない「死に場所」を。
いつの日か、それが見付かった時は、「キース」の命は「自分のもの」。
行き着く先が「死の世界」であろうと、もうシステムに縛られて生きる必要はない。
(……そんな場所は、きっと無いだろうがな……)
だが、探すのは私の自由だ、と冷めたコーヒーを傾ける。
いつか「見付かったら」いい、と。
失えないように「定められた」命を、「捨ててしまってもいい」死に場所が…。
失えない命・了
※ネタ元はマツカの台詞だったりします。「いつも死に場所を探しているような」という。
本当に探していると言うなら、何故だろうな、と考えたらコレに。真相は不明ですけどね。
(……成人検査……)
あれが全てを奪って行った、とシロエは唇を噛む。
E-1077の個室で、夜が更けた後に、一人きりで。
もっとも、宇宙に浮かぶ「此処」には、本物の夜は無いけれど。
中庭などの照明が暗くなるだけのことで、逆に昼間は「明るくなる」だけ。
そのシステムが故障したなら、きっと暗闇になるのだろう。
非常灯だけは灯ったとしても、他の明かりは失われて。
どちらを向いても闇でしかなくて、昼か夜かも、まるで区別がつかなくなって。
(…こんな所に、連れて来られる前は…)
朝は太陽が昇ったものだし、日暮れには沈んでいったもの。
その「太陽」を見なくなってから、どれほどの時が経ったのか。
両親も、家も、故郷の風や光も失くしてしまって、このステーションで暮らし始めてから。
こうなるのだとは、夢にも思っていなかった。
成人検査を受けた後には、「地球」に行けるかとも考えたほど。
優秀な成績を収めていたなら、ネバーランドよりも素敵な「地球」に行けると聞いて。
(パパにそう聞いて、頑張ったのに…)
地球に行こうと努力したのに、其処へ行ける道は茨の道。
子供のままでは地球に行けなくて、「教育」とやらが必要になる。
宇宙に浮かんだ「このステーション」に、四年もの間、囚われたままで。
(…でも、それだけなら…)
そう苦しみはしなかったろう。
どれほど講義が難しくても、課される課題や実習などが厳しい中身であったとしても。
懸命に努力しさえしたなら、「地球への道」が開けるのなら。
故郷で育った頃と同じに、勉強すればいいというだけ。上を目指してゆけばいいだけ。
「地球に行ける者」として選ばれるよう、トップの成績を収め続けて。
けれど、そうではなかった「現実」。
エリート教育のためのステーション、最高学府と名高い「此処」。
E-1077に入学するには、過去を捨てねばならなかった。
両親と暮らした子供時代や、懐かしい故郷の思い出などを。
「持っていても、過去には戻れないから」要らないのだ、と機械は冷たく告げた。
あの憎らしいテラズ・ナンバー・ファイブが、「成人検査」を施すコンピューターが。
(…ぼくは、忘れたくなかったのに…)
忘れたいなどと願いはしないし、そうなるのだとも思わなかった。
「子供時代」に別れを告げる日、それが「目覚めの日」だと信じて。
地球に行けるにせよ、他の何処かへ送られるにせよ、進路が決まるというだけの日だと。
両親には別れを告げたけれども、「いつか戻れる」と思い込んでいた。
大人としての教育期間を無事に終えたら、故郷へと向かう宇宙船に乗って。
アルテメシアへ飛ぶ客船のチケットを買って、エネルゲイアの宙港に降りて。
(その日まで、持っていたかったから…)
ピーターパンの本だけを持って、後にした家。
両親に貰った「大切な本」で、ネバーランドへの行き方が書かれた宝物。
成人検査の日に、荷物は持って行けないけれども、「本くらいなら」と鞄に入れて。
荷物が検査の邪魔になるなら、「何処かに置かせて貰えばいい」と考えて。
(…ピーターパンの本は、失くさなかったのに…)
もっと大事なものを失くした。
「捨てなさい」と命じた機械が、過去の「一切を」奪い去った。
顔さえおぼろになった両親、まるで現実味が無い「故郷」の記憶。
エネルゲイアの映像を見ても、「其処にいたシロエ」を思い出すことが出来ないから。
立ち並ぶ高層ビル群の何処に、自分の家が在ったのかも。
(……成人検査が、あんなものだなんて……)
誰も教えてくれなかったし、同級生たちも少しも疑問を抱いてはいない。
「忘れてしまった」子供時代や、「忘れさせられてしまった」ことに。
今の暮らしにすっかり馴染んで、マザー・イライザを「母」のように信頼したりもして。
いったい誰が「成人検査」を考えたのか。
子供時代と大人時代を、どうして「分けねばならない」のか。
SD体制の要だとはいえ、まるで分からない、その「必要性」。
「子供時代の記憶を持ったまま」では、何が「いけない」と言うのだろうか。
子供が子供でいられる世界は、遠い昔に、「地球」に確かにあったのに。
ピーターパンの本の中にも、それが書かれているというのに。
(……ずっと大人にならない子供は……)
社会の役には立たないとしても、「悪い」わけでもないだろう。
それが「良くない」ことであったら、「ピーターパン」は「好かれはしない」。
ピーターパンの本もそうだし、その主人公の「ピーターパン」も。
本は誰にも好まれないまま、とうの昔に消えていた筈。
作者が本を出版して直ぐに、書店で少しも売れはしないで、「邪魔だ」と全て捨てられて。
書いた作者も「すっかりと」懲りて、原稿を破り捨てただろう。
そうならなくても、きっと原稿は「忘れ去られた」。
出版された本と同じで、誰にも相手にされないままで。
時の彼方にいつの間にか消えて、塵になって風に吹き散らされて。
けれど、「そうなってはいない」。
ピーターパンの本も、ピーターパンも、長い長い時の流れと共に旅して、今でも「在る」。
故郷の父も、こう言っていた。
「ピーターパンか。パパも昔、読んだな」と、今はもう「思い出せない」笑顔で。
(…この本が、悪くないのなら…)
今も宇宙に「在っていい」なら、どうして機械は「子供時代」を消し去るのか。
「子供が子供でいられる世界」が、存在してはならないのか。
子供は誰でも、いつか「大人」になるものだけれど…。
(…ネバーランドに行けなかったら、大人になるしかないけれど…)
「子供の続き」に「大人になる」のと、途中でプツリと「切れる」のは違う。
子供時代の記憶を消されて、全てを「忘れ去る」のとは違う。
ずっと昔は、子供の続きに「大人の世界」があったのに。
そういった具合に「大人になる」なら、諦めようもあるというのに。
いつしか自分が「忘れ去る」のと、無理やり「忘れさせられる」のは違う。
自分が忘れてゆくのだったら、それは「自分には、もう要らない」から。
昨日までは役に立ったことでも、今日からは違うということもある。
エネルゲイアでは技術を主に学んだけれども、E-1077では「役に立たない」ように。
機械いじりが得意であっても、メンバーズには「なれない」ように。
(…そんな風に、自分で選んでいって…)
ある日、気付いたら「子供時代」は遠くに消えているかもしれない。
成人検査などが無くても、自分で「勝手に」大人になって。
子供の心を忘れてしまって、幼い子供を前にしたって、その子の気持ちが分からないほどに。
(きっと、昔は…)
ピーターパンの本が「書かれた」頃には、そうだったろう。
それよりも後の時代にしたって、子供は「子供時代の続きに」大人になっていったのだろう。
「これは要らない」と、色々なことを忘れていって。
大人の世界の決まり事だの、考え方だのに「染まっていって」。
(……今の時代も、そうだったなら……)
きっと自分は「苦しんでいない」。
故郷の星を遠く離れて、このステーションに「連れて来られて」いても。
ピーターパンの本だけを持って、この部屋で一人きりの日々でも。
機械が全てを「奪わなかったら」、心の中には「父」と「母」の顔があったろう。
懐かしい故郷の風や光も、鮮やかに思い出せたのだろう。
二度と帰ってゆけないとしても、両親には二度と会えなくても。
此処を卒業する時が来ても、両親も、故郷も、「手が届かないもの」であっても。
(……全部、覚えていたんなら……)
二度と戻れない日々であっても、きっと心の支えになった。
辛い時には思い浮かべて、幸せだった頃に思いを馳せたりもして。
それが出来たら、今よりもずっと、「セキ・レイ・シロエ」は頑張れたろう。
機械を憎んでばかりいないで、「地球への道」を歩み続けて。
そうする間に、故郷の記憶が薄れたとしても。…両親の顔を思い出す日が減っていっても。
(……その方が、ずっと……)
合理的だし、人間的だと思うのに。
「シロエ」は優秀な成績を収め続けて、苦しみのない日々を送っていたろうに。
成人検査が「子供時代」を奪わなければ、「過去の記憶」を無理やりに消していなければ。
(…どうして、成人検査なんかが…)
あると言うのか、それは「何のために」必要なのか。
誰が考え、誰が機械に「そうするように」と、あのプログラムを組み込んだのか。
(……全ては、地球を蘇らせるためで……)
SD体制も「そう」だと教わるけれども、いくら考えても「分からない」。
成人検査が必要な「理由(わけ)」が、「子供」と「大人」を分けてしまう意味が。
遠い昔は、子供の続きに「大人の世界」があったのに。
永遠に大人にならない子供が、ピーターパンが生まれて来たほどに。
(…このシステムを作った奴らは……)
どんな大人で、どんな考えを持っていたのか、誰が「彼らを育てた」のか。
「きっと機械だ」と、有り得ないことを考えたくもなる。
彼らが「子供の続き」に「大人になった」のであれば、こんな惨いことは出来ないから。
彼らにも「親」がいたのだったら、成人検査を考え付くとは思えないから。
けれど、そうでは「有り得ない」から、辛くなる。
こんな時代を作った「大人」は、「子供の続きに」大人になれた者たちだから…。
子供の続きに・了
※成人検査で「過去を消す」意味が、イマイチ分からないのがアニテラ。SD体制が緩すぎて。
ピーターパンは禁書でも変じゃないのに、堂々とあるし…。シロエでなくても謎だらけ。
