(……成人検査……)
あれが全てを奪って行った、とシロエは唇を噛む。
E-1077の個室で、夜が更けた後に、一人きりで。
もっとも、宇宙に浮かぶ「此処」には、本物の夜は無いけれど。
中庭などの照明が暗くなるだけのことで、逆に昼間は「明るくなる」だけ。
そのシステムが故障したなら、きっと暗闇になるのだろう。
非常灯だけは灯ったとしても、他の明かりは失われて。
どちらを向いても闇でしかなくて、昼か夜かも、まるで区別がつかなくなって。
(…こんな所に、連れて来られる前は…)
朝は太陽が昇ったものだし、日暮れには沈んでいったもの。
その「太陽」を見なくなってから、どれほどの時が経ったのか。
両親も、家も、故郷の風や光も失くしてしまって、このステーションで暮らし始めてから。
こうなるのだとは、夢にも思っていなかった。
成人検査を受けた後には、「地球」に行けるかとも考えたほど。
優秀な成績を収めていたなら、ネバーランドよりも素敵な「地球」に行けると聞いて。
(パパにそう聞いて、頑張ったのに…)
地球に行こうと努力したのに、其処へ行ける道は茨の道。
子供のままでは地球に行けなくて、「教育」とやらが必要になる。
宇宙に浮かんだ「このステーション」に、四年もの間、囚われたままで。
(…でも、それだけなら…)
そう苦しみはしなかったろう。
どれほど講義が難しくても、課される課題や実習などが厳しい中身であったとしても。
懸命に努力しさえしたなら、「地球への道」が開けるのなら。
故郷で育った頃と同じに、勉強すればいいというだけ。上を目指してゆけばいいだけ。
「地球に行ける者」として選ばれるよう、トップの成績を収め続けて。
けれど、そうではなかった「現実」。
エリート教育のためのステーション、最高学府と名高い「此処」。
E-1077に入学するには、過去を捨てねばならなかった。
両親と暮らした子供時代や、懐かしい故郷の思い出などを。
「持っていても、過去には戻れないから」要らないのだ、と機械は冷たく告げた。
あの憎らしいテラズ・ナンバー・ファイブが、「成人検査」を施すコンピューターが。
(…ぼくは、忘れたくなかったのに…)
忘れたいなどと願いはしないし、そうなるのだとも思わなかった。
「子供時代」に別れを告げる日、それが「目覚めの日」だと信じて。
地球に行けるにせよ、他の何処かへ送られるにせよ、進路が決まるというだけの日だと。
両親には別れを告げたけれども、「いつか戻れる」と思い込んでいた。
大人としての教育期間を無事に終えたら、故郷へと向かう宇宙船に乗って。
アルテメシアへ飛ぶ客船のチケットを買って、エネルゲイアの宙港に降りて。
(その日まで、持っていたかったから…)
ピーターパンの本だけを持って、後にした家。
両親に貰った「大切な本」で、ネバーランドへの行き方が書かれた宝物。
成人検査の日に、荷物は持って行けないけれども、「本くらいなら」と鞄に入れて。
荷物が検査の邪魔になるなら、「何処かに置かせて貰えばいい」と考えて。
(…ピーターパンの本は、失くさなかったのに…)
もっと大事なものを失くした。
「捨てなさい」と命じた機械が、過去の「一切を」奪い去った。
顔さえおぼろになった両親、まるで現実味が無い「故郷」の記憶。
エネルゲイアの映像を見ても、「其処にいたシロエ」を思い出すことが出来ないから。
立ち並ぶ高層ビル群の何処に、自分の家が在ったのかも。
(……成人検査が、あんなものだなんて……)
誰も教えてくれなかったし、同級生たちも少しも疑問を抱いてはいない。
「忘れてしまった」子供時代や、「忘れさせられてしまった」ことに。
今の暮らしにすっかり馴染んで、マザー・イライザを「母」のように信頼したりもして。
いったい誰が「成人検査」を考えたのか。
子供時代と大人時代を、どうして「分けねばならない」のか。
SD体制の要だとはいえ、まるで分からない、その「必要性」。
「子供時代の記憶を持ったまま」では、何が「いけない」と言うのだろうか。
子供が子供でいられる世界は、遠い昔に、「地球」に確かにあったのに。
ピーターパンの本の中にも、それが書かれているというのに。
(……ずっと大人にならない子供は……)
社会の役には立たないとしても、「悪い」わけでもないだろう。
それが「良くない」ことであったら、「ピーターパン」は「好かれはしない」。
ピーターパンの本もそうだし、その主人公の「ピーターパン」も。
本は誰にも好まれないまま、とうの昔に消えていた筈。
作者が本を出版して直ぐに、書店で少しも売れはしないで、「邪魔だ」と全て捨てられて。
書いた作者も「すっかりと」懲りて、原稿を破り捨てただろう。
そうならなくても、きっと原稿は「忘れ去られた」。
出版された本と同じで、誰にも相手にされないままで。
時の彼方にいつの間にか消えて、塵になって風に吹き散らされて。
けれど、「そうなってはいない」。
ピーターパンの本も、ピーターパンも、長い長い時の流れと共に旅して、今でも「在る」。
故郷の父も、こう言っていた。
「ピーターパンか。パパも昔、読んだな」と、今はもう「思い出せない」笑顔で。
(…この本が、悪くないのなら…)
今も宇宙に「在っていい」なら、どうして機械は「子供時代」を消し去るのか。
「子供が子供でいられる世界」が、存在してはならないのか。
子供は誰でも、いつか「大人」になるものだけれど…。
(…ネバーランドに行けなかったら、大人になるしかないけれど…)
「子供の続き」に「大人になる」のと、途中でプツリと「切れる」のは違う。
子供時代の記憶を消されて、全てを「忘れ去る」のとは違う。
ずっと昔は、子供の続きに「大人の世界」があったのに。
そういった具合に「大人になる」なら、諦めようもあるというのに。
いつしか自分が「忘れ去る」のと、無理やり「忘れさせられる」のは違う。
自分が忘れてゆくのだったら、それは「自分には、もう要らない」から。
昨日までは役に立ったことでも、今日からは違うということもある。
エネルゲイアでは技術を主に学んだけれども、E-1077では「役に立たない」ように。
機械いじりが得意であっても、メンバーズには「なれない」ように。
(…そんな風に、自分で選んでいって…)
ある日、気付いたら「子供時代」は遠くに消えているかもしれない。
成人検査などが無くても、自分で「勝手に」大人になって。
子供の心を忘れてしまって、幼い子供を前にしたって、その子の気持ちが分からないほどに。
(きっと、昔は…)
ピーターパンの本が「書かれた」頃には、そうだったろう。
それよりも後の時代にしたって、子供は「子供時代の続きに」大人になっていったのだろう。
「これは要らない」と、色々なことを忘れていって。
大人の世界の決まり事だの、考え方だのに「染まっていって」。
(……今の時代も、そうだったなら……)
きっと自分は「苦しんでいない」。
故郷の星を遠く離れて、このステーションに「連れて来られて」いても。
ピーターパンの本だけを持って、この部屋で一人きりの日々でも。
機械が全てを「奪わなかったら」、心の中には「父」と「母」の顔があったろう。
懐かしい故郷の風や光も、鮮やかに思い出せたのだろう。
二度と帰ってゆけないとしても、両親には二度と会えなくても。
此処を卒業する時が来ても、両親も、故郷も、「手が届かないもの」であっても。
(……全部、覚えていたんなら……)
二度と戻れない日々であっても、きっと心の支えになった。
辛い時には思い浮かべて、幸せだった頃に思いを馳せたりもして。
それが出来たら、今よりもずっと、「セキ・レイ・シロエ」は頑張れたろう。
機械を憎んでばかりいないで、「地球への道」を歩み続けて。
そうする間に、故郷の記憶が薄れたとしても。…両親の顔を思い出す日が減っていっても。
(……その方が、ずっと……)
合理的だし、人間的だと思うのに。
「シロエ」は優秀な成績を収め続けて、苦しみのない日々を送っていたろうに。
成人検査が「子供時代」を奪わなければ、「過去の記憶」を無理やりに消していなければ。
(…どうして、成人検査なんかが…)
あると言うのか、それは「何のために」必要なのか。
誰が考え、誰が機械に「そうするように」と、あのプログラムを組み込んだのか。
(……全ては、地球を蘇らせるためで……)
SD体制も「そう」だと教わるけれども、いくら考えても「分からない」。
成人検査が必要な「理由(わけ)」が、「子供」と「大人」を分けてしまう意味が。
遠い昔は、子供の続きに「大人の世界」があったのに。
永遠に大人にならない子供が、ピーターパンが生まれて来たほどに。
(…このシステムを作った奴らは……)
どんな大人で、どんな考えを持っていたのか、誰が「彼らを育てた」のか。
「きっと機械だ」と、有り得ないことを考えたくもなる。
彼らが「子供の続き」に「大人になった」のであれば、こんな惨いことは出来ないから。
彼らにも「親」がいたのだったら、成人検査を考え付くとは思えないから。
けれど、そうでは「有り得ない」から、辛くなる。
こんな時代を作った「大人」は、「子供の続きに」大人になれた者たちだから…。
子供の続きに・了
※成人検査で「過去を消す」意味が、イマイチ分からないのがアニテラ。SD体制が緩すぎて。
ピーターパンは禁書でも変じゃないのに、堂々とあるし…。シロエでなくても謎だらけ。