(此処からは、何も…)
見えやしない、とシロエが見渡した部屋。
教育ステーション、E-1077で与えられた個室。
とうに夜更けで、「外」だったならば星が瞬いていることだろう。
宇宙に浮かんだステーションではなくて、何処かの惑星の上だったなら。
けれど、此処では瞬かない星。
真空の宇宙に光る星たちは、それぞれの場所で「輝く」だけ。
大気が無ければ、星はそうなる。
チラチラと瞬くことさえ忘れて、ただ光だけを放ち続けて。
その星たちの中に、クリサリス星系もあるのだろうか。
エネルゲイアがあった育英惑星、アルテメシア。
それを擁するクリサリス星系、その中心で輝く恒星。
「あれが故郷だ」と分かる光は、星たちの中にあるのだろうか…?
(…あったとしたって…)
たとえ此処から見えたとしたって、「この部屋」からは何も見えない。
個室には「窓が無い」ものだから。
そういう構造になっているから、誰の部屋にも窓は無い筈。
覗きたくても覗けない外、窓の向こうにあるだろう宇宙。
漆黒のそれを目にするチャンスは、ステーションの外での無重力訓練などを除けば…。
(…食堂の窓くらいしか…)
候補生が見られる場所も、機会も無いと言っていいだろう。
星が瞬かない宇宙。
何処までも暗い闇の色が続く、果てしなく深い宇宙を見ることが出来る場所は、あそこだけ。
だから、此処から宇宙は見えない。
故郷があるだろう星も見えない、「あれがそうだ」と探したくても。
このステーションに連れて来られた直後。
成人検査で記憶を奪われ、ピーターパンの本だけが支えだった頃。
窓の有無など、どうでも良かった。
どうせ故郷には「帰れない」から、「見えはしない」とも思ったから。
…あまりに悲しすぎたから。
失ったものがとても大きくて、帰れない過去が多すぎて。
まるで心に穴が開いたよう、何もかも失くしてしまったかのよう。
呆然と日々を過ごす傍ら、懸命に勉学に打ち込んだ。
そうすればいつか、道が開けるかもしれないと。
今の世界が「おかしい」のならば、「ぼく自身が、それを変えてやる」と。
いつの日か地球のトップに立つこと、機械に「止まれ」と命じること。
それだけを夢見て、自分を何度も叱咤する中、ある日、気付いた。
「此処は牢獄だったんだ」と。
マザー・イライザが見張る牢獄、けして此処からは逃れられない。
何処へ逃げようとも、マザー・イライザの手のひらの上。
このステーションにいる限り。
E-1077で生きてゆく限りは。
(……牢獄ね……)
それなら窓があるわけもない。
囚人に「外」の世界は要らない、見せない方がマシというもの。
見せれば、出ようとするだろうから。
自由を求めて足掻き始めて、きっとろくでもないことをする。
(ずっと昔は…)
食事のためにと渡されたスプーン、それで脱獄した者さえもいた。
独房の床を、スプーンで少しずつ掘って。
掘った穴はいつも巧妙に隠し、掘り出した土は…。
(外で作業をする時に…)
衣服の中に隠して運んで、捨てたという。穴の存在が知られないように。
(……此処じゃ、スプーンで掘ったって……)
外の世界に出られはしない。
出られたとしても、その瞬間に潰える命。
真空の「外」で、人間は生きてゆけないから。
一瞬の内に死んでしまって、屍が残るだけなのだから。
(…それでも、此処に窓があったら…)
きっと故郷が見えただろう。
今も両親が暮らしている星、アルテメシアを連れた恒星。
その輝きが窓の向こうにあったのだろう、瞬かない星たちの中に混じって。
(…パパ、ママ……)
家に帰りたいよ、と心の中で呟いてみても、届きはしない。
クリサリス星系が此処から見えても、其処に声など届けられない。
けれど見えたら、どんなにか…。
(……懐かしくて、あそこにパパとママがいる、って……)
毎夜のように、そちらばかりを見るのだろう。
スプーンで掘っても、外に出ることは出来なくても。
遠い故郷へ帰りたくても、其処へ飛んでゆく術が無くても。
きっと焦がれて焦がれ続けて、ある日、割りたくなるかもしれない。
故郷の星が見えている窓を。
真空の宇宙と中を隔てる、強化ガラスで作られた窓を。
(割った途端に…)
中の空気は吸い出されるから、投身自殺をするようなもの。
死ぬと承知で、高層ビルの窓から外へ飛ぶのと同じ。
自由になれたと思う間もなく、命は潰えているのだろう。
ほんの僅かな自由を手に入れ、それと引き換えるようにして。
空を舞ってから地面に落下するように、真空の宇宙に押し潰されて。
それでも、と思わないでもない。
もしもこの部屋に窓があったら、「ぼくは飛ぶかもしれない」と。
懐かしい故郷に近付けるなら、と漆黒の宇宙へ身を投げて。
(…そのために窓が無いのかも…)
ぼくのような生徒が外へ飛ばないように、と考える。
その気になったら、強化ガラスを叩き割ることは出来るから。
現に自分が持っている工具、それの一つで殴り付ければ、ガラスは微塵に砕けるから。
(…自殺防止って…?)
ふざけるなよ、と言いたい気分。
自分は「自殺」などしない。
この牢獄から「逃げたい」だけで、「自由になった」結果が「死」になるだけ。
強化ガラスの窓を割っても、きっと後悔などしないだろう。
「ぼくは自由だ」と夢見るように、瞬かない星を見るだけで。
「あそこにパパとママがいるんだ」と、「ぼくはこれから帰るんだから」と。
帰ってゆくのが魂だけでも、自由があるならそれでい。
この牢獄から逃げ出せるのなら、何処までも飛んでゆけるのならば。
(飛んで行ったら、家に帰れて…)
もっと飛んだら、ネバーランドに着けるだろうか。
ネバーランドよりも素敵な地球へも、此処から飛んでゆけるのだろうか。
この部屋に「窓」がありさえしたら。
窓の向こうに故郷を見付けて、焦がれ続けて、ある日、「飛んだ」ら。
強化ガラスの窓を叩き割り、その向こうへと。
高い窓から身を投げるように、漆黒の宇宙(そら)へ飛び出したなら。
(……きっと、飛べるに違いないんだ……)
そんな気がしてたまらない。
窓の向こうには、「自由」が待っているだろうから。
牢獄の外に、マザー・イライザはいないのだから。
叩き割ったら外に出られるのは、食堂にある窓でも同じ。
とても大きな窓を割ったら、たちまち宇宙に放り出されることだろう。
(…でも、あそこだと…)
死んで終わりで、宇宙を何処までも飛んでゆけはしない。
あの場所だったら、大勢が見ているのだから。
「セキ・レイ・シロエが何かしている」と、「まさか、あの窓を割るのでは」と。
(どうせ、あいつらなんかには…)
逆立ちしたって分かりはしない。
どうして自分が窓を割るのか、窓の向こうに何があるのか。
騒ぐ生徒は野次馬ばかりで、誰も分かってなどくれない。
どんなに自分が「飛んで」ゆきたいか、どうして「窓を割りたい」のか。
(…そんな所で宇宙に放り出されても…)
無駄に屍を晒すだけのことで、きっと「自由」は手に入らない。
本当に自由が欲しいのだったら、「誰もいない」場所で飛び立つこと。
「誰も止めない」、「誰も騒ぎはしない」所で。
ただ一人きりの場所で窓を割ったら、迎えが飛んで来るのだろう。
幼い頃から、待って、待ち焦がれたピーターパンが。
背に翅を持ったティンカーベルが。
(妖精たちは宇宙を飛べなくたって…)
「窓を割った向こう」にある宇宙ならば、彼らもきっと自由に飛べる。
そうして、此処に来るのだろう。
「ネバーランドへ、地球へ行こう」と。
クリサリス星系にも寄ってゆこうと、「お父さんとお母さんにも会って行こう」と。
(……此処に窓さえあったなら……)
ぼくは自由を手に入れるのに、と「ありもしない窓」に恋い焦がれる。
「此処は牢獄なんだから」と、だから窓さえありはしない、と唇を噛んで。
窓の向こうは、きっと自由な世界だから。
其処に向かって身を投げたならば、何処までも飛んでゆけそうだから…。
逃れたい窓・了
※いや、E-1077の個室って「窓」が無いよな、と思ったわけで。多分、構造上の問題。
けれど「無い」なら、見えないのが「外」。こういう話になりました、はい…。