「…これは……」
なんなんだ、此処は、とシロエが見回した周囲。
E-1077のシークレットゾーン、フロア001と呼ばれる区画。
てっきり改造室かと思った。此処へと足を踏み入れる前は。
すまし顔をしたキース・アニアン、彼を「機械の申し子」と罵倒していた頃は。
(……胎児……)
それにキースにそっくりなモノ、と信じられない思いで見詰める。
尻尾が生えているような胎児、其処から少しずつ育った姿。
赤ん坊の次は幼児といった具合に、並ぶ幾つもの「キース」たち。
それから「キース」と対を成すように、同じように並ぶ金髪の女性。これも幾つも。
(…あいつ、機械じゃなかったんだ…)
そうだとばかり思ったのに。
彼の冷たい皮膚の下には、精巧な機械が隠されていると踏んだのに。
だから此処までやって来た。
キースの正体を暴いてやろうと、「自分が何かを知って壊れてしまうがいい」と。
なのに、いたのは「人間」の群れ。
かつては「人間」だったモノたち、今はもう息をしていないモノ。
多分、機械が残したサンプル。
これを胎児から作り上げた機械、あの憎いマザー・イライザが。
きっと何かの参考のために、育てる途中で標本にして。…途中で命を奪い取って。
(そうなってくると…)
キースは「生き延びた」モノなのだろう。
マザー・イライザに気に入られたか、とびきりの出来の人間なのか。
(まあ、とびきりではあるけどね…)
優秀には違いないだろうさ、と眺める内に気付いたこと。
胎児から此処に揃っているなら、キースは此処で「育った」モノ。
E-1077から出てはいないし、何処からも此処に「来なかった」のだ、と。
何処からも「来はしなかった」キース。
そのことは、とうに知っていた。
彼と同郷の誰に訊いても、皆、「知らない」と答えたから。
同じ宇宙船で着いた筈の者も、キースを覚えていなかったから。
(…此処にいたんだとは知っていたけど…)
まさか「育って」いただなんて、と胸にこみ上げる不快感。
機械仕掛けの人形だったら、「やっぱりね」と、ストンと納得できたのに。
キースが機械で出来ているなら、高笑いをして済ませたろうに。
「ほらね」と、「あいつは機械だった」と。
感情などは無くて当然、あったとしても機械の計算。
マザー・イライザだって怒るし、そうプログラムしてあるだけ。
「こういう時には怒るものだ」と、機械の頭脳が弾き出したら怒るだけ。
そうだとばかり思っていたのに、「人間」だなんて。
人工子宮から「生まれる」代わりに、その中で「育ち続けた」なんて。
(…ぼくは途中で取り出されたのに…)
もう充分に生きてゆける、と判断された段階で。
遠い昔なら母の胎内、其処で育って「月が満ちた」ら、「出産」だっただろう時点で。
自分は其処で取り出されたから、エネルゲイアに運ばれた。
養父母の許で育つようにと、「セキ・レイ・シロエ」の名を与えられて。
もう顔さえも思い出せない両親だけれど、幸せだった子供時代。
あれは自分の宝物なのに、何もかも機械に奪い取られた。
懐かしい家も、両親も、全部。
此処に、E-1077にやって来るには、それは「不要」とされたから。
成人検査で消されてしまった自分の過去。
今もその過去を掴み取ろうと、取り戻したいと、日々、苦しんでいるというのに…。
それとは逆だ、と睨み付ける胎児。それに幼児も、少年だって。
此処に並んだ「キース」たちの群れは、人工子宮だけしか知らない。
水槽の中から出ずに育って、途中で成長を止めたサンプル。
何らかの事情で機械がそう決め、彼らの命を奪ったから。
(でも、こいつらは死んだことさえ…)
知りやしない、と沸々と湧いてくる憎しみ。
それともこれは嫉妬だろうか、「何も知らずに」育って、死んだモノたちへの。
人工子宮から出ていないのなら、きっと自我さえ持たなかった筈。
彼らの周りには「誰もいない」し、「誰とも触れ合わない」のだから。
育てていたろうマザー・イライザ、其処から知識を得ていただけ。
キースが特別優秀なように、「エリートとして生きてゆくための」知識。
それだけを流し込まれていたなら、彼らは何も「考えはしない」。
与えられる情報を受け止めるだけで、「そういうものか」と理解するだけ。
(…機械が学習するのと同じで…)
ヒトの形を持っていたって、まるで伴わない「感情」。
「此処で終わりだ」と生命を繋ぐ機械と切り離されても、苦痛さえ覚えない生命。
彼らは「理解する」だけだから。
自分の命は此処で終わると、「学ぶ日々はもう終わったのだ」と。
だから彼らに「表情」は無い。
胎児はともかく、幼児にも、それに少年にも。
自分が知っている「キース」にそっくり、それほどに育った標本にも。
水槽の外で生きていたなら、彼らの顔にはきっと恐怖があるのだろうに。
そうでなければ無念の表情、あるいは苦痛に満ちた表情。
どれも彼らは持っていなくて、「感情が無い」ということの証拠。
「キース」は此処から外に出たから、幾らかは感情があるのだろう。
普通の人間と比べてみたなら、まるで全く足りないけれど。
いくら感情を持っていたって、所詮は「機械の申し子」だけれど。
(なんて奴らだ…)
キースも、それに「こいつら」だって、と湧き上がるのは激しい怒り。
人工子宮の中にいたなら、感情さえ生まれないけれど…。
(…失うものだって何も無いんだ…)
現に彼らは、死の瞬間さえ、「何も恐れていなかった」から。
証拠が彼らの顔にあるから、ただ「憎い」としか思わない。
同じ世界に生まれて来たのに、どうしてこうも違うのか。
人工子宮から外に出されて「セキ・レイ・シロエ」になった自分と、「キース」とは。
外の世界を知らないキース。
ずっと水槽の中で育って、養父母さえも持たないキース。
彼には「過去が無い」のも当然、最初から「持っていない」のだから。
誰もキースを「育てなかった」し、機械がせっせと知識を与えただけなのだから。
(……こういう風に生まれて来たなら……)
ぼくも苦しみはしなかったんだ、と握り締める拳。
人工子宮の外の世界を知らなかったら、両親も故郷も無かったならば。
感情さえも持たずに育って、「今日からは外で暮らしなさい」と外へ出されたならば。
そういう生まれの自分だったら、きっと辛くはなかっただろう。
苦しいとさえも思いはしなくて、ただ勉学に励んだだろう。
(何も失くしていないんだから…)
成人検査で過去を消されることも無いから、「生まれた」後には「得るもの」だけ。
人工子宮から外に出たなら、「外の世界を知ってゆく」だけ。
何一つ失くさず、失いもせずに。
「子供時代」という大きすぎた代償、それを一切、払うことなく。
ただ、のうのうと此処に、E-1077に「生まれ落ちる」だけの生命体。
それがキースで、「生まれなかった」モノがこの標本たち。
何故そうなったか、マザー・イライザしか、多分、知らないだろうけど。
命を絶たれた「彼ら」に訊いても、無表情なままで「終わったから」と言えば上等だけれど。
これがキースの正体だなんて、と抑え切れない怒りの感情。
彼の正体が機械だったら、何も思いはしないのに。
「やっぱりそうだ」と勝ち誇るだけで、証拠を撮影して帰るのに。
(…どうして、あいつが…)
人間なんだ、と考えるだけで腹が立つ。
それも過去など持たない人間、「何も失くしはしなかった」モノ。
マザー・イライザが「お行きなさい」と此処から出すまで、人工子宮で育った人間。
故郷も両親も持ちはしないで、持っていないから「失くさない」。
成人検査で奪うものなど何も無いから、きっとキースは成人検査も…。
(通過してなんかいないんだ…)
あの憎むべき成人検査を知らないのならば、どれほど幸福な人生だろう。
何一つ機械に奪われもせずに、この場所に「生まれ落ちた」なら。
過去という対価を支払うことなく、E-1077に来られたのなら。
(……幸福なキース……)
あいつはなんて幸せなんだ、と噴き上げるような憎しみと怒り。
「何も失くしていないなんて」と、「ぼくは全てを失ったのに」と。
水槽を端から叩き割りたい、この幸福な「人形」たちを。
マザー・イライザが育てた人形、人工子宮から出しもしないで、このステーションで。
(…あいつが機械だったなら…)
こんな思いはしなかったのに、と唇を噛んで、気を取り直す。
まだ終わりではないのだから。
キースを育てた「ゆりかご」は此処で目にしたけれども、まだ足りない。
どういう意図で育てて来たのか、それを暴いてやらないと…。
(キースという名のお人形さんを…)
叩き壊せはしないからね、と自分自身を叱咤する。
「こんな所で、打ちのめされている場合か」と。
キースの全てを暴くのだろうと、「そのために此処に来たんだから」と…。
過去を持たぬモノ・了
※シロエが言っていた「幸福なキース」。どの段階でそう考えたのか、と思ったわけで。
正体を知る前だろうな、と書いてみた話。「無から作った」と知ったら別の思考になりそう。