カテゴリー「地球へ…」の記事一覧
(…ミュウか…)
使いようではあるのだがな、とキースはマツカが消えた扉を見遣る。
たった今、コーヒーを淹れて置いて行った側近の正体は、ミュウ。
SD体制の不純物で忌むべき異分子、本来、生かしておいてはならない。
けれど「マツカ」が側にいたから、自分は現在、この部屋にいる。
(…初の、軍人出身の元老…)
そういう地位まで昇れた理由は、命を落とさなかったから。
マツカが持っているミュウの能力、それが「キース」を救い続けた。
数多の暗殺計画を退け、時には盾にもなっていた「マツカ」。
これから先も、「彼」の助けを借りながら生きてゆくのだろう。
他の元老には目障りな「キース」、それを消したい輩は幾らでもいる。
(寛げるのは、夜更けだけだな)
流石に部屋に戻った後まで、命を狙われたことは無い。
明日の朝、部屋を後にするまで、差し迫った危機は訪れはしない。
マツカが誰かの不穏な思考を、この時間に察知していても…。
(わざわざ伝えに来なくていい、と…)
言ってあるから、マツカは此処へは来ない。
代わりに「不穏な思考」を追い掛け、誰のものかを確実に掴み、更に読み取る。
思考の持ち主が「キース」に何をするのか、どういう罠を仕掛けるのかと。
(実に便利で、役に立つのがミュウというヤツだ)
有効活用すればいいのに、と何度思ったことだろう。
発見されたミュウを「処分する」より、「活用する」道は無いのだろうか、と。
自分が「マツカ」を使う要領で、適切な対応を誤らなければ、彼らは便利な生き物と言える。
様々な場面で役に立つ上、忠実な部下にも成り得る存在。
彼らは「恩義を受けた相手」を、けして忘れはしないから。
その相手から惨い仕打ちを受けても、本気で逆らい、殺すことなど無いのだから。
今日という日まで、「そのように」マツカを使って来た。
ソレイドで命を救った事実が、マツカに「キース」を「仕えるべき相手」と認識させた。
キースが傷付くことがないよう、マツカは能力を使い続ける。
疲労困憊している時でも、虚弱な身体が高熱を出している時でも。
(…使いようだと思うのだがな…)
それとも「キース」にしか「使いこなせない」ほど、彼らの扱いは難しいのか。
何と言っても「キース」は普通ではなくて、ミュウとは違う意味で「特殊な存在」。
人類を導くために作られ、育て上げられた「機械の申し子」。
生まれながらに優秀なのだし、「キース」には容易いことであっても…。
(他の者には、ミュウを使うのは不可能なのか?)
そういうことなら、「活用」ではなくて「処分」になるのも仕方がない。
どれほど便利な生き物だろうが、使いこなせなければ猛獣と同じ。
いつ牙を剥いて主人を殺すか、それこそ分からないのだから。
(……猛獣か……)
まさにそうだ、という気がする。
ミュウの能力は様々だけども、マツカを長年、見ていれば分かる。
外見だけでは判断出来ない、彼らが秘めている力。
たとえサイオンが弱かろうとも、追い詰められれば、凄まじい力を発揮するだろう。
実験室で「日々、殺されている」ミュウは、まだまだ未熟なミュウだからこそ。
彼らが自由を手にした時には、その能力はいくらでも伸びる。
(タイプ・ブルーには及ばなくても…)
そこそこの力を手に出来る筈で、だからこそ「役に立つ」と思った。
彼らを便利に使いこなせば、人類の方にも充分なメリットがあるだろうに、と。
とはいえ、「キース」にしか「使えない」なら、生かしておいても危険なだけ。
「全て処分する」という、グランド・マザーの意見は正しい。
(…そうは思うが、なんとも惜しいな…)
ミュウを有効に使えれば…、と考えていて、ハタと気付いた。
「彼ら」が便利で役に立つなら、何故、「キース」には…。
(…ミュウの能力が備わってはいないのだ?)
持たせておけばいいではないか、と顎に手を当て、首を傾げる。
もしも「キース」に「マツカのような力」があったら、全ては変わって来るだろう。
マツカを側近に据えていなくても、自分の力で危機を見抜いて切り抜けられる。
暗殺計画は端から潰して、突発的なテロとも言える襲撃だって…。
(マツカが弾を受け止めるように、私がこの手で…)
撃ち殺される前に弾を握って、止めてしまえば問題は無い。
不意に爆弾を投げ付けられても、自分自身でシールドも張れる。
(それらを全て、サイオンのせいとは気付かせないで…)
誰にも「ミュウ」だと知られないよう、隠して生きるのは難しくない。
現に「マツカ」は、グランド・マザーにさえ見抜かれはせずに「生きている」。
「キース」の場合は、SD体制の頂点に立つ「グランド・マザー」が作らせたのだし…。
(マザー自身が、今の私が「マツカ」を隠しているように…)
真の能力に誰も「気が付かない」よう、仕向けることは簡単だろう。
仮に気付いた者がいたなら、記憶操作か、抹殺するか。
そうすれば「誰にも」知られることなく、「キース」はミュウの能力を持って…。
(あらゆる危難を全て退け、他の者たちの心を読み取り、今の私よりも…)
優れた者になっていたろう、と容易に想像がつく。
更に言うなら、ミュウは「寿命が長い」生き物。
「キース」の寿命は、せいぜい持って百年だけども、彼らは「違う」。
ソルジャー・ブルーの例がある通り、ミュウの因子さえあれば「キース」も…。
(…三百年は生きて、指導者として…)
人類を導いてゆけるわけだし、その方が「遥かにいい」と思える。
「人類のふりをしている」以上は、表立っては出られなくても、導く方法は幾らでもある。
忠実な腹心の部下を選んで、傀儡として据えて、操るだとか。
(私が、ミュウでさえあれば…)
優に三百年の間は、人類を指導出来た筈だし、後継者をも立派に育て上げられただろう。
傀儡として選んだ部下であっても、教育次第で「キース」の後継者にすることは可能。
それに「キース」が、人類を治め続ける間に…。
(…私の後を継ぐ能力を持った「誰か」を…)
またしても「無から」作り出すことも、長い時間さえあったら出来る。
処分されたEー1077の代わりに、新たな実験場を設けて。
マザー・イライザとは違う機械に、次の時代を担う「誰か」を作り上げるよう命令して。
(…そうしておけば、ミュウどもが暴れ続けていても…)
人類はなんとか「やってゆける」だろうと思うし、聖地たる地球も持ち堪えられる。
ミュウどもの手に落ちることなく、人類の支配下に置き続けて。
(…良いことずくめだとしか思えないのだが…)
実際、そうだと思うのだが、とキースは首を捻るしかない。
「それなのに、何故」と、解せない「現実」。
ミュウの因子を組み込んでおけば、今よりも「優れたキース」を作れた。
因子を作るのが「不可能だった」とは思えない。
仮に「不可能だった」としたって、それならば「持ってくればいい」。
「全くの無から作り出す」ことにこだわり続けず、ミュウの因子だけを何処かから…。
(持って来て、組み込めばいいだけのことで…)
機械に「こだわり」などは無いから、結果さえ出せれば「それで充分」。
自分が作った因子でなくとも、「キース」に組み込み、発現させることが出来たなら。
(…しかし、マザーは…)
その道を選びはしなかった。
それは何故だ、と疑問が湧き上がって来る。
「どうして、私を人類にした」と、「何故、ミュウの因子を組み込まなかったのだ」と。
考えるほどに、「そちらの方が」上策なのに。
キースが「ミュウだ」という真実さえ隠しておいたら、最高の指導者が出来上がるのに。
どうしてなのだ、と自分自身に問い掛けてみても分からない。
「ミュウは虚弱だ」という定説にしても、ジョミー・マーキス・シンという「例外」がある。
彼のようなミュウが存在するなら、もちろん「作れる」ことだろう。
今の「キース」と全く同じに、健康な肉体を持っている「ミュウのキース」を。
メンバーズの厳しい訓練に耐えて、軍人としてやってゆける「キース」を。
(…それなのに、そうしなかったのは…)
まさか…、と恐ろしい考えが過っていった。
「作れる筈」の「ミュウのキース」を、機械が「作らなかった」理由があるのでは、と。
それが何かは謎だけれども、恐らくは「禁忌」。
ミュウの因子を「触ってはならず」、それを「操作する」ことも出来ない。
機械には「その権限」が無くて、それゆえに「作れはしなかった」。
「キース」にミュウの因子さえあれば、優秀になると分かっていても。
ミュウの因子を作り出すためのノウハウ、それをマザー・イライザが持ってはいても。
(…そうだとしたなら…)
グランド・マザーが何と言おうとも、ミュウは「進化の必然」だろう。
人類よりも「進化した」種で、次の時代を託された者。
彼らが「そういう位置付け」だったら、「キース」に因子を組み込みたくても…。
(出来はしないし、してもならない…)
グランド・マザーには、そうする権限が無い、と考えれば全てに納得がゆく。
「あれば役立つ」筈の力を、「キース」は持っていないこと。
ミュウの因子を持っていたなら、「より優秀なキース」になることも。
(…つまり、ミュウどもの方が遥かに…)
人類よりも優れているから、「世界が彼らのものになるよう」、ミュウの因子は弄れない。
いつか、その日が「やって来る」のを、機械に止めることは出来ない。
「生まれて来たミュウ」は抹殺出来ても、根源を断ち切ることだけは…。
(…けして出来ない、というわけか…)
そして「私」は、それが出来ない象徴なのか、と自嘲の笑みを浮かべてコーヒーを呷る。
「私は古い人間なのか」と、「新しい種族にしてはならないモノだったのか」と…。
持たない因子・了
※キースにミュウの因子があったら、より優秀な人材になった筈だ、と思ったわけで。
そのことにキースが気付いたとしたら、どうなるだろう、というお話。少し可哀相かも…。
使いようではあるのだがな、とキースはマツカが消えた扉を見遣る。
たった今、コーヒーを淹れて置いて行った側近の正体は、ミュウ。
SD体制の不純物で忌むべき異分子、本来、生かしておいてはならない。
けれど「マツカ」が側にいたから、自分は現在、この部屋にいる。
(…初の、軍人出身の元老…)
そういう地位まで昇れた理由は、命を落とさなかったから。
マツカが持っているミュウの能力、それが「キース」を救い続けた。
数多の暗殺計画を退け、時には盾にもなっていた「マツカ」。
これから先も、「彼」の助けを借りながら生きてゆくのだろう。
他の元老には目障りな「キース」、それを消したい輩は幾らでもいる。
(寛げるのは、夜更けだけだな)
流石に部屋に戻った後まで、命を狙われたことは無い。
明日の朝、部屋を後にするまで、差し迫った危機は訪れはしない。
マツカが誰かの不穏な思考を、この時間に察知していても…。
(わざわざ伝えに来なくていい、と…)
言ってあるから、マツカは此処へは来ない。
代わりに「不穏な思考」を追い掛け、誰のものかを確実に掴み、更に読み取る。
思考の持ち主が「キース」に何をするのか、どういう罠を仕掛けるのかと。
(実に便利で、役に立つのがミュウというヤツだ)
有効活用すればいいのに、と何度思ったことだろう。
発見されたミュウを「処分する」より、「活用する」道は無いのだろうか、と。
自分が「マツカ」を使う要領で、適切な対応を誤らなければ、彼らは便利な生き物と言える。
様々な場面で役に立つ上、忠実な部下にも成り得る存在。
彼らは「恩義を受けた相手」を、けして忘れはしないから。
その相手から惨い仕打ちを受けても、本気で逆らい、殺すことなど無いのだから。
今日という日まで、「そのように」マツカを使って来た。
ソレイドで命を救った事実が、マツカに「キース」を「仕えるべき相手」と認識させた。
キースが傷付くことがないよう、マツカは能力を使い続ける。
疲労困憊している時でも、虚弱な身体が高熱を出している時でも。
(…使いようだと思うのだがな…)
それとも「キース」にしか「使いこなせない」ほど、彼らの扱いは難しいのか。
何と言っても「キース」は普通ではなくて、ミュウとは違う意味で「特殊な存在」。
人類を導くために作られ、育て上げられた「機械の申し子」。
生まれながらに優秀なのだし、「キース」には容易いことであっても…。
(他の者には、ミュウを使うのは不可能なのか?)
そういうことなら、「活用」ではなくて「処分」になるのも仕方がない。
どれほど便利な生き物だろうが、使いこなせなければ猛獣と同じ。
いつ牙を剥いて主人を殺すか、それこそ分からないのだから。
(……猛獣か……)
まさにそうだ、という気がする。
ミュウの能力は様々だけども、マツカを長年、見ていれば分かる。
外見だけでは判断出来ない、彼らが秘めている力。
たとえサイオンが弱かろうとも、追い詰められれば、凄まじい力を発揮するだろう。
実験室で「日々、殺されている」ミュウは、まだまだ未熟なミュウだからこそ。
彼らが自由を手にした時には、その能力はいくらでも伸びる。
(タイプ・ブルーには及ばなくても…)
そこそこの力を手に出来る筈で、だからこそ「役に立つ」と思った。
彼らを便利に使いこなせば、人類の方にも充分なメリットがあるだろうに、と。
とはいえ、「キース」にしか「使えない」なら、生かしておいても危険なだけ。
「全て処分する」という、グランド・マザーの意見は正しい。
(…そうは思うが、なんとも惜しいな…)
ミュウを有効に使えれば…、と考えていて、ハタと気付いた。
「彼ら」が便利で役に立つなら、何故、「キース」には…。
(…ミュウの能力が備わってはいないのだ?)
持たせておけばいいではないか、と顎に手を当て、首を傾げる。
もしも「キース」に「マツカのような力」があったら、全ては変わって来るだろう。
マツカを側近に据えていなくても、自分の力で危機を見抜いて切り抜けられる。
暗殺計画は端から潰して、突発的なテロとも言える襲撃だって…。
(マツカが弾を受け止めるように、私がこの手で…)
撃ち殺される前に弾を握って、止めてしまえば問題は無い。
不意に爆弾を投げ付けられても、自分自身でシールドも張れる。
(それらを全て、サイオンのせいとは気付かせないで…)
誰にも「ミュウ」だと知られないよう、隠して生きるのは難しくない。
現に「マツカ」は、グランド・マザーにさえ見抜かれはせずに「生きている」。
「キース」の場合は、SD体制の頂点に立つ「グランド・マザー」が作らせたのだし…。
(マザー自身が、今の私が「マツカ」を隠しているように…)
真の能力に誰も「気が付かない」よう、仕向けることは簡単だろう。
仮に気付いた者がいたなら、記憶操作か、抹殺するか。
そうすれば「誰にも」知られることなく、「キース」はミュウの能力を持って…。
(あらゆる危難を全て退け、他の者たちの心を読み取り、今の私よりも…)
優れた者になっていたろう、と容易に想像がつく。
更に言うなら、ミュウは「寿命が長い」生き物。
「キース」の寿命は、せいぜい持って百年だけども、彼らは「違う」。
ソルジャー・ブルーの例がある通り、ミュウの因子さえあれば「キース」も…。
(…三百年は生きて、指導者として…)
人類を導いてゆけるわけだし、その方が「遥かにいい」と思える。
「人類のふりをしている」以上は、表立っては出られなくても、導く方法は幾らでもある。
忠実な腹心の部下を選んで、傀儡として据えて、操るだとか。
(私が、ミュウでさえあれば…)
優に三百年の間は、人類を指導出来た筈だし、後継者をも立派に育て上げられただろう。
傀儡として選んだ部下であっても、教育次第で「キース」の後継者にすることは可能。
それに「キース」が、人類を治め続ける間に…。
(…私の後を継ぐ能力を持った「誰か」を…)
またしても「無から」作り出すことも、長い時間さえあったら出来る。
処分されたEー1077の代わりに、新たな実験場を設けて。
マザー・イライザとは違う機械に、次の時代を担う「誰か」を作り上げるよう命令して。
(…そうしておけば、ミュウどもが暴れ続けていても…)
人類はなんとか「やってゆける」だろうと思うし、聖地たる地球も持ち堪えられる。
ミュウどもの手に落ちることなく、人類の支配下に置き続けて。
(…良いことずくめだとしか思えないのだが…)
実際、そうだと思うのだが、とキースは首を捻るしかない。
「それなのに、何故」と、解せない「現実」。
ミュウの因子を組み込んでおけば、今よりも「優れたキース」を作れた。
因子を作るのが「不可能だった」とは思えない。
仮に「不可能だった」としたって、それならば「持ってくればいい」。
「全くの無から作り出す」ことにこだわり続けず、ミュウの因子だけを何処かから…。
(持って来て、組み込めばいいだけのことで…)
機械に「こだわり」などは無いから、結果さえ出せれば「それで充分」。
自分が作った因子でなくとも、「キース」に組み込み、発現させることが出来たなら。
(…しかし、マザーは…)
その道を選びはしなかった。
それは何故だ、と疑問が湧き上がって来る。
「どうして、私を人類にした」と、「何故、ミュウの因子を組み込まなかったのだ」と。
考えるほどに、「そちらの方が」上策なのに。
キースが「ミュウだ」という真実さえ隠しておいたら、最高の指導者が出来上がるのに。
どうしてなのだ、と自分自身に問い掛けてみても分からない。
「ミュウは虚弱だ」という定説にしても、ジョミー・マーキス・シンという「例外」がある。
彼のようなミュウが存在するなら、もちろん「作れる」ことだろう。
今の「キース」と全く同じに、健康な肉体を持っている「ミュウのキース」を。
メンバーズの厳しい訓練に耐えて、軍人としてやってゆける「キース」を。
(…それなのに、そうしなかったのは…)
まさか…、と恐ろしい考えが過っていった。
「作れる筈」の「ミュウのキース」を、機械が「作らなかった」理由があるのでは、と。
それが何かは謎だけれども、恐らくは「禁忌」。
ミュウの因子を「触ってはならず」、それを「操作する」ことも出来ない。
機械には「その権限」が無くて、それゆえに「作れはしなかった」。
「キース」にミュウの因子さえあれば、優秀になると分かっていても。
ミュウの因子を作り出すためのノウハウ、それをマザー・イライザが持ってはいても。
(…そうだとしたなら…)
グランド・マザーが何と言おうとも、ミュウは「進化の必然」だろう。
人類よりも「進化した」種で、次の時代を託された者。
彼らが「そういう位置付け」だったら、「キース」に因子を組み込みたくても…。
(出来はしないし、してもならない…)
グランド・マザーには、そうする権限が無い、と考えれば全てに納得がゆく。
「あれば役立つ」筈の力を、「キース」は持っていないこと。
ミュウの因子を持っていたなら、「より優秀なキース」になることも。
(…つまり、ミュウどもの方が遥かに…)
人類よりも優れているから、「世界が彼らのものになるよう」、ミュウの因子は弄れない。
いつか、その日が「やって来る」のを、機械に止めることは出来ない。
「生まれて来たミュウ」は抹殺出来ても、根源を断ち切ることだけは…。
(…けして出来ない、というわけか…)
そして「私」は、それが出来ない象徴なのか、と自嘲の笑みを浮かべてコーヒーを呷る。
「私は古い人間なのか」と、「新しい種族にしてはならないモノだったのか」と…。
持たない因子・了
※キースにミュウの因子があったら、より優秀な人材になった筈だ、と思ったわけで。
そのことにキースが気付いたとしたら、どうなるだろう、というお話。少し可哀相かも…。
PR
(……結婚ねえ……)
このステーションにもあるだなんてね、とシロエは机に頬杖をつく。
授業は終わって、とうに夜更けになっている。
もっとも、このEー1077には、人工の夜しか無いのだけれど。
とはいえ夜は落ち着く時間で、他の候補生たちを気にしないで済む。
自分の個室に引っ込んでいれば、誰も思考を邪魔しに来ない。
(…邪魔っけで、うんと目障りだった、キースの衛星…)
忌々しいライバル、キース・アニアン。
彼の周りをいつも回っていた二つの衛星、その片方が、今日、消えていった。
「結婚」という、信じられない選択をして。
エリートを育てる最高学府の、Eー1077を捨ててしまって。
(…一般人の道へ行くなんて…)
どう考えても「有り得ない」けれど、スウェナは「それ」を選んで去った。
エリート候補生には相応しくない、冴えない職の男と共に。
Eー1077を離れたら最後、もうメンバーズ・エリートにはなれないのに。
(いなくなったことは、嬉しいんだけどね…)
とても目障りだったから、と「スウェナが消えた」ことは喜ばしい。
もう一つの衛星、サム・ヒューストンが残ってはいても、衛星が二つあるよりは…。
(一つの方が、遥かにマシさ)
苛立たされる回数が半分になる、と精神衛生上の利点を挙げる。
スウェナ・ダールトンが「消えた」からには、キースを庇う者だって減る。
面と向かって「シロエ」を詰っていたのが彼女で、まさにキースの衛星そのもの。
その点はサムも同じだけれども、スウェナと二人で「かかって来る」ことは二度と出来ない。
二人を一度に相手にするより、一人の方が楽に決まっている。
どんな言いがかりをつけられようとも、サムだけならば、適当に…。
(あしらえばいいし、無視をしたって…)
もう片方の「衛星」が騒ぐことも無いから、いいだろう。
此処での暮らしは、これで幾らか「改善される」に違いない。
目障りなものが一つ消えたら、その分、神経が逆立つことも減るだろうから。
手放しで喜び、祝福したいほどの「スウェナの結婚」。
エリートらしからぬ彼女の選択、それが招いた有難い「結果」。
その筈なのに、何故か心に引っ掛かる。
此処では「考えられない」ことが起こって、彼女が「消えた」せいなのだろうか。
(…結婚なんか…)
エリート候補生が進む先には、けして無い筈の生き方と言える。
誰もが目指す「メンバーズ・エリート」、それは「独身」が条件になる。
結婚という道を選んだ時点で失格となって、メンバーズの職を辞すしか無い。
(そんな馬鹿な奴がいたなんて…)
一度も聞いたことが無いから、「そうした」者はいないのだろう。
「メンバーズを目指す」と決めたからには、余計なことは「考えない」のが正しい道。
結婚したくなるような要素や切っ掛け、それらの全てに背を向けて生きる。
「彼氏」や「彼女」なんかを作りはしないで、ただ勉強に打ち込んで。
(それが出来ないような奴では…)
到底、メンバーズになれはしないし、落ちこぼれるだけ。
そういう輩も「多い」けれども、このステーションに「いる」間は…。
(誰かと親しく付き合っている、というだけで…)
結婚を選んで、Eー1077を離れたりはしない。
なんと言っても「最高学府」で、卒業すれば「それなりの」評価が得られる。
卒業後の道が何であろうと、他のステーション出身の者よりも良い職に就ける筈。
(そうなった後も、まだ付き合いが続いていたら…)
彼らは「結婚する」のだろうか。
良い職業を失うことなく、そのままで。
追加で「一般人のためのコース」を履修し、養父母となる道へ進んで。
何処かの星で「子供」を育てて、一緒に仲良く年を重ねて。
(…ぼくのパパとママも…)
もしかしたら、それに似ていたのかも、とハタと気付いた。
父が卒業したステーションの名は、聞いたことなど無いけれど…。
(研究所では、うんと偉かったんだし…)
一種の「エリート」には違いないから、一般人向けのコース出身ではないかもしれない。
メンバーズと違って「独身が条件」ではなかっただけで、エリートかも、と。
「優秀な技術者」を養成するためにある、教育ステーション。
父はそういう場所で学んで、その間に「母と出会った」可能性はある。
(四年間も勉強するんだものね…)
様々な人間と出会うのだろうし、知り合う機会は幾らでもあったことだろう。
授業もあれば、学生向けのカフェテリアもあるし、公園などの休憩場所も沢山。
そういった場所で「偶然」出会って、気が合ったから、互いの連絡先を知らせて…。
(また会って、いろんな話とかをして…)
別れる時に「次」の約束、何日か経てば「また会って」話す。
(…そうやって何度も会って、話して…)
ステーションを卒業する頃になったら、二人で決めていたのだろうか。
「卒業したら、結婚しよう」と。
二人一緒に、一般人向けのステーションへ行って、「一から勉強し直そう」と。
(そうじゃない、って言い切れる…?)
むしろ、そっちの可能性の方が高いんじゃあ…、と思えてくる。
父は、あまりにも「優秀」だった。
Eー1077に来てから調べてみても、「セキ博士」の名は見付けられる。
その分野での権威の一人で、所属している研究機関のトップでもある。
(…一般人向けのコースなんかで…)
それほどの高い技術や知識を、習得出来るとは「とても思えない」。
現に、今ではおぼろになった記憶の中でも、エネルゲイアという場所は…。
(技術者を育てるための育英都市で…)
友人たちの父親の職も、技術者が飛び抜けて多かった。
他の職業だと、ごくありふれた会社員とか、様々な施設で働く者とか。
(…ぼくのパパみたいに、凄い人って…)
いなかったよね、と思い返して、「やっぱり、そうかも」と顎に手を当てる。
「パパはエリートだったのかも」と、「ママとは、たまたま出会っただけで」と。
母が「父と同じステーション」にいたのだったら、父の優秀さも頷ける。
本来なら「一般コースには行かない」技術系のエリート、母も「その卵たち」の中の一人。
父と出会って恋をしたから、「今日消えた、スウェナ」がそうしたように…。
(…技術系のエリートになって、研究者の道を進む代わりに…)
父に合わせて選んだ道が「母親になる」道で、それしか選べなかったのかも、と。
(…育英都市で暮らす、養父母の場合は…)
女性の方は、職業に就くことは無い。
家で「子供を育てる」のが役目で、職に就いてはいられない。
(…ぼくのママも、母親をやらなきゃいけないから…)
父と出会ったステーションで「学んだ」知識や技術を捨てて、母親をやっていたろうか。
ブラウニーを作ってくれていた手は、他の技術を「本当は」持っていたのだろうか。
(…そうだった、って考えた方が…)
あるいは「自然」なのかもしれない。
一般人向けのコースで学び直したのなら、元々の技術は「忘れなさい」と教えられるだろう。
「それ」は子育てには不要なのだし、忘れて封印するのが一番。
代わりに料理や家事を学んで、そちらのエキスパートになるべき。
最初から一般人向けのコースで育った女性に、引けを取ることが無いように。
将来、子供を育てる時には、「最高の母親」になれるよう。
(…ママはそうやって、ぼくのママになって…)
父も「一般人向けのコース」の知識を、元の知識や技術の上に、重ねて乗せて…。
(ぼくのパパをやっていたのかな…?)
そうだとしたら、優秀なのも分かるんだよね、と頷かざるを得ない。
「そっちの方が有り得るんだよ」と、「最初から、一般人向けのコースよりかは」と。
(…でも、パパもママも…)
そんなそぶりは、ただの一度も「見せてはいない」。
成人検査で記憶を奪われてはいても、そのくらいのことは「覚えている」。
父も母も「理想の両親」だったし、今でも忘れられない存在。
温かくて優しかった二人も、涙が出るほど懐かしい家も、どちらも確かに「本物だった」。
元々は「違うステーションで育った二人」だったとは、まるで全く思えはしない。
また、そうでなければ「一般人向けのコース」で学んだ意味は無いだろう。
育てている子に「何処か変だよ」と、違和感を持たれる養父母では。
「ぼくのパパとママって、何か違うよ」と、友人の両親たちと比較されてしまうようでは。
(……ぼくのパパとママだって、ひょっとしたら……)
スウェナと良く似た道を選んで学んで、「シロエ」の親になっただろうか。
母には「他の技術と知識があった」のに、それらを捨てて「家事」を選んで。
そうなのかも、と考える内に、ふと浮かんで来た「可能性」。
両親も歩んで来た道ならば、スウェナが選んで去って行った道へ…。
(…ぼくだって、絶対、進まないとは…)
言えないのかも、と視線をピーターパンの本へと移す。
本の表紙に描かれている、夜空を駆ける子供たち。
いつか「子供が子供でいられる世界」を取り戻そうと、懸命に努力しているけれど…。
(運命の相手ってヤツに、出会っちゃったら…)
今の気持ちや固い決意は、太陽に晒された氷のように、儚く溶けてしまうのだろうか。
それこそ、ほんの一瞬の内に。
「この人と、ずっと話していたいな」と思う相手に、何処かで出会ってしまったら。
(…Eー1077では、出会わなくても…)
メンバーズに選ばれて進んだ先で、出会わないとは言い切れない。
任務で出掛けた星で出会うとか、所属先の基地に勤務している女性と知り合うだとか。
(そうなった時は、この本のことも忘れてしまって、夢中になって…)
相手の女性と何度も何度も会って話して、やがて結婚を選ぶのかもしれない。
メンバーズを辞した「最初の人間」になってしまって、一般人向けのコースに行って。
相手の女性と二人で一から学び直して、何処かの星で養父母になって。
(…ピーターパンの本は、とっくに失くして…)
手元に無いかもしれないけれども、今度は「自分で」買って、育てている子に贈るとか。
(そして、その子が気に入ってくれたら…)
故郷の父がそう言ったように、「パパも子供の頃に読んだ」と、自分も笑顔で話すだろうか。
「この本はね…」と、成人検査に持って出掛けたことなどを。
SD体制のシステムに染まって馴染んで、「パパは悪い子だったかもな」と苦笑して。
(……うーん……)
それもいいかな、という気もする。
恐らく、今夜だけだろうけれど。
「スウェナの結婚」に毒気を抜かれて、「シロエ」らしさが減ってしまって、そう思うだけ。
きっと明日には、元の通りの「シロエ」が笑っていることだろう。
「キースの衛星が一つ消えたよ」と、「有難いよね」と…。
消えた衛星・了
※「シロエだって、恋をしたなら変わるんじゃあ?」と思った所から生まれたお話。
キースを育てるために選ばれた時点で、そうなるわけがないんですけど、可能性について。
このステーションにもあるだなんてね、とシロエは机に頬杖をつく。
授業は終わって、とうに夜更けになっている。
もっとも、このEー1077には、人工の夜しか無いのだけれど。
とはいえ夜は落ち着く時間で、他の候補生たちを気にしないで済む。
自分の個室に引っ込んでいれば、誰も思考を邪魔しに来ない。
(…邪魔っけで、うんと目障りだった、キースの衛星…)
忌々しいライバル、キース・アニアン。
彼の周りをいつも回っていた二つの衛星、その片方が、今日、消えていった。
「結婚」という、信じられない選択をして。
エリートを育てる最高学府の、Eー1077を捨ててしまって。
(…一般人の道へ行くなんて…)
どう考えても「有り得ない」けれど、スウェナは「それ」を選んで去った。
エリート候補生には相応しくない、冴えない職の男と共に。
Eー1077を離れたら最後、もうメンバーズ・エリートにはなれないのに。
(いなくなったことは、嬉しいんだけどね…)
とても目障りだったから、と「スウェナが消えた」ことは喜ばしい。
もう一つの衛星、サム・ヒューストンが残ってはいても、衛星が二つあるよりは…。
(一つの方が、遥かにマシさ)
苛立たされる回数が半分になる、と精神衛生上の利点を挙げる。
スウェナ・ダールトンが「消えた」からには、キースを庇う者だって減る。
面と向かって「シロエ」を詰っていたのが彼女で、まさにキースの衛星そのもの。
その点はサムも同じだけれども、スウェナと二人で「かかって来る」ことは二度と出来ない。
二人を一度に相手にするより、一人の方が楽に決まっている。
どんな言いがかりをつけられようとも、サムだけならば、適当に…。
(あしらえばいいし、無視をしたって…)
もう片方の「衛星」が騒ぐことも無いから、いいだろう。
此処での暮らしは、これで幾らか「改善される」に違いない。
目障りなものが一つ消えたら、その分、神経が逆立つことも減るだろうから。
手放しで喜び、祝福したいほどの「スウェナの結婚」。
エリートらしからぬ彼女の選択、それが招いた有難い「結果」。
その筈なのに、何故か心に引っ掛かる。
此処では「考えられない」ことが起こって、彼女が「消えた」せいなのだろうか。
(…結婚なんか…)
エリート候補生が進む先には、けして無い筈の生き方と言える。
誰もが目指す「メンバーズ・エリート」、それは「独身」が条件になる。
結婚という道を選んだ時点で失格となって、メンバーズの職を辞すしか無い。
(そんな馬鹿な奴がいたなんて…)
一度も聞いたことが無いから、「そうした」者はいないのだろう。
「メンバーズを目指す」と決めたからには、余計なことは「考えない」のが正しい道。
結婚したくなるような要素や切っ掛け、それらの全てに背を向けて生きる。
「彼氏」や「彼女」なんかを作りはしないで、ただ勉強に打ち込んで。
(それが出来ないような奴では…)
到底、メンバーズになれはしないし、落ちこぼれるだけ。
そういう輩も「多い」けれども、このステーションに「いる」間は…。
(誰かと親しく付き合っている、というだけで…)
結婚を選んで、Eー1077を離れたりはしない。
なんと言っても「最高学府」で、卒業すれば「それなりの」評価が得られる。
卒業後の道が何であろうと、他のステーション出身の者よりも良い職に就ける筈。
(そうなった後も、まだ付き合いが続いていたら…)
彼らは「結婚する」のだろうか。
良い職業を失うことなく、そのままで。
追加で「一般人のためのコース」を履修し、養父母となる道へ進んで。
何処かの星で「子供」を育てて、一緒に仲良く年を重ねて。
(…ぼくのパパとママも…)
もしかしたら、それに似ていたのかも、とハタと気付いた。
父が卒業したステーションの名は、聞いたことなど無いけれど…。
(研究所では、うんと偉かったんだし…)
一種の「エリート」には違いないから、一般人向けのコース出身ではないかもしれない。
メンバーズと違って「独身が条件」ではなかっただけで、エリートかも、と。
「優秀な技術者」を養成するためにある、教育ステーション。
父はそういう場所で学んで、その間に「母と出会った」可能性はある。
(四年間も勉強するんだものね…)
様々な人間と出会うのだろうし、知り合う機会は幾らでもあったことだろう。
授業もあれば、学生向けのカフェテリアもあるし、公園などの休憩場所も沢山。
そういった場所で「偶然」出会って、気が合ったから、互いの連絡先を知らせて…。
(また会って、いろんな話とかをして…)
別れる時に「次」の約束、何日か経てば「また会って」話す。
(…そうやって何度も会って、話して…)
ステーションを卒業する頃になったら、二人で決めていたのだろうか。
「卒業したら、結婚しよう」と。
二人一緒に、一般人向けのステーションへ行って、「一から勉強し直そう」と。
(そうじゃない、って言い切れる…?)
むしろ、そっちの可能性の方が高いんじゃあ…、と思えてくる。
父は、あまりにも「優秀」だった。
Eー1077に来てから調べてみても、「セキ博士」の名は見付けられる。
その分野での権威の一人で、所属している研究機関のトップでもある。
(…一般人向けのコースなんかで…)
それほどの高い技術や知識を、習得出来るとは「とても思えない」。
現に、今ではおぼろになった記憶の中でも、エネルゲイアという場所は…。
(技術者を育てるための育英都市で…)
友人たちの父親の職も、技術者が飛び抜けて多かった。
他の職業だと、ごくありふれた会社員とか、様々な施設で働く者とか。
(…ぼくのパパみたいに、凄い人って…)
いなかったよね、と思い返して、「やっぱり、そうかも」と顎に手を当てる。
「パパはエリートだったのかも」と、「ママとは、たまたま出会っただけで」と。
母が「父と同じステーション」にいたのだったら、父の優秀さも頷ける。
本来なら「一般コースには行かない」技術系のエリート、母も「その卵たち」の中の一人。
父と出会って恋をしたから、「今日消えた、スウェナ」がそうしたように…。
(…技術系のエリートになって、研究者の道を進む代わりに…)
父に合わせて選んだ道が「母親になる」道で、それしか選べなかったのかも、と。
(…育英都市で暮らす、養父母の場合は…)
女性の方は、職業に就くことは無い。
家で「子供を育てる」のが役目で、職に就いてはいられない。
(…ぼくのママも、母親をやらなきゃいけないから…)
父と出会ったステーションで「学んだ」知識や技術を捨てて、母親をやっていたろうか。
ブラウニーを作ってくれていた手は、他の技術を「本当は」持っていたのだろうか。
(…そうだった、って考えた方が…)
あるいは「自然」なのかもしれない。
一般人向けのコースで学び直したのなら、元々の技術は「忘れなさい」と教えられるだろう。
「それ」は子育てには不要なのだし、忘れて封印するのが一番。
代わりに料理や家事を学んで、そちらのエキスパートになるべき。
最初から一般人向けのコースで育った女性に、引けを取ることが無いように。
将来、子供を育てる時には、「最高の母親」になれるよう。
(…ママはそうやって、ぼくのママになって…)
父も「一般人向けのコース」の知識を、元の知識や技術の上に、重ねて乗せて…。
(ぼくのパパをやっていたのかな…?)
そうだとしたら、優秀なのも分かるんだよね、と頷かざるを得ない。
「そっちの方が有り得るんだよ」と、「最初から、一般人向けのコースよりかは」と。
(…でも、パパもママも…)
そんなそぶりは、ただの一度も「見せてはいない」。
成人検査で記憶を奪われてはいても、そのくらいのことは「覚えている」。
父も母も「理想の両親」だったし、今でも忘れられない存在。
温かくて優しかった二人も、涙が出るほど懐かしい家も、どちらも確かに「本物だった」。
元々は「違うステーションで育った二人」だったとは、まるで全く思えはしない。
また、そうでなければ「一般人向けのコース」で学んだ意味は無いだろう。
育てている子に「何処か変だよ」と、違和感を持たれる養父母では。
「ぼくのパパとママって、何か違うよ」と、友人の両親たちと比較されてしまうようでは。
(……ぼくのパパとママだって、ひょっとしたら……)
スウェナと良く似た道を選んで学んで、「シロエ」の親になっただろうか。
母には「他の技術と知識があった」のに、それらを捨てて「家事」を選んで。
そうなのかも、と考える内に、ふと浮かんで来た「可能性」。
両親も歩んで来た道ならば、スウェナが選んで去って行った道へ…。
(…ぼくだって、絶対、進まないとは…)
言えないのかも、と視線をピーターパンの本へと移す。
本の表紙に描かれている、夜空を駆ける子供たち。
いつか「子供が子供でいられる世界」を取り戻そうと、懸命に努力しているけれど…。
(運命の相手ってヤツに、出会っちゃったら…)
今の気持ちや固い決意は、太陽に晒された氷のように、儚く溶けてしまうのだろうか。
それこそ、ほんの一瞬の内に。
「この人と、ずっと話していたいな」と思う相手に、何処かで出会ってしまったら。
(…Eー1077では、出会わなくても…)
メンバーズに選ばれて進んだ先で、出会わないとは言い切れない。
任務で出掛けた星で出会うとか、所属先の基地に勤務している女性と知り合うだとか。
(そうなった時は、この本のことも忘れてしまって、夢中になって…)
相手の女性と何度も何度も会って話して、やがて結婚を選ぶのかもしれない。
メンバーズを辞した「最初の人間」になってしまって、一般人向けのコースに行って。
相手の女性と二人で一から学び直して、何処かの星で養父母になって。
(…ピーターパンの本は、とっくに失くして…)
手元に無いかもしれないけれども、今度は「自分で」買って、育てている子に贈るとか。
(そして、その子が気に入ってくれたら…)
故郷の父がそう言ったように、「パパも子供の頃に読んだ」と、自分も笑顔で話すだろうか。
「この本はね…」と、成人検査に持って出掛けたことなどを。
SD体制のシステムに染まって馴染んで、「パパは悪い子だったかもな」と苦笑して。
(……うーん……)
それもいいかな、という気もする。
恐らく、今夜だけだろうけれど。
「スウェナの結婚」に毒気を抜かれて、「シロエ」らしさが減ってしまって、そう思うだけ。
きっと明日には、元の通りの「シロエ」が笑っていることだろう。
「キースの衛星が一つ消えたよ」と、「有難いよね」と…。
消えた衛星・了
※「シロエだって、恋をしたなら変わるんじゃあ?」と思った所から生まれたお話。
キースを育てるために選ばれた時点で、そうなるわけがないんですけど、可能性について。
(…何故、マツカが…)
マツカが何故、とキースの思考は、普段の冷静さを欠いていた。
さっき目にした、国家騎士団の制服よりも鮮やかだった赤。
マツカの身体から、いや、「左半分しか無い」マツカから溢れて、流れ出ていた血液。
そう、「血」と呼ぶには、あまりにも生々しく、「血液」という言葉が相応しい。
マツカが失くした右半身に入っていた血が、そのまま床に広がったよう。
袋に入った輸血用の血液、それを叩き付けて破ったかのように、あったのは赤い液体だけ。
其処にあった筈のマツカの「右半身」は、何処にも影も形も無かった。
木端微塵に砕け散ったか、あるいは蒸発してしまったのか。
(…マツカ、どうして…)
何故、こうなってしまったのだ、と頭の中が一向に纏まって来ない。
マツカの「死体」を目にした直後は、まだ幾らかは「キースらしさ」があったのに。
感情など無い機械の申し子、冷徹無比な破壊兵器の異名通りに振舞えたのに。
(……後始末を、と……)
言い捨てて「あの部屋」を後にするまでは、いつもの「キース」だったと思う。
「アニアン閣下なら、こうするだろう」と、誰もが考えている通りの「キース」。
なのに、この様はどうだろう。
マツカが流した赤い液体、彼の「命」を構成していた「赤」が未だに渦巻いている。
頭に、心に、それに目の前に、あの赤い色が焼き付いたまま。
(…私らしくもない…)
本当に、自分らしくもない、と叱咤してみても、禍々しい赤は消えてくれない。
マツカの身体という器を失い、行き場を失くして流れ出た血が。
もう血管の中を巡っていなくて、ただの「血液」と化していた「もの」が。
(…あの死に様のせいなのか…?)
それとも「マツカ」が「キース」よりも先に、「逝ってしまった」ことが衝撃だったか。
どちらなのか、それさえも判断出来ない。
見えるのは、赤い色だけで。
その「赤」を流した「マツカ」の骸が、赤を引き立てているだけで。
Eー1077に在った「水槽」、其処を出てから、今日までの長い歳月。
幾多の戦場を経験して来て、修羅場を何度もくぐり抜けて来た。
「マツカ」との間にも、色々とあった。
(…しかし、今日までの人生で…)
此処まで冷静さを失ったことは、ただの一度も無かった気がする。
「シロエ」をこの手で葬った時には、涙が止まらなかったけれども…。
(…だが、これほどには…)
混乱してはいなかった、と自分でも不思議で堪らない。
自分が「年を取った」せいなのか、「マツカ」の存在が「大き過ぎた」か。
(多分、マツカと…)
共に過ごした年月が長過ぎたせいだろうな、と纏まらない頭で結論を出す。
「きっと、そうだ」と、「ただ、それだけのことなのだ」と。
(しっかりしろ、キース…)
呆然としている暇などは無い、と自分自身を叱り付ける。
「マツカが死んでしまった」原因、それは「暗殺者が潜り込んで来た」こと。
オレンジ色の髪と瞳の青年、あのミュウが「キース」の暗殺を企てなかったら…。
(私が命を落としかけることも、マツカが命を失うことも…)
無かったのだし、部下に命じて、警備体制を見直すべきだろう。
今のキースは「国家主席」で、代わりになれる人材は無い。
もしも「キース」が死んでしまえば、人類も地球も、指導者を失うことになる。
そんなことなど「あってはならない」。
けして「起きてはならない」事態なのだし、繰り返さぬよう、対処しなければ。
(それを命じて、皆を指揮して…)
ミュウの艦隊と対峙してゆくためにも、「冷静さ」を取り戻さなければならない。
いつまでも「赤」だけを見てはいないで。
マツカが流した赤い血の色も、半身だけになってしまった骸も、頭から放り出して。
(……そうだな……)
私はそうすべきなのだ、と「先刻までとは違った自室」に、部下の一人を呼び付けた。
直属の者は「マツカ」の始末に忙しいから、「誰でもいい」と。
呼ばれて現れた下級士官に、「コーヒーを」と命令する。
淹れて「この部屋」に持って来るよう、如何にも「キースらしい」口調で。
下級士官の顔を見たからか、「いつものキース」を演じたからか。
少し「冷静さ」が戻った気がして、息を大きく一つ吐き出す。
「コーヒーを飲めば、落ち着くだろう」と。
さっきの部下が持って来たなら、その一杯をゆっくりと飲んで、持ち場に戻る。
何食わぬ顔で、「国家主席」として。
もう「後始末」が済んでいるようなら、直属の部下を全て揃えて…。
(警備体制の見直しと、今回の失態を招いた原因の究明と…)
他にもさせるべきことがある筈だ、と指で机をトントンと叩く。
今は、まだ「赤」が渦巻いているから、「それが消えたら考えよう」と。
熱いコーヒーを口にしたなら、きっと思考も纏まってくれる。
(私は、いつもコーヒーだしな)
ずっと昔からそうだった、と候補生時代にまで遡っていたら、下級士官がやって来た。
「閣下、コーヒーをお持ちしました」
緊張している彼に向かって「ああ、其処に置け」と告げ、「下がっていい」と下がらせる。
彼が扉の向こうに消えてから、コーヒーのカップを手に取った。
いつも、そうしているように。
何も考えたりはしないで、自然に、流れるような動きで。
(…ああ…)
ホッとするな、とコーヒーの香りを楽しみ、カップに口をつけたけれども…。
(……この味は……)
違う、と舌が、心が叫んだ。
「欲しかったのは、これではない」と。
確かに「コーヒー」なのだけれども、明らかに違う。
カップの中身は「ただのコーヒー」、何度も、あちこちで「飲んで来た」もの。
会議の席やら、出張先やら、他の者たちと同席している時に。
(…そうした時には…)
コーヒーを淹れて持って来るのは、其処で働いている者たち。
さっきの下級士官と同じで、「コーヒーを淹れるように」と命じられただけ。
彼ら、彼女らの役目の一つには違いなくても、それだけのこと。
ただ「コーヒーを淹れる」というだけ、それ以上の意味を持ってはいない。
要は淹れればいいだけのことで、「コーヒー」が出来れば、運んで、終わり。
(…私が飲んで来たコーヒーには…)
そうか、二種類あったのだな、と今更のように気付かされた。
「様々な所で出て来る」ものと、「マツカが淹れて、持って来る」もの。
前者は、まさに「今、此処にある」味のコーヒー。
取り立てて「こう」という特徴も無くて、特に「美味しい」とも思わない。
けれど、マツカが淹れて来るものは違った。
絶妙なタイミングで差し出されるからか、コーヒーを淹れるのが上手かったのか。
(…コーヒーを淹れることしか出来ない、能無し野郎、と…)
直属の部下たちが「マツカ」を揶揄して詰っていたから、いい腕を持っていたのだろうか。
「後始末を」と命じられた彼らも、マツカが淹れたコーヒーの味を知っているだろう。
同じ部下同士で、しかも「マツカ」は彼らよりも格が下になる。
マツカを見下していた連中なのだし、休憩時間に「淹れて来い」と何度も言ったろう。
「お前は、それしか出来ないからな」と、「早くしろよ」と。
(…そうした挙句に、マツカのコーヒーは美味い、と知って…)
やっかみや妬みも混じった渾名を、「マツカ」に付けたに違いない。
「コーヒーを淹れることしか出来ない、能無し野郎」と。
コーヒーを淹れる腕がいいというだけで、側近に取り立てられているなんて、と。
(…そういうわけではなかったのだが…)
だが、本当に美味かったんだ、とカップの中身をじっと見詰める。
「この味ではない」と、「これでは癒されない」と。
マツカが淹れてくれたものとは、まるで違った味わいの「それ」。
コーヒーには違いないのだけれども、飲みたかったコーヒーは「これ」とは違う。
こんな時こそ、飲みたいのに。
波立ち、渦巻き続ける感情、欠いてしまった「冷静さ」。
千々に乱れてしまったままの心を落ち着け、いつもの「キース」に戻るためには…。
(…あの味でないと、駄目なのだがな…)
そう思っても、もう、あの味は「味わえない」。
淹れてくれる「マツカ」は、もはや何処にもいないから。
「コーヒーを」と頼みたくても、死んでしまった「マツカ」に頼むことは出来ない。
どれほど「あの味」を求めようとも、「あのコーヒー」は二度と戻って来ない。
(…マツカを失くして、あの赤が頭から消えなくて…)
それを消し去り、早く癒されるための手段も、どうやら「キース」は失くしたらしい。
ジルベスター・セブン以来の側近だった「マツカ」と一緒に、失くしてしまった。
失くしたばかりか、これから先は…。
(コーヒーを口にする度に…)
違和感を覚え、マツカの面影が胸を過るのだろうか。
「二度と飲むことは出来ない」コーヒー、幻となってしまった味が懐かしくて。
あれこそが「本物のコーヒーだった」と、「まるで違う味」のコーヒーに顔を顰めながら。
(私の人生の残りというのが、どれだけあるかは分からないが…)
不味いコーヒーを飲まされ続けて、この生涯を終えるのか、と溜息が零れ落ちてゆく。
これから先は、もう「コーヒー」では、心が癒えはしないから。
激務に疲れ果てた時でも、「寛ぎの一杯」は出て来ないから。
「マツカ」と一緒に失ったものは、「安らぎ」というものだったろう。
こうなってしまって初めて気付いて、喪失感に苛まれる。
「何故、早く気付かなかったのか」と。
キースの「人生」の中で「マツカ」が占める部分は、なんと大きいものだったか、と…。
失ったもの・了
※「マツカが淹れるコーヒーは美味しい」というのが、アニテラの設定ですけれど。
だったら、マツカがいなくなった後のキースは、美味しいコーヒーは無しかも、というお話。
マツカが何故、とキースの思考は、普段の冷静さを欠いていた。
さっき目にした、国家騎士団の制服よりも鮮やかだった赤。
マツカの身体から、いや、「左半分しか無い」マツカから溢れて、流れ出ていた血液。
そう、「血」と呼ぶには、あまりにも生々しく、「血液」という言葉が相応しい。
マツカが失くした右半身に入っていた血が、そのまま床に広がったよう。
袋に入った輸血用の血液、それを叩き付けて破ったかのように、あったのは赤い液体だけ。
其処にあった筈のマツカの「右半身」は、何処にも影も形も無かった。
木端微塵に砕け散ったか、あるいは蒸発してしまったのか。
(…マツカ、どうして…)
何故、こうなってしまったのだ、と頭の中が一向に纏まって来ない。
マツカの「死体」を目にした直後は、まだ幾らかは「キースらしさ」があったのに。
感情など無い機械の申し子、冷徹無比な破壊兵器の異名通りに振舞えたのに。
(……後始末を、と……)
言い捨てて「あの部屋」を後にするまでは、いつもの「キース」だったと思う。
「アニアン閣下なら、こうするだろう」と、誰もが考えている通りの「キース」。
なのに、この様はどうだろう。
マツカが流した赤い液体、彼の「命」を構成していた「赤」が未だに渦巻いている。
頭に、心に、それに目の前に、あの赤い色が焼き付いたまま。
(…私らしくもない…)
本当に、自分らしくもない、と叱咤してみても、禍々しい赤は消えてくれない。
マツカの身体という器を失い、行き場を失くして流れ出た血が。
もう血管の中を巡っていなくて、ただの「血液」と化していた「もの」が。
(…あの死に様のせいなのか…?)
それとも「マツカ」が「キース」よりも先に、「逝ってしまった」ことが衝撃だったか。
どちらなのか、それさえも判断出来ない。
見えるのは、赤い色だけで。
その「赤」を流した「マツカ」の骸が、赤を引き立てているだけで。
Eー1077に在った「水槽」、其処を出てから、今日までの長い歳月。
幾多の戦場を経験して来て、修羅場を何度もくぐり抜けて来た。
「マツカ」との間にも、色々とあった。
(…しかし、今日までの人生で…)
此処まで冷静さを失ったことは、ただの一度も無かった気がする。
「シロエ」をこの手で葬った時には、涙が止まらなかったけれども…。
(…だが、これほどには…)
混乱してはいなかった、と自分でも不思議で堪らない。
自分が「年を取った」せいなのか、「マツカ」の存在が「大き過ぎた」か。
(多分、マツカと…)
共に過ごした年月が長過ぎたせいだろうな、と纏まらない頭で結論を出す。
「きっと、そうだ」と、「ただ、それだけのことなのだ」と。
(しっかりしろ、キース…)
呆然としている暇などは無い、と自分自身を叱り付ける。
「マツカが死んでしまった」原因、それは「暗殺者が潜り込んで来た」こと。
オレンジ色の髪と瞳の青年、あのミュウが「キース」の暗殺を企てなかったら…。
(私が命を落としかけることも、マツカが命を失うことも…)
無かったのだし、部下に命じて、警備体制を見直すべきだろう。
今のキースは「国家主席」で、代わりになれる人材は無い。
もしも「キース」が死んでしまえば、人類も地球も、指導者を失うことになる。
そんなことなど「あってはならない」。
けして「起きてはならない」事態なのだし、繰り返さぬよう、対処しなければ。
(それを命じて、皆を指揮して…)
ミュウの艦隊と対峙してゆくためにも、「冷静さ」を取り戻さなければならない。
いつまでも「赤」だけを見てはいないで。
マツカが流した赤い血の色も、半身だけになってしまった骸も、頭から放り出して。
(……そうだな……)
私はそうすべきなのだ、と「先刻までとは違った自室」に、部下の一人を呼び付けた。
直属の者は「マツカ」の始末に忙しいから、「誰でもいい」と。
呼ばれて現れた下級士官に、「コーヒーを」と命令する。
淹れて「この部屋」に持って来るよう、如何にも「キースらしい」口調で。
下級士官の顔を見たからか、「いつものキース」を演じたからか。
少し「冷静さ」が戻った気がして、息を大きく一つ吐き出す。
「コーヒーを飲めば、落ち着くだろう」と。
さっきの部下が持って来たなら、その一杯をゆっくりと飲んで、持ち場に戻る。
何食わぬ顔で、「国家主席」として。
もう「後始末」が済んでいるようなら、直属の部下を全て揃えて…。
(警備体制の見直しと、今回の失態を招いた原因の究明と…)
他にもさせるべきことがある筈だ、と指で机をトントンと叩く。
今は、まだ「赤」が渦巻いているから、「それが消えたら考えよう」と。
熱いコーヒーを口にしたなら、きっと思考も纏まってくれる。
(私は、いつもコーヒーだしな)
ずっと昔からそうだった、と候補生時代にまで遡っていたら、下級士官がやって来た。
「閣下、コーヒーをお持ちしました」
緊張している彼に向かって「ああ、其処に置け」と告げ、「下がっていい」と下がらせる。
彼が扉の向こうに消えてから、コーヒーのカップを手に取った。
いつも、そうしているように。
何も考えたりはしないで、自然に、流れるような動きで。
(…ああ…)
ホッとするな、とコーヒーの香りを楽しみ、カップに口をつけたけれども…。
(……この味は……)
違う、と舌が、心が叫んだ。
「欲しかったのは、これではない」と。
確かに「コーヒー」なのだけれども、明らかに違う。
カップの中身は「ただのコーヒー」、何度も、あちこちで「飲んで来た」もの。
会議の席やら、出張先やら、他の者たちと同席している時に。
(…そうした時には…)
コーヒーを淹れて持って来るのは、其処で働いている者たち。
さっきの下級士官と同じで、「コーヒーを淹れるように」と命じられただけ。
彼ら、彼女らの役目の一つには違いなくても、それだけのこと。
ただ「コーヒーを淹れる」というだけ、それ以上の意味を持ってはいない。
要は淹れればいいだけのことで、「コーヒー」が出来れば、運んで、終わり。
(…私が飲んで来たコーヒーには…)
そうか、二種類あったのだな、と今更のように気付かされた。
「様々な所で出て来る」ものと、「マツカが淹れて、持って来る」もの。
前者は、まさに「今、此処にある」味のコーヒー。
取り立てて「こう」という特徴も無くて、特に「美味しい」とも思わない。
けれど、マツカが淹れて来るものは違った。
絶妙なタイミングで差し出されるからか、コーヒーを淹れるのが上手かったのか。
(…コーヒーを淹れることしか出来ない、能無し野郎、と…)
直属の部下たちが「マツカ」を揶揄して詰っていたから、いい腕を持っていたのだろうか。
「後始末を」と命じられた彼らも、マツカが淹れたコーヒーの味を知っているだろう。
同じ部下同士で、しかも「マツカ」は彼らよりも格が下になる。
マツカを見下していた連中なのだし、休憩時間に「淹れて来い」と何度も言ったろう。
「お前は、それしか出来ないからな」と、「早くしろよ」と。
(…そうした挙句に、マツカのコーヒーは美味い、と知って…)
やっかみや妬みも混じった渾名を、「マツカ」に付けたに違いない。
「コーヒーを淹れることしか出来ない、能無し野郎」と。
コーヒーを淹れる腕がいいというだけで、側近に取り立てられているなんて、と。
(…そういうわけではなかったのだが…)
だが、本当に美味かったんだ、とカップの中身をじっと見詰める。
「この味ではない」と、「これでは癒されない」と。
マツカが淹れてくれたものとは、まるで違った味わいの「それ」。
コーヒーには違いないのだけれども、飲みたかったコーヒーは「これ」とは違う。
こんな時こそ、飲みたいのに。
波立ち、渦巻き続ける感情、欠いてしまった「冷静さ」。
千々に乱れてしまったままの心を落ち着け、いつもの「キース」に戻るためには…。
(…あの味でないと、駄目なのだがな…)
そう思っても、もう、あの味は「味わえない」。
淹れてくれる「マツカ」は、もはや何処にもいないから。
「コーヒーを」と頼みたくても、死んでしまった「マツカ」に頼むことは出来ない。
どれほど「あの味」を求めようとも、「あのコーヒー」は二度と戻って来ない。
(…マツカを失くして、あの赤が頭から消えなくて…)
それを消し去り、早く癒されるための手段も、どうやら「キース」は失くしたらしい。
ジルベスター・セブン以来の側近だった「マツカ」と一緒に、失くしてしまった。
失くしたばかりか、これから先は…。
(コーヒーを口にする度に…)
違和感を覚え、マツカの面影が胸を過るのだろうか。
「二度と飲むことは出来ない」コーヒー、幻となってしまった味が懐かしくて。
あれこそが「本物のコーヒーだった」と、「まるで違う味」のコーヒーに顔を顰めながら。
(私の人生の残りというのが、どれだけあるかは分からないが…)
不味いコーヒーを飲まされ続けて、この生涯を終えるのか、と溜息が零れ落ちてゆく。
これから先は、もう「コーヒー」では、心が癒えはしないから。
激務に疲れ果てた時でも、「寛ぎの一杯」は出て来ないから。
「マツカ」と一緒に失ったものは、「安らぎ」というものだったろう。
こうなってしまって初めて気付いて、喪失感に苛まれる。
「何故、早く気付かなかったのか」と。
キースの「人生」の中で「マツカ」が占める部分は、なんと大きいものだったか、と…。
失ったもの・了
※「マツカが淹れるコーヒーは美味しい」というのが、アニテラの設定ですけれど。
だったら、マツカがいなくなった後のキースは、美味しいコーヒーは無しかも、というお話。
(……ああ……)
もう持たないな、とブルーはベッドの上で思った。
追われるようにアルテメシアを後にしてから、今日で何日経っただろうか。
とうに寿命を迎えた身体は、ジョミーの強い願いのお蔭で、奇跡的に永らえて来た。
けれど日に日に、眠っている時間が長くなりつつある。
その傾向は以前からあったけれども、宇宙に出てから顕著になった。
限界の時が近付いていて、ついに「その日」を迎えた気がする。
(…なのに、何故だか…)
死ぬという感じが全くしない。
この状態で起きていられなくなれば、普通は死んでしまうのだろうに。
(眠れば、死んでしまうから…)
いつも懸命に意識を保って、気を失うまで耐え続けていた。
もっとも、今のことではなくて、遥か昔に、実験体だった頃のこと。
「眠っては駄目だ」と歯を食い縛って、限界まで起きて、また目覚めた。
そうやって目を覚ました後には、次の実験という地獄が待っていたのだけれど。
(…それでも生きて、生き延びるんだ、と…)
自分自身を励まし続けた遠い昔が、まざまざと脳裏に蘇って来る。
けれども、今は「違う」と身体が訴えていた。
今の眠気は「それとは違う」と、眠っても死にはしないのだ、と。
(ならば、何故…?)
どうして眠りそうなのだろう、とブルーは心の奥底を探る。
其処に沈んだ青いサイオン、そのサイオンは「尽きてはいない」。
充分あるとは言えないものの、まだ人類と一戦交えられる程度の力は残っていた。
もう一度「ジョミーを追い掛け、連れ戻したとしても」、余力は幾らかあるだろう。
(…それなのに、ぼくは…)
どうして眠ってしまうのか、と自身に問うて、ハタと気付いた。
「これは予知だ」と。
予知の力は、フィシスに与えてしまったけれども、欠片が残っていたらしい。
それが「眠れ」と、意識に働きかけて来る。
「今は眠って、その時を待て」と。
いつか「ブルー」が必要とされる時まで、眠って「力を残しておけ」と。
そういうことか、と納得したら、「眠ってもいい」と思えて来た。
ジョミーの今後が気に掛かっていて、今日まで気力を振り絞って起きて来たのだけれど…。
(…ぼくの力が、いつか必要になるのなら…)
その局面が訪れるまでは、ジョミーに任せていいだろう。
仲間たちを乗せた箱舟、このシャングリラも、ミュウという種族の未来のことも。
ジョミーなら上手くやれるだろうし、そうでなければ「この先」は無い。
ブルー亡き後、ジョミーが一人で立てないようでは、ミュウが生き残ることは出来ない。
(…ジョミー…。君なら、出来る)
ぼくが眠ってしまっても、きっと立派にやってゆける、と思うからこそ、言うべきではない。
今度眠ったら、「時が来るまで」起きないだろう、ということを彼に告げてはならない。
いつも通りに「ぼくは眠るよ」と、微笑んで「それで終わり」にすべき。
次に目覚める時が来たなら、もうジョミーとは…。
(言葉も交わせず、会うこともなくて…)
それきりになるかもしれないけれども、そうなったとしても後悔は無い。
眠って、次に起きた時には、戦いが待っているだろうから。
ミュウの未来を、このシャングリラを守り抜くために、戦い、そして散ってゆく。
残されたサイオンを全て使って、やって来た敵と刺し違えてでも滅ぼして。
(……それでいい……)
時が来るまで、ぼくは眠ろう、と自分自身に言い聞かせる。
ジョミーには何も言わずにおこうと、そうすることが最善なのだ、と。
その夜、ブルーは、青の間を訪ねて来たジョミーから一日の報告を受けて、幾つか助言をした。
普段と変わらない時を過ごして、「ぼくは眠るよ。また明日」とジョミーを送り出した後…。
(…ジョミー。ぼくが起きなくなってしまっても、君は自分で道を見付けて…)
仲間たちを導き、歩いてゆくんだ、と若きソルジャーに未来を託す。
言葉にも思念にもしなかったけれど、心の中で強く思って、ジョミーの未来に幸多かれ、と。
(……ぼくは眠るよ、長く、長く……)
どのくらい長い眠りになるのか、それは自分でも分からない。
時期が読めるほどの予知能力は残っていなくて、いつ目覚めるのか分かりもしない。
ただ、僅かに残された予知の力に、祈るように暗示をかけてゆく。
「その時が来たら、ぼくを必ず起こすんだ」と。
「ぼくが死ぬべき時に起こせ」と、「そのためにだけ、ぼくは眠る」と。
(……そう、これで……)
これでいいんだ、とブルーの意識は眠りの底へ落ちてゆく。
時が来るまで目覚めない眠り、死が待つだけの「目覚めの時」まで眠り続ける深い闇へと。
そうして、どれほどの時が流れて、何があったのか、ブルーは知らない。
けれどサイオンは「命じられた通りに」、ブルーを起こした。
(…私を目覚めさせる者。…お前は、誰だ)
誰だ、とブルーは眠りの淵から浮かび上がって、自分を起こした「誰か」の姿を探し始める。
サイオンは完全に目覚めてはおらず、その正体は掴めないけれど、強大な「敵」。
(……ぼくが戦い、倒すべき相手……)
それが来たか、と戦士としての自覚が身体を動かしてゆく。
起き上がることも辛いけれども、「戦わねば」と。
この命を捨てるべき時がやって来たから、サイオンはブルーに知らせて、「起こした」。
ならば「相手」が何であろうと…。
(…戦って、そして倒さなければ…)
仲間たちの、ミュウの未来のために、とベッドから降りて歩き始める。
よろめき、肩で息をしながら。
ブルーを起こした「誰か」がいる場所、其処を目指して。
そう、なんとしてでも戦わなければ。
(…そのためにだけ、ぼくは眠って、眠り続けて…)
今日まで眠っていたのだから、とブルーは「敵」を探し出すために長い通路を歩いてゆく。
自らの死へと向かう旅路を、ただ一人きりで、踏み締めるように。
(待っているがいい、ぼくを起こした者よ)
ぼくは必ず、お前を倒す。
命を捨てて倒しにゆくから、覚悟して待っているがいい。
けして、お前を逃がしはしない。
そのためだけに「待ち続けた」ぼくから、お前が逃れることは出来ない。
お前は何も知らないだろうが、「ぼくの目覚めには、必然がある」。
ぼくを眠りから起こした者には、死と滅びだけが待っているのだから…。
必然の目覚め・了
※ブルー追悼、「まだ書くのか」と言われそうですけど、今年はアニテラのBlu-ray が出た年。
ついでに仏教の場合、ブルー様の十七回忌になるのが今年であります。
書かないわけにはいかないだろう、と16年目も書きました。
とは言うものの、「思い付いたネタ」を書きたかったのも否定はしません、本当です。
16年目にして閃いたんです、「ぼくの目覚めには、必然がある」という台詞の意味が…。
何年、アニテラを追い続けるんだか、自分でも真面目に謎です、はい~。
もう持たないな、とブルーはベッドの上で思った。
追われるようにアルテメシアを後にしてから、今日で何日経っただろうか。
とうに寿命を迎えた身体は、ジョミーの強い願いのお蔭で、奇跡的に永らえて来た。
けれど日に日に、眠っている時間が長くなりつつある。
その傾向は以前からあったけれども、宇宙に出てから顕著になった。
限界の時が近付いていて、ついに「その日」を迎えた気がする。
(…なのに、何故だか…)
死ぬという感じが全くしない。
この状態で起きていられなくなれば、普通は死んでしまうのだろうに。
(眠れば、死んでしまうから…)
いつも懸命に意識を保って、気を失うまで耐え続けていた。
もっとも、今のことではなくて、遥か昔に、実験体だった頃のこと。
「眠っては駄目だ」と歯を食い縛って、限界まで起きて、また目覚めた。
そうやって目を覚ました後には、次の実験という地獄が待っていたのだけれど。
(…それでも生きて、生き延びるんだ、と…)
自分自身を励まし続けた遠い昔が、まざまざと脳裏に蘇って来る。
けれども、今は「違う」と身体が訴えていた。
今の眠気は「それとは違う」と、眠っても死にはしないのだ、と。
(ならば、何故…?)
どうして眠りそうなのだろう、とブルーは心の奥底を探る。
其処に沈んだ青いサイオン、そのサイオンは「尽きてはいない」。
充分あるとは言えないものの、まだ人類と一戦交えられる程度の力は残っていた。
もう一度「ジョミーを追い掛け、連れ戻したとしても」、余力は幾らかあるだろう。
(…それなのに、ぼくは…)
どうして眠ってしまうのか、と自身に問うて、ハタと気付いた。
「これは予知だ」と。
予知の力は、フィシスに与えてしまったけれども、欠片が残っていたらしい。
それが「眠れ」と、意識に働きかけて来る。
「今は眠って、その時を待て」と。
いつか「ブルー」が必要とされる時まで、眠って「力を残しておけ」と。
そういうことか、と納得したら、「眠ってもいい」と思えて来た。
ジョミーの今後が気に掛かっていて、今日まで気力を振り絞って起きて来たのだけれど…。
(…ぼくの力が、いつか必要になるのなら…)
その局面が訪れるまでは、ジョミーに任せていいだろう。
仲間たちを乗せた箱舟、このシャングリラも、ミュウという種族の未来のことも。
ジョミーなら上手くやれるだろうし、そうでなければ「この先」は無い。
ブルー亡き後、ジョミーが一人で立てないようでは、ミュウが生き残ることは出来ない。
(…ジョミー…。君なら、出来る)
ぼくが眠ってしまっても、きっと立派にやってゆける、と思うからこそ、言うべきではない。
今度眠ったら、「時が来るまで」起きないだろう、ということを彼に告げてはならない。
いつも通りに「ぼくは眠るよ」と、微笑んで「それで終わり」にすべき。
次に目覚める時が来たなら、もうジョミーとは…。
(言葉も交わせず、会うこともなくて…)
それきりになるかもしれないけれども、そうなったとしても後悔は無い。
眠って、次に起きた時には、戦いが待っているだろうから。
ミュウの未来を、このシャングリラを守り抜くために、戦い、そして散ってゆく。
残されたサイオンを全て使って、やって来た敵と刺し違えてでも滅ぼして。
(……それでいい……)
時が来るまで、ぼくは眠ろう、と自分自身に言い聞かせる。
ジョミーには何も言わずにおこうと、そうすることが最善なのだ、と。
その夜、ブルーは、青の間を訪ねて来たジョミーから一日の報告を受けて、幾つか助言をした。
普段と変わらない時を過ごして、「ぼくは眠るよ。また明日」とジョミーを送り出した後…。
(…ジョミー。ぼくが起きなくなってしまっても、君は自分で道を見付けて…)
仲間たちを導き、歩いてゆくんだ、と若きソルジャーに未来を託す。
言葉にも思念にもしなかったけれど、心の中で強く思って、ジョミーの未来に幸多かれ、と。
(……ぼくは眠るよ、長く、長く……)
どのくらい長い眠りになるのか、それは自分でも分からない。
時期が読めるほどの予知能力は残っていなくて、いつ目覚めるのか分かりもしない。
ただ、僅かに残された予知の力に、祈るように暗示をかけてゆく。
「その時が来たら、ぼくを必ず起こすんだ」と。
「ぼくが死ぬべき時に起こせ」と、「そのためにだけ、ぼくは眠る」と。
(……そう、これで……)
これでいいんだ、とブルーの意識は眠りの底へ落ちてゆく。
時が来るまで目覚めない眠り、死が待つだけの「目覚めの時」まで眠り続ける深い闇へと。
そうして、どれほどの時が流れて、何があったのか、ブルーは知らない。
けれどサイオンは「命じられた通りに」、ブルーを起こした。
(…私を目覚めさせる者。…お前は、誰だ)
誰だ、とブルーは眠りの淵から浮かび上がって、自分を起こした「誰か」の姿を探し始める。
サイオンは完全に目覚めてはおらず、その正体は掴めないけれど、強大な「敵」。
(……ぼくが戦い、倒すべき相手……)
それが来たか、と戦士としての自覚が身体を動かしてゆく。
起き上がることも辛いけれども、「戦わねば」と。
この命を捨てるべき時がやって来たから、サイオンはブルーに知らせて、「起こした」。
ならば「相手」が何であろうと…。
(…戦って、そして倒さなければ…)
仲間たちの、ミュウの未来のために、とベッドから降りて歩き始める。
よろめき、肩で息をしながら。
ブルーを起こした「誰か」がいる場所、其処を目指して。
そう、なんとしてでも戦わなければ。
(…そのためにだけ、ぼくは眠って、眠り続けて…)
今日まで眠っていたのだから、とブルーは「敵」を探し出すために長い通路を歩いてゆく。
自らの死へと向かう旅路を、ただ一人きりで、踏み締めるように。
(待っているがいい、ぼくを起こした者よ)
ぼくは必ず、お前を倒す。
命を捨てて倒しにゆくから、覚悟して待っているがいい。
けして、お前を逃がしはしない。
そのためだけに「待ち続けた」ぼくから、お前が逃れることは出来ない。
お前は何も知らないだろうが、「ぼくの目覚めには、必然がある」。
ぼくを眠りから起こした者には、死と滅びだけが待っているのだから…。
必然の目覚め・了
※ブルー追悼、「まだ書くのか」と言われそうですけど、今年はアニテラのBlu-ray が出た年。
ついでに仏教の場合、ブルー様の十七回忌になるのが今年であります。
書かないわけにはいかないだろう、と16年目も書きました。
とは言うものの、「思い付いたネタ」を書きたかったのも否定はしません、本当です。
16年目にして閃いたんです、「ぼくの目覚めには、必然がある」という台詞の意味が…。
何年、アニテラを追い続けるんだか、自分でも真面目に謎です、はい~。
(…ぼくの本…)
ぼくだけの大切な宝物、とシロエはピーターパンの本を眺める。
Eー1077の夜の個室で、勉強を終えた後の時間を、何度こうして過ごしたろうか。
故郷の星から、たった一つだけ、持ち出すことが出来たのが、この本だった。
幼かった日に両親がくれた、一番のお気に入りの本。
(いい子にしてれば、ピーターパンが迎えに来てくれて…)
ネバーランドへ連れて行ってくれる、と信じて、ずっと待ち続けた。
そのための準備もしていたけれども、ある日、父から「地球」のことを聞いた。
ネバーランドよりも素敵な場所が、地球だという。
父は笑顔で、こう言った。
「シロエなら、行けるかもしれないな」と、期待と励ましを乗せた声音で。
(だから、行こう、って…)
地球を夢見ていたというのに、今の有様はどうだろう。
素敵な場所だと聞かされた「地球」は、どうやら、そうではなかったらしい。
(…本当に素敵な所だったら、其処へ行くために、あんな成人検査なんかは…)
きっと必要無いと思う、と今も悔しくて堪らない。
SD体制のシステムと機械に騙され、こんな牢獄へ連れて来られてしまった。
故郷のエネルゲイアは遠くて、両親の家にも帰れはしない。
その上、子供時代の記憶も消されて、何もかも、おぼろげになっている。
両親の顔さえ、あちこちが欠けて、瞳の色すら分からないほどに。
(…なんで、騙されちゃったんだろう…)
うかうかと成人検査なんかを受けたんだろう、と悔やんでも過去に戻れはしない。
消された記憶を取り戻すには、先へ進んでゆくしかない。
機械に命令される代わりに、命令出来る立場になれる時まで。
二百年も誰も選ばれていない、国家主席に昇り詰めるまで。
(…その時が来るまで、ぼくの友達は…)
この本だけだよ、とピーターパンの本の表紙を撫でた。
誰も信用出来ない世界で、心の拠り所になってくれるのは、この本だけ。
逆に言うなら、この本さえあれば、何処までも進んでゆけるだろう。
茨の道でも、地獄だとしか思えないほどに辛い道でも。
ピーターパンの本と一緒なら、どんな時でも頑張れる。
Eー1077に連れて来られてから、この本に何度も力を貰った。
ページをめくって、本を抱き締めて、「負けやしない」と自分を励まして。
「パパとママの所へ帰るんだから」と、「この本を持って、「ただいま」って」と。
(…この本を持って来られて良かった…)
ホントに良かった、と心の底から湧き上がって来る懐かしさ。
記憶がおぼろになってしまっても、この本が「過去」と繋いでくれる。
両親と暮らした温かな家は、確かに存在したのだと。
本を贈ってくれた両親だって、けして幻ではなかったのだ、と。
(これが無かったら、今頃は…)
とうに挫けて、他の大勢の候補生たちと同じに、「羊」になっていたかもしれない。
SD体制とシステムに忠実な、マザー牧場の羊たち。
彼らのように「過去」を忘れて、両親も家も「ただの思い出」になっただろうか。
機械は「そうなるように」仕向けてくるし、そのように導く代物だから。
(繋ぎ止めてくれるモノが、何も無ければ…)
「シロエ」も機械に負けてしまって、「忘れた」可能性はある。
ただ「懐かしい」というだけだったら、記憶が薄れて消えてゆくのに抵抗は無い。
過去というのは「そうしたもの」だし、いつしか忘れて、時の彼方に流れ去るもの。
(子供時代の記憶だったら、ぼくも必死になるけれど…)
Eー1077に来てから起こったことなど、別に「どうでもかまわない」。
勉強の中身は忘れなくても、日々の会話や出来事なんかは、いちいち覚えていられない。
(忘れてしまって、思い出せないことなんて…)
数え切れないほどあると思うし、他の候補生たちにとっては、子供時代も「そう」だろう。
「思い出せなくても、困らないもの」で、「気にしないもの」。
だから「シロエ」も、ピーターパンの本が無ければ、彼らのようになりかねない。
二度と戻れない「過去」の欠片が、この手の中に無かったならば。
ピーターパンの本があって良かった、と「あの日」の自分に感謝する。
「成人検査の日は、何も持って行ってはいけない」という規則を破った、あの日の自分。
どうしても本を持って行きたくて、それだけを持って家を出た。
「検査の邪魔になると言うなら、その時は、置けばいいんだから」と考えて。
「そしたら、検査が終わった後に、係が返してくれると思う」と。
(…だけど、係なんかは何処にもいなくて…)
忌まわしいテラズ・ナンバー・ファイブが「セキ・レイ・シロエ」を待ち受けていた。
子供時代の記憶を消去し、大人の社会へ送り出すために。
「忘れなさい」と心に強い圧力をかけて、記憶を捨てろと命じた機械。
抗い切れずに「過去」を奪われてしまったけれども、ピーターパンの本は残った。
Eー1077へと向かう宇宙船の中で、正気に戻った時に「持っている」ことに気付いた。
何もかも奪われ、失った中で、一つだけ残った宝物。
こうして今も「この部屋」に在って、この先も、ずっと離れない。
メンバーズ・エリートの一人に選ばれ、任務で宇宙を駆けてゆく時も。
戦場に赴くような時でも、この本だけは持ってゆく。
荷物の底か何処かに隠して、一人乗りの宇宙船の中でも、きっと、必ず。
(だって、選ばれたんだから…)
ぼくは選ばれた子供なんだから、と誇らしい気持ちに包まれる。
「過去を奪われた」ことを忘れない、特別な「選ばれた子供」が「シロエ」。
いつか機械に「止まれ」と命じて、SD体制を破壊するよう、使命を託されているのだ、と。
(だから、ぼくだけが…)
過去の欠片を持っているんだ、とピーターパンの本を見詰める。
こうして「大切な本を持って来られた」ことこそ、「選ばれた子供」だという証。
過去と今とを繋ぐ絆を失くさず、何があっても「過去を忘れない」ようになっている。
他の子供は、何も持ってはいないのに。
規則を守って「何も持たずに」家を出たから、他の者たちは「過去にこだわらない」。
繋ぎ止めてくれる「もの」が無いから、「まあ、いいや」と時の流れに任せて流されて。
子供時代の記憶がおぼろになっても、「そんなものだ」と納得して。
けれど、「セキ・レイ・シロエ」は「違う」。
選ばれた子供の証を手にして、遥か未来を目指して進む。
メンバーズになって、いずれは国家主席の座に就き、SD体制を終わらせるために。
「子供が子供でいられる世界」を、もう一度、「ヒト」が手に出来るように。
(…ぼくを選んだのは、ピーターパンか、神様なのか…)
どちらなのかは知らないけれども、選ばれたことが誇りで励み。
辛い道のりでも、ピーターパンの本と一緒に乗り越えてゆく。
「この本を持って来られた」ことが「選ばれた証」なのだから。
ピーターパンの本さえあったら、いくらでも頑張ってゆける筈だし、何だって出来る。
必要とあらば、憎い機械に「服従している」ふりだって。
(今はまだ、そこまでしなくても済んでいるけれど…)
メンバーズになったら、そうはいかなくなるな、と分かってはいる。
堂々と反抗していられるのは、候補生の間だけなのだ、と。
(でも、機械くらい…)
ちゃんと騙して、上手くやるさ、と思ったはずみに、不意に掠めていった考え。
「本当に…?」と。
本当に上手く機械を騙して、国家主席の座までゆけるだろうか、と。
(…成人検査の時と違って、機械ってヤツのやり方は…)
もう読めてるし、と自信は充分あるのだけれども、恐ろしいことに気が付いた。
確かに自分は「選ばれた子供」で、「特別な存在」なのだと思う。
ピーターパンの本を「持って来られた」ことが証で、そんな者は他にいないけれども…。
(…ぼくを選んだのが、機械だったら…?)
神様でも、ピーターパンでもなくて…、と背筋がゾクリと冷たくなった。
考えたことさえ一度も無かった、「機械に選ばれた」可能性。
(……ゼロじゃないんだ……)
そっちなのかもしれないんだ、と身体が俄かに震え出す。
もしも「機械に選ばれた」のなら、「本を持って来られた」ことは当たり前。
これは機械がしている実験、「過去を忘れない」子供の成長ぶりを調べて、データを取る。
そうする理由は、例えば「成人検査の改革」。
この先も、従来通りでいいのか、改革するなら、どうすべきか、などと。
(……まさかね……)
まさか、そんな恐ろしい実験なんて、と自分を叱咤してみても、身体の震えは止まらない。
何故なら、それは「有り得る」から。
機械が最初から「そういうつもりで」いたのだったら、格好の獲物だったろう。
「そうするように」と仕向けなくても、自ら進んで「過去の欠片」を持ち込んだ子供。
(…丁度いい、って…)
わざと見逃し、ピーターパンの本と一緒に、Eー1077へ送り込んだのかもしれない。
今も密かに監視しながら、データを集めているのだったら…。
(…ぼくの心も、考え方も、全てお見通しで…)
何処まで持ち堪えることが出来るか、機械は実験を続けてゆく。
「セキ・レイ・シロエ」が「過去を手放す」か、「堪え切れずに壊れる」日まで。
ピーターパンの本を持たせたままで、「過去の欠片」をどうするのかを見定めながら。
(そうだとしたなら、ぼくの未来は…)
真っ暗でしかないんだれど、と足元が崩れ落ちてゆくよう。
過去を手放して「皆と同じに生きてゆく」か、「狂う」かの実験ならば、未来は無いも同然。
どちらに行っても、今の「シロエ」の望みとは…。
(違いすぎるし、どっちも嫌だよ…!)
そんな実験なんかは御免だ、と震え続ける身体を抱き締め、心の中で繰り返す。
「違うよ、ぼくは選ばれたんだ」と。
「ぼくを選んだのは、きっと神様かピーターパンで、機械なんかじゃないんだから」と…。
本がある理由・了
※キースを立派に育て上げるために「機械が選んだ」のが、シロエだったんですけど。
「機械に選ばれた」可能性について、シロエの側から考えてみたのが、このお話。
ぼくだけの大切な宝物、とシロエはピーターパンの本を眺める。
Eー1077の夜の個室で、勉強を終えた後の時間を、何度こうして過ごしたろうか。
故郷の星から、たった一つだけ、持ち出すことが出来たのが、この本だった。
幼かった日に両親がくれた、一番のお気に入りの本。
(いい子にしてれば、ピーターパンが迎えに来てくれて…)
ネバーランドへ連れて行ってくれる、と信じて、ずっと待ち続けた。
そのための準備もしていたけれども、ある日、父から「地球」のことを聞いた。
ネバーランドよりも素敵な場所が、地球だという。
父は笑顔で、こう言った。
「シロエなら、行けるかもしれないな」と、期待と励ましを乗せた声音で。
(だから、行こう、って…)
地球を夢見ていたというのに、今の有様はどうだろう。
素敵な場所だと聞かされた「地球」は、どうやら、そうではなかったらしい。
(…本当に素敵な所だったら、其処へ行くために、あんな成人検査なんかは…)
きっと必要無いと思う、と今も悔しくて堪らない。
SD体制のシステムと機械に騙され、こんな牢獄へ連れて来られてしまった。
故郷のエネルゲイアは遠くて、両親の家にも帰れはしない。
その上、子供時代の記憶も消されて、何もかも、おぼろげになっている。
両親の顔さえ、あちこちが欠けて、瞳の色すら分からないほどに。
(…なんで、騙されちゃったんだろう…)
うかうかと成人検査なんかを受けたんだろう、と悔やんでも過去に戻れはしない。
消された記憶を取り戻すには、先へ進んでゆくしかない。
機械に命令される代わりに、命令出来る立場になれる時まで。
二百年も誰も選ばれていない、国家主席に昇り詰めるまで。
(…その時が来るまで、ぼくの友達は…)
この本だけだよ、とピーターパンの本の表紙を撫でた。
誰も信用出来ない世界で、心の拠り所になってくれるのは、この本だけ。
逆に言うなら、この本さえあれば、何処までも進んでゆけるだろう。
茨の道でも、地獄だとしか思えないほどに辛い道でも。
ピーターパンの本と一緒なら、どんな時でも頑張れる。
Eー1077に連れて来られてから、この本に何度も力を貰った。
ページをめくって、本を抱き締めて、「負けやしない」と自分を励まして。
「パパとママの所へ帰るんだから」と、「この本を持って、「ただいま」って」と。
(…この本を持って来られて良かった…)
ホントに良かった、と心の底から湧き上がって来る懐かしさ。
記憶がおぼろになってしまっても、この本が「過去」と繋いでくれる。
両親と暮らした温かな家は、確かに存在したのだと。
本を贈ってくれた両親だって、けして幻ではなかったのだ、と。
(これが無かったら、今頃は…)
とうに挫けて、他の大勢の候補生たちと同じに、「羊」になっていたかもしれない。
SD体制とシステムに忠実な、マザー牧場の羊たち。
彼らのように「過去」を忘れて、両親も家も「ただの思い出」になっただろうか。
機械は「そうなるように」仕向けてくるし、そのように導く代物だから。
(繋ぎ止めてくれるモノが、何も無ければ…)
「シロエ」も機械に負けてしまって、「忘れた」可能性はある。
ただ「懐かしい」というだけだったら、記憶が薄れて消えてゆくのに抵抗は無い。
過去というのは「そうしたもの」だし、いつしか忘れて、時の彼方に流れ去るもの。
(子供時代の記憶だったら、ぼくも必死になるけれど…)
Eー1077に来てから起こったことなど、別に「どうでもかまわない」。
勉強の中身は忘れなくても、日々の会話や出来事なんかは、いちいち覚えていられない。
(忘れてしまって、思い出せないことなんて…)
数え切れないほどあると思うし、他の候補生たちにとっては、子供時代も「そう」だろう。
「思い出せなくても、困らないもの」で、「気にしないもの」。
だから「シロエ」も、ピーターパンの本が無ければ、彼らのようになりかねない。
二度と戻れない「過去」の欠片が、この手の中に無かったならば。
ピーターパンの本があって良かった、と「あの日」の自分に感謝する。
「成人検査の日は、何も持って行ってはいけない」という規則を破った、あの日の自分。
どうしても本を持って行きたくて、それだけを持って家を出た。
「検査の邪魔になると言うなら、その時は、置けばいいんだから」と考えて。
「そしたら、検査が終わった後に、係が返してくれると思う」と。
(…だけど、係なんかは何処にもいなくて…)
忌まわしいテラズ・ナンバー・ファイブが「セキ・レイ・シロエ」を待ち受けていた。
子供時代の記憶を消去し、大人の社会へ送り出すために。
「忘れなさい」と心に強い圧力をかけて、記憶を捨てろと命じた機械。
抗い切れずに「過去」を奪われてしまったけれども、ピーターパンの本は残った。
Eー1077へと向かう宇宙船の中で、正気に戻った時に「持っている」ことに気付いた。
何もかも奪われ、失った中で、一つだけ残った宝物。
こうして今も「この部屋」に在って、この先も、ずっと離れない。
メンバーズ・エリートの一人に選ばれ、任務で宇宙を駆けてゆく時も。
戦場に赴くような時でも、この本だけは持ってゆく。
荷物の底か何処かに隠して、一人乗りの宇宙船の中でも、きっと、必ず。
(だって、選ばれたんだから…)
ぼくは選ばれた子供なんだから、と誇らしい気持ちに包まれる。
「過去を奪われた」ことを忘れない、特別な「選ばれた子供」が「シロエ」。
いつか機械に「止まれ」と命じて、SD体制を破壊するよう、使命を託されているのだ、と。
(だから、ぼくだけが…)
過去の欠片を持っているんだ、とピーターパンの本を見詰める。
こうして「大切な本を持って来られた」ことこそ、「選ばれた子供」だという証。
過去と今とを繋ぐ絆を失くさず、何があっても「過去を忘れない」ようになっている。
他の子供は、何も持ってはいないのに。
規則を守って「何も持たずに」家を出たから、他の者たちは「過去にこだわらない」。
繋ぎ止めてくれる「もの」が無いから、「まあ、いいや」と時の流れに任せて流されて。
子供時代の記憶がおぼろになっても、「そんなものだ」と納得して。
けれど、「セキ・レイ・シロエ」は「違う」。
選ばれた子供の証を手にして、遥か未来を目指して進む。
メンバーズになって、いずれは国家主席の座に就き、SD体制を終わらせるために。
「子供が子供でいられる世界」を、もう一度、「ヒト」が手に出来るように。
(…ぼくを選んだのは、ピーターパンか、神様なのか…)
どちらなのかは知らないけれども、選ばれたことが誇りで励み。
辛い道のりでも、ピーターパンの本と一緒に乗り越えてゆく。
「この本を持って来られた」ことが「選ばれた証」なのだから。
ピーターパンの本さえあったら、いくらでも頑張ってゆける筈だし、何だって出来る。
必要とあらば、憎い機械に「服従している」ふりだって。
(今はまだ、そこまでしなくても済んでいるけれど…)
メンバーズになったら、そうはいかなくなるな、と分かってはいる。
堂々と反抗していられるのは、候補生の間だけなのだ、と。
(でも、機械くらい…)
ちゃんと騙して、上手くやるさ、と思ったはずみに、不意に掠めていった考え。
「本当に…?」と。
本当に上手く機械を騙して、国家主席の座までゆけるだろうか、と。
(…成人検査の時と違って、機械ってヤツのやり方は…)
もう読めてるし、と自信は充分あるのだけれども、恐ろしいことに気が付いた。
確かに自分は「選ばれた子供」で、「特別な存在」なのだと思う。
ピーターパンの本を「持って来られた」ことが証で、そんな者は他にいないけれども…。
(…ぼくを選んだのが、機械だったら…?)
神様でも、ピーターパンでもなくて…、と背筋がゾクリと冷たくなった。
考えたことさえ一度も無かった、「機械に選ばれた」可能性。
(……ゼロじゃないんだ……)
そっちなのかもしれないんだ、と身体が俄かに震え出す。
もしも「機械に選ばれた」のなら、「本を持って来られた」ことは当たり前。
これは機械がしている実験、「過去を忘れない」子供の成長ぶりを調べて、データを取る。
そうする理由は、例えば「成人検査の改革」。
この先も、従来通りでいいのか、改革するなら、どうすべきか、などと。
(……まさかね……)
まさか、そんな恐ろしい実験なんて、と自分を叱咤してみても、身体の震えは止まらない。
何故なら、それは「有り得る」から。
機械が最初から「そういうつもりで」いたのだったら、格好の獲物だったろう。
「そうするように」と仕向けなくても、自ら進んで「過去の欠片」を持ち込んだ子供。
(…丁度いい、って…)
わざと見逃し、ピーターパンの本と一緒に、Eー1077へ送り込んだのかもしれない。
今も密かに監視しながら、データを集めているのだったら…。
(…ぼくの心も、考え方も、全てお見通しで…)
何処まで持ち堪えることが出来るか、機械は実験を続けてゆく。
「セキ・レイ・シロエ」が「過去を手放す」か、「堪え切れずに壊れる」日まで。
ピーターパンの本を持たせたままで、「過去の欠片」をどうするのかを見定めながら。
(そうだとしたなら、ぼくの未来は…)
真っ暗でしかないんだれど、と足元が崩れ落ちてゆくよう。
過去を手放して「皆と同じに生きてゆく」か、「狂う」かの実験ならば、未来は無いも同然。
どちらに行っても、今の「シロエ」の望みとは…。
(違いすぎるし、どっちも嫌だよ…!)
そんな実験なんかは御免だ、と震え続ける身体を抱き締め、心の中で繰り返す。
「違うよ、ぼくは選ばれたんだ」と。
「ぼくを選んだのは、きっと神様かピーターパンで、機械なんかじゃないんだから」と…。
本がある理由・了
※キースを立派に育て上げるために「機械が選んだ」のが、シロエだったんですけど。
「機械に選ばれた」可能性について、シロエの側から考えてみたのが、このお話。