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本がある理由
(…ぼくの本…)
 ぼくだけの大切な宝物、とシロエはピーターパンの本を眺める。
 Eー1077の夜の個室で、勉強を終えた後の時間を、何度こうして過ごしたろうか。
 故郷の星から、たった一つだけ、持ち出すことが出来たのが、この本だった。
 幼かった日に両親がくれた、一番のお気に入りの本。
(いい子にしてれば、ピーターパンが迎えに来てくれて…)
 ネバーランドへ連れて行ってくれる、と信じて、ずっと待ち続けた。
 そのための準備もしていたけれども、ある日、父から「地球」のことを聞いた。
 ネバーランドよりも素敵な場所が、地球だという。
 父は笑顔で、こう言った。
 「シロエなら、行けるかもしれないな」と、期待と励ましを乗せた声音で。
(だから、行こう、って…)
 地球を夢見ていたというのに、今の有様はどうだろう。
 素敵な場所だと聞かされた「地球」は、どうやら、そうではなかったらしい。
(…本当に素敵な所だったら、其処へ行くために、あんな成人検査なんかは…)
 きっと必要無いと思う、と今も悔しくて堪らない。
 SD体制のシステムと機械に騙され、こんな牢獄へ連れて来られてしまった。
 故郷のエネルゲイアは遠くて、両親の家にも帰れはしない。
 その上、子供時代の記憶も消されて、何もかも、おぼろげになっている。
 両親の顔さえ、あちこちが欠けて、瞳の色すら分からないほどに。
(…なんで、騙されちゃったんだろう…)
 うかうかと成人検査なんかを受けたんだろう、と悔やんでも過去に戻れはしない。
 消された記憶を取り戻すには、先へ進んでゆくしかない。
 機械に命令される代わりに、命令出来る立場になれる時まで。
 二百年も誰も選ばれていない、国家主席に昇り詰めるまで。
(…その時が来るまで、ぼくの友達は…)
 この本だけだよ、とピーターパンの本の表紙を撫でた。
 誰も信用出来ない世界で、心の拠り所になってくれるのは、この本だけ。
 逆に言うなら、この本さえあれば、何処までも進んでゆけるだろう。
 茨の道でも、地獄だとしか思えないほどに辛い道でも。


 ピーターパンの本と一緒なら、どんな時でも頑張れる。
 Eー1077に連れて来られてから、この本に何度も力を貰った。
 ページをめくって、本を抱き締めて、「負けやしない」と自分を励まして。
 「パパとママの所へ帰るんだから」と、「この本を持って、「ただいま」って」と。
(…この本を持って来られて良かった…)
 ホントに良かった、と心の底から湧き上がって来る懐かしさ。
 記憶がおぼろになってしまっても、この本が「過去」と繋いでくれる。
 両親と暮らした温かな家は、確かに存在したのだと。
 本を贈ってくれた両親だって、けして幻ではなかったのだ、と。
(これが無かったら、今頃は…)
 とうに挫けて、他の大勢の候補生たちと同じに、「羊」になっていたかもしれない。
 SD体制とシステムに忠実な、マザー牧場の羊たち。
 彼らのように「過去」を忘れて、両親も家も「ただの思い出」になっただろうか。
 機械は「そうなるように」仕向けてくるし、そのように導く代物だから。
(繋ぎ止めてくれるモノが、何も無ければ…)
 「シロエ」も機械に負けてしまって、「忘れた」可能性はある。
 ただ「懐かしい」というだけだったら、記憶が薄れて消えてゆくのに抵抗は無い。
 過去というのは「そうしたもの」だし、いつしか忘れて、時の彼方に流れ去るもの。
(子供時代の記憶だったら、ぼくも必死になるけれど…)
 Eー1077に来てから起こったことなど、別に「どうでもかまわない」。
 勉強の中身は忘れなくても、日々の会話や出来事なんかは、いちいち覚えていられない。
(忘れてしまって、思い出せないことなんて…)
 数え切れないほどあると思うし、他の候補生たちにとっては、子供時代も「そう」だろう。
 「思い出せなくても、困らないもの」で、「気にしないもの」。
 だから「シロエ」も、ピーターパンの本が無ければ、彼らのようになりかねない。
 二度と戻れない「過去」の欠片が、この手の中に無かったならば。


 ピーターパンの本があって良かった、と「あの日」の自分に感謝する。
 「成人検査の日は、何も持って行ってはいけない」という規則を破った、あの日の自分。
 どうしても本を持って行きたくて、それだけを持って家を出た。
 「検査の邪魔になると言うなら、その時は、置けばいいんだから」と考えて。
 「そしたら、検査が終わった後に、係が返してくれると思う」と。
(…だけど、係なんかは何処にもいなくて…)
 忌まわしいテラズ・ナンバー・ファイブが「セキ・レイ・シロエ」を待ち受けていた。
 子供時代の記憶を消去し、大人の社会へ送り出すために。
 「忘れなさい」と心に強い圧力をかけて、記憶を捨てろと命じた機械。
 抗い切れずに「過去」を奪われてしまったけれども、ピーターパンの本は残った。
 Eー1077へと向かう宇宙船の中で、正気に戻った時に「持っている」ことに気付いた。
 何もかも奪われ、失った中で、一つだけ残った宝物。
 こうして今も「この部屋」に在って、この先も、ずっと離れない。
 メンバーズ・エリートの一人に選ばれ、任務で宇宙を駆けてゆく時も。
 戦場に赴くような時でも、この本だけは持ってゆく。
 荷物の底か何処かに隠して、一人乗りの宇宙船の中でも、きっと、必ず。
(だって、選ばれたんだから…)
 ぼくは選ばれた子供なんだから、と誇らしい気持ちに包まれる。
 「過去を奪われた」ことを忘れない、特別な「選ばれた子供」が「シロエ」。
 いつか機械に「止まれ」と命じて、SD体制を破壊するよう、使命を託されているのだ、と。
(だから、ぼくだけが…)
 過去の欠片を持っているんだ、とピーターパンの本を見詰める。
 こうして「大切な本を持って来られた」ことこそ、「選ばれた子供」だという証。
 過去と今とを繋ぐ絆を失くさず、何があっても「過去を忘れない」ようになっている。
 他の子供は、何も持ってはいないのに。
 規則を守って「何も持たずに」家を出たから、他の者たちは「過去にこだわらない」。
 繋ぎ止めてくれる「もの」が無いから、「まあ、いいや」と時の流れに任せて流されて。
 子供時代の記憶がおぼろになっても、「そんなものだ」と納得して。


 けれど、「セキ・レイ・シロエ」は「違う」。
 選ばれた子供の証を手にして、遥か未来を目指して進む。
 メンバーズになって、いずれは国家主席の座に就き、SD体制を終わらせるために。
 「子供が子供でいられる世界」を、もう一度、「ヒト」が手に出来るように。
(…ぼくを選んだのは、ピーターパンか、神様なのか…)
 どちらなのかは知らないけれども、選ばれたことが誇りで励み。
 辛い道のりでも、ピーターパンの本と一緒に乗り越えてゆく。
 「この本を持って来られた」ことが「選ばれた証」なのだから。
 ピーターパンの本さえあったら、いくらでも頑張ってゆける筈だし、何だって出来る。
 必要とあらば、憎い機械に「服従している」ふりだって。
(今はまだ、そこまでしなくても済んでいるけれど…)
 メンバーズになったら、そうはいかなくなるな、と分かってはいる。
 堂々と反抗していられるのは、候補生の間だけなのだ、と。
(でも、機械くらい…)
 ちゃんと騙して、上手くやるさ、と思ったはずみに、不意に掠めていった考え。
 「本当に…?」と。
 本当に上手く機械を騙して、国家主席の座までゆけるだろうか、と。
(…成人検査の時と違って、機械ってヤツのやり方は…)
 もう読めてるし、と自信は充分あるのだけれども、恐ろしいことに気が付いた。
 確かに自分は「選ばれた子供」で、「特別な存在」なのだと思う。
 ピーターパンの本を「持って来られた」ことが証で、そんな者は他にいないけれども…。
(…ぼくを選んだのが、機械だったら…?)
 神様でも、ピーターパンでもなくて…、と背筋がゾクリと冷たくなった。
 考えたことさえ一度も無かった、「機械に選ばれた」可能性。
(……ゼロじゃないんだ……)
 そっちなのかもしれないんだ、と身体が俄かに震え出す。
 もしも「機械に選ばれた」のなら、「本を持って来られた」ことは当たり前。
 これは機械がしている実験、「過去を忘れない」子供の成長ぶりを調べて、データを取る。
 そうする理由は、例えば「成人検査の改革」。
 この先も、従来通りでいいのか、改革するなら、どうすべきか、などと。


(……まさかね……)
 まさか、そんな恐ろしい実験なんて、と自分を叱咤してみても、身体の震えは止まらない。
 何故なら、それは「有り得る」から。
 機械が最初から「そういうつもりで」いたのだったら、格好の獲物だったろう。
 「そうするように」と仕向けなくても、自ら進んで「過去の欠片」を持ち込んだ子供。
(…丁度いい、って…)
 わざと見逃し、ピーターパンの本と一緒に、Eー1077へ送り込んだのかもしれない。
 今も密かに監視しながら、データを集めているのだったら…。
(…ぼくの心も、考え方も、全てお見通しで…)
 何処まで持ち堪えることが出来るか、機械は実験を続けてゆく。
 「セキ・レイ・シロエ」が「過去を手放す」か、「堪え切れずに壊れる」日まで。
 ピーターパンの本を持たせたままで、「過去の欠片」をどうするのかを見定めながら。
(そうだとしたなら、ぼくの未来は…)
 真っ暗でしかないんだれど、と足元が崩れ落ちてゆくよう。
 過去を手放して「皆と同じに生きてゆく」か、「狂う」かの実験ならば、未来は無いも同然。
 どちらに行っても、今の「シロエ」の望みとは…。
(違いすぎるし、どっちも嫌だよ…!)
 そんな実験なんかは御免だ、と震え続ける身体を抱き締め、心の中で繰り返す。
 「違うよ、ぼくは選ばれたんだ」と。
 「ぼくを選んだのは、きっと神様かピーターパンで、機械なんかじゃないんだから」と…。



             本がある理由・了


※キースを立派に育て上げるために「機械が選んだ」のが、シロエだったんですけど。
 「機械に選ばれた」可能性について、シロエの側から考えてみたのが、このお話。








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