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カテゴリー「地球へ…」の記事一覧
(…子供時代の記憶か…)
 私には何もありはしないのだ、とキースは深い溜息をつく。
 首都惑星ノアの国家騎士団総司令の部屋で、夜が更けた後に。
 マツカが淹れていったコーヒー、それが机の上で微かな湯気を立てている。
(…コーヒーにしても、サムが見たなら…)
 目を輝かせて、「おじちゃん、コーヒー、大好きなの?」と訊くのだろうか。
 「ぼくの父さんも、よく飲んでるよ」だとか、「ママも飲むんだ」などと嬉しそうに。
(サムから直接、聞いたことは一度も無いのだが…)
 そもそも、サムの見舞いに行った時には、コーヒーを飲む機会は無い。
 サムと会うのは食堂ではなく、病室だったり、外の庭だったりすることが多い。
 病院の中の休憩スペース、其処で会うこともあるのだけれども、見舞客には飲み物は出ない。
 あくまで患者のための施設で、来客用ではない場所だから。
(だから私も、サムの前では…)
 コーヒーを飲んだことなどは無くて、サムの主治医と会う時に運ばれて来るだけだった。
 係の者がトレイに載せて持って来るそれは、マツカのコーヒーには敵わない。
 とはいえ、サムが目にしていたなら、コーヒーについての思い出話が聞けそうではある。
 サムにとっては思い出ではなく、「今、生きている世界」の話なのだけれども。
(…カップ一杯のコーヒーだけでも、サムならば、きっと…)
 豊かな記憶を持ち合わせていて、あれこれ語ってくれるのだろう。
 コーヒーが入ったカップを倒して叱られたとか、カップを落として割ったとか。
 あるいは「飲んでみたけど、苦いよね」と、子供時代のサムの味覚のままで顔を顰めるとか。
(Eー1077では、サムもコーヒーが好きで頼んでいたが…)
 子供時代も好きだったとは限らないことは、キース自身も知っている。
 機械が与えた膨大な知識、その中には「子供時代」に関するデータも充分、含まれていた。
 子供と大人では味覚が異なるとか、成長するにつれて好みが変わってゆくとか、様々なことが。
(…しかし私は、「知っている」だけで…)
 本物の「それ」を全く知りはしない、とフロア001で見た光景が頭の中に蘇って来る。
 「キース・アニアン」は、其処で育った。
 強化ガラスの水槽の中に浮かんで、外の世界には、ただの一度も触れてはいない。
 機械が無から作った生命、養父母さえもいなかった。
 そうすることが「キース」を育て上げるためには、最良だと機械が決めたから。
 養父母も教師も、幼馴染も、優秀な人材を育てる上では、不要なものだと切り捨てて。
(だから、私は…)
 全てを機械から学んで育って、子供時代を持ってはいない。
 「子供時代」と呼ばれる時代は、人工羊水の中に漂うだけで、何一つ、経験しなかったから。


 それが果たして正しかったか、どうなのか。
 外の世界に触れることなく、知識だけを得て育った生命、「それ」は本当に優れた者なのか。
(…マザー・イライザも、グランド・マザーも…)
 そうだと信じているのだけれども、沸々と疑問が湧き上がって来る。
 「私は本当に、正しい判断が出来るのか?」と。
 いずれ人類の指導者として立つべき人材、そのように作られ、生まれて来た。
 正確に言えば「作られ、外の世界に出された」。
 フロア001を目にして、自分自身の生まれを知るまで、キース自身も信じていた。
 自分は誰よりも優れていると、疑いもせずに思い込んでいた。
 「機械の申し子」と異名を取るほど、優秀な頭脳と能力を持った「人間」だと。
(…だが、本当の私自身は…)
 真の意味では「人間」と言えず、シロエが揶揄した言葉通りに「人形」でしかない。
 機械が作って、機械が育てた「まがいもの」の人間。
(その上、子供時代の記憶が全く無くて…)
 経験さえもしていないのだ、とサムに会う度、痛烈に思い知らされる。
 サムが懐かしそうに語る「故郷」は、キースには無い。
 水槽の中しか知らずに育って、景色も人も見てはいないし、故郷の星の空気も知らない。
 サムが今でも会いたい両親、それもキースには、いはしなかった。
 育ての親は機械だったし、全てを機械から学んで育って、誰一人、目にすることもなかった。
(…こんな私に、ヒトのことなど…)
 正しく理解出来るのか、と自問自答し、「否」と自分で答えたくなる。
 どう考えても、それは「無理だろう」としか思えない。
 「キース」には「ヒトの想い」は分からず、推測でしか推し量れない。
 機械が与えた知識に基づき、「こういう場合は、この人間の心の中は…」と答えを弾き出す。
 恐らく「キース」は、そうした「精巧な人形」なのだろう。
 お蔭で誰にも怪しまれずに、此処までは巧くやって来た。
 これから先も「そうあるべきだ」と、機械は考えているに違いない。
 自分たちが与えた知識を正しく使って、人類を導いてゆくのが「キース」の使命なのだ、と。
(グランド・マザーは、そう信じていて…)
 マザー・イライザも、最後まで「そのつもり」だったろう。
 自分が作った「キース」は道を誤らない、と。
 誰よりも正しく真実を見極め、人類の指導者として立派に歩んでゆくものだと。


(…なのに、私は…)
 とうの昔に、道を外れつつあるのでは…、とキース自身も自覚している。
 子供時代の記憶を持たないことが「正しいかどうか」自問するのが、既におかしい。
 本当に機械に忠実ならば、そんな疑問は持たないだろう。
 過去の記憶が全く無くても、それを不思議に思いもしない。
(ついでに言うなら、自分の生まれを目にしたところで…)
 そういうものか、と思う程度で、驚きさえもしない気がする。
 「私は此処で育ったのか」と納得するだけ、「知識が一つ増える」だけで。
(…マザー・イライザも、グランド・マザーも…)
 実際の「キース」が「どう思ったか」は、気にしていないに違いない。
 現に探りを入れられもせずに、「前と変わりなく」生きている。
 フロア001を見た後、グランド・マザーに「呼ばれてはいない」。
 何度も「会ってはいる」のだけれども、それは報告や任務のための機会に過ぎない。
(マザー・イライザのコールのように…)
 心を探られることなどは無くて、「キース」の心や記憶を弄られてはいない。
 ならば、機械は「疑ってさえもいない」のだろう。
 キースが「与えられた」道を外れて、外へ踏み出しつつあることを。
 踏み外した先で「ミュウのマツカ」を救って、側近として側に置いていることも。
(…私がマツカを救ったのは…)
 シロエの面影を見たからだけれど、シロエも「過去」にこだわっていた。
 サムと違って、シロエの場合は「忘れさせられた」過去だったけれど、中身は似ている。
 シロエは故郷を、両親のことを忘れ難くて、機械に抗い、宇宙に散った。
 最後までピーターパンの本を抱き締め、自由を求めて飛び立って行って。
(…シロエは最後に、両親を思い出せたのだろうか…?)
 サムのように心が壊れていたなら、きっとシロエも「会えた」のだろう。
 飛んで行った先には、「いる筈もない」両親に。
 遠い日にシロエを育てた養父母、懐かしい父と母とに出会って、幸せの中で逝ったと思う。
 傍目には不幸な最期のように見えても、シロエにとっては最高のハッピーエンド。
 「パパ、ママ、ぼくだよ!」と、両手を広げて。
 「会いたかったよ、帰って来たよ!」と、懸命に駆けて、両親と固く抱き合って。
(…きっとそうだな…)
 会えたのだろう、と心の何処かに確信に満ちた思いがある。
 シロエは幸せの中で旅立ち、両親の許へ帰ったのだ、と。
 サムが「今でも」両親がいる世界で生きているように、シロエも同じ世界へと飛んで。


 見舞いで病院を訪れた時に、サムがよく言う「ママのオムレツ」。
 サムの母が作るオムレツ、それは美味しいものらしい。
 シロエの母はどうだったろうか、やはりオムレツが得意だったのだろうか。
(それとも、他に得意料理があって…)
 飛び去ったシロエは、母が作る「それ」を再び口にし、「美味しい!」と喜んだだろうか。
 「また、これが食べたかったんだ」と。
 「やっぱりママのが最高だよね」と、「ステーションのとは大違いだよ」などと。
(ヒトの想いは、きっとそういうものなのだろうな…)
 私には「それ」が全く無いが、と悔しく、虚しく、寂しくもある。
 この感情も、機械が与えた知識の中には「無かった」だろう。
 過去の記憶を持たないことを、「寂しい」と思う感情など。
 ましてや「悔しい」、「虚しい」だとかは、多分、「あってはならない」感情。
 知識として持ち、駆使することは必要だけれど、こういう場面で用いることは許されない。
 「自分の生まれ」に、疑問や不満を持つことなどは。
 子供時代を持たない「自分」を、欠陥品のように考えることも。
(…そうだな、私は、とうの昔に…)
 道を外れてしまっているな、と自嘲めいた笑みが浮かんで来る。
 今の「キース」は「余計な感情」だらけで、その感情を懸命に隠しているのだけれど…。
(…マツカを側に置いているのも、シロエの面影を見ている他に…)
 「ヒトの想い」に触れるためかもしれないな、と可笑しくなる。
 実際の「キース」は、当のマツカに接する時には、人間扱いしていないのに。
 「化け物」と呼び、道具のように使うばかりで、話すことさえしないのに。
(…それでもマツカは、ただ懸命に…)
 側に仕えて、一途に「キース」を守り続けるから、その「想い」が心地よいのだろう。
 「キース」を人間扱いしていて、同じ「ヒト」として慕い、接してくれるから。
(…私自身は、機械が作った人形なのにな…)
 過去も持たない人形なのだ、と思うけれども、その「過去」を学びつつあるのだと思う。
 もういなくなった「シロエ」から。
 会いに行く度、昔語りを熱心に聞かせてくれるサムから。
(…そしてマツカも、直接、語りはしなくても…)
 どういう風に育って来たのか、何故、あそこまで健気なのか、と気に掛かる「過去」。
 あえて調べるつもりなど無いし、知ろうと思いもしないけれども、マツカにも子供時代はある。
 それがどういうものだったのかと、たまに気になることもあるから、彼からも「学ぶ」。
 こうして「学んで」、「ヒトの想い」を知ったキースは、いつの日か、飛んでゆくのだろうか。
 シロエが飛び去って行った彼方へ、自由という名の翼を広げて。
 行きつく先は死であろうとも、きっと後悔などはしないで…。



             過去が無くても・了


※キースには過去の記憶が無いどころか、子供時代そのものを経験していないわけですが。
 そんなキースは、人類の指導者として相応しいのか、と思った所から生まれたお話。







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 あの日から、もう十七年も経ったようだね、この世界では。
 そう、十七年前の今日、ぼくが逝ったと、君たちは記憶している筈だ。
 ぼくが暮らしていた世界でも、あれから長い歳月が過ぎて、今では地球も、すっかり青い。
 けれども、そうなるよりも前の時代も、十七年と言えば長かったろう。
 ミュウと人類の間の壁が消えて無くなり、何もかもが急激に変化したから、尚更だ。
 それに、ナスカの悲劇の後には、ジョミーたちまでが、地球で命を落とした。
 燃え上がる地球から去ったシャングリラに、ぼくを昔から知る者は、どれだけ残っていただろう。
 その時点でさえ、そうなのだから、十七年が経った船だと、どうだったのか…。
 ぼくを直接、知らない仲間が、あの懐かしい白い船にも、多かったかもしれないね。
 「ソルジャー・ブルー」がいなくなってから、生まれた子たちが何人も増えて。
 でも、その方が、ぼくは嬉しい。
 いつまでも、ぼくの思い出に縛られるよりも、「今」を見詰めていて欲しいから。


 君たちにしても、この瞬間まで、ぼくを忘れていた人が多いと思う。
 十七年前の七月の末に、テレビ画面の向こうに何を見たのか、そのことさえも。
 今日の日付も、言われて初めて「そういえば…」と気付くくらいに、遠い記憶になったろう。
 十七年が流れる間に、新しい「何か」の記念日が出来て、置き換わった人もいるのだろうね。
 あの日、小学生だった子供たちでも、立派な大人だ。
 七月二十八日という日が、結婚記念日になったりもすれば、子供が生まれた日になりもする。
 今日が、そういう「嬉しい記念日」に変わっているなら、ぼくの、心からの祝福を。
 逆に「悲しい日になってしまった」人がいたなら、その悲しみに寄り添おう。
 今日という日を忘れたままで、何処かで暮らしている人たちにも、ぼくは感謝の言葉を贈る。
 「あの日、ぼくの最期を見届けてくれて、ありがとう」と。
 シャングリラの仲間たちの中の誰一人として、居合わせた者はいなかったからね。


 十七年の月日は、とても長くて、ぼくを忘れるのも不思議ではないし、むしろ当然とも言える。
 君たちは、ぼくと同じ世界に住んではいなくて、今だって、そうだ。
 だから「忘れてた…!」と慌てるよりかは、「そうか、今日だったんだっけ…」の方がいい。
 今、ほんの少しだけ、あの日に戻って、じきに忘れてしまう方がね。
 君たちにも、ミュウの仲間と同じで、「今」という時を生きて欲しいし、それを望むよ。
 見ている画面を閉じた途端に、ぼくのことなど、もう二度と思い出さなくても。


 けれど、今でも忘れていない人がいるなら、「忘れて欲しい」と言ったりはしない。
 思い出を詰めた箱の中身は、それこそ人の数だけあるんだ。
 何を入れるか、いつ取り出して眺めるのかは、誰に強いられるものでもない。
 「ソルジャー・ブルー」を、思い出の箱に仕舞っておきたいのならば、止めはしないよ。
 ただ、一つだけ、注文をしてもいいなら、箱に仕舞うのは「ただのブルー」にしてくれないかな。
 「ただのブルー」なら、いつも、何処ででも、取り出して、そこに置けるから。
 居酒屋で「ブルー」を思い出しても、違和感など、ありはしないしね。
 青い地球の上で、ぼくを連れ歩いて貰えるのならば、嬉しいし、きっと楽しいだろう。
 ぼくは何処へでも、お供するから、思い出の箱の中には、「ただのブルー」を。
 「ソルジャー・ブルー」を入れる代わりに、「ただのブルー」にしてくれたまえ。
 衣装ばかりは、仕方ないけれど。
 「着替えたいから、服も頼めないかな」なんて、そこまで我儘を言えはしないし、今のでいい。
 「ただのブルー」になれるのならば、もうそれだけで、充分だ。
 大袈裟な「ソルジャー」のままでいるより、居酒屋にも入れる「ぼく」でいられればね…。



               青い星の君へ・了


※ブルー追悼、17年目も書きました。もう追悼でもないだろう、と「ただのブルー」です。
 自分でも呆れるほどの歳月、アニテラで走っているわけですけど、もう明らかに少数派。
 今年はテイスト変えてみました、「居酒屋に入るブルー」は、見てみたいかも…。







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(……友達ね……)
 あのキースには似合わないけどさ、とシロエは蔑むような笑みを浮かべた。
 今日も何度も目にした「友達」、キースの隣に、後ろに何度も見掛けたサム。
 まるで全く似合わないのに、サムはキースの「友達」らしい。
 皆がコソコソ言っている通り、確かに一番近くにいる。
(…キースの役には、立つわけがないと思うけど…)
 自室でクスクス笑うシロエは、サムが以前にキースを救ったことを知らない。
 シロエでなくても、Eー1077で「それ」を知る者は、多くはない。
 スウェナを乗せて来た宇宙船の事故は、曖昧にされてしまっていた。
 マザー・イライザが記憶を処理して、大したことではなかったように思われている。
 だからシロエが「知らない」ことは、至極当然と言えるだろう。
 当時の在籍者の間でさえも、「そういえば、そういう事故があったかな」という程度。
 キースが救助に向かった事実も、その時、サムが一緒だったことも、人の口に上ることは無い。
 サムがいなければ、キースの命が無かったことなど、誰も知らない。
 マザー・イライザは、広く知らせるつもりは全く無いのだから。
(どうしてキースは、サムなんかと…)
 仲良くしていて、友達だなんて言うんだろうか、と考えてみても、よく分からない。
 自分だったら、もっと有能な友達を持つと思うけれども、何故、キースは…。
(あんな冴えないサムを選んで、友達になって…)
 いつも一緒にいるんだろうか、と不思議だとはいえ、二人は確かに仲がいい。
 孤立している「シロエ」と違って、食事の時にも、大抵は…。
(サムが先に来て席を取っているか、キースが座っているトコへ…)
 後からサムが「よう!」とか、「やっと終わったぜ」などと口にしながらやって来る。
 自分の食事や飲み物を載せたトレイを手にして、キースと同じテーブルに着いて…。
(食べ始めることが多いんだよね…)
 他の者たちは、キースの側には近付かないのに、サムだけは違う。
 かつては、其処にスウェナもいた。
(…スウェナにしたって、キースには…)
 似合わなかったと思うけどな、と首を捻りながら顎に手を当てた。
 スウェナはエリート候補生の道を放棄し、結婚を選んでステーションを去った落第生。
 「落第生」とは呼ばれないけれど、シロエや他の候補生から冷静に見れば、そうなるだろう。
 Eー1077に入った以上は、それに相応しい道を歩んでこそなのだから。


 なんとも以外で、似合わない「キース」の友人たち。
 「マザー・イライザの申し子」と異名を取るくらいならば、もっと優れた者を選んで…。
(付き合うべきだし、それでこそ得られるものも多くて…)
 エリートになる近道だろうと思うけどな、と解せないとはいえ、キースのことは笑えない。
 むしろ「キースの方が、まだマシ」な面もあるかもしれない。
 なんと言っても「シロエ」の場合は、「友達」などは一人もいなくて、食事の時も…。
(いつも一人で、講義を受ける時だって…)
 隣に座る者などいないし、キースと同じに「避けられている」。
 キースは「優秀過ぎて、近寄り難い」という理由で避けられ、シロエの方は忌まれていた。
 SD体制に批判的だから、迂闊に「シロエ」に近付いたならば、何が起きるか分からない。
 マザー・イライザの不興を買ってコールされるとか、教授に呼ばれて叱られるとか。
(…理由は全く違うんだけど…)
 ぼくの側にも、誰も近寄っては来ないよね、と改めて思う。
 別に不自由をしてはいないし、寂しさも感じはしないけれども、こと「友達」に関しては…。
(…キース以下ってことになるのかな?)
 友達が一人もいないんじゃあ…、と自嘲めいた笑いを漏らした所で、ハタと気付いた。
 此処に「友達」を持っていないのは、同郷の者が一人もいないせいもある。
 エネルゲイアは技術者を育てる育英都市で、普通は、そのための教育ステーションに行く。
 シロエは例外的に選ばれ、Eー1077に進んだのだし、仲間がいなくても仕方ない。
 とはいえ、他の者の場合は、サムとスウェナが「そう」だったように…。
(此処へ来てから、同じ育英都市で育った人と出会って…)
 幼馴染同士の再会というのも、さして珍しくはないようだ。
 きっとキースも、同郷の者はいるのだろうに、わざわざサムを選んだらしい。
 それはそうだろう、あんなに「付き合いにくそうな」キースに、昔からの友達などは…。
(いるわけがないし、此処でキースを見掛けた誰かも、知らないふりして…)
 他の誰かと友達になって、「キース」は放っておいたのだろう。
 代わりにサムとスウェナが出て来て、友達の地位に収まった。
 何処が「キース」に気に入られたのか、彼らの方でも、「キース」の何処に惹かれたか…。
(分からないけど、とにかく、友達ではあって…)
 ぼくよりはマシな境遇だよね、と忌々しい気分になって来る。
 もっとも、此処で友達が欲しいだなんて思いはしないし、エネルゲイアでもそうだった。
 友達と一緒に遊んでいるより、家に帰って勉強したり、本を読んだりしたかった。
 なにしろ故郷の同級生は、優秀ではなかった者ばかり。
 「こんな奴らと付き合って、何処が楽しいわけ?」と思っていたから、切り捨てた。
 「友達なんて、ぼくは要らない」と、「つまらないよね」と、皆を見下して。
 両親と暮らす家の方がいい、と子供心にキッパリと決めて。


(だから友達は、一人もいなくて…)
 今も一人もいないんだけど、と、その選択を後悔したことは一度も無い。
 けれど、本当に「そう」なのだろうか。
 「友達を一人も作らなかった」のは、正しかったと言えるだろうか。
(…もしも、友達を作っていたら…)
 とても仲のいい友達がいたら、その友達のことを、けして忘れはしなかったろう。
 どんな顔立ちで、何をして過ごして、どういう具合に「仲が良かったのか」という記憶を…。
(……消してしまったら、何処かで再会出来やしないし……)
 機械は、それは消さないよね、と断言出来る。
 消さないからこそ、Eー1077でも、同郷の友と再会する者が多くて、また友達になる。
 どちらかが先に「懐かしいな!」と声を掛けたり、呼び止めたりして出会うのか。
 あるいは同時に「あっ!」と気付いて、駆け寄ったりもするのだろうか。
 「此処にいたのか」と、「また会えたな」と、笑い合い、手を握り合って。
(…そうなるためには、記憶が欠けていたりしたんじゃ、まるで話にならなくて…)
 お互い、同じ思い出を、記憶を持っていてこそ、話も弾むし、友達として付き合ってゆける。
 互いの記憶が食い違っていたら、多分、喧嘩にしかならないだろう。
 「そうじゃないだろ」と、「お前、覚えていないのか?」と大喧嘩の末に、縁までが切れる。
 機械は、それを望みはしない、と容易に分かることだから…。
(…友達の記憶は、弄りはしなくて…)
 消してしまいもしないんだ、と考えるほどに、怖ろしい思いが湧き上がって来る。
 「もしかして、ぼくは、間違えた…?」という、身も凍りそうになる疑問が。
 友達を作らずに過ごしていたのは、間違いだったのではないだろうか、と。
(…ぼくにも仲のいい友達がいて、家に呼んだりしていたら…)
 故郷の家が何処にあったか、今よりも「覚えている」かもしれない。
 学校の授業が終わった放課後、友達を誘って、一緒に家まで帰っていたら…。
(途中でどんな話をしたのか、何があったか、忘れちゃったら…)
 成人検査の後に再会した時、話が噛み合わないことになる。
 友達の方は「あそこの店に寄り道をして…」と言っているのに、店の記憶が無いのでは駄目。
(公園に寄ったりしていても…)
 その時の記憶は必要になるし、歩きながら「あそこに、ほら!」と指差し合って…。
(見上げたビルとか、覚えていないといけないわけで…)
 機械は「そうした記憶」を消さずに、「残しておく」。
 つまりは、それを繋いでいったら、家までの道が出来上がる。
 学校から歩いて帰る途中に、店があって、公園があって、見上げたビルの外観も…。
(ちゃんと記憶にあるんだものね…)
 繋ぎ合わせれば道は出来るし、その道は家の玄関先まで、きっと繋がるのに違いない。


 そうだったかも、と愕然となって、「今の自分」を振り返ってみた。
 学校を出て、家に着くまでの道筋などは「覚えていない」。
 家まで空を飛んだかのように、何も記憶は「残ってはいない」。
 けれど、友達と一緒に帰っていたなら、一本の線を描けたのだろう。
 「学校を出たら公園があって、公園までの間に店があって…」といった具合に。
 高層ビルの谷間を歩く間も、見覚えのあるビルが幾つも、幾つも。
 それらを見上げて、友達と話して、やがて「シロエの家がある」高層住宅に辿り着く。
 友達とエレベーターに乗り込み、家がある階まで上がっていって…。
(ただいま、って玄関を開けて入ったら…)
 母が笑顔で「おかえりなさい」と迎えただろうか、友達の方には「いらっしゃい」と。
 それから「ちょうどブラウニーが焼けた所よ、おやつにどうぞ」と用意してくれる。
 記憶の中に今も残っている、懐かしいテーブルの上にお皿を並べて。
 「飲み物は、何がいいかしら?」と、カップやグラスも出して来てくれて。
(…ママの笑顔も、きっと今より、ずっと鮮やかで…)
 欠けたりなんかはしていないかも、と「友達」の視点を意識する。
 いつか「友達」と再会した時、その友達が母の話を持ち出したならば、顔も重要。
 「お前のお母さん、笑顔がとっても優しくってさ…」と「友達」は「覚えている」筈だから。
(…きっと目の色も、今のぼくは忘れていなくって…)
 友達が「綺麗な色の目だったよな」と口にした時、「うん、海の色」などと相槌を打つ。
 「覚えてないんだ」では、まるで話になりはしないし、忘れることは無かっただろう。
 母の瞳が海の青色だったか、明るい茶色か、「シロエ」と同じ菫色だったか。
(……うん、絶対に……)
 忘れてなんかはいなかった、と思いはしても、友達を家に招くようでは、そんなシロエは…。
(…シロエだけれども、シロエじゃなくて…)
 ネバーランドに行きたくて頑張るような子供じゃないよ、と分かっているから、悲しくなる。
 両親の記憶がどんどん薄れて消えていっても、この道しか「シロエ」は歩めないから。
 「友達がいたなら」残る記憶も、「シロエ」は持っていないから。
(……パパ、ママ……)
 ぼくは覚えていたかったのに、と涙が頬を伝ってゆく。
 「どうして覚えていられないの」と、「忘れないで済む人も、大勢いる筈なのに」と…。



             友達がいたら・了



※シロエは友達がいそうにないんですよね、子供時代にも。友達よりも両親が好きで。
 もしもシロエに友達がいたら、両親の記憶も、家の記憶も残りそう。友達と話す時のために。








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(……シロエ……)
 どんな思いで持って行ったのだ、とキースは本のページを捲る。
 首都惑星ノアの夜は更け、周りには誰もいなかった。
 ジルベスター・セブンを殲滅した後、二階級特進の栄誉に与り、住まいも変わった。
 上級大佐に相応しいもので、側近に据えたマツカのための部屋もある。
 家具の類も好きに選べて、居心地の良い場所になったけれども…。
(…皮肉なことだな…)
 まさか自分が無から作られた者だったとは、と虚しい気持ちがしないでもない。
 どれほど立派な部屋に住もうと、「キース・アニアン」は其処には「似合わない」者。
 ヒトの姿でヒトと同じに、否、ヒト以上に、感情も充分、持ち合わせている筈だけれども…。
(…私は所詮、作られた者で…)
 人間のように暮らせる資格を持たない者だ、という気がする。
 実験室のケースや檻が似合いで、其処から出て来て任務をこなして、また戻ってゆく。
 そういう日々こそ「相応しい」モノ、快適な部屋など「要らない」生き物。
 ある意味、ミュウにも劣るのでは、と思えるほどに。
(……もっとも、私自身にさえも……)
 その真実は、まるで知らされていなかった。
 シロエは事実を知ったけれども、その罰を受けて死んだと言っていいだろう。
 「フロア001」という言葉だけを告げて、シロエは逝った。
 Eー1077から非武装の船で逃げ出し、追って来たキースに撃墜されて。
 彼が死んだ後、キースはフロア001を目指した。
 なのに、何故だか邪魔が入って、結局、辿り着けないままで卒業して…。
(順調な日々を送っていたのに、今頃になって…)
 シロエが記録していた映像、それがキースの手許に届いた。
 遠い昔に、シロエが大切に持っていた本に隠されて。
 ピーターパンの本の裏表紙、その「見返し」の紙の下にシロエは「それ」を仕込んだ。
 「セキ・レイ・シロエ」と自分の名前が書いてある箇所、其処を剥がして、元に戻して。
(…こんな所に隠しておいても…)
 何の役にも立たないだろう、とキースは心の中でシロエに問い掛ける。
 「お前だけの秘密になってしまって、私には届かないだろうが」と、「違うのか?」と。
 実際、シロエは「その本と一緒に」キースの部屋まで来たのだけれども、その時も…。
(フロア001、と言っていたくせに、この本のことは…)
 何も語らず、大切に胸に抱き締めていた。
 失っていた意識を取り戻した後、一番に本の在り処を探して、見付け出して。
 「その本」に自分が隠したモノのことなど、きっと忘れていたのだろう。
 覚えていたなら、あの時、キースに「これだ」と渡して、見るように仕向けただろうから。


 けれど、シロエは「そうしなかった」。
 代わりに大切な本と一緒に、練習艇で宇宙へ飛び去って行った。
 逃亡した者を待っているのは、撃墜されるか、連れ戻されるかの二つしか無い。
 シロエには「戻る」気などは無かったろうから、死ぬしかないと知っていて逃げた。
 追って来る者が誰であろうと、船ごと砕かれ、爆死する最期を承知の上で。
(…撃墜されたら、こんな紙の本が…)
 無事に残るわけがないではないか、と誰が考えても答えは出て来る。
 本も、映像を記録したチップも、微塵に砕けて残りはしない。
 もちろんシロエも、「冷静だったら」、そのくらいのことは分かったろう。
 どれほど大事にしていた本でも、一緒には持って行かないで…。
(何らかの形で、私の所へ届くようにと…)
 仕掛けをしてから、一人で飛び立って行ったと思う。
 ピーターパンの本に「さようなら」と別れを告げて、涙を堪えて、ただ一人きりで。
 「頼んだよ」と、「キースに必ず、これを届けて」と、フロア001の映像を託して。
(…それなのに、何故…)
 そうしないで持って行ったのだ、とキースはページをパラパラと捲る。
 もっとも、そうして眺めてみても、シロエの声は聞こえて来ない。
 シロエ自身の書き込みも無くて、あるのは「本の中身」だけ。
 幼い子供でも簡単に読める、ピーターパンの物語。
(…シロエは、きっと幼い頃から…)
 この本を読んでいたのだろうな、と表紙が焼け焦げた本を捲ってゆく。
 スウェナから「これ」を受け取った時は、心の底から驚かされた。
 「何故、この本が」と、「あの爆発の中で、どうやって?」と。
 スウェナは「あなた宛のメッセージが発見されたわ」と、この本を寄越したのだけれども…。
(…ああ言ったのは、私の関心を引くためだけで…)
 本当に「メッセージがあった」ことなど、スウェナは全く知らないだろう。
 知っていたなら、抜け目なくチップを回収した後、本だけを渡して来ただろうから。
(なにしろ、ジャーナリストだからな…)
 その上、とんでもないメッセージだったのだし、と「知られなかった」ことに感謝する。
 もしもスウェナが気付いていたら、彼女の命は無かっただろう。
 「何処にでもある」マザー・システム、それは「其処まで甘くはない」。
 ただの火遊びなら見逃していても、「機密事項を知ったスウェナ」を生かしておくなど…。
(絶対に無いし、そうなっていたら、私は、また…)
 友を失っていただろうな、と背筋が冷えた。
 サムに続いて、スウェナまでをも失くす所だった、と。
 シロエが「巧みに」隠さなかったら、あるいはスウェナが詳細に本を調べていたら。


 幸いなことに、最悪の事態は免れた。
 シロエが「命懸けで暴いた」キースの秘密は、無事にキースの許に届いて…。
(私を愕然とさせてくれたが、シロエ、お前は…)
 犬死にになる所だったのだぞ、と時の彼方で散ったシロエに呼び掛ける。
 「分かっているのか?」と、「何故、この本を持って行ったのだ」と。
 とはいえ、答えは返って来なくて、シロエが「この本を持って行った」理由は、きっと…。
(…大切な本と、幼い頃の記憶の欠片を大事に抱えて…)
 宇宙へ飛び出して行ったというだけ、行きたかった場所を目指した結果だったろう。
 其処が何処かは、ピーターパンの本が教えてくれる。
 「ネバーランドを目指したのだ」と、焼け焦げた本の中身がキースに語り掛けて来る。
(…二つ目の角を右に曲がって、後は朝まで、ずっと真っ直ぐ…)
 本の中には、そう書かれていた。
 そうやって真っ直ぐ進んで行ったら、ネバーランドに行けるのだ、と。
 其処は子供のためにある場所、如何にもシロエが「行きたい」と願いそうな場所。
 あれほどシステムを憎んでいたなら、ネバーランドは、まさしく夢を叶えるための…。
(理想の国で、其処へ行こうと…)
 それだけを思っていたのだろうな、とシロエの心が見えてくるよう。
 「キースの秘密」など、もはや「あの時のシロエ」にとっては「些細なこと」。
 現実にはもう目を向けもしないで、ただ夢だけを追って、目指して、シロエは散った。
 宇宙へ飛び出し、ネバーランドを追い掛けた末に。
 ありもしない「朝」へ、「二つ目の角」へと向かって飛んで飛び続けて、撃墜されて。
(…それが真相だったのだろうな…)
 シロエは「どうでも良かった」のだ、と砕け散った船を思い出す。
 キースの秘密を暴くことより、自分の夢と想いの方が、シロエにとっては重要だった。
 何にも代え難い宝物の本と、懐かしい故郷と両親の思い出。
 どれ一つとして欠けてはならず、それらを大切に抱き締めたままでシロエは「飛んだ」。
 真っ直ぐに、ネバーランドへと。
 シロエの夢が叶う国へと、「キースの秘密」などはもう、忘れ去って。


(…それなのに、何がどうなったのか…)
 ピーターパンの本は、「消えずに」残った。
 恐らく、シロエのサイオンが守ったのだろう。
 爆発の中でも微塵に砕けてしまわないよう、シールドを張って。
 「何よりも大事な宝物」だから、シロエ自らの肉体よりも「優先して」。
(…もっとサイオンの扱いに長けていたなら、シロエ自身も…)
 シールドの中で生きていたのだろうな、と思うけれども、そうはならずにシロエは逝った。
 生きていたなら、モビー・ディックに発見される道もあったのに。
 「近くまで来ていた」と聞かされたから、「そうなってくれていたならば」と思うのに。
(…残ったものは、この本だけか…)
 ならば、返してやらなければな、と焼け焦げた本の表紙を撫でた。
 「この本をシロエに返してやろう」と、「シロエが持っているべきだ」と。
 有難いことに、そのための好機がやって来る。
 今日、グランド・マザーから「Eー1077を処分して来なさい」との命令を受けた。
 「キースが出生の秘密を知った」と気付いたからか、あるいは予定の行動なのか。
(…なんとも分かりかねるのだがな…)
 シロエが記録していた映像、それは本来、「此処に残っている筈がない」。
 ピーターパンの本と一緒に宇宙に飛び散り、キースの手許に届きはしない。
(私が映像を目にしたことは、知っているかもしれないが…)
 それが無くても「時期が来た」というだけなのかもな、と自嘲の笑みが唇に浮かぶ。
 「どうせ行ったら分かることだ」と、「フロア001も見られるだろう」と。
 グランド・マザーは「時が来るまで」、秘密にしておく気でいたかもしれない。
 「真実を早く知りすぎた」キースが自滅しないよう、「この歳になるまで」。
(だとしたらシロエは、私を壊せる切り札を手にしていたというのに…)
 私に渡すこともしないで、大切に持って行ったのか、と少し可笑しい。
 「シロエ、お前は失敗したぞ」と、「持って行かずに、渡すべきだったな」と。
 そうしていたなら「キース」は絶望の淵に叩き落とされ、自殺していたか、狂っていたか…。
(いずれにせよ、無事には済んでいなくて、此処に生きてもいないだろうが…)
 何事もなく生き延びた上に、シロエが「一緒に行きたかった本」まで残ってしまった。
 色々と勘定が狂ったけれども、その帳尻を合わせるためにも、シロエに本を返してやろう。
 Eー1077を処分しに出掛ける時には、この本も必ず持ってゆく。
 そして廃校になって、廃墟と化しただろうステーションの中で…。
(…あの頃のシロエの部屋を探して、其処の机に…)
 ピーターパンの本を置いてから、Eー1077を惑星に落とし、木っ端微塵に破壊する。
 それが一番いいと思うし、本はシロエが持っているべき。
 自分自身の肉体よりも、本を守って逝ったくらいに、大切にしていた宝物なのだから…。



             遺された本・了


※アニテラのキースは、シロエが撮影した映像で「自分の生まれ」を知ったのですが。
 肝心の秘密を仕込んだ本ごとシロエは逃げて、撃墜されて終わり。変だよね、というお話。









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(また、何か…)
 大切なものを失くしたんだ、とシロエは一人、唇を噛んだ。
 Eー1077は既に夜更けで、候補生たちは皆、自分の個室に戻っている。
 シロエもその中に含まれるけれど、こんな時間に起きている者は少ないだろう。
 宇宙ステーションとはいえ、昼間と夜の区別はある。
 夜は居住区の照明も暗くなる上、食堂なども閉まってしまう。
 活動には不向きな環境だけに、大抵の者は眠りに就いて、明日に向けての備えをする。
 講義もあれば、宇宙空間での実習がある者もいるから。
(…ぼくも、しっかり眠らないと…)
 明日の授業に響きそうだ、と分かってはいても、とても眠れる気がしない。
 その結果として成績が落ちれば、またしても…。
(今日と同じで、マザー・イライザにコールされて…)
 忌まわしい部屋で深く眠らされ、心を探られ、「不要な因子」を抹消される。
 目が覚めた時は、心がスッキリしているけれども、それは「何か」を失ったから。
 イライザが「不要」と判断したモノ、それは本当は「大切な」もの。
(マザー・イライザと、この世界には要らないモノでも…)
 ぼくにとっては大事な宝物なんだ、と知っているだけに、コールは避けたい。
 コールされる度、少しずつ「失くしてゆく」宝物は、どれも幼い頃の記憶で、もう戻らない。
 どんなに努力を重ねてみても、二度と思い出すことは出来ない。
 懐かしい母の姿だったら、マザー・イライザが「真似ている」のに。
 恐らく声まで同じだろうに、確証が持てなくなってしまった。
 初めてコールを受けた時には、「ママなの?」と驚き、感動さえも覚えたのに。
 「この部屋に来たら、ママに似た人に会えるんだ」と騙され、手懐けられそうになった。
 もっとも、じきに、そのからくりに気付かされたから、懐きはしないで…。
(イライザに逆らう道を選んで、今も走っているけれど…)
 果たして「それ」が正しいかどうか、疑問に思わないでもない。
 マザー・イライザの意向に背けば、コールされ、「何か」を消されて失う。
 失った記憶は戻ることなく、シロエの中から欠け落ちてゆく。
(…このまま、どんどんコールされ続けて暮らしていたら…)
 いずれは何も無くなるのでは、と不意に不安がこみ上げて来る。
 「逆らい続けるシロエ」を意のままにするべく、マザー・イライザが本気を出したなら…。
(ぼくの記憶をすっかり消して、偽の記憶と入れ替えて…)
 「従順なシロエ」を作り出すことが、もしかしたら出来るかもしれない。
 なんと言っても、マザー・イライザは「、教育ステーション」を支配する機械なのだから。


 シロエが育った育英都市には、テラズ・ナンバー3がいた。
 成人検査を担当していて、大人の社会に旅立つ子供の記憶を消すのが仕事だけれど…。
(所詮は、末端のコンピューターで…)
 教育ステーションにいるコンピューターより、その地位は低い。
 それでも「あれだけの」力があって、子供の記憶を「塗り替えてしまう」。
 このステーションに集められている候補生たち、彼らの中の一人も疑問を持ってはいない。
 成人検査の前と後とで、「自分の記憶が異なる」ことに気付きもしないと言えるだろう。
(気が付いたのは、ぼくくらいで…)
 つまりは社会の仕組みを見抜いて、「システムを疑い、憎み始める」者だっていない。
 だから「シロエ」はターゲットにされ、頻繁にコールを受けることになる。
 「不要な因子」を探し出しては、消し去り、疑問を抱かないようにしてゆくために。
(…テラズ・ナンバー3でさえも、あんな力があるんだから…)
 それよりも上位の「マザー・イライザ」には、どれほどの力があるものなのか。
 考えたことも無かったけれども、「シロエの記憶を、すっかり丸ごと」入れ替えるのも…。
(マザー・イライザには、うんと簡単なことなのかも…?)
 ほんの一瞬、それだけあれば充分な時間かもしれない。
 「シロエ」をコールし、深く眠らせ、記憶を消すための出力を少し上げたなら…。
(ぼくの中から、何もかもが消えて…)
 あの憎らしい「キース」さながら、故郷も養父母の記憶も失くした「シロエ」が出来る。
 何一つ覚えていることは無くて、社会で役立つ知識だけを持った「優秀な」者が。
(でも、それだけでは不自然だから…)
 シロエを知っている周りの者が変だと思わないよう、偽の記憶を植えるのだろう。
 「マザー・イライザにとっては」都合が良くて、この社会にも馴染める「偽りの過去」を。
 故郷の記憶も、両親のことも、何もかもを全て「上書き」して。
(…ぼくが持って来た、ピーターパンの本だって…)
 どういう具合にされてしまうか、まるで見当もつかないけれども、恐ろしい。
 「偶然、紛れ込んでしまった荷物」と認識するのか、あるいは記憶の処理と同時に…。
(誰かを寄越して、ぼくの部屋から持ち出させて…)
 そんな本など「何処にも無かった」事実が作られ、偽の記憶を持った自分も気にしない。
 部屋から本が消えたことなど、記憶を書き換えられたシロエは「知らない」から。
 ピーターパンの本を「持って来た」のを忘れてしまって、最初から「持っていない」から。
(…マザー・イライザが本気になったら、そのくらいは…)
 本当に「簡単」かもしれない。
 今は「本気になっていない」だけで、いつか、本気を出して来たなら。


(…そんなことって…)
 あるんだろうか、と思うけれども、けして無いとは言い切れない。
 ついでに言うなら、「シロエ」が優秀であればあるほど、可能性が上がりそうではある。
 秀でた人材を持つのだったら、システムに反抗的な者より、従順な者がいいに決まっている。
 機械はそれを好みそうだし、そうすることが可能だとしたら、やりかねない。
 あるいは、マザー・イライザが「それ」を思い付きはしなくても…。
(…メンバーズ・エリートを選び出すのは、マザー・イライザかもしれないけれど…)
 Eー1077を卒業した後、そのメンバーズを使役する者は「他にいる」。
 地球に在ると聞く巨大コンピューター、グランド・マザーがシステムの要で、主でもある。
 「メンバーズを使う」立場だったら、将来的に選ばれそうな者にも興味を持っているだろう。
 彼ら、彼女らを「どういう具合に」教育すべきか、具体的に指示をするかもしれない。
 「もっと、こういう教育を」だとか、「この人間には、この分野の講義を多くしろ」とか。
(…ぼくのデータも、グランド・マザーが見ているとしたら…)
 このシステムに「反抗的である」欠点について、どういった風に捉えているか。
 それも個性の内だと見るか、矯正すべき欠陥と見なしているか。
(…卒業までには、この欠陥をきちんと処理しておけ、とグランド・マザーが…)
 マザー・イライザに言って来たなら、文字通りに「終わり」かもしれない。
 いつものようにコールを受けて、あの忌々しい部屋に入った「シロエ」が出て来た時には…。
(まるで全く違う中身で、システムに従順になっていて…)
 ピーターパンの本のことも忘れて、ネバーランドに焦がれたことさえ「覚えてはいない」。
 記憶を書き換えられた「シロエ」は、「ピーターパンの本」を、こう思うだろう。
 「子供の頃に、確かパパに貰って、持っていたよね」と。
 「うんと大事にしていた本で、何度も何度も読んでいたっけ」と懐かしく思い出しもして。
 「あの本に出てたネバーランドに、行こうと思って頑張ったんだよ」と笑んだりもする。
 「子供らしい夢っていうヤツだよね」と、「空を飛べると思い込んでさ」と可笑しそうに。
(…そう、本当なら、今頃のぼくは…)
 そうなっている筈だったんだ、と背筋がゾクリと冷たくなった。
 テラズ・ナンバー3が記憶を処理した時には、「そうしたつもり」だったろう。
 ところが「シロエ」は、そうはならずに、ピーターパンの本を後生大事に抱え込んだまま…。
(ステーションまで来てしまっていて、今もシステムに反抗的で…)
 事あるごとにコールされては、少しずつ記憶を「消されている」。
 システムに逆らう理由の因子を、マザー・イライザに取り除かれて。
 「これは不要だ」と機械が過去の記憶を選り分け、「シロエ」の中から抹消して。


 そう、「今はまだ」、度々、コールされるだけ。
 反抗的な行動をすれば、あの部屋に呼ばれて「眠らされて」、何か「消される」だけ。
 自分でも直ぐには思い出せない、とても小さな子供時代の記憶を、巧みに抜き取られて。
 いったいどれを消去したのか、シロエ自身にも「気付かせない」ような形で。
(何日も経ってから、「消された記憶は、コレだったんだ」って…)
 気付いて悔しく思う程度で、今はまだ済んでいるのだけれども、これから先は分からない。
 このまま逆らい続けていたなら、ある日突然、地獄の底へ落ちるのだろうか。
 マザー・イライザからのコールを受けて、「またか」と出掛けて、それでおしまい。
(いつもの部屋から出て来た時には、今、此処にいる「ぼく」はいなくて…)
 システムに何の疑問も抱かず、従順に生きる「シロエ」が代わりに、この人生を歩んでゆく。
 大切に持って来たピーターパンの本が、「思い出の一つ」に過ぎない「シロエ」になって。
 反抗的だったことなど忘れて、故郷のことも、両親のことも、思い出になって。
(……もしかしたら、いつか、そうなるのかも……)
 まさか、と身体が震え出すけれど、その日が「来ない」とは言えない。
 逆らい続けて生きていたなら、「違うシロエ」に作り替えられてしまう日が訪れて。
(…でも、従順になったふりをしたって…)
 機械は全てお見通しだから、きっと無駄だ、という気がする。
 ならば「このまま」生きてやろうか、そうやって生きて、行きつく先は地獄でも。
 自分でも「全く気付かないまま」、違う自分にされてしまう日が来るのだとしても…。



          逆らい続けたら・了


※シロエの記憶を「すっかり書き換えてしまう」ことは、機械には可能なことなのかも。
 アニテラのSD体制は緩めですけど、もしも機械が本気を出したら、有り得る恐ろしい未来。







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