青い星の君へ
あの日から、もう十七年も経ったようだね、この世界では。
そう、十七年前の今日、ぼくが逝ったと、君たちは記憶している筈だ。
ぼくが暮らしていた世界でも、あれから長い歳月が過ぎて、今では地球も、すっかり青い。
けれども、そうなるよりも前の時代も、十七年と言えば長かったろう。
ミュウと人類の間の壁が消えて無くなり、何もかもが急激に変化したから、尚更だ。
それに、ナスカの悲劇の後には、ジョミーたちまでが、地球で命を落とした。
燃え上がる地球から去ったシャングリラに、ぼくを昔から知る者は、どれだけ残っていただろう。
その時点でさえ、そうなのだから、十七年が経った船だと、どうだったのか…。
ぼくを直接、知らない仲間が、あの懐かしい白い船にも、多かったかもしれないね。
「ソルジャー・ブルー」がいなくなってから、生まれた子たちが何人も増えて。
でも、その方が、ぼくは嬉しい。
いつまでも、ぼくの思い出に縛られるよりも、「今」を見詰めていて欲しいから。
君たちにしても、この瞬間まで、ぼくを忘れていた人が多いと思う。
十七年前の七月の末に、テレビ画面の向こうに何を見たのか、そのことさえも。
今日の日付も、言われて初めて「そういえば…」と気付くくらいに、遠い記憶になったろう。
十七年が流れる間に、新しい「何か」の記念日が出来て、置き換わった人もいるのだろうね。
あの日、小学生だった子供たちでも、立派な大人だ。
七月二十八日という日が、結婚記念日になったりもすれば、子供が生まれた日になりもする。
今日が、そういう「嬉しい記念日」に変わっているなら、ぼくの、心からの祝福を。
逆に「悲しい日になってしまった」人がいたなら、その悲しみに寄り添おう。
今日という日を忘れたままで、何処かで暮らしている人たちにも、ぼくは感謝の言葉を贈る。
「あの日、ぼくの最期を見届けてくれて、ありがとう」と。
シャングリラの仲間たちの中の誰一人として、居合わせた者はいなかったからね。
十七年の月日は、とても長くて、ぼくを忘れるのも不思議ではないし、むしろ当然とも言える。
君たちは、ぼくと同じ世界に住んではいなくて、今だって、そうだ。
だから「忘れてた…!」と慌てるよりかは、「そうか、今日だったんだっけ…」の方がいい。
今、ほんの少しだけ、あの日に戻って、じきに忘れてしまう方がね。
君たちにも、ミュウの仲間と同じで、「今」という時を生きて欲しいし、それを望むよ。
見ている画面を閉じた途端に、ぼくのことなど、もう二度と思い出さなくても。
けれど、今でも忘れていない人がいるなら、「忘れて欲しい」と言ったりはしない。
思い出を詰めた箱の中身は、それこそ人の数だけあるんだ。
何を入れるか、いつ取り出して眺めるのかは、誰に強いられるものでもない。
「ソルジャー・ブルー」を、思い出の箱に仕舞っておきたいのならば、止めはしないよ。
ただ、一つだけ、注文をしてもいいなら、箱に仕舞うのは「ただのブルー」にしてくれないかな。
「ただのブルー」なら、いつも、何処ででも、取り出して、そこに置けるから。
居酒屋で「ブルー」を思い出しても、違和感など、ありはしないしね。
青い地球の上で、ぼくを連れ歩いて貰えるのならば、嬉しいし、きっと楽しいだろう。
ぼくは何処へでも、お供するから、思い出の箱の中には、「ただのブルー」を。
「ソルジャー・ブルー」を入れる代わりに、「ただのブルー」にしてくれたまえ。
衣装ばかりは、仕方ないけれど。
「着替えたいから、服も頼めないかな」なんて、そこまで我儘を言えはしないし、今のでいい。
「ただのブルー」になれるのならば、もうそれだけで、充分だ。
大袈裟な「ソルジャー」のままでいるより、居酒屋にも入れる「ぼく」でいられればね…。
青い星の君へ・了
※ブルー追悼、17年目も書きました。もう追悼でもないだろう、と「ただのブルー」です。
自分でも呆れるほどの歳月、アニテラで走っているわけですけど、もう明らかに少数派。
今年はテイスト変えてみました、「居酒屋に入るブルー」は、見てみたいかも…。
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