(……過去か……)
それに子供時代か、とキースが浮かべた自嘲の笑み。
「私は、持ってはいなかったのだ」と、今更ながらに、ノアの自室で。
グランド・マザー直々の任務で、E-1077を処分してから暫く経つ。
遥か昔に、シロエが「見て来た」フロア001に入った日から。
彼が「ゆりかご」だと言っていた場所、其処で目にしたサンプルたち。
「キース」は「生まれたモノ」ではなかった。
機械に「作り出されたモノ」。
文字通りに「無から」生まれた生命、三十億もの塩基対を合成されて。
「ヒト」なら誰もが持つDNA、その名の鎖を紡ぎ出されて。
マザー・イライザが「作った」人形、「ヒト」であっても「ヒト」でないモノ。
皮膚の下には、ちゃんと赤い血が流れていても。
こうして思考している頭脳は、機械ではなくて脳味噌でも。
(…水槽にいた頃の、私の記憶は…)
強化ガラスの水槽の中の「キース」を眺める、研究者たちだけ。
あの頃に「キース」の名があったのか、ただの記号で呼ばれていたかは知らない。
マザー・イライザが「それ」を語る前に、全てを破壊して来たから。
フロア001のコントロールユニットはもちろん、E-1077の心臓部も。
(名前だったか、記号だったか、そんなことはどうでもいいのだがな…)
過去を持たないことは確かだ、と零れる溜息。
とうに夜更けで、側近のマツカも部屋にはいない。
彼が淹れて行ったコーヒーも冷めて、一人、考え事をするだけ。
昼間の出来事、それが頭をもたげたから。
普段だったら気に留めないのに、今夜は何故か引っ掛かる。
見舞いに出掛けたサムの病院、其処でいつもの笑顔だったサム。
「赤のおじちゃん!」と嬉しそうに笑んで、「今日の報告」をしてくれて。
何を食べたか、どれが一番美味しかったか。
苦手な料理も食べたけれども、「ママのオムレツは美味しいよ!」と。
「今日のサム」は、父に叱られたらしい。
勉強しろ、と怖い顔をされて。
母が作ってくれたオムレツ、それの他にも「これも食べろ」と強いられたりして。
(…今のサムは、私を覚えていないが…)
「友達だったキース」を忘れて、「赤のおじちゃん」としか呼んではくれない。
心だけが子供に戻ってしまったサムの世界に、「候補生時代」は残っていないから。
E-1077も「キース」も、子供時代のサムとは無縁のものだから。
(そうやって、全て忘れてしまっていても…)
サムは幸せに生きている。
ノアには「いない」筈の両親、優しくも、また厳しくもあった養父母たちと。
彼の心を覗いたならば、きっと、「ジョミー・マーキス・シン」もいることだろう。
「ミュウの長になった」幼馴染ではなくて、「一緒に遊ぶ友達」として。
かつて「キース」がそうだったように、サムが心を許す者として。
(…心だけなら、赤のおじちゃんの私にも…)
許してくれてはいるのだろう。
そうでなければ、サムは懐きはしないから。
「自分だけの世界」に生きているサム、けれども彼の笑顔は消えない。
幸せに満ちた子供時代に、心だけが戻っているものだから。
彼の側には、養父母たちがいるのだから。
(…サムは、いつでも幸せそうで…)
たまにションボリしている時には、「パパがうるさいんだ」と悲しげな顔。
勉強せずに遊んでいたから、サッカーボールを取り上げられたとか、そういう思い出。
子供時代のサムが経験したこと、それがそのまま蘇って。
(…そうやって、しょげている時があっても…)
じきに元気を取り戻す。
「赤のおじちゃん」に、あれこれ報告するために。
病院で食べた筈の料理を、母が作った料理のつもりで披露して。
オムレツなどは食べていない筈の日も、「ママのオムレツ、美味しかったよ!」と。
苦手な野菜なども食べたと、「サムは偉いな」と褒めて貰いたくて。
いつもは「そうか」と笑顔で頷き、しょげていたなら慰めもする。
ジルベスター星系から戻った頃にも、そのように時を過ごしていた。
十二年間、会わないままでいた「友達」に会いに出掛けては。
「昔のサム」は、もういなくても。
「キースを覚えていないサム」しか、病院で待ってはいてくれなくても。
E-1077を処分した後も、何度も訪ねた。
「自分の正体」が何かを知っても、「ヒトではないのだ」と思い知らされても。
それでも自分は「人間」なのだし、怪我をしたなら血も流れる。
頭の中を巡る考え、それも「機械のプログラム」ではない。
何度も自分にそう言い聞かせて、「私はヒトだ」と思って来た。
たとえ作られたモノであろうと、見た目も中身も「ヒトと同じだ」と。
けれども、「持っていない」過去。
今の自分が、何かの事故で「サムと同じ」になってしまったら、いったい何が残るのか。
強化ガラスで出来た水槽、その中で育って来たのなら。
成人検査が「全部、奪った」とシロエが怒りを露わにしていた、子供時代が無いのなら。
(…ただ、ぼんやりと虚ろな瞳をしているだけで…)
たまに頭を掠めてゆくのは、フロア001にいた研究者たちの姿だろうか。
水槽の向こうで「何か記録をつけていた」者や、水槽を軽く叩いていた者。
白衣を纏った「彼ら」だけしか、残ってくれはしないのだろうか。
「失う過去」が無かったら。
最初から「過去を持たずに育って」、そのまま社会に出て来たのなら。
(……てっきり、忘れてしまったものだと……)
長い間、そう信じていた。
シロエが「フロア001」に行くまでは。
其処で「ゆりかご」を見付けたシロエに、「忘れるな!」と言われるまでは。
(…フロア001に行けば、全て分かると…)
そう思わされた、その名を聞いた日。
シロエが保安部隊に連行されて、E-1077から「消えてしまった日」。
次の日にはもう、誰もシロエの名を覚えてはいなかったから。
「そんな子、知りませんけれど」と、同期生までが答えたほどに。
あの忌まわしい出来事のせいで、疑い始めた自分の生まれ。
「もしかしたら、自分は機械なのでは」と、「ヒトではない」可能性さえも考えて。
(…ある意味、ヒトではなかったのだが…)
それでも「キース」を調べてみれば、「ヒトだ」と誰もが思うだろう。
DNAまで解析しても、「そういうDNAを持ったヒトだ」と判断するだけ。
似たような遺伝子データの持ち主、それが一人もいなくても。
(…SD体制が始まって以来、一度も使われなかった卵子などを使って…)
人工子宮で育てたならば、「誰も知らないDNAの持ち主」が生まれることも有り得る。
今から六百年以上もの昔に、凍結されたままの卵子や精子を使って子供を作ったら。
(私のデータを解析しても、ヒトだと答えが出るのだろうが…)
しかし私は「ヒト」ではない、と自分自身が知っている。
サムのように「戻ってゆける過去」を持たない、「子供時代」を知らない者。
シロエが最後まで焦がれ続けた「生まれ故郷」さえ、持ってはいない。
いくら「キース」のパーソナルデータに、それらが「きちんと」記されていても。
父の名はフルで、母はヘルマで、出身地は育英都市のトロイナスでも。
(…フルという名の父もいなければ、母のヘルマもいないのだ…)
その上、トロイナスなど知らない。
任務でさえも訪れたことがない場所、「キース」が存在しなかった場所。
(……もしも、忘れてしまったのなら……)
何かが違っていただろうか、と今夜は思わずにいられない。
「成人検査のショックで忘れる」ことなら、たまにあるのだと聞いている。
養父母も故郷も存在するのに、「思い出せなくなってしまう」例。
自分もそうだと信じていたから、平気な顔をしていられた。
シロエが何と詰って来ようが、「思い出せない」ことに不安を覚える夜があろうが。
(…忘れたのなら、それは仕方のないことで…)
どうしようもない、と割り切っただけに、余計に「シロエ」が不思議だった。
何故、あれほどに「過ぎ去った過去」にこだわるのか。
もう会えはしない養父母たちを懐かしんでは、帰れない故郷にしがみつくのか。
「忘れてしまえば、此処での暮らしも楽だろうに」と思いもした。
システムに逆らい続けはしないで、「そういうものだ」と納得したなら楽なのに、とまで。
けれど、今なら「分かる」気がする。
今では「子供時代」を生きているサム、彼は幸せそうだから。
傍から見たならサムの心は壊れていようと、彼の笑顔は本物だから。
(ああいった風に、笑えるのならば…)
成人検査が「消してしまう」過去は、きっとシロエが叫んだように、大切なもの。
「ヒト」が生きてゆく上で欠かせないもの、「無くてはならないもの」なのだろう。
成人検査で「奪われた」後も、「その人間」を根幹から構成し続けて。
「何もかも失くしてしまったサム」にも、「その時代だけ」が残ったように。
(…その過去さえも、持たない私は…)
いったい何者なのだろうか、と「水槽の記憶」にゾクリとする。
それが「キースを構成する」なら、「ヒトとは言えない」だろうから。
サムのように「全てを失くした」時には、「空っぽのキース」が残るのだろう。
「ママのオムレツは美味しいよ!」と、「過去に生きる」ことは出来なくて。
ただ、ぼんやりと宙を見詰めて、研究者たちの幻だけが、時折掠めてゆくだけのことで…。
持っていない過去・了
※キースには「過去の記憶が無い」わけですけど、それはプラスなのかマイナスなのか。
もしもサムのような目に遭った時は、何一つ残らないだけに。…有り得ない話ですけどね。
(……パパ、ママ……)
もう顔さえも、はっきり思い出せやしない、とシロエが噛んだ唇。
一日の講義が終わった後で、E-1077の個室で。
エリートを育てる最高学府と、名高い此処。
目覚めの日を控えた子供たちの憧れ、其処に自分は来られたけれど…。
(…その代わりに…)
何もかも忘れて、失くしてしまった。
育ててくれた両親も家も、懐かしい故郷の風や光も。
成人検査で奪われた記憶。
「捨てなさい」と、過去の記憶を消し去った機械。
子供時代は消えてしまって、残ったものはピーターパンの本だけだった。
たった一つだけ、故郷と「自分」を繋いでくれる宝物。
残念なことに、「いつ貰ったか」は、どうしても思い出せないけれど。
両親が贈ってくれた日のことは、何も覚えていないけれども。
(…それと同じで…)
宝物の本をくれた両親、その二人の顔も、おぼろなもの。
「こんな風だった」と記憶はあっても、正確には思い出せなくて。
(…まるで焼け焦げた写真みたいに…)
あちこちが欠けた「両親の顔」。
「パパの姿は、こんなのだった」と、大きな身体を覚えてはいても。
キッチンに立つ母の姿を思い出せても、その顔までは出て来ない。
どれほどに努力してみても。
なんとかヒントを掴み取ろうと、懸命に記憶の糸を手繰っても。
(……マザー・イライザは、ママに似ていて……)
最初は「ママなの?」と思ったほどだし、参考になるのは「それ」くらい。
憎らしい機械の化身とはいえ、貴重な「マザー・イライザ」の姿。
「あれがママだ」と、描きとめる日もあるほどだから。
さほど上手いとは言えない腕でも、似顔絵を描いてみたりするから。
「忘れてしまった」母の姿を描きたくて。
これが母だと思える似姿、それを自分で描けたなら、と。
そうして忘れまいとするのに、日ごとに薄れてゆく記憶。
このステーションに来て間もない頃より、「欠けた部分」は大きくなった。
E-1077に着いて直ぐなら、両親の顔は「ただ、ぼやけていた」だけだったのに。
全体に靄がかかったかのように、定かではなかったというだけのこと。
それが今では、焼け焦げた写真を見るかのよう。
「パパの顔は…」と思い浮かべても、欠けた部分が幾つもあって。
大好きだった母の顔さえ、幾つもの穴が開いていて。
(…パパとママだと、どっちが、ぼくに似てたんだろう…?)
何の気なしに思ったこと。
SD体制が敷かれた時代は、両親の血など、子供は継いではいないけれども。
人工子宮から生まれた子供を、機械が養子縁組するだけ。
養父母の資質や、子供の資質を考慮して。
「この子は、此処だ」と送り届けたり、養父母の注文を聞いたりもして。
(…次の子供は、女の子がいいとか…)
最初は男の子を育てたいとか、そういった希望も通るらしい。
機械が許可を出した場合は、注文通りの子供が届く。
目の色も髪も、肌の色までも、養父母が「欲しい」と思った通りの子が。
(…養父母になる人が、希望したなら…)
絵に描いたような「親子」も出来る。
遠い昔は、「息子は母親の顔立ちを継いで、娘は父親に似る」とも言われた。
その時代を再現したかのように、母親そっくりの「息子」とか。
父親と面差しの似た「娘」だとか、そういう例もあるだろう。
養父母に連れられた子が歩いていたなら、「まあ、そっくり!」と皆が褒めるとか。
「お父さんの顔に似てるわね」だとか、「お母さんに、なんて似てるのかしら」だとか。
機械が子供を「配る」時代に、血縁などは有り得ないのに。
本当の意味での「母親似の息子」や、「父親似の娘」は、いはしないのに。
けれど、「両親」が揃っているなら、やはり「どちらか」には似るのだろう。
「母親に似た息子」ではなくて、「父親そっくりの息子」でも。
「父の面差しに似た娘」はいなくて、「母親に顔立ちが似た娘」でも。
自分の場合は、いったい、どちらだったのか。
「セキ・レイ・シロエ」は、母親似だったか、はたまた父に似ていたのか。
(…パパは、身体が大きかったから…)
小柄な自分は、母親の方に似ていたろうか。
「男の子は、母親に似る」という昔の言葉通りに、母の面差しを持っていたろうか。
母の血を継いだわけではなくても、傍から見たなら「似ていた」とか。
輪郭が母親そっくりだとか、目鼻立ちが似ているだとか。
(…パパの鼻とは似ていないよね…)
まるで焼け焦げた写真みたいに、あちこちが欠けた記憶でも分かる。
父の鼻は「自分と似てはいない」と。
それよりは母の方なのだろうと、「ママの鼻の方が、ぼくに似てる」と照らし合わせて。
(…輪郭は、パパが太ってなければ…)
あるいは父に似たのだろうか。
父が太ってしまう前なら、「シロエのような」輪郭を持っていたかもしれない。
髪の色だって、あんな風に白くなる前だったならば、黒かったろうか。
母の髪の色は「黒」ではない。
「黒い色の髪」を持った子供を、両親が希望したのなら…。
(…若かった頃のパパは、黒髪…)
その可能性は充分にある。
優しかった父なら、「自分に似た子」が欲しいと注文しそうだから。
母にしたって、父の意見に大いに賛成しそうだから。
(鼻の形はママに似ていて、髪の色がパパで…)
輪郭は、どちらか、よく分からない。
あの父が「若くて痩せていた頃」の写真なんかは、知らないから。
もしも見たことがあるにしたって、記憶は機械に消されたから。
(…肌の色は、パパもママも、おんなじ…)
自分と同じ肌の色だし、其処は「本物の親子」のよう。
これで目鼻立ちが「そっくり」だったら、「シロエ」は実の子にだって見える。
「母親に似た息子」でなくても、「父親に似た息子」でも。
(…ぼくは、どっちに似てたんだろう…)
今では記憶も定かではない、故郷で暮らしていた頃は。
両親と何処かへ出掛けた時には、他の人の目には、どう映ったろうか。
「ただの養子だ」と見られただけか、「親に似ている」と思われたのか。
父親にしても、母親にしても、まるで血縁があるかのように。
(…そうだったなら…)
きっと「自分の姿」の中に、両親のヒントもあるのだろう。
鏡に向かって眺めていたなら、「これがママだ」と思える部分が見付かるとか。
「パパそっくりだ」と懐かしくなる何か、それが自分の顔にあるとか。
(…口元なんかは…)
表情によって変わるものだし、分かりやすいのは瞳だろうか。
とても優しく微笑む時も、驚きで丸く見開かれた時も、瞳そのものは変わらない。
「目の大きさ」は変わって見えても、「瞳の色」は。
持って生まれた「目の色」だけは、どう頑張っても変えられはしない。
色のついたレンズを、上から被せない限り。
青い瞳でも黒く見せるとか、そういったカラーコンタクトレンズ。
(…養父母コースに行くような人は…)
子供の前では、そんなレンズを嵌めて暮らしはしないだろう。
父親はもちろん、「化粧をする」母親の方にしたって。
(……ぼくの目の色は……)
パパとママと、どっちに似ていたのかな、と考える。
血こそ繋がっていないけれども、「母親譲り」の瞳だったか。
それとも父にそっくりだったか、どうなのだろう、と。
(…ぼくの瞳は、菫色で…)
どちらかと言えば、個性的な色の部類に入る。
ありふれた瞳の色ではないから、両親の瞳が菫色なら…。
(それだけで、立派に親に似ていて…)
きっと自慢の息子だったよ、と考えた所で気が付いた。
父の瞳も、母の瞳も、「色さえ、分からない」ことに。
機械が奪ってしまった記憶は、両親の目元を「完全に消している」ことに。
(……そんなことって……)
酷い、と改めて受けた衝撃。
瞳の色が分からないこともショックだけれども、その目元。
「人の顔立ち」は、目元に特徴が出るものなのに。
写真で身元がバレないように細工するなら、目元を「消しておく」ものなのに。
(…パパやママの目の色も、分からないのなら…)
目元を思い出せないのならば、どう頑張っても、顔立ちは「思い出せない」のだろう。
「こんな風かも」と思いはしたって、決め手に欠けて。
輪郭や鼻や髪の色なら、赤の他人でも「似る」ものだから。
「似たような顔だ」と思える顔なら、この世に幾つもあるのだから。
(……テラズ・ナンバー・ファイブ……)
あいつは其処まで計算してた…、とギリッと噛み締める奥歯。
両親の「目元」を、真っ先に消して。
まるで焼け焦げた写真みたいな両親の記憶、二人とも「目元」が見えないから。
(…ぼくの目の色は、パパに似てたか、ママに似てたか…)
どちらにも似ていなかったのか。
分からないのも悔しいけれども、「目元が分からない」のが辛い。
目元を隠した写真だったら、赤の他人でも、父や母のように「見える」だろうから。
機械は其処まで計算した上で、「シロエの記憶」を奪ったから…。
両親の面差し・了
※シロエが思い出すことが出来ない、両親の顔。そういえば目元が欠けていたっけ、と。
「目元を隠す」のは身バレ防止の定番なだけに、ソレだったかな、というお話。
(……今のは……)
ミュウか、とブルーが見開いた瞳。
右の瞳は砕けてしまって、視界は半分だったけれども。
禍々しく青い光が満ちた、メギドの制御室。
母なる地球の青とは違った、人に破滅をもたらす光。
いったい人類は何を思って、こんな兵器を作ったのか。
元は惑星改造用にと作られたものを、破壊兵器に転用してまで。
これを沈めに、此処まで来た。
させまいと現れた「地球の男」を、道連れにする筈だった。
この身に残ったサイオンを全て、かき集めて。
自ら制御を外してしまって、暴走させるサイオン・バーストで。
けれど、叶わなかった「それ」。
地球の男は、目の前で消えた。
「キース!」と、彼の名を叫んだ青年と共に。
どう考えても「ミュウの力」で、瞬間移動で何処かへと飛んで。
(……何故、ミュウが……)
人類の船に乗っているのか、キースを救いに駆け付けたのか。
そういえば、シャングリラで耳にしたろうか。
「思念波を持つ者が、人類の船でナスカに来た」と。
「地球の男を救って逃げた」と、メギドの劫火が襲うよりも前に。
(…ならば、噂は…)
噂ではなくて、「本当にあった」ことなのだろう。
「地球の男」は「ミュウ」を連れていて、ミュウの力で命拾いをしたのだろう。
(……もし、そうならば……)
ずっと遥かな先でいいから、「地球の男」の「考え方」が変わればいい。
「人類とミュウは兄弟なのだ」と、「分かり合える」と。
彼が考えを変えてくれたら、手を取り合える日も来るだろう。
「地球の男」は、「ただのヒト」ではないのだから。
フィシスと同じに無から作られ、人類を導く指導者になる存在だから。
そんな日がいつか、来てくれればいい。
自分は見届けられないけれども、人類とミュウが手を取り合う日が。
もう「シャングリラ」という「箱舟」は要らず、踏みしめられる地面を得られる時が。
(……ジョミー……。みんなを頼む!)
この身が此処で滅ぶ代わりに、メギドの炎は「持って逝く」から。
「ソルジャー・ブルー」はいなくなっても、皆の命を遠い未来へ繋いで欲しい。
ナスカで生まれた子たちはもちろん、前から船にいた者たちの命をも。
青い地球まで無事に辿り着き、白い箱舟から降りられるよう。
赤いナスカは砕けたけれども、地球で命を紡げるよう。
(……この目で、地球を見られなくても……)
充分だった、という気がする。
ミュウの未来を生きる子たちを、七人も見られたのだから。
「地球の男」を救ったミュウには、「未来への希望」を貰ったから。
それ以上のことを望むというのは、きっと贅沢に過ぎるのだろう。
一番最初のミュウとして生まれ、実験動物として扱われた日々。
生き地獄だった檻で生き延び、皆と宇宙へ旅立った。
「ソルジャー・ブルー」と仲間たちから慕われ、三世紀以上もの歳月を生きた。
焦がれ続けた青い地球には、行けなくても。
肉眼で夢の星を見るのは、叶わなくても。
(……充分だ……)
この人生に悔いなどは無い。
ミュウの未来が、先へと続いてくれるなら。
いつの日か、白い「ミュウの箱舟」が、役目を終えてくれるのならば。
未来への夢と希望とを抱いて、終わった命。
メギドが滅びる青い閃光、それと一緒に「消え去った」全て。
気付けば、秋が訪れていた。
「秋だ」と感じて、目覚めた意識。
色づいた木々と、とても穏やかな公園と。
頭上には青い空が広がり、木々の向こうには街並みも見える。
(……地球……?)
此処は地球だ、と直ぐに分かった。
どれほどの時が流れたのかは、まるで全く分からないけれど。
それに「自分」が、「何故、目覚めたか」も。
どうやら「自分」は「ヒト」の身ではなく、地面に根付いた「木」のようだから。
他にも並んだ木々と同じに、色づいた葉たち。
公園を彩る木たちに交じって、「今の自分」も植わっていた。
(…地球に来たのか…)
ヒトでなくても「来られた」のか、と幸せな思いが満ちてゆく。
青い地球まで来られたのなら、もう本当に満足だから。
たとえ名も無い木であろうとも、自分は「地球にいる」のだから。
そうして眺めた下の地面に、置かれたベンチ。
其処に座った少年の顔に、ただ驚いた。
「地球の男」が少年だったら、こういう顔になるのだろう。
その少年は、静かに本を読んでいるけれど。
「何処、蹴ってんだよ!」
そう声がして、飛んで来たボール。
サッカーボールは少年の手から、読んでいた本を叩き落とした。
「ごめん! …本当にごめん…」
駆けて来て本を拾った少年、彼の顔立ちは、あの「ジョミー」にしか見えなくて…。
(……ジョミー……?)
それにキースが此処にいるのか、と見詰める間に、二人の瞳から溢れた涙。
二人とも、思い出したのだろうか。
かつて「ジョミー」と「キース」だった二人が生まれ変わって、この公園で出会ったろうか。
「…不思議だね。ぼくたち、遠い昔に友達だったのかもしれないな」
「敵同士だったのかも?」
「…でも、こうやって会うことが出来た」
キースに似た少年が差し伸べた手を、ジョミーのような子は取らなかったのだけれど。
サッカー仲間の子から呼ばれて、そちらへと走り出したのだけど。
「おーい! 君も一緒にやろうぜ!」
ジョミーに似た子が、誘った「キースのような」少年。
「あ、ああ…!」
誘われた少年は、本をベンチに置くなり、ただ真っ直ぐに駆け出した。
たった今、出来たばかりの「友達」、その子とボールを蹴りにゆくために。
本を読むより、その方がいい、と。
(……あの二人は、地球で……)
もう一度、巡り会えたのだろう。
人類とミュウとが和解した先の遠い未来か、ほんの一世紀ほど先の未来かで。
(…それならばいい…)
ぼくが望んだ「未来」は訪れたのだから、と「キース」が置いた本を見下ろす。
(……ピーターパン……?)
この本にも、意味があるのだろうか。
此処でこうして立っていたなら、「ピーターパンの本」を知る子が来るのだろうか。
(……ぼくには、心当たりが無いが……)
キースの側には、そういう「誰か」がいたかもしれない。
もしかしたら、メギドで「キースを救った」ミュウの青年だっただろうか。
それとも他にも誰かいたのか、其処までは分からないけれど…。
(…ぼくは此処から、見守ることしか出来なくても…)
せっかく地球まで来られたのだから、皆が「出会う」のを見られたらいい。
ベンチには座り切れないくらいに、「キース」や「ジョミー」の友が大勢、増えるのを。
その顔の中に、「見知った誰か」が加わるのを。
(今は秋だから、冬になったら…)
公園に集う人間たちの数は減っても、来年の春には「友達」が増えていたらいい。
ピーターパンの本を好む子だとか、「自分」にも分かる顔の子だとか。
「あれは、あの子だ」と気付く誰かが、加わったらいい。
自分は「その輪」に入れなくても、「ジョミーたち」の上に心地よい陰を作ってやろう。
暑い夏でも、強すぎる日差しを避けられるように。
「この木の下が、一番いいね」と、皆の気に入りの場所になるよう。
誰も気付いてくれなくても。
「ブルーだ」と分かって貰えなくても、ちゃんと「自分」は此処で見ている。
ミュウの箱舟が要らない世界で、「憩いの場」を作れる一本の木に姿を変えて。
焦がれ続けた青い星の上で、夢に見ていた「ヒトの未来」が紡がれるのを…。
青い星の上で・了
※あの17話の日から、ついに10周年という。早かったような、長かったような。
転生キースとジョミーを扱ったのは初です、10周年の記念創作なら、コレだろう、と!
(……このピアス……)
やはり気になっていたようだな、とキースが思い浮かべる男。
国家騎士団総司令に会いに、今日の昼間に執務室まで訪ねて来た者。
今、パルテノンで審議されているらしい「キース・アニアン」のこと。
元老になるよう要請するか、国家騎士団に留め置くかを。
(そのための下見というわけか…)
執務室までやって来たのは、元老の一人ではなかったけれど。
元老の中の誰かの部下か、あるいはパルテノン直属の職員なのか。
(いずれにしても、品定めだ)
「キース・アニアン」が「どういう男」か、それを調べにやって来た者。
表立っては言わなかったものの、言葉の端々に滲み出ていた。
政治に対する考え方だの、国家騎士団総司令としての心構えだのを訊かれたから。
「どうお考えになりますか?」などと、インタビューでもするかのように。
彼が「持ち帰った」情報を元に、改めて審議されるのか。
それとも「答え」はとうに出ていて、イエスかノーかが決まるだけなのか。
(私は、どちらでもかまわないがな…)
国家騎士団総司令だろうが、パルテノンに入ることになろうが。
「人類を導く者」としてなら、いずれ間違いなくトップに立つ。
どんな形で就任するかは、グランド・マザー次第だけれど。
(腑抜けたパルテノンの元老どもが、私を認めないのなら…)
クーデターでも起こすことになるのかもしれない。
ある日、突然、グランド・マザー直々の指令を受けて。
「お前がトップに立たねばならぬ」と、紫の瞳がゆっくり瞬きをして。
そうなった時は、即座に行動を起こす。
直属の部下を密かに動かし、元老どもを袋の鼠にするくらいのことは実に容易い。
彼らが翌日の朝日を見られないよう、永遠の眠りに就かせることも。
(…殺すよりかは、心理探査が似合いだろうがな)
精神崩壊を起こすレベルで、容赦なく。
「レベル10だ」と、眉も動かさずに部下に命じて。
いつか就く筈の「国家主席」と呼ばれる地位。
SD体制始まって以来、就任した者は数えるほど。
今も空位で、「キース・アニアン」が着任するまで、誰も就かないことだろう。
「キース」は、そのように作られたから。
人類の指導者となるためだけに、機械が無から作った生命。
(そんなことなど、誰一人、知りはしないのだがな…)
研究者たちは、皆、殺された。
グランド・マザーの命令だったか、マザー・イライザが指示を下したか。
「キース・アニアン」が完成した後、彼らは「生きて」戻れなかった。
E-1077という所から。
強化ガラスの水槽が並ぶ、フロア001が「在った」教育ステーションから。
命じられた「仕事」をやり遂げた「彼ら」を待っていたのは、口封じの「処分」。
「これで帰れる」と思っただろうに、事故に遭遇した宇宙船。
研究者たちは、一人残らず宇宙に散った。
彼らよりも後に「秘密を知った」シロエが、そうなったように。
シロエの場合は、宇宙船の事故ではなかったけれど。
(…研究者どもと、それにシロエと…)
誰もが死んでしまった以上は、もはや知る者さえ無い秘密。
E-1077を処分したからには、フロア001も「無い」から。
(そこまでして、私を作った以上は…)
元老たちを殲滅してでも、「キース」はトップに立たねばならない。
そうでなければ、「キース」が生まれた意味さえも無いし、人類の指導者は生まれないまま。
パルテノンの者たちは、そうと気付いていないけれども。
「出る杭は打たねばならない」とばかりに、暗殺計画を立てもするけれど。
(しかし、そろそろ限界らしいな)
今日の昼間にやって来た男、彼の来訪の目的から見て。
「キース・アニアン」を調べに来たなら、「その日」は、さほど遠くはない。
元老として迎え入れられるにしても、拒絶されてクーデターを起こすにしても。
近い間に、「キース・アニアン」は、パルテノンにいることだろう。
ただ一人きりの元老としてか、新参者になるかは分からないけれど。
(…今日と同じに、皆が私を見るのだろうな…)
他の席にも、元老が座っていたならば。
クーデターを起こしての着任ではなく、正式に元老の一人に就任したならば。
きっと彼らは、「キース」を見る。
遠慮会釈がある筈もなくて、「初の軍人出身の元老」となった異色の者を。
「あれがそうか」と、「冷徹無比な破壊兵器と訊いているが」と、浴びるだろう視線。
そして「彼ら」の好奇の瞳は、「キースの耳」へと向けられる。
今日の男がそうだったように。
話の合間に、チラリチラリと「見ていた」ように。
(…ピアスをしている軍人などは…)
いないからな、と百も千も承知。
女性の軍人も多いけれども、彼女たちでさえ「つけてはいない」。
上級士官になった場合は、「女性だから」と許されることもあるものの…。
(装身具の類は、軍紀で禁止になっているのが常識で…)
特別に申請しない限りは、下りない許可。
ピアスだろうが、指輪だろうが、ブレスレットやネックレスだろうが。
認識票さえ、表立っては「つけない」もの。
けれども「キース」が「つけている」ピアス、それは何処でも人目を引く。
軍の中でも、休暇で任務を離れた時も。
(男がピアスをつけているなど…)
普通の職業では、まず有り得ない。
注目を浴びる「スター」だったら、身を飾ることもあるけれど。
ピアスやブレスレットや、ネックレスなどで派手に飾りもするのだけれど。
(一般社会で働く者なら、せいぜい結婚指輪くらいで…)
男のピアスは「珍しい」もの。
まして軍人がつけているなど、誰の目で見ても「奇妙なこと」。
(元老の一人に選ばれたとしても…)
やはり同じで、「あれを見たか?」と皆が囁き交わすのだろう。
何処へ行っても、耳のピアスに視線を向けて。
「どうしてピアスをつけているのか」と、「まるで女のようではないか」と。
国家騎士団の中にいてさえ、目立ったピアス。
身につけて直ぐに昇進したから、さほど話題にならなかっただけ。
(二階級特進で、上級大佐になったのではな…)
それまでの「少佐」とは格が違うし、誰も無遠慮に眺めはしない。
上級大佐よりも上の階級、それに属する者は少ない。
そういった「上の階級の者」も、「キース」の任務と働きぶりは知っている。
グランド・マザーが直接、指名するほどだと。
下手に「キース」に口出ししたなら、自分の首が危ういのだと。
(…露骨に見る者は無かったが…)
きっと今でも、ピアスが気になる「軍人」は多いことだろう。
教官時代に教えたセルジュや、パスカルといった直属の部下も、その内に数えられるだろう。
彼らでさえも、「知らない」から。
「人の心を読む化け物」の、マツカでさえも「気付いてはいない」。
どうしてピアスをつけているのか、「何で出来ている」ピアスなのか。
あれほど何度も、「サム」の見舞いに足を運んでいるというのに。
(…ピアスを作ってくれた医者には、口止めをしてあるからな…)
サムの赤い血で出来ているピアス。
「そういうピアスを作って欲しい」と頼んだ医師には、口止めと、充分すぎる謝礼と。
今ではサムの主治医の「彼」は、生涯、誰にも喋りはしない。
SD体制がミュウに倒され、「キース」が死んだら別だけれども。
その状況で、「彼」が生き残っていたら、だけれど。
(…そうなった時は、ジョミー・マーキス・シンが知るのか…)
ジルベスター・セブンで対峙した時、彼が「見抜けなかった」こと。
どうして「キース」が「あそこに行ったか」、耳のピアスは「何だったのか」。
(ミュウの長でも、私の心は読めないからな…)
ソルジャー・ブルーの方であったら、読まれていたかもしれないけれど。
「友人の仇を取りに来たのか」と、一瞬の内に。
(しかし、あいつも読み取らなくて…)
ピアスの正体は知られないままで、ついに此処まで来てしまった。
誰に話す気も持たないだけに、「ただのピアスだ」と思われたままで。
クーデターを起こしてトップになっても、元老として迎えられても、話しはしない。
耳のピアスは何のためなのか、何で出来ているピアスなのかは。
(…サムとの友情の証だなどと…)
言おうものなら、きっと足元を掬われる。
「キース・アニアン」にも、「人情」があると知られたら。
友の見舞いに通っているのは、パフォーマンスではないと知れたなら。
(…私の口からは、きっと一生…)
話さないから、永遠に誰も「知ることはない」ままだろう。
サムの赤い血で出来たピアスを、「キース」がつけていたことは。
ミュウに敗れて、「ジョミー」が知る日が来ない限りは。
(…それも悪くはないのだがな…)
一人くらい知ってくれていても、という気もするのは、恐らく「ヒト」だからだろう。
無から作られた生命とはいえ、友がいて、「情もある」のだから。
冷徹無比な破壊兵器でも、「キース」も「ヒト」には違いないから…。
話さない秘密・了
※キースがピアスをつけている理由は、誰一人、知ってはいないわけで…。その材料も。
とんでもない噂になった話はネタ系で書いてしまいましたけど、こっちはシリアス。
(……新入生……)
また増えるんだ、とシロエが見下ろす手摺りの向こう。
遥か下にある、E-1077のポートに着いた人々が出てくるフロア。
新入生を乗せた船が着くと耳にしたから、こうして眺めにやって来た。
此処に来た時の「自分の気持ち」を思い出すために。
(…今はキョロキョロしてるけど…)
勝手が分からず、おどおどしている新入生たち。
けれども、じきに彼らは「慣れる」。
E-1077という場所にも、子供時代の記憶を失くしてしまったことにも。
(覚えていたって、戻れない過去は要らないってね)
育ててくれた養父母のことも、馴染んだ故郷の風も光も、彼らは捨てる。
マザー・イライザの導きのままに、ホームシックになることもなく。
「家に帰りたい」とは考えもせずに、新しい生活に夢中になって。
(……ぼくは、そうなれなかったんだ……)
別に悔しいとは思わないけど、と返した踵。
機械に与えられた屈辱、それさえ忘れなければいい。
自分が何を失くしたのかを、機械に何を奪われたかを。
(…テラズ・ナンバー・ファイブ…)
アルテメシアで成人検査を行った機械。
左右非対称の顔をしていた、忌まわしく呪わしい存在。
あの機械の顔は忘れないのに、父と母の顔は薄れてしまって思い出せない。
どんなに記憶を手繰り寄せようとして頑張ってみても、欠けた記憶を補おうとしても。
「母に似た姿」でマザー・イライザが現れた時に、懸命に紙に描き付けても。
(…失くした記憶は、取り戻せなくて…)
きっと努力を怠ったならば、見る間に消えてゆくのだろう。
遠ざかる過去を繋ぎ止めようと、必死にしがみつかなかったら。
「記憶を消されてしまった」事実を、忘れまいとして足掻かなかったら。
今日も此処まで「見に来た」ように。
此処へ来た日の自分の心境、それを決して手放すまいと。
忘れるもんか、と戻った部屋。
今日の講義は全て終わって、夕食もカフェテリアで済ませて来た。
もうこの部屋から出ることは無いし、後の時間は「自分のもの」。
さっき「見て来た」新入生たち、彼らと自分を重ねてみる。
「此処に来た日」の自分はどうかと、彼らより少しはマシだったかと。
(…ピーターパンの本を持っていたから…)
失くしてはいなかった「拠り所」。
両親も故郷も忘れさせられても、ピーターパンの本は残ってくれた。
幼い頃から宝物にして、成人検査の日にさえも「持って出掛けた」本。
成人検査を受ける時には、荷物は持って行かないというのが決まりだったのに。
(そんな決まりを守る方が、どうかしてるってね)
さっきの新入生たちにしたって、何も持ってはいなかった。
自分と同じ宇宙船に乗って来た候補生たちも、「思い出の品」は持たないまま。
その分だけでも「シロエ」には運があったのだろう。
思い出のよすがを持って来られて、両親を、家を、故郷を懐かしめるのだから。
(…だけど、そんなの…)
懐かしむ奴らもいやしないから、と分かってはいる。
此処で暮らす生徒たちが考える「故郷」というのは、自分とは違うモノらしい、と。
彼らは「幼馴染」や「故郷という場所」を懐かしく思い出しているだけ。
どういう友達と共に育ったか、同郷の者が誰かいはしないかと。
「今の自分」に繋がる現実、それしか彼らは求めてはいない。
E-1077で生きてゆくのに、「とても役立つ」記憶だけしか。
友を作るなら誰と気が合うとか、故郷での思い出話とか。
(…そういうのはスラスラ話すくせにね…)
養父母のことや、故郷の風や光なんかは、彼らにとっては「どうでもいいこと」。
機械が全てを消し去っていても、まるで疑問に思いはしない。
(……ぼくだって……)
その「からくり」には、もう気付いている。
「シロエ」の中にも、消えずに残った記憶が幾つもあるものだから。
友の顔だの、エネルゲイアの学校だのは、今も忘れていないのだから。
記憶を「選んで」消していった機械。
憎らしいテラズ・ナンバー・ファイブ。
消された記憶を「取り戻す」には、気の遠くなるような時がかかるのだろう。
いつの日か、地球のトップに立てる時まで。
国家主席の座に昇り詰めて、機械にそれを命じる日まで。
「奪った、ぼくの記憶を返せ」と、国家主席の命令として。
その日まで、記憶は戻りはしない。
何度、ポートに通い詰めても、新入生たちの姿を目で追ってみても。
「ぼくも最初は、あんな風だった」と、「此処での記憶」が蘇るだけで。
(…それよりも前に消された記憶は…)
戻りやしない、と唇を噛む。
機械が無理やり奪った記憶を戻す術など、何処にもありはしないのだから。
「それを戻せ」と命じない限り、機械は「返してくれない」から。
(……自分の力で取り戻すなんて……)
出来やしない、と悲しくて辛い。
それが出来るだけの力を得るまで、いったい何年かかるだろうかと。
(…今すぐにでも返して欲しいのに…)
取り戻せるなら、何としてでも取り戻したいと思うのに。
そのためだったら、惜しいものなど何一つありはしないのに…。
(…機械が奪ってしまった記憶は…)
けして返って来てはくれない。
どんなに捜し求めようとも、何処かに消えてしまったままで。
脳の奥深く沈められたか、跡形もなく処理されて無いというのか。
(……どっちなんだろう?)
失くした記憶は「何処にも無い」のか、あるいは「押し込められた」のか。
思い出せないだけで「持っている」ものか、「持ってはいない」ものなのか。
(…成人検査の時のショックで…)
記憶が消えてしまう例が、たまにあるのだと聞いた。
機械は其処まで求めていないのに、一部が欠落してしまうことが。
(……意図してないのに、消えるんだとしたら……)
機械は「脳」を弄ってはいない。
外部から与えたショックか暗示か、そういった形で消したのだろう。
成人検査の時に受けた思念波、あれを使って。
脳に大きな負荷をかけたか、何らかの方法で「押し込めた」記憶。
(押し込める時に失敗したなら…)
予期しないことまで「消える」というなら、その逆もまた可能だろうか。
「消えた筈」の記憶を「元に戻す」こと、それが出来ると言うのだろうか。
(…記憶喪失っていうのがあるよね?)
大きなショックを受けた時などに、記憶がストンと抜け落ちること。
抜け落ちた記憶は、何かのはずみに「自然に」戻ることがある、とも。
消えた記憶の鍵になるもの、それを目にした時に戻って来るだとか。
(頭を打ったら、よく起こるって…)
その手の記憶障害などは。
抜け落ちた記憶が戻る時にも、再び頭を打ったりする。
正真正銘、外部からの衝撃が左右する記憶。
(…そういうことが、あるんだったら…)
自分の記憶も同じだろうか。
E-1077で「暮らす」だけでは戻らなくても、突然の事故に遭ったりすれば。
(無重力訓練の時なんかだと…)
命の危険が伴うのだから、高いかもしれない可能性。
重力がある場所に戻った途端に、姿勢を、バランスを崩したならば。
(床や壁に頭をぶつけてしまって…)
その時のショックで、失くした記憶が戻るだろうか。
故郷で暮らしていた頃の「シロエ」、子供時代の「自分」に戻れるだろうか。
(戻れるんなら…)
それもいい。
「子供に戻ってしまったシロエ」は、候補生としては失格でも。
地球のトップを目指す道など、閉ざされて病院暮らしでも。
それもいいかも、と思わないでもない「戻る道」。
自分が自分に戻れるのならば、メンバーズなどになれなくてもいい。
両親を、故郷を、全て「思い出して」、幸せに生きてゆけるなら。
たとえ病院の中であろうと、「全てを」もう一度、手に出来るなら。
(…それで記憶が戻るんならね…)
エリートの「シロエ」は、いなくなってもかまわない。
子供時代に戻れるのならば、自分から進んで事故に遭ってもいいとさえ思う。
新入生の姿を見に行ったポート、あそこの手摺りを乗り越えても。
夢中になって覗き込むふりをしながら、手摺りを放して身を投げても。
(あそこから真っ直ぐ落ちて行ったら…)
習った受け身も取らなかったら、自分は子供に戻れるだろうか。
本物の両親は「其処に」いなくても、いてくれるようなつもりになって。
ピーターパンの本を手にして、「パパ、ママ!」と開いて見せたりもして。
(いい子の所には、ピーターパンが迎えに来るんだよ、って…)
いつも笑顔で、無邪気な「シロエ」。
そういうシロエに戻れるのなら、その確証があるのなら…。
(…あの手摺りを越えて、飛ぶんだけどね…)
飛びたいとさえ思うけれども、百パーセントではない「結果」。
単に命を落とすだけとか、身体の自由を失くしてしまっておしまいだとか。
その可能性も充分あるから、「宙に飛び出す」ことは出来ない。
それが一番の早道でも。
地球のトップに昇り詰めるより、早く記憶が戻りそうでも。
(…やっぱり、まだまだ何十年も…)
記憶は戻ってくれないんだ、と零れる涙。
本当に記憶が戻るのだったら、手摺りを越えて宙に舞うのに。
百パーセントの結果が出るなら、病院暮らしの「子供のシロエ」でかまわないのに…。
記憶が戻るなら・了
※サムが「子供に戻っていた」なら、機械が消した記憶は「戻せる可能性がある」わけで…。
シロエだったら憧れるかも、という話。百パーセントの結果でなければ駄目ですけどね。
