前方を飛んでゆく宇宙船。
キースの目に映る、それは大きな船ではない。
乗員は多くて六人くらいか、そういう小型の船ではある。
けれど、見逃すわけにはいかない。
メンバーズとして受けた任務は、必ず遂行せねばならない。
出来得る限り、迅速に。
自分一人で処理出来るのなら、近隣の基地からの援軍などは頼りにせずに。
もちろん、同じメンバーズが乗る僚船も。
共に出撃した仲間たちも、頼りにしてはいられない。
他の誰かの手を借りるなどは、自分の評価を下げるだけのこと。
更に言うなら、手を貸した者に評価を与える結果になって。
(…たかが一機だ)
どれほど逃げ足が速かろうとも、この宙域から逃しはしない。
「キース・アニアン」が見付けた以上は、必ず、あの船を仕留めてみせる。
(全ては我らの偉大な母、グランド・マザーの導きのままに…)
何度、この言葉を口にしたろう。
乗り込んだ船のブリッジで号令したこともあれば、今のように自分の心の中でも。
本当に「そう」思っていようが、思っていまいが。
メンバーズとして受けた教育、その過程で叩き込まれた言葉。
宇宙の秩序を、SD体制を、地球を守り抜くのが選び抜かれたメンバーズ。
グランド・マザーの導きのままに。
人類の聖地、地球に据えられたコンピューターが命ずるままに。
前方をゆく船を「撃ち落とす」ことが、自分の使命。
今回の任務。
慣れた手つきで、左手が勝手に動いてゆく。
利き手の右手は操縦桿を握っているから、此処から先は左手の役目。
親指を軽く動かしてやれば、前方の船に照準が合う。
ロックオンされた印が出たなら、また親指で操作してやる。
撃墜に向けてレーザー砲へと、船の出力を回すために。
もう何度となく繰り返した手順。
宇宙船が飛んでいる位置は遥か彼方で、肉眼では光しか見えない。
けれども、ロックオンした画面は、宇宙船を大きく映し出している。
肉眼では小さな光だとしか捉えられない、船のエンジンが曳く光の尾も。
(この私から逃れられると思うのか?)
出会った相手が悪かったな、とレーザー砲の発射ボタンを押し込んだ。
さっきから踏んだ手順の続きで、左手の親指だけを使って。
そうして、前方で砕け散った船。
弧を描くように広がる光と、目には見えない衝撃波と。
その瞬間に、ハッと気付いた。
自分が何を撃ったのか。
「グランド・マザーの導きのままに」撃った船には、誰がいたのか。
(……シロエ……!)
何故だ、と心で上げた絶叫。
どうしてシロエの船を撃ったのか、自分は何をしでかしたのか。
メンバーズとしての任務ならばともかく、それを外れて。
反乱分子でもなく、海賊でもない、シロエの船を撃ち落とすなど。
(…嘘だ……!)
これは何かの間違いだろう、と気が狂いそうな気持ちになった所で目が覚めた。
首都惑星、ノアの一室で。
国家騎士団総司令として与えられている、個室のベッドで。
(……夢か……)
今、見ていたのは夢らしい。
それも遠くに過ぎ去った過去で、とうの昔にシロエは「いない」。
夢の自分がやった通りに、彼が乗る船を落としたから。
E-1077から、練習艇で宇宙へ逃げ出したシロエ。
彼の船を追って、撃ち落とした。
グランド・マザーの導きではなく、マザー・イライザの命令で。
船に届いたイライザの声が、「撃ちなさい」と命じるままに。
あれから長い時が流れて、もう何人を殺したことか。
「冷徹無比な破壊兵器」と呼ばれる異名は、ダテではない。
敵が反乱軍であったら、容赦なく殺す。
まして人ではないミュウとなったら、星ごと全てを焼き尽くすことも厭わない。
心の中では、それに疑問を感じていても。
「本当に、ミュウは異分子なのか」と考え込む日が、たまにあっても。
(…シロエは、実はMのキャリアで…)
ミュウだったのだ、と後になって知った。
E-1077が廃校になったと聞いた噂と、相前後して。
ミュウは人類の敵だけれども、シロエは「そうは思えなかった」。
システムに反抗的だというだけ、マザー・イライザに逆らい続けただけ。
他には何もしてなどはいない。
彼が敵なら、E-1077は無事では済まなかったろう。
「ミュウのスパイ」として潜入したわけでは、なかったとしても。
ただ一人きりのミュウとして来て、孤独な日々を送っていても。
(…同じミュウでも、マツカは大人しいのだが…)
シロエの方は違っていた。
「機械の申し子」と呼ばれた「キース」に、敵意むき出しで挑んで来た。
あの激しさをシステムの方に向けていたなら、彼はテロリストだったろう。
「キース」の成績を抜き去るほどの、優れた頭脳の持ち主ならば。
フロア001、進入禁止区域を探って、入り込んだほどの者だったなら。
(…あそこで私の出生の秘密を探る代わりに…)
破壊活動に向かっていたなら、E-1077は、後に「自分」が処分に赴くまでもなく…。
(シロエのお蔭で、木っ端微塵に砕かれていたことだろうな)
あちこちに仕掛けられた爆弾、それが同時に起爆して。
エネルギー区画も、マザー・イライザのメモリーバンクも、一瞬の内に破壊されて。
爆発の中で、シロエは笑っていたろうか。
それとも、一人、船で逃れて、まだ見ぬ地球へ向かったろうか。
あの日、シロエが「そうした」ように。
武装していない船で、ただ一人きりで、暗い宇宙へ逃げ出したように。
けれど、そうなりはしなかった。
シロエはE-1077を壊してはおらず、皆の記憶から「消された」だけ。
「キース・アニアン」の出生の秘密を知っただけ。
そう、「暴いて」さえいなかった。
「キースが何者なのか」を知っても、シロエは誰にも話してはいない。
その場で保安部隊に捕まり、連行されてしまったから。
「キース」本人に出会った時にも、「フロア001」と叫んだだけ。
其処に何があるか明かしはしないで、「忘れるな」と伝えて、それで終わった。
踏み込んで来た保安部隊の者たち、彼らに意識を奪い去られて。
(…シロエは、ミュウには違いなくても…)
人類に対して不利益なことは、ただの一つもしていない。
あの「マツカ」でさえ、ソレイドで初めて出会った時には、明確な殺意を向けたのに。
自分の身を守るためだとはいえ、彼は「キース」を殺そうとした。
力及ばず、逆に倒されてしまったけれど。
(そういう意味では、マツカの方が危険なミュウで…)
シロエは人畜無害なミュウ。
それを「殺した」のが自分。
シロエなどより遥かに危険な、「マツカ」は今も生きているのに。
それも「キースの側近」としてで、ミュウの力を「人類のために」使い続ける日々なのに。
(……シロエが何をしたというのだ……)
何故、殺されねばならなかったのだ、と何度考えても、答えは出ない。
あえて言うなら、「そういうプログラムだったから」。
マザー・イライザが作った「人形」、「キース・アニアン」の生育のためのプログラム。
理想的な指導者としての資質が開花するよう、シロエは「連れて来られた者」。
キースと競ってライバルになって、最後はキースに殺されるために。
(…テロリストならば、まだ分かるのだがな…)
シロエを消さねば、皆の命が危ういのなら。
E-1077の危機だと言うなら、「シロエ」を殺す意味はある。
なのに、そうではなかったシロエ。
「Mのキャリア」であったことさえ、「マツカ」がいる今は、脅威でさえもないのだから。
こうして歳月を経てゆくほどに、ますます分からなくなってゆく。
シロエの船を落としたことは、本当に正しかったのか。
Mだとはいえ、何の罪も害も無かった人間、それを「自分」が殺したのでは、と。
(……シロエの他にも、大勢の者を殺して来たが……)
さっき見ていた夢の通りに、任務で殺した人間の数は数え切れない。
反乱軍の船なのだからと、端から追尾して撃墜して。
それが飛び立つ前の基地にも、幾つものミサイルを撃ち込んだりして。
(…殺した奴らの数は多いが…)
ミュウの長まで殺したのだが、とソルジャー・ブルーを思い浮かべる。
危険極まりなかったミュウ。
あれほどの弾を撃ち込んでみても、「彼」は単身、メギドを沈めた。
ああいう「危険なミュウ」だったならば、シロエも殺すしかなかっただろう。
放っておいたらテロリストになり、E-1077を破壊し尽くす者だったなら。
(…しかし、シロエは…)
本当に何もしてはいない、と他ならぬ「自分」が知っているから、忘れられない。
生まれて初めて「殺した人間」、それが「罪もない」シロエなこと。
マザー・イライザが、ああして仕組まなければ、友になれたかもしれないのに。
何処かでピースが狂っていたなら、シロエもマツカと同じに「生き延びた」ろうに。
(…そういうシロエを殺したのが、私で…)
それをしたのが、この左手だ、と眺める親指。
レーザー砲の照準を合わせて、エネルギーを回して、発射ボタンを押し込んで。
同じ手順は、もう何度となく繰り返したけれど…。
(…相手は反乱軍の船や、海賊ばかりで…)
誰が聞いても「悪人だ」と思う者ばかり。
殺されても仕方ない者ばかりで、シロエだけが「そうではなかった」者。
(……私は、立派な人殺しだな……)
たとえMでも、シロエに罪は無かったから、と自覚している左手の罪。
この手は「人を殺した」から。
マザー・イライザが命じたとはいえ、罪もないシロエが乗っている船を落としたから…。
左手の罪・了
※システムに反抗的だったのがシロエで、結果的にキースに撃墜されたわけですが…。
具体的な罪状は不明で、逃亡したというだけのこと。殺されるほどのことはしていない…。
(……ぼくの誕生日……)
この日にアルテメシアを離れたんだ、とシロエが眺める日付。
E-1077の個室で、夜更けに一人きりで。
誰にでもある、パーソナルデータ。
それを表示させては、確認してゆく様々なこと。
今では顔さえおぼろになった、両親の名前や誕生日など。
「今夜は思い出せるだろうか」と、記憶の欠片を其処に求めて。
機械が消してしまった過去。
「捨てなさい」と機械が冷たく命じて、奪い去って行った子供時代の記憶。
こうしてデータを見詰めてみても、どれも実感が伴わない。
其処に画像は入っていなくて、両親の面差しも分からないから。
(…十四歳になった子供は…)
その日に成人検査を受ける。
「目覚めの日」と呼ばれる、大人社会への旅立ちの時。
故郷のエネルゲイアで暮らした頃には、その日を心待ちにしていた。
十四歳の誕生日を迎えなければ、「ネバーランドよりも素敵な地球」には行けない。
父が「シロエなら、行けるかもしれないな」と、教えてくれた人類の聖地。
其処に行くには、まずは成人検査から。
立派な成績で通過したなら、エリートだけが行く教育ステーションへの道が開ける。
そう、このE-1077のようなステーション。
(ステーションでも、いい成績を取り続けたら…)
いつか地球にも行けるだろう、と努力を重ねた。
学校のテストは常にトップで、その座を守り続けられるように。
エネルゲイアは「技術関係のエキスパート」の育英都市だし、他の学問も自ら学んで。
(技術者になるなら、学校の勉強だけでいいけど…)
エリートになるには、それでは足りない。
幅広い知識を身に付けなければ、エリート候補生にはなれない。
懸命に学んで、学び続けて、待ち続けた日。
大人社会への旅立ちだという、「目覚めの日」。
十四歳の誕生日が早く来ないかと、「そうすれば地球に、一歩近付く」と。
今から思えば、愚かだった自分。
「目覚めの日」が何かを知りもしないで、憧れて待っていたなんて。
「早く誕生日が来ればいいのに」と、指折り数えていたなんて。
目覚めの日を迎えてしまった子供は、過去の記憶を失くすのに。
機械が無理やり、全てを奪ってしまうのに。
(……馬鹿だったよ……)
自分から罠に飛び込むなんて、と後悔しても、もう遅い。
「目覚めの日」も、故郷のエネルゲイアも、遥か彼方に消え去った後。
失くしてしまった記憶ごと。
あちこち穴が開いたみたいに、抜け落ちてしまった「過去」と一緒に。
(…誰も教えてくれなかったから…)
「目覚めの日」と呼ばれるモノの正体。
その日が来たなら何が起こるか、「セキ・レイ・シロエ」はどうなるのか。
(ぼくは、何一つ知らなくて…)
ただ未来への希望に溢れて、「その日」の朝も家を出た。
「行ってきます」と、両親に手を振って。
宝物のピーターパンの本だけを持って、「未来」に向かって、颯爽と。
そうして「歩き出した」自分が、どうなったのか。
何処で機械に捕まったのか、それさえ今では思い出せない。
「嫌だ!」と叫んで、逆らったことは覚えていても。
子供時代の記憶を手放すまいと、無駄な足掻きをしていた記憶は消えなくても。
(…あれは何処だったんだろう?)
テラズ・ナンバー・ファイブと呼ばれる、成人検査を行う機械。
あの化け物と何処で出会ったか、まるで全く覚えてはいない。
出会った後には、どうなったかも。
抗い続けた記憶の後には、ぽっかりと穴が開いているから。
(…此処に来る宇宙船の中まで…)
飛んでしまっている記憶。
ただ呆然と暗い宇宙を見ているだけの、「此処への旅」の所まで。
そんな具合に奪われた過去。
希望に溢れて旅立つ筈が、逆様になってしまった日。
(……十四歳になる誕生日なんて……)
いっそ来なければ良かったのに、と思いさえもする。
きっと一生、「あの日」を忘れないだろう。
機械に与えられた屈辱、過去の記憶を奪われた日を。
そうなる前は、「誕生日」という日が好きだったのに。
目覚めの日は憧れの「待ち遠しい日」で、それよりも前の誕生日は…。
(…目覚めの日に、少し近付ける日で…)
あと何回、と数えて待った。
何度「誕生日」を迎えたならば、「目覚めの日」が来てくれるだろうかと。
早くその日が来ればいいのにと、未来への夢を抱き続けて。
(…それに誕生日は、パパとママがお祝いしてくれて…)
ケーキや御馳走、それに誕生日のプレゼント。
子供心にも嬉しかったし、毎年、心が躍ったもの。
「パパとママは、何をくれるかな?」と、誕生日プレゼントのことを思って。
どんな御馳走が食べられるのかと、「今年のケーキは、どんなのかな?」などと。
(……とても素敵な日だったのに……)
最高の記念日だったというのに、それを「忌まわしい日」に変えられた。
過去を奪ってしまう機械に、憎らしいテラズ・ナンバー・ファイブに。
(…ぼくの人生で、最高の日を…)
最悪な日に変えてしまうだなんて、と噛んだ唇。
「あの日」を境に、何もかも失くしてしまったから。
両親も故郷も、子供時代の思い出なども。
(……全部、失くして……)
こんな所に連れて来られた、と尽きない悔い。
こうなるのだと分かっていたなら、心待ちになどしなかったのに。
「十四歳になる誕生日」を。
誰もが瞳を輝かせて待つ、「目覚めの日」の名を持っている日を。
(……誕生日に、全部失くすだなんて……)
あんまりすぎる、と今でも涙が零れる。
そうなる前には、一年で一番、楽しみにしていた日だったのに。
あと何日で誕生日が来るのか、毎年、毎年、待っていたのに。
(寝る前にも、カレンダーを眺めて…)
誕生日までの残りの日数、それを数えていた自分。
「もうすぐだよ」とか、「まだ一週間以上あるよね」とかいった調子で、御機嫌で。
(…本当に、楽しみだったのに…)
クリスマスよりも、ニューイヤーよりも、ずっと眩しく輝いていた日。
世界の全てが「自分のために」あるようで。
目にするものが、どれも「シロエの誕生日」を祝ってくれているようで。
(…風も光も、誕生日のは特別だったんだよ…)
いつもよりも、ずっと輝いてたよ、と懐かしんでいて、気が付いた。
その「輝いていた」風や光を、「覚えていない」ということに。
眩いほどに思えた「それら」に、実感さえも無いことに。
(……ぼくの誕生日は……)
どういう季節だったっけ、と考えてみても、「知識」しか無い。
エネルゲイアがあった「故郷の星」では、何の季節に当たるのか。
雲海の星のアルテメシアは、その季節には、どんな風や光をエネルゲイアに運ぶのか。
(……嘘だ……)
そんな…、と信じられない思い。
人生で一番輝いていた日を、「残さず忘れてしまった」なんて。
その日の故郷の風も光も、知識だけしか無いなんて。
(…目覚めの日だって、覚えていない…)
家を出た後、どういう光に照らされて歩いて行ったのか。
吹き抜けてゆく風が、何を運んでくれたのか。
(……風にも匂いがある筈なのに……)
花の香りや、木々の葉の匂い。
他にも色々な「季節の匂い」を、風は運んで来るものなのに。
冬枯れの景色が広がる時さえ、肌を切るような冷たさを帯びて吹き付けるのに。
けれど、「知識」しか無くなった「風」。
頭上から照らす太陽の光も、「誕生日のもの」を覚えてはいない。
「暑い夏には、眩しい」としか。
「冬には日差しも弱くなる」とか、そういう理屈くらいしか。
(……ぼくの誕生日は、ちゃんとデータに残ってるのに……)
自分でも日付を覚えているのに、消えてしまった「誕生日」。
一年で一番眩しく感じた、「最高の日」の風は、どうだったのか。
「最高の日」を祝ってくれた太陽、それはどういう光だったか。
(……日付しか覚えていないんじゃ……)
無いのと変わらないじゃないか、と悔しくて頬を伝い落ちる涙。
人生の節目が「誕生日」なのに、だから「目覚めの日」と重なったのに。
(…パパ、ママ、教えて……)
どんな日だったの、と顔さえおぼろな両親に向かって、心の中で問いかける。
「ぼくの誕生日は、どんな日だった?」と、「ぼくに教えて」と。
記憶の中を探っていっても、もう季節さえも分からないから。
「この日付ならば、こんな季節だ」と、「知識」が残っているだけだから…。
忘れた誕生日・了
※アニテラで誕生日が分かっているのは、キースだけ。シロエが調べてましたしね。
そのシロエにも「誕生日」はあった筈なのに、と考えていた所から出来たお話。
(……過去か……)
それに子供時代か、とキースが浮かべた自嘲の笑み。
「私は、持ってはいなかったのだ」と、今更ながらに、ノアの自室で。
グランド・マザー直々の任務で、E-1077を処分してから暫く経つ。
遥か昔に、シロエが「見て来た」フロア001に入った日から。
彼が「ゆりかご」だと言っていた場所、其処で目にしたサンプルたち。
「キース」は「生まれたモノ」ではなかった。
機械に「作り出されたモノ」。
文字通りに「無から」生まれた生命、三十億もの塩基対を合成されて。
「ヒト」なら誰もが持つDNA、その名の鎖を紡ぎ出されて。
マザー・イライザが「作った」人形、「ヒト」であっても「ヒト」でないモノ。
皮膚の下には、ちゃんと赤い血が流れていても。
こうして思考している頭脳は、機械ではなくて脳味噌でも。
(…水槽にいた頃の、私の記憶は…)
強化ガラスの水槽の中の「キース」を眺める、研究者たちだけ。
あの頃に「キース」の名があったのか、ただの記号で呼ばれていたかは知らない。
マザー・イライザが「それ」を語る前に、全てを破壊して来たから。
フロア001のコントロールユニットはもちろん、E-1077の心臓部も。
(名前だったか、記号だったか、そんなことはどうでもいいのだがな…)
過去を持たないことは確かだ、と零れる溜息。
とうに夜更けで、側近のマツカも部屋にはいない。
彼が淹れて行ったコーヒーも冷めて、一人、考え事をするだけ。
昼間の出来事、それが頭をもたげたから。
普段だったら気に留めないのに、今夜は何故か引っ掛かる。
見舞いに出掛けたサムの病院、其処でいつもの笑顔だったサム。
「赤のおじちゃん!」と嬉しそうに笑んで、「今日の報告」をしてくれて。
何を食べたか、どれが一番美味しかったか。
苦手な料理も食べたけれども、「ママのオムレツは美味しいよ!」と。
「今日のサム」は、父に叱られたらしい。
勉強しろ、と怖い顔をされて。
母が作ってくれたオムレツ、それの他にも「これも食べろ」と強いられたりして。
(…今のサムは、私を覚えていないが…)
「友達だったキース」を忘れて、「赤のおじちゃん」としか呼んではくれない。
心だけが子供に戻ってしまったサムの世界に、「候補生時代」は残っていないから。
E-1077も「キース」も、子供時代のサムとは無縁のものだから。
(そうやって、全て忘れてしまっていても…)
サムは幸せに生きている。
ノアには「いない」筈の両親、優しくも、また厳しくもあった養父母たちと。
彼の心を覗いたならば、きっと、「ジョミー・マーキス・シン」もいることだろう。
「ミュウの長になった」幼馴染ではなくて、「一緒に遊ぶ友達」として。
かつて「キース」がそうだったように、サムが心を許す者として。
(…心だけなら、赤のおじちゃんの私にも…)
許してくれてはいるのだろう。
そうでなければ、サムは懐きはしないから。
「自分だけの世界」に生きているサム、けれども彼の笑顔は消えない。
幸せに満ちた子供時代に、心だけが戻っているものだから。
彼の側には、養父母たちがいるのだから。
(…サムは、いつでも幸せそうで…)
たまにションボリしている時には、「パパがうるさいんだ」と悲しげな顔。
勉強せずに遊んでいたから、サッカーボールを取り上げられたとか、そういう思い出。
子供時代のサムが経験したこと、それがそのまま蘇って。
(…そうやって、しょげている時があっても…)
じきに元気を取り戻す。
「赤のおじちゃん」に、あれこれ報告するために。
病院で食べた筈の料理を、母が作った料理のつもりで披露して。
オムレツなどは食べていない筈の日も、「ママのオムレツ、美味しかったよ!」と。
苦手な野菜なども食べたと、「サムは偉いな」と褒めて貰いたくて。
いつもは「そうか」と笑顔で頷き、しょげていたなら慰めもする。
ジルベスター星系から戻った頃にも、そのように時を過ごしていた。
十二年間、会わないままでいた「友達」に会いに出掛けては。
「昔のサム」は、もういなくても。
「キースを覚えていないサム」しか、病院で待ってはいてくれなくても。
E-1077を処分した後も、何度も訪ねた。
「自分の正体」が何かを知っても、「ヒトではないのだ」と思い知らされても。
それでも自分は「人間」なのだし、怪我をしたなら血も流れる。
頭の中を巡る考え、それも「機械のプログラム」ではない。
何度も自分にそう言い聞かせて、「私はヒトだ」と思って来た。
たとえ作られたモノであろうと、見た目も中身も「ヒトと同じだ」と。
けれども、「持っていない」過去。
今の自分が、何かの事故で「サムと同じ」になってしまったら、いったい何が残るのか。
強化ガラスで出来た水槽、その中で育って来たのなら。
成人検査が「全部、奪った」とシロエが怒りを露わにしていた、子供時代が無いのなら。
(…ただ、ぼんやりと虚ろな瞳をしているだけで…)
たまに頭を掠めてゆくのは、フロア001にいた研究者たちの姿だろうか。
水槽の向こうで「何か記録をつけていた」者や、水槽を軽く叩いていた者。
白衣を纏った「彼ら」だけしか、残ってくれはしないのだろうか。
「失う過去」が無かったら。
最初から「過去を持たずに育って」、そのまま社会に出て来たのなら。
(……てっきり、忘れてしまったものだと……)
長い間、そう信じていた。
シロエが「フロア001」に行くまでは。
其処で「ゆりかご」を見付けたシロエに、「忘れるな!」と言われるまでは。
(…フロア001に行けば、全て分かると…)
そう思わされた、その名を聞いた日。
シロエが保安部隊に連行されて、E-1077から「消えてしまった日」。
次の日にはもう、誰もシロエの名を覚えてはいなかったから。
「そんな子、知りませんけれど」と、同期生までが答えたほどに。
あの忌まわしい出来事のせいで、疑い始めた自分の生まれ。
「もしかしたら、自分は機械なのでは」と、「ヒトではない」可能性さえも考えて。
(…ある意味、ヒトではなかったのだが…)
それでも「キース」を調べてみれば、「ヒトだ」と誰もが思うだろう。
DNAまで解析しても、「そういうDNAを持ったヒトだ」と判断するだけ。
似たような遺伝子データの持ち主、それが一人もいなくても。
(…SD体制が始まって以来、一度も使われなかった卵子などを使って…)
人工子宮で育てたならば、「誰も知らないDNAの持ち主」が生まれることも有り得る。
今から六百年以上もの昔に、凍結されたままの卵子や精子を使って子供を作ったら。
(私のデータを解析しても、ヒトだと答えが出るのだろうが…)
しかし私は「ヒト」ではない、と自分自身が知っている。
サムのように「戻ってゆける過去」を持たない、「子供時代」を知らない者。
シロエが最後まで焦がれ続けた「生まれ故郷」さえ、持ってはいない。
いくら「キース」のパーソナルデータに、それらが「きちんと」記されていても。
父の名はフルで、母はヘルマで、出身地は育英都市のトロイナスでも。
(…フルという名の父もいなければ、母のヘルマもいないのだ…)
その上、トロイナスなど知らない。
任務でさえも訪れたことがない場所、「キース」が存在しなかった場所。
(……もしも、忘れてしまったのなら……)
何かが違っていただろうか、と今夜は思わずにいられない。
「成人検査のショックで忘れる」ことなら、たまにあるのだと聞いている。
養父母も故郷も存在するのに、「思い出せなくなってしまう」例。
自分もそうだと信じていたから、平気な顔をしていられた。
シロエが何と詰って来ようが、「思い出せない」ことに不安を覚える夜があろうが。
(…忘れたのなら、それは仕方のないことで…)
どうしようもない、と割り切っただけに、余計に「シロエ」が不思議だった。
何故、あれほどに「過ぎ去った過去」にこだわるのか。
もう会えはしない養父母たちを懐かしんでは、帰れない故郷にしがみつくのか。
「忘れてしまえば、此処での暮らしも楽だろうに」と思いもした。
システムに逆らい続けはしないで、「そういうものだ」と納得したなら楽なのに、とまで。
けれど、今なら「分かる」気がする。
今では「子供時代」を生きているサム、彼は幸せそうだから。
傍から見たならサムの心は壊れていようと、彼の笑顔は本物だから。
(ああいった風に、笑えるのならば…)
成人検査が「消してしまう」過去は、きっとシロエが叫んだように、大切なもの。
「ヒト」が生きてゆく上で欠かせないもの、「無くてはならないもの」なのだろう。
成人検査で「奪われた」後も、「その人間」を根幹から構成し続けて。
「何もかも失くしてしまったサム」にも、「その時代だけ」が残ったように。
(…その過去さえも、持たない私は…)
いったい何者なのだろうか、と「水槽の記憶」にゾクリとする。
それが「キースを構成する」なら、「ヒトとは言えない」だろうから。
サムのように「全てを失くした」時には、「空っぽのキース」が残るのだろう。
「ママのオムレツは美味しいよ!」と、「過去に生きる」ことは出来なくて。
ただ、ぼんやりと宙を見詰めて、研究者たちの幻だけが、時折掠めてゆくだけのことで…。
持っていない過去・了
※キースには「過去の記憶が無い」わけですけど、それはプラスなのかマイナスなのか。
もしもサムのような目に遭った時は、何一つ残らないだけに。…有り得ない話ですけどね。
(……パパ、ママ……)
もう顔さえも、はっきり思い出せやしない、とシロエが噛んだ唇。
一日の講義が終わった後で、E-1077の個室で。
エリートを育てる最高学府と、名高い此処。
目覚めの日を控えた子供たちの憧れ、其処に自分は来られたけれど…。
(…その代わりに…)
何もかも忘れて、失くしてしまった。
育ててくれた両親も家も、懐かしい故郷の風や光も。
成人検査で奪われた記憶。
「捨てなさい」と、過去の記憶を消し去った機械。
子供時代は消えてしまって、残ったものはピーターパンの本だけだった。
たった一つだけ、故郷と「自分」を繋いでくれる宝物。
残念なことに、「いつ貰ったか」は、どうしても思い出せないけれど。
両親が贈ってくれた日のことは、何も覚えていないけれども。
(…それと同じで…)
宝物の本をくれた両親、その二人の顔も、おぼろなもの。
「こんな風だった」と記憶はあっても、正確には思い出せなくて。
(…まるで焼け焦げた写真みたいに…)
あちこちが欠けた「両親の顔」。
「パパの姿は、こんなのだった」と、大きな身体を覚えてはいても。
キッチンに立つ母の姿を思い出せても、その顔までは出て来ない。
どれほどに努力してみても。
なんとかヒントを掴み取ろうと、懸命に記憶の糸を手繰っても。
(……マザー・イライザは、ママに似ていて……)
最初は「ママなの?」と思ったほどだし、参考になるのは「それ」くらい。
憎らしい機械の化身とはいえ、貴重な「マザー・イライザ」の姿。
「あれがママだ」と、描きとめる日もあるほどだから。
さほど上手いとは言えない腕でも、似顔絵を描いてみたりするから。
「忘れてしまった」母の姿を描きたくて。
これが母だと思える似姿、それを自分で描けたなら、と。
そうして忘れまいとするのに、日ごとに薄れてゆく記憶。
このステーションに来て間もない頃より、「欠けた部分」は大きくなった。
E-1077に着いて直ぐなら、両親の顔は「ただ、ぼやけていた」だけだったのに。
全体に靄がかかったかのように、定かではなかったというだけのこと。
それが今では、焼け焦げた写真を見るかのよう。
「パパの顔は…」と思い浮かべても、欠けた部分が幾つもあって。
大好きだった母の顔さえ、幾つもの穴が開いていて。
(…パパとママだと、どっちが、ぼくに似てたんだろう…?)
何の気なしに思ったこと。
SD体制が敷かれた時代は、両親の血など、子供は継いではいないけれども。
人工子宮から生まれた子供を、機械が養子縁組するだけ。
養父母の資質や、子供の資質を考慮して。
「この子は、此処だ」と送り届けたり、養父母の注文を聞いたりもして。
(…次の子供は、女の子がいいとか…)
最初は男の子を育てたいとか、そういった希望も通るらしい。
機械が許可を出した場合は、注文通りの子供が届く。
目の色も髪も、肌の色までも、養父母が「欲しい」と思った通りの子が。
(…養父母になる人が、希望したなら…)
絵に描いたような「親子」も出来る。
遠い昔は、「息子は母親の顔立ちを継いで、娘は父親に似る」とも言われた。
その時代を再現したかのように、母親そっくりの「息子」とか。
父親と面差しの似た「娘」だとか、そういう例もあるだろう。
養父母に連れられた子が歩いていたなら、「まあ、そっくり!」と皆が褒めるとか。
「お父さんの顔に似てるわね」だとか、「お母さんに、なんて似てるのかしら」だとか。
機械が子供を「配る」時代に、血縁などは有り得ないのに。
本当の意味での「母親似の息子」や、「父親似の娘」は、いはしないのに。
けれど、「両親」が揃っているなら、やはり「どちらか」には似るのだろう。
「母親に似た息子」ではなくて、「父親そっくりの息子」でも。
「父の面差しに似た娘」はいなくて、「母親に顔立ちが似た娘」でも。
自分の場合は、いったい、どちらだったのか。
「セキ・レイ・シロエ」は、母親似だったか、はたまた父に似ていたのか。
(…パパは、身体が大きかったから…)
小柄な自分は、母親の方に似ていたろうか。
「男の子は、母親に似る」という昔の言葉通りに、母の面差しを持っていたろうか。
母の血を継いだわけではなくても、傍から見たなら「似ていた」とか。
輪郭が母親そっくりだとか、目鼻立ちが似ているだとか。
(…パパの鼻とは似ていないよね…)
まるで焼け焦げた写真みたいに、あちこちが欠けた記憶でも分かる。
父の鼻は「自分と似てはいない」と。
それよりは母の方なのだろうと、「ママの鼻の方が、ぼくに似てる」と照らし合わせて。
(…輪郭は、パパが太ってなければ…)
あるいは父に似たのだろうか。
父が太ってしまう前なら、「シロエのような」輪郭を持っていたかもしれない。
髪の色だって、あんな風に白くなる前だったならば、黒かったろうか。
母の髪の色は「黒」ではない。
「黒い色の髪」を持った子供を、両親が希望したのなら…。
(…若かった頃のパパは、黒髪…)
その可能性は充分にある。
優しかった父なら、「自分に似た子」が欲しいと注文しそうだから。
母にしたって、父の意見に大いに賛成しそうだから。
(鼻の形はママに似ていて、髪の色がパパで…)
輪郭は、どちらか、よく分からない。
あの父が「若くて痩せていた頃」の写真なんかは、知らないから。
もしも見たことがあるにしたって、記憶は機械に消されたから。
(…肌の色は、パパもママも、おんなじ…)
自分と同じ肌の色だし、其処は「本物の親子」のよう。
これで目鼻立ちが「そっくり」だったら、「シロエ」は実の子にだって見える。
「母親に似た息子」でなくても、「父親に似た息子」でも。
(…ぼくは、どっちに似てたんだろう…)
今では記憶も定かではない、故郷で暮らしていた頃は。
両親と何処かへ出掛けた時には、他の人の目には、どう映ったろうか。
「ただの養子だ」と見られただけか、「親に似ている」と思われたのか。
父親にしても、母親にしても、まるで血縁があるかのように。
(…そうだったなら…)
きっと「自分の姿」の中に、両親のヒントもあるのだろう。
鏡に向かって眺めていたなら、「これがママだ」と思える部分が見付かるとか。
「パパそっくりだ」と懐かしくなる何か、それが自分の顔にあるとか。
(…口元なんかは…)
表情によって変わるものだし、分かりやすいのは瞳だろうか。
とても優しく微笑む時も、驚きで丸く見開かれた時も、瞳そのものは変わらない。
「目の大きさ」は変わって見えても、「瞳の色」は。
持って生まれた「目の色」だけは、どう頑張っても変えられはしない。
色のついたレンズを、上から被せない限り。
青い瞳でも黒く見せるとか、そういったカラーコンタクトレンズ。
(…養父母コースに行くような人は…)
子供の前では、そんなレンズを嵌めて暮らしはしないだろう。
父親はもちろん、「化粧をする」母親の方にしたって。
(……ぼくの目の色は……)
パパとママと、どっちに似ていたのかな、と考える。
血こそ繋がっていないけれども、「母親譲り」の瞳だったか。
それとも父にそっくりだったか、どうなのだろう、と。
(…ぼくの瞳は、菫色で…)
どちらかと言えば、個性的な色の部類に入る。
ありふれた瞳の色ではないから、両親の瞳が菫色なら…。
(それだけで、立派に親に似ていて…)
きっと自慢の息子だったよ、と考えた所で気が付いた。
父の瞳も、母の瞳も、「色さえ、分からない」ことに。
機械が奪ってしまった記憶は、両親の目元を「完全に消している」ことに。
(……そんなことって……)
酷い、と改めて受けた衝撃。
瞳の色が分からないこともショックだけれども、その目元。
「人の顔立ち」は、目元に特徴が出るものなのに。
写真で身元がバレないように細工するなら、目元を「消しておく」ものなのに。
(…パパやママの目の色も、分からないのなら…)
目元を思い出せないのならば、どう頑張っても、顔立ちは「思い出せない」のだろう。
「こんな風かも」と思いはしたって、決め手に欠けて。
輪郭や鼻や髪の色なら、赤の他人でも「似る」ものだから。
「似たような顔だ」と思える顔なら、この世に幾つもあるのだから。
(……テラズ・ナンバー・ファイブ……)
あいつは其処まで計算してた…、とギリッと噛み締める奥歯。
両親の「目元」を、真っ先に消して。
まるで焼け焦げた写真みたいな両親の記憶、二人とも「目元」が見えないから。
(…ぼくの目の色は、パパに似てたか、ママに似てたか…)
どちらにも似ていなかったのか。
分からないのも悔しいけれども、「目元が分からない」のが辛い。
目元を隠した写真だったら、赤の他人でも、父や母のように「見える」だろうから。
機械は其処まで計算した上で、「シロエの記憶」を奪ったから…。
両親の面差し・了
※シロエが思い出すことが出来ない、両親の顔。そういえば目元が欠けていたっけ、と。
「目元を隠す」のは身バレ防止の定番なだけに、ソレだったかな、というお話。
(……今のは……)
ミュウか、とブルーが見開いた瞳。
右の瞳は砕けてしまって、視界は半分だったけれども。
禍々しく青い光が満ちた、メギドの制御室。
母なる地球の青とは違った、人に破滅をもたらす光。
いったい人類は何を思って、こんな兵器を作ったのか。
元は惑星改造用にと作られたものを、破壊兵器に転用してまで。
これを沈めに、此処まで来た。
させまいと現れた「地球の男」を、道連れにする筈だった。
この身に残ったサイオンを全て、かき集めて。
自ら制御を外してしまって、暴走させるサイオン・バーストで。
けれど、叶わなかった「それ」。
地球の男は、目の前で消えた。
「キース!」と、彼の名を叫んだ青年と共に。
どう考えても「ミュウの力」で、瞬間移動で何処かへと飛んで。
(……何故、ミュウが……)
人類の船に乗っているのか、キースを救いに駆け付けたのか。
そういえば、シャングリラで耳にしたろうか。
「思念波を持つ者が、人類の船でナスカに来た」と。
「地球の男を救って逃げた」と、メギドの劫火が襲うよりも前に。
(…ならば、噂は…)
噂ではなくて、「本当にあった」ことなのだろう。
「地球の男」は「ミュウ」を連れていて、ミュウの力で命拾いをしたのだろう。
(……もし、そうならば……)
ずっと遥かな先でいいから、「地球の男」の「考え方」が変わればいい。
「人類とミュウは兄弟なのだ」と、「分かり合える」と。
彼が考えを変えてくれたら、手を取り合える日も来るだろう。
「地球の男」は、「ただのヒト」ではないのだから。
フィシスと同じに無から作られ、人類を導く指導者になる存在だから。
そんな日がいつか、来てくれればいい。
自分は見届けられないけれども、人類とミュウが手を取り合う日が。
もう「シャングリラ」という「箱舟」は要らず、踏みしめられる地面を得られる時が。
(……ジョミー……。みんなを頼む!)
この身が此処で滅ぶ代わりに、メギドの炎は「持って逝く」から。
「ソルジャー・ブルー」はいなくなっても、皆の命を遠い未来へ繋いで欲しい。
ナスカで生まれた子たちはもちろん、前から船にいた者たちの命をも。
青い地球まで無事に辿り着き、白い箱舟から降りられるよう。
赤いナスカは砕けたけれども、地球で命を紡げるよう。
(……この目で、地球を見られなくても……)
充分だった、という気がする。
ミュウの未来を生きる子たちを、七人も見られたのだから。
「地球の男」を救ったミュウには、「未来への希望」を貰ったから。
それ以上のことを望むというのは、きっと贅沢に過ぎるのだろう。
一番最初のミュウとして生まれ、実験動物として扱われた日々。
生き地獄だった檻で生き延び、皆と宇宙へ旅立った。
「ソルジャー・ブルー」と仲間たちから慕われ、三世紀以上もの歳月を生きた。
焦がれ続けた青い地球には、行けなくても。
肉眼で夢の星を見るのは、叶わなくても。
(……充分だ……)
この人生に悔いなどは無い。
ミュウの未来が、先へと続いてくれるなら。
いつの日か、白い「ミュウの箱舟」が、役目を終えてくれるのならば。
未来への夢と希望とを抱いて、終わった命。
メギドが滅びる青い閃光、それと一緒に「消え去った」全て。
気付けば、秋が訪れていた。
「秋だ」と感じて、目覚めた意識。
色づいた木々と、とても穏やかな公園と。
頭上には青い空が広がり、木々の向こうには街並みも見える。
(……地球……?)
此処は地球だ、と直ぐに分かった。
どれほどの時が流れたのかは、まるで全く分からないけれど。
それに「自分」が、「何故、目覚めたか」も。
どうやら「自分」は「ヒト」の身ではなく、地面に根付いた「木」のようだから。
他にも並んだ木々と同じに、色づいた葉たち。
公園を彩る木たちに交じって、「今の自分」も植わっていた。
(…地球に来たのか…)
ヒトでなくても「来られた」のか、と幸せな思いが満ちてゆく。
青い地球まで来られたのなら、もう本当に満足だから。
たとえ名も無い木であろうとも、自分は「地球にいる」のだから。
そうして眺めた下の地面に、置かれたベンチ。
其処に座った少年の顔に、ただ驚いた。
「地球の男」が少年だったら、こういう顔になるのだろう。
その少年は、静かに本を読んでいるけれど。
「何処、蹴ってんだよ!」
そう声がして、飛んで来たボール。
サッカーボールは少年の手から、読んでいた本を叩き落とした。
「ごめん! …本当にごめん…」
駆けて来て本を拾った少年、彼の顔立ちは、あの「ジョミー」にしか見えなくて…。
(……ジョミー……?)
それにキースが此処にいるのか、と見詰める間に、二人の瞳から溢れた涙。
二人とも、思い出したのだろうか。
かつて「ジョミー」と「キース」だった二人が生まれ変わって、この公園で出会ったろうか。
「…不思議だね。ぼくたち、遠い昔に友達だったのかもしれないな」
「敵同士だったのかも?」
「…でも、こうやって会うことが出来た」
キースに似た少年が差し伸べた手を、ジョミーのような子は取らなかったのだけれど。
サッカー仲間の子から呼ばれて、そちらへと走り出したのだけど。
「おーい! 君も一緒にやろうぜ!」
ジョミーに似た子が、誘った「キースのような」少年。
「あ、ああ…!」
誘われた少年は、本をベンチに置くなり、ただ真っ直ぐに駆け出した。
たった今、出来たばかりの「友達」、その子とボールを蹴りにゆくために。
本を読むより、その方がいい、と。
(……あの二人は、地球で……)
もう一度、巡り会えたのだろう。
人類とミュウとが和解した先の遠い未来か、ほんの一世紀ほど先の未来かで。
(…それならばいい…)
ぼくが望んだ「未来」は訪れたのだから、と「キース」が置いた本を見下ろす。
(……ピーターパン……?)
この本にも、意味があるのだろうか。
此処でこうして立っていたなら、「ピーターパンの本」を知る子が来るのだろうか。
(……ぼくには、心当たりが無いが……)
キースの側には、そういう「誰か」がいたかもしれない。
もしかしたら、メギドで「キースを救った」ミュウの青年だっただろうか。
それとも他にも誰かいたのか、其処までは分からないけれど…。
(…ぼくは此処から、見守ることしか出来なくても…)
せっかく地球まで来られたのだから、皆が「出会う」のを見られたらいい。
ベンチには座り切れないくらいに、「キース」や「ジョミー」の友が大勢、増えるのを。
その顔の中に、「見知った誰か」が加わるのを。
(今は秋だから、冬になったら…)
公園に集う人間たちの数は減っても、来年の春には「友達」が増えていたらいい。
ピーターパンの本を好む子だとか、「自分」にも分かる顔の子だとか。
「あれは、あの子だ」と気付く誰かが、加わったらいい。
自分は「その輪」に入れなくても、「ジョミーたち」の上に心地よい陰を作ってやろう。
暑い夏でも、強すぎる日差しを避けられるように。
「この木の下が、一番いいね」と、皆の気に入りの場所になるよう。
誰も気付いてくれなくても。
「ブルーだ」と分かって貰えなくても、ちゃんと「自分」は此処で見ている。
ミュウの箱舟が要らない世界で、「憩いの場」を作れる一本の木に姿を変えて。
焦がれ続けた青い星の上で、夢に見ていた「ヒトの未来」が紡がれるのを…。
青い星の上で・了
※あの17話の日から、ついに10周年という。早かったような、長かったような。
転生キースとジョミーを扱ったのは初です、10周年の記念創作なら、コレだろう、と!
