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カテゴリー「地球へ…」の記事一覧

(優秀な人材か……)
 そんな者はいないから困るのだがな、とキースが心で零した溜息。
 首都惑星ノアの、元老のためにと与えられた個室で。
 側近のマツカも部下たちもいない、とうに夜更けとなった時間に。
 マツカが淹れて行ったコーヒー、それもすっかり冷めてしまった。
 半分ほど飲んであったけれども、考え事をしている間に。
(まったく、元老たちといえども…)
 本当にクズばかりなのだ、と悩みは尽きない。
 最初から予想はしていたけれど。
 初の軍人出身の元老として、パルテノン入りをする前から。
(鳴り物入りでの大抜擢だったが……)
 それは民間人から眺めた視点で、上層部の者たちの考えは違う。
 軍人も、肝心の元老たちも。
 保守と出世欲に凝り固まった思考の持ち主、エリートどもの考え方。
(出る杭は打たれる、と言うのだがな…)
 その杭である「キース・アニアン」、それを消そうとしていた者たち。
 国家騎士団総司令だった頃に、散々、身をもって知らされた。
 幾つも立てられた暗殺計画、何度、実行に移されたことか。
 ミュウのマツカがいなかったならば、とっくに死んでいただろう。
 爆弾に車ごと吹き飛ばされて。
 あるいは、あえなく撃ち殺されて。
(私を消してまで、守りたいものが…)
 自分の出世欲だというのが情けないな、と呆れ果てる。
 もっと志を高く持たねば、社会も宇宙も、守れないだろうに。
 たかが劣等人種のミュウども、彼らに秩序を覆されて。
 気付けば宇宙はミュウに征服され、人類の方が劣等人種に成り下がる。
 今のように、日々、足の引っ張り合いばかりでは。
 己の保身だけを考え、全体を見詰めないままでは。


 パルテノン入りを果たした今となっては、絶望感は深まるばかり。
 何処を探しても、「優秀な者」はいないから。
 宇宙の、地球の舵を取れる者は、誰一人として「いそうにない」。
 ただ単純に「優秀な者」と言うだけだったら、直属の部下たちが「そう」だけれども。
 スタージョン中尉やパスカルたちなら、充分に優秀な頭脳の持ち主。
 とはいえ、彼らは「指導者」ではない。
 指導者になれる器でもない。
 いくら優秀な人材とはいえ、方向性が違うから。
 自分で思考し、自分の意志で行動出来ても、彼らに「指導者」は向いてはいない。
 そう、適性の問題と言える。
 どんなに励まし、どれほど教育を施そうとも、「なれない」指導者。
 とても優秀な部下にだったら、なれるのに。
 上司の指示が無くても動けて、命じた以上の成果を上げることが出来るのに。
(……そう、それこそが問題なのだ……)
 今の世界には一人もいない、と溜息を漏らすしかない「優秀な人材」という代物。
 そういった者が全く「生まれて来なくなった」惨い現実。
 無限大の精子と卵子の交配、それを繰り返し続けても。
 人工子宮で育てては世に出し、様々な場所で育ててみても。
(……国家主席の座は、二百年も空位……)
 つまり二百年も「出て来なかった」、指導者の座に就ける人材。
 二百年前までは、その座に就ける者がいたのに。
 ミュウが宇宙に現れた頃にも、国家主席はいたというのに。
(…アルタミラ事変で、ミュウの殲滅を命じた者も…)
 その時の国家主席の筈。
 アルタミラを擁したジュピターの衛星、ガニメデをメギドで破壊させた命令。
 計画自体は、グランド・マザーが立案した。
 けれど命令を実行するには、軍を動かさなければならない。
 当時の国家主席が自ら、その命令を下しただろう。
 「全ては偉大なる母、グランド・マザーの導きのままに」と。


 そうした決断を下すことが出来た、人類の指導者。
 彼らが座った国家主席の座は、いずれ「キース」のものになる。
 二百年もの長い空位の時代を経て。
 そうなる予定なのだけれども、どうして「キース」になるというのか。
 誰一人として気付かなくても、「キース」自身が知っている。
 「キース」は、「ヒトではない」ものだと。
 機械が無から作った存在、それも「指導者になるために」。
 作った理由は、「人類の中から、優秀な人材が出て来ないから」。
 無限大の精子と卵子の交配、機械が延々と続けてきたこと。
 二百年前までは、そのやり方は有効だった。
 国家主席になれる者が出て、人類を上手く纏め上げられた。
 ところが何がいけなかったか、生まれなくなった「優秀な者」。
 いくら交配を繰り返しても。
 かつては優秀な者が生まれた、仕組み自体は変わらなくても。
(……機械は、それに業を煮やして……)
 ついに「キース」を作り上げた。
 神の領域に足を踏み入れ、幾つもの実験体を生み出した末に。
 ミュウの船で見た盲目の女や、E-1077の廃墟で目にしたサンプルたち。
 彼らの遺伝子データをベースに、三十億もの塩基対を合成して。
 DNAという名の鎖を紡いで、無から作った生命が「キース」。
 しかも「ヒト」とは思えぬ期間を、胎児の状態で育成して。
 成人検査を迎える年まで、人工羊水の中に浮かべて。
 そうやって「キース」は出来たけれども、本当に、それでいいのだろうか。
 機械が作った「ヒトではないモノ」、そんな存在が国家主席でも。
 人類を纏める者となっても、指導者の座に就いたとしても。


(……そもそも、SD体制下でも……)
 機械がヒトの出産を管理しているとはいえ、制限はある。
 優秀な人材が生まれなくなることが予想出来ても、それを防げなかった理由が。
 「キース」のようなモノを作らなくても、方法は他にあったのに。
 無から生命を作り出さずとも、「既にあるモノ」をコピーすればいい。
 最後に国家主席の座に就いた者は、ちゃんと優秀だったのだから。
 彼の遺伝子データを継いだら、同じく優秀な者が生まれる。
(…いわゆる、クローンというヤツだ…)
 遺伝子レベルでの生命体の複製、それを作れる技術ならある。
 ヒトには使っていないけれども、クローンの動物や植物は多い。
 何故なら、彼らは「優秀」だから。
 同じ遺伝子を持った彼らの複製、それらも、もれなく優秀なモノ。
 だからクローンの技術があるのに、グランド・マザーは「使わなかった」。
 最後の国家主席でもいいし、その前の国家主席であっても、かまわないのに。
 間違いなく優秀な者がいたなら、彼らのクローンを作りさえすれば…。
(……人類の指導者は、絶えることなく続いて……)
 国家主席の座は空位にならずに、今も彼らが占めていたろう。
 「キース」を作り出す必要も無くて、E-1077も、ただの教育ステーション。
 けれども、そうならなかった原因、それがSD体制の「禁忌」。
 機械に与えられた制限、「ヒトのクローンを作り出すこと」。
 いくら優秀な者が生まれても、彼らのクローンを生み出すことは許されない。
 グランド・マザーを作った者たち、SD体制の前の世界を生きた者。
 彼らは機械に命令を出した。
 「ヒトのクローンだけは、決して作ってはならない」と。
 それは禁断の技だから。
 神の領域を侵す行為で、神への冒涜。
 ヒトはヒトらしく生まれ出るべきで、クローンなどでは有り得ない。
 だから「禁ずる」と下した命令。
 そのせいで、機械は作れなかった。
 優秀な者が生まれなくなると分かってはいても、彼らのクローンというものを。


(……それなのに……)
 グランド・マザーが見付けた抜け穴、「禁止されてはいなかった」こと。
 SD体制を作った者さえ、まるで考えなかった行為。
(…クローンが許されないのなら…)
 無から生命を生み出せばいい、とグランド・マザーは考えた。
 そのことは禁止されてはいないし、「許されるのだ」と。
 神の領域を侵すことなど、考えもせずに。
(…機械の世界に、神というものは…)
 概念さえも存在しなくて、ただデータだけが存在する。
 機械は神を恐れはしないし、神の怒りを考えもしない。
 だから「キース」を作り出せた。
 クローンですらも禁忌な世界で、それを遥かに上回る禁忌を犯してまで。
 しかも、そのことを悔いてさえもいない。
 「とても優秀な者が生まれた」と、自画自賛しても。
 自分たちが無から生み出した「キース」、彼のためにあらゆる手を尽くしても。
(……おおよそ、ろくな結果には……)
 ならないだろうな、と思う「機械の暴走」。
 そのような機械が治める世の中、それは滅びるべきだと思う。
 機械が作った「キース」が言うのも変だけれども、「滅びて貰おう」と。
(…もっとも、私が手を下さずとも…)
 滅びるのは時間の問題だがな、と唇に浮かべた皮肉な笑み。
 「その時」は、もう見えているから。
 機械がどんなに抗おうとも、歴史の流れは変えられないから。
 劣等人種のミュウが勝ったら、自然と機械の世界は滅ぶ。
 「キース」も一緒に滅ぶけれども、それで少しも悔しくはない。
 何故なら、滅ぶべきだから。
 機械も、機械が作った「キース」も、滅びるのが正しい道なのだから…。

 

          滅ぶべきもの・了

※国家主席の座に就いた人間も、ずっと昔には存在した筈。それを考えたら出来たお話。
 かつての「優秀な者」のクローンだったら優秀なのに、と。クローン禁止は、もちろん捏造。











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(…これも、これも…)
 これも違う、とシロエが机に叩き付ける拳。
 E-1077の個室で、唇を噛んで。
 モニター画面をきつく睨んで、その画面をも憎むかのように。
(畜生…!)
 どうして見付からないんだろう、と悔しくて、ただ堪らない。
 とても簡単そうに思えて、けれど決して出て来ない「それ」。
 探し続けて、ひたすらに求め続ける情報。
(……記憶を繋ぎ止める方法……)
 それが知りたい。
 成人検査で子供時代の記憶を奪われ、このステーションに送り込まれた。
 両親の顔さえおぼろにぼやけて、故郷の記憶も曖昧になって。
 酷い衝撃を受けたけれども、まだそれだけでは終わらなかった。
(…マザー・イライザ…)
 E-1077を統治している巨大コンピューター。
 地球にいると聞くグランド・マザーの、多分、直属だろうと思う。
(……ママそっくりな格好をして……)
 彼女が「シロエ」を呼び出す度に、記憶から「何か」が欠け落ちてゆく。
 「コール」と呼ばれる心理療法、それを施される度に。
 深い眠りの淵に落とされ、心を分析された末に。
(…目が覚めた時は、すっきりした気がするけれど…)
 そう感じるのは「大切な何か」を失くしたからだ、と気付いたのは、いつだったろう。
 自分の中から大事な記憶が、今も消されてゆく真実に。
 成人検査だけでは終わらず、折を見ては記憶を消してゆく機械。
 その目的は、もう分かっている。
 システムに逆らう気を起こさぬよう、従順な「羊」を作り上げること。
 マザー牧場で暮らす羊を。
 大人しく草を食んで育って、大人の社会に出てゆく者を。


 そんな「羊」になりたくはない。
 過去を奪われ、歯車にされて、どうして幸せになれるだろうか。
 いくら憧れの地球に行けても、「自分自身」を失くしたならば。
 記憶を奪われ、根無し草になって、機械が与える暮らしに甘んじる人間。
 「そうされたのだ」とは、気が付かないで。
 自分でも「幸せなのだ」と信じて、何一つ疑わないままで。
(……それでいい奴らも、いるんだけどね……)
 殆どの奴はそうじゃないか、と分かってはいても、馴染めはしない。
 彼らの仲間になりたくはないし、「自分自身」を失くしたくない。
 心からそう願っているのに、どうして忘れてゆくのだろう。
 記憶力には自信があるのに、コールされる度に。
 決して頭は悪くないのに、大切なことを忘れていって。
(…忘れない方法さえあれば…)
 それがあれば、と向かう端末。
 モニター画面を食い入るように見詰めて、検索ワードを打ち込んでゆく。
 「忘れない方法」だとか、「しっかり記憶する方法」とか。
 けれど、どうしても見付けられない。
 求める情報は出てはこなくて、代わりに見付かる「記憶術」。
 習った知識を忘れないよう、脳味噌に刻み付ける方法。
 どう頑張っても、そればかり。
 「これも違う」とキーを叩いて、別の情報を表示させても。
 検索ワードの切り口を変えて、新しい角度から調べてみても。
(……此処が教育ステーションだから……)
 そういう情報ばかり出るのか、他所でやっても「同じ」なのか。
 何度も疑念が生じたけれども、恐らくは「何処でやっても」同じ。
 機械は「それ」を望まないから。
 システムにとっては不都合な記憶、それを「人間」が持ち続けては困るから。


(くそっ…!)
 なんて世の中なんだろう、と反吐が出そうで、憎しみの炎が噴き上げる。
 どうして世界は「こう」なのだろう、と。
 マザー牧場の羊でなくても、皆、従順に「忘れてゆく」。
 機械が記憶を操作する度、何の疑問も抱かずに。
 忘れ、失くした過去のことなど、振り返ろうとさえもしないで。
(……一人残らず、そうなんだから……)
 此処の奴らを見てれば分かる、と握り締める拳。
 たまに聞こえてくる故郷の話や、養父母たちの話。
(…懐かしそうに話してるけど…)
 話の最後を締めくくる言葉は、判で押したように「同じ」だった。
 「もう、はっきりとは覚えていない」と、穏やかに笑んで。
 そう言った者も、聞いていた者も、それを「変だ」とも思わないで。
(……子供時代の記憶は、消されて当たり前……)
 機械が「そうだ」と教え込むから、大人しい羊たちは信じる。
 それが正しい道だと思って、ただ真っ直ぐに歩んでゆくだけ。
 コールされる度、更に記憶を奪われても。
 「大切な何か」が消えていっても、それも「当然なのだ」と素直に納得して。
 何故なら、過去は不要だから。
 もう戻れない「過去」のことなど、覚えていたって意味などは無い。
 機械は彼らに、こう教える。
 「成長は過去を捨て去ること」だと。
 過去の自分を捨ててゆくことで、人は成長してゆくのだと。
(……大嘘つき……!)
 そんな筈などあるものか、と信じる気には、とてもなれない。
 本当に「それ」が正しいとしたら、SD体制が始まる前の時代には…。
(偉い人間など、いやしないさ)
 遠い昔には、成人検査も、コールも無かった。
 誰もが記憶を失くすことなく、「過去」を糧にして育った筈。
 英雄と呼ばれて今の時代まで名が残る者も、学者も、それに哲学者だって。


 「過去」は大事なものだと思う。
 それが「個人」を作り上げる核で、けして忘れてはならないもの。
 「自分自身」を持っていたいのなら、「羊」になりたくないのなら。
 だから懸命に探し続ける。
 薄れてゆく記憶を繋ぎ止める術を、なんとかして見付けられないかと。
 なのに出るのは記憶術ばかり、「教わった知識」を頭に刻む方法ばかり。
(……こうする間にも、またコールされて……)
 きっと何かを失うのだろう、「失った」ことを知ったら愕然とするものを。
 失くして直ぐには気が付かなくて、後でショックを受ける「何か」を。
(…ぼくはこんなに、忘れたくないのに…)
 マザー牧場の羊たちは皆、幸せそうな顔。
 子供時代の記憶が薄れて、故郷や養父母たちのことさえ、霞んでいても。
 そうなったことを嘆きもしないで、ただ従順に受け入れている。
 成長を遂げて「社会」に出るには、それが正しい道だから。
 機械が彼らに教える通りに、丸ごと鵜呑みにしてしまって。
(……忘れたくない……)
 忘れたくないよ、と叩いたキー。
 「ぼくの記憶を消させないで」と、何かに縋るような気持ちで。
 この世に神がいると言うなら、どうか祈りが届くようにと。
 そうして表示された結果に、瞳を大きく見開いた。
 「信じられないもの」が出たから。
 本当だとはとても思えず、食い入るように見入った「それ」。
(……忘却は、神が与えた恩恵……)
 モニター画面には、そういう文字列があった。
 「忘れたくない」と神に祈ったのに、まるで全く逆の言葉が。
 忘却が神の恩恵だなどと、機械に都合の良さそうなことが。
(……これも、機械が……!)
 何か操作をしているんだよ、と眉を吊り上げ、文字を追ってゆく。
 きっと見出しは「そう」であっても、中身の方は違うだろうと。
 詳しく読んだら答えは逆で、神は「忘却」など、人に与えはしなかったろうと。


 何度も何度も、読み返した「それ」。
 他に引っ掛かって来た「似たようなもの」も、端から読んだ。
 背筋が冷えてゆく中で。
 「嘘だ」と何度も心で叫んで、「機械が弄った情報なんだ」と否定しながら。
 けれども、残酷すぎた結末。
 機械は「操作していなかった」。
 何故なら、遥か昔の文献、それを引き出して確認したって「同じ」だったから。
 「忘却は神が与えた恩恵」、その考え方に間違いは無い。
 人間が地球しか知らなかった頃から、「そのように」考えられて来た。
 辛くて苦しいだけの過去やら、心を責める罪の意識やら。
 「そういったもの」を抱えたままでは、人の心は壊れてしまう。
 だからこそ、神は「忘却」というものを与えた。
 抱え込み過ぎて壊れないよう、過去を忘れてゆけるようにと。
 どんなに辛いことがあっても、再び「未来」を描けるように、と。
(……成長は過去を捨て去ること……)
 機械が言うのと同じじゃないか、と氷の手で心臓を掴まれたよう。
 神は「忘れろ」と言うのだろうか、「忘れたくない」大切な過去を。
 繋ぎ止めたいと願う記憶を、いつまでも持っていたいものを。
(…確かに、此処で生きてゆくなら…)
 過去などは、不要なのだろう。
 抵抗しないで忘れた方が、きっと生き易くはあるだろうけれど…。
(……忘れてしまったら、「ぼく」はいなくなる……)
 別のシロエになってしまう、と分かっているから、その「恩恵」は欲しくない。
 神が与えたものであろうと、逆らう者には神の恵みが無くなろうとも。
(…ぼくにとっては、忘却なんかは…)
 神じゃなくて悪魔の贈り物さ、と心で吐き捨て、端末に向かう。
 「記憶を繋ぎ止める方法」、それを知ろうと。
 そうすることが神に逆らうことでも、悪魔が用意した道であろうと…。

 

           忘却の意味・了

※「忘却は神の恩恵」という考え方は、本当にあるんですけれど…。SD体制でもないのに。
 シロエが聞いたら怒るだろうな、と思った所から生まれたお話。シロエが可哀想ですが。











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(……そういえば、明日は……)
 インタビューがあるのだったな、とキースは心で独りごちる。
 元老として与えられた個室で、「厄介なことだ」と溜息をついて。
 とうに夜更けで、側近のマツカも下がらせた後。
 彼が淹れていったコーヒーだけが、カップで湯気を立てていた。
(明日はマツカにも、余計な仕事が…)
 一つ増えるな、と眺めるコーヒーのカップ。
 たかが取材に来る記者とはいえ、何も出さずにいられはしない。
 そういった輩にコーヒーを出すのも、マツカの役目。
 もっとも、有能なセルジュ辺りに言わせれば…。
(コーヒーを淹れるしか能が無いヘタレ野郎だ、と…)
 酷評されるのが「マツカ」でもある。
 彼の真価は、そんな所には無いというのに。
 今までの数々の暗殺計画、それを未然に防げた陰には、彼がいるのに。
(だが、表向きはコーヒー係…)
 そうしておくのが無難でもある。
 マツカの「機転」や「暗殺を阻止する力」の源、それを知られるわけにはいかない。
 人類には決して持ち得ない力、「サイオン」はミュウの特徴だから。
 異分子のミュウは抹殺すべきで、現にそうして来たのだから。
(明日のインタビューの内容も、どうせ…)
 キース・アニアンの対ミュウ戦略、そういったことについてだろう。
 国家騎士団総司令から、元老に抜擢された男。
 ミュウと戦う最前線にいた、初の軍人上がりの元老。
 どういう信条を持っているのか、この先、どのようにやってゆくのか。
(…インタビューして、記事を書くのが…)
 ジャーナリストたちの仕事の一つで、こうして取材を申し込まれる。
 もう幾つ目の取材なのかは、忘れたけれど。
 「申し込みは広報部を通してくれ」という逃げ口上も、何度言ったか記憶には無い。
 そんなものの数を数えるほど、暇ではないから。
 やるべき仕事が山と積まれて、「キース」を待っているのだから。


 そうは言っても、取材を逃れることは出来ない。
 インタビューに来る記者がいるなら、そういうこと。
 自分はともかく、地球にいる偉大なグランド・マザー。
 彼女が「不要」と判断したなら、取材の許可など決して下りない。
 なにしろ「キース」は多忙なのだし、つまらない取材に時間は割けない。
(以前だったら、本当にくだらん取材も多くて…)
 実に辟易させられたがな、と苦笑する。
 あれはいつ頃だっただろうか、国家騎士団で名を馳せた時代。
(ジルベスター星系の演習の事故で、大勢の部下たちの命を救って…)
 二階級特進という、異例の出世を遂げたりもした。
 本当の所は、「演習の事故」ではなかったのに。
 ジルベスター・セブンに巣食うミュウたち、彼らを星ごと殲滅しようと試みたのに。
(モビー・ディックには逃げられたが…)
 あの赤い星をメギドで砕いて、グランド・マザーに称賛された。
 それゆえの特進、少佐から上級大佐へと。
(そうなる前から、つまらん取材が…)
 多かったな、と思い出す。
 どう考えても「軍人向け」でも、「一般人向け」でもない取材。
 記者が差し出す名刺を見なくても、申し込みの時点で気が付いていた。
 インタビューを読むのは、「女性たち」だと。
 軍事にも政治にも興味など無い、ごくごく平凡な一般女性。
 それも若くて未婚の者たち。
 普段はスターを追い掛けるような、「頭の軽い」女性が相手の記事。
(インタビューよりも、私の写真を撮る方が…)
 大事だったらしい、その手の記者たち。
 プロのカメラマンを連れて来て。
 「こちらを向いて頂けますか?」などと、ポーズを取らせて切ったシャッター。
 「もう一枚」だとか「次は、あちらで」だとか、何枚も。
 そうした写真を幾つも鏤め、くだらない記事が書き上げられた。
 届いた記事など読む気もしなくて、右から左へ捨てさせていただけだけれども。


(ああいう時代に比べたら…)
 ずいぶんと楽になったものだ、と分かっているから、文句は言わない。
 つまらない質問をされるようでも、その取材には意味がある。
 グランド・マザーが許可するだけの、充分な価値が。
 ミュウの侵攻に恐れ慄く者たち、彼らを落ち着かせるための「何か」。
(……キース・アニアンさえいれば……)
 SD体制も人類も安泰なのだ、と思わせる記事を、記者たちは書いてくれるのだろう。
 多忙な自分は、それを読む暇など無いだろうけれど。
 見本誌が部屋に届けられても、「処分しておけ」とマツカに言うだろうけれど。
(まあ、くだらない取材よりはな…)
 遥かにマシだ、と今の状態には満足している。
 いつから「彼ら」は来なくなったろうか、「キース」をスター扱いした記者たち。
 写真を何枚も撮られた上に、質問の内容も呆れるようなものばかり。
 「お好きな食べ物は何ですか?」だとか、「休日は何をして過ごしますか?」だとか。
 そんなことを知っても、いいことなど何も無さそうなのに。
(……若い女性は、大いに興味があるのだろうが……)
 生憎と私はどうでもいいのだ、と何度欠伸を噛み殺したろう。
 記者の頭まで「軽そう」ではあっても、彼らも大切なピースの一つ。
 「社会」を上手く組み立てたいなら、そういった者たちも取り込まなければ。
 広い視野など持っていなくて、「軍人」と「スター」を同列に扱う者であろうと。
 まるでスターを追い掛けるように、「キース・アニアン」に夢中だろうと。
(…あの頃よりかは、厳選されたな…)
 くだらん取材に来る連中も、とグランド・マザーに感謝する。
 「元老」という肩書きにも。
 パルテノン入りした元老ともなれば、スターのように追い掛けるには…。
(かなり敷居が高くなるだろうさ)
 国家騎士団時代のようにはいかん、と可笑しくなる。
 いくら記者たちが申し込もうと、端から拒絶されるだろうから。
 どう頑張っても許可は下りずに、全て門前払いだろうから。


 若い女性が喜ぶことなど、自分は言えない。
 根っからの軍人、それに加えて「特別な」生まれ。
(養父母などいないし、生物としての両親もいないのだからな…)
 機械が無から作った生命、それゆえに「完璧な」存在となった。
 誰もが羨望の眼差しを注ぐ、エリートの中のエリートとして。
 E-1077で育った頃から、異例の出世を続けて来て。
(……だからこそ、スターと混同されるのだがな……)
 あちらも似たようなものだからな、と思い浮かべるスターたち。
 彼らは「人目を集めるように」育て上げられた、プロフェッショナル。
 俳優も歌手も、選りすぐりの美形や、素晴らしい才を持った者たち。
 ただ「居る」だけで華があるから、人の目を惹く。
(…スター扱いされるというのは、光栄の至りなのかもしれんが…)
 私は好かん、と窓の外へと目を遣った。
 宵闇に覆われた高層ビル街、其処に「キース」の姿も映る。
 窓は光を反射するから、ガラスが鏡のようになって。
(……キース・アニアン……)
 もう「スター扱い」の取材は来ない、とホッと吐息をついたけれども。
 窓に映る自分の姿を眺めて、元老の制服に目を細めたけども…。
(………今の私は………)
 あの頃の私の姿ではない、と愕然とした。
 多忙な日々に追われ続けて、鏡など見てはいなかった。
 もちろん「鏡」には向かうのだけれど、ただ身だしなみを整えるだけ。
 「自分の顔」をじっくり見詰めはしないし、観察もしない。
 女性と違って化粧は必要ないのだから。
(…ジルベスター・セブンから、何年経った……?)
 あれから過ぎた歳月の分だけ、重ねた齢。
 「それ」が自分の顔に出ていた。
 隠しようもない、年相応の面差しとなって。
 あの時代には無かった皺が、何本か、肌に刻まれていて。


(……これでは、たとえ断らなくても……)
 若い女性が相手の記事など、誰も書かないことだろう。
 書いても、「誰も読まない」から。
 もしも読む者がいたとしたって、ほんの僅かな女性たちだけ。
 遠い昔を思い返して「懐かしいわね」と、「老けたキース」を見る者たち。
 つまりは、長い年月が過ぎた。
 今ではすっかり、人類の敗色が濃くなるほどに。
 ジルベスター・セブンで収めた勝利が、まるで幻だったかのように。
(……そして、ミュウどもは……)
 全く年を取らないのだ、と冷えてゆく背筋。
 普段から「マツカ」に接しているのに、ついつい忘れ果てていたこと。
 ミュウの長、「ジョミー・マーキス・シン」は、今なお若い。
 彼の肉体は衰えを知らず、その寿命もまた…。
(人類の三倍以上もあるのだ…!)
 伝説と謳われたタイプ・ブルー・オリジン、彼が身をもって示したように。
 死の影が差すほどに年を重ねた後にも、身一つでメギドを破壊したのがソルジャー・ブルー。
(…私が老いて、指揮が覚束なくなった時でも…)
 若きミュウの長は健在だろう。
 その上、更に若い世代のタイプ・ブルーたちが何人もいる。
(……人類とミュウの戦いの……)
 行く末は見えているではないか、と、ただ恐ろしい。
 明らかにミュウの方が有利で、人類は不利な立場だから。
 それでも「キース」は戦うしかなく、「勝ちに行く」以外に道は無いから。
(……これが私の運命なのか……)
 肉体的にも「敵うわけがない」敵と戦い、敗れるのが。
 あるいは敗北するよりも先に、老いさらばえて死んでゆくのが。
 「キース」は、そのように「作られた」から。
 機械はミュウを認めないから、ミュウはあくまで「異分子」だから…。

 

           敵わない敵・了

※このお話、絶対、途中で「敵」は「老化」だと勘違いした人がいるな、という気がします。
 ミュウの寿命は人類の三倍、それだけで勝ち目が無さそうだよね、と思うんですけど…。











拍手[1回]

「いたか、そっちは!?」
「捜せ、探せ!」
 緊迫した男たちの声が聞こえる。
 それに複数の荒々しい足音、あちこちの扉を開け放つ音。
 バスルームやら、クローゼットやら。
(……どうして……)
 どうしてこんなことになったのだろう、とシロエは息を潜める。
 個室の床下にもぐり込んで。
 たった一人で暗闇の中で、男たちが床下に気付かないよう、祈りながら。
(…ピーターパン……)
 ぼくを助けて、と心で叫ぶけれども、ピーターパンに届くだろうか。
 漆黒の宇宙にポツンと浮かんだ、ステーションなどで祈っても。
 遠い故郷の星ならともかく、E-1077では。
(……此処で見付かったら……)
 おしまいなのだ、と自分でも充分、承知している。
 頭上で歩き回る足音の主は、全員がマザー・イライザの手下。
 E-1077の保安部隊員で、武装していることは確実。
(このまま此処で撃ち殺されるか…)
 連行されて処刑されるか、道は二つに一つしかない。
 最高に運が良かったとしても、「シロエ」はいなくなるだろう。
 記憶を全て消されてしまって、全く別の人間にされて。
 「セキ・レイ・シロエ」の姿形は変わらなくても、中身はまるっきりの別人。
 他の候補生たちが「シロエ!」と呼んだら、振り向いても。
 笑顔で手を振り、応えたとしても。
(…そんなのはもう、ぼくじゃない…)
 ただの「シロエ」という名のエリート候補生、そう、あのキースと競い合ったほどの。
 E-1077始まって以来の秀才、彼とさえ肩を並べられるほどの。
 そんな形で生き延びたとして、いったい何になるだろう。
 自分が自分でなくなるのならば、それは「死んだ」も同然なのに。


(……キース・アニアン……)
 そう、発端は、その「キース」だった。
 過去の記憶を持たないエリート。
 「マザー・イライザ」の申し子と呼ばれる、まるで感情を見せない男。
 だから「アンドロイドなのだ」と思った。
 マザー・イライザが作った機械仕掛けの人形、「人間のように思考する」だけの。
(あの皮膚の下は、冷たい機械で…)
 赤い血などは流れていない、と確信したから、彼の秘密を暴きたくなった。
 目の前に真相を突き付けられたら、彼は壊れると考えたから。
 機械は所詮は機械なのだし、予測していない事象には弱い。
 「真実を知れば」、暴走するだろう「キースの思考プログラム」。
 狂ったように喚き散らして自滅するのか、瞬時に沈黙して「壊れる」か。
 どちらにしても見物なのだし、それを「この目で」見届けたくなった。
 憎い「機械」への仕返しとして。
 成人検査で記憶を奪った、マザー・システムへの意趣返しに。
 記憶を奪ったテラズ・ナンバー・ファイブと、マザー・イライザとは別物でも。
 全く違う機械であっても、コンピューターには違いない。
(…どっちも、マザー・システムの手下…)
 地球にあると聞くグランド・マザーが、統括しているコンピューターたち。
 機械が統治するSD体制、そのシステムに異を唱えたいなら…。
(…イライザの申し子を、壊してやろうと…)
 決心したのに、何処で計算が狂ったろうか。
 こんな床下で息を潜めて、見付からないように祈るしかないなんて。
 保安部隊に発見されたら、殺されるしかないなんて。
(……そんなのは、嫌だ……)
 ピーターパンに会えもしないで、死んでゆくなど。
 あの憎らしいマザー・イライザが命じるままに、処刑されるなど。


 出来ることなら、ステーションから逃げ出したい。
 E-1077を遠く離れて、故郷の星へと飛んでゆきたい。
 此処で殺されてしまうよりかは、少しでも望みのある方へ。
(……地球の座標は分からないから……)
 夢の星へは行けないけれども、アルテメシアになら行けるだろう。
 ステーションでは、宇宙船の操縦も教わったから。
 まだ実地では飛んでいないだけで、シミュレーションなら何度もやった。
 宇宙船さえ手に入ったなら、アルテメシアへ飛ぶことは…。
(…絶対に、出来る筈なんだ…)
 座標を打ち込んでやりさえすれば、オートパイロットで飛ぶことも出来る。
 そこそこ優秀な宇宙船なら、ワープも自分一人で可能。
 E-1077の宙港に行けば、飛んでゆける船は、きっとある筈。
 民間船は立ち入れなくても、それに準ずる船は来るから。
(……新入生を乗せて来る船……)
 それを奪えば、宇宙に出られる。
 上手く立ち回れば、新入生たちが下船する前に…。
(船を制圧して、乗員を全員、人質に取って…)
 新入生たちの命を盾に、アルテメシアへと漕ぎ出せるだろう。
 マザー・イライザが如何に冷徹でも、候補生たちの命は失えない。
 将来を嘱望されるエリートの卵、彼らの命を失ったなら…。
(グランド・マザーが、何と言うかな…?)
 お咎め無しでは済まないだろうし、歯噛みしながら見送ることしか出来ないだろう。
 ステーションから離れてゆく船、それに「シロエ」が乗っていたって。
 そうして、アルテメシアの方でも、着陸を拒否することは出来ない。
 海賊船にも等しい船でも、人質を大勢乗せているから。
 もしも自爆でもされようものなら、グランド・マザーに叱責される。
 誰も責任を取りたくないなら、着陸許可は下りるだろう。
 下船した「シロエ」は殺すにしたって、乗員は生かさねばならないから。


(……そうすれば、帰れる……)
 アルテメシアに、故郷のエネルゲイアに。
 もう顔さえも思い出せない両親、けれど片時も忘れてはいない。
 こんな時でも「帰りたい」のが故郷の星で、「会いたい」人が両親だから。
 人質を取って帰った「シロエ」は、両親に再会出来るだろうか。
 下船したなら、即座に殺されそうだけれども…。
(…まだ人質を取っていたなら…)
 アルテメシアの上層部だって、考えざるを得ないだろう。
 「セキ・レイ・シロエ」の要求通りに、かつての養父母を連れて来ることを。
 彼らを船に乗船させるか、ただ宙港へ呼んで「顔を見せる」だけかは謎だけれども。
(……運が良ければ、パパとママを……)
 人質と交換に出来るだろうか。
 全員を解放してしまわずに、一部の者だけ船から出せば…。
(代わりに、ぼくのパパとママを乗せて…)
 残りの人質は確保したまま、更に要求を突き付けられる。
 船にエネルギーを補給しろとか、「地球の座標を教えろ」だとか。
 候補生たちの命が惜しい上層部は、その要求を飲むしかない。
 「シロエが逃げる」と分かっていても。
 まんまと再会を遂げた両親、彼らを連れて地球に向かうと、承知していても。
(…撃墜しようにも、人質がいるしね…)
 手も足も出ない筈なんだ、と考えるけれど。
 ステーションの宙港に行きさえすれば、その選択肢があるのだけれど…。
(……キース・アニアン……)
 その前に、あいつの歪んだ顔を、と思ってしまう。
 いつも取り澄ましたトップエリート、彼が醜く取り乱すのを。
 ピーターパンの本に隠した真実、それを目の前に突き付けてやって。
 フロア001で撮影して来た、キースの「ゆりかご」。
 胎児や「キース」の標本を見せて、あのエリートを追い詰めたい、と。


 それは破滅だと分かっている。
 その道を行けば、もう故郷には戻れはしない。
 キースに会う方を選んだならば、確実に保安部隊に捕まる。
 なにしろ個室は監視されていて、この床下のようにはいかない。
 どの個室にもある「マザー・イライザ」の端末、それが「いつでも見ている」から。
 個室でキースを捕まえなくても、それ以外の場所も、条件は同じ。
 「キース・アニアン」がいるような場所は、何処だって「見られている」だろう。
 完璧な「機械の申し子」の彼は、日の当たらない場所に行くことはない。
 こんな床下に入りはしないし、通気口を伝ってゆくこともない。
 だから「キースに会ったら」終わり。
 其処でマザー・イライザの瞳に捕まり、保安部隊が追って来る。
 「セキ・レイ・シロエ」を処分するために。
 キースの前では撃たないにしても、引き摺ってゆかれて殺されるだけ。
 それが嫌なら、故郷に帰りたいのなら…。
(…通気口を伝って、宙港に行って…)
 新入生を乗せた船が無くても、めぼしい船を奪えばいい。
 そのための手段は、いくらでもある。
 武器が無くても、頭を使いさえすれば。
(……でも、ぼくは……)
 キースを追い詰めてやりたいんだ、と握り締める拳。
 それで命を失おうとも、それもまた自分の選んだ道には違いないから。
 「機械の申し子」を嘲笑うことで、機械に復讐してやりたいから。
(……キース・アニアン……)
 今に見てろ、と息を潜めて、笑みを浮かべるシロエは知らない。
 そう「考える」思考そのものが、マザー・イライザの狙いなことを。
 そのためにシロエが「選ばれた」ことも、破滅までがイライザの目的なことも。
 自由なのだと信じているから。
 彼が「自由」を忘れないことも、全ては機械の手の中なのに…。

 

           仕組まれた自由・了

※キースの正体を知ったシロエは、捕まってサイオンチェックされたわけですが…。
 脱出した後、どうしてステーションから逃げなかったか、それが気になって書いたお話。











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(……増える一方というヤツか……)
 厄介なことだ、とキースが漏らした溜息。
 首都惑星ノアに与えられた個室で、書類をバサリと机の上に投げ出して。
 もう夜は更けて、側近のマツカも下がらせた後。
 マツカが淹れていったコーヒー、そのカップが湯気を立てているだけ。
 コーヒーの湯気は香り高いけれど、それを嗅いでも心から悩みは消えない。
 ミュウは増えてゆく一方だから。
 今日も落とされた惑星が一つ、そして逃げ出す難民も増える。
 人類とミュウは相容れないから。
 一つの星に同じ種族が住めはしないし、ミュウが来たなら人類は逃げる。
(……移民船は、地獄だと聞くのだがな……)
 密かに広がっている風聞。
 ノアまでは聞こえて来ないけれども、上層部の者なら知っていること。
 ただし、関心があったなら。
 ミュウを恐れて逃げ出す人々、彼らを心に留めていたなら。
(移民船に乗るには、とてつもない金が必要で…)
 全財産を処分した金で、乗り込む者さえあるという。
 そうして移民船に乗れても、船の環境は劣悪らしい。
 本来だったら個室だったろう部屋、それを改造してあるなどは当たり前。
 狭い部屋に多くの者を詰め込み、食事も調理などしてはいなくて…。
(レトルトパックの非常食ばかり…)
 配って済ませて、苦情には耳を傾けもしない。
(聞く耳などは持たないどころか、うるさい奴は…)
 真空の宇宙に捨ててゆくのだという、酷い噂が流れている。
 冷凍睡眠用のカプセル、その中に無理に押し込んで。
 宇宙葬よろしく、生きたまま宇宙に放り出して。
(そういう噂が絶えないのだが……)
 それでも人は逃げ出すらしい。
 ミュウが陥落させた星から、首都惑星ノアへ移民しようと。


 厄介な、と投げ出した書類は、ミュウに関するものではない。
 ミュウも関係しているけれども、人類の方に関わること。
(移民船の数が増えてゆくほど、ミュウのキャリアも…)
 多く見付かるというわけだ、と視線を遣った窓の外。
 漆黒の夜空と、その空の下に広がる街。
 其処で暮らしている住民たちは、何も知らない。
 移民船が来ていることは知っていても、その船に纏わる噂などは。
 ミュウのキャリアが増えていることも、彼らが何処へ消えたのかも。
(……今日だけでも、二件……)
 宙港で「ちょっとした騒ぎ」が起こった。
 ミュウのスパイが入り込まないよう、実施している入国審査。
 セキュリティーゲートに仕込んだセンサー、それがミュウ因子の有無を検査する。
 陽性だったら、鳴り響くアラーム。
 該当者は直ちに隔離された上、収容所へ送られる決まりだけども…。
(…大人しく連行される者など、何処にもいるわけがない)
 幼い子供だったらともかく、成人している大人なら。
 ミュウが何かを知っているなら、誰であろうと抗うだろう。
 自分の命と、自由を守り抜くために。
 収容所に送られることも嫌なら、処分されることも御免だろうから。
(だが、結局は…)
 保安部隊に取り押さえられるか、今日も一件、起こったように…。
(サイオンを発動させた挙句に、その場で射殺…)
 そういう末路を辿るのが常。
 ミュウのキャリアはそれで全てが終わりだけれども、問題は周囲の一般人たち。
 ただ「宙港に居合わせただけ」で、惨劇を目撃することになる。
 一般市民として生きていたなら、一生、縁が無いものを。
 引き摺られてゆくミュウはともかく、包囲され、射殺されるミュウ。
 火を噴く銃器に、飛び散る血飛沫。
 倒れ、死んでゆく者の身体から溢れ出す血や、断末魔の苦悶の表情やら。


(……そういった記憶を持ったままでは……)
 人は精神の均衡を欠く。
 運悪く居合わせた子供でなくても、立派に成人した大人でも。
(PTSDというヤツだ……)
 精神的外傷、いわゆる心に負った傷。
 それが後々まで癒えないままで、様々なトラブルを引き起こす。
 何かのはずみにフラッシュバックし、いきなりパニックに陥るだとか、気を失うとか。
(そうでなくても、憶えていられては都合が悪いのだ……)
 我々の世界においてはな、と顎に当てた手。
 SD体制の社会の中では、一般市民は「何も知らない」者であるべき。
 社会を構成してゆくためには、その方が都合が良いのだから。
 機械が治める世界が抱える、不条理や矛盾といったもの。
 そうしたものには、気が付かないでいて貰わねば。
 社会を壊さないためには。
 滅びゆこうとしている母なる地球を、もう一度蘇らせるためには。
(…都合の悪い記憶は、処理をさせねば…)
 宙港で彼らが目にしてしまった、ミュウのキャリアが「殺される」場面。
 そんな凄惨な記憶は要らない。
 ミュウといえども「身体の構造」は人類と同じで、その血は赤い。
 射殺されたのがミュウであっても、目撃者が受ける衝撃は「人類が射殺された」時と全く同じ。
 だから記憶は「消さねばならない」。
 居合わせた者たちを一人残らず、チェックしておいて。
 彼らの行動を追跡し続け、タイミングを選んで「消去する」記憶。
 担当の技師が、手際よく。
 記憶を遡り、リサーチしながら「消すべきもの」を選び出して。
 該当するものを全て消したら、別の記憶を流し込む。
 「宙港では、何も無かった」と。
 いつも通りに行き交う人々、そういう類の偽の記憶を与えてやる。
 後々、食い違うことが無いよう、記憶処理を受けた者、全員に。


 報告書には、そのことも付記されていた。
 記憶処理が必要な者が何人いるのか、いつまでに処理を終える予定か。
(……こうやってミュウが増えていったら……)
 そのシステムにも、改革が必要になるだろう。
 記憶の処理を続ける技師たち、彼らも「人」には違いない。
 他の誰かの記憶を消したり、また植え付けたりしてゆく作業は、システムに疑いを抱かせる。
 作業をしている自分たちの方も、「同じ目に遭っている」のでは、と。
 都合の悪い記憶は消されて、別の記憶と置き換えられて「今」があるのでは、と。
(…そして実際、その通りなのだ…)
 成人検査での記憶の消去に始まり、ありとあらゆる場面で操作をされるのが「記憶」。
 軍人のような特殊なケースを除けば、殆どの者が経験すること。
 それを「経験した」ことさえも、知らないままに。
 自分の記憶は「本物」なのだと、信じ込んで生きているのが人類。
 実の所は、消されて継ぎはぎだらけなのに。
 あちこちに穴が開いているのを、機械が作った偽の記憶が埋めているのに。
(……初めて見たのは、ステーションだった……)
 E-1077だった、と今も鮮明に思い出せる。
 ミュウのキャリアだった「シロエ」のことを、ステーション中の生徒が「忘れた」。
 誰に尋ねても「知りませんけど」だとか、「そんな子、いてましたっけ?」といった具合に。
(…まるで私の方が「おかしい」かのように…)
 皆が不審そうに見るものだから、あの時は心底、恐ろしかった。
 サムが「ジョミーを忘れた」時には、まだ、それほどでもなかったのに。
 「マザー・イライザの仕業なのだ」と憎みはしても、背筋が凍るほどまでは…。
(いかなかったし、そんなものだと…)
 システムに理解を示しもした。
 「仕方ないのだ」と、SD体制の仕組みを思い返して。
 けれども、シロエの時は違った。
 「自分一人だけが」彼を忘れていなかったから。
 しかも「忘れずに済んだ」シロエを、「処分させられた」のが自分だから。


(……あの時の私と同じように……)
 記憶処理を続けている技師たちも、疑念を抱いて、いずれ裏切るかもしれない。
 消すべき記憶を消さずにおいて、SD体制の根幹を揺るがせることも…。
(無いとは言えんし、彼らの記憶の処理の回数を…)
 今の既定の数より増やして、作業内容を早めに書き換えるべき。
 「蟻の穴から堤が崩れる」の言葉通りに、システムが崩れたら大変だから。
 これ以上、ミュウが増えるようなら、もう明日にでも…。
(パルテノンに進言するか、グランド・マザーに提案するか…)
 どちらが良いか、と考え始めて、ゾクリとした。
 記憶の処理が「当たり前」ならば、「自分の記憶」はどうなのだろう。
 一度も消されたことが無いから、疑いさえもしなかった。
 「私は、特別な存在なのだ」と。
 機械が無から作った生命、ゆえに機械も手出しはしない、と。
(だが、誰が……)
 そうだと保証してくれたのだ、と冷えてゆく背中。
 「自分は特別な存在なのだ」と考えることも、あるいは機械が…。
(…都合の悪い記憶を消させて、そういう思考を持つように…)
 仕向けていないと、いったい誰が言えるだろうか。
 そう、「自分さえも」そう言えはしない。
 機械が作った生命ならば、思考も、持っている記憶の全ても…。
(……何もかも、機械の思いのままに……)
 操作されていても不思議ではないし、むしろ「その方が」自然だろう。
 記憶を消されて、植え付けられて、何もかもシステムに都合よく。
 いつか人類の指導者となるべく、理想の人間に仕立てられて。
(……まさかな……)
 まさか、と今は思うけれども、それさえも「忘れる」かもしれない。
 「キース」は「作られた生命」だから。
 機械が無から作った命は、機械が好きに弄った所で、神さえも文句は言わないから…。

 

         処理される記憶・了

※SD体制では当たり前なのが「記憶の処理」。原作はもちろん、アニテラの世界でも。
 キースは無縁なわけですけれども、その特別っぷりを考えていたら、こんな話に…。











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