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鳥のいない場所

(鳥でもいいな…)
 ネバーランドへ飛んでいけるんなら、とシロエの頭に浮かんだこと。
 E-1077の夜の個室で、ピーターパンの本を手にして。
 眠る前のひと時、ベッドに腰掛け、それを読もうと膝に乗せていて。
 表紙に描かれた、夜の空を飛ぶピーターパンやウェンディたち。
 彼らの背には翼は無いのだけれども、ネバーランドへと翔けてゆく。
 夜の街を遥かな下に見下ろし、高い夜空を。
 まるで体重など無いもののように、重力からは切り離されて。
(ぼくは、こんな風には飛べないけれど……)
 無重力空間の訓練でならば、似たように宙に浮くことが出来る。
 宇宙空間に出た時だって。
(あのまま、飛んで行けたらいいのに…)
 遠い遠いネバーランドまで、と思うけれども、無理だろう。
 宇宙服などを着込んだ者には、行き着く資格が無いだろうから。
 ネバーランドに行きたいのならば、生身で行かねば駄目だろうから。
(二つ目の角を右に曲がって、後は朝まで、ずうっと真っ直ぐ……)
 そうやって歩いて行けば着くのが、子供が子供でいられる国。
 ネバーランドという素敵な場所。
 宇宙服を着て歩いてゆくのは、どう考えても難しい。
 重たい上に不格好だし、なにより、ネバーランドに「無い」モノ。
 宇宙服ではなく、海賊船に乗ってゆくなら、扉は開きそうだけれども。
 ただし、今の時代の船とは違って、海をゆく船。
 そういう船なら、海賊フックも乗っていたから、ネバーランドにも行けるだろうに。
(……宇宙服なんかは、お断り……)
 きっとそうだ、という気がするから、鳥の方へと思考が向いた。
 鳥の翼で飛んでゆくなら、ネバーランドは迎えてくれる。
 人間の子供とは違っていたって、鳥は「自然なもの」だから。
 ネバーランドの森に住むなら、喜んで受け入れてくれる筈。
 ピーターパンたちが暮らす近くに、いくらでも木を用意してくれて。


 鳥でもいいな、と空を飛ぶ自分を頭に描く。
 小さな翼で羽ばたいてゆけば、ネバーランドが見えてくるのに違いない。
 二つ目の角を右へ曲がって、後は朝まで、ずうっと真っ直ぐ。
 ピーターパンの本に書かれた通りに、夜の空を飛んで行ったなら。
 朝の光が差す方角へと、せっせと夜通し、翔けて行ったら。
(鳥は夜には空を飛ばない、って言うけれど…)
 夜目が利かない鳥の瞳は、夜空を飛ぶには向かないという。
 けれども、遥かな昔の地球には、夜も飛んでゆく鳥たちがいた。
 普段は昼間は飛びはしないのに、ある時期にだけ。
(……渡り鳥……)
 鳥の身体には広すぎる海を、渡り鳥たちは越えて旅をした。
 どんな仕組みになっていたのか、夜になっても眠らずに。
 眠れば海に落ちてしまうから、休むことなく飛び続けて。
(だから、ぼくだって、頑張ったなら……)
 渡り鳥ではなくて普通の鳥でも、ネバーランドまで辿り着けるだろう。
 ピーターパンが住んでいる夢の国まで。
 子供が子供でいられる場所まで、鳥の翼で。
 無事に着けたら、もう辛いことは何も無くなる。
 悲しいことも消えてしまって、本当の自由が手に入る場所。
(……パパやママには、会えなくなってしまうけど……)
 それは今でも同じだしね、と零す溜息。
 大好きだった両親の顔さえ、今では思い出せないから。
 一緒に暮らした家の場所さえ、記憶には何も残っていなくて。
(…こんな目に遭っているよりは…)
 鳥がいいな、と心から思う。
 小さな翼で羽ばたいて飛んで、ネバーランドへ行けるのならば。


(……鳥が見たいな)
 自分は空を飛べないけれども、飛べる鳥たち。
 宇宙服など身に着けなくても、無重力にした場所でなくても。
 彼らは自由に空を舞うから、飛んでゆく姿を見てみたい。
 思えば、長く見ていないから。
 このステーションへと連れて来られてから、ただの一度も。
(…エネルゲイアでも、鳥は見られたんだよ)
 自然が豊かとは、とても言えない育英都市がエネルゲイア。
 技術者を育てる場所だっただけに、立ち並んでいた高層ビル群。
 それでも、鳥たちは飛んでいた。
 けして多いとは言えない緑地や、公園などをねぐらにして。
 ふとした折に空を見上げたら、小さな姿が見えたもの。
 宇宙船やら飛行艇とは違う姿が、高い高い空を飛んでゆくのを。
 懸命に翼を動かす鳥やら、気流に乗って舞う鳥やらを。
(あんな風に、空を飛んでゆく鳥……)
 見に行きたいな、と瞬きをして、そこで気付いた。
 その鳥たちは「いない」のだ、と。
 長い間、目にしていない理由は、それだったことに。
(……このステーションには、鳥は一羽も……)
 いないんだった、と愕然とする。
 大きな広い中庭があるから、「いるような気がしていた」だけで。
 公園と呼んでもいいくらいに広い、E-1077の立派な中庭。
 木があって花も咲いているから、見た目は「地上」と変わらない。
 きちんと調整された照明、それが作り出す昼と夜。
 朝には夜明けに似せて明るさが増し、夕方は逆に暗くなってゆく。
 だから起こした勘違い。
 中庭は「地上」の「外」と同じで、見上げれば鳥がいるのだと。
 気に留めなければ分からないだけで、小さな翼で遥か上を、いつも飛んでいる鳥。
 そんな具合に思っていた。
 鳥など一羽も飼われていなくて、振り仰いでも、目には入らないのに。


 鳥さえもいないステーション。
 広い中庭を設けたのなら、飼えばいいのに。
 他の小動物とは違って、それほどに手はかからないのに。
(餌場と水場を作っておいたら…)
 鳥たちは自分で餌を摂るのだし、ねぐらになる木は何本もある。
 自分で巣をかけ、雛を育てて、代替わりだって、自然にしてゆく。
(もしも増えすぎて困るんだったら、卵を奪って…)
 調節すればいいだけのことで、犬や猫よりも楽に飼えるに違いない。
 ペットにしたがる者が出て来て、喧嘩になりもしないだろう。
 何の変哲もない鳥だったら、みんな「見ているだけ」だろうから。
 自分が気付かなかったみたいに、「いる」のが、ごくごく当たり前になって。
(…気付かなければ、いてもいなくても…)
 さほど変わりはないのが生き物、小鳥くらいは飼っておくべき。
 情操教育とは言わないけれども、きっと時には癒しになる。
 たまには餌を撒く者がいたり、観察する者もいるかもしれない。
(そろそろ雛が孵りそうだ、って…)
 心待ちに見に通う者やら、記録をつけてゆく者やら。
 それを思えば、鳥というのは「いた」方がいい。
 ステーションでの話題も増えるし、中庭だって賑やかになる。
 なのにどうして、鳥は飼われていないのだろう。
 本当に手間はかからないから、一種類でも飼っておけばいい。
 そうして鳥を飼ってくれていれば、自分も鳥を見に行けるのに。
 「鳥が見たいな」と思った時に。
 今日まで思いはしなかったけれど、飛んでゆく姿を眺めたい時に。
(中庭が、いくら広くても……)
 地上の公園には及ばないから、さほど高くはない天井。
 それでも鳥は充分に飛べる。
 動物園のケージと比べてみれば、もっと広くて大きな空間。
 鳥の家族の五つや六つは、楽に飼えそうな場所なのに。


(……まさか、飼わない理由があるとか……?)
 どうなのだろう、と機械の思考を想像してみる。
 このステーションを支配している、巨大コンピューター、マザー・イライザ。
 彼女の立場で考えてみたら、何か不都合でもあるのだろうか、と。
 候補生たちの癒しになりそうな鳥は、致命的な欠点を抱えているだろうか…、と。
(…癒しは必要なものだから…)
 鳥を飼えば得になりそうだけれど、それを打ち消すほどの欠点。
 そういう何か…、と考える内に、思い出した「鳥を見たい」と感じた理由。
(……鳥は自由に空を舞うから……)
 久しぶりに見たくなったのだった。
 人工重力にも縛られないで、自由に羽ばたいてゆく姿を。
 思いのままに空を舞う鳥、空ではなくて中庭の上の空間でも。
(…鳥を見ていたら、自由に憧れ始めるから…)
 機械には都合が悪いのだろう。
 なにしろ、此処は「牧場」だから。
 ついでに機械が作った檻で、「社会という檻」に押し込むための訓練場。
 其処で「自由」を目にされたならば、たちまち修正が必要になる。
 自由に焦がれて「羽ばたきたい」と思う気持ちを、消してゆかねばならないから。
 成人検査で記憶を奪って操作したように、此処でも、同じに。
(……きっと、そうだ……)
 そのせいで鳥は飼わないんだ、と背筋がゾクリと冷えてゆく。
 ただでも苦痛なこの牢獄は、思った以上に酷いようだから。
 飛んでゆく鳥さえ見られないほど、不自然すぎる世界だから。


(……鳥が見たくても、見られないなんて……)
 その酷さに誰が気付くだろうか、と思うけれども、気付く者などいないだろう。
 皆、従順な羊だから。
 「鳥がいない」と思ったとしても、その理由までは考えない。
 ただ「いないのだ」と納得して。
 「ステーションだし、仕方ないな」と、機械に都合よく解釈して。
(……きっと、ぼくだけ……)
 鳥がいないことを酷く思うのも、「鳥が見たい」と思い付くのも。
 此処では決して手に入らない、「自由」というものに焦がれるのも。
 なんて酷い、と涙が零れるけれども、この檻からは逃れられない。
 鳥の翼は、持たないから。
 ピーターパンが迎えに来ない限りは、空を飛んではゆけないから…。

 

           鳥のいない場所・了

※E-1077の中庭、けっこう立派だったんですけど…。そこから生まれたお話です。
 ステーションで鳥は飼われてなくても、当たり前。そう考えるのが普通ですよね?









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