(テラズ・ナンバー・ファイブ……)
許すもんか、とシロエが強く噛んだ唇。
E-1077の夜の個室で、ただ一人きりで。
このステーションを支配している、マザー・イライザも憎いけれども…。
(一番憎いのは、成人検査だ)
あれが全てを奪っていった、とハッキリと分かる。
懐かしい故郷で過ごした記憶も、両親のことも、何もかも、全部。
すっかりおぼろになってしまった、エネルゲイアにいた頃の「自分」。
本当に「其処にいた」のかどうかも、たまに自信が無くなるほどに。
もしも、奇跡のように持って来られた、ピーターパンの本が無かったならば…。
(……とっくに諦めていたのかも……)
薄れてゆく記憶を繋ぎ止めようと努力することも、過去の欠片を探し求めることも。
「何もかも、思い違いなのかも」と、機械の言い分を信じてしまって。
子供時代の記憶は「不要なもの」だと、頭から思い込んでしまって。
(…このステーションにいる、候補生たちは…)
誰一人として、システムを疑ってはいない。
成人検査を受けたことさえ、彼らにとっては「誇らしいこと」。
何故なら、「選ばれて」此処に来たから。
エリートを育てる最高学府の、ステーションE-1077に。
(……その点だけは、感謝しているけどね……)
機械の目は節穴じゃなかったよね、と自分も幸運に思ってはいる。
幼かった日に父に教わった、「地球」という星。
ネバーランドよりも素敵な所で、選ばれた人間だけしか行けない。
そう聞かされたから、続けた努力。
成人検査で「優秀な子」だと、認められるよう。
地球に行くのに相応しい子だと、エリートコースに乗れるようにと。
その結果として見事に選ばれ、此処にいるから、希望も持てる。
「いつかシステムを破壊してやる」と、「地球の頂点に立てた時には」と。
順調にエリートの道を歩めば、いずれ開ける地球への道。
どんな所かは知らないけれども、其処に着いたら、更に上を目指す。
今は空位の、国家主席の座に就けるよう。
頂点にさえ立ってしまえば、機械に命令することも出来る。
「奪った、ぼくの記憶を返せ」と。
そして記憶を取り戻せたなら、成人検査を廃止する。
二度と「自分のような子」が生まれないよう、あの忌まわしいシステムを。
機械が統治している世界も、機械に命じて「終わり」にさせる。
「止まれ」と、一言、命令して。
人が生きるのに必要な分だけ、機械は人に貢献するべき。
統治するのではなく、「人に従う」べき機械。
遠く遥かな昔の時代は、「そう」だったから。
地球が滅びてしまったばかりに、全てが狂ってしまっただけで。
(……こんなシステム、間違っている……)
そこに気付いた「自分」がエリートコースにいること、それが「幸運」。
「マザー牧場の羊」に過ぎない、他の候補生では何も出来ない。
もちろん、「機械の申し子」と呼ばれる、トップエリートのキースにだって。
彼らは機械を疑わないから、疑問を抱くことさえも無い。
それでは「歪み」に気付きはしないし、システムを破壊しようともしない。
大人しく機械に従うだけで、機械の言いなりになってゆくだけ。
(そんな奴らは、何の役にも立たないんだから…)
自分が努力しなければ、と改めて思う。
成人検査が憎いのならば、失くした記憶を「取り戻したい」と思うなら。
システムを全て破壊し尽くし、テラズ・ナンバー・ファイブを壊したいなら。
(……いずれ、あいつも後悔するさ)
ぼくをエリートコースに送ったことを、と憎い機械を脳裏に描く。
その時、テラズ・ナンバー・ファイブは、いったい何を思うだろうか。
国家主席になった「セキ・レイ・シロエ」が、「止まれ」と命を下した時に。
「あの時の子だ」と気付くのかどうか、それともデータを検索するのか。
(……機械だからね……)
後悔などは無いかもしれない、「感情」などは機械は持たない。
激し、怒ったように見えてはいても、それは「プログラム」の仕業。
マザー・イライザの猫撫で声も、優しげな慈母の表情も、全てプログラムされたもの。
SD体制が始まる前に、「マザー・イライザ」を作った人間たちが、それを組んだだけ。
「こういう時には、こうするように」と、根幹を成すプログラムを。
後は機械が自分で思考し、「やりやすいように」発展させていっただけ。
そのための「思考」も、元はプログラムに過ぎない。
どれほど感情豊かに見えても、所詮、機械は「機械」でしかない。
(…国家主席が、「あの時の子供だ」と分かっても…)
きっと後悔しないのだろう、その場で激しく憎みはしても。
「システムに異を唱えるだとは」と絶叫したって、「後悔」はしない。
そう、「シロエをパスさせるべきではなかった」などとは、考えもしない。
「パスさせた」自分の過去の判断、それを「誤り」だと認めはしても。
(……機械なんかには、それが限界……)
後悔さえもしない機械が、「感情を持った人間」を支配している、歪んだ世界。
一刻も早く、微塵に破壊しなければ。
エリートコースを懸命に走って、地球に辿り着いて。
国家主席の座に昇り詰めて、命令出来る立場になって。
(本当に、幸運だったけど…)
エリートコースに来られたことは、と考えた所で、ハタと気付いた。
成人検査を無事にパスして、E-1077に来たから、知っていること。
子供の頃には学ばなかった、成人検査の裏の真実。
(……全員がパスするわけじゃない……)
おぼろになった記憶の中では、同級生たちが「その日」を待ちわびていた。
「目覚めの日」と呼ばれる、十四歳の誕生日を。
その日が来たなら、大人の世界に一歩近づく。
両親たちとは別れるけれども、じきに自分も「大人」になれる。
大人の世界に行くための勉強、それをステーションに行って学んで。
能力別のコースだけれども、運が良ければ、メンバーズにだって、なれる将来。
(…エリートコースに行けるかどうかは、みんな話していたけれど…)
選ばれなかった時の話も、それぞれに想像してはいた。
「俺なんか、きっと一般市民にしかなれないよ」とか、いった具合に。
けれど、一度も耳にしてはいない、「落ちた」時のこと。
成人検査にパスしなかったら、どうなるのか。
(……そんなこと、誰も考えなかった……)
誰も教えはしないから。
「目覚めの日」は人生の節目の一つ、と自分だって、そう信じていた。
まさか記憶を消されるなどとは、思わずに。
「そのままの自分」で、ステーションへと旅立てるのだと、疑いもせずに。
そうしてE-1077に入ったからこそ、「落ちる子もいる」と、知っている今。
(…殆どの子供は通過するけど、3パーセントは…)
成人検査をパス出来ない。
パス出来なかった子供を待っている道は、発狂するか…。
(……処分……)
処分というのが何を指すのか、そこまで教わってはいない。
とはいえ、機械が統治している世界の中では、「処分」となれば…。
(……文字通り、処分されるんだ……!)
生きてゆくには相応しくない、と、何らかの形で奪われる命。
そうでないなら、「発狂するか、処分されるか」という表現は使われないだろう。
発狂した子は、恐らく、「何処かで」生きてゆく。
大人の世界には行けないけれども、不幸な「彼ら」のために用意された場所で。
(だけど、処分っていう方の子は……)
問答無用で射殺されるか、薬物かガスでも用いるものか。
いずれにしたって、「存在する」ことは、もうシステムが許さない。
「彼ら」は殺され、この世界から抹殺される。
友人たちの記憶からさえ、抹消されるのかもしれない。
「そんな子供は、いなかった」と。
最初から存在しなかったのだと、養父母たちの記憶までをも消して。
(……そうだとしたら……)
自分もそうなっていたかもしれない、という気がする。
機械にとっては危険な思考を、自分は「持っている」のだから。
「いつかシステムを壊してやる」とか、「機械を止めてやるんだ」だとか。
(…もしかしたら、ぼくも処分されていた…?)
そうなのかも、と思うと怖いけれども、その方が幸せだっただろうか。
子供時代の記憶を失くして、こんな所にいるよりは。
ピーターパンの本を抱き締め、帰れない故郷や両親を想い続けるよりは。
(……どうして、ぼくをパスさせたんだ……!)
いっそ殺された方が良かった、と激しい怒りがこみ上げてくる。
エリートを目指す長い道よりは、その方が辛くない筈だから。
何も失くさずに殺される方が、今よりは幸せだろうから。
いくら「シロエ」には、未来があろうと。
長い長い道を歩き続けた果てには、国家主席の座があろうとも…。
処分される道・了
※本当だったら成人検査をパスできないのが、シロエという人物。アニテラでも原作でも。
パスしなかったらどうだったかな、と考えた所から生まれたお話。落ちる確率は原作から。