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(…ぼくの本…)
 ぼくだけの大切な宝物、とシロエはピーターパンの本を眺める。
 Eー1077の夜の個室で、勉強を終えた後の時間を、何度こうして過ごしたろうか。
 故郷の星から、たった一つだけ、持ち出すことが出来たのが、この本だった。
 幼かった日に両親がくれた、一番のお気に入りの本。
(いい子にしてれば、ピーターパンが迎えに来てくれて…)
 ネバーランドへ連れて行ってくれる、と信じて、ずっと待ち続けた。
 そのための準備もしていたけれども、ある日、父から「地球」のことを聞いた。
 ネバーランドよりも素敵な場所が、地球だという。
 父は笑顔で、こう言った。
 「シロエなら、行けるかもしれないな」と、期待と励ましを乗せた声音で。
(だから、行こう、って…)
 地球を夢見ていたというのに、今の有様はどうだろう。
 素敵な場所だと聞かされた「地球」は、どうやら、そうではなかったらしい。
(…本当に素敵な所だったら、其処へ行くために、あんな成人検査なんかは…)
 きっと必要無いと思う、と今も悔しくて堪らない。
 SD体制のシステムと機械に騙され、こんな牢獄へ連れて来られてしまった。
 故郷のエネルゲイアは遠くて、両親の家にも帰れはしない。
 その上、子供時代の記憶も消されて、何もかも、おぼろげになっている。
 両親の顔さえ、あちこちが欠けて、瞳の色すら分からないほどに。
(…なんで、騙されちゃったんだろう…)
 うかうかと成人検査なんかを受けたんだろう、と悔やんでも過去に戻れはしない。
 消された記憶を取り戻すには、先へ進んでゆくしかない。
 機械に命令される代わりに、命令出来る立場になれる時まで。
 二百年も誰も選ばれていない、国家主席に昇り詰めるまで。
(…その時が来るまで、ぼくの友達は…)
 この本だけだよ、とピーターパンの本の表紙を撫でた。
 誰も信用出来ない世界で、心の拠り所になってくれるのは、この本だけ。
 逆に言うなら、この本さえあれば、何処までも進んでゆけるだろう。
 茨の道でも、地獄だとしか思えないほどに辛い道でも。


 ピーターパンの本と一緒なら、どんな時でも頑張れる。
 Eー1077に連れて来られてから、この本に何度も力を貰った。
 ページをめくって、本を抱き締めて、「負けやしない」と自分を励まして。
 「パパとママの所へ帰るんだから」と、「この本を持って、「ただいま」って」と。
(…この本を持って来られて良かった…)
 ホントに良かった、と心の底から湧き上がって来る懐かしさ。
 記憶がおぼろになってしまっても、この本が「過去」と繋いでくれる。
 両親と暮らした温かな家は、確かに存在したのだと。
 本を贈ってくれた両親だって、けして幻ではなかったのだ、と。
(これが無かったら、今頃は…)
 とうに挫けて、他の大勢の候補生たちと同じに、「羊」になっていたかもしれない。
 SD体制とシステムに忠実な、マザー牧場の羊たち。
 彼らのように「過去」を忘れて、両親も家も「ただの思い出」になっただろうか。
 機械は「そうなるように」仕向けてくるし、そのように導く代物だから。
(繋ぎ止めてくれるモノが、何も無ければ…)
 「シロエ」も機械に負けてしまって、「忘れた」可能性はある。
 ただ「懐かしい」というだけだったら、記憶が薄れて消えてゆくのに抵抗は無い。
 過去というのは「そうしたもの」だし、いつしか忘れて、時の彼方に流れ去るもの。
(子供時代の記憶だったら、ぼくも必死になるけれど…)
 Eー1077に来てから起こったことなど、別に「どうでもかまわない」。
 勉強の中身は忘れなくても、日々の会話や出来事なんかは、いちいち覚えていられない。
(忘れてしまって、思い出せないことなんて…)
 数え切れないほどあると思うし、他の候補生たちにとっては、子供時代も「そう」だろう。
 「思い出せなくても、困らないもの」で、「気にしないもの」。
 だから「シロエ」も、ピーターパンの本が無ければ、彼らのようになりかねない。
 二度と戻れない「過去」の欠片が、この手の中に無かったならば。


 ピーターパンの本があって良かった、と「あの日」の自分に感謝する。
 「成人検査の日は、何も持って行ってはいけない」という規則を破った、あの日の自分。
 どうしても本を持って行きたくて、それだけを持って家を出た。
 「検査の邪魔になると言うなら、その時は、置けばいいんだから」と考えて。
 「そしたら、検査が終わった後に、係が返してくれると思う」と。
(…だけど、係なんかは何処にもいなくて…)
 忌まわしいテラズ・ナンバー・ファイブが「セキ・レイ・シロエ」を待ち受けていた。
 子供時代の記憶を消去し、大人の社会へ送り出すために。
 「忘れなさい」と心に強い圧力をかけて、記憶を捨てろと命じた機械。
 抗い切れずに「過去」を奪われてしまったけれども、ピーターパンの本は残った。
 Eー1077へと向かう宇宙船の中で、正気に戻った時に「持っている」ことに気付いた。
 何もかも奪われ、失った中で、一つだけ残った宝物。
 こうして今も「この部屋」に在って、この先も、ずっと離れない。
 メンバーズ・エリートの一人に選ばれ、任務で宇宙を駆けてゆく時も。
 戦場に赴くような時でも、この本だけは持ってゆく。
 荷物の底か何処かに隠して、一人乗りの宇宙船の中でも、きっと、必ず。
(だって、選ばれたんだから…)
 ぼくは選ばれた子供なんだから、と誇らしい気持ちに包まれる。
 「過去を奪われた」ことを忘れない、特別な「選ばれた子供」が「シロエ」。
 いつか機械に「止まれ」と命じて、SD体制を破壊するよう、使命を託されているのだ、と。
(だから、ぼくだけが…)
 過去の欠片を持っているんだ、とピーターパンの本を見詰める。
 こうして「大切な本を持って来られた」ことこそ、「選ばれた子供」だという証。
 過去と今とを繋ぐ絆を失くさず、何があっても「過去を忘れない」ようになっている。
 他の子供は、何も持ってはいないのに。
 規則を守って「何も持たずに」家を出たから、他の者たちは「過去にこだわらない」。
 繋ぎ止めてくれる「もの」が無いから、「まあ、いいや」と時の流れに任せて流されて。
 子供時代の記憶がおぼろになっても、「そんなものだ」と納得して。


 けれど、「セキ・レイ・シロエ」は「違う」。
 選ばれた子供の証を手にして、遥か未来を目指して進む。
 メンバーズになって、いずれは国家主席の座に就き、SD体制を終わらせるために。
 「子供が子供でいられる世界」を、もう一度、「ヒト」が手に出来るように。
(…ぼくを選んだのは、ピーターパンか、神様なのか…)
 どちらなのかは知らないけれども、選ばれたことが誇りで励み。
 辛い道のりでも、ピーターパンの本と一緒に乗り越えてゆく。
 「この本を持って来られた」ことが「選ばれた証」なのだから。
 ピーターパンの本さえあったら、いくらでも頑張ってゆける筈だし、何だって出来る。
 必要とあらば、憎い機械に「服従している」ふりだって。
(今はまだ、そこまでしなくても済んでいるけれど…)
 メンバーズになったら、そうはいかなくなるな、と分かってはいる。
 堂々と反抗していられるのは、候補生の間だけなのだ、と。
(でも、機械くらい…)
 ちゃんと騙して、上手くやるさ、と思ったはずみに、不意に掠めていった考え。
 「本当に…?」と。
 本当に上手く機械を騙して、国家主席の座までゆけるだろうか、と。
(…成人検査の時と違って、機械ってヤツのやり方は…)
 もう読めてるし、と自信は充分あるのだけれども、恐ろしいことに気が付いた。
 確かに自分は「選ばれた子供」で、「特別な存在」なのだと思う。
 ピーターパンの本を「持って来られた」ことが証で、そんな者は他にいないけれども…。
(…ぼくを選んだのが、機械だったら…?)
 神様でも、ピーターパンでもなくて…、と背筋がゾクリと冷たくなった。
 考えたことさえ一度も無かった、「機械に選ばれた」可能性。
(……ゼロじゃないんだ……)
 そっちなのかもしれないんだ、と身体が俄かに震え出す。
 もしも「機械に選ばれた」のなら、「本を持って来られた」ことは当たり前。
 これは機械がしている実験、「過去を忘れない」子供の成長ぶりを調べて、データを取る。
 そうする理由は、例えば「成人検査の改革」。
 この先も、従来通りでいいのか、改革するなら、どうすべきか、などと。


(……まさかね……)
 まさか、そんな恐ろしい実験なんて、と自分を叱咤してみても、身体の震えは止まらない。
 何故なら、それは「有り得る」から。
 機械が最初から「そういうつもりで」いたのだったら、格好の獲物だったろう。
 「そうするように」と仕向けなくても、自ら進んで「過去の欠片」を持ち込んだ子供。
(…丁度いい、って…)
 わざと見逃し、ピーターパンの本と一緒に、Eー1077へ送り込んだのかもしれない。
 今も密かに監視しながら、データを集めているのだったら…。
(…ぼくの心も、考え方も、全てお見通しで…)
 何処まで持ち堪えることが出来るか、機械は実験を続けてゆく。
 「セキ・レイ・シロエ」が「過去を手放す」か、「堪え切れずに壊れる」日まで。
 ピーターパンの本を持たせたままで、「過去の欠片」をどうするのかを見定めながら。
(そうだとしたなら、ぼくの未来は…)
 真っ暗でしかないんだれど、と足元が崩れ落ちてゆくよう。
 過去を手放して「皆と同じに生きてゆく」か、「狂う」かの実験ならば、未来は無いも同然。
 どちらに行っても、今の「シロエ」の望みとは…。
(違いすぎるし、どっちも嫌だよ…!)
 そんな実験なんかは御免だ、と震え続ける身体を抱き締め、心の中で繰り返す。
 「違うよ、ぼくは選ばれたんだ」と。
 「ぼくを選んだのは、きっと神様かピーターパンで、機械なんかじゃないんだから」と…。



             本がある理由・了


※キースを立派に育て上げるために「機械が選んだ」のが、シロエだったんですけど。
 「機械に選ばれた」可能性について、シロエの側から考えてみたのが、このお話。








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(シロエ…。お前は、今、幸せか?)
 死んで自由になれたのだから、とキースは心で呼び掛けてみる。
 国家騎士団総司令に与えられた個室で、マツカが淹れていったコーヒーを手に。
 とうに夜更けになっているから、部下たちもマツカも、此処にはいない。
 昔の友を思い出すには、丁度いい時間と言えるだろうか。
(もっとも、私とシロエとは…)
 友とは言えなかったのだがな、と思うけれども、シロエは友に成り得たと思う。
 あれだけの頭脳の持ち主だったし、出会いが違えば、きっと良き友になったろう。
 最初はライバル同士であっても、いつの間にやら、色々と語らうようになって。
 「キース」の生まれが何であろうと、「シロエ」なら受け入れてくれた気がする。
(…私の秘密を自ら暴いて、人形だと挑発してくる代わりに…)
 同情さえもしてくれたのでは、と何度思ったことだろう。
 「シロエならば」と、「シロエが此処にいてくれたら」と。
(…今の私にも、友は確かにいるのだが…)
 彼の心は此処には無い、と頭に浮かぶのはサムのこと。
 サムは確かに昔からの友で、今も友だと思ってはいても、それは一方的なものに過ぎない。
 サムが見ている「キース」の姿は、「赤のおじちゃん」。
 子供に戻ったサムとは別の、大人の世界に住んでいる者で、サムはキースに懐いているだけ。
(…父親も母親も、サムを迎えに来てくれないから…)
 サムは親切にしてくれる「キース」を受け入れ、「赤のおじちゃん」と笑顔を見せる。
 見舞いに行く度、サムが語るのは、いる筈もない両親との間にあった出来事。
 「パパが勉強しろってうるさいんだ」だとか、「ママのオムレツは美味しいよ」とか。
(…サムの話を聞かされる内に…)
 ようやく、かつての「シロエ」の気持ちが分かって来た。
 シロエは何を失ったのか、何を求めてシステムに抗い続けたのか。
(…サムが語ってくれる、両親と過ごした時間のことなど…)
 キース自身は、何も知らない。
 マザー・イライザに無から作られ、水槽の中で育てられたから。
 養父母を持たずに成長して来て、成人検査も受けてはいない生命だから。


 シロエが成人検査で機械に奪われ、取り戻せないままに終わった記憶。
 それを求めて、彼は宇宙に飛び立って行った。
 ピーターパンの本だけを抱えて、武装していない練習艇に乗り込んで。
(…それを撃墜したのが、私で…)
 シロエの命に終止符を打ってしまったけれども、彼は幸せになれただろうか。
 機械の支配から自由になって、失くした記憶を取り戻して。
 生身のままでは帰ることなど叶いはしない、懐かしい故郷へ、家へ帰って。
(…きっと、そうだな…)
 彼ならそうだ、と考えることで、救われているのは「自分」だろう。
 「シロエは自由になれたのだから」と、「死んで自由を手に入れたのだ」と信じることで。
(…私は今でも、ずっと後悔し続けていて…)
 あの時、シロエを「殺した」罪を忘れた日などは一度も無い。
 撃墜して直ぐ、Eー1077に戻る時から、もう後悔は始まっていた。
 「本当に、他に取るべき道は無かったのか」と、「シロエを行かせてやれば良かった」と。
 シロエが練習艇で目指した先は、座標さえも分からなかった「地球」。
 当時、メンバーズに選ばれたばかりの「キース」も、地球の座標は知らなかったのだから…。
(シロエの船を見逃していても、どうせ地球には…)
 辿り着けなどしなかったのだし、燃料切れで「旅」は終わっていたろう。
 燃料が尽きれば、船の酸素も、宇宙の寒さなどから守る設備も、全て無くなる。
 シロエは宇宙の藻屑となって、永遠に漂い続けるだけ。
 その魂は身体を抜け出し、地球へ、故郷へと飛んでゆくかもしれないけれど。
(…そうしていたなら、私は後悔することもなく…)
 シロエも宇宙で死んではいなくて、今でも生きていたかもしれない。
 人類ではなく、敵に回って、ミュウどもの船に乗り込んで。
 彼の優秀な頭脳をフルに使って、彼らのブレーンとなり、指揮を執って。
(シロエの船を撃墜した時…)
 ミュウたちの母船、モビー・ディックが「近くにいた」ことを、後になって知った。
 シロエをあのまま行かせていたなら、ミュウたちが助けた可能性が高い。
 仲間の危機には敏感なのだし、きっと「シロエ」を見付けただろう。
 燃料が尽きる寸前の船で、漂流している意識不明の「仲間」を。
 シロエが彼らに呼び掛けなくとも、「何処かに仲間がいる」と気付いて。


(あの時、モビー・ディックが近くに来ていたことを…)
 知った時の衝撃を忘れはしない。
 「どうしてシロエを行かせなかった」と、足元が崩れるような気がした。
 直後から後悔し始めるのなら、逃がしておけば良かったのに。
 何年も後悔し続けた後に、「シロエが助かる道はあった」と知るのだったら…。
(…シロエを行かせるべきだったのだ…)
 マザー・イライザに叱責されても、失点になっても、本当に逃がしてやれば良かった。
 どうせ「キース」は出世の道を歩んでゆくから、大したことにはなってはいない。
 結果として「シロエ」が敵に回っても、そうなった時は、その時のこと。
(好敵手が出来て良かった、とでも思っておくさ)
 ただのミュウども相手よりもな、とコーヒーのカップを指でカチンと弾く。
 ソルジャー・ブルーは手強かったけれど、彼は戦闘のプロではなかった。
 銃を向けられたら何も出来ない、躱すことさえ出来ない「素人」。
 ジョミー・マーキス・シンにしたって、同じだったと言えるだろう。
 けれど「シロエ」がいたならば、違う。
 途中で脱落したといえども、Eー1077で教育を受けた、メンバーズの卵なのだから。
 もしもミュウ因子を持っていなくて、普通のエリート候補生なら、彼もメンバーズだった筈。
 めきめきと頭角を現していって、「キース」を脅かすほどの力をつけて。
(そんなシロエが、ミュウの陣営に入ったならば…)
 間違いなく最高の軍師で指揮官、更に前線にも出て来ただろう。
 ミュウは何故だか、指導者自ら、前線に出る傾向があるようだから。
(私から見れば、無謀だとしか思えないのだが…)
 彼らには彼らの「やり方」があって、「シロエ」もそれを踏襲する。
 ミュウの船ではけして出来ない、エリートを養成するステーションでの「育ち」を活かして。
 メンバーズにもなれていただろう実力、並みのミュウでは持ち得ない戦闘能力を。
(…タイプ・ブルーなどではなくも、「シロエ」は脅威でしかないのだが…)
 そういう「敵」を「生み出した」ことを、後悔などはしないと思う。
 シロエが人類に挑んで来るなら、こちらも受けて立つまでのこと。
 「出来るものなら、やってみろ」と、きっと不敵な笑みを浮かべて。
 「そう簡単に負けはしない」と、「絶対に、地球になど行かせるものか」と。


 なのに、そうなりはしなかった。
 シロエの命は宇宙に散って、「キース」は今も後悔だけを背負っている。
 事あるごとに、「どうしてシロエを逃がさなかった」と、あの日に取った道を悔やんで。
 別の道を選べば良かったのにと、今に至るまで、自問自答を繰り返して。
(…こんな思いをするくらいなら…)
 良心など要らなかったのに、と悔いを抱えて生きる自分を自嘲する。
 シロエのことを悔やみ続けて、後悔するのは「良心」の仕業というものだから。
 「良心」を持っていなかったならば、こうして悔やみ続けてはいない。
 自分は務めを果たしただけで、「シロエ」は処分するべきミュウで、ただの異分子。
 そう、やったことは「正しいこと」。
 SD体制の世界においては、誰もキースを責めたりはしない。
 むしろ「シロエ」を処分したことを称え、キースの手柄だと手放しで褒める。
 「まだ若いのに、よくぞやった」と、他の者が皆、倒れていた時の出撃だけに、余計に。
(…実際、私を、誰一人として…)
 責めはしなかったし、マザー・イライザも、教官たちも「満足だった」。
 「キース」の素晴らしい成長ぶりと、メンバーズに相応しい決断力を見られたのだから。
(…しかし私は、生涯、悔やみ続けるだけで…)
 誰にも心を明かせはしなくて、深い悲しみが募ってゆくだけ。
 「キース」を無から作ったのなら、「良心」などは持たないように作って欲しかった。
 淡々と任務をこなし続ける、機械人形のような人間に。
(…だが、そのように私を作ったならば…)
 人類の指導者になることは出来ない、欠陥品になると分かっている。
 良心を持たない冷酷な指導者がどうなったのかは、過去の歴史で立証済み。
 「そんなモノ」をマザー・イライザが作りはしないし、グランド・マザーも認めはしない。
 だからどれほど苦しかろうとも、悔やみ続ける心を隠して、これからも生きてゆくしかない。
 いつの日か、「それ」が膨らんだ末に、違う道を歩み始めようとも。
 今は全く悔やんではいない、ジルベスター・セブンのことやら、ソルジャー・ブルーを…。
(この手で撃ったことを悔やんで、ミュウどもの方に…)
 思いを寄せる時が来るのかもな、と感じるけれども、抗うことは出来ないだろう。
 良心を持った存在として、「キース・アニアン」は作られたから。
 その「良心」が今の「キース」を食い破ろうとも、後悔は微塵も無いだろうから…。



             悔やみ続ける心・了


※シロエに機械人形と言われたキースですけど、良心を持たないように作れば欠陥品。
 そのように作ってくれていれば、とキースが望んでも、叶わないこと。辛いですけどね…。








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(…な…に…?)
 これは何なんだ、とシロエは信じられない光景に目を見開いた。
 フロア001、進入禁止セクション。
 マザー・イライザの監視を潜り抜けた末に、ようやく此処へと辿り着いた。
 厳重な警備が施された部屋、其処で見付ける筈だった「モノ」は何処にも無い。
(…精密機械がズラリと並んだ、研究室っていうヤツで…)
 組み立てる途中の細かいパーツや、未完成の機械があると考えていた。
 その「機械」とは、まさに「こういう形」をした「モノ」で…。
(…とても精巧に出来た、アンドロイドで…)
 ヒトの形を模したロボット、ヒトのように思考までする機械仕掛けの人形たち。
 それがあるとばかり思っていたのに、まるで違った「モノ」たちがあった。
(アンドロイドを作るなら…)
 此処にあるような、胎児を作りはしないだろう。
 成長過程の半ばの幼児や、小さな子供も作りはしない。
(…そんな効率の悪いこと…)
 けして科学者は「やりはしない」し、作るのならば、完成体を目指す筈。
 成人のアンドロイドを作りたいのなら、最初から、その年恰好で。
 もう少し若い者がいいなら、その年齢に見える姿に。
(…キース・アニアンを作るんだったら…)
 このEー1077にいても「おかしくない」ものを何体か揃えていると思った。
 成人検査を終えたばかりの年頃のモノと、次の段階に入ったモノ。
(十四歳のキースと十五歳のキース、それに十六歳の分のキースは…)
 もう用済みになったろうから、此処にあっても「おかしくはない」。
 「今のキース」に電子頭脳を載せ替え、もう思考しなくなった「キースたち」。
 此処で見るのは、そうした「モノ」だと思い込んでいた。
 マザー・イライザの申し子のキース、彼が取り澄ました機械人形である証拠。
(…それを見付けて、キースに現実を叩き付けて…)
 プライドも機械仕掛けの心も、壊してやろうと目論んで、此処へやって来た。
 精密な機械であればあるほど、一度狂うと、暴走の果てに自滅するのを知っているから。


 それなのに、そんな「モノ」など無かった。
 代わりにズラリと並んでいるのは、何処から見ても「生き物」でしかない。
 とうの昔に「死んでいる」から、生きてはいないモノだけれども、これは「生物」。
 その生を終えた生き物たちの死骸で、いわゆる「標本」というモノだろう。
(…キースと、ぼくが知らない女と…)
 どうして、こんな標本が…、とシロエの背筋が冷えてゆく。
 機械だと信じて疑わなかった「キース・アニアン」は、「ヒト」だった。
 それも胎児から成長した「ヒト」、改造されたモノでさえない。
(…改造された人間だったら…)
 まだ想像も出来るけれど…、と「サイボーグ」という単語を思い出す。
 今の時代には存在しないけれども、臓器などを精巧な機械に置き換えている人間のこと。
 置き換えた機械の性能に応じて、並みの人間では有り得ない能力を持つという。
(キースが「ソレ」なら、まだ分かるのに…)
 アンドロイドではなく、サイボーグだと言うのだったら、まだしも理解の範疇ではある。
 マザー・イライザが「素質のある者」を選んで、改造したのが「キース・アニアン」。
 そのためのパーツが此処にあっても、さほど驚きはしなかったろう。
 「なんだ、機械と置き換えていただけだったのか」と、拍子抜けさえしたかもしれない。
 人間そっくりの機械などより、サイボーグの方が「作りやすい」から。
 成長過程を慎重に見極めながら改造を重ね、年を取らせるのも簡単だから。
(…いろんな年齢の「キース」を作って、電子頭脳を載せ替えるより…)
 手掛ける者たちもよほど楽だし、ずば抜けた能力も持たせやすい。
 特に「頭脳」は、補助の電子頭脳を載せてやったら、いくらでも「ヒト」を超えられる。
 元が人間の脳味噌だけに、コンピューターよりも基本の性能は高い。
 其処に機械仕掛けの精巧な頭脳が加わったならば、どれだけの思考が可能なことか。
(…アンドロイドを、一から作り出すよりも…)
 サイボーグの方が遥かに容易に、「優秀なキース」を作れるだろう。
 だから、それなら「まだ良かった」。
 改造するためのパーツが並んだ研究室なら、今頃は高笑いしていたと思う。
 「アンドロイドでさえもなかったなんて」と。
 「ただの改造人間じゃないか」と、キースの正体を掴んで、嘲笑って。


 けれども、「これ」は何だろう。
 いったいどういうことなのだろうか、胎児の「キース」が「ある」なんて。
 様々な成長過程の「キース」たちの標本、それが並んでいる部屋なんて。
(…まさか、キースは…)
 この部屋で「作り出された」のだろうか。
 SD体制の時代においては、子供は全て人工子宮から生まれて来る。
 今までに「かけ合わせた」精子と卵子の組み合わせの中から、優秀だった者を選んで…。
(クローンを作れば、それと同じに優秀に…)
 育つ可能性はゼロではない。
 環境に左右される部分もあるだろうから、此処で実験していたろうか。
 「キース」も、それに「知らない女」も、クローンを「此処で」育て上げて。
 育英都市で育つのではなく、Eー1077で研究者に育てられたなら…。
(そりゃ、優秀にもなるだろうさ)
 生まれも違えば、育ちも全く違うんだから、と標本たちを眺め回した。
 「そういうことか」と、納得して。
 あの憎らしい「キース」に、成人検査の前の記憶が全く無いのも、頷ける。
 「Eー1077で育った」事実を、他の人間に悟られないよう、機械が消去したのだろう。
 都合の悪いことは消すのが、憎い機械の「やり方」だから。
(…なるほどね…)
 まあ、これはこれで「いい収穫」だった、と唇に薄い笑みを浮かべる。
 予想外の結果だったけれども、これで「キース」に打撃を与える切っ掛けが出来た。
(機械じゃないから、暴走させるのは無理だけど…)
 その代わり、「心」があるわけだから、上手くゆけば「狂ってくれる」かもしれない。
 狂うところまではいかないにしても、病ませることは可能だろう。
 「自分の生まれ」を突き付けられて、その衝撃に打ちのめされることは有り得る。
(ぼくは普通じゃなかったんだ、と悩んで、夜も眠れなくなって…)
 精神を病んでゆくというなら、これほど愉快なことはない。
 電子頭脳の暴走よりも、ある意味、似合いかもしれない。
 「機械の申し子」と言われた「キース」が、心を病んで「壊れる」のは。
 誰よりも冷静沈着だった、マザー・イライザの「お気に入り」が自滅するというのは。


(…それじゃ、早速…)
 仕上げに入ると致しますか、とシロエは持って来ていた自作の機械を接続することにした。
 この標本たちを管理しているらしい、コントロールパネルのある装置に。
 其処に繋いでハッキングすれば、情報は全て手に入る。
(それをキースに…)
 見せてやるんだ、と使い慣れたキーを叩いてゆく。
 パスワードを幾つか打ち込んでやれば、もう情報が流れ込んで来て…。
(ふふふ…)
 キースもこれで終わりだよね、と薄く笑った。
 自分はクローンなのだと知ったら、キースはどんな顔をするのだろうか。
 真っ青になって震え始めるか、あるいは顔色一つ変えずに…。
(その場は静かに去って行くけど、自分の個室に戻ってから…)
 絶叫しながら机を叩いて、マザー・イライザを呼び出し、喚き散らすのかもしれない。
 「キース」を「作った」機械に呪いの言葉をぶつけて、ただ、当たり散らす。
 他の者とは違った生まれの「自分」を、「何のために」わざわざ作ったのか、と。
 「普通の人間でありたかった」と、「その方が遥かに良かったのに」と。
(…人間だったら、そう思うよね?)
 たとえクローンで、研究者が育てたんだとしても…、と手に入れた情報をチェックする。
 「キース」の生まれを詳しく知ろうと、どの情報を突き付けてやろうか、と。
(えーっと…?)
 これが「キース」の遺伝子データで…、と辿っていた指が、其処で止まった。
 指が先から氷のように冷たくなってゆく。
(……嘘だ……)
 そんな馬鹿な、と頭を振ってから読み直してみても、見ているデータは変わらなかった。
 瞳に映し出された真実、それは「キース」の生まれで、「正体」。
(…クローンではなくて、全部、一から…)
 DNAから作られた「モノ」だったのか、と愕然とする。
 「キース・アニアン」も「知らない女」も、どちらも無から生まれた「モノ」。
 「ヒト」の中からは、優秀な者が生まれないから。
 どれほど組み合わせを変えてみようと、「ヒト」には限界があるようだから、と。


 そうやって機械が「作った」目的。
 「キース」が作り出された本当の理由、それもデータの形で表示されていた。
(……導く者……)
 人類を、SD体制の世界を導くための理想の指導者、それこそが「キース」なのだという。
 長い年月、実験を重ね、ようやく生まれた「選ばれた者」。
 いずれ「キース」は指導者となって、人類を導いてゆくことになる。
 そのための資質を充分に備え、そのために「生きてゆく」ことこそが、「キース」の使命。
(……知りすぎた……)
 なんてことだ、と目の前が暗くなってゆくよう。
 これは最高の機密事項で、それこそ「誰も知らない」こと。
 「キース」を作った研究者たちも、恐らく「消されてしまった」だろう。
 つまりは、「これ」を知ってしまった「セキ・レイ・シロエ」も、きっと…。
(…パパ、ママ…!)
 ぼくは帰れないかも、と故郷を、両親を思うけれども、もう遅い。
 欺いたつもりの監視カメラも、警備システムも、役目を忠実に果たしている筈。
 フロア001に入った者は誰かを、今も追い続けて、機密を「知られた」ことまでも…。
(…とっくの昔に感知していて、マザー・イライザに…)
 もう報告が届いてるんだ、と足がガクガクと震え出す。
 このステーションから、生きて出ることは出来ないだろう。
 「知りすぎたシロエ」は機械に消されて、故郷に戻ることも出来ずに死んでゆく。
 そうなるんだ、と奈落の底に落ちそうだけれど、同じ落ちるなら…。
(キース、お前も…!)
 道連れにしてやるんだから、と拳を握って、倒れることは踏み止まった。
 こうなった以上、「キース」をのうのうと生かしておきなどはしない。
 同じ奈落に引き摺り落として、死なないまでも、狂わせてやろう。
(ぼくに出来るのは、もう、それだけしか…)
 無いんだから、と無理やり笑みを作って、勝ち誇った顔で映像を撮り始める。
 「見てますか? キース・アニアン」と。
 「此処が何処だか分かります?」と、「フロア001、あなたのゆりかごですよ」と…。



           知りすぎた秘密・了


※フロア001に入ったシロエですけど、それが自分の死を招くと知っていたのかな、と。
 最初からヤケだったのならともかく、そうでないなら…、と考えた所から出来たお話です。








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(この命なぞに、それほどの…)
 価値があるとは思えないがな、とキースは皮肉な笑みを浮かべた。
 首都惑星ノアの国家騎士団総司令の個室で、ただ一人きりで。
 もう夜更けだから、側近のマツカは下がらせた後。
 彼が淹れていったコーヒーだけが、机の上に残っている。
 その「マツカ」に、今日も「救われた」。
 キースを狙った暗殺計画は頓挫し、実行犯も背後の者も、全て捕らえられ、投獄された。
 もう何度目になるのだろうか、数える気さえ起こりはしない。
(私を殺そうとする輩の方が、私よりも遥かに、このシステムに忠実で…)
 何の疑問も抱いていないことだろう。
 機械に支配されることにも、人生までをも機械に左右されることにも。
(彼らをトップに据えておく方が、よほどマシだと思うのだがな…)
 私は半ば異分子だぞ、という自覚はある。
 本物の異分子とされる「ミュウ」には及ばないのだけれども、この体制に向いてはいない。
 SD体制への批判だったら、幾らでも挙げて語れるだろう。
 ただ、その相手が「いない」だけで。
 広い宇宙の何処を探しても、「それ」を語り合える相手はいない。
(ミュウの連中なら、理解出来るだろうが…)
 彼らとは「語り合う」以前の問題、ミュウたちは「キース」を許しはしない。
 ジルベスター・セブンを焼かれた恨みを、彼らは忘れないだろう。
 指導者だったソルジャー・ブルーが、二度と戻って来なかったことも。
(…彼らと話せる時が来るなら、もう、その時には…)
 人類はミュウに敗れた後で、敗者としての会談になる。
 それまで「キース」が生きていれば、の話だけれど。
 暗殺されてしまうことなく、グランド・マザーの計画通りに、国家主席になれば、の話。
(こればかりは、なんとも分からないからな…)
 とはいえ、生きているのだろうさ、という気がする。
 いつか、「その時」が訪れるまで。
 ミュウが人類に勝利を収めて、このノアはおろか、聖地たる地球に向かう時まで。


 自分自身を観察するほど、価値などは無いと思える命。
 確かに能力は高いけれども、このシステムには批判的なのが「キース・アニアン」。
 致命的とも言える欠陥なのに、機械は何も言っては来ない。
 結果さえ出せればいいのだろうか、中身の方はどうであっても。
(皆が見ている私自身は、冷徹で…)
 ジルベスター・セブンで「そうした」ように、ミュウに対して容赦はしない。
 SD体制に反抗的な者にも、少しも同情したりはしない。
 端から捕らえて投獄したり、辺境の惑星に送りもする。
 国家騎士団総司令として、体制に逆らう星に赴き、殺戮を繰り広げることさえもある。
(…しかし、私は…)
 心の底では、このシステムを認めてはいない。
 かつてシロエが「そうした」ように、批判したい気持ちは常に心の何処かに在る。
 それを語れる相手さえいれば、夜を徹して語り合うことだろう。
 場合によっては手を取り合って、システムに立ち向かうこともあるかもしれない。
 ミュウたちが日々、「戦っている」のと同じように。
 機械に、システムに反旗を翻し、賛同する者たちを率いて「反逆者」として。
(…それをやりかねない、私の命などには…)
 本当に何の価値も無いな、と思うけれども、機械はそうは考えない。
 キースは「シロエ」のように消されず、この先も行きてゆくのだろう。
 暗殺されてしまわなければ。
 機械から見れば「無能」な輩が、「キース」に取って代わらなければ。


 考えるほどに、価値の無い命。
 これを欲しがる輩がいるなら、くれてやっても構わない。
 機械は「キース」を失うけれども、無能な輩がトップであっても、人類という種族の方は…。
(結果的には、同じ結末を迎えるのだしな?)
 恐らく世界は「ミュウのものだ」と踏んでいるから、人類の末路は変わりはしない。
 国家主席が「キース」でなくても、国家主席になれる人材が不在でも。
(…そうは思うが、グランド・マザーは…)
 そんな道など望まないから、「キース」は生きてゆくしかない。
 誰かに暗殺されない限りは、予め敷かれたレールの上を。
 Eー1077で全くの無から生まれた時から、定められていた宿命の道を。
(…いっそ、暗殺されてしまっていた方が…)
 楽だったろう、と思う日が、そう遠くない未来に待っている気がしないでもない。
 ミュウに敗れて、彼らに捕らえられてしまえば、きっと、そうなる。
(ジルベスター・セブンを焼き、ソルジャー・ブルーを殺した私を…)
 ミュウたちは憎み、けして許さないことだろう。
 拷問されるか、心の隅々まで覗き込まれて、掻き回されて苦しむ時が続くのか。
 「いっそ、殺せ!」と叫んだところで、彼らが殺すとは思えない。
 モビー・ディックでキースを「殺そうとした」、あの子供でも「殺さない」だろう。
 「殺して、楽にしてやる」ことなど、あの子供でさえ考えはしない。
 「キース」の望みを叶えるなどは、愚の骨頂というものだから。
 「殺してくれ」と叫び、願うのなら、叶えないのが、最高の復讐と言えるから。


(…勘弁願いたい未来なのだが…)
 そうなる前に殺された方がマシなのだがな、と背筋が冷える。
 恐ろしい予感が当たった場合は、生き地獄に落ちることだろう。
 ミュウに捕まり、死ぬことも、狂うことさえも出来ない、地獄の日々。
 モビー・ディックで牢にいた時、それと似たような経験をした。
 あの時も充分、拷問だと感じていたのだけれども、その比ではない目に遭わされる。
 誰も止めようとは考えなくて、ただ傍らで「見ているだけ」。
 ジョミー・マーキス・シンさえも。
 あの船から逃げる切っ掛けになった、盲目だったミュウの女も。
(…もう負けるのだ、と分かった時点で…)
 自ら命を断ち切ったならば、その苦痛から逃れられるだろう。
 死んでしまった「キース」の身体は、ミュウが持ち去り、切り刻むかもしれないけれど。
 ソルジャー・ブルーに心を読まれたからには、もう正体は知れているだろう。
 「機械が無から作った生命」は、いったい、どういうものだったのか。
 それを知ろうと、ミュウの研究者が解剖しようが、何をしようが、それはいい。
 死んだ後なら、全ては「どうでもいい」こと。
 刻んで調べられたところで、もう「キース」には「分からない」から。
 けれど…。
(そうなる前に、自ら命を捨てることなど…)
 果たして、それは可能だろうか。
 機械が、全てを統治するグランド・マザーが、そのような選択を許すだろうか。
 マザー・イライザが無から作った「キース」を、機械は失うわけにはいかない。
 どれほど敗色が濃い戦いでも、機械は諦めたりしない。
 機械の思考は「0」か「1」かで、他の選択など有り得ないもの。
 完膚なきまでに叩きのめされ、何もかも「ゼロ」になってしまうまで、機械は「戦う」。
 いや、「戦え」と命じるだろう。
 「0」になってはいないからには、まだ戦いの局面は「1」。
 機械は、けして「諦めない」から、「キース」も戦い続けるしかない。
 負けた時には、屈辱的な運命が待っていようとも。
 ミュウに囚われ、死ぬことさえも出来ない地獄に突き落とされる他は無くても。


(…この命さえも…)
 私の自由にはならないのか、と絶望的な気持ちになる。
 グランド・マザーが、このシステムが健在な限り、自分の手では死ねないのか、と。
(…きっと、そうだな…)
 銃を手にして、自分に向けて撃つよりも前に、機械が「それ」を取り上げるだろう。
 監視カメラとセットになった、警備システムで「キース」の手を撃ってでも。
 要は「キース」が生きてさえいれば、機械はそれで満足する。
 生きているなら、部下を使って「戦える」から。
 二度と「死」などは考えないよう、死ぬための手段も全て封じて、飼い殺しにする。
 「SD体制のために戦え」と、完全な敗北が訪れるまで。
 機械も壊され、SD体制が「ゼロ」となり、無に帰す時が来るまで。
(…私には、死という選択さえも…)
 まるで許されてはいないのだな、とシロエが少し羨ましくなる。
 自分自身の意志を貫き、宇宙に散ったセキ・レイ・シロエ。
 あの時、彼の影響を受けて、「このシステムに従うよりは」と死を考えても無駄だったろう。
 そう思考する「心」を修正されていたのか、あるいは、心はそのままにして…。
(死のうとしても、死ねない現実を突き付けて来て…)
 諦めの内に生きてゆくことを、あの年齢で受け入れさせていたものか。
 「そちらなのかもしれないな」と思うものだから、気が付かなくて良かったと思う。
 誇りを守って死ぬことさえも許されない、と知っていたなら、この世は既に地獄だから。
 命までも機械に握られていては、心の底には暗い淵しか見えないから。
(…何もかもが「ゼロ」になる日まで…)
 生きてゆくしかないというのも、立派な拷問というものだろう。
 実際、どうやら、そうなのだけれど。
 ミュウどもの手に落ちる時まで、命を絶てずに生き永らえるしか無さそうだから…。




            この命さえも・了


※原作のキースは「ジョミーに殺される」最期を選びましたが、違ったのがアニテラ。
 そして原作の方も、機械が健在だった間は、操られたりしたキース。強制的に生かされそう。









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 女神を見付けた。
 一粒の真珠、地球を抱く女神。
 未だに座標すらも掴めぬ母なる惑星(ほし)。
 その星の鮮やかな真の姿を、ガラスケースの中に漂う幼い少女が夢に見ている。
 君こそが長い年月追い求めて来た、ぼくの夢の化身。
 ………君はぼくの女神………。



 ブルーが其処を訪れたことに意味は無かった。
 人類が作り上げた管理システムの要、ユニバーサル・コントロール。
 ミュウを探し出し、秘密裏に処分することを任務の一つとする憎むべき施設。
 根底から破壊してしまえれば、と何度思ったことだろう。
 しかし施設を壊したところで何になる?
 再び一から作り直され、ミュウへの憎しみが今よりも更に増すだけだ。
 消し去りたくとも消すことの出来ぬ、ミュウを狩る者たちの堅固な城塞。
 せめてもの意趣返しにと、ブルーは時折、その中へ密かに入り込む。
 幾重にも張り巡らされた防御システムと警備センサー。それらを潜り抜けて自由自在に、また気まぐれに闊歩するなど、勤務している職員ですらも許されはしない。
 そんな場所をミュウが、それもミュウの長が歩き回っていると知ったら、このユニバーサルを統べる者たちはどんな表情を見せるのだろう。
 あからさまな嫌悪か、それとも侮蔑と激しい憎悪なのか。
 悲しくも愚かしい、自分たちに向けられる人類の思い。分かり合える日がいつか来るのか、永遠に来はしないのか…。
 暗澹たる思考に囚われながら、ブルーは今日も城塞の奥深い通路を巡る。目指す場所も探す物も無いまま、厳重なセキュリティー・システムを潜り抜けては右へ、左へと…。


 そうして辿り着いた扉の奥。
 薄暗く広い部屋の中央に、ぼうっと青く発光している大きなガラスケースが在った。
 その中に……。
(……人……?)
 初めは標本なのかと思った。保存用の液体に漬けられ、研究対象として切り刻まれる運命にあるミュウの亡骸。
 惨いことを、とブルーの心に悲しみと怒りが湧き上がる。
 死んでなお安らぎを許されぬ仲間をせめて地上から解き放たねば、と足早にガラスケースの方へと向かった。抜け殻となった肉体を跡形もなく消し、ケースを満たす液体をも…、と近付いた足だったけれど、それが床へと縫い止められる。
(……生きている……?)
 ミュウだからこそ感じ取ることが出来る微かな鼓動と柔らかな波動。
(…これは……)
 人工のものでしか有り得ない臍帯に繋がれた幼い少女。
 長い金の髪を揺らす美しい少女はミュウではなくて、また人類でもないものだった。
 人類が……、否、人類を管理するシステムそのものが無から創り出した生命体。それを示すデータが部屋のそこかしこに散らばり、ブルーに無言の警告を発するけれども。
(……綺麗だ……)
 一糸纏わぬ少女の姿に魅入られたように、ブルーはケースへと歩み寄っていった。


 膝を抱き、人工羊水の中に浮かぶ金の髪の少女。
 眠る彼女には臍帯を通して膨大な情報が流し込まれ続け、人類よりも遙かに高い知能を有する指導者として覚醒させるべくプロジェクトが淡々と進行している。
 それは少女が完成した暁に、ミュウの破滅を約束しかねない恐るべき計画であるというのに。
 何故かこの少女に心惹かれる。
 まだ指導者としての自我に目覚めてはおらず、ただ幸せな夢を見ているだけの幼い少女に。
(…君は……)
 呼び掛けようにも、少女は名前を持たなかった。無事にガラスケースから出される日までは数字と記号の組み合わせで呼ばれる実験体に過ぎない少女。
 それなのにどうして、君は微かな笑みさえ浮かべて水槽の中で微睡めるのか…。
(…君は……何を夢見ている…?)
 ミュウが殲滅され、人類しか存在しない理想郷なのか、と覗いた夢に在ったもの。
 それは青く輝く一粒の真珠。
 遠い昔から焦がれ続けた母なる地球。
 その瞬間に、ブルーは少女に惹かれた理由を悟った。
 地球を抱く女神。
 君こそが、ぼくの夢の化身だ……。


 震える手をガラスケースへと伸ばすブルーに呼応するように、少女の身体がユラリと揺れた。
 伝説の人魚さながらに泳ぎ寄り、無垢な微笑みがブルーただ一人のために向けられる。
「……ぼくの女神……」
 唇から漏れた言葉は少女の耳に届いただろうか?
 ガラスに触れたブルーの手のひらに、少女の白く小さな左手が内側からそっと重ねられた。
 途端に流れ込む、先ほどよりもずっと鮮やかな地球の映像。
(………欲しい)
 この地球が、地球を抱く少女が。
 少女の瞳は開くことはなく、ブルーのサイオンも、この部屋に溢れる数多のデータも、彼女が生まれつき盲目であると告げていた。
 指導者となるには不向きな身体。それでも彼女を育成し続ける理由は次の個体を創り出すため。生殖能力さえも欠いた少女は、肉体的な欠損を除けば最高の出来であったのだ。
 彼女を育て上げ、遺伝子データから欠陥を取り除き、今度こそ人類に相応しい指導者を創り出す。そのためだけに人工羊水の中で育まれる少女に確たる未来は無いだろう。
 目的が果たされた時には処分されるか、一介の市民としての記憶を植えられ、捨てられるか。
 それならば……。


(ぼくが貰って何がいけない?)
 ブルーは再び微睡み始めた少女を熱い瞳で見詰めた。
 青い地球を抱いた夢の化身。
 ミュウの長として独りミュウたちを守り導き、戦い続けることだけがブルーの全てで、他には何ひとつ持ってはいないし、与えられることもありはしなかった。
 ソルジャーの称号も、居室の青の間も、ミュウたちの尊敬と羨望を集めはしても、ブルーにとっては重くのしかかる枷でしかない。
 戦闘能力を持ったミュウ、タイプ・ブルーはブルーしか存在しないがゆえにソルジャーであり、青の間ですらブルーの防御能力を最大限に発揮するためのシャングリラの砦。
 一人で安らげる部屋さえも無く、導いてくれる者もいない孤独な生。
 だからこそ夢の標にと地球を求めた。青い水の星に還り着く日だけを夢見て、今日まで戦い続けて来た。
 その夢の星を抱く少女が目の前にいる。無から創り出され、不要となったら捨てられるだけの寄る辺なき身の、美しく無垢な夢の化身が…。
(…決めたよ、ぼくの大切な女神。……ぼくは君を必ず手に入れる)
 いつか必ず迎えに来る、とガラスに口付けを一つ落としてブルーの姿はユニバーサルの研究室からかき消えた。
 ブルーが存在していた記録は何処にも残らず、少女は地球の夢を見る。そしてブルーもまた、自らが女神と呼んだ少女をシャングリラへと迎え入れる日を夢に見る……。


 その日からブルーは仲間には言えない秘密を抱えた。
 シャングリラを抜け出し、ユニバーサルへと忍び込むこと自体は問題では無い。それは以前から何度も繰り返していたし、長老たちも承知している。
 けれど、人類に………それも指導者とすべく無から創られた少女に心奪われ、彼女の許を訪れるために抜け出していると知られるわけにはいかなかった。人類を憎む長老たちならユニバーサルを攻撃しかねない。ブルーを誑かした少女を消し去り、ソルジャーの正気を取り戻すために。
 ………それよりも更に厄介なのが、少女を迎えた後のこと。
 少女はミュウの因子を持たない。それは人類であるという動かぬ証拠。如何に地球の映像を抱く少女といえども、シャングリラに人類を乗せられはしない。


「……だけどね、君は安心していて…」
 ぼくの力があれば大丈夫だよ、とブルーは少女を外界から隔絶するガラスケースに手を添える。
「君が人類だと悟られないよう、ぼくが必ず守るから。…君はぼくだけの女神だから…」
 ぼくが見付けた、とガラス越しに語りかけるブルーに少女が微笑む。
「…ありがとう、ぼくを信じてくれて。……ぼくのフィシス…」
 重ね合わせた手から感じる少女の信頼。
 まだ漠然とした赤子のような感情だけれど、少女はブルーを慕い、懐いた。
 そんな優しくも穏やかな日々に、数字と記号だけが組み合わされた少女の名前はそぐわない。
 だからブルーは密かに彼女に名前を付けた。
 ミュウと判断されてからの過酷な人体実験の中で失くしてしまった、普通の人として生きていた頃の自分の記憶。その中に在った筈の母の名なのか、幼馴染か、あるいは大切な何かに付けた名前か。
 それが何かは分からないけれど、少女に名前をと思った時に記憶の底から浮かび上がった名を迷うことなく彼女に与えた。
 「ぼくの女神」、「ぼくのフィシス」と恭しくガラスケースに口付けながら。
 もちろん、その名をユニバーサルの研究者たちに刷り込むことも忘れてはいない。少女はガラスケースから出されると同時に、フィシスと名付けられるだろう。ミュウの長が与えた名前とも知らず、彼女に相応しい名だと信じて……。


「…また来たよ、フィシス」
 この前よりも少し大きくなったかな、とブルーは今日もガラスケースの前に立つ。
 初めて少女を見付けた日から既に三年は経っただろうか。この部屋に飛び交うデータからすれば、フィシスが外界へと出される日までは半年も無い。
 外界で更に半年ほど育て、必要なデータを集め終わったら彼女は処分されてしまうか、あるいは一般市民となるか。
 その前に彼女をシャングリラへ、と気は焦るけれど、ガラスケースの中から連れ去ることは彼女にはリスクが高すぎた。生命を維持する人工臍帯と彼女の身体を切り離す術が無かったのだ。
 人工臍帯の構造と仕組みは分かっている。しかし彼女の肉体をある段階まで育て上げるために組まれたシステムは外からの介在を許さない。無理に外せば自然出産だった時代の言葉で言う死産、フィシスの命を奪う結果になるだろう。
「…君が此処から出されてしまったら、会いに来られなくなってしまうね…」
 だけど必ず迎えに来るから、と告げるブルーがガラスに伸べた手にフィシスの白い手が重なる。その度にフィシスが見せてくれる地球がブルーを慰め、未来への希望を繋いでくれる。
「君が人類でもかまわない。…ぼくと一緒に来て欲しいんだ」
 ぼくには君が必要だから、とブルーは真摯に語りかける。
「出来るならば君をミュウにしたかったけれど、そんな方法をぼくは知らない…」
 そんな魔法があったなら、とブルーがガラスケースから離した手の上に浮かべて見せた青く輝くサイオンの玉をフィシスの見えない瞳が追った。
「…君には見せたことが無かったか…。これがぼくの力。ぼくのサイオン」
 見えるかい、と人工羊水の中に小指の先ほどのサイオンの玉を泡に紛れて忍び込ませた。
 それはフィシスに自分を知って貰いたいがゆえの、他愛無い戯れ。
 ……ほんの戯れだったのだ……。


 ガラスケースの向こうに浮かんでは消える幾つもの泡。
 青く光るブルーのサイオンの玉も、そのように消える筈だった。けれど……。
「………フィシス?」
 フィシスはブルーが送って寄越した光の泡に顔を輝かせ、初めて玩具を貰った子供のように両手で大切に包み込んだ。それでも所詮、泡は泡。指の間から細かい粒となって立ち昇り、消えてゆく玉にフィシスが落胆の表情を見せる。
「…今の光が気に入ったのかい? そうか、君の側には何も置かれていないから…」
 初めて外の世界の物に触れたんだね、とブルーが二つ目のサイオンの玉を送ると喜びの感情が伝わって来た。儚く消えてしまう泡でも、フィシスはそれが気に入ったようだ。三つ、四つ、と泡を送って、フィシスがそれを掴まえて。
 ガラスケース越しに、どのくらいそうしていただろう?
 気付けばシャングリラに戻らねばならない時間が近付いていて、ブルーは名残惜しげにガラスに触れた。
「…フィシス、ぼくはそろそろ帰らなければ…。遊びの続きは、また今度」
 これでおしまい、と送り込んだサイオンの玉にフィシスは悲しそうな顔をするなり、それを愛らしい唇で捉えた。まるでキャンデーでもあるかのように口の中に含み、コクリと喉が上下する。
「……フィシス?!」
 身体に害を及ぼす類の力を乗せてはいなかったけれど、サイオンの塊であったことに間違いはない。人工臍帯で維持されているフィシスの生命には毒となるのでは、とブルーの背筋が冷たくなったが、飲み込んだフィシスはそれは幸せそうに微笑んでみせた。
「……心臓が止まるかと思ったよ…。あまり驚かせないで、ぼくの女神」
 ぼくは若くはないんだからね、とガラスケースに口付けをしてブルーはシャングリラへと一気に飛んだ。
 サイオンを見せても怯えなかった愛しい女神。
 一日でも早く、君が欲しいよ……。


 それから暫くフィシスの許を訪れることは叶わなかった。一日千秋の思いで次の機会を待ち、ようやくガラスケースのある部屋に立ったブルーの頬を温かな何かが撫でてゆく。
 シャングリラでは馴染み深い、その気配。けれど人類の世界、それもユニバーサルの中枢とも言える奥深い部屋で感じ取ることなど無かった気配。
(……何故……)
 何処から、と探るよりも前にガラスケースの中でフィシスが動いた。
 美しい人魚、地球を抱く女神。
『…まさか…。フィシス、今のは君なのか…?』
 この部屋で初めて紡いだ思念に、言葉にならない思念が返る。
 ブルーを慕う思いだけで占められた、ただただ、「好き」という感情。
 「好き」よりももっと舌っ足らずな、「すき」と告げる幼く無垢すぎる思念。
『……フィシス……。どうして、君が……』
 君にサイオンは無かった筈だ、と声に出さなかったブルーの言葉に答える代わりに、フィシスはガラスケースの中に湧き上がった泡を口に含んで飲み込んでみせた。
 フィシスとサイオンの玉で戯れた記憶が蘇る。
 あの日、最後に送り込んだ小さな青いサイオンの玉をフィシスはコクリと飲み下した。ブルーのサイオンを食べたフィシスが身の内にサイオンを持っている。人をミュウにする魔法など何処にも無いと思っていたのに、自分がフィシスをミュウにしたのか……。
 呆然とガラスケースを見詰めるブルーにフィシスの無邪気な思念が伝わって来た。
 この間の遊びの続きをせがむ愛らしい女神。
 君が望むなら、いくらでも。…ぼくのサイオンを欲しいというなら、いくらでも……。
 ブルーが送り込むサイオンの玉と戯れ、フィシスは気まぐれにそれを飲み込む。
 もっと…。もっと、飲み込むといい。
 君のサイオンが強くなるから。ぼくと同じミュウになれるから…。
 もうシャングリラに君を迎えても大丈夫。
 誰も君のことを人間だなどと言いはしないし、誰も気付きはしないだろう。
 ぼくの女神、ぼくだけの愛しい、大切なフィシス。
 いつかシャングリラに君を連れてゆくよ……。


 ブルーが与えるサイオンの玉を、青く輝く泡を何よりも好んだフィシスはミュウとなった。
 だが、研究者たちはそれと気付かず、彼女をガラスケースから取り出すための準備を始める。自分と接触していたことがフィシスに災いを招かぬように、とブルーはフィシスに別れを告げた。
「…フィシス。もうすぐ君が其処から出る日がやって来る。ぼくは必ず迎えに来るけれど、君の記憶は消してゆくから」
 待って、と小さな悲鳴のような思念がブルーの心を掠めたけれど。
「さようなら、フィシス。…また会える日まで、どうか元気で……」
 ぼくの女神、と最後に呼んでガラスケースに口付ける。
 それがブルーの別れの挨拶。
 フィシスが好きだった青く光る泡が無数に湧き上がり、少女の身体を包み込んで消えた。少女が懐いて慕い続けた、ブルーとの日々の記憶と共に……。


 ブルーのサイオンの泡から生まれた、ブルーが魅せられた地球を抱く女神。
 ガラスケースから出された少女は研究者たちにフィシスと名付けられ、ユニバーサルで成長する。
 半年の後、全てのデータを採取された彼女はミュウであるとされ、処分が決まった。
 フィシスと初めて出会った時から、ブルーが待って、待ち焦がれた日。
 …待っていて、フィシス。
 ぼくが今、行く。
 いつか必ず迎えに行くと、ぼくは約束しただろう?
 君は忘れてしまったけれども、ぼくは約束を違えない。
 ぼくの女神、ぼくだけの大切な女神。
 ぼくが愛した夢の化身…。


 処分されると決まったとも知らず、ベッドの上でタロットカードを繰っていたフィシス。
 現れた死神のカードにその顔が曇る。
「…大丈夫」
 あなたは? と尋ねたフィシスの問いには答えず、ブルーはフィシスの右手に自分の手を添えて死神のカードの天と地を替えた。
 死神のカードは正位置ならば「死」を、逆さになれば「死地からの生還」を意味する。
「…旅立ちの時」
 え? と怪訝な面持ちのフィシスの頬を両手で包み、ブルーは優しく囁いた。
「ぼくを信じて。君を必ず守るから」
 フィシスの小さな手がブルーの両手に、その温もりを確かめるように重ねられた。
 記憶は確かに消したのだけれど、フィシスは自分を覚えている。
 その魂の底で、ブルーと過ごしてきた日々を。


「…こっちだ。フィシス」
 小さな左手をしっかりと握り、ブルーはフィシスを部屋の外へと導いた。
 誰にも追わせない、追わせはしない。
 ぼくは女神を手に入れる。



 フィシスと二人、通路を走って、それからシャングリラへと青い空を翔けて。
 ついに手に入れた地球を抱く女神を、ミュウたちは感嘆と称賛の言葉を尽くして迎えた。
 元は人類であるとも知らず、無から創り出された者だとも知らず…。
 そしてフィシスは女神となった。
 ブルーのサイオンの泡から生まれた、ブルーの、そしてミュウたちの女神。



 ぼくの女神、ぼくの大切なフィシス。
 君の秘密は君自身にも教えない。
 ユニバーサルでの記憶も君のために消すよ、君が幸せでいられるように。
 ぼくのサイオンから生まれたミュウだと、君さえも気付かないように。
 全てはぼくが背負ってゆくから……
 フィシス、君の抱く地球をまた見せてくれないか?
 青く、何処までも美しい星。
 本物の地球に辿りつけるよう、ぼくはミュウたちを導こう。


 君はぼくの行く手を照らし出す女神。
 美しく清らかな、ぼくだけの女神。
 フィシス……。
 君は知っているかい?
 遠い遠い昔の地球の神話に、青い海の泡から生まれた美しい女神がいたことを…。




           アフロディーテ・了


※お蔵入りしていた、まさかのブルフィシ。
 もう永遠に「出す日は来ない」と思っていました、いや、本当に。
 元々はブルフィシ派だった管理人、遥か昔に、「いつか友への贈り物に」と書いた件。
 ところが機会が訪れないまま、ブルフィシな友は別のジャンルに移動という。
 管理人も既にハレブルの人になっていたので、「もういいや」と、片付けて終わり。
 そして流れた長い歳月、アニテラがBlu-rayになって帰って来ることに。
 「これを逃したら、公開のチャンスは二度と無い!」と、蔵から引っ張り出して来ました。
 元のファイルに、「2013年8月8日」という恐ろしい日付が。
 「そうか、殆ど10年前か」と、自分が一番、ビックリかも。










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