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(ふうん…?)
 耳に入った噂話。
 キースという名が聞こえて来たから、耳を澄ませていたけれど。
 面白い、とクスッと笑ったシロエ。
 どうやらキースは、振られてしまったらしいから。
(機械の申し子はダテじゃないってね)
 思った以上に、人の心の機微というものに疎いらしい。
 あのエリートの先輩は。
(彼女に逃げられてるようじゃ…)
 話にならない、と心で嘲る。
 メンバーズ・エリートを目指すのだったら、恋は要らないものだけれども。
 このステーションでは恋は不要だとも言えるけれども、それはまた別。
 人間としての質の高さで考えるなら…。
(彼女の一人も繋ぎ止められないエリートなんてね)
 本当に笑い話でしかない、そんな愚かな男など。
 しかもキースが破れたらしい恋のライバル、それは宙航の技師だという噂。
 メンバーズどころか、宙航の技師。
 パイロットにすらもなれなかった男、キースに勝利を収めた男は。


 なんとも可笑しくて、馬鹿々々しくて。
 部屋に戻っても、まだ可笑しさがこみ上げてくる。
 宙航の技師に魅力で劣るエリート、そんな者が自分のライバルなのか、と。
(…とりあえず…)
 亜空間理論と位相幾何学の成績は抜かせて貰った、間違いなく。
 E-1077始まって以来の秀才、キースの成績を塗り替えてやった。
 他の教科も、もちろん抜いてやるけれど。
(エリートってヤツは、勉強だけじゃあ…)
 駄目ってことさ、と机の代わりに座り込んだ床。手にした工具。
 此処に来てから作り始めたバイクの仕上げをしなければ。
 乗って颯爽と走ったならば、きっと気分も晴れるから。
(息抜きも大切…)
 特に此処では。
 マザー・イライザが監視しているステーションでは。
 勉強ばかりでは、本当にイライザの意のままになる人形だから。
 それ以外のこともやってみなくては、やりたいことをやりたいように。
(…エネルゲイアの出身だったら…)
 機械に強くて当たり前。
 自分が育った故郷も意識しておきたいから、こうしてバイク。
 工具を手にして作っていたなら、故郷にいるような気持ちだから。
 その間だけは、懐かしい町へ心が飛んでゆくようだから。


(…キースなんかには負けないってね)
 成績はキースに勝って当然、人間としてもキースに勝つ。
 それが目標、いつかは自分が地球のトップに立つのだから。
 器を大きく持っておかねば、人の上には決して立てはしないのだから。
(ぼくなら、彼女に振られるような無様な真似は…)
 しないんだけどな、とクックッと笑う。
 同じエリートが恋のライバルだったとしたって、振られた時には負けは負け。
 いくら成績で勝っていたって、器では敵わないということ。
 振られた相手が選んだ男に、まるで全く。
 「成績は上だ」と叫んだ所で、魅力が無いと笑われるだけ。
 なのに、振られてしまったキース。
 よりにもよって宙航の技師と並んで秤にかけられて。
 「要らない」とポイと捨てられたキース、宙航の技師の方が選ばれて。
 もう可笑しくてたまらないから、早くバイクを仕上げなければ。
 これが出来たら、きっと同期の候補生たちのヒーローだから。
 誰もバイクを作れはしないし、乗って走りもしないから。
(女の子だって寄ってくる筈…)
 日頃の彼女たちの言動、その辺りから考えてみても。
 目新しいものが好きそうな少女、他の同期生たちに人気があるのも…。
(あの子だってね?)
 きっと来るな、と思い浮かべたツインテールの少女。
 同期生の中で一番人気の、クルンとした目の。
 バイクを作り始めた時には、何も考えていなかったけれど。
 出来上がったならば、彼女を乗せて走ってみようか、自分の後ろに。
 そして振られたと噂のキースの前に、颯爽と。


 バイクを作り始めた時の動機から、少し外れてしまったけれど。
 エネルゲイアを懐かしんで走るつもりが、キースとの勝負になりそうだけれど。
 それもいいか、と作り上げたバイク。
 やっと出来たから、今日は早速試運転といこう、と繰り出した食堂。
 案の定、皆に取り囲まれた。
 同期生の男女にワッと囲まれ、質問攻め。
 ツインテールの少女も出て来た、「乗せて、乗せて!」と。
 一番人気の女の子だけに、男子の視線が一気に険しくなるけれど。
 知ったことかと、「いいよ」と答えた。「後ろに乗って」と。
 「危ないから、しっかり捕まっててよ?」と。
 「うんっ!」と後ろに跨った少女。ツインテールの髪を揺らして。
 抱き付くようにギュッと回された少女の両腕、「この野郎!」と睨む男子たち。
(…君たちに魅力が足りないからだよ)
 何処かのキースと変わらないよね、とスイッとバイクで走り出す。
 後ろの少女は、彼女などではないけれど。
 二人きりで話したことなどは無くて、本当はどうでもいいのだけれど。
(ナンバーワンってトコが大切…)
 誰もが羨む、今の自分がいるポジション。
 男子に一番人気がある女子、それを後ろに乗せていることが。
 キースには決して真似の出来ない離れ業。
 自分ならこうして彼女も作れる、その気になりさえしたならば。
 これを機会に「付き合わない?」と言いさえしたなら、後ろの少女は手に入るから。


 そうやって走って、見付けたキース。
 振られたと評判のキースがのんびり、友と座っているようだから。
 すかさずバイクで横に乗り付け、インタビューよろしく問い掛けてみた。
 二科目でキースの成績を抜いたと宣言してから、ついでのように。
 なにしろ、腑抜けたキースときたら、成績の方で受けて立つ気は無いようだから。
 張り合いが無いから、次はこっち、と。
「ところで、あなたの彼女は?」
 そうしたら…。
「彼女? 誰のことだ?」
 怪訝そうなキース、彼は自覚さえ無かったらしい。
 彼の友人ですらも「スウェナか?」とキョトンとしている有様だから。
 しかも「あいつがどうかしたのか?」とまで。
 とっくの昔に、ステーション中にスウェナの噂が流れているのに。
 宙航の技師と結婚すると、キースは振られてしまったらしいと。
 キースが鈍いなら友人も鈍い、類は友を呼ぶと言うべきか。
(バーカ…)
 そんな調子だから振られるんだよ、とツインテールの少女と顔を見合わせた。
 「ね?」とばかりに。
「お二人とも、御存知ないんですか…」
 呆れた、という口調で言ってやる。
「機械の申し子でも分からないことがあるんですね。いや…」
 …機械の申し子だから、分からないのかな?


 ふふっ、と笑ってまた走り出した、ツインテールの少女を乗せて。
 同期生の嫉妬と羨望の眼差し、心地良いそれを浴びに行こうと。
(分かってないね…)
 あの調子じゃね、とシロエはバイクで走り続ける。
 こっちの面でもぼくの勝ちだ、と。
 振られた自覚も無いらしいキース、何も分かっていないらしいキース。
 宙航の技師に魅力で負けたと、まだ気付いてもいないのがキース。
 それに比べて自分はと言えば…。
(今日からぼくの彼女なんです、って言うことだって…)
 簡単に出来る、同期生に人気ナンバーワンの少女をあっさり手に入れることが。
 面倒だからそれはしないけれども、望みさえすれば。
 後ろの少女を誘いさえすれば。
 勝った、と今日は爽快な気分。
 バイクは出来たし、キースにも勝った。
 最高の気分で初乗りが出来た、エネルゲイアと繋がるバイクの。
 故郷で学んだ技術を生かして作り続けて来たバイクの。
 これで何処までも走ってゆこうか、いつかは夢のネバーランドへも。
 地球のトップに立った時には、これで故郷へ帰ろうか。
 父の許へと、母の許へと、バイクを駆って。
 「ただいま」と、「ぼくは帰って来たよ」と。
 機械に命じて取り戻した記憶をしっかりと抱いて、懐かしい町へ、このバイクで…。

 

       勝者のバイク・了

※放映当時に思ったこと。「シロエ、なんで女の子を乗せて走ってるわけ?」。
 アンタそういうキャラだったのかよ、と印象には残ったんですが…。スミマセンです。





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(…怯えた視線。何故、怯える?)
 此処に、ソレイドに着いた時から気になった視線。
 何故、とキースの意識は背後へと向く。
 如何にも気の弱そうな青年。他に取り立てて特徴は無い。
 自分はそんなに恐ろしそうに見えるだろうか。
(…冷徹無比な破壊兵器…)
 そういう異名を取ってはいても、自覚はある。上辺だけだと。
 本当に自分が冷徹無比な人間ならば…。
(……サム……)
 この耳のピアス。
 それを付けては来ていない。
 友の、サムの血を固めたピアスなどは。


 それでも怖く見えるのだろうか、と考えたから。
「ジョナ・マツカ。…此処へ配属されたばかりです」
 よろしくお願いします、アニアン少佐。
 敬礼したマツカと名乗った青年。
 彼を無意味に怯えさせないよう、笑みを浮かべた。
 さっきまでいた教育ステーションでの先輩、マードック大佐にも見せなかった笑みを。
 「ああ、世話になる」と。
 ただし、最前線でもあるソレイド。
 自分が此処まで赴いた理由、Mの拠点が近いとの噂。
 万が一ということもあるから、気付かれないよう引き締めた顔。
 もしかしたら、この怯えた青年。
 Mのスパイかもしれないから。…でなければ、自分に敵意を抱くM。


(ミュウだとしたら…)
 対処法はもう分かっている。
 彼らは心を読み取る生き物。わざと読ませてやればいい。
 自分の思考を、言葉とは別に。
 そういう訓練もメンバーズとして受けて来たから、容易いこと。
 もしも単なる思い過ごしなら…。
(無駄に怖がらせては悪いからな)
 だから、言葉では愛想よく。
 さっきサムの名を思い浮かべたから、サムだと思って。
 壊れてしまった今のサムなら、怖い人間は嫌いだろうから。


「二人の時はキースでいい」
 少佐、と呼び掛けたマツカにそう返したら、またも「少佐」と呼んでしまって謝る始末。
 本当にただの気弱な者かもしれないけれども、念のため。
(お前は誰だ?)
 心の中でだけ尋ねた言葉。けれど…。
「テーブルにコーヒーを用意しておきました」
 反応しなかったマツカ。なのに、一層、怯えた気配。
「気を遣わなくていい」
「いや、しかし…」
「私は客ではない」
 そう言いながらも、わざと落としてみせた拳銃。
 鍛え抜かれた軍人だったら有り得ないミス、それを床へと落とすなどは。
 これも作戦、きっとマツカは拾おうと駆け付けて来るだろうから。


 床の銃へと触れた途端に、その手に重なったマツカの手。
 言葉にはせずに心で叱った。
(私に触れるな!)
「すみません、そんなつもりじゃ!」
 返った答え。そして引き攣ったマツカの顔。
 やはり、と撃とうとするよりも早く、マツカが放って来たサイオン。
 壁へと叩き付けられたけれど、その程度で自分を倒せはしない。
 力に抗って引いた引き金、倒れたマツカの襟首を掴み、突き付けた銃。
「こちらの心を読んだな。言え、どうやって成人検査をパスした!」
 それとも、何百も年を誤魔化して潜り込んだミュウのスパイか!
 そのどちらかだ、と考えたのに。
 どちらにしたって、然るべき措置を。
 ミュウは処分し、排除すべきだと自分の中で答えを弾き出したのに。


「ミュウ…。知らない…」
 そう言ったマツカ。
 嘘だと思った、当然のように。…そんなことなど有り得ないから。
 けれど、外れてしまった読み。
 マツカは本当に何も知らなかった。
 ずっとマザーを騙し続けて来た、と放り出してやったベッドで震え続けたマツカ。
 「こんな変な自分を、誰にも知られず済んだら満足だったんだ」と。
 自分が突然変異種だと知らないマツカ。
 人の心を読める力が、それのせいだということさえも。
 ただ偶然の悪戯で成人検査をパスしただけ。…劣等生のふりをしていた憐れなミュウ。
(処分すべきだが…)
 どうして自分は、黙って聞いているのだろう。
 たかが一匹のミュウの嘆きを、と自分でも不思議に思っていた時。
 馬鹿々々しい、と半ば自分にも向けて心で呟いた時。


「ぼくはそうなれなかったんだ!」
 叫んで身体を起こしたマツカ。
(…シロエ…!)
 不意に重なった、シロエの面影。
 さっきマツカが肩を震わせて言っていた言葉は…。
(それぞれ個性は持っているのに、一つ、地球に関してだけは判で押したように…)
 同じ反応をするようになる。
 ぼくはそうなれなかったんだ、とマツカは叫んだ。
 まるであの日のシロエのように。
 「機械の言いなりになって生きることに、何の意味があるんですか」と笑ったシロエ。
 そして続けた、「ぼくは許せないんだ!」と。
 「正義面して、ぼくの大切なものを奪った成人検査がね」と。
 テラズ・ナンバー・ファイブだけは許せないと、怒りを露わにしていたシロエ。
 明確に過ぎたシステム批判。…要注意人物と見做されるどころか…。


「なるほど。…危険度第一級だな」
 シロエと同じ。
 方向性は違うけれども、マツカも、シロエも、その危険度は第一級。
 あの後、シロエは宇宙へと逃れ、自分がこの手で撃ち落とした。
 遥か後になってから、風の噂で聞いたこと。シロエはMのキャリアだった、と。
 つまりはシロエもミュウだった。…だから消された。マザー・イライザに。
 けれど、マツカは…。
 どう扱うかは、自分の心次第。
 誰もマツカがミュウだと知りはしないし、マザー・システムも気付いていない。
 銃を突き付けられ、泣くだけのマツカ。
(…シロエとは全く違うタイプか…)
 泣くことしか出来ない、弱いだけのミュウ。
 何故か重なるサムの面影。…今の壊れてしまったサム。
 今のサムなら泣くことだろう。こんな立場に追い込まれたならば、きっと怯えて。


 かつて殺すしかなかったシロエ。
 それから、今も友と思うサム。
 二人の面影が重なるマツカ。
 震え、涙を流す姿に、思わず失くしてしまった声。…「可哀相だ」と。
 ならば、あの日のシロエの代わりに。
 壊れてしまった友の代わりに、この青年を救ってみようか。
 誰にも褒められはしないけれども、システムに逆らうことだけれども。
(だが、システムなど…)
 最初から疑問だらけだから。けして正しいとは思わないから。
「…三時間もすれば痛みも痕も消える。…消炎にはDW005がいい」
 胸に刻め。お前クラスの能力では次の機会は無い。
 今度私にその力を使えば、必ず射殺する。
 …そう言い置いて、踵を返した。


 慌てて追って来たマツカに向かって、もう一発、さっきの衝撃弾を撃ち込んだけれど。
 「私の後ろから近付くな」と。
 もうそれ以上は、自分の与り知らぬこと。
(…ソレイドにMは一人もいない)
 自分はMと出会っていないし、マツカはただの気弱な青年。
 そういうことでいいだろう。
 シロエが、サムが重なったから。
 憐れで孤独なミュウの向こうに、二人の姿を見た気がするから。
 だからマツカを咎めまい。
 あの日、シロエが乗っていた船を落とすより他に道が無かった、候補生とは違うから。
 今の自分はメンバーズ・エリート、部下を選んでいいのだから。
 シロエが、サムが重なったマツカ。
 彼を選ぼう、一人目として。
 役に立つかは分からないけれど、今は自分の好きに出来るから。
 たとえシステムに逆らおうとも、今なら自分の意志を貫く力を手にしているのだから…。

 

       重ねた面影・了

※どうしてキースはマツカを見逃したんだろうね、と考えていたらこうなったオチ。
 サムとシロエが重なっちゃったら、そりゃ、見逃したくもなりますよねえ…。





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「なあ、キース。…ホントに何も覚えてねえのかよ?」
 ある日、突然サムに問われた。
 食事の途中で、まるで何かのついでのように。
「…何の話だ?」
 自分は何かしただろうか、とキースは途惑ったのだけれども。
 「悪ィ、言い方、マズかったよな」と頭を掻いたサム。
「前に言ってた話だよ。…成人検査よりも前のことは何も覚えていない、って」
 言ったろ、お前?
 本当に何も覚えてねえのか、少しくらいは覚えてるのか、気になってさ…。
 ほら、普通は…って、お前、友達も覚えていねえんだっけ…。
 「それは重要なものなのか」って、俺に訊いてたくらいだもんな。
 でもさ…。
 ちょっとくらいは、と問い掛けるサムは、心配してくれている顔で。
 懐かしい記憶が何か無いのかと、次々と挙げてくれる例。


「キースだったら、やっぱり、学校かなあ…」
 教室とかさ、先生とか。
 覚えてねえかな、そんな感じで。
 …俺だと叱られちまったこととか、勉強よりかはスポーツだけどよ。
 お前だったら教室の前のボードとか…。お前が取ってたノートだとか。
 それに教科書、と挙げて貰っても、どの例もピンと来ないものばかり。
(…教室に先生…)
 どういうものかは分かるけれども、頭に浮かぶのは今の教育ステーション。
 教科書もそうで、ノートも同じ。教室の前のボードにしても。
(…叱られたことも、スポーツも…)
 何一つ思い出せない自分。
 何処で教育を受けていたのか、どんなスポーツをしていたのかも。
(スポーツ…)
 教育ステーションに来るよりも前にやるスポーツなら、何があっただろうか?
 サッカーにテニス、それに水泳、と知識を反芻している内に。
 そうだ、と思い付いたこと。
 学校で習うスポーツなどとは、何の関係も無いのだけれど。


(……水……)
 水泳という言葉で浮かんだ記憶。
 あれを記憶と呼べるのかどうか、自分でもあまり自信が持てない。
 けれど、ゴボリと湧き上がる気泡。
 確かに自分はそれを頭に思い浮かべたし、あれはステーションに着いた日のこと。
 目の前のサムと出会うよりも前に、ホールで見ていたガイダンス。
 映像の中に現れた胎児、その先触れの水のイメージ。
(…水から生まれた、と思ったんだ…)
 胎児も、地球の全ての命も。
 あの映像の水に惹かれて、心を掴まれた気がした一瞬。
 ほんの欠片に過ぎないけれども、きっと記憶の内なのだろう。
 此処に来るよりも前に自分が見たもの。
 もしかしたら、胎児であった頃に。
 人工子宮の中にいた頃、まだ開いてもいなかったかもしれない目で。
(サムは笑うかもしれないが…)
 話してみようか、あの水のことを。
 きっと唯一の記憶だから。
 ステーションに来るよりも前の、故郷にいた頃の自分が見たもの。


 あまりに不確かで、夢だと一蹴されそうな記憶。
 けれども確かに見たと思うから…。
「…一つだけ、無いこともないんだが…」
 多分、笑うと思うんだが、と前置きをしたら「笑わねえよ」と唇を尖らせたサム。
「俺が笑うと思うのかよ? 訊いたの、俺だぜ?」
 お前がハッキリ覚えてないなら、力になろうと思ってさ…。
 俺の記憶も、成人検査を受けてから後は、曖昧になっちまっているんだけどな。
 でもよ、お前よりマシだから。…こんなのだ、って手掛かりがあれば分かるかも、って。
 どんな記憶か、言ってみてくれよ。
 形でもいいし、色でもいいし。
 そう言ってくれるサムは、本当に真剣だったから。
 「手掛かりにもならないと思うんだが…」と切り出してみた。
「…水なんだ。ただ、水としか…」
「水?」
 なんだよ、それ?
 こう、一面の水なのかよ、と乗り出したサム。それなら海だ、と。
 でなければ湖、そういったもの。故郷で見ていた景色なのでは、と。
「…違うと思う。…そうだとしても…」
 見ていたと言うより、その中にいた。…水の中を泡が昇っていたから。


 そういうイメージしか残っていない、とサムに明かした水の記憶。
 ガイダンスで見て以来、気に入っていると。
 だから自分の部屋の壁にも、水槽のイメージを投影したと。
 そうしたら…。
「すげえや、キース! やっぱり、お前は並みじゃねえよな!」
 俺なんかとは出来が違うぜ、とサムが指差した自分の頭。
「…凄いって…。サムの方がずっと凄いと思うが…」
 色々なことを覚えているし、と記憶のことを褒めたのに。
「俺? …あんなの、誰でも覚えてるんだよ、友達だとか、学校とかは」
 当たり前のことで、普通のことで…。
 だけど、お前は最初のことをしっかり覚えていたってな!
 だってそうだろ、誰だって最初は水の中だし。
 …俺は忘れてしまったけどな、と残念そうなサム。
 その頃の記憶が俺にもあったら、もっと成績良かったかもな、と。
「…あれが最初の記憶だと…? 笑わないのか…?」
 勘違いだとか、思い違いだとか。
 そう言われても、仕方ないんだと思っていたが…。
 何処かで潜った時の記憶とか、そんな記憶の名残だろう、と…。


 きっと笑われるか、思い違いだと諭されるか。
 そんな所だと思っていたのに、サムは感動を覚えたようで。
 しきりに「凄い」と繰り返しながら、自分のことのように喜んでくれた。
「それしか覚えていねえにしても…。良かったじゃねえか、一つあったぜ、お前の記憶」
 ゼロってわけじゃねえんだよ。
 …でもさ、他の奴らには言わねえ方がいいかもな。
 なんか夢でも見たんじゃねえか、って真面目に取り合ってくれそうもねえし。
 生まれる前の記憶なんてさ。…俺は凄いと思うけどな。
「…やはり言わない方がいいのか?」
「多分な。…忘れちまった、って方がマトモに聞こえるんじゃねえの?」
 お前だけに、とポンと肩を叩いてくれたサム。
 「頭のいいお前が生まれる前の記憶だなんて言ったら、きっと狂ったと思われるぜ?」と。
「そういうものか…?」
「それが俺だったら、笑い事で済むんだけどな」
 他の記憶も山ほどあるから、夢でも見たな、って片付くからよ。
 だけど、お前はやめとけよな。…「正気なのか」って顔をされそうだから。


 そう忠告を貰ったけれど。
 サムは笑いはしなかった。あの記憶を。
 水の中にいたような気がする、たった一つの記憶のことを。
(…あれが、このステーションに来る前の…)
 記憶なのだと、サムも認めてくれたから。
 頼りないだけの水の記憶も、それなりに意味はあるのだろう。
 自分は水から生まれたのだし、人は水から生まれるから。
 あの記憶しか持たない自分も、ちゃんと生まれて来た証拠。
 皆と変わらず水の中にいて、其処から生まれ出た証。
(…ぼくも、何処かで…)
 水の中から生まれて来た。
 そう考えると、安らぐ気持ち。あの水の記憶。
 機械の申し子と呼ばれるけれども、やはり同じに人なのだから。
 両親も故郷も何も覚えていないけれども、生まれる前の記憶なら持っているのだから…。

 

        一つだけの記憶・了

※キースが持っている水のイメージ、考えようによっては「記憶」だよなあ、と。
 これをシロエが知っていたなら、フロア001で高笑いは必至。





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「キース先輩に助けられたな、シロエ」
 そういう嫌味を言われたけれど。
 シロエの耳には届いていないのと同じ。
 意識はキースに向いていたから、歩み去る後姿を見ていたから。
(…キース・アニアン…)
 あれがそうか、と睨んだ瞳。
 視線で射殺したいかのように。
 教育ステーション始まって以来の秀才、マザー・イライザの申し子のキース。
 噂は前から聞いていたから。
 嫌でも耳に入って来たから、何度となく。


(…キース…)
 あんな奴か、と部屋に帰って思い返す顔。
 何故、調べてもいなかったろうか、キースの顔を。
 今日の諍いを止められるまで。
(あれにしたって…)
 どうでも良かった、班のリーダーが誰であろうと。
 「いつも勝手なことをしやがって」と怒ったリーダー。
 採点がどうのと言っていたけれど、それは自分が言いたいこと。
 「足を引っ張って欲しくないね」と。
 実際、言ってやったのだけれど。
 あんな連中と組まされていたら、ろくな成績にならないから。
(あいつらのせいで、ぼくが出せない点の分まで…)
 余計な努力が必要になる。
 高い評価を得たいなら。優秀な成績を収めたいなら。


 このステーションでトップに立つこと、それが目標。
 けれども、それはほんの手始め。
(…いつか地球まで…)
 行ってやること、そして自分が地球のトップにまで昇り詰めること。
 そう決めて、自分で思い定めて、今では思い詰めているほど。
 それよりも他に道は無いから。
 他に方法は無さそうだから。
(…このステーションも、マザー・イライザも…)
 マザー・システムも、全てが憎い。
 このシステムは、世界は歪んで狂ったもの。
 機械が人間を支配するなど、どう考えてもおかしいから。
 命さえ持っていない機械が、それが世界を我が物顔で支配するなどは。


(……ぼくの本……)
 これしか持って来られなかった、と抱き締め、眺める大切な本。
 両親がくれたピーターパンの本。
 子供が子供でいられる世界が、ネバーランドが描かれた本。
 其処へ行けると信じていた。
 ネバーランドよりも素敵な地球へと、行ける方法があると言うなら。
 きっとネバーランドにも行けるのだろうと、いつか行けると。
(…でも、ぼくは…)
 騙されたんだ、と今も悔しくてたまらない。
 地球へ行くための切符は手に入れたけれど、あまりにも大きすぎた代償。
 このステーションに来られた代わりに、かけがえのないものを失った。
 両親も、家も、育った故郷も。
 思い出も、記憶も、懐かしい過去も。


 何もかも機械が消してしまった、自分の中から。
 何の役にも立ってくれない、頼りない欠片だけを残して。
 いっそ、それすらも無かったならば、と何度思ったことだろう。
 全てを忘れてしまっていたなら、どんなに楽に生きられたかと。
(でも、ぼくは…)
 忘れたくなかったし、忘れられなかった。
 陽炎のように儚くゆらめく、今は幻かとさえ思いそうな過去を。
 其処に自分が生きていたことを、両親と共に暮らしたことを。
 こうして懸命に繋ぎ止める日々、失くしてしまいそうなそれ。
 ともすれば手放したくなるほどの苦しみと辛さ、消えてくれていたらと思うほどの記憶。
 けれど、自分は忘れはしない。
 こうして此処まで持って来た本、それが「特別」な証だから。
 きっと自分は、他の者とは違うのだから。


 どう違うのかと、どう特別かと、ピーターパンの本を抱き締めては考え続けて。
(…子供が子供でいられる世界…)
 それを自分が作ろうと決めた。
 機械に騙され、陥れられる憐れな子供たち。
 そんな子供が生まれない世界、子供が幸せに生きてゆける世界。
 本当に本物のネバーランドを作ってやろうと、そのために地球のトップに立とうと。
 もう長いこと、空席だという国家主席。
 それになったなら、システムを変える力だってきっと手に入る。機械を止めてしまえる力。
 だから自分がトップに立つ。
 まずは教育ステーションから。
 最高の成績で此処を後にし、メンバーズへの道を歩んでゆく。
 そう決めた時から、成績が全て。
 友達は要らない、仲間だって。
 自分よりも劣る人間たちと一緒にいたって、何の得にもならないから。
 高みへと駆ける邪魔になるだけ、そうに決まっているのだから。


 ステーションのトップに、そしてメンバーズに。
 いずれは国家主席の地位に就こうと、がむしゃらに上げてゆく成績。
 勉強することは苦ではなかった、それが一番の早道だから。
 一日でも早く国家主席になること、このシステムを変えてやること。
 そうすれば全て、後からついてくるのだから。
 「ぼくの記憶を返せ」と機械に命令したなら、機械はそれを返すしかない。
 国家主席の地位に就いたら、それが自分の最初の命令。
 次は機械を止めること。
 歪んだ世界を支配する機械、全てを歪める根源の悪を。
 そして、自分のような可哀相な子供が二度と出来ない世界を作る。
 本当に本物のネバーランドを、子供が子供でいられる世界を。


 順調に上がり続ける成績、これでいいのだと思ったけれど。
 もっと上をと、更に上をと目指す間に、何度も耳に入った名前。
(…キース・アニアン…)
 教育ステーション始まって以来の秀才、マザー・イライザの申し子という呼び名。
 彼を抜かねば、自分は地球のトップになれない。
 国家主席の地位を目指すなら、キース・アニアンよりも上の成績を。
 「ステーション始まって以来の秀才」は自分の方でなくてはならない、キースではなくて。
 ネバーランドを作りたければ、このシステムを変えたければ。


(…あいつがキース…)
 取り澄ました顔の上級生。
 視線で敵を射殺せるならば、あの場で射殺したかったキース。
 トップに立つのは自分だから。
 マザー・イライザの、機械の申し子などとは違って、機械を嫌う自分がトップに立つのだから。
 そうなった時の…。
(あいつの顔が楽しみ、かな…)
 一日でも早く、それを見てみたい。
 きっとそんなに遠い日ではない、彼の成績を抜いたなら。
 彼が「負けた」と跪いたなら、彼を踏み台にして高みへと飛ぼう。
 このステーションから、メンバーズの道へ。その先の国家主席の地位へ。


(……ネバーランド……)
 ぼくが作る、とピーターパンの本を抱き締める。
 いつか必ず、きっと、この手で。
 システムを変えて、機械を止めて。
 子供が子供でいられる世界を、自分の望みも叶う世界を。
 懐かしい過去を、失くした記憶を、両親を、家をこの手に取り戻せる世界。
 それを自分は作らなければ、それが自分の使命だから。
 きっと自分は「特別」だから。
 キース・アニアンなどよりも、ずっと。
 あの取り澄ましただけの上級生より、きっと選ばれた存在だから。
(…今日まで顔も知らなかったし…)
 調べようとさえ思わなかったのも、キースなど、きっと敵ではないから。
 自分よりも劣る者のことなど、気にしなくていいということだろう。
 それでも今はキースの方が一応は、上。


(…今の間だけね?)
 今だけだよ、とクックッと笑う。
 自分は特別な人間だから。
 このシステムを変えるためにだけ、自分は生まれて来たのだから。
 成績を上げて、メンバーズになって、きっといつかは地球のトップに。
 国家主席の地位に就いたら、真っ先に憎い機械を止める。
 ネバーランドを創り出すために、本当に本物の、子供が子供でいられる世界のために。
 きっと、と抱き締めるピーターパンの本。
 その世界をぼくが作ってみせる、と…。

 

         作りたい世界・了

※成績優秀なのに、システムに対して反抗的。そんなシロエが優秀な理由が何かある筈。
 システムを変えたいなら国家主席になることだよね、と思っただけです、ゴメンナサイ…。





拍手[0回]

(…機械仕掛けの冷たい操り人形…)
 シロエは自分にそう言ったけれど。
 「人の気持ちが分からない」と、「分からないから怖くて逃げているだけなんだ」と。
 まさかシロエが言った通りに、この肌の下が冷たい機械で出来ているなど…。
(有り得ないんだ)
 そんなことは、とキースは呟く。自分の部屋で、心の中で。
 シロエの言葉に掻き乱された心、カッとなった怒り。
 思わずシロエを殴った一発、繰り出した拳は確かに自分のものだったから。
 ただ…。
(あの切れ味…)
 中途半端な一撃だったのに、ナイフのように思えた切れ味。
 それが恐ろしいような気がする、自分はいったい何者なのかと。
(…機械でも怒るんだ、と…)
 皮肉っぽく聞こえたシロエの声。
 あの時は自分に手を上げさせたシロエの意志の強さに、思わず飲まれていたけれど。
 こうして部屋で思い返せば、忍び寄って来る自分への恐れ。それから恐怖。
 何故なら、機械も怒るのだから。
 そのことを自分は知っているから。


 ステーションの皆が恐れるコール。マザー・イライザからの呼び出し。
 恐れられる理由は、コールされたら叱られるから。
 成績不良や、素行などで。
(叱るのも、怒りも…)
 何処か似ている、考えれば分かる。
 シロエと初めて出会った時には、自分もシロエを叱ったから。
 下級生たちの争い事を収めるために、その場にいた者を纏めて叱った。
(もしも、彼らが逆らっていたら…)
 今日のように手を上げることはなくても、怒鳴っただろう。
 怒鳴ったならば、それは怒りへの第一歩。
(マザー・イライザも…)
 同じように怒るのかもしれない。
 コールされた者が、まるで反省しなければ。
 繰り返しコールをすることになれば、声を荒らげて、きつい表情で。
(…ぼくが見たことが無いだけで…)
 そういうマザー・イライザに出会った者も、少なくないのかもしれない。
 皆がコールを恐れるからには、叱ることから、怒りへと進むことだってあるに違いない。
 つまり、機械も怒るということ。
 シロエが言っていたように。面白そうに、嘲りの笑みで。


 機械も人と同じに怒る。怒ることは出来る。
 ならば自分も、機械仕掛けで…。
(…今、こうやって考えているのも…)
 人間が持つ頭脳ではなくて、人工知能の仕業だろうか?
 マザー・イライザさながらに機械、良く出来たアンドロイドが自分の正体だろうか…?
(…それは有り得ない…)
 有り得ないと思う、握った手首を流れてゆく血。
 心臓から送り出された血液、それが打つ脈。
 規則正しく脈打つ心臓、アンドロイドにそこまで凝った仕掛けをするわけがない。
(…気のせいだ…)
 こんな風に乱れてしまう感情、それも機械には無いだろうから。
 怒ったとしても、機械だったら即座に修正するだろうから。
 次の段階に向けて計算し直し、きっと元通りに直すのだろうプログラム。
 そうでなくては意味を成さない機械。
 マザー・イライザが怒ったままでは、このステーションは立ちゆかない。
 だから自分が同じ機械なら、シロエに乱された感情だって…。
(…とうに修正されている筈…)
 そして落ち着いた自分がいる筈。
 自分が恐れるナイフのようだった切れ味の拳、あれは訓練の賜物だろう。
 中途半端に放った一撃、それが優れていただけのこと。
(何もかも、気のせい…)
 機械仕掛けの心だったら、乱れたままなど有り得ないから。


 ようやく緩んだ、自分への恐怖。
 人であるなら、それでいい。
 過去の記憶を持っていなくても、「機械の申し子」と嘲られても。
 二度とシロエの手には乗るまい、どんな攻撃を仕掛けられても。
 乱れ、落ち着かなかった感情。
 そんなものは二度と御免だから。
 負の感情を抱いて生きてゆくのは、愚の骨頂というものだから。


 自分で答えを出した後には一晩眠って、すっきりしたつもりだったのだけれど。
 講義のためにと出掛けて行ったら、不意に耳へと飛び込んだ声。
「おいっ!」
「サム?」
 声に釣られて向けた顔。其処にサムがいて、サムだけではなくて。
「元気でチューかぁ? …って」
 ヒョコッと自分に頭を下げた、サムが持っているぬいぐるみ。
 「聞くだけ野暮か」と、ぬいぐるみを投げ上げてオモチャにするサム。
 「宇宙の珍獣シリーズ、ナキネズミ。癒し系グッズのレア物だぜ?」とも紹介された。
 サムは心配してくれたらしい、自分のことを。
 昨日の事件で落ち込んでいないか、大丈夫かと。
 サムらしいな、と思った励まし。
 それを嬉しく思う心も、機械は持っていないだろう。…きっと。
(機械だったら、計算して、直ぐに適した答えを…)
 サムに返すのだろうから。
 なんと答えればいいのだろう、と見ていただけの自分と違って。


 ホッとした所へ、響いたコール。
 マザー・イライザからの呼び出し。
 立ち上がり、教室を出ようとしたのを「キース!」と後ろから呼び止めたサム。
 用があるのかと振り返ってみたら、「グッドラック!」と投げて寄越したぬいぐるみ。
 癒し系グッズのレア物がポンと飛んで来たから、受け取った。
 これもまた、サムの励ましだから。
 「元気出せよ」と。


 イライザのコールは怒りではなくて、叱られたというわけでもなくて。
 むしろ褒められ、途惑ったほど。
 ナキネズミのぬいぐるみを持っていたことも、何も言われはしなかった。
 「そういう物は持たずに来なさい」とも、「あなたらしくもないですね」とも。
 コールで少し疲れたけれども、きっとサムが食堂辺りで待っているから。
(…行ってこないと…)
 とはいえ、ナキネズミのぬいぐるみ。
 これを持ったまま歩き回るのも変な話だ、とサムに返すのは後でと決めた。
 そうしておいて良かったと思う。
 食堂で他の生徒が「お前のマザーは誰に似ているんだ?」などと、絡んで来たから。
 あんなロクでもない連中にかかれば、サムの心遣いのナキネズミだって…。
 きっと値打ちが下がるから。
 からかいの種にされてしまって。


 サムと二人で食堂を出た後、「今朝のアレ…」と詫びたナキネズミ。
 部屋に置いて来たから、明日、返すと。
 そうしたら…。
「やるよ、お前に。…元気でチューか、って言ったぜ、俺」
 それにさ、グッドラックって渡しちまったし…。お前のだよ、アレは。
 もうお前のだ、とサムは笑っているのだけれど。
「いや、しかし…。レア物だろう?」
 貰うわけには、と断った。
 お返しになりそうな物も無いから、と繰り返す自分は困った顔に見えたのだろうか。
 「そういうことなら…」と、ニッと親指を立てたサム。
「だったら、こういうことにしようぜ。貸しってことで」
「貸し…?」
「そう、貸し! いつか俺がさ、元気を失くすようなことがあったら…」
 アレ、その時に返してくれよ。「元気でチューか?」って。
 でもよ、俺はいつでも元気だからさ…。
 そんな日、来ねえと思うけどな?


(…元気でチューか、か…)
 確かにそんな日は来そうにないな、と部屋で眺めたぬいぐるみ。
 きっとサムには返せないまま、卒業することになるのだろう。
(このぬいぐるみをシロエが見ても…)
 それでも彼は言うのだろうか?
 「機械仕掛けの冷たい操り人形」だと。
 ぬいぐるみを持って、「元気でチューか?」と自分がやってみせたとしても。
(…それもプログラムで出来るんですよ、と笑いそうだが…)
 きっと自分は機械ではない、今は心が温かいから。
 サムに貰ったぬいぐるみ。
 此処を卒業してゆく時には、きっと荷物に入れるから。
 機械だったら、きっと余計な物は持たずに行くだろうから。
(お前と一緒に卒業らしいな?)
 相棒が出来てしまったようだ、とチョンとぬいぐるみをつついてみる。
 サムにはきっと、返せないまま。
 「元気でチューか?」とサムを励ます日などは、きっと来ないから。
 けれど来たなら、頑張ってみよう。
 プログラム通りにやるのではなくて、人間らしく。
 精一杯の励ましをこめて、サムに向かって「元気でチューか?」と…。

 

          友の励まし・了

※キースがやってた「元気でチューか?」を思い浮かべたら、こういう話になったオチ。
 あの芸をサムに披露するまで、ぬいぐるみを律儀に持ってたんだよ、と。





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