「前方を飛行中の練習艇! 停船せよ!」
停船せよ、シロエ!
何度も懸命に呼び掛けているのに、止まらない船。
分かっているのに、とキースが噛んだ唇。シロエは決して止まりはしない、と。
(頼む、止まってくれ!)
船の速度を上げてゆくしかない自分が憎い。このままシロエを追い続けたら、次は…。
(マザー・イライザは…)
なんと命令を下すのだろう、と思った所へ届いた声。「撃ちなさい」と。
「撃ちなさい、キース・アニアン」
(シロエ…!)
セットするしかないレーザー。撃つしかないとは分かるのだけれど。
(停船しろ、シロエ…!)
止まったところで、今更シロエが助かる道は…、と思いつつ、そう呟いた時。
「其処のバイク、止まりなさい!」
いきなり男の声が響いた、それも後ろから。
誰だ、と思う間もなくサイドミラーに映った赤色灯。それは激しく回転していて。
「制限速度オーバー、止まりなさい!」
(なんだ!?)
何事なのだ、と驚くしかなかった自分の現状。
乗っていた筈の小型艇は消えて、大きなバイクに跨った自分。それも旧式、今時こういうバイクが何処にあるだろうか、と思うくらいの。
ついでに自分は追われているらしい、赤色灯を点けた車に。白と黒とのツートンカラーで、凄い音量のサイレンを鳴らしているヤツに。しかも闇の中で。
(どうなってるんだ…!)
此処は何処だ、と慌てたけれども、マザー・イライザの命令が優先。とにかくシロエを追わなければ、と加速させたバイク。上手い具合に、仕組みは理解出来たから。
(くそっ…!)
捕まってたまるか、と制限速度の三倍くらいで走り始めたキースは知らない。いつの間にやら、時空を飛び越えていたことを。遥か地球まで飛んだ挙句に、日本とやらのローカル都市の公道、其処を走っていることを。
何が何だか分からないままに、ガンガン飛ばし続けたバイク。赤色灯を点けた車は、なんとか振り切ったと思う。それがパトカーだとは、キースは気付いていないけれども。
「止まりなさい」と怒鳴った男が警官なことも、スピード違反をしていたことも。
(逃げ切れたか…?)
何処をどう走って逃げて来たのか、此処はいったい何処なのか。
マザー・イライザの指示は、シロエは…、と真っ暗な中でバイクを飛ばし続けていたら。
「うわぁ…っ!?」
突然、ヘッドライトの向こうに見えた自転車、それに思い切り突っ込んだ。
ガシャーン! と派手な衝突音。バイクも自分も宙を舞ったし、自転車だって。そのまま地面に叩き付けられる、と慌てて取った受け身は…。
(………!!?)
ズボッと背中から埋まった泥。衝撃は全く無かったけれども、ズッポリと泥の中に沈んだ。辛うじて頭は出ているとはいえ、起き上がろうと動かした手も足も泥に沈んでしまう有様。
(どうなったんだ…?)
凍えそうなくらいに冷たい泥と、吹き付けてくる寒風と。見上げれば怖いくらいに澄んだ星空、其処にパチパチと舞っている火の粉。誰かが焚火をしているらしい。こんな泥の上で。
全く掴めもしない状況、シロエは、マザー・イライザは、と冷静に考えようとするよりも前に。
「困るな、兄ちゃん」
なんてことをしてくれるんだ、とノッソリと男が現れた。胴まであるような長靴を履いて、防寒着に身を包んだ男が何人も。
「…ぼくは…?」
此処は、と尋ねたら、呆れた顔付きの男たち。
自分がやらかしたことも分からないのかと、これだから最近の若い者は、と。
「初日の出暴走には早いぜ、兄ちゃん。…ま、警察には電話しといたけどな」
田舎だから来るまでに少し時間はかかりそうだが、と泥の中から引き上げられた。焚火の側へと引き摺って行かれて、「座れ」とポンと叩かれた椅子。それはいわゆるドラム缶だけれど、キースに分かるわけもない。「妙な椅子だ」と思っただけで。
男たちは毛布を被せてくれて、「この時期になると多いんだよな」と溜息をついた。
「何がですか…?」
「調子狂うな、派手にやらかしてくれた割によ。…あんた、何処かの坊ちゃんか?」
それなら分かる、と頷き合っている男たち。
親の金で買って貰ったバイクで好き放題に走りまくって、カーブを曲がり損なったか、と。この辺りは街灯の数が少ないから、池に突っ込むのもよくあるパターン、と。
「池…?」
その割には水が無いようだが、と泥まみれになった手足や服を眺めたら、「冬だからな」と問うまでもなく届いた答え。
「冬の間は池を干すんだよ、ため池だから。ついでに池の魚を売る、と」
「そうそう、丸々と太った鯉をな。夜の間に盗まれないよう、こうして番をしているんだが…」
何年かに一度は車かバイクが落ちてくるよな、と男たち。
「しかしなあ…。勝手に落ちるのはまだいいんだが…」
「人身事故は困るんだよなあ、朝までに片付けばいいけどよ…」
明日は商売が出来るだろうか、と男たちが見上げる堤の上。其処に出来ている人だかり。大勢がガヤガヤ騒ぐ声もする、「地元校の制服じゃないようだ」などと。
(制服…?)
もしや、とガバッと立ち上がった途端に、泥に足を取られて見事に転んだ。けれども、男たちは意図を理解したようで、両脇を抱えて堤へと上がる石段の方へと連れて行ってくれて。
「ちゃんと見とけよ、あんたのバイクが巻き込んだんだし」
救急車が来る前に謝るんだな、と背中を押された。ショックで混乱しているようだし、通じないとは思うんだが、と。
泥まみれの身体で上がった石段。たちまち非難の声が起こった、「なんて酷いことを」と。
「自転車の子をはね飛ばすなんて! こんな時間だ、塾帰りの子だよ」
それも遠くから帰って来た子だ、と見慣れないエプロンを着けたオバチャンに怒鳴られた。キースは知らない割烹着。それがオバチャンのエプロンなるもの。
「この辺の学校の制服じゃないし、街の学校へ行ってる子だね」
「高校受験で頑張ってるんだよ、遅い時間まで塾通いでさ」
あんたのような道楽息子とは違うんだ、と怒りMAXの男女の人垣、その真ん中に…。
(シロエ…!)
懸命に介抱している人が何人か、それでは自分がはね飛ばした自転車に乗っていたのは…。
(…シロエだったのか…)
けれども、言ったら終わりな気がした。知り合いを事故に遭わせたと知れたら、此処ではマズイという雰囲気。マザー・イライザの命令で、などと言っても通りそうにない。
これはヤバイ、と素直に謝ることにした。シロエは毛布にくるまれたままで、うわ言を言っているけれど。「ピーターパン…」とか、「ネバーランド」だとか、「パパ、ママ」だとか。
「…すまない、ぼくが悪かった」
「…ピーターパン…?」
来てくれたんだね、とシロエの瞳が開いたけれども、ほんの一瞬。瞼は直ぐに閉じてしまって、遥か遠くでサイレンの音。自分が追われていた時のヤツと、それとは違うサイレンと。
「あっ、救急車よ!」
「大丈夫かね、この子…。頭、打ってなきゃいいんだけどねえ…」
「酷いもんだよ、この子が池に落ちてた方がマシだったのにさ」
はね飛ばした方がピンピンしてるだなんて、と非難轟々、身の置き所も無い悲劇。あのサイレンの車が到着したなら、自分は逮捕されるのだろう。此処が何処かも分からないままで、マザー・イライザに連絡すらも取れないで。
そしてやって来た、いわゆるパトカー。救急車も同時に到着したから、シロエは担架で運ばれて行った。救急車の扉がバタンと閉まって、猛スピードで走り去ってゆく。赤色灯を回転させて、サイレンの音を高く響かせて。
(シロエ…)
彼は助かったのだろうか、と見送っていたら、ガチャリと両手にかけられた手錠。「とにかく署まで来て貰おうか」と、「君の親御さんの名前と連絡先は?」と。
(…親…)
父はフルで母はヘルマとだけしか知らない、連絡先など知るわけがない。どうやら此処ではシロエに分がある、自分の立場は限りなくマズイ。
(マザー・イライザ…!)
ぼくはどうしたら、と心で叫びを上げた瞬間、闇の彼方で弾けた閃光。
(……シロエ……?)
気付けば船の中にいた。泥にまみれてなどはいなくて、バイクに乗ってもいなかった。自分はシロエが乗った船を撃って、今の光は…。
(だが、さっきのは…)
夢とは思えなかった光景。シロエを乗せて走り去って行った救急車。
(Mの思念波攻撃のせいで…)
自分も今頃、夢を見たのかもしれないけれど。
あれが本当だったらいい、とステーションに向かって舵を切る。もしも自分を悪と断じる世界が何処かにあるのなら。シロエが其処で生き延びたなら…、と。
一方、シロエがキースのバイクにはねられた世界。日本の何処かのローカル都市。
あれから賑やかなクリスマスが終わって、除夜の鐘が鳴って、新しい年がやって来て。
「シロエ、初詣、気を付けるのよ?」
お友達と一緒に行くのはいいけど、退院したばかりなんだから、と玄関先で見送る女性。
「うん、大丈夫! クリスマスの分、取り戻さなきゃ!」
家でケーキも食べ損なったし、とマフラーを巻いて颯爽と駆けてゆくシロエ。
今の御時世、キラキラネームが流行るほどだし、シロエという名は目立ちもしない。ついでに奇跡か神の悪戯か、シロエは最初から此処に居たことになっていた。
玄関先で見送る母と、「大丈夫さ」と笑っている父、彼らの姿までシロエが好きだった両親たちと何処も変わりはしなかった。
チラホラと白い雪が舞う中、シロエは地球を駆けてゆく。彼が夢見たネバーランドを、行こうと夢に見ていた世界を。
自分は此処で生まれ育ったと、まるで疑わないままで。
マザー・イライザも、キースもいない世界で、日本の何処かのローカル都市で…。
師走の奇跡・了
※こういうネタがスッコーン! と落ちてくるのが管理人の頭。どうなってるのか自分でも謎。
シロエが暮らす、日本の何処かのローカル都市。初詣でタコ焼き食べるのかも?
※半年も経ってから、後日談が出来ました。「奇跡のその後」、よろしくです。