(この若造が…!)
よくも調子に乗りやがって、とソルジャー・ブルーが睨んだキース。
こうしてメギドまで来たのだけれども、よりにもよって拳銃などで撃たれるとは、と。
最初から死は覚悟していても、想定外とも言える展開。
(…メギドもろとも散るというのと、こいつの獲物になるのとでは…)
雲泥の差というヤツで、と歯軋りしたって、とうに手遅れ。弾を一発食らった時点で。
なにしろ元が虚弱な肉体、おまけに尽きかけていた寿命。
メギドでも散々使った体力、其処へダメージを受けてしまったら、不可能なのが反撃なるもの。もう少しばかり元気だったら、キースの頭を吹っ飛ばせるのに。心臓だって止められるのに。
(……だが、しかし……)
ただで殺されてたまるものか、とシールドを張りつつフル回転させている頭脳。
なんとかして一矢報いてやると、野蛮な男に天誅なのだ、と。
そうしたら…。
「反撃してみせろ! 亀のように蹲っているだけでは、メギドは止められんぞ!」
撃ちながら挑発したのがキースで、その瞬間に閃いたこと。「それだ!」とピンと頭の中に。
このブルー様を「亀」呼ばわりとは、なんとも無礼な男だけれど…。
(なるほど、亀か…)
ちょっと捻れば楽しいことに、と唇に浮かべた不敵な笑み。
キースは気付いていないけれども、「テメエ、一生、後悔しやがれ」と。
ソルジャー・ブルーを舐めるんじゃねえと、命と引き換えに呪ってやろう、と。
そんなこととも知らないキースが、ぶっ放した銃。
「これで終わりだ!」と格好をつけて。
その弾で右目を砕かれたけれど、思い切り礼はしてやった。サイオンを床に叩き付けて。
(ジョミー…。みんなを頼む!)
後は任せた、と果たした復讐。キースはキッチリ呪ったからして、後は野となれ山となれ。
自分の命は此処で終わるし、どうなろうと知ったことではない。
キースが一生、ドえらい呪いにやられたままでも、何処かで呪いが解けるにしても。
(呪いを解くには…)
ミュウを認めるしか方法は無い、と会心の出来の最後の呪い。
(亀の呪いというヤツが…)
あったからな、と無駄に多かったブルーの知識。「亀の足は昔からのろい」という駄洒落。
そいつを何処で仕入れて来たやら、もう覚えてはいなかったけれど。
どうせ死ぬから、後はどうでもいいのだけれど。
(一生、後悔するがいい…!)
これがソルジャー・ブルーの呪いだ、と高笑いしながらブルーは逝った。
目的通りにメギドを沈めて、キースにガッツリ呪いをかけて。
そのキースはと言えば、部下のマツカの瞬間移動で辛うじて逃げ延びていたのだけれど…。
「マツカ!」
エンデュミオンの通路にくずおれたマツカ、医務室に運ぶべきだろう、と判断したキース。
とはいえ今は急ぐからして、通りすがりの者を呼び止めた。
「おい、貴様!」
「はっ、何でしょうか!?」
緊張した顔のヒラに向かって、「こいつを医務室へ運んでおけ」と命じたつもりが…。
「こいつを医務室へ運んでケロ!」
「…ケロ?」
ポカンとしたのが目の前のヒラ。「運んでケロ」とは空耳だろうか?
「さっさとするケロ!」
「はっ!」
なんだか変な言葉だよな、と思いながらもヒラは仕事を引き受けた。「ケロって、なんだ?」と頭がグルグルしながらも。
一方、キースはまるで気付いていなかった。自分が「ケロケロ」言っていることに。
聞く人が聞いたら「カエル語ですか?」と訊き返しそうな言葉であることに。
…そう、カエル語。
それがソルジャー・ブルーの呪いで、一時期、シャングリラで流行った言葉。
カエルは幸運のシンボルだとかで、大増殖したカエル好き。いわゆるカエラー。
その連中が使っていたのが、カエル語だった。何かと言ったら「ケロケロ」とカエル。
キースが「亀」と言った瞬間、ブルーが思い出したのがソレ。
そして思った、「こいつをカエルにしてやろう」と。
ミュウと人類が和解するまでは、ケロケロ喋っているがいい、と。
拳銃をバンバンぶっ放していたキースの心は、いい感じに隙が出来ていたから。
勝ったつもりで威張り返って、心理防壁に生じた綻び。
物理的には反撃不可能、けれども心の方は別物。
だから「これで終わりだ!」とMAXになった綻び、其処へ向かってブチ込んだ呪い。暗示とも言えるかもしれない。
「貴様は今日からカエルなのだ」と、「カエル語で喋り続けるがいい」と。
呪いはジョミーに解いて貰えと、和解出来たら解ける筈だ、と。
ソルジャー・ブルーの怖すぎる呪い、呪われているとも思わないキース。
ゆえにマツカをヒラに任せて、向かったブリッジ。この後の指揮を執らねば、と。
「アニアン少佐! よく御無事で!」
出迎えたのが補佐官のセルジュ、早速下した残党狩りの命令。
「グレイブの艦隊は、残存ミュウの掃討に当たらせケロ」
一人も生かすなケロ、とやったものだから、一瞬にして凍った空気。「何なんだ?」と。
けれども、やっぱり気付かないキース。
自分がカエル語になっていることに。ケロケロ喋っていることに。
(自らの命を犠牲にしてメギドを止めたのか…。ソルジャー・ブルー…!)
敵ながら天晴れ、と思うキースの脳内言語はカエル語に非ず。
其処が呪いの怖い所で、自覚ナッシングに出来ていた。
周りの輩が「カエル語なのか?」と目を剥いたって、キース自身には分からない。音声データを突き付けられて、「カエル語ですよ?」と指摘されない限りは。
でないと、自分の鉄の意志でもって直すから。
意地でもカエル語を話すものかと、根性で修正可能だから。
かくしてキースはカエル語の男になってしまった。
自分で自分の動画などを見て、「ゲッ!」となっても、自覚ナッシングだけに直せない。決してカエル語を喋るものか、と思っていたって、頭の中身と噛み合わないから。
「マツカ、コーヒーを頼むケロ」くらいは可愛らしいもの。ほんの御愛嬌、毎度の台詞。
いつでもケロケロ、どんな時でも。
暗殺騒ぎに遭ったノアの宙港、其処で格好をつけた時にも。
「諸君、私は健在だケロ!」と。
カエル語になった時期が時期だけに、囁かれるのがソルジャー・ブルーの呪い。
もう間違いなくソレだ、と誰もが考えるけれど、呪いは全く解けなかった。
これで解ける筈、と皆が思った方法でも。「カエルにはコレだ」と挑んだヤツでも。
曰く、「カエルの王子様」。
お姫様のキスでカエルが王子に戻るからして、きっとこれなら、とキースにキスした面々。
我こそはと思う部下はもとより、出世目当ての下っ端まで。
マツカやセルジュやパスカルはもちろん、軍の施設で働く者も端から揃って。
それでも直らないのがカエル語、キースはケロケロ喋り続けて…。
「いいだろう。グランド・マザーに会わせてやるケロ」
ジョミーと地球で会った時にも、安定のカエル語な喋り。グランド・マザーの所へ降下してゆくエレベーターでも、変わらずに。
「サムが死んだケロ」と。
グランド・マザーの前でジョミーとチャンチャンバラバラ、それでもカエル語な男。
「ミュウが生き残るためには、人類を殲滅するしかないケロ!」と。
スウェナに託したメッセージの方でも、やっぱりケロケロ。
「諸君。今日は一個人、キース・アニアンとして話をしたいケロ」と。
ジョミーがグランド・マザーの触手に掴み上げられ、首をギリギリ締められたって同じこと。
「何故、ミュウの力を使わないケロ!」と怒鳴る有様、それがカエルになる呪い。
けれど、ソルジャー・ブルーの呪いが解ける条件、それは整いつつあるものだから…。
「命令を実行せよ、キース・アニアン。命令を」
グランド・マザーがそう命じた時、キースがバッと向けた銃。
「うるさい! もう私の心に触れるな!」
発砲したキースの言葉は、もうカエル語ではなくなっていた。
「私は自分のしたいようにする」と。「したいようにするケロ」ではなくて。
かくして、キースは最後の最後にカエルの呪いから解き放たれた。
だから…。
「セルジュ、聞こえるか」
地の底からセルジュに送った通信、それは「聞こえるケロ?」ではなかった。
まさか、と驚いたのがセルジュで、キースの言葉は普通に続いた。
「ミュウと共に地球を守れ」と、「よく今日まで、私について来てくれた」と。
「アニアン閣下!」
例の呪いが解けたんだ、と目を瞠ったセルジュ。
それでは、キースにかかったカエルな呪いを解いたのは…。
(…ジョミー・マーキス・シン…!)
あいつのキスが閣下の呪いを解いたんだ、と握り締めた拳、俯いた顔。「なんてことだ」と。
この騒ぎの中、アニアン閣下はミュウの長と、と。
死にそうな声をしていたけれども、ミュウの長とデキてしまってキスもしたんだ、と。
(……我々では解けなかった呪いを、ミュウの長が……!)
悔しいけれども、それが現実。
キースの真実の愛の相手は、ミュウの長のジョミー・マーキス・シン。
そういうことか、と唇を噛んで、セルジュは皆に命令した。
「総員、直ちにワルキューレで出撃! 攻撃目標、軌道上のメギドシステム!」と。
他の者たちが何と言おうと、これがカエルから立派な国家主席に戻ったキースの意志だから。
ミュウの長とデキてしまった人でも、今までついて来た人だから。
こうしてセルジュたちは地球を守って、間違った伝説が後に残った。
「カエルになっていた国家主席は、ミュウの長のキスで元に戻ったそうだ」と。
二人の間に真実の愛が生まれたらしいと、ミュウと人類が手を取り合う時代が来たのだと。
ソルジャー・ブルーがかけた呪いは、解けたから。
国家主席とミュウの長とは、最後に恋に落ちたのだから…。
カエルの王子様・了
※なんだってこんな話が出来たか、自分でも謎。「亀の呪い」と思っただけなのに。
とはいえ、「ケロケロ喋る」キースも悪くないかと…。ナスカから後はずっとカエル語。
(冷徹無比な破壊兵器か…)
よくも名付けた、とキースが翳らせた、冷たいアイスブルーの瞳。
自分の姿はそう見えるのか、と。
「コンピューターの申し子」の次は、「冷徹無比な破壊兵器」かと。
どちらも心が無さそうなモノで、破壊兵器の方が「申し子」よりも更に上。
「申し子」だったら人間だけれど、「破壊兵器」は機械だから。
元より心を持っていないモノ、持っていなくて当然のもの。
それが自分かと、ついに其処まで成り下がったかと。
(……グランド・マザーの御意志ならな……)
仕方ないが、と思うけれども、何故だか酷く疲れた気がする。
あの名が軍に、国家騎士団に広がってゆくだけで。
陰でヒソヒソ囁き交わしているならまだしも、褒め言葉として言われるのが今。
配属されたばかりの若い士官が最敬礼して。
「少佐の部下に配属されるとは、光栄であります!」と。
彼らの憧れ、キース・アニアン上級少佐。
それが自分で、冷徹無比な破壊兵器と称賛されている有様。
多分、そうではない筈なのに。
今はそうかもしれないけれども、元は違っていた筈なのに。
疲れた、と自分で淹れたコーヒー。
自室に座って口にしながら、思い出すのは名前の理由。
どうして今の異名があるのか、「冷徹無比な破壊兵器」と呼ばれる所以は何なのか。
(マザー直々の命令だったが…)
陣頭指揮を執ることになった、ラスコーで起こった反乱の鎮圧。
マザー・システムに不満を抱く兵士たち、彼らが起こしたクーデター。
元々は小さな部隊の反乱、けれども増えた賛同者たち。
手をこまねく間に、燎原の火のように広がり、星を丸ごと巻き込んだ。
「独立しよう」と、「マザー・システムはもう要らない」と。
相手は戦闘に慣れた者たち、地の利もあるから手も足も出ない。
(…だから私が駆り出されたんだ…)
メンバーズならば、きっと鎮圧できるだろうと。
どういう指揮を執るのも良しと、兵器も何を使っても良し、と。
(そこまでお膳立てをされたからには、働くさ)
グランド・マザーの御意志のままに、と口に含んだコーヒーの苦味。
それが戦場を思い出させる、「こうやった」と。
あの作戦の指揮を執っていたのは、確かに自分だったのだと。
綿密に立てておいた作戦。
けれど、尻込みした兵士たち。
相手も同じ兵士だから。
通信回線を通して流れる、反乱軍からのメッセージ。
「共に戦おう」と、「我々は同志を歓迎する」と。
彼らは攻撃して来なかった。
「君たちの心を信じて待つ」と。
それこそが彼らの強さで、戦法。
考える時間を与えられる内に、「彼らが正しい」と共に反旗を翻した者たち。
彼らが集う場所がラスコー、幾つもの部隊が合流しては増える戦力。
銃を向けては来ないのに。
ミサイルの一つも放ちはしないで、戦わずに待っているだけなのに。
(ああいう奴らが厄介なんだ…)
何処から見たって、彼らの方が正義だから。
鎮圧しようと兵器を持ち出す方が悪魔で、邪悪だから。
(どいつもこいつも、役に立たなくて…)
持ち場にいたって、照準を合わせることさえしない。
「あそこにいるのは、仲間なのでは」と。
何も攻撃して来ないのだし、きっと話せば分かるのだろうと。
だから一人でやることに決めた。
「どけ!」と兵士たちを退け、淡々と照準を合わせていって。
反乱軍の拠点を一つ残らずロックオンして、発射ボタンを押したミサイル。
多分、迎撃するだろうから、「攻撃が来たら撃て」と命じた。
「奴らは敵だ」と、「我々を撃って来るのだからな」と。
狙いは当たって、第一波で潰れなかった拠点は、部下の兵士たちが当たった掃討。
彼らもようやく目が覚めたから。
こちらへ向かって撃たれたミサイル、それを目にして。
あちこちの基地から急発進した、戦闘機の群れで正気を取り戻して。
(…私は口火を切っただけのことだ)
そう思うけれど、それが「誰にも出来なかったこと」。
同じ仲間がいる筈の場所に、ミサイルを撃ち込んでやるということ。
撃てば、仲間は死ぬのだから。
自分と同じ仲間を殺してしまうのだから。
(ただ、それだけのことなのだがな…)
しかし、誰も出来ずにいたのが現実。
自分の他には、誰一人として。
反乱部隊を鎮圧した後、ついた異名が「冷徹無比な破壊兵器」というものだった。
血も涙も無いから出来たことだと、本当に破壊兵器だと。
普通、人間には出来はしないと、恐ろしすぎるメンバーズだと。
(…私はマザーに従ったまでで…)
それに、と心にわだかまる思い。
マザー・システムに反旗を翻した者、ラスコーに集っていた兵士たち。
彼らの中には、きっとシロエがいた筈だから。
そういう名前ではなかったとしても。
「セキ・レイ・シロエ」の名は持たなくても、シロエと同じ心の持ち主。
マザー・システムには従えない者、機械の言いなりになって生きたくなかった者。
大勢のシロエがいたのだろうと、自分だからこそ分かること。
あの時、作戦に赴いた兵士、その中の誰が気付かなくても。
誰一人として知らないままでも、自分には分かる。
「もう一度、シロエを殺したのだ」と。
シロエと同じに、強すぎる意志を持った者。
それを何人殺したのかと、この手は何処まで血に染まるのかと。
ラスコーの反乱、その首謀者が何人ものシロエだったなら。
彼らの下には、大勢のサムもいたのだろう。
優しい心を持っていた友、気のいいサム。
彼ならばきっと、危険な任務も「いいぜ」と進んで引き受ける。
それが仲間の役に立つなら、喜んで。
真っ先に爆撃される場所でも、「俺なんかで役に立つんなら」と。
何人のサムが、あのラスコーにいたことか。
自分がミサイルを撃ち込んだ場所に。
部下たちに「撃て」と命じた地点に、飛び立って来た戦闘機の操縦席に。
(…サムと、シロエと…)
どちらも私が殺したんだ、と分かっている。
もっとも、サムなら、今も元気にしているけれど。
ずいぶんと長く会っていなくても、本物のサムは今も宇宙を飛んでいる。
パイロットとして、今も何処かの宙域を。
昔のままに気のいい笑顔で、仲間たちとも仲良くして。
(…あのサムが、これを聞いたなら…)
いったい何と思うだろうか、ラスコーで自分がしてきたことを知ったなら。
対外的には、反乱軍の鎮圧でしかないけれど。
サムは事実を知りようもなくて、「流石はキース!」と言いそうだけれど。
昔と同じにエリートだよなと、「やっぱり俺とは出来が違うぜ」と。
(…サムに、シロエに…)
私が殺した相手はそうだ、と分かっているから覚える疲れ。
本当にこれでいいのか、と。
「冷徹無比な破壊兵器」の道を歩んでいていいのかと。
それは間違いではないけれど。
正しい道だと、グランド・マザーは自分を導いてゆくのだけれど。
(…いつか後悔せねばいいがな…)
そんな日が来る筈もないのに、時折、胸を掠める思い。
「誤りだった」と気付かされる日、その日は遠くないのでは、と。
サムはともかく、シロエの声が聞こえて来る日。
「前から言っていたでしょう?」と。
なのに気付かなかったんですかと、「機械の申し子も、大したことはありませんね」と。
(……そうなりたくはないのだが……)
分からないのが未来なんだ、と傾けたカップのコーヒーが苦い。
いつもは舌に心地良いのに、今日は疲れているせいなのか。
それともシロエの声が未来から、響いて来た気がするからなのか。
(ラスコーか…)
冷徹無比な破壊兵器か、と唇に浮かべた自虐の笑み。
それには心はありそうもないなと、兵器は心を持たないからな、と…。
ラスコーの反乱・了
※「冷徹無比な破壊兵器」の異名を取ったらしい、ラスコーの反乱。その中身は謎。
捏造したっていいんだよな、と書いたオチ。ラスコーもアルタミラも洞窟壁画だよね?
「シャングリラもえだと?」
なんだそれは、とキースは不愉快そうに眉を顰めた。
日に日に拡大の一途を辿る、ミュウどもの版図。シャングリラと言ったらミュウの母船で、その名を聞くのも忌々しい。
けれど、報告に来たスタージョン中尉は、「シャングリラもえ」だと告げたから…。
(燃えたのだったら歓迎だがな?)
そう思うけれど、燃えて沈んだなら「殲滅しました」と言いそうなもの。
だから、いったい何事なのか、と先を促したら…。
「萌えだそうです、シャングリラに」
「…萌え?」
ますます分からん、と首を捻るしかない展開。
スタージョン中尉もその辺りは予想していたらしくて、「ご覧下さい」と渡されたデータ。
はて、と机の端末にセットし、動画だと分かるデータを再生してみたら…。
(なんだ、これは!?)
もう思いっ切り見開かれた目。アイスブルーの眼球がポロリと落ちそうなほどに。
画面の向こうに、キュートな美少女。ただし実在しない人間、アニメなキャラ。
その美少女が、弾ける笑顔でこう言った。
「シャングリラ応援キャラクターの、シャングリラ萌(もえ)でーっす!」
ご丁寧にも、「シャングリラ萌」とテロップつき。そういう名前のキャラらしい。
シャングリラ萌と名乗った少女は、声もなかなか可愛らしくて。
「人類の皆さん、はじめまして! シャングリラは怖くないからねーっ!」
みんなに愛される船なんです、と紹介してゆく、シャングリラ萌。
「この人が、長のソルジャー・シン。イケメンでしょ?」
そしてこっちがキャプテン・ハーレイ、と続くメインの人物紹介。期待の星のトォニィだとか、ちょっと頑固なゼルおじいちゃん。
「こういう人たちが乗ってまぁーす! 次はあなたの星に行くかも!」
皆さんに早く会いたいな、と笑顔全開のシャングリラ萌。
(…これはいったい、何事なのだ…!)
キースの表情は冷静だけれど、顔の下はパニック状態だった。「シャングリラ萌…」と。
其処へ新たな美少女登場、これまた愛想の良さそうな子で。
「萌ちゃん、案内ありがとう! はじめまして、ギブリ好美(このみ)でぇーっす!」
ギブリはミュウのシャトルなの、と始まってしまったガイダンス。
人類の船より機能が遥かに上なのだという、ミュウどもの技術力の宣伝。「よろしくね!」と。
「…何なのだ、これは!?」
何処からこんなモノが出て来た、と凄すぎる画面を指差したキース。
どう眺めてもミュウのプロモーションだし、「シャングリラ萌」と「ギブリ好美」なるブツ。
「…今、猛烈な人気だそうです。…シャングリラ萌が」
ミュウが落とした星はもちろん、まだ人類の勢力下にある星系でも、とスタージョン中尉も困り顔。「大変なことになりました」と。
「ミュウのイメージ戦略なのか!?」
「そのようです。自由アルテメシア放送で、繰り返し流れているとかで…」
この映像をダウンロードして、違法にアップする輩まで、という報告。
シャングリラ萌とギブリ好美は、今や絶大な人気を誇るキャラクター。しかも、シャングリラがやって来たなら、手に入るのが応援グッズ。
「…応援グッズ?」
「はい。子供でも買えるステッカーから、値段高めのフィギュアまで…」
各種取り揃えて来るのだそうです、とスタージョン中尉は直立不動。陥落直後の惑星だったら、期間限定コラボカフェまであるらしい。
「…コラボカフェだと!?」
「限定メニューが売りのようです。入店記念グッズも手に入るとかで…」
もう物凄い人気ですよ、と聞かされてゾクリと冷えたのが背中。応援グッズも、コラボカフェの方も、どうやらミュウの資金源。
「シャングリラ萌」と「ギブリ好美」で人気を勝ち取り、集金しながら地球を目指すミュウ。
「よろしくね!」と微笑む美少女キャラを作って、人類のハートを鷲掴みで。
なんということだ、と愕然としたキースだけれども、其処は腐っても機械の申し子。この作戦の穴に直ぐに気付いた。シャングリラ萌とギブリ好美が、如何に人気を誇っても…。
(所詮、男しか…)
ついて行かない筈だからな、と弾き出した答え。
美少女キャラでは、女性の心は掴めないもの。幼い子供だったらともかく、人類の行く末を左右するような年の女性は見向きもしない。
(…焦るな、キース…)
こんな現象は一時的なものだ、と考え、スタージョン中尉にも「無視しておけ」と下した指示。
萌えキャラごときで失う星なら、最初から期待しないから。
シャングリラ萌とギブリ好美に貢ぐ輩も、人類の未来を背負わせるには…。
(クズすぎて、どうしようもないからな…)
我々の世界に馬鹿は要らない、と冷たい笑いで切り捨てた。「ミュウにつく馬鹿は不要だ」と。
なにしろ世界の半分は女性、まだ充分に巻き返せる。
シャングリラ萌がやって来ようが、ギブリ好美が地球を目指そうが。
それきり忘れた「シャングリラ萌」。ギブリ好美の方もセットで、サックリと。
ところが一ヶ月も経たない間に、駆け込んで来たのがスタージョン中尉。
「大変であります!」と慌てた様子で、データ入りのケースを引っ掴んで。
「…今度はなんだ?」
またシャングリラ萌が出たのか、と嫌でも蘇って来た記憶。そういうキャラがいたのだった、と非常に不快な気分だけれども、スタージョン中尉は「違います」とデータを差し出した。
「どうぞ、ご自分の目でお確かめ下さい」
「………???」
まあいいが、とセットしてみたら、データは動画。身構えつつも再生を始めた途端に…。
「やあ、人類のみんな! ぼくの名前はアルテメシア!」
アル君と呼んでね、と爽やかなイケメンがニコッと笑った。またも実在しないキャラ。アニメの世界なイケメン青年、もちろん声もイケている。
「こっちが友達のソレイド君で…。ソレイド君、君の目標は?」
「やっぱり、地球(テラ)君に会うことかな!」
早く遊びに行きたいよね、とソレイド君もイケメンだった。アルテメシアとは違うタイプの。
「だよねえ…。地球(テラ)君、スポーツ万能、頭も凄くいいんだけど…」
「まだ会えないしね、ぼくたちが地球に着かないと…」
だから人類のみんなも応援してね、というメッセージ。
「素敵な友達を沢山増やして、地球(テラ)君に会いに行かなくちゃ」と。
超絶美形な地球(テラ)君の登場、その日を楽しみにしていてね、と。
「こ、これは…。まさか、こっちも大人気なのか…?」
アルテメシアとソレイド君が、と画面を指したら、スタージョン中尉は頷いた。
「ペセトラ君とか、友達が色々いるんです。しかもこっちは、ゲームも出来ていますから…」
ミュウどもが星や基地を落とす度に、キャラが一人増えます、という解説。
新しいイケメンが登場する度、女性たちが熱狂する仕組み。超絶美形な地球(テラ)君は、今の時点ではシルエットだけで…。
「モビー・ディックが地球に着いたら、地球(テラ)君が公開されるそうです」
「で、では…。この連中に萌えな女性たちは…」
我々がミュウに敗北するのを待っているのか、と言葉にせずとも自明の理。
「シャングリラ萌」を掲げて快進撃を続けるミュウたち。彼らが地球に着きさえしたなら、凄い美形がゲームにお目見えするのだから。
ついでに、アルテメシアやソレイド君にも、応援グッズやコラボカフェなどがセットもの。
人類はせっせとミュウに貢いで、今や敗北を期待している。
キッパリすっかり負けないことには、「シャングリラ萌」も「ギブリ好美」も来ないから。
超絶美形な地球(テラ)君だって、未公開のままで放置だから。
(…なんということだ…!)
いったい誰が仕掛けたのだ、と歯噛みしたってもう遅い。
「シャングリラ萌」と「ギブリ好美」は男性のハートをガッツリ掴んで、アルテメシアが擬人化されたアル君たちには、女性が熱狂中だから。
(…男も女も、ミュウに貢いで…)
シャングリラが来るのを待っているのか、と慌てたけれども、とうに手遅れ。
それから間もなく、首都惑星ノアは戦わずして落ちてしまった。軍の内部にも広がりまくった、「シャングリラ萌」と「ギブリ好美」萌え。「早く来ないかな」と待たれたミュウたちの船。
(…何がコラボカフェだ…!)
泣きたい気持ちのキースを放って、スタージョン中尉も駆け込んで行ったコラボカフェ。
その始末だから、地球もサックリ、ミュウたちのもの。
キースには何も出来ないままで。あっさりキッチリ、グランド・マザーを壊されて。
死人の一人も出ないまんまで、のうのうと降りたシャングリラ。地球の空へと。
SD体制は既に倒れて、マザー・システムも跡形も無い。
けれど熱狂している人類、「やっと地球(テラ)君が公開された」と。
シャングリラ萌もギブリ好美も、これからグッズが山ほど発売されるのだから、と…。
シャングリラに萌え・了
※どう転がったら、こんな話になるのやら…。「シャングリラ萌」って、何なのかと!
仕掛けたのはジョミーか、トォニィなのかも謎であります。案外、外部に丸投げだとか…?
(とりあえず…)
失恋したことは確かなんだよ、とジョミーがついた大きな溜息。
アッと言う間に変わりまくった自分の境遇、気付けばソルジャー候補とやら。
普通の少年のつもりでいたのに、成人検査で全てがパアに。未来はオシャカになってしまって、ミュウという種族になってしまった。かてて加えて、将来はミュウの長らしい。
(…そっちは問題がデカすぎて…)
考える気にもなれやしない、とフテ寝しているベッド。ソルジャー候補の衣装のままで。
サイオンの訓練はシゴキの日々だし、ソルジャー候補としての勉強も大概、疲れる。何もかもを投げてしまいたいキモチ、けれど投げたら終わるのが命。
このシャングリラから外へ出たって、人類に追われて殺されるだけ。嫌というほど学習したし、運命については諦めの境地。考えても無駄で、嘆いても無駄、と。
そんな日々だから、ちょっぴり離れてみたい現実。ソルジャー候補ではない、ただのジョミーな自分を探してみたくなる。「ただのジョミー」は元気だろうか、と。
思考をそっちへ向けた途端に、思い出したのがフィシスのこと。よって零れてしまった溜息。
(美少女なんだと思ってたのに…)
アタラクシアにいた頃、ソルジャー・ブルーに見せられた夢。
そうとも知らずに惚れたのがフィシス、「なんて綺麗な人なんだろう」と。ところがどっこい、夢の中でも上手く運ばなかった展開。
(ブルーが出て来て…)
掻っ攫われたのが夢の世界のフィシスで、やっと本物のフィシスに会えたと思ったら…。
(五十歳も年上なんだよね?)
これじゃ駄目だ、と嫌でも分かる。
ブルーには顔で惨敗な上に、実年齢でも激しく負けているのだから。どう考えても、フィシスに似合いのお相手はブルーの方だから。
なんてこったい、と嘆きたくなる自分の立場。
ただのジョミーを見付け出したら、「失恋したジョミー」が転がっていた。夢で出会った素敵な美少女、フィシスはブルーのものだったから。
(みんなが認めるミュウの女神で…)
ブルーにベッタリらしいもんね、と膝を抱えて丸くなりたい気分。ソルジャー候補なジョミーを待つのは訓練の日々で、ただのジョミーは失恋するのがこの船なのか、と。
シャングリラはキツイ船らしい。ジョミー・マーキス・シンにとっては。
(いいこと、なんにも…)
ありやしない、と幾つ目だか分からない溜息。
果たしてこの先、何かいいことがあるのだろうか。船の面子は把握したけれど、フィシスよりも魅力ある女性がいそうな気配はゼロで…。
(ブリッジのルリとかが、大きくなったら…)
ちょっとは望みがあるのかも、と思ってみたって失恋したら結果は同じ。
もう本当に泣きたいキモチがMAXだけれど、ふと浮かんだのが「恋占い」という言葉。
まだ人類の世界にいた頃、けっこう人気があった占い。将来、結婚出来るかとか。
そういえば、と気付いたフィシスの立ち位置なるもの。未来を占うソーシャラー。
タロットカードで未来を読めると評判なのだし、恋占いも出来るに違いない。
(…失恋しちゃった相手だけど…)
五十歳も上の人となったら、アタラクシアで育ててくれた母よりも遥かに「おばあちゃん」。
そう考えたら、失恋ショックも宥められないことはない。「おばあちゃんだしね?」と。
その「おばあちゃん」に頼む恋占い。「誰かいい人、見付かりますか?」と。
自分はソルジャー候補なのだし、フィシスは断らないだろう。遊びみたいな占いだって。
(訊いてみようかな…)
いつか運命の相手が見付かるのならば、ちょっとは希望もあるというもの。こんな船でも。
思い立ったが吉日なのだし、訊きに行こう、とガバッと起きた。
幸い、服は着たままだったし、時間もそれほど遅くない。
善は急げ、とダッと駆け出した通路。フィシスの私室と言っていいほどの天体の間へ。
そして…。
「ようこそ、ジョミー」
私に何か御用ですか、と迎えてくれた麗しのフィシス。
(…この人がブルーの…)
恋人なんだ、と胸に蘇ったのが失恋ショックで、こみ上げてくる情けなさ。顔でも年でも負けているよねと、ブルーは何でも持ってるんだ、と。
フィシスという美人な恋人はもとより、ソルジャーの地位も、強いサイオンも。カリスマすぎる超絶美形な姿形も何もかも…、と思ったら涙が溢れそう。
「どうせぼくなんか」と、「思いっ切り失恋したんだっけ」と。
そうしたら、首を傾げたフィシス。「どうしたのです?」と心配そうに。
「…私に御用だったのでしょう? でも…」
あなたは勘違いをしていますよ、とフィシスの手がめくった一枚のカード。白いテーブルの上に置かれたタロットカードは、見たって意味がサッパリだけれど。
「…えっと…。そのカードって何ですか?」
「さあ? でも、ジョミー…。真実は此処にあるのです。少なくとも私は…」
ソルジャーの恋人ではありませんわ、とフィシスが言うから驚いた。嘘だろう、と。
「ちょっと、それって…!」
有り得ない、と叫んだけれども、フィシスは優しく教えてくれた。「本当ですよ」と、柔らかな声で。「失恋だなんて、勘違いですわ」と鈴を転がすように笑って。
(…失恋したわけじゃなかったんだ…)
ソルジャー・ブルーの恋人だとばかり思っていたのに、違ったフィシス。
あまりにビックリしたものだから、恋占いを頼むのも忘れて部屋に戻って来たけれど。この船は本当に奥が深い、と考えたりもしていたのだけれど…。
(…えーっと…?)
フィシスの言葉を思い返したら、心に引っ掛かったこと。恋敵だと思ったソルジャー・ブルー、彼が問題。どうやら自分は失恋していなかったし、恋敵ではないのだと思ったけれど。
(…フィシスはブルーの恋人じゃなくて、ブルーは船のみんなを愛してるって…)
そう言ったよね、と忘れてはいないフィシスの言葉。この耳で確かにそう聞いた。
フィシスに限らず、船のみんなをブルーが愛しているのなら…。
(…もしかしなくても、みんなブルーの恋人だとか?)
恋人ではないなら愛人だろうか、フィシスともやたら親密そうに見えたから。恋人なんだと思い込んだ末に、勝手に失恋したほどだから。
(そうなのかも…?)
この船のみんながブルーの愛人、と見開いた瞳。子供はともかく、大人は一人残らず、と。
けれど男性も多いわけだし、男同士のカップルなんかは有り得ないし…、と考えたものの、頭の中から消えない疑惑。「もしかしたら」と。
だから部屋にもあった端末、それを使ってデータベースにアクセスしてみて…。
(……嘘……)
男同士もアリだったんだ、と愕然とさせられた恋の実態。学校では教わらなかったこと。
もうちょっと詳しく、と調べようとしたら、「これ以上は駄目」と出たエラーメッセージ。
曰く、「十八歳になってから、また来てね」とでもいった所だろうか、その内容は。
(…うーん……)
よく分からない、と思うけれども、男同士でも恋は出来るというのが真実。ならば、フィシスが言っていた通り、ソルジャー・ブルーは船の仲間の全員を…。
(…男も女も、分け隔てなく…)
愛人にしているわけですかい! と唖然呆然、けれどもピンと来ないでもない。
(アタラクシアに帰せ、って言ったら、何処かからリオが出て来たし…)
あんな具合で、青の間には常に誰かが侍っているのだろう。愛する人の世話をするために。
ソルジャー・ブルーが何か言ったら、「はいっ!」とお相手、あらゆることで。
(一緒に食事とか、お喋りだとか…)
きっとそういう世界なんだ、とジョミーが派手にやらかしてしまった勘違い。
それに加えて、「十八歳になってから、また来てね」というエラーメッセージも気になる年頃。
なんとか突破できないものか、とソルジャー候補のストレス解消とばかりに挑み続けて…。
ある日、開けてしまった道。エラーメッセージの向こうにあった大人な世界。
(……なんだか、色々……)
どんなカップルも恋もあるよね、とジョミーは納得してしまった。
世の中、男女の恋だけではなくて、男同士にも色々あると。上とか下とか、表現、様々。それに老け専とか、好みの方も山ほどらしい、と。
(…全部こなすのがブルーなんだ…)
相手が女でも男でも…、とビビるしかないブルーの素顔。シャングリラの誰もがブルーの愛人。
そうなってくると、組み合わせの方も星の数ほどあるわけで…。
(…リオが相手だと、ブルーは受けになるのかな…?)
それとも偉そうにしていたのだから、攻めなのだろうか。いやいや、ブルーが偉そうでも…。
(……女王様っていうのも、あるみたいだし……)
決めてかかっちゃいけないよね、とフィシスのことで学んでいたから、思慮深く。思い込みでは語っちゃ駄目だ、と。
(…ゼルやヒルマンだと、どうなるんだろう?)
老け専なのは分かるんだけど、と若きジョミーの悩みは尽きない。
フィシスばかりか、船の仲間の全てを愛しているのがソルジャー・ブルー。
この船は奥が深すぎるよねと、ブルーの全てを理解するには何年かかることだろう、と。
(…そのスキル、まさかソルジャーには必須とかじゃないよね…?)
ぼくにはとても真似出来ないよ、とブルッているのがソルジャー候補。
船を守るだけで許して欲しいと、皆を愛するのは絶対無理、と。
受けでも攻めでも男は勘弁、女の子の方に限定したい、と。
(…それって、ソルジャー失格かな…?)
だったらホントにヤバイんだけど、と勘違いしたままで過ごしたジョミーは、後に宇宙へ逃れた船でヒッキーの道を突き進む。
いきなりブルーが眠ってしまって、ソルジャーにされてしまったから。
船の仲間を分け隔てなく愛する立場にされたから。
(……五十歳上でも、フィシスだったら……)
歓迎だけれど、いくら若くてもキムやハロルドは困る。ゼルやヒルマンなどもう論外だし、船を纏めるキャプテンだって。
(…ブリッジに行ったら、絶対、言われる……)
どうして仲間を愛せないのか、と突っ込まれるに決まっているから、ヒッキーの道。
引きこもっていれば、受けだの攻めだの、悩まなくてもいいのだから。
誰かのベッドに引っ張り込まれて、それは恐ろしい目に遭わされなくても済むのだから…。
少年の悩み・了
※ジョミーはフィシスを「美少女」なんだと思ってたよね、と考えたらこうなったオチ。
五十歳も上の「おばあちゃん」でも、ゼルとかヒルマンよりは「若い女性」な分だけマシ。
(あの血の味…)
キースは知りもしないんだろうさ、と吐き捨てたシロエ。
灯りが消えた自分の部屋で。
あの時、自分がそうした通りに、唇を拳でグイと拭って。
キースに殴られ、衝撃で切れた口の中。
自分の歯が当たった頬の内側、人間だったらこれで出血するけれど。
現に自分も唇から血が流れたけれども、その傷をくれて寄越したキース。
(…あいつは知らない…)
知るわけがない、と思う血の味。
多分、彼には血など流れていないから。
機械仕掛けの操り人形、マザー・イライザの申し子のキース。
皮膚の下には、冷たい機械の肌が埋まっているのだろう。
一皮剥いたら、もう人間ではないキース。
(機械も怒るらしいけれどね?)
怒って自分を殴ったけれども、マザー・イライザも同じに怒る。
キースとは違って計算ずくで。
「叱った方が効果的だ」と判断したなら、厳しい顔で。
さっき自分も叱られたから。
コールを受けて食らった呼び出し、マザー・イライザは怒ったから。
それが何だ、と腹立たしいだけ。
キースに喧嘩を売った理由は、自分にとっては正当なもの。
勝負しようと言っているのに、キースはそれを退けたから。
受けて立とうという気が無いだけ、それだけのことで。
(エリートだったら…)
正面からぼくと勝負しろよ、と今だって思う。
逃げていないで、逃げる道など行かないで。
堂々と戦ってこそのエリート、それでこそだと思うから。
コソコソと逃げる卑怯者では、メンバーズ・エリートもきっと務まりはしないから。
(逃げるようなヤツに…)
腰抜けなんかに何が出来る、と思うけれども、マザー・イライザはキースを支持した。
彼の選択が正しいと。
なのにしつこく食い下がったから、手を上げざるを得なかったのだと。
(…殴られ損だよ…)
あんな機械に、と苛立つ心。
同じ人間に殴られたのなら、まだしも気分がマシなのだけれど。
人間ならば、血が通っているから。
自分と同じに生き物だから。
けれど、殴って来たのは機械で、血の味さえも知らない「モノ」。
こちらから殴り返していたって、キースの口の中は切れたりはしない。
あの精巧に出来た歯が当たろうとも、皮膚の下には機械の肌があるだけだから。
血など一滴も流れていなくて、切れたところで赤い血は出ない。
(…流れてない血は、流れ出すことも出来ないさ…)
彼は知らない、口の中に広がる鉄の味など。
ヒトの血は鉄の味がするということも、その味が何によるものかも。
それとも知っているのだろうか、知識として。
マザー・イライザにプログラムされて、「人間の血は鉄の味がする」と。
「人間」には「血」が流れていると。
その「血」を人間が口に含めば、「鉄分」の味を知覚するのだと。
あいつらしいね、と思った答え。
如何にもキースが言いそうなことで、機械の申し子に似合いの答え。
「キース先輩」と呼び掛け、尋ねたならば。
「先輩は血の味を知ってますか」と、「どんな味だか、知らないんですか?」と。
訓練でも負けを知らないキース。
だから血などは流していないし、疑いもせずに答えるのだろう。
「知らないが、鉄の味がするらしいな」と。
「人間の血には鉄分が含まれているから、そのせいで鉄の味になるそうだ」とも。
(ご立派だよね…)
エリート様だ、と皮肉な笑みしか浮かんでは来ない。
確かに正しい答えだけれども、キースにはその「血」が無いのだから、と。
自分では持っているつもりでも。
キース自身に自覚が無くても、彼には血など流れていない。
どう考えても、彼は人では有り得ないから。
マザー・イライザが造った人形、そうだとしか思えないのだから。
(…あいつは何処からも来なかった…)
このE-1077へ。
記録の上ではトロイナスから来ているけれども、それは見せかけ。
何もかも全て偽りなのだと、調べれば調べてゆくほどに分かる。
キースの記録は、まるで無いから。
新入生を迎えてのガイダンスの場へ、突然に姿を現すまでは。
映像は何も残っていないし、同じ宇宙船で着いた筈の者たちも覚えていない。
船にキースが乗っていたなら、きっと記憶に残るだろうに。
(…ごく平凡な成績だったら…)
忘れられても、けして不思議ではないけれど。
人の記憶はそういうものだし、「キース、いたかな…?」と首を傾げもするだろうけれど。
あれほどのトップエリートともなれば、忘れる筈がないというもの。
入学した途端に取った成績、たちまち評判になったろう、それ。
E-1077始まって以来の成績だから。
それまでの記録を端から塗り替え、トップに躍り出たのだから。
忘れる方がどうかしている、と思うキースの活躍ぶり。
此処へ来てから間も無い頃に起こった事故でも、見事な働きをしているキース。
(あんなヤツが一緒の船にいたなら…)
最初は忘れていたとしたって、何処かで気付く。
「あの時のヤツだ」と、「一緒の船で此処に着いた」と。
記憶の海に埋もれていたって、思い出すには充分すぎる「優れた」キース。
けれども、誰も彼を知らない。
誰に訊いても、返る答えは同じこと。
「覚えていない」と、判で押したように。
忘れようもない人物なのに、普通だったら「覚えている」ことを誇るのに。
成人検査で記憶を消されて、故郷の記憶が曖昧でも。
両親の顔さえ忘れてしまったような者でも、「同郷だ」と。
トップエリートのキースと同じで、トロイナスから来たのだと。
(…それが一人もいないってことは…)
此処にいたんだ、という答えしか無い。
キースは何処からも来はしなかった。
最初からE-1077に居た者、マザー・イライザが造った者。
造り、知識を与えた者。
とびきりの頭脳を持ったエリート、そういう存在になるように。
機械が治める世界なのだし、エリートも機械の方がいい。
同じ機械と組む方が。
(パーツさえ上手に取り替えてやれば…)
何百年だって生きられるしね、と機械の頑丈さを思う。
地球に在るというグランド・マザーは、六百年近くも動いているから。
動き続けて、今も宇宙を、人間を支配しているから。
(…そうやって治めて、治め続けて…)
とうとう機械仕掛けの人形を思い付いたんだ、と忌まわしさしか感じない。
機械が統治しているだけでも反吐が出るのに、人のふりをした機械だなんて、と。
そんなモノが治める世界だなんてと、絶対に御免蒙りたいと。
だから壊す、と握った拳。
「ぼくがキースを壊してやる」と。
彼がトップに立つ前に。
人間の世界に出てゆく前に。
この手で彼をブチ壊してやる、キース・アニアンという人形を。
機械の申し子、マザー・イライザの精巧な操り人形を。
(どうせ機械だ…)
壊したって血も出やしないさ、とクックッと笑う。
「自分が何かを、知って仰天するがいい」と。
皮膚の下には血など無いこと、それを知って壊れてしまうがいいと。
「彼」は人間のつもりだから。
自分が機械で出来ていることを、キースは認めていないから。
想定外のデータを送り込まれれば、破壊されるのがプログラム。
そうやって自滅してゆくがいいと、お前には血など無いのだから、と…。
血を持たぬ者・了
※シロエがキースに殴られた時。その場はカッと来てるだろうけど、その後は…。
口の中は血の味がしてた筈だよ、と思ったらこういうお話に。人形に血は無いんだから。