(…何もかも、此処に書いてあるのに…)
だけど見えない、とシロエが見詰める本。
E-1077の個室で、与えられた机の前に座って。
成人検査で奪われた過去と、優しかった両親と、懐かしい故郷。
子供時代は消えてしまって、一冊の本が残っただけ。
この本は宝物だから、と鞄に詰めて家を出た本。両親に貰った大切な本。
(……ピーターパン……)
幼かった頃から夢見た少年、永遠に年を取らない子供。
ネバーランドから夜の空を駆けて、子供たちを迎えに来る少年。
いつか会えると信じていた。
「いい子の所には、ピーターパンが迎えに来るんだよ」と。
その日に備えて準備したこと、それは覚えているけれど。
ピーターパンと一緒に夜空を駆けてゆこうと夢を描いたのも、確かに自分なのだけど。
(……ピーターパンも、ネバーランドも……)
見えてこない、と穴が開くほどに見詰め、ページをめくってゆく。
ピーターパンの本に書いてあること、それが鮮やかに見えてくれない。
空を駆けてゆくピーターパンの姿を、自分はいつでも夢に見られた筈なのに。
背に翅を持ったティンカーベルも、悪い海賊のフック船長だって。
(この本を開きさえしたら…)
其処にあった、と思う夢の国がネバーランド。
今も昔と同じに夢見て、出来ることなら行きたい場所。
牢獄のようなE-1077から夜空を駆けて、ピーターパンと一緒に飛んで。
…残念なことに、此処に夜空は無いけれど。
漆黒の闇が広がる真空の宇宙、そんな場所では誰も飛べないのかもしれないけれど。
ピーターパンも、背に翅を持つ小さな妖精のティンカーベルも。
そういうことなら、それも仕方ないと諦めるけれど。
此処からネバーランドに繋がる道は無いのだ、と諦めるしか無さそうだけども。
なにしろ、此処には無い太陽。
中庭に人工の夜はあっても、人工の朝が訪れはしても、無いのが「夜明け」。
太陽は何処からも昇って来なくて、ただ照明が灯るだけ。
夜の間は暗かった中庭、其処を明るく照らし出すように。
まるで本物の朝が来たように、徐々に明るさを増してゆく光。
けれども何処にも太陽は無くて、訪れはしない「夜明け」というもの。
つまり「本物の朝」が無いわけで、本物の朝が来ないなら…。
(…二つ目の角を右へ曲がって、後は朝までずっと真っ直ぐ…)
そうやって進んでゆけはしないのだし、開かないネバーランドへの道。
ネバーランドへの行き方はこう、とピーターパンの本に書いてあるから。
「二つ目の角を右へ曲がって、後は朝までずっと真っ直ぐ」と。
(…朝が無いから、いくら歩いても…)
けして着けない「朝」という場所。
「朝まで真っ直ぐ」進んで行ったら、ネバーランドに行けるのに。
二つ目の角を右へ曲がって、朝まで真っ直ぐ行くだけなのに。
(…それが出来ない場所だから…)
ピーターパンもティンカーベルも飛んで来ない、と思うことは出来る。
朝が無い上に、夜空でもない真空の闇に包まれていては。
そんな所に囚われていては、ピーターパンも来られないのだと。
出来ることなら、そう思いたい。
ネバーランドへの道も閉ざされた、呪われた場所に囚われの自分。
朝が来ないから自分で歩いてゆけはしないし、空が無いからピーターパンも来られない。
どう頑張っても辿り着けない夢の国だから、ネバーランドも見えないのだと。
…こうやって本を開いてみても。
穴が開くほどピーターパンの本を見詰めても、夢の国は其処に無いのだと。
(…ティンカーベルも、フック船長も…)
何も見えない、と胸が塞がれるよう。
故郷では、この本を広げただけで飛べたのに。
身体は故郷の家にあったソファ、その上にコロンと転がっていても。
床の絨毯に座っていたって、心は自由に羽ばたいてゆけた。
本の向こうのネバーランドへ、ピーターパンが飛んでゆく国へ。
(…本当に全部、其処にあるんだ、って…)
信じられたし、信じてもいた。
だから夢見て憧れ続けて、いつか行こうと準備していた。
ピーターパンが迎えに来たなら、一緒にふわりと舞い上がる夜空。
そのまま朝までずっと真っ直ぐ、ピーターパンと飛んでゆこうと。
本物のネバーランドにきっと行けると、本で見るよりも素敵な場所に、と。
(…ちゃんと見えたよ、ネバーランド…)
ぼくは見ていた、と覚えているのに、今では何も見えては来ない。
こうして本を開いてみたって、懸命に文字を追ったって。
挿絵のページに見入ってみたって、開いてくれない世界の扉。
今の自分には、ネバーランドがもう見えない。
…どんなに探し求めても。
この本のページから行ける筈だと、行けた筈だと頑張っても。
そうなったのは、自分が捕まったから。
E-1077という名の牢獄、其処に閉じ込められたせいだと思いたいけれど…。
違う、と分かっている悲しい答え。
懐かしい故郷や優しい両親、子供時代の幸せな記憶。
それと一緒に、自分は失くしてしまったのだと。
ネバーランドを見付ける力を、本の向こうに夢の世界を読み取る力を。
(……テラズ・ナンバー・ファイブ……)
あいつが奪った、と噛んだ唇。
「ぼくの翼まで奪って行った」と、「今のぼくは夢も見られやしない」と。
もちろん夢は見るけれど。
悪夢も幸せな夢も見るけれど、それとは違った「夢見る力」。
目を覚ましていても見える夢の世界を、今の自分は捉えられない。
…もう子供ではなくなったから。
自分では子供のつもりでいたって、機械が「大人」にしてしまったから。
ネバーランドは子供の世界で、其処に行った子は「いつまでも」子供。
ピーターパンの本を書いた作者は、そんな子の一人だったのだろう。
だからこそ書けた夢の国。
きっと本当に何処かにある国、ピーターパンたちが暮らすネバーランド。
あの時、機械が自分の力を奪わなければ、今もこの本を開いたら…。
(…ピーターパンも、ティンカーベルも…)
フック船長も、昔と同じに鮮やかに目の前に見えた筈。
エネルゲイアの家でそうしていたように。
成人検査の前の日の夜も、この本を開いて夢見たように。
いい成績で成人検査を通過したなら、ネバーランドよりも素敵な地球に行ける筈。
その道を進んで行けたらいいと、いつか地球にも行ってみたいと。
ネバーランドは、こんなに素敵な国なのだから。
もっと素敵な地球となったら、どれほど素晴らしい場所なのかと。
(……あれが最後で……)
それきり、見てはいない国。
ピーターパンの本を開いても、今の自分には…。
(…ネバーランドへの行き方だけしか…)
分からないんだ、と胸の奥から湧き上がる悲しみ。
「二つ目の角を右へ曲がって、後は朝までずっと真っ直ぐ」、その意味ならば分かるから。
一つ、二つと数えた二つ目、そういう角を「右」へと曲がる。
「右か、左か」と尋ねられる右で、自分の右手がある方へ。
そう曲がったなら、後は「朝」まで「ずっと真っ直ぐ」。
E-1077には無い夜明けまで。
太陽が昇る朝に着くまで、ただ「真っ直ぐ」に歩くだけ。
そうやって行けばネバーランドに着くのだけれども、ただそれだけしか分からない。
「二つ目の角」を「右へ」曲がって、後は「朝」まで「ずっと真っ直ぐ」。
それは単語の連なりだけで、魔法の道はもう見えない。
子供の頃は見えたのに。
「こうやって行けば、ちゃんと着くんだ」と、本当に分かっていた筈なのに。
本を開けば、ピーターパンが見えていたように。
ティンカーベルが、フック船長が、ネバーランドが鮮やかに見えていたように。
(…ぼくが失くしたのは…)
夢の世界を捉える力か、それとも「信じる心」なのか。
ピーターパンの本に描き出された本当の夢を「信じる」心。
それを失くして、今は見えなくなっただろうか。
ピーターパンもネバーランドも、背に翅を持つティンカーベルも。
夢の世界を捉える力も、本物の夢を「信じる心」も、多分、此処では要らないもの。
E-1077では不要だろうし、この先の道でもきっと要らない。
メンバーズになるのに野心は要っても、夢など要りはしないから。
「メンバーズになりたい」と夢見るようでは、道は開けはしないから。
他人を蹴落とすほどの勢い、そんな野心を抱えてひたすら駆けてゆくのが似合いの道。
だから機械は消したのだろう。
夢の世界を捉える力か、あるいは夢を「信じる心」。
それを失くしてしまった自分に、ネバーランドはもう見えない。
いつの日か、それを取り戻すまで。
メンバーズへの道を駆けて駆け抜けて、国家主席に昇り詰めるまで。
(…そして機械に、ぼくの記憶を…)
返せ、と命じて子供時代を取り戻すまでは、見えないのだろうネバーランド。
分かってはいても、やはり悔しくて零れる涙。
「此処は牢獄だから、見えないだけなら良かったのに」と。
空がある場所へ、朝が来る場所へ移り住んだら、また見えるだろうネバーランド。
その方がずっと良かったのにと、「今は見えない」だけなら泣かずにいられたのに、と…。
見られない夢・了
※シロエの宝物の本。「両親に貰った」ことも大きいだろうけど、他にもありそう。
子供の目には「ちゃんと見える」筈のネバーランド。成人検査の後は見えないのかも…。
(…ぼくはミュウなんかじゃない…)
絶対違う、と叫び出したい気持ちのジョミー。
成人検査を妨害しに来た、ソルジャー・ブルーと名乗った男。彼のせいで連れて来られた、妙な船。ミュウの母船で「シャングリラ」とか言うらしいけれども…。
(この船、不気味すぎだから…!)
あらゆる意味で、と認めたくない「自分はミュウだ」という事実。
頭の中に思念波とやらが響いて来たって、船の連中の心が「なんとなく」読めたって。そういう現象はきっと、ナキネズミという動物のせいだろう。
(こいつを見てから、ぼくの人生、狂いっ放し…)
だから「自分も変だ」と感じるあれこれ、それはナキネズミが原因の筈。どう考えても、自分はミュウではないから。…相容れない上に、有り得ないから。
(…部屋でヒッキーしてる間は、大丈夫だけど…)
ただの牢獄、忍の一字で耐え忍んでいればいいのだけれど。
なんとも困るのが食事の時間で、その度に「ぼくは違う」と思う。「ミュウなんかじゃない」と喚き出したくなる。
(あいつらの食事、おかしすぎだよ…)
それに不気味だ、と恋しくなるのがアタラクシアの家。母が作った美味しい料理。
今となっては、学校にあった食堂さえもが懐かしい。あそこの料理は普通だったし、間違えてもミュウの船の料理などとは違ったから。
今日ももうすぐ食事の時間がやってくる。リオが迎えにやって来て。
朝一番の食事は朝食、そのために食堂に行ったなら…。
(…朝も早くから、立ち食い蕎麦が大繁盛で…)
自分の持ち場に急ぐ連中、彼らが駆け込む立ち食いコーナー。其処で出される料理が「蕎麦」。アタラクシアでは、ただの一度もお目にかかっていないもの。
(蕎麦なんて…)
立ち食いだろうが、ザル蕎麦だろうが、まるで目にしたことが無い。そもそも名前も、この船で初めて聞かされたもの。リオの思念波で「蕎麦ですよ」と。
(あそこは立ち食い蕎麦なんです、って…)
手早く食事を済ませたいなら、立ち食い蕎麦になるらしい。そのコーナーで注文したなら、凄い速さで供される蕎麦。自分の注文通りの品が。
(それを立ったまま、割り箸で食べて…)
食べ終わったら「御馳走様!」と走り去るのがシャングリラの流儀。立ち食い蕎麦でもメニュー色々、それなりにあるのがバリエーション。
(食堂で座って食べる蕎麦だと…)
もっと種類が豊富になる上、蕎麦だけではない船がシャングリラ。うどんにラーメン、麺類とかいう食べ物が主食と言ってもいい。
パンやパスタの代わりにヌードル、汁たっぷりの。フォークではなくて「箸」と呼ばれる二本の棒でかき込むものが。
(…なんで、こういう船なんだよ!)
有り得ないだろ、と怒鳴りたいけれど、答えはとうに聞かされた。リオからも、それにヒルマンからも。これがシャングリラのやり方なのだと。
(人類とミュウは、相容れないから…)
SD体制が認めない異分子、それがミュウ。人権さえも持たない生き物。
だから彼らは考えた。「人類がミュウを忌み嫌うのなら、独自の進化を遂げてやる」と。
人類と同じ物など食べていられるかと、「ミュウにはミュウの食べ物がある」と。
そうして生まれた、麺類なるもの。
スパゲッティに似ているのだけれども、似て非なるものが蕎麦やラーメン。それから、うどん。今の季節は見かけないけれど、「冷やし中華」も人気らしい。
(冷やし中華の季節は、そうめん…)
うどんよりもずっと細い麺類、そうめんも夏の人気メニューだと教わった。そんな知識は欲しくないのに、ガンガンと叩き込まれたミュウたちの主食。
(パンやパスタもあるけれど…)
生粋のミュウなら麺類を食え、というのが船に流れる空気。パンやパスタは人類の食べ物、品がよろしくないものだ、と。
そんな具合だから、この船に無理やり連れて来られて、最初に食堂に出掛けた時も…。
(ミュウだってねえ、蕎麦食いねえ、って…)
ドンと目の前に置かれたのが蕎麦、有無を言わさず食べさせられた。二本の棒で。シャングリラ自慢の天麩羅蕎麦だか、天ざるだったか、名前がちょっと怪しいけれど。
今日も今日とて、食堂に行けば、きっと蕎麦。うどんやラーメンなのかもしれない、居心地よく食事したければ。「あいつは根っから人間だ」と棘のある視線を、思念を避けるのならば。
(…でも、ぼくは…)
ミュウじゃないから、と思っていたって、やってくるのがリオだから。
『おはようございます、ジョミー。よく眠れましたか?』
今朝の食堂は担々麺が人気らしいですよ、と悪気は全く無いのがリオ。こうして毎日、お勧めのメニューを教えてくれる。ただし麺類限定で。
「…その麺類さあ…。なんとかならない?」
ぼくはミュウじゃない、と拒否ってみたって、食堂で注文できる度胸は無いものだから…。
(…またリオに注文されちゃって…)
なんだよ、コレは、と言いたい気分の担々麺。もう何日目になるのだろうか、麺類三昧。
いい加減、腹が立ってきたから、食事の後で走り回った船の中。
諸悪の根源、ソルジャー・ブルーを探そうと。見付け出したら殴りつけてでも、アタラクシアの家に帰ってやると。
そうして首尾よく発見したから、もう思い切り叫んでやった。
「ぼくをアタラクシアへ、家へ帰せ!」と。
お蔭で帰れることになったし、リオが操縦する船で意気揚々とトンズラしたのだけれど…。
「ソルジャー。…あれをどうなさるんじゃ」
逃げおったわい、とソルジャー・ブルーに苦情を述べているゼル。他の長老やキャプテンまでが集っている中、ソルジャー・ブルーは冷静だった。
『…心配いらない。ジョミーはミュウだ』
目は閉じたままで語り掛ける思念、けれど収まらない面々。
「どの辺がどうミュウなんだい? ラーメンも好きになれない奴がさ」
無理ってもんだろ、とブラウが苦い表情、エラもヒルマンも顔を顰めているけれど…。
『そうだろうか? 君たちも最初は、ジョミーと同じだったと思うんだが…』
麺類メインの食生活に馴染むまでに何年かかったんだ、と問われれば誰もがグウの音も出ない。
「人類と同じものが食えるか」と選んだ麺類、けれど最初は「変な食べ物だ」と思ったから。
「…では、ソルジャー…。ジョミーもミュウだと仰るのですか?」
ハーレイの問いに、ブルーは思念で『ああ』と答えた。
『いずれ、この船に戻るだろう。…戻れば、彼も麺類に馴染む』
それから…、と続いたブルーの思念。「ぼくは疲れたから、今日の食事はラーメンで」と。
ジョミーの追跡も必要になるし、パワーたっぷりのニンニクラーメン、チャーシュー抜きで、と細かい注文。「分かりました」と頷く一同、何処までも麺類が主食を貫くミュウたちの船。
そんな調子だから、アタラクシアの遥か上空まで逃げたジョミーが船に戻った後。
(…ソルジャー・ブルー、今はあなたを信じます…)
元気が出るのはコレなんですね、とジョミーが食堂で啜るラーメン。もうプンプンとニンニクが匂う代物、チャーシュー大盛り。
(ブルーはチャーシュー抜きらしいけど…)
「君は若いんだし、チャーシューもドッサリ食べたまえ」というブルーのお勧め、チャーシュー大盛りにして貰った。今日から嫌でもソルジャー候補で、明日から猛特訓だから。
どんなに「嫌だ」と喚いた所で、もう逃げられはしないから。
(へこんだ時には、ニンニクラーメン、チャーシュー大盛り…)
もっとへこんだら煮卵もつけて、とジョミーも馴染むしかない麺類。
開き直って食べたら案外、美味しいように思うから。
部屋に出前も頼めるらしいし、夜食の時間に気を付けていたら、チャルメラを鳴らしてラーメン屋台が通路を流してゆくそうだから…。
ミュウたちの主食・了
※どうやったらシャングリラで麺類になるのか、自分でもサッパリ分からないオチ。
「シャングリラに蕎麦が無かった」話なら、ハレブルで書いたんですけどね…。
(国家騎士団総司令か…)
肩書きだけは御立派だがな、とキースが歪めた唇。
異例の出世で国家騎士団のトップに昇り詰めたけれども、その自分は…、と。
与えられた「御立派すぎる」部屋。
側近のマツカが控える部屋まで備えられた其処に、今はマツカの影は無い。
「下がれ」と言っておいたから。
とうに夜更けで、不審にも思わず下がったマツカ。
(いくらマツカがミュウでも、だ…)
私の心までは読めまい、と持っている自信。
けれど、誰にも読めない心。読ませない心の中にあるもの、それが時折、疎ましくなる。
どうして自分だったのか、と。
「他のモノ」では駄目だったのかと、どうして自分を選んだのかと。
(…キース・アニアン…)
そういう名前なのだがな、と眺める自分のパーソナルデータ。
軍の上層部にいる者だったら、大抵は見ることが出来るだろう。
ID:076223。
出身地、トロイナス。
父の名はフル、母の名はヘルマ。
生年月日、SD567年12月27日。
誰のデータにも並ぶ内容、IDに出身地、両親の名前と生年月日。
そして誰ものデータが「本物」、其処に偽りは入り込めない。
養父母とはいえ、両親の名は本物だから。
誰が養父母になっていたかで、名前も変わってくるものだから。
サム・ヒューストンなら、「サム」と名付けたのはヒューストンの姓を持つ両親。
シロエだったなら、「セキ」の姓を持っていた両親。
サムの養父母のことは知っている。
E-1077にいた頃にではなく、サムが壊れてから知った。
病院にサムを見舞った時には、子供時代のことばかり話すものだから。
「父さんが勉強しろって、うるさいんだ」とか、「ママのオムレツは美味しいよ」とか。
それほどサムが慕うのならば、と知っておきたくなったから。
いったいどんな養父母だったか、今はどうしているのかと。
(…あいつに似合いの両親だった…)
データだけしか知らないけれども、そういう印象だった養父母。
病院でサムが話す通りに、子供を大事にしそうな両親。
(…そしてシロエは…)
別の方面から見付けた養父母。
ミュウに関わり、彼らを調べてゆく内に。
アルテメシアからモビー・ディックを追い出した時に、シロエの父の名があった。
サイオニック研究所に所属していた「ミスター・セキ」。
シロエの故郷のエネルゲイアが心に引っ掛かったから、調べた詳細。
(…あれがシロエの父親だった…)
自分の息子がMとも知らずに、開発したサイオン・トレーサー。
モビー・ディックはそれに追われて、アルテメシアを離れて行った。
彼が機械を作らなかったら、あるいはシロエは…。
(…あの船に乗っていたかもしれんな)
ソルジャー・ブルーか、ジョミー・マーキス・シンか、どちらかに救われ、命を拾って。
成人検査を受けることなく、それよりも前に。
(…サムもシロエも、データは本物…)
人類だろうが、シロエのようにミュウと判断されようが。
どちらも同じに養父母を持って、彼らに繋がる名前がついた。
サムならば「サム・ヒューストン」。
シロエだったら「セキ・レイ・シロエ」と。
自分の場合も、傍から見たならそう見えるだろう。
「子供時代は覚えていない」というだけのことで、存在している筈の両親。
トロイナスに出掛けて探してみたなら、きっと彼らは…。
(何処かで事故死か、移住したことにでもなっているのか…)
調べたことは無いのだけれども、ごくごく自然に姿を消していることだろう。
父のフルも、母のヘルマの方も。
彼らが暮らしていた筈の家も、きっと存在しているのだろう。
ただし、「データの上で」だけ。
本物の「フル」と「ヘルマ」はいないから。
「キース・アニアン」を育て上げた筈の、「アニアン」夫妻はいないのだから。
(…アニアンも、それにキースの方も…)
知っている者は誰もいない、と握り締めた拳。
今でこそ誰もが知っている名前、国家騎士団総司令。
エリート中のエリート軍人、キース・アニアンをの名を知らない者などいはしない。
軍はもちろん、一般人でも。
何かといえばニュースに出るし、誰もが耳にする名前だから。
けれども、誰が知るだろう?
「キース・アニアン」を「知る人間」など、何処にも存在しないこと。
養父母だった筈の二人は何処にもいなくて、在籍していた学校にさえも…。
(担任の教師の名前はあっても…)
彼らはきっと覚えていない。
「キース・アニアン」の名を持つ少年、それを担当したことを。
今の自分の経歴を誰かが見せたとしたって、その出世ぶりに…。
(素晴らしい子を担当させて貰ったようです、と言いはしてもだ…)
生憎と記憶に残っていない、と答えるのだろう。
「当時は忙しかったので」だとか、誰も疑いはしない理由を述べて。
そんな具合に「消えている」キース。
故郷だった筈のトロイナスから、両親が何処かに行ってしまって。
担任の教師も幼馴染も、誰もが「忘れ去って」しまって。
(…サムがジョミーを忘れたように…)
E-1077の誰もがシロエを忘れたように、それが「機械の仕業」ならいい。
機械が記憶を処理した結果で、皆が忘れてしまったのなら。
それならばそれで、「存在した証」が無いというだけ。
何処かを探せば、欠片くらいは出てくるもの。
サムがジョミーを忘れていたって、「ジョミー・マーキス・シン」は存在しているから。
皆が忘れてしまったシロエも、スウェナが覚えていたのだから。
(完璧に消せはしないのだ…)
その人間が「本当に」生きていたのだったら、この世界からは。
死んだ後までデータは残るし、人の記憶に残りもする。
自分がシロエの父の名前を見たように。…其処からシロエに辿り着けたように。
E-1077を早くに離れたスウェナが、記憶を消されていなかったように。
(しかし、私は…)
私の場合はそうではない、と嫌と言うほど知っている。
かつては自分も信じ込んでいた、「父はフルで、母はヘルマ」ということ。
アニアン夫妻が育てた子供で、彼らが「キース」と名付けた息子。
人工子宮から取り出された日は、SD567年の12月27日だと。
誰のデータもそうだから。
E-1077からは消されたシロエも、養父母を辿れば其処に残っていた記録。
生年月日も「セキ・レイ・シロエ」の名も、彼が暮らしていた家も。
なのに、自分には「無い」それら。
「消された」わけでも、「忘れ去られた」わけでもないのに、存在しない。
何処を調べても、その名残さえ。
意味ありげに残る、わざと仕込まれたデータだけしか。
なんという皮肉なのだろう、と自分を嘲り笑いたくなる。
誰もが知っている「キース・アニアン」、その名を真に知る者などは一人もいない。
何処を探しても、誰に訊いても、「キース・アニアン」を見た者はいない。
(…正確に言えば、あの連中なら…)
多分、知っている筈なのだがな、と思う記憶の隅に「居る」者。
E-1077にあった水槽、それの向こうに自分が見ていた研究者たち。
けれど、彼らも「消された」だろう。
「キース・アニアン」が完成したなら、彼らは用済みなのだから。
マザー・イライザが記憶を消したか、あるいはシロエを処分したように…。
(宇宙船の事故にでも見せかけて…)
存在自体を消しただろうか、念には念を入れねば、と。
けして秘密が漏れぬようにと、口封じに皆、殺してしまって。
(…そんな所だ…)
確かめる気にもなれないが、と忌まわしく思う自分の「生まれ」。
どうして自分を選んだのかと、他のモノでは駄目なのかと。
フロア001に幾つも並んでいたサンプル。
かつてシロエが命懸けで見た、「キース・アニアン」と「同じモノ」たち。
あの中のどれでも良かったろうにと、そして自分はサンプルの方で良かったのに、と。
今頃になって、真実を知るくらいなら。
いずれはミュウに敗れるだろうと思う人類、彼らを導く指導者として無から創られたなど。
(もっと意味のある人生だったら、まだマシなものを…)
時代の流れに抗ってみても、きっと負けるのだろう人類。
その中で自分に何が出来るか、考えるほどに虚しいから。
皆が自分を称える度に、虚しさだけが降り積もるから。
(何が国家騎士団総司令様だ…)
誰も「キース」を知らないくせに、と眺める「キース・アニアン」の名前。
この名を知るのは機械だけだと、「故郷で私と出会った者など一人もいない」と。
記号と何も変わりはしないと、育てた時の数字で呼んでも充分なほどの存在なのに、と…。
偽りの生まれ・了
※いや、キースの両親がいないんだったら、誰が「キース・アニアン」と名付けたんだ、と。
機械が名前を付けたんだよな、と思ったら、こういう展開に。キースには気の毒すぎるけど。
(…ミュウ因子の排除は不可能ではなかった…)
それどころか、奴らは進化の必然だった、と呻くことしか出来ないキース。
ミュウの艦隊を迎え撃つべく、指揮を執っている旗艦ゼウスの指令室で。グランド・マザーから聞いた衝撃の事実。…ミュウは異分子などではなかった。人類が進化するべき姿。
(そう言われてもな…)
ミュウを滅ぼすように作られたのが自分なのだし、前に進むしかないのだろう。ミュウが望んで来た交渉。それを受諾と見せかけておいて、用意してある六基のメギドで…。
(焼き払うも良し、交渉を受諾するも良し…)
グランド・マザーに委ねられた判断、それの答えは決まっている。真実を知った今になっても。
ミュウが進化の必然だろうが、オペレーション・リーヴスラシルは予定通りに実施。それ以外の道など無いのだからな、と椅子の背もたれに身体を預けた。
「マツカ、コーヒーを頼む」
口にしてからハッとする。…また間違えた、と。
マツカはとうに死んだのに。ミュウの力で自分を庇って、死の淵からも救い上げて。
(……疲れたな……)
まだ暫くは時間がある、と閉ざした瞼。コーヒーが無いなら少し眠ろう、と。
ふと気付いたら、見知らぬ所にいたキース。
(…何処だ?)
こんな所は知らないが、と見回した周囲はまるで絵に描いた景色のよう。遠い昔の地球の絵画や写真にあるような牧草地に森。それに聳え立つ険しい山々、ついでに高い塀を巡らせた…。
(…これは一種の城塞なのか?)
よく分からん、と眺めた立派な建物。白い壁が印象的だけれども、どうして自分がそんな建物の前にいるのか。夢にしたって鮮やかすぎる、と思う間に切り替わった場面。
(やはり夢か?)
切り替わる仕組みがあるようではな、と考えていたら、いつの間にやら目の前に男。ズルズルで足首まで届く白い服、時代錯誤な格好の。…その男性が口を開いて…。
「ようこそ、我々の修道院へ」
(…修道院?)
なんだ、と耳を疑った。SD体制の時代に修道院など、ある筈がない。辛うじてある神の概念、それが全ての筈なんだが、と。
けれど男性が続ける話。滔々とではなく、言葉を選ぶようにして。それを聞いていると…。
(…私の立場は修道士なのか!?)
しかも見習い、これから修道生活に入る立場の新入り。他にも数名いるというからホッとした。いくら夢でも、カッ飛び過ぎた舞台設定。機械が無から作った生命の自分といえども…。
(この状況では、他にも誰か…)
いてくれた方が心強い、と思うくらいに動揺している現状。「修道士見習いの夢だとは」と。
そんな心を知ってか知らずか、時代錯誤な修道服の男が説明してくれた。修道院での生活を。
(…孤独と沈黙…)
基本だな、と思ったそれ。腐っても機械の申し子なのだし、知識だけは無駄にあったから。
いつの時代も修道院なら孤独と沈黙が鉄の掟で、学校や病院を運営しない修道院なら、塀の中で完結する世界。さっき見て来た塀の向こうには出てゆかないで、ひたすら祈る。
(…祈る趣味など無いのだが…)
沈黙だったら得意技だ、と考えたけれど。元々、口数は少なかったし、メンバーズとして生きた時代も饒舌とは逆なタイプだったから。元老になって、ようやく振るい始めた弁舌。
(…それに孤独も…)
慣れているしな、と思っていたのに、その先を聞いて抜かれた度肝。
なんと此処では「個室で生活」、食事も個室で一人で食べる。配られた食材を調理して。他にも仲間はいるというのに、一日に二回しか出会う機会は無いらしい。
(…朝と晩の礼拝だけだって!?)
一日に七回あるという礼拝、その内の五回は個室で一人。合図の鐘の音を聞いたら、自発的に。
礼拝を除く個人の時間は、ひたすら孤独と沈黙の中で。
(…配って貰える本を読むとか、個室の隣に貰える畑で何か育てるとか…)
あとは得意な手仕事があれば、それをやってもいいらしい。作業用の部屋も個室とセット。
ただし、作業も「単独で」。
メゾネットタイプで貰える個室の一階が作業部屋やキッチン、二階が居間と寝室だという。構造自体は快適そうでも、部屋に他人は入れられないから…。
(…牢獄のようだと言わないか?)
流石の私も想定外だ、と強烈すぎる規則にビビッた。牢獄だったら当然とはいえ、生活となれば事情が違う。敵に捕まったわけでもないのに、何故、牢獄に、と。
そうは思っても、修道士見習いという設定。この世界では逃れられない自分の身分。
(なんということだ…!)
神と向き合う趣味は無いのに、と思っていたら、聞かされたこと。
曰く、「多くの見習いが来るが、大抵の者は直ぐに逃げ出す」。最短記録は僅か10分、個室に入って間もなく逃げて行ったという。孤独と沈黙に耐えられなくて。
(……10分くらいなら……)
いけるだろうな、と自分の心を顧みてみる。祈りの生活の方はともかく、どんな環境でも耐えてゆくのがメンバーズ。最短記録を破ることだけは無いだろう、と。
(…だが、その先は…)
どうなるのやら、と全く持てない自信。
他の人間に会える機会は日に二回だけで、オンリー礼拝。私語とはまるで無縁の世界。
かてて加えて、日曜日と祝日には皆で揃って食事だけれども、其処でもやっぱり私語は厳禁。
(…食事の間は聖書と聖人伝の朗読…)
それを聞きながら黙々と食べて、ようやく貰える自由時間。他の仲間と自由に話して、散歩などにも行けるとはいえ、それでおしまい。…自由時間が過ぎたら再び沈黙と孤独。
(…その沈黙に意味があったら、まだしもだな…!)
ひたすら神と向き合うだけでは、何の役にも立たない沈黙。ついでに孤独。
牢獄だったら、モビー・ディックで捕虜になっていた時と同じで、逃げる機会やルートを探って後に生かせるのだけれど。
国家主席の部屋で沈黙していたとしても、策を練るとか、有益な時間を過ごせるけれど…。
(この設定で何が出来るというのだ…!)
神などに祈る趣味は無い上、無益な孤独と沈黙な世界。どうやら不毛すぎる場所。いくら夢でも最悪すぎる、と自分の運命を呪っていたら…。
(どうして、此処にこの連中が…!)
修道士見習いを迎える儀式に、一緒に参加した見習い。そのメンバーが無駄に豪華すぎた。
誰もが真っ白なズルズルの服で、お揃いの修道服なのだけど…。
(…ソルジャー・ブルー…)
それにマツカとシロエまで、と愕然とした自分の同期。彼らも孤独と沈黙の日々に挑むのならば負けられない。最短記録を更新して逃げるコースは言語道断、勝ってこそだと思ったものの…。
(…あの連中は、みんなミュウだった…!)
ソルジャー・ブルーも、マツカも、シロエも、思念波で意志の疎通が可能。
たとえ個室で沈黙だろうが、食事中の私語は厳禁だろうが、他の三人にはまるで無い意味。軽く思念を飛ばしさえすれば、いくらでも喋りまくれる私語。牢獄みたいな修道院でも。
(……私だけが孤独というわけか……!)
ますますもって泣ける境遇、けれど止まってくれない時間。
儀式が済んだら個室の出番で、有無を言わさず案内された。メゾネットタイプで、作業部屋までくっついた部屋に。
(…幸い、明かりは点くようだが…)
蝋燭の世界は免れたか、と思っても頼りない照明。窓から入る光が消えたら、限りなく外の闇に近いもの。そうした中で夜の礼拝、私語は全く無かった世界。祈りと聖歌の響きだけで。
(…しかし、奴らは…)
あそこの三人は喋っているな、とチラ見したミュウの新入りたち。
神妙な顔で祈っていたって、今だって喋りまくりだろう。「人類なのに、ミュウと一緒に修道院入りした男」について。「まだ生きている」のに、死人と一緒に修道士見習いな男のことを。
(勝手にしやがれ…!)
これだからミュウは嫌いなんだ、とギリッと奥歯を噛みしめた。
進化の必然だったのがミュウで、この環境でも大いに有利。私語は駄目でも使える思念波、自由自在に交わせる会話。こんな礼拝の真っ最中でも、個室に籠っている時も。
そうやって日々は流れてゆくから、なんとも悔しい限りの毎日。
神と向き合う趣味も無いのに礼拝三昧、やたら真面目な自分の気質が呪わしい。ひたすら孤独と沈黙に耐えて祈りまくりで、読書に手仕事、出来る範囲でちょっとした木工細工とか。
日曜日になれば自由時間が来るのだけれども、ミュウの連中は楽しげで…。
(皆で揃って散歩に出たって、いつもはしゃいでいやがるからな!)
「地球はこういう所なのか」と感動しているミュウの三人。自然が豊かで、おまけに静か。この素晴らしい日々に感謝だと、「少しでも長く此処にいたい」と。
(お前たちは好きなだけ喋りまくりで…)
沈黙も孤独も関係ないしな、と今日も腐っていたけれど。
あんな奴らと喋ってたまるかと、私にだってプライドが…、と他の修道士たちと並んで牧草地を散歩していたのだけれど。
「…キース先輩、たまにはこっちに来ませんか?」
せっかくの御縁なんですから、とシロエが声を掛けて来た。お蔭で他の修道士たちも「行け」と促してくれる始末で、ミュウの連中と散歩する羽目に陥ってみたら…。
「…なんだって!?」
お前たちは喋っていなかったのか、と思わず引っくり返った声。
ソルジャー・ブルーも、マツカもシロエも、私語は一切、やっていないと言うものだから。日曜だけが喋れる時間で、のびのびと羽を伸ばすという。地球らしき星の自然に触れて。
彼らだったら、いくらでも喋り放題なのに。
孤独と沈黙の掟があっても、思念波で自由に話せるのに。なのに何故だ、と尋ねたら…。
「…君一人だけを仲間はずれにしてはおけないよ」
ぼくたちは一緒に此処に入った仲間だからね、とソルジャー・ブルーが返した答え。他の二人も同じ意見で、だからこそ思念波は封印だ、と。
ミュウと人類は兄弟なのだし、違う能力を持つからといって優位に立つなど許されない、と。
「…それで黙っていたというのか?」
こんな孤独と沈黙の日々に、三人とも耐えていたというのか、と見開いた瞳。メンバーズとして鍛え抜かれた自分でさえも辛かった日々に、ミュウの三人が耐えていたなんて。
それも「一人だけ混じった」人類、ソルジャー・ブルーとシロエにとっては「自分の命を奪った者」。忌み嫌われても仕方ないのに、彼らは自分に合わせてくれた。
ミュウなら可能な筈の思念波、それをキッチリ封印して。「人類のキースが気の毒だから」と。
「…お前たちは、いったい…」
どうして其処まで出来るのだ、と数えた此処で流れた日々。幾つ日曜日が過ぎて行ったか、何度太陽が沈んだのかと。季節が移って雪も眺めたし、今は日射しが眩しい夏。
彼らだけなら、いくらでも会話できたのに。
礼拝中でも、私語厳禁の日曜の食事の時間中でも、個室で孤独に過ごす時でも。
「…さっきも言った通りだよ。ミュウと人類は兄弟なんだ」
一緒に暮らしてゆこうというなら、筋は通しておかないと、と話すソルジャー・ブルーの声に、シロエが、マツカが頷いた。「その通りですよ」と。
「キース…。ミュウと人類は本当に相容れないのでしょうか?」
ぼくにはそうは思えません、と微笑んだマツカ。生きていた頃によく見せた柔らかな表情。
「キース先輩、よく考えてみて下さい。…ぼくたちは分かり合えるんです」
お互いがきちんと向き合ったなら…、とシロエも笑った。「ぼくは失敗しましたけどね」と。
「今でもたまに後悔します」と、「でも、遅すぎることなんか無いと思いますけど」と。
そして彼らの笑みを太陽が照らし出す。
本物の地球には、今は無い筈の鮮やかな緑の牧草地も。聳え立つ険しい峰に残る雪も、高い塀が囲んだ修道院の白い建物も。
(…人類とミュウは…)
兄弟だと言ってくれるのか、と不覚にも緩みそうになった涙腺。
ミュウは進化の必然なのだし、置いてゆかれると思った人類。「劣等種になり下がるのだ」と。
それを止めるべく、戦おうと決意したのが自分。ミュウを残らず焼き払って。
そのためのオペレーション・リーヴスラシル、六基のメギドを用意して時を待っていたのに…。
(…我々は、手を…)
取り合えるのか、と思った所で引き戻されたキースの意識。眠り込んでいた椅子の上へと。
修道服は消えてしまって、ミュウの三人の姿も無かった。もちろん修道院だって。けれど…。
(…遅すぎることは無いと言ったな…)
ならば、とキースは手を伸ばした。机の上のコンソールへ。
「スタージョン中尉!」
「はっ、何か?」
画面の向こうで応えた副官、彼に命じる。「リーヴスラシルは直ちに中止しろ」と。
「そしてミュウどもに通信を繋げ。…私が自分で話をする」
「で、では…」
「交渉は受諾。…会談の場所は地球のユグドラシルだ。お前たちも直ぐに準備に入れ!」
いいな、と伝えて、それからソルジャー・シンにも直接話した。「地球で待つ」と。
ミュウの艦隊を焼き払うために用意したメギドは、もう要らない。
時代遅れのマザー・システムも、必要ない。地球に据えられたグランド・マザーも。
(…判断を私に委ねたのなら、自ら停止して貰おう)
それが出来る自信が自分にあるから、ミュウたちの船を地球へと招く。ソルジャー・シンも。
時代はミュウに味方しているし、人類とミュウは分かり合えると信じるから。
さっき見た夢、その中で自分は答えを得たと思うから。
(……修道士見習いだったのだがな……)
私も、ソルジャー・ブルーも、マツカも、それにシロエも、と苦笑する夢。
あれは本当にあった出来事だろうか、地球が滅びる前の時代に魂だけが旅をして行って。
(…ジョミーには、とても話せんが…)
そんな理由でミュウを信じる気になったとは言えないがな、と思うから今は沈黙しておこう。
いつか話す気になれるまで。…人類とミュウが手を取り合って共に歩み始める日まで。
こうしてキースが地球に招いたミュウたちの船。彼らの長のソルジャー・シン。
「…終わったようだな」
グランド・マザーは止まったからな、とキースが指差す白亜の巨像。
「あ、ああ…。だが、君は何故…」
考えを変えてくれたんだ、とジョミーが訊くから、「今は言えん」と背を向けたキース。
「それは掟に反するのでな」と。
「…掟だって?」
「そうだ。…孤独と沈黙、それが我々の掟だった」
いつか気が向いたら話してやろう、とキースは沈黙の掟を守った。修道士見習いだった夢の中でそうしていたように。ソルジャー・ブルーが、シロエが、マツカが沈黙を守ったように。
ミュウならば思念波で打ち破れた筈の孤独と沈黙、彼らはそれを守ったから。
「ミュウと人類は兄弟だから」と、一人だけ混じった人類の自分に合わせ続けてくれたから。
彼らが守った大いなる沈黙、それを私は忘れまい、とキースは固く心に誓う。
彼らと過ごした、遠い昔の地球にあったらしい修道院の景色と共に。
人を寄せ付けない山奥に佇む、白い塀に囲まれた修道院。神はあそこにいたのだろう。
厳しい孤独と沈黙の世界に生きる修道士たち。
彼らの祈りは、遥か未来の世界にまでも届いたから。
人類とミュウは兄弟なのだと、無から生まれた自分にさえも、道を示してくれたのだから…。
大いなる沈黙へ・了
※知る人ぞ知るドキュメンタリー映画、『大いなる沈黙へ』。それに出てくる修道院がモデル。
ネタが来たから書いたんですけど、キース、管理人が書くイロモノの方だと「お坊さん」。
書き終わってから「そうだったっけ」と気付いたオチで、狙ったわけじゃないんです…。
「…これは……」
なんなんだ、此処は、とシロエが見回した周囲。
E-1077のシークレットゾーン、フロア001と呼ばれる区画。
てっきり改造室かと思った。此処へと足を踏み入れる前は。
すまし顔をしたキース・アニアン、彼を「機械の申し子」と罵倒していた頃は。
(……胎児……)
それにキースにそっくりなモノ、と信じられない思いで見詰める。
尻尾が生えているような胎児、其処から少しずつ育った姿。
赤ん坊の次は幼児といった具合に、並ぶ幾つもの「キース」たち。
それから「キース」と対を成すように、同じように並ぶ金髪の女性。これも幾つも。
(…あいつ、機械じゃなかったんだ…)
そうだとばかり思ったのに。
彼の冷たい皮膚の下には、精巧な機械が隠されていると踏んだのに。
だから此処までやって来た。
キースの正体を暴いてやろうと、「自分が何かを知って壊れてしまうがいい」と。
なのに、いたのは「人間」の群れ。
かつては「人間」だったモノたち、今はもう息をしていないモノ。
多分、機械が残したサンプル。
これを胎児から作り上げた機械、あの憎いマザー・イライザが。
きっと何かの参考のために、育てる途中で標本にして。…途中で命を奪い取って。
(そうなってくると…)
キースは「生き延びた」モノなのだろう。
マザー・イライザに気に入られたか、とびきりの出来の人間なのか。
(まあ、とびきりではあるけどね…)
優秀には違いないだろうさ、と眺める内に気付いたこと。
胎児から此処に揃っているなら、キースは此処で「育った」モノ。
E-1077から出てはいないし、何処からも此処に「来なかった」のだ、と。
何処からも「来はしなかった」キース。
そのことは、とうに知っていた。
彼と同郷の誰に訊いても、皆、「知らない」と答えたから。
同じ宇宙船で着いた筈の者も、キースを覚えていなかったから。
(…此処にいたんだとは知っていたけど…)
まさか「育って」いただなんて、と胸にこみ上げる不快感。
機械仕掛けの人形だったら、「やっぱりね」と、ストンと納得できたのに。
キースが機械で出来ているなら、高笑いをして済ませたろうに。
「ほらね」と、「あいつは機械だった」と。
感情などは無くて当然、あったとしても機械の計算。
マザー・イライザだって怒るし、そうプログラムしてあるだけ。
「こういう時には怒るものだ」と、機械の頭脳が弾き出したら怒るだけ。
そうだとばかり思っていたのに、「人間」だなんて。
人工子宮から「生まれる」代わりに、その中で「育ち続けた」なんて。
(…ぼくは途中で取り出されたのに…)
もう充分に生きてゆける、と判断された段階で。
遠い昔なら母の胎内、其処で育って「月が満ちた」ら、「出産」だっただろう時点で。
自分は其処で取り出されたから、エネルゲイアに運ばれた。
養父母の許で育つようにと、「セキ・レイ・シロエ」の名を与えられて。
もう顔さえも思い出せない両親だけれど、幸せだった子供時代。
あれは自分の宝物なのに、何もかも機械に奪い取られた。
懐かしい家も、両親も、全部。
此処に、E-1077にやって来るには、それは「不要」とされたから。
成人検査で消されてしまった自分の過去。
今もその過去を掴み取ろうと、取り戻したいと、日々、苦しんでいるというのに…。
それとは逆だ、と睨み付ける胎児。それに幼児も、少年だって。
此処に並んだ「キース」たちの群れは、人工子宮だけしか知らない。
水槽の中から出ずに育って、途中で成長を止めたサンプル。
何らかの事情で機械がそう決め、彼らの命を奪ったから。
(でも、こいつらは死んだことさえ…)
知りやしない、と沸々と湧いてくる憎しみ。
それともこれは嫉妬だろうか、「何も知らずに」育って、死んだモノたちへの。
人工子宮から出ていないのなら、きっと自我さえ持たなかった筈。
彼らの周りには「誰もいない」し、「誰とも触れ合わない」のだから。
育てていたろうマザー・イライザ、其処から知識を得ていただけ。
キースが特別優秀なように、「エリートとして生きてゆくための」知識。
それだけを流し込まれていたなら、彼らは何も「考えはしない」。
与えられる情報を受け止めるだけで、「そういうものか」と理解するだけ。
(…機械が学習するのと同じで…)
ヒトの形を持っていたって、まるで伴わない「感情」。
「此処で終わりだ」と生命を繋ぐ機械と切り離されても、苦痛さえ覚えない生命。
彼らは「理解する」だけだから。
自分の命は此処で終わると、「学ぶ日々はもう終わったのだ」と。
だから彼らに「表情」は無い。
胎児はともかく、幼児にも、それに少年にも。
自分が知っている「キース」にそっくり、それほどに育った標本にも。
水槽の外で生きていたなら、彼らの顔にはきっと恐怖があるのだろうに。
そうでなければ無念の表情、あるいは苦痛に満ちた表情。
どれも彼らは持っていなくて、「感情が無い」ということの証拠。
「キース」は此処から外に出たから、幾らかは感情があるのだろう。
普通の人間と比べてみたなら、まるで全く足りないけれど。
いくら感情を持っていたって、所詮は「機械の申し子」だけれど。
(なんて奴らだ…)
キースも、それに「こいつら」だって、と湧き上がるのは激しい怒り。
人工子宮の中にいたなら、感情さえ生まれないけれど…。
(…失うものだって何も無いんだ…)
現に彼らは、死の瞬間さえ、「何も恐れていなかった」から。
証拠が彼らの顔にあるから、ただ「憎い」としか思わない。
同じ世界に生まれて来たのに、どうしてこうも違うのか。
人工子宮から外に出されて「セキ・レイ・シロエ」になった自分と、「キース」とは。
外の世界を知らないキース。
ずっと水槽の中で育って、養父母さえも持たないキース。
彼には「過去が無い」のも当然、最初から「持っていない」のだから。
誰もキースを「育てなかった」し、機械がせっせと知識を与えただけなのだから。
(……こういう風に生まれて来たなら……)
ぼくも苦しみはしなかったんだ、と握り締める拳。
人工子宮の外の世界を知らなかったら、両親も故郷も無かったならば。
感情さえも持たずに育って、「今日からは外で暮らしなさい」と外へ出されたならば。
そういう生まれの自分だったら、きっと辛くはなかっただろう。
苦しいとさえも思いはしなくて、ただ勉学に励んだだろう。
(何も失くしていないんだから…)
成人検査で過去を消されることも無いから、「生まれた」後には「得るもの」だけ。
人工子宮から外に出たなら、「外の世界を知ってゆく」だけ。
何一つ失くさず、失いもせずに。
「子供時代」という大きすぎた代償、それを一切、払うことなく。
ただ、のうのうと此処に、E-1077に「生まれ落ちる」だけの生命体。
それがキースで、「生まれなかった」モノがこの標本たち。
何故そうなったか、マザー・イライザしか、多分、知らないだろうけど。
命を絶たれた「彼ら」に訊いても、無表情なままで「終わったから」と言えば上等だけれど。
これがキースの正体だなんて、と抑え切れない怒りの感情。
彼の正体が機械だったら、何も思いはしないのに。
「やっぱりそうだ」と勝ち誇るだけで、証拠を撮影して帰るのに。
(…どうして、あいつが…)
人間なんだ、と考えるだけで腹が立つ。
それも過去など持たない人間、「何も失くしはしなかった」モノ。
マザー・イライザが「お行きなさい」と此処から出すまで、人工子宮で育った人間。
故郷も両親も持ちはしないで、持っていないから「失くさない」。
成人検査で奪うものなど何も無いから、きっとキースは成人検査も…。
(通過してなんかいないんだ…)
あの憎むべき成人検査を知らないのならば、どれほど幸福な人生だろう。
何一つ機械に奪われもせずに、この場所に「生まれ落ちた」なら。
過去という対価を支払うことなく、E-1077に来られたのなら。
(……幸福なキース……)
あいつはなんて幸せなんだ、と噴き上げるような憎しみと怒り。
「何も失くしていないなんて」と、「ぼくは全てを失ったのに」と。
水槽を端から叩き割りたい、この幸福な「人形」たちを。
マザー・イライザが育てた人形、人工子宮から出しもしないで、このステーションで。
(…あいつが機械だったなら…)
こんな思いはしなかったのに、と唇を噛んで、気を取り直す。
まだ終わりではないのだから。
キースを育てた「ゆりかご」は此処で目にしたけれども、まだ足りない。
どういう意図で育てて来たのか、それを暴いてやらないと…。
(キースという名のお人形さんを…)
叩き壊せはしないからね、と自分自身を叱咤する。
「こんな所で、打ちのめされている場合か」と。
キースの全てを暴くのだろうと、「そのために此処に来たんだから」と…。
過去を持たぬモノ・了
※シロエが言っていた「幸福なキース」。どの段階でそう考えたのか、と思ったわけで。
正体を知る前だろうな、と書いてみた話。「無から作った」と知ったら別の思考になりそう。
