(幸福なキース…)
あの時、シロエがそう言ったんだ、とキースの胸を掠めた言葉。
首都惑星ノアで与えられた部屋。其処で一人で迎えた夜更け。
遠い昔に、E-1077でシロエが口にしていた。
「あの憎むべき成人検査を知らない、幸福なキース」と。
聞かされた時は、何のことだか分からなかった。
「成人検査を受けていない」と畳み掛けられても、「お人形さんだ」と嘲られても。
けれど今なら、その意味が分かる。
廃校になったE-1077、其処で全てを知ったから。
マザー・イライザの忌むべき実験、無から作られた生命が自分。
成人検査などは必要なかった、「目覚めた」時が生まれた時だったから。
E-1077に入る年まで、水槽の中だけで育って来たのだから。
(…あれでは何も知るわけがない…)
マザー・イライザが教える知識以外は、何一つとして。
故郷も両親もあるわけがなくて、過去さえ持っていないも同然。
成人検査よりも前の記憶は、けして「失くした」わけではなかった。
最初から無くて、持つことさえも出来なかったもの。
けれども自分は幸福だろうか、あの時、シロエが言っていたように…?
本当に「幸福なキース」だろうか、過去さえ持たない生命でも…?
フロア001にあった標本、一つ間違えたら自分も標本だった筈。
それとも標本にさえもならずに、廃棄されて終わりだっただろうか?
マザー・イライザは、「サンプル以外は処分しました」と事もなげに言っていたのだから。
標本にするだけの価値すらも無いと、打ち捨てられて終わりの命。
そうなっていたかもしれない自分が、今、此処に生きていることの皮肉。
フロア001を覗いたシロエは殺されたのに。
何もかもマザー・イライザの罠で、自分がシロエを殺したことさえ…。
(…指導者としての、私の資質を…)
開花させるための計算だったという。
ならば確かに、「幸福なキース」なのだろう。
標本にもならず、捨てられもせずに、「理想の子」として育った自分。
傍から見たなら、誰もが羨む「幸福なキース」。
きっと未来も、約束されているだろうから。
自ら反旗を翻さぬ限り、人類の指導者への道を歩んでゆくだろうから。
…グランド・マザーの導きのままに。
言われるままに任務をこなして、敷かれたレールの上を歩いて。
(いつかは国家主席様か…)
軍人からは出ない指導者、そう、今まではそうだった。
国家主席になれる元老、其処に至るには違う道から行かねばならない。
(行ってやろうとは思っていたが…)
恐らく自分が努力せずとも、されるのだろうお膳立て。
グランド・マザーが陰で動いて、パルテノン入りするよう、巧みにシナリオを書いて。
自分では努力してきたつもり。
上級大佐の今はともかく、ジルベスター星系での事故調査に出発するまでは。
Mの拠点へサムの仇を討ちに行かねば、と決意を固めた所までは。
(…ソレイドでミュウのマツカを生かして…)
グランド・マザーの鼻を明かしてやった、と嗤ったけれど。
「シロエの二の舞は演じなかった」と、「マツカを必ず生かしてみせる」と考えたけれど。
その一方で自分は何をしたのか、本当に正しかったのか。
ジルベスター・セブンを砕いたこと。
伝説と言われたタイプ・ブルー・オリジン、ソルジャー・ブルーを殺したこと。
(…私はとどめを刺していないが…)
むしろ、ソルジャー・ブルーに逆に殺されかけたけれども、撃ったことは事実。
彼を狩ろうと、モビー・ディックでの負け戦の借りを返そうと。
けれど、自分は正しいことをしたのだろうか…?
実はシロエもミュウだったのだ、と知っていながらミュウの拠点を滅ぼそうとした。
メギドまで持ち出し、跡形も無く。
それが正しい道だったのか、あるいは「幸福なキース」に生まれたせいで…。
(…自分では、まるで自覚が無くても…)
ミュウを敵視し、殲滅するよう、与えられた使命があるかもしれない。
シロエが「ゆりかご」と呼んだ所で、水槽の中で育つ間に。
こうあるべきだ、と教え込まれて、そのように動くプログラムが。
もしもそうなら、何処までが自分の意志なのか。
何処からが機械の命令なのか、それを自分は見分けることが出来るのか。
(…幸福なキース……)
シロエは「幸福」と言ったけれども、きっと真実なのだろう。
あれから時が流れたお蔭で、自分にも出来た「過去」というもの。
シロエが失くした「目覚めの日」までの十四年間に匹敵するほど、今の自分も生きて来た。
E-1077で「目覚めて」から。
あの水槽を後にしてから、外の世界に出て来てから。
(…E-1077にいた間だけでも…)
二度も見せられた記憶処理。
サムは「幼馴染のジョミー」を忘れて、シロエは「皆から忘れられた」。
どちらもマザー・イライザの仕業、あれを大々的にやるのが成人検査というものだろう。
シロエは酷く憎んでいたから。
故郷も両親も、何もかも機械が、成人検査が「忘れさせた」と。
それが成人検査の正体ならば、自分は間違いなく「幸福なキース」。
何も失くさず、忘れることなく、此処にこうして生きているから。
「幸福なキース」を育て上げた全てを、あまさず覚えているのだから。
マザー・イライザが計算ずくで、殺すように仕向けたシロエのことも。
ミュウの長のジョミーと幼馴染だから、と出会わせたサムやスウェナのことも。
(…何処までが機械の計算なのか、命令なのかは掴めないが…)
それでも「何一つ忘れていない」のは、「幸福」なことと言えるだろう。
サムの、シロエの、記憶が薄れて曖昧になれば、どれほど悔しく辛く思うか。
今だから分かる、シロエが口にした「幸福なキース」の「幸福さ」が。
シロエは過去を奪われたから。
…忘れたくなかった過去を奪われ、両親も故郷も失ったから。
そうならなかった自分は「幸福」だと思う。
「幸福なキース」は確かに今も幸福だけれど、本当に自分は「幸福」だろうか?
機械が無から作った生命、最初から過去など持たなかったもの。
故郷も両親も持ちはしないで、幼馴染もいないまま。
その上、機械に育てられたから、何処までが自分の本当の意志か、それさえも掴めない自分。
(…ジルベスター・セブンを滅ぼしたのも…)
自分の意志だと思うけれども、ミュウから見たならただの虐殺。
メギドを持ち出し、焼き払うほどの必要が果たしてあったのかどうか。
…止めに現れたソルジャー・ブルーを、狩りの獲物のように扱い、何発も撃ったことさえも…。
(勝ちたかった、というだけではなくて…)
ミュウを殺せ、という機械のプログラムが働いていたかもしれない。
自分の意志だと考えた「あれ」に、機械が仕組んだ何かが絡んでいなかったとは…。
(…言い切れないし、そうでないとも、また言えない…)
機械が自分を作ったことは本当だから。
シロエを、サムを「部品のように」使って、自分を育てたのだから。
そんなことまでやった機械が、何を自分に教えたか。
何をするよう育て上げたか、それさえも今は分からない。
それでも自分は「幸福」だろうか、「幸福なキース」と言えるだろうか?
自分の意志さえ、本物かどうか怪しいのに。
いつか反旗を翻さない限り、「私の意志だ」と自信を持っては言えないのに。
機械に敷かれた道を歩んでゆく間は。
グランド・マザーの意志と自分の意志とが、重なり合っている間は。
(いくらマツカを生かしていても…)
その程度では、とても持てない自信。
「これが私の意志だ」とは。…「何もかも自分で決めたのだ」とは。
どう足掻いても、今の自分は「幸福なキース」。
何も知らない者が見たなら、あの時のシロエが此処にいたなら。
約束された指導者の未来、それに「知らない」成人検査。
傍から自分を眺めるだけなら、きっと幸福だろうから。
自分の意志さえ危ういままでも、皆に羨まれる「幸福なキース」が確かに自分なのだから…。
幸福な生命・了
※シロエが言っていた「幸福なキース」。あの意味をキースが知るのが、遅すぎるアニテラ。
本当に幸福な奴だったよな、と思っていたら、こういう話に。幸福すぎても不幸だよね、と。
「お前に会えて良かった…」
地球の地の底、暗闇の中でキースが言うから、「ぼくもだ」と素直に返したジョミー。
自分もキースも全力で生きたし、後悔することは何も無いから。
会えて良かったと思うから。
パンドラの箱を開けてしまったけれども、箱の最後には希望がある筈。
それをキースに伝えておこう、と薄れゆく意識の中で「キース」と呼び掛けた。
「うん…?」
声に応じてキースがこちらを向く気配。
「ジョミー?」と声も返って来たから、ずいぶん頑丈に出来ているらしい。自分の方は、肉声はもう無理なのに。思念波が精一杯なのに。
(ぼくよりも先に刺されたくせに…)
なんという体力と生命力、と思考がズレた所へ、聞こえて来たのがキースの声。
「そういえば、一つ訊きたかったんだが…」
『え…?』
あんまり時間を取らせないで欲しい、と自信が無いのが生命力。キースの質問に答えた後にも、命は残っているのだろうか?
「箱の最後には希望が残ったんだ」とキースに伝えるためには…。
(前後の文脈ってヤツも大切で…)
まるで繋がらない言葉を言ったとしたって、キマらない。辞世の句ならぬ最期の言葉は、それにしようと決めているのに。
(質問するなら、早くしてくれ…!)
こっちの答えも出来るだけ短く切り上げるから、と内心イラッとしていたら…。
「グランパと呼んだな、あの若者は」
(…へ?)
トォニィがどうかしたのだろうか、と相槌も打たずに守った沈黙。「早くしやがれ」と。
真面目に命がリーチな具合で、じきに死にそうな感じだから。
なのに…。
「お前もジジイだったのだな」
斜めな台詞を吐いたのがキース、感慨深げに。「年を取ったのは、私だけではなかったか」と。
『……ジジイ?』
それは何処から、と「最期の言葉」を言うのも忘れて訊き返した。
「ジジイだって?」と、不愉快な気持ち満載で。キースは老けて皺もあるけれど、自分は若くて青年だから。
「お前はグランパなのだろう?」
あれはジジイという意味だしな、と無駄に体力自慢のキースは続けてくれた。
「ジジイの割には若作りだが、お前に会えて良かった」とも。
『ちょ、ジジイって…!』
誤解だから、と言い終わる前に迎えたタイムリミット、まるで無かった延長戦。すなわち此処でタイムオーバー、タイムアップとも言うかもしれない。
キースにまるっと誤解されたままで終わった命。
あまつさえ最期の言葉さえもが、カッコよくキメて終わる代わりに「ちょ、ジジイって…!」。
(…なんでこういうことになるわけ!?)
最悪な最期だったんだけど、と泣きの涙で死んだ途端に…。
「ようこそ、ジョミー・マーキス・シン」
さあ、天国に参りましょう、と現れた天使。
真っ白な翼に、光り輝く純白の衣。何処から見たって神の御使い、天国ガイドらしいけれども。
「ちょっと待って欲しい…!」
まだ死ねないから、と踏ん張った。
最期の言葉も酷かったけれど、キースがかました「ジジイ」なる言葉。
トォニィが「グランパ」呼ばわりしてくれたせいで、とんでもない流れになったのだから。
何としてでも、此処は戻ってやり直し。「ジジイ」の件は仕切り直したい。
キースは恐らくまだ生きているし、ちょっと戻って解きたい誤解。
「この手、離してくれないかな…!」
急ぎの用があるもんで、と振り払おうとした天使の手。
「ジョミー?」
「急いでいると言っただろう! 今のままだと、ぼくはジジイで終わりだから!」
ぼくを身体に、地球に帰せ、と怒鳴ってやった。昔、似たような台詞があったと思いながら。
あの時は相手がブルーだったと、「ぼくをアタラクシアに、家に帰せ!」と叫んだよね、と。
「ですが、あなたは、もう天国に…」
「天国が何だって言うんだよ!」
これじゃ死んでも死に切れないから、と天使にぶつけた怒り。
最期の言葉は「ちょ、ジジイって…!」で、キースには「ジジイ仲間だ」と誤解されたまま。
それというのも、トォニィが何度も「グランパ」と呼んだせいなのだから…。
(孫末代まで祟ってやる、っていうヤツは…)
こういう時にピッタリかもね、と思ったら慌てたのが天使。「なんということを…!」と。
「ジョミー、その思考は危険です…!」
孫末代まで祟るだなんて、天国の扉が閉ざされますよ、と諭されたけれど、危険な思考、上等。
元々、危険思想の持ち主がミュウで、それで人類と派手に戦争していたのだから。
「だったら、危険思想でいいから!」
天国も説教も後でいいから、とにかく離せ、と大暴れした。「ぼくを帰せ!」と空中で。
そうしたら…。
「あっ…!」
どうしましょう、という天使の声を最後に、真っ逆様に空から落っこちて行って…。
(生き返った!?)
戻ったみたい、とガッツポーズを取るよりも前に、隣でキースが吐いている台詞。
「最後まで私は一人か…」と、格好をつけて。
(させるかぁーーーっ!!!)
誤解を解いていないんだから、と戻って来たジョミー・マーキス・シン。
戻ったからにはパワーMAX、キースにも生きて貰わねば。
上からドーン! と落ちて来た岩、その下敷きにはさせなくて…。
「………???」
なんだ、とキースは目を剥いた。「此処は何処だ?」と真っ暗な中で。
「さっきのジジイだ! 言い直せ!」
あれは思い切りの誤解だからな、と肉体の声で売ってやった喧嘩。「まだ死なせるか」と。
「ちょっと顔を貸せ」と、「シャングリラまで来て貰おうか」と。
「ほら、其処だ!」
「なにぃ…!?」
馬鹿な、と落ちたキースの顎。
どうしたわけだか、地の底深くから飛び出す羽目になったから。ジョミーともども。
「いいから、さっさと来るんだ、キース!」
ジジイの件を説明させて貰うから、とジョミーが飛び込んで行ったシャングリラ。腕にキースをしっかり抱えて、どちらも致命傷コンビのままで。
「グランパ!?」
よく無事で、とトォニィがやった「グランパ」呼び。途端に力が抜けたけれども…。
「そのグランパ…」
やめてくれる、と辛うじて告げて、其処で意識がブラックアウト。
とはいえ、天使は来なかったから…。
(ぼくもキースも…)
生きられそうだし、後でゆっくり片をつけよう、と算段しているジョミー。
まずはキースの誤解を解くこと、お次がトォニィの「グランパ」呼びを直させること。
(もう戦いは終わったんだし…)
そっちの方へと時間を割いてもいいだろう。こうして生きて戻れたから。
長年「グランパ」と呼ばれたけれども、直させるなら…。
(もっと若さをアピールで…)
かつ偉そうに「兄上」なんかがいいだろうか、とジョミーは真面目に考え続ける。
「それがピタリと嵌まりそうかな」と、「グランパよりかは兄上だよね」と。
トォニィの台詞に当て嵌めてみても、まるで違和感が無かったから。
「早くしなけりゃ、グランパが死んじゃう!」を、「兄上が死んじゃう!」に換えたって。
「グランパを置いてなんか行けない!」を、「兄上を置いてなんか行けない!」とやったって。
(…いいかも、「兄上」…)
これにしよう、とジョミーが決めたお蔭で、暫く経ったシャングリラでは…。
「ごめんなさい、兄上…。ぼくの言い方が悪かったです…」
ちゃんとキースに説明します、とトォニィがションボリ項垂れていた。
大好きなグランパは生きて戻ってくれたけれども、もう「グランパ」とは呼べないから。
これから先は呼ぶなら「兄上」、キースの誤解を解く役目までが「兄上」からの命令だから。
(頼むぞ、トォニィ…!)
ぼくが自分で説明するより確実だからな、とベッドでほくそ笑むジョミー。
ジジイのままで死んでたまるもんかと、悲惨な最期はもう二度と御免蒙ると…。
グランパは嫌だ・了
※キースにしてみりゃ、「グランパ」呼びは意味が不明だろうな、と思ったわけで…。
そしたら「ジジイは嫌だ」なジョミーが出て来たオチ。「兄上」だそうです。
「それでね…」
ママ、と呼び掛けた所でパチリと覚めた、シロエの目。
見上げた天井、それはシロエの嫌いなもので。
(…ぼくの部屋……)
だけど、ぼくの好きだった部屋じゃない、とベッドの上から睨み付ける。
此処はE-1077で、懐かしい故郷とは違うから。
大好きな部屋があったエネルゲイアは、「戻れない場所」になってしまったから。
(今のママも、夢…)
直ぐ側で何かしていた母。
自分は何をしていたろうか、夢の中では?
皮肉なことに夢の中では、ぼやけてはいない母の顔。それに父だって。
とても鮮やかに見えているのに、夢が覚めたら覚えてはいない。
どんなに記憶の海を探っても、もう見えはしない両親の顔。
だから悔しい、こうして夢から覚めた時には。夢だったのだと知った時には。
(…もう一度…)
眠ったら思い出せるだろうか、夢の世界に飛べるだろうか?
母とさっきの話の続きが出来るだろうか、と考える。
今日の講義は休んでしまって、夢の続きを追い掛けようかと。
(…何だったっけ?)
午前中にある筈の講義は、と思い出そうとして気が付いた。「休みなんだ」と。
今日は日曜、E-1077にも休日はある。
休暇も無しに勉強ばかりを続けさせたら、生徒は疲れてしまうから。
肉体的にも精神的にも疲弊したなら、いい結果など出はしない。
そうならないよう、カレンダー通りに休みはある。
日曜日の今日は講義の無い日で、何をするのも個人の自由。
(だったら、寝てても…)
いいんだよね、と戻ろうとした夢の中。母がいた世界。
けれど…。
なまじ「休んでもいい日なんだ」と、気分が高揚したせいだろうか。
いくらベッドに入っていたって、一向に訪れない眠気。
入ってゆけない夢の中の世界、あれからかなり経ったのに。
(…もう無理だよね…)
眠くならないなら眠れやしない、と諦めて起きて、顔を洗って。
袖を通した、候補生の服とは違った服。休日ならば外に出てもいい服。
普段は部屋でしか着られないけれど、好きに選んで「自分の物」に出来た服。
(家にいた頃は、ママが選んでくれていたのに…)
母が選んでくれた服なら、こういう服になっただろうか?
「良く似合うわよ」と言ってくれたのか、「シロエにはこっちの方がいいわ」と言ったのか。
もうそれすらも分からないけれど、今の自分が選ぶなら、これ。
少なくとも制服よりはいいから、「自分の好みだ」と思えるから。
それを着たなら、次は朝食。
候補生の部屋にキッチンなどは無いものだから、休日でも行かねばならない食堂。
(シナモンミルク、マヌカ多めに…)
忘れないように今日も言わなくちゃ、と心の中で唱える呪文。
此処へ来てから思い出したこと、きっと誰かが好きだったもの。故郷の家で。
自分か、それとも父か、母なのか。
小さな切っ掛けで蘇った記憶、これを注文するのが幸せ。
「確かに誰かが好きだったんだ」と分かるから。故郷に繋がる記憶だから。
それを忘れずに頼まなくちゃね、と部屋から踏み出した通路。
食堂はこっち、と迷わず歩いて行ったのだけれど。
幾つかの扉の前を通って、曲がったりもしていたのだけれど。
(あれ…?)
気付けば近付いていた食堂。
じきに着くわけで、シナモンミルクを注文だけれど、その食堂。
「其処へ行こう」と考えただけで、他には何も思っていない。
右へ行こうとも、左だとも。…真っ直ぐだとも、此処をどう曲がるとも。
途中で目覚めた夢の世界と、故郷の記憶のシナモンミルク。
それに囚われて歩いていたのに、何処も見回してはいなかったのに。
もう立っているのが、食堂の入口に当たる場所。
(どうやって此処まで来たんだっけ…?)
思い出せない、道中のこと。
誰かとすれ違ったりしたのか、それとも誰もいなかったのか。
こっちへ行こうと考えていたか、「こっちは違う」と考えたのか、それさえも。
(ちょっと待ってよ…?)
ぼくは何にも考えてない、と振り返ってみた、今、来た方向。
それをどういう風に辿れば部屋に着くのか、それならば分かる。
いとも簡単に思い出せるし、つまりは部屋から食堂までの道順は…。
(ぼくが覚えていると言っても…)
多分、無意識、あまりにも何度も通ったから。
余所見していても迷わないくらいに、考え事に夢中でも辿り着くほどに。
(…此処に来てから、まだそんなには…)
経っていないのがE-1077という場所。
成人検査の後に船に乗せられ、ピーターパンの本だけを持って離れた故郷。
覚えているのは、その船の中で「我に返った」ことと、「過去の記憶を消されていた」こと。
テラズ・ナンバー・ファイブが消してしまった、子供時代の記憶をすっかり。
両親の顔も、故郷も、家も。
家があった場所も、幼い頃には得意になって何度も書いた住所も。
(…全部、機械に消されたけれど…)
もしかしたら、と思ったこと。
今、こうやって食堂まで歩いて来た自分。
何処を通ったか、誰に会ったのかも、まるで気付きもしない間に。
その上、夢の世界の中では鮮やかに見える両親の顔。
だったら、家もそうかもしれない。
家から何度も出掛けた場所へは、今の食堂までの道と同じに行けるとか。
慎重に記憶を辿ってゆけば。…こっちの方だ、と進んでゆけば。
思いがけなく得られたヒント。
家の住所が分からないなら、その逆の手を使えばいい。
(ぼくの部屋は覚えているんだから…)
今も記憶に残っているのが、エネルゲイアの家で暮らした子供部屋。
機械も其処までは消さないらしくて、部屋のことなら覚えている。
その部屋にあった、アルバムの中身は怪しくても。
多分、飾っていただろう写真、其処に両親の顔は無くても。
(…でも、あの部屋はぼくの部屋…)
あそこから逆に進んでみようか、家の外へと。
まずは自分の部屋を後にして、リビングなどを通り抜けて。
いつも父が「ただいま、シロエ」と入って来ていた、あの扉から外に出て。
(通路に出たら、エレベーターで…)
住んでいたのは高層ビルだし、間違いなくあったエレベーター。
それに乗り込んで下に降りたら、ビルの一階に着くだろう。
其処がどういうフロアなのかは分からないけれど、外へ出たなら…。
(何処かへ歩いて行ける筈だよ)
場所さえ覚えていない学校、その門の前に立てるとか。
休日には何度も出掛けたりした、公園に辿り着くだとか。
(学校とか、公園だったなら…)
多分、上手に調べさえすれば、何処に在るのか分かる筈。
機械が偽のデータを混ぜても、注意深く探していったなら。
「こういう道の先に在った」と、「こう曲がって…」と辿って行ったなら。
きっと身体が覚えている筈、自分の記憶の中には無くても。
何も考えずに「あの部屋」を出たら、子供部屋を後にして歩き出したら。
最初はリビングなどを進んで、「ただいま、シロエ」と父が帰って来た扉。
あの扉から通路に出たら、エレベーターに乗ったなら。
何処に着くかは分からなくても、何処だっていい。
エネルゲイアの何処かに着けたら、それが手掛かりになるのなら。
やっと見付けた、と弾んだ胸。
ワクワクしながら食堂で頼んだシナモンミルク。
これから起こる素敵な出来事、それを思いながら、いつものように。
「シナモンミルクも、マヌカ多めにね」と弾ける笑顔で。
食事はきちんと食べなくちゃ、と一人きりで座る食堂のテーブル。
友達なんかは欲しくも無いし、誰かと食べる趣味も無いから。
(栄養はきちんと摂らなくちゃ…)
うんと頭を使うんだしね、と黙々と食べて、食事の合間にシナモンミルク。
これを好んだのは父か、母なのか、それとも幼い自分だったか。
(パパ、ママ、もうすぐ…)
ぼくたちの家を見付けるからね、と嬉しくてたまらない休日。
なんて素晴らしい日なんだろうと、もうすぐ家が分かるんだから、と。
食堂からの帰りの通路も、そのことだけで胸が一杯。
何処を歩いたのか、どう歩いたかも気付かない内に着いていた部屋。
(ほらね、やっぱり…)
あの部屋からだって、今のと同じように何処かへ、と転がったベッド。服を着たままで。
そうして、そっと閉ざした瞼。
(うん、ぼくの部屋…)
こうだったよ、と思い浮かべた懐かしい故郷の子供部屋。
部屋の扉を開けて進んで、気付けばリビングに立っていて。
(あそこの扉から、パパが「ただいま」って…)
よし、と扉を開けたのだけれど。
通路に出たらエレベーターに、と勇んで外に踏み出したけれど。
(……嘘……)
扉の向こうはただの空間、通路と思えば通路のようで、道路と思えば道路のような。
おぼろに霞んで、あるわけがないエレベーター。
機械はきちんと計算していた、「扉を開けて外に出てゆく」子供がいるということを。
こうして住所を探り出そうと試みる子がいることを。
だから行けない扉の向こう。
…これからもきっと、夢でしか。
夢の中でしか出られない扉、夢でしか出会えない両親。
(…テラズ・ナンバー・ファイブ…)
許せない、と激しく噴き上げる怒り、けして機械を許せはしない。
自分の故郷を奪ったから。
両親も家も、何もかも全て、機械に消されて何も残っていないのだから…。
部屋を出たなら・了
※意識しないで歩いていたって、いつの間にか辿り着けた食堂。それなら、と思い付いたのに。
機械に消されて、残っていなかった家の外の通路。住所は分からないままなのです。
『箱の最後には……希望が残ったんだ』
それがキースの心に届いた、ジョミーが紡いだ最期の思念。
肉声は「キース」と呼び掛けて来たのが最後で、飛び去ってしまったジョミーの魂。
ようやっと真の友が出来たと思ったのに。最後まで共に戦った仲間、本当の友を得られて心から満足したというのに。
だからキースがついた溜息。「最後まで……私は一人か」と、悲劇のヒロイン気取りで。
そう、ヒーローではなくてヒロイン、そんな感じで。一人残されて岩の下敷き、考えるだに気の毒な最期なのだから。誰も看取ってくれはしなくて、悲しむ人もいないのだから。
(マツカの方が恵まれていたな…)
チラリと頭を掠めた思い。マツカも大概な最期だったけれど、自分が看取ってやったのだし…。
(セルジュもパスカルもあの場にいたぞ)
それに比べて私はどうだ、と可哀想すぎる自分の最期を思いながら逝ったわけなのだけれど。
とうとう岩が落ちて来たかと、多分、押し潰されたのだけれど…。
「…どの辺がどう気の毒なんだか…」
悲劇のヒロインぶられても、と容赦なく頭を蹴り飛ばされた。ジョミーのブーツで。
恐らく天国、もう見るからにそれっぽい雲の絨毯の上で、ゲシッと、「ていっ!」と。
「何をする!?」
痛いじゃないか、と起き上がったら、其処で腕組みしていたジョミー。偉そうな態度でこちらを見下ろし、「自覚が無いのが酷すぎだから」と吐き捨てた。
「誰が言ったんだったっけ…。シロエだっけか、幸福なキースっていうヤツは」
君は本当に幸福すぎだ、と睨み付けているジョミーの後ろから、シロエがヒョイと覗かせた顔。
「そうです、それで合ってます。幸福なキースは、ぼくの台詞ですよ」
登録商標ではないんですけど、と謙遜しつつも、自慢の言葉ではあるらしい。遠い昔にシロエが罵倒してくれた、「幸福なキース」なるヤツが。
「…この期に及んで、それが何だと?」
成人検査を通過したかどうか、そんなのは細かいことだろう、と言ったのに。
死んで天国までやって来たのに、重箱の隅をつつくようなことをしなくても…、と考えたのに。
「甘いね、君は。…本当に甘くて、もう「幸福なキース」としか…」
言えやしない、とジョミーは上から目線で続けた。思い切りハッピーエンドな最期だったのに、贅沢をぬかす奴なんて、と。
「あれがハッピーエンドだと!? 私のか!?」
違うよな、とキースは噛み付いた。SD体制は崩壊したから、人類とミュウにとっては、きっとハッピーエンドだろう。ああいう悲惨な死に方でも。
けれど自分にとってもそうかと言われたら…。
(全力で生きた者にも後悔は無いが、ハッピーエンドなら、もっとこう…)
希望があってもいいと思うし、「箱の最後に残った」ような希望では困る。パンドラの箱など、死んだ後には何の役にも立たないから。希望は「生きてこそ」なのだから。
そんなわけだから、「違う」と思ったハッピーエンド。人柱よろしく斃れた自分は、もう絶対にハッピーエンドを迎えてはいない。バッドエンドの方だろう、と自信満々だったのに…。
「まあ、そうだとも言えるだろう。君にはあれが全てなんだし、気の毒なのかもしれないが…」
でも天国に来たら、こんなテキストが…、とジョミーが、シロエが持っている本。
いったい何の本だろうか、と見詰めてみたら、『地球へ…』と書かれたタイトル。何処かで目にした覚えがあるな、と思うけれども、おぼろな記憶。死んだはずみに、ブッ飛んだかも。
(地球というのは、あの地球だろうが…)
私が岩の下敷きになって死んだ場所だな、と理解はしても、結び付かない本との関係。あの本に何の意味があるのか謎だし、タイトルの記憶もナッシング。
けれどジョミーが、シロエが繰っているページ。互いに頷き合いながら。
「なんて幸せな男なんだ」と、「ええ、幸福なキースですよね」と。
(どういう意味だ…?)
サッパリ分からん、とボーッとしていたら、「このタコがあ!」とジョミーに張り飛ばされた。
「テメエの人生、ちゃんと自分で確かめやがれ」と、「この本がオリジナルだから!」と。
(…オリジナル……?)
それは伝説のタイプ・ブルー・オリジンとは別物なのか、と思ったオリジナル。手渡された本をパラパラめくると、其処に見付けた「タイプ・ブルー・オリジン」。そう、伝説の。
(こんな所にソルジャー・ブルーが…?)
私が知らない時代のだな、と伝記っぽい本を読んでゆく。文字オンリーではなくて、見るからに娯楽なコミックだけど。何処から見たって漫画だけれど。
そうしたら…。
(…へ?)
此処で終わりか、と仰天したソルジャー・ブルーの最期。
驚いたことに、アルテメシア、いやアタラクシアという星でジョミーを後継者に据えた途端に、彼の命は終わったらしい。ご丁寧にガラスの柩に入って、花まで背負って。
(…いや、こう見えて、実は死んでいなくて…!)
白雪姫の童話よろしく、ガラスの柩から復活だろう、と考えたのに甘かった。舞台は其処で暗転だから、もう本当に死んだっぽい。…ソルジャー・ブルーは、綺麗サッパリ。
はて…、とページをめくってみたら、颯爽と登場した自分。サムもセットで。ついでにシロエも一緒に登場、何処か違った世界なE-1077。
(…これはどういう本なのだ?)
私の人生が描かれている本なのか、と読み進めたら、またしても衝撃の展開。まだ少年のような自分が、フロア001にいた。シロエが「ゆりかごですよ」と言っていた場所に、その直後に。
(知るのが、やたらと早すぎないか!?)
ジルベスターの後まで知らなかったが、と愕然とさせられた出生の秘密。
自分の場合は、「マザー・イライザが無から作った生命」だなんて、中年に差し掛かるまで全く知らなかったから。
(…えらくまた、苦労性な私もいたものだ…)
こんなに早く知ってどうする、と驚きながらも読んでゆく『地球へ…』。もうあちこちで何かが違うし、見て来たものとは別世界。天国に来るまでに生きた人生、それとも激しくズレまくり。
そうやって辿り着いた終幕、なんとジョミーを撃ち殺したから驚いた。そう、自分が。
自分の名誉のために言うなら、自分の意志ではないけれど。グランド・マザーに操られた末に、及んだ凶行。平たく言うなら心神喪失、多分、責任は問われない。そうは言っても…。
(これはあまりに…)
強烈すぎる、とガクブルしながら読んでいったら、トドメの一撃。
グランド・マザーの次に控えた、「コンピューター・地球(テラ)」という有難い機械。地球を滅びから救える機械を、せっせと止めている自分。「もう決めたんだ」と、せっせ、せっせと。
(いったい、此処の私は何を…!)
それを止めたら地球は終わりで…、と思った通りに、ドえらい惨事に見舞われた地球。
その一方で自分はといえば、「この世をば、どりゃお暇に線香の煙と共にハイ、さようなら」と言わんばかりに、この世にオサラバしてしまっていた。十返舎一九ではないけれど。
自分が暴走して殺したジョミーに、「俺を殺せ」と格好をつけて、サックリと。
かくして終わった自分の人生、やたらと苦労が多そうだけれど。
最後の最後まで友はいなくて、「私は一人か」を極めた感じが、もうMAXに漂うけれど。
(これはいったい…)
何なのだ、とガン見した『地球へ…』。運命を左右する「予言の書」というブツにも見えるし、あるいは冗談、いやいや悪魔の仕業なのかも…、とも思っていたら。
「分からないかな、オリジナルだと言ったけど?」
ジョミーがフンと鼻を鳴らして、のたまった。「本来、君の人生はそういうヤツらしい」と。
若い頃からドップリ苦悩で、死ぬまでひたすら苦労の連続。そう生きるのがキース・アニアン、「最後まで……私は一人か」などと寝言も言えずに、ドツボな人生。
なのに全く違う生き方、「お気楽極楽、そういう感じで生きなかったか?」と、イヤンな指摘。
自分の生まれを知りもしないで、ノホホンと生きた若かりし日々。それこそやりたい放題で。
メギドは持ち出す、ソルジャー・ブルーもなぶり殺すで、人生エンジョイしたろうが、と。
自分の生まれを知った後にも、まるで無かった反省の色。
グランド・マザーと戦う時さえ、「私は自分のしたいようにする」と銃をぶっ放していた程度。やっぱり変わらず好き放題だし、苦労の「く」の字も無かったわけで…、と。
「い、いや、それは…。それは間違いないんだが…!」
あれが私の精一杯の抵抗で…、と食い下がったけれど、弱すぎる立場。オリジナルの方と比べてみたなら、「何もしていない」も同然の自分。…情けないことに。
銃をぶっ放したまでは良しとしたって、グランド・マザーに粛清されて剣でグッサリ。あえなくリタイヤ、後はジョミーに丸投げしたのが自分というヤツ。
(…ただ転がっていて、グダグダ喋っていただけだとか、なんとか言わないか…?)
そうだったかも、と青ざめた顔。「頑張りがかなり、足りないのでは…?」と。
苦労知らずでぬくぬく育って、最後はサックリ退場だから。
あれこれ御託を並べていたって、剣で刺されて、まるで虫ピンで留められた虫。動きもしないで「くっちゃべっていた」と切り捨てられたら、「ハハーッ!」と土下座で詫びるしかない。
(…確かに、「幸福なキース」なのかもしれん…)
この人生に比べたら…、とガクガクブルブル。オリジナルだという『地球へ…』を手にして。
「私の人生は、本来こうか」と、「悲劇を気取って申し訳ない」と。
ジョミーに、シロエに、詰られたって仕方ないのだな、とブルッていたら、ポンと叩かれた肩。
「久しぶりだね」と、後ろから。
(誰だ!?)
今度は誰がやって来たんだ、と振り返った所に、立っていたのがソルジャー・ブルー。
ジョミーたちと同じに、『地球へ…』の本をキッチリ手にして、「その節はどうも」と。
「もう読んだんなら、分かってくれたと思うんだけどね? ぼくは本当なら…」
間違っても君と出会う筈はなくて、狩りの獲物になるわけもなくて…、とソルジャー・ブルーが浮かべているのが、怖すぎる笑み。愛想が良すぎて、こみ上げる恐怖。
そんな心を知ってか知らずか、伝説のミュウは極上の笑顔で続けてくれた。
「君の人生に花を添えるためにだけ、ぼくは生かされていたようだけどね?」と。
「お蔭で散々酷い目に遭って、ガラスの柩を貰うどころか、葬式も無しの人生だった」と。
脇役だから仕方ないけれど、と言いつつ、実は据わっているのが彼の赤い瞳。そしてやっぱり、シロエの自慢の例の台詞をパクッてくれた。「君は幸福なキースだよ」と。
「ぼくの人生を踏み台にして、華麗にステップアップだからね」と、「二階級特進で上級大佐になった気分は、さぞかし素敵だっただろう」とも。
「そ、そう言われても…。私に、そういう自覚は全く…!」
無かったんだが、と言い終えない内に、ジョミーに、シロエに取り囲まれた。両脇から。
「往生際の悪い奴だな、君という奴は。要は、君が生きて来た人生は…」
君にとってはハッピーなヤツで、最後もハッピーエンドなわけで、とジョミーが迫れば、横からズズイと出て来たシロエ。思いっ切りの訳知り顔で。
「その通りですよ。オリジナルの方なら、ぼくが死んでも意味はあったんですけどね…」
こっちのコースだと無駄死にですよ、とキッツイ一言。実際そうだし、ヤバすぎる立場。自分の生まれを全く知らずに何年生きたか、お気楽すぎる時代が何年あったのか。
「…で、では、私が生きたあの人生は…」
「君がハッピーエンドを迎えるために、他のみんなが踊らされていたようだけれどね?」
ぼくも含めて…、とソルジャー・ブルーは笑顔だけれども、生憎、その目がマジだった。囲みにかかったジョミーもシロエも、ジト目で見ている「幸福なキース」。
ちょっと幸福すぎやしないかと、「その幸福は、皆にお裾分けするべきだ」と。
「畜生、どうしてこうなるんだ!?」
死んだ後まで、何故こうなる、と悲鳴を上げても、後が無かった「幸福なキース」。
「言いがかりだ」と必死に言い返そうにも、「オリジナルはこうだ」と、皆が掲げる錦の御旗。
誰もが手にする『地球へ…』のコミック、この天国では聖書よろしくデフォ装備。
それを読んだら、ナチュラルに理解できること。キースが生きた人生と世界、それらは残らず、全部キースのハッピーエンドのために書かれた物語。
もう思いっ切りハッピーに生きて、やりたい放題、し放題。グランド・マザーに逆らう時さえ、貫いたのが自分流。挙句の果てにジョミーに丸投げ、気分は悲劇のヒロインな最期。
そうとしか読めない恐怖のテキスト、皆が知っているオリジナル。『地球へ…』のコミック。
(うわー…)
アレのせいで皆にたかられるんだ、と泣きそうなキモチの「幸福なキース」。
何かと言ったら「今日はキースのおごりだから」と、ジョミーが、シロエが毟ってゆく。天国の酒場やレストランやら、そういった所で遊ぼうと。今日は居酒屋『緑の丘』を貸し切りだ、と。
もちろんソルジャー・ブルーも毟るし、毟らないのはマツカくらいかと思ったら…。
(…いつの間にやら、ミュウの連中とマブダチになって…)
楽しく飲み食いしていやがった、と「幸福なキース」の苦悩は尽きない。
オリジナルと違って、「リアル人生」で全く苦労をしなかった分だけ、天国で苦悩。
今日も今日とて、「キース!」とジョミーが駆けて来る。『緑の丘』で飲んで騒ごうと。
その後ろにはソルジャー・ブルーの姿も見えるし、シロエやサムも。それにマツカも、グレイブまで混じっているものだから…。
(今度こそ破産しそうなんだが…!)
もういい加減、後が無いんだ、と既にリーチなキースの財布。
来る日も来る日も毟られまくって、神様に何度も頼みまくっている前借り。そろそろ「断る」と言われそうだし、そしたら破産するしかない。この天国では稼ぐ道など無いのだから。
それでも彼らは逃がしてくれずに、遠慮なく飲み食いするのだろう。
「お金が無いなら、お皿を洗えばいいじゃない」と、ジョミーあたりが厨房の奥に蹴り込んで。
「ぼくたちは勝手に飲み食いするから、君は代金を身体で払ってくれたまえ」と、恐ろしすぎる伝説のタイプ・ブルーが、逃げ道を塞いでくれたりして。
(…きっと本当に、そういうコースだ…)
もう泣きたい、と呻くしかない「幸福なキース」。いっそこの名を、商標登録しようかと。
誰かがそれを口にする度、小金が入って来るようになれば、今よりはマシな暮らしが…、と。
ウッカリ幸福に生きたばかりに、この始末。今日もたかられる、天国の居酒屋『緑の丘』。
自分的には、悲劇のヒロインな最期だったのに。
「最後まで……私は一人か」と呟いて死んだ時には、きっとキマッていた筈なのに。
人生、本当に分からないから恐ろしい。
あれでも究極のハッピーエンドで、それまでの人生もハッピー満載。
周りの全てを巻き込みながらの「幸福なキース」、そう生きたのが自分らしいから。
どんなに「違う」と叫んでみたって、誰もが『地球へ…』のコミックをドンと突き付けるから。
今日も賑わう天国の居酒屋、その名も『地球の緑の丘』。
もう最高のネーミングセンス、ワイワイと皆が入り浸る店。「いつかは本物に行こう」と。
せっかくだから夢は大きく、天国よいトコ、青い地球だっていい所。
いつか「幸福なキース」よりもずっと素敵なハッピーエンドを、本物の地球の緑の丘で、と…。
天国の緑の丘・了
※アニテラ放映終了から9周年の記念に何か、と思ったのは確かですけれど…。
気付けば気の毒すぎたのがキース、でも、そう読める原作の怖さ。誤解と曲解てんこ盛りで。
すまない、キース、記念作品のネタに君を選んで。心からすまなく思って…い…る…?
(自らの命を犠牲にして、メギドを止めたのか…)
ソルジャー・ブルー、とキースの心を占めるもの。そう、今も。
メギドを失い、グレイブの艦隊に残存ミュウの掃討をするよう命じたけれど。
その時からの思いで、今も消えない。
自室に引き上げ、こうしてシャワーを浴びている今も。
グレイブが指揮する艦隊とは別に、こちらの船はジルベスター・エイトから離脱中。
ミュウどもが「ナスカ」と呼んでいた星、ジルベスター・セブンも遠ざかりつつあるけれど。
ジルベスター・セブンは砕けて、跡形も無いのだけれど。
(…ソルジャー・ブルー…)
もういない、伝説のタイプ・ブルー。…タイプ・ブルー・オリジンと呼ばれた男。
自分が彼を撃ち殺したと言っていいのか、それとも成し遂げられなかったか。
(これで終わりだ、と…)
撃ち込んだ弾は、彼のシールドを突き抜けて右の瞳を砕いた。
あれで終わりだと思っていたのに、倒れなかったソルジャー・ブルー。
代わりに起こしたサイオン・バースト、噴き上げるように広がり始めた青い光の壁。
危うく、それに…。
(巻き込まれていたら、今頃、私は…)
生きて此処にはいなかったろう。
サイオンの光に一瞬にして焼き尽くされたか、あるいは意識を失ったのか。
もしも、あそこに倒れていたなら、自分の命は無かった筈。
メギドの制御室は、そういう所だから。
発射される時に其処にいたなら、命が危ういエネルギー区画。
それが常識、だからマツカは「行っては駄目です」と止めにかかったし、後を密かに…。
(つけて来ていたから、私を救い出せたんだ…)
サイオンの光に巻き込まれる直前、走り込んで来た忠実なマツカ。
彼が自分を抱えて「飛んだ」。
瞬間移動で、制御室からエンデュミオンの艦内まで。
そうして辛くも救われた命。
自分の命がどれほど危ういものであったか、嫌と言うほど思い知らされた。
残党狩りを命じた後に、「部屋に戻る」と戻って来たら。
酷く疲れを覚えていたから、気分転換に浴びようと思った熱いシャワー。
バスルームの扉を開けた途端に、其処の鏡に映った自分。
(セルジュたちにも見られたな…)
煤まみれになった、あの顔を。
けれど彼らは、「ソルジャー・ブルーと死闘を繰り広げた結果」なのだと思っているだろう。
戦いの最中に起こった爆発、その時に浴びた煤なのだと。
(…それならば良かったのだがな…)
生き残ったことを誇れもするし、死の淵からの生還の証と言えるのだから。
メギドを失ったほどの爆発、それを食らっても「生き延びる術」を持っていたのだと。
(…だが、実際は…)
マツカが助けに来なかったならば、失われていた自分の命。
本当に命の瀬戸際だったと、顔についた煤が示していた。
間一髪で救われただけで、そうでなければ失くした命。
サイオンの光に焼かれて死んだか、あるいはメギドの発射で命を落としたか。
どちらにしたって、生き残れていたわけがない。
いったい自分は何をしたのか、どれほど愚かだったのか。
それを突き付けられたのが鏡、其処に映った煤まみれの顔。
「これがお前だ」と、「お前がやったことの結果がこれだ」と。
マツカがいなければ死んでいたのだと、「なんと無様な姿なのだ」と。
煤まみれの顔が映っているのは、生きて此処にいる証拠だけれど。
その命は何処から拾って来たのか、ちゃんと自分で守ったのか。
答えは「否」で、一人だったら失くした命。
瞬間移動など出来はしないし、きっとメギドの制御室で。
ソルジャー・ブルーと共に倒れて、それきりになっていたのだろう。
「アニアン少佐は戻らなかった」と報告されて。
元より、命が惜しくはない。
軍人なのだし、惜しいと思ったことさえも無い。
ただ、その「命」の失くし方。…何処で失くすか、どう失くすのかで違う価値。
命を捨てた甲斐があるなら、軍人冥利に尽きるのだけれど。
何の成果も上げることなく死んでいったら、それは無駄死に、犬死にでしかない。
いくら「名誉の戦死」でも。
作戦中の死で、二階級特進になったとしても。
(…まさに無駄死にというヤツだ…)
あそこで死んでいたのなら。
ソルジャー・ブルーに巻き添えにされて、命を失くしていたのなら。
自分が死んでも、何の役にも立たないから。
この艦隊の指揮官の自分、それを失くしてきっと混乱したろう「その後」。
セルジュが代理を務めるとはいえ、彼も詳しくは知らない作戦。
「目的はミュウの殲滅」だという程度しか。
如何にセルジュが副官だとしても、伝えられない軍事機密も多いのだから。
(それなのに何故、私は、あの時…)
ソルジャー・ブルーが来たと知った時、制御室へと行ったのか。
彼を狩ろうと考えたのか。
「仕留めてやるのが、狩る者の狩られる者に対する礼儀だ」などと格好をつけて。
伝説の獲物が飛び込んで来たから、それを仕留めに行ってくる、と。
(保安部隊では、太刀打ち出来ない相手だが…)
ただの兵士では歯が立たないのがソルジャー・ブルー。
自分は身をもって知っているから、ミュウどもの船で負け戦を味わわされたから…。
(今度は勝ちたかったのか?)
ミュウの船ではなく、自分の船が戦場だから。
より正確に表現するなら、自分の船とドッキングしているメギドを舞台に戦うのだから。
「今度こそ勝つ」と思っただろうか、それが出掛けた理由だろうか?
ソルジャー・ブルーの覚悟のほども知りたかったし、見届けたくもあったから。
「お前は、どれほどの犠牲を払える?」と。
そうして出掛けて行ったメギドで、またも無様な負け戦。
傍目には「勝ち戦」だけれど。
セルジュたちも、きっとグランド・マザーも、そうだと思うだろうけれど。
(しかし、自分を誤魔化すことは…)
けして出来ない、勝ち戦だなどと思えはしない。
マツカが自分を救いに来たこと、それを誰にも漏らさなくても、自分自身は誤魔化せない。
あそこでマツカが来なかったならば、失くした命。
それも犬死に、何の役にも立ちはしない死。
艦隊が無駄に混乱するだけ、指揮官が死んでしまっただけ。
「名誉の戦死」で、「ソルジャー・ブルーと死闘を繰り広げた末の最期」でも。
ソルジャー・ブルーと共に散っても、皆が自分を褒め称えても…。
(…私の死などは、それだけのことで…)
実際の所は、狩るべき獲物に返り討ちにされただけのこと。
ソルジャー・ブルーに巻き添えにされて、命を失くしてしまっただけ。
彼を狩ろうと考えたから。
「今度こそ、私が勝ってみせる」と、自分の誇りにこだわったから。
いくら伝説のタイプ・ブルーでも、「今度はそうそうやられはしない」と。
二度も負け戦でたまるものかと、「来たことを後悔させてやる」と。
相手はミュウで、宇宙から排除されるべきもの。
撃ち殺してやれば自分の勝ちだし、反撃されても「今度は勝つ」。
メギドが発射されてしまえば、彼が来た意味は無くなるから。
ソルジャー・ブルーは「狩られるために」飛び込んで来ただけのことになるから。
飛んで火にいる夏の虫だし、彼を殺せば自分の勝ち。
(…まさか、サイオンをバーストさせるなど…)
まるで思いはしなかった。
サイオン・バーストを起こしたミュウを待つものは、「死」のみ。
命を捨てる覚悟が無ければ、サイオンを全て放出するのは不可能だから。
そんなミュウなど、見たことがない。
聞いたことすら一度も無かった、死への引き金を自ら引いたミュウの話は。
きっと最初から、ソルジャー・ブルーは命を捨てる気だったのだろう。
生きて戻ろうとは微塵も思わず、ただ一人きりでやって来た。
(たまたま、私に遭遇したから…)
何発も弾を撃ち込まれた末の死だったけれども、そうでなくても死んだのだろう。
メギドもろとも、命を捨てて。
持てるサイオンを全て出し尽くして、メギドそのものを道連れにして。
(…そしてあいつの思い通りになったというわけだ…)
メギドは沈んで、ミュウどもの船はワープして逃げた。
ソルジャー・ブルーは仲間を救った、自らの命を犠牲にして。
あの船に乗っていた仲間を守って、宇宙に散ったソルジャー・ブルー。
彼が守ったのはミュウの仲間と、その未来。
逃げ延びたならば、巻き返しのチャンスもあるだろうから。
場合によっては、ミュウの勝利もまるで無いとは言い切れないから。
(…あいつは無駄死にしなかった…)
無駄死にどころか、万が一、ミュウが勝利した時は、どれほどの価値があることか。
ソルジャー・ブルーが捨てた命に、仲間のために払った犠牲に。
それに引き換え、自分はといえば…。
(…マツカが助けに来なかったなら…)
犬死にだった、と情けない気分。
またしても自分は負けたのだろう、ソルジャー・ブルーという男に。
もう永遠に前に立ってはくれない男に、逝ってしまって「二度と戦えはしない」相手に。
それを思うと、もう見たくもない自分の顔。煤まみれになっていた時の顔。
(…煤と一緒に、何もかも洗い流せたら…)
ソルジャー・ブルーに負けたことまで、洗い流してしまえたら、と浴び続ける水。
熱いシャワーを浴びるつもりで来たというのに、水しか浴びる気になれない。
犬死にしかけた愚かな自分を、ソルジャー・ブルーに負けた自分を、流し去りたい気分だから。
水ごと全てを洗い流せたら、きっと元通りの自分が戻って来るだろうから…。
永遠の敗北・了
※なんだってキースは「ギリギリまで粘って」撃ち続けたのか、未だに疑問な管理人。
とりあえず今はこんなトコです、考え方としては。結果だけを見ればブルーの勝ちだ、と。