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カテゴリー「地球へ…」の記事一覧
(計算通りだとは思えんのだが…?)
 どう贔屓目に見積もってもな、とキースは、部下が先刻、消えた方へと目を遣った。
 国家騎士団総司令の個室に出入り自由な、ジルベスター・セブン以来の側近。
 さっきコーヒーを運んで来たのだけれども、今夜はもう彼の仕事は無い。
 だから「下がって休め」と簡潔に告げて、忠実な側近に休息を取らせることにした。
 誰も気付いていないけれども、側近の「マツカ」の正体はミュウ。
 彼にしか出来ない役目は多くて、実際、とても役に立つ。
 暗殺者が撃って来た弾を防いだり、爆発物が仕掛けられた場所を見破ったり、といった具合に。
(マザー・イライザは、私を作って…)
 理想的に生育するよう、全てを計算して与えたと言った。
 Eー1077で出来た友人のサムも、サムの幼馴染だったスウェナも、計算された人材。
 トップ争いを繰り広げていた、「実はミュウだった」シロエもそうだ、と。
(あの頃の私は、自分の生まれを何も知らずに…)
 計算された道を走り続けていたのだという。
 スウェナを乗せた宇宙船の事故さえ、「キース」の資質を開花させるために仕組まれていた。
 そんなこととは全く知らずに、懸命に考え、対処したのに。
 シロエがミュウの因子に目覚めて逃げた時にも、心が引き裂かれるような気持ちで…。
(追い掛けて撃墜したというのに、それもイライザの計算で…)
 その後、Eー1077は廃校になって、長く宇宙に放置されていた。
 「それ」の処分をグランド・マザーに任され、初めて知った「自分の生まれ」。
 マザー・イライザが全くの無から作り上げた生命、「キース・アニアン」。
(…何もかもが計算通りだったと…)
 ようやく生まれた理想の子だ、とマザー・イライザは喜んでいた。
 その「子」が自分を処分しに来たとは、多分、思いもしなかったろう。
 だから歓喜し、嬉しそうに全てを明らかにした。
 フロア001に纏わる真実、遠い昔にシロエがその目で確かめたことを。
 「キース」は無から作られたことを、それにシロエも知りようがなかったシナリオを。
 サムやスウェナという友人を与え、ミュウ因子を持った「シロエ」を配する。
 全ては整えられた環境、計算された様々な出来事。
 それらを糧に「キース」は育って、いずれ理想の指導者となる。
 SD体制を、地球を導く、唯一無二の存在として。


 何もかもが「計算されていた」、キースの人生。
 知っていたなら、途中で絶望していたろうか。
 何をしようが、何をどのように考えようが、全て機械の計算なのだ、と嫌になって。
 生きてゆくのも、思考することも、放棄してしまいたくなって。
(…だから、真実を明かすまでの間に…)
 長い時間を置いたのだろうか、という気もする。
 シロエが命懸けで暴いた「フロア001」の秘密は、ずっと後まで伝わらなかった。
 Eー1077でシロエから直に、その存在を聞かされたのに。
 「フロア001に行け」とシロエは告げて、それから間も無く宇宙に散った。
 マザー・イライザの計算通りに、キースの船に撃墜されて。
 キースの心に棘を残して、飛び去って行ったミュウだったシロエ。
(…本当に、あれも計算だったとしたら…)
 なんとも空しい人生だけれど、幸い、気付きはしなかった。
 フロア001には行けずに、そのまま卒業してEー1077を去ったから。
 たまに思い出すことはあっても、訪れる機会は無かったから。
(そして私は何も知らずに、機械が敷いたレールの上を…)
 走り続けて来た筈だけども、そうは思えない部分がある。
 机の上で湯気を立てるコーヒー、それを淹れて去った側近、「マツカ」。
 彼と出会って「拾った」時には、キースの階級は、まだ少佐だった。
 側近くらいは選べるけれども、大きなことは、そうそう出来ない。
 なのに、システムに「逆らった」。
 SD体制が異分子と断じる「ミュウ」を拾って、側近に据えた。
 ミュウの「マツカ」を助命するだけでも、充分に反逆罪なのに。
 まして「キース」を殺そうと試みた危険なミュウなど、生かしておいてはならないのに。
(その場で射殺し、報告するのが軍人としての義務なのだがな?)
 私はそうはしなかったのだ、とマツカとの出会いを思い出す。
 もしも「キース」が軍人としては平凡だったら、即座にマツカを射殺したろう。
 自分の命が危ういわけだし、考えている余裕などは無いから。
 しかし、メンバーズなら、そんな風には行動しない。
 まずは捕らえて、色々と尋問せねばならない。
 射殺するのは「その後」のことで、それまでは生かしておかなければ。


 実際、「キース」は、そのようにした。
 マツカの攻撃を退けた後に、襲撃の背景を探り出そうと考えたのに…。
(…マツカはミュウのスパイどころか、自分の能力さえも知らないミュウで…)
 弱々しくて、ただ怯えていた。
 その姿に「シロエ」の姿が重なり、もう「殺せなくなってしまった」。
 シロエを二度も殺すことなど、出来はしないし、したくもない。
 なら、どうすればいいのだろうか。
 マツカを「見逃してやった」だけでは、再び、同じことが起きるかもしれない。
 命の危険を感じたマツカが、他の軍人を攻撃するという事態。
 そうなればマツカは、殺されてしまうことだろう。
 たとえメンバーズが相手であっても、そのメンバーズはマツカを「見逃しはしない」。
 必要な情報を聞き出した後は、問答無用で射殺して終わり。
 そういう悲劇を防ぎたかったら、「マツカ」を連れてゆくしかない。
 「キース・アニアン」の側近に据えて、身の回りの世話でもさせておいたら安全だろう。
 無能な部下になったとしても、眼鏡違いだったと笑われるだけ。
(気まぐれで選び出すからだ、と…)
 「キース」が陰口を叩かれはしても、「マツカ」の身に危難が及びはしない。
 そう考えて、後に実行した。
 マツカの能力はこの目で見たから、もはや迷いはしなかった。
 「マツカ」の見た目がどうであろうが、「役に立つ」のは本当だから。
 思いがけない優秀な部下を、手にすることが出来そうだから。
(…どう考えても、あの時の私の感情は…)
 マザー・イライザが計算していたものとは違う、と思えてならない。
 計算された感情だったら、「マツカ」を救うことなど出来ない。
 機械は「理想の子」になるようにと、キースを育てたのだから。
 システムに逆らうことなど考えもしない、SD体制を守るための指導者として。
(だからこそ、私はシロエが乗った練習艇を…)
 マザー・イライザが命じるままに、撃墜するしか道が無かった。
 シロエをそのまま行かせることなど、あの時の「キース」には不可能だった。
 今から思えば、逃がす方法が無かったわけではなかったのに。
 「取り逃がしました」と嘘の報告をしても、叱られて終わっていただろう。
 本当の所は見逃していても、「力が及びませんでした」と悔し気に詫びていたならば。


(…今の私は、そういう風に考えることが出来る上に…)
 マツカという側近も持っているから、マザー・イライザの計算通りとは思えない。
 何処かで計算が狂い始めて、今に至るのではないのだろうか。
 なにしろ、あの水槽から出した時点で、もはや「キース」は無垢ではない。
 機械が教えることが全てであった時代は終わって、環境に左右され始める。
 友人、知人や教師といった、「キース」を取り巻く周りの者に。
(それを見越して、サムやスウェナやシロエを揃えて…)
 イライザは環境を整えたけれど、「キース」の世界は、もっと複雑なものだった。
 機械が作った人間とはいえ、生きてゆく上で関わる人間たちは、たった三人では済まない。
 他の人間も目にするわけだし、声だって耳に入って来る。
 教室で講義を受ける他にも、様々なことを見聞きしながら「キース」は育つことになる。
 いくら環境を整えようとも、それらを遮断することは出来ず、少しずつ世界を歪めてゆく。
 マザー・イライザもそれと気付かない内に、ゆっくりと。
 整えられた世界は歪んで、軋んで、ずれ始める。
 機械が意図して作ったものとは、まるで違った方向へ。
 「キース」という人間に「個性」が生まれて、「独自の感情」が芽生える方へ。
(…そう考えた方が、何かと合点がゆくのだがな?)
 計算通りに今も育っているよりは…、とキースはコーヒーのカップを傾ける。
 「何処かで計算が狂ったのだ」と、「今の私は計算の外で生きているのに違いない」と。
 恐らくマツカを拾った時には、もう計算は狂い始めていたのだろう。
 けれど機械はそうと気付かず、軌道修正をしなかった。
 それとも機械が作ったものでも、一度、感情が目覚めたならば…。
(もはや修正は不可能なのか…?)
 そうなのかもな、という気もする。
 ならば、計算の外で生きることを始めた「キース」が、もしも…。
(…ミュウどもの船で、もっと紳士的な扱いを受けて…)
 世話係でもついていたなら、恋をすることもあっただろうか。
 毎日、食事を運んでくれて、世話をしてくれるミュウの女性に。
 あるいはシロエに面差しの似た、同い年くらいのミュウの友達が出来るとか。


(…シロエに似ている、というだけで…)
 その可能性は充分あるな、と思うものだから、苦笑が浮かんで来る。
 「あの連中は、私の扱いを間違えたな」と。
 捕らえて尋問するにしたって、違う方法があっただろうに、と。
(……ジョミー・マーキス・シン……)
 お前は道を間違えたぞ、とミュウの長に心で呼び掛けたくなる。
 「私を紳士的に扱っていたら、メギドは持ち出さなかったかもな」と。
 機械の計算が既に狂い始めていたのだったら、その可能性は大いにある。
 ミュウの女性に恋をしたとか、シロエに似たミュウと友達になったキースだったら…。
(…ミュウどもの船を宇宙に逃がして、それから戻って…)
 グランド・マザーに、「しくじりました」と言い訳を並べて、失態を詫びることだろう。
 自分のミスで「モビー・ディックを取り逃がした」と、心の中では舌を出しながら。
 その後も何かと計算の外で、色々なことをしそうな「キース」。
 理想の指導者にはなれそうもない、様々な失敗の数々を。
 機械の計算が狂った世界で、ミュウたちに有利になりそうなことを…。



          計算の外で・了


※マザー・イライザが「理想の子」が出来た、と喜んでいた「キース」ですけれど…。
 あの時点で既に、マツカを側近に据えていたわけで、計算違いだったのでは、というお話。







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「シナモンミルク、マヌカ多めでね」
 いつものように注文したのは、シロエのお気に入りのドリンク。
 Eー1077に連れて来られる前から、その飲み物が好きだった。
 マヌカハニーとシナモン入りのミルクを飲むと、今も心が落ち着く気がする。
 ハードな訓練をこなした後には、食堂まで来て、人が少ない静かな席を選んで味わう。
(騒がしいのは嫌いだよ)
 マザー牧場の羊の群れの中なんかは御免だね、と目だけで空いている席を探した。
 何処がいいかと、ザッと食堂を見渡して。
(あの辺りかな?)
 あそこにしよう、と見当をつけて、カウンターの方に視線を戻す。
 注文の品は出来て来たかと、何の気なしに眺めた先に、メニューがあった。
 普段は気にも留めない「それ」。
 この時間帯にだけ提供されるスイーツ、甘い菓子類に特に興味は無い。
 シナモンミルクがあれば充分、余計なカロリーは摂らない主義を貫いている。
 カロリーなんかは、必要な量があればいい。
 余分に摂取したのだったら、その分、何かして消費しないと太るだけ。
 体調管理もエリートの条件の一つなだけに、マイナスになる要素は少ない方がいい。
 間食を取る習慣などは、無駄なものだとシロエは考えていた。
 シナモンミルクに入っているマヌカ、その独特な甘味があれば、それでいい。
 だから菓子類などはどうでもよくて、スイーツのメニューも見ないのだけれど…。
(ブラウニー…!)
 メニューに、母が得意だった菓子の名前があった。
 幼い頃から何度も食べた、母がキッチンで作ってくれたブラウニー。
 「これは食べねば」と、心が跳ねた。
 カロリーだの菓子だの、そういったことは抜きでいい。
 故郷の母が作っていた菓子、その味を、この舌で確かめてみたい。
 もう早速に、カウンターの向こうへ身を乗り出した。
「あっ、これ! ブラウニーもお願い!」
 一つね、と頼んで頬を緩める。
 「ママのお菓子が食べられるよ」と、「太ったって、構わないんだから」と。


 注文の品が増えたお蔭で、少し余分に待つことになった。
 それも全く気にならないけれど、其処へ後からやって来た客が、こう注文した。
「アップルパイ、一つ。テイクアウトでお願いね」
 客はエリート候補生の制服の少女で、店員が「はい」と返して箱を取り出す。
 アップルパイを入れる箱だ、と直ぐに分かった。
(スイーツなんか、ぼくは頼まないから…)
 他のメニューと同じように「食堂で」食べるものだと、シロエは思い込んでいた。
 食べ終わったら食器を返して、自分の部屋へ帰るのが食堂のルール。
 朝、昼、夜の三度の食事も、体調を崩していない限りは、食堂で食べるという決まり。
 「持ち帰り」があるとは、考えさえもしなかった。
(…だけど、よくよく考えてみたら…)
 テイクアウトは、あって当然だろう。
 夜遅くまで、自分の個室で勉強している候補生は多い。
 彼らの勉強の効率を思うと、食堂へ出て来て何か夜食を食べるよりかは…。
(ピザとか、サンドイッチとか…)
 自室で手軽に食べられるものを、持って帰った方がいいのに決まっている。
 どうして今まで、全く気付きもしなかったのか。
(食べることに執着してないからかな?)
 栄養ドリンクや栄養剤などで補えばいい、というのが此処でのシロエのスタイル。
 食堂で他人の姿を見るより、自室に籠っていたいタイプなゆえの考え方。
(夜食なんかを食べに来るのは、面倒なだけで…)
 部屋に帰ったら、次の日まで外に出る気もしないや、と今の今まで思って来た。
 その気持ちは変わらないのだけれども、テイクアウトを知ったのは…。
(大収穫だよ!)
 これを使わない手などは無い、とカウンターの向こうへ声を張り上げた。
 丁度、注文の品を載せたトレイを持った店員が、こちらへやって来るところ。
 その店員に、「ごめん、ブラウニー、テイクアウトで!」と。
 テイクアウトを知ったばかりだとは顔にも出さずに、たった今、思い付いたかのように。
 「アップルパイね」と頼んだ少女に釣られて、自分もその気になったんだ、という風情で。
 店員は「お待ち下さい」と返すと、嫌な顔一つしないでシロエの注文に応じてくれた。
 もう白い皿に載せてあったブラウニー、それを箱へと詰め替えて。
 シナモンミルクのカップの隣に、その紙箱を並べて置いて。


 こうしてシロエは、ブラウニーを「個室に持って帰る」ことに成功した。
 シナモンミルクを飲んでいる間も、何度、紙製の箱を眺めたことか。
 「ふふっ」と、「部屋で食べられるんだ」と、心の中では「幼いシロエ」が笑っていた。
 ただし、食堂に座っていたシロエは、まるで笑っていなかったけれど。
 あくまで冷静、いつもと少しも変わらない顔で、黙ってカップを傾けていただけ。
 もしも誰かが見ていたとしても、不審には思わなかったことだろう。
 テイクアウト専用の紙箱がトレイに載っているのも、気にしなかったに違いない。
 「彼ら」にとっては、テイクアウトは「見慣れた光景」、さして珍しくもない代物。
 注意を引くようなものではないから、それをシロエが持っていたって…。
(今夜は徹夜で機械弄りか、って…)
 勘違いをする程度だよね、とシロエは夜の個室でクスリと笑う。
 「生憎と、そうじゃないんだな」と。
 「誰も考えもしないことだよ」と、紙箱の中身を覗き込んで。
(…自分の故郷のことなんか…)
 此処では、誰も深く考えてみたりはしない。
 成人検査で記憶を手放し、機械に書き換えられた後では、誰もがマザー牧場の羊。
 故郷に思いを馳せはしないし、養父母を懐かしんだりもしない。
 彼らが食堂で、故郷の母の得意料理に出会ったとしても…。
(こういう料理を食べたっけ、って思うだけのことで…)
 母や故郷の家のことなど、しみじみ思って食べたりはしないことだろう。
 どんなテーブルで食べていたのか、両親と囲んでいた食卓を思い返すことさえ。
 けれど「シロエ」は、彼らとは違う。
 今も故郷を、両親のことを、忘れはすまいと努力している。
 機械がどんなに消しにかかろうとも、懸命に抵抗を続ける戦士。
(忘れさせるんなら、こっちは忘れないように…)
 残った記憶を守って戦い、手放さないように心を強くするだけ。
 機械の力に負けてしまえば、端から消されてしまうのだから。
(ぼくは今でも忘れないから…)
 忘れてないからブラウニーだって手に入るんだ、と菓子を紙箱から取り出した。
 この部屋に皿の類は無いから、手掴みで食べることにする。
 行儀なんかは気にしない。
 マザー・イライザが叱りに来ることも、この程度ならば無いだろうから。


(…そうだ、こういう味だったっけ…)
 懐かしいな、とブラウニーを一口齧って味わう。
 チョコレートの味がする、何処かケーキを思わせる菓子。
(でも、ケーキほどしっとりしてはいなくて…)
 焼き菓子に近い感じだっけ、と懐かしい。
 そう、この菓子が大好きだった。
 母が作ってくれる時には、大喜びで焼き上がるのを待っていたもの。
 「出来たわよ、シロエ」という声を聞いたら、何処にいたって走って行った。
 甘い香りがしているキッチン、焼き立てのブラウニーが待っている場所へ。
 熱いオーブンから出て来たばかりで、母が切り分けている所へと。
(大きな天板で、いっぺんに焼いて…)
 それを食べやすいサイズに切って、母は「シロエ」の皿に載せてくれた。
 「まだ熱いから、火傷しないでね」と微笑みながら。
 「冷ましたブラウニーも美味しいけれども、焼き立てもいいでしょ?」と言っていた母。
(…ママの顔は、もう思い出せなくなっちゃったけど…)
 あちこち焼け焦げた写真みたいに、欠け落ちてしまった母の顔の記憶。
 そうなってしまった今の「シロエ」でも、ブラウニーが詰まった天板のことは忘れていない。
 「大きな天板に一杯だったよ」と、「そこから切り分けるんだっけ」と。
(このブラウニーも、そうやって…)
 食堂の厨房で焼いたんだよね、と思いを巡らせ、ハタと気付いた。
 ブラウニーの記憶は、何処も欠けてはいないのだ、と。
 オーブンで焼くことも、天板一杯に焼いて切り分けることも、今も鮮明に覚えている。
 材料を混ぜていた母の後ろ姿も、ボウルなどが置かれたキッチンだって。
(…ブラウニーは、ぼくのママとか家のこととは…)
 密接に結び付いてはいなくて、母の得意な菓子だというだけ。
 更に言うなら「ありふれた菓子」で、知らない方が「おかしい」だろう。
 食堂にあったメニューにだって、注意書きの類は見当たらなかった。
 「エネルゲイアの名物です」とも、「アルテメシアの郷土料理です」とも。
(…誰でも知ってて当たり前のお菓子で、食べたことだってあるだろうから…)
 機械は「ブラウニー」にまつわる記憶を「消さなかった」に違いない。
 消す必要も無かっただろうし、消した方が後で困ったことになりそうだから。


(……だったら、これの作り方とかも……)
 何処でもきっと共通なんだ、と母の手順を知りたくなって、データベースを検索してみた。
 ブラウニーはどうやって作るものかと、詳しく思い出したくなって。
 母の顔は欠けてしまっていたって、手元は思い出せそうだから、と記憶の欠片を追い掛けて。
(絶好のチャンス…)
 これを手掛かりにしてやるんだ、と意気込んで挑んだシロエだけれども、突き当たった壁。
 意気揚々と検索した先に、ズラリと並んだブラウニーのレシピ。
 「オススメです」とか「簡単です」とか、ありとあらゆる短い言葉を纏った「それ」。
(…こんなにあるわけ?)
 これじゃ分からない、と頭を抱えて、次に思い付いたものは「材料」。
 その部分はどれも共通だろう、と考えてレシピを眺めていったのだけれど…。
(…バターを入れるか、マーガリンにするか…)
 材料からして違ってるんだ、と絶望的な気持ちになった。
 母のレシピがどれだったのかは、これではとても分かりはしない。
 天板一杯に焼いていたことも、捏ねていたことも、今も忘れていないのに。
 ボウルがあったキッチンだって、記憶に残っているというのに。
(……ママの手伝いをしていたら……)
 一緒にブラウニーを焼いていたなら、ぼくは覚えていたのかも、と悲しくなる。
 「シロエ、次はマーガリンを量ってくれる?」と言われて、量っていたら。
 あるいはバターだったのだろうか、それを量って、他の材料も加えていたら。
(ママと一緒に、捏ねて、天板に入れて、オーブンに…)
 入れて温度も調節していたら、鮮やかに思い出せたのだろうか。
 そして今でも此処で作れただろうか、小さなオーブンを自作して。
 機械弄りの合間の時間に、材料も食堂で調達して。
(…手伝って作っていればよかった…)
 どうして手伝わなかったんだろう、と悔しくて涙が頬を伝って落ちる。
 ブラウニーの記憶は、残ったろうに。
 母と作った懐かしい味を、自分で再現出来ただろうに、と…。



           ブラウニーの記憶・了


※機械が消す記憶と残しておく記憶、境目は紙一重かもね、と思った所から生まれたお話。
 以前、『ブラウニーの味』というのを書いていますが、それとは違うシロエになりました。







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(…マザー・イライザの最高傑作…)
 地球のためだけに作られた者か、とキースが浮かべた自嘲の笑み。
 国家騎士団総司令を務めて来たけれど、もうすぐパルテノン入りすることになる。
 初の軍人出身の元老として、SD体制を、地球を導く者の一人に選び出されて。
(目障りだから、と暗殺しようとする者たちもまた、多いのだがな…)
 生憎と、まだ私は死ねん、と夜の自室でコーヒーのカップを傾ける。
 このコーヒーを淹れた「マツカ」が側にいる限り、誰も「キース・アニアン」を殺せはしない。
 挑むだけ無駄で、挑戦者の命が逆に奪われて終わるというだけ。
(…しかし、グランド・マザーでさえも…)
 マツカの正体を知りはしないし、「キース」の能力の一つだと思っていることだろう。
 数多の暗殺計画を退け、無事に生き延びている「強運」でさえも。
(なんと言っても、最高傑作なのだからな)
 全くの無から作った命だ、と自分自身でも笑うことしか出来ない。
 「地球を導く」目的のために作られたのなら、優秀であって当然だろう。
 数々の失敗作を作り続けて、ようやく生まれた「機械の申し子」。
 シロエに言わせれば「機械に作られた人形」、そのくせに、やたら傲慢な「キース」。
 性格が傲慢、というわけではない。
 「キース」を立派に育て上げるために、幾つもの命が弄ばれた。
 人形なのだ、と正体を暴いた「シロエ」もそうだし、サムも、スウェナもそうだった。
 幸い、スウェナは今でも何事もなく生きている。
 けれども、サムは狂ってしまった。
 サムが「狂った」事件の裏には、人類の宿敵、「ミュウ」が潜んでいたのだけれど…。
(…ミュウがいるのも、ジョミー・マーキス・シンとサムとの関係も…)
 全て承知で、サムを現場へ向かわせたのは、恐らく機械の陰謀だろう。
 偶然ということになってはいても、グランド・マザーには容易い小細工なのだから。
(そんな具合に、ヒトの命や人生を土足で踏みにじりながら…)
 「キース・アニアン」は育ち続けて、今は此処まで昇って来た。
 なんと傲慢な命だろうか、と唇を歪めて、ふと思ったこと。
 「最高傑作だと、いつ決まったのだ?」と心に浮かんで来た疑問。
 マザー・イライザは、何処で判断したのだろうか、と。


 かつてシロエが命懸けで調べた、「キース・アニアン」の生まれと「ゆりかご」。
 Eー1077の立ち入り禁止区画に在った、フロア001という名の実験室。
(…私が其処まで辿り着いたのは、かなり後のことで…)
 その時には、もうEー1077は、とうに廃校になっていた。
(シロエがMのキャリアだったからだ、と言われてはいるが…)
 人がいなくなって長い年月を経ていた其処には、サンプルしか残っていなかった。
 「キース・アニアン」と同じ顔立ちの、様々な年齢の「標本」たち。
 それと、モビー・ディックの中で出会った、ミュウの女に瓜二つな者たちのサンプル。
 どちらの「実験」も、廃棄されて久しいと一目で分かる状態だった。
 「キース」が作り出された後には、実験室は閉鎖になっていたのだろう。
 最高傑作が出来たからには、実験を続ける必要は無い。
 速やかに閉鎖し、研究者たちも全て処分か、記憶処理をして他所へ行かせたか。
(…恐らく、そんなところだろうが…)
 では、実験は、「いつ」終わったのか。
 どの段階で「今、此処にいる」、「キース」が「最高」だという判断が下されたのか。
(…水槽から出した時なのか?)
 一介の候補生として、他の生徒たちの間に送り込んだ時か、と考えるのが妥当だけども…。
(そうだったならば、シロエやサムは…)
 それにスウェナは、何のために選び出されて「キース」の前に現れたのか。
 「最高傑作」を更に素晴らしいものにするためか、あるいは、結果を確かめるためか。
 彼らと「キース」が接触した時、「キース」が理想的な行動を取るかどうかを…。
(…確認するためでもあったのか?)
 シロエはともかく、サムとスウェナには、その可能性がある、と気が付いた。
 すっかり忘れていたのだけれども、スウェナがEー1077に来た時に起こった事件。
(…スウェナたちを乗せて来た宇宙船が…)
 軍の船との接触事故を起こして、危うく宇宙の藻屑になりかねなかった、あの時のこと。
 先輩だったグレイブたちは、事故処理をマザー・イライザに任せて、退避を決めた。
 「諸君も、私たちについて来るのが賢明だぞ」と、後輩たちに助言をして。
(あの時、それに従っていたら…)
 スウェナを乗せた船は、どうなっていたか。
 もしも「キース」が、違う判断をしていたならば。



 事故が起きた時、「キース」も、グレイブも、同じ情報を「同時に」得た。
 隣同士で端末を操作し、何が起きたか把握したのも、全く同時。
 グレイブは「退避」を決めたけれども、「キース」は違う決断をした。
 マザー・イライザが「対応出来なかった場合」を考慮した上で、「救助に向かおう」と。
 そのためのルートを確認してから出ようとした時、サムが一緒について来た。
 お蔭で、救助活動の終盤、「キース」の命綱が切れてしまった時に…。
(サムが助けに来てくれて…)
 命を拾って、Eー1077に生きて戻って来ることが出来た。
 もしかしたら、サムは「そのために」選ばれた者だったろうか。
 「キース」が救出に向かった先で、何かあった時に「助ける」ための救助要員。
(…充分、有り得る話だな…)
 宇宙船の事故が「キースのために」仕組まれたものなら、救助要員も選んでおくだろう。
 せっかくテストに合格したのに、不慮の事故で死んで貰っては困る。
 そう、あの事故は「テスト」の一つ。
 「キース」が完成体かどうかを、「マザー・イライザ」が調べるためにやった「実験」。
 あそこで「キース」が救助に向かわず、グレイブたちと一緒に退避していたら…。
(…失敗作だと判断されたか、軌道修正を試みたのか…)
 どちらだろうな、と顎に手を当て、「イライザなら…」と思考してみて背筋が冷えた。
 マザー・イライザは、所詮は巨大コンピューター。
 機械にとっては、どんな事象も「0」か「1」でしかないだろう。
 多少は幅があったとしたって、結果が全て。
 「キース」が「取るべき行動」を取らず、「違う行動」をしたのなら…。
(…失敗作というヤツだ…)
 軌道修正などは「するだけ無駄」で、次の「キース」を作り出そうとしたのだと思う。
 先の「キース」の失敗を踏まえて、次は失敗しないようにと、検討を重ねて、取りかかって。
 新たにDNAを紡いで、先の「キース」と同じ顔に育つ「次の人形」を作り始めただろう。
 それが育って「水槽から出せる」年になるまで、十五年以上もかかったとしても構わない。
 理想的な指導者を作るためなら、機械は手間を惜しみはしない。
 「失敗作」などにかまけているより、「次」にかかった方がいい。
 より良い者を作った方が、遥かに建設的なのだから。


 そうなっていたら、「キース」は「今、此処に」生きてはいない。
 どんな形で処分されたか、その方法は分からないけれど…。
(…失敗作だと決まった時点で、マザー・イライザに殺されて…)
 フロア001に並ぶ「サンプルたち」の列に加わり、虚ろな目をしていたことだろう。
 その目には、もう何も映すことなく、この「魂」も何処かへ飛び去った後で。
(……あの事故が起きた時点では……)
 グランド・マザーは、まだミュウを「脅威」とは認識していなかった。
 アルテメシアで「ジョミー・マーキス・シン」を取り逃がした件は、些細なこと。
 ミュウたちが「モビー・ディック」という巨大な母船を持っていようと、それだけのこと。
 「異分子どもが、勝手に何かしている」けれども、SD体制は、そう簡単に揺るぎはしない。
 何かするようなら、いつでも殲滅出来る程度の、宇宙海賊と変わらない存在がミュウ。
(…そう考えていたのだろうな)
 でなければメギドを持ち出している、と考えるまでもなく答えを出せる。
 「モビー・ディック」を持つミュウが「脅威」なら、あそこで星ごと消していたろう。
 アルテメシアの住民たちまで巻き添えにしても、それだけの価値はあるのだから。
 ミュウどもを全て滅ぼせるのなら、一般市民など、どうでもいい。
(…メギドを使ったことさえも伏せて、何か事故でもあったことにして…)
 機械は全ての帳尻を合わせ、ミュウの存在を「無かったこと」にしていたと思う。
 モビー・ディックが消えてしまえば、脅威は無くなり、平和な世界が戻って来た筈。
 その選択をしなかった以上、あの時点では、機械が考える「世界」は平穏そのもので…。
(…何の脅威も無いのだったら、次のキースを作り出すのに長い時間がかかっても…)
 グランド・マザーは、ゆったり構えて、「完成」を待っていたことだろう。
 「彼女」が欲する「理想の指導者」、それが生まれて来る時まで。
 フロア001で実験を続け、マザー・イライザから「成功」の報が届くまで。
(…私を処分し、次のキースを作る間に…)
 ミュウどもが侵攻して来たとしても、機械は手札を持ってはいない。
 失敗作だった「キース」は処分した後で、次の「キース」は出来ていないか、若年すぎるか。
 それでは勝負になりはしなくて、人類は早々に負けていたろう。
 なにしろ「キース」がいないのだから、ジルベスター・セブンを調査しようにも…。
(適切な者が一人もいなくて…)
 そこで敗北が決定だぞ、と思ったけれども、一人いたことを思い出した。
 失敗作に終わった「キース」が処分されたのなら、優秀な人材がいたのだ、と。


(…セキ・レイ・シロエ…)
 あいつなら、上手くやっただろうさ、と可笑しくなる。
 「キース」が失敗作で終わって、宇宙船の事故の時点で処分されたら、シロエは「自由」。
 選び出されて連れて来られることなどは無くて、「実力で」Eー1077に入っただろう。
 ミュウの因子を持っていたって、それを巧みに隠し続けて。
 システムに反抗的な面はあっても、他の点では「抜きん出ている」実力者。
(…「キース」のために選ばれなければ、シロエは自由で、めきめきと頭角を現して…)
 ジルベスター・セブンに調査に向かって、その先で、何を得て来たろうか。
 その前に出会う「マツカ」との縁も、「キースの場合」とは違った筈。
 人類とミュウは手を取り合っていたかもしれない。
 シロエが調査に向かっていたなら、「キース」のようにメギドを選びはしないから。
 「キース」に劣らず優秀な頭脳、それで考え、別の選択肢を導き出して。
(……もしかしたら、私は失敗作で終わっていた方が……)
 良かったのかもしれないな、と思いはしても、もう遅すぎる。
 「キース」は「テスト」に見事に合格、その後も順調だったから。
 失敗作だと判断されずに生き延びた挙句、とうとう此処まで来てしまったから…。



             失敗作なら・了

※キースはマザー・イライザの最高傑作ということですけど、そう決まったのはいつなのか。
 水槽から出す前に決定していたら、宇宙船の事故は必要無いのでは、と思ったわけで…。









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(滅びの呪文かあ……)
 そういうものがあったっけね、とシロエが緩ませた頬。
 Eー1077の夜の個室で、突然、心の中に「それ」が浮かんで来た。
 懐かしさと、遠く温かな日々と、微かな痛みを伴った記憶。
(…パパと一緒に見た映画なのか、それともママ…?)
 大切な部分が思い出せないから、懐かしくても痛みが湧き上がって来る。
 「もう、あの日には帰れないんだ」と、両親と故郷を失ったことを思い知らされるから。
 まだ幼かった頃の記憶も、学校に通っていた頃の記憶も、共に危うい。
 教師や友人、そういったものは覚えているのに、両親や家の記憶を失くした。
 「大人になるには不要だから」と、成人検査で消し去られて。
 思い出そうと努力してみても、自力ではどうすることも出来ない。
 出来ることと言ったら、思い出せる記憶を懸命に手繰り寄せることだけ。
 今夜も、それを試みていた。
 ベッドに腰掛け、心の中を空っぽにして、魂だけを子供時代に飛ばして。
 頭を掠める記憶の断片、泡沫のように浮かんでは消える、記憶を宿したシャボン玉たち。
 膨らんだと思って掴む間も無く、シャボン玉たちは消えてゆく。
 キラリと一瞬、虹色の光を放っただけで、儚く消える。
 それでも追わずにはいられない。
 シャボン玉たちの一つ一つが、大切な記憶を秘めているから。
 上手く捕まえることが出来たら、懐かしい出来事を少しだけでも…。
(思い出すことが出来るんだものね…)
 機械が残しておいた記憶なのだし、本当に欲しくて必要な記憶は、其処には無い。
 そうだと充分、承知していても、やはり追い掛け、掴みたくなる。
 どんな記憶が残っているのか、どんな思い出があったのか。
 こうして「追い掛ける」ことをしなければ、それらは消えてしまうのだろう。
 機械が改めて消去しなくても、自分自身が忘れていって。
 不要な記憶を切り捨てるように、大切な筈のことを忘れて。
(そんなの、嫌だ…)
 つまらないことでも忘れたくない、と追い掛けて掴んだ、今夜の小さなシャボン玉。
 掴んでパチンと弾けた中には、「滅びの呪文」が入っていた。
 幼かった日に見に行った映画、あるいは家で鑑賞したのか、そこまでは分からないけれど。


 映画の筋は、今となっては思い出せない。
 機械が消してしまったものか、幼すぎて忘れてしまったのかも、定かではない。
(…その頃のぼくは、とても小さいみたいだから…)
 自分で忘れちゃったのかな、と残念だけれど、幼いなら仕方ないだろう。
 それも「思い出」の一つではある。
 「せっかく楽しい映画を見たのに、どんな話か忘れちゃった」という失敗談。
 幼い子供にありがちなことで、機械は介在していない。
(そういうことなら、思い出せなくても…)
 かまわないよね、と大きく頷く。
 此処に両親がいたとしたって、「シロエ」を責めはしないだろう。
 父ならば、きっと苦笑しながら頭を撫でてくれると思う。
 「おやおや、忘れちゃったのかい?」と、「とても喜んでいたんだがね」と。
 母にしたって、「あらまあ…」と少し驚いた後で、クスクス笑うに違いない。
 「勉強のために使う頭と、そういう頭は違うみたいね」と、可笑しそうに。
(…うん、きっとそう…)
 だからいいんだ、と映画の筋は、どうでもいい。
 大切なのは「滅びの呪文」という言葉を思い出したこと。
(映画の中で、それを唱えたら…)
 古の王国が崩れ始めて、瞬く間に滅びていった。
 誰も滅ぼすことの出来ない、恐ろしい力を持っていたのに、呆気なく。
 内側からバラバラと分解されて、戦力も全て失われて。
(映画の他にも、色々なヤツがあったっけ…)
 すっかり忘れてしまってたけど、と次々に「滅びの呪文」が心に浮かび上がって来る。
 夢中で遊んだゲームの中にも、それは鏤められていた。
(絶対勝てない、っていう敵を相手に…)
 大賢者が命を捨てて唱えるとか、勇者が危険を冒して呪文を手に入れるとか。
 そうした「滅びの呪文」を使えば、敵はたちまち滅びてしまう。
 映画に出て来た古の王国、それが崩壊したように。
 どんなに強い敵であろうと、「滅びの呪文」に勝つことは出来ない。
(呪文は、忘れちゃったけど…)
 あったんだよね、と、懐かしい思い出が一つ蘇った。
 幼かった頃の映画の記憶と、故郷で遊んだゲームたちと。


(…呪文まで思い出すっていうのは…)
 流石に無理かな、と頭をトントンと叩く。
 機械が消去していなくても、自分自身が忘れてしまっていそうな「呪文」。
 学校で新たな知識を得たなら、そちらの方が新鮮だから。
 「もっと勉強しなくっちゃ」と、知識を増やしてゆきくなって。
(…そうなっちゃったら、ゲームなんかより…)
 ゲームを作る仕組みの方とか、そちらに関心を抱いただろう。
 エネルゲイアは、技術系のエキスパートを育成するのが目的だった育英都市だから。
(ぼくでもゲームを作れるのかも、って…)
 思い始めたら、もう止まらない。
 あれこれ調べて、本を読み込んで、勉強する間に「つまらないこと」は忘れてしまう。
 ゲームに出て来た呪文などより、本物の「呪文」が重要だから。
 様々なゲームを構成している、門外漢には全く意味の掴めない無数の「呪文」たち。
 それを覚えて使いこなせば、ゲームを作るだけではなくて…。
(ああいう端末だって作れて…)
 自分で好きにカスタマイズが出来るんだよね、とチラリと机の上を眺めた。
 其処に置かれた携帯用の端末、此処で自作した小型のコンピューター。
 マザー・イライザとは繋がっていない、安心して使える「シロエだけの」もの。
 他の候補生たちも、携帯用の端末はもちろん持っている。
 シロエにも配布されたけれども、けして愛用してなどはいない。
(…使えば、全部、マザー・イライザに…)
 情報が届いて、どう使ったかも知られてしまう、スパイのような代物なのだから。
(おまけに、うんと単純すぎて…)
 ハッキングとかも出来ない仕組みだ、と端末の出来には笑うしかない。
 自作も出来る者から見たなら、子供だましのオモチャ並み。
 とても単純な仕組みになっているのに、使いこなせない候補生だって大勢いる。
(普通に使えている間ならば、何も問題無いけれど…)
 端末がエラーを引き起こした時、対処出来ない者たちは多い。
 「壊れました」と慌てふためいて、修理して貰おうと走る者たち。
 ちょっと弄ってやりさえすれば、エラーくらいは直るのに。
 ごくごく初歩の初歩の呪文で、きちんと動き始めるのに。


 「馬鹿な奴らだ」と思うけれども、知識が無いのも当然だろう。
 彼らが故郷で受けた教育と、エネルゲイアでのそれは大きく異なる。
 「シロエ」にとっては当たり前でも、彼らは「呪文」を学んではいない。
 学んでいない者に向かって「使え」と言っても、無茶な注文というものだと分かる。
 勇者も大賢者も、「滅びの呪文」を努力して手に入れていた。
 大賢者は長く学び続けて、勇者は冒険の旅を続けて。
 並みの人間には不可能なことを成し遂げた末に、ようやく「呪文」を知ることが出来る。
(端末用に使う呪文は、滅びの呪文みたいに危険な呪文じゃないけどね…)
 一般人が知っていたって、何の問題も無いんだけれど、と思いはしても、知識は別。
 そのための学びをしていなければ、呪文に触れる機会さえ無い。
 機会が無ければ、興味を抱きもしないだろう。
 端末の仕組みがどうなっているか、エラーが出たなら、どうやって修復するのかにも。
(…此処はメンバーズ・エリートを目指す場所だし、その内に…)
 基本は叩き込まれるだろう。
 単独で任務に出掛けた先では、修理も自分でせねばならない。
 任務の途中で事故に遭ったりして、一人きりになってしまった時でも状況は同じ。
(壊れてどうにもならないんです、って叫んでたって…)
 誰も修理に来てくれないから、自力で直すことが出来なかったら、もうおしまい。
(それじゃ困るし、基本は覚えるしかないだろうけど…)
 もっと学ぼうって奴は多分いないね、と鼻で笑って、ハタと気付いた。
 「マザー・イライザだって、機械じゃないか」と。
 Eー1077を支配し、君臨してはいるのだけれども、正体は巨大なコンピューター。
 つまりは、機械。
 地球にいると聞くグランド・マザーも、SD体制の世界を統治しているけれど…。
(…やっぱり、機械に過ぎないわけで…)
 元は人間が作った「モノ」。
 「シロエ」が自作した携帯用の端末、それと全く変わりはしない。
 その性能がずば抜けて高く、「シロエ」如きに作れはしない、というだけのこと。
 違う部分は性能だけで、「人間が作った機械」な事実は、何処も違いはしないのだ。


(…マザー・イライザも、グランド・マザーも、人間が作った機械なら…)
 それを構成している呪文は、恐らく、「シロエ」も知っているもの。
 細かく切り分けて分析したなら、「なるほど」と理解可能な部分もあるだろう。
(そして、人間が作ったんなら…)
 滅びの呪文が、必ず設けられている筈。
 崩壊させるための呪文ではなくて、停止させるために設置するモノ。
(端末がエラーを起こすみたいに…)
 マザー・コンピューターが、けしてエラーを起こさないとは言い切れない。
 自動修復機能があっても、それが万全とは言えないことなど、機械を作る者には常識。
(…マザー・イライザにも、グランド・マザーにも…)
 緊急停止のコマンドは「絶対に」あるし、組み込まれている。
 誰がいつ、それを行使するかは、最高機密で、ごく一握りの者だけが知っている呪文。
 メンバーズ・エリートになった者でも、その生涯に出会えるかどうか。
(……滅びの呪文ね……)
 それが分かれば、何もかも一瞬で終わらせるのに、と唇を噛む。
 「勇者になるしかないじゃないか」と、道のりの長さを思わされて。
 厳しい冒険の旅を続けて、国家主席になれる時まで、呪文は手に入りそうもないから。
(何処かに、絶対、ある筈なのに…)
 気が付いたって手に入らないんだ、とそれが悔しい。
 今の「シロエ」は、一介の候補生だから。
 大賢者でも勇者でもなくて、此処を卒業出来る時さえ、まだ先だから…。



             滅びの呪文・了


※シロエが幼い頃に見た映画のモデルは、もちろん『ラピュタ』。筋は忘れたようですけど。
 機械には緊急停止のコマンドが無いと困る筈だ、と思った所から出来たお話。








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(御用があったら呼んで下さい、か…)
 呼ばれなくとも駆け付けるくせに、とキースは扉の方へ目を遣る。
 たった今、其処から出て行った者は、もう見えない。
 ジルベスター・セブン以来の忠実な側近、キース・アニアンに仕え続けるジョナ・マツカ。
 「今夜は、もういい」と言われた通り、自分の部屋へ下がったのだろう。
 国家騎士団総司令のために設けられた個室、それがある区画の部下のための部屋へ。
(…皮肉なものだな…)
 一番の部下がミュウだとはな、とキースは視線を机に戻した。
 マツカが淹れて行ったコーヒー、そのカップが湯気を立てている。
 「コーヒーを淹れることしか出来ない、能無し野郎」と、マツカは皆に揶揄されていた。
 実際、そうとしか見えないのだから、仕方ない。
 マツカが「キースの命を受けてしていること」は、ただ、コーヒーを淹れることだけ。
 「コーヒーを頼む」と言われた時だけ、「はい」と返事して動くのだから。
(それ以外の用は、他の者たちがしているからな…)
 マツカは彼らへの伝達係を務めるだけで、実務は何もこなしていない。
 国家騎士団員だとはいえ、そのための教育は何一つ受けていないのだから。
(宇宙海軍の一兵卒では、やれと言われても、出来ない方が当然なのだが…)
 他の部下たちは、そうは思っていない。
 キース自ら選んだ側近、しかも宇宙海軍からの転属という破格の昇進がマツカの経歴。
 「もっと役に立つ筈なのに、何故」と、冷ややかにマツカを眺めている。
 「閣下の見込み違いだったか」と、「能無し野郎」の烙印を押して。
(気付けという方が無理な話で…)
 マツカの正体を知らないのだし、と分かってはいても、苦笑が漏れる。
 「お前たちより、よほど役に立つ部下なのだが」と。
 「私の命を何度救ったか、お前たちは何も知らないだけだ」と。
 マツカがミュウでなかったならば、不可能だった救出劇は数知れない。
 ジルベスター・セブンからの脱出に始まり、今も功績は増え続けている。
 「キース・アニアン」の暗殺計画が、次から次へと立てられるせいで。
 移動経路に爆弾が仕掛けられたり、いきなり銃撃されたりもした。
 それらをマツカは全て防いで、キースの命を守り続ける。
 他の部下たちは何も知らずに、「閣下はとても強運だから」と、いつも称賛しているけれど。
 加えて自分たちの働き、機敏に動いて「閣下をお守りしているのだ」と誇りに思って。


 勘違いされている、ジョナ・マツカ。
 コーヒーを淹れることしか出来ない、「能無し野郎」。
(美味いコーヒーを淹れているのも、また事実だが…)
 他の奴らではこうはいかん、とキースはコーヒーのカップを傾ける。
 「これも才能の一つではある」と、絶妙な苦味を味わいながら。
 マツカに命を救われた後に、何度、彼が淹れたコーヒーを飲んだだろうか。
 「どうぞ」と差し出される湯気の立つカップ、その度に何処かホッとする自分を知っている。
 けして顔には出さないけれども、「また生き延びた」と心に湧き上がるものは…。
(……感謝の気持ちと言うのだろうな)
 マツカに伝えたことは無いが、と頬が微かに緩む。
 「私にだって、感情はある」と。
 「サムにしか向けていないようでも、確かにあるのだ」と。
 その有能な「マツカ」のお蔭で、命を拾って、美味いコーヒーも飲める。
 マツカがミュウであるからこそで、彼が人類なら、こうはいかない。
 「キース・アニアン」は、とうの昔に殺されているか、失脚していたことだろう。
 暗殺計画を防ぐことが出来ずに、犠牲になって。
 あるいは命は助かったものの、任務を続けることが出来ない身体にされて。
(そうはならずに、この先も生きていけそうだが…)
 問題はミュウの侵攻だな、と思考をそちらに向けた瞬間、ハタと気付いた。
 人類の宿敵、今も進軍中のミュウ。
 彼らと相対している自分は、対ミュウ戦略の筆頭と目されているけれど…。
(そもそも私が、ミュウの巣から生きて逃げ延びられたのは…)
 マツカが助けに来たからこそで、そのマツカは、元は暗殺者だった。
 暗殺者の顔をしてはいなくて、気の弱い「ただのミュウ」だったけれど。
 ソレイド軍事基地に隠れて、ひっそりと生きていたミュウの青年。
(私が、あそこに行かなかったら…)
 マツカは自分が「ミュウ」だとも知らず、虐げられて今もソレイドにいただろう。
 何の役にも立たない上に、気が弱く、身体も弱い「軍人」などに価値は無い。
 きっと役職なども貰えず、下手をしたなら…。
(掃除係にされていたかもしれないな…)
 実にありそうな結末だ、と司令官だったグレイブの姿を思い浮かべる。
 「奴なら、そうする」と、「使えない者など、左遷だろう」と。


 あのままソレイドに残っていたなら、掃除係になりそうなマツカ。
 ところが、彼がソレイドで仕出かしたことは、立派な暗殺計画そのもの。
 未遂に終わって、暗殺対象だった「キース」に抜擢されて、今は暗殺を防ぐのが役目。
 有能な部下になっているけれど、元々、マツカは「暗殺者」なのだ。
 自分の命を守るためにと、「キース・アニアン」を殺そうとした。
 それはあまりにも無謀に過ぎて、失敗に終わったマツカの企て。
 殺されかけたキースの方でも、「愚かな」と、せせら笑ったくらいに無謀。
 優位に立って、「後ろに立つな」と銃で脅して、いい気になっていたのだけれど…。
(…あの時、マツカが、もっと追い詰められていたなら…)
 サイオン・バーストを起こすくらいの状態だったら、結果は違っていただろう。
 今の今まで、全く思いもしなかったけれど、マツカの潜在能力は高い。
(……私を、メギドの制御室から助け出した時……)
 マツカは確かに、瞬間移動をしてのけた。
 そんな力は、タイプ・ブルーにしか無い筈なのに。
 更に言うなら、マツカは「必死になっていた」だけで、暴走状態ではなかったのに。
(…サイオン・バーストの寸前だったら、他のミュウでも有り得るのかもしれないが…)
 そうでもないのに、マツカは凄まじい能力を見せた。
 彼が「暗殺者」の顔だった時に、同じ力を発揮していたら…。
(……私の命は、其処で終わっていたな……)
 間違いなく殺されていたことだろう、と背筋がゾクリと冷たくなる。
 「私は運が良かっただけか」と、今頃になって思い知らされた。
 運良く「たまたま」助かっただけで、「死んでいたかもしれないのだ」と。
 もしも、あそこで「キース・アニアン」がマツカに殺されていたら…。
(…その後の歴史は、今とは全く違ったものに…)
 なったことだろう、と恐ろしくなる。
 ジルベスター・セブンは焼かれることなく、ミュウは生き延びたに違いない。
 そしてあそこを拠点に据えて、地球への侵攻を始めただろう。
 そうなった時も、キースの暗殺に成功したマツカは、あのソレイドで…。
(いつミュウどもが攻めて来るのか、日々、怯えながら…)
 掃除係をやっているのだ、と容易に想像がつく。
 自分がミュウだと知らないのだから、「ぼくは生き延びられるだろうか」とビクビクして。


 マツカが「キース」を殺したとしても、誰も「マツカ」の仕業などとは思わない。
 ジルベスター・セブンの調査にやって来たキースは、突然死として片付けられたことだろう。
 心臓発作を起こして死んで、マツカがそれを発見した、と上層部に報告されるだけ。
(…いくらグランド・マザーであっても、こればかりはな…)
 どうすることも出来はしなくて、代わりの者を派遣するより他はない。
 「キースにしか、ミュウの相手は出来ない」と承知していても、死人に任務の遂行は不可能。
 他の誰かを選ぶしかなく、選ばれた者には、キースと同じ働きなど出来ない上に…。
(マツカの助けも、ありはしなくて…)
 あえなく戦死を遂げてしまって、ミュウは直ちに反撃に出る。
 自分たちの拠点を知られた以上は、先手必勝。
 ジルベスター・セブンが焼かれていないのであれば、戦力は充分、持っている筈。
 なんと言っても、九人ものタイプ・ブルーがいるのが、ミュウたちの船。
 伝説のタイプ・ブルー・オリジンまでが健在、これでは人類に勝ち目など無い。
(…おまけに、拠点が無傷なのだし…)
 あの厄介なタイプ・ブルーが、もっと増える可能性もある。
 自然出産の効率がいくら悪くても、生まれて来る子がタイプ・ブルーであったなら…。
(効率以前の問題だ…)
 生まれた子供は全て戦力、並みのミュウとは比較にならない力の持ち主。
 一人増えただけでも、艦隊一つを破壊することが出来るだろう。
 艦隊どころか、星さえ落とせるかもしれない。
 そんなミュウたちが押し寄せて来ても、「キース」の代わりはいないのだから…。
(…人類は降伏する以外には…)
 道が無いな、とキースは溜息をつく。
 「あの実験は私で終わりになっていたし」と、「次の者など用意していない」と。
 そして人類が負け戦を戦い続ける間に、ソレイドも陥落することだろう。
 マツカは「ミュウ」が何者なのかも知らずに、怯えながら基地の掃除を続けて…。


(ミュウどもの船が攻めて来た時、かつて自分を苛めた誰かが…)
 砲撃を受けて吹っ飛ぶ所を、命を捨てて守りそうだ、と心から思う。
 「だからこそ今、マツカは此処にいるのだ」と、「そういう心の持ち主だから」と。
 ソレイドを落としたミュウたちの方は、そんなマツカに気付くだろうか。
 人類を庇って死んでいったミュウ、悲しいまでに優しい者に。
 自分がミュウだったことも知らずに、人類の中で生きていたミュウが存在したことに。
(…それにマツカは、ジルベスター・セブンを「キース」から救った…)
 真の英雄だったのだがな、と思うけれども、歴史はそちらへ進まなかった。
 マツカは「キース」を殺し損ねて、「キース」に仕え続けているから。
 ミュウの英雄だったと気付かれる日も、讃えられる時も来ないのだから…。



           気弱な暗殺者・了


※キースがソレイドにやって来た時、マツカに返り討ちにされていたら、と思ったわけで。
 アニテラのマツカなら、能力的にも有り得た筈。歴史は確実に変わってましたね…。










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