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カテゴリー「地球へ…」の記事一覧

 十五年。
 そう言われても、まるで実感が無い。
 そんなに長く眠っていたというのか、ぼくは…?


 けれど確かに、そうなのだろう。
 星の瞬きのように一瞬だった、ぼくにとっての十五年。
 目を閉じて眠って、そして目覚めたら、世界はまるで違っていた。
 そもそも、ぼくを「起こした」人間、その存在が既に、このシャングリラの中では異物。


(皮肉なものだな…)
 ぼくを眠りから引き戻した者、「此処」では「異物」だった人間。
 その人間は、ミュウを「異分子」と呼んだ。
 彼にとっては、ミュウこそが異物なのだから。
(どちらが異物か、それは歴史が決めるのだろうが…)
 結果が出るのを、ぼくは見届けることは出来ない。
 ぼくの目覚めには必然があって、役目を果たさなくてはならない。
 残り僅かな命を使って、シャングリラを、仲間を守らなくては。


 出来るものなら、この肉眼で地球を見たかった。
 眠りに落ちるよりも前から、ずっとそういう夢を見ていた。
 けして叶わないと分かってはいても、望まずにいられなかったけれども…。


(今のぼくには、地球よりも、ずっと…)
 この目で見てみたい「未来」が出来た。
 「地球の男」、キース・アニアンが人質に取っていた、小さなトォニィ。
 自然出産で生まれたと聞いた、ミュウの未来を継ぐだろう子供。
 あのトォニィが育ってゆくのを、彼と同じに生まれた子たちが育つ姿を見たい。
 長い年月、夢に見て来た、青く輝く地球よりも、ミュウの未来を側で見たいと願ってしまう。
 そんなこと、出来はしないのに。
 本当に残り少ない命を「捨てて」彼らを守らない限り、トォニィたちも消えてしまうのに。


 まさか、人生の終わり近くに、夢が出来るとは思わなかった。
 焦がれ続けた青い地球より、この目で見たい「もの」が生まれるとは。
 そう、文字通りに、彼らは「生まれた」。
 SD体制が始まって以来、初めての自然出産児として。
 人工子宮ではなく、母の胎内で育ち、赤い星、ナスカで生を享けて。
 青い地球より、眩しく輝く「新しい命」。
 ミュウの未来を紡いでくれる、思いもしなかった子供たち。
 彼らを、ずっと見ていたいけれど、その夢は、けして叶いはしない。
 この夢を「命」ごと捨ててゆくこと、それが目覚めた「ぼく」の務めだから。


(…十五年か…)
 眠ってしまっていたのが、とても惜しいけれども、夢が出来たからいいだろう。
 叶わない夢でも、新しい夢を心に持つことが出来たから。


(ありがとう、ジョミー…)
 あの子供たちを、この世に生み出してくれて。
 思いがけないミュウの未来を、新しい夢を、このぼくにくれて。
 「ありがとう」と、君に言える時間が、それがあればいいと思うけれども…。
(…そればかりは、地球の男次第か…)
 彼がナスカに戻って来るまでに、ぼくの命が燃え尽きる前に、ほんの少しの時間が欲しい。
 新しい夢が叶わないのは、充分に承知しているから。
 地球よりも、ずっと見たい「未来」は、この目で見届けられないから。


(せめて、ジョミーに…)
 「ありがとう」と言える時間があったらいい、と、願うことくらい許されるだろう。
 その願いが叶わずに終わったとしても、悔いなどは無い。
 あの子供たちを守れるのならば、それだけでいいと思ってしまう。
 ぼくには、新しい夢が出来たから。
 青い地球よりも「見たくなったもの」を、命と引き換えに守れるから。
 だから…。


 ジョミー、君たちは、未来を生きていって欲しい。
 それにトォニィ、他の子たちも、どうか元気で。
 君たちが生きて未来を紡いでゆくのを、ぼくは心から祈り続ける。
 ぼく自身の夢は叶わなくても、それでいいから。
 君たちが地球へ、未来へと歩んでゆくのが、ぼくの「新しい夢」なのだから…。




           青い地球よりも・了


※ブルー追悼作品、「来年は書かずに済むことを希望」と昨年、言ったわけですが。
 コロナ禍も、第7波とか言われる割には、さほど騒がれなくなったのですが…。
 アニテラでブルーが眠り続けたのと同じ年数、15年が経ったのが今年なのです。
 「節目の年だし、書いておくかな」というわけで、2022年7月28日記念作品。
 作中のブルーの夢は叶いませんでしたけど、最後の願いが叶ったのは、皆様ご存じの通り。









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(成人検査では、機械が記憶を消すけれど…)
 今だって、消され続けているけれど、とシロエが睨み付けた先。
 Eー1077で与えられた個室は、マザー・イライザに監視されている。
 部屋にいる時は、恐らく、常に。
 普段は何も起こらなくても、心を乱せば、彼女の幻影が現れるから。
 「どうしました?」と、猫なで声で。
 さっきも、そんな風に出て来て、優し気な笑みを湛えていた。
 「迷いがあるなら、導きましょう」と、「いつでも、待っていますからね」と。
 慈母の言葉のようだけれども、それは警告。
 心が乱れたままでいたなら、たちまちコールされるだろう。
(…コールされたら、ぼくの中から、また何か…)
 大切な記憶が消えていくんだ、と唇を強く噛み締める。
 「ぼくは嫌だ」と、「忘れたくない」と。
(あれが、機械のやり口で…)
 このステーションで暮らす候補生たちは、おとなしい羊にされてゆく。
 成人検査でも消えずに残った、「機械に都合の悪い記憶」を消去されて。
 反抗心を消され、牙を抜かれて、無害な子羊になってゆくけれど…。
(…あんな機械が出来る前から…)
 人間の記憶は、消えてしまうことがあったんだよね、と思考を別の方へと向ける。
 そうすれば、心が落ち着くから。
 憎い機械を忘れてしまえば、心を乱さないで済むから。
(コールなんか、されてたまるもんか)
 今回は無事に逃げてみせるさ、とマザー・イライザの幻影も心から切り捨てた。
 そうしておいたら、思い出さずにいられて、心が波立つこともなくなる。
 一種の現実逃避とはいえ、有効な手段であることは、既に経験済み。
(……心の中では、何を考えるのも自由だしね?)
 それにコールもされやしないし、とクスリと笑う。
 「ぼくは自由だ」と、「機械なんかに、簡単に支配されやしないよ」と。


 そうは思っても、逆らえずに消されてしまった記憶。
 成人検査でゴッソリ失くして、その後も、かなり消えたと思う。
 なんとも憎い機械だけれども、機械が関与しなくても…。
(……記憶喪失……)
 遠い昔から、そういう病があるらしい。
 文字通り、記憶を失う病気。
 病気と呼んでいいのかどうかは、医者ではないから、分からないけれど。
(大きなショックが引き金になって…)
 頭の中から、記憶がストンと抜け落ちるのが、記憶喪失。
 何もかも消えてしまうケースも、一部だけというケースもある。
(自分の名前も忘れてしまって、別人になって…)
 知り合いにも見付けて貰えないまま、家から遠く離れた所で、長く暮らした例なども。
 つまり、機械が関わらなくても…。
(…人間の脳は、何かのショックで…)
 記憶を手放してしまう構造になっている。
 そして、失くしてしまった記憶は…。
(…消えてしまったままで、戻らないこともあるけれど…)
 記憶を失くした時と同じに、突然、戻ったりもする。
 もちろん機械は何もしないし、治療の成果というわけでもない。
 記憶が戻って来る仕組み自体も、今の時代でも、ハッキリ解明されてはいない。
(…精神的にショックを受けたり、同じような事故に遭ったりして…)
 その衝撃で戻ることが多い、と言われてはいても、同じことをしても駄目な場合もある。
 人間の脳はデリケートだから、計算通りにはいかないらしい。
 機械が記憶を消したり植えたり、そういうことは容易く出来る世の中でも。
 成人検査で記憶を消すのが、当たり前になっている時代でも。
(…機械は、まだまだ、人間に敵いやしないってね)
 記憶喪失の患者も治せないようじゃ、とクッと喉を鳴らした。
 「人間様の方が、ずっと上だよ」と、「機械も、人間が作ったんだから」と。


 今も機械が「どうにも出来ない」、記憶喪失。
 人間の脳は複雑すぎて、機械といえども、隅々までは把握出来ないから。
(…でもって、記憶を失くした人が…)
 記憶を取り戻すことがあるなら、自分にも起こり得るかもしれない。
 機械が消してしまった記憶が、記憶喪失の人と同じに…。
(何かのショックで、ある日、いきなり…)
 全て戻って来る可能性だって、けしてゼロではないだろう。
 機械によって「意図的に」引き起こされたものであっても、今の自分は…。
(昔だったら、記憶喪失みたいなもので…)
 子供時代の記憶が欠落していて、両親の顔なども朧げなもの。
 その状態で「大きなショック」を受けたら、その衝撃で…。
(思い出すかもしれないよね?)
 故郷のこととか、パパとママの顔を、と顎に当てる手。
 「出来るのかも」と、「有り得ないことでは、ないと思う」と。
 もしも記憶が戻って来たなら、どんなに嬉しいことだろう。
 どう頑張っても思い出せない大切な過去が、この手に戻って来たならば。
 記憶喪失の人が「再び思い出す」ように、自分も思い出せたなら。
(…訓練の途中で、大事故に遭って…)
 目の前が真っ暗になってしまって、ふと目覚めたら、頭の中に戻っている記憶。
 Eー1077の医療センターの、ベッドの上で目を覚ましたら…。
 「パパとママは、何処?」と、此処にはいない両親の姿を、探し求めるのに違いない。
 記憶が戻って来ているのだから、一番に探すのは、誰よりも頼りになる両親。
(…でも、パパもママも、いなくって…)
 ベッドも家のベッドではなくて、まるで全く違う場所。
 それに気付いたら、とても悲しくなるだろうけれど…。
(…思い出せたんだ、って嬉しい気持ちも…)
 きっと心で弾けると思う。
 「ぼくの記憶が戻って来たよ」と、「パパとママの顔も思い出せたよ」と。
 懐かしい故郷の風景だって、鮮やかに蘇っていることだろう。
 今は全く思い出せない、家に帰ってゆくための道も。


(…ぼくの記憶が戻ったことを…)
 マザー・イライザに気付かれたならば、全て、振り出しに戻ってしまう。
 此処には、憎い成人検査用の機械、テラズ・ナンバー・ファイブは「いない」けれども…。
(……マザー・イライザだったら、アレと同じに……)
 もう一度「成人検査」を施し、「シロエの記憶」を消すことだろう。
 「偶然、取り戻してしまった記憶」は、機械にとっては「不要なもの」。
 SD体制のシステムに向かない、不都合な「それ」。
 だから「消す」のが「彼女」の役目で、元の通りに消されてしまう。
 此処へ連れて来られた時と同じに、機械が残した記憶しか無い「シロエ」にされて。
(…そんなの、ぼくは御免だから…!)
 機械にバレたら終わりだなんて、と肩をブルッと震わせた。
 せっかく記憶が戻って来たのに、再び消されてしまうなんて、と。
(ぼくは、絶対に消させない…!)
 バレないように、上手くやってみせる、と自信なら、ある。
 意識を取り戻した直後だったら、「パパとママは?」と、キョロキョロしたって…。
(…しっかりと目が覚めたなら…)
 自分が置かれた「今の状況」を、冷静に把握出来るだろう。
 エリート候補生としての訓練、その数々は伊達ではない。
 精神的にも鍛えられるから、意識が明瞭になるまでの時間も短い筈。
(そうしたら、直ぐに…)
 朦朧としていた時の「自分の言動」、それらを「無かったことにする」。
 医師や看護師が訝しんでいたら、「大丈夫、何でもありません」と。
 「おかしなことでも言いましたか?」と、「少し、混乱していたようです」と。
(…今だって、夢を見ている時は…)
 ちゃんと両親が出て来るのだから、意識を失くした間に「見ても」おかしくはない。
 医師も看護師も、それで納得するだろう。
 「両親の夢を見ていたんだな」と、「それで、探してしまったわけか」と。
 まさか「記憶を取り戻した」なんて、彼らも、思いはしないだろう。
 そんなケースは、きっと多くはないだろうから。
 あったとしたって、その後の言動、それでアッサリ、バレるのが普通。
 エリート候補生とは違う一般人なら、その場で咄嗟に「取り繕う」ことは出来ないから。


 自分なら、上手くやれると思う。
 運良く、記憶が戻った時は。
 事故のショックで、過去の全てを思い出せたら。
(記憶が戻るくらいの事故なら、ぼくの身体も…)
 酷いダメージを受けてしまって、もう「エリート候補生」は務まらないかもしれない。
 足が片方、動かないとか、腕が一本、無かったりとか。
(それくらいで済めばいいけれど…)
 重度の麻痺が残ってしまって、一生、車椅子かもしれない。
 そういう身体になってしまったら、一般市民の道に行っても、制約を受けることだろう。
 子供を育てる養父にはなれず、教師くらいしか出来ないだとか。
(でも、そうなっても…)
 車椅子でしか動けなくても、腕が一本無くなっていても、きっと自分は後悔はしない。
 「事故に遭う前に戻りたいよ」と、嘆く日々など、絶対に来ない。
 車椅子の身になってしまっては、会いに行くことさえ叶わなくても…。
(…パパもママも、ちゃんと覚えているから…)
 機械に知られてしまわないよう、隠し続けて生きるしかなくても、持っている記憶。
 両親の顔も、故郷の家も、朧ではなくて、しっかりと。
 子供時代の記憶さえあれば、息を引き取る時が来るまで、心は幸せに羽ばたいてゆける。
 「シロエ」は「シロエ」に戻れたから。
 二度と会うことは叶わなくても、懐かしい両親を鮮やかに思い出せるから。
(…もしも、そういう事故に遭ったら…)
 幸せだよね、と思うけれども、こればかりは運。
 けれど、記憶が戻ったならば…。
(ぼくは必ず、上手くやるよ)
 また消すなんて、させやしない、と夢に見る未来。
 身体の自由を奪われようとも、心が自由な方がいいから。
 メンバーズになることは出来なくなっても、記憶が戻ってくれるのならば、と…。



             思い出せたら・了


※SD体制の時代でも、サムを治すことは不可能。だったら、記憶喪失も、と思ったわけで…。
 シロエの記憶が、勝手に戻ってしまう可能性もあるよね、という所から生まれたお話。









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(……キース・アニアン……)
 この名、とキースが心で呟いた名前。
 国家騎士団総司令の部屋で、夜が更けた後に。
 マツカが淹れて行ったコーヒー、それがまだ湯気を立てている。
 コーヒーのカップを机に置いてから、マツカは控えめな声で尋ねた。
 「他に用事はありませんか?」と。
 ごくごく自然に、いつも通りに「キース」と呼んで。
(…確かに私は、キースなのだが…)
 部下のセルジュたちも「アニアン閣下」と呼ぶのだけれども、その名前。
 「キース・アニアン」と呼ばれる自分。
 間違いなく自分の名前とはいえ、そう言ってもいいものかどうか、と時々、思う。
 この名は、皆とは「違う」ものだから。
 普通の人間が持っている名前、それとは全く違うのだから。
(…今の時代に、実子は存在しないのだがな…)
 ミュウどもの世界は別として、とモビー・ディックで出会ったオレンジ色の瞳の子供を挙げた。
 トォニィという名を持つ子供は、自然出産で生まれたと聞く。
(他にも複数、ああいうタイプ・ブルーの子供が…)
 存在するから、彼らも自然出産児だろう。
 その子供たちを別にしたなら、今の世界には「実子」はいない。
 子供は全て、人工子宮から生まれて来るもの。
 けれど、彼らが「名前」を持つのは…。
(養父母に引き渡された後…)
 育ての親が、赤ん坊を見て「名前」をつける。
 実子ではない子供であっても、其処に何らかの「思い」をこめて。
(こういう人間になって欲しい、と…)
 祈りをこめてつける名もあれば、親の好みを反映したものもあるだろう。
 その時々の流行りや、有名人の名前を映した名前。
(…しかし、どういう名付け方でも…)
 必ず、ヒトの思いが働く。
 どういう子供になって欲しいか、どんな子供を望んでいるか、と。


 けれども、「キース」の名には無い「それ」。
 周りの者たちは疑いもせずに、「キース・アニアン」と呼んでいるけれど…。
(そもそも、いつから、この名前なのか…)
 それさえ分からないのだからな、と唇を歪める。
 「人間」だったら、親が名前をつけた時点で、そういう名前の者になるのに。
 モビー・ディックで目にした子供も、そうなのだろう。
 もっとも、ミュウの世界の事情は、知りようもないことだから…。
(…今では歴史の中にしか無い、名付け親というのが…)
 あるいは存在するかもしれない。
 彼らが「ソルジャー」と崇める人物、ソルジャー・ブルーやソルジャー・シンなら…。
(名付け親としては、充分だからな)
 そのどちらかが名付けただろうか、あの「トォニィ」という名前は。
 それとも実の親がつけたか、謎だけれども…。
(…どちらにしても、生まれて間もなく…)
 名前を貰って、その瞬間から「トォニィ」になったのが、あの子供。
 親も周りの人間たちも、揃って彼を「トォニィ」と呼んで、その中で育って…。
(あの子供自身も、トォニィになってゆくわけだ)
 それが自分の名前だからな、とコーヒーのカップに視線を落とす。
 「人類の場合も、それは同じだ」と。
 養父母が名付けて、周りの者たちが、そう呼び始める。
 乳児の間は、ごく限られた狭い範囲の人間だけが「呼ぶ」名前。
 引き渡されて名前を貰った直後は、多分、養父母だけだろう。
 家の外に出られるようになったら、隣近所の人間たちが…。
(こういう名前の子だ、と養父母に聞いて、その名前で…)
 同じように呼んで、次の段階では「友達」と「教師」。
 幼い子供が通う学校、其処でも「名前」を使うから。
 点呼もそうだし、子供同士で呼び合う時にも、「名前」だから。


 そんな具合に、名前と一緒に育ってゆく子。
 人間だったら誰でもそうだし、ミュウの世界でも同じこと。
(…サムが記憶を失っても…)
 彼が今でも「サム」であることは変わらない。
 成人検査を受ける前の世界に戻ってしまって、思い出の中で生きていようと、サムはサム。
 彼が待ち続ける養父母たちは、サムのことを「サム」と呼んだから。
 どうして「サム」と名付けたのかは、サム自身も知らないことであっても。
(…サムはサムとして育ったわけで…)
 幼馴染のミュウの長の名も、彼は未だに忘れていない。
 「ジョミー」と懐かしそうに呼ぶ名は、「ジョミー」が持っている名前。
 人類の世界から外れてミュウの長になっても、「ジョミー」は「ジョミー」。
(…ジョミー・マーキス・シン…)
 彼は最初から「ジョミー」だったし、ミュウになっても、名まで変わりはしない。
 彼が命を失う時まで、彼は「ジョミー」と呼ばれるだろうし、彼自身も、そう自覚している。
 自分の名前は「ジョミー」なのだ、と。
 人類だろうが、ミュウの長だろうが、「ぼくは、ジョミーだ」と。
(…だが、私には…)
 それが無いのだ、と忌まわしい記憶が蘇って来る。
 廃校となったEー1077で、初めて目にした自分の過去。
 遥か昔にシロエが見付けて、言い残した場所で。
(フロア001…)
 其処にズラリと並んでいたのは、大勢の「キース」たちだった。
 それと、モビー・ディックで出会った「ミュウの女」と。
 彼らはガラスのケースに入って、既に命を失っていた。
 ただのサンプル、人間の形をした「標本」。
 マザー・イライザが、事も無げに言い放った言葉は、「サンプル以外は、処分しました」。
 つまり「他にもいた」ということ。
 どの段階まで育ったのかは知らないけれども、「キース」たちが。
 フロア001で生まれて、水槽の中で育った者が。


 グランド・マザーの命令通りに破壊して来た、過去が眠る墓場。
 もうサンプルは存在しなくて、「キース」は一人になったけれども…。
(…私は、いつからキースなのだ?)
 誰が「キース」と名付けたのだ、と問い掛けてみても、答えが返るわけもない。
 マザー・イライザは、Eー1077ごと、惑星の大気圏に落とされ、燃え尽きて消えた。
 イライザに「キース」と「ミュウの女」を造らせた者は、沈黙を守ることだろう。
 「どうして私は、キース・アニアンなのですか?」と尋ねてみても。
 グランド・マザーが返す答えは、「そんなことなど、どうでもよろしい」。
(……尋ねたことは無いのだが……)
 そうしなくても想像はつく、と零れる溜息。
 機械が「キース」と名付けたのなら、其処に「思い」は何も無いから。
 人間の養父母たちと違って、こめたい思いなどは無いから。
(…恐らく、記憶バンクの中から、適当に…)
 選び出された名前が「キース」で、「アニアン」の姓も似たようなもの。
 「キース」の生まれを捏造するにあたって、機械が「良し」と判断した姓。
 何処の生まれか、何処から来たのか、誰も疑問を持たないように。
 「キース」と同じ姓を持つ者、それを探りはしないように。
(どちらも、SD体制が始まるよりも、遥か昔から…)
 人間が地球しか知らなかった頃から、存在していた平凡な名前。
(地域や人種で、つける名前は違ったようだが…)
 そういう垣根もいつしか崩れて、「つけたい名前」を名付ける時代が来たという。
 以前だったら、その子とは違う人種や国籍、それを持つ者しか使わなかった名前でも…。
(自分の子供に名付けることが、ごくごく普通になっていって…)
 名前だけでは、生まれも育ちも区別がつかない世界になった。
 それでも、姓を耳にしたなら、ある程度のことは分かったらしい。
 先祖が何処の人間だったか、何を職業としていたのか、など。
(…名前というのは、本来、そういったもので…)
 一人ずつ違った個性を持つこと、それを端的に表すもの。
 記号や数字には置き換えられない、とても大切な「ヒト」である証。
 なのに「キース」は、それを持たない。
 名前を持ってはいるのだけれども、数字や記号と変わらないから。


 自分は、いつから「キース」なのか。
 フロア001にあった水槽、其処から出された時だと言うなら…。
(…まだしも、救いがあるのだがな…)
 生きて出て来たのは「私」だけだ、と、冷めてしまったコーヒーを眺める。
 自分以外の「サンプル」や処分された者たち、彼らは「外の世界」を知らない。
 だから「水槽の外へ出て来てから」、この名を与えられたのだったら、「キース」は一人。
 他に何人の「キース」がいようが、彼らは名前を持たないから。
(…だが、水槽から出されて、直ぐに…)
 「お前の名前は、キース・アニアン」と言われて、理解出来るだろうか。
 名前の概念は知っていたって、しっくり馴染むものなのかどうか。
(水槽の中で、知識を与え続けていたのなら…)
 それも成人検査の年に至るまで、充分な量の、いや、膨大な知識を与えるならば…。
(…私という存在に、全く呼び掛けないままで…)
 教育することは可能なのか、と考えるほどに「分からない」。
 「ヒト」の頭脳で考える限り、「ただの一度も呼び掛けないまま」での教育は不可能。
 教官をやっていた経験からしても、無理なことだと思うけれども、機械だったら出来るのか。
(可能だとしたら、水槽の中では、私も他のサンプルたちと同じで…)
 名前は持たずに育ち続けて、世話をしていた研究者たちは、番号で呼んでいたのだろう。
 「キース」に直接、呼び掛けはせずに、研究者同士で使った、便宜上の「名前」。
 それまでに育てた大勢の「キース」、彼らと区別するために。
(…そうだとしたなら、実は、それこそが…)
 私の本当の名ではないのか、と考えて背中がゾクリと冷えた。
 「やはり私には、本当の名前などは無いのだ」と。
 研究者たちが使った番号、数字と記号を組み合わせたろう、「キース」を指すモノ。
 そういう名前で育て上げられて、後に「キース・アニアン」の名を与えられた。
 「キース・アニアン」は一人だとしても、名前を持たずに十四年間も育ったならば…。
(……人間ではない、ということか……)
 人間なら「名前」を持つのだからな、と虚しくなる。
 「私の場合は、番号なのだ」と。
 「キース・アニアンという名前の方にも、ヒトの思いは無いのだからな」と…。



            持っていない名前・了


※「キース・アニアン」の名は、誰がつけたんだろう、と考えた所から生まれたお話。
 いつから「キース」と呼んでいたのか、それさえも謎。キース本人だって怖いだろうな、と。








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(……ピーターパン……)
 今でも迎えに来てくれるのかな、とシロエが視線を落とす本。
 Eー1077の夜の個室で、ベッドの端に腰を下ろして。
 遠くなってしまった故郷の星から、一つだけ持って来られた宝物。
 幼い頃から大事にして来た、ピーターパンの物語。
(いい子の所には、ピーターパンが迎えに来てくれて…)
 ネバーランドに行けるけれども、自分は「大人」になってしまった。
 厳密に言えば、まだ大人ではないけれど。
 このステーションを卒業するまでは、大人への準備段階だけれど。
(…でも、ぼくの子供時代の記憶は…)
 成人検査で機械に奪い去られて、曖昧になってしまっている。
 大好きだった両親の顔も、故郷の家も、すっかりおぼろになって、ぼやけて。
(そんな風になってしまっているんじゃあ…)
 もう子供とは呼べないだろうし、大人の世界の仲間入りも近い。
 ピーターパンは、迎えに来てはくれないだろう。
 「助けてよ」という悲鳴が届けば、来てくれるかもしれないけれど。
 子供時代を忘れたことが辛くて、帰りたいと願って泣き叫ぶ声が。
(……だけど、本物の子供じゃないから……)
 きっと後回しになっちゃうんだ、と零れる溜息。
 ネバーランドに相応しい子は、他に大勢いるだろうから。
 その子供たちを迎えに行くのが、ピーターパンの役目だから。
(…この本の中に…)
 入ってしまえたらいいんだけどな、と本の表紙をじっと見詰めた。
 夜空を翔けるピーターパンと、子供たちの姿が描かれた表紙。
(この本の中で、生きていたなら…)
 成人検査などというものは無くて、ただ幸せに子供でいられた。
 ピーターパンが迎えに来るのを、毎晩、待っていられる子供。
(…ピーターパンが来てくれなくても…)
 此処よりは自由な世界なんだよ、と確信はある。
 本に描かれた世界の中には、機械の支配は無いのだから。


 この本の中の住人だったら、幸せに生きてゆけたと思う。
 ピーターパンが来てくれなくても、とても貧しい暮らしぶりでも。
 今の世界とは全く違って、不衛生で、貧富の差が激しくても。
(…ずっと昔はそうだった、って…)
 歴史の授業で教わるけれども、そうだった時代を不幸だとは、けして思いはしない。
 子供が子供でいられる世界で、人間らしく生きられた世界。
 其処へ自分も行けるのだったら、迷うことなく飛び込んでゆける。
 ピーターパンの本の世界へ。
 どうせ今では、両親も家も失くしてしまって、一人だから。
 同じ一人で生きてゆくなら、自由な世界の方がいいから。
(…本の中でも、ぼくは少しも…)
 かまわないんだ、と考える内に、頭を掠めていったこと。
 ごく他愛ないように思えたけれども、たちまち心に広がった「それ」。
(……ぼくの人生……)
 それも「物語」だったなら、と。
 何処かの誰かが書いている本で、「セキ・レイ・シロエ」の物語。
 こうして「考えている」瞬間だって、誰かがペンで綴ってゆくもの。
(…それを大勢の人間が読んで…)
 今も眺めているかもしれない。
 これからシロエはどうなってゆくか、どんな人生を生きてゆくのかと。
(…次のページをめくったら…)
 物語の舞台はガラリと変わって、此処を卒業した後なのだろうか。
 メンバーズ・エリートの一人に選ばれ、任務で宇宙を駆け回る「シロエ」。
 どんどんページを読み進めたなら、最後は機械が支配する世界を…。
(破壊しちゃって、失くした記憶を取り戻して…)
 意気揚々と故郷に帰る「シロエ」が、生き生きと描かれているかもしれない。
 家に帰って、「ただいま!」と両親に抱き付く姿が。
 子供時代と全く同じに、家族で食卓を囲むのも。
(…めでたし、めでたし、って…)
 ハッピーエンドの世界だよね、と大きく頷く。
 この人生が「物語」ならば、そんな具合に終わる筈だよ、と。


(…ホントに、ぼくの人生が…)
 誰かが綴る物語ならば、早く最後まで書き終えて欲しい。
 読んでいる人も、急いで最後のページまで。
 そうすれば、ハッピーエンドだから。
 苦痛でしかない今の人生、それを少しでも早く駆け抜け、結末を迎えられるよう。
(…そうだよね…)
 早く終わってくれればいいな、と心から思う。
 「めでたし、めでたし」で終わった後には、ただ幸せが待っているから。
 大好きな両親の許に戻って、いつまでも幸せに暮らせるのだから。
(……ホントにそうなら、うんと幸せなんだけど……)
 今の暮らしは見世物でもね、と考える。
 読者をハラハラさせるためにと、作者が仕掛けた色々な見せ場。
 それが成人検査だったり、記憶を消されて苦しむ今の日々だったり、と。
 誰もが「シロエ」に同情するよう、次から次へと襲い掛かって来る不幸。
 あの「キース」だって、登場人物なのだから…。
(…ぼくを不幸に陥れるために…)
 作者が作った、悪役の一人。
 そうだと思えば、「仕方ないや」と納得出来る。
 「キース」にイライラさせられるのも、機械の申し子のような人間なのも。
 主人公の「シロエ」を苦しめるために、作者が作り出したのだから。
(…あいつが嫌な奴だから…)
 「シロエ」の不幸が引き立つわけで、「いい奴」では全く話にならない。
 物語に出て来る悪役でライバル、だからこそ読者は手に汗を握る。
 「シロエ」と「キース」の熾烈な争い、その戦いの行方は、と。
 きっと「シロエ」が勝つのだけれども、そう簡単には勝てないだろう、と。
(…成人検査も、マザー・イライザも、SD体制も…)
 何もかも作者が作った虚構で、物語の中に描かれた出来事。
 それを読んでいる読者の世界は、SD体制などとは全く無縁で。
 もしかしたら、地球は滅びていなくて、青く美しいままかもしれない。
 遠い未来の世界を描いた、いわゆるSF小説で。
 遥か昔から、人間はそういう物語を書き、大勢の人が読んだのだから。


 そうかもしれない、と考えたら楽になった気がする。
 「これは物語の中なんだ」と。
 全ては本の中の世界で、「セキ・レイ・シロエ」は、その主人公。
 だから苦しみ、酷い目に遭う。
 そうでなければ、リアルに描き出せないから。
 機械に支配される苦痛を、読者に訴え掛けるためにと、作者が紡ぎ出す様々なこと。
 成人検査も、マザー・イライザも、忌まわしいSD体制だって。
(…何もかも全部、作り話で…)
 ドラマティックに展開するよう、競争相手の「キース」も登場させて。
 そうだというなら、我慢も出来る。
 主人公なら耐えるべきだし、耐えた御褒美は必ず貰える。
 ストーリーが完結した暁には、「めでたし、めでたし」な結末になって。
 「シロエ」は無事に故郷へ帰れて、過去の記憶も取り戻せて。
(…それでこそだよね…)
 こんな人生、作り話だからこそなんだ、と自分で自分を慰めてみる。
 誰かが書いたSF小説、その中で今は苦しいだけ。
 いつか、ハッピーエンドが来るまで。
 今を耐え抜いて、物語の最後まで生き抜くまでは。
(…そういうことなら、仕方ないかな)
 「シロエ」が不幸であればあるほど、ハッピーエンドなラストが生きる。
 どんな不幸も、今の苦痛も、物語を彩るスパイスの内。
 不幸のどん底に突き落とされても、それがスパイスなら構わない。
 作者が読者を楽しませようと、せっせと振りかけるスパイスならば。
(……スパイスを効かせ過ぎだ、って……)
 時には文句も出そうだけれども、そう言ってくれるような読者も必要。
 「シロエ」に肩入れしているからこそ、そんな言葉が出るのだから。
 身近に感じてくれているから、「シロエ」の不幸に我慢出来ない、熱烈な読者。
 きっと、そういう人だっている。
 これほど追い詰められてしまって、今も苦しくて堪らないから。
 「苦しむシロエが可哀想だ」と、同情してくれる読者だって、きっと。


(…ぼくの物語が完結するまで…)
 見守っていてくれる人が大勢、そう考えると生きる勇気も湧いて来る。
 どれほど辛くて苦しかろうとも、ラストまでの道が長くて険しい人生でも。
 「キース」が嫌いで堪らなくても、今の世界が大嫌いでも。
(……頑張らなくちゃね……)
 もしかしたら、と希望の光が見えてくるよう。
 この人生が本の中なら、作者の考え方次第。
 SD体制を破壊するために、生き抜くしかないと「シロエ」は思っているけれど…。
(…ピーターパンの本が大好きで、ネバーランドに行きたいのも、ぼくで…)
 作者は充分、承知なのだし、全てが一変するかもしれない。
 この牢獄から、一転してネバーランドへと。
 作者には、それが出来るから。
 幼い頃から「シロエ」が焦がれた、ネバーランドへ旅立たせること。
 たった一行、こう書くだけで。
 「その時、奇跡が起こりました」と。
 苦痛に満ちた今の世界に、一条の光が差し込んで。
 ピーターパンが軽やかに空を翔けて来て、「行こう」と「シロエ」に手を差し出して。
(…最後まで必死に頑張り続けて、パパやママとのハッピーエンドもいいけれど…)
 ネバーランドに行ってしまうのも、悪くないかも、とピーターパンの本の表紙を撫でる。
 「どうせ、一人になっちゃったしね」と。
 両親の所へ帰れるとしても、その日は、まだまだ先なのだから。
(ピーターパンが迎えに来るなら、大人の世界に行く前だろうし…)
 それなら、それほど待たなくてもいい。
 作者がそういう風に書くなら、そんなラストでも構わない。
 「シロエ」が幸せになれるなら。
 ネバーランドへと旅立てるのなら、それもハッピーエンドだから…。



           物語の中なら・了


※アニテラのシロエなら思い付きそうな、「ぼくの人生も、物語かも」という考え方。
 原作の方だと、有り得ませんけど。そして迎えた、ハッピーエンドな最期。中二病っぽい…。









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(…ついに私もパルテノン入りか…)
 その前に殺されていなければな、とキースが薄く浮かべた笑み。
 何処か自嘲めいた、およそ歓びとは無縁なもの。
 国家騎士団総司令の部屋で、夜が更けた後に、ただ一人きりで。
 側近のマツカが淹れていったコーヒー、まだ熱いカップが湯気を立てる中で。
 初の軍人出身の元老、それが未来の自分の肩書き。
 グランド・マザーが決めた以上は、間違いなく出来る筈の異例の昇進。
 ただし、就任するよりも前に、暗殺者に命を奪われなければ。
(…その上、元老になった後にも…)
 殺そうとする奴らが出て来るだろうさ、と承知している。
 就任までには、まだ何人もの血が流されることだろう。
 パルテノン入りを果たした後にも、増える一方だろう屍。
(……どいつもこいつも……)
 屑ばかりだ、と忌々し気に舌打ちをする。
 「真っ向から来ても勝てない奴ほど、殺したがる」と。
 しかも自分の手は汚さないで、腕の立つ暗殺者どもを選んで送り込んで来る。
 「キース・アニアン」を消すために。
 自分の出世を妨げる人間、「グランド・マザーのお気に入り」を。
(…どう頑張っても、無駄なのだがな)
 多分、マツカがいる限りは、と零れる溜息。
 マツカの能力をフルに使えば、暗殺から逃れることは容易い。
 銃も爆弾も、毒を盛ることも、キースの命を奪えはしない。
 全てマツカが、未然に防いでしまうから。
 暗殺者も、それを企てた者も、返り討ちにされてしまうのが常。
 そうやって、此処まで昇って来た。
 グランド・マザーに期待されている、唯一無二の人物として。
 屍の山を築き上げた上に、これからも屍を積み上げてゆく。
 冷徹な破壊兵器として。
 血も涙も無い人間なのだと、周囲の者から恐れられながら。
 恐れないのは、ほんの僅かな人間だけで。


 パルテノン入りすれば、敵はもっと増えることだろう。
 「キース・アニアン」を恐れる者も、今よりも更に増えてゆく筈。
 二百年も空位のままになっている、国家主席の座に近付いてゆくほどに。
 「キース」がその手に握る権力、それが大きくなる分だけ。
(…厄介なことだ…)
 望んだわけではないのだがな、と思うけれども、そのために「キース」は生まれて来た。
 正確に言えば「作り上げられた」者。
 Eー1077で、マザー・イライザが無から作った生命。
 人類を導く指導者として、優秀な人材を生み出す実験の成果が「キース」。
 マザー・イライザの最高傑作。
(……そのせいだろうな、屑ばかりなのは……)
 私と対等に競える者など、誰も現れて来ないのは、と情けない限り。
 メンバーズとして世に出て以来、本当の意味での「敵」など、一人もいなかった。
 ジルベスター・セブンに巣食っていたミュウ、ああいう異分子を除いては。
 「キース」と同じ人類の中では、お目に掛かったことさえ全く無い「敵」。
 いわゆるライバル、競い合い、蹴落とし合う相手。
(…Eー1077を卒業した時には…)
 この先は茨の道なのだろう、と覚悟していた。
 自分の「生まれ」など知らなかったから、ライバルとの争いが幕を開ける、と。
 Eー1077でこそ、トップで卒業したのだけれども、世の中は広い。
 先にメンバーズに選ばれた者も、これから選ばれるメンバーズたちも、全てが「敵」。
 彼らと戦い、蹴落とさなければ、昇進してゆくことは出来ない。
 いつかトップに昇り詰めるためには、日々、戦いが続くのだろう、と。
(…そう思ったのに…)
 何処からも現れなかった「敵」。
 「負ける」と恐怖を覚える者など、未だに一人も出会ってはいない。
 それほどに無能な者ばかりなのが「人類」ならば、「作られた」のも仕方ないだろう。
 「キース」を作り出さなかったら、指導者は生まれないのだから。
 メンバーズといえども、無能な者たちが揃っているだけ。
 一般人よりはマシだと言うだけ、ただそれだけのことなのだから。


(…まったく、手応えの無い輩ばかりだ…)
 この世の中はな、と虚しい気持ちで一杯になる。
 セルジュやパスカルといった部下たち、彼らは優秀なのだけれども…。
(……私と勝負出来るのか、という観点から見たならば…)
 やはり私の敵ではない、と考えなくとも即答出来る。
 彼らは「有能な部下」ではあっても、「キース」の立場は務まりはしない。
 国家騎士団総司令の地位さえ、きっと持て余すことだろう。
 どう戦ってゆけばいいのか、いちいち悩んでいるばかりで。
 即断即決、それが出来ると言うにしたって、結果は決して芳しくなくて。
(…Eー1077で過ごした頃から、私の周りは…)
 本当に屑で、どうしようもない者ばかりだった、と思ったけれど。
 「グレイブにしても、年上だったというだけのことだ」と、先輩の顔が浮かんだけれど…。
(……いや、待てよ?)
 あそこには一人だけ、いたのだった、と気付いたライバル。
 「キース・アニアン」と競い合うことが出来た「敵」。
(……セキ・レイ・シロエ……)
 彼だ、と鮮やかに蘇った記憶。
 遠い昔に、鎬を削って戦った相手。
 まさに好敵手と言えたライバル、それが「シロエ」だ、と。
(…シロエは、私を成長させるために選び出されて…)
 Eー1077に来たのだけれども、彼の才能は「本物」だった。
 「キース・アニアン」と競い、戦える人物を選んだのだから、当然だろう。
 条件としては、それに加えて「ミュウ因子を持っている」ということ。
 そうでなければ、「キース」の成長を促す糧にはならないから。
 シロエが人類だった場合は、「キースに処分させる」ことは不可能。
 だからこそ、シロエはEー1077に連れて来られて、「キース」に消された。
 シロエ自身は、自らの意志と生き方を貫き通して、宇宙に散ったつもりでも。
 撃墜されて死ぬ瞬間まで、一片の悔いも無かったとしても。


 けれど、そうなる以前の「シロエ」。
 「キース」と繰り広げていたトップ争い、其処にはミュウの因子など…。
(…関係してはいなかった筈だ)
 何故なら、シロエは「サイオンに目覚めていなかった」から。
 ミュウの力が覚醒する前、それがシロエがトップ争いをしていた時期。
(……つまり、シロエの才能は……)
 「本物」だったということになる。
 キースと互角に戦えたほどの、好敵手。
 今日までの人生で、ただ一度だけ、出会えた「ライバル」。
 それなら、シロエが「キース」の糧にされることなく、無事に成長していたなら。
 「マツカ」が今でも生きているように、成人検査をすり抜け、巧みに生きていたなら…。
(…めきめきと頭角を現して…)
 メンバーズ・エリートとして機械に選ばれ、順調に昇進出来ただろう。
 「シロエ」に、その気があったなら。
 マツカのように「隠れてやり過ごす」よりも、「打って出る」道を選んでいたら。
(…そうだな、シロエだったなら…)
 あの強い意志を持った彼なら、出世する道を選んだと思う。
 上手く生き延び、機械の裏をかくために。
 地位が上がれば上がってゆくほど、機械は「シロエ」を消せなくなる。
 もしも「シロエ」を処分したなら、貴重な人材を失うから。
 「ミュウかもしれない」と疑ったとしても、実際には手を出せないだろう。
 シロエが優秀なメンバーズならば、彼を慕う有能な部下たちも増える。
 得難い人材になればなるほど、機械には、もう手も足も出ない。
 どれほど「シロエ」が怪しくても。
 「ミュウではないか」と疑うくらいに、体制批判をしていたとしても。
(…そして、そういうシロエだったら…)
 その抜きん出た才能でもって、「キース」のライバルになっていた筈。
 どちらが優れたポストに就くのか、争い合って。
 戦果を、能力を常に競い合い、何かと言えば蹴落とし合って。
 「キース」の地位が先に上がれば、じきに「シロエ」が追い抜いてゆく。
 目覚ましい戦果や成果を叩き出しては、「それじゃ、お先に」と。


 シロエが「糧」にされなかったら、そうなったろう。
 ただ一人きりの「キース」のライバル、国家主席の座を争う相手。
 きっと手応えがあっただろうし、いい人生になっていた筈。
 無味乾燥な「今」と違って、「ライバルのシロエ」がいたならば。
(…普段は互いに、憎まれ口を叩き合っていても…)
 ふとしたはずみに、意気投合することもあったのだろう。
 シロエがしていた「体制批判」は、まるで頷けないこともないから。
 「確かにそうだ」と思わされる面も、あの頃から「キース」の内に存在していたから。
(……シロエ……)
 お前が私の「糧」でなければ、と、ただ、悔しい。
 「一方的に選び出されて」殺されはせずに、生きていてくれたなら。
 ミュウであることを上手く隠して、ライバルになっていてくれたなら、と。
(…そうすれば、もっと…)
 私の人生も違ったものに、と思うけれども、もういない「シロエ」。
 彼一人だけが、「本物」の才能を持っていたのに。
 「キース」の能力に匹敵する力は、彼しか秘めていなかったのに。
(…そして、お前はミュウなのだから…)
 私よりも「向いていた」のかもな、と冷めてしまったコーヒーを喉へと流し込んだ。
 歴史がミュウに味方している、「今」だから。
 「ミュウ因子を持ったシロエ」がトップの地位にいたなら、処し方があったかもしれない。
 人類が無駄な犠牲を払わず、生き延びる道が。
 ミュウとの共存は不可能としても、「キース」には思いもよらない「何か」。
 それを「シロエ」なら打ち得ただろう、と分かるからこそ、悲しくて、惜しい。
 「シロエ」が宇宙の何処を探しても、見付かるわけがないことが。
 自分がこの手で、殺したことが。
 「シロエ」が今も生きていたなら、全ては違っていただろうから。
 人類には希望があっただろうし、「キース」がトップに立っていようと、その点は同じ。
 ライバルとして競い合えるシロエは、「良き友」でもあった筈だから。
 的確な助言をすることが出来る、優秀な人物だったろうから…。



            競えただろう者・了


※アニテラも原作も、ライバル皆無で優秀なキース。けれどシロエなら、ライバルになれた筈。
 もしもシロエが、キースのために選ばれた「糧」でなければ、全ては違っていたかも…。









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