「やあ、サム。具合はどうだ? こうして君と会うのは何年ぶりかな」
…もう十二年になるか、とキースが語りかけた友。
今は病床にあるサム・ヒューストン。教育ステーションで出来た友人。
あの頃は、いつも一緒だった。
十二年ぶりに顔を合わせても、「ああ、サムだ」と直ぐに思えたほどに。
けれども、サムは…。
「覚えているか、私のこと。…キース・アニアンだ」
そう名乗ったのに、何も返らなかった反応。
サムはこちらを見もしなかった。
白いベッドに座ったままで、病院のものだろうパジャマのままで。
機嫌よく歌を口ずさみながら、子供用のパズルを弄りながら。
(……地球……)
サムが歌っている、「地球」と何度も繰り返す歌を。
共にステーションにいた頃、いつかはと皆が夢を見ていた星の名前を。
未だ、自分も目にしてはいない。
メンバーズ・エリートに選ばれた今も、地球は未だに見られないまま。
サムはもう、行けはしない地球。
事故で失くしてしまった記憶。壊れてしまった、大人の心。
幼い子供に戻ったサムは、もう二度と地球を目指せはしない。
それは分かっていた筈なのに。
病室に来る前に聞いた説明、残酷に過ぎる真実を医師に告げられたのに。
(…サム…)
本当に分かっていないのだろうか、サムには何も。
訊いてみたなら、何か答えが返りそうなサム。
今はこちらを見ていないだけ。
サムと視線を合わせたならば、瞳を覗いて尋ねたならば。
ジルベスターへ旅に出ると話しても、まるで反応が無かったサム。
其処で事故に遭い、今は病室にいるというのに。
「サム、ジルベスターで何があった?」
…君は辺境星区の輸送船に乗っていたんだ、とサムの頬に触れ、瞳を覗き込んでみた。
何か記憶が戻って来るかと。
なのに微笑み、「おじちゃん、誰?」と訊き返したサム。
彼の中には、もはや自分はいなかった。
かつて「友達」と呼んでくれたサムは、「友達」のキースを忘れていた。
サムの瞳に映る自分は、「知らないおじちゃん」。
あまりにも悲しすぎた再会。
十二年ぶりに会えた友。こういう姿になってしまうなど、誰が想像しただろう。
ステーションを卒業する時、「また何処かで」とサムと別れた。
メンバーズの道を進む自分と、パイロットの道をゆくサムと。
互いの道は分かれたけれども、いつか会える日が来るのだろうと。
きっと互いに顔を見るなり、気付いて名前を呼び合うだろうと。
(……サム……!)
メンバーズとして、常に殺して来た感情。
冷徹な破壊兵器と呼ばれたくらいに、誰にも見せない自分の心。
それが波立つ、激しい怒りに。
抑え切れない、深く悲しい憤りに。
気付けば、サムの肩を掴んで揺さぶっていた。
「しっかりしろ、サム! 思い出せ、なんでもいい!」
覚えていることを全部話せ、と感情のままに揺さぶった肩。
サムの手を離れて転がったパズル、サムの心はパズルへと向いた。
自分を押しのけ、「あっ、駄目、逃げちゃ!」と。
床にしゃがんでパズルを掴むと、「捕まえた…」とホッとした笑顔。
そのまま二人で床に座って、サムの話を聞き続けた。
子供に戻ったサムにとっては、此処はアタラクシアなのだろう。
サムの故郷のアタラクシア。
嬉しそうにサムが話し続けるのは、両親や学校、幼馴染といった故郷のことばかり。
マザーが消した記憶が戻って、それよりも後の全てが消えた。
サムの中から、一つ残らず。
友達だった自分の顔すら、サムは覚えていてくれなかった。
「バイバイ、またねー!」と手を振ったサム。
ベッドに座って、明るい笑顔で。
多分、自分はサムに懐かれたのだろう。
友達だったからではなくて、サムの話を一つずつ聞いては、頷いたから。
医師や看護師たちとは違って、同じ視点に立っていたから。
(……サム……)
友の変わりように、ざわめく心。
湧き上がってくる怒りの感情。
顔に出さないように抑えて、出て来た病棟。
其処にいたスウェナ、聞かされた思いがけない名前。
(…セキ・レイ・シロエ…)
彼の名前も十二年ぶりになるのだろうか。
シロエが乗った練習艇。それをこの手で撃ち落としてから。
(…私宛のメッセージがあっただと…?)
まさか、そんなことがある筈もない。
あの状態でシロエが自分に、何かを遺せた筈もない。
だから、スウェナが言っていたことはハッタリだろう。
メッセージではなくて、せいぜい、遺品。
「ピーターパン」とスウェナは口にしたから、シロエの本でも見付かったのか。
遠い日に「これを」と、警備員たちに渡した本。
匿っていた部屋から、運び去られてゆくシロエ。彼に持たせてやって欲しい、と。
(…爆発の中で、あの本が…?)
残るとも思えないのだけれども、そのくらいしか思い付かない。
シロエの遺品で、ピーターパンなら。
今日は思い出ばかりの日だな、と零れた溜息。
友達だったサムはいなくなってしまい、シロエも時の彼方に消えた。
どちらにも、多分…。
(…ジョミー・マーキス・シン…)
彼が関わっているのだろう。
シロエが練習艇で逃亡した日も、彼のメッセージを聞いた。
サムはM絡みの事故で全てを失くした、これから向かうジルベスターで。
もはや憎しみしか感じないM。
ミュウの長、ジョミー・マーキス・シン。
(それがサムの幼馴染だとは…)
なんという酷い冗談だろうか、こんな話があっていいのか。
けれども、動かし難い現実。
シロエはともかく、サムの心を壊したのはM。
サムが懐かしそうに話した、幼馴染がサムを壊した。
ただ一人、友と思ったサムを。
いつか会えたらと、「また何処かで」と、十二年前に別れたサムを。
(…サムが私を忘れていても…)
やはり今でも、友だと思う。
そうでなければ、あんなサムの側で話を聞いてはいないから。
任務があると、直ぐに立ち去っていただろうから。
(…サムは一緒に来てくれたんだ…)
今も忘れない、ステーションで起こった宇宙船の事故。
サムだけがついて来てくれた。
あの時、サムがいなかったならば、自分は此処にいられなかった。
パージの時にぶつけた衝撃、それで壊れてしまったバーニア。
宇宙の藻屑になる所だった、サムが助けに来なかったなら。
(…サムだけが…)
ついて来てくれて、それからもずっと友達だった。
一緒の食事や、他愛ない話。
サムがいたから、きっと人らしく、自分は生きていられたのだろう。
ステーションで過ごした四年間を。
その友を、Mが壊してくれた。友の心を、サムの全てを。
(…Mの拠点へ、礼に行くなら…)
もしも相棒を選んでいいなら、パイロットにサムを選びたかった。
今となっては選べないけれど、サムはもう船を操ることなど出来ないけれど。
そう、相棒を一人選んでいいなら、迷わずにサムを選んだだろう。
Mの拠点へ出掛けるにしても、他の任務に就くのだとしても。
自分が此処に生きていられるのは、サムが一緒に来てくれたから。
危うく宇宙に消える所を、サムが救ってくれたから。
そのサムと共に旅に出ようか、ジルベスターへ。
これからはサムと生きてゆこうか、Mとの戦いが始まるとしても。
(…サムだけが友達だったんだ…)
他には誰もいなかった。
心から友と呼べる者など、ただの一人も。
サムは壊れてしまったけれども、友達だから。
選んでいいなら相棒にしたい、ただ一人だけの友達だから。
そうして、耳に留めつけたピアス。
サムの血を固めた、赤いピアスを両耳に。
(…行こうか、サム。…ジルベスターへ)
「おう!」と声が聞こえた気がした、耳に馴染んだ懐かしい声が。
病院で会ったサムがそのまま、立派な大人に戻った声が。
何処までもサムと共にゆこうか、Mの拠点へ、そのまた先へ。
いつかは共にパルテノンへも、サムが歌った遠い地球へも。
選びたいのは、サムだけだから。
相棒に一人選んでいいなら、迷わずにサムを選ぶのだから…。
友の血と共に・了
※キースのピアスまで考察しちゃってどうするんだよ、と自分にツッコミ。
書きたくなったら何でも書くけど、テメエ、専門はMの元長だったろうが、と!
「キース、キース! なあ、一緒に飯食おうぜ!」
「…かまわないが」
「よーし!」
パチンと指を鳴らしたサム。
エスカレーターを今にも駆け下りそうなほどに、嬉しそうな顔で。
(…食事を一緒に食べるだけで…)
どうしてそんなに喜ぶのだろう、とキースは不思議に思ったけれど。
サムとは付き合いがあるものだから。
新入生ガイダンスの日に握手を交わして以来の仲だし、そういうこともあるだろう。
講義の時には、サムが隣に座っている日も多いから。
多分、一緒に食事をするのも、そうした日々の延長の一つ。
握手を交わして自己紹介をしたら、知り合いになって、講義の時にも隣り合わせで。
次の段階に進んだ時には、「一緒に食事」となるのだろう。
ステーションでは、自然に生まれるグループの一つ。
一人の食事から二人の食事に、そうやってテーブルの人数も増えてゆくのだろう。
こうしてグループが生まれるのだな、と漠然と考えただけなのに。
一緒のテーブルに座ったサムは、本当に楽しそうだった。
(栄養補給に過ぎないんだが…)
必要なエネルギーを身体の中に取り込む行為、食事はそうではなかったのか。
身体や頭脳を養うためには、欠かせないものが栄養補給。
すなわち食事。
いつもそう考えて食べていたのに、しっかりと噛んで食べているのに。
向かい側で大きく口を開けているサムにかかれば、食事はまるで娯楽のよう。
この時間をとても楽しんでいるといった風情で、幸せそうで。
(…何がそんなに嬉しいんだろう…?)
分からないな、と眺めていたら、サムの視線が他所へと向いた。
口一杯になるほど頬張ったステーキ、それをモグモグ噛みながら。
何かを探しているかのように、テーブルから逸れてしまった視線。
そうやってサムが見ている先には…。
(また、人混み…)
これも不思議なことだった。
今までに何度か目にした光景。
時々、何かを探しているかのように見えるサム。
これは訊いても特に問題無いだろう、と判断したから、問い掛けてみた。
「何を探しているんだ、サム?」と。
返った答えは、「友達がいないかと思ってさ」だった。
「…友達?」
耳に馴染みが無い言葉。
オウム返しに問い返したら、サムが話してくれた「友達」。
アタラクシアで一緒だったという友達。サムの故郷のアタラクシア。
そして訊かれた、今度は逆に。
「お前も、此処に来る前の友達のことって、気になるだろ?」と。
(……友達……?)
確か、親しい仲間のことをそう呼ぶのだったか、「友達」と。
けれども、思い出せない「友達」。
ただの一人も、顔の一つも。
成人検査の前の出来事は、何も覚えていないから。
記憶の欠片もありはしないから。
だからサムにもそう告げた。
「覚えていない」と、何の感慨も無く。
実際、今日まで不自由したりはしなかったから。
淡々と告げただけだというのに、「そうなのか…」と口ごもったサム。
その表情が曇っているから、自分は何か間違ったのかと、「友達」について尋ねてみた。
自分にとっては些細なことでも、「友達」はとても、大事なものかもしれないから。
「友達とは、そんなに重要なものなのか?」と。
「い、いや…。どう…かなあ…?」
そう言いながらも、人のいいサムは「友達」の話を続けてくれた。
「俺の考えなんだけどさ」と、「お前みたいに頭が良くはねえんだけどな」と断りながら。
「なんて言うかさ…。重要って言うより、大切って感じになってくるかな、友達ってのは」
「…大切…? それは重要という意味ではないのか?」
言い回しを変えただけなのでは、と考えたけれど、サムは「うーん…」と首を捻った。
「ちょっとニュアンス、違うんだよなあ…。上手く言えねえけど…」
「大切」の方が温かみがあると思うんだよな、と自分のカップをつついたサム。
「重要」だと機密事項か何かのようだと、何処か響きが冷たいんだ、と。
「…そういうものか…。よく分からないが」
大切なものが「友達」なのか、と頷いていたら、サムは「理屈じゃねえぜ」と笑い出した。
「キース、お前って、面白すぎ…! 友達っていうのは、難しいモンじゃねえんだぜ?」
勉強して分かるモンじゃねえから、と可笑しそうなサム。
どちらかと言えば勉強の逆で、サボッて遊んだ方が「友達」は増えるものだから、と。
「…サボるのか…? それは非効率的な気がするが…」
「お前、最高! …お前がサボるって、それは無理だろ?」
それに友達、出来てるじゃねえか、とサムが指差した自分の顔。
此処に友達、と。
「……サムが友達……?」
「俺はそのつもりだったんだけどなあ…。迷惑だったか?」
「…いや、かまわないが」
さっきも言ったような気がするな、と思った言葉。
サムは破顔して、「それじゃ、俺たち、友達だぜ」と手を差し出して来た。
「今日からよろしく」と、「元から友達だったけどな」と。
「あ、ああ…。…よろしく頼む。そうか、サムが友達だったのか…」
握手した手は、温かかった。
初めての「友達」と交わした握手は。
サムが口にした「大切」という言葉はこれだったのか、と思った「友達」。
確かに冷たいものではないな、と。
(…サムが友達…)
少し分かったような気がする、「友達」は大切なものなのだと。
故郷の友達は一人も覚えていないけれども、サムという友達が自分にも出来た。
「重要」とは違って、「大切」なもの。
きっと「友達」は、人に欠かせないものなのだろう。
握手した手は、とても温かかったから。
サムと一緒に食べた食事が、美味しかったと思えて来たから。
楽しそうに食事していたサム。
あの表情の元はこれだったのかと、友達と一緒の食事だったから、そうなったのかと。
(…これが友達……)
明日は自分から誘ってみようか、「一緒に食事しないか?」と。
自分にも「友達」が出来たから。
サムの姿を先に見付けたら、友達のサムを見掛けたならば…。
初めての友人・了
※キースとサムの出会いは、マザー・イライザの計算だったという話らしいですけど。
実際、監視していましたけど、この二人の友情は本物だよな、と書いてみた話。
「セキ・レイ・シロエ。…どうしましたか?」
また脳波が乱れているようですね、と浮かんだマザー・イライザの影。
シロエが座っている机の向こう、見慣れてしまったその姿。
明かりを落として、考え事をしていた最中。
ピーターパンの本を開いて、失くした記憶が戻って来ないか、そういう戦い。
これは違うと、これも違うと、偽の記憶を選り分けながら。
成人検査で機械が無理やり押し込んだそれを、一つ、二つと。
なのに、無常に響いた音。
マザー・イライザからのコンタクト。
嫌でもログインするしかなかった、此処ではそういう決まりだから。
一言も言葉を交わしはしないで、放っておくことは不可能だから。
(…マザー・イライザ…)
呼んだつもりは無かったのに。
出て来て欲しくなど無かったのに。
(ぼくは、お前を呼んでなんか…!)
けして呼んではいないというのに、なんという機械なのだろう。
何処までしつこく付き纏うのか、このステーションのコンピューターは。
「…シロエ?」
どうしたのですか、と優しい声音のマザー・イライザ。
猫撫で声にしか聞こえないけれど。
聞くだけで苛立つ声だけれども。
その上、見たくない姿。
どうしてこういうシステムなのか、マザー・イライザというものは。
この忌々しい、呪わしい機械は。
やっとのことで切った通信、「レポートの続きがありますから」と。
まるで嘘ではなかったレポート、ただし勉強とは無関係。
一心不乱に取り組む相手は、マザー・イライザに乱された心。
乱されたけども、好機とも言えた今の通信。
レポートの下書きをするための用紙、それを机の上に広げた。
罫線は無視して、鉛筆で線を描いてゆく。
文字を綴ってゆくのではなくて、設計図というわけでもなくて。
(…こんな感じで…)
美術の授業などは無いのだけれども、シロエが始めたことはデッサン。
機械いじりを得意とするから、この手の作業も苦手ではない。
大まかな線をグイグイと描いて、「こんなものかな」と大きく頷く。
(…忘れない内に…)
今日は確かにこう見えたから、と次は細部を埋めてゆく作業。
それがレポート、既に脳波は乱れてもいないことだろう。
なにしろ、集中しているのだから。
チャンスは自分で掴むというのが、エリート候補生の鉄則なのだから。
懸命に描いて、描き続けて。
(出来た…!)
描き上がったものを誰に見せても、「これ、誰だよ?」と訊かれるだろう。
そうでなければ、「シロエのママなの?」と。
(…マザー・イライザ…)
あの憎らしいコンピューターの、たった一つの利点はこれ。
身近な女性の姿を映して現れること、それだけは評価してもいい。
(物凄く腹は立つんだけれどね…)
エネルゲイアに今もいるだろう、優しかった母。
その母の姿を真似ないで欲しい、機械のくせに。
一滴の血さえも流れてはいない、ただの巨大なコンピューターのくせに。
けれど、マザー・イライザはそういう機械。
そういうシステム、誰もがそれを喜ぶらしい。
親しみを覚える姿だから。
母や、想いを寄せる女性の姿で前に現れてくれるから。
大切な母を真似る機械は、壊してやりたいくらいだけれど。
それを逆手に取ることも覚えた、こういう風に。
マザー・イライザの姿を見た日は、母を真似ていた機械を描く。
机にレポート用紙を広げて、今日の姿はこうだった、と。
(…ママの姿は、もう少し…)
どうだったろうか、直したいのに思い出せない母の顔。
マザー・イライザを描き留めた絵から、母の肖像画を描きたいのに。
これが母だと、ぼくのママだと、心が叫び出すような絵を。
会心の作の母の絵を描き、大切に飾っておきたいのに。
(…何処が似ていないのか、分からないよ…)
ママ、とポタリと零れた涙。
皆の前では「母さん」と呼ぶのが、いつしか普通になっていた母。
けれども、心で呼ぶ時は「ママ」。
本当に会いたい母は今でも、ママと呼ぶのが相応しいから。
どんな時でも、温かくて優しかった母。
柔らかい手をしていた母。
いつか必ず描き上げてみせる、母の姿を写した絵を。
これが母だと、ぼくのママだと、誰もに見せたくなるような絵を。
きっといつかはそれを描きたい、懐かしい母がどんなだったか、いつまでも覚えていたいから。
きっと描くんだ、と心に誓う。
忌まわしいマザー・イライザを元に、今も会いたくてたまらない母を…。
母の似姿・了
※マザー・イライザは、シロエにはこう見えるんだよな、と考えたまではいいんですけど。
思い切りマザコンになっていたオチ、どちら様にもゴメンナサイです…。
「バースデープレゼントだ。やるよ」
お前、凄く欲しがってただろ。俺の名前、入ってるけど…。
そう言ってサムが渡してくれたプレゼント。
ドリームワールドの百周年記念パス。
「俺たち、ずっと友達だぜ」と、「大人になって、また会えるといいな」と。
(ずっと友達…)
それが本当ならいいんだけど、とジョミーがついた大きな溜息。
帰り着いた家で、自分の部屋で。
明日の今頃には、もういない部屋。二度と戻って来られない部屋。
「成人検査でいい結果が出ることを祈っているわ」と、スウェナが贈ってくれたキス。
「グッドラック」と。
そしてサムからは、ずっと欲しかったドリームワールドの百周年記念パス。
(…二人とも、きっと正しい筈で…)
何も間違ってはいないと思う。
明日は目覚めの日で、十四歳の誕生日。
その日になったら、大人の世界へ向けて旅立つと教えられた日。
いつも通った学校の教室、一人、二人と減っていった生徒。
持ち主が消えてしまった机。
誰もおかしいと思いはしなくて、それが普通だと思っていて。
(…自分の番が来るのを、待ってる奴だって…)
珍しくないし、サムもスウェナも、多分、待ち侘びているのだろう。
彼らの机が空になる日を、目覚めの日が彼らに訪れるのを。
(グッドラックって言われても…)
どう幸運を祈ると言うのか、明日になったら戻れないのに。
今日まで両親と暮らして来た家、自分のものだと信じていた部屋。
どちらにも、もう戻れはしない。
考えるほどに寂しいばかりで、不幸だとしか思えない明日と、明日行われる成人検査と。
(…今朝はこんなじゃなかったのに…)
ここまで酷くはなかったと思う、父の言葉が嬉しかったから。
早めに帰るよ、と笑顔で仕事に出掛けた父。
「目覚めの日の前祝いだ」と、「みんなでパーティーでもしよう」と。
あの時は本当に嬉しかったから、「やった!」と叫んでしまったけれど。
心が躍っていたのだけれども、そのパーティー。
(…お別れパーティー…)
そうなるのだった、考えてみれば。
両親と一緒の最後のパーティー、次にパーティーがあるとしたなら…。
(…何処になるわけ?)
それすらも分からないのが今。
きっと誰にも答えられない、次のパーティーの場所などは。
サムには「性格に問題ありすぎ」と笑われてしまった、メンバーズ。
それを目指してエリートコースに進んで行くなら、次のパーティーはそういう所。
両親のような一般人になるのだったら、そうしたコースの何処かでパーティー。
他にもコースはあると聞いたし、もう本当に分からない。
明日の今頃、自分が何処にいるのかは。
次のパーティーに出るとしたなら、その場所が何処になるのかは。
(…こんなので、ずっと友達だなんて…)
サムの顔には「約束だぜ」と書いてあったのだけれど。
本当にそうだと信じているから、プレゼントを渡してくれたのだけれど。
(…これだって…)
あの時は嬉しかったけれども、今、眺めたら不安でしかない。
ブレスレットの形をしている、ずっと欲しかった記念パス。
サムの名前が入ったそれ。
(…これだと、腕に嵌められるから…)
成人検査の時も着けて行けるし、そのまま持って旅立って行ける。大人の世界へ。
もう間違いなく、そこまできちんと考えてくれてのプレゼント。
目覚めの日には、荷物を持っては出られないから。
そういう決まりになっているから。
(…他のものは全部…)
駄目なんだった、と見回した部屋に、幾つも思い出。
家族写真のフォトフレームやら、本やら、壁に飾ったポスター。
アルバムだって持って行けない、この部屋に置いて出掛けるしかない。
(また見たいって気分になっても…)
家に戻って見られはしないし、全てに別れを告げるしかなくて。
そんな状況に追い込まれる日に、どうして「グッドラック」なのか。
前祝いに「お別れパーティー」なのか。
(大人になっても、ずっと友達…)
サムの言葉が本当だったら、両親もずっと両親だろうと思うのに。
どうやらそれは違うらしくて、明日でお別れらしいから。
なんとも不安で、寂しくて。
考えるほどに怖くなるから、明日など要らない気持ちさえする。
朝は「やった!」と叫んでしまった、パーティーさえも。
お別れパーティーになるくらいならば、パーティーなどは無くていいから。
普段通りの食事でいいから…。
(時間、止まってくれないかな…)
明日の誕生日は来ないままで。
いつまでも今日を繰り返せたらいい、平凡な日でかまわないから。
パーティーも、あんなに欲しいと思った百周年記念パスも要らないから。
(明日の誕生日…)
消えてなくなれ、と呪文を唱えたい気分。
それで誕生日が消えるなら。明日という日が来なくなるなら。
明日なんか、消えてしまえばいい。
誕生日なんか、来なくてもいい。
(大人になっても、ずっとパパとママの子供でいられないなら…)
そんな日なんか、消えてなくなってしまえばいい。
ずっと今日だけを繰り返せばいい、時間が止まってしまえばいい。
パーティーなんか、要らないから。
御馳走も、ドリームワールドの百周年記念パスも、何も欲しいと思わないから…。
要らない誕生日・了
※「成人検査の日に荷物は駄目」が基本設定になっちまった、と自分に溜息。
ジョミーとシロエは対らしいんですよね、アニテラが作られるよりもずっと前から…!
「スウェナが決めたことだ。仕方ない」
その言葉の何処が悪かったのか。
「あなたには分かってなんか貰えないわよね」
スウェナは言うなり去ってしまって、サムも肩まで震わせて怒った。
「他に言い方あるだろう」と。
「仕方がないって…。仕方がないって、何なんだよ!」と。
(スウェナの気持ち…?)
お前には分かんねえのかよ、と言い捨てて走り去ったサム。
まるで分からない、自分の何処が悪かったのか。
何処がいけなかったというのか、自分の、キース・アニアンの…?
どうして、と一人ポツンと残されたテーブル。
いつも三人でやってきた、というサムの言葉は分かるけれども。
こうして一人で残されてみたら、三人と一人が違うことくらいは分かるけれども。
(…何を分かれと…?)
本当にまるで分からない、と一人考え込むしかなかった。
スウェナの気持ちとは、何のことだろう?
他の言い方とは何のことだろう、自分は何を間違えたのか。
いったい何が悪かったのか…。
「ふられましたね、キース先輩。…聞こえてましたよ」
そこ、空いてますか、と現れたシロエ。
どういう風の吹き回しなのか、手にしたトレイに二つのカップ。
「キース先輩はコーヒーですよね?」と目の前に一つ、コトリと置かれた。
さっきまでスウェナが座っていた場所、其処には別のカップが一つ。
そしてストンと腰掛けたシロエ、「これ、ぼくのお気に入りなんです」と。
(…シナモンミルク…?)
そういう好みだったのか、とシロエのカップを眺めていたら。
「あなたには分からないんでしょうね、この意味だって」
謎かけのようにシロエが口にした言葉。
またも耳にした「分からない」という響きの声。
自分は何を分かっていないと、サムは、スウェナは言ったのだろうか。
シロエも同じに言うのだろうか、「分からないんでしょうね」と。
今日の自分はどうかしている、思考が上手くいかないらしい。
昨夜、眠りが浅かったろうか?
そのくらいのことしか思い付かない、頭が働かない理由としては。
「ふうん…? あなたらしくもないですね」
だんまりなんて、と唇を笑みの形に歪めたシロエ。
「やっぱり、あなたは分かっていない」と。
「…何が分かっていないと言うんだ?」
何故だか、自然と口にしていた。
下級生のシロエに分かるわけがない、とは何故か少しも思わなかった。
「そうですね…。例えば、ぼくのカップの中身」
「シナモンミルクがどうかしたのか?」
「ほらね、分かっていないんですよ。…お気に入りだと言いましたよね、ぼくは?」
お気に入りの意味も分かっていない、とシロエは笑った。
さも可笑しそうに。
(お気に入りだと…?)
そのくらいは分かる、「お気に入り」の意味は。
気に入っていると、好物なのだと分からないほどに、馬鹿でも無知でもないのだから。
「いや、分かるが…。好きなのだろう、それが?」
その飲み物が、と至極真面目に答えたのだけれど。
シロエはますます笑うだけだった、面白い見世物を見たかのように。
「機械の申し子でも分からないことがあるんですね」と、前に聞いた言葉を繰り返して。
「いえ、機械の申し子だからこそ、分からないのかな…。これも前にも言いましたっけ」
他に適切な言い回しが無いものですから、と皮肉に満ちたシロエの声音。
「これでも頭はいいんですけど、言葉の数にも限りがあって」と。
「…キース先輩、あなたは分かっていないんですよ。簡単なことが」
お気に入りだとか、好きだとか。
そういう言葉に詰まった感情、あなたはそれを読み取れない。
読み解く力を持っていないと言えばいいかな、ぼくには出来るんですけどね…?
分かりませんか、とシナモンミルクを口に運ぶシロエ。
「これね、ただのシナモンミルクじゃないんです。…マヌカが多めなんですよ」
「…マヌカ・ハニーが好きなのか」
なるほど、と理解したのだけれども、シロエはクッと喉を鳴らした。
「流石ですね、知識はありますか…。でも、そこまでしか分からないでしょう?」
あなたに出来るのは其処までですよ、とシロエが傾けているカップ。
(…何が分からないと…?)
自分は正しく理解し、答えたと思う。
シロエが蜂蜜を好むらしいことを、それもマヌカの蜂蜜らしい、と。
なのにシロエは、「あなたには分からない」と挑戦的な瞳を向けてくる。
シナモンミルクが入ったカップを傾けながら。
本当に何が分かっていないのだろうか、考えるほどに解けないパズル。
踏み込んでしまった思考の迷宮、「分からない」という言葉が分からない。
いったい自分はどうしたのだろう、何にでも答えはあるものなのに。
どんな時でも正しく思考し、正しい答えを弾き出すのに。
それじゃ、とシロエが立ち上がる時に、ニッと笑って投げ掛けた言葉。
「キース先輩、あなたには欠けているんですよ」
誰にでもある筈の感情が…、ね。
やっぱり機械の申し子だからかな、あなたの心は機械仕掛けになってるのかな…?
(…欠けているだと…?)
何が、と見詰めた自分の両手。
完璧な筈の自分に何が欠けているのか、感情だってあるというのに。
こうして途惑い、シロエが残した言葉に波立つ心は、確かに自分のものなのに。
いったい何が欠けているのか、そう言われても分からない。
(…まただ…)
また「分からない」という言葉に出会った、あの迷宮に閉じ込められた。
謎かけのような言葉のパズルに、自分には解けないパズルの檻に。
(…欠けているから分からない…?)
シロエの言葉がぐるぐると回る、自分の部屋に帰った後も。
ベッドに横になった後にも、絡んだままで縺れたパズル。
「分からない」という言葉の迷宮、どうすればこれが解けるのか。
(…いったい何が…)
欠けているのか、そのせいで分からないのだろうか。
明日になったら解けるのだろうか、一晩眠って、思考がクリアになったなら…。
「…前日の記憶消去、四十パーセントまで完了」
この作業だけは何度やっても嫌なもんだな、と愚痴を零し合う職員たち。
モニターに映し出された人影の中に、眠るキースと、シロエの姿と。
指示を下したマザー・イライザ、機械の思考はいつも正しい。
(…今日のは少し早すぎました。忘れなさい、キース…)
次の機会があるでしょうから、とマザー・イライザは優しく微笑む。
「あなたの心は、私が正しく導きましょう」と。
シロエと話したことは全て忘れておしまいなさいと、シロエの記憶も消しましたから、と…。
早すぎた語らい・了
※やっちまった感が半端ないな、と思ってしまう記憶処理ネタ。本当にあったかもですが。
「マヌカの呪文」を読んで下さった方には、シロエの嫌味が美味しいかも…?