(…シロエ。いったい誰に…何をされた?)
覗き込んだベッドの上。苦痛のためか、汗の浮かんだシロエの顔。
灯りが落とされたステーションの中庭、自分を呼び止めたのはシロエだけれど。
「とうとう見付けましたよ、キース。…あなたの秘密をね」と。
けれど、意識を失ったシロエ。
続きを口にする前に。
それにシロエが座っていた場所、外された通風孔の蓋。
シロエは其処から出て来たのだろう、誰かに追われて。
このステーションで追われることがあるなら、追っている者は…。
(…マザー・イライザ…)
他には誰も思い付かない。マザー・イライザしかいない。
だからシロエを連れて戻った。自分の部屋に。
シロエが口にした「あなたの秘密」も、気掛かりでならないことだけれども。
それよりも気に懸かるシロエのこと。
いったい誰に何をされたか、どうして追われることになったか。
(…マザー・イライザに…)
逆らいすぎただろうか、シロエは。
優等生のくせに、システムに対して反抗的。要注意人物の指示さえ出ていたシロエ。
彼ならば何かやるかもしれない、マザー・イライザの不興を買いそうなことを。
こうして追われることになろうとも、自らの意志を貫き通して。
(…目を覚まさない内は、何も分からないか…)
少しでも身体が楽になるよう、注射と、額に冷却シート。
後は目覚めを待つよりは無い。
シロエの意識が戻って来るまで。
そうしてベッドの脇に座って、ふと目を留めたシロエの枕元。
何の気なしに置いてやった本、シロエがしっかりと抱えていた本。
(…ピーターパン…?)
そんなに大事な本なのだろうか、ずいぶんと古いこの本が。
作られてから何年経っているのか、何度も繰り返し読まれたらしい古び方。
いつから持っていたのだろうか、と眺めたけれど。
(…馬鹿な…!)
有り得ない、と見詰めたシロエの持ち物。
自分は覚えていないけれども、成人検査を受ける時には、荷物を持ってはいけない決まり。
身に着けていた服や小物などなら、そのまま通過出来るのだけれど…。
(こんな本だと…)
成人検査を通過出来るとも思えない。
それともシロエは懸命に抱え、手放すまいとしたのだろうか。
彼を此処まで連れてくる時、意識は無くとも、本を抱えたままだったように。
(…まさか…)
本当にそうやって持って来たのか、と手に取った本。
ステーションでこれほどの時を経て来た本だというなら、ライブラリーの蔵書だから。
背表紙にそれを示す印が刻み込まれている筈だから。
(……無い……?)
其処に見慣れた印は無かった。
ライブラリーの本の現在位置をも知らせる筈の、その刻印は。
(…やはり、シロエの…)
本だったのか、と驚いたそれ。
興味が出て来た、古びた本。
どうしてシロエは今も大切に持っているのか、ステーションまで持って来たのか。
どういう中身の本なのだろうか、ピーターパンは。
(…だが、シロエのだ…)
これは読むまい、と枕元へと戻してやった。
シロエが大切にしている本なら、勝手に中を見てはいけない。
幼い頃から持っていたなら、なおのこと。
中を見ずとも、答えは得られる。
ライブラリーのデータベースにアクセスしたなら、恐らくはきっと。
(…マザー・イライザに気付かれないよう…)
注意せねば、と心を落ち着け、呼び出した画面。
「ピーターパン」とタイトルを打ち込み、出て来たデータを読み進めたら…。
(…子供たちだけの世界で生きる少年…)
永遠に年を取らない少年、それがピーターパンだった。
なんと危険な本なのだろうか、この社会では大人になることを拒めはしない。
そういう意思を表示したなら危険思想で、心理検査も免れないのではなかったか。
(……要注意人物……)
それでは、シロエはこの本のために、禁を犯して追われたろうか。
大人にならない永遠の少年、ピーターパンのように生きていたいと願ったろうか。
シロエがその目を覚まさない内は、その胸の中は分からないけれど。
心の中まで覗き見ることは、人間の身では出来ないけれど。
(…マザー・イライザなら…)
人の心を覗けるのだった、だからシロエも見付かったろうか。
ピーターパンのように生きてゆこうと、逆らい続けて、何かをして。
「見付けましたよ」と言った秘密とやらを、ステーションの何処かで掘り起こして。
そして追われて、それでも離さなかった本。
幼い頃から大切に持って、成人検査も本を持ったままくぐり抜けて来て、そして今まで。
何があろうとも離すものかと、懸命に本を抱え続けて。
(…そんなに大切な本だったのか…)
開いて読まなくて良かったと思う、あの本はシロエの宝物だから。
もしかしたら命さえも投げ出すくらいに、あの本と共にとシロエは願っているだろうから。
(……シロエが起きたら……)
訊いてみようか、「その本はとても面白いのか?」と。
シロエが暴いた秘密とやらも気になるけれども、それよりも、本。
やっとシロエの心の欠片を掴んだように思えるから。
システムに逆らい続ける理由を、垣間見たような気がするから。
…訊いてみようか、シロエの意識が戻ったならば。
彼に話す気があったとしたら。
「その本はずっと持っているのか?」と、「いつから持っていたんだ?」と。
自分の秘密も気になるけれども、シロエの心も気に懸かるから。
機械を、システムを憎み続けるシロエの心。
それが何故なのか、訊きたいから。
システムへの疑問は自分も同じに持っているから、それをシロエと話してみたい。
「その本はとても面白いのか?」と、「危険思想に見える本だが、楽しいのか?」と。
シロエの意識が戻ったら。
彼が自分と話してもいいと、そう考えてくれるのならば…。
訊いてみたい本・了
※ピーターパンの本、キースが渡した筈なんですよね、逮捕しに来た警備員たちに。
大切な本だと気付いたからこそだよな、と考えていたら、こんな結果に…。
「やあ、サム。具合はどうだ? こうして君と会うのは何年ぶりかな」
…もう十二年になるか、とキースが語りかけた友。
今は病床にあるサム・ヒューストン。教育ステーションで出来た友人。
あの頃は、いつも一緒だった。
十二年ぶりに顔を合わせても、「ああ、サムだ」と直ぐに思えたほどに。
けれども、サムは…。
「覚えているか、私のこと。…キース・アニアンだ」
そう名乗ったのに、何も返らなかった反応。
サムはこちらを見もしなかった。
白いベッドに座ったままで、病院のものだろうパジャマのままで。
機嫌よく歌を口ずさみながら、子供用のパズルを弄りながら。
(……地球……)
サムが歌っている、「地球」と何度も繰り返す歌を。
共にステーションにいた頃、いつかはと皆が夢を見ていた星の名前を。
未だ、自分も目にしてはいない。
メンバーズ・エリートに選ばれた今も、地球は未だに見られないまま。
サムはもう、行けはしない地球。
事故で失くしてしまった記憶。壊れてしまった、大人の心。
幼い子供に戻ったサムは、もう二度と地球を目指せはしない。
それは分かっていた筈なのに。
病室に来る前に聞いた説明、残酷に過ぎる真実を医師に告げられたのに。
(…サム…)
本当に分かっていないのだろうか、サムには何も。
訊いてみたなら、何か答えが返りそうなサム。
今はこちらを見ていないだけ。
サムと視線を合わせたならば、瞳を覗いて尋ねたならば。
ジルベスターへ旅に出ると話しても、まるで反応が無かったサム。
其処で事故に遭い、今は病室にいるというのに。
「サム、ジルベスターで何があった?」
…君は辺境星区の輸送船に乗っていたんだ、とサムの頬に触れ、瞳を覗き込んでみた。
何か記憶が戻って来るかと。
なのに微笑み、「おじちゃん、誰?」と訊き返したサム。
彼の中には、もはや自分はいなかった。
かつて「友達」と呼んでくれたサムは、「友達」のキースを忘れていた。
サムの瞳に映る自分は、「知らないおじちゃん」。
あまりにも悲しすぎた再会。
十二年ぶりに会えた友。こういう姿になってしまうなど、誰が想像しただろう。
ステーションを卒業する時、「また何処かで」とサムと別れた。
メンバーズの道を進む自分と、パイロットの道をゆくサムと。
互いの道は分かれたけれども、いつか会える日が来るのだろうと。
きっと互いに顔を見るなり、気付いて名前を呼び合うだろうと。
(……サム……!)
メンバーズとして、常に殺して来た感情。
冷徹な破壊兵器と呼ばれたくらいに、誰にも見せない自分の心。
それが波立つ、激しい怒りに。
抑え切れない、深く悲しい憤りに。
気付けば、サムの肩を掴んで揺さぶっていた。
「しっかりしろ、サム! 思い出せ、なんでもいい!」
覚えていることを全部話せ、と感情のままに揺さぶった肩。
サムの手を離れて転がったパズル、サムの心はパズルへと向いた。
自分を押しのけ、「あっ、駄目、逃げちゃ!」と。
床にしゃがんでパズルを掴むと、「捕まえた…」とホッとした笑顔。
そのまま二人で床に座って、サムの話を聞き続けた。
子供に戻ったサムにとっては、此処はアタラクシアなのだろう。
サムの故郷のアタラクシア。
嬉しそうにサムが話し続けるのは、両親や学校、幼馴染といった故郷のことばかり。
マザーが消した記憶が戻って、それよりも後の全てが消えた。
サムの中から、一つ残らず。
友達だった自分の顔すら、サムは覚えていてくれなかった。
「バイバイ、またねー!」と手を振ったサム。
ベッドに座って、明るい笑顔で。
多分、自分はサムに懐かれたのだろう。
友達だったからではなくて、サムの話を一つずつ聞いては、頷いたから。
医師や看護師たちとは違って、同じ視点に立っていたから。
(……サム……)
友の変わりように、ざわめく心。
湧き上がってくる怒りの感情。
顔に出さないように抑えて、出て来た病棟。
其処にいたスウェナ、聞かされた思いがけない名前。
(…セキ・レイ・シロエ…)
彼の名前も十二年ぶりになるのだろうか。
シロエが乗った練習艇。それをこの手で撃ち落としてから。
(…私宛のメッセージがあっただと…?)
まさか、そんなことがある筈もない。
あの状態でシロエが自分に、何かを遺せた筈もない。
だから、スウェナが言っていたことはハッタリだろう。
メッセージではなくて、せいぜい、遺品。
「ピーターパン」とスウェナは口にしたから、シロエの本でも見付かったのか。
遠い日に「これを」と、警備員たちに渡した本。
匿っていた部屋から、運び去られてゆくシロエ。彼に持たせてやって欲しい、と。
(…爆発の中で、あの本が…?)
残るとも思えないのだけれども、そのくらいしか思い付かない。
シロエの遺品で、ピーターパンなら。
今日は思い出ばかりの日だな、と零れた溜息。
友達だったサムはいなくなってしまい、シロエも時の彼方に消えた。
どちらにも、多分…。
(…ジョミー・マーキス・シン…)
彼が関わっているのだろう。
シロエが練習艇で逃亡した日も、彼のメッセージを聞いた。
サムはM絡みの事故で全てを失くした、これから向かうジルベスターで。
もはや憎しみしか感じないM。
ミュウの長、ジョミー・マーキス・シン。
(それがサムの幼馴染だとは…)
なんという酷い冗談だろうか、こんな話があっていいのか。
けれども、動かし難い現実。
シロエはともかく、サムの心を壊したのはM。
サムが懐かしそうに話した、幼馴染がサムを壊した。
ただ一人、友と思ったサムを。
いつか会えたらと、「また何処かで」と、十二年前に別れたサムを。
(…サムが私を忘れていても…)
やはり今でも、友だと思う。
そうでなければ、あんなサムの側で話を聞いてはいないから。
任務があると、直ぐに立ち去っていただろうから。
(…サムは一緒に来てくれたんだ…)
今も忘れない、ステーションで起こった宇宙船の事故。
サムだけがついて来てくれた。
あの時、サムがいなかったならば、自分は此処にいられなかった。
パージの時にぶつけた衝撃、それで壊れてしまったバーニア。
宇宙の藻屑になる所だった、サムが助けに来なかったなら。
(…サムだけが…)
ついて来てくれて、それからもずっと友達だった。
一緒の食事や、他愛ない話。
サムがいたから、きっと人らしく、自分は生きていられたのだろう。
ステーションで過ごした四年間を。
その友を、Mが壊してくれた。友の心を、サムの全てを。
(…Mの拠点へ、礼に行くなら…)
もしも相棒を選んでいいなら、パイロットにサムを選びたかった。
今となっては選べないけれど、サムはもう船を操ることなど出来ないけれど。
そう、相棒を一人選んでいいなら、迷わずにサムを選んだだろう。
Mの拠点へ出掛けるにしても、他の任務に就くのだとしても。
自分が此処に生きていられるのは、サムが一緒に来てくれたから。
危うく宇宙に消える所を、サムが救ってくれたから。
そのサムと共に旅に出ようか、ジルベスターへ。
これからはサムと生きてゆこうか、Mとの戦いが始まるとしても。
(…サムだけが友達だったんだ…)
他には誰もいなかった。
心から友と呼べる者など、ただの一人も。
サムは壊れてしまったけれども、友達だから。
選んでいいなら相棒にしたい、ただ一人だけの友達だから。
そうして、耳に留めつけたピアス。
サムの血を固めた、赤いピアスを両耳に。
(…行こうか、サム。…ジルベスターへ)
「おう!」と声が聞こえた気がした、耳に馴染んだ懐かしい声が。
病院で会ったサムがそのまま、立派な大人に戻った声が。
何処までもサムと共にゆこうか、Mの拠点へ、そのまた先へ。
いつかは共にパルテノンへも、サムが歌った遠い地球へも。
選びたいのは、サムだけだから。
相棒に一人選んでいいなら、迷わずにサムを選ぶのだから…。
友の血と共に・了
※キースのピアスまで考察しちゃってどうするんだよ、と自分にツッコミ。
書きたくなったら何でも書くけど、テメエ、専門はMの元長だったろうが、と!
「キース、キース! なあ、一緒に飯食おうぜ!」
「…かまわないが」
「よーし!」
パチンと指を鳴らしたサム。
エスカレーターを今にも駆け下りそうなほどに、嬉しそうな顔で。
(…食事を一緒に食べるだけで…)
どうしてそんなに喜ぶのだろう、とキースは不思議に思ったけれど。
サムとは付き合いがあるものだから。
新入生ガイダンスの日に握手を交わして以来の仲だし、そういうこともあるだろう。
講義の時には、サムが隣に座っている日も多いから。
多分、一緒に食事をするのも、そうした日々の延長の一つ。
握手を交わして自己紹介をしたら、知り合いになって、講義の時にも隣り合わせで。
次の段階に進んだ時には、「一緒に食事」となるのだろう。
ステーションでは、自然に生まれるグループの一つ。
一人の食事から二人の食事に、そうやってテーブルの人数も増えてゆくのだろう。
こうしてグループが生まれるのだな、と漠然と考えただけなのに。
一緒のテーブルに座ったサムは、本当に楽しそうだった。
(栄養補給に過ぎないんだが…)
必要なエネルギーを身体の中に取り込む行為、食事はそうではなかったのか。
身体や頭脳を養うためには、欠かせないものが栄養補給。
すなわち食事。
いつもそう考えて食べていたのに、しっかりと噛んで食べているのに。
向かい側で大きく口を開けているサムにかかれば、食事はまるで娯楽のよう。
この時間をとても楽しんでいるといった風情で、幸せそうで。
(…何がそんなに嬉しいんだろう…?)
分からないな、と眺めていたら、サムの視線が他所へと向いた。
口一杯になるほど頬張ったステーキ、それをモグモグ噛みながら。
何かを探しているかのように、テーブルから逸れてしまった視線。
そうやってサムが見ている先には…。
(また、人混み…)
これも不思議なことだった。
今までに何度か目にした光景。
時々、何かを探しているかのように見えるサム。
これは訊いても特に問題無いだろう、と判断したから、問い掛けてみた。
「何を探しているんだ、サム?」と。
返った答えは、「友達がいないかと思ってさ」だった。
「…友達?」
耳に馴染みが無い言葉。
オウム返しに問い返したら、サムが話してくれた「友達」。
アタラクシアで一緒だったという友達。サムの故郷のアタラクシア。
そして訊かれた、今度は逆に。
「お前も、此処に来る前の友達のことって、気になるだろ?」と。
(……友達……?)
確か、親しい仲間のことをそう呼ぶのだったか、「友達」と。
けれども、思い出せない「友達」。
ただの一人も、顔の一つも。
成人検査の前の出来事は、何も覚えていないから。
記憶の欠片もありはしないから。
だからサムにもそう告げた。
「覚えていない」と、何の感慨も無く。
実際、今日まで不自由したりはしなかったから。
淡々と告げただけだというのに、「そうなのか…」と口ごもったサム。
その表情が曇っているから、自分は何か間違ったのかと、「友達」について尋ねてみた。
自分にとっては些細なことでも、「友達」はとても、大事なものかもしれないから。
「友達とは、そんなに重要なものなのか?」と。
「い、いや…。どう…かなあ…?」
そう言いながらも、人のいいサムは「友達」の話を続けてくれた。
「俺の考えなんだけどさ」と、「お前みたいに頭が良くはねえんだけどな」と断りながら。
「なんて言うかさ…。重要って言うより、大切って感じになってくるかな、友達ってのは」
「…大切…? それは重要という意味ではないのか?」
言い回しを変えただけなのでは、と考えたけれど、サムは「うーん…」と首を捻った。
「ちょっとニュアンス、違うんだよなあ…。上手く言えねえけど…」
「大切」の方が温かみがあると思うんだよな、と自分のカップをつついたサム。
「重要」だと機密事項か何かのようだと、何処か響きが冷たいんだ、と。
「…そういうものか…。よく分からないが」
大切なものが「友達」なのか、と頷いていたら、サムは「理屈じゃねえぜ」と笑い出した。
「キース、お前って、面白すぎ…! 友達っていうのは、難しいモンじゃねえんだぜ?」
勉強して分かるモンじゃねえから、と可笑しそうなサム。
どちらかと言えば勉強の逆で、サボッて遊んだ方が「友達」は増えるものだから、と。
「…サボるのか…? それは非効率的な気がするが…」
「お前、最高! …お前がサボるって、それは無理だろ?」
それに友達、出来てるじゃねえか、とサムが指差した自分の顔。
此処に友達、と。
「……サムが友達……?」
「俺はそのつもりだったんだけどなあ…。迷惑だったか?」
「…いや、かまわないが」
さっきも言ったような気がするな、と思った言葉。
サムは破顔して、「それじゃ、俺たち、友達だぜ」と手を差し出して来た。
「今日からよろしく」と、「元から友達だったけどな」と。
「あ、ああ…。…よろしく頼む。そうか、サムが友達だったのか…」
握手した手は、温かかった。
初めての「友達」と交わした握手は。
サムが口にした「大切」という言葉はこれだったのか、と思った「友達」。
確かに冷たいものではないな、と。
(…サムが友達…)
少し分かったような気がする、「友達」は大切なものなのだと。
故郷の友達は一人も覚えていないけれども、サムという友達が自分にも出来た。
「重要」とは違って、「大切」なもの。
きっと「友達」は、人に欠かせないものなのだろう。
握手した手は、とても温かかったから。
サムと一緒に食べた食事が、美味しかったと思えて来たから。
楽しそうに食事していたサム。
あの表情の元はこれだったのかと、友達と一緒の食事だったから、そうなったのかと。
(…これが友達……)
明日は自分から誘ってみようか、「一緒に食事しないか?」と。
自分にも「友達」が出来たから。
サムの姿を先に見付けたら、友達のサムを見掛けたならば…。
初めての友人・了
※キースとサムの出会いは、マザー・イライザの計算だったという話らしいですけど。
実際、監視していましたけど、この二人の友情は本物だよな、と書いてみた話。
「セキ・レイ・シロエ。…どうしましたか?」
また脳波が乱れているようですね、と浮かんだマザー・イライザの影。
シロエが座っている机の向こう、見慣れてしまったその姿。
明かりを落として、考え事をしていた最中。
ピーターパンの本を開いて、失くした記憶が戻って来ないか、そういう戦い。
これは違うと、これも違うと、偽の記憶を選り分けながら。
成人検査で機械が無理やり押し込んだそれを、一つ、二つと。
なのに、無常に響いた音。
マザー・イライザからのコンタクト。
嫌でもログインするしかなかった、此処ではそういう決まりだから。
一言も言葉を交わしはしないで、放っておくことは不可能だから。
(…マザー・イライザ…)
呼んだつもりは無かったのに。
出て来て欲しくなど無かったのに。
(ぼくは、お前を呼んでなんか…!)
けして呼んではいないというのに、なんという機械なのだろう。
何処までしつこく付き纏うのか、このステーションのコンピューターは。
「…シロエ?」
どうしたのですか、と優しい声音のマザー・イライザ。
猫撫で声にしか聞こえないけれど。
聞くだけで苛立つ声だけれども。
その上、見たくない姿。
どうしてこういうシステムなのか、マザー・イライザというものは。
この忌々しい、呪わしい機械は。
やっとのことで切った通信、「レポートの続きがありますから」と。
まるで嘘ではなかったレポート、ただし勉強とは無関係。
一心不乱に取り組む相手は、マザー・イライザに乱された心。
乱されたけども、好機とも言えた今の通信。
レポートの下書きをするための用紙、それを机の上に広げた。
罫線は無視して、鉛筆で線を描いてゆく。
文字を綴ってゆくのではなくて、設計図というわけでもなくて。
(…こんな感じで…)
美術の授業などは無いのだけれども、シロエが始めたことはデッサン。
機械いじりを得意とするから、この手の作業も苦手ではない。
大まかな線をグイグイと描いて、「こんなものかな」と大きく頷く。
(…忘れない内に…)
今日は確かにこう見えたから、と次は細部を埋めてゆく作業。
それがレポート、既に脳波は乱れてもいないことだろう。
なにしろ、集中しているのだから。
チャンスは自分で掴むというのが、エリート候補生の鉄則なのだから。
懸命に描いて、描き続けて。
(出来た…!)
描き上がったものを誰に見せても、「これ、誰だよ?」と訊かれるだろう。
そうでなければ、「シロエのママなの?」と。
(…マザー・イライザ…)
あの憎らしいコンピューターの、たった一つの利点はこれ。
身近な女性の姿を映して現れること、それだけは評価してもいい。
(物凄く腹は立つんだけれどね…)
エネルゲイアに今もいるだろう、優しかった母。
その母の姿を真似ないで欲しい、機械のくせに。
一滴の血さえも流れてはいない、ただの巨大なコンピューターのくせに。
けれど、マザー・イライザはそういう機械。
そういうシステム、誰もがそれを喜ぶらしい。
親しみを覚える姿だから。
母や、想いを寄せる女性の姿で前に現れてくれるから。
大切な母を真似る機械は、壊してやりたいくらいだけれど。
それを逆手に取ることも覚えた、こういう風に。
マザー・イライザの姿を見た日は、母を真似ていた機械を描く。
机にレポート用紙を広げて、今日の姿はこうだった、と。
(…ママの姿は、もう少し…)
どうだったろうか、直したいのに思い出せない母の顔。
マザー・イライザを描き留めた絵から、母の肖像画を描きたいのに。
これが母だと、ぼくのママだと、心が叫び出すような絵を。
会心の作の母の絵を描き、大切に飾っておきたいのに。
(…何処が似ていないのか、分からないよ…)
ママ、とポタリと零れた涙。
皆の前では「母さん」と呼ぶのが、いつしか普通になっていた母。
けれども、心で呼ぶ時は「ママ」。
本当に会いたい母は今でも、ママと呼ぶのが相応しいから。
どんな時でも、温かくて優しかった母。
柔らかい手をしていた母。
いつか必ず描き上げてみせる、母の姿を写した絵を。
これが母だと、ぼくのママだと、誰もに見せたくなるような絵を。
きっといつかはそれを描きたい、懐かしい母がどんなだったか、いつまでも覚えていたいから。
きっと描くんだ、と心に誓う。
忌まわしいマザー・イライザを元に、今も会いたくてたまらない母を…。
母の似姿・了
※マザー・イライザは、シロエにはこう見えるんだよな、と考えたまではいいんですけど。
思い切りマザコンになっていたオチ、どちら様にもゴメンナサイです…。
「バースデープレゼントだ。やるよ」
お前、凄く欲しがってただろ。俺の名前、入ってるけど…。
そう言ってサムが渡してくれたプレゼント。
ドリームワールドの百周年記念パス。
「俺たち、ずっと友達だぜ」と、「大人になって、また会えるといいな」と。
(ずっと友達…)
それが本当ならいいんだけど、とジョミーがついた大きな溜息。
帰り着いた家で、自分の部屋で。
明日の今頃には、もういない部屋。二度と戻って来られない部屋。
「成人検査でいい結果が出ることを祈っているわ」と、スウェナが贈ってくれたキス。
「グッドラック」と。
そしてサムからは、ずっと欲しかったドリームワールドの百周年記念パス。
(…二人とも、きっと正しい筈で…)
何も間違ってはいないと思う。
明日は目覚めの日で、十四歳の誕生日。
その日になったら、大人の世界へ向けて旅立つと教えられた日。
いつも通った学校の教室、一人、二人と減っていった生徒。
持ち主が消えてしまった机。
誰もおかしいと思いはしなくて、それが普通だと思っていて。
(…自分の番が来るのを、待ってる奴だって…)
珍しくないし、サムもスウェナも、多分、待ち侘びているのだろう。
彼らの机が空になる日を、目覚めの日が彼らに訪れるのを。
(グッドラックって言われても…)
どう幸運を祈ると言うのか、明日になったら戻れないのに。
今日まで両親と暮らして来た家、自分のものだと信じていた部屋。
どちらにも、もう戻れはしない。
考えるほどに寂しいばかりで、不幸だとしか思えない明日と、明日行われる成人検査と。
(…今朝はこんなじゃなかったのに…)
ここまで酷くはなかったと思う、父の言葉が嬉しかったから。
早めに帰るよ、と笑顔で仕事に出掛けた父。
「目覚めの日の前祝いだ」と、「みんなでパーティーでもしよう」と。
あの時は本当に嬉しかったから、「やった!」と叫んでしまったけれど。
心が躍っていたのだけれども、そのパーティー。
(…お別れパーティー…)
そうなるのだった、考えてみれば。
両親と一緒の最後のパーティー、次にパーティーがあるとしたなら…。
(…何処になるわけ?)
それすらも分からないのが今。
きっと誰にも答えられない、次のパーティーの場所などは。
サムには「性格に問題ありすぎ」と笑われてしまった、メンバーズ。
それを目指してエリートコースに進んで行くなら、次のパーティーはそういう所。
両親のような一般人になるのだったら、そうしたコースの何処かでパーティー。
他にもコースはあると聞いたし、もう本当に分からない。
明日の今頃、自分が何処にいるのかは。
次のパーティーに出るとしたなら、その場所が何処になるのかは。
(…こんなので、ずっと友達だなんて…)
サムの顔には「約束だぜ」と書いてあったのだけれど。
本当にそうだと信じているから、プレゼントを渡してくれたのだけれど。
(…これだって…)
あの時は嬉しかったけれども、今、眺めたら不安でしかない。
ブレスレットの形をしている、ずっと欲しかった記念パス。
サムの名前が入ったそれ。
(…これだと、腕に嵌められるから…)
成人検査の時も着けて行けるし、そのまま持って旅立って行ける。大人の世界へ。
もう間違いなく、そこまできちんと考えてくれてのプレゼント。
目覚めの日には、荷物を持っては出られないから。
そういう決まりになっているから。
(…他のものは全部…)
駄目なんだった、と見回した部屋に、幾つも思い出。
家族写真のフォトフレームやら、本やら、壁に飾ったポスター。
アルバムだって持って行けない、この部屋に置いて出掛けるしかない。
(また見たいって気分になっても…)
家に戻って見られはしないし、全てに別れを告げるしかなくて。
そんな状況に追い込まれる日に、どうして「グッドラック」なのか。
前祝いに「お別れパーティー」なのか。
(大人になっても、ずっと友達…)
サムの言葉が本当だったら、両親もずっと両親だろうと思うのに。
どうやらそれは違うらしくて、明日でお別れらしいから。
なんとも不安で、寂しくて。
考えるほどに怖くなるから、明日など要らない気持ちさえする。
朝は「やった!」と叫んでしまった、パーティーさえも。
お別れパーティーになるくらいならば、パーティーなどは無くていいから。
普段通りの食事でいいから…。
(時間、止まってくれないかな…)
明日の誕生日は来ないままで。
いつまでも今日を繰り返せたらいい、平凡な日でかまわないから。
パーティーも、あんなに欲しいと思った百周年記念パスも要らないから。
(明日の誕生日…)
消えてなくなれ、と呪文を唱えたい気分。
それで誕生日が消えるなら。明日という日が来なくなるなら。
明日なんか、消えてしまえばいい。
誕生日なんか、来なくてもいい。
(大人になっても、ずっとパパとママの子供でいられないなら…)
そんな日なんか、消えてなくなってしまえばいい。
ずっと今日だけを繰り返せばいい、時間が止まってしまえばいい。
パーティーなんか、要らないから。
御馳走も、ドリームワールドの百周年記念パスも、何も欲しいと思わないから…。
要らない誕生日・了
※「成人検査の日に荷物は駄目」が基本設定になっちまった、と自分に溜息。
ジョミーとシロエは対らしいんですよね、アニテラが作られるよりもずっと前から…!
