「やあ、サム。具合はどうだ? こうして君と会うのは何年ぶりかな」
…もう十二年になるか、とキースが語りかけた友。
今は病床にあるサム・ヒューストン。教育ステーションで出来た友人。
あの頃は、いつも一緒だった。
十二年ぶりに顔を合わせても、「ああ、サムだ」と直ぐに思えたほどに。
けれども、サムは…。
「覚えているか、私のこと。…キース・アニアンだ」
そう名乗ったのに、何も返らなかった反応。
サムはこちらを見もしなかった。
白いベッドに座ったままで、病院のものだろうパジャマのままで。
機嫌よく歌を口ずさみながら、子供用のパズルを弄りながら。
(……地球……)
サムが歌っている、「地球」と何度も繰り返す歌を。
共にステーションにいた頃、いつかはと皆が夢を見ていた星の名前を。
未だ、自分も目にしてはいない。
メンバーズ・エリートに選ばれた今も、地球は未だに見られないまま。
サムはもう、行けはしない地球。
事故で失くしてしまった記憶。壊れてしまった、大人の心。
幼い子供に戻ったサムは、もう二度と地球を目指せはしない。
それは分かっていた筈なのに。
病室に来る前に聞いた説明、残酷に過ぎる真実を医師に告げられたのに。
(…サム…)
本当に分かっていないのだろうか、サムには何も。
訊いてみたなら、何か答えが返りそうなサム。
今はこちらを見ていないだけ。
サムと視線を合わせたならば、瞳を覗いて尋ねたならば。
ジルベスターへ旅に出ると話しても、まるで反応が無かったサム。
其処で事故に遭い、今は病室にいるというのに。
「サム、ジルベスターで何があった?」
…君は辺境星区の輸送船に乗っていたんだ、とサムの頬に触れ、瞳を覗き込んでみた。
何か記憶が戻って来るかと。
なのに微笑み、「おじちゃん、誰?」と訊き返したサム。
彼の中には、もはや自分はいなかった。
かつて「友達」と呼んでくれたサムは、「友達」のキースを忘れていた。
サムの瞳に映る自分は、「知らないおじちゃん」。
あまりにも悲しすぎた再会。
十二年ぶりに会えた友。こういう姿になってしまうなど、誰が想像しただろう。
ステーションを卒業する時、「また何処かで」とサムと別れた。
メンバーズの道を進む自分と、パイロットの道をゆくサムと。
互いの道は分かれたけれども、いつか会える日が来るのだろうと。
きっと互いに顔を見るなり、気付いて名前を呼び合うだろうと。
(……サム……!)
メンバーズとして、常に殺して来た感情。
冷徹な破壊兵器と呼ばれたくらいに、誰にも見せない自分の心。
それが波立つ、激しい怒りに。
抑え切れない、深く悲しい憤りに。
気付けば、サムの肩を掴んで揺さぶっていた。
「しっかりしろ、サム! 思い出せ、なんでもいい!」
覚えていることを全部話せ、と感情のままに揺さぶった肩。
サムの手を離れて転がったパズル、サムの心はパズルへと向いた。
自分を押しのけ、「あっ、駄目、逃げちゃ!」と。
床にしゃがんでパズルを掴むと、「捕まえた…」とホッとした笑顔。
そのまま二人で床に座って、サムの話を聞き続けた。
子供に戻ったサムにとっては、此処はアタラクシアなのだろう。
サムの故郷のアタラクシア。
嬉しそうにサムが話し続けるのは、両親や学校、幼馴染といった故郷のことばかり。
マザーが消した記憶が戻って、それよりも後の全てが消えた。
サムの中から、一つ残らず。
友達だった自分の顔すら、サムは覚えていてくれなかった。
「バイバイ、またねー!」と手を振ったサム。
ベッドに座って、明るい笑顔で。
多分、自分はサムに懐かれたのだろう。
友達だったからではなくて、サムの話を一つずつ聞いては、頷いたから。
医師や看護師たちとは違って、同じ視点に立っていたから。
(……サム……)
友の変わりように、ざわめく心。
湧き上がってくる怒りの感情。
顔に出さないように抑えて、出て来た病棟。
其処にいたスウェナ、聞かされた思いがけない名前。
(…セキ・レイ・シロエ…)
彼の名前も十二年ぶりになるのだろうか。
シロエが乗った練習艇。それをこの手で撃ち落としてから。
(…私宛のメッセージがあっただと…?)
まさか、そんなことがある筈もない。
あの状態でシロエが自分に、何かを遺せた筈もない。
だから、スウェナが言っていたことはハッタリだろう。
メッセージではなくて、せいぜい、遺品。
「ピーターパン」とスウェナは口にしたから、シロエの本でも見付かったのか。
遠い日に「これを」と、警備員たちに渡した本。
匿っていた部屋から、運び去られてゆくシロエ。彼に持たせてやって欲しい、と。
(…爆発の中で、あの本が…?)
残るとも思えないのだけれども、そのくらいしか思い付かない。
シロエの遺品で、ピーターパンなら。
今日は思い出ばかりの日だな、と零れた溜息。
友達だったサムはいなくなってしまい、シロエも時の彼方に消えた。
どちらにも、多分…。
(…ジョミー・マーキス・シン…)
彼が関わっているのだろう。
シロエが練習艇で逃亡した日も、彼のメッセージを聞いた。
サムはM絡みの事故で全てを失くした、これから向かうジルベスターで。
もはや憎しみしか感じないM。
ミュウの長、ジョミー・マーキス・シン。
(それがサムの幼馴染だとは…)
なんという酷い冗談だろうか、こんな話があっていいのか。
けれども、動かし難い現実。
シロエはともかく、サムの心を壊したのはM。
サムが懐かしそうに話した、幼馴染がサムを壊した。
ただ一人、友と思ったサムを。
いつか会えたらと、「また何処かで」と、十二年前に別れたサムを。
(…サムが私を忘れていても…)
やはり今でも、友だと思う。
そうでなければ、あんなサムの側で話を聞いてはいないから。
任務があると、直ぐに立ち去っていただろうから。
(…サムは一緒に来てくれたんだ…)
今も忘れない、ステーションで起こった宇宙船の事故。
サムだけがついて来てくれた。
あの時、サムがいなかったならば、自分は此処にいられなかった。
パージの時にぶつけた衝撃、それで壊れてしまったバーニア。
宇宙の藻屑になる所だった、サムが助けに来なかったなら。
(…サムだけが…)
ついて来てくれて、それからもずっと友達だった。
一緒の食事や、他愛ない話。
サムがいたから、きっと人らしく、自分は生きていられたのだろう。
ステーションで過ごした四年間を。
その友を、Mが壊してくれた。友の心を、サムの全てを。
(…Mの拠点へ、礼に行くなら…)
もしも相棒を選んでいいなら、パイロットにサムを選びたかった。
今となっては選べないけれど、サムはもう船を操ることなど出来ないけれど。
そう、相棒を一人選んでいいなら、迷わずにサムを選んだだろう。
Mの拠点へ出掛けるにしても、他の任務に就くのだとしても。
自分が此処に生きていられるのは、サムが一緒に来てくれたから。
危うく宇宙に消える所を、サムが救ってくれたから。
そのサムと共に旅に出ようか、ジルベスターへ。
これからはサムと生きてゆこうか、Mとの戦いが始まるとしても。
(…サムだけが友達だったんだ…)
他には誰もいなかった。
心から友と呼べる者など、ただの一人も。
サムは壊れてしまったけれども、友達だから。
選んでいいなら相棒にしたい、ただ一人だけの友達だから。
そうして、耳に留めつけたピアス。
サムの血を固めた、赤いピアスを両耳に。
(…行こうか、サム。…ジルベスターへ)
「おう!」と声が聞こえた気がした、耳に馴染んだ懐かしい声が。
病院で会ったサムがそのまま、立派な大人に戻った声が。
何処までもサムと共にゆこうか、Mの拠点へ、そのまた先へ。
いつかは共にパルテノンへも、サムが歌った遠い地球へも。
選びたいのは、サムだけだから。
相棒に一人選んでいいなら、迷わずにサムを選ぶのだから…。
友の血と共に・了
※キースのピアスまで考察しちゃってどうするんだよ、と自分にツッコミ。
書きたくなったら何でも書くけど、テメエ、専門はMの元長だったろうが、と!