忍者ブログ

カテゴリー「地球へ…」の記事一覧

「サム・ヒューストンを覚えているか?」
 キースがジョミーに投げ掛けた問い。
 ミュウの長はどう答えるのか、と。
 彼は知っている筈だから。
 サムがどうなったか、そうなったのは誰のせいなのか。
(…どう答える?)
 拘束されたままで見詰めたけれど。
 ミュウでない自分にジョミーの心は読めないけれども、それでも、と。
 何か動きを見せるだろうと、サムとは幼馴染だから、と。
 けれど、返って来た答え。
 「ああ。…何故、彼のことを?」と。
 ジョミーは訊きもしなかった。
 サムのその後を、友達だったサムがどうなったのかを。
 ならば答える必要も無い。
 義務すらもな、と噤んだ口。
 その沈黙に、「だんまりか」と苦笑を浮かべたジョミー。
 苦笑したいのは、こちらなのに。
 「サムはどうでもいいのか」と。
 どうして自分がサムを知っているか、知りたいことは「何故」の一言だけなのか、と。


 だから皮肉をぶつけてやった。
 「待て」とジョミーを呼び止めて。
 「一つ訊きたい」と、「星の自転を止めることが出来るか」と。
 「さあ…。やってみなければ分からないが」と返した化け物。
 星の自転さえも、止められるかもしれないミュウ。
 「その力がある限り、人類とミュウは相容れない」と、「残念だったな」と突き放したけれど。
 ジョミーの方でも、「残念だ」と部屋から出て行ったけれど。
(…サムのことを尋ねていたならな…)
 あんな言い方はしなかったろうな、とギリッと強く噛んだ唇。
 お前に私の何が分かる、と。
(子供まで使って、心に飛び込んで来たくせに…)
 姑息な手段を使う割には、尋問すらも出来ないらしいミュウの長。
 サムの名前を耳にしたなら、彼は食い付くべきなのに。
 本当に幼馴染なら。
 ジルベスター星系で事故に遭ったサム、きっとミュウどもが絡んでいる筈。
 何も知らないわけなどが無くて、元凶はジョミーと仲間だろうに。
 サムの心を破壊したのは、壊れたサムを捨てたのは彼ら。
 もしも捨ててはいないと言うなら、ジョミーは自分に訊くべきだった。
 「サムはどうした?」と。
 サムの名前を知っているなら、その後のことを教えて欲しいと。


 けれど、噛み合わなかった会話。
 自分が投げたサムの名前に、微塵も反応しなかったジョミー。
 「懐かしい名だ」とも、「サムとは幼馴染だ」とも。
 彼にとってはその程度のこと、サムが壊れてしまったことは。
 最初から心に留めていなければ、まるでどうでもいいのだろう。
 サムの心が壊れても。
 二度と元には戻せなくても、ほんの些細なことでしかない。
(…所詮、あいつは…)
 ミュウの長だ、と握った拳。
 手足を拘束されていたって、握ることだけは出来るから。
 握った拳を叩き付けることは出来なくても。
 胸の底から湧き上がる怒り、それをぶつける先は無くても。
(サムを壊して、放り出して…)
 自分たちさえそれで良ければ、気にもしないのがミュウなのだろう。
 ジルベスター・セブンをナスカと名付けて、自分たちの世界に閉じこもって。
 歩み寄りたいなどと綺麗事を言って、その同じ口で訊こうともしない。
 かつて友だったサムのその後を、サムはどうしているのかを。
 もはや友ではないらしいから。
 ただの人類、ミュウにとっては排除すべき敵を壊しただけ。
 どうしているのか、知りたいとさえ思わないのだろう。
 自分たちさえ守れれば。
 あの赤い星と、この船とだけを守れれば。


 許すものか、と睨んだ扉。
 ジョミーたちが去って閉まった扉。
 閉じて動かない扉と同じに、ジョミーの心もまた動かない。
 サムの名前を聞いたって。
 その名を知るとも思えない自分、捕虜の口から「サム・ヒューストン」と耳にしたって。
(…当然と言えば、当然だろうな)
 ジョミーがサムを壊したのなら、その時点でもう終わったこと。
 遠い日にサムと過ごした日々も。
 サムの故郷のアタラクシアで、一緒に成長して来たことも。
 ジョミーの中では消えてしまって、友達だったサムはもういない。
(私は過去を持っていないが…)
 ジョミーよりかはずっとマシだ、と思える自分。
 故郷の記憶を持っていなくても、自分は友を忘れないから。
 今でもサムを覚えているから、友だった頃のままの姿で。
 サムが壊れてしまっても。
 もう覚えてはいてくれなくても。
 それにシロエも忘れてはいない、彼は友ではなかったけれど。
 友と呼んだらシロエはきっと怒るだろうけれど、友になり得た人間だから。


(私のようなメンバーズでも…)
 多くの敵を殺した者でも、友のことをけして忘れはしない。
 成人検査よりも前の記憶が無くても、両親も故郷も忘れていても。
 何もかもすっかり消えていたって、その後に出来た友たちは今も忘れないから。
(なのに、あいつは…)
 サムを忘れた、と手のひらに爪が深く食い込む。
 皮膚が裂けて血が流れようとも、自分の手などはどうでもいい。
 サムの苦痛に比べたら。
 二度と元には戻らないサム、彼の心が砕けてしまった時の痛みに比べたら。
(…ジョミー・マーキス・シン…)
 あいつがやった、という確信。
 サムのことは今も覚えているのに、容赦なく。
 人類はミュウの敵だというだけ、ただそれだけの理由でもって壊したサム。
 「彼は友達だ」と庇わずに。
 見逃してやれと言いもしないで、冷たい瞳でサムを壊した。
 人類が名付けたジルベスター・セブンを、「ナスカ」と変えてしまったように。
 ミュウに都合よく、ミュウの世界を守るためだけに。
 今ではミュウの長だから。
 前は確かにサムの友でも、今では別の種族だから。


 そんな輩を許しはしない、と睨み付けたジョミーを隠した扉。
 彼が出て行った、今は閉ざされた扉。
 あれの向こうに続く通路を、どう行くのかは知っている。
 ミュウの女が持っていた知識、それを自分は垣間見たから。
 どう進んだら逃れられるか、道筋はとうに頭に叩き込んだから。
(…此処を出られたら…)
 サムの仇を討ってやろう、と誓った心。
 此処にはサムの友はいなくて、化け物が一人いただけのこと。
 星の自転も止められるような化け物が。
 遠い日に共に過ごした友さえ、躊躇わず壊す化け物が。
 サムの心を壊してしまった、ミュウの長、ジョミー・マーキス・シン。
(あいつを必ず殺してやる…)
 最初からそのために来たのだからな、と自分自身に誓うけれども、見えない道。
 今も扉は閉ざされたままで、自分は拘束されているから。
 この牢獄から出られない内は、宇宙へも逃げてゆけないから。


 けれど、必ず逃げ出してみせる。
 サムを壊してしまった化け物、あのミュウの長を消すために。
 この宇宙からミュウを一人残らず、跡形もなく焼き払い、滅ぼすために。
(…奴らは心を読むくせに…)
 肝心の心を誰も持ってはいないのだからな、と憎しみだけが募ってゆく。
 サムの名前は覚えていたのに、そのサムを壊してしまったジョミー。
 あれは化け物だと、存在してはならないのだと。
 何故なら、自分は忘れないから。
 サムを忘れていないからこそ、ジルベスターまで来たのだから。
(……この耳のピアス……)
 これが何かも知ろうともしない化け物めが、と心の中だけで吐き捨てた言葉。
 サムの血を固めたピアスと知っても、あいつの顔は変わるまいな、と。
 自分を捕えて、閉じ込めたジョミー・マーキス・シン。
 遠い日にサムの友だった彼は、今ではただの化け物だから。
 サムを平気で壊した化け物、壊した相手を気にも留めてはいないのだから。
(生かしてはおけん…)
 あいつも、ミュウも一人残らず、と睨み付ける扉。
 必ず此処から逃げてみせると、心を持たない化け物どもは、一人残らず焼き払わねば、と…。

 

          壊された友・了

※「サム・ヒューストンを覚えているか?」と、キースは訊いたわけですけれど。
 どういう答えが聞きたかったのか、どうして黙っていたのかが謎。それを捏造してみたお話。





拍手[0回]

PR

(ぼくの故郷…)
 エネルゲイア、とシロエが手繰った自分の記憶。
 一日の講義を終えた後の部屋で、「大丈夫」と、「まだ覚えている」と。
 成人検査を受けた時から、おぼろに霞んでいる故郷。
 それが怖くて、こうして辿る。
 「まだ大丈夫」と、「忘れていない」と。
 大好きだった故郷は、ちゃんと心の中にあるから。
 どんなに霞んでしまっていたって、消えたわけではないのだから。
(パパとママがいて、ぼくの家があって…)
 たったそれだけ、その程度しか確かなことが無かったとしても。
 家が在った場所を示す住所を、まるで書くことが出来なくても。
(でも、覚えてる…)
 あそこがぼくの故郷だった、と思い出す「エネルゲイア」という名前。
 アルテメシアという星の上に、エネルゲイアは在ったのだと。
 自分は其処で暮らしていたと、毎日が幸せだったのだと。


 けれど、全てを奪われた。
 忌まわしいテラズ・ナンバー・ファイブに、あの憎らしい成人検査に。
 ピーターパンの本だけを残して、何もかもを。
 両親も家も、エネルゲイアという場所も。
 気付けば消されていた記憶。
 あんなに「嫌だ」と抵抗したのに、機械が消してしまった記憶。
 大人になるには、必要無いと。
 両親も家も、故郷も要りはしないのだと。
(…だけど、忘れてやるもんか…)
 こうして残っている分は。
 今も自分の中に残った、大切な故郷の記憶の欠片。
 顔さえ思い出せない両親、住所が分からなくなった家。
 それでも記憶は残っているから、好きだったことは忘れないから。


 穴だらけだろうが、欠けていようが、自分は自分。
 こういう記憶を持っている者、それが自分でセキ・レイ・シロエ。
 エネルゲイアの家で育って、ネバーランドを夢見た子供。
 両親がくれたピーターパンの本が宝物、今でも持っているほどに。
 成人検査を終えた後にも、此処まで持って来たほどに。
(ぼくは決して忘れやしない…)
 機械が何をしたのかも。
 記憶を消されてしまってもなお、自分を構成しているものも。
 両親が、故郷が好きだった自分。
 故郷の家も、風も光も。
 エネルゲイアの映像を見ても、何処か現実味が無いけれど。
 自分が確かに其処に居たこと、その実感が湧かないけれど。
 あそこが大好きだったのに。
 あの故郷から、故郷の空から、ネバーランドへ飛ぼうと何度も夢を見たのに。


(ぼくの好きな所が、一杯あって…)
 パパやママと一緒に行ったっけ、と思った所で途切れた記憶。
 いきなりプツリと切られたように。
 せっせと辿った道しるべの糸、その糸が消えてしまったように。
(…これは、何…?)
 どうして、と手繰ろうとした続き。
 両親と一緒に何度も出掛けた、大好きだった思い出の場所。
 お気に入りの場所は、と手繰った糸には先が無かった。
 鋭い刃物でブツリと切られて、あるいはハサミでチョキンと切られて。
 糸の先には、もう無かった道。
 お気に入りの場所は何処だったのかが、まるで記憶に無かったから。
 ただ「好き」としか、「好きだった」としか。
 其処がいったい何処にあるのか、それが分からないなら、まだいいけれど…。


 嘘だ、と見詰めた記憶の穴。
 心にぽっかり開いた空洞、何も覚えていない自分。
 両親と何処へ行ったのか。
 胸を高鳴らせて出掛けた先には何があったか、何を見たのか。
(……そんな……)
 そんな馬鹿な、と背中に流れた冷たい汗。
 いくら霞んでしまったとはいえ、故郷の記憶はある筈なのに。
 お気に入りの場所が何処にあったか、それはハッキリしなくても…。
(好きだったものは覚えている筈…)
 そう思うのに、糸はプツンと切れたまま。
 両親と何をしていたのか。
 どうして其処が気に入っていたか、何をするための場所だったのか。
 多分、子供が喜びそうな場所なのに。
 とても気に入って、何度も出掛けていた筈なのに。


(あれは何処…?)
 幼い頃から何度も行った。
 両親の手をキュッと握って、大はしゃぎして。
 自分一人では、上手く帽子も被れなかったほどの頃から。
 母が被せて、父が直してくれたりしていた頭の帽子。
(…帽子なんだし…)
 日よけの帽子で、それならば外。
 屋外の何処か、気に入りの場所はそういう所。
(…海とか、山とか…?)
 それだろうか、と思うけれども、記憶には穴が開いたまま。
 何も返ってこない反応、「それだ」とも、「それじゃない」とさえ。
 消された記憶を、自分は持っていないから。
 機械にすっかり奪い去られて、手掛かりさえも掴めないから。
(…海でも山でもないのなら…)
 公園だとか、と自分に向かって尋ねるけれど。
 他に子供が好きそうな場所は、と次から次へと挙げてゆくけれど。


 幾つ挙げても、「これだ」と思えない答え。
 他には、もう思い付かないのに。
 ピーターパンの本を広げて、端から拾っていったって。
 これだろうか、と指で言葉を指したって。
(…好きだった場所を…)
 ぼくは忘れた、と足元が崩れ落ちるよう。
 大好きな両親と何度も出掛けた、お気に入りの場所が出て来ない。
 いったい何を好んでいたのか、好きだった場所は何処だったのか。
 それの答えが何と出るかで、きっと何通りもある組み合わせ。
 海が大好きな子供だったら、泳ぎがとても好きだったとか。
 山が好きなら、木登りが得意だったとか。
(…遊園地に出掛けて行ったって…)
 好きだった遊具で変わるのだろう。
 セキ・レイ・シロエの子供時代というものは。
 今の自分が出来た切っ掛け、自分を構成しているものは。


(……酷い……)
 酷い、と失くしてしまった言葉。
 自分では「自分」を掴んでいるつもりだったのに。
 記憶がおぼろになっていたって、セキ・レイ・シロエは自分だと。
 此処にいるのだと、これがセキ・レイ・シロエだと。
 それなのに欠けている記憶。
 大切なものが、とても大切だった筈の部分が。
 今のシロエを築き上げたもの、幹とも言うべき自分の根幹。
 大好きで興味を示していた場所、其処で自分がやっていたこと。
 それを丸ごと忘れてしまって、何も残っていないだなんて。
 幼い頃から好きだった場所も、その場所でしか出来ないことも。
(…ぼくは、いったい…)
 誰なんだろう、と揺らぐ足元。
 今の自分を築いた記憶は、何も残っていなかったから。
 プツリと途切れた糸の先には、何もくっついてはいなかったから。


 ぼくは誰なの、と問い掛けてみても分からない。
 どうやって今のセキ・レイ・シロエが出来たのか。
 スポーツが好きな子供だったか、スポーツより読書が好きだったのか。
 そんな単純なことさえも。
 もしや、と記憶の糸を辿ったら、それも途切れて消えていたから。
 機械が消してしまったから。
(パパ、ママ…)
 教えて、と奈落の縁に立って震える。
 ぼくはどうやって育って来たのと、何処へ連れてってくれていたの、と。
 それの答えで、シロエが誰かが変わるから。
 お気に入りの場所に全てがあるのに、何も覚えていないから。
(……お願い、ママ、パパ……)
 ぼくに教えて、と零れ落ちる涙。
 自分が誰だか分からないよと、本物のシロエは何処にいるの、と…。

 

         ぼくは誰なの・了

※シロエの記憶の欠けっぷりからして、多分、こういう記憶も消えてるんだろう、と。
 どういう風に育って来たかは、大切だと思うんですけどね…。ごめんよ、シロエ。





拍手[0回]

(…このタイミングで処分命令か…)
 E-1077をか、と立ち上がったキース。
 たった今、グランド・マザーから受けた極秘の命令。
 「教育ステーション、E-1077を処分して来い」と。
 とうの昔に、廃校になっているけれど。
 スウェナもそれを知っていたけれど。
(…偶然なのか?)
 この間、これを受け取ったばかり…、と本を手に取り、腰掛けた椅子。
 さっき通信を受けたのとは別の、私的なスペース。
 膝の上、傷んだピーターパンの本。シロエの持ち物だった本。
 見返しの下にシロエが隠していたメッセージ。
 それを自分は見たのだけれども…。
(…肝心の部分は見られず、か…)
 劣化したのか、本と同じにレーザー砲を浴びて破損したのか。
 シロエのサイオンは本を守ったけれども、あちこちが黒く焦げているから。
 破れてしまった箇所も幾つか。
 自分の命を守る代わりに、シロエが守った大切な本。
 あのメッセージを守るためではなかっただろう。
 ただひたすらに、本を守っただけだったろう。
 遠い昔に、両腕で本を抱くのを見たから。
 まるで幼い子供のような表情で。
 あの時に知った、この本はシロエの宝物だと。
 幼い時から持っていたもの、ステーションまで持って来た本。
 だからこそ、シロエは本を守った。
 ミュウの力で、本の周りにシールドを張って。
 自分ごと守れば助かったものを、本のことだけを大切に考え続けて。


 そうやって逝ってしまったシロエ。
 彼が命を懸けて撮影した、フロア001の映像。
 その核心は画像も音声も乱れてしまって、掴めないまま。
 E-1077に出向けば、あのフロアへも行けるのだろう。
 シロエが「忘れるな!」と叫んだ場所へ。
 卒業の日までに、どう頑張っても辿り着けずに終わった場所へ。
(…やっとシロエとの約束を果たせる…)
 十二年もの時が流れたけれども、遺言になったシロエの言葉に従える。
 「自分の目で確かめろ」とシロエは言っていたから。
 フロア001、其処にあるもの、それが何かは分からないけれど。
 グランド・マザーからも聞いてはいないけれども。
(まるで神の手でも働いたような…)
 そんな気がするタイミング。
 シロエの本を手にした途端に、この命令が来たのだから。
 E-1077のことなど、今日まで聞きはしなかったのに。
 廃校になったということでさえも、軍の噂で耳にしていただけなのに。
(…呼んだのか?)
 お前が私を呼んだのか、と心でシロエに語り掛けた。
 来いと言うのかと、今、この時に、と。


 ピーターパンの本を開いて、見詰めたシロエが残したサイン。
 「セキ・レイ・シロエ」と書いてある名前、その下にチップが隠されていた。
 けれど、シロエはチップを守ったわけではない。
 違うと確信している自分。
 シロエが守ったものは本だと、この本だった、と。
 機械の言いなりになって生きる人生に、意味などは無いと言い切ったシロエ。
 きっと命は要らなかったろう、彼が忌み嫌う機械に服従してまでは。
 たとえシロエがミュウでなくとも、あの道を選んで散ったのだろう。
 この本だけを持って、宇宙へと逃げて。
 宝物の本を抱えて飛び去っただろう、宇宙の彼方に広がる空へ。
(…なのに、本だけが…)
 こうして此処に残ってしまった。
 シロエの宝物なのに。
 本当だったら、シロエと共に在る筈なのに。
 無意識の内にシロエが守って、宝物をシールドしていたから。
 どういう結果になるのかも知らず、ミュウの力すらも知らないままで。


 それに気付いて、思ったこと。
 E-1077を処分するなら、そのために自分が出向くなら。
(…これをシロエに返してやろう)
 もしもシロエが自分を呼んだと言うのなら。
 来いと招いていると言うなら、彼が望んでいることは、きっと…。
(口では、フロア001だと言おうとも…)
 本当の思いは、この本のこと。
 宝物の本を返して欲しいと、それが出来るなら届けてくれと。
 彼の魂が何処にいるかは分からないけれど、今もE-1077の辺りにいるのなら…。
(シロエに返してやらないとな…)
 自分が持ったままでいるより、これの本当の持ち主に。
 己の命を守る代わりに、本を守ったほどのシロエに。
 きっと今でも、本を探しているだろうから。
 ピーターパンの本は何処へ行ったかと、誰が奪って行ったのかと。
 あの本が宝物だったのに、とシロエはきっと探している。
 魂になって、今も宇宙にいるならば。
 E-1077の辺りの漆黒の宇宙、其処を飛んでは、「ぼくの本は?」と。


 自分ならこれを返してやれる、と思った本。
 遠い日にシロエが逮捕された時、同じように本を返してやった。
 意識を失くしたシロエを連れてゆこうとしていた、保安部隊の男たちの前に突き付けて。
 シロエが横たえられていたベッド、その上にそっと置いてやって。
(あの時のように、返さないと…)
 この本はシロエの宝物だから。
 保安部隊に連れ去られた後も、皆の記憶から消された後にも、シロエは本と共にいた。
 大切に抱えて、宇宙まで。
 レーザー砲の光に焼かれた時にも、この本だけを守り抜いて。
 だから返してやらねばならない、本の持ち主だったシロエに。
 遠い日と同じに、自分の手で。
 これがシロエの宝物だと知っているから、それを自分が手にしたからには。
 ならば、自分が、今、すべきことは…。


 グランド・マザーからの通信を受けた、さっきの部屋。
 其処に戻ってアクセスしたデータ、今ならば開示される筈。
 パルテノンの管轄下に置かれ、政府関係者ですら立ち入りを制限されている場所。
 E-1077のデータに、恐らくはその殆どに。
(フロア001は無理なのだろうが…)
 試してみて、やはり弾かれた。
 国家機密を示すエラーに、そういうエラーメッセージに。
 けれども、自分が探しているのは、それではない。
 そう簡単に謎が解けるとも思ってはいない。
(…だが、シロエの名は…)
 出るのだろう、と打ち込んでいったシロエの名前。
 「セキ・レイ・シロエ」と、それから彼が在籍していた時期と。
 案の定、其処にいたシロエ。
 候補生たちが皆、忘れ果てていた、セキ・レイ・シロエの名前は在った。
 E-1077を運営していた者たちからすれば、それは必須のデータだから。
 シロエの存在を消し去った後も、データは保存されるから。


 名前の下には、欲しかったデータ。
 あそこでシロエが暮らしていた部屋、その所在地と状態と。
(…やはり封鎖か…)
 E-1077が廃校になる前からずっと、閉ざされたままだという情報。
 候補生は誰も立ち入らない部屋、使われることがなかった部屋。
 シロエはMのキャリアだったから。
 ミュウ因子を持った人間を指す、ミュウに詳しくない者たちが使う言い回し。
 此処でもそれが使われていた。
 ミュウとは何かを知らない者たち、E-1077の上層部。
 彼らはMの感染を恐れ、シロエの部屋を封印した。
 誰も近付かないように。
 同じような扉が並んでいたって、誤って入らないように。
 E-1077の居住区の一角、時が止まったままだろう部屋。
 シロエの私物はもう無いけれども、彼が暮らしていた頃のままに。
 新しい住人が入らないまま、シロエと一緒に凍った刻(とき)。


 予想通りか、と頭に叩き込んだ地図。
 シロエの部屋へ行くには何処を通るか、どの通路からが近いのか。
 扉を開くためのパスワードは何か、どうすれば中に入れるのか。
(…フロア001よりは…)
 きっと簡単に行けるだろうさ、と唇に浮かべた自嘲の笑み。
 卒業の日までに何度試みても、其処へは行けなかったから。
 シロエが自分に遺した遺言、それを果たせはしなかったから。
(あのステーションを処分するだけなら…)
 必要のない人工重力、それに照明。
 どちらも復活させねばなるまい、シロエに本を返すなら。
 かつてシロエが向かっていただろう机、その上に本を置いてやるなら。
 頼りなく宙に浮いたままだと、返したことにならないから。
 シロエの机の上に置いてこそ、「返したぞ」と言ってやれるのだから。


(…ステーションの処分と、フロア001だけならな…)
 重力も照明も必要無いが、と鼻先で笑う。
 マザー・イライザが何を言おうが、任務を遂行するだけだから。
 フロア001の内部を確かめ、後はステーションの中枢を破壊してやるだけ。
 それで終わりで、無重力だろうが、暗がりだろうが、自分にとっては容易いこと。
(しかし、シロエに本を返すなら…)
 やはり机に置いてやらねば、シロエがそれを受け取れるように。
 あの日と同じに、本を抱き締めて持ってゆけるように。
 「お前の本だ」と見せてやるには、照明も要る。
 非常灯だけでも点けてやらねば、シロエの部屋にも本が見える灯りが灯るよう。
(……本を隠して持って行くには……)
 宇宙服の中がいいだろう、とも考える。
 マツカしか連れてゆかないけれども、本の存在は隠しておきたいから。
 これはシロエの大切な本で、直接、返しに出掛ける本。
 任務とはまるで無関係だから、自分の心の声に従うだけなのだから…。

 

         返したい本・了

※E-1077を処分しに行った時のキース、あの本を持っているんですよね…。
 シロエに返しに行ったんだろう、という捏造。シロエの部屋だという証拠、掴めず。





拍手[0回]

(パパ、ママ…)
 どうして忘れてしまったんだろう、とシロエがギリッと噛んだ唇。
 ピーターパンの本を抱えて、ベッドの上で。
 この本だけしか残らなかった、と強く抱き締める宝物。
 子供時代の持ち物の中で、残ったものは一つだけ。
 両親がくれた大切な本。
 幼かった自分に夢を与えてくれた本。
 いつかはネバーランドに行こうと、広い広い空を飛んでゆこうと。
 ピーターパンと一緒に旅に出るのだと、子供のための国にゆくのだと。
(…もっと素敵な所にだって…)
 行けると父が教えてくれた。
 ネバーランドよりも素敵な地球へ、「シロエだったら行けそうだぞ」と。
 頭がいい子は、いつの日か行けるらしい地球。
 そう聞かされて、素直に夢見た。
 地球に行けるなら、ネバーランドにも必ず行けるだろうから。
 きちんと準備を整えておけば、いつでも旅に出られるから。
 ピーターパンが迎えに来たなら、高い空へと舞い上がって。
 ぐんぐんと飛んで、エネルゲイアを後にして。


 きっと行けると夢見た国。
 ネバーランドにも、もっと素敵な地球にだって。
(…ぼくは行けると思ってたのに…)
 成人検査を好成績で通過したなら。
 頭がいいと認められたら、其処への切符が手に入るのだと。
 けれども、高すぎた代償。
 地球への切符を貰える場所には、どうやら辿り着けたのだけれど。
 皆の憧れの最高学府、E-1077。
 此処で四年を過ごした後に、選出されるメンバーズ。
 それになれたら、開けるらしい地球へ行く道。
 ただ、このE-1077に来るためには…。
(……成人検査……)
 あんなものだとは思わなかった、と後悔したって、もう遅すぎる。
 何もかも奪い取られたから。
 機械がすっかり消してしまって、何一つ残らなかったから。
 ピーターパンの本だけしか。
 両親の記憶も、懐かしい家も、何もかも失くしてしまったから。


 こんな目に遭うくらいだったら、地球には行けないままで良かった。
 ネバーランドがあれば良かった。
 両親と暮らす家の窓から、いつか行けるかもしれない国。
 其処を夢見て暮らしてゆければ、それだけでもう充分だった。
 メンバーズにはなれなくても。
 地球への道が開かなくても、両親と一緒にいられたならば。
 エネルゲイアを離れずに済んで、何も失わなかったなら。
(……どうして、成人検査なんか……)
 あんなシステムが存在するのか、考えるほどに苛立つばかり。
 憎しみが増してゆくばかり。
 他の候補生たちは、まるで気にしていないのに。
 やっと大人の仲間入りだと、むしろ喜んでいるようなのに。
(あれも、機械が…)
 そういう風に仕向けるのだろうか、記憶を消してゆくついでに?
 子供時代の記憶を消し去り、代わりに叩き込むのだろうか。
 このシステムに馴染むべきだと、それが正しい生き方だと。
 社会の仕組みに従うがいいと、そうすれば地球へ行けるのだから、と。
 もしもそうなら、自分にとっては余計なお世話。
 地球など要らない、両親と、故郷と引き換えならば。
 何もかも捨てねば行けない場所なら、行けないままでいいのだから。


 どうして選べないのだろう。
 地球へ行きたいか、地球へは行かずに生きる道がいいか。
 大人になる道を歩き始めるか、子供の世界を離れずにいるか。
(それさえ、自分で選べるんなら…)
 きっと此処には来ていない。
 今も故郷を離れてはいない、両親の家で暮らしている筈。
 メンバーズになるより、地球へ行くより、両親の側にいたかったから。
 故郷の家の窓の向こうに、いつも夢見たネバーランド。
 それだけがあれば、きっと満たされていた。
 こんな空虚な心を抱えて、ベッドに座っているよりも。
 穴だらけになってしまった記憶を、取り戻そうとして苦しむよりも。
(……ピーターパンが来てくれなくたって……)
 ネバーランドは、けして消え失せない。
 夢まで消えてしまいはしない。
 本を開けば、夢の国は其処にあるのだから。
 ピーターパンの本の向こうに、いつも、いつだって見えているから。
 自分の記憶が曖昧になった、今さえも。
 両親の顔さえ忘れ果てても、ネバーランドは消えずに今も在るのだから。


(成人検査を考えたヤツは…)
 いったいどうして、こんなシステムを作ろうなどと考えたのか。
 誰も拒否など出来ない検査を、記憶を消してしまう仕組みを。
 子供時代の全てを否定し、握り潰してしまうなら…。
(……最初から、そんな過去なんか……)
 与えないでいて欲しかった。
 両親も故郷も無かったのなら、何も失くしはしないのだから。
 最初からステーションで育っていたなら、両親も家も無かったならば。
(そういう風に育てられたら、そっちが普通なんだから…)
 アンドロイドに育てられても、何の個性も無い暮らしでも。
 右だと言われれば右を眺めて、左だと聞けば左を見る。
 個性の欠片も育たないように教育されたら、成人検査がどんなものでも気にしない。
 過去を失くしても、それに価値など無いのだから。
 自分を育てたアンドロイドが、その後は何処へ行こうとも。
 ステーションでの暮らしがガラリと変わってしまったとしても、それだけのこと。
 「今日からは、こう生きてゆくのだ」と思うだけ。
 過去を失くして悲しむ代わりに、消えた記憶を嘆く代わりに。
 新しい生活パターンに馴染んで、それに相応しく暮らしてゆくだけ。
 懐かしむ過去など、何も持ってはいないから。
 両親も家も、最初から無かったのだから。


 そうだったならば、どんなにいいか。
 どれほどに楽で、幸福だったか。
 失くす過去など持たなかったら、最初から過去が無かったら。
 そういう風に育てられたら、両親も故郷も無かったら。
(…ネバーランドも無いけれど…)
 其処を夢見る自分もいないし、不都合なことは何も無い。
 こうして苦しむシロエはいなくて、優等生のシロエが一人。
 今日は普通に昨日の続きで、明日は今日から続いてゆくだけ。
 成人検査で途切れたことさえ、きっと知らないままの人生。
 何も失くしはしなかったから。
 成人検査の前と後とで、何も変わりはしないのだから。
(どうせ機械が決めるんなら…)
 何もかも機械がやればいい。
 養父母が子供を育てる代わりに、アンドロイドが育てればいい。
 夢も希望も何も与えずに、教育だけを施して。
 故郷の光も風も無い場所、無個性な教育ステーションに住ませて。


 そうすればいいと、何故そうしないと、ただ悔しくて唇を噛む。
 どうして両親を与えたのかと、自分に故郷を持たせたのかと。
 全部失くしてしまうのに。
 どうせ持ってはいられないのに、与えられた甘い砂糖菓子。
 まるで童話のお菓子の家で、食べたばかりに苦しむ自分。
 両親も故郷も知らなかったら、苦しみさえもしないのに。
 成人検査を受けた所で、何も失くしはしないのに。
(いったい、どうして…)
 後で必ず取り上げるくせに、幸せな過去を寄越すのか。
 幸福に満ちた子供時代を、温かな家を、優しい両親に守られる日々を。
 ずっと持たせてくれないのならば、与えなければ良さそうなのに。
 その方がこちらも楽でいいのに、何故、与えてから取り上げるのか。
(…理不尽すぎるし、非効率的…)
 機械が統治してゆくのならば、機械のような人間でいい。
 個性などは無くていい筈なのに、と考えていて気付いたこと。
 もしかしたら、これが狙いだろうかと。
 機械の意図は此処にあるかと、そのための養父母と故郷だろうかと。


(……夢が無ければ……)
 誰も夢など抱かない。
 自分も、きっとそうなった筈。
 ネバーランドを夢見もしないし、地球へ行こうとも思わない。
 ただ淡々と生きてゆくだけ、昨日の続きの今日という日を。
 明日も同じに今日の続きで、其処からは何も生まれては来ない。
 言われた通りに生きてゆくだけで、工夫もしないし、自分で考えることだって。
 けれど、それでは機械が困る。
 優秀な人間が出ては来ないし、これから先も進歩はしない。
 進歩が無いなら、いずれは退化してゆくだけ。
 誰も工夫を凝らさないなら、考えようともしないのなら。
(…退化されたら、機械の世話をする人間も…)
 いつしか消えてしまうのだろう。
 膨大な数の精密機械を相手に、メンテナンスをする人材。
 そうなれば機械は壊れてしまって、誰も修理をしてくれはしない。
(……機械の世話をするためだけに……)
 人間は生かされているのだろう。
 奪い去られる夢の生活、子供時代を与えられて。
 誰もが大きな夢を描いて、考える力や工夫することを覚えるように。
 そうやって培った力を生かして、機械に仕えてゆくように。
 何の疑いも抱くことなく、成人検査で押さえつけられて。
 いいように飼いならされてしまって、機械の言いなりになる人生。


 きっとそうだ、と気付いた成人検査の理由。
 機械が人間を使いこなして、意のままにするために行うもの。
 個性は充分に与えてやったと、夢を持つことも覚えただろうと、消し去る記憶。
 子供時代はもう不要だと、これからは機械のために生きろと。
(…機械にはパパも、ママだって…)
 いるわけがないし、故郷も無い。
 だから機械には分からない苦痛、過去を失うということの意味。
 機械にとっては、過去はデータに過ぎないから。
 別のデータで補えるのなら、何も問題無いのだから。
(……何もかも、全部……)
 機械が与えて奪い去った。
 大好きだった両親も家も、故郷にあった風も光も。
 ピーターパンの本だけが残って、他は何一つ残らなかった。
 最初から機械が仕組んだ人生、それを生きるしかないのだろうか?
 此処まで生きてしまったからには、このまま行くしかないのだろうか…?
(…そんなの、嫌だ…)
 たとえ取り残されることになっても、出来るなら此処に留まりたい。
 機械の手から逃れて生きたい、そうすれば破滅するのだとしても。
 他の者たちと同じようにはなれないから。
 世界が機械のためにあっても、そんな機械に従える心は持たないから…。

 

         機械の思惑・了

※成人検査は何のためにあるのか、シロエが考えなかった筈はないよな、と。
 シロエが出しそうな結論がコレで、実際の所はどうなんだか…。アニテラだと真面目に謎。





拍手[0回]

(……シロエ……)
 暗澹たる思いでキースが戻ったステーション。
 シロエの船を撃墜した後、E-1077に降り立ったけれど。
 Mの精神攻撃の余波がまだ残る其処に、シロエを知る者はもういない。
 少なくとも、候補生の中には。
 セキ・レイ・シロエという名は消されたから。
 最初は「居る」ことを消されてしまって、今はもう、その存在ごと。
 宇宙の何処にも、いなくなったシロエ。
 自分がこの手で撃ち落としたから、彼が乗った船を。
 武装してさえいなかった船を、ただ逃げてゆくだけの練習艇を。
 マザー・イライザの命令のままに、レーザー砲でロックオンして…。
(……撃ったんだ……)
 そしてシロエは消えてしまった。
 髪の一筋さえ残すことなく、光に溶けて。
 レーザー砲の閃光の中で、一瞬の内に蒸発して。
 何も残っていなかったことを、この目で確認して来たから。
 シロエの船が在った場所には、残骸が散らばるだけだったから。


 自分はこうして戻ったけれども、シロエは二度と戻りはしない。
 皮肉に満ちた彼の言葉も、この耳にけして届きはしない。
(…ピーターパンの本を抱えた時の…)
 あどけない子供のようだった顔も、もう見ることは叶わない。
 魂ごと宇宙(そら)へと飛び立った者は、別の世界の住人だから。
 いつか自分が其処へ逝くまで、行き方さえも分からないから。
(……シロエは自由に……)
 なれたのだろうか、彼の望み通りに?
 機械の言いなりになって生きる人生、意味などは無いとシロエは言った。
 それならば彼は、自分の望みを叶えたろうか。
 生きる意味の無い生を終わらせ、果ても見えぬ空へ飛び去ったから。
 漆黒の宇宙の向こうにはきっと、まだ見ぬ空があるのだろう。
 テラフォーミングされた星の空やら、母なる地球を取り巻く空や。
 昼には光で青く染まって、夜は宇宙の色になる空。
 そういった空より、もっと自由で果ての無い空。
 シロエは其処へと行ったのだろう、生ある者には持ち得ない翼、それを広げて。
 きっと誰よりも自由に羽ばたき、何処までも飛んでゆける世界へ。
 …そんな気がする、彼は勝ったと。
 真の自由を勝ち取ったのだと、誰も彼を追えはしないのだと。


 そう思うけれど、シロエの勝ちだと感じるけれど。
 これは自分の逃げなのだろうか、シロエを殺してしまったから。
 連れ帰る代わりに船ごと撃って、この世から消してしまったから。
(…シロエが自由になれたのなら…)
 それがシロエの意志だったならば、悔やむことなど何一つ無い。
 シロエは自分を利用しただけ、撃たせて空へと飛び去っただけ。
 そう思ったなら、楽になれるから。
 レーザー砲を撃った罪の手、その手を真っ赤に染めた血潮も流れ去るから。
 だからそちらへ向かうのだろうか、自分の思いは?
 あれはシロエが選んだ道だと、自分はそれを助けたのだと。
 何も罪など犯していないと、悔やまなくてもいいのだと。
(……卑怯者め……)
 認めたくないのか、己の罪を。
 罪だと心に刻み付けつつ、まだ逃げようと足掻くのか。
 自分は何もやっていないと、ただ従っただけに過ぎないと。
 シロエの意志に、マザー・イライザの命令に。
 全てはそうしたことの結果で、シロエも、マザー・イライザも勝った。
 シロエはマザー・イライザに。
 自らを捨てて、自由な道へ。
 マザー・イライザも勝ちを収めた、シロエという反逆者を消して。
 …自分は彼らに使われただけで、いいように使い捨てられただけ。
 一人きりで消えない罪を抱えて、この左手を血染めにされて。


 その通りだと認められたら、思い込むことが出来たなら。
 どれほど楽になれるのだろうか、せめてシロエのせいに出来たら。
 彼を自由に飛ばせてやったと、鳥籠から出してやったのだと。
(鳥籠から出してやった途端に…)
 鋭い爪に捕えられても、鷹にその身を引き裂かれても。
 それでも鳥は本望だろうか、自由に焦がれた籠の中の鳥は。
 一瞬だけ自由に羽ばたいた空を、永遠に駆けてゆくのだろうか。
 引き千切られた羽根が血まみれになって、空の鳥籠の側に散らばり、鳥は消えても。
 籠の中で空を夢見て歌った、その声が絶えてしまっても。
(……シロエ、お前は……)
 本当にそれで良かったのか、と尋ねても返らない答え。
 きっと永遠に分からないから、たとえシロエの勝ちだとしても…。
(…ぼくがシロエを殺したことは…)
 存在さえも消し去り、葬ったことは、もう間違いなく罪なのだろう。
 シロエの口から「違いますよ」と聞けないのなら。
 彼が自分で此処に出て来て、心を解いてくれないのなら。


(……誰もシロエを知らなくても……)
 このステーションに存在したこと、それさえ忘れてしまっていても。
 自分がシロエを忘れないこと、きっとそれだけが出来る贖罪。
 なんとも皮肉な話だけれども、自分だけが彼を覚えているから。
 セキ・レイ・シロエを殺した自分が、彼の存在を消してしまった人間が。
(…一生、シロエを忘れないこと…)
 たとえシロエが自分を利用したのだとしても。
 果ての無い空へと飛んでゆくために、この肩を蹴って去ったとしても。
 飛び去ったシロエを忘れないこと、自分の罪を背負ってゆくこと。
 友に成り得た可能性さえ、シロエは秘めていたのだから。
 一つピースが違っていたなら、きっと良き友だったのだろう。
 サムやスウェナと一緒に笑って、四人でテーブルを囲みもして。
 スウェナが去って行った後には、三人で。
 卒業の時も、此処を出てゆく船の中から、窓に向かって手を振ったろう。
 シロエの姿は遠すぎてどれか分からなくても、其処にいるだろう窓に向かって。
 「先に行くから、また会おう」と。
 いつか地球でと、その日を待っているからと。


 本当にきっと、ほんの僅かなすれ違い。
 それがシロエと自分とを分けて、隔ててしまって、置いてゆかれた。
 シロエは自由な空へ飛び去り、自分に残されたものは罪の手。
 友だったかもしれないシロエを、彼を乗せた船をこの手で撃った。
 永遠に消えはしない烙印、左手に刻まれた罪の刻印。
 誰の目にも、それは見えなくても。
 セキ・レイ・シロエを知っている者、それさえ誰もいなくなっても。
(……忘れない……)
 彼を生涯、忘れはしない、と誓った左手。
 見る度にそれを思い出そうと、この手の罪をと睨んだ左手。
 レーザー砲の照準を合わせ、発射ボタンを押したことを自分は知っているから。
 他に知る者が誰もいなくても、自分の心は誤魔化せないから。
(…シロエが自由になったのだとしても…)
 そう思うことを、けして自分に許しはしない。
 自分が正しいことをしたと思うなど、それは逃げでしかないのだから。
 シロエの口から「今まで知らなかったんですか?」と聞かない限りは、逃げでしかない。
 「気付かなかったなんて、機械の申し子も大したことはないんですね」と。
 「キース先輩も、その程度でしたか」と、あの笑い声がしない限りは。
 そういう声が聞こえたならば、と思う自分がいる内は。


 消えない罪の意識と後悔、明かせる相手もいないのが自分。
 誰もシロエを知らないのだから、語っても意味を成さないこと。
(…サムに言っても…)
 返る言葉はもう分かっている、サムの姿を見なくても。
 きっと、あの時より酷い。
 幼馴染だと聞いたミュウの少年、ジョミー・マーキス・シンのこと。
 あんなに動揺したというのに、サムは覚えていなかった。
 かつて語った幼馴染を、鮮明だった筈の姿を。
 あれよりもずっと、空しい結果が自分を待っているのだろう。
 「シロエを殺してしまったんだ」と打ち明けたなら。
 サムはキョトンと目を見開いてから、「それ、誰だよ?」と尋ねるのだろう。
 そんな名前は知らないと。
 「きっと夢だぜ」と、「そういや、前にも変だったよな?」と。
 訓練飛行の日を間違えていなかったか、と。
 しっかりしろよと、あの笑顔で。
(……どうせ、そうなる……)
 そうなるのだと分かっているから、今はサムにも会いたくはない。
 夕食の時間も皆とずらした方がいい。
 シロエはいないと思い知るから、またしても罪を負わされるから。
 本当だったら食堂に一人、生徒は多い筈なのだから。
 シロエが今もいたならば。
 皆が名前を、姿を覚えていた頃ならば。


 後にしよう、と思った食事。
 サムにも会うまいと考えかけた夕食の時間。
 けれども、心を不意に掠めていった声。
(…シナモンミルク…)
 何度も食堂で耳にしていた、シロエがそれを頼むのを。
 彼の好物だったのだろうか、意識し始めたら不思議なほどに聞いていたから…。
(……逃げないのならば……)
 シロエを殺した己の罪を、一生、背負ってゆくのなら。
 誰も分かってくれない苦しみ、それを生涯、負ってゆくなら…。
(…あれを頼むか…)
 きっとサムなら、「何だよ、それ?」と驚いてトレイを見るだろうけれど。
 「お前、コーヒーじゃなかったのかよ?」と、「どうしたんだよ?」と訊くだろうけれど。
(…ちょっと興味があっただけだ、と言えたなら…)
 自分の罪をきちんと罪だと受け止められるし、シロエのことも忘れないだろう。
 これを好んだ人を殺したと、友だったかもしれない者を、と。
 一度も飲んだことのない味、それと一緒に。
 どういう味かは分からないけれど、食堂であれを頼んでみよう。
 かつてシロエがそうしたように。
 何度も耳にしていたように。


 「シナモンミルク、マヌカ多めに」、それがシロエに捧げる挽歌。
 自分はシロエを忘れないから。
 これから食堂で初めて口にする味、それと一緒に心に刻む。
 セキ・レイ・シロエ、自分が殺した少年の名を。
 友に成り得た筈の少年、彼の姿を、死の瞬間まで自由に焦がれた鳥の名前を…。

 

         飛び去った鳥に・了

※シロエの存在、誰もが忘れていましたからね…。キース以外は、もう全員が。
 鳥籠から逃げた鳥の名前は「セキレイ」、そういうイメージ。日本語な上に野鳥ですけど。





拍手[0回]

Copyright ©  -- 気まぐれシャングリラ --  All Rights Reserved

Design by CriCri / Material by 妙の宴 / powered by NINJA TOOLS / 忍者ブログ / [PR]