(あの血の味…)
キースは知りもしないんだろうさ、と吐き捨てたシロエ。
灯りが消えた自分の部屋で。
あの時、自分がそうした通りに、唇を拳でグイと拭って。
キースに殴られ、衝撃で切れた口の中。
自分の歯が当たった頬の内側、人間だったらこれで出血するけれど。
現に自分も唇から血が流れたけれども、その傷をくれて寄越したキース。
(…あいつは知らない…)
知るわけがない、と思う血の味。
多分、彼には血など流れていないから。
機械仕掛けの操り人形、マザー・イライザの申し子のキース。
皮膚の下には、冷たい機械の肌が埋まっているのだろう。
一皮剥いたら、もう人間ではないキース。
(機械も怒るらしいけれどね?)
怒って自分を殴ったけれども、マザー・イライザも同じに怒る。
キースとは違って計算ずくで。
「叱った方が効果的だ」と判断したなら、厳しい顔で。
さっき自分も叱られたから。
コールを受けて食らった呼び出し、マザー・イライザは怒ったから。
それが何だ、と腹立たしいだけ。
キースに喧嘩を売った理由は、自分にとっては正当なもの。
勝負しようと言っているのに、キースはそれを退けたから。
受けて立とうという気が無いだけ、それだけのことで。
(エリートだったら…)
正面からぼくと勝負しろよ、と今だって思う。
逃げていないで、逃げる道など行かないで。
堂々と戦ってこそのエリート、それでこそだと思うから。
コソコソと逃げる卑怯者では、メンバーズ・エリートもきっと務まりはしないから。
(逃げるようなヤツに…)
腰抜けなんかに何が出来る、と思うけれども、マザー・イライザはキースを支持した。
彼の選択が正しいと。
なのにしつこく食い下がったから、手を上げざるを得なかったのだと。
(…殴られ損だよ…)
あんな機械に、と苛立つ心。
同じ人間に殴られたのなら、まだしも気分がマシなのだけれど。
人間ならば、血が通っているから。
自分と同じに生き物だから。
けれど、殴って来たのは機械で、血の味さえも知らない「モノ」。
こちらから殴り返していたって、キースの口の中は切れたりはしない。
あの精巧に出来た歯が当たろうとも、皮膚の下には機械の肌があるだけだから。
血など一滴も流れていなくて、切れたところで赤い血は出ない。
(…流れてない血は、流れ出すことも出来ないさ…)
彼は知らない、口の中に広がる鉄の味など。
ヒトの血は鉄の味がするということも、その味が何によるものかも。
それとも知っているのだろうか、知識として。
マザー・イライザにプログラムされて、「人間の血は鉄の味がする」と。
「人間」には「血」が流れていると。
その「血」を人間が口に含めば、「鉄分」の味を知覚するのだと。
あいつらしいね、と思った答え。
如何にもキースが言いそうなことで、機械の申し子に似合いの答え。
「キース先輩」と呼び掛け、尋ねたならば。
「先輩は血の味を知ってますか」と、「どんな味だか、知らないんですか?」と。
訓練でも負けを知らないキース。
だから血などは流していないし、疑いもせずに答えるのだろう。
「知らないが、鉄の味がするらしいな」と。
「人間の血には鉄分が含まれているから、そのせいで鉄の味になるそうだ」とも。
(ご立派だよね…)
エリート様だ、と皮肉な笑みしか浮かんでは来ない。
確かに正しい答えだけれども、キースにはその「血」が無いのだから、と。
自分では持っているつもりでも。
キース自身に自覚が無くても、彼には血など流れていない。
どう考えても、彼は人では有り得ないから。
マザー・イライザが造った人形、そうだとしか思えないのだから。
(…あいつは何処からも来なかった…)
このE-1077へ。
記録の上ではトロイナスから来ているけれども、それは見せかけ。
何もかも全て偽りなのだと、調べれば調べてゆくほどに分かる。
キースの記録は、まるで無いから。
新入生を迎えてのガイダンスの場へ、突然に姿を現すまでは。
映像は何も残っていないし、同じ宇宙船で着いた筈の者たちも覚えていない。
船にキースが乗っていたなら、きっと記憶に残るだろうに。
(…ごく平凡な成績だったら…)
忘れられても、けして不思議ではないけれど。
人の記憶はそういうものだし、「キース、いたかな…?」と首を傾げもするだろうけれど。
あれほどのトップエリートともなれば、忘れる筈がないというもの。
入学した途端に取った成績、たちまち評判になったろう、それ。
E-1077始まって以来の成績だから。
それまでの記録を端から塗り替え、トップに躍り出たのだから。
忘れる方がどうかしている、と思うキースの活躍ぶり。
此処へ来てから間も無い頃に起こった事故でも、見事な働きをしているキース。
(あんなヤツが一緒の船にいたなら…)
最初は忘れていたとしたって、何処かで気付く。
「あの時のヤツだ」と、「一緒の船で此処に着いた」と。
記憶の海に埋もれていたって、思い出すには充分すぎる「優れた」キース。
けれども、誰も彼を知らない。
誰に訊いても、返る答えは同じこと。
「覚えていない」と、判で押したように。
忘れようもない人物なのに、普通だったら「覚えている」ことを誇るのに。
成人検査で記憶を消されて、故郷の記憶が曖昧でも。
両親の顔さえ忘れてしまったような者でも、「同郷だ」と。
トップエリートのキースと同じで、トロイナスから来たのだと。
(…それが一人もいないってことは…)
此処にいたんだ、という答えしか無い。
キースは何処からも来はしなかった。
最初からE-1077に居た者、マザー・イライザが造った者。
造り、知識を与えた者。
とびきりの頭脳を持ったエリート、そういう存在になるように。
機械が治める世界なのだし、エリートも機械の方がいい。
同じ機械と組む方が。
(パーツさえ上手に取り替えてやれば…)
何百年だって生きられるしね、と機械の頑丈さを思う。
地球に在るというグランド・マザーは、六百年近くも動いているから。
動き続けて、今も宇宙を、人間を支配しているから。
(…そうやって治めて、治め続けて…)
とうとう機械仕掛けの人形を思い付いたんだ、と忌まわしさしか感じない。
機械が統治しているだけでも反吐が出るのに、人のふりをした機械だなんて、と。
そんなモノが治める世界だなんてと、絶対に御免蒙りたいと。
だから壊す、と握った拳。
「ぼくがキースを壊してやる」と。
彼がトップに立つ前に。
人間の世界に出てゆく前に。
この手で彼をブチ壊してやる、キース・アニアンという人形を。
機械の申し子、マザー・イライザの精巧な操り人形を。
(どうせ機械だ…)
壊したって血も出やしないさ、とクックッと笑う。
「自分が何かを、知って仰天するがいい」と。
皮膚の下には血など無いこと、それを知って壊れてしまうがいいと。
「彼」は人間のつもりだから。
自分が機械で出来ていることを、キースは認めていないから。
想定外のデータを送り込まれれば、破壊されるのがプログラム。
そうやって自滅してゆくがいいと、お前には血など無いのだから、と…。
血を持たぬ者・了
※シロエがキースに殴られた時。その場はカッと来てるだろうけど、その後は…。
口の中は血の味がしてた筈だよ、と思ったらこういうお話に。人形に血は無いんだから。