(……ヒトというものは……)
不思議なものだ、とキースは心で独りごちる。
国家騎士団総司令にと、与えられたノアの広い個室で。
側近のマツカも、とうに下がらせた後の夜。
机の上には半ば冷めたコーヒー、半分は飲んであるのだけれど。
(…こんな夜に、一人きりの輩は…)
きっと少ないことだろうな、と想像はつく。
マツカはともかく、他の部下たちは外に出掛けたか、あるいは何処かに集まって…。
(……クリスマス・パーティーときたものだ……)
神の子の誕生を祝っているかは、謎なのだがな…、と可笑しくなる。
遠い昔に、地球で生まれた神の一人子。
ベツレヘムという名の街の厩で、貧しい大工の息子として。
(……血統としては、ダビデの末裔だったとはいえ……)
父のヨセフも、母のマリアも、けして王族などではなかった。
だから厩で生まれて来た上、ゆりかごも飼葉桶だったほど。
預言された「神の子」だったのに。
「ユダヤ人の王」となるべく、神が定めた子であったのに。
(…その誕生を星が知らせて、遥か東方から…)
三人の博士たちが、その赤ん坊を訪ねて来た。
贈り物を手にして、「ユダヤ人の王となられる御方は、何処におられますか」と。
王家に生まれた子ではないのに。
それを問われた王のヘロデは、「ユダヤ人の王」となる子を、抹殺しようと考えたほど。
博士たちには、大嘘をついて。
彼らが赤子を無事に見付けたら、「私も拝みに行くから、教えて欲しい」と。
もっとも、利口な博士たちの方は、教えないままで帰ったけれど。
厩で神の子にひれ伏した後は、ただ真っ直ぐに。
それがキリスト、神の子が、人の姿で生まれた時の出来事。
今の時代も、その誕生はクリスマスとして残っている。
クリスマスツリーや、パーティーなどや、心華やぐイベントとして。
子供が主役の育英都市でも、ノアのような大人社会にしても。
けれど、今の世に、どれほどの人が「神の子」の誕生を祝うのだろう。
心の底から「この日」を寿ぎ、「ハレルヤ」と神を讃えるだろう。
(……そういう職業に就いた者しか……)
本当の意味で、クリスマスを祝いはしないのだろう、と考えずとも分かること。
ヒトは今でも「神」に縋るけれど、神との距離が開いたから。
SD体制が敷かれた時代に、ヒトは「厩」で生まれはしない。
厩でなくとも、「ユダヤ人の王」となる子に、似合いの豪華な寝台だろうと。
(…人工子宮から生まれる上に…)
本当の父と母の顔さえ、「生まれて来た子」は、見ることが無い。
人工子宮から出された後には、養父母の許で育つだけ。
「自分」という生命が誕生するまでに、本当の父と母がいるのに。
機械が選んで組み合わせてはいても、精子と卵子の提供者が。
(……今の時代は、誰でもイエスと変わらないな……)
まるで変わらん、と浮かべた苦笑。
誰一人として、「母から生まれた子」はいないから。
強いて言うなら、異分子のミュウの船で目にした、幼子くらい。
(…アレは、母親から生まれた子だが…)
その父親もいるだろうから、イエスとは、全く事情が違う。
イエスの場合は、「処女(おとめ)」が母なのだから。
肉体の欲は絡んでいなくて、人工子宮から生まれて来る子と変わりはしない。
だから今の世は、どちらを向いても「清い子」ばかり。
ミュウの船で見た、子を除いては。
オレンジ色の髪と瞳の、暗殺者として牙を剥いて来た幼児以外は。
(……皆、清い子では、キリストという神の有難味もだ……)
自ずと薄れてゆくのだろうな、と思いもする。
いったい誰が、今日という日を祝うだろうか、と。
華やかなイベントに興じるだけで、きっと神など見てさえもいない。
ヒトは幸せの中にいたなら、「神」を求めはしないから。
彼らが「神」に縋る時といえば、切羽詰まっての、神頼みくらいなのだから。
それほどに、今は「忘れ去られた」神というもの。
神に仕える職業の者も、仕事だから仕えているというだけ。
ヒトの人生の節目などには、今でも神が顔を出すから。
結婚式を挙げるとなったら、神に仕える者たちの出番。
彼らが式を司らねば、絵にはならない「結婚式」。
どれほどの贅を尽くしていようと、肝心の式が疎かになって。
結婚する二人のための祝福、それも演出して貰えなくて。
(……神の出番は、その程度だがな……)
普段は全く無いのだがな、と思いはしても、祝われているクリスマス。
何日も前から、街やオフィスが美しく飾り付けられて。
子供たちが暮らす育英都市なら、サンタクロースなども登場して。
ヒトが皆、「神の子」であるイエスと、さほど変わらない生まれになっても。
母の胎内から生まれて来ないで、人工子宮から取り出されても。
(…神の子よりも、清らかな生まれなのかもしれんな…)
血の穢れさえも受けてはおらん、と顎に当てた手。
遠い昔には、出産は「穢れ」とされていた。
ヒトが生まれるには必須のことでも、出産には「血」が付き物だから。
子を産む母さえ、産屋に閉じ込め、外に「穢れ」を持ち出さないようにされたほど。
出産の後も、「穢れている」と思われたもの。
しかるべき時を経た後にしか、「神の家」たる神殿などには出入り禁止で。
(……聖母の清めの日というのも……)
昔から定められていた。
神の一人子、キリストを産んで「穢れた」マリア。
彼女の穢れが拭い去られて、神殿に供物を捧げることが許された日。
後の世界では、幾つもの蝋燭を皆が灯して、その日を祝っていたという。
本当の意味での「クリスマスの終わり」は、聖母の清めの日だった、とも。
(…今の時代は、そういう穢れも…)
ありはしない、と歪めた唇。
人工子宮から生まれて来る子は、キリスト以上に「清い」者だ、と。
(……そして、私は……)
どんな者だというのだろう。
人工子宮の外に出されず、水槽の中で、成人検査の年までを育てられた者。
そうして生まれる前の時点でも、精子も卵子も使われていない。
全くの無から作られた者で、本当の父も、母もいない者。
機械が「キース」を作ったから。
マザー・イライザが、今はもう無い、あのE-1077で。
(…三十億もの塩基対を合成して…)
繋ぎ合わせて、DNAという鎖を紡いだ、と語ったイライザ。
それは誇らしげに、「神」を恐れることさえもせずに。
マザー・イライザも、プロジェクトを進めたグランド・マザーも、神の領域を侵したのに。
(……あの機械どもが目指したものは……)
「神の子を創る」ことだったろうか。
今の時代の人間が全て、神の子よりも「清い」存在ならば。
イエスが生まれた時には在った、血の穢れさえも「無しに」生まれて来る世界なら。
(…全くの無から、作り出したならば…)
並みの人間よりも一層、「神」に近付くことだろう。
精霊によって、聖母の胎内に宿った「イエス・キリスト」よりも。
何故なら、「マリア」も要らないから。
「母」の胎内など、まるで必要とはしないのだから。
(……まさかな……)
そこまで傲慢なこともあるまい、と首を横に振る。
どう作ろうとも、「キース」は神にはなれないから。
神の子のように死んで復活しもしなければ、天に昇りもしないのだから。
そのくらいのことは、きっと機械にも分かると思う。
「キース」が「神」になれないことは。
どれほど「神」に似せて作ろうとも、「神」さえも超える生まれの者を作り上げようとも。
(…いくら機械が、神というものを目指そうが…)
神は作れん、という気がする。
ヒトが「神」などを忘れていようと、それでも「神」はいるのだから。
クリスマスが「ただのイベント」だろうと、人生の節目にしか「神の出番」が無くとも。
(……どう転がっても、私が神になれる日などは……)
来はしないのだ、と分かっているから、ただ虚しい。
機械が「神を創り出すこと」を目指したのなら、彼らの目論見は外れたから。
「キース」に出来ることといったら、「人類の指導者」程度だから。
(…それが限界だと思うのだがな……)
それ以上を求められても困る、と傾けた冷めたコーヒーのカップ。
「キース」は天には昇れないから。
どれほどに忘れ去られた「神」でも、「キース」よりかは人の心に生きているから。
気が遠くなるほどの時が流れた後にも、その誕生日を祝われて。
ただのイベントと化した今でも、クリスマスを皆に待ち望まれて。
その日が持っている本当の意味は、忘れられていても。
街が華やぐだけになっても、パーティーを開く日になっていても。
何故なら、「神の子」は「本物」だから。
機械が無から作りはしなくて、神が下した一人子だから…。
神の一人子・了
※いや、キースって、いろんな意味で「神の子」を超えているんだよな、と思ったわけで…。
季節外れも甚だしい話になっちゃいましたが、あえてクリスマスが舞台です、はい~。
(……キース・アニアン……)
ああいう仕組みだっただなんて…、とシロエが噛んだ唇。
フロア001で見たモノ、それがあまりにも意外過ぎたから。
(…機械仕掛けの人形なんだ、って…)
思い込んで、そう信じて来た。
感情すらも無い「機械の申し子」、彼も機械に違いないと。
一皮剥いたら、皮膚の下には、精巧な機械があるのだろうと。
けれど、答えは違っていた。
フロア001に居たのは、何人もの「キース・アニアン」たち。
胎児から、今のキースくらいの標本までが、幾つも並べられた部屋。
それとは別に、金髪の女性の標本も並んでいたけれど…。
(……キースは、あそこで……)
マザー・イライザに作り出されて、育て上げられた。
最初はクローンかと思ったけれども、覗き見たデータは、想像以上のもの。
キースも、金髪の女性の方も、「無から生まれた存在」だった。
機械によって合成された、三十億もの塩基対。
それを繋いで紡ぎ出された、DNAという名の鎖。
「キース」は、其処から生まれて来た。
全くの無から作り上げられ、胎児の形に成長して。
(…おまけに、人工子宮から出ずに…)
人工羊水の中に漂い、そのまま育っていったという。
マザー・イライザから、膨大な知識を流し込まれながら。
人類の理想の指導者たるべく、作られた時から、英才教育を施されて。
だからキースは「外」を知らない。
水槽の中だけが世界の全てで、何処にも行きはしなかったから。
そう知った時に、水槽を見詰めて考えた。
「ゆりかご」だよね、と。
赤ん坊を育てる時に使うのが、ゆらゆらと揺れる「ゆりかご」だけれど。
養父母が揺すってあやすのだけれど、キースに、そんな時代は無い。
ずっと機械が育てて来たから、養父母などは存在しない。
水槽の外にも出ないのだったら、まるで必要なかった「ゆりかご」。
(……だけど、あいつは……)
機械に育て上げられたのだし、あの水槽が「ゆりかご」だろう。
ゆらゆらと揺れることは無くても。
マザー・イライザが、「キース」をあやすことも無くても。
その「ゆりかご」を撮影した。
本当だったら、アンドロイドの製造現場を映すつもりで、持っていたカメラで。
並ぶ「キースたち」を端から映して、得意満面で語り掛けた。
「キース先輩、見てますか?」と。
それをキースに突き付けるために、「此処が何処だか、分かります?」とも。
「ゆりかごですよ」と、思ったままを口にもした。
キースが何を思うかはともかく、「それ」が真実なのだから。
「機械の申し子」は此処で生まれて、機械が世話をしたのだから。
充分に大きく成長した後、E-1077で「人間」の中に混ざれるように。
「本物のヒト」と何ら変わらず、エリート候補生として。
そのために「キース」は作られたから。
誰よりも優れた者になるべく、DNAさえも機械が紡いで。
(…其処までは上手く行ったのに…)
いったい何が拙かったろうか、どの段階でヘマをしたのか。
保安部隊の者に捕まり、それは酷い目に遭わされた。
拷問まがいの心理探査に、有無を言わさぬ様々なチェック。
動くことさえ辛いけれども、なんとか其処を逃げ出して来た。
フロア001を映したデータを、取り戻して。
恐らくは命がけの映像、それを失いたくなくて。
(……また、捕まったら……)
今度こそ「シロエ」は消されるのだろう。
知ってはならない秘密を覗いた、反逆者として。
最高機密を知ってしまった、「消さねばならない」存在となって。
けれど、黙って消されはしない。
何としてでも、機械に一矢報いるまでは。
機械が作り上げた「キース」に、真実の欠片を突き付けるまでは。
(…この映像さえ、キースの目に入ったら…)
きっと全ての糸が繋がることだろう。
キースが「ゆりかご」を目にしたならば。
フロア001に足を踏み入れ、何人もの「キース」に出会ったならば。
ただ、それだけを思い続けて、逃れて来た。
通風孔の中を懸命に辿り、自分のための個室まで。
(……データを隠しておくんなら……)
此処だ、と決めていた本の中。
ただ一つだけ、故郷から持って来られたもの。
大好きだった両親がくれた、宝物の『ピーターパン』の本。
(…パパ、ママ…。ピーターパン…)
これを守って、とデータを収めたチップを隠した。
「セキ・レイ・シロエ」と名が書いてある、その下に。
本を広げないと見えない場所に。
(……薄いチップだから……)
この本をパタンと閉じてしまえば、もう分からない。
不自然に表紙が開きはしないし、見た目には隙間も出来てはいない。
名前の上を指でなぞれば、「何かある」と指が感じるだけで。
「セキ・レイ・シロエ」の文字をじっくり追って初めて、僅かな段差が分かる程度で。
(…これで大丈夫…)
それに、何処までも、ぼくと一緒、とピーターパンの本を抱き締めた。
もう、この個室にさえ、追手が迫っていることだろう。
保安部隊が、銃を手にして。
逃げた「シロエ」を射殺する気か、取り押さえる気かは知らないけれど。
(でも、ぼくは…)
此処で捕まるわけにはいかない。
命を終えるつもりもない。
「キース」にデータを突き付けるまでは。
彼を立派に育てた「ゆりかご」、それの秘密を手渡すまでは。
(ぼくの命が終わる時まで…)
この本と一緒にいたいと思う。
キースにデータを手渡した後も、もう秘密の無い本を抱えて。
両親に貰った宝物の本を、何よりも大切に思い続けて。
(……来た……!)
鍵をかけておいた扉を、乱暴に開けようとしている音。
保安部隊がやって来たのに違いない。
(…こんな所は、覗かない筈…)
此処に隠れてやり過ごそう、と床の下へと潜り込んだ。
通風孔へは、其処から入ってゆけるけれども…。
(下手に動いたら、感付かれて…)
引っ張り出されるに決まっているから、息を潜めた。
ピーターパンの本を抱き締め、まだ乱れている呼吸を抑えながら。
肩は激しく上下するけれど、口からは音が漏れないように。
「いたか!?」
「いや、こっちにはいない」
「そっちはどうだ!?」
バタバタと歩き回る音。
荒々しい足音が、右へ左へと頭上で動く。
「セキ・レイ・シロエ」を捜し出すために。
その場で殺してしまうためにか、また引き立てて行くためにか。
まだ、捕まる気は無いけれど。
「キース」の秘密が隠された本を、憎いキースの所に持って行くまでは。
(……パパ、ママ……)
ピーターパンも、ぼくを守って、と大切な本を抱き締めていて。
宝物を抱えて息を潜めて、乱暴な足音が去ってくれるよう祈り続けて…。
(…キースって…)
あいつには、何も無いんじゃないか、と気が付いた。
過去の記憶を持たないキースは、「本当に持っていなかった」。
この世に生まれた人間ならば、誰もが持っているものを。
成人検査で奪われた後も、微かに残る筈の記憶を。
(……ずっと、水槽で育ったから……)
キースには育ての親もいなければ、故郷も、幼馴染も無い。
そんなものなど持ったことも無くて、知識を得て成長したというだけ。
(…過去なんか、何も持ってないなら…)
機械が奪う必要は無くて、あった筈もない成人検査。
キースは成人検査の代わりに、初めて「外の世界」を得た。
機械が与え続けた酸素を、卒業して。
自分自身の肺で呼吸して、二本の足で初めて立って。
(……あいつ、そうやって生まれて来たんだ……)
過去を奪い取る、あの残酷な成人検査を受けもしないで。
どんなものかも知りもしないで、訳知り顔で。
(……幸福な奴……)
なんて奴だ、と募る憎しみ。
今、苦しいのは、成人検査で過去を奪われたせいなのに。
保安部隊に追われることより、その方がずっと辛くて悲しいことなのに。
(…幸福なキース…)
そう言ってやる、と噴き上げる怒り。
無事に此処から逃れられたら、あの幸福な生命に。
機械が作り出したキースに、嘲りをこめて。
彼だけが「それ」を知らないから。
成人検査を知らない命は、過去を奪われる悲しみさえも、覚えずに生きているのだから…。
過去が無い幸福・了
※シロエが言っていた「幸福なキース」という言葉。アレをいつ思い付いたんだろう、と。
「ゆりかご」を見付けて捕まった時は、まだだった筈。この頃かな、というお話。
(……友達か……)
もう、そう呼んでくれる者もいないな、とキースが零した溜息。
首都惑星ノアの、国家騎士団総司令に与えられた個室で。
側近のマツカは下がらせた後で、夜更けと言ってもよい時刻。
冷めて温くなったコーヒーのカップを傾けていて、思ったこと。
今の自分に「友達」はいない。
いるのは部下たちと側近のマツカ、それだけが周りを取り巻く者。
ずっと昔には「友」がいたのに。
「友達だろ?」と肩を叩いて、「元気でチューか?」と笑んでいたサム。
けれど、その友を失った。
サムは今でもいるのだけれども、子供に戻ったサムの世界に「キース」はいない。
成人検査よりも前の時代に生きるサムには、ステーション時代などは無いから。
「父さん」「ママ」とサムが呼ぶ養父母、彼らがサムが見ている人々。
其処では、キースは「赤のおじちゃん」。
国家騎士団の赤い制服を纏って、何度も会いに行ったから。
サムがすっかり懐くくらいに、病院へ足を運んだから。
(……私は、赤のおじちゃんで……)
今のサムが言う「友達」ではない。
サムが一緒に遊んでいるのは、時の彼方にいる友達。
雲海の星、アルテメシアの育英都市のアタラクシアで、サムと過ごしていた者たち。
その中には、きっと、ミュウの長までいるのだろう。
サムの幼馴染のジョミー・マーキス・シン、今のミュウたちを率いる長が。
(…ジョミーには、今も…)
友がいるのに違いない。
サムとは離れてしまったけれども、ミュウの母船で出会った者たち。
彼らに囲まれ、孤独などとは、まるで無縁で。
時折、こうして「孤独だ」と思う。
自分は一人きりなのだと。
友の一人もいてくれなくて、ただ一人きりで歩み続ける。
機械が「キース」を作った時から、敷いていただろうレールの上を。
道を外れることも出来ずに、黙々と機械に従い続けて。
(……一つだけ、逆らっているのだがな……)
ミュウのマツカを、「人類」だと偽り、国家騎士団に転属させたこと。
そうして自分の側近に選び、今でも生かし続けていること。
ミュウは端から抹殺するのが、SD体制を維持する道。
グランド・マザーはそう説いているし、マザー・システムがそれを実行する。
成人検査でミュウと判明した子は、生きてゆくことを許されない。
その場で処分されてしまうか、実験動物として殺されるか。
(…マツカも、そうなる筈だったのを…)
運が良かったのか、たまたま逃れられた運命。
シロエのように「機械に選ばれた」わけではなくて、「見落とされた」存在。
成績不良の劣等生として生き、ひっそりと死んでゆく筈だった。
辺境の基地から出られないまま、出世の道さえ見付けられないで。
(それが今では、大した出世で…)
部下の中には、マツカをやっかむ者たちもいる。
「コーヒーを淹れるしか能のない、ヘタレ野郎だ」などと罵倒して。
だから、マツカも「孤独」なのだろう。
人類の世界に、一人、紛れてしまったミュウ。
仲間が集まる船には行けずに、人類の世界で暮らし続けて。
今日のように部下たちが飲みに行く時も、一人だけ、声を掛けられないで。
(…だが、マツカには…)
友はいなくても「仲間」がいる。
未だに出会えていないだけのことで、この宇宙にはミュウが大勢。
モビー・ディックに乗っているミュウが全てではない。
今、この瞬間にも、何処かで生まれていることだろう。
ミュウの因子を持った子供が。
成人検査を通過できずに、システムに消されてしまう命が。
(……思った以上に、ミュウは多くて……)
もはや単なる「異分子」だとは思えない。
進化の必然と呼べばいいのか、歴史がミュウに味方していると捉えるか。
(…グランド・マザーは、ミュウを否定するが…)
それ自体が誤りなのかもしれない。
所詮、マザーは機械だから。
自分で思考しているとはいえ、その根源は人間が組んだプログラム。
SD体制に入るよりも前に、グランド・マザーを作った者たち。
彼らが意図して組み上げたモノが、「彼女」の思考を作り出している。
ゆえに彼らが間違えていたら、グランド・マザーも「間違ったこと」しか考えられない。
世界が、どのように動こうとも。
歴史の流れが変わってゆこうと、機械は変わらず叫び続けるだけ。
「ミュウを殺せ」と。
異分子は全て抹殺すべきで、一人たりとも、生かしておくなと。
側近の「マツカ」は、そのミュウの一人。
人類の世界では孤独であっても、ミュウの時代が訪れたならば、友は容易く見付かるだろう。
マツカが心を開きさえすれば。
「ぼくもミュウだ」と、本当のことを打ち明ければ。
(……しかし、私は……)
本当に一人きりなのだ、と足元の床が消えてゆくよう。
サムが「友達」と呼んでくれた頃は、まだ孤独ではなかったのに。
そのサムが壊れてしまった後にも、友の仇を討ってやろうと、旅立ったのに。
(…知らないというのは、幸せなことだ…)
自分が本当は何者なのか。
どうして此処に、国家騎士団総司令として生きているのか。
いずれはパルテノンに入って、国家主席の座に就くのだろう。
機械がそのようにレールを敷くから、その上を黙って歩いて行って。
友の一人も見付からないまま、気が遠くなるほどに孤独に生きて。
(……まさか、ヒトではなかったなどと……)
いったい誰が思うだろうか、こうして生を享けて来たのに。
怪我をしたなら、赤い血だって流れるのに。
(…マザー・イライザが作った人形…)
シロエの口からそう聞いた時は、「ヒトではないのか」と疑った。
機械が作ったアンドロイドで、思考も全てプログラムかと。
けれど、その方がマシだったろう。
「無から作られた」人間よりは。
ヒトと同じに生きているのに、「誰一人、仲間がいない」よりかは。
そうは言っても、人付き合いは得手ではない。
セルジュたちが飲みに行くと言っても、一緒に行こうと思いはしない。
部屋で静かに本を読んだり、こうしてコーヒーを傾けたり、と「一人」を好む。
それでも「一人」と「孤独」とは違う。
ただ一人きりの「機械に作り出された生命」、ソレは「孤独でいる」しかない。
何処を探しても、同じモノなど、いはしないから。
マツカのように「仲間が見付かる」時も、訪れはしないのだから。
(……あの、ミュウの女……)
ジルベスターで人質に取った、長い金髪で盲目の女。
彼女の生まれは「キース」と同じなのだという。
やはり同じに無から作られ、失敗作として処分される所を盗み出された。
伝説と呼ばれたタイプ・ブルー・オリジン、ソルジャー・ブルーに見いだされて。
ミュウの船へと連れてゆかれて、ミュウの仲間になってしまって。
(…私と生まれは同じなのだが…)
あの女は、けして孤独ではない。
ミュウの母船で、仲間に囲まれているのだから。
彼女がどういう立場であろうと、きっと「孤独」を味わいはしない。
船のミュウたちと一緒に暮らして、友達もいることだろう。
此処にいる「キース」とは、まるで違って。
ただの一度も、孤独の淵など、立ち止まって覗き込まないで。
(……私にも、友がいてくれたなら……)
今でもサムが正気だったら、全ては違っていただろう。
サムに「キース」の正体を明かしたとしても、嫌われはせずに。
「生まれなんて、そんなに大事なモンか?」と、笑い飛ばしていたかもしれない。
そう、あのサムがいてくれたなら。
遠い昔に「友達だろ?」と、明るく笑った彼がいたなら。
(……私には、運が無いのだな……)
だから一人だ、と孤独の闇に包まれる。
照明は消えていないのに。
煌々と明るく照らし出すのに、それさえも消えてしまったように。
(…こうして、ずっと一人きりで生きて…)
きっと最後も、自分は孤独なのだろう。
最期の息を引き取る時にも、友達は側にいてくれなくて。
ただ一人きりで生きて、生き続けて、疲れ果てて死んでゆくのだろうか。
「最後まで、私は一人なのか」と、溜息をついて。
孤独に生きた人生の終わりに、またも孤独を突き付けられて。
(…それが似合いではあるのだがな…)
どうせヒトではないのだからな、と思いはしても、虚しくなる。
友達もいない孤独な生など、本当は望んでいないから。
機械が促し、「行け」と言うままに、歩んでゆくしかないのだから…。
作られた孤独・了
※「最後まで、私は一人か…」と呟いていたのが、アニテラのキース。死の直前に。
その隣にいたジョミーの立場は…、と考えていたら出来たお話。単に口癖みたいなもの。
(……機械の申し子、ね……)
すました顔のトップ・エリート、とシロエの瞳が見詰める先。
E-1077のカフェテリアの中、先に来ていたキース・アニアン。
(あんな奴なんかと…)
一緒に食事をする気など無い。
飲み物の一つも、同じテーブルで飲む気などしない。
マザー・イライザのお気に入りなどは、見ていても、ただ気に障るだけ。
(……ツイてないよね……)
ちょっと休憩しに来たのに、と零す溜息。
自分の部屋では飲めない飲み物、それを頼みに。
懐かしい故郷を思わせる呪文、魔法の言葉を唱えるために。
(…シナモンミルク、マヌカ多めで…)
故郷の家で、そう頼んだのは誰だったろう。
幼かった日の自分だったか、はたまた父か母の好みか。
(……それさえ、思い出せないけれど……)
遠い日に、確かに耳にしていた。
あるいは口にしたかもしれない。
「シナモンミルク、マヌカ多めで」と。
ホットミルクにシナモンを入れて、マヌカハニーを加えた飲み物。
それもマヌカは必ず「多め」。
このステーションにやって来てから、すっかり忘れていたのだけれど…。
(誰かが、それを注文してて…)
言葉の響きに胸が躍った。
「これ、知ってるよ!」と。
確かに何処かで聞いたものだと、まるで幼い子供みたいに。
そうして頼んだシナモンミルク。
マヌカハニーも多めにして、と付け加えて。
ドキドキしながらテーブルに着いて、魔法の飲み物を口に運んだ。
もしかしたら、子供時代の記憶が戻って来るのでは、と。
機械に消されて奪い去られた、故郷での日々が。
(……だけど、なんにも……)
記憶は戻って来なかった。
シナモンミルクを飲んでいたのが、誰だったのかさえも。
けれど、それ以来、忘れはしない。
故郷の記憶を奥底に秘めた、魔法の呪文を唱えることを。
いつか扉が開く時まで、呪文の意味は掴めなくても。
失くした記憶を取り戻す日まで、ただの呪文に過ぎなくても。
(…あれは魔法の言葉なんだよ)
遠く離れた故郷の星と、忘れられない両親と家。
どんなに記憶が薄れようとも、「好きだった」ことを忘れはしない。
だから呪文を唱えたくなる。
呪文を唱えたい気持ちになったら、このカフェテリアにやって来る。
ホットミルクを飲むだけだったら、自分の部屋でも出来るのに。
(シナモンミルクも、マヌカ多めも…)
与えられた自分用の個室で、自分で作って飲むことは出来る。
ミルクを温め、シナモンの風味を付けたなら。
マヌカハニーをスプーンで掬って、それにたっぷり加えたなら。
(…でも、そうしたら…)
魔法の呪文は唱えられない。
「シナモンミルク、マヌカ多めで」という呪文は。
それを注文する相手がいないと、呪文は意味を成さないから。
だから、こうしてカフェテリアに来る。
故郷に思いを馳せたい時は。
一人きりで部屋に籠っているより、魔法を使いたい気分の日は。
(…それなのに、キース・アニアンね…)
とんだ先客、と顔を顰めて、カウンターに向かおうとしたのだけれど。
(……また、コーヒー……)
いつもアレだ、とキースの手元に目がいった。
此処でキースが頼む飲み物、それはいつでもコーヒーばかり。
判で押したように、同じ注文。
此処には色々なものがあるのに。
キースと一緒にサムがいたなら、そちらはコーラを頼んでいたり、と。
(…まさか、あいつも…)
コーヒーに何かがあるのだろうか。
「機械の申し子」と呼ばれる彼でも、魔法の呪文を持っているとか。
今日の自分が、それを唱えに来たように。
普段から「決して忘れないよう」、定番の飲み物にしているように。
(……まさかね……?)
あんな面白味のない奴に限って、と心の中で吐き捨てる。
キースも故郷を懐かしむなら、もっと人間味があることだろう。
奪われた過去にこだわるのならば、感情だって、ずっと豊かで。
ポーカーフェイスを保っていないで、時には笑って、時には泣いて。
(単に、あいつは…)
コーヒーが好きなだけなのだろう。
過去の記憶は忘れ去っても、舌がコーヒーを覚えていて。
「これは美味い」と、他の飲み物よりも好んで。
(……コーヒーなんか……)
いったい何処がいいのだろうか。
上級生には人気だけれども、下級生は、まだ好まない。
キースも途中でコーヒーの味に目覚めたものか、此処に来る前から好きだったのか。
(…最初からなら…)
きっとキースの故郷の家では、コーヒーが普通だったのだろう。
「シナモンミルク、マヌカ多めで」と頼む代わりに、「コーヒーを」と。
キースの父が飲んでいたのか、両親揃って、コーヒー好きか。
(……それで、あいつも……)
横から味見をしている間に、コーヒー党になっただろうか。
ただ苦いだけの飲み物なのに。
E-1077に来て間もない者には、まるで人気が無いというのに。
(…そうだったなら…)
どうしてキースが、と腹立たしい。
過去のことなど、まるで振り返りもしないだろうに。
両親や故郷を思うことより、未来しか見ていないだろうに。
(……機械の申し子なんだから……)
感情などは何処かに置き去り、そんな風にしか見えないキース。
それなのに、彼も「呪文」を持つなら、神とは、なんと不公平なのか。
キースなんかに持たせてやっても、呪文の価値はゼロなのに。
「コーヒーを頼む」と口にしたって、何の感慨も無いのだろうに。
(……なんで、あいつが……)
そんな呪文を持っているのか、コーヒーを好んで飲んでいるのか。
まるで値打ちが無い男が。
せっかくの呪文も猫に小判で、豚に真珠のようなキースが。
(…………)
やめた、とクルリと返した踵。
キースのお蔭で、今日は呪文が穢れそうだから。
大切な呪文を唱えてみたって、ただ腹立たしいだけだろうから。
(…ホットミルクなら…)
部屋で飲むよ、と魔法の場所に背を向ける。
「シナモンミルク、マヌカ多めで」と唱えられるのは、此処だけでも。
自分の部屋では意味が無くても、キースを見ながら唱えたくはない。
キースも「呪文」を持っているかもしれないから。
それが「呪文」だと気付きもしないで、「コーヒーを頼む」と、いつも、いつでも。
(……本当に猫に小判だってば……!)
あんな奴が呪文を持っていたって、と足音も荒く通路をゆく。
すれ違う者がチラリと見ようが、あからさまに陰口を叩こうが。
「またシロエかよ」と言っていようが、そんなことなど、どうでもいい。
今日は呪文を唱え損ねた、その腹立ちに比べたら。
とても大切な呪文の言葉を、キースも持っているかもしれない。
猫に小判で、豚に真珠のような男が。
「コーヒーを頼む」と口にしてはいても、呪文だとさえ気付かないままで。
(…あんな奴が…!)
ぼくと同じに呪文だなんて、と個室の扉も乱暴に閉めた。
今日は、なんともツイていなくて、呪文も唱え損ねたから。
おまけにキースと出会ってしまって、「猫に小判だ」と思ったから。
(……シナモンミルク……)
マヌカ多めで、と心の中で唱えてみる。
唱えられずに終わってしまった、懐かしい故郷に飛べる呪文を。
それを好んだのは父か、母なのか、自分なのかさえ分からなくても。
(ぼくは、あいつとは違うんだから…)
いつか呪文の謎を解くんだ、とホットミルクの用意をする。
此処では呪文は無理だけれども、その味だけは楽しめるから。
ミルクを温め、シナモンを入れて、マヌカハニーを多めにしたら。
(……誰が、好きだったんだろう?)
コーヒーのように、大人向けではない飲み物。
自分だったと思いたいけれど、それなら忘れたことが悲しい。
キースも呪文を持っているなら、「コーヒーの味」を舌が覚えているのなら。
(……本当に、猫に小判だよね……)
神様の気まぐれにしても酷い、と思うけれども、仕方ない。
呪文を思い出せただけでも、きっと自分は幸せだから。
「シナモンミルク、マヌカ多めで」と唱えられれば、充分だから…。
ぼくだけの呪文・了
※シロエはシナモンミルクですけど、キースはコーヒーなんだよね、と思っただけ。
ずっと昔に書いた作品、『マヌカの呪文』とセットものかもしれません(笑)
(……神の領域か……)
私はそれを侵したのだ、とキースは思う。
首都惑星ノアの、国家騎士団総司令として与えられた部屋で。
日付はとうに変わった時刻で、側近のマツカも下がらせた後。
カップに残った冷めたコーヒー、それを一口、喉の奥へと落とし込んで。
(…正確に言えば、私が侵したわけではないが…)
マザー・システムの仕業だがな、と分かってはいる。
理想の指導者を作り出すべく、グランド・マザーが下した命令。
全くの無から作った生命、それに人類と地球の未来を託せるように。
最初はE-1077ではなく、別の場所で行われていた研究。
けれども、其処で邪魔が入った。
(……ソルジャー・ブルー……)
伝説のタイプ・ブルー・オリジン、ジルベスター・セブンで出会ったミュウ。
彼はメギドと共に滅びて行ったのだけれど、彼が攫った女がいた。
モビー・ディックから逃れた時に、人質に取ったミュウの女が。
(…あの女は、私と同じ生まれで…)
それゆえに彼女は、マザー・イライザと似た面差しだった。
ソルジャー・ブルーが攫う前には、何体も作られた「同じ顔の女性」。
最後の一人は失敗作で、その上、ミュウに攫われる始末。
(……それで実験の場を、宇宙に移して……)
研究者たちも、共にE-1077へ移動した。
プロジェクトを引き継いだマザー・イライザ、その指示で研究を続けるために。
(…全くの無から、生命を作り出すなどは…)
神の領域を侵す禁忌で、そうして作り出された「自分」。
見た目はヒトと変わらなくても、神が作ったものではない。
ならば、自分は何処へ行くのか。
ヒトの命が終わった後には、神の許へと旅立つという。
全ての創造主である神、ヒトを創った神の御許へ。
今は機械が統治する時代。
「普通のヒト」にも親はいなくて、人工子宮から生まれてくる。
機械が選んだ無限大の交配、其処にヒトの手は介在しない。
(……しかし、それでも……)
提供された卵子と精子は、間違いなく「ヒト」のものではある。
どのような形で作られようとも、生まれようとも、「ヒト」は「ヒト」。
SD体制が始まる前の時代だったら、「実の親」と呼ばれた者がいるもの。
卵子を提供した者が母で、精子を提供した者が父で。
(…きちんとデータを調べさえすれば、本当の親が分かるのだ…)
今の時代を生きる者には、データへのアクセス権限が無くても。
マザー・システムがそれを禁止していても、探す術はある「親」というもの。
けれど、自分に「親」などはいない。
モビー・ディックの中で出会った、ミュウの女にも。
E-1077の水槽で長く育つ間に、サンプルの姿を目に焼き付けた女性体にも。
(私を作った遺伝子データは、あの女のを元にしていたらしいが…)
ただそれだけのことに過ぎない。
彼女の卵子を使っていたなら、辛うじて「母」がいたのだろうけれど…。
(…データを元にしただけではな…)
DNAの上では「母」と言えても、本当の母とはとても呼べない。
「キース」も無から作られたから。
機械によって合成された、三十億もの塩基対。
マザー・イライザが「それ」を繋いだ。
ミュウの女のデータを元に、DNAという鎖を紡ぎ上げて。
神の領域に足を踏み入れ、「ヒトに似たモノ」を作り出そうと。
姿は人と変わらなくても、人を超える者。
人類の理想の統治者として、ヒトと地球とを導く者を。
そうして作り出された自分。
国家騎士団総司令、「キース」。
いつか命が終わった時には、この魂は何処へ行くのだろうか。
この身を離れて飛んで行っても、開かないかもしれない扉。
「ヒト」であったら、神の国へと行けるのに。
神の国に行く資格が無ければ、地獄の扉が開くだろうに。
(……ヒトでなければ、どうなるのだ……?)
神は「キース」を作ってはいない。
造物主たる神が「知らない」存在、知らないどころか禁忌を侵して生まれたモノ。
ならば、門前払いだろうか。
天国へ行こうと、地獄へ行こうと、どちらの扉も開くことなく。
…ヒトであったら、どちらかの道がある筈なのに。
たとえ地獄の責め苦があろうと、行き着く先があるというのに。
(…これでは、まるで…)
ジャック・オー・ランタンのようではないか、と思い描いた昔の祭り。
今の時代はもう無いけれども、十月の一番最後の日。
ハロウィンと呼ばれた祭りの時には、カボチャでランタンを作ったという。
それの由来がジャック・オー・ランタン、伝説の男が持っている灯り。
天国へも地獄へも行くことが出来ず、永遠に彷徨い続ける男。
カボチャに入れて貰った明かりだけを手に、いつか扉が開く時まで。
天国ではなくて地獄だろうと、ヒトが行く場所に落ち着けるまで。
(……神が私を、「作っていない」と突き放すなら……)
きっと、自分もそうなるのだろう。
カボチャのランタンをくれる者さえ、現れずに。
ジャック・オー・ランタンは「ヒト」だっただけに、ランタンを貰えたのだけれども。
(……灯りの一つも、貰えないままで……)
いったい何処を彷徨うのだろう、「キース・アニアン」だった男は。
人類の指導者だった時代は、誰もが敬意を払った者は。
ミュウたちから恐れられた男は、いずれ惨めに落ちぶれてゆく。
ジルベスター・セブンごと焼いたミュウでも、ヒトの一種には違いない。
彼らでさえ行ける天国や地獄、其処に「キース」の居場所は無い。
ただ一人きりで彷徨うだけで。
天国の扉も、地獄の扉も、「キース」のためには開かなくて。
(…ソルジャー・ブルー…)
彼が「キース」の姿を見たなら、嗤うだろうか。
それとも憐み、カボチャのランタンに火を入れて持たせてくれるだろうか。
いつか扉が開く時まで、「持っているといい」と。
暗闇の中を歩き続けてゆくなら、こうした灯りも要るだろうから、と笑んで。
(……あの男ならば……)
そうかもしれん、という気がする。
敵同士として戦ったけれど、彼に出会って変わった「何か」。
彼のようにありたい、と思わないでもない自分。
指導者が自ら戦う姿は、愚かしいように思えても。
「導く者を失ったならば、もはや戦えないではないか」と思いはしても。
赤い瞳に宿った信念、それを自分は見せられたから。
右の瞳を砕かれてもなお、挫けぬ闘志に飲まれさえして。
だから彼なら、あるいはと思う。
すっかり落ちぶれ、死後の世界を彷徨う者にも、灯りを一つ、くれるのではと。
わざわざカボチャを採って来てまで、「これを持ってゆけ」と。
神が「キース」を許す時まで、一人、彷徨うだろう道。
天国にも地獄にも入れないまま、貰ったカボチャの灯りだけを頼りに。
カボチャの灯りが届く範囲は、きっと足元くらいだろうに。
(……ぞっとしないな……)
そういう未来が待っているなら、なんと虚しい人生だろう。
機械に無から作り出されて、懸命に生きた先がそれでは。
システムに疑問を抱きながらも、「守らなければ」と努力した果てが。
(…シロエは何処へ行ったのだろう…?)
遠い日に自分が殺した少年。
ピーターパンの本だけを持って、暗い宇宙に散っていったシロエ。
彼の行き先はネバーランドか、あるいは天国と呼ばれる場所か。
どちらにしても、きっと再会は叶わない。
「キース」のためには、何処の扉も開かないから。
いつの日か神が許す時まで、一人、彷徨うしかないのだから。
(……埒も無いことを……)
こうして考えてしまう心も、いっそ無ければいいものを。
機械が作った生命ならば、魂さえも…。
(…いっそ無ければ、楽なのだがな…)
死後の世界を彷徨うよりかは、魂などは無くていいな、と溜息をつく。
遠い昔の童話に出て来た、人魚姫。
人魚姫には魂は無くて、命が終われば消えてゆくだけ。
儚い泡になってしまって、海の水に溶けて。
(……人魚姫は、魂を貰ったのだが……)
私は要らん、と傾けた冷めたコーヒーのカップ。
機械が作った生命体にも「魂は無い」と言うのだったら、欲しくはない。
いつか命が尽きた時には、この心ごと消えようとも。
どうせ自分に、天国の扉は開かないから。
神の領域を侵した者には、地獄の劫火が渦巻く世界も、扉を開けてはくれないから…。
いつか行く道・了
※いや、機械が作った生命体だと、魂はどうなるんだろう、と思ったのが切っ掛け。
「人魚姫と同じで、無いかもしれない」と考え始めて、ジャック・オー・ランタン…。