(…こんな日の何処が目出度いんだ…)
サッパリ分からん、と顔を顰めたキース。
今日の日付は十二月二十七日、今日を含めてあと五日ほどで今年も終わる。
たったそれだけ、それ以上でも以下でもない日。ずっと前から。
けれども、部屋に山と積まれたプレゼントの箱。
定番のリボンがかかった箱やら、凝ったラッピングやらと、それは賑やか。
これを寄越した連中の顔が見えるようだ、と零した溜息。
(国家騎士団、上級大佐…)
いつの間にやら、アイドルスター並みの人気を誇っていた自分。
全く自覚は無かったのに。
(冷徹無比な破壊兵器ではなかったのか…?)
それは軍部の中だけだったろうか、と情けない気持ち。
軍人だというのに、この大量のプレゼント。
朝からマツカやパスカルたちが台車で運び込んで来た。
「全部、大佐にお届け物です」と、「セキュリティーチェックは済んでいます」と。
つまり爆発しないということ、危険はまるで無いということ。
中身は菓子の類だろう箱も、こだわりの逸品が入っているらしい箱だって。
迷惑な、と思うけれども、届いたものは仕方ない。
今日は自分の誕生日だから、あちらこちらからドッサリと届く。
前からチラホラ来てはいたものの…。
(昇進して以来、拍車がかかった…)
画面に姿が映し出されただけで、黄色い悲鳴が上がると聞いた。
あれはセルジュからの報告だったか、「凄い人気ですよ」と。
そんなわけだから、今日は朝からプレゼントの山。
きっとまだまだ増えるのだろう、今日の間に。
(……まったく、何処が目出度いんだか……)
人工子宮から出されたというだけ、それが世に言う誕生日。
SD体制が始まる前だったならば、もう少し意味もあっただろうに。
(…そういえばミュウのガキどもがいたな…)
あの連中には誕生日があるか、と思うけれども、所詮は化け物。
生身で宇宙空間を飛んで来たミュウの長、ソルジャー・ブルーと変わりはしない。
第一、トォニィとかいう子供には危うく殺されかけたし…。
(ロクでもないな…)
誕生日なんぞ、と歪めた唇。
ついでに自分の誕生日の場合、人工子宮から取り出されるよりも酷いのだが、と。
マツカだけが知っている、E-1077に向かった任務。
あそこで処分して来たモノ。
その正体まではマツカも知るまい、自分そっくりの標本の群れを消して来たとは。
(私もアレと同じに育って…)
たまたま計算通りに上手く運んだというだけなのだが、と浮かべた自嘲の笑み。
どうやら自分は人ですらないと、無から作られた人形だから、と。
(あのガラスケースから出された日が、だ…)
十二月二十七日だっただけで、本当に人工子宮より酷い。
赤ん坊ではなくて、少年の姿で自分はこの世に出て来たのだから。
それを誕生日と言っていいのか、実際、とても怪しい所。
なのにドッサリ、プレゼントの山。
(…後でマツカに処分させるか…)
自分そっくりの標本の群れを処分するよりは、マシな方法があるだろう。
食べ物の類は希望者に配ってしまえばいいし、他の物だって。
(利益を出すなら…)
バザーでもすれば良かろうと思う。
国家騎士団の名も自分の名も伏せて、何処かでスペースでも借りて。
上がった利益は、バザー開催に奔走した者たちで分ければいいし、と考えた。
バザーでなくても、他にも方法は色々と…、と。
とにかく全部、処分なのだ、とプレゼントの山を苦々しい気持ちで眺めていたら。
「嫌ですねえ…。キース先輩」
誰のお蔭でプレゼントを貰えると思ってるんです、と声がした。
振り返ってみたら、立っていたシロエ。
E-1077にいた頃と同じに制服姿で、少年のままで。
「……シロエ?」
「そうですよ。ぼくが先輩のデータを色々調べましたから…」
キース先輩の誕生日だけが知られているんです。今日だってことが。
他の人たちは謎のままです、先輩よりも人気の高い人もね。
「…他の人だと? それに人気とは…」
何のことだ、と首を捻った。
一番人気は自分の筈だし、だからこそのプレゼントの山なのだから。
「分かりません? じゃあ、この人なら知ってますよね」
どうぞ、とシロエが部屋に呼び入れた人物。
印象的な赤い瞳のアルビノ、メギドと一緒に消え失せた筈のソルジャー・ブルー。
「お、お前は…! 何処から入った!?」
「何処からも何も…。ぼくやシロエに壁や扉が意味を成すとでも?」
スイと通り抜けるだけだから、とソルジャー・ブルーは不敵に笑った。
それに君よりも私の方が人気は上だ、と。
「何故、お前が!」
私より上になるというのだ、と解せないけれども、シロエも可笑しそうに笑っている。
「本当に何も知らないんですね」と、「キース先輩は幸せですね」と。
そんなシロエが「これ、知ってます?」と手にしている本。
表紙に「地球へ…」と書かれた一冊、シロエはパラパラとページをめくって。
「この本の中だと、ぼくたちは登場人物なんですよ」
お伽話の世界みたいに、一つの世界が入っていて…。
その世界の話を読んでいる人たちがいるんです。それこそ世界のあちこちにね。
ソルジャー・ブルーが一番人気で、その次は、さあ…。誰なんでしょう?
キース先輩もけっこう人気ですけど、さっきも言った通りにですね…。
誕生日ってヤツが分かっているのは、キース先輩だけなんです。
ぼくが調べていたからですよ、とシロエは本のページを指した。
「こういう挿絵になっています」と、お蔭で本を読んだら誰でも分かるんです、と。
「ば、馬鹿な…。私も本の登場人物だと?」
「この本がある世界の人たちにとっては…、ですけどね」
そうですよね、とシロエが視線を向けると、頷いたアルビノのソルジャー・ブルー。
「世界というのは一つではないよ。…この世界だけが全てではない」
私や君にとっては、この世界こそが本物だけどね…。
この世界がお伽話のように見える世界も、また存在する。
其処では、君の誕生日だけしか分からないことを、今も嘆いている人も多いのだから…。
大切にしたまえ、そのプレゼント。
それが言いたくてね、私も、シロエも。
処分させようなどと罰当たりなことを…、と言われてハタと気が付いた。
それも真実かもしれない。
自分の生まれが何であろうと、祝ってくれる人が大勢いるわけで…。
「そうだった…。バザー送りはやめておくか」
マツカたちと開けて、使い道を真面目に考えるか、とプレゼントの山をじっと見詰めて。
それでいいか、と向き直ったら…。
(…いない…?)
ソルジャー・ブルーも、それにシロエもいなかった。
別の世界へと消えたかのように。
(…夢だったのか…?)
それにしては妙に生々しい夢で、人としての道まで説かれたような気もするから。
プレゼントを処分するなど罰当たりな、と言われた声が耳に残っているから。
(…たまには、マツカたちを労うとするか…)
今日の仕事が終わった後には、皆でプレゼントを開けるとしよう。
食べ物だったら分けて宴で、他のプレゼントは…。
(クジ引きだな…)
誰に一番いいのが当たるか、きっと賑やかなことだろう。
(少し早いが…)
ニューイヤーのパーティーだと思っておくか、と決めたプレゼントの使い道。
夜までには、もっと増えるだろうから。
マツカたちが何度も運んで来るだろうから、今夜は宴。
シロエに、それにソルジャー・ブルーに、諭されたような気がするから。
標本と同じに処分したのでは、罰当たりな気がして来たから…。
誕生日の訪問者・了
※アニテラの登場人物で誕生日が分かっているのって、キースだけなんですよね…。
それもシロエが調べたせいだし、と12月27日の記念にちょこっと小ネタ。
(…売らないと帰れないんだよね?)
これを全部、とジョミーが眺めるマッチの山。籠に山盛り、それを売らないと家に帰れない。家と言っても、怖い父親が思い切り番を張っているのだけれど。
(…逆らったら酷い目に遭うし…)
もう散々な目に遭っちゃったから、と思い出すのも情けない気分。父親のブルーは、それは厳しくてキツかったから。頑固ジジイと呼ぶのがピッタリ、そういう感じ。
(今日は大晦日なのに…)
しかも、とっくに暮れてしまって、街は夜。しんしんと雪が降り積んでゆく。
こんな夜でも、マッチを売らずに家に帰ったらブルーに張り倒される、と懸命に売ろうとするのだけれど。
「すみません、マッチを買ってくれませんか?」
ほんの一束でいいんです、と褐色の肌のガッシリした男の袖に縋ったら。
「ブリッジは火気厳禁だ! そんなモノが買えるか!」
キャプテンの責任問題だからな、と怒鳴り飛ばされた。買ってくれるどころか、大股で歩き去ってしまった男。肩章と緑色のマントまでついた、立派な服を着ているのに。
(…ぼくに怒鳴られても…)
そういうのはブルーに言って下さい、と心で泣きながら、呼び止めたジジイ。ツルリと禿げた頭だけれども、やたら偉そうなジジイなのだし、きっとお金もあるだろう。
「マッチを買ってくれませんか? 一束だけでいいですから」
「なんじゃと? わしにマッチを持ち込めと言うのか、機関部に!」
エンジンが火事になったらどうするんじゃ、と激怒したジジイ。機関部にマッチを持ち込んだが最後、エンジンはパアでワープドライブも駄目になるわい、と。
その上、「縁起でもないわ、この大晦日に!」と突き飛ばされて、派手に転んだ。
(……ジジイ……)
パワーだけは無駄にあるみたい、と雪の中に突っ伏したままで見送った。今度も駄目、と。
次に通り掛かった温厚そうな白い髭の爺さん、いけそうだと声を掛けたのに。
「マッチねえ…。子供たちが火遊びをしたら大変だからね」
船が燃えたらどうするんだね、と諭すような口調になった爺さん。子供たちは何でもオモチャにするから、マッチは危なくて持ち込めないね、と。
(…また売れなかった…)
雪はどんどん降って来るのに、寒くなってゆく一方なのに。気付けば凍えそうな寒さで、足元は裸足。いつの間にか靴を失くしたらしい。
(あの爺さんに突き飛ばされた時かな…?)
ブルーに知れたら、また叱られる、と泣きたいキモチ。叱られるだけで、きっと新しい靴などは買って貰えないから。
(これからは裸足でマッチ売りなんだ…)
冬はまだまだ厳しくなるのに、大晦日に靴まで失くすなんて、と悲しいけれども、全部売らないと帰れないのが籠の中のマッチ。
(でも、寒いし…)
足も冷たいから一休み、と家と家との隙間に座った。少しだけ軒が張り出しているから、頭の上に屋根がある気分、と。
(寒いよね…)
まるで売れないマッチだけれども、火気厳禁だの、船が燃えるだのと断りまくられてしまった危険なブツ。つまりは燃やせば火が出るわけで…。
(一本くらい…)
ちょっと温めるだけだから、と一本シュッと擦ってみた。小さくても火には違いないから。
(暖かい…!)
いいな、と冷えた手をかざした途端に、目の前に現れた立派なストーブ。温まれそう、と手足を近付けようとしたら…。
(あ…!)
消えてしまった大きなストーブ。代わりに燃え尽きたマッチが一本。
(…もう一度、ストーブ…)
暖かかったし、とシュッともう一本マッチを擦ったら、その光で透けた家の壁。大晦日の御馳走が並んだテーブル、それはまるで…。
(ママが作った料理みたいだ…!)
ブルーとセットのフィシスではなくて、本物のママ。もういなくなってしまったけれど。
ママの料理だ、と眺める間に、またまた消えてしまったマッチ。もっとしっかり、懐かしいママが作った料理を見たかったのに。
(…もう一度、ママの…)
料理が見たいよ、とマッチを擦ったら、光の中に浮かんだ家。厳しいブルーに捕まる前に、本物のママと暮らしていた家。パパも一緒で、幸せだった。本物のパパとママがいた家。
あそこに帰ろう、と駆け出そうとしたら、マッチの炎が消えてしまって…。
(……ママ、パパ……)
なんで、と見上げた空に流れた星。
「…今、誰かのサイオンが爆発したんだ…」
きっとそうだ、と思った理由は、前にみんなが言っていたから。
「あの子のせいで」と責められた自分。ブルーは大変な目に遭ったのだと、勝手に飛び出した挙句に成層圏まで駆け上がるなんて、と。
誰もが自分に厳しい世界。ブルーは怖いし、マッチも売れない。大晦日なのに、全部売らないと家に帰ってゆけないのに。…怖いブルーが番を張っている家だとしても。
(…もう一本くらい…)
夢を見たってかまわないよね、と擦ってみたマッチ。一瞬でも夢が見られるなら、と。
そうしたら…。
「ママ…!」
明るいマッチの光の中に立っている母。ブルーとセットのフィシスではなくて、本物のママ。
会いたかった、と喜んだけれど、マッチの炎が消えてしまったら、母だって消えてしまうから。
「待って、ママ…!」
お願い、ぼくを連れて帰って、とマッチを一束、思い切って擦った。大きな炎が出来るだろうし、ママはずっと側にいてくれるよ、と。
その炎の向こう、眩い光を纏った母が両手を広げて、「ジョミー!」と呼んでくれたから。
「ぼくも一緒に行くよ、ママ…!」
家に帰ろう、と抱き付いて、抱き締め返して貰って。そのまま天に昇ろうとしたら…。
「ジョミー・マーキス・シン。…不適格者は処分する!」
いきなり母の姿が変わった、奇妙に歪んだ顔の化け物に。何処から見たって機械でしかない、不気味な影を纏ったものに。
(……嘘……!)
テラズ・ナンバー・ファイブ、と悟った母の正体。どうしてこんなことになるのかと、母と一緒に家に帰れるのではなかったのか、と。
もう本当に泣きたい気分で、どうすればいいかも分からなくて…。
「嫌だーーーっ!!!」
こんなの嫌だ、と絶叫したら、パァン! と頬を叩かれた。「いい加減にしろ」と。
「……ブルー……?」
「いい夢だったかい? ジョミー」
ぼくの力は本当に残り少なくてね、と説教を垂れ始めたソルジャー・ブルー。このシャングリラを束ねている長、寝たきりと言ってもいいほどなのに。
(…こんな時だけ、無駄に元気で…)
でもって怖い、と頭を抱えるしかない、ブルーのベッドの枕元。青の間の奥。
来る日も来る日も此処に呼ばれては、昼間の特訓の成果を報告させられ、場合によっては厳しい説教。長ったらしくて終わりもしないし、ついついウトウトしてしまうわけで。
(……あのままママと行っていたなら……)
シャングリラから無事に逃げられたかな、と思うけれども、オチがあまりに酷すぎたから。
懐かしい母はテラズ・ナンバー・ファイブに化けてしまったから、あの夢だって…。
(…ぼくには似合いの結末なんだ…)
ママは迎えに来てくれないんだ、と自分の境遇を嘆くしかない。
幼かった頃に読んだ童話の通りだったら、母と天国に行けるのに。ハッピーエンドが待っているのに、どうやら自分には無いらしいから。
「ジョミー? 今、ぼくが言ったことを復唱したまえ!」
「えっ? え、えっ、待って下さい、ブルー!」
もう一回最初からお願いします、と土下座せんばかりのソルジャー候補、ジョミーの未来は大変そうで。マッチ売りの少女みたいな逃げ道さえも用意されていなくて、ただひたすらに…。
(…努力しろって?)
いつまで続くの、と号泣モードのマッチ売りの少年、いやソルジャー候補。マッチを売る方がずっとマシだ、と夢の中へと戻りたくても、今夜は逃がして貰えそうにない。
説教の途中で居眠ったから。挙句に素敵な夢を見過ぎて、ブルーに張り飛ばされたから…。
マッチ売りの少年・了
※どう間違えたら、ジョミーがマッチを売るんだか…。本気で自分が分からないです。
この時代でもマッチはあるんですかね、レトロ趣味な人向けに作ってるかな?
「え…? コーヒーがお好きなんですか?」
その時、自覚は無かったけれども、きっと輝いていたのだろう。
キースと共に向かった宙港、其処で出会った老人に向けたマツカの瞳は。
「少し外す」と出て行ったキースは、まだ戻らない。
何か急用でも出来たというのか、あるいは誰かに呼び出されたか。
一人ポツンと待っていた自分は、所在なげに見えていたのだろうか。
それとも心細そうだったか、声を掛けて来てくれた老人が一人。
国家騎士団の退役軍人、今は悠々自適の日々を送っているという。
あちこちの星へ、ふらりと旅して。
「君もコーヒーが好きなのかね?」
そう問われたから、頷いた。
この老人は、どうやら無類のコーヒー好きのようだから。
誰かにそれを話したいような、そんな気配がしてくるから。
彼の心を読まずとも。
「コーヒー」と口にする時の瞳、それに表情。
きっとコーヒーをこよなく愛して、あれこれと飲んで来ただろうから。
コーヒーと言えば、直ぐに頭に浮かぶのがキース。
何度聞いただろう、「コーヒーを頼む」という彼の言葉を。
その度に用意するのだけれども、感想を聞いたことなどは無い。
「美味い」とも、「これは不味い」とも。
淹れ直して来いとも、「これでいい」とも。
けれども、分かるものだから。
コーヒーを好んで飲んでいることも、それを傾ける時が好きだとも分かるから。
いつしか心を砕くようになった、「もっと美味しいコーヒーを」と。
それを飲む時のキースの表情、ほんの少しだけ和らぐ空気。
心を澄ましていたならば分かる、どの一杯が美味しかったのか。
キースが好む味はどれかと、好む熱さはどのくらいかと。
気付けば、すっかりコーヒーの虜。
自分はさほど好きでもないのに、より美味しくと重ねた努力。
キースが美味しく飲めるようにと、この一杯が役に立つのなら、と。
彼がその背に負っているもの、その荷を下ろすほんの一瞬。
直ぐにキースは背負い直すけれど、憩いのための僅かな時間。
それを作るのがコーヒーならばと、これで休んで貰えるなら、と。
だから、老人の話に輝いた瞳。
耳寄りな話が聞けるのではと、この老人はコーヒーが自慢のようだから。
「コーヒーはね…。美味しく淹れるにはネルドリップが一番だね、うん」
知っているかい、と訊かれて「はい」と答えたら。
「どのくらいの量を淹れるのかね」という問いが返った。
何人分を用意するのかと、一度に淹れるのはどのくらいかと。
「えっと…。ぼくが淹れるのは一人分ですから…」
そんなに沢山は淹れませんけど、とキースが出掛けた方へと自然に向いた目。
冷めたコーヒーなどは美味しくないから、いつもキースが飲む分だけ。
「なるほどねえ…。それも悪くはないのだけどね」
美味しく淹れるには、十人分は淹れないとね、と笑った老人。
贅沢だけれど、それに限ると。
「十人分…ですか?」
「そうだよ。さっきの彼が君の上官だね」
キース・アニアン上級大佐。知っているよ。
もちろん、彼を知らないようでは、今どき話にならないんだが…。
一人分を淹れていると言うなら、彼のために淹れているんだろう?
覚えておくといいよ、十人分だ。
余ったコーヒーは、他の部下にでもくれてやるといい。
大佐からだ、と勿体をつけて淹れてやったら、冷めたヤツでも喜ぶだろうさ。
そして老人は教えてくれた。
十人分を淹れるだけでは、まだ足りないと。
秘訣は、ネルドリップに使う生地。
十人分だから生地もたっぷり必要だけれど、一度目に淹れたコーヒーは捨てる。
生地の匂いがしみているから、勿体ないなどと思わずに。
勿体ないと思うのだったら、それこそ部下に飲ませるといい、と。
「それからね…。その生地を直ぐに使っては駄目だ」
お湯で煮るんだよ、二十分ほど。
ぐらぐらと煮立てて、お湯がすっかりコーヒーの色になるくらいまで。
生地にしみていた分のコーヒーだからね、それほど濃くはならないんだが…。
コーヒーの色だな、と思う筈だよ。やってみたなら。
その生地をしっかり絞って、乾かす。
これで出来上がりだ、ネルドリップのための用意はね。
そういう生地を準備したなら、今度こそ本当に十人分のコーヒーだ。
惜しみなく淹れて、最高の一杯を彼に運んで行くといい。
きっと美味しい筈だから。
…とはいえ、相手が彼ではねえ…。
多分、感想は聞けないだろうと思うがね。
試してみたまえ、と教えて貰ったコーヒー。
老人の名前を尋ねたけれども、「名乗るほどでもないよ」と微笑んだ彼。
「キース・アニアンに、私のコーヒーを飲んで貰えるだけでも嬉しいね」と。
光栄だよと、コーヒー党の軍人冥利に尽きるねと。
そうして、彼は「それじゃ」と悠然と歩き去って行った。
自分の乗る便が出るようだから、と。
入れ替わるように戻って来たキース。
「待たせた」とも何も言わないけれども、もう慣れている。
こういう時には、どうすればいいか。
「まだ、少し時間があるようです。…コーヒーを取って来ましょうか」
「そうだな、頼む」
ただ、それだけしか言われないけれど。
こんな宙港で出て来るコーヒー、そんなものでも、キースは何も言わないけれど。
(…美味しいコーヒーの方がいいですよね?)
きっと、と思うものだから。
この旅が済んで戻った時には、あのコーヒーを淹れてみようか。
さっきの老人に教わったコーヒー、ネルドリップで十人分だというものを。
それだけ淹れるのがコツだというのを。
(…セルジュやパスカルが困るでしょうけど…)
大佐からのコーヒーですから、冷めていたっていいですよね、とクスリと笑う。
キースが背負っている重荷。
それは誰にも背負えないから、代われる者などいはしないから。
せめて荷を下ろす間のほんのひと時、それを作れるコーヒーを淹れてみたいと思う。
感想などは聞けなくても。
「美味いな」と言って貰えなくても。
きっとキースが纏う空気で、ほんの微かな息だけで分かるだろうから。
「美味い」と思って貰えたのなら、もうそれだけで充分だから。
ネルドリップで十人分、と頭の中でコツを繰り返す。
秘訣は生地を煮ることだったと、二十分ほど煮て乾かして…、と。
最初のコーヒーは捨てるのだったと、勿体ないなら部下に飲ませろと言っていたな、と。
(…すみません、セルジュ…)
皆さんで手伝って下さいね、と思い浮かべるキースの部下たち。
美味しいコーヒーを淹れるためですからと、それにキースからのコーヒーですよ、と…。
習ったコーヒー・了
※マツカが退役軍人の老人に習ったコーヒー。実は管理人が習ったんです、つい先日。
この話じゃないけど、名前も聞けなかったご老人に。…ネタにしちゃってスミマセン…。
(…どうして、こういうことになるんだ…)
来る日も来る日も掃除ばかりで、とキースがついた大きな溜息。この無駄に広くてデカイ家は、と掃除するけれど、どうにもならない。
床を掃いたり、モップをかけたり。灰まみれになって暖炉の掃除もするのに、一向に終わらない仕事。なにしろ、綺麗に掃除をしたと思ったら…。
「おっと、すまない。手が滑った」
この床を拭いてくれたまえ、と銀色の髪に赤い瞳の偉そうなヤツが零した紅茶。どう見てもわざとやったというタイミングで、やらかしてくれた義理の兄貴のブルーときたら。
(何が、年寄りと女子供は丁重に扱え、だ…!)
義理の兄だから、年上ではある。それは当然だと思うけれども、年寄りというのが嘘くさい。おまけに女子供でもないし、丁重に扱う義理などは多分、ない筈なのに。
(…逆らったら後が無いからな…)
亡くなった母のイライザの代わりにやって来た継母、名はフィシスという。面影が母に似ているからと父が連れて来て、居座った女。デカイ息子を二人も連れて。
そのフィシスがまたキッツイ女で、父がポックリ亡くなった後はやりたい放題。贅沢三昧に暮らしているのに、自分の連れ子ばかりを可愛がっていて…。
「キース、こっちも掃除してよね!」
こんな床、ママが見たら怒るよ、と指差している義理の兄貴のジョミー。明るい金髪に緑の瞳のジョミーは人が好さそうなのに、生憎と外面だけだった。彼の兄貴のブルーと同じく。
(…全部、貴様がやったんだろうが…!)
歩きながらポップコーンを食べるな、と怒鳴りたいけれど、やってしまったら後が無い。継母のフィシスに聞かれたら最後…。
(晩飯は抜きで、今夜のベッドも無しなんだ…)
暖炉の灰にもぐって寝るしかないし、と嘆くしかない自分の境遇。なんだって父はこんな後妻を迎えたのかと、酷い兄貴を二人も増やしてくれたのかと。
まったく惨いと、きっと一生、灰にまみれて掃除の日々だ、と。
顔も思い出せない父を恨んでも仕方ないから、せっせと掃除。来る日も来る日も掃除ばかりで、義理の兄たちとキッツイ母とに苛められまくって過ごしていたら…。
(舞踏会だと?)
遥か遠くに見えるお城で、舞踏会が開かれるらしい。キッツイ母親はもちろんお出掛け、義理の兄貴も出掛けるという。自分も是非、と考えたのに。
「あらあら、キース。…あなたはブーツを持っていないじゃありませんか」
そんな靴でお城に行くのはちょっと、と継母のフィシスに笑われた。ブーツも履かずに舞踏会なんて、笑い物になるだけですよ、と。
「そうだろうねえ…。ジョミー、ブーツは大切だよね?」
「うん、ブルー。お城に出掛けて行くんだったら、ブーツが要るよ」
マントはともかく、ブーツくらいは…、と嘲笑う兄たち、彼らの足には立派なブーツ。銀の縁取りのブーツがブルーで、金の縁取りのブーツがジョミー。
そう、お城の舞踏会に行くとなったら、欠かせないのが正装なのに…。
(…ブーツどころか…)
まだ候補生の制服なんだ、と零れた溜息。モノトーンに近い配色の制服、なにしろ候補生だから。世で言う所のヒヨコなるもの、社交界デビューを果たしてはいない。
ゆえにブーツは履いていなくて、ごくごく普通の靴というヤツ。出世していけば、いつかブーツを履けるのに。二人の兄貴も履いていないような、ニーハイだって。
(…しかし、出世は…)
あの兄貴どもと、キッツイ母とがいる限り無理、と肩を落とした。一生掃除で終わるのだろうと、舞踏会なぞは夢のまた夢、と。
そうこうする内、やって来たのが舞踏会の日。継母と義理の兄貴二人は馬車でお出掛け、ポツンと家に取り残された。しっかり掃除をしておくように、と。
(…どうせ、こうなる運命なんだが…)
あの継母と義理の兄どもがやって来た時から見えていたが、と泣き泣き掃除をしていたら…。
「よう、キース! お前、舞踏会、行かねえのかよ?」
じきに始まるぜ、と現れた陽気な男。いったい何処から、とポカンとするしかないのだけれど。
「すまん、自己紹介、まだだったよな? 俺はサム。…サム・ヒューストン」
ちょっと魔法が使えるもんで、と笑顔のサムは、同じ候補生にしか見えないのに…。
「本当ですよ? サム先輩に任せておけば安心ですって!」
ぼくはシロエと言うんです、とサムよりも小さいのが現れた。セキ・レイ・シロエと名乗ったチビは、サムの手伝いをしているそうで。
「…お前が馬車を曳いてくれると?」
「嫌ですねえ…。ぼくは馬車なんか曳きませんってば、御者ですってば」
馬車を曳くのはネズミですから、と答えたシロエ。まずは馬車を曳かせるネズミを捕ること、それから馬車にするカボチャ。両方用意して下さい、と。
「…ネズミにカボチャか…」
よく分からないが、と思いながらも台所に出掛けて捕まえたネズミ。それとカボチャを抱えて行ったら、サムが「よし、いくぜ!」と取り出した杖を一振り。
アッと言う間に出来上がった馬車、シロエが手綱を握っている。サムがもう一度杖を振ったら、候補生の制服が一瞬の内に…。
(…ニーハイブーツ…!)
嘘だろう、と眺め回した国家騎士団の制服。これなら立派に舞踏会に…。
「行けるってもんだろ、楽しんでこいよ!」
ただし、俺の魔法は十二時までな、と手を振るサムに見送られて出発した。いざ、お城へと。
カボチャの馬車で辿り着いたら、誰よりも立派だったニーハイブーツ。
たちまち、主催の女王陛下に気に入られた。グランド・マザーと呼ばれる大物、周りの王国の王たちもひれ伏すと噂の女傑。
「よく来てくれた。こういう人材が必要なのだよ、私が国を治めてゆくには」
これからは私の右腕になって欲しいものだね、と陛下はいたくお喜びで。
(…やったぞ、私もついに出世を…!)
チラと見れば歯軋りしている義理の兄貴たち、アテが外れて怒りMAXといった継母。
魔法使いのお蔭で開けた出世街道、思わぬ幸運が転がり込んだ。陛下と何度も杯を交わして、国の未来を語り合ったけれど。
(…なんだって?)
頭の中に、直接響いたシロエの声。「魔法の時間が切れますよ!」と。
時計を見れば十二時になる前、このままではヤバイことになる。魔法が切れたらブーツも履けない候補生の身で、つまみ出されることは確実で…。
「陛下、失礼いたします!」
ダッと駆け出したら、またまたシロエの声が聞こえた。「靴を片方、落として下さい」と。
「靴!?」
「ええ、靴です。お約束ですから、靴を片方…!」
それを落として帰らないと未来が無いんですよ、と言われたけれど。
(…か、片方と言われても…!)
走りながら脱げるようなモノではないのがニーハイブーツ。早く脱げろと焦るけれども、普通の靴のようにはいかない。そうこうする間に迫る十二時、とうとうブーツを履いたままで…。
「戻りましたか、急ぎますよ…!」
サム先輩の魔法が切れますからね、と馬車を走らせるシロエ、お城にブーツを残し損ねた。ニーハイブーツは履いたままだし、そのまま魔法は切れてしまって…。
「キース、しっかり掃除するのよ?」
ブルーもジョミーもお城にお勤めなのですからね、と拍車がかかった継母の苛め。女王陛下のお気に入りだった、ニーハイブーツの男は見付からなかったから。
代わりに取り立てられてしまったのが義理の兄たち、出世街道を突き進んでいて。
(…ニーハイブーツ…)
あの時、あれが脱げていたなら、と思うけれども、過ぎてしまったことは仕方ない。魔法使いも呆れてしまって二度と来ないし、部下だったらしいシロエも来ないし…。
(人生、終わった…)
此処で一生、掃除の日々だ、と嘆いていたら、声が聞こえた。
「何か、お手伝いしましょうか?」
(…魔法使い…!)
その二というヤツが来てくれたのか、とガバッと暖炉の灰の中から飛び起きたら…。
「どうしたんですか、キース?」
驚かせてしまったでしょうか、と目を真ん丸にしているマツカ。国家騎士団の制服の部下。
(…ゆ、夢か……!)
夢だったのか、と見下ろした足元、ちゃんとニーハイブーツがあった。お城で落とし損なったことを嘆き続けていたブーツが。
(…いったい、今のは…)
何だったんだ、と思うけれども、ビッシリと額にかいている汗。
(とんだシンデレラもあったものだ…)
あのミュウの長にしてやられたか、とコツンと自分の額を叩いた。ヤツの仕業かと、メギドを沈めたついでにお見舞いされたのか、と。
(……まさかな……)
時限式のサイオニック・ドリームの類だろうか、と寒くなった背筋。やたらとリアルな悪夢だったし、ブルーとジョミーが義理の兄貴で、ミュウの女が継母だったし…。
(…こんな調子で次があったら…)
どんな目に遭わされることだろうか、と情けない気持ち。ブーツを持たないシンデレラの次は、白雪姫が来るだとか。眠り続けるオーロラ姫とか、気付けば人魚姫だとか。
(あの野郎…!)
よくも、と拳を握り締めるけれど、どうにも取れない夢の確認。
ミュウの元長にしてやられたのか、自分が勝手に見た夢なのかが。
(…マツカに見せたら、分かるんだろうが…)
それもなんだか情けないから、弱みは見せたくないものだから。
(……頼むから、来るなよ……)
お伽話シリーズは勘弁してくれ、と呻くキースは、夢が相当に嫌だったらしい。ニーハイブーツを脱ぎ損なって出世街道を転げ落ちるのも、ブルーとジョミーに苛められるのも。
(…あれがサイオニック・ドリームならば…)
残りは何発あるのだろうか、とキースを怯えさせる悪夢は、自己責任というヤツだった。ミュウの長は何もしてはいないし、時限式も何もないのだけれど。
(…人魚姫よりかは、白雪姫の方が…)
いくらかマシだ、などと考えているから、自己責任で次が絶対無いとは言い切れない。夢は意のままにならないからこそ、夢だから。
とんでもないことが起こってしまって、ガバッと起きるのが悪夢だから…。
シンデレラのブーツ・了
※馬鹿ネタも此処に極まったよな、という感がある気がしますけど…。シンデレラのブーツ。
思い付いたネタは書くのがポリシー、だってホントに、偉い人ほどブーツなんだもの…!
「付き合っている人間を見れば、その人間の程度が分かる」
あんな人と行動を共にしていたようじゃ、あなたも大したことないのかも…。
ぼくの敵じゃあ……なかったかな?
フッ、と皮肉に笑ったシロエ。
その顔が、声が頭から消えてくれない。…何故、と自分に問い掛けても。
(分からない…。スウェナの気持ちも、サムの気持ちも)
ちゃんと分かっているつもりなのに、とキースが噛んだ自分の唇。
いっそシロエの言葉通りに、切り捨てられたら楽なのだろうに。
スウェナは「あんな人」だったから、結婚して去って行ったのだと。
エリートコースを自ら外れるような人間、ただ挫折しただけなのだと。
(だが、スウェナは…)
挫折するような心の弱い人間ではない、それだけは確か。
芯が強くて意志も強くて、勝ち気で、それに男勝りで。
高く評価をしていたからこそ、友だと思っていたスウェナ。
なのに、彼女に投げ付けられた言葉。
「あなたには、分かってなんか貰えないわよね」と。
サムもスウェナと同じに怒った、「スウェナの気持ち、お前には分かんねえのかよ!」と。
肩を震わせて憤っていたサム。
「この間は言い過ぎた」と今日、謝ってくれたけれども。
スウェナを乗せてステーションを離れてゆく船、それを二人で見送った時に。
同郷だったスウェナが、思い出そのものだったかのように語ったサム。
微かに残った故郷の記憶が、スウェナと一緒に消えてゆくような気がすると。
(…記憶は、やはり大切なのか…)
自分は持たない、故郷や幼馴染の記憶。
何かが欠けているような気持ちが、胸をチクリと刺した瞬間。
…飛び込んで来たのがシロエの言葉。
「結婚なんて所詮、ただの逃げ」と、「挫折でしょ」と。
まるでスウェナを侮辱するように。
あからさまな挑発、それに乗りかけたサムを制したら、ぶつけられた嘲笑。
「ぼくの敵じゃあ、なかったかな?」と。
シロエが自分を敵視しようが、それまでは無視していられたけれど。
あまりに悪すぎた、あのタイミング。
自分の心が揺れていた時に、余裕の笑みを浮かべたシロエ。
「あんな人」とスウェナを評価して。
スウェナと直接話したことさえ無いのだろうに、見下し、馬鹿にし切った声で。
(…あいつには分かるとでも言うのか?)
自分には分からない、スウェナの気持ちが。
スウェナが「結婚する」と打ち明けるよりも前に、「あなたの彼女は?」と訊いて来たシロエ。
「機械の申し子だから分からないのかな」とも言われた、同じ時に。
ならばシロエには分かるのだろうか、スウェナの、それにサムの気持ちが。
「あんな人」とスウェナを嘲笑うくせに、心は分かると言うのだろうか。
だとしたら、シロエの方が上。
人の心を知るというのも、エリートには必須の能力だから。
相手の気持ちを推し量ることも出来ないようでは、部下など持てはしないのだから。
(…ただの部下なら持てるだろうが…)
優秀な者はついては来ない、と何の講義で聞いたのだったか。
エリートたる者、部下の心を掴めなければ、けして昇進出来はしないと。
自分を補佐する有能な部下を使いこなすのも、メンバーズの出世の条件なのだと。
ならば自分はエリート失格、スウェナの気持ちも、サムの気持ちも分からないから。
シロエには分かるらしいのに。
…遥かに年下の候補生でも、ちゃんと分かっているらしいのに。
その日から乱れ始めた心。
夜には早速、マザー・イライザが部屋に現れた。
「何か悩み事でもあるのですか?」と。
コールよりかはマシだけれども、その前段階とも言える出現。
自分の脳波はそんなに乱れていたのだろうか、と愕然とさせられたイライザの姿。
(…落ち着かないと…)
でないと本当にエリート失格、自分の心も上手くコントロール出来ないようでは。
シロエが言った通りの結末、「ぼくの敵じゃあ、なかったかな?」と。
本当に全てシロエに抜かれる、ステーションでの成績や評価。
先に卒業してゆく自分は、その時点でのトップだったということになってしまうだけ。
シロエが卒業するよりも前に、教官たちは挙って彼を称え始めることだろう。
「ステーション始まって以来の秀才」と、「マザー・イライザの申し子のようだ」と。
そしてシロエは勝ち誇るだろう、いくらシステムを嫌っていても。
反抗的だと言われていようが、要注意人物とされていようが、優秀ならば許されるから。
現に自分も、システムの全てを信頼してはいないから。
(…シロエに抜かれる…)
もしも自分が、乱れた心のままならば。
スウェナの、サムの気持ちが分からず、シロエに劣るようならば。
これではシロエの思う壺だ、と自分でも分かっているのだけれど。
どうにも抑えられない苦しさ、解けないままで抱えた難問。
スウェナは、サムは、何を思って、どう考えて自分を詰ったのか。
何をどうやったら、自分はそれを読み解けるのか。
分からないから、駆け巡る疑問。それに引き摺られて乱れる心。
抑え切れない自分の感情、けして表には出さないけれど。
(…どうして、シロエにも分かるような事が…)
自分には全く分からないのか、自分には何が足りないのか。
知識か、それとも自分は持たない過去の記憶が鍵なのか。
記憶だったら手も足も出ない、自分は持っていないのだから。
過去に戻って取り戻そうにも、タイムマシンと呼ばれる機械はまだ無いのだから。
(タイムマシンか…)
何処で知ったか、お伽話のような機械の名前を。
本で読んだか、サムに聞いたか、小耳に挟んだ言葉を自分で調べたか。
それがあったら乗って行きたい、自分が忘れた過去を探しに。
落としてしまった大切な鍵を、解けない疑問を解くための小さな鍵を拾いに。
タイムマシンがあったなら、と思ったはずみに浮かんだ気晴らし。
何か本でも読めばいい。
まだ読んだことのない本を何か、勉強ではなくて娯楽用の本。
そんな本など、自分から読みはしないから。読みたいと思うことも無いから。
(適当に…)
ステーションで人気の作品でも、と部屋からアクセスしたライブラリー。
一番人気の一冊がいいと、それでも読めば気分が変わると。
タイトルさえも確認しないで、表示された文字を追い始めて。
非現実の世界に入り込んでいたら、主人公の少女がこう言った。
「可哀相な人。…自分の尺度でしか物事を測れないのね」と。
その瞬間に引き戻されてしまった現実。
図らずも、現実にはいない少女に言い当てられた、自分の現状。
(…自分の尺度でしか…)
それが真実なのだろう。
自分の尺度で測っているから、スウェナの、サムの心が見えない。
シロエでさえも、自分の尺度と違う尺度で測れるのに。
器用にやってのけているのに、それが出来ない劣った自分。
マザー・イライザは何も言っては来ないけれども、薄々気付いているかもしれない。
自分よりもシロエの方が上だと、言動はともかく能力では、と。
(どうすれば…)
測れるというのか、別の物差しで。自分の尺度以外のもので。
それが分かれば苦労はしない。
非現実の世界の少女さえもが、サラリとそれを言ったのに。
驚いたはずみに消してしまって、本のタイトルも分からないけれど。
疑問は解けずに、抱え込んだまま。
違う物差しは見付からないまま、気晴らしの本もウッカリ読めない。
迂闊に読んだら、別の言葉で心を抉られそうだから。
たまたま選んだ一冊でさえも、主人公の少女に憐れまれたから。
(分からないままでシロエに負けるのか…?)
いつか追い抜かれてしまうのだろうか、ステーションでの成績を。
メンバーズになったシロエが自分を使うのだろうか、より重要なポストに就いて。
(そんな馬鹿な…!)
有り得ない、と思うけれども、日毎に大きくなってゆく焦り。
明らかに落ち着きを失った自分、幸い、誰も気付かないけれど。
今の所はまだ表れていない影響、けれどもいずれ出始めるだろう。
このまま心が乱れ続けたら、落ち着かない日々が続いたら。
(…心理的ストレス…)
それだ、と自分で下した診断。
ならば解消すればいい。
あの日は本を選んだばかりに、失敗して酷くなっただけ。
もっと自信を持てそうなもので、気晴らしが出来ることといったら…。
(何があるんだ…?)
気晴らしなどに馴染みが無いから、調べてみたら「ゲーム」という文字。
(レクリエーション・ルームか…!)
あそこへ行けば、と思い出した場所。
確かエレクトリック・アーチェリーのゲームがあった筈。
明日にでも行こう、ゲームではなくて訓練でやって、好成績を出したことがあるから。
的を射抜いたら、爽快な気分になれるから。
(あのゲームがいい…)
それにしよう、と決めた気晴らし。
きっと心が晴れるだろう。
幾つもの的を射抜いていったら、ゲームに夢中になったなら。
(考えても分からないことも…)
解けるかもしれない、無心に的を射抜いていたなら、思わぬヒントが降って来て。
皆が興じるゲームをしたなら、違う物差しが見えて来て。
そうなればいいと、自信を取り戻して強くあろうと、部屋で構えを取ってみる。
こう引き絞って、こう放って、と。
的に向かって飛んでゆく矢を、わだかまる疑問を打ち砕く一矢を思い描きながら…。
解けない疑問・了
※なんだってキースがゲームなんかをやっていたんだ、と考えていたらこうなったオチ。
ストレス解消、なのにシロエがノコノコと…。そりゃあ勝負を始めるよね、と。
