(………!?)
何事だ、と浮上したキースの意識。
旗艦ゼウスの指揮官室に設けられた寝室、其処で夜明けには早い時間に。
夜明けと言っても、宇宙を航行中の船では「時間」のみ。
窓の向こうは常に闇だし、銀河標準時間に従い、昼夜の別があるというだけ。
けれども、耳が音を拾った。
この寝室に直接繋がる通信回線、それが発した呼び出し音を。
(まさか、ミュウどもが…!)
直接、地球へと向かったのか、と覚えた焦り。
ソル太陽系に布陣した上で、ミュウの艦隊を迎え討とうと、軍を展開させているのに。
作戦の裏をかかれただろうか、長距離ワープで逆方向へと転移したのか。
地球の座標を彼らは既に知っているから、そうしたとしてもおかしくはない。
ただ、地球だけを目指すなら。
人類軍との戦闘を避けて、地球に降りさえすればいいなら。
もっとも、彼らがそうしたとしても、地球にはグランド・マザーがいる。
(そう簡単には…)
降りられるものか、と思うけれども、そうなったならば自分の失策。
ノアまで捨てて来たというのに、やすやすと地球に降下されたら。
グランド・マザーは不快感も露わに、「愚か者めが!」と怒るのだろう。
「何のための国家主席なのか」と、「自ら就任しておいて、それか」と冷ややかに。
あの紫の瞳で見詰めて、「キース・アニアンとも思えぬな」と。
きっと、それだと考えた。
ミュウの艦隊に出し抜かれたか、あるいは彼らが編み出した奇策。
地球には向かっていないとしても、急襲ワープでこの艦隊の…。
(真っ只中に入り込まれたら、我々には…!)
打つ手など無い、と分かっている。
あの忌々しい、モビー・ディックと呼んでいる船。
ミュウが「シャングリラ」と名付けた母船は、並ぶものなど無い巨艦。
その上、強力なシールドを装備し、レーザーもミサイルも、ほぼ役立たない。
(あの船が割り込んで来たならば…)
衝突した船は端から砕かれ、回避しようにも、急には変えられない進路。
下手に変えれば他の船との衝突となって、多くの船を失うだろう。
モビー・ディックは傷一つ負わず、悠然と通ってゆくというのに。
そのシールドに物を言わせて、他の船など無いかのように。
(…地球か、奇襲か…!?)
どちらなのだ、と飛び起きざまに繋いだ回線。
画面の向こうにスタージョン大尉、沈痛な表情にゾクリとした。「やはりミュウか」と。
地球に降りられたか、艦隊が打撃を蒙ったのか。
けれど…。
「閣下、ノアからの通信です」
繋ぎますか、という声で分かった。
守備隊だけしか残っていない、首都惑星ノア。
そんな場所から、旗艦ゼウスに通信が入るわけがない。国家主席に用がある者もいない。
いるとしたなら、軍の者などではなくて…。
「……繋げ」
そう命令して、暫し目を閉じた。
この通信が繋がらなくても、もう用件なら分かっている。
ノアからなのだと聞かされた上で、スタージョン大尉の表情を目にした今となったら。
とうに覚悟はしていたけれども、やはり思った通りの内容。
回線を切って、ただ呆然と宙を見上げた。
(……サムが死んだ……)
こんなに早く、と身体から力が抜けてゆくよう。
まだ大丈夫だと思っていたのに。
衰弱が酷いと聞かされてはいても、万に一つの「人類の勝ち」があったなら…。
(…ノアに戻って、また病院へ…)
見舞いに行こうと考えていた。
負け戦になってしまった時には、自分の命があったとしたなら、「頼む」と頭を下げようと。
サムの幼馴染でもあったミュウの長なら、国家主席を処刑する前に…。
(…見舞いくらいは…)
させてくれるのやもしれぬ、と思わないでもなかったから。
サムに別れを告げもしないで、「先に逝く」のは「悪い」だろうと。
(……そんな夢物語まで……)
心に描いていたというのに、先立たれた。
E-1077で一緒だったサムに、ただ一人きりの「友達」に。
(……サム……)
信じられないし、信じたくもない。
あのサムがもう、何処を探しても「いない」など。
「赤のおじちゃん!」と笑顔のサムも、E-1077で共に過ごしたサムも。
けれども、切った回線の向こう、この目でサムの死を確かめた。
病院の医師は、サムの死に顔を見せてくれたから。
ベッドの上で眠る姿を、枕元に置かれたサムのお気に入りの万華鏡を。
(…本当に、もういないのだな…)
医師に依頼した、サムの埋葬。
「私の知人として葬ってくれ」と、「単なる患者として扱うな」と。
そう言わなくても、医師は充分、理解してくれていただろう。
この耳に光るサムの血のピアス、それを作った医師が今も主治医のままだったから。
サムの赤い血を固めたピアス。
無意識に指で触れていた、それ。
(サムは今頃…)
何処にいるだろうか、よく歌っていた歌の通りに、遥か地球へと飛んだだろうか。
(Coming home to Terra…)
何度もサムは歌っていた。
「あげる」と自分にくれたパズルを手にして、遊びながら歌い続けていた。
その歌にある「地球」の真の姿も知らないで。
青く美しい星だという歌詞そのままに、水の星だと思ったろうか。
(…そう信じたまま、逝ったなら…)
サムの目に映る地球の姿は、青く輝く星なのだろうか。
命ある自分がかつて見た地球は、赤茶けた死の星だったけれども。
(……サムは見たかもしれないな……)
母なる地球を、青い水の星を。
そしてシロエも見たかもしれない、遠い昔に。
自分がこの手で、シロエが乗った練習艇を落とした時に。
(…サムまでが逝ってしまったか…)
サムはシロエに会っただろうか、と考える内に気付いたこと。
目から涙が溢れてこない。
これほどに心は悲しみに満ちて、遠い日へと飛んでいるというのに。
サムが、シロエが笑っていた頃へ、E-1077で過ごした頃へと旅しているのに。
(……いつから泣かなくなったのだ?)
いつから私は涙を失くした、と目元に触れる。
シロエの船を撃った時には、涙が止まらなかったのに。
心でシロエの名を呼び続けて、窓の向こうは涙で滲んでいたというのに。
(…今はサムが死んで…)
もっと悲しい筈ではないか、と思っても溢れない涙。
ただの一粒も零れはしないで、頬を伝ってくれもしないで。
(……冷徹無比な破壊兵器か……)
そういう異名を取っている内に、自分は涙を失くしたろうか。
最後に涙を流した記憶は、いったい何処にあるのだろうか…?
(…シロエの時だった筈がない…)
いくら「機械の申し子」でも。
マザー・イライザが無から作った生命体でも、「ヒト」の姿には違いない。
怪我をしたなら血が流れるし、それと同じに涙も流れる。
シロエの船を落とした時にも、自分は泣いていたのだから。
あれが最後の涙だったとは思えないが、と遡ってゆく自分の記憶。
「他に何か」と、「まさか、あれきり泣かなかったわけでもあるまいに」と。
(……あれから後にも……)
そうだ、と蘇って来た記憶。
何度もシロエの夢を見ていた。
夢でシロエの船を落として、目覚めたら頬が冷たくて…。
(…泣いていたのだ、と気が付いて…)
深い後悔と悲しみの中で、何度夜明けを迎えたことか。
涙が頬を流れるままに。
「あれしか道は無かったのか」と、自分自身に問い続けて。
幾度もそれを繰り返す内に、「これでは駄目だ」と覚えた自覚。
涙を流せば流した分だけ、心が弱くなってゆく。まるで涙で融けるかのように。
凍てた氷が、暖かな水でじわじわと融けてゆくように。
(…あれで気付いて…)
けして弱さを見せては駄目だ、と自分自身を叱咤した。
夢で目覚めて、頬に涙を感じる度に。「弱い」心を知らされる度に。
そうして、いつしか「泣かなくなった」。
シロエの夢を見る夜も減って間遠になって、自分でも忘れてしまっていた。
この目は「涙を流さない」ことを。
どんなに悲しみに囚われようとも、その悲しみが増すような「涙」を流しはしないのだ、と。
(…そういうことか…)
それで私は泣かないのか、と指先で耳のピアスに触れる。
心は涙を流しているのに、目から涙は滲みさえもしない。
ただ一人きりの友を亡くして、これほどの悲しみに沈んでいても。
シロエの船を落とした時より、もっと悲しくて堪らなくても。
(……私には似合いなのだがな……)
それでも酷いではないか、と唇を噛む。
友が死んでも「泣けない」だなどと、「流す涙も持たない」と聞けば、きっと誰でも…。
(…人の心など、持っていないと…)
思うだろうし、自分もそうだと思うから。「なんと心が冷たいのか」と。
サムが死んでも流す涙を持たない人間、それが「自分」だとは、ただ悲しくてやりきれない。
「どうして、私はこうなのか」と。
いくら自分が機械が作った生命体でも、サムは自分の大切な「友達」だったのに。
その「友達」が死んだというのに、流す涙も目から溢れてくれないとは、と。
友を涙で見送りたいのに、「流す涙」を自分は持たない。
自分自身が、そう仕向けたから。
悲しむ気持ちを増やす涙は、「駄目だ」と自ら切り捨てたから…。
流れない涙・了
※サムが死んだ時、キースの涙は「心に流れて」いたわけで…。実際に泣いたかどうかは謎。
「泣いていない」方で書いてみました、そして「カミホー」を入れたの、テラ創作で初。
(神様の世界は面倒なんだな…)
なんてやりにくい世界なんだ、とソルジャー・ブルーは日々、腐っていた。
命と引き換えにメギドを沈めて、ミュウの未来を守った功績。それが認められて、鳴り物入りで天国入りを果たしたけれども、その後がどうにも上手くいかない。
今のブルーは、遠い昔の地球で言ったら、「聖人」と呼ばれていたポジション。それの予備軍。
色々な奇跡を起こしても良くて、起こせる力も貰っている。…そう、神様から。
ただ、問題は…。
(…奇跡というのは、頼まれないと…)
起こせないのが「聖人」予備軍、かつての地球では、そうだった。
「この人だったら助けてくれる」と信じる人たち、その人からの「ご指名」を受けて動くもの。病気や怪我を治してやるとか、他にも色々。
「誰それに祈って、こういう奇跡が起こりました」と声が上がったら、聖人にするための調査が始まる。「それは本当に奇跡なのか」とか、他にも色々。
(間違いない、ということになったら…)
晴れて聖人、奇跡の力を使い放題。どう使うのも自分の自由で、大勢の人を救いまくれる。
レアケースとしては、生きている間に「奇跡を起こした」聖人もいたりするけれど…。
(そういう人は、元から聖人…)
奇跡の力を持って生まれて、聖人の称号が後付けなだけ。
生前に幾つもの善行を積んで、死んだ後に「奇跡の力」を貰った場合は、「誰かの祈り」でしか動けない。どんなに力を使いたくても、誰かが頼んでくれないと…。
(独りよがりの奇跡になって、それは神様も喜ばなくて…)
どちらかと言えばマイナス評価で、下手をしたなら「エセ」扱い。
そのシステムが、天国では今も「生きていた」。
SD体制の時代になっても、旧態依然とした世界。「勝手に力を使うんじゃない」と。
指名が無ければ使えない力、せっかく「奇跡を起こせる」ようになったのに。
お蔭で宝の持ち腐れ。
メギドでサックリ死んでからこっち、ミュウの世界では戦いの日々。
アルテメシアを落とした時には余裕だったけれど、それから後はヤバイ局面が幾つもあった。
被害の方も増える一方、健気だったナスカの子供たちも…。
(アルテラも、それにコブとタージオンも…)
人類軍との戦いで死んだ。
誰かが一言、祈ってくれれば良かったのに。「あの子たちを守って下さい」と。
「ソルジャー・ブルー」でも「ブルー」でもいいから、名指しで自分に。
(そうしてくれたら…)
あそこで奇跡を起こしてやれた。
人類軍の船を操船不能にするとか、弾切れを起こさせるだとか。
ナスカの子たちが乗っていた船、それに弾など当たらないようにするだとか。
(ぼくには、そういう力があるのに…)
誰も祈ってくれないからして、何も出来ずに終わってしまった。神様に貰った「奇跡を起こす」パワーを発揮できずに、ただ天国から見ているだけで。
(この先も、どうせ…)
同じ展開になるだけだ、と零れるものは溜息ばかり。
シャングリラはとうとう、ソル太陽系に辿り着いたのに。憧れの地球が目前なのに。
(今、問題のコルディッツも…)
ジョミーが手を打ったようだけれども、ゼルの船を使って小細工などをしなくても…。
(ぼくに一言、「助けて下さい」と…)
頼んでくれれば、オールオッケー。
お安い御用で、ミュウの強制収容所くらい、軽く救える。
見せしめとばかりにジュピターに向けて、人類軍が落下させても。…奇跡の力で落下を止めて、一人も命を落とすことなく。
そうは思っても、「誰も祈ってくれない」日々。
もう本当に情けないだけで、天国のキツイ決まりが悲しい。いくら「聖人」予備軍だって、これでは「いないも同然」だから。…何の役にも立ちはしないから。
(だが、神様に直訴してみても…)
長年これで通したからには、一朝一夕には変わらないだろう。
「決まりを変えよう」という方に行っても、大勢の天使や聖人なんかがワイワイ会議で、一向に進みそうにない。「天国時間」は気が長いだけに、「十年一日」どころか「百年一日」。
(決まりが変わる前に、人類軍との戦いが終わっていそうなんだが…)
きっとそうなる、と分かっているから、声も上げられずに腐っているだけ。
「また今回も出番が無かった」と、「ぼくの力は、何のためにある?」などと。
今日も腐ってぼやいていたら、不意にハーレイの声が聞こえた。
「ブルー、あの子に導きを」と。
(…よくやった、ハーレイ!)
流石は、ぼくの右腕だったキャプテン、と喜んだブルー。
やっと「祈って貰えた」わけで、「奇跡の力」を使えるチャンス到来だ、と。
(…それで、「あの子」と言っていたのは…)
トォニィだったな、とウキウキ探った。トォニィの居場所と、その目的を。
人類軍との戦いだろうし、トォニィに有利に進めなければ、と。
そうしたら…。
(…いや、それは…!)
奇跡の力の範疇外で、とブルーは驚き慌てた。
トォニィは人類軍の旗艦ゼウスに向かって、単身、出撃してゆく所。しかも目的は、国家主席のキースを暗殺することで…。
(あのトォニィに導きを与えてくれ、と言われても…!)
キース殺しに加担したなら、「聖人」予備軍の地位がパアになる。奇跡の力も消えてなくなる。
「殺すなかれ」が天国ルールで、もう絶対の掟だから。
たとえ正当防衛だとしても、「奇跡の力で殺す」所までいったら、反則MAX。
これは困った、と窮地に追い込まれたソルジャー・ブルー。
(…ハーレイ、ぼくに祈る時には…!)
TPOを考えてくれ、と文句をつけたくても、届きはしない。…シャングリラにも、ハーレイの耳にも、まるで全く。
とはいえ「祈り」は届いたわけだし、奇跡の力は使用オッケー。
(いくら使えても、使い道が全く無いんだが…!)
ぼくにキースは殺せないし、と呻く間に、トォニィはゼウスに入り込んだ。警備兵の服を奪って着替えて、艦内を歩いてゆくけれど…。
(…ミュウか?)
トォニィがすれ違った、国家騎士団の制服の青年。トォニィも「ミュウか?」と反応していて、ブルーも同じに気付いた「正体」。「あれはミュウだ」と。
(メギドで、キースを助けに来たミュウ…)
まだいたのか、と驚かされた。
よほど有能なのか、殺されもせずにキースに仕えているらしい。
(本人がそれでいいのなら…)
人類側にミュウがいたっていいだろう、と思って見送ったのだけれども…。
ハーレイに「よろしく」と頼まれてしまった、トォニィへの助力。
そっちはと言えば、とんでもない方へ転がりつつあった。
(トォニィ、それでは嬲り殺しだ…!)
もうちょっと楽に殺してやれ、と止めたい状況。
トォニィはキースの首をサイオンでギリギリと締め上げ、「楽には死なせない」と凄んでいる。
(ぼくもキースに嬲り殺されたようなものだが…)
あそこまで酷くなかったような、と思うものだから、キースの方に同情しきり。
「あんな形で殺されるよりは、心臓を止めてやった方が」と、「奇跡の力」を使いたいほど。
それを使って「人を殺せば」、天国ルールで「聖人の資格剥奪」という鉄の掟が無ければ。
せっかく貰った奇跡の力が、パアになったりしないのなら。
(あのトォニィを、どう導けと…!)
ハーレイの奴、無茶な注文を…、と恨んでいたら、さっきのミュウが駆け込んで来た。開かない扉をサイオンで壊して、派手な爆発を引き起こして。
「キース…!」
床に倒れたキースを見るなり、そのミュウは怒り心頭で…。
「お前は、ミュウだろう! どうして、こんな所にいる!」
トォニィがそう叫んだけれども、相手は聞いていなかった。「キースの仇!」とばかりに攻撃、タイプ・ブルーなトォニィにだって負けてはいない。
(…凄すぎる……)
まさに火事場の馬鹿力だな、と感心する間に、人類軍の者たちの気配がしたから大変。
トォニィは片をつけにかかって、キースに向かってサイオンを投げて…。
(…待て、トォニィ…!)
ちゃんと左右を確認しないか、と突っ込んだブルー。かつて「ソルジャー」と呼ばれた男。
ブルーはキッチリ見切っていた。
例のミュウが、キースを庇うのを。トォニィが投げたサイオンの前に飛び出すのを。
というわけで、其処で奇跡は起こった。
トォニィは「ミュウの返り血を浴びて」、「同族を殺した」とパニックで逃げて行ったけど。
ミュウのマツカも、本当だったら、真っ二つに裂かれる所だったのだけれど…。
「「「閣下!!!」」」
部屋に飛び込んで来たセルジュたちが見たのは、倒れたキースと、血まみれのマツカ。
どちらの救助を優先すべきか、それは自明の理というヤツで…。
「閣下、帰って来て下さい!」
懸命に心臓マッサージをするのがセルジュで、パスカルはマツカの方を調べて…。
「こっちはお役御免だな…。この足はもう、治らんだろう」
軍人を続けるのは無理だ、と冷静な判断を下している。右足に食らった酷い裂傷、骨まで見えているものだから。…治療したって、歩くのがやっとだろうから。
(…やっと奇跡の力を使えた…)
使い道がかなり変わってしまったが、と思いながらも、ブルーは「助けたミュウ」にアドバイスしてやった。意識不明になったはずみに、「こちらの世界」に来たものだから。
「キースを救いたいのなら…。その先に沈んでいる筈だ」
「沈んでいる…んですか?」
「そうだ。放っておいたら、沈んで死ぬ。その前に掴んで引き上げてやれ」
健闘を祈る、と肩を叩いて、「頑張りたまえ」と微笑んだ。
もっとも、「マツカ」という名のミュウは、目覚めた時には、全て忘れているだろうけれど。
かくしてマツカは「キースを救った」。
心肺停止だった所を、死の淵から上へ引き上げて。
ついでに身体を張っての救助で、マツカの右足は当分使えそうにもなくて…。
「…すみません、キース…。これからが肝心な時なのに…」
「いや、いい。早く治して、またコーヒーを淹れに戻って来てくれ」
ノアでしっかり静養しろ、とキースに見送られて、車椅子のマツカはゼウスから去った。自分が命を拾った理由も、「キースを救う方法を教えてくれた誰か」も知らないままで。
そしてマツカを「救うことになった」ブルーはと言えば…。
(ハーレイ、次はしっかりしてくれ…!)
ぼくが存分に奇跡の力を使えるように、とハーレイに期待するばかり。
ジョミーもトォニィも、「まるで祈ってくれない」から。
名指しで祈ってくれない限りは、「奇跡の力は使えない」のが今のブルーの立ち位置だから…。
起こしたい奇跡・了
※「これだけは、ちょっと無理かもしれん」と思っていた「マツカ生存ED」。いや、本当に。
全員生存EDだったら、昔、ハレブルで書きましたけど。…ネタの神様、ありがとう!
(…デカイ顔をしていられるのも、今だけだよ)
キース・アニアン、とシロエが浮かべた皮肉な笑み。
視界の端に、キースの姿を捉えたから。
講義を終えて自分の部屋へと戻る途中で、すました顔で立つ彼の姿を。
「機械の申し子」と異名を取るのが、キース・アニアン。
E-1077始まって以来の秀才、教官たちも挙って彼を誉めるけれども。
(いずれ、このぼくが…)
あいつの成績を全て抜き去ってやる、と心に決めている。
だから今だけ、「キースがトップに立っていられる」のは。
未来のエリート気取りのキースは、いつか「セキ・レイ・シロエ」に敗れる。
(ぼくがE-1077を卒業したら…)
もうその時は、ぼくの方が上だ、と自信を持っている成績。
キースなどには負けないから。
キースでなくても、他の誰にも自分は負けない。
(…誰よりも上に立たない限りは…)
立つことが出来ない、この世界のトップ。
今は空席の国家主席の地位に就くには、キースよりも、誰よりも上に立つこと。
それが絶対、そうでなければ「機械の手駒」にされるだけ。
メンバーズの肩書きを持っていようと、機械に使い捨てられるだけ。
(ぼくが機械に命令するには…)
とにかく、最高の地位が必要。
地球にあると聞くグランド・マザーと対等の立場、それに意見を述べられる地位。
「お前は要らない」と命令したなら、グランド・マザーをも止められる力。
それが欲しいから、ひたすらに上を目指すだけ。
最初に蹴落とし、抜き去る目標、それに決めたのが「キース・アニアン」。
いずれ自分は彼を抜くのだと、此処を卒業したならば、と。
そうして戻った自分の部屋。
ベッドに座って、広げたピーターパンの本。
今の自分の、ただ一つきりの宝物。
成人検査が奪い損ねた、故郷の思い出を形にしたもの。
(…ぼくが忘れてしまっても…)
両親の顔も、故郷の風や光もおぼろになっても、この本は消えずに此処にある。
幼い日に両親に貰った時から、ずっと自分のお気に入りのままで。
(子供が子供でいられる世界を、もう一度…)
歪んでしまった今の世界に取り戻したければ、自分がトップに立たねばならない。
ピーターパンの本を愛する自分が、ネバーランドを夢見た自分が。
(他の奴らや、キースが国家主席になっても…)
何も変わりはしないだろう。
世界は変わらず機械が治めて、子供たちは過去を奪われ続ける。
十四歳になったなら。
「目覚めの日」などと、立派な名前がついている日を迎えたら。
(…何処が目覚めの日なんだか…)
いったい何に目覚めるんだ、と毒づきたい気分。
目覚めるどころか、永遠の眠りに突き落とされてしまったかのよう。
あの日を境に、自分は全てを失ったから。
両親も故郷も、何もかもを。
宝物だったピーターパンの本の他には、何も残らなかったから。
(ぼくみたいな子供が、これ以上、生まれないように…)
いつか自分が機械を止める。
子供たちから両親を、故郷を奪う機械を。
成人検査のための機械も、それを束ねるグランド・マザーも。
ぱらり、と本のページをめくる。
永遠の少年、夜空を駆けるピーターパン。
行けると信じたネバーランドは、今の自分の目には見えない。
子供時代の記憶を失ったせいか、夢見る力を奪われたせいか。
(…でも、それも…)
いつの日か、きっと取り戻す。
地球のトップに立ちさえしたなら、国家主席になったなら…。
(機械がぼくから奪った記憶を、戻させることも…)
出来る筈だし、それだけが励み。
たとえ茨の道であろうと、歩んで地球のトップに立つこと。
まずはキースの成績を抜いて、最高の成績でE-1077を後にすること。
そうしてメンバーズの道に入れば、上には上がいるだろうけれど…。
(キースが今しか、デカイ顔をしていられないのと同じことで…)
誰であろうと、抜き去るだけ。
自分よりも上の地位に立っている者、そういった者を一人残らず。
出来るだけ早く、出来る限りの力を尽くしてトップに立つ。
(ぼくには目標があるんだから…)
そのためだったら、何だって出来る、と繰ってゆくページ。
こうして「宝物の本」を此処まで持って来られたように、努力したなら道は開ける。
そのことを、この本が示しているから。
本当だったら、この本は「此処に無い」筈だから。
(…成人検査の日は、何も持っては行けない、って…)
そう教わるから、誰もが信じる。
何も持たずに家を出たせいで、何も持っては来られない。…故郷からは。
けれど、自分はピーターパンの本と一緒に此処まで来た。
「持って行こう」と手にして出たから、きちんと努力したものだから。
それと同じで、どんな道でも開ける筈。
国家主席に昇り詰めるまでは、けして自分は諦めない。
投げ出しもしない、「努力する」ことを。
どんなに機械が「忘れなさい」と囁こうとも、記憶を消そうと試みようとも。
(…ぼくは忘れない…)
機械に与えられた屈辱、奪われた子供時代の記憶。
両親も故郷も奪った機械を、憎い機械を忘れはしない。
いつか復讐するために。…機械が治める時代を終わらせ、奪われた記憶を取り戻すために。
(…E-1077を卒業したら…)
其処からが本当の戦いになる、と卒業の日を頭に描く。
メンバーズとして此処を出てゆく時を。
候補生の制服に別れを告げて、国家騎士団に入るだろう日を。
(その時までには…)
いろんな意味で抜き去ってやる、と思う「キース・アニアン」。
最上級生のキースは、年相応に背だって高い。
側に来たなら、嫌でも自分は「見下ろされる」形になるけれど…。
(あいつの背だって…)
出来ることなら抜いてやりたい、自分が上から「見下ろせる」ように。
口では「キース先輩」と呼ぼうが、メンバーズとしての役職名で呼び、敬礼しようが。
(ぼくの方が、背が高かったなら…)
もう、それだけで最高の気分になれるだろう。
「この背と同じに、お前だって、じきに抜いてやる」と。
メンバーズの世界では上官だろうと、出世したなら自分が上になる世界。
その日を頭に思い描いて、上からキースを「見下ろして」みたい。
E-1077で暮らす間は、そうすることは無理だけれども。
(あいつの方が、先に卒業して行くから…)
自分の背丈が伸びた時には、もういない「キース」。
今のキースが着ている制服、ああいう上着を自分が纏える頃には、もう。
E-1077に「キース」はいなくて、残念なことに「見下ろせはしない」。
メンバーズとして顔を合わせるまで、自分が此処を卒業するまで。
(……残念だね……)
あいつを見下ろしてやりたいのに、と考えた時に、ふと掠めた思い。
キースが着ているような制服、それを纏った「セキ・レイ・シロエ」は、どんなだろう、と。
背が伸びた自分はどんな姿か、どんな顔立ちの人間なのか。
(今のぼくより…)
大人びていることは確かだけれども、そういう自分を思い描けない。
此処を卒業してゆくくらいの、「大人」の自分。
今よりも大人になった「シロエ」を、「少年ではない」自分の姿を。
(……国家主席になるほどだったら……)
今のキースどころではない、その年齢。
いったいどういう顔なのだろうか、そうなった時の自分の顔は?
「セキ・レイ・シロエ」は、自分は、どういう姿形になってゆくのか。
(…今のぼくなら…)
両親と別れた時の姿と、それほど変わっていないと思う。
此処では「下級生」の立場で、キースたちのような制服もまだ似合わないから。
けれども、あれが似合う年頃に成長したなら、自分の姿はどうなるのだろう?
今の「シロエ」は消えるのだろうか、子供時代の記憶が消えてしまったように…?
(……ぼくの姿も……)
消えてしまったらどうしよう、と捕まった思い。
ピーターパンの本が似合わないような、「大人」の姿になるだろう自分。
此処を卒業してゆく頃には、もうそうなっているかもしれない。
少年の姿を失くしてしまって、「大人」になって。
今のキースを見下ろせるほどの、背丈の高い男になって。
(…そんなのは、今のぼくじゃない…)
今のシロエのままでいたい、と覚えた恐怖。
子供の心を失くした上に、姿まで自分は失くすのかと。
今なら姿は、「子供」時代の面影があるし、まだ失くしてはいないのに。
(でも、いつか…)
それも失くす、と気が付いたから恐ろしい。
自分は未来を目指すけれども、それと引き換えに失くすもの。
いつかキースを蹴落とす時には、もはや持ってはいないだろう「もの」。
(……子供が子供でいられる世界……)
このまま子供でいられたならば、とピーターパンの本の世界に逃げ込みたい。
それでは未来は掴めなくても、「失う」よりは幸せだから。
子供の姿を失くすよりかは、今の姿でネバーランドに行く方が幸せに思えるから…。
いつか失くすもの・了
※「大人になったシロエって、思い浮かばないな…」と、考えた所から出来たお話。
原作ワールドには該当者なしで、どんな顔だか、マジで想像つかないんですけど…!
「おっ、ジョミーだ!」
でもってヤバイ、とキムたちがサッと消去した何か。ジョミーが足を踏み入れた部屋で。
シャングリラの中にある娯楽室と言うか、休憩室とでも呼ぶべきなのか。そういうスペースでの出来事。ソルジャー候補の赤いマントを背負った姿で入って行ったら。
(えーっと…?)
何か消したよね、とジョミーにも分かる。部屋に備え付けになった端末、そのモニターで彼らが見ていた何か。ワイワイ取り囲んで、それは賑やかに。
「今、何か見てた…?」
何か面白いニュースでも、と尋ねたら「いやあ…」という返事。何処か曖昧、誤魔化しているといった趣。そう、何かを。
(…ぼくに内緒で、思いっ切りスルー…)
仮にもソルジャー候補のぼくを、と不愉快だけれど。なんだか嫌な気分だけれども、因果応報。ソルジャー候補な立場はともかく、現ソルジャーの方が問題。
スカウトされて船に来たのに、トンズラしたとも言う自分。「家に帰せ!」と大見得を切って。
リオに送らせて逃げ出した後は、人類に追われて、捕まって…。
(…サイオン爆発で、衛星軌道上まで逃げて…)
そんな所まで追って来られるのは、ソルジャー・ブルーしかいなかった。現ソルジャーで、力はもちろん、ビジュアルも凄い超絶美形なカリスマ指導者。
弱った身体に鞭打って助けに来てくれた彼を、半殺しにして寝込ませたのが自分なわけで…。
(後継者に指名して貰っても…)
船の雰囲気は最悪だった。コソコソ、ヒソヒソ、囁き交わされている陰口。それからシカト。
露骨なイジメこそ起こらないものの、四面楚歌とも針の筵とも言えそうな今。
(ぼくには見せてくれない何かも…)
その一つだよね、と悲しいながらも理解した。
船で流行りの楽しい画像か、はたまた若い仲間たちが何処かで集まる懇親会とかのお知らせか。
(…懇親会かも…)
可能性が高いヤツはソレかも、と肩を落として返した踵。「邪魔してごめん」と。
どうせ仲間には入れて貰えないし、何を見ていたかも教えてなんかは貰えない。何もかも自分が悪いわけだし、部屋に帰って落ち込もう、と。
自分の部屋に帰り着いたら、一層みじめな気分になった。
ソルジャー候補と言っても名ばかり、長老たちにも頭が上がらない。来る日も来る日も、朝から晩までサイオンの訓練、叱られて文句を浴びせられる日々。
やっと終わった、と休憩室を覗きに行ったら、さっきのようにシカトでスルー。
(…ぼくが未来のソルジャーだってこと、船のみんなは分かってるわけ…?)
ちっともそうは思えないけど、と零れる溜息、誰かいたなら愚痴りたいキモチ。
そうは言っても、ナキネズミ相手に愚痴るくらいしか出来ない自分。友達なんかはナッシングな船で、ソルジャー・ブルーに愚痴っても…。
(逆に説教…)
きっとそうなることだろう。「君の立場を考えたまえ」と、「物事には理由があるものだ」と。
どうして今の境遇なのか、それをキッチリ考えるように言われて藪蛇。
(はいはい、充分、分かってますって…)
ソルジャー候補なんて名前だけですよね、と悲しさMAX。
こんな結末になると知っていたなら、船から逃げはしなかった。不本意ながらも船に馴染んで、ミュウになろうとしていただろう。多少、時間はかかったとしても。
(孤立無援で、シカトよりかは…)
キムたちと殴り合いの日々でも、拳と拳でいつかは得られる男の友情。そっちの方がずっとマシだし、前向きな生き方でもあった。今よりも遥かに建設的で。
(失敗したよね…)
ぼくは生き方を間違えたんだ、と悔やんだ所で後悔先に立たず。「覆水盆に返らず」なわけで、これからも四面楚歌な毎日。きっと当分。
(正式にソルジャーってことになったら…)
いくらかは風当たりが和らぐだろうか、と未来に希望を繋ぐしかない。
その頃になれば、今日は隠された「懇親会のお知らせ」だって…。
(ソルジャーに内緒で開催するのは問題だしね?)
形だけでも誘いが来るか、あるいはキャプテン経由で情報が入って来るか。日時や、開催場所のお知らせ。「ソルジャーもご一緒に如何ですか?」と。
そうなった時は、顔を出すのもいいだろう。ソルジャーをシカト出来はしないし、少しずつでも距離が縮んでくれたなら、と。
けれど如何せん、現時点ではソルジャー候補。
懇親会のお知らせすらもスルーで、「ヤバイ」と隠される有様。さっきみたいに。
(まだまだ先は長そうだよ…)
自業自得でも、ホントにキツすぎ、と嘆きまくって、その日は終わった。ドン底な気分で。
ソルジャー候補は名前ばかりで、何の役にも立ちやしない、と。
それからも茨の日々が続いて、相変わらずのスルーと四面楚歌にシカト。もう嘆くだけ無駄、と思い始めた所へ、今度は別の事件が起こった。
ある朝、入って行った食堂。皆が輪になって談笑中で、「どうせ無視だよ」と靴音も高く彼らの横を通ろうとしたら…。
「おい、マズイって!」
早く隠せ、と一人がポケットに突っ込んだ何か。他の仲間はパッと散って逃げて、知らん顔して食事を始めたけれど…。
(なに、あの視線?)
やたら感じる、笑いをたっぷり含んだ視線。こちらをチラチラ眺めながら。
(…ぼくの顔に何かついているわけ?)
顔は洗って来たんだけどな、と両手でゴシゴシ擦っていたら、プッと吹き出した女性が一人。
(プッって…?)
そんなに可笑しいことをしたっけ、と解せない気分。顔を擦ったら、汚れが増殖したろうか?
鏡が無いから分からないよ、とマントでゴシゴシ、そしたら余計に感じる笑い。声とは違って、ミュウの得意の思念波で。
(クスクスが女性で、ゲラゲラが男…)
いったい何が可笑しいわけ、と考えてみても分からない理由。
顔が汚れていたのだったら、汚れが取れたら笑いも収まりそうなもの。いつまでも思念で笑っていないで、普段のシカトなモードに戻って。
(コミュニケーションってことはない…よね?)
笑いで仲良くなりたいのならば、「おい、マズイって!」は無いだろう。「早く隠せ」も。
彼らは何かを隠蔽していて、隠した「何か」がもたらす笑い。
それが何かは謎だけれども、もう最高に可笑しすぎる何か。多分、「自分」に関わることで。
ソルジャー候補に見せたらマズくて、隠さなくてはならないモノ。姿を現した瞬間に。
(何なのさ、アレ…)
ぼくが何をしたと、と腹が立っても、売れない喧嘩。此処で喧嘩を売ったなら…。
(エラやヒルマンが飛んで来て、説教…)
その上、皆に謝らされるに違いない。ソルジャー候補の自分の方が、ヒラの仲間にお詫び行脚。食堂のテーブルを端から回って、「ごめんなさい」と。「何もかも、ぼくが悪いんです」と。
そうなることが見えているから、グッと怒りを飲み込んだ。
(もう、これ以上…)
シカトとスルーは御免なのだし、敵は作らない方がいい。とっくの昔に四面楚歌でも、どっちを向いても敵ばかりでも。
(仕方ないよね…)
ぼくの印象、船に来た時から最悪だから、と我慢して耐えた笑いの思念。食事をしている間中。
それが済んだら朝の訓練、長老たちが待つ部屋に行ったのだけれど…。
「おお、ジョミーじゃ!」
マズイわい、とゼルがマントの下へササッと突っ込んだ何か。激しくデジャヴを感じる光景。
ついでにブラウが背中を丸めて、懸命に笑いを堪えていた。それは露骨に、隠そうともせずに。
(……………)
もう「懇親会のお知らせ」レベルじゃないよね、と嫌でも分かる「可笑しい」何か。
ソルジャー候補の自分に見せたら「マズイ」何かで、隠さなくてはいけないブツ。
(キムたちだったら、我慢しなくちゃ駄目だけど…)
いつもシゴキをする長老たち、彼らに遠慮は要らない気がする。大人しく訓練に励んでいたって叱るわけだし、容赦ないのが四人の長老たちというヤツ。
だからズズイと一歩踏み出し、「今のは、何?」と足を踏ん張った。負けてたまるかと。
「何か隠したよね、マントの下に?」
見せて、と凄んだら、「見ない方がいいと思うんじゃが」と返したゼル。髭を引っ張って。
「世の中、知らない方がいいことも沢山あるもんじゃ。…そうじゃろ、ブラウ?」
「その通りさ。アンタも不幸になりたくないだろ、坊や?」
黙ってスルーしておきな、と言われれば余計、誰でも気になる。「不幸になる」と聞いたって。知らない方がいいこともある、とスルーを推奨されたって。
そう思うから…。
「不幸になっても気にしないから!」
もう充分に不幸だしね、と開き直った。毎日が四面楚歌の日々だし、シカトされる立場。
陰でコソコソ笑われるよりは、原因を知ってスッキリしたい、と。
そうしたら…。
「なるほどのう…。それだけの覚悟があるんじゃったら…」
まあ、ええじゃろう、とゼルが懐から出して来たモノ。それを見るなり、固まったジョミー。
(ちょ、ちょっと…!)
これって何、と失った言葉。もう落ちそうなほどに見開いた瞳。
ゼルの皺だらけの指が持っているものは写真で、写っているのは自分だけれど…。
(こんなの、誰が撮っていたわけ…!?)
酷すぎるよ、としか思えなかった。ソルジャー・ブルーも一緒に写った一枚、けれどもカメラの方を向いているのは「自分だけ」。ソルジャー・ブルーは気絶しているから。
(…確かに、こういう展開になっていたけれど…!)
その原因は、ぼくなんだけど、と口から泡を噴きそうな写真。
ソルジャー候補に据えられる前に、アルテメシアの衛星軌道から落下してゆくブルーを追って、追い掛けて…。
(ちゃんと捕まえて帰って来たけど、ぼくの服は…)
ものの見事に燃えてしまって、一部分しか残らなかった。袖口とか肩とか、パンツが隠れる部分とか。そういう状態で船に収容される直前に…。
(ぼくのズボンが…)
辛うじて腰の周りに残っていたのが、ポロリと崩れて燃え落ちた。下に履いていたパンツだけを残して、「はい、さようなら」と綺麗サッパリ。
ゼルが持っている写真はソレで、その瞬間を捉えているから堪らない。
(パンツ丸見え…)
みんなが笑っていたのはコレか、と分かったけれども、知らなかった方が幸せだった。懇親会のお知らせなのか、と思った頃とか、食堂で笑われていた頃だとか。
よりにもよってパンツ丸出し、そんな写真が船中に出回り、誰もが笑っているなんて。長老たちまで持っている上、こうして見せてくれただなんて。
あろうことかパンツ丸出しの写真、それがソルジャー候補の肖像。シャングリラ中で閲覧可能な恐怖の一枚、いったい何枚コピーされたか、考えたくもないわけで…。
「これって、どうすれば消せるって言うの!?」
今すぐに消して欲しいんだけど、とソルジャー候補の権威を振りかざしたら。
「そりゃ無理じゃのう…。データベースの削除権限は、ソルジャーしか持っておらんのじゃ」
ソルジャー・ブルーしか消せんわい、とゼルがカッカッと笑ってくれた。消したかったら、早く候補を卒業すること。正式なソルジャーになることじゃ、と。
「…それまでは?」
「放置プレイに決まっておろう!」
ソルジャー・ブルーも映像のことは御存知なのじゃ、とゼルは腕組みして威張り返った。
「これもソルジャーのお考えじゃ」と、「恥ずかしい記録を消すために精進するがいい」と。
(……恥ずかしい記録……)
晴れてソルジャーにならない限りは、削除不可能な写真や映像。パンツ丸見えの恥ずかしい姿。
今のままだと拡散しまくり、放っておいたら子供たちの目にまで入りそうだから…。
「分かったよ! ソルジャーになって、削除するから!」
そのためだったら頑張れる、とジョミーがグッと握った拳。「努力あるのみ」と。
かくしてジョミーは、奮然として訓練に取り組むことになる。
ソルジャー・ブルーが放置で黙認している写真を、映像を削除するために。パンツまで丸見えになった瞬間、それを「歴史」から消すために。
(ソルジャー・ブルー…!)
あなたは何処まで腹黒いんです、と歯噛みするジョミーと、ほくそ笑んでいるブルーの方と。
(…頑張りたまえ、ジョミー)
ぼくがアレを最初にバラ撒いたんだ、とソルジャー・ブルーは涼しい顔。
原動力が何であろうと、ジョミーが立派なソルジャーになればミュウの未来は安泰だから。
「これで安心して死んでゆける」と、「恥ずかしい記録も、時には大いに役立ててこそ」と…。
消せない肖像・了
※燃えてしまったジョミーの服。アニテラでは「辛うじて」残っていたわけですけれど。
収容する前に燃え落ちたかもね、と考えたのが管理人。当然、記録はガッツリと…。南無。
「マツカ。…コーヒーを頼む」
そう言ってからハッと気付いたキース。「もういないのだ」と。
いったい何度目になるのだろうか、こうして呼んでしまうのは。
可哀相なくらいに優しかったマツカ、彼の名前を。…もういない部下を。
(あいつは優しすぎたのだ…)
どうして私などを庇った、と握った拳。机の下で。
コーヒーのことは、今はもういい。
他の部下を呼んで命じたならば、直ぐに届くと分かっていても。
今は誰とも会いたくはないし、そういう気分。
「マツカはいない」と気付く前なら、普段通りに執務の時間だったのに。
(……マツカ……)
あれほど邪険に扱ったのに。
彼が最後のミュウになったら、「殺すだろうな」とも脅したのに。
それでもマツカは逃げもしないで、ただ忠実に仕え続けた。
彼の仲間を、ミュウを宇宙から殲滅するべく、策を練り続ける上官に。
血も涙も無いと評判の主に、誰もが恐れる「キース・アニアン」に。
(逃げようと思えば、幾らでも…)
逃げ出すためのチャンスはあった。
彼一人、仮に逃げた所で、戦況が変わるわけでもない。
マツカに心は読ませていないし、得られる筈もない国家機密や軍の情報。
(もしも、マツカが逃げていたなら…)
知らぬふりをしておいただろう。
「私が命じた」と、許可なく発進した船を、誰にも追わせないように。
マツカは極秘の任務を果たしに、単身、ミュウの拠点に向かって行ったのだ、と。
それでマツカが戻らなくても、誰も不審に思いはしない。
てっきり殉職したと考え、グランド・マザーも、また疑わない。
そしてマツカは特進したろう、任務の途中で命を落としたのだから。
実際、今ではそうなったマツカ。
身を呈して国家主席を救った側近、そういう栄えある地位に置かれて。
セルジュやパスカルたちに惜しまれ、「どうして逝った」と悲しまれて。
(…何故、その道を選んだのだ…)
答えは分かっているのだけれども、「何故」と問わずにはいられない。
自分はマツカに、「何もしてやらなかった」から。
ただの一度も、素直な言葉を掛けてやりさえしなかったから。
マツカの瞳の奥にいつもあったもの、頑なに「キース」を信じる心。
どんなに冷たくあしらおうとも、厳しい言葉をぶつけようとも。
いつだったか、口にしたマツカ。
「本当のあなたは、そんな人じゃない」と、彼の心を占める思いを。
珍しく、感情の昂るままに。
それさえも切って捨てたのが自分、マツカは真実を言い当てたのに。
誰にも読ませぬ心の内側、それを見抜いていたというのに。
(…あの時くらいは…)
表情を動かすべきだったろうか、マツカに報いてやりたかったら。
心の奥では「早く逃げろ」と、ミュウの母船へ行くよう促していたのなら。
いずれ敗れるだろう人類、道を共にすることなどは無い。
ミュウの母船に辿り着いたなら、彼らはマツカを船に迎えるだろうから。
(もっとも、私が言った所で…)
マツカは、けして逃げたりはしない。
きっと逆らい、声を荒げてでも国家騎士団に残っただろう。
「これが任務だ」と命じたとしても。
ミュウの母船に行くことが任務、「キース・アニアンからの最後の命令だ」と言い放っても。
逃げ出すチャンスも、逃げる手段も、どれも使わずにマツカは残った。
そればかりか、船に入り込んだミュウと…。
(戦った挙句に、殺されたのだ…)
セルジュたちは、「部屋を破壊したのはミュウだ」と信じているけれど。
そうとしか思えぬ有様だったけれど、自分には分かる。
「マツカもあそこで戦ったのだ」と、「何もしないでいたわけがない」と。
侵入者と戦い、サイオンを使い過ぎていたから、マツカは助からなかったろうか…?
かつてミュウの母船から逃れた自分を、マツカはサイオン・シールドで…。
(やったことがない、と言いながらも…)
包んで見事に救ったのだし、きっと能力は高かった筈。
咄嗟にシールドを張れていたなら、マツカはその身を守れただろう。
床に倒れて心肺停止の「キース・アニアン」をも、シールドの中に取り込んで。
どちらも掠り傷さえ負わずに、侵入したミュウが他の兵士たちに見咎められて逃れるまで。
(そうしていたなら、きっとマツカは…)
今もこの船で生きていたろう、コーヒーを淹れてくれたのだろう。
「コーヒーを頼む」と言ったなら、直ぐに。
あの穏やかな笑みを浮かべて、「熱いですから、気を付けて下さい」と。
けれど、そのマツカはもういない。
自分を庇って逝ってしまった、それは無残な死に様で。
幾多の戦場を渡り歩いた自分ですらも、目を覆いたくなるような屍を晒して。
(…そうなって、なお…)
マツカが「キース」を救ったことを知っている。
死の淵の底へ沈んでゆくのを、マツカの手がグイと引き上げた。
恐らく、あれは夢ではない。
「キース、掴まえましたよ」と腕を掴まれたのは。
「ぼくがあなたを死なせない」と、笑みを湛えていたマツカは。
直後に自分が生き返った時、マツカは涙を流したから。
「悲しんでくれた」と、思念(こえ)が聞こえた気がしたから。
(…どうして、あの時…)
素直になれなかったのか。
開いたままだったマツカの瞳、それをこの手で閉じてやったけれど。
悲しみに顔を伏せたけれども、その後、自分が言った言葉は…。
(後始末をしておけ、と…)
ただ、それだけ。
「弔う」のではなくて「後始末」。
マツカはその身を、命を捨てて、自分を救ってくれたのに。
もっと早くに国家騎士団から逃げ出していれば、あそこで死にはしなかったのに。
(…何故、私は…)
「冷徹な自分」を貫いたのか、あの時でさえも。
ただの一兵卒ならともかく、ジルベスター以来の側近のマツカ。
彼の死を悼み、「丁重に弔ってやるように」と命じた所で、誰も異議など唱えはしない。
むしろ上がっただろう、「キース」への評価。
「冷徹無比な破壊兵器でも、忠実な部下には厚く報いてやるらしい」と。
今だからこそ、必要なものが求心力。
他の部下たちからの忠誠、「この人にならばついてゆける」と思われること。
「後始末を」などと言わなかったら、その方面での自分の評価は…。
(…間違いなく上がった筈なのだがな…)
今の自分がそう考えるなら、平静であれば、きっと「そのように振舞った」だろう。
マツカを失ってしまった悲しみ、それが心を覆わなければ。
普段と同じに「冷静なキース」、そんな自分であったなら。
(私らしくもなかったのだな…)
如何にも「キースらしく」見えたろう、あの自分は。
長く仕えた側近の死さえ、「後始末を」と言い捨てて去った自分は。
真に計算高かったならば、逆のことを口にした筈だから。
マツカを丁重に弔うようにと、「後始末」などとは言いもしないで。
動揺のあまり、選び損ねた言葉。
傍目には「キースらしく」見えても、そうではなかった冷たい命令。
(…そのせいで、今も…)
実感できない、「マツカがいなくなった」こと。
忠実なセルジュやパスカルたちは、命令のままに動いたから。
「後始末をと仰ったから」と、彼らが内輪で見送ったマツカ。
破壊された部屋は他の者に任せて、マツカの亡骸を運んで行って。
(二階級特進の証なども…)
添えてマツカを送ったのだろう、二度と戻らぬ死への旅路に。
きっと何処かに墓標も作って、「ジョナ・マツカ」の名を刻んでやって。
(……私は、その場所さえ知らぬ……)
「後始末」のことなど、報告されはしないから。
あの部屋がまだ血まみれの内に、「マツカの死体は片付けました」と来たセルジュ。
「これから部屋の修理であります」と、「当分は区画を閉鎖します」と。
(…何故、あの時に…)
ただ頷いただけだったのか、愚かな自分は。
「待て」と一声掛けさえしたなら、出られただろうマツカの葬儀。
そして上がった「キース」の評価。
「やはり閣下は素晴らしい人だ」と、「忠実な部下には報いて下さる」と。
それが「勘違い」であろうとも。
本当の所は「マツカだからこそ」、弔わねばと考えたのが「キース」でも。
(……行こうと思えば、行けたのだがな……)
私は二度も間違えたのか、と今も悔やまれる自分の選択。
「後始末を」と言い捨てたことと、マツカの葬儀の日時を尋ねなかったこと。
間違えたせいで、今になっても…。
(いないことさえ、私には…)
認識できないままなのだ、と悔やんでも悔やみ切れない思い。
マツカがどれほど大切だったか、こうして思い知らされる度に。
「コーヒーを頼む」と口にする度、それに答えが返らないままになる度に。
どうして自分はこうなのだろうか、いつも間違えてしまうのだろうか。
(…シロエの時にも…)
彼を見逃し損ねたのだ、と思いは過去へと戻ってゆく。
「いつも、私は間違える」と。
他に取るべき道を探らず、いつも間違え続けるのだ、と…。
もういない者へ・了
※マツカがいなくなった後にも、「コーヒーを頼む」と言っていたキース。ごく自然に。
なのに「後始末」という酷い言いよう、無理しすぎだよ、と。弱みを見せられないタイプ。