(………!?)
何事だ、と浮上したキースの意識。
旗艦ゼウスの指揮官室に設けられた寝室、其処で夜明けには早い時間に。
夜明けと言っても、宇宙を航行中の船では「時間」のみ。
窓の向こうは常に闇だし、銀河標準時間に従い、昼夜の別があるというだけ。
けれども、耳が音を拾った。
この寝室に直接繋がる通信回線、それが発した呼び出し音を。
(まさか、ミュウどもが…!)
直接、地球へと向かったのか、と覚えた焦り。
ソル太陽系に布陣した上で、ミュウの艦隊を迎え討とうと、軍を展開させているのに。
作戦の裏をかかれただろうか、長距離ワープで逆方向へと転移したのか。
地球の座標を彼らは既に知っているから、そうしたとしてもおかしくはない。
ただ、地球だけを目指すなら。
人類軍との戦闘を避けて、地球に降りさえすればいいなら。
もっとも、彼らがそうしたとしても、地球にはグランド・マザーがいる。
(そう簡単には…)
降りられるものか、と思うけれども、そうなったならば自分の失策。
ノアまで捨てて来たというのに、やすやすと地球に降下されたら。
グランド・マザーは不快感も露わに、「愚か者めが!」と怒るのだろう。
「何のための国家主席なのか」と、「自ら就任しておいて、それか」と冷ややかに。
あの紫の瞳で見詰めて、「キース・アニアンとも思えぬな」と。
きっと、それだと考えた。
ミュウの艦隊に出し抜かれたか、あるいは彼らが編み出した奇策。
地球には向かっていないとしても、急襲ワープでこの艦隊の…。
(真っ只中に入り込まれたら、我々には…!)
打つ手など無い、と分かっている。
あの忌々しい、モビー・ディックと呼んでいる船。
ミュウが「シャングリラ」と名付けた母船は、並ぶものなど無い巨艦。
その上、強力なシールドを装備し、レーザーもミサイルも、ほぼ役立たない。
(あの船が割り込んで来たならば…)
衝突した船は端から砕かれ、回避しようにも、急には変えられない進路。
下手に変えれば他の船との衝突となって、多くの船を失うだろう。
モビー・ディックは傷一つ負わず、悠然と通ってゆくというのに。
そのシールドに物を言わせて、他の船など無いかのように。
(…地球か、奇襲か…!?)
どちらなのだ、と飛び起きざまに繋いだ回線。
画面の向こうにスタージョン大尉、沈痛な表情にゾクリとした。「やはりミュウか」と。
地球に降りられたか、艦隊が打撃を蒙ったのか。
けれど…。
「閣下、ノアからの通信です」
繋ぎますか、という声で分かった。
守備隊だけしか残っていない、首都惑星ノア。
そんな場所から、旗艦ゼウスに通信が入るわけがない。国家主席に用がある者もいない。
いるとしたなら、軍の者などではなくて…。
「……繋げ」
そう命令して、暫し目を閉じた。
この通信が繋がらなくても、もう用件なら分かっている。
ノアからなのだと聞かされた上で、スタージョン大尉の表情を目にした今となったら。
とうに覚悟はしていたけれども、やはり思った通りの内容。
回線を切って、ただ呆然と宙を見上げた。
(……サムが死んだ……)
こんなに早く、と身体から力が抜けてゆくよう。
まだ大丈夫だと思っていたのに。
衰弱が酷いと聞かされてはいても、万に一つの「人類の勝ち」があったなら…。
(…ノアに戻って、また病院へ…)
見舞いに行こうと考えていた。
負け戦になってしまった時には、自分の命があったとしたなら、「頼む」と頭を下げようと。
サムの幼馴染でもあったミュウの長なら、国家主席を処刑する前に…。
(…見舞いくらいは…)
させてくれるのやもしれぬ、と思わないでもなかったから。
サムに別れを告げもしないで、「先に逝く」のは「悪い」だろうと。
(……そんな夢物語まで……)
心に描いていたというのに、先立たれた。
E-1077で一緒だったサムに、ただ一人きりの「友達」に。
(……サム……)
信じられないし、信じたくもない。
あのサムがもう、何処を探しても「いない」など。
「赤のおじちゃん!」と笑顔のサムも、E-1077で共に過ごしたサムも。
けれども、切った回線の向こう、この目でサムの死を確かめた。
病院の医師は、サムの死に顔を見せてくれたから。
ベッドの上で眠る姿を、枕元に置かれたサムのお気に入りの万華鏡を。
(…本当に、もういないのだな…)
医師に依頼した、サムの埋葬。
「私の知人として葬ってくれ」と、「単なる患者として扱うな」と。
そう言わなくても、医師は充分、理解してくれていただろう。
この耳に光るサムの血のピアス、それを作った医師が今も主治医のままだったから。
サムの赤い血を固めたピアス。
無意識に指で触れていた、それ。
(サムは今頃…)
何処にいるだろうか、よく歌っていた歌の通りに、遥か地球へと飛んだだろうか。
(Coming home to Terra…)
何度もサムは歌っていた。
「あげる」と自分にくれたパズルを手にして、遊びながら歌い続けていた。
その歌にある「地球」の真の姿も知らないで。
青く美しい星だという歌詞そのままに、水の星だと思ったろうか。
(…そう信じたまま、逝ったなら…)
サムの目に映る地球の姿は、青く輝く星なのだろうか。
命ある自分がかつて見た地球は、赤茶けた死の星だったけれども。
(……サムは見たかもしれないな……)
母なる地球を、青い水の星を。
そしてシロエも見たかもしれない、遠い昔に。
自分がこの手で、シロエが乗った練習艇を落とした時に。
(…サムまでが逝ってしまったか…)
サムはシロエに会っただろうか、と考える内に気付いたこと。
目から涙が溢れてこない。
これほどに心は悲しみに満ちて、遠い日へと飛んでいるというのに。
サムが、シロエが笑っていた頃へ、E-1077で過ごした頃へと旅しているのに。
(……いつから泣かなくなったのだ?)
いつから私は涙を失くした、と目元に触れる。
シロエの船を撃った時には、涙が止まらなかったのに。
心でシロエの名を呼び続けて、窓の向こうは涙で滲んでいたというのに。
(…今はサムが死んで…)
もっと悲しい筈ではないか、と思っても溢れない涙。
ただの一粒も零れはしないで、頬を伝ってくれもしないで。
(……冷徹無比な破壊兵器か……)
そういう異名を取っている内に、自分は涙を失くしたろうか。
最後に涙を流した記憶は、いったい何処にあるのだろうか…?
(…シロエの時だった筈がない…)
いくら「機械の申し子」でも。
マザー・イライザが無から作った生命体でも、「ヒト」の姿には違いない。
怪我をしたなら血が流れるし、それと同じに涙も流れる。
シロエの船を落とした時にも、自分は泣いていたのだから。
あれが最後の涙だったとは思えないが、と遡ってゆく自分の記憶。
「他に何か」と、「まさか、あれきり泣かなかったわけでもあるまいに」と。
(……あれから後にも……)
そうだ、と蘇って来た記憶。
何度もシロエの夢を見ていた。
夢でシロエの船を落として、目覚めたら頬が冷たくて…。
(…泣いていたのだ、と気が付いて…)
深い後悔と悲しみの中で、何度夜明けを迎えたことか。
涙が頬を流れるままに。
「あれしか道は無かったのか」と、自分自身に問い続けて。
幾度もそれを繰り返す内に、「これでは駄目だ」と覚えた自覚。
涙を流せば流した分だけ、心が弱くなってゆく。まるで涙で融けるかのように。
凍てた氷が、暖かな水でじわじわと融けてゆくように。
(…あれで気付いて…)
けして弱さを見せては駄目だ、と自分自身を叱咤した。
夢で目覚めて、頬に涙を感じる度に。「弱い」心を知らされる度に。
そうして、いつしか「泣かなくなった」。
シロエの夢を見る夜も減って間遠になって、自分でも忘れてしまっていた。
この目は「涙を流さない」ことを。
どんなに悲しみに囚われようとも、その悲しみが増すような「涙」を流しはしないのだ、と。
(…そういうことか…)
それで私は泣かないのか、と指先で耳のピアスに触れる。
心は涙を流しているのに、目から涙は滲みさえもしない。
ただ一人きりの友を亡くして、これほどの悲しみに沈んでいても。
シロエの船を落とした時より、もっと悲しくて堪らなくても。
(……私には似合いなのだがな……)
それでも酷いではないか、と唇を噛む。
友が死んでも「泣けない」だなどと、「流す涙も持たない」と聞けば、きっと誰でも…。
(…人の心など、持っていないと…)
思うだろうし、自分もそうだと思うから。「なんと心が冷たいのか」と。
サムが死んでも流す涙を持たない人間、それが「自分」だとは、ただ悲しくてやりきれない。
「どうして、私はこうなのか」と。
いくら自分が機械が作った生命体でも、サムは自分の大切な「友達」だったのに。
その「友達」が死んだというのに、流す涙も目から溢れてくれないとは、と。
友を涙で見送りたいのに、「流す涙」を自分は持たない。
自分自身が、そう仕向けたから。
悲しむ気持ちを増やす涙は、「駄目だ」と自ら切り捨てたから…。
流れない涙・了
※サムが死んだ時、キースの涙は「心に流れて」いたわけで…。実際に泣いたかどうかは謎。
「泣いていない」方で書いてみました、そして「カミホー」を入れたの、テラ創作で初。