「彼にはミュウとしての資質が、無いんじゃないかい?」
ブラウが切って捨てた、「ジョミー」のこと。まるでミュウらしくない、とゼルも言ったほど。
けれども、ソルジャー・ブルーは返した。青の間のベッドに横たわったままで。
『…彼はミュウだ。もう少し、見守ってやって欲しい』
そう紡がれた思念波に、たちまち反論の声が上がった。
「しかし、ソルジャー! 船の者たちも噂しておるわい!」
「まったくだよ。今度ばかりは見込み違いだ、とソルジャーにも矛先が向いているしさ」
『…分からないのも、仕方ないかもしれないが…』
彼のアホ毛が動かぬ証拠だ、と斜めな思念が届いたものだから、長老たちは目を剥いた。無論、キャプテンのハーレイだって。
「アホ毛じゃと!?」
「何なんだい、そのアホ毛ってのは…?」
確かにアホ毛はあるんだけどさ、とブラウも認める「ジョミーの頭」。
太陽のように明るい金髪、其処には常に「アホ毛」があった。寝癖なのだか、髪質だかは、誰も追究していないけれど。
『…ぼくがアホ毛と言ったら、アホ毛だ』
今の時点では「アホ毛」が全てだ、とソルジャー・ブルーは、のたまった。
曰く、ミュウの力に目覚めてはいない、只今のジョミー。「まるっきりの人間だ」という陰口、それが船中で囁かれるほどに。
ところがどっこい、「力」は「アホ毛」に表れているらしい。
先刻、ハーレイが口にしていた、「ジョミーの思念波は強い」という事実。船の何処にいても、感じ取れるほどのレベルの「それ」。
その思念波を「発している」のが「アホ毛」だとのこと。
アンテナよろしく、ジョミーの頭に突っ立って。
船のあちこちに「電波ゆんゆん」といった感じで、無自覚の内に「まき散らす」思念。
もしも「アホ毛」を封じたならば、思念は「感じ取れないくらいに」薄れてしまって、何処から見たって「ただの人間」。
ソルジャー・ブルーは、思念で重々しく、そう告げた。
『君たちが嘘だと思うのだったら、ジョミーのアホ毛を封じるがいい』と。
よりにもよって、「アホ毛」という答え。
「ミュウとも思えぬ」ただの人間、ジョミーが「ミュウだ」という証拠。
長老たちは「ハハーッ!」と青の間を辞去したものの、狐につままれたような気分で、頭を振り振り歩いていた。…船の通路を。
「……アホ毛じゃなどと、言われてもじゃな……」
「アホ毛はアホ毛じゃないのかい?」
船に来た時からアホ毛だったし、とブラウが突っ込む、ジョミーのアホ毛。
リオの小型艇で、このシャングリラの格納庫に着き、降り立った時のジョミーの頭に、アホ毛は「あった」。今と全く変わりなく。
いつ出会っても「アホ毛がある」のがジョミーなのだし、「そんなものだ」と、誰もが思った。それがジョミーのヘアスタイルで、特徴はアホ毛、と。
けれど、此処へ来て明かされた「衝撃の事実」。
ジョミーが船中に「まき散らす」思念は、あの「アホ毛」から。
生粋のミュウなら、ちゃんと意識して思念波を紡ぐものなのだけれど、ジョミーは例外。
「…目は口程に物を言う、とは言うのだが…」
代わりにアホ毛だったのか、とハーレイだって唸っていた。
ミュウの箱舟、シャングリラのキャプテンを務めて長いけれども、「アホ毛で物を言うような」ミュウは知らない。ただの一人も、見たことがないと言うべきか。
「…流石はソルジャー、と慧眼ぶりに感動すべき所でしょうか…?」
でも、アホ毛ですよ、とエラも苦い顔。「そんなミュウを、私は知りません」と。
「私もだよ。子供たちの教育係を、長いこと務めているのだがね…」
アホ毛は所詮、アホ毛なのではないのかね、とヒルマンも懐疑的だった。
ジョミーの頭にピンと跳ねたアホ毛。それが「アンテナ」だと言われても困る。ジョミーの頭の中に詰まった、ありとあらゆる思考を「船中に」撒いているなんて。
「……ソルジャーは、アホ毛を封じろと仰ったが……」
本当にそれで変わるだろうか、とハーレイは歩きながら腕組み。「サッパリ分からん」と、癖になっている眉間の皺を深くして。
「それだよ、それ! アホ毛なんかを、どう封じろって言いたいのさ?」
勝手に跳ねてるだけじゃないか、とブラウが軽く両手を広げて、「アホ毛」の話は終了した。
どうせジョミーの「化けの皮」なんて、じきに剥がれておしまいだろう、と。
そうしてジョミーは「船を出てゆき」、それっきりかと思われていた「アホ毛」の件。
「やっぱりミュウじゃなかったんだ」と、長老たちさえ考えたから。
なのに、大爆発した、ジョミーのサイオン。…ユニバーサルの建物を破壊するほどに。
その勢いで衛星軌道上まで逃げて、駆け上がって、追い掛けて行ったソルジャー・ブルーまでが「半殺し」という激しい展開。
なし崩し的に、ジョミーは「ソルジャー候補」となった。
それでもやっぱり「冴えない」わけで、集中力に欠けているものだから…。
「…アレをどうにか出来んかのう……」
もっと劇的に力が伸びんと、頼りないわ、と今日だってゼルが愚痴っている。
今のジョミーでは、心許ない。とても「ソルジャー・ブルー」を継げるレベルではなくて、先の見通しさえも立ってはいない。
「打つ手があればいいのだがね…。本人のやる気が中途半端では…」
「どうにもならない、ってトコなんだよねえ…」
困ったもんだ、とブラウが零した所で、「そうだ!」とハーレイが、ポンと手を打った。
「アホ毛で、なんとか出来ないのか?」
「「「アホ毛?」」」
「前に、ソルジャーが仰っていたことがあっただろう。アホ毛なのだ、と」
ジョミーの力の源は今もアホ毛なのでは、とハーレイは至極真面目な顔つきだった。
ソルジャー候補なジョミーの頭に、アホ毛は健在。
かつては「電波ゆんゆん」と船中に「思念を撒いていた」なら、サイオンの特訓に入った今でも「アンテナ」の機能は生きている筈。
きっと、何らかの形で「電波ゆんゆん」、もしくは「増幅装置」かもしれない。
アホ毛がピンッ! と立ちさえしたなら、それは物凄いサイオンを発揮するだとか。
「……むむう……」
アホ毛が増幅装置になるのか、とゼルが引っ張った髭。「それも無いとは言えんわい」と。
「…でもねえ…。相手はアホ毛なんだよ?」
おまけにジョミーに自覚は無い、とブラウが断じたけれども、ジョミーの訓練は手詰まり状態。それを打破することが出来るなら、アホ毛にだって縋りたい。
アホ毛なんかに、どう縋るかは、ともかくとして。
ジョミーの頭にピンと立っている、アホ毛。…それを拝んで縋ればいいのか、とても丁重に櫛で梳かして、もっと真っ直ぐに立てればいいのかも、まるで全く分からないけれど。
とはいえ、縋れそうなモノは「アホ毛」一択。
「溺れる者は藁をもつかむ」で、この際、アホ毛でもいいから「掴みたい」気分。
長老たちは額を集めて相談の末に、「アホ毛に縋る」ことにした。
「…アンテナじゃったら、ピンと立てねばならんじゃろう!」
訓練の時にも、アンテナが消えてしまわんように、と技術畑なゼルがブチ上げた理論。
ジョミーの頭にピンと跳ねたアホ毛、それのキープが「何より肝心」。
「……整髪料かね?」
わしらが使っているような…、とヒルマンがゼルの「頭」に目を遣り、次いで髭へと。
ゼルには一本も無いのが頭髪、けれども髭は立派だから。…毎日、整髪料で綺麗に整え、捻って「形にしている」から。
「それが一番早いじゃろうが。…効果があったら、更なる技術の向上をじゃな…」
「なーるほどねえ…。アホ毛専用に、開発させるということだね」
整髪料で、なおかつプラスアルファな素材か、とブラウも頷いた。
サイオンを通しやすい素材などにも「詳しい」のがミュウ。「ジョミーのアホ毛」が「サイオン増幅装置」になるなら、それに相応しい整髪料を開発したっていいだろう。
「私も、それに賛成です。とりあえず、整髪料で様子を見てみましょう」
様子見だけなら、船にあるものでいい筈です、とエラも支持した「整髪料」。
幸いなことに、髭が自慢のゼル機関長や、オールバックがトレードマークのキャプテンなどと、整髪料を愛用している者は「多かった」。
彼らが再び始めた相談、今度は「整髪料」のチョイスについて。
ゼルの髭を「ピンと整える」ためのヤツを選ぶか、ハーレイの髪を固めているヤツがいいか。
結論としては、同じ「髪の毛」で「同じ金髪」に「整髪料を使用している」、キャプテン愛用の品に白羽の矢が立った。「それで良かろう」と。
決まったからには、実行あるのみ。
次の日、彼らは、もう早速に「訓練に来た」ジョミーを捕まえて…。
「ちょいと話があるんだけどね? 訓練の前に」
アンタのアホ毛、とブラウがズバリと言った。まるで全く、隠しさえもせずに。
「……アホ毛?」
コレのことかな、とジョミーが指差した頭。今日もやっぱり、アホ毛は立っていたものだから。
「そう、それなのだよ。…我々はアホ毛に縋りたくてね」
君のアホ毛は、強大な可能性を秘めているかもしれない、とヒルマンがズズイと進み出た。
「ソルジャー・ブルーも仰っていた」と、「君のアホ毛はアンテナらしい」と。
「……アンテナって?」
何それ、とジョミーの瞳が丸くなるから、「アンテナなのだ」と厳めしい顔をしたキャプテン。
「君が初めて船に来た時から、君の思念は強かった。船の何処にいても分かるくらいに」
その中継をしていたモノがアホ毛らしい、とキャプテンの目がマジだからして、ジョミーは口をポカンと開けた。「このアホ毛が…?」と。
「…ハッキリ言うけど、ぼくのアホ毛は、ずっと前からで…!」
「だからこそです。無自覚の内に、ミュウとしての能力を発揮していたに違いありません」
試してみるだけの価値はあります、とエラが掴んだジョミーの「アホ毛」。
其処へ「これじゃ」とゼルが差し出した、ハーレイ御用達の整髪料。エラは「では…」と、指でワックス状のを掬って、「丁寧に」アホ毛に塗り付けた。…ピンと立つように。
「…エラ、仕上げにはスプレーだぞ」
でないと男の髪はキマらん、とハーレイが指示して、「固められた」アホ毛。
サイオンの訓練で駆け回ろうとも、ビクともしない勢いで。ジョミーの頭にピンと跳ねた毛が、常に「アホ毛」でいられるように。
「…え、えっと……?」
なんか此処だけ固いんだけど、というジョミーの声は無視された。
そして始められた「その日の訓練」、なんとジョミーは…。
「おお! 初の満点ではないか!」
「やっぱり、アホ毛だったのかい…。アレが増幅装置ってわけか」
こりゃ、開発班の仕事ってヤツになりそうだねえ…、とブラウが言うまでもなく、方針はとうに決まっていた。
「ジョミーのアホ毛専用」の整髪料を、直ちに開発させること。
並みの整髪料ではないのだからして、サイオンを通しやすい素材で、なおかつ「ビシッと」アホ毛を固定できるもの。
どんな激しい戦闘だろうが、アホ毛が「消えてしまわない」ように。
いつでも「ジョミーの頭には」アホ毛、次期ソルジャーの力の源を保てるように。
こうして「アホ毛」は不動になった。
ジョミー専用の整髪料が開発されて、アホ毛を「きちんと」固め続けて、キープして。
寝ている間も「敵襲に備えて」、アホ毛は必ず「立てておくもの」。
そんな具合で誕生したのが、後のソルジャー・シンだった。
もちろんナスカに着いてもアホ毛で、人類軍との本格的な戦闘に入っても、やはり頭にアホ毛。
ついに地球まで辿り着いても、「ユグドラシルに入る」ジョミーの荷物に、整髪料はデフォ装備だった。係の者が「何を忘れても、これだけは」と、一番最初に突っ込んだほどに。
よってジョミーの「アホ毛」は、地球の地の底でも「乱れることなく」、グランド・マザーとの戦いの最中も「ピンと頭に立っていた」。
アホ毛あっての「ソルジャー・シン」で、それさえあったら、ジョミーの力は無限大だから。
グランド・マザーをも壊したサイオン、その源は、彼の頭に燦然と輝くアホ毛だから…。
アホ毛の底力・了
※何処から「アホ毛」と思ったのかも謎なら、アンテナでサイオン増幅装置な件も謎。
けれど気付けば書く気満々、チェックしていたDVD。…最後までアホ毛で間違いないっす。
「…テーブルに紅茶を用意しておきました」
その声に、キースは目を剥いた。もう、文字通りに。
(紅茶だと!?)
有り得ん、と受けてしまった衝撃。メンバーズなのに、頭にガツンと。
ジルベスター星域での事故調査のために、このソレイドまでやって来た。直ぐにでも出発したいほどなのに、船の用意が整うまでは足止めで…。
(…しかも紅茶か…!)
何故だ、と頭が真っ白だけれど、優先事項は「それ」ではなかった。
(この青年…)
Mか、と既に見切っている。「紅茶を用意しておきました」と告げた、ジョナ・マツカ。此処に配属されたばかりだと、自己紹介をしてはいたものの…。
(…Mのスパイか…?)
こんな辺境星域に、と思いはしても、ジルベスター星系から「一番近い」軍事基地がソレイド。人類軍の動きを探りに、Mが潜り込んでいても不思議ではない。
だから、「わざわざ」読ませた心。拳銃を床に「落とした」上で、ミュウのマツカに。
それから後は、もうゴタゴタで、けれど、何故だか起こした気まぐれ。「生かしておこう」と。
そのマツカには「更に一発」、衝撃弾を見舞っておいたけれども。
(……しかしだな……)
撃つ前に「替えさせて」おけば良かった、とキースが見詰めるテーブルの上。
其処に置かれたティーポットにカップ、シュガーポットやミルクピッチャーまでが揃っていた。今の気分は「コーヒー」なのに。そうでなくても、こうした場所で出て来るのなら…。
(……普通、コーヒーなのだと思うが……)
まるで分からん、と「通用しない」らしい常識。
国家騎士団の中に限らず、軍人と言えば「黙ってコーヒー」。男だろうが、女だろうが。
紅茶なんぞが出る筈もなくて、現に今日まで「見はしなかった」。
けれど、テーブルに「用意された」ものは、紅茶を飲むための道具一式。ご丁寧なことに、まだ肉眼では見たことが無かった、ティーコジーまでが「ポットに被せてあった」。
中の紅茶が冷めないようにと、保温しておくカバーが「ソレ」。
ポットの紅茶が「濃くなり過ぎた」時に「薄める」差し湯も、専用の器にたっぷりと。
此処が辺境星域の軍事基地とは、誰一人思わないだろう。…テーブルの上だけを眺めたならば。
なんとも優雅で手荒な「歓迎」。叩き上げのメンバーズに「紅茶を出す」などは。
(…紅茶と言ったら、女どもが飲むか、そうでなければ…)
軍人などとは違う人種だ、とキースは苦々しいキモチ。
いわゆる政治家、パルテノン入りして元老になるような輩が「飲む」のが紅茶なるもの。時間に追われていないものだから、それはゆったりと寛いで。
(しかし、私は先を急ぐのだ…!)
最新鋭の船と、優秀な人材の準備はまだか、とイラついてみても、「辺境には辺境のやり方」というのがあるらしいから…。
(……コーヒーが無いなら、仕方あるまい……)
紅茶でかまわん、とカップに注いだ紅茶。ポットに被せられたティーコジーを外して、慣れない手つきでトポトポと。
(…何故、辺境で紅茶なんぞを…)
飲まされるような羽目に陥るのだ、と心でブツクサ。もちろん砂糖を入れてはいない。コーヒーだって「ブラック」なのだし、紅茶に砂糖を入れるわけがない。
(どうにも頼りない味だ…)
マツカに「二発目」を撃ち込む代わりに、「入れ替えて来い!」と言えば良かった。テーブルの上の紅茶を下げさせ、「コーヒーを淹れろ」と命じていたなら…。
(インスタントのコーヒーにしても、これよりは…)
まだマシだった、とカップを傾けていると、入室許可を求められた。きっとマツカだ、と思って「入れ」と応えたのだけれど。
「…アニアン少佐。紅茶はお気に召したかね?」
入って来たのは、ソレイドのトップのマードック大佐。唇に薄い笑みを浮かべて。
「……やはり大佐の御趣味でしたか。この紅茶は」
「もちろんだとも。…これでも私は、上昇志向の強い男なのだよ」
まずは形から入るべきだ、とマードック大佐はブチ上げた。
コーヒーなどは「下品な飲み物」、紳士たる者、紅茶を愛してなんぼ。遠い昔の地球で知られた大英帝国、其処では「男も紅茶」だった。「血管の中を紅茶が流れる」と言われたほどに。
彼らの流儀を継いでいるのが、パルテノン入りを果たした元老たち。
教育ステーションでの時代からして、日々の暮らしに「生きている」のが紅茶。
朝一番には、ベッドサイドのテーブルでアーリーモーニングティー。正式には執事が「恭しく」淹れて、主人に供する。これに始まって、夕食の後まで、一日に何度もティータイムだとか。
仕事中にも、「イレブンジズ」などと、午前十一時に仕事を中断、其処で紅茶を飲むほどに。
(…………)
なんとも暇な奴らばかりだ、とキースが思った「ティータイム」。
メンバーズが「それ」をやっていたなら、任務は端からパアだろう。寸秒を争う任務は山ほど、紅茶など飲んでいられはしない。コーヒーが飲めたら、それで上等。
「やってられるか」と、キースはカップを傾けたけれど…。
「…これはこれは。少佐はご存じないらしい」
それでは出世も難しいだろう、とマードック大佐は嘆かわしそうに頭を振った。
「……私が何か失礼でも?」
「いや、何も…。君の育ちが、たった今、分かってしまったのだよ」
下品な男だ、と舌打ちをしたマードック大佐。「昔で言うなら、労働者階級といった所か」と。
(…労働者だと!?)
今の時代は、そんな区別は無いのだけれども、キースにも知識くらいはあった。大英帝国時代の労働者階級と言えば、下層階級と呼んでもいい。貴族たちに顎で使われるような。
(私が、労働者階級だなどと…)
この男、とんだ言いがかりを…、とキースは不快感MAX。
ゆえに無言で睨み付けたら、「これだから、無粋な男は困る」とマードック大佐は、深い溜息を吐き出した。「育ちの悪さが見えるようだよ」と。
「いいかね、君はカップのハンドルに指を通しているがね…」
そのような持ち方はしないものだ、とマードック大佐の視線は冷たい。
紳士が紅茶のカップを持つなら、ハンドルは「指でつまむ」もの。けして指など通しはしない。カップが「どんなに」重かろうとも、上品に指でつまんでこそ。
(……指で、つまめと……?)
馬鹿な、と「それを」試した途端に、ガシャンと落ちていたカップ。
いつもコーヒーを「マグカップで」飲む、ガサツな軍人が「キース・アニアン」。どっしり重いカップを持つには、ハンドルに指を通すもの。そういう世界で生きて来たから、ティーカップなど「指だけで」持てるわけがない。
「…これはまた…。落とすなどとは、もう論外だよ」
君の未来が見えるようだ、と嘲笑いながら、マードック大佐は部屋を出て行った。
「実に楽しい見世物だった」と、嫌味たらしい台詞を残して。
早い話が、「赤っ恥をかいた」のがキース。
不慣れな紅茶を「飲まされた」上に、その作法までも「観察されて」。
パルテノン入りなど「とても無理だ」と暗に言われて、見世物扱いまでされて。
(……グレイブの奴め……!)
こうなったからには、意地でも「マツカ」を引き抜いてやる、とキースは心に固く誓った。こうなる前から、そのつもりではいたけれど。
(ミュウは何かと役立ちそうだが、その前にだな…!)
あいつの「紅茶のスキル」が得難い、とキースにも、「もう分かっていた」。
恐らくマツカは、「そういう教育」を施す場所にいたのだろう。たまたま「軍人向き」の素質を持っていたから、「此処に」配属されて来ただけ。
(本来だったら、パルテノン入りするような連中の…)
側に仕えて、「紅茶を淹れたりする」のが仕事。
其処から始めて、順調に出世していったならば、グレイブが言った「執事」の役目を貰えたりもする。朝一番には、主人のベッドサイドで、「目覚めの紅茶」を注げるような。
(なんとしても、マツカを貰わないとな…)
さっきのグレイブの話からして、「紅茶要員」はマツカの他にもいる筈。「配属されたばかり」だったら、それまでの間、此処の「紅茶にまみれた日々」を支えていたような人材が。
(…私が、マツカを貰った所で…)
グレイブは困らないだろう、と分かっているから、「貰う」と決めた。
何かと役立つ「ミュウ」である上に、「紅茶のスキル」を持っているマツカ。きっとマナーにも詳しいだろうし、側に置いたら、「下品な男」らしい「キース・アニアン」も…。
(…じきに立派に洗練されて……)
コーヒーの代わりに紅茶三昧、そんな男になれるだろう。「血管の中を紅茶が流れている」と、誰もが一目置くような。
(……いずれ、パルテノン入りを果たしたいなら……)
グレイブなどに負けてはいられん、とキースも「形から入る」ことにした。
まずは「マツカ」をゲットすること、話はそれから。
ジルベスターでの任務を終えたら、「ミュウのマツカ」を土産にノアに帰らねば。
「紅茶を頼む」と注文したなら、サッと紅茶が出て来るように。「下品極まりない」コーヒー党から、貴族社会でも通用しそうな「紅茶党」へと、華麗に変身を遂げられるように。
かくして、キースが「目を付けた」マツカ。
彼はキースが睨んだ通りに、「執事などを育てる」教育ステーションの出身だった。けれども、其処での選抜試験。「元老たち」に仕えるのならば、それなりの軍事訓練も要る。
(…その成績は、イマイチだったようだが……)
軍人になった理由はコレか、とキースは「じきに」知ることになった。
ジルベスター星系に向けての、連続ワープの最中に。…グレイブが寄越した「新人の兵士」が、軒並み「ワープ酔い」で、呆気なく倒れてゆく中で。
(三半規管が半端ないのか、それともミュウだからなのか…)
其処は謎だが…、とキースにも分からないけれど、マツカは「酔いはしなかった」。
この調子ならば、部下としても「使える」ことだろう。「紅茶のスキル」に加えて、連続ワープにも強い人材となれば。
(…今の間に…)
転属願いを出しておくか、とキースは即断即決。
ジルベスターにも着かない内から、グランド・マザーに宛てて送った通信。
「この者を、宇宙海軍から、国家騎士団に転属させたい」と、ジョナ・マツカの名を、キッチリ添えて。「是非とも、私の側近に」などと。
既に根回しは「済んだ」からして、その後、キースが「ミュウに捕まり」、脱出してからメギドなんぞを持ち出した時は、マツカは「側近」の座に就いていた。
「ミュウである」ことはバレもしないで、「キース専属の紅茶係」として。
コーヒーばかりの「軍の世界」で、それは優雅に「紅茶の用意」を整えられる人材として。
もちろん、マツカは「紅茶のマナー」にも詳しい。
けれども「上から目線」ではなくて、あくまで「控えめに」教えるマナー。「こうです、大佐」などと言いはしないで、さりげなく視線で促したりして。
(…私は、実にいい部下を持った…)
それに紅茶も美味いものだ、と今のキースは、もう根っからの紅茶党。
朝一番には、マツカが「どうぞ」とベッドサイドで紅茶を注いで、仕事中にもティータイム。
当然のように、カップのハンドルには「指を通さず」、つまむように持って。
パルテノンでも立派に通るスタイル、いつ「栄転」になっても「要らない心配」。
「…マツカ。紅茶を頼む」
ダージリンのセカンドフラッシュを、とキースは、すっかり「通」だった。
茶葉はフルリーフに限る、などと思うくらいに、紅茶の世界に馴染み切って。
遠い昔の貴族好みの、アールグレイなどを好むくらいに、コーヒーなんぞは「忘れ果てて」…。
紅茶党の男・了
※いや、ふと「キースにティーカップは似合わないよな」と思ったわけで…。ビジュアル的に。
けれどマツカに似合いそうなのが、ティーセットの準備。そして、こうなりましたとさ。
(…有り得ないから!)
こんな船なんか、もう嫌だ、とジョミーはブチ切れそうだった。
ミュウの長、ソルジャー・ブルーに「取っ捕まって」、連れて来られたシャングリラ。ミュウの母船で、巨大な白い鯨のよう。
一度は「家に帰れた」ものの、そうした結果は「最悪の結末」。
ユニバーサルの保安部隊に捕まり、拷問まがいの心理探査を受けさせられた。そしたら目覚めた自分のサイオン、ユニバーサルの建物を壊して、衛星軌道上まで逃げた挙句に…。
(…ソルジャー・ブルーが、追って来ちゃって…)
押し付けられた「ミュウたちの未来」。それにソルジャー候補な立場。
ブルーはといえば、「心からすまなく思っている」と落下していったものの…。
(ガッツリ生きてて、ぼくの未来を縛りまくりで…)
もう毎日が地獄じゃないか、と喚きたくなる。こうして夜に部屋に戻って来る度に。
鬼のように詰まった、訓練メニューや講義などなど。自由時間は「無い」に等しく、サボったりすれば「反省文」を書かされる日々。
まるで全く潤いが無くて、心が殺伐としそうな感じ。「もっと、自由を!」と。
それに自由になれた所で、待っているのは「ソルジャー」な道。
今まで以上に「無さそうな」自由、遊ぶなら多分、今の内だと思うのだけれど…。
(ゲーセンも無いし、カラオケも無いし、どうしろと!)
おまけに恋も出来やしない、と愚痴った所で気が付いた。
「恋も無理だ」と、あまりにも絶望的な未来が見えた気がする。…こんな船では、きっと恋など出来ないだろう。「人数に限りがある」ものだから。
(…可愛い女の子は、とっくに相手が決まってて…)
アタックするだけ無駄というもの。
シャングリラは絵に描いたような「閉鎖社会」で、ミュウの箱舟。外から来るのは、救出されたミュウの子供だけ。まるで「出会い」が無い世界。
(……ぼくの人生、終わってるかも……)
恋も出来ずに終わるんだよね、と「ジョミーの悩み」は、また一つ増えた。
ソルジャー・ブルーに「拉致られなければ」、きっと教育ステーションなんかで「素敵な恋」が出来たのに。…可愛いカノジョとデートなんかも。
恋も出来ない船だと分かれば、ますます募ってゆく不満。
ついでにジョミーは「思春期」なだけに、サイオンの方も「暴走しがち」。ブチッと切れたら、訓練用の機械を破壊したりもする。修理がけっこう大変なヤツを。
そんなわけだから、ソルジャー・ブルーの耳にも「荒れている」との情報が入る。
(……あの手の悩みは厄介なんだ……)
ぼくには無かった悩みなんだが…、と思うブルーに「思春期」なんぞは、あるわけもない。その年の頃にはアルタミラで「檻」に閉じ込められての、悲惨な実験動物ライフ。
とはいえ、後に船を奪ってトンズラしたから、思春期くらいは「充分に」分かる。
(…今のジョミーに必要なものは、恋ではないと思うんだが…)
それに、この先も「恋」など縁が無いだろう、と思うけれども、どうすればいいか。ジョミーに滾々と諭した所で、きっと「分かっては貰えない」。
ソルジャーたるもの、どう生きるべきか、その「ストイックな生き方」などは。
(……どうすればいい……?)
ジョミーの「悩み」を、綺麗サッパリ吹き飛ばせるブツ。
本当だったら、ここは「カノジョ」との出会いを用意すべきで、人生に張り合いだって出る筈。
けれどジョミーは「未来のソルジャー」、恋をして貰っては「非常に困る」。
シャングリラの頂点に立つのがソルジャー、平和な時代なら「妻」がいたっていいけれど…。
(今は乱世で、国が乱れているどころか…)
国さえ「無い」のがミュウの世界で、その「王」のソルジャーに「妃」は不要。
惚れた女性にメロメロだったら、国は「ただでも傾く」もの。それに離れてゆくのが人心、船の秩序を保てはしない。
(…ジョミーには、申し訳ないのだが…)
諦めて貰うしかないのが「カノジョ」で、他のミュウたちが恋をしていても、ソルジャーだけは「恋」とは無縁。
そうは思っても、どうしたら「諦めさせられる」のか。
ただでも思春期真っ只中で、お年頃なのが「ジョミー」なのに。
ちょいと下品な言葉だけれども、「さかりがつく」といった年頃。そういうジョミーに、説いてみたって無駄だろう。「恋は出来ない」、ソルジャーの立ち位置や心構えなどを。
(……何か、いい手は……)
何か無いのか、と考えまくって、ソルジャー・ブルーが出した結論。「これしかない」と。
ジョミーには可哀相だけれども、「恋の可能性」をブチ壊すこと。
もう完膚なきまでに木っ端微塵に、「恋は御免だ」と裸足で逃げてゆくほどに。
よし、とブルーが固めた方針。直ちに長老たちが呼ばれて、直々に命が下された。
「このように頼む」と告げたブルーに、彼らは「ハハーッ!」と深く礼を取った。
ソルジャー・ブルーの仰せとあれば、何であろうと「従う」のが四人の長老たちと、船を纏めるキャプテンと。
「では、ソルジャー…。もう今夜から始めた方が…?」
善は急げと申しますから、というハーレイの言葉に、ブルーは「ああ」と頷いた。
「早ければ、早いほどいいだろう。…ジョミーには、いい薬だから」
「分かりました。それでは、一番手は、先ほど仰った通り…」
「ブラウに頼むしかないだろう。…ババを引かせて申し訳ないが…」
すまない、と詫びるブルーに、ブラウは「なんの」とニッと笑った。
「船には娯楽が少ないしねえ…。楽しませて貰うさ、あたしの方もね」
それじゃ、とブラウが先頭に立って、長老たちは青の間を出て行った。「さかりがついた」今のジョミーを、グウの音も出ないほどに「叩きのめす」ために。
そうとは知らないジョミーの方では、ブツブツ言いながら入った風呂。
パジャマに着替えて、「明日も訓練ばかりだなんて」と愚痴を零しつつ、ベッドに入ろうとしていた所で聞こえた音。いわゆる呼び鈴、「入っていいか」と外から押すヤツ。
(……こんな時間に、誰だろう?)
リオなのかな、とジョミーは「どうぞ」と答えて、部屋のロックを解除した。でないと、外から扉は開かない。そういう構造。
扉は直ぐにシュンと開いて、「よっ!」と入って来たのが、ブラウ。軽く右手を上げながら。
「悩んでるんだってねえ、青少年! この船で恋をしたいんだって?」
「え? え、ええっ!?」
いったい何処からバレたんだろう、とジョミーは慌てたけれども、犯人ならば見当がつく。青の間の住人で現ソルジャーのブルー、彼に「覗かれた」に違いない。
(ぼくの部屋とか、心の中とか…)
よくも勝手に覗きやがって、と怒鳴りたいけれど、考えようによっては「渡りに船」。
「恋がしたい」とバレているなら、きっと「いい案」があるのだろう。長老のブラウが、訪ねて来た部屋。もしかしたら、ジョミーが「知らない」だけで…。
(もうすぐ救出作戦があって、凄い美少女が来るだとか…!?)
その子と「最優先で」ご対面だとか、「他の若造たち」は近付けないで、「ジョミー様」だけが「お近づきになれる」仕組みだとか。
(…それって、いいかも…!)
顔が好みの子ならば最高、ちょっとくらいなら「難あり」だってかまわない。可愛らしい子でも中身はツンデレ、落とすのに苦労しようとも。
(…何年がかりでも、きっと口説いて…!)
ぼくの人生、潤いまくり、とジョミーは「締まらない顔」でニヘニヘ。
もちろん「心の中身」はダダ漏れ、ブラウは端から「拾いまくり」で、こうのたまった。
「美少女の救出計画ってヤツは、まだなんだけどね…。その前にさ…」
あんた、自信はあるのかい、という質問。「女の子とセックスしたことは?」と、直球で。
「…せ、セックス…!?」
ジョミーの顔は、たちまち真っ赤で、もうワタワタと振り回した手。
「そんな所までは」考えもしていなかった上に、「セックスの経験」もあるわけがない。育った場所は「育英都市」だし、それは健全で「純真無垢な子供のために」ある世界。
セックスなんぞは「保健体育」の授業でサラッと流す程度で、それ以上の知識は得られない所。よってジョミーも「経験ゼロ」で、「まるで分かっていない」のが実情。
ブラウは「ふうん…?」と腕組みしながら、面白そうに観察していたけれど…。
「やっぱり、経験ゼロみたいだねえ…。それじゃ話にならないじゃないか」
アンタはソルジャー候補だからね、とブラウにヒタと見据えられたジョミー。「他の若造なら、いいんだけどさ」と、「ソルジャー候補が、それではマズイ」と。
「…えっと…。それって、どういう意味…?」
ジョミーがキョトンと目を見開いたら、ブラウは「ありゃまあ…」と呆れた顔で。
「分かってないねえ、知らないのかい? セックスってヤツは難しいんだよ」
特に「初めて」の女の子を相手にする時は…、とブラウが振っている頭。
なんでも「痛い思い」をさせるのだそうで、男の方が「下手」だと最悪らしい。それで砕け散る恋もあるとか、「セックス」どころか「デート」もさせて貰えなくなって。
「…そ、そうだったわけ…?」
「そうなのさ。おまけに、この船は狭いからねえ…」
噂は直ぐに流れるものさ、とブラウの言葉は容赦なかった。
近い将来、ジョミーが「セックス」で墓穴を掘ったら、シャングリラ中に知れることになる。
下手くそなことも、それで「カノジョ」に捨てられたことも、何もかもが全部。
「……そ、そんな……」
「だからマズイと言ってるんだよ。ただの若造なら、そうなっても別にいいんだけどさ…」
ソルジャーの場合はそうはいかない、とブラウは正論を吐いた。
現ソルジャーのブルーは、超絶美形な上にカリスマ。その後継者の「ジョミー」も当然、船中の尊敬を集めてこそ。
「セックスのせいで」不名誉な噂などは論外、「ハーレムを築く」のならば、まだしも…。
(……下手くそだ、って噂が立ったら……)
確かにマズイ、とジョミーにも分かる。そんなソルジャーは「誰だって嫌」なことだろう。
「…で、でも……。ぼくは、どうすれば……?」
「だから、あたしが来たんじゃないか。このブラウ様に任せておきな」
手取り足取り、セックスの極意を教えてあげるからね、とブラウがドンと叩いた胸。「これでも昔は船中の男を、手玉に取っていたってもんさ」と。
「……ちょ、ちょっと……!」
「こらこら、そこで照れるんじゃない! ほら、遠慮せずに…!」
触りまくっていいんだからね、とブラウがマントを脱ぎ始めたから、ジョミーは見事にカチンと凍った。いきなり「ブラウを相手に」セックス、それも実地で。
(……て、手取り足取り……)
それって無理、と頭がボンとオーバーヒートで、仰向けに倒れた床の上。「もう駄目ぽ」と。
つまりは意識を手放したわけで、ブラウは床に屈むと、ジョミーの顔を覗き込んで…。
『作戦、第一段階、終了。…次はよろしく』
明日でいいだろ、と飛ばした思念。青の間と、それに長老たちとキャプテンとに。
次の日、ジョミーは「タンコブが出来た」頭を、押さえながらも「訓練」に出た。サボれば皆がうるさいだろうし、下手をすればブラウが「喋りまくる」と思ったから。
(…セックスのお誘いだけで、ブッ倒れたって…)
そんなのは嫌だ、と「ブラウとは」目を合わせないようにして、終わった一日。
やっとの思いで引き揚げた部屋、「今夜もブラウが来るのかも…」とガクガクブルブル。多分、「ブラウ様」が「及第点をくれる」時まで、「セックスはさせて貰えない」。
「セックスが出来ない」縛りがあるなら、女の子とも「下手に付き合えない」。
(…いい感じになっても、ぼくが「ごめん」って帰って行ったら…)
もうそれだけで「恋」は終わりになるだろう。「下手くそな」セックスをするまでもなく。
それが嫌なら、励むしかない。…「ブラウ様」を相手に、「セックスが上手くなる」日まで。
(……なんだか、メチャクチャ、キツイんだけど……!)
なんだって、ブラウなんかと「練習」、それが必須になったのか。けれど「セックスが下手」なソルジャーだと確かにマズイし、自分を磨くしかない雰囲気。
(…ど、どうしよう……!?)
ぼくはどうすれば…、とジョミーがパニクッていたら、鳴った呼び鈴。
もう間違いなく「ブラウ様」だけれど、長老を「門前払い」は出来ない。入って貰って、今日は気分が優れないとか、そういった逃げを打つしか無いから…。
「……ど、どうぞ……」
ジョミーが震えつつ解除したロック。そしたら、「すまん」と入って来たのがキャプテン。
「…ジョミー。単刀直入に訊くが、女性は嫌いだっただろうか?」
「…え?」
「今日、ブラウから聞いたのだが…。どうやら女性は苦手らしい、と」
そういうことなら、恐らく私の出番だろう、とズズイと近付いて来たハーレイ。「男の方なら、これでも経験豊富なのだ」と笑みを湛えて。
「…きゃ、キャプテン……?」
「ジョミー、遠慮をすることはない。それとも、男を抱く方が好みだったのか…?」
ならば、ソルジャーを紹介しよう、とハーレイは親切MAXだった。…キャプテンだけに。
曰く、「セックスが下手なソルジャー」では話にならない。
「男に抱かれたい」方だったら、毎晩、ハーレイが「来てくれる」けれども、逆の場合は…。
(……そ、ソルジャー・ブルーを相手に、みっちりと稽古……)
そっちの方も「及第点が出るまで」ですかい! とジョミーは「床に倒れていった」。
昨夜と全く同じ具合に、仰向けに。…タンコブの上に、更にタンコブを重ねる勢いで。
こうしてジョミーに「つけられた」縄。
このシャングリラで恋を楽しみたいなら、「セックスが上手い」ジョミーになること。もちろん相手が美少女だろうが、まさかの「男」というヤツだろうが。
(……どっちに転んでも、師匠が鬼だ……)
ブラウ様とソルジャー・ブルーだなんて、と泣きの涙で、他の選択肢は「キャプテンの恋人」、それ一択のみ。…誰かと「恋」や「セックス」をしたいのならば。
(…あんまりだから……!)
そのくらいなら「恋」はしなくてもいい、とジョミーは「恋」をブン投げ、ストイックに生きることにした。「下手なセックスで身を滅ぼすより、恋なんかしない方がいい」と。
でもって、誰かが高みでニンマリ笑っていたのは、言うまでもない。
「これでジョミーの代になっても、安泰だ」と。
ソルジャーのカリスマは揺るぎはしないと、「後は任せた」と、青の間の奥で、赤い瞳で…。
悩み多き少年・了
※原作ジョミーだと「少年のまま」ですけど、アニテラだと「青年になっていた」わけで…。
その上、「ジョミーの子供が欲しい」とニナのモーションも。ストイックすぎる理由はコレ?
(…ジョミー・マーキス・シン…)
あの子供は半端ないかもしれない、とソルジャー・ブルーは溜息をついた。
もうすぐ燃え尽きる、自分の命。残り少ない寿命では、辿り着けない地球。このシャングリラを地球へ向かわせたくても、地球の座標さえも分からない状態。
どうすればいいのか悩み続けて、後を託せる者を探した。ただ懸命に、青の間から。サイオンを駆使して、アタラクシアを、エネルゲイアを探って。
そうして見付けた「後継者」。
ミュウの兆候は全く無くても、明らかにタイプ・ブルーの少年を。
明るい金髪に緑の瞳の、ジョミー・マーキス・シン。彼こそが、ソルジャー・ブルーを継ぐ者。いつの日かミュウの力に目覚めて、そのサイオンで船を守って、地球まで行ってくれるだろう。
ようやく掴んだ「ミュウたちの未来」。ミュウの未来を担う少年。
けれど…。
(健康な身体なのはいい。…それはいいんだが…)
虚弱体質の者が多くて、「何処がか欠けている」のがミュウという種族。ブルーのように聴力が弱いとか、ヒルマンのように義手だとか。
その点、ジョミーは「人類のように」健康体。ミュウと人類の「理想的な混血」と言えるほど。
ただ、あまりにもジョミーは「元気すぎた」。
有り余るエネルギーを持て余すように、派手に繰り広げる喧嘩。破りまくるルール。
三日に一度は、学校のカウンセリングルームに呼ばれて、何度も説教。それでも、全く反省などしない。学校の教師に叱られようが、家に帰って母にも小言を言われようが。
(……あのくらいの方が、いずれ人類と戦う時には……)
大いに役に立つとは思う。ひ弱な指導者では話にならない。…そう、「自分」のような。
それは分かっているのだけれども、ジョミーは、まさしく暴れ馬だった。
今日も今日とて、カウンセリングルームに呼び出しを食らって、朝から説教三昧。罪状の方は、幼馴染のサムを相手に、取っ組み合いの喧嘩をしたこと。
(ジョミーは怪我をしてはいないが…)
殴られたサムの方は鼻血で、顔にアザまで出来ていた。彼がミュウなら、今頃はきっと…。
(メディカルルームに入院だろうな…)
そんな所だ、と頭が痛い。「あんなジョミーで、いいのだろうか」と。
赤ん坊だったジョミーを見付けて、以来、見守って来たけれど。
ジョミーも十三歳まで育って、あと一年もすれば目覚めの日。このシャングリラに後継者として迎え入れる日も近いというのに、今も「ヤンチャ」なのがジョミー。
(子供の間は、あれで良かったが…)
十三歳にもなってコレなら、残り一年では「どうにもならない」。
学校の教師も手を焼くほどだし、改善されはしないだろう。もっと酷くなることはあっても。
そんなジョミーを船に迎えて、次期ソルジャーに育て上げること。それがソルジャー・ブルーの「最後の仕事」で、「やり遂げなくてはならないこと」。
(しかし、燃え尽きそうなぼくでは…)
あの暴れ馬を調教できるか、正直な所、自信が無い。
そうでなくても、教育係は長老たちの役目。ソルジャーの残り少ない寿命は、ソルジャーにしか教えられない「心構え」などを伝えるために使うべき。
つまりは、同じくタイプ・ブルーな上に、暴れ馬すぎるジョミーを調教するために…。
(…ぼくのサイオンを使えはしなくて…)
肉体の力に頼るしかなくて、出来るのは「説教」程度のこと。ジョミーを相手に喧嘩したなら、パンチを食らって「終わり」だから。…他の長老たちにしたって、同じ結末。
(ハーレイだったら、ジョミーを殴れもするのだろうが…)
他の者では、ジョミーにはとても歯が立たない。
抑止力になるのがハーレイだけなら、ジョミーは「暴れ馬」のまま。ハーレイは長老である前にキャプテン、何かと忙しい立場。お目付け役として目を配れはしなくて、目を離した隙に…。
(ジョミーが暴れて、ゼルやヒルマンを殴り飛ばして…)
逃亡するのが目に見えるよう。
「こんな講義なんか、聞いてられるか!」と逃げてゆくとか、訓練の場から逃げ出すだとか。
(相手が、ソルジャーのぼくでも同じで…)
ジョミーのことだし、もう完全に「なめられる」。
見た目は若くて青年だけれど、「中身はゼルたちよりもジジイ」と見抜いて、鼻で笑って。
口を酸っぱくして説教したって、「やってられるか!」と飛び出して行って。
きっとそうなる、と見えている「未来」。
けれどジョミーを迎えなかったら、この船にも、ミュウにも「未来」などは無い。
どんなにジョミーが暴れ馬だろうと、もう文字通りに「殴る、蹴る」といった具合であろうと、彼を「調教する」しかない。
暴れまくろうとも、手綱をつけて。振り落とされないよう、しっかりと乗って。
(…これが本物の馬だったら…)
暴れた時には、麻酔銃でも撃ち込んでやれば…、と思ってはみても、ジョミーは「人間」。馬のようにはいかないからして、本当に頭が痛い日々。
「あんな後継者を、どうすれば」と。
ミュウよりも遥かに野蛮な人類、彼らでさえも手を焼くのに。カウンセリングルームに呼び出ししたって、ジョミーは少しも懲りないのに。
(……あれが、ぼくの手に負えるだろうか……)
ハーレイ以外の長老たちは、生傷が絶えない日々になるのでは…、と零れる溜息。ソルジャーの自分も、「年寄り」を前面に打ち出さない限りは、きっと生傷。
(…シャングリラで一番の生傷男は……)
いったい誰になるのだろう。
いくらジョミーでも、エラやブラウといった女性は、殴らない筈。その分、お鉢が回るのが男。「殴られた時は、殴り返せる」ハーレイ以外は、もれなく「生傷男」だろうか。
(…ノルディに頼んで、メディカルルームの生傷部門を充実させておかないと…)
駄目だろうな、とソルジャー・ブルーの悩みは尽きない。
シャングリラのミュウたちは、殴り合いなど「しない」のが基本。だから生傷の手当なんぞは、ノルディたちでも「慣れてはいない」。
今の間に「殴られて鼻血」や「アザ」といった類の怪我の手当を、覚えておいて貰わねば。
それしか出来ることは無いな、と深い溜息をついた所へ…。
「ヒルマン先生、ごめんなさい!」
もうしません、と泣き叫ぶ声が聞こえて来た。正確には「サイオンで聞き取った」声。
(…また、ヒルマンのお仕置きか…)
備品倉庫も大活躍だ、と苦笑したブルー。船の決まりを破った子供は、備品倉庫に入れられる。ヒルマンがガッチリ施錠してしまい、反省するまで放置プレイで。
今日は小さな男の子が一人、放り込まれていた。「おやつは抜きで反省しなさい」と。
もうワンワンと泣きじゃくる子供。「ごめんなさい!」と、「もうしません」と。
けれど、聞く耳を持たないヒルマン。その子は「常習犯」だったから。
「もう何回目になるのだね? 分かるまで、其処に入っていなさい」
おやつは皆で食べておこう、との言葉通りに、その子のおやつは「無くなった」。他の子たちに配られて。その間も、備品倉庫で一人、おんおん泣き続けて…。
彼が「出られた」のは、夕方のこと。「先生、トイレ!」と、切羽詰まった声と思念と。それは嘘ではなかったからして、「早く行きなさい」と倉庫を開けたヒルマン。
(…倉庫にトイレは無いのだし…)
ああなるだろう、とブルーはサイオンで覗き見しながら、クスッと笑ったのだけど。
(……待てよ?)
使えるのでは、と閃いたアイデア。
いつか迎える「暴れ馬」なジョミー、彼を調教するにはコレだ、と。
次の日、ブルーは、もう早速に長老たちを招集した。無論、シャングリラのキャプテンも。
「急ぎの用だ」と、会議室ではなくて、青の間に。
「…ソルジャー、急ぎとは何の用なんじゃ?」
「ジョミーの件で話がある。…ゼル、君ならば出来るだろうか?」
お仕置き用の部屋が欲しいのだが、と切り出したブルー。あまりに斜め上な言葉に、長老たちは目を剥いた。
「お仕置き用じゃと? 何なのじゃ、それは?」
「そのままの意味だが…。いつもヒルマンがやっているだろう? 備品倉庫で」
決まりを破った子供を入れている筈だ、と話したら。
「ああ、あれかね…。今更、部屋を作らなくても、備品倉庫で間に合っているが…?」
ヒルマンがマジレス、ゼルも大きく頷いた。
「まったくじゃて。あんな悪ガキどものためにじゃ、このゼル様が何もしなくてもじゃな…」
「あたしもゼルに賛成だね。備品倉庫で充分じゃないか」
「私もです。子供たちは、備品倉庫と聞いただけで震え上がるのですから」
効果はありませんけれど…、とブラウもエラも「備品倉庫で充分」との意見。ハーレイもまた、そうだった。「備品倉庫で充分です」と。
けれど、ブルーの狙いは違う。欲しいのは「子供用」ではない。
「…子供用なら、備品倉庫でいいだろう。しかし、相手はタイプ・ブルーだ」
「「「は?」」」
ご自分をお仕置きなさるので…、とヒルマンが口をポカンと開けた。他の長老たちだって。
なにしろ船に「タイプ・ブルー」は一人しかいない。ソルジャー・ブルー、ただ一人だけ。
お仕置き部屋が「タイプ・ブルーのため」のものなら、入るのはブルーしかいないけれども…。
「間違えるな。ぼくが自分で入ってどうする」
「で、では…。誰をお仕置きなさるのです?」
キャプテンの問いに、ブルーは重々しく宣言した。「次のソルジャーになる者だ」と。
「ジョミーの話は、皆に伝えたと思ったが…? 彼のために部屋が必要になる」
「何故なんじゃ?」
まるで話が見えんのじゃが…、と騒ぐゼルたちは、全く知りはしなかった。ジョミーがどれほどヤンチャなのかも、凶暴な暴れ馬なのかも。
そんな彼らに、懇切丁寧に説明したブルー。次期ソルジャーの現状と、日頃の悪行を。
「このままで彼を船に迎え入れたら、この中からきっと、船で一番の生傷男が出るだろう」
ハーレイは恐らく、無事だろうが…、とのブルーの解説。女性陣も、と。
けれども、他の三人の中から、出ることになるだろう「シャングリラで一番の生傷男」。鼻血にアザにと怪我をしまくり、「ソルジャーのぼくも、無事では済まない」とも付け加えて。
「…そ、それは…。それは、なんとも恐ろしいことじゃ…」
わしは命が惜しいわい、とゼルがガクブル、他の面々もガクガクブルブル。
ゆえにブルーは、こう続けた。
「だから、お仕置き部屋が要る。タイプ・ブルーには、備品倉庫は意味が無い」
「そ、そうじゃな…。で、どうすればいいんじゃ?」
どんなお仕置き部屋が要るんじゃ、というゼルの質問。ブルーはニヤリと笑って答えた。
「まずは、脱出不可能なこと。…それから、相手は子供ではないし…」
晒し者としての自覚を持つよう、ガラス張りで、とのキツイ注文。
相手は「暴れ馬」なジョミーだからして、「お仕置き中」の姿を皆に披露で、赤っ恥をかかせて促す反省。いくらジョミーが太々しくても、「晒し者」は堪えるだろうから。
晒し者の刑をかますからには、必要ないのが「プライバシー」。
お仕置き部屋には「トイレを兼ねた椅子」が一脚あれば充分、子供たちみたいに「トイレ!」と逃げ出せないように。
「な、なんと…。トイレまで、ガラス張りの部屋とは、ちと酷いような…」
じゃが、そのくらいで丁度じゃろうか、と髭を引っ張るゼルに向かって、ブルーは続けた。
「心理探査用のシステムも頼む。ジョミーの不埒な考え方も、皆に晒しておかないと…」
「…プライバシーはゼロということじゃな?」
「その通りだ。…心理探査の結果は、モニターに映るようにしてくれ」
其処までやっても、ジョミーには甘いかもしれない、とのブルーの読み。反対する者は、もはやいなかった。
「シャングリラで一番の生傷男」になりたくなければ、暴れ馬なジョミーを「調教する」こと。
必要とあらば、「お仕置き部屋」に突っ込んで。
ガラス張りの部屋に押し込め、トイレに行くのも衆人環視。ついでに「野蛮すぎる」オツムも、中身を皆に晒しまくりで。…心理探査用のプローブを深く下ろして、モニター画面に中継で。
こうして作られた「お仕置き部屋」。
ジョミーが船で暴れた時には、容赦なく「放り込む」ための部屋。
幸いなことに、それの出番は「来なかった」。
ジョミーは船から逃げた挙句に、ユニバーサルの保安部隊に捕まり、大爆発した彼のサイオン。衛星軌道上まで飛び出し、ブルーが追い掛けてゆくことになった。
お蔭でブルーは「シャングリラで一番の生傷男」になったけれども、なんとか生還。
ジョミーは深く反省したから、「お仕置き部屋」までは使わなくても…。
「…ジョミー・マーキス・シン!」
訓練をサボるようなら、行き先は分かっておるじゃろうな、と怒るゼルたち。もうそれだけで、ジョミーは黙った。「すみません…」と、それは大人しく。
「お仕置き部屋」は出番が無いまま、埃を被っていったのだけれど…。
それから十五年もの時が流れて、「お仕置き部屋」は華麗にデビューを遂げた。
ジョミーが捕獲した「地球の男」を閉じ込めるために。
「…ゼル、いいものを作っておいてくれた。この部屋は、こいつにピッタリだ」
大いに役立てさせて貰う、とジョミーはキースを其処に押し込め、こう命じた。
「心理探査用プローブを下ろしてくれ」と。
グランド・マザーの犬を捕えたからには、頭の中まで「覗き見て」なんぼ。それに使える設備はバッチリ、おまけに「逃げ出せない」牢獄。
地球の男には、ピッタリだから。まさに「お誂え向き」の牢獄だから…。
牢獄の由来・了
※キースが入れられていた、ガラス張りの牢獄。何故、あんな牢獄があったのかが謎。
前に「座敷牢の男」で別の理由を書いてますけど、今回はコレで。ジョミー専用らしいです。
「キャプテン! ステルスモード、解除してましたっけ?」
ブリッジクルーにそう尋ねられて、ハーレイは「いや」と即答した。
ジルベスター・セブン、いわゆるナスカ。其処に降りようと決めて、入植中だけれども…。
「ステルスモードを解除するには、まだ早い。人類に発見されるわけにはいかない」
「そうですよね…。でも、今、入った通信で…」
シャングリラが目視できると言っています、とクルーが告げた報告。
曰く、ナスカとシャングリラを繋ぐ定期便のシャトル。それがナスカを発って間もなく、上空に白い鯨のような「シャングリラ」の姿が見え始めたという。
衛星軌道上に浮かんだ船は「目視できない」筈なのに。
シャングリラ自慢のステルス・デバイス、それが船体を隠しているから、「よほど接近しない」限りは、「そこにある」とは分からないのが、白く巨大なミュウたちの母船。
そのシャングリラが「見える」となったら、ただ事ではない。考えられる理由は、一つだけしか無かった。ステルス・デバイスが「ダウンした」ということ。
(……ナスカだったから良かったが……)
航行中だと危なかった、とハーレイは直ちに指示を飛ばした。
「ステルス・デバイスを再起動しろ! 今すぐにだ!」
「はいっ!」
早速、係が取り掛かった作業。けれど、たちまち、困った顔がハーレイの方に向けられた。
「…キャプテン、ダウンしていません。ステルス・デバイスは正常に作動しています」
「勘違いするな! そういうメッセージが出ているだけだ!」
今は「壊れている」のだからな、とキャプテンの答えは冷静だった。なんと言っても、故障中の機械が相手なのだし、「正常です」などは当てにならない。信じる方が馬鹿というもの。
「強制的に再起動だ」と係のクルーを睨んで、「分かりました」と返った声。
クルーは「正常に作動中」のステルス・デバイスを「終了させる」と、再起動に移った。
《…ステルス・デバイス、再起動。…予備診断、実行中》
ブリッジにそういう音声が流れ、間もなく「再起動、完了」とクルーも報告したというのに…。
「キャプテン、まだ船体が見えるそうです!」
「なんだと!?」
それはマズイ、とハーレイは拳を握り締めた。
ステルス・デバイスのオーバーホールは、「まだまだ先」だと思ったけれども、それどころではないらしい。「今すぐ」作業に取り掛からないと、シャングリラの船体は「丸見え」のまま。
本来だったら会議を開いて、オーバーホールの時期を決定するのだけれど…。
「ステルス・デバイスのオーバーホールを開始せよ! 全責任は私が負う!」
直ぐに始めろ、とハーレイはキャプテンの権限を行使した。
こういった時に「使えない」なら、「キャプテン権限」なんぞは「お飾り」だろう、と。
ステルス・デバイスをオーバーホールするとなったら、システムを完全に止めねばならない。
その間、シャングリラは「完全に」目視できる状態。
此処で人類軍の船が来たなら、ヤバイどころの騒ぎではないし、ハーレイはレーダーを担当するクルーに叫んだ。
「気を抜くな! オーバーホールが終了するまで、いつも以上にレーダーを睨め!」
「はい、キャプテン!」
ルリがいないのがキツイですが…、と零しながらも、クルーが見詰めるサイオン・レーダー。
これまたシャングリラが誇るシステム、人類たちが使う「それ」より高性能なもの。遥か先でのワープアウトサインも確認できれば、艦種識別もアッと言う間の優れものだけれど…。
「いいな、民間船であろうが、発見した時は報告しろ!」
今はシャングリラが「丸見え」なのだ、とハーレイは警戒を強めてゆく。ステルス・デバイスが正常だったら、民間船に目視されても、「宇宙鯨を見た」で済む。
(…いつの間にやら、そういう話になっているからな…)
スペースマンたちの間の伝説、それが「宇宙を彷徨う鯨」。宇宙鯨は、シャングリラのこと。
「見れば願いが叶う」などというオマケまであるし、普段だったら民間船は「敵ではない」。
けれども今は非常事態で、「宇宙鯨を見た」と通信されたら、この宙域を飛んでいる船が端から「宇宙鯨」を目撃することになる。…シャングリラは「姿を消せない」だけに。
そうこうする内に、人類軍が通信を傍受することだろう。「宇宙鯨がいるらしい」と。
(…人類軍は、鯨の正体を知っているのだ…!)
彼らが勝手に「モビー・ディック」と呼んでいるのがシャングリラ。
それが「いる」場所を特定されたら、攻撃にやって来るのは必至。船もヤバイけれど、ナスカも危うい。せっかく入植したというのに、手放して逃げてゆくしかない。
そうならないよう、民間船といえども、気を付けなければいけないのが「今」。
もしも近くを飛ぶようだったら、シャングリラの移動も考えなければ…、とハーレイが頭の中で様々なことを考える所へ、レーダー担当のクルーの声が届いた。
「キャプテン! サイオン・レーダー、感無しです!」
「それがどうした! 報告は「感あり」だけでいい!」
感無しは当たり前だろうが、とハーレイは半ば怒鳴ったけれども、クルーは「感無しです!」と繰り返した。
「レーダーが作動していません! シャトルがこちらに飛んで来るのに、反応無しです!」
「なんだって!?」
レーダーまでもが「壊れた」のか、とハーレイは呆然とするばかりだった。このタイミングで、サイオン・レーダーさえも「使えない」とは、最悪としか言えない状態だから。
船を隠すためのステルス・デバイスがダウン、その上、サイオン・レーダーまでをも失った船。
此処で人類軍が来たら「終わりだ」と、キャプテンが顔面蒼白になった日。
それは「始まり」に過ぎなかった。
もしや、と撃たせたサイオン・キャノンも「撃てない」始末で、およそサイオンが絡んだ全てのシステム、それが悉く「駄目っぽい」。
シャングリラは「ミュウの母船」として改造を重ねて来た船だけに、「サイオン頼みの船」だと言える。人類軍の船にさえ無い「シールド」なども、その一つ。
(……サイオン・シールドも使えないなどと……!)
いったい何が起こったのだ、とハーレイは焦りまくりながらも、各部署に「修復を急がせろ」と伝令を飛ばし、自ら足を運びもした。「原因は、まだ分からないのか!?」などと。
けれどサッパリ「好転しない」事態。
シャングリラは、まるで「使い物にならない」船に成り果てたままで、二日、三日と経ってゆく中、ドクター・ノルディからの緊急通信がブリッジに入った。
「キャプテン! これが原因かと思われます!」
「サイオンが使えなくなった」と訴える患者が押し掛けて来ています、とモニター画面に映ったノルディの顔は引き攣っていた。
今朝から「そういう症状の患者」が、メディカル・ルームに次々にやって来ているのだとか。
「サイオンが使えないだって!? どんな症状だ!」
ハーレイの問いに、ノルディは「そのままの意味です」と、沈痛な声で答えを返した。
「主な症状としては、思念波が使えないことが挙げられます。他の能力も皆無です」
患者は「人類」と変わらないと思って頂ければ…、というのがノルディの診立て。
朝から続々とメディカル・ルームを訪れる「ミュウ」は、サイオンを使えない「ただの人間」。その症状を「自覚した」のが今日だからして、それよりも少し前の頃から…。
「サイオンのレベルが、ダウンし始めていたと言うのか!?」
「恐らくは…。その状態では、無意識に発するサイオンを集めて使うシステムは…」
端からダウンしていくでしょう、とのノルディの意見は「間違っていない」と、ハーレイの勘が告げている。…そういう理由なら、納得がいく。
(どう頑張って修復しようと、肝心のサイオンが無い状態では…)
どのシステムも「使えない」だろう、とハーレイは天井を仰ぐだけだった。
どうなったのかは謎だけれども、「サイオンが使えない」仲間が増えているなら、復旧の目途が立つわけもない。ステルス・デバイスにしても、シャングリラが誇る他の独自のシステムなども。
「…キャプテン。理由は掴めたようだが、この船はどうなる?」
それにナスカも、仲間たちもだ…、とソルジャー・シンの顔も青かった。会議の席で。
数日前からのシャングリラの不調、それを一人で「カバーし続けていた」のがソルジャー・シンことジョミーだけれども、今の状態はシャレにならない。
シャングリラが「使えない」だけならまだしも、船の仲間たちが「使えない」なんて。
ミュウの特徴の筈のサイオン、それが「使えない」なら、ミュウではなくて「ただの人間」。
「…分かりません、ソルジャー…。いずれ回復するのか、それも掴めてはおりません」
ただ、原因の方でしたら…、とハーレイはノルディに促した。「報告を」と。
「はい。…ソルジャー、入植して直ぐに、流行った風邪を覚えておいででしょうか?」
「風邪…。そういえば、そういうことがあったな…」
ぼくも罹った、とジョミーが頷く「風邪」というヤツ。
それはジルベスター・セブンへの入植直後に、ナスカと船で大々的に流行りまくった。感染源は今も不明のままで、人類が廃棄した星に「生き残っていた」ウイルスでは、と言われている。
ウイルスは宿主の身体を離れれば、「長くは生きられない」のが常識だけれど、何らかの条件が整ったせいで冬眠状態に入って「生きていた」のだろう、とも。
「あの風邪に罹った患者のデータは、全て残っておりますが…。最初に発症した者たちが…」
今日、メディカル・ルームを訪れた患者と完全に一致しております、とノルディは厳しい顔つきだった。「サイオンが使えなくなった原因は、あの時の風邪だと思われます」と。
「そ、そんな…。あれからずいぶん経っているのに…」
偶然だろう、とジョミーは目をパチクリとさせたけれども、ノルディは首を横へと振った。
「患者の血液などを分析しました。サイオンが使えない患者は、未知の抗体を持っております」
あの時に風邪に罹った患者も、全員が持っているでしょう…、とノルディは深い溜息をついた。患者の治療をする内に「罹ってしまった」ノルディ自身も、その抗体を持っているとか。
「じゃ、じゃあ…。ぼくも、その内にサイオンが使えない状態に…?」
確か一週間ほど経ってから風邪を貰ったっけ、とジョミーがよろけて、ハーレイや長老たちも、「まさか…」と自分の顔を指差した。
シャングリラとナスカで蔓延した風邪、それに罹っていない人間は「一人しかいない」。
「…ソルジャー・ブルー…以外は、全員、ただの人間になってしまうんじゃな!?」
わしらも罹ったんじゃから、とゼルがガクブル、他の面子も同様だった。
「サイオンを失くした」ミュウなど、もはや「ミュウ」とは言えない。
一時的な現象で済めばまだマシだけれど、「症状が回復しなかった」時は、「使えない」機能が満載の船で「ただの人間」が逃走生活を送ることになる。
人類に向かって「今は普通の人間ですから!」と主張したって、絶対に通らないだけに。
ノルディの不吉な予言通りに、間もなく「全員が失くした」サイオン。
青の間で眠り続けるソルジャー・ブルー以外は、「ただの人間」ばかりの団体になってしまったミュウたち。ソルジャー・シンまでが「ただの人間」だけに。
「明日にもポックリ逝くかもしれんのう…」
わしらは年が年じゃから…、と嘆きながらも、ゼルたちは「元はこういう船じゃったから」と、シャングリラに「普通のレーダーシステム」を搭載し直した。
ステルス・デバイスやサイオン・シールドなどは「どうにもならない」けれども、レーダーなら「人類仕様」のがある。サイオン・キャノンは「諦めるしか」なくて、武装できなくても、逃げるだけなら「逃げ切れるじゃろう!」と、せめてレーダー。
快適だった「ミュウ仕様の船」は、「ただのデカブツ」と化すことになった。
今やシャングリラで「思念波を使える」のはナキネズミだけ、という悲惨な境遇。
それでも、赤いナスカで生まれたSD体制始まって以来の、自然出産児の子供たちは…。
『グランパ、聞こえる?』
「ああ、聞こえてるよ。トォニィ」
ぼくには「それ」は出来ないけどね、とジョミーも苦笑するしかない。ナキネズミと子供だけがサイオンを持っていたって、シャングリラは「ただのデカブツ」のままだけに。
こんな船では地球にも行けない、と誰もが地味な「ただの人間ライフ」を送り続けていた、ある日のこと。「普通のレーダー」に映った船影、それは人類軍の船。
「ソルジャー、逃げましょう!」
非常事態ですから、ナスカは捨てて…、と叫んだキャプテン。直ぐに逃げないと、殲滅される。この船にいる仲間だけでも…、とハーレイは決断したのだけれど…。
「「「え?」」」
あれは、とシャングリラのブリッジにいた、全員が見た。
「いてもうたるねん!」という誰かの「思念」の叫びと、ナスカから真っ直ぐ飛んで行った光。青く輝く鋭い光は、どう見てもタイプ・ブルーのものだった。
それが「人類軍の船」を貫き、船は大爆発して宇宙の藻屑。中に乗っていた「キース」ごと。
「いてもうたるねん!」をかました英雄、その正体は「ただの人間」だった筈の連中。
普通のレーダーで機影を捉えて、「なんとかナスカを守りたい」と思った途端に、例の思念波が飛び出した。「いてもうたるねん!」と心を一つにして。
それが切っ掛け、かつて「風邪に罹った」時の順番と同じに、回復し始めた皆のサイオン。
あまつさえ、誰もが「最強のミュウ」へと進化していた。…どういうわけだか。
「……全員、タイプ・ブルーだったら、ぼくがいなくてもいいんじゃあ…?」
ソルジャーなんかは、ジャンケンで決めればいいと思う、とジョミーが真顔になったほど。
今のシャングリラとナスカにいるミュウ、彼らはもれなくタイプ・ブルーで、もはや人類などは「敵でさえない」。
キースはとっくに「死んだ後」だし、その後に来たメギドも「敵ではなかった」。あっさり皆の力で防いで、沈めておしまい。「いてもうたるねん!」と。
そんな具合だから、今日もシャングリラの公園では…。
「グランパ、地球に行くのはいつにするの?」
「さあ…? トォニィが早く見たいんだったら、明日でもいいかな」
アルテメシアに行けば、地球の座標は分かると思う、とジョミーはのんびり、まったりだった。
今では無敵艦隊とも呼べる、シャングリラと船の仲間たち。
彼らが「ついに動き出した」時、SD体制とグランド・マザーは「ブッ壊れた」。
未だ昏々と眠るソルジャー・ブルーを乗せたままの船は、向かう所、敵無しだったから。
「風邪のウイルス」に敗れる形で、人類軍は全て、タイプ・ブルーの集団に白旗を掲げ、人類の聖地、「地球」を明け渡す他に道などは持っていなかったから…。
使えない船・了
※いや、シャングリラって、ずいぶんと派手に「ミュウ仕様」に改造してあったよな、と。
サイオン抜きだと「使えない」んじゃあ…、と思っただけ。やっぱり使えねえ…。