- 2016.02.13 見付けた真実
- 2016.02.06 ゆりかごのレクイエム
- 2016.01.30 忘れなかった夢
- 2016.01.23 夢の中の瞳
- 2016.01.23 罪人の証
「チョロイね。シークレットゾーンのくせに」
ぼくにかかれば簡単なこと、とシロエが足を踏み入れた部屋。
E-1077のフロア001、此処にキースの秘密がある筈。
マザー・イライザのメモリーバンクから盗んだ情報、ME5051C。
無機質な記号、どうやら、それがキースのことらしいから。
「キース・アニアン」という名前ではなくて、「ME5051C」と呼ばれるモノ。
やっと見付けたと躍った心。
機械の申し子、キースはまさにその名の通りだったから。
フロア001から作り出される、マザー・イライザの人形そのもの。
だから確かめにやって来た。
キースにも真実を見せてやろうと、撮影用のカメラも準備して。
(…アンドロイドの製造室…)
そういう部屋だと思った場所。
フロア001でパーツを作って、組み立てるのだと。
其処にあるのは、精巧な人形を作り上げるための設備だろうと。
なのに…。
(…これは…?)
打ち捨てられた部屋かと思った、暗い空間。
ほのかに青く発光している、何かが入ったガラスケースたち。
(…何なんだ、此処は?)
見上げた頭上のガラスケース。それは小さめで、奥へゆくほど大きなケース。
天井ではなくて壁際に並ぶ、幾つものガラスケースの中には…。
まさか、と思わず見開いた瞳。
頭上のケースに入っているモノ、それは機械のパーツではなくて。
(……胎児……)
明らかに人間だと分かる物体、人工子宮で育てられるモノ。
生育過程を示すかのように、尾のあるモノから尾が消えたモノまで。
胎児はともかく、其処よりも奥に並んでいるモノ。
(…キース・アニアン…)
それともME5051Cと呼ぶべきだろうか、彼は此処から生まれたから。
とうに呼吸を止めている標本、その顔はキースそのものだから。
(機械じゃなかった…)
幼児から今のキースに瓜二つのモノまで、並んだ標本。
こういうモノが存在するなら、キースはアンドロイドではない。
機械仕掛けの人形どころか、もっと精巧だろう物体。
人間と全く同じ身体で、血だってきっと流れている。
此処にあるような、標本になっていないなら。
呼吸して動き回っているなら、キースは人間なのだろう。
ME5051Cだとしても。
此処で生まれて、ガラスケースで育ったとしても。
(これがME5051C…)
ならば、向かい側に並ぶケースは何だろう?
キースと同じにME5051Cの筈だけれども、そちらは女性。
二体あるとは思わなかった、とME5051Cを眺める。
これらはいったい何だろうかと、どういう理由で此処にあるのかと。
機械だとばかり思っていたから、まるで予想もしなかった胎児。
その胎児から育つ物体、それがME5051C。
男だったら、キースになる。
女性の場合はなんと名付けるのか、全くの謎。
(ステーションでは見掛けない顔…)
こんな顔をした女性は知らない。
標本の女性は長い髪だけれど、それをショートに切ってあっても…。
(同じ顔がいれば分かる筈…)
現にキースに育つ物体、そちらの髪も長いから。
身長と同じくらいに伸びているから。
ME5051Cは二種類、男性と女性。
男性の方はキースだけれども、女性の方は見たことが無い。
とうに育ってステーションから出て行ったのか、それとも完成していないのか。
(どっちなんだ…?)
首を捻っても、標本だけでは分からない。
それに、ME5051C。
どうやってこれを作り出すのかも、どういう生まれのモノなのかも。
(…多分、クローンだ…)
男性も女性も、どちらも同じ顔ばかりだから。
胎児の間は顔の区別もつかないけれども、育ち始めたらハッキリと分かる。
幼い顔立ちか、もっと大きく育っているかの違いだけ。
男性の顔は全部キースで、女性の方も同じ顔立ちばかり。
つまりはクローンなのだろう。
最初の一体を写し取っては、次のを作ってゆく仕組み。
そっくり同じなDNAを持つ、男性と、それに女性とを。
やっと分かったキースの正体。ME5051Cの名を持つ物体。
(…最初の一体が鍵なんだ、きっと)
恐らく最高に優秀な人間、マザー・イライザが選んだのだろう組み合わせ。
本来はランダムに行われる筈の、卵子と精子の交配過程で。
これだと見込んだ卵子を一つ。
精子も特別に優れたものを。
きっと機械なら、把握しているだろうから。
無限大とも言える卵子と精子のデータの全てを、それが育ったらどうなるかを。
(とても優秀になる筈のモノ…)
男性も女性も、他とは比較にならない能力を持っている筈のモノ。
最初の一体をそうやって作り、後はコピーを作ってゆくだけ。
全く同じ遺伝子データのクローンたちを。
此処のガラスケースの中で育てて、何らかの方法で施す教育。
キースは此処から作り出された。
ランダムに交配するのではなくて、明らかな意図で為された交配。
こうなるだろうと、こう育つと。
(マザー・イライザの最高傑作…)
それがキースと呼ばれる人間。
フロア001で作られ、ステーションへと送り出された。
本当の名前はME5051Cなのに。
此処で作られたクローンの一つで、申し分なく育った一体。
だからキースは世に出て来た。
標本にならずに、候補生として。
将来を嘱望されるエリート、マザー・イライザが自ら育てた傑作として。
(…せっかくだから…)
データの方も見せて貰おう、とコントロールユニットに繋いだケーブル。
どういう卵子と精子を使って、ME5051Cを作ったか。
その卵子たちは、他の人間を生み出すためにも使われているモノなのか。
(交配はあくまでランダムな筈…)
けれども、マザー・イライザがこだわるからには、選り抜きの卵子と精子がある筈。
優秀だからと選び出された、ME5051Cを生み出す卵子と精子。
最初の一体はどう作ったのか、この世界にはME5051Cの兄弟たちもいるのか、と。
単純に知りたかっただけ。
キースの「兄弟」や「姉妹」はいるのか、いたのか。
過去には何人もいた筈だけれど、これから先も生まれるのかと。
優秀な卵子と精子が残っているのなら。
普通の人間を生み出すためにと、交配システムに戻されたなら。
(…ぼくがキースの兄弟だったら、最悪だけどね…)
その可能性もゼロとは言えない。
卵子か精子か、どちらかがキースと同じだったというケース。
(それだけは勘弁願いたいね)
キースの情報を抜き取ったならば、簡単に調べがつくだろう。
自分を生み出した卵子と精子のデータの方も、きっとハッキング出来るから。
(あいつと兄弟だったら最悪…)
もしもそうだと答えが出たなら、自業自得というものだけれど。
自分の墓穴を掘るわけだけれど、此処まで入り込んだ以上は、土産にデータ。
キースは、ME5051Cはどう生まれたか。
ズラリと並んだ標本たちの、最初の一体はどう作ったのか。
そう考えただけだったのに。
興味本位でデータを取ろうとしただけなのに…。
(……そんなことが……)
愕然と見詰めた、ME5051Cに関するデータ。
卵子も精子も、提供されてはいなかった。
マザー・イライザは何も交配しはしなかった。
(…本当に人形だったんだ…)
正真正銘、マザー・イライザが作った人形。それがME5051C。
三十億もの塩基対を繋ぎ、DNAという鎖を紡ぐ。
キースは無から生まれたモノ。
対になるのだろう女性体の方も、全くの無から作られたモノ。
どちらにもいない、兄弟たち。いたことすらない、兄弟や姉妹。
卵子も精子も無いのでは。
それを提供した、人間すらも存在しないのでは。
(人間でさえもなかったなんてね…)
機械が無から作ったモノ。
何度もコピーし、作り続けて、最高傑作としてケースから送り出したキース。
本当の名前はME5051C、その後に続く記号は作り出された順を示しているもの。
(…これがぼくなら…)
どうするだろうか、人でさえもないと知ったなら。
自分は無から作られたのだと、人形だったと知らされたなら。
(…アンドロイドでした、というのも衝撃だけど…)
こっちの方がもっと酷い、と見回したフロア001。
人間なのに、人ではないから。
その肉体は人間なのに、作り出された人形だから。
きっとガラガラと崩れるだろう存在意義。
人ですらないと言われたら。
無から生まれた人形なのだと、恐ろしい真実を突き付けられたら。
(…きっと、キースでも…)
その衝撃には耐えられないに違いない。
泣き叫ぶのか、狂ったように笑い続けるのか、声も失くして崩れ落ちるか。
マザー・イライザの、機械の申し子。
本当にそうだと知らされたならば、キースはいったいどうするのだろう?
(…楽しみだね…)
思った以上の収穫があった、と取り出したカメラ。
これを撮影して、キースに見せる。
その瞬間のキースの顔を思うと、もう可笑しくてたまらない。
「見てますか、キース・アニアン。此処が何処だか分かります?」
…フロア001。あなたの「ゆりかご」ですよ。
そういう言葉で始めた撮影。
(ゆりかご、ね…)
自分でも言い得て妙だと思う。
本物の人間の赤ん坊なら、ゆりかごの中で育つのに。
母の手で優しく揺すって貰って、成長してゆくものなのに。
キースには無かった、本物のゆりかご。
見るがいい、と回してゆくカメラ。
これがお前の正体だ、と。
マザー・イライザが作ったのだと、真実を知って心ごと壊れてしまうがいいと…。
見付けた真実・了
※何の説明もなくフロア001の中身を知ったら、クローンだと思うのが普通だよな、と。
シロエにガイドはいなかったしね、とお得意のハッキングをして貰いました~。
(思った以上の結末だ…)
醜悪だな、とキースが歪めた唇。
こんな代物が存在するとは、これが自分の「ゆりかご」だとは。
とうの昔に廃校になった、ステーションE-1077。
処分して来るよう、グランド・マザーに命じられた場所。
過去が眠る墓場。
その命令が下るよりも前、偶然、手にしたメッセージ。
長い歳月を越えて再び、現れたピーターパンの本。
あちこち擦り切れ、破れてはいても、一目で「あれだ」と分かる一冊。
かつてシロエが持っていた本、とても大切にしていた本。
それは宇宙で見付かったという、自分がシロエの船を撃墜した後に。
何故か上層部の監視を免れ、回収されて、今頃になって現れた。
(……シロエ……)
表紙の内側、シロエが書いた本の持ち主の名前。「セキ・レイ・シロエ」と。
触れようとしたら、下にチップが隠されていた。
シロエが残したメッセージ。
きっと自分の手に渡ると信じて、勝ち誇ったように。
「見てますか、キース・アニアン」と。
「此処が何処だか分かります?」と。
(フロア001…)
あなたの「ゆりかご」ですよ、とシロエは嗤った。
遠く遥かな時の彼方で、今も少年のままの姿で。
なんという皮肉な時の悪戯か、少年のままで現れたシロエ。
遠い日にサムが口にしたように。
ジョミーと名乗ったミュウの長の少年、彼の姿は昔のままだと。
あの時は知らなかったけれども、シロエもミュウの少年だった。
もしも彼がまだ生きていたなら、あのままの姿だったのだろうか。
シロエの船を撃たなかったら。
…ステーションの近くにいたという鯨、ミュウの船がシロエを救っていたら。
そんなことさえ考えてしまう、この現実を突き付けられたら。
シロエはとうに目にしていたのに、自分は今日まで知らなかったモノ。
(…ミュウの女と…)
そして私か、と溜息しか出ない標本たち。
順に並んだ水槽の中に、ほんの幼子から大人まで。
自分そっくりのモノが浮いている、命は抜けてしまったものが。
標本になるまでは生きていたであろう、その時の姿を留めたモノが。
不意に戻って来た記憶。
水の壁の向こう、自分を見ていた研究者たち。
ならば自分も此処に居たのか、並ぶ水槽の中の一つに。
標本にならずに済んだだけなのか、運良く選ばれた一体として。
「ゆりかごか…。そうか、此処か」
フッと零れてしまった笑い。
予想以上に醜い「ゆりかご」、標本だったかもしれない自分。
そっくりの顔が中にあるから。
今の自分よりかは若いけれども、それは自分の顔だったから。
たまたま選ばれただけの一体、水槽から出されて育ったモノ。
それが自分で、これが「ゆりかご」。
幾つも並んだ水槽の一つ、其処で自分は育ったのだろう。
シロエが自分を嘲笑ったのも無理はない。
どうやら自分は、人間でさえもなさそうだから。
もしも普通の人間だったら、こんな風には育てないから。
シロエが言った通りに人形、マザー・イライザが作った人形。
どうやってこれを創り上げたか、想像はつく、と考えた時。
姿を現したマザー・イライザ、彼女は誇らしげに告げた。
三十億もの塩基対を合成し、DNAという鎖を紡ぐ。
全くの無から創り出された、完全なる生命体なのだと。
サンプル以外は処分したとも、事も無げに。
(…サムも、スウェナも…)
ジョミー・マーキス・シンとの接触があった者たちだったから、選ばれた。
自分の友になるように。
サムと二人で救出に向かった事故でさえもが、マザー・イライザの差し金だという。
ミュウ因子を持っていたシロエとの出会い、それにシロエを処分させたことも…。
(全ては私を…)
育てるためのプログラムだった。
サムもスウェナも、シロエも機械の都合で集められ、そしてシロエは…。
(…無駄死にだった…)
そうだったのだ、と震える拳。
マザー・イライザは自分を「理想の子」と呼ぶけれども、標本たちと何処も変わらない。
どう違うのかと叫びたいくらい、どれも見分けがつかないのだから。
(こんなモノが…)
水槽の中に浮かぶ標本、醜悪としか言えない光景。
自分もその中の一つに過ぎない、たまたま選び出されただけ。
プログラム通りに育てられただけ、それが成功したというだけ。
(……シロエ……)
握り締めた拳が震えるのが分かる。
彼は本当に無駄死にだった、と。
シロエが秘密を探り当てた時、あのメッセージを残した時。
追われていたシロエを匿ったから、彼の口から直接聞いた。
「忘れるな」と、「フロア001」と。
其処へ行けと叫んでいたシロエ。
踏み込んで来た警備兵たちに意識を奪われ、連れ去られるまで。
それから何度試みたことか、フロア001へ行こうと。
マザー・イライザにも問いを投げ掛けた、其処には何があるのかと。
けれども、謎は解けずに終わった。
見えない何かに阻まれるように、開かれないままで終わった道。
フロア001には近付けないまま、卒業となって送り出された。ステーションから。
マザー・イライザからも何も聞けずに、閉ざされてしまったシロエに教えられた場所。
(…あのメッセージは受け取ったが…)
あまりにも時が経ち過ぎていた。
シロエが其処で何を見たのか、撮影していた動画の中身。
肝心の画像は劣化していて、何があるのか分からないまま。
「ゆりかご」とは何のことだろうか、と考えていた所へ命じられた任務。
E-1077を処分して来いと、「あの実験はもう不要だから」と。
実験と聞いて想像して来た、様々な答え。
遺伝子レベルで何かしたかと、DNAを弄りでもしたかと考えたけれど。
(…無から創った…)
シロエはそれも知っていたろう、此処へ侵入したのだから。
必要なデータは見ただろうから、その上で嘲笑していたのだろう。
お人形だと、マザー・イライザが作ったのだと。
それを自分がもっと早くに知っていたなら…。
(…………)
様々なことが変わったのだろう、シロエが意図していたよりも、ずっと。
違う生き方をしたことだろう、大人しくシステムに従う代わりに。
(…しかし、もう…)
後戻り出来ない所まで来た、前へ進むしかない所まで。
今さら後へ戻れはしなくて、ただがむしゃらに進むしかない。
歩いてゆく先が何処であっても、システムと共に滅ぶ道でも。
ミュウと戦い、滅びるとしても、もう後戻りは許されていない。
そのように歩いて来てしまったから。
マザー・イライザのプログラム通りに、自分は作り上げられたから。
シロエは全てを見たというのに、命を懸けて伝えたのに。
(フロア001…)
此処へ行くよう言ってくれたのに、彼は本当に無駄死にだった。
このフロアへと続く扉は、時が来るまで開かれないから。
どんなに行こうと試みてみても、無駄だった理由を今、知ったから。
全ては機械が仕組んだこと。
今日まで自分に知らせないよう、「理想の子」とやらが出来上がるよう。
シロエは秘密を盗み出したのに、それを生かせはしなかった。
命を懸けて盗んだ秘密を、自分に伝えようと叫んでいたフロア001のことを。
機械の方が上だったから。
時が来るまで明かすべきではないと決めたら、とことん隠し通すのだから。
(シロエを私に接触させて…)
心の中に入り込ませて、その上で消させるプログラム。
一番最初に殺さなければならない人間、それが無名の兵士などではないように。
後々まで記憶に残る人間、そういう者をこの手で殺させるように。
きっとシロエはうってつけだった、ミュウ因子を持っていたせいで。
システムに反抗的な所も、負けん気の強さも、何もかもが。
(……シロエ……)
彼にレクイエムを捧げてやろうと、そのつもりで此処へ来たけれど。
なんと罪深いものだったことか、自分という醜い存在は。
人間ですらもなかったモノは。
シロエとの出会いは、彼が乗った船を撃ち落としたことは、成長のためのプログラム。
この醜悪な標本の群れと、自分は何も変わらないのに。
たまたま選ばれた一体だったというだけなのに。
(…私は…)
なんと詫びればいいと言うのか、無駄死にになってしまったシロエに。
彼の船を撃つよう命じられた時、見逃しもせずに撃ち落とした自分。
(こんなモノのせいで…)
これがシロエを殺したも同じ、と操作してゆく「ゆりかご」を維持するコントロールユニット。
幸いなことに、これは任務だから。
堂々と全て消せるのだから。
せめてシロエに捧げてやりたい、標本どもが消えてゆく様を。
マザー・イライザが上げる悲鳴を、いずれ断末魔へと変わるだろうそれを。
これがシロエへのレクイエム。
彼の命を弄んだ者を、自分はけして許しはしない。
シロエは、多分、友だったから。
一つ違ったなら、シロエとも多分、友人になれていただろうから…。
ゆりかごのレクイエム・了
※この時点まで、キースはフロア001に行けないんだな、と受け取れるのがアニテラ。
だったらシロエは無駄死にじゃないか、とキースでなくても思いますよねえ…?
(二つ目の角を右へ曲がって…)
後は朝まで、ずうっと真っ直ぐ。
そうすれば行ける筈なのに、とシロエが広げるピーターパンの本。
ネバーランドに行くための方法はこう、と。
いつか行けると信じていた。
きっと行けると、自分もネバーランドへ行くのだと。
ピーターパンが来てくれたら。
空を飛んでゆこうと、子供たちが暮らす楽園へと。
けれど、来てくれなかった迎え。
代わりに此処へと送り込まれた、監獄のような教育ステーションへ。
その上、機械に奪われた記憶。
ネバーランドへ行く方法ならば、本に書かれているけれど。
二つ目の角を右へ曲がって、後は朝までずうっと真っ直ぐ。
そうすれば辿り着けるのだけれど、忘れてしまった家への道。
両親と一緒に暮らしていた家、其処へ帰るにはどうすればいいか。
どの角を曲がって行けばいいのか、幾つ目の角を曲がるのか。
右に曲がるのか、左に曲がるか、それさえも思い出せない自分。
後は真っ直ぐ行けばいいのか、もう一度、角を曲がるのかさえも。
(…それに、ネバーランド…)
このステーションからは旅立てない。
本に書かれた方法では。
此処には朝が来ないから。
本物の朝日は、此処では昇って来はしない。
それに、ずうっと真っ直ぐ歩きたくても、ステーションは弧を描いているから。
辛いけれども、これが現実。
どんなに行こうと努力してみても、開かないネバーランドへの道。
おまけに家にも帰れない自分、ピーターパンの本を開けば零れる涙。
空を飛べたらいいのに、と。
ネバーランドにも行きたいけれども、その前に家へ。
ちょっと寄ってから、飛んで行きたい。
幼い頃から憧れた国へ、ピーターパンと一緒に空に舞い上がって。
(パパとママに会って、話をして…)
ネバーランドに行きたいよ、と見詰めるピーターパンの本。
この本は此処へ持って来られたのに、故郷に落として来てしまった記憶。
育った家も、両親だって。
全部、落として失くしてしまった。
頭の中身を、機械にすっかり掻き回されて。
いいように記憶を消されてしまって、思い出せないことが山ほど。
(だけど…)
忘れなかった、と読み直すネバーランドへの行き方。
この本のお蔭で忘れなかったと、ネバーランドを夢見たことも、と。
此処で暮らす内に気付いたこと。
誰もが忘れているらしいこと、子供時代に描いた夢。
何処へ行こうと夢を見たのか、何になりたいと思っていたか。
(…みんな、忘れてしまってる…)
そして夢見るのは、地球へ行くこと。
いい成績を収めてメンバーズになること、誰もが同じ夢を見ている。
その道に向かって走り続ける、此処へ来た皆は。
エリート候補生のためのステーション、E-1077に来た者たちは。
(地球へ行くことと、メンバーズと…)
どうやら他には無いらしい夢。
ネバーランドに行こうと夢見る者も無ければ、家に帰りたい者だっていない。
機械に飼い慣らされてしまって。
そうなる前でも、夢も、記憶も機械に消されて失くしてしまって。
(でも、ぼくは…)
忘れないままで、今でも夢を見続けている。
いつか行きたいと、ネバーランドに続く道を。
ピーターパンと一緒に空を飛ぶことを、家に帰ってゆくことを。
両親に会って、色々話して、それから飛んでゆく大空。
二つ目の角を右へ曲がって、後は朝までずうっと真っ直ぐ。
そうすれば行けるネバーランドへ、幼い頃から夢に見た国へ。
忘れなかったこと、それこそが奇跡。
それに唯一の希望だと思う、自分はきっと選ばれた子供。
ネバーランドに行ける子供で、ピーターパンが迎えに来る子。
そうでなければ、このシステムを変えるためにと生み出された子供。
機械が統治する歪んだ世界。
子供から家を、親を取り上げてしまう世界。
それを正せと、元に戻せと、神は自分を創ったのだろう。
人工子宮から生まれた子供でも、きっと神の手が働いて。
世界は本来こうあるべきだと、何度も繰り返し教え続けて。
(…みんなが夢を忘れない世界…)
子供が子供でいられる世界。
自分はそれを作らなければ、メンバーズになって、もっと偉くなって。
ただがむしゃらに出世し続けて、今は空席の国家主席に。
いつか自分がトップに立ったら、このシステムを変えられるから。
機械に「止まれ」と命令することも、「記憶を返せ」と命じることも。
その日を目指して努力することは、少しも苦ではないけれど。
頑張らなければ、と思うけれども、帰りたい家。
それに、行きたいネバーランド。
ピーターパンと一緒に空を飛んで行って、家へ、それからネバーランドへ。
(忘れなかったら…)
行けるのかな、とピーターパンの本の表紙を眺める。
ピーターパンと一緒に空を飛ぶ子たち、この子たちのように飛べるだろうか、と。
子供の心を忘れなかったら、夢を手放さなかったら。
しっかりと抱いて生きていたなら、いつか迎えが来るのだろうか。
国家主席への道を歩む代わりに、今も夢見るネバーランドへ。
子供が子供でいられる世界へ、今からでも飛んでゆけるだろうか。
(…ずっと昔は…)
ピーターパンの本が書かれた頃には、何処にも無かった成人検査。
人は誰でも、子供の心を失くさずに育ってゆけたのだろう。
だからピーターパンの本が書かれて、ネバーランドへの行き方も残っているのだろう。
この本を書いた人は、きっと大人になっても、ネバーランドへ飛べたのだろう。
ピーターパンと一緒に空に舞い上がって。
ネバーランドへはこう行くのだった、と確認しながら旅を続けて。
二つ目の角を右へ曲がって、後は朝までずうっと真っ直ぐ。
そう道標を書いて残して、次の時代の子供たちへ、と。
(ぼくは、メッセージを貰えたんだ…)
遠く遥かな時の彼方で、ピーターパンの本を書いた人から。
それに、神から。
子供たちを其処へ連れて行くよう、子供が子供でいられる世界を作るようにと。
(ぼくも行きたいな…)
ネバーランド、と思うから。
自分だって飛んでゆきたいから。
国家主席への道を歩むにしたって、一度は其処へ飛んで行きたい。
子供の心を忘れずに持ったままでいるから、ピーターパンのことも忘れないから。
そうして生きていったなら、きっと…。
(…ピーターパンが来てくれるよね…?)
このステーションにいる間だろうが、メンバーズになった後だろうが。
子供の心を失くさなければ、家へ帰りたい気持ちや、幼い頃からの夢を決して忘れなければ。
(……ピーターパン……)
待っているから、と抱き締めたピーターパンの本。
ぼくはいつまでも待っているからと、ネバーランドへ連れて行って、と。
その時は少し寄り道をしてと、ママとパパに会って、話をしてから行きたいから、と…。
忘れなかった夢・了
※きっとシロエは、ネバーランドにも行きたかった筈。家に帰りたいのと同じくらいに。
あの時代だと消されていそうな子供時代の夢。覚えているだけで、充分、特別。
「違う、ぼくは…!」
叫んだ声で目が覚めた。真っ暗な部屋で。
(夢…)
またあの夢だ、と肩を震わせたマツカ。
こちらを見詰めている瞳。
青い光の中、射すくめるように。
相手は何も言いはしないのに、その声が心を貫いてゆく。
「裏切り者」と、「恥知らずが」と。
だから「違う」と叫んでいた。ぼくは違う、と。
けれど、こうして飛び起きてみたら、心の奥から湧き上がる疑問。
本当に違うのだろうかと。
あの夢の中で聞こえた声こそ、真実なのではないだろうかと。
(…裏切り者…)
多分、本当はそうなのだろう。
キースが前に告げたこと。「お前と同じ化け物だ」と。
ジルベスター・セブンに潜んでいたもの、それは自分と同じなのだと。
(ぼくが殺した…)
そう、殺させたようなもの。
あの星からキースを救い出したから、ジルベスター・セブンは滅ぼされた。
メギドに砕かれ、あの星にいた者たちも。
自分と同じ仲間を殺した、その手伝いをしてしまった。
(……知っていたのに……)
同じものだと。自分と同じ存在なのだと。
あれから何度、夢を見たろうか。
夢の中で自分を見詰めてくるのは、いつも、いつだって赤い瞳で。
それも片方の瞳だけ。
もう片方は失われていて、閉じた瞼の下だったから。
(…ソルジャー・ブルー…)
あの時、自分は間違えたろうか。
キースを助けに駆け込んで行った、青い光が溢れていた部屋。
退避勧告が出ていたメギドの制御室。
其処で目にした、ソルジャー・ブルー。
キースの銃口の向こうにいた者、それが誰かは分かっていた。
皆が噂をしていたから。
伝説と言われたタイプ・ブルー・オリジン、ミュウの長だと。
ミュウの長なら、自分の仲間。
(…ぼくが助けるのは、キースじゃなくて…)
ソルジャー・ブルーだっただろうか、あの場に居合わせたのならば。
彼を救って、何処からか船を奪って逃げる。
それが取るべき道だったろうか、自分も同じミュウならば。
(…でも、ぼくは…)
考えさえもしなかった。
救いたかったのは、ただ一人だけ。
キースだったから、懸命に「飛んだ」。
まさか出来るとは思いもしなかった、空間を一気に飛び越えること。
そしてキースを救ったけれども、それは間違いだっただろうか。
(……分からない……)
誰もぼくには教えてくれない、と膝を抱えたベッドの上。
あの日、目にしたソルジャー・ブルー。
片方だけだった赤い瞳が、いつも自分を見詰めてくる。
青い夢の中で。
今夜のように責める日もあれば、蔑むように見ている時も。
憐れみに満ちた瞳の時も、ただ悲しみに濡れている時も。
夢に出て来た瞳に合わせて、声なき声もまた変わる。
「可哀相に」と言われる夜やら、「それでいいのか?」と問われる夜や。
だから自分でも分からない。
どれが本当の声なのか。
ソルジャー・ブルーの声は一度も聞いていないし、思念も受けていないから。
(…あの人は、ぼくに…)
何を言おうとしていただろうか、自分が見たのは驚きに満ちていた瞳。
ただそれだけで、彼が自分をミュウだと知ったか、そうでないかも分からないけれど。
(…気付かなかった筈がないんだ…)
皆が噂をしている通りの存在ならば。
たった一人でメギドを沈めた、あれだけの力の持ち主ならば。
彼は自分をミュウだと見抜いて、あの時、何を思ったろうか。
キースを救って逃げ出したミュウに、敵の船に乗っていたミュウに。
(ぼくの心を…)
読んだだろうか、ソルジャー・ブルーは。
自分自身でも気付かないほど、奥の奥まで読まれたろうか。
だとしたら、とても恐ろしいけれど。
怖くて震えが止まらないけれど、ソルジャー・ブルーが怖いけれども。
それと同時に、彼に訊きたい。
自分は裏切り者なのか。
それとも、ただの腰抜けなのか。
(…ぼくは、いったい…)
何なのだろうか、こうして此処にいるけれど。
ミュウを滅ぼす側にいるけれど、キースに仕えているのだけれど。
(…あの瞳…)
ソルジャー・ブルーは何を見たのか、自分の中に。
「可哀相に」と夢で自分を見詰めてくる時、赤い瞳の奥に見えるもの。
憐れみと同時に深い悲しみ、それから包み込むような思い。
「独りぼっちで可哀相に」と、「本当に後悔していないのか」と。
(…後悔だったら…)
何度でもした、ジルベスター・セブンが砕かれてから。
赤い瞳を夢に見る度、何度も何度も、自分を責めた。
裏切り者だと、「ぼくのせいだ」と。
仲間たちを殺す手伝いをしたと、きっと地獄に落ちるのだと。
けれど、同時に思うこと。
(…キースを助けたことだって…)
後悔などはしていない。
だから何度も夢にうなされ、こうして飛び起きる羽目になる。
自分でも答えが出せないから。
裏切り者なのか、そうでないのか、今も自分が分からないから。
あの赤い瞳、片方だけだった瞳の奥。
彼が自分に何を思ったか、それが分かればいいのにと思う。
蔑みだったか、憐れみだったか、裏切り者への強い憎しみか。
(…でも、どれも…)
違う、と心が訴えてくる。
自分が出会った瞳は違うと、夢のそれとは違っていたと。
ただ、驚いていただけだから。
「どうしてミュウが」と、彼は自分を見ていたから。
ソルジャー・ブルーは気付いていたのに、知っていたのに、黙って逝った。
「裏切り者」と責めもしないで、「逃げるな」と自分を止めもしないで。
キースの代わりに自分を救えと、命じることさえしようともせずに。
(…あの人は、ぼくに…)
何かを期待したのだろうか、と思う度にゾクリと冷えてゆく身体。
彼は自分に託したのかと、「其処にいるならミュウを頼む」と。
滅ぼす側にいるのだったら、何か手立てがあるだろうと。
滅びの道からミュウを救えと、そちら側から手を差し伸べろと。
ミュウを生かせと、ミュウの未来をと。
(……そんなこと、ぼくに……)
出来る筈がない、と思うけれども、赤い瞳に捕まったから。
夢の中まで追ってくるから、きっと一生、後悔の中で生きてゆくしかないのだろう。
(…ぼくには、ミュウをどうすることも…)
出来やしない、と零れる涙。
あの瞳でいくら見詰められても、どんな思いを託されても。
彼の思いには応えられない、ソルジャー・ブルーが、そのために自分を行かせたとしても。
キースを救って逃げる自分を見送っていても。
自分はただの腰抜けだから。
キースの後ろについてゆくだけの、臆病な裏切り者なのだから…。
夢の中の瞳・了
※マツカはブルーに会ってるんだな、と思ったばかりにこうなったオチ。
ブルーの側から書いたことならあったけれども、マツカから見たら怖いよね、ブルー…。
「停船しろ。…シロエ…!」
どうか、と祈るような気持ちで口にしたけれど。
止まってくれ、と叫び出したいけれど。
(マザー・イライザ…)
撃ちなさい、と冷たく告げて来た声。
それに逆らえない自分が悔しい、どうして逆らえないのかと。
何故、とキースは唇を噛む。
もしも自分に、シロエの強さがあったなら。
マザー・イライザに、システムに逆らい続けた、彼の強さがあったなら、と。
けれど出来ない、どういうわけだか。
けして弱くはない筈なのに。
気弱でも、腰抜けでもない筈なのに。
「停船しろ」と願うより他に道の無い自分。
シロエの船がこのまま飛んでゆくなら、本当に撃つしかないのだから。
左手の親指で合わせた照準、シロエの船はロックオンされているのだから。
どうして自分がそれをするのか、そうするより他に術が無いのか。
自分でもまるで分からないけれど、メンバーズはそうあるべきなのだろうか。
マザー・イライザが「撃て」と言うなら、そのように。
自分の心が「否」と叫んでも、撃つのが自分の道なのだろうか。
(シロエ…!)
どうしようもないと分かっているから、願ってしまう。
止まってくれと、そうすればシロエの船を連行するだけだから、と。
けれども、速度を上げてゆく船。
前をゆく船は止まらないから、また左手で操作したレバー。
レーザー砲へとエネルギーを回す、此処まで来たら、後は撃つだけ。
シロエの船が止まらなければ。
真っ直ぐに飛んでゆくだけならば。
カチリ、と左手の親指が押し込んだボタン。
遥か彼方で弾けた閃光。
星雲のように光が弧を描いてゆく、シロエの船があった辺りに。
(…シロエ…)
もういないのだ、と心に生まれた空洞。
たった今、彼はいなくなった、と。
ついさっきまでは、自分の先を飛んでいたのに。
シロエの船が見えていたのに、もうレーダーにも映らない機影。
漆黒の宇宙で船を失くせば、潰えてしまう人間の命。
まして船ごと撃たれたのなら。
あの閃光の中にいたなら、シロエは消えてしまっただろう。
一瞬の内に、光に溶けて。
船の残骸は残ったとしても、シロエの痕跡は残りはしない。
レーザーの光に焼き尽くされて。
瞬時に蒸発してしまって。
もうこれ以上は見ていたくない、とステーションに船を向けようとしたら。
「確認なさい」とマザー・イライザからの通信。
本当にシロエの船を撃ったか、反逆者はこの世から消え失せたのか。
それを確認して戻るようにと、現場を飛んでくるようにと。
(……マザー・イライザ……)
あまりにも惨い、と思った命令。
確認せずとも、シロエは消えていったのに。
レーダーを見れば分かることなのに、どうして行かねばならないのか。
他の者でも出来そうな任務、もっと時間が経ってからでも。
Mの精神波攻撃の余波が、ステーションから消えた後にでも。
そう思うけれど、また逆らえない。
シロエのように「否」と言えない、臆病者ではない筈なのに。
強い精神を持っていなければ、メンバーズになれはしないのに。
(…ぼくは、どうして…)
こうなるのだろう、と機首を逆さに向けるしかない。
マザー・イライザが命じたから。
行くようにと命じられたのだから。
そうして船を進めた先。
光がすっかり消えた空間、ポツリ、ポツリと漂い始めた欠片たち。
さっきまでシロエを乗せていた船、それが砕けた後の残骸。
ぶつからないよう、間を縫って飛んでゆく内に、増えてゆくそれ。
(……この辺りなのか……)
多分、爆発の中心は。
シロエが宇宙に散った辺りは、彼の命が消えたろう場所は。
髪の一筋も、血の一滴も、残さないままに消え去ったシロエ。
船の残骸だけを残して、彼だけが高く飛び去ったように。
自由の翼を強く羽ばたかせ、彼方へと消えて行ったかのように。
(…本当に飛んで行ったなら…)
シロエが大切に持っていた本、ピーターパンというタイトルの本。
あの本に書かれた子供たちのように、宇宙を飛んで何処かへ去ったのなら、と。
そう思うけれど、それは有り得ないこと。
シロエは空を飛べはしなくて、宇宙などは飛んでゆけなくて。
今、自分の船が飛んでいる辺り、この辺りで消えて行ったのだろう。
マザー・イライザに逆らい続けて、システムに抗い続けた末に。
行き場を失くして消えて行った命、何の欠片も残しはせずに。
いなくなった、と溢れ出した涙。
追われていた所を匿ったほどに、話してみたいと思ったシロエ。
強すぎる意志を持っていたシロエ、違う出会いをしていたのなら…。
(……シロエ……)
友達になれていただろうか、と彼の死を心から悼んだけれど。
もっと時間をかけていたなら、友だったろうか、と涙したけれど。
(……ぼくが殺した……)
殺したんだ、とゾクリと冷えた左手の親指。
この親指が彼を殺した。
レーザー砲の発射ボタンを押し込んで。
シロエの船を撃って殺した、友達だったかもしれない彼を。
それに、何より…。
(……訓練じゃない……)
何度も繰り返し練習して来た、手順通りにやったのだけれど。
その先に人がいたことはなくて、いつも、いつだって遠隔操作の無人機ばかり。
自分は初めて人を殺した、それも何度も言葉を交わしていた人間を。
友になれたかもしれなかった人を、部屋に匿ったほどのシロエを。
(…マザー・イライザ…)
これだったのかと、やっと分かった命令の意味。
見届けて来いと言われた理由は、人を殺した自分を確認させるため。
メンバーズたる者、どうあるべきか。
どのように歩み続けるべきかを、その目で確かめてくるようにと。
(…ぼくが初めて殺した人間…)
それが友かもしれなかったなど、なんという皮肉なのだろう。
こうして涙が止まらないほど、その死を痛ましく思う人間。
生きて戻って欲しかったシロエ、彼をこの手で、自分が殺した。
「撃ちなさい」という命に従わなければ、シロエは何処かへ飛び去ったろうに。
あの船のエネルギーが尽きる場所まで、船の酸素が切れる時まで。
(…放っておいても、どうせシロエは…)
死ぬだろうことは、マザー・イライザも承知だった筈。
けれど自分に彼を追わせて、「撃ちなさい」と命じ、今はこうして…。
(…血にまみれた手を、見て来るがいいと…)
血の一滴さえも、シロエは残さず消えたけれども。
自分の手はもう、人を殺して血に染まった手。
友になれたかもしれなかったシロエ、彼を最初に殺してしまった。
人を殺すなら戦場だろうと、ずっと先だと思っていたのに。
いつか自分が殺す相手は、悪なのだろうと思ったのに。
(……そんなに甘くはないということか……)
メンバーズならば、友であっても撃てと、殺せというのだろうか。
それが自分の道なのだろうか、自分は逆らえなかったから。
シロエの船を撃ってしまったから。
忘れまい、と心に刻んだ己の罪。
人を殺したと、友になれたかもしれない者を、と。
きっと自分は罪人だから。
いつか、裁かれるだろうから。
システムがけして正義ではないと、思いながらも逆らえないこと。
それこそが自分の最大の罪。
(…ぼくは、シロエを…)
殺したんだ、と噛んだ唇。
自分で殺して、なのに涙を流し続けて、きっとこれからも逆らえない。
何故か、そういう人間だから。
臆病者でも、腰抜けでもないのに、逆らうことが出来ないから。
だから、いつの日か裁かれるだろう。
今の自分は、人殺しだから。
シロエの血で染まった左手の親指、それが罪人の証だから…。
罪人の証・了
※考えてみたら、「冷徹無比な破壊兵器」のキースが、最初に手にかけた人間はシロエ。
撃墜した後、涙したキース。本来のキースは、冷徹無比より、そっちの方だと思ってます。