(思った以上の結末だ…)
醜悪だな、とキースが歪めた唇。
こんな代物が存在するとは、これが自分の「ゆりかご」だとは。
とうの昔に廃校になった、ステーションE-1077。
処分して来るよう、グランド・マザーに命じられた場所。
過去が眠る墓場。
その命令が下るよりも前、偶然、手にしたメッセージ。
長い歳月を越えて再び、現れたピーターパンの本。
あちこち擦り切れ、破れてはいても、一目で「あれだ」と分かる一冊。
かつてシロエが持っていた本、とても大切にしていた本。
それは宇宙で見付かったという、自分がシロエの船を撃墜した後に。
何故か上層部の監視を免れ、回収されて、今頃になって現れた。
(……シロエ……)
表紙の内側、シロエが書いた本の持ち主の名前。「セキ・レイ・シロエ」と。
触れようとしたら、下にチップが隠されていた。
シロエが残したメッセージ。
きっと自分の手に渡ると信じて、勝ち誇ったように。
「見てますか、キース・アニアン」と。
「此処が何処だか分かります?」と。
(フロア001…)
あなたの「ゆりかご」ですよ、とシロエは嗤った。
遠く遥かな時の彼方で、今も少年のままの姿で。
なんという皮肉な時の悪戯か、少年のままで現れたシロエ。
遠い日にサムが口にしたように。
ジョミーと名乗ったミュウの長の少年、彼の姿は昔のままだと。
あの時は知らなかったけれども、シロエもミュウの少年だった。
もしも彼がまだ生きていたなら、あのままの姿だったのだろうか。
シロエの船を撃たなかったら。
…ステーションの近くにいたという鯨、ミュウの船がシロエを救っていたら。
そんなことさえ考えてしまう、この現実を突き付けられたら。
シロエはとうに目にしていたのに、自分は今日まで知らなかったモノ。
(…ミュウの女と…)
そして私か、と溜息しか出ない標本たち。
順に並んだ水槽の中に、ほんの幼子から大人まで。
自分そっくりのモノが浮いている、命は抜けてしまったものが。
標本になるまでは生きていたであろう、その時の姿を留めたモノが。
不意に戻って来た記憶。
水の壁の向こう、自分を見ていた研究者たち。
ならば自分も此処に居たのか、並ぶ水槽の中の一つに。
標本にならずに済んだだけなのか、運良く選ばれた一体として。
「ゆりかごか…。そうか、此処か」
フッと零れてしまった笑い。
予想以上に醜い「ゆりかご」、標本だったかもしれない自分。
そっくりの顔が中にあるから。
今の自分よりかは若いけれども、それは自分の顔だったから。
たまたま選ばれただけの一体、水槽から出されて育ったモノ。
それが自分で、これが「ゆりかご」。
幾つも並んだ水槽の一つ、其処で自分は育ったのだろう。
シロエが自分を嘲笑ったのも無理はない。
どうやら自分は、人間でさえもなさそうだから。
もしも普通の人間だったら、こんな風には育てないから。
シロエが言った通りに人形、マザー・イライザが作った人形。
どうやってこれを創り上げたか、想像はつく、と考えた時。
姿を現したマザー・イライザ、彼女は誇らしげに告げた。
三十億もの塩基対を合成し、DNAという鎖を紡ぐ。
全くの無から創り出された、完全なる生命体なのだと。
サンプル以外は処分したとも、事も無げに。
(…サムも、スウェナも…)
ジョミー・マーキス・シンとの接触があった者たちだったから、選ばれた。
自分の友になるように。
サムと二人で救出に向かった事故でさえもが、マザー・イライザの差し金だという。
ミュウ因子を持っていたシロエとの出会い、それにシロエを処分させたことも…。
(全ては私を…)
育てるためのプログラムだった。
サムもスウェナも、シロエも機械の都合で集められ、そしてシロエは…。
(…無駄死にだった…)
そうだったのだ、と震える拳。
マザー・イライザは自分を「理想の子」と呼ぶけれども、標本たちと何処も変わらない。
どう違うのかと叫びたいくらい、どれも見分けがつかないのだから。
(こんなモノが…)
水槽の中に浮かぶ標本、醜悪としか言えない光景。
自分もその中の一つに過ぎない、たまたま選び出されただけ。
プログラム通りに育てられただけ、それが成功したというだけ。
(……シロエ……)
握り締めた拳が震えるのが分かる。
彼は本当に無駄死にだった、と。
シロエが秘密を探り当てた時、あのメッセージを残した時。
追われていたシロエを匿ったから、彼の口から直接聞いた。
「忘れるな」と、「フロア001」と。
其処へ行けと叫んでいたシロエ。
踏み込んで来た警備兵たちに意識を奪われ、連れ去られるまで。
それから何度試みたことか、フロア001へ行こうと。
マザー・イライザにも問いを投げ掛けた、其処には何があるのかと。
けれども、謎は解けずに終わった。
見えない何かに阻まれるように、開かれないままで終わった道。
フロア001には近付けないまま、卒業となって送り出された。ステーションから。
マザー・イライザからも何も聞けずに、閉ざされてしまったシロエに教えられた場所。
(…あのメッセージは受け取ったが…)
あまりにも時が経ち過ぎていた。
シロエが其処で何を見たのか、撮影していた動画の中身。
肝心の画像は劣化していて、何があるのか分からないまま。
「ゆりかご」とは何のことだろうか、と考えていた所へ命じられた任務。
E-1077を処分して来いと、「あの実験はもう不要だから」と。
実験と聞いて想像して来た、様々な答え。
遺伝子レベルで何かしたかと、DNAを弄りでもしたかと考えたけれど。
(…無から創った…)
シロエはそれも知っていたろう、此処へ侵入したのだから。
必要なデータは見ただろうから、その上で嘲笑していたのだろう。
お人形だと、マザー・イライザが作ったのだと。
それを自分がもっと早くに知っていたなら…。
(…………)
様々なことが変わったのだろう、シロエが意図していたよりも、ずっと。
違う生き方をしたことだろう、大人しくシステムに従う代わりに。
(…しかし、もう…)
後戻り出来ない所まで来た、前へ進むしかない所まで。
今さら後へ戻れはしなくて、ただがむしゃらに進むしかない。
歩いてゆく先が何処であっても、システムと共に滅ぶ道でも。
ミュウと戦い、滅びるとしても、もう後戻りは許されていない。
そのように歩いて来てしまったから。
マザー・イライザのプログラム通りに、自分は作り上げられたから。
シロエは全てを見たというのに、命を懸けて伝えたのに。
(フロア001…)
此処へ行くよう言ってくれたのに、彼は本当に無駄死にだった。
このフロアへと続く扉は、時が来るまで開かれないから。
どんなに行こうと試みてみても、無駄だった理由を今、知ったから。
全ては機械が仕組んだこと。
今日まで自分に知らせないよう、「理想の子」とやらが出来上がるよう。
シロエは秘密を盗み出したのに、それを生かせはしなかった。
命を懸けて盗んだ秘密を、自分に伝えようと叫んでいたフロア001のことを。
機械の方が上だったから。
時が来るまで明かすべきではないと決めたら、とことん隠し通すのだから。
(シロエを私に接触させて…)
心の中に入り込ませて、その上で消させるプログラム。
一番最初に殺さなければならない人間、それが無名の兵士などではないように。
後々まで記憶に残る人間、そういう者をこの手で殺させるように。
きっとシロエはうってつけだった、ミュウ因子を持っていたせいで。
システムに反抗的な所も、負けん気の強さも、何もかもが。
(……シロエ……)
彼にレクイエムを捧げてやろうと、そのつもりで此処へ来たけれど。
なんと罪深いものだったことか、自分という醜い存在は。
人間ですらもなかったモノは。
シロエとの出会いは、彼が乗った船を撃ち落としたことは、成長のためのプログラム。
この醜悪な標本の群れと、自分は何も変わらないのに。
たまたま選ばれた一体だったというだけなのに。
(…私は…)
なんと詫びればいいと言うのか、無駄死にになってしまったシロエに。
彼の船を撃つよう命じられた時、見逃しもせずに撃ち落とした自分。
(こんなモノのせいで…)
これがシロエを殺したも同じ、と操作してゆく「ゆりかご」を維持するコントロールユニット。
幸いなことに、これは任務だから。
堂々と全て消せるのだから。
せめてシロエに捧げてやりたい、標本どもが消えてゆく様を。
マザー・イライザが上げる悲鳴を、いずれ断末魔へと変わるだろうそれを。
これがシロエへのレクイエム。
彼の命を弄んだ者を、自分はけして許しはしない。
シロエは、多分、友だったから。
一つ違ったなら、シロエとも多分、友人になれていただろうから…。
ゆりかごのレクイエム・了
※この時点まで、キースはフロア001に行けないんだな、と受け取れるのがアニテラ。
だったらシロエは無駄死にじゃないか、とキースでなくても思いますよねえ…?