(……パパ、ママ……)
会いたいよ、とシロエは一人、膝を抱えて蹲る。
E-1077の夜の個室で、ベッドの上で。
本当だったら、今の時間は勉強に充てるべきだろう。
普段の日ならそうしているし、今日もやるべき課題はある。
けれど「明日でもいい」と思った。
提出期限はまだ先なだけに、急いで片付けなくても、と。
(…パパとママのことを思い出すには…)
こうして集中するしかない。
「この場所」のことも、「勉強」のことも放り出して。
幼かった子供時代みたいに、ベッドに座って膝を抱えて。
(……家でも、こうして座ってたから……)
ただし、楽しい夢を見ながら。
夜にベッドで待っていたなら、「ピーターパンが来てくれるかも」と。
窓の向こうを眺めて待っていた日もあれば、顔を伏せていた日もあった。
今と同じに膝に顔を埋めて、まるで「かくれんぼ」をするかのように。
(…ピーターパンが来たら、ビックリだものね?)
いきなり声を掛けられたら。
「迎えに来たよ」と、突然に肩を叩かれたなら。
(……だけど、ピーターパンは来なくて……)
自分は「地獄」に連れて来られた。
ネバーランドよりも素敵な地球へと、行けると思い込んでいた日に。
優秀な成績で通過したなら、そうなるのだと信じた「目覚めの日」に。
子供時代の記憶を奪われ、この牢獄に放り込まれた。
同じ境遇の候補生たちは、そうだと思いもしないけれども。
誰もがE-1077に馴染んで、和やかに暮らしているのだけれど。
そうはなれずに、取り残された。
「マザー牧場の羊」の群れには、どうしても入ってゆけないままで。
入りたいとも思わなくても、「独りぼっちだ」ということは分かる。
このステーションに「友」はいなくて、大好きだった両親の家にも帰れはしない。
両親が何処に住んでいたのか、住所さえも思い出せないから。
おまけに両親の顔さえぼやけて、もう定かではない二人の面差し。
だから、こうして蹲る。
「一つでも、何か思い出せたらいいのに」と。
ベッドに座って膝を抱えて、子供時代の真似をすることで。
(…パパとママは、今はどうしているんだろう…?)
起きているのか眠っているのか、それさえも此処では分からない。
故郷があった星の時間は、此処でも把握できるのだけれど。
銀河標準時間の代わりに、アルテメシアの「それ」を探せば。
エネルゲイアで使われていた「標準時間」を掴んだら。
(……でも、調べたって……)
とても悲しくなるだけだから、と前に調べた「標準時間」は意識していない。
時差は分かっているのだけれども、計算しても無駄なのだから。
(…その時間には、どんな景色だったかも覚えていないよ…)
機械が奪ってしまった記憶は、故郷の景色も曖昧にした。
風も光も、「こうだった」とピンと来はしない。
確かにあった筈の四季さえ、この身体はもう「覚えていない」。
ただ漠然と「夏は暑くて」「冬は寒い」と、知識という形だけでしか。
夏の日射しがどんなだったか、冬に木枯らしはあったのかさえも「忘れさせられた」。
エネルゲイアのデータを見たなら、其処に「それら」は書かれていても。
(……誰が見たって、「そうなのか」って思う程度にしか……)
今の自分は覚えていないし、故郷だという実感が無い。
エネルゲイアの出身なのに。
E-1077で閲覧可能な個人データにも、きちんと書かれているというのに。
そんな具合だから、両親の「今」を考えることは諦めている。
二人が起きて何かしていても、肝心の「故郷」が分からないから。
眠っている時間になっていたって、家の中でも色々と違う。
いくら空調が効いていたって、夏と冬では大違い。
「外は寒いぞ」と父が帰るなり口にした日は、食卓には「冬の料理」が並んだ。
夏なら冷たい飲み物が出たし、空調も冬のそれとは逆様。
そういった故郷の季節感さえ、今の自分は「想像する」しか方法が無い。
「冬の朝なら、こうだったよ」とか、「夏の夜にはこうなんだよ」と。
(……パパとママの今を想像したって、それと同じで……)
きっと何処かが欠けているから、考えない。
ピースがきちんと嵌まらなかったら、今よりもずっと悲しくなる。
そうなるよりかは、ただ顔だけを思い浮かべている方がいい。
あちこちが欠けてぼやけた面差し、それがどれほど悔しくても。
両親の瞳の色でさえもが、今の記憶では分からなくても。
(……パパ、ママ……)
ぼくを覚えてくれているの、と心の中で問い掛けてみる。
大人に「成人検査」は無いから、両親の記憶は、きっと消えてはいないだろう。
「目覚めの日」に送り出した息子を、忘れてしまいはしないと思う。
きっと自分は、両親の「最後の子供」だから。
養父母としては年配だった、けして若くはなかった両親。
(次の子供を育てようとしたら、また十四年もかかるんだから…)
新しい子供が十四歳まで育つ頃には、二人とも、かなりの年齢になる。
大抵の「親」は、そうなる前に引退するから、両親も引退したことだろう。
「最後の子供を育て終えた」と、満足して。
後は二人で過ごしてゆこうと、のんびり夫婦で暮らし始めて。
(そうだよね…?)
ぼくが最後の子供だよね、と問い掛けたくても、届かない声。
両親に手紙を書けはしないし、通信だって送れはしない。
けれど自分が「最後の子供」なのだろう。
両親にとっては思い出深い、養父母として過ごした時間の締めくくりの。
(…ぼくが最後で…)
パパとママの思い出に残る子供、と心がじんわり温かくなる。
「最後の子供」でなかったとしたら、両親の記憶は薄れるから。
新しい子供を育て始めたら、たちまち起こる日々のドタバタ。
まるで泣き止まない赤ん坊とか、よちよち歩きで一時も目を離せないとか。
(…そんな子が来たら、前の息子のことなんか…)
ゆっくり思い返している暇は無くて、新しい子供にかかりきり。
毎日の食事も、すっかり変わることだろう。
新しく家族に加わった子が、食卓の「王子様」だの「王女様」だのになって。
その子が好きなメニューが出る日が、目に見えてぐんぐん増えていって。
(…栄養バランスなんかはあるけど、でも、好きな物…)
それを食べさせてやりたくなるのが親心。
きっと自分も、そうだったろう。
今では思い出せなくても。
「マヌカ多めのシナモンミルク」が、自分の好みか、両親の好物だったかも謎のままでも。
(…パパもママも、ぼくを優先してくれて…)
好物を並べてくれただろうから、今もそうしているのだろうか。
「シロエはこれが好きだったよなあ?」と、父が笑顔で言ったりもして。
母が「今日はシロエの好物なのよ」と、懐かしそうな顔で料理を出す日もあって。
(…二人とも、きっと覚えていてくれるよね?)
養父母として最後に育てた「シロエ」のことを。
自分たちの大事な息子なのだと、可愛がってくれた間の出来事を、全部。
これが「最初の息子」だったら、今頃は忘れられただろうに。
たまにチラリと思い出しても、「新しい子供」と重ねるだけで。
「二人目の子供」だったりしたなら、もっと印象は薄いと思う。
「最初の子供」と、「最後の子供」の間になって。
記憶の端を掠める時にも、「あの子は、どんな子だったかな?」と思う程度で。
(……ぼくが最後の子供で良かった……)
いつまでも覚えていて貰えるよ、と考えたけれど。
「ぼくが忘れても、パパとママは、ぼくを忘れないよ」と思ったけれど。
(…成人検査で記憶を消されちゃっても…)
広い宇宙の何処かの星には、きっと「兄弟」がいるのだろう。
血が繋がってはいないけれども、自分と同じに「セキ」という姓を持つ誰か。
両親が育て上げた子供で、「エネルゲイアの、セキ夫妻の子」。
どう考えても、そういう子供が一人はいる。
両親の年の頃からして。
子育てを早く始めていたなら、二人いたっておかしくはない。
(……ぼくの兄弟……)
兄か姉かは、分からないけれど。
どういう仕事をやっているのか、何処にいるかも不明だけれど。
(だけど、手がかり…)
それならば、「セキ」の姓がある。
出身地がエネルゲイアで「セキ」なら、両親の子だという確率は…。
(…相当高いし、もしも会えたら…)
今の自分が持ってはいない、「両親の記憶」があるかもしれない。
機械が記憶を奪う時には、将来を考慮するようだから。
生きてゆくのに「何が役立つか」を、選んで消してゆくのだから。
(…養父母コースに行っていたなら、ぼくよりも…)
両親の記憶が鮮やかな可能性もある。
子育てをする人間だったら、「自分が育てられた記憶」は大切だろう。
そういう記憶がまるで無いより、「応用できる」方がいいから。
養父母の顔は曖昧だろうと、エリートコースに来た「自分」よりかは…。
(…パパとママのこと、覚えていそう…)
いつか会えたら、と「セキ」の名を持つ「両親の子供」に思いを馳せる。
ベッドで膝を抱えたままで。
機械が奪ってしまった記憶を、「セキ」という名の兄か姉から教われたなら、と…。
両親の子供・了
※SD体制の時代でも、「同じ養父母が育てた」場合は「兄弟」なのかな、と思ったわけで…。
アニテラだと「兄弟で育てていた」みたいですけどね、ゼルとハンスみたいに。