「マツカ。…コーヒーを頼む」
一日の終わりに、いつもの通りにキースが出した注文。
国家騎士団総司令のための、執務室とは違った場所で。
首都惑星ノア、其処でキースに与えられた「家」。
どう使うのも自分の自由で、使用人を大勢置いたっていい。
もっとも、そんな面倒な者は置かないけれど。
身辺警護の者も断り、側にいるのはマツカだけ。
誰も「ミュウ」とは知らない側近、とても有能で使える部下。
忠実な上に気配りも出来て、何よりも…。
(…マツカが淹れるコーヒーは美味い)
上等な店で出て来るようなコーヒーよりも、と思っている。
それはマツカが上手く淹れるからか、口にする時の気分のせいか。
自分でも答えは分からないけれど、とにかく「マツカのコーヒー」は美味。
だから、こうして注文をする。
一日分の仕事を終えた後には、「コーヒーを頼む」と。
「…お待たせしました。熱いですから、気を付けて」
「ああ。…もう下がっていい」
今日の仕事は全て終わった、と促してやれば、マツカは「失礼します」と静かに去った。
こういう所もマツカらしくて、他の部下ではこうはいかない。
「他に御用は?」と尋ねてくるとか、「扉の前で警護を致します」とか。
(……要らぬ世話など、してくれずとも……)
放っておいてくれればいい、と苦々しい気持ちになるのが常のこと。
皆とワイワイ騒ぎ立てるより、一人きりでいる方がいい。
部下といえども、あまり側にはいて欲しくない。
(……これがサムなら、一晩でも語り明かせるのだがな……)
生憎とそういう友もいない、とコーヒーのカップを傾ける。
いくらマツカが気が利く部下でも、所詮は「ミュウ」。
人類とは違う種族なのだし、きっと「友」にはなれないから。
もしもマツカが強かったならば、違っていたかもしれないけれど。
「Mのキャリアだった」と後に聞かされたシロエ、あのくらいに気が強かったなら。
「冷徹無比な破壊兵器」と呼ばれる「キース」に、歯向かう気概があったなら。
(…出会った時こそ、牙を剥いたが…)
今では、それもしないだろう。
ソレイドで初めて出会った時には、マツカも「必死だった」だけ。
「キース」がどんな人間だろうが、殺さなければ「殺される」から。
そう思い込んで、「窮鼠猫を噛む」という言葉通りに、襲い掛かって来ただけのこと。
マツカの力で、メンバーズに勝てるわけもないのに。
こちらが気まぐれを起こさなかったら、とうに殺されていたのだろうに。
(……まだコーヒーを飲む前だったが……)
生かしておいて正解だった、と口に含んだコーヒーは美味い。
マツカに「ミュウの力」が無くても、この味だけでも充分な拾い物だと思う。
ただの平凡な一兵卒として、配属されて来ていたならば。
(…たかがコーヒーなのだがな…)
嗜好品に過ぎないものだとはいえ、不味いよりは美味い方がいい。
同じコーヒーを飲むのだったら、「より美味な方」を選びたいもの。
自分の好きに選んでいいなら、「美味いのを頼む」と。
(その点、マツカのコーヒーは…)
及第点だ、と考えている。
言葉にすることが無いだけで。
誰にも「美味いぞ」と言いはしないし、自慢したいとも思わない。
美味なコーヒーを淹れるマツカに、労いの言葉をかけることさえ。
(そういったことこそ、余計なことだ)
使用人だの、身辺警護をする者だのと変わらない次元。
煩わしくなるだけのことだし、ただコーヒーを楽しめればいい。
「コーヒーを頼む」と言いさえすれば、出てくる味を。
わざわざ店まで出向かなくとも、いつでも好きに飲める自由を。
(……ふむ……)
そういえば聞いたことも無いな、と思い至った。
いつもマツカが淹れるコーヒー、それの名前は何と言うのか。
(…モカに、ブルマン…)
他にも名前は幾つもある。
一括りに「コーヒー」と呼ばれてはいても、コーヒー豆の名前によって。
(モカはモカだが、ブルマンはブルー・マウンテンだったか…)
しかし、どちらも今では「無い」な、と頭に思い浮かべる地球。
最高機密の一つだけれども、「青い地球」など何処にも無い。
遠い昔に滅びたままで、今も赤茶けた星のまま。
そんな星では、モカもブルマンも無い。
遥かな昔に「モカ」を積み出した港、其処には毒の海があるだけ。
コーヒー畑が広がっていた、イエメンもエチオピアも無い。
「モカ」と言ったら、イエメンの豆が最高だったと伝わるのに。
ブルマンが採れたブルー・マウンテン、その「青い山」も地球には無い。
緑が豊かだったジャマイカ、其処に緑は「もう無い」から。
何処までも砂漠に覆われた地面、荒廃した大地が広がるだけ。
「青い山」は禿げて、岩山になってしまったろう。
雨が降る度、空から毒素が降り注いで。
地下を流れる水も汚染され、吸い上げた木は残らず枯れて。
(…しかし今でも、名前だけはあるな)
コーヒーを好む者の間で、今も語られ続ける名前。
どの豆が好きか、ブレンドするなら何がいいかと。
(…マツカもブレンドしているのか?)
それとも「これだ」と選んで買っているのだろうか。
まるで気にしたことが無いから、味だけで分かるわけもない。
コーヒーは好きでも、「通」ではないから。
「これでなければ」とこだわる豆も、ブレンドなども無いのだから。
(…訊いてみようとも思わんな…)
これがサムなら、「おい」と気軽に訊いただろうに。
思い立ったが吉日とばかり、今すぐにでも通信を入れて。
「お前が淹れてくれるコーヒー、どういう豆を使ってるんだ?」と。
夜更けであっても、気にもしないで。
通信機の向こうで応えるサムが、「何時だと思っているんだよ?」と欠伸したって。
(……マツカでは、そうはいかんのだ……)
所詮は部下だ、とカップを傾け、「分からない味」に首を傾げる。
「美味いコーヒー」には違いなくても、何という名前の豆だろうか、と。
地球が滅びてしまった後にも、モカもブルマンも残り続けた。
栽培する場所が変わっただけで。
恐らくは地球から持ち出された豆、それを何処かで育て続けて。
(…歴史だけは長いというわけか…)
育つ場所が違うというだけで…、と感心させられるコーヒー豆。
モカもブルマンも、元の産地が滅びた後にも生き続けている。
地球がまだ青い水の星だった頃と、同じ遺伝子を受け継いで。
違う星の土に植えられた後も、最低限の改良だけで。
(たかがコーヒー豆なのだがな…)
大したものだ、と感心したまではいいのだけれど。
脈々と継がれ続ける遺伝子、それに感歎したのだけれど…。
(……この豆でさえも……)
DNAを持っているではないか、とカップを持つ手が微かに震えた。
人類よりも長い歴史を持っているのが「コーヒーの木」。
それが様々に枝分かれをして、モカだのブルマンだのが生まれた。
ほんの僅かなDNAの違いが生み出す、様々なコーヒー豆の味。
人類が地球を離れても。
青い地球など何処にも無くても、コーヒーの木は生き続けて。
DNAという名の鎖を、今も同じに紡ぎ続けて。
けれど、自分はどうなのだろう。
「無から生まれた」キース・アニアン、DNAさえも「作られた」者は。
機械が無から作った生命。
三十億もの塩基対を合成してから、紡ぎ上げられたDNA。
「キース・アニアン」の元になった遺伝子データはあっても、そちらの方も…。
(…私と同じに、無から作られた者なのだ…)
ミュウの母船に捕らわれた時に、偶然、「そちらの方」に出会った。
盲目だったミュウの女は、「キース」を作った遺伝子データの持ち主らしい。
E-1077のフロア001、其処で「同じ顔」を幾つも目にしたから。
マザー・イライザに似ていたサンプル、ミュウの女にそっくりなモノ。
(…あの女も、無から作られたのなら…)
自分が継いだ遺伝子データは、コーヒー豆の「それ」とは違う。
種が芽吹いて木へと育って、花が咲いたら実が出来るもの。
その実を人が集めて煎ったら、コーヒー豆。
煎られてしまわず、芽を出したならば、コーヒーの木が育つのだろう。
けれど、「キース」は「そうではない」。
人工子宮から生まれはしても、「その前」が何も無いのだから。
「キースという人間」を作り出すためのDNAは、何処からも来はしなかった。
機械が合成しただけで。
ミュウの女のデータを元に、「より良いものを」と組み上げただけで。
(……たった一粒のコーヒー豆にも……)
及ばないのか、と思う自分の存在。
SD体制の時代といえども、「普通の人間」はDNAを何処かから貰うものなのに。
異分子として処分されるミュウさえ、「ヒトと同じに」DNAを持っているのに。
(……そんな私が、コーヒー豆の名など聞いても……)
やはり意味など何処にも無いな、と唇に浮かんだ皮肉な笑み。
モカであろうが、ブルマンだろうが、「キース」よりも優れた存在だけに。
遥かな昔の青い地球から、DNAを今も受け継ぎ続けるだけに。
(…要は、コーヒーが美味ければ…)
それでいいのだ、と冷めたコーヒーを喉に流し込む。
こうして冷めてしまった後にも、「不味い」とは思わないコーヒー。
それで充分満足なのだし、「もうこれ以上は、考えまい」と…。
コーヒーの名前・了
※いや、キースはコーヒー党なんですけど、そのコーヒーにも種類が色々あるわけで…。
原作で「モカ」と言ってるんですよね、ステーション時代に。
「モカって…。地球じゃないのに?」と遥か昔に入れたツッコミ、それを活かしましたv