(二つ目の角を右へ曲がって…)
後は朝まで、ずうっと真っ直ぐ。
そうすれば行ける筈なのに、とシロエが広げるピーターパンの本。
ネバーランドに行くための方法はこう、と。
いつか行けると信じていた。
きっと行けると、自分もネバーランドへ行くのだと。
ピーターパンが来てくれたら。
空を飛んでゆこうと、子供たちが暮らす楽園へと。
けれど、来てくれなかった迎え。
代わりに此処へと送り込まれた、監獄のような教育ステーションへ。
その上、機械に奪われた記憶。
ネバーランドへ行く方法ならば、本に書かれているけれど。
二つ目の角を右へ曲がって、後は朝までずうっと真っ直ぐ。
そうすれば辿り着けるのだけれど、忘れてしまった家への道。
両親と一緒に暮らしていた家、其処へ帰るにはどうすればいいか。
どの角を曲がって行けばいいのか、幾つ目の角を曲がるのか。
右に曲がるのか、左に曲がるか、それさえも思い出せない自分。
後は真っ直ぐ行けばいいのか、もう一度、角を曲がるのかさえも。
(…それに、ネバーランド…)
このステーションからは旅立てない。
本に書かれた方法では。
此処には朝が来ないから。
本物の朝日は、此処では昇って来はしない。
それに、ずうっと真っ直ぐ歩きたくても、ステーションは弧を描いているから。
辛いけれども、これが現実。
どんなに行こうと努力してみても、開かないネバーランドへの道。
おまけに家にも帰れない自分、ピーターパンの本を開けば零れる涙。
空を飛べたらいいのに、と。
ネバーランドにも行きたいけれども、その前に家へ。
ちょっと寄ってから、飛んで行きたい。
幼い頃から憧れた国へ、ピーターパンと一緒に空に舞い上がって。
(パパとママに会って、話をして…)
ネバーランドに行きたいよ、と見詰めるピーターパンの本。
この本は此処へ持って来られたのに、故郷に落として来てしまった記憶。
育った家も、両親だって。
全部、落として失くしてしまった。
頭の中身を、機械にすっかり掻き回されて。
いいように記憶を消されてしまって、思い出せないことが山ほど。
(だけど…)
忘れなかった、と読み直すネバーランドへの行き方。
この本のお蔭で忘れなかったと、ネバーランドを夢見たことも、と。
此処で暮らす内に気付いたこと。
誰もが忘れているらしいこと、子供時代に描いた夢。
何処へ行こうと夢を見たのか、何になりたいと思っていたか。
(…みんな、忘れてしまってる…)
そして夢見るのは、地球へ行くこと。
いい成績を収めてメンバーズになること、誰もが同じ夢を見ている。
その道に向かって走り続ける、此処へ来た皆は。
エリート候補生のためのステーション、E-1077に来た者たちは。
(地球へ行くことと、メンバーズと…)
どうやら他には無いらしい夢。
ネバーランドに行こうと夢見る者も無ければ、家に帰りたい者だっていない。
機械に飼い慣らされてしまって。
そうなる前でも、夢も、記憶も機械に消されて失くしてしまって。
(でも、ぼくは…)
忘れないままで、今でも夢を見続けている。
いつか行きたいと、ネバーランドに続く道を。
ピーターパンと一緒に空を飛ぶことを、家に帰ってゆくことを。
両親に会って、色々話して、それから飛んでゆく大空。
二つ目の角を右へ曲がって、後は朝までずうっと真っ直ぐ。
そうすれば行けるネバーランドへ、幼い頃から夢に見た国へ。
忘れなかったこと、それこそが奇跡。
それに唯一の希望だと思う、自分はきっと選ばれた子供。
ネバーランドに行ける子供で、ピーターパンが迎えに来る子。
そうでなければ、このシステムを変えるためにと生み出された子供。
機械が統治する歪んだ世界。
子供から家を、親を取り上げてしまう世界。
それを正せと、元に戻せと、神は自分を創ったのだろう。
人工子宮から生まれた子供でも、きっと神の手が働いて。
世界は本来こうあるべきだと、何度も繰り返し教え続けて。
(…みんなが夢を忘れない世界…)
子供が子供でいられる世界。
自分はそれを作らなければ、メンバーズになって、もっと偉くなって。
ただがむしゃらに出世し続けて、今は空席の国家主席に。
いつか自分がトップに立ったら、このシステムを変えられるから。
機械に「止まれ」と命令することも、「記憶を返せ」と命じることも。
その日を目指して努力することは、少しも苦ではないけれど。
頑張らなければ、と思うけれども、帰りたい家。
それに、行きたいネバーランド。
ピーターパンと一緒に空を飛んで行って、家へ、それからネバーランドへ。
(忘れなかったら…)
行けるのかな、とピーターパンの本の表紙を眺める。
ピーターパンと一緒に空を飛ぶ子たち、この子たちのように飛べるだろうか、と。
子供の心を忘れなかったら、夢を手放さなかったら。
しっかりと抱いて生きていたなら、いつか迎えが来るのだろうか。
国家主席への道を歩む代わりに、今も夢見るネバーランドへ。
子供が子供でいられる世界へ、今からでも飛んでゆけるだろうか。
(…ずっと昔は…)
ピーターパンの本が書かれた頃には、何処にも無かった成人検査。
人は誰でも、子供の心を失くさずに育ってゆけたのだろう。
だからピーターパンの本が書かれて、ネバーランドへの行き方も残っているのだろう。
この本を書いた人は、きっと大人になっても、ネバーランドへ飛べたのだろう。
ピーターパンと一緒に空に舞い上がって。
ネバーランドへはこう行くのだった、と確認しながら旅を続けて。
二つ目の角を右へ曲がって、後は朝までずうっと真っ直ぐ。
そう道標を書いて残して、次の時代の子供たちへ、と。
(ぼくは、メッセージを貰えたんだ…)
遠く遥かな時の彼方で、ピーターパンの本を書いた人から。
それに、神から。
子供たちを其処へ連れて行くよう、子供が子供でいられる世界を作るようにと。
(ぼくも行きたいな…)
ネバーランド、と思うから。
自分だって飛んでゆきたいから。
国家主席への道を歩むにしたって、一度は其処へ飛んで行きたい。
子供の心を忘れずに持ったままでいるから、ピーターパンのことも忘れないから。
そうして生きていったなら、きっと…。
(…ピーターパンが来てくれるよね…?)
このステーションにいる間だろうが、メンバーズになった後だろうが。
子供の心を失くさなければ、家へ帰りたい気持ちや、幼い頃からの夢を決して忘れなければ。
(……ピーターパン……)
待っているから、と抱き締めたピーターパンの本。
ぼくはいつまでも待っているからと、ネバーランドへ連れて行って、と。
その時は少し寄り道をしてと、ママとパパに会って、話をしてから行きたいから、と…。
忘れなかった夢・了
※きっとシロエは、ネバーランドにも行きたかった筈。家に帰りたいのと同じくらいに。
あの時代だと消されていそうな子供時代の夢。覚えているだけで、充分、特別。
「…これは…。何なんだ、此処は?」
シロエを驚かせたフロア001。シークレットゾーンの中だけれども。
幾つも並んだガラスケースに、何体もの胎児や子供の標本、もっと成長したものも。
(…キース…)
この顔はキースだ、と一目で分かる男性の方。女性は謎。ステーションでは見掛けない顔。
男性も女性も、何処から見ても機械ではなくて、人間にしか見えないから。
(何か特別な人間だとか…?)
調べなくては、とコントロールユニットに繋いだケーブル。幸いなことに、パスワードは此処のと同じだったから、簡単に突破出来てしまって…。
(無から作った…?)
これが、と眺めた男性と女性。キースと、それから別の誰かと。
女性の方にさほど興味は無かったけれども、もっと調べていかなくては。
(キースの方をね…)
覗かせて貰うよ、と探り始めたデータ。
それから間もなく、フロア001に響き渡りそうな勢いで笑い出したシロエ。あまりにもデータが凄すぎたから。
(お人形さんだ…)
マザー・イライザが作った可愛い人形そのものだった、と止まらない笑い。
まさか此処までやらかしたとは、と笑い転げるより他になかった。
(ぼくにゲームで勝てたくらいは、当たり前だよね)
こんなにスキルが高いのでは、と引き出したデータを見ては吹き出す。半端なかった、マザー・イライザの申し子、キースのデータ。彼はまさしく…。
此処で時間を過去に戻そう、五十年ほど。…多分、そのくらい。
E-1077とは違った所で、とある実験が行われていた。無から生命を生み出す実験。
三十億もの塩基対を合成し、DNAという鎖を紡ぐ。そうやって、まずは女性を作った。上手く出来たからガラスケースから出した途端に、ミュウが失敬して行ったけれど。
それがフィシスで、シロエが「知らない顔だ」と思った女性の方。
(ミュウに攫われるとは、ケチがついたものだ)
忌々しい、と舌打ちしたのがグランド・マザー。機械に舌があるかどうかは、ともかくとして。
フィシスは処分の予定だったから、ミュウが攫おうとも実験の方に支障は無い。
そうは言っても、掻っ攫われたら、如何なグランド・マザーもムカつく。
(あそこのセキュリティーは、ザルだったか…)
場所を移せ、と命令した。
今後の実験は宇宙で行うと、E-1077が良かろうと。
エリート育成のために設けた教育ステーションだけに、今後のためにも良さそうだから、と。
こうして実験の続きを任されたのが、マザー・イライザ。
女性の方はもう完成に至っていたから、その遺伝子データを元にして男性を作る。それがマザー・イライザに与えられた使命。
(最高傑作を作らなければ…)
グランド・マザーの期待に応えて、とマザー・イライザは張り切った。同じ作るならイケメンがいいに決まっているから、それが一番最初の課題。
やがてイケメンは出来たけれども、少々困った問題が一つ。
(此処では子供を育てられない…)
フィシスのような年頃の子供は、E-1077の範疇外。研究者だって手を焼くだろう。もっと大きく育ってから、とガラスケースで十四歳まで成長させたら…。
(筋力、それに体力不足…)
そういうブツが出来てしまった、ガラスケースの中に浮いていただけだから。
これでは即戦力にならない、教育ステーションに出してやっても使えはしない。フィシス並みの動きが可能になるまでに必要なリハビリ、それの期間が長すぎた。
駄目だ、とマザー・イライザがついた溜息。フィシスと同じに育てるだけでは、此処では上手くいかないらしい。
(成長過程で、もっと工夫を…)
筋力や体力が落ちないように、と凝らした工夫。幾つも幾つも作る間に、ようやっとコツが掴めて来た。これをアレンジしていったなら…。
(身体能力は、私の思いのまま…)
そうなる筈だ、と繰り返した実験、ハイクオリティのが出来ると確信したものだから。
(今度こそ、私の最高傑作を…)
素晴らしいのを作り出そう、とグランド・マザーに立てたお伺い。「どんな風にも作れます」と伝え、理想のエリート像を尋ねてみたら。
「ご苦労だった。イケメンで秀才、運動が出来れば言うことはない」
他は任せる、という鷹揚な返事。
趣味に走ってもいいであろうと、理想の子供を産み出すがいいと。
(私の理想…)
それから趣味、とマザー・イライザは考えた。グランド・マザーのお許しも出たし、もう本当に趣味に走ってもいいのだろう。イケメンで秀才で、運動能力が高ければ。
だったら、もっと付加価値を。自分の趣味で突っ走って。
(…歌って踊れるのがアイドルスター…)
そういう人種が社会では人気、と知っていたのがマザー・イライザ。
ダテに長年、教育ステーションのマザーをやってはいない。世間の流行りは必須の知識で、俗なことにも通じている。
理想の子供を作るからには、アイドルスターの人気も欲しい。歌って踊れる人材がいい、と確信したから、そのプログラムを組み込んだ。キースを作ってゆくにあたって。
(披露する場所が、あっても無くても…)
アイドルスター並みの歌唱力とダンス、とキースを育てることにした。育て始めたら、軌道に乗ったら、どんどん欲が出て来るから。
(フィギュアスケートも出来た方が…)
もちろん四回転ジャンプは軽々と、とフィギュアスケーターの能力も追加、それをやったら次に目に付いたのがバレエダンサー。
(スポーツの腕はプロ並みに仕込んであるのだし…)
芸術性の方も素晴らしく、と今をときめくバレエの主役も務まるような能力をプラス。
歌って踊れるアイドルスターな、理想の子供。
どうせやるなら徹底的に、とフィギュアスケートもバレエも仕込んで、もうワクワクで。
(持ち歌の方も…)
色々とあった方がいい、と知識を与えて、ギターも弾けるようにした。アコースティックギターも、エレキギターも。どちらもプロのミュージシャン並みに。
歌の方だって、もうガンガンと叩き込んだ。オペラはもとより、ジャズにロックにと。
そうこうする内に、マザー・イライザにも贔屓が出来た。この国の歌がイケている、と遠い昔の日本の歌に惹かれてしまったマザー・イライザ。
それも昭和から平成辺りの歌にハマッたものだから…。
ゲラゲラと笑い続けるシロエ。いくら笑っても、もう可笑しくて涙が出そうで。
(何なんだ、これ…!)
ハッキングしたデータを見れば見るほど、キースが人形だと分かる。マザー・イライザが作った可愛い人形、歌って踊れるアイドルスター。それがキースの正体だった。
(スポーツや戦闘能力だったら、まだ分かるけどね…)
どうしてバレエにフィギュアスケート、と笑うしかないマザー・イライザの趣味。
おまけにギターも弾けるのがキース、アコースティックギターもエレキギターも。ついでに歌って踊れるのだから、もう最高の人形で…。
(この芸、何処で披露するんだか…)
ぼくだって一度も見ていないのに、とケタケタ笑って、笑い転げて、それから始めたガラスケースや部屋の撮影。
「見てますか?」と始めながらも、必死に笑いを噛み殺す有様。
「キース。…ぼくはあなたを人形だと言った」
そのぼくも驚きましたよ、とシリアスにキメてやろうとしたって、どうしても顔から消えてくれない笑い。傑作すぎると、予想以上の収穫だったと。
吹き出したくなるのを堪えて撮影しているシロエだけれども、彼の頭の中にあることは…。
(部屋に戻ったら、調べてみないと…)
マザー・イライザが趣味で仕込んだ、キースの持ち歌。ハマってしまって、昭和から平成辺りに絞って、キースに教えた日本のヒットソングの数々。
(SMAPの「世界に一つだけの花」…)
どんな曲なんだ、とグルグル回るタイトル、うっかりすると意識がそっちに行きそうなくらい。
(坂本九の「上を向いて歩こう」っていうのも…)
知らない曲だから、探さなければ。キースは熱唱出来るのだから。
(藤山一郎の「青い山脈」に、さだまさしの「関白宣言」に…)
いったい何曲歌えるんだか、と思いながらも、早く聴きたくてたまらない。キースが歌える曲というヤツを、マザー・イライザのお気に入りを。
(北島三郎に、それから嵐…)
フィギュアスケートの腕前も知りたいですね、とニヤニヤ笑いが止まってくれない。キースは本当に、文字通りの「人形」だったから。
マザー・イライザが作った可愛い人形、歌って踊れるアイドルスター。そんな芸など、キースも気付いていないだろうに。
(本当にお人形さんだ…)
よく出来ている、と続ける撮影。
早くキースに見せてやりたいと、マザー・イライザの可愛いお人形さんに、と…。
イライザの人形・了
※先日、派手に騒がれていた某SMAPが解散するとか、しないとか。
賑やかなことだ、と思っていたら、何故だか出来てしまった話。歌って踊れるキースです。
「違う、ぼくは…!」
叫んだ声で目が覚めた。真っ暗な部屋で。
(夢…)
またあの夢だ、と肩を震わせたマツカ。
こちらを見詰めている瞳。
青い光の中、射すくめるように。
相手は何も言いはしないのに、その声が心を貫いてゆく。
「裏切り者」と、「恥知らずが」と。
だから「違う」と叫んでいた。ぼくは違う、と。
けれど、こうして飛び起きてみたら、心の奥から湧き上がる疑問。
本当に違うのだろうかと。
あの夢の中で聞こえた声こそ、真実なのではないだろうかと。
(…裏切り者…)
多分、本当はそうなのだろう。
キースが前に告げたこと。「お前と同じ化け物だ」と。
ジルベスター・セブンに潜んでいたもの、それは自分と同じなのだと。
(ぼくが殺した…)
そう、殺させたようなもの。
あの星からキースを救い出したから、ジルベスター・セブンは滅ぼされた。
メギドに砕かれ、あの星にいた者たちも。
自分と同じ仲間を殺した、その手伝いをしてしまった。
(……知っていたのに……)
同じものだと。自分と同じ存在なのだと。
あれから何度、夢を見たろうか。
夢の中で自分を見詰めてくるのは、いつも、いつだって赤い瞳で。
それも片方の瞳だけ。
もう片方は失われていて、閉じた瞼の下だったから。
(…ソルジャー・ブルー…)
あの時、自分は間違えたろうか。
キースを助けに駆け込んで行った、青い光が溢れていた部屋。
退避勧告が出ていたメギドの制御室。
其処で目にした、ソルジャー・ブルー。
キースの銃口の向こうにいた者、それが誰かは分かっていた。
皆が噂をしていたから。
伝説と言われたタイプ・ブルー・オリジン、ミュウの長だと。
ミュウの長なら、自分の仲間。
(…ぼくが助けるのは、キースじゃなくて…)
ソルジャー・ブルーだっただろうか、あの場に居合わせたのならば。
彼を救って、何処からか船を奪って逃げる。
それが取るべき道だったろうか、自分も同じミュウならば。
(…でも、ぼくは…)
考えさえもしなかった。
救いたかったのは、ただ一人だけ。
キースだったから、懸命に「飛んだ」。
まさか出来るとは思いもしなかった、空間を一気に飛び越えること。
そしてキースを救ったけれども、それは間違いだっただろうか。
(……分からない……)
誰もぼくには教えてくれない、と膝を抱えたベッドの上。
あの日、目にしたソルジャー・ブルー。
片方だけだった赤い瞳が、いつも自分を見詰めてくる。
青い夢の中で。
今夜のように責める日もあれば、蔑むように見ている時も。
憐れみに満ちた瞳の時も、ただ悲しみに濡れている時も。
夢に出て来た瞳に合わせて、声なき声もまた変わる。
「可哀相に」と言われる夜やら、「それでいいのか?」と問われる夜や。
だから自分でも分からない。
どれが本当の声なのか。
ソルジャー・ブルーの声は一度も聞いていないし、思念も受けていないから。
(…あの人は、ぼくに…)
何を言おうとしていただろうか、自分が見たのは驚きに満ちていた瞳。
ただそれだけで、彼が自分をミュウだと知ったか、そうでないかも分からないけれど。
(…気付かなかった筈がないんだ…)
皆が噂をしている通りの存在ならば。
たった一人でメギドを沈めた、あれだけの力の持ち主ならば。
彼は自分をミュウだと見抜いて、あの時、何を思ったろうか。
キースを救って逃げ出したミュウに、敵の船に乗っていたミュウに。
(ぼくの心を…)
読んだだろうか、ソルジャー・ブルーは。
自分自身でも気付かないほど、奥の奥まで読まれたろうか。
だとしたら、とても恐ろしいけれど。
怖くて震えが止まらないけれど、ソルジャー・ブルーが怖いけれども。
それと同時に、彼に訊きたい。
自分は裏切り者なのか。
それとも、ただの腰抜けなのか。
(…ぼくは、いったい…)
何なのだろうか、こうして此処にいるけれど。
ミュウを滅ぼす側にいるけれど、キースに仕えているのだけれど。
(…あの瞳…)
ソルジャー・ブルーは何を見たのか、自分の中に。
「可哀相に」と夢で自分を見詰めてくる時、赤い瞳の奥に見えるもの。
憐れみと同時に深い悲しみ、それから包み込むような思い。
「独りぼっちで可哀相に」と、「本当に後悔していないのか」と。
(…後悔だったら…)
何度でもした、ジルベスター・セブンが砕かれてから。
赤い瞳を夢に見る度、何度も何度も、自分を責めた。
裏切り者だと、「ぼくのせいだ」と。
仲間たちを殺す手伝いをしたと、きっと地獄に落ちるのだと。
けれど、同時に思うこと。
(…キースを助けたことだって…)
後悔などはしていない。
だから何度も夢にうなされ、こうして飛び起きる羽目になる。
自分でも答えが出せないから。
裏切り者なのか、そうでないのか、今も自分が分からないから。
あの赤い瞳、片方だけだった瞳の奥。
彼が自分に何を思ったか、それが分かればいいのにと思う。
蔑みだったか、憐れみだったか、裏切り者への強い憎しみか。
(…でも、どれも…)
違う、と心が訴えてくる。
自分が出会った瞳は違うと、夢のそれとは違っていたと。
ただ、驚いていただけだから。
「どうしてミュウが」と、彼は自分を見ていたから。
ソルジャー・ブルーは気付いていたのに、知っていたのに、黙って逝った。
「裏切り者」と責めもしないで、「逃げるな」と自分を止めもしないで。
キースの代わりに自分を救えと、命じることさえしようともせずに。
(…あの人は、ぼくに…)
何かを期待したのだろうか、と思う度にゾクリと冷えてゆく身体。
彼は自分に託したのかと、「其処にいるならミュウを頼む」と。
滅ぼす側にいるのだったら、何か手立てがあるだろうと。
滅びの道からミュウを救えと、そちら側から手を差し伸べろと。
ミュウを生かせと、ミュウの未来をと。
(……そんなこと、ぼくに……)
出来る筈がない、と思うけれども、赤い瞳に捕まったから。
夢の中まで追ってくるから、きっと一生、後悔の中で生きてゆくしかないのだろう。
(…ぼくには、ミュウをどうすることも…)
出来やしない、と零れる涙。
あの瞳でいくら見詰められても、どんな思いを託されても。
彼の思いには応えられない、ソルジャー・ブルーが、そのために自分を行かせたとしても。
キースを救って逃げる自分を見送っていても。
自分はただの腰抜けだから。
キースの後ろについてゆくだけの、臆病な裏切り者なのだから…。
夢の中の瞳・了
※マツカはブルーに会ってるんだな、と思ったばかりにこうなったオチ。
ブルーの側から書いたことならあったけれども、マツカから見たら怖いよね、ブルー…。
「…一つだけ教えて頂きたいことがあります」
キースの足元、紫に輝く巨大な瞳。グランド・マザーの。「なんだ」と応えた、その瞳。瞬きもせずに。だからキースは、そのまま続けた。
「SD体制の管理出産において、何故、ミュウ因子を取り除かなかったのです」
それがキースの積年の疑問。ミュウ因子を取り除きさえすれば、ミュウは生まれない筈だから。
「今になって何故、知りたい」
「今だから、です」
スウッと細められた紫の瞳。無視されるかと思ったけれど。
「…いいだろう」
そしてグランド・マザーが語り始めた真実。それは…。
「マザー・システムに、ミュウ因子を排除するプログラムは存在しない」
其処までは予想していた通り。生まれ続けるミュウの数を見れば、簡単に予測出来ること。
(やはりな…)
SD体制が始まる前から、ミュウ因子が特定されていたことも。
なんら驚くに値しない、と聴き続けたキース。やはり人類はミュウに敗れるか、と。
彼らは進化の必然だから。いずれ人類を駆逐してゆく新人種。全てにおいて優れたミュウ。特殊能力を持っていることも、とてつもない長寿であることも。
けれど…。
「お前は何か勘違いをしているようだ。…ミュウ因子について」
人間の身では無理もないが、と紫の瞳が湛えた光。
ミュウ因子はとうに、この宇宙に偏在しているものであると。
「馬鹿な…! 私は彼らを流入させぬようにと、厳重なサイオン検査などを…!」
「それが勘違いだと言っているのだ」
サイオンだけだと思っていたのか、とグランド・マザーは重々しく一つ瞬きをした。それはお前の勘違いだと、ミュウが持つ力はサイオンだけではないと。
「では、他に何が…!」
「彼らを見たのに分からないのか?」
特にあいつだ、と嘲るような声。タイプ・ブルー・オリジンと呼ばれたソルジャー・ブルー。
あれに会ったのに分からないかと、お前でも無理かと。
ソルジャー・ブルー。…ジルベスター星系で対峙した伝説のミュウ。
三百年以上も生きて来た彼に、メギドを沈められてしまった。その屈辱は今も忘れてはいない。あの忌々しいミュウにこの上、何があるのか、と訝しんだら。
「…若かっただろう? 奴は」
今のお前よりも、よほど若い姿だった筈だが、と尋ねられて思わず手をやった顔。
あれから随分、時が流れた。年相応に刻まれた皺が、目元に、それに口元に。特に目立つのが、顎の下の皺。私も老けた、と思わざるを得ない。
けれども、それが何だと言うのか。
「奴は化け物です。あの姿のままで生きていたなど、まさに化け物の証拠」
「そうだ。…ミュウは老けてゆくのが遅い。それもまた、ミュウの特徴の一つ。だが…」
気付かないか、と紫の瞳がまた瞬いた。
お前の周りの人間はどうだと、彼らもお前と同じように老けているのか、と。
(私の周り…?)
マツカは最後まで老けなかった。ソレイドで出会った時と変わりないまま、懸命に自分に仕え続けて、先日、死んだ。ミュウだったのだから当然のこと。老けなくても。しかし…。
(…待てよ?)
ジルベスター以来の自分の部下たち。スタージョン中尉や、パスカルなど。彼らも少しも老けていなくて、マツカと同じに若々しいまま。だからマツカも全く変だと思われなかった。
(だが、彼らは…)
自分よりも若いし、老けるような年でもないのだろう、と考えた所で思い浮かんだ年上の男。
(グレイブ…!)
旗艦ゼウスの艦長を務める男は、ステーションでの先輩だった。彼の副官、パイパー少尉も自分よりかは年上の筈。その二人だって、ジルベスターで会った時から…。
(…老けていないぞ…!)
グレイブの顎の皺なら、若干深くなったかもしれない。とはいえ、よくよく見ないと気付かない程度。それも激務が続いて疲れ気味の日だけで、普段なら…。
(前と全く変わらない顔…)
年月が顔に刻まれていない、と今頃になって思い至った。副官の方は女性なのだし、美容整形の手術を受けたということだって、と顎に手を当ててみたけれど。
(女性といえば…)
自由アルテメシア放送を始めたスウェナ・ダールトン。彼女もジルベスターの頃から変わらないままで、美容整形などはしていない筈。そんなタイプとも思えないから。
まさか、とゴクリと飲み込んだ唾。…ミュウであるマツカを誰も変だと思わなかったほど、不思議に老けない周りの者たち。自分一人だけが目元に皺で、最近は顎にもクッキリ出ている皺。
(…老けたのは、私だけなのか?)
激務の日々だし、そういうことも…、と思いたいけれど、グレイブ・マードック大佐の場合は、疲れた時だけ目立つ顎の皺。いつもはさほど分かりはしないし、まるで皺が無い時だって。
副官のミシェル・パイパー少尉は今も美女だし、同い年のスウェナもやはり衰えない容貌。
自分だけが老けているのだろうか、と無意識の内に両手で顔を触っていたら。
「気付いたか? 老けたのはお前だけなのだと」
やっと分かったか、と紫の瞳が見上げてくる。足の下から。
「…グランド・マザー…?」
これはどういうことなのです、と自分の顔を指差した。「何故、私だけが」と。
「まだ分からないか? …ミュウ因子についての話だろうが」
彼らは老けない。タイプ・ブルー・オリジンが若い姿のままだったようにな。
それもミュウ因子の働きの内だ、と紫の瞳がギョロリと動いた。
サイオンだけがミュウの要素ではないと。老けないのもまた、ミュウの要素だと。
そして語られた、恐るべき事実。
SD体制が始まって以来、絶えず行われて来た管理出産のための交配システム。ミュウの因子はサイオン以外の形でも出たと、広範囲に広がっているのだと。
一番分かりやすい例が「老けにくい」こと。
長寿ではなくても、老けにくい人間は宇宙に広く存在する。今では殆どがそうだと言ってもいいほど、人類といえども長く若さを保ってゆくもの。…一定の年齢に達した後は。
「お前の周りの者が老けないのも、そのせいだ」
誰も老けてはいないだろうが。ミュウ因子の優れた側面の一つだ、これは。
しかし、お前は彼らとは違う。我々が無から作り上げた以上、ミュウの因子は排除せねばな。
人類を導く者は、純血種の人類でなくてはならない。ゆえに、その因子は合成されなかった。
だから、お前だけが老けてゆくのだ。…周りの者たちは老けなくてもな。
「…そんなことが…」
あるわけがない、と言いたいけれども、実際、老けない周りの者たち。マツカが浮かずに済んだくらいに、「老けない」という噂が立たなかったほどに。
それでは、これから先も自分一人が老いてゆくのか。周りの者たちよりも早く皺だらけの老人になって、髪もすっかり白くなるのか…。
「何か問題でもあるか? キース・アニアン」
名誉だろうが、とグランド・マザーの瞳が瞬く。純血種の人類はもはや少ないと、エリートともなれば皆無なのだと。その純血種として生まれたことを誇るがいいと、ミュウの処分は任せると。
(……私だけが……)
ミュウ因子を持っていなかったのか、とフラリと崩れそうになった足元。
サイオン検査の義務付けまでをも決めていたのに、ミュウの因子は排除不可能。そればかりか、とうに宇宙に散らばり、大抵の者が持っているらしいミュウ因子。サイオンの有無とは無関係に。
(やはり、我々はミュウに敗れるのか…)
それよりも前に、宇宙はとっくにミュウのものだったのか、と打ちのめされた気分。
ミュウ殲滅のために結集している一大艦隊、その乗員の殆どがミュウの因子を持った者。直属の部下も、旗艦ゼウスの艦長と彼の副官も。
ミュウ因子は排除不可能どころか、とっくに入り込んでいた。社会のありとあらゆる所に。
純血種ゆえに老けるのが早い自分を除けば、大部分の者たちが持つミュウ因子。
(なんということだ…)
戦わずして既に負けていたのか、と呻くしかない。ミュウ因子は優れた面を持つから、老化さえ防ぐものらしい。自分はこんなに老けたのに。…激務のせいだと思っていたのに。
(私は優れているどころか…)
時代遅れの古い人種か、と受けた衝撃はあまりに大きい。ミュウを焼き払って、この戦争に勝利したとしても、自分だけが老けてゆくらしい。時代遅れの存在だから。老けない因子を組み込まれないで生まれて来たから。
グランド・マザーは「行け」と命じたけれど。「お前は答えを得たのだろう?」と紫の瞳が見ていたけれども、その部屋から通路へ踏み出した途端によろめいた。
「閣下…!」
控えていたセルジュの腕を振り払う。彼もまた老けない一人だから。
「リーヴスラシルの発動まで、私の部屋には誰も近付けるな…!」
「はっ…。かしこまりました!」
忠実な部下の返事さえもが不快に聞こえる。此処にもミュウがと、ミュウの因子を持った人間が人類の顔をして立っているのかと。
壁に手をつき、よろめきながら戻った部屋。椅子に背を預けて、大きな溜息をついて。
「…コーヒーを頼む、マツカ」
そう言ってから、「いない」と気付いた。マツカは死んだ、と。見遣った先に、見たと思ったマツカの面影。聞こえたように思えた声。
「キース。…人間とミュウは、本当に相容れないのでしょうか?」
ハッと息を飲み、自分自身に言い聞かせる。人間は愚かな生き物だと。ミュウの因子が何であろうと、人類の中に深く食い込み、進化の過程を今も歩んでいるのだとしても…。
(…人の心を読む化け物どもは、決して存在すべきではない…)
私は人の理性が生み出した、最後の砦。現SD体制を守り抜かねばならない。
そのためには、ミュウの主張は断じて受け入れられないのだ。…マツカ。
奴らが老けないというのだったら、と固めた決意。
周りの者たちが若いままでも、グレイブが、セルジュたちが若さを保ったままでも。
(私だけでも、人類らしく老いてゆくしかないではないか…!)
これは私怨かもしれないがな、と顎に刻まれた皺を確かめ、伸ばした腕。机の方へと。
手をかざして呼び出したモニターの画面、若い姿の部下の名を呼ぶ。
「セルジュ!」
「はっ! 何か?」
「ミュウに交渉を受諾と連絡しろ。会見場所は地球」
今度こそミュウどもを滅ぼしてやる、と見据えたセルジュの顔。
「ミュウと交渉を持たれるのですか?」
「グレイブにオペレーション・リーヴスラシルの発動を伝えろ」
焼き払ってやろう、と決めた老けないミュウたち。化け物の存在を許すわけにはいかない。
(…私だけが一人で老いてゆくなど…!)
老いさらばえた姿を晒して生きてゆくしかないのも、彼らが出て来たせいだから。サイオンという突出しすぎた能力、それを彼らが使うせいだから。
(老けないだけにしておいてくれれば…)
いずれ平和にミュウの時代になっただろうに、と思うけれども、これが現実。
彼らがサイオンを持っているせいで、こうして自分が作り出された。周りの者たちは殆ど老けない世界で、一人醜く老いる者として。時代遅れの存在として。
(この目元の皺も、顎の皺が妙に目立ち始めたのも…)
奴らのせいだ、と拳を握るしかない。自分は老けない因子を持たずに生まれたから。そのように作り出されたのだから、これからも老ける。きっと醜く、たった一人で。
(化け物どもめ…!)
許し難い、とキースの感情がどす黒く渦を巻いてゆく。
ジルベスターから戻った頃には、アイドルスター並みの人気を誇った自分だったのに。画面に姿が映っただけでも黄色い悲鳴が上がっていたのに、今やすっかり老け顔だから。
部下たちもグレイブも、ジルベスターの頃から変わらないのに、自分一人が老けたから。
そしてこれからも老けてゆくから、そんな醜い運命を自分に寄越してくれたミュウどもは…。
(一人残らず、焼き払ってやる…!)
これが私の復讐なのだ、とキースが唇に浮かべた笑み。
自分一人が老けてゆく世界は、キツすぎるから。それでも耐えてゆくしかないから、ミュウたちに弁償して貰おう。
彼らの命で、この老け顔を。これからも増えてゆくだろう皺を、迫りくる老いを…。
老けない人類・了
※いや、本当にキース以外は老けてないよな、と気が付いたのが気の毒すぎるオチの始まり。
そりゃあ、キースがよろめきながら出て来るわけだよ、と。自分だけ老けていくなんて…。
「停船しろ。…シロエ…!」
どうか、と祈るような気持ちで口にしたけれど。
止まってくれ、と叫び出したいけれど。
(マザー・イライザ…)
撃ちなさい、と冷たく告げて来た声。
それに逆らえない自分が悔しい、どうして逆らえないのかと。
何故、とキースは唇を噛む。
もしも自分に、シロエの強さがあったなら。
マザー・イライザに、システムに逆らい続けた、彼の強さがあったなら、と。
けれど出来ない、どういうわけだか。
けして弱くはない筈なのに。
気弱でも、腰抜けでもない筈なのに。
「停船しろ」と願うより他に道の無い自分。
シロエの船がこのまま飛んでゆくなら、本当に撃つしかないのだから。
左手の親指で合わせた照準、シロエの船はロックオンされているのだから。
どうして自分がそれをするのか、そうするより他に術が無いのか。
自分でもまるで分からないけれど、メンバーズはそうあるべきなのだろうか。
マザー・イライザが「撃て」と言うなら、そのように。
自分の心が「否」と叫んでも、撃つのが自分の道なのだろうか。
(シロエ…!)
どうしようもないと分かっているから、願ってしまう。
止まってくれと、そうすればシロエの船を連行するだけだから、と。
けれども、速度を上げてゆく船。
前をゆく船は止まらないから、また左手で操作したレバー。
レーザー砲へとエネルギーを回す、此処まで来たら、後は撃つだけ。
シロエの船が止まらなければ。
真っ直ぐに飛んでゆくだけならば。
カチリ、と左手の親指が押し込んだボタン。
遥か彼方で弾けた閃光。
星雲のように光が弧を描いてゆく、シロエの船があった辺りに。
(…シロエ…)
もういないのだ、と心に生まれた空洞。
たった今、彼はいなくなった、と。
ついさっきまでは、自分の先を飛んでいたのに。
シロエの船が見えていたのに、もうレーダーにも映らない機影。
漆黒の宇宙で船を失くせば、潰えてしまう人間の命。
まして船ごと撃たれたのなら。
あの閃光の中にいたなら、シロエは消えてしまっただろう。
一瞬の内に、光に溶けて。
船の残骸は残ったとしても、シロエの痕跡は残りはしない。
レーザーの光に焼き尽くされて。
瞬時に蒸発してしまって。
もうこれ以上は見ていたくない、とステーションに船を向けようとしたら。
「確認なさい」とマザー・イライザからの通信。
本当にシロエの船を撃ったか、反逆者はこの世から消え失せたのか。
それを確認して戻るようにと、現場を飛んでくるようにと。
(……マザー・イライザ……)
あまりにも惨い、と思った命令。
確認せずとも、シロエは消えていったのに。
レーダーを見れば分かることなのに、どうして行かねばならないのか。
他の者でも出来そうな任務、もっと時間が経ってからでも。
Mの精神波攻撃の余波が、ステーションから消えた後にでも。
そう思うけれど、また逆らえない。
シロエのように「否」と言えない、臆病者ではない筈なのに。
強い精神を持っていなければ、メンバーズになれはしないのに。
(…ぼくは、どうして…)
こうなるのだろう、と機首を逆さに向けるしかない。
マザー・イライザが命じたから。
行くようにと命じられたのだから。
そうして船を進めた先。
光がすっかり消えた空間、ポツリ、ポツリと漂い始めた欠片たち。
さっきまでシロエを乗せていた船、それが砕けた後の残骸。
ぶつからないよう、間を縫って飛んでゆく内に、増えてゆくそれ。
(……この辺りなのか……)
多分、爆発の中心は。
シロエが宇宙に散った辺りは、彼の命が消えたろう場所は。
髪の一筋も、血の一滴も、残さないままに消え去ったシロエ。
船の残骸だけを残して、彼だけが高く飛び去ったように。
自由の翼を強く羽ばたかせ、彼方へと消えて行ったかのように。
(…本当に飛んで行ったなら…)
シロエが大切に持っていた本、ピーターパンというタイトルの本。
あの本に書かれた子供たちのように、宇宙を飛んで何処かへ去ったのなら、と。
そう思うけれど、それは有り得ないこと。
シロエは空を飛べはしなくて、宇宙などは飛んでゆけなくて。
今、自分の船が飛んでいる辺り、この辺りで消えて行ったのだろう。
マザー・イライザに逆らい続けて、システムに抗い続けた末に。
行き場を失くして消えて行った命、何の欠片も残しはせずに。
いなくなった、と溢れ出した涙。
追われていた所を匿ったほどに、話してみたいと思ったシロエ。
強すぎる意志を持っていたシロエ、違う出会いをしていたのなら…。
(……シロエ……)
友達になれていただろうか、と彼の死を心から悼んだけれど。
もっと時間をかけていたなら、友だったろうか、と涙したけれど。
(……ぼくが殺した……)
殺したんだ、とゾクリと冷えた左手の親指。
この親指が彼を殺した。
レーザー砲の発射ボタンを押し込んで。
シロエの船を撃って殺した、友達だったかもしれない彼を。
それに、何より…。
(……訓練じゃない……)
何度も繰り返し練習して来た、手順通りにやったのだけれど。
その先に人がいたことはなくて、いつも、いつだって遠隔操作の無人機ばかり。
自分は初めて人を殺した、それも何度も言葉を交わしていた人間を。
友になれたかもしれなかった人を、部屋に匿ったほどのシロエを。
(…マザー・イライザ…)
これだったのかと、やっと分かった命令の意味。
見届けて来いと言われた理由は、人を殺した自分を確認させるため。
メンバーズたる者、どうあるべきか。
どのように歩み続けるべきかを、その目で確かめてくるようにと。
(…ぼくが初めて殺した人間…)
それが友かもしれなかったなど、なんという皮肉なのだろう。
こうして涙が止まらないほど、その死を痛ましく思う人間。
生きて戻って欲しかったシロエ、彼をこの手で、自分が殺した。
「撃ちなさい」という命に従わなければ、シロエは何処かへ飛び去ったろうに。
あの船のエネルギーが尽きる場所まで、船の酸素が切れる時まで。
(…放っておいても、どうせシロエは…)
死ぬだろうことは、マザー・イライザも承知だった筈。
けれど自分に彼を追わせて、「撃ちなさい」と命じ、今はこうして…。
(…血にまみれた手を、見て来るがいいと…)
血の一滴さえも、シロエは残さず消えたけれども。
自分の手はもう、人を殺して血に染まった手。
友になれたかもしれなかったシロエ、彼を最初に殺してしまった。
人を殺すなら戦場だろうと、ずっと先だと思っていたのに。
いつか自分が殺す相手は、悪なのだろうと思ったのに。
(……そんなに甘くはないということか……)
メンバーズならば、友であっても撃てと、殺せというのだろうか。
それが自分の道なのだろうか、自分は逆らえなかったから。
シロエの船を撃ってしまったから。
忘れまい、と心に刻んだ己の罪。
人を殺したと、友になれたかもしれない者を、と。
きっと自分は罪人だから。
いつか、裁かれるだろうから。
システムがけして正義ではないと、思いながらも逆らえないこと。
それこそが自分の最大の罪。
(…ぼくは、シロエを…)
殺したんだ、と噛んだ唇。
自分で殺して、なのに涙を流し続けて、きっとこれからも逆らえない。
何故か、そういう人間だから。
臆病者でも、腰抜けでもないのに、逆らうことが出来ないから。
だから、いつの日か裁かれるだろう。
今の自分は、人殺しだから。
シロエの血で染まった左手の親指、それが罪人の証だから…。
罪人の証・了
※考えてみたら、「冷徹無比な破壊兵器」のキースが、最初に手にかけた人間はシロエ。
撃墜した後、涙したキース。本来のキースは、冷徹無比より、そっちの方だと思ってます。
