(…子供時代の記憶か…)
私には何もありはしないのだ、とキースは深い溜息をつく。
首都惑星ノアの国家騎士団総司令の部屋で、夜が更けた後に。
マツカが淹れていったコーヒー、それが机の上で微かな湯気を立てている。
(…コーヒーにしても、サムが見たなら…)
目を輝かせて、「おじちゃん、コーヒー、大好きなの?」と訊くのだろうか。
「ぼくの父さんも、よく飲んでるよ」だとか、「ママも飲むんだ」などと嬉しそうに。
(サムから直接、聞いたことは一度も無いのだが…)
そもそも、サムの見舞いに行った時には、コーヒーを飲む機会は無い。
サムと会うのは食堂ではなく、病室だったり、外の庭だったりすることが多い。
病院の中の休憩スペース、其処で会うこともあるのだけれども、見舞客には飲み物は出ない。
あくまで患者のための施設で、来客用ではない場所だから。
(だから私も、サムの前では…)
コーヒーを飲んだことなどは無くて、サムの主治医と会う時に運ばれて来るだけだった。
係の者がトレイに載せて持って来るそれは、マツカのコーヒーには敵わない。
とはいえ、サムが目にしていたなら、コーヒーについての思い出話が聞けそうではある。
サムにとっては思い出ではなく、「今、生きている世界」の話なのだけれども。
(…カップ一杯のコーヒーだけでも、サムならば、きっと…)
豊かな記憶を持ち合わせていて、あれこれ語ってくれるのだろう。
コーヒーが入ったカップを倒して叱られたとか、カップを落として割ったとか。
あるいは「飲んでみたけど、苦いよね」と、子供時代のサムの味覚のままで顔を顰めるとか。
(Eー1077では、サムもコーヒーが好きで頼んでいたが…)
子供時代も好きだったとは限らないことは、キース自身も知っている。
機械が与えた膨大な知識、その中には「子供時代」に関するデータも充分、含まれていた。
子供と大人では味覚が異なるとか、成長するにつれて好みが変わってゆくとか、様々なことが。
(…しかし私は、「知っている」だけで…)
本物の「それ」を全く知りはしない、とフロア001で見た光景が頭の中に蘇って来る。
「キース・アニアン」は、其処で育った。
強化ガラスの水槽の中に浮かんで、外の世界には、ただの一度も触れてはいない。
機械が無から作った生命、養父母さえもいなかった。
そうすることが「キース」を育て上げるためには、最良だと機械が決めたから。
養父母も教師も、幼馴染も、優秀な人材を育てる上では、不要なものだと切り捨てて。
(だから、私は…)
全てを機械から学んで育って、子供時代を持ってはいない。
「子供時代」と呼ばれる時代は、人工羊水の中に漂うだけで、何一つ、経験しなかったから。
それが果たして正しかったか、どうなのか。
外の世界に触れることなく、知識だけを得て育った生命、「それ」は本当に優れた者なのか。
(…マザー・イライザも、グランド・マザーも…)
そうだと信じているのだけれども、沸々と疑問が湧き上がって来る。
「私は本当に、正しい判断が出来るのか?」と。
いずれ人類の指導者として立つべき人材、そのように作られ、生まれて来た。
正確に言えば「作られ、外の世界に出された」。
フロア001を目にして、自分自身の生まれを知るまで、キース自身も信じていた。
自分は誰よりも優れていると、疑いもせずに思い込んでいた。
「機械の申し子」と異名を取るほど、優秀な頭脳と能力を持った「人間」だと。
(…だが、本当の私自身は…)
真の意味では「人間」と言えず、シロエが揶揄した言葉通りに「人形」でしかない。
機械が作って、機械が育てた「まがいもの」の人間。
(その上、子供時代の記憶が全く無くて…)
経験さえもしていないのだ、とサムに会う度、痛烈に思い知らされる。
サムが懐かしそうに語る「故郷」は、キースには無い。
水槽の中しか知らずに育って、景色も人も見てはいないし、故郷の星の空気も知らない。
サムが今でも会いたい両親、それもキースには、いはしなかった。
育ての親は機械だったし、全てを機械から学んで育って、誰一人、目にすることもなかった。
(…こんな私に、ヒトのことなど…)
正しく理解出来るのか、と自問自答し、「否」と自分で答えたくなる。
どう考えても、それは「無理だろう」としか思えない。
「キース」には「ヒトの想い」は分からず、推測でしか推し量れない。
機械が与えた知識に基づき、「こういう場合は、この人間の心の中は…」と答えを弾き出す。
恐らく「キース」は、そうした「精巧な人形」なのだろう。
お蔭で誰にも怪しまれずに、此処までは巧くやって来た。
これから先も「そうあるべきだ」と、機械は考えているに違いない。
自分たちが与えた知識を正しく使って、人類を導いてゆくのが「キース」の使命なのだ、と。
(グランド・マザーは、そう信じていて…)
マザー・イライザも、最後まで「そのつもり」だったろう。
自分が作った「キース」は道を誤らない、と。
誰よりも正しく真実を見極め、人類の指導者として立派に歩んでゆくものだと。
(…なのに、私は…)
とうの昔に、道を外れつつあるのでは…、とキース自身も自覚している。
子供時代の記憶を持たないことが「正しいかどうか」自問するのが、既におかしい。
本当に機械に忠実ならば、そんな疑問は持たないだろう。
過去の記憶が全く無くても、それを不思議に思いもしない。
(ついでに言うなら、自分の生まれを目にしたところで…)
そういうものか、と思う程度で、驚きさえもしない気がする。
「私は此処で育ったのか」と納得するだけ、「知識が一つ増える」だけで。
(…マザー・イライザも、グランド・マザーも…)
実際の「キース」が「どう思ったか」は、気にしていないに違いない。
現に探りを入れられもせずに、「前と変わりなく」生きている。
フロア001を見た後、グランド・マザーに「呼ばれてはいない」。
何度も「会ってはいる」のだけれども、それは報告や任務のための機会に過ぎない。
(マザー・イライザのコールのように…)
心を探られることなどは無くて、「キース」の心や記憶を弄られてはいない。
ならば、機械は「疑ってさえもいない」のだろう。
キースが「与えられた」道を外れて、外へ踏み出しつつあることを。
踏み外した先で「ミュウのマツカ」を救って、側近として側に置いていることも。
(…私がマツカを救ったのは…)
シロエの面影を見たからだけれど、シロエも「過去」にこだわっていた。
サムと違って、シロエの場合は「忘れさせられた」過去だったけれど、中身は似ている。
シロエは故郷を、両親のことを忘れ難くて、機械に抗い、宇宙に散った。
最後までピーターパンの本を抱き締め、自由を求めて飛び立って行って。
(…シロエは最後に、両親を思い出せたのだろうか…?)
サムのように心が壊れていたなら、きっとシロエも「会えた」のだろう。
飛んで行った先には、「いる筈もない」両親に。
遠い日にシロエを育てた養父母、懐かしい父と母とに出会って、幸せの中で逝ったと思う。
傍目には不幸な最期のように見えても、シロエにとっては最高のハッピーエンド。
「パパ、ママ、ぼくだよ!」と、両手を広げて。
「会いたかったよ、帰って来たよ!」と、懸命に駆けて、両親と固く抱き合って。
(…きっとそうだな…)
会えたのだろう、と心の何処かに確信に満ちた思いがある。
シロエは幸せの中で旅立ち、両親の許へ帰ったのだ、と。
サムが「今でも」両親がいる世界で生きているように、シロエも同じ世界へと飛んで。
見舞いで病院を訪れた時に、サムがよく言う「ママのオムレツ」。
サムの母が作るオムレツ、それは美味しいものらしい。
シロエの母はどうだったろうか、やはりオムレツが得意だったのだろうか。
(それとも、他に得意料理があって…)
飛び去ったシロエは、母が作る「それ」を再び口にし、「美味しい!」と喜んだだろうか。
「また、これが食べたかったんだ」と。
「やっぱりママのが最高だよね」と、「ステーションのとは大違いだよ」などと。
(ヒトの想いは、きっとそういうものなのだろうな…)
私には「それ」が全く無いが、と悔しく、虚しく、寂しくもある。
この感情も、機械が与えた知識の中には「無かった」だろう。
過去の記憶を持たないことを、「寂しい」と思う感情など。
ましてや「悔しい」、「虚しい」だとかは、多分、「あってはならない」感情。
知識として持ち、駆使することは必要だけれど、こういう場面で用いることは許されない。
「自分の生まれ」に、疑問や不満を持つことなどは。
子供時代を持たない「自分」を、欠陥品のように考えることも。
(…そうだな、私は、とうの昔に…)
道を外れてしまっているな、と自嘲めいた笑みが浮かんで来る。
今の「キース」は「余計な感情」だらけで、その感情を懸命に隠しているのだけれど…。
(…マツカを側に置いているのも、シロエの面影を見ている他に…)
「ヒトの想い」に触れるためかもしれないな、と可笑しくなる。
実際の「キース」は、当のマツカに接する時には、人間扱いしていないのに。
「化け物」と呼び、道具のように使うばかりで、話すことさえしないのに。
(…それでもマツカは、ただ懸命に…)
側に仕えて、一途に「キース」を守り続けるから、その「想い」が心地よいのだろう。
「キース」を人間扱いしていて、同じ「ヒト」として慕い、接してくれるから。
(…私自身は、機械が作った人形なのにな…)
過去も持たない人形なのだ、と思うけれども、その「過去」を学びつつあるのだと思う。
もういなくなった「シロエ」から。
会いに行く度、昔語りを熱心に聞かせてくれるサムから。
(…そしてマツカも、直接、語りはしなくても…)
どういう風に育って来たのか、何故、あそこまで健気なのか、と気に掛かる「過去」。
あえて調べるつもりなど無いし、知ろうと思いもしないけれども、マツカにも子供時代はある。
それがどういうものだったのかと、たまに気になることもあるから、彼からも「学ぶ」。
こうして「学んで」、「ヒトの想い」を知ったキースは、いつの日か、飛んでゆくのだろうか。
シロエが飛び去って行った彼方へ、自由という名の翼を広げて。
行きつく先は死であろうとも、きっと後悔などはしないで…。
過去が無くても・了
※キースには過去の記憶が無いどころか、子供時代そのものを経験していないわけですが。
そんなキースは、人類の指導者として相応しいのか、と思った所から生まれたお話。
私には何もありはしないのだ、とキースは深い溜息をつく。
首都惑星ノアの国家騎士団総司令の部屋で、夜が更けた後に。
マツカが淹れていったコーヒー、それが机の上で微かな湯気を立てている。
(…コーヒーにしても、サムが見たなら…)
目を輝かせて、「おじちゃん、コーヒー、大好きなの?」と訊くのだろうか。
「ぼくの父さんも、よく飲んでるよ」だとか、「ママも飲むんだ」などと嬉しそうに。
(サムから直接、聞いたことは一度も無いのだが…)
そもそも、サムの見舞いに行った時には、コーヒーを飲む機会は無い。
サムと会うのは食堂ではなく、病室だったり、外の庭だったりすることが多い。
病院の中の休憩スペース、其処で会うこともあるのだけれども、見舞客には飲み物は出ない。
あくまで患者のための施設で、来客用ではない場所だから。
(だから私も、サムの前では…)
コーヒーを飲んだことなどは無くて、サムの主治医と会う時に運ばれて来るだけだった。
係の者がトレイに載せて持って来るそれは、マツカのコーヒーには敵わない。
とはいえ、サムが目にしていたなら、コーヒーについての思い出話が聞けそうではある。
サムにとっては思い出ではなく、「今、生きている世界」の話なのだけれども。
(…カップ一杯のコーヒーだけでも、サムならば、きっと…)
豊かな記憶を持ち合わせていて、あれこれ語ってくれるのだろう。
コーヒーが入ったカップを倒して叱られたとか、カップを落として割ったとか。
あるいは「飲んでみたけど、苦いよね」と、子供時代のサムの味覚のままで顔を顰めるとか。
(Eー1077では、サムもコーヒーが好きで頼んでいたが…)
子供時代も好きだったとは限らないことは、キース自身も知っている。
機械が与えた膨大な知識、その中には「子供時代」に関するデータも充分、含まれていた。
子供と大人では味覚が異なるとか、成長するにつれて好みが変わってゆくとか、様々なことが。
(…しかし私は、「知っている」だけで…)
本物の「それ」を全く知りはしない、とフロア001で見た光景が頭の中に蘇って来る。
「キース・アニアン」は、其処で育った。
強化ガラスの水槽の中に浮かんで、外の世界には、ただの一度も触れてはいない。
機械が無から作った生命、養父母さえもいなかった。
そうすることが「キース」を育て上げるためには、最良だと機械が決めたから。
養父母も教師も、幼馴染も、優秀な人材を育てる上では、不要なものだと切り捨てて。
(だから、私は…)
全てを機械から学んで育って、子供時代を持ってはいない。
「子供時代」と呼ばれる時代は、人工羊水の中に漂うだけで、何一つ、経験しなかったから。
それが果たして正しかったか、どうなのか。
外の世界に触れることなく、知識だけを得て育った生命、「それ」は本当に優れた者なのか。
(…マザー・イライザも、グランド・マザーも…)
そうだと信じているのだけれども、沸々と疑問が湧き上がって来る。
「私は本当に、正しい判断が出来るのか?」と。
いずれ人類の指導者として立つべき人材、そのように作られ、生まれて来た。
正確に言えば「作られ、外の世界に出された」。
フロア001を目にして、自分自身の生まれを知るまで、キース自身も信じていた。
自分は誰よりも優れていると、疑いもせずに思い込んでいた。
「機械の申し子」と異名を取るほど、優秀な頭脳と能力を持った「人間」だと。
(…だが、本当の私自身は…)
真の意味では「人間」と言えず、シロエが揶揄した言葉通りに「人形」でしかない。
機械が作って、機械が育てた「まがいもの」の人間。
(その上、子供時代の記憶が全く無くて…)
経験さえもしていないのだ、とサムに会う度、痛烈に思い知らされる。
サムが懐かしそうに語る「故郷」は、キースには無い。
水槽の中しか知らずに育って、景色も人も見てはいないし、故郷の星の空気も知らない。
サムが今でも会いたい両親、それもキースには、いはしなかった。
育ての親は機械だったし、全てを機械から学んで育って、誰一人、目にすることもなかった。
(…こんな私に、ヒトのことなど…)
正しく理解出来るのか、と自問自答し、「否」と自分で答えたくなる。
どう考えても、それは「無理だろう」としか思えない。
「キース」には「ヒトの想い」は分からず、推測でしか推し量れない。
機械が与えた知識に基づき、「こういう場合は、この人間の心の中は…」と答えを弾き出す。
恐らく「キース」は、そうした「精巧な人形」なのだろう。
お蔭で誰にも怪しまれずに、此処までは巧くやって来た。
これから先も「そうあるべきだ」と、機械は考えているに違いない。
自分たちが与えた知識を正しく使って、人類を導いてゆくのが「キース」の使命なのだ、と。
(グランド・マザーは、そう信じていて…)
マザー・イライザも、最後まで「そのつもり」だったろう。
自分が作った「キース」は道を誤らない、と。
誰よりも正しく真実を見極め、人類の指導者として立派に歩んでゆくものだと。
(…なのに、私は…)
とうの昔に、道を外れつつあるのでは…、とキース自身も自覚している。
子供時代の記憶を持たないことが「正しいかどうか」自問するのが、既におかしい。
本当に機械に忠実ならば、そんな疑問は持たないだろう。
過去の記憶が全く無くても、それを不思議に思いもしない。
(ついでに言うなら、自分の生まれを目にしたところで…)
そういうものか、と思う程度で、驚きさえもしない気がする。
「私は此処で育ったのか」と納得するだけ、「知識が一つ増える」だけで。
(…マザー・イライザも、グランド・マザーも…)
実際の「キース」が「どう思ったか」は、気にしていないに違いない。
現に探りを入れられもせずに、「前と変わりなく」生きている。
フロア001を見た後、グランド・マザーに「呼ばれてはいない」。
何度も「会ってはいる」のだけれども、それは報告や任務のための機会に過ぎない。
(マザー・イライザのコールのように…)
心を探られることなどは無くて、「キース」の心や記憶を弄られてはいない。
ならば、機械は「疑ってさえもいない」のだろう。
キースが「与えられた」道を外れて、外へ踏み出しつつあることを。
踏み外した先で「ミュウのマツカ」を救って、側近として側に置いていることも。
(…私がマツカを救ったのは…)
シロエの面影を見たからだけれど、シロエも「過去」にこだわっていた。
サムと違って、シロエの場合は「忘れさせられた」過去だったけれど、中身は似ている。
シロエは故郷を、両親のことを忘れ難くて、機械に抗い、宇宙に散った。
最後までピーターパンの本を抱き締め、自由を求めて飛び立って行って。
(…シロエは最後に、両親を思い出せたのだろうか…?)
サムのように心が壊れていたなら、きっとシロエも「会えた」のだろう。
飛んで行った先には、「いる筈もない」両親に。
遠い日にシロエを育てた養父母、懐かしい父と母とに出会って、幸せの中で逝ったと思う。
傍目には不幸な最期のように見えても、シロエにとっては最高のハッピーエンド。
「パパ、ママ、ぼくだよ!」と、両手を広げて。
「会いたかったよ、帰って来たよ!」と、懸命に駆けて、両親と固く抱き合って。
(…きっとそうだな…)
会えたのだろう、と心の何処かに確信に満ちた思いがある。
シロエは幸せの中で旅立ち、両親の許へ帰ったのだ、と。
サムが「今でも」両親がいる世界で生きているように、シロエも同じ世界へと飛んで。
見舞いで病院を訪れた時に、サムがよく言う「ママのオムレツ」。
サムの母が作るオムレツ、それは美味しいものらしい。
シロエの母はどうだったろうか、やはりオムレツが得意だったのだろうか。
(それとも、他に得意料理があって…)
飛び去ったシロエは、母が作る「それ」を再び口にし、「美味しい!」と喜んだだろうか。
「また、これが食べたかったんだ」と。
「やっぱりママのが最高だよね」と、「ステーションのとは大違いだよ」などと。
(ヒトの想いは、きっとそういうものなのだろうな…)
私には「それ」が全く無いが、と悔しく、虚しく、寂しくもある。
この感情も、機械が与えた知識の中には「無かった」だろう。
過去の記憶を持たないことを、「寂しい」と思う感情など。
ましてや「悔しい」、「虚しい」だとかは、多分、「あってはならない」感情。
知識として持ち、駆使することは必要だけれど、こういう場面で用いることは許されない。
「自分の生まれ」に、疑問や不満を持つことなどは。
子供時代を持たない「自分」を、欠陥品のように考えることも。
(…そうだな、私は、とうの昔に…)
道を外れてしまっているな、と自嘲めいた笑みが浮かんで来る。
今の「キース」は「余計な感情」だらけで、その感情を懸命に隠しているのだけれど…。
(…マツカを側に置いているのも、シロエの面影を見ている他に…)
「ヒトの想い」に触れるためかもしれないな、と可笑しくなる。
実際の「キース」は、当のマツカに接する時には、人間扱いしていないのに。
「化け物」と呼び、道具のように使うばかりで、話すことさえしないのに。
(…それでもマツカは、ただ懸命に…)
側に仕えて、一途に「キース」を守り続けるから、その「想い」が心地よいのだろう。
「キース」を人間扱いしていて、同じ「ヒト」として慕い、接してくれるから。
(…私自身は、機械が作った人形なのにな…)
過去も持たない人形なのだ、と思うけれども、その「過去」を学びつつあるのだと思う。
もういなくなった「シロエ」から。
会いに行く度、昔語りを熱心に聞かせてくれるサムから。
(…そしてマツカも、直接、語りはしなくても…)
どういう風に育って来たのか、何故、あそこまで健気なのか、と気に掛かる「過去」。
あえて調べるつもりなど無いし、知ろうと思いもしないけれども、マツカにも子供時代はある。
それがどういうものだったのかと、たまに気になることもあるから、彼からも「学ぶ」。
こうして「学んで」、「ヒトの想い」を知ったキースは、いつの日か、飛んでゆくのだろうか。
シロエが飛び去って行った彼方へ、自由という名の翼を広げて。
行きつく先は死であろうとも、きっと後悔などはしないで…。
過去が無くても・了
※キースには過去の記憶が無いどころか、子供時代そのものを経験していないわけですが。
そんなキースは、人類の指導者として相応しいのか、と思った所から生まれたお話。
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あの日から、もう十七年も経ったようだね、この世界では。
そう、十七年前の今日、ぼくが逝ったと、君たちは記憶している筈だ。
ぼくが暮らしていた世界でも、あれから長い歳月が過ぎて、今では地球も、すっかり青い。
けれども、そうなるよりも前の時代も、十七年と言えば長かったろう。
ミュウと人類の間の壁が消えて無くなり、何もかもが急激に変化したから、尚更だ。
それに、ナスカの悲劇の後には、ジョミーたちまでが、地球で命を落とした。
燃え上がる地球から去ったシャングリラに、ぼくを昔から知る者は、どれだけ残っていただろう。
その時点でさえ、そうなのだから、十七年が経った船だと、どうだったのか…。
ぼくを直接、知らない仲間が、あの懐かしい白い船にも、多かったかもしれないね。
「ソルジャー・ブルー」がいなくなってから、生まれた子たちが何人も増えて。
でも、その方が、ぼくは嬉しい。
いつまでも、ぼくの思い出に縛られるよりも、「今」を見詰めていて欲しいから。
君たちにしても、この瞬間まで、ぼくを忘れていた人が多いと思う。
十七年前の七月の末に、テレビ画面の向こうに何を見たのか、そのことさえも。
今日の日付も、言われて初めて「そういえば…」と気付くくらいに、遠い記憶になったろう。
十七年が流れる間に、新しい「何か」の記念日が出来て、置き換わった人もいるのだろうね。
あの日、小学生だった子供たちでも、立派な大人だ。
七月二十八日という日が、結婚記念日になったりもすれば、子供が生まれた日になりもする。
今日が、そういう「嬉しい記念日」に変わっているなら、ぼくの、心からの祝福を。
逆に「悲しい日になってしまった」人がいたなら、その悲しみに寄り添おう。
今日という日を忘れたままで、何処かで暮らしている人たちにも、ぼくは感謝の言葉を贈る。
「あの日、ぼくの最期を見届けてくれて、ありがとう」と。
シャングリラの仲間たちの中の誰一人として、居合わせた者はいなかったからね。
十七年の月日は、とても長くて、ぼくを忘れるのも不思議ではないし、むしろ当然とも言える。
君たちは、ぼくと同じ世界に住んではいなくて、今だって、そうだ。
だから「忘れてた…!」と慌てるよりかは、「そうか、今日だったんだっけ…」の方がいい。
今、ほんの少しだけ、あの日に戻って、じきに忘れてしまう方がね。
君たちにも、ミュウの仲間と同じで、「今」という時を生きて欲しいし、それを望むよ。
見ている画面を閉じた途端に、ぼくのことなど、もう二度と思い出さなくても。
けれど、今でも忘れていない人がいるなら、「忘れて欲しい」と言ったりはしない。
思い出を詰めた箱の中身は、それこそ人の数だけあるんだ。
何を入れるか、いつ取り出して眺めるのかは、誰に強いられるものでもない。
「ソルジャー・ブルー」を、思い出の箱に仕舞っておきたいのならば、止めはしないよ。
ただ、一つだけ、注文をしてもいいなら、箱に仕舞うのは「ただのブルー」にしてくれないかな。
「ただのブルー」なら、いつも、何処ででも、取り出して、そこに置けるから。
居酒屋で「ブルー」を思い出しても、違和感など、ありはしないしね。
青い地球の上で、ぼくを連れ歩いて貰えるのならば、嬉しいし、きっと楽しいだろう。
ぼくは何処へでも、お供するから、思い出の箱の中には、「ただのブルー」を。
「ソルジャー・ブルー」を入れる代わりに、「ただのブルー」にしてくれたまえ。
衣装ばかりは、仕方ないけれど。
「着替えたいから、服も頼めないかな」なんて、そこまで我儘を言えはしないし、今のでいい。
「ただのブルー」になれるのならば、もうそれだけで、充分だ。
大袈裟な「ソルジャー」のままでいるより、居酒屋にも入れる「ぼく」でいられればね…。
青い星の君へ・了
※ブルー追悼、17年目も書きました。もう追悼でもないだろう、と「ただのブルー」です。
自分でも呆れるほどの歳月、アニテラで走っているわけですけど、もう明らかに少数派。
今年はテイスト変えてみました、「居酒屋に入るブルー」は、見てみたいかも…。
(……友達ね……)
あのキースには似合わないけどさ、とシロエは蔑むような笑みを浮かべた。
今日も何度も目にした「友達」、キースの隣に、後ろに何度も見掛けたサム。
まるで全く似合わないのに、サムはキースの「友達」らしい。
皆がコソコソ言っている通り、確かに一番近くにいる。
(…キースの役には、立つわけがないと思うけど…)
自室でクスクス笑うシロエは、サムが以前にキースを救ったことを知らない。
シロエでなくても、Eー1077で「それ」を知る者は、多くはない。
スウェナを乗せて来た宇宙船の事故は、曖昧にされてしまっていた。
マザー・イライザが記憶を処理して、大したことではなかったように思われている。
だからシロエが「知らない」ことは、至極当然と言えるだろう。
当時の在籍者の間でさえも、「そういえば、そういう事故があったかな」という程度。
キースが救助に向かった事実も、その時、サムが一緒だったことも、人の口に上ることは無い。
サムがいなければ、キースの命が無かったことなど、誰も知らない。
マザー・イライザは、広く知らせるつもりは全く無いのだから。
(どうしてキースは、サムなんかと…)
仲良くしていて、友達だなんて言うんだろうか、と考えてみても、よく分からない。
自分だったら、もっと有能な友達を持つと思うけれども、何故、キースは…。
(あんな冴えないサムを選んで、友達になって…)
いつも一緒にいるんだろうか、と不思議だとはいえ、二人は確かに仲がいい。
孤立している「シロエ」と違って、食事の時にも、大抵は…。
(サムが先に来て席を取っているか、キースが座っているトコへ…)
後からサムが「よう!」とか、「やっと終わったぜ」などと口にしながらやって来る。
自分の食事や飲み物を載せたトレイを手にして、キースと同じテーブルに着いて…。
(食べ始めることが多いんだよね…)
他の者たちは、キースの側には近付かないのに、サムだけは違う。
かつては、其処にスウェナもいた。
(…スウェナにしたって、キースには…)
似合わなかったと思うけどな、と首を捻りながら顎に手を当てた。
スウェナはエリート候補生の道を放棄し、結婚を選んでステーションを去った落第生。
「落第生」とは呼ばれないけれど、シロエや他の候補生から冷静に見れば、そうなるだろう。
Eー1077に入った以上は、それに相応しい道を歩んでこそなのだから。
なんとも以外で、似合わない「キース」の友人たち。
「マザー・イライザの申し子」と異名を取るくらいならば、もっと優れた者を選んで…。
(付き合うべきだし、それでこそ得られるものも多くて…)
エリートになる近道だろうと思うけどな、と解せないとはいえ、キースのことは笑えない。
むしろ「キースの方が、まだマシ」な面もあるかもしれない。
なんと言っても「シロエ」の場合は、「友達」などは一人もいなくて、食事の時も…。
(いつも一人で、講義を受ける時だって…)
隣に座る者などいないし、キースと同じに「避けられている」。
キースは「優秀過ぎて、近寄り難い」という理由で避けられ、シロエの方は忌まれていた。
SD体制に批判的だから、迂闊に「シロエ」に近付いたならば、何が起きるか分からない。
マザー・イライザの不興を買ってコールされるとか、教授に呼ばれて叱られるとか。
(…理由は全く違うんだけど…)
ぼくの側にも、誰も近寄っては来ないよね、と改めて思う。
別に不自由をしてはいないし、寂しさも感じはしないけれども、こと「友達」に関しては…。
(…キース以下ってことになるのかな?)
友達が一人もいないんじゃあ…、と自嘲めいた笑いを漏らした所で、ハタと気付いた。
此処に「友達」を持っていないのは、同郷の者が一人もいないせいもある。
エネルゲイアは技術者を育てる育英都市で、普通は、そのための教育ステーションに行く。
シロエは例外的に選ばれ、Eー1077に進んだのだし、仲間がいなくても仕方ない。
とはいえ、他の者の場合は、サムとスウェナが「そう」だったように…。
(此処へ来てから、同じ育英都市で育った人と出会って…)
幼馴染同士の再会というのも、さして珍しくはないようだ。
きっとキースも、同郷の者はいるのだろうに、わざわざサムを選んだらしい。
それはそうだろう、あんなに「付き合いにくそうな」キースに、昔からの友達などは…。
(いるわけがないし、此処でキースを見掛けた誰かも、知らないふりして…)
他の誰かと友達になって、「キース」は放っておいたのだろう。
代わりにサムとスウェナが出て来て、友達の地位に収まった。
何処が「キース」に気に入られたのか、彼らの方でも、「キース」の何処に惹かれたか…。
(分からないけど、とにかく、友達ではあって…)
ぼくよりはマシな境遇だよね、と忌々しい気分になって来る。
もっとも、此処で友達が欲しいだなんて思いはしないし、エネルゲイアでもそうだった。
友達と一緒に遊んでいるより、家に帰って勉強したり、本を読んだりしたかった。
なにしろ故郷の同級生は、優秀ではなかった者ばかり。
「こんな奴らと付き合って、何処が楽しいわけ?」と思っていたから、切り捨てた。
「友達なんて、ぼくは要らない」と、「つまらないよね」と、皆を見下して。
両親と暮らす家の方がいい、と子供心にキッパリと決めて。
(だから友達は、一人もいなくて…)
今も一人もいないんだけど、と、その選択を後悔したことは一度も無い。
けれど、本当に「そう」なのだろうか。
「友達を一人も作らなかった」のは、正しかったと言えるだろうか。
(…もしも、友達を作っていたら…)
とても仲のいい友達がいたら、その友達のことを、けして忘れはしなかったろう。
どんな顔立ちで、何をして過ごして、どういう具合に「仲が良かったのか」という記憶を…。
(……消してしまったら、何処かで再会出来やしないし……)
機械は、それは消さないよね、と断言出来る。
消さないからこそ、Eー1077でも、同郷の友と再会する者が多くて、また友達になる。
どちらかが先に「懐かしいな!」と声を掛けたり、呼び止めたりして出会うのか。
あるいは同時に「あっ!」と気付いて、駆け寄ったりもするのだろうか。
「此処にいたのか」と、「また会えたな」と、笑い合い、手を握り合って。
(…そうなるためには、記憶が欠けていたりしたんじゃ、まるで話にならなくて…)
お互い、同じ思い出を、記憶を持っていてこそ、話も弾むし、友達として付き合ってゆける。
互いの記憶が食い違っていたら、多分、喧嘩にしかならないだろう。
「そうじゃないだろ」と、「お前、覚えていないのか?」と大喧嘩の末に、縁までが切れる。
機械は、それを望みはしない、と容易に分かることだから…。
(…友達の記憶は、弄りはしなくて…)
消してしまいもしないんだ、と考えるほどに、怖ろしい思いが湧き上がって来る。
「もしかして、ぼくは、間違えた…?」という、身も凍りそうになる疑問が。
友達を作らずに過ごしていたのは、間違いだったのではないだろうか、と。
(…ぼくにも仲のいい友達がいて、家に呼んだりしていたら…)
故郷の家が何処にあったか、今よりも「覚えている」かもしれない。
学校の授業が終わった放課後、友達を誘って、一緒に家まで帰っていたら…。
(途中でどんな話をしたのか、何があったか、忘れちゃったら…)
成人検査の後に再会した時、話が噛み合わないことになる。
友達の方は「あそこの店に寄り道をして…」と言っているのに、店の記憶が無いのでは駄目。
(公園に寄ったりしていても…)
その時の記憶は必要になるし、歩きながら「あそこに、ほら!」と指差し合って…。
(見上げたビルとか、覚えていないといけないわけで…)
機械は「そうした記憶」を消さずに、「残しておく」。
つまりは、それを繋いでいったら、家までの道が出来上がる。
学校から歩いて帰る途中に、店があって、公園があって、見上げたビルの外観も…。
(ちゃんと記憶にあるんだものね…)
繋ぎ合わせれば道は出来るし、その道は家の玄関先まで、きっと繋がるのに違いない。
そうだったかも、と愕然となって、「今の自分」を振り返ってみた。
学校を出て、家に着くまでの道筋などは「覚えていない」。
家まで空を飛んだかのように、何も記憶は「残ってはいない」。
けれど、友達と一緒に帰っていたなら、一本の線を描けたのだろう。
「学校を出たら公園があって、公園までの間に店があって…」といった具合に。
高層ビルの谷間を歩く間も、見覚えのあるビルが幾つも、幾つも。
それらを見上げて、友達と話して、やがて「シロエの家がある」高層住宅に辿り着く。
友達とエレベーターに乗り込み、家がある階まで上がっていって…。
(ただいま、って玄関を開けて入ったら…)
母が笑顔で「おかえりなさい」と迎えただろうか、友達の方には「いらっしゃい」と。
それから「ちょうどブラウニーが焼けた所よ、おやつにどうぞ」と用意してくれる。
記憶の中に今も残っている、懐かしいテーブルの上にお皿を並べて。
「飲み物は、何がいいかしら?」と、カップやグラスも出して来てくれて。
(…ママの笑顔も、きっと今より、ずっと鮮やかで…)
欠けたりなんかはしていないかも、と「友達」の視点を意識する。
いつか「友達」と再会した時、その友達が母の話を持ち出したならば、顔も重要。
「お前のお母さん、笑顔がとっても優しくってさ…」と「友達」は「覚えている」筈だから。
(…きっと目の色も、今のぼくは忘れていなくって…)
友達が「綺麗な色の目だったよな」と口にした時、「うん、海の色」などと相槌を打つ。
「覚えてないんだ」では、まるで話になりはしないし、忘れることは無かっただろう。
母の瞳が海の青色だったか、明るい茶色か、「シロエ」と同じ菫色だったか。
(……うん、絶対に……)
忘れてなんかはいなかった、と思いはしても、友達を家に招くようでは、そんなシロエは…。
(…シロエだけれども、シロエじゃなくて…)
ネバーランドに行きたくて頑張るような子供じゃないよ、と分かっているから、悲しくなる。
両親の記憶がどんどん薄れて消えていっても、この道しか「シロエ」は歩めないから。
「友達がいたなら」残る記憶も、「シロエ」は持っていないから。
(……パパ、ママ……)
ぼくは覚えていたかったのに、と涙が頬を伝ってゆく。
「どうして覚えていられないの」と、「忘れないで済む人も、大勢いる筈なのに」と…。
友達がいたら・了
※シロエは友達がいそうにないんですよね、子供時代にも。友達よりも両親が好きで。
もしもシロエに友達がいたら、両親の記憶も、家の記憶も残りそう。友達と話す時のために。
あのキースには似合わないけどさ、とシロエは蔑むような笑みを浮かべた。
今日も何度も目にした「友達」、キースの隣に、後ろに何度も見掛けたサム。
まるで全く似合わないのに、サムはキースの「友達」らしい。
皆がコソコソ言っている通り、確かに一番近くにいる。
(…キースの役には、立つわけがないと思うけど…)
自室でクスクス笑うシロエは、サムが以前にキースを救ったことを知らない。
シロエでなくても、Eー1077で「それ」を知る者は、多くはない。
スウェナを乗せて来た宇宙船の事故は、曖昧にされてしまっていた。
マザー・イライザが記憶を処理して、大したことではなかったように思われている。
だからシロエが「知らない」ことは、至極当然と言えるだろう。
当時の在籍者の間でさえも、「そういえば、そういう事故があったかな」という程度。
キースが救助に向かった事実も、その時、サムが一緒だったことも、人の口に上ることは無い。
サムがいなければ、キースの命が無かったことなど、誰も知らない。
マザー・イライザは、広く知らせるつもりは全く無いのだから。
(どうしてキースは、サムなんかと…)
仲良くしていて、友達だなんて言うんだろうか、と考えてみても、よく分からない。
自分だったら、もっと有能な友達を持つと思うけれども、何故、キースは…。
(あんな冴えないサムを選んで、友達になって…)
いつも一緒にいるんだろうか、と不思議だとはいえ、二人は確かに仲がいい。
孤立している「シロエ」と違って、食事の時にも、大抵は…。
(サムが先に来て席を取っているか、キースが座っているトコへ…)
後からサムが「よう!」とか、「やっと終わったぜ」などと口にしながらやって来る。
自分の食事や飲み物を載せたトレイを手にして、キースと同じテーブルに着いて…。
(食べ始めることが多いんだよね…)
他の者たちは、キースの側には近付かないのに、サムだけは違う。
かつては、其処にスウェナもいた。
(…スウェナにしたって、キースには…)
似合わなかったと思うけどな、と首を捻りながら顎に手を当てた。
スウェナはエリート候補生の道を放棄し、結婚を選んでステーションを去った落第生。
「落第生」とは呼ばれないけれど、シロエや他の候補生から冷静に見れば、そうなるだろう。
Eー1077に入った以上は、それに相応しい道を歩んでこそなのだから。
なんとも以外で、似合わない「キース」の友人たち。
「マザー・イライザの申し子」と異名を取るくらいならば、もっと優れた者を選んで…。
(付き合うべきだし、それでこそ得られるものも多くて…)
エリートになる近道だろうと思うけどな、と解せないとはいえ、キースのことは笑えない。
むしろ「キースの方が、まだマシ」な面もあるかもしれない。
なんと言っても「シロエ」の場合は、「友達」などは一人もいなくて、食事の時も…。
(いつも一人で、講義を受ける時だって…)
隣に座る者などいないし、キースと同じに「避けられている」。
キースは「優秀過ぎて、近寄り難い」という理由で避けられ、シロエの方は忌まれていた。
SD体制に批判的だから、迂闊に「シロエ」に近付いたならば、何が起きるか分からない。
マザー・イライザの不興を買ってコールされるとか、教授に呼ばれて叱られるとか。
(…理由は全く違うんだけど…)
ぼくの側にも、誰も近寄っては来ないよね、と改めて思う。
別に不自由をしてはいないし、寂しさも感じはしないけれども、こと「友達」に関しては…。
(…キース以下ってことになるのかな?)
友達が一人もいないんじゃあ…、と自嘲めいた笑いを漏らした所で、ハタと気付いた。
此処に「友達」を持っていないのは、同郷の者が一人もいないせいもある。
エネルゲイアは技術者を育てる育英都市で、普通は、そのための教育ステーションに行く。
シロエは例外的に選ばれ、Eー1077に進んだのだし、仲間がいなくても仕方ない。
とはいえ、他の者の場合は、サムとスウェナが「そう」だったように…。
(此処へ来てから、同じ育英都市で育った人と出会って…)
幼馴染同士の再会というのも、さして珍しくはないようだ。
きっとキースも、同郷の者はいるのだろうに、わざわざサムを選んだらしい。
それはそうだろう、あんなに「付き合いにくそうな」キースに、昔からの友達などは…。
(いるわけがないし、此処でキースを見掛けた誰かも、知らないふりして…)
他の誰かと友達になって、「キース」は放っておいたのだろう。
代わりにサムとスウェナが出て来て、友達の地位に収まった。
何処が「キース」に気に入られたのか、彼らの方でも、「キース」の何処に惹かれたか…。
(分からないけど、とにかく、友達ではあって…)
ぼくよりはマシな境遇だよね、と忌々しい気分になって来る。
もっとも、此処で友達が欲しいだなんて思いはしないし、エネルゲイアでもそうだった。
友達と一緒に遊んでいるより、家に帰って勉強したり、本を読んだりしたかった。
なにしろ故郷の同級生は、優秀ではなかった者ばかり。
「こんな奴らと付き合って、何処が楽しいわけ?」と思っていたから、切り捨てた。
「友達なんて、ぼくは要らない」と、「つまらないよね」と、皆を見下して。
両親と暮らす家の方がいい、と子供心にキッパリと決めて。
(だから友達は、一人もいなくて…)
今も一人もいないんだけど、と、その選択を後悔したことは一度も無い。
けれど、本当に「そう」なのだろうか。
「友達を一人も作らなかった」のは、正しかったと言えるだろうか。
(…もしも、友達を作っていたら…)
とても仲のいい友達がいたら、その友達のことを、けして忘れはしなかったろう。
どんな顔立ちで、何をして過ごして、どういう具合に「仲が良かったのか」という記憶を…。
(……消してしまったら、何処かで再会出来やしないし……)
機械は、それは消さないよね、と断言出来る。
消さないからこそ、Eー1077でも、同郷の友と再会する者が多くて、また友達になる。
どちらかが先に「懐かしいな!」と声を掛けたり、呼び止めたりして出会うのか。
あるいは同時に「あっ!」と気付いて、駆け寄ったりもするのだろうか。
「此処にいたのか」と、「また会えたな」と、笑い合い、手を握り合って。
(…そうなるためには、記憶が欠けていたりしたんじゃ、まるで話にならなくて…)
お互い、同じ思い出を、記憶を持っていてこそ、話も弾むし、友達として付き合ってゆける。
互いの記憶が食い違っていたら、多分、喧嘩にしかならないだろう。
「そうじゃないだろ」と、「お前、覚えていないのか?」と大喧嘩の末に、縁までが切れる。
機械は、それを望みはしない、と容易に分かることだから…。
(…友達の記憶は、弄りはしなくて…)
消してしまいもしないんだ、と考えるほどに、怖ろしい思いが湧き上がって来る。
「もしかして、ぼくは、間違えた…?」という、身も凍りそうになる疑問が。
友達を作らずに過ごしていたのは、間違いだったのではないだろうか、と。
(…ぼくにも仲のいい友達がいて、家に呼んだりしていたら…)
故郷の家が何処にあったか、今よりも「覚えている」かもしれない。
学校の授業が終わった放課後、友達を誘って、一緒に家まで帰っていたら…。
(途中でどんな話をしたのか、何があったか、忘れちゃったら…)
成人検査の後に再会した時、話が噛み合わないことになる。
友達の方は「あそこの店に寄り道をして…」と言っているのに、店の記憶が無いのでは駄目。
(公園に寄ったりしていても…)
その時の記憶は必要になるし、歩きながら「あそこに、ほら!」と指差し合って…。
(見上げたビルとか、覚えていないといけないわけで…)
機械は「そうした記憶」を消さずに、「残しておく」。
つまりは、それを繋いでいったら、家までの道が出来上がる。
学校から歩いて帰る途中に、店があって、公園があって、見上げたビルの外観も…。
(ちゃんと記憶にあるんだものね…)
繋ぎ合わせれば道は出来るし、その道は家の玄関先まで、きっと繋がるのに違いない。
そうだったかも、と愕然となって、「今の自分」を振り返ってみた。
学校を出て、家に着くまでの道筋などは「覚えていない」。
家まで空を飛んだかのように、何も記憶は「残ってはいない」。
けれど、友達と一緒に帰っていたなら、一本の線を描けたのだろう。
「学校を出たら公園があって、公園までの間に店があって…」といった具合に。
高層ビルの谷間を歩く間も、見覚えのあるビルが幾つも、幾つも。
それらを見上げて、友達と話して、やがて「シロエの家がある」高層住宅に辿り着く。
友達とエレベーターに乗り込み、家がある階まで上がっていって…。
(ただいま、って玄関を開けて入ったら…)
母が笑顔で「おかえりなさい」と迎えただろうか、友達の方には「いらっしゃい」と。
それから「ちょうどブラウニーが焼けた所よ、おやつにどうぞ」と用意してくれる。
記憶の中に今も残っている、懐かしいテーブルの上にお皿を並べて。
「飲み物は、何がいいかしら?」と、カップやグラスも出して来てくれて。
(…ママの笑顔も、きっと今より、ずっと鮮やかで…)
欠けたりなんかはしていないかも、と「友達」の視点を意識する。
いつか「友達」と再会した時、その友達が母の話を持ち出したならば、顔も重要。
「お前のお母さん、笑顔がとっても優しくってさ…」と「友達」は「覚えている」筈だから。
(…きっと目の色も、今のぼくは忘れていなくって…)
友達が「綺麗な色の目だったよな」と口にした時、「うん、海の色」などと相槌を打つ。
「覚えてないんだ」では、まるで話になりはしないし、忘れることは無かっただろう。
母の瞳が海の青色だったか、明るい茶色か、「シロエ」と同じ菫色だったか。
(……うん、絶対に……)
忘れてなんかはいなかった、と思いはしても、友達を家に招くようでは、そんなシロエは…。
(…シロエだけれども、シロエじゃなくて…)
ネバーランドに行きたくて頑張るような子供じゃないよ、と分かっているから、悲しくなる。
両親の記憶がどんどん薄れて消えていっても、この道しか「シロエ」は歩めないから。
「友達がいたなら」残る記憶も、「シロエ」は持っていないから。
(……パパ、ママ……)
ぼくは覚えていたかったのに、と涙が頬を伝ってゆく。
「どうして覚えていられないの」と、「忘れないで済む人も、大勢いる筈なのに」と…。
友達がいたら・了
※シロエは友達がいそうにないんですよね、子供時代にも。友達よりも両親が好きで。
もしもシロエに友達がいたら、両親の記憶も、家の記憶も残りそう。友達と話す時のために。
(……シロエ……)
どんな思いで持って行ったのだ、とキースは本のページを捲る。
首都惑星ノアの夜は更け、周りには誰もいなかった。
ジルベスター・セブンを殲滅した後、二階級特進の栄誉に与り、住まいも変わった。
上級大佐に相応しいもので、側近に据えたマツカのための部屋もある。
家具の類も好きに選べて、居心地の良い場所になったけれども…。
(…皮肉なことだな…)
まさか自分が無から作られた者だったとは、と虚しい気持ちがしないでもない。
どれほど立派な部屋に住もうと、「キース・アニアン」は其処には「似合わない」者。
ヒトの姿でヒトと同じに、否、ヒト以上に、感情も充分、持ち合わせている筈だけれども…。
(…私は所詮、作られた者で…)
人間のように暮らせる資格を持たない者だ、という気がする。
実験室のケースや檻が似合いで、其処から出て来て任務をこなして、また戻ってゆく。
そういう日々こそ「相応しい」モノ、快適な部屋など「要らない」生き物。
ある意味、ミュウにも劣るのでは、と思えるほどに。
(……もっとも、私自身にさえも……)
その真実は、まるで知らされていなかった。
シロエは事実を知ったけれども、その罰を受けて死んだと言っていいだろう。
「フロア001」という言葉だけを告げて、シロエは逝った。
Eー1077から非武装の船で逃げ出し、追って来たキースに撃墜されて。
彼が死んだ後、キースはフロア001を目指した。
なのに、何故だか邪魔が入って、結局、辿り着けないままで卒業して…。
(順調な日々を送っていたのに、今頃になって…)
シロエが記録していた映像、それがキースの手許に届いた。
遠い昔に、シロエが大切に持っていた本に隠されて。
ピーターパンの本の裏表紙、その「見返し」の紙の下にシロエは「それ」を仕込んだ。
「セキ・レイ・シロエ」と自分の名前が書いてある箇所、其処を剥がして、元に戻して。
(…こんな所に隠しておいても…)
何の役にも立たないだろう、とキースは心の中でシロエに問い掛ける。
「お前だけの秘密になってしまって、私には届かないだろうが」と、「違うのか?」と。
実際、シロエは「その本と一緒に」キースの部屋まで来たのだけれども、その時も…。
(フロア001、と言っていたくせに、この本のことは…)
何も語らず、大切に胸に抱き締めていた。
失っていた意識を取り戻した後、一番に本の在り処を探して、見付け出して。
「その本」に自分が隠したモノのことなど、きっと忘れていたのだろう。
覚えていたなら、あの時、キースに「これだ」と渡して、見るように仕向けただろうから。
けれど、シロエは「そうしなかった」。
代わりに大切な本と一緒に、練習艇で宇宙へ飛び去って行った。
逃亡した者を待っているのは、撃墜されるか、連れ戻されるかの二つしか無い。
シロエには「戻る」気などは無かったろうから、死ぬしかないと知っていて逃げた。
追って来る者が誰であろうと、船ごと砕かれ、爆死する最期を承知の上で。
(…撃墜されたら、こんな紙の本が…)
無事に残るわけがないではないか、と誰が考えても答えは出て来る。
本も、映像を記録したチップも、微塵に砕けて残りはしない。
もちろんシロエも、「冷静だったら」、そのくらいのことは分かったろう。
どれほど大事にしていた本でも、一緒には持って行かないで…。
(何らかの形で、私の所へ届くようにと…)
仕掛けをしてから、一人で飛び立って行ったと思う。
ピーターパンの本に「さようなら」と別れを告げて、涙を堪えて、ただ一人きりで。
「頼んだよ」と、「キースに必ず、これを届けて」と、フロア001の映像を託して。
(…それなのに、何故…)
そうしないで持って行ったのだ、とキースはページをパラパラと捲る。
もっとも、そうして眺めてみても、シロエの声は聞こえて来ない。
シロエ自身の書き込みも無くて、あるのは「本の中身」だけ。
幼い子供でも簡単に読める、ピーターパンの物語。
(…シロエは、きっと幼い頃から…)
この本を読んでいたのだろうな、と表紙が焼け焦げた本を捲ってゆく。
スウェナから「これ」を受け取った時は、心の底から驚かされた。
「何故、この本が」と、「あの爆発の中で、どうやって?」と。
スウェナは「あなた宛のメッセージが発見されたわ」と、この本を寄越したのだけれども…。
(…ああ言ったのは、私の関心を引くためだけで…)
本当に「メッセージがあった」ことなど、スウェナは全く知らないだろう。
知っていたなら、抜け目なくチップを回収した後、本だけを渡して来ただろうから。
(なにしろ、ジャーナリストだからな…)
その上、とんでもないメッセージだったのだし、と「知られなかった」ことに感謝する。
もしもスウェナが気付いていたら、彼女の命は無かっただろう。
「何処にでもある」マザー・システム、それは「其処まで甘くはない」。
ただの火遊びなら見逃していても、「機密事項を知ったスウェナ」を生かしておくなど…。
(絶対に無いし、そうなっていたら、私は、また…)
友を失っていただろうな、と背筋が冷えた。
サムに続いて、スウェナまでをも失くす所だった、と。
シロエが「巧みに」隠さなかったら、あるいはスウェナが詳細に本を調べていたら。
幸いなことに、最悪の事態は免れた。
シロエが「命懸けで暴いた」キースの秘密は、無事にキースの許に届いて…。
(私を愕然とさせてくれたが、シロエ、お前は…)
犬死にになる所だったのだぞ、と時の彼方で散ったシロエに呼び掛ける。
「分かっているのか?」と、「何故、この本を持って行ったのだ」と。
とはいえ、答えは返って来なくて、シロエが「この本を持って行った」理由は、きっと…。
(…大切な本と、幼い頃の記憶の欠片を大事に抱えて…)
宇宙へ飛び出して行ったというだけ、行きたかった場所を目指した結果だったろう。
其処が何処かは、ピーターパンの本が教えてくれる。
「ネバーランドを目指したのだ」と、焼け焦げた本の中身がキースに語り掛けて来る。
(…二つ目の角を右に曲がって、後は朝まで、ずっと真っ直ぐ…)
本の中には、そう書かれていた。
そうやって真っ直ぐ進んで行ったら、ネバーランドに行けるのだ、と。
其処は子供のためにある場所、如何にもシロエが「行きたい」と願いそうな場所。
あれほどシステムを憎んでいたなら、ネバーランドは、まさしく夢を叶えるための…。
(理想の国で、其処へ行こうと…)
それだけを思っていたのだろうな、とシロエの心が見えてくるよう。
「キースの秘密」など、もはや「あの時のシロエ」にとっては「些細なこと」。
現実にはもう目を向けもしないで、ただ夢だけを追って、目指して、シロエは散った。
宇宙へ飛び出し、ネバーランドを追い掛けた末に。
ありもしない「朝」へ、「二つ目の角」へと向かって飛んで飛び続けて、撃墜されて。
(…それが真相だったのだろうな…)
シロエは「どうでも良かった」のだ、と砕け散った船を思い出す。
キースの秘密を暴くことより、自分の夢と想いの方が、シロエにとっては重要だった。
何にも代え難い宝物の本と、懐かしい故郷と両親の思い出。
どれ一つとして欠けてはならず、それらを大切に抱き締めたままでシロエは「飛んだ」。
真っ直ぐに、ネバーランドへと。
シロエの夢が叶う国へと、「キースの秘密」などはもう、忘れ去って。
(…それなのに、何がどうなったのか…)
ピーターパンの本は、「消えずに」残った。
恐らく、シロエのサイオンが守ったのだろう。
爆発の中でも微塵に砕けてしまわないよう、シールドを張って。
「何よりも大事な宝物」だから、シロエ自らの肉体よりも「優先して」。
(…もっとサイオンの扱いに長けていたなら、シロエ自身も…)
シールドの中で生きていたのだろうな、と思うけれども、そうはならずにシロエは逝った。
生きていたなら、モビー・ディックに発見される道もあったのに。
「近くまで来ていた」と聞かされたから、「そうなってくれていたならば」と思うのに。
(…残ったものは、この本だけか…)
ならば、返してやらなければな、と焼け焦げた本の表紙を撫でた。
「この本をシロエに返してやろう」と、「シロエが持っているべきだ」と。
有難いことに、そのための好機がやって来る。
今日、グランド・マザーから「Eー1077を処分して来なさい」との命令を受けた。
「キースが出生の秘密を知った」と気付いたからか、あるいは予定の行動なのか。
(…なんとも分かりかねるのだがな…)
シロエが記録していた映像、それは本来、「此処に残っている筈がない」。
ピーターパンの本と一緒に宇宙に飛び散り、キースの手許に届きはしない。
(私が映像を目にしたことは、知っているかもしれないが…)
それが無くても「時期が来た」というだけなのかもな、と自嘲の笑みが唇に浮かぶ。
「どうせ行ったら分かることだ」と、「フロア001も見られるだろう」と。
グランド・マザーは「時が来るまで」、秘密にしておく気でいたかもしれない。
「真実を早く知りすぎた」キースが自滅しないよう、「この歳になるまで」。
(だとしたらシロエは、私を壊せる切り札を手にしていたというのに…)
私に渡すこともしないで、大切に持って行ったのか、と少し可笑しい。
「シロエ、お前は失敗したぞ」と、「持って行かずに、渡すべきだったな」と。
そうしていたなら「キース」は絶望の淵に叩き落とされ、自殺していたか、狂っていたか…。
(いずれにせよ、無事には済んでいなくて、此処に生きてもいないだろうが…)
何事もなく生き延びた上に、シロエが「一緒に行きたかった本」まで残ってしまった。
色々と勘定が狂ったけれども、その帳尻を合わせるためにも、シロエに本を返してやろう。
Eー1077を処分しに出掛ける時には、この本も必ず持ってゆく。
そして廃校になって、廃墟と化しただろうステーションの中で…。
(…あの頃のシロエの部屋を探して、其処の机に…)
ピーターパンの本を置いてから、Eー1077を惑星に落とし、木っ端微塵に破壊する。
それが一番いいと思うし、本はシロエが持っているべき。
自分自身の肉体よりも、本を守って逝ったくらいに、大切にしていた宝物なのだから…。
遺された本・了
※アニテラのキースは、シロエが撮影した映像で「自分の生まれ」を知ったのですが。
肝心の秘密を仕込んだ本ごとシロエは逃げて、撃墜されて終わり。変だよね、というお話。
どんな思いで持って行ったのだ、とキースは本のページを捲る。
首都惑星ノアの夜は更け、周りには誰もいなかった。
ジルベスター・セブンを殲滅した後、二階級特進の栄誉に与り、住まいも変わった。
上級大佐に相応しいもので、側近に据えたマツカのための部屋もある。
家具の類も好きに選べて、居心地の良い場所になったけれども…。
(…皮肉なことだな…)
まさか自分が無から作られた者だったとは、と虚しい気持ちがしないでもない。
どれほど立派な部屋に住もうと、「キース・アニアン」は其処には「似合わない」者。
ヒトの姿でヒトと同じに、否、ヒト以上に、感情も充分、持ち合わせている筈だけれども…。
(…私は所詮、作られた者で…)
人間のように暮らせる資格を持たない者だ、という気がする。
実験室のケースや檻が似合いで、其処から出て来て任務をこなして、また戻ってゆく。
そういう日々こそ「相応しい」モノ、快適な部屋など「要らない」生き物。
ある意味、ミュウにも劣るのでは、と思えるほどに。
(……もっとも、私自身にさえも……)
その真実は、まるで知らされていなかった。
シロエは事実を知ったけれども、その罰を受けて死んだと言っていいだろう。
「フロア001」という言葉だけを告げて、シロエは逝った。
Eー1077から非武装の船で逃げ出し、追って来たキースに撃墜されて。
彼が死んだ後、キースはフロア001を目指した。
なのに、何故だか邪魔が入って、結局、辿り着けないままで卒業して…。
(順調な日々を送っていたのに、今頃になって…)
シロエが記録していた映像、それがキースの手許に届いた。
遠い昔に、シロエが大切に持っていた本に隠されて。
ピーターパンの本の裏表紙、その「見返し」の紙の下にシロエは「それ」を仕込んだ。
「セキ・レイ・シロエ」と自分の名前が書いてある箇所、其処を剥がして、元に戻して。
(…こんな所に隠しておいても…)
何の役にも立たないだろう、とキースは心の中でシロエに問い掛ける。
「お前だけの秘密になってしまって、私には届かないだろうが」と、「違うのか?」と。
実際、シロエは「その本と一緒に」キースの部屋まで来たのだけれども、その時も…。
(フロア001、と言っていたくせに、この本のことは…)
何も語らず、大切に胸に抱き締めていた。
失っていた意識を取り戻した後、一番に本の在り処を探して、見付け出して。
「その本」に自分が隠したモノのことなど、きっと忘れていたのだろう。
覚えていたなら、あの時、キースに「これだ」と渡して、見るように仕向けただろうから。
けれど、シロエは「そうしなかった」。
代わりに大切な本と一緒に、練習艇で宇宙へ飛び去って行った。
逃亡した者を待っているのは、撃墜されるか、連れ戻されるかの二つしか無い。
シロエには「戻る」気などは無かったろうから、死ぬしかないと知っていて逃げた。
追って来る者が誰であろうと、船ごと砕かれ、爆死する最期を承知の上で。
(…撃墜されたら、こんな紙の本が…)
無事に残るわけがないではないか、と誰が考えても答えは出て来る。
本も、映像を記録したチップも、微塵に砕けて残りはしない。
もちろんシロエも、「冷静だったら」、そのくらいのことは分かったろう。
どれほど大事にしていた本でも、一緒には持って行かないで…。
(何らかの形で、私の所へ届くようにと…)
仕掛けをしてから、一人で飛び立って行ったと思う。
ピーターパンの本に「さようなら」と別れを告げて、涙を堪えて、ただ一人きりで。
「頼んだよ」と、「キースに必ず、これを届けて」と、フロア001の映像を託して。
(…それなのに、何故…)
そうしないで持って行ったのだ、とキースはページをパラパラと捲る。
もっとも、そうして眺めてみても、シロエの声は聞こえて来ない。
シロエ自身の書き込みも無くて、あるのは「本の中身」だけ。
幼い子供でも簡単に読める、ピーターパンの物語。
(…シロエは、きっと幼い頃から…)
この本を読んでいたのだろうな、と表紙が焼け焦げた本を捲ってゆく。
スウェナから「これ」を受け取った時は、心の底から驚かされた。
「何故、この本が」と、「あの爆発の中で、どうやって?」と。
スウェナは「あなた宛のメッセージが発見されたわ」と、この本を寄越したのだけれども…。
(…ああ言ったのは、私の関心を引くためだけで…)
本当に「メッセージがあった」ことなど、スウェナは全く知らないだろう。
知っていたなら、抜け目なくチップを回収した後、本だけを渡して来ただろうから。
(なにしろ、ジャーナリストだからな…)
その上、とんでもないメッセージだったのだし、と「知られなかった」ことに感謝する。
もしもスウェナが気付いていたら、彼女の命は無かっただろう。
「何処にでもある」マザー・システム、それは「其処まで甘くはない」。
ただの火遊びなら見逃していても、「機密事項を知ったスウェナ」を生かしておくなど…。
(絶対に無いし、そうなっていたら、私は、また…)
友を失っていただろうな、と背筋が冷えた。
サムに続いて、スウェナまでをも失くす所だった、と。
シロエが「巧みに」隠さなかったら、あるいはスウェナが詳細に本を調べていたら。
幸いなことに、最悪の事態は免れた。
シロエが「命懸けで暴いた」キースの秘密は、無事にキースの許に届いて…。
(私を愕然とさせてくれたが、シロエ、お前は…)
犬死にになる所だったのだぞ、と時の彼方で散ったシロエに呼び掛ける。
「分かっているのか?」と、「何故、この本を持って行ったのだ」と。
とはいえ、答えは返って来なくて、シロエが「この本を持って行った」理由は、きっと…。
(…大切な本と、幼い頃の記憶の欠片を大事に抱えて…)
宇宙へ飛び出して行ったというだけ、行きたかった場所を目指した結果だったろう。
其処が何処かは、ピーターパンの本が教えてくれる。
「ネバーランドを目指したのだ」と、焼け焦げた本の中身がキースに語り掛けて来る。
(…二つ目の角を右に曲がって、後は朝まで、ずっと真っ直ぐ…)
本の中には、そう書かれていた。
そうやって真っ直ぐ進んで行ったら、ネバーランドに行けるのだ、と。
其処は子供のためにある場所、如何にもシロエが「行きたい」と願いそうな場所。
あれほどシステムを憎んでいたなら、ネバーランドは、まさしく夢を叶えるための…。
(理想の国で、其処へ行こうと…)
それだけを思っていたのだろうな、とシロエの心が見えてくるよう。
「キースの秘密」など、もはや「あの時のシロエ」にとっては「些細なこと」。
現実にはもう目を向けもしないで、ただ夢だけを追って、目指して、シロエは散った。
宇宙へ飛び出し、ネバーランドを追い掛けた末に。
ありもしない「朝」へ、「二つ目の角」へと向かって飛んで飛び続けて、撃墜されて。
(…それが真相だったのだろうな…)
シロエは「どうでも良かった」のだ、と砕け散った船を思い出す。
キースの秘密を暴くことより、自分の夢と想いの方が、シロエにとっては重要だった。
何にも代え難い宝物の本と、懐かしい故郷と両親の思い出。
どれ一つとして欠けてはならず、それらを大切に抱き締めたままでシロエは「飛んだ」。
真っ直ぐに、ネバーランドへと。
シロエの夢が叶う国へと、「キースの秘密」などはもう、忘れ去って。
(…それなのに、何がどうなったのか…)
ピーターパンの本は、「消えずに」残った。
恐らく、シロエのサイオンが守ったのだろう。
爆発の中でも微塵に砕けてしまわないよう、シールドを張って。
「何よりも大事な宝物」だから、シロエ自らの肉体よりも「優先して」。
(…もっとサイオンの扱いに長けていたなら、シロエ自身も…)
シールドの中で生きていたのだろうな、と思うけれども、そうはならずにシロエは逝った。
生きていたなら、モビー・ディックに発見される道もあったのに。
「近くまで来ていた」と聞かされたから、「そうなってくれていたならば」と思うのに。
(…残ったものは、この本だけか…)
ならば、返してやらなければな、と焼け焦げた本の表紙を撫でた。
「この本をシロエに返してやろう」と、「シロエが持っているべきだ」と。
有難いことに、そのための好機がやって来る。
今日、グランド・マザーから「Eー1077を処分して来なさい」との命令を受けた。
「キースが出生の秘密を知った」と気付いたからか、あるいは予定の行動なのか。
(…なんとも分かりかねるのだがな…)
シロエが記録していた映像、それは本来、「此処に残っている筈がない」。
ピーターパンの本と一緒に宇宙に飛び散り、キースの手許に届きはしない。
(私が映像を目にしたことは、知っているかもしれないが…)
それが無くても「時期が来た」というだけなのかもな、と自嘲の笑みが唇に浮かぶ。
「どうせ行ったら分かることだ」と、「フロア001も見られるだろう」と。
グランド・マザーは「時が来るまで」、秘密にしておく気でいたかもしれない。
「真実を早く知りすぎた」キースが自滅しないよう、「この歳になるまで」。
(だとしたらシロエは、私を壊せる切り札を手にしていたというのに…)
私に渡すこともしないで、大切に持って行ったのか、と少し可笑しい。
「シロエ、お前は失敗したぞ」と、「持って行かずに、渡すべきだったな」と。
そうしていたなら「キース」は絶望の淵に叩き落とされ、自殺していたか、狂っていたか…。
(いずれにせよ、無事には済んでいなくて、此処に生きてもいないだろうが…)
何事もなく生き延びた上に、シロエが「一緒に行きたかった本」まで残ってしまった。
色々と勘定が狂ったけれども、その帳尻を合わせるためにも、シロエに本を返してやろう。
Eー1077を処分しに出掛ける時には、この本も必ず持ってゆく。
そして廃校になって、廃墟と化しただろうステーションの中で…。
(…あの頃のシロエの部屋を探して、其処の机に…)
ピーターパンの本を置いてから、Eー1077を惑星に落とし、木っ端微塵に破壊する。
それが一番いいと思うし、本はシロエが持っているべき。
自分自身の肉体よりも、本を守って逝ったくらいに、大切にしていた宝物なのだから…。
遺された本・了
※アニテラのキースは、シロエが撮影した映像で「自分の生まれ」を知ったのですが。
肝心の秘密を仕込んだ本ごとシロエは逃げて、撃墜されて終わり。変だよね、というお話。
(また、何か…)
大切なものを失くしたんだ、とシロエは一人、唇を噛んだ。
Eー1077は既に夜更けで、候補生たちは皆、自分の個室に戻っている。
シロエもその中に含まれるけれど、こんな時間に起きている者は少ないだろう。
宇宙ステーションとはいえ、昼間と夜の区別はある。
夜は居住区の照明も暗くなる上、食堂なども閉まってしまう。
活動には不向きな環境だけに、大抵の者は眠りに就いて、明日に向けての備えをする。
講義もあれば、宇宙空間での実習がある者もいるから。
(…ぼくも、しっかり眠らないと…)
明日の授業に響きそうだ、と分かってはいても、とても眠れる気がしない。
その結果として成績が落ちれば、またしても…。
(今日と同じで、マザー・イライザにコールされて…)
忌まわしい部屋で深く眠らされ、心を探られ、「不要な因子」を抹消される。
目が覚めた時は、心がスッキリしているけれども、それは「何か」を失ったから。
イライザが「不要」と判断したモノ、それは本当は「大切な」もの。
(マザー・イライザと、この世界には要らないモノでも…)
ぼくにとっては大事な宝物なんだ、と知っているだけに、コールは避けたい。
コールされる度、少しずつ「失くしてゆく」宝物は、どれも幼い頃の記憶で、もう戻らない。
どんなに努力を重ねてみても、二度と思い出すことは出来ない。
懐かしい母の姿だったら、マザー・イライザが「真似ている」のに。
恐らく声まで同じだろうに、確証が持てなくなってしまった。
初めてコールを受けた時には、「ママなの?」と驚き、感動さえも覚えたのに。
「この部屋に来たら、ママに似た人に会えるんだ」と騙され、手懐けられそうになった。
もっとも、じきに、そのからくりに気付かされたから、懐きはしないで…。
(イライザに逆らう道を選んで、今も走っているけれど…)
果たして「それ」が正しいかどうか、疑問に思わないでもない。
マザー・イライザの意向に背けば、コールされ、「何か」を消されて失う。
失った記憶は戻ることなく、シロエの中から欠け落ちてゆく。
(…このまま、どんどんコールされ続けて暮らしていたら…)
いずれは何も無くなるのでは、と不意に不安がこみ上げて来る。
「逆らい続けるシロエ」を意のままにするべく、マザー・イライザが本気を出したなら…。
(ぼくの記憶をすっかり消して、偽の記憶と入れ替えて…)
「従順なシロエ」を作り出すことが、もしかしたら出来るかもしれない。
なんと言っても、マザー・イライザは「、教育ステーション」を支配する機械なのだから。
シロエが育った育英都市には、テラズ・ナンバー3がいた。
成人検査を担当していて、大人の社会に旅立つ子供の記憶を消すのが仕事だけれど…。
(所詮は、末端のコンピューターで…)
教育ステーションにいるコンピューターより、その地位は低い。
それでも「あれだけの」力があって、子供の記憶を「塗り替えてしまう」。
このステーションに集められている候補生たち、彼らの中の一人も疑問を持ってはいない。
成人検査の前と後とで、「自分の記憶が異なる」ことに気付きもしないと言えるだろう。
(気が付いたのは、ぼくくらいで…)
つまりは社会の仕組みを見抜いて、「システムを疑い、憎み始める」者だっていない。
だから「シロエ」はターゲットにされ、頻繁にコールを受けることになる。
「不要な因子」を探し出しては、消し去り、疑問を抱かないようにしてゆくために。
(…テラズ・ナンバー3でさえも、あんな力があるんだから…)
それよりも上位の「マザー・イライザ」には、どれほどの力があるものなのか。
考えたことも無かったけれども、「シロエの記憶を、すっかり丸ごと」入れ替えるのも…。
(マザー・イライザには、うんと簡単なことなのかも…?)
ほんの一瞬、それだけあれば充分な時間かもしれない。
「シロエ」をコールし、深く眠らせ、記憶を消すための出力を少し上げたなら…。
(ぼくの中から、何もかもが消えて…)
あの憎らしい「キース」さながら、故郷も養父母の記憶も失くした「シロエ」が出来る。
何一つ覚えていることは無くて、社会で役立つ知識だけを持った「優秀な」者が。
(でも、それだけでは不自然だから…)
シロエを知っている周りの者が変だと思わないよう、偽の記憶を植えるのだろう。
「マザー・イライザにとっては」都合が良くて、この社会にも馴染める「偽りの過去」を。
故郷の記憶も、両親のことも、何もかもを全て「上書き」して。
(…ぼくが持って来た、ピーターパンの本だって…)
どういう具合にされてしまうか、まるで見当もつかないけれども、恐ろしい。
「偶然、紛れ込んでしまった荷物」と認識するのか、あるいは記憶の処理と同時に…。
(誰かを寄越して、ぼくの部屋から持ち出させて…)
そんな本など「何処にも無かった」事実が作られ、偽の記憶を持った自分も気にしない。
部屋から本が消えたことなど、記憶を書き換えられたシロエは「知らない」から。
ピーターパンの本を「持って来た」のを忘れてしまって、最初から「持っていない」から。
(…マザー・イライザが本気になったら、そのくらいは…)
本当に「簡単」かもしれない。
今は「本気になっていない」だけで、いつか、本気を出して来たなら。
(…そんなことって…)
あるんだろうか、と思うけれども、けして無いとは言い切れない。
ついでに言うなら、「シロエ」が優秀であればあるほど、可能性が上がりそうではある。
秀でた人材を持つのだったら、システムに反抗的な者より、従順な者がいいに決まっている。
機械はそれを好みそうだし、そうすることが可能だとしたら、やりかねない。
あるいは、マザー・イライザが「それ」を思い付きはしなくても…。
(…メンバーズ・エリートを選び出すのは、マザー・イライザかもしれないけれど…)
Eー1077を卒業した後、そのメンバーズを使役する者は「他にいる」。
地球に在ると聞く巨大コンピューター、グランド・マザーがシステムの要で、主でもある。
「メンバーズを使う」立場だったら、将来的に選ばれそうな者にも興味を持っているだろう。
彼ら、彼女らを「どういう具合に」教育すべきか、具体的に指示をするかもしれない。
「もっと、こういう教育を」だとか、「この人間には、この分野の講義を多くしろ」とか。
(…ぼくのデータも、グランド・マザーが見ているとしたら…)
このシステムに「反抗的である」欠点について、どういった風に捉えているか。
それも個性の内だと見るか、矯正すべき欠陥と見なしているか。
(…卒業までには、この欠陥をきちんと処理しておけ、とグランド・マザーが…)
マザー・イライザに言って来たなら、文字通りに「終わり」かもしれない。
いつものようにコールを受けて、あの忌々しい部屋に入った「シロエ」が出て来た時には…。
(まるで全く違う中身で、システムに従順になっていて…)
ピーターパンの本のことも忘れて、ネバーランドに焦がれたことさえ「覚えてはいない」。
記憶を書き換えられた「シロエ」は、「ピーターパンの本」を、こう思うだろう。
「子供の頃に、確かパパに貰って、持っていたよね」と。
「うんと大事にしていた本で、何度も何度も読んでいたっけ」と懐かしく思い出しもして。
「あの本に出てたネバーランドに、行こうと思って頑張ったんだよ」と笑んだりもする。
「子供らしい夢っていうヤツだよね」と、「空を飛べると思い込んでさ」と可笑しそうに。
(…そう、本当なら、今頃のぼくは…)
そうなっている筈だったんだ、と背筋がゾクリと冷たくなった。
テラズ・ナンバー3が記憶を処理した時には、「そうしたつもり」だったろう。
ところが「シロエ」は、そうはならずに、ピーターパンの本を後生大事に抱え込んだまま…。
(ステーションまで来てしまっていて、今もシステムに反抗的で…)
事あるごとにコールされては、少しずつ記憶を「消されている」。
システムに逆らう理由の因子を、マザー・イライザに取り除かれて。
「これは不要だ」と機械が過去の記憶を選り分け、「シロエ」の中から抹消して。
そう、「今はまだ」、度々、コールされるだけ。
反抗的な行動をすれば、あの部屋に呼ばれて「眠らされて」、何か「消される」だけ。
自分でも直ぐには思い出せない、とても小さな子供時代の記憶を、巧みに抜き取られて。
いったいどれを消去したのか、シロエ自身にも「気付かせない」ような形で。
(何日も経ってから、「消された記憶は、コレだったんだ」って…)
気付いて悔しく思う程度で、今はまだ済んでいるのだけれども、これから先は分からない。
このまま逆らい続けていたなら、ある日突然、地獄の底へ落ちるのだろうか。
マザー・イライザからのコールを受けて、「またか」と出掛けて、それでおしまい。
(いつもの部屋から出て来た時には、今、此処にいる「ぼく」はいなくて…)
システムに何の疑問も抱かず、従順に生きる「シロエ」が代わりに、この人生を歩んでゆく。
大切に持って来たピーターパンの本が、「思い出の一つ」に過ぎない「シロエ」になって。
反抗的だったことなど忘れて、故郷のことも、両親のことも、思い出になって。
(……もしかしたら、いつか、そうなるのかも……)
まさか、と身体が震え出すけれど、その日が「来ない」とは言えない。
逆らい続けて生きていたなら、「違うシロエ」に作り替えられてしまう日が訪れて。
(…でも、従順になったふりをしたって…)
機械は全てお見通しだから、きっと無駄だ、という気がする。
ならば「このまま」生きてやろうか、そうやって生きて、行きつく先は地獄でも。
自分でも「全く気付かないまま」、違う自分にされてしまう日が来るのだとしても…。
逆らい続けたら・了
※シロエの記憶を「すっかり書き換えてしまう」ことは、機械には可能なことなのかも。
アニテラのSD体制は緩めですけど、もしも機械が本気を出したら、有り得る恐ろしい未来。
大切なものを失くしたんだ、とシロエは一人、唇を噛んだ。
Eー1077は既に夜更けで、候補生たちは皆、自分の個室に戻っている。
シロエもその中に含まれるけれど、こんな時間に起きている者は少ないだろう。
宇宙ステーションとはいえ、昼間と夜の区別はある。
夜は居住区の照明も暗くなる上、食堂なども閉まってしまう。
活動には不向きな環境だけに、大抵の者は眠りに就いて、明日に向けての備えをする。
講義もあれば、宇宙空間での実習がある者もいるから。
(…ぼくも、しっかり眠らないと…)
明日の授業に響きそうだ、と分かってはいても、とても眠れる気がしない。
その結果として成績が落ちれば、またしても…。
(今日と同じで、マザー・イライザにコールされて…)
忌まわしい部屋で深く眠らされ、心を探られ、「不要な因子」を抹消される。
目が覚めた時は、心がスッキリしているけれども、それは「何か」を失ったから。
イライザが「不要」と判断したモノ、それは本当は「大切な」もの。
(マザー・イライザと、この世界には要らないモノでも…)
ぼくにとっては大事な宝物なんだ、と知っているだけに、コールは避けたい。
コールされる度、少しずつ「失くしてゆく」宝物は、どれも幼い頃の記憶で、もう戻らない。
どんなに努力を重ねてみても、二度と思い出すことは出来ない。
懐かしい母の姿だったら、マザー・イライザが「真似ている」のに。
恐らく声まで同じだろうに、確証が持てなくなってしまった。
初めてコールを受けた時には、「ママなの?」と驚き、感動さえも覚えたのに。
「この部屋に来たら、ママに似た人に会えるんだ」と騙され、手懐けられそうになった。
もっとも、じきに、そのからくりに気付かされたから、懐きはしないで…。
(イライザに逆らう道を選んで、今も走っているけれど…)
果たして「それ」が正しいかどうか、疑問に思わないでもない。
マザー・イライザの意向に背けば、コールされ、「何か」を消されて失う。
失った記憶は戻ることなく、シロエの中から欠け落ちてゆく。
(…このまま、どんどんコールされ続けて暮らしていたら…)
いずれは何も無くなるのでは、と不意に不安がこみ上げて来る。
「逆らい続けるシロエ」を意のままにするべく、マザー・イライザが本気を出したなら…。
(ぼくの記憶をすっかり消して、偽の記憶と入れ替えて…)
「従順なシロエ」を作り出すことが、もしかしたら出来るかもしれない。
なんと言っても、マザー・イライザは「、教育ステーション」を支配する機械なのだから。
シロエが育った育英都市には、テラズ・ナンバー3がいた。
成人検査を担当していて、大人の社会に旅立つ子供の記憶を消すのが仕事だけれど…。
(所詮は、末端のコンピューターで…)
教育ステーションにいるコンピューターより、その地位は低い。
それでも「あれだけの」力があって、子供の記憶を「塗り替えてしまう」。
このステーションに集められている候補生たち、彼らの中の一人も疑問を持ってはいない。
成人検査の前と後とで、「自分の記憶が異なる」ことに気付きもしないと言えるだろう。
(気が付いたのは、ぼくくらいで…)
つまりは社会の仕組みを見抜いて、「システムを疑い、憎み始める」者だっていない。
だから「シロエ」はターゲットにされ、頻繁にコールを受けることになる。
「不要な因子」を探し出しては、消し去り、疑問を抱かないようにしてゆくために。
(…テラズ・ナンバー3でさえも、あんな力があるんだから…)
それよりも上位の「マザー・イライザ」には、どれほどの力があるものなのか。
考えたことも無かったけれども、「シロエの記憶を、すっかり丸ごと」入れ替えるのも…。
(マザー・イライザには、うんと簡単なことなのかも…?)
ほんの一瞬、それだけあれば充分な時間かもしれない。
「シロエ」をコールし、深く眠らせ、記憶を消すための出力を少し上げたなら…。
(ぼくの中から、何もかもが消えて…)
あの憎らしい「キース」さながら、故郷も養父母の記憶も失くした「シロエ」が出来る。
何一つ覚えていることは無くて、社会で役立つ知識だけを持った「優秀な」者が。
(でも、それだけでは不自然だから…)
シロエを知っている周りの者が変だと思わないよう、偽の記憶を植えるのだろう。
「マザー・イライザにとっては」都合が良くて、この社会にも馴染める「偽りの過去」を。
故郷の記憶も、両親のことも、何もかもを全て「上書き」して。
(…ぼくが持って来た、ピーターパンの本だって…)
どういう具合にされてしまうか、まるで見当もつかないけれども、恐ろしい。
「偶然、紛れ込んでしまった荷物」と認識するのか、あるいは記憶の処理と同時に…。
(誰かを寄越して、ぼくの部屋から持ち出させて…)
そんな本など「何処にも無かった」事実が作られ、偽の記憶を持った自分も気にしない。
部屋から本が消えたことなど、記憶を書き換えられたシロエは「知らない」から。
ピーターパンの本を「持って来た」のを忘れてしまって、最初から「持っていない」から。
(…マザー・イライザが本気になったら、そのくらいは…)
本当に「簡単」かもしれない。
今は「本気になっていない」だけで、いつか、本気を出して来たなら。
(…そんなことって…)
あるんだろうか、と思うけれども、けして無いとは言い切れない。
ついでに言うなら、「シロエ」が優秀であればあるほど、可能性が上がりそうではある。
秀でた人材を持つのだったら、システムに反抗的な者より、従順な者がいいに決まっている。
機械はそれを好みそうだし、そうすることが可能だとしたら、やりかねない。
あるいは、マザー・イライザが「それ」を思い付きはしなくても…。
(…メンバーズ・エリートを選び出すのは、マザー・イライザかもしれないけれど…)
Eー1077を卒業した後、そのメンバーズを使役する者は「他にいる」。
地球に在ると聞く巨大コンピューター、グランド・マザーがシステムの要で、主でもある。
「メンバーズを使う」立場だったら、将来的に選ばれそうな者にも興味を持っているだろう。
彼ら、彼女らを「どういう具合に」教育すべきか、具体的に指示をするかもしれない。
「もっと、こういう教育を」だとか、「この人間には、この分野の講義を多くしろ」とか。
(…ぼくのデータも、グランド・マザーが見ているとしたら…)
このシステムに「反抗的である」欠点について、どういった風に捉えているか。
それも個性の内だと見るか、矯正すべき欠陥と見なしているか。
(…卒業までには、この欠陥をきちんと処理しておけ、とグランド・マザーが…)
マザー・イライザに言って来たなら、文字通りに「終わり」かもしれない。
いつものようにコールを受けて、あの忌々しい部屋に入った「シロエ」が出て来た時には…。
(まるで全く違う中身で、システムに従順になっていて…)
ピーターパンの本のことも忘れて、ネバーランドに焦がれたことさえ「覚えてはいない」。
記憶を書き換えられた「シロエ」は、「ピーターパンの本」を、こう思うだろう。
「子供の頃に、確かパパに貰って、持っていたよね」と。
「うんと大事にしていた本で、何度も何度も読んでいたっけ」と懐かしく思い出しもして。
「あの本に出てたネバーランドに、行こうと思って頑張ったんだよ」と笑んだりもする。
「子供らしい夢っていうヤツだよね」と、「空を飛べると思い込んでさ」と可笑しそうに。
(…そう、本当なら、今頃のぼくは…)
そうなっている筈だったんだ、と背筋がゾクリと冷たくなった。
テラズ・ナンバー3が記憶を処理した時には、「そうしたつもり」だったろう。
ところが「シロエ」は、そうはならずに、ピーターパンの本を後生大事に抱え込んだまま…。
(ステーションまで来てしまっていて、今もシステムに反抗的で…)
事あるごとにコールされては、少しずつ記憶を「消されている」。
システムに逆らう理由の因子を、マザー・イライザに取り除かれて。
「これは不要だ」と機械が過去の記憶を選り分け、「シロエ」の中から抹消して。
そう、「今はまだ」、度々、コールされるだけ。
反抗的な行動をすれば、あの部屋に呼ばれて「眠らされて」、何か「消される」だけ。
自分でも直ぐには思い出せない、とても小さな子供時代の記憶を、巧みに抜き取られて。
いったいどれを消去したのか、シロエ自身にも「気付かせない」ような形で。
(何日も経ってから、「消された記憶は、コレだったんだ」って…)
気付いて悔しく思う程度で、今はまだ済んでいるのだけれども、これから先は分からない。
このまま逆らい続けていたなら、ある日突然、地獄の底へ落ちるのだろうか。
マザー・イライザからのコールを受けて、「またか」と出掛けて、それでおしまい。
(いつもの部屋から出て来た時には、今、此処にいる「ぼく」はいなくて…)
システムに何の疑問も抱かず、従順に生きる「シロエ」が代わりに、この人生を歩んでゆく。
大切に持って来たピーターパンの本が、「思い出の一つ」に過ぎない「シロエ」になって。
反抗的だったことなど忘れて、故郷のことも、両親のことも、思い出になって。
(……もしかしたら、いつか、そうなるのかも……)
まさか、と身体が震え出すけれど、その日が「来ない」とは言えない。
逆らい続けて生きていたなら、「違うシロエ」に作り替えられてしまう日が訪れて。
(…でも、従順になったふりをしたって…)
機械は全てお見通しだから、きっと無駄だ、という気がする。
ならば「このまま」生きてやろうか、そうやって生きて、行きつく先は地獄でも。
自分でも「全く気付かないまま」、違う自分にされてしまう日が来るのだとしても…。
逆らい続けたら・了
※シロエの記憶を「すっかり書き換えてしまう」ことは、機械には可能なことなのかも。
アニテラのSD体制は緩めですけど、もしも機械が本気を出したら、有り得る恐ろしい未来。
