(…ぼくって、嫌な奴だ…)
本当に嫌な奴だよね、とシロエが抱えた自分の膝。
E-1077の中の個室で、自分の部屋で。
灯りを控えめに落とした部屋。
其処のベッドで、まだ制服は着込んだままで。
着替えようかとも思ったけれども、此処での私服は与えられたもの。
自分の好みで選べるとはいえ、マザー・イライザが職員に託して寄越すもの。
制服とあまり変わりはしない。
どちらも機械が関わって来るし、此処に来る前とは全く違う。
これが故郷なら、母が選んでくれたのに。
「こんなのはどう?」と買って来てくれて、「似合うわね」と言ってくれたのに。
今は顔すら霞んでしまった、はっきりとは思い出せない母。
けれども、母が買ってくれた服、それは確かで間違いないこと。
此処では機械が寄越すのに。
制服も私服も、全て機械が人に命じて、部屋まで届けさせるのに。
だから大して変わらない。
制服だろうが、私服だろうが。
(……機械なんか……)
どれも嫌いだ、と憎くてたまらない機械。
マザー・イライザも嫌いだけれども、記憶を消してしまった機械。
「捨てなさい」と命じたテラズ・ナンバー・ファイブも、絶対に許しなどしない。
成人検査がどんなものかも、まるで知らなかった目覚めの日。
あの日を境に世界は変わって、子供時代も故郷も消えた。
大好きだった両親が暮らす、エネルゲイアに在った家。
其処から引き離されてしまって、何も残りはしなかった。
子供時代の記憶を奪われ、こんな所に放り込まれて。
エリート育成のためのステーション、E-1077に連れて来られて。
SD体制の要になる者、エリートたちを育てる最高学府。
それが此処だと聞かされたけれど、教えられても来たのだけれど。
(……来たくなかった……)
両親や故郷と引き換えにするだけの価値は、自分には見付けられないから。
同級生たちは「来られて良かった」と口にするけれど、故郷の方がいいと思うから。
機械に消されて、ぼんやりとなった記憶の中でも懐かしい故郷。
顔さえ思い出せなくなっても、会いたい気持ちが募る両親。
あのまま故郷で暮らしたかった。
エリートなどにはなれなくても。…地球に行く道が閉ざされても。
(…ネバーランドだけで良かったのに…)
幼い頃から夢に見た国、子供が子供でいられる世界。
辿り着くことは叶わなくても、ずっと夢見ていたかった。
…こんな現実が来るのなら。
機械に記憶を消された上に、監視される世界に来るくらいなら。
(…一生、辿り着けないままでも…)
ピーターパンと一緒に空を飛ぶ夢、それを持ち続けていたかった。
いつかはネバーランドへと。
ピーターパンが迎えに来たなら、高い空へと舞い上がるのだと。
(…二つ目の角を右に曲がって…)
後は朝までずっと真っ直ぐ。
そうすれば行けるのがネバーランドで、行き方だけが残った手元。
ピーターパンの本だけは持って来られたから。
今も膝の上に乗っているから、膝を抱えれば抱き込めるから。
「此処にあるよ」と、大切な本を。
両親に貰った宝物の本を、此処まで一緒に来てくれた本を。
たった一冊の、古ぼけた本。
それしか残ってくれはしなくて、それを頼りに思い出す故郷。
この本を家で読んだ筈だと、両親だっていたのだと。
何もかも全部本当のことで、けして幻ではなかったのだと。
…二度と戻れはしない過去でも。
今の自分には戻れない場所で、手を伸ばすだけ無駄だとしても。
(…それを平気で手放すだなんて…)
どうして故郷を、家を手放せたのだろう。
「此処に来られて良かった」と言う者たちは。
自分と同じに此処へ来た者、エリートを目指す同級生は。
信じられない思いだけれども、上級生たちを見れば分かること。
「そちらの方が普通なのだ」と。
誰も過去にはこだわりが無くて、見ている先は未来だけ。
地球に行こうと、出来るものならメンバーズ・エリートに選ばれたいと。
輝かしい道を掴み取ろうと、きっといつかは手に入れようと。
…過去も故郷も、何もかも捨てて。
自分を育ててくれた養父母、その記憶さえも捨ててしまって。
(みんな機械の言いなりになって…)
監視されていても、命令されても、誰も不思議に思いはしない。
相手はコンピューターなのに。
人間ではなくて、ただの機械の塊なのに。
(…機械は答えを弾き出すだけ…)
プログラム通りに計算するだけ、その通りに思考してゆくだけ。
人間のように生きていないし、感情などもあるわけがない。
なのに、誰もが懐いてゆく。
まるで本物の、生きた母親がいるかのように。
自分を育てた親の代わりに、マザー・イライザが現れたように。
そうなってゆく者を何人も見たし、こうする間にも増えてゆく。
一人、また一人と増えてゆくのが「マザー牧場の羊」たち。
いつから彼らをそう呼んでいたか、呼び始めたかは忘れたけれど。
それは些細なことだけれども、自分は混ざれない羊たちの群れ。
マザー・イライザが、機械が与える牧草などは食べられないから。
とても口には合わないから。
口に合うどころか、自分にとっては毒草と言ってもいいくらい。
一度食べたら、きっと全身が麻痺してしまう。
心も身体も損ねてしまって、きっと自分はいなくなる。
他の者たちと全く同じに、マザー牧場の羊になって。
両親も故郷も捨ててしまって、マザー・イライザの望み通りの羊。
なまじ成績がいいものだから、それは素晴らしいメンバーズ。
そんな存在、自分でも気付かない内に。
ピーターパンの本も、両親のことも、故郷もいつしか忘れ果てて。
(……そんなの、嫌だ……)
絶対になってたまるものか、と噛んだ唇。
同級生たちのようになりはしないと、何としてでも踏み止まろうと。
たとえ誰もに背を向けられても、孤立してゆくだけであっても。
…とうに、そうなり始めているから。
彼らと同じに歩けはしなくて、行く先々で衝突だから。
(…みんなと同じに考えるなんて…)
出来はしないし、やりたくもない。
皆が等しく仲間だろうが、そうだと教えられようが。
手を取り合えと、全ての者たちが「地球の子」なのだと、背を押されようが。
(…ぼくには、とても出来っこない…)
皆と同じに生き始めたなら、破滅するしかないのだから。
機械が与える毒の牧草、それを食べたら、自分は消えてしまうのだから。
嫌だ、と抱え込んだ膝。…丸めた背中。
「ぼくは同じになれやしない」と。
どんなに孤独で独りぼっちでも、自分を失くしたくはない。
マザー牧場の羊は御免で、選ぶのは皆と逆の生き方。
機械が「右へ」と命じるのならば、左へと。
「手を取り合いなさい」と促すのならば、手を振り払う方向へ。
そうしていないと、流されるから。
自分でも全く気付かない間に、毒の牧草を食べてしまうから。
(…それが機械のやり口なんだ…)
成人検査で思い知らされた、機械の手口。
何も知らなかった自分を捕えて、消してしまった記憶と故郷。…かけがえのない両親さえも。
たった一冊の本を残して、消えてしまった本当のこと。
エネルゲイアで生きていた子供、あそこで育ったセキ・レイ・シロエ。
だから機械は、これからもやる。
自分が隙を見せたなら。
マザー牧場の羊たちと一緒に、餌場に姿を現したなら。
言葉巧みに誘い出すのか、無理やりに口を開けさせるのか。
どちらにしたって、毒の牧草を食べさせられることだろう。
…全てを忘れ去らせるために。
とびきり上等のマザー牧場の羊、メンバーズ・エリートになれる羊を作り出すために。
(…一緒に行ったら、おしまいなんだ…)
羊になってしまった者と。
いつか羊になるだろう者や、半分羊になっている者。
そんな者たちと一緒にいたなら、きっと自分も羊にされる。
「丁度いい」と機械に捕まえられて。
機械の手下の羊飼いたち、彼らに餌を食べさせられて。
(絶対に嫌だ…)
ぼくは羊になんかならない、と抱える膝。
両親のことを忘れはしないし、育った家も、懐かしい故郷も忘れない。
ピーターパンの本を抱えて、このまま取り残されたって。
上等な羊になり損なって、マザー・イライザに嫌われたって。
(…羊になりたくなかったら…)
けして餌場に近付かないこと。
「一緒に行こう」と誘う者たち、餌場に行く仲間を作らないこと。
油断したなら終わりだから。
誘った仲間に悪気が無くても、結果が全てなのだから。
「いいよ」と一緒に出掛けたが最後、「シロエ」はいなくなるかもしれない。
両親が、故郷が、ピーターパンの本が大切だった、今のシロエは。
何もかも全部捨ててしまった、別のシロエになるかもしれない。
毒の牧草を食べたなら。
知らずにウッカリ食べてしまうとか、餌場で無理やり喉の奥へと突っ込まれて。
(そんなの、嫌だよ…)
自分がいなくなるなんて。
…別の自分になってしまって、両親も故郷も忘れるなんて。
その方が正しい道だとしたって、楽に歩いてゆくことの出来る道だって…。
(…ぼくは行かない…)
羊たちと一緒に行きたくないから、振り払うしかない仲間。
「みんな嫌いだ」という顔をして。
友達なんか要りはしないと、欲しいと思っていやしない、と。
羊と一緒にいたら終わりで、いつか餌場に行くだろうから。
自分でもそれと気付かないままで、毒の牧草を食べる日が来てしまうから。
分かっているから、振り払う。
同級生たちは悪くなくても。
マザー・イライザに、機械に騙されただけの、ただの善良な羊でも。
(…ぼくを餌場に誘うから…)
誘いそうだから、嫌いなふりをするしかない。
「いい奴なんだ」と分かっていても。
懐かしい故郷にいた頃だったら、友達になれたような者でも。
羊と一緒に過ごしていたなら、きっと訪れる破滅の時。
それを避けるには嫌うしかなくて、端から払いのけるしかない。
「嫌な奴だ」と思われても。
…「なんて奴だ」と嫌われても。
自分でも「嫌な奴だ」と思うけれども、そうしないと身を守れない。
毒の牧草から逃げられない。
(……パパ、ママ……)
ぼくはみんなに嫌われてるよ、と零れる涙。
きっとパパたちもビックリだよねと、「シロエはこんな子じゃない」と。
けれど他には道が無いから、今は鎧を身に纏うだけ。
羊たちに近付かないように。
一緒に餌場に出掛けないように、独りぼっちで立ち続けて…。
身を守る鎧・了
※子供時代は可愛かったシロエが、生意気なシロエになってしまった理由。
今でも中身は同じなのにね、というのを真面目に書いたら、こういう話になっちゃいました。
(…まだだ。まだ倒れるわけにはいかない…!)
制御室に辿り着くまでは、と立ち上がったブルー。よろめきながらも、根性で。
そうやって着いた、青い光が溢れるメギドの制御室。
再点火まではもう五十秒を切っているらしいから、なんともヤバイ。一刻も早く破壊しないと、ナスカが、ミュウの未来が危うい。
(コントロールユニット…)
あれか、と見付けて歩み寄ろうとしていたら。
「やはりお前か、ソルジャー・ブルー!」
嫌すぎる声が聞こえて来たから、振り返った。この声は地球の男だな、と。
なんとも厄介な展開だけれど、そっちの相手もするしかない。でないとメギドは止まらない上、自分の命もヤバイ状況。此処で死んだら後が無いから…。
(先手必勝…!)
振り向きざまにブチ殺すまで、と考えた上で振り向いたのに。
(……なんだ?)
こいつは何を、とポカンと開けてしまいそうになった口。
なんとか堪えて踏みとどまったけれど、この場合、いったいどう言うべきか。
(…こいつ、思い切り馬鹿だったのか…?)
まさか、と呆れて眺めたキースの姿。拳銃をこちらに向けているけれど…。
いくらなんでも撃つわけがない、と思った拳銃。
ダテにソルジャーを長年やってはいないから。十五年ほど眠りっ放しでも、寝起きでも。
(こんな所で発砲したら…)
メギドシステムが壊れかねないんだが、というブルーの読みは正しい。
なにしろメギドの制御室には、精密機器がギッシリ詰まっているから。自分が破壊しようとしているコントロールユニット、それなどは極め付けだから。
(弾の一発でも当たろうものなら…)
もうバチバチと出るのが火花で、オシャカになるのがメギドシステム。
たった一発の銃弾で。たかがキースの拳銃一丁、そいつが放った弾の一つで。
(…こういう所では発砲するなと…)
教えられていないか、と思うけれども、そのキース。
「まったく驚きだな…。此処まで生身でやって来るとは。…まさしく化け物だ」
本気で向けているらしい銃口、その辺りからして馬鹿っぽい。制御室で発砲しようという段階で既に激しく馬鹿だけれども、それよりも前に…。
(…タイプ・ブルーを相手に拳銃一丁…)
死亡フラグというヤツだから、と入れたいツッコミ。
メギドの炎も受け止められるのがタイプ・ブルーで、さっきナスカでやったばかりだから…。
(充分、学習するだけの余地は…)
あった筈だし時間もあった、と言いたい気分。マジで馬鹿か、と。
(下手に撃ったらメギドは終わりで、こいつの命も綺麗サッパリ…)
宇宙の藻屑になるわけなんだが、と開いた口が塞がらない状態。辛うじて口は閉じたけれども、言葉も無いとはこのことで…。
(脅しにしたって、タイプ・ブルーに拳銃は…)
効きはしないと習わなかったか、と心でツッコミ、地球の男は馬鹿かもしれない。メンバーズな上に、フィシスと同じ生まれでも。機械が無から創ったというエリートでも。
(…これで撃ったら、真面目に馬鹿だが…)
さて、どう出る、とキッと睨んだ。メギドの再点火までは秒読み、時間が惜しい。馬鹿の相手はしていられないし、馬鹿でないなら、それなりに…。
(死んで貰うか、意識を奪って転がしておくか…)
どっちにしたってメギドと一緒に命は終わり、と考えていたら。
「だが、此処までだ。…残念だが、メギドはもう止められない!」
(…へ?)
思わず間抜けな声が頭の中で上がった、まるでキャラではないけれど。
ソルジャー・ブルーが「へ?」などと口に出そうものなら、ミュウの仲間は絶句だけれど。
なのに「へ?」としか出なかったわけで、そうなったのも…。
(…馬鹿だ、この男…)
でなければ阿呆、と凄い速さで回転した頭脳、人類ではなくてミュウだから。
宇宙空間を生身で飛ぶ上、ナスカから此処まで来たほどなのだし、瞳に映ったキースの動きは、もう亀のようにトロイもの。例えて言うならスローモーション、そんな感じで超がつくトロさ。
だから見切った、キースが引き金を引いたのを。
発砲禁止の筈の制御室、弾が当たればパアになる場所で撃ったのを。
そうとなったら、使わなければ損なのが弾。
自分が根性で破壊するより早いから。ほんの一発ブチ当たったなら、コントロールユニットの心臓とも言える精密機械はパアだから。
(まさに渡りに船…!)
貰った、と見詰めたキースの銃弾、ちょっと加えた自分のサイオン。弾の軌道は見事に狂って、真っ直ぐに…。
(行って来い…!)
あそこだ、と命じたコントロールユニットの心臓部。当たればバチッと出るのが火花で、自分が何も手を加えずとも…。
(これで終わりだ!)
馬鹿が自分で壊すわけで、と嗤っているのに、残念なことにキースは人類。
ミュウな自分の速度に全くついて来られなくて置き去り状態、笑みなどに気付く筈がない。弾がどっちに向かっているかも、まるで見えてはいないのだから。その上に…。
(有難い…!)
まだ撃つのか、と頂戴した弾、二発ほど。そいつもコントロールユニットに向けて送ってやったから。念には念をと、トドメを刺せる場所にブチ当ててやったから…。
「な、なんだ!?」
何が起こった、と慌てたのがキース、自分が発砲したくせに。
制御室とは初対面なミュウでも、此処で撃ったら馬鹿だと分かっていたというのに。
キースの弾を三発食らって、火を噴いているのがメギドの心臓。コントロールユニットは派手に壊れて、断末魔の叫びを上げる有様。この状態で発射したって…。
「…壊れるだろうな、このメギドは」
お前が自分でやったんだろうが、と勝ち誇った笑みを浮かべてやった。
残り時間は少ないけれども、嫌味を言うには充分すぎる。ついでに自分が生き残るにも。
(こいつは放置で、何処かから船…)
それを貰って逃げるとするか、と瞬間移動をしかけた所へ二人目の男が飛び込んで来た。
「少佐! 此処は危険です!」
(…こいつの方が優秀らしいな)
発射直前のメギドシステム、制御室からは離れるに限る。たとえ壊れていなくても。
そういう意味でも地球の男は「ド」のつく阿呆、とトンズラしかけて気が付いた。優秀な部下は自分と同じでミュウらしいと。
それなら事情は少し異なる、自分にとっても美味しい話。
このまま普通にトンズラするより、楽で楽しい方がいい。チョイスメニューで選べるならば。
(…ぼくが自力で逃げ出した場合…)
船を奪って自分で操縦、何処へ向かったかも謎なシャングリラを追って宇宙で流離いの旅。
けれども、キースを利用したなら、これまた何もしなくても…。
(…ちゃんとシャングリラを見付けて貰って、お土産も込みで…)
悠々と凱旋できるじゃないか、と弾いたソロバン、この時代にソロバンは無いけれど。
カシオミニだって無いのだけれども、サクサク計算、パチンと弾き出した解答。
よし、とキースを見据えて言った。
「取引をしよう、キース・アニアン」
「…取引だと!?」
いったい何を、と顔に焦りが見えているから、「落ち着きたまえ」と手で制した。
「どう考えても、このまま行ったら君の命は無いと思うが」
「やかましい! 私には、このマツカがだな…!」
こいつが私の秘密兵器だ、とマツカと呼ばれたミュウに助けて貰うつもりのようだから…。
「なるほどね…。そのマツカが、ぼくに歯が立つとでも?」
ぼくだけが逃げて、君とマツカは放置という手も打てるんだが、とニヤリと笑ってみせた。
「さあ、選べ」と。
此処でマツカと心中するのか、土下座して自分に助けて貰うか。
選べる道は二つに一つで、急がないと自分はトンズラすると。
火を噴きまくりのコントロールユニット、この状態でメギドが発射されたら終わりだな、と。
「ま、待ってくれ…!」
キースが叫んだ所でジ・エンド、メギドシステムはエネルギー区画を爆発させて炎を吐いた。
辛うじてナスカを壊せる程度に落ちてしまった照射率。
当然のようにシステムダウンで、メギド本体の爆発も拡大中で…。
「…それで、どうすると?」
助かりたいようだから助けてやったが、とブルーは腰に両手を当てた。
瞬間移動で制御室から飛び移った先のエンデュミオンで。…キースが指揮官な船の通路で。
キースとマツカは腰が抜けたといった状態、通路にへたり込んでいるものだから…。
「…う、うう…」
唸るしかないのがキースなわけで、それを見下ろして仁王立ち。
「…取引は成立したようだが? 君とマツカは助かったのだし」
この代償は払って貰おう、君のエリート生命を賭けて。
ぼくが逃げるための船の用意と、シャングリラの居場所を探し当てて、その近くでぼくを逃がすこと。もちろん、追ったら君の命はパアになる。…取引は其処で終わりだから。
それから、ぼくが無事にシャングリラに帰れる時まで、賓客待遇して欲しい。
とりあえず、三食昼寝付きは確約、午前と午後にはお茶の時間もよろしく頼む。
これだけのことをしてくれるのなら、君の命を助けよう。嫌だと言ったら…。
其処の宇宙に放り出すまで、と通路の壁を指差した。
マツカとセットで宇宙の藻屑になりたくないなら、この条件を飲むがいいと。
「承諾するなら、メギドの件は引き受けよう」
これは出血大サービスだ、と恩着せがましく浮かべたスマイル、多分、スマイル無料な感じ。
キースが条件を全て飲むなら、メギドの爆発は自分のせいだということでいい、と。
大爆発して沈んだメギドは、ミュウの元長が捨て身で破壊活動した結果。
けしてキースが撃った銃弾、それのせいでは全くないと。
キースは制御室で発砲してはいないし、ミュウの元長が大暴れをしただけなのだ、と。
「…お前のせいにするというのか…」
そしてお前は死んだということになるのだろうか、と馬鹿なりに理解したようだから。
「…そうなるが? その方が、ぼくも何かと好都合だし…」
三食昼寝付きの日々と、お茶の時間と、シャングリラに帰るための船の用意、と凄んでやった。
全部飲むなら、泥を被ってやってもいい。
答えがノーなら、ちょっと宇宙に出て貰おうか、と。
「…わ、分かった…! さ、三食昼寝付きなのだな…!」
お茶の時間に船の用意だな、と慌てふためくキース・アニアン、かくして成立した取引。
その日からキースの指揮官室には、ミュウがふてぶてしく居座る結末。
キースが迂闊に撃ったばかりに、勝利を収めたミュウの元長、ソルジャー・ブルーが。
何かといったら「下手に喋ったら、命は無いと思いたまえ」と決め台詞を吐いて我儘放題、傍若無人な伝説のタイプ・ブルー・オリジンが。
けれど全ては身から出た錆、キースには何も出来ないから。
グランド・マザーにバレようものなら、本気で後が無いわけだから…。
(…明日のおやつは、うんと豪華に…)
マツカに頼んでクレープシュゼット、とソルジャー・ブルーの優雅な日々。
まだシャングリラは見付からないから、当分は三食昼寝付き。
午前と午後のお茶は必須で、キースとマツカにかしずかれる日々、二人の命の恩人だから。
メギドを壊したキースの罪状、それを代わりに引っ被ってやって、恩をたっぷり売ったから。
(…人類の船でも、住めば都で…)
食事もおやつも実に美味しい、とソルジャー・ブルーは御機嫌だった。
いつかシャングリラに帰る時には、お土産も貰う予定だから。
憧れの地球の座標をゲットで、悠々と帰るシャングリラ。
地球の座標をジョミーに伝えて引き継ぎをしたら、楽隠居の日々が待っているから…。
逆転した立場・了
※いや、制御室で発砲するのはマズイんじゃないか、と思ったわけで…。こうなるから。
そして本当にこうなったわけで、キースは二階級特進したって、ブルーに顎で使われる日々。
「そうだわ、これ…。約束の」
スウェナに手渡された大きな封筒。「じゃあね、サム」と立ち去る前に。
(…これが…)
シロエからのメッセージなのか、と見詰めたキース。
スウェナが前に言った通りなら、自分宛だというメッセージ。
(…この重さなら…)
それに大きさ、中身は多分、予想通りのものだろう。
シロエが大切に持っていた本。子供時代からのシロエの友。
(ピーターパン…)
これが、と腰を下ろしたベンチ。
さっきまでスウェナも座っていたベンチ、今はサムとの二人きり。
(…あの本だ…)
中身はそうだ、と開いて出そうとしたけれど。
其処で止まってしまった手。
「ピーターパン」と書かれたタイトル、それが現れた所あたりで。
…何故なら、本は焦げていたから。右上の方が、黒く無残に。
それに端の方が破れてもいた、シロエが大切に持っていたのに。
シロエだったら、こんな風に本を損ねるようには、扱ったりはしないのに。
(……シロエ……!)
本当に私宛なのか、と見開いた瞳。
きっと何かの間違いだろうと、この本は自分宛ではないと。
本全体を取り出してみたら、確信に変わっていた思い。
(…シロエ……)
そんなにも大切だったのか、と。
この本を持っていたかったのかと、失いたくない本だったかと。
あちこちが焦げて、破れたりして、無残な姿になっている本。
遠い日のシロエの宝物。
(…この本だとは思っていたが…)
シロエが何かを残したのなら、キーワードが「ピーターパン」ならば。
けれども、焦げて破れている本。
かつて見た本は、ただ古びていただけだったのに。
シロエと共に在った年数、それを示していただけなのに。
(…あれより、幾らか…)
過ぎた歳月、十二年分だけを経た本が来ると信じていた。
目にするものは、それだと思った。
廃校になったE-1077、その中の何処かに眠っていたのが見付かったのだと。
今は政府の関係者すらも、簡単に入れはしない場所でも。
(…だが、これは…)
この本は其処に在ったのではない。
E-1077で見付かったのなら、何処も焦げてはいないだろうから。
十二年分の歳月だけを映した本の筈だから。
なのに、本には焼け焦げた跡。
シロエが見たなら、きっと悲しむことだろう。
「ぼくの本…」と。
どうして焦げてしまったのかと、破れているのは誰のせいかと。
きっと瞳から涙を零して、ギュッと両腕で抱き締めて。
…遠い昔に、そうしたように。
追われるシロエを匿った時に、目覚めて直ぐにしていたように。
「ぼくの本…!」と胸に抱き締めたシロエ。
自分の視線に気付くまでの間、それは幼い子供の顔で。
シロエがやった、と直ぐに分かった。
この本が何処からやって来たかも、どうして焦げてしまったのかも。
(……ピーターパン……)
逃げるシロエの船を追う時、通信回線の向こうで聞こえた声。
ポツリポツリとシロエが語り続けた、ピーターパンの本に書いてあること。
(…あれはシロエの記憶ではなくて…)
記憶していた本の文章、それを語っているのだと思った。
あの船を追っていた時は。
後には考え直したりもした、「あれは音読だっただろうか?」と。
ピーターパンの本と一緒に、シロエは宇宙(そら)へ逃げたのかと。
本を絶え間なく読み続けながら、宇宙を飛んで行っただろうかと。
(…私宛のメッセージだと聞いて…)
あの本だろう、と考えた時に、あっさりと捨ててしまった仮説。
「シロエは本と一緒だった」という仮説。
ピーターパンの本があるなら、シロエが読んでいた筈がないから。
シロエと一緒に在った本なら、残っている筈が無いのだから。
(……撃ったんだ……)
この手で、シロエが乗っていた船を。
左手で合わせたレーザー砲の照準、発射ボタンを親指で押した。
そしてシロエは宇宙から消えた、レーザーの光に焼き尽くされて。
もう本当に一瞬の内に、溶けて蒸発しただろうシロエ。
「何か光った」と思う間もなく、跡形もなく。
髪の一筋も、血の一滴も、何一つ残さないままで。
(…シロエの姿が残らないのに…)
もっと弱くて燃えやすい本、紙の本が残るわけがない。
本があるなら、シロエはそれを持って逃げたりはしなかった。
E-1077に置いて去ったと考えたのに…。
(……シロエ、お前は……)
こんなにも大切だったのか、と見詰めたピーターパンの本。
自分の身よりも本を守ったかと、命よりも大切な本だったのか、と。
レーザー砲に焼かれながらも、この程度で済んだ本の損傷。
それがシロエの意志だったから。
「ぼくの本…!」と、あの日、抱き締めたように、きっとシロエが抱き締めたから。
この本だけは、と。
大切な本で、守りたい宝物だから、と。
(…どうして自分を守らなかった…!)
お前は馬鹿だ、と涙が溢れそうになるのを堪える。
此処で自分は泣けはしないし、膝の上にはサムが頭を乗せているから。
感情の乱れを外には出せない、もうじき部下もやって来るから。
(…シロエ……)
そう、じきに現れるだろうマツカ。
ペセトラ基地で出会ったマツカも、シロエと同じにMだから分かる。
彼に命じたサイオン・シールド、それで自分は生き延びたから。
ミュウの追手から逃れたから。
(…やったことが無い、と叫んだマツカにも出来たんだ…)
Mが、ミュウが使うサイオン・シールド。
爆発から身を守れるもの。
実験で何度も目にしていたそれを、自分自身が体験した。
「凄いものだ」と、「やはり化け物」と。
シロエも、きっと同じにやった。
レーザー砲を撃った瞬間、本を守ろうと。
大切なピーターパンの本をと、シロエが展開したろうシールド。
…自分を守れば良かったのに。
ピーターパンの本を抱えて、自分ごと守れば助かったろうに。
(…マザー・イライザ…)
今だから分かる、あの日、イライザが命じたこと。
シロエの船を撃ち落とした場所、其処へと船を向けさせたこと。
(…シロエが爆発から逃れていないか……)
それを確かめさせたのだ、と。
イライザは知っていたのだから。
シロエはMだと、ミュウならば生き残ることもある、と。
上手くシールドを展開したなら、船が微塵に砕けた後も。
レーザー砲で焼かれた後にも、シロエは宇宙に浮いているかもしれないと。
(…どうして、本だけを守ったんだ…!)
お前は馬鹿で、大馬鹿者だ、と叫びたいけれど、これが結果で、残ったのは本。
シロエが上手くやっていたなら、きっと生き延びただろうに。
もしも宇宙に浮いていたなら、あの時、発見していたとしても…。
(…マザー・イライザには、何も見なかったと…)
戻って報告していたろう。
どうせシロエは死ぬのだから。
漆黒の宇宙に浮いていたって、何処からも助けは来ないのだから。
けれど、自分は知っている。
今の自分は、その後のことを聞かされたから。
「鯨」が目撃されたこと。
シロエの船を撃った場所から、そう離れてはいない所で。
「鯨」はMの、ミュウたちの母船。
それがいたなら、シロエを救いにやって来た筈。
彼らは気付くだろうから。
Mの仲間が宇宙にいると、生命の危機に瀕していると。
助かり損ねてしまったシロエ。
本を守って、自分は散って。
もう少しばかり、シロエが自分を大事にしたなら、大切に思っていたのなら。
(…本だけではなくて…)
シロエも助かっただろうに。
Mの母船に、鯨に救われ、彼らと共に去っただろうに。
(…命よりも大事だったのか…)
機械の言いなりになって生きる人生、そんな命に何の意味が、と言っていたシロエ。
彼の心の支えだった本、きっと命よりも大切に思っていたのだろう本。
(…それが残ってしまったか…)
シロエの代わりに、此処に、こうして。
レーザー砲の光を浴びても、焦げて破れたりしただけで。
(…これほどに…)
強い力を生むのか、Mの思いは。ミュウの心というものは。
ならば恐らく、人類はいつか敗れるのだろう。
今は狩られるだけのミュウでも、いずれは牙を剥くだろうから。
その兆候は既に、出ているから。
「大佐。…先ほど、ペセトラ基地の部隊が全滅したとの報告がありました」
キルギス軍管区から増援を送るそうです、と現れた部下。
靴音でもう分かっていたけれど、スタージョン中尉。その隣にマツカ。
(……シロエ……)
マツカにシロエを重ねていた。
かつて殺すしか道が無かったシロエの代わりに、Mのマツカを生かそうと。
どうしてシロエも生き残る方へと行かなかったか、本を守って逝ったのか。
「…無駄なことを」
「は?」
何が無駄だと、という風な顔の部下だけれども。
ピーターパンの本を何気ない顔で仕舞って、見上げたサムの病院の上に広がる青空。
「戻るぞ」とベンチから立ち上がりつつも、その空の向こうに見えた気がした。
Mの母船が舞い降りる日が。
シロエを乗せていたかもしれない、鯨が空から降りて来る日が。
いつか人類は、Mに敗れるだろうから。
命よりも大切だった本を守って、Mのシロエは空へと飛んで行ったのだから…。
此処に在る本・了
※ピーターパンの本が焼けずに残った理由は、コレだろうな、と前から思っているわけで…。
同じネタをシロエ側から書いているのが「宝物の本」というヤツ、短いですけどね。
(危険だ、あいつは…!)
ナスカに降ろしてたまるものか、とジョミーが引き摺り落とした船。
それに乗っていた男ごと。「知っている感じ」がする人間ごと。
真横を掠めて落ちたからして、「くたばったのか?」と確認に出掛けた操縦席。覗いたら空で、後ろで聞こえた呻き声。
しぶとく生存していた人類、身元を確かめなければならない。その目的も。
『お前は、何者だ…!』
答えろ、お前は何者だ…!
そう送った思念、男の意識が戻って来たから畳み掛けた。
「何処から来た」と「目的は何だ」と、「誰に命じられた」と。その答えは…。
(メンバーズ・エリート…)
『人類統合軍の犬というわけか。マザーの勅命でミュウを倒しに…!』
この野郎、と睨み付けた犬。「テメエ、ただではおかないからな」とばかりに闘志満々で。
ガチで勝負で、負けるつもりはまるで無かったジョミーだけれど…。
「えっと…? 此処は何処ですか?」
ぼくはいったい、と起き上がったのが野犬、いやいや人類統合軍の犬。
しきりに頭を振っている上、なんともボケている雰囲気。マザーの勅命は何処へ行ったか、その欠片すらも全く無い感じ。
(えっと…?)
なんだか変だ、とジョミーの方でも訊きたい気分。「どちら様ですか?」と。
綺麗サッパリ消えている敵意、さっきまでガンガンしていたのに。船がナスカに落ちる時まで、危険も敵意も満載だった筈なのに。
(いったい何があったんだ…?)
こいつ、とポカンと犬を眺めたジョミーだったけれど…。
犬の方でも、まるで分かっていなかった。自分が置かれた状況が。
墜落した時に頭をぶつけて、飛んでしまった記憶というヤツ。それはもう綺麗にサッパリと。
教育ステーションを卒業してからの十二年分ほどが、ものの見事に。
そんなわけだから…。
「ぼくは事故に…?」
遭ったんですか、と訊かれて唖然としたジョミー。事故も何も、と。
(…ぼくが墜落させたのに…!)
何も覚えていないのか、と観察した犬、本当に記憶が無いらしい。自分は消していないのに。
(……記憶喪失……)
きっと打ち所が悪かったんだな、と把握した人類統合軍の犬の現状。
そういうことなら、色々と役に立つかもしれない。なにしろ犬は記憶を失くして、リセット状態らしいから。…メンバーズになる寸前くらいで。
だったら、まずは信頼関係。其処が大切、これが今後を左右する筈。
もうとびきりの営業スマイル、そして右手を差し出した。
「落ちるのを見たから、救助に来たんだ。…君は?」
ぼくはジョミー・マーキス・シンだ、と名乗ったら。
「ありがとうございます。…キース・アニアンです」
E-1077に所属しています、と犬は友好的だった。記憶が飛んだ後だから。
マザーの勅命もミュウを倒すことも、何も覚えていなかったから。
其処へ折よくやって来たリオ、どうやらハーレイが寄越したらしい。「様子を見て来い」と。
丁度いいから、シャングリラに連れて行くことにしたキース、犬から昇格した男。
格納庫には長老たちが、「危険じゃ」と諫めに来たけれど…。
「はじめまして。…此処が皆さんの船ですか?」
こういう船は初めて見ます、と礼儀正しいのがキース。学生時代の終盤辺りにリセットだから、少しも大きくない態度。
「なんじゃ、こいつは?」
どうなっとるんじゃ、とゼルが指差すから、思念で説明したジョミー。「記憶喪失だ」と。
『今のキースは、メンバーズだが、メンバーズだったキースじゃない』
こちら次第でどうとでもなる、とニッと笑った。「何も覚えていないから」と。
『では、ソルジャー…。彼をどうすると?』
ハーレイが訊くから、「友達から始めてみようかと…」と思念で返答、キースを皆に紹介した。
「ナスカに墜落した客人だ。E-1077所属のキース・アニアン」
「キースです。…よろしくお願いします」
お世話になります、とキースがやったものだから、一気に和んだ場の雰囲気。本当にただの学生らしいと、少なくとも中身は学生だな、と。
「ようこそ、シャングリラへ。…私が船長のハーレイだ」
「わしは機関長のゼルじゃ」
「あたしは航海長のブラウさ。まあ、家だと思って寛いでくれれば…」
歓迎するよ、と迎えられてしまった、元は犬だったキース・アニアン。なりゆきだけで。
記憶がサッパリ消えているなら、役に立つ知識が満載なだけの学生だから。
そんなこんなで拾われたキース、学生時代はサムとも仲良くやっていた男。…不器用なりに。
彼から見ればジョミーは命の恩人なのだし、年だって近いわけだから…。
「…この船だけで生きているのか、君たちは?」
大変そうだな、とキースが同情したミュウの境遇。なんとも不自由そうなのだが、と。
「いや、慣れてしまえばそれほどでも…。済めば都とも言うからね」
それにナスカも多少は使える、と応じたジョミー。「ただ、問題が幾つか…」とも。
「問題…。それはテラフォーミングの関係か?」
上手くいかないのか、とキースが尋ねるから、「そっちはまだしも…」と濁した言葉。
「野菜だったら色々育つし、長い目で見ればいけると思う。だが…」
「何かあるのか?」
「出て行け、と言わんばかりの連中がいてね…」
我々の存在が邪魔らしいんだ、と切り出した核心、キースは「何故だ?」と驚いた。
「この船の他には、あの星だけしか無いんだろう? なのに出て行けと?」
「ああ。…よほど邪魔なんだろうな、ミュウというのが」
人類は、とフウとついた溜息、「そんなことは…」と顔を曇らせたキース。
「ぼくも、その…人類だというのに、君は救助をしてくれたわけで…」
きっと誤解があるのだろう、とキースの瞳にキリッと浮かんだ使命感。
人類の世界に戻った時には、自分が誤解を解いてみせると。命の恩人には礼をせねば、と。
「…それをやったら、君も大変だと思うんだが…」
いいんだろうか、と言いつつ、内心ホクホクのジョミー、「上手くいった」と。キースの方は、もう大真面目で、「任せてくれ」と拳を握った。
「まだ学生だが、いずれはメンバーズになるわけで…。その時は、必ず」
恩を返す、とガッチリ握手。「男と男の約束だ」と。
こうしてジョミーが友好を深めている間にも、色々と入る有益な情報。
キースは学生気分だけれども、本当はメンバーズ・エリートだから。おまけに心理防壁の訓練を受ける前の状態までリセットだから…。
(……読み放題……)
サムとマブダチだったことまで読み取れた。これはなんとも美味しい話。
(…サムは、ぼくと友達だったばかりに…)
悲しい結末になったけれども、サムの犠牲は無駄にはすまい。代わりにキースと友達になって、ミュウの未来をガッツリ掴もう、と決意したジョミー。
さりげない風で振った話題がサムの話で、キースは一気に食い付いた。
「そうだったのか、何処かで聞いた名前だとは思っていたんだが…」
君がサムの、と喜んだキース。「サムとは同級生なんだ」と。
「なんだ、君もサムと知り合いだったのか…!」
奇遇だよね、と叩き合った肩、ますます深くなった友情。
キースはすっかり「ミュウと友達」、たとえ記憶が戻ったとしても…。
(…これだけしっかり叩き込んでおけば…)
もう安心だ、とジョミーが弾いたソロバン、其処へ最強のミュウがやって来た。
何のはずみか、十五年もの長い眠りから覚めた先代の長で、ひょっこりと顔を覗かせて…。
「話の途中に申し訳ない。…お邪魔するよ」
ぼくも一緒にいいだろうか、と話に入って来たジジイ、いやソルジャー・ブルー。
見た目は若いし、キースは全く気にしなかった。「友達が一人増えた」という程度の認識。
ソルジャー・ブルーは何もかも、とうにお見通しの上に、巧みな話術。
キースはミュウの迫害の歴史と苦労話に滂沱の涙で、「きっと助ける」と約束した。
「今は一介の学生の身だが、君たちのためにも努力しよう」
まずはメンバーズで、必要とあらばパルテノン入りして、国家主席も目指すから、という誓い。
そしてソルジャー・ブルーはといえば…。
(…この男だったら、出来るだろうな…)
ジョミー以上に長生きしていて知識がある分、気付いたキースの生まれというヤツ。
機械が無から創った生命、フィシスと同じ身の上だ、と。人類の指導者候補なのだ、と。
(…そうとなったら、念には念を…)
記憶を取り戻した後も、ミュウとの友情も約束のことも忘れるなよ、とサックリとかけた強力な暗示。たとえ機械が干渉したって消せないレベルとクオリティで。
ダテに長生きしてはいないと、ソルジャー・ブルーを舐めるんじゃない、と。
かくして駄目押し、人類統合軍の犬だったキースは、根っからミュウ派になってしまった。
記憶喪失が治ったとしても、忘れはしないミュウとの友情、それに約束。
其処へ「アニアン少佐、聞こえますか!」と、彼の部下らしきミュウが来たものだから…。
「…キース、迎えが来たようだ」
其処まで送ろう、と申し出たジョミー。
「ありがとう。…今日まで世話になった」
約束のことは忘れないから、とキースはジョミーとしっかり握手で、ソルジャー・ブルーや長老たちとも握手で別れた。「感謝する」と。
そんなキースを、ジョミーがマツカの船まで送ったわけだから…。
「…アニアン少佐、どうしたんですか!?」
ぼくを覚えていないんですか、と頑張ったマツカ。なんとか記憶を取り戻させようと。
「あ、ああ…。マツカ、どうした?」
私は何を…、とキースの記憶は戻ったけれども、その後のことは推して知るべし。
男と男が交わした約束と熱い友情、それは有効だったから。
ソルジャー・ブルーが駄目押ししたせいで、グランド・マザーにも手出しは出来なかったから。
人類の指導者となるべき男が、ガッツリしっかり、ミュウ派な男。
これでメギドが出るわけがないし、ミュウとの全面戦争だってあるわけがなくて…。
さほどの時を置かない間に、ミュウは地球まで行ってしまった。
グランド・マザーもキッチリ止められ、人類とミュウはアッサリ和解。
だからナスカは滅びもしないで、シャングリラは幼稚園だった。
トォニィたちの急成長が無かったからして、なんとも賑やかな船の中。
ソルジャー・ブルーの青の間にまで、遠慮なく走り込む幼児。トォニィを筆頭に、ワイワイと。
ナキネズミの尻尾を掴んで振り回しながら、「グランパ、いる!?」と叫びながら…。
落とした記憶・了
※キースの打ち所が悪かったら…、と考えてしまったナスカ墜落。ヘルメット無しだから。
記憶喪失だと案外いいヤツだろうし、本当にこういうオチになりそう。打ち所って大切かも。
(…まただ…)
多分、とマツカがかざした右手。
さっき運ばれて来た、キースの昼食。「大佐のお食事をお持ちしました」と。
いつも通りに受け取ったけれど、感じた違和感。手にした途端に。
けれど顔には出さずに応えた、「ありがとう」と。
恐らく、彼は何も知らない。食事を運んで来ただけのことで。
(…あんな若い子に…)
秘密を漏らす筈がないから。それに知ったら、動けなくなってしまうだろうから。
「お食事が終わった頃に、また伺います」と敬礼して去って行った青年。
国家騎士団に配属されて間もない新人、そういった感じ。
他の者と食堂で食べたりはしない、キースのような上級士官。
彼らの部屋まで食事を届ける、それを仕事にしている青年。
緊張しながら配って回って、頃合いを見て下げにゆくのが任務の下っ端。
(…でも、彼が…)
この責任を負わされるんだ、とトレイの上から取った一皿。
見た目にはただのシチューだけれども、きっと一口、食べただけでも…。
誰が、と集中してゆくサイオン。
残留思念を追えはしないかと、いったい誰の仕業なのかと。
人類はサイオンを持たないけれども、ミュウと同じに思考する生き物。
だから思念の痕跡は残る。それをサイオンとは呼ばないだけで。
(……薬……)
これは薬だ、と言い聞かせている誰かの心。
薬なのだから、問題無いと。
アニアン大佐の健康のためを思ってしていることなのだから、と。
その裏側に隠れた冷笑。
これで大佐も、さぞお元気に…、と。
日頃の激務をすっかり忘れて、リラックスなさることだろうと。…永遠に。
(……誰?)
誰の思いだ、と読み取ろうと捉えかけたのに。
被さって来たのが別の心で、そちらは明らかに好意。
「お出しする前に、冷めないように」と気遣う心。
もう一度、温めておくのがいいと。
鍋に戻せはしないけれども、このままで少し温めようと。
消えてしまった不穏な思念。
キースを「永遠に」眠らせる薬、それを入れたのは誰なのか。
厨房の者か、あるいは「水をくれないか?」と入って行った誰かか。
階級がかなり上の者でも、その口実なら入れるから。
まるで気まぐれ、たった今、思い付いたかのように。
何処かへ移動してゆく途中で、突然に喉が渇いたから、と。
(…厨房だったら、水をくれって言って入っても…)
言葉そのままに、水を渡しはしないから。
「本当に水でよろしいのですか?」と確認の言葉、「コーヒーでもお淹れしましょうか?」と。
それを承知で入ってゆくのが、自分の都合で動く者たち。
「ああ、頼む」と鷹揚に構えて、コーヒーが入るまでの間は…。
(…誰に遠慮もしないから…)
興味があるなら、鍋だって開ける。「これは何だ?」と。
並んだトレイを眺めだってする、「今日の食事はこれなのか」と。
トレイには名札が添えてあるから、簡単に分かることだろう。
どれがキースの食事なのかも、毒を入れるのに適した品も。
(…そういうことも…)
きっとあるんだ、と見詰めるシチュー。
自分がミュウでなかったならば、ただの人類だったなら…。
(…何も知らずに、キースに渡して…)
キースの方も、「ご苦労」とさえも言わずに受け取る。
彼はそういう人だから。
心では「ご苦労」と思っていたって、けして言葉にしない人。
もちろん顔にも出しはしないし、部下を労うことなどはしない。
けれど、充分、伝わる思い。
キースの心は読めないけれども、「ご苦労」と彼が思ったことは。
(そうやって、ぼくから受け取った後は…)
仕事でもしながら、黙々と食べてゆくのだろう。
毒が入っているかどうかも、きっと考えさえせずに。…調べさえせずに。
(…何度も、何度も…)
暗殺計画が立案されては、キースを襲って来たというのに。
この瞬間にも誰かが何処かで、次の計画を練っているかもしれないのに。
(不死身のキース…)
いつの間にやら、キースについていた渾名。
戦場でついた渾名だけれども、今では更に高まったその名。
襲撃も爆破も、命を奪えはしなかったから。
彼を狙って発砲したって、一発も当たりはしなかったから。
(…それでも、懲りずに…)
こうして毒を入れる者たち。
それが一番手っ取り早くて、リスクも低いものだから。
毒入りシチューでキースが死んだら、真っ先に疑われる者は…。
(さっきの青年…)
最後にトレイに触れた者だし、彼が届けに来たのだから。「お食事をお持ちしました」と。
キースの部屋まで、「アニアン大佐に」と、毒入りシチューを載せたトレイを。
(…本当は、最後に触れたのは…)
受け取ってキースに手渡した者は、自分だけれど。
ジョナ・マツカという名の側近だけれど、側近を疑う者などはいない。
長い年月、キースに黙々と仕え続けて此処にいるから。
ジルベスター星系以来の部下だし、キースが自分で選んだ側近なのだから。
その側近が一番危険なのだと、いったい誰が気付くだろう?
最初にキースの命を狙った、多分、そういう人間が自分。
ミュウを人間と呼ぶかはともかく、人類と一緒に扱っていいかは別にしたなら。
(…あの頃のキースは、メンバーズだったというだけで…)
今ほどに敵は作っていないし、きっと暗殺計画も無い。
冷徹無比な破壊兵器の異名を取っていたって、キース個人を恨むような者は…。
(戦場で根こそぎ消されてしまって、キースの側へは…)
きっと来られなかった筈。命を失くせば、キースを殺せはしないから。
そんな頃にキースと出会った自分。
身を守ろうとして、キースの命を奪おうとして…。
(…失敗して、殺される筈だったのに…)
キースに命を救われたから、今日まで彼について来た。
こうしてミュウの力を使って、何度もキースを守りながら。
ミュウの母船から逃げ出したキース、彼をサイオン・シールドで包んで救ったのが最初。
(…ミュウたちから見れば、裏切り者で…)
それ以外の者ではないだろうけれど、それが罪でも、守りたいキース。
彼の命を救ったせいで、ミュウの血がまた流されても。
此処でキースが死んでいたなら、何人ものミュウが助かるとしても。
(…あの人は、死に場所を探してるんだ…)
どういうわけだか、そんな気がする。
誰よりも強い心を持つ筈のキース、彼は死に場所を求めていると。
その時がいつ訪れようとも、きっと悔やみはしないのだろう。
だから、キースは気にも留めない。
渡された食事のトレイに誰かが毒を盛ろうが、毒入りシチューを届けられようが。
何も心に留めはしないで、毒入りシチューを食べるだけ。
スプーンで掬って、口に運んで、それで命を失おうとも…。
(…キースは、きっと困りもしない…)
その時が今やって来たか、と血を吐いて倒れ伏すだけで。
助けを呼ぼうとしさえしないで、一人きりで死んでゆくのだろう。
「これで終わりだ」と、遠い日にメギドでミュウの長に告げていた言葉。
赤い瞳を打ち砕いた弾、それを撃った時のキースの言葉。
それをそのまま、自分自身に向けるのだろう。
「これで終わりだ」と、「全て終わった」と。
きっと言葉に出しはしないで、毒で薄れゆく意識の底で、彼の心の中だけで。
「ご苦労」と口にしないのと同じに、自分だけで一人、納得して。
(…そんな、あなただから…)
ぼくはあなたを殺せないんだ、と見詰めるシチュー。
これをキースに運んで行ったら、何人ものミュウを救えるだろうに。
キースを殺した犯人だって、トレイを運んで来た青年。
きっとそういうことになるから、自分の身には及ばない危険。
「今度のことでは大変だったな」と、セルジュたちだって言うのだろう。
これから先はどうするつもりかと、新しい部署を用意しようかと。
(…そうなった時は、何処か、適当に希望を出して…)
其処に配属されるまでの間に、何日か貰えるだろう休暇。
それを使ってノアを離れれば、ミュウの母船へ行くことが出来る。
国家騎士団の中に隠れていたから、山のような機密を手土産に持って。
キースの側近だったからこそ得られた情報、国家騎士団や人類軍に纏わるデータ。
土産を山と持って行ったら、きっと不問に付されるのだろう。
ジルベスターからキースを救って逃げ出したことも、ミュウの長を見殺しにしたことさえも。
(…そのまま、モビー・ディックに隠れて…)
彼らと地球を目指せるのだろう、請われるままにアドバイスをして。
人類軍と国家騎士団、その艦隊とどう戦うべきかを。
けれど、選べはしない道。…選びたいとも思わない道。
キースを守って此処にいようと、とうに心に決めているから。
「役に立つ化け物」と呼ばれていようが、自分はそれでかまわないから。
(…裏切り者でも、化け物でも…)
ぼくがあなたを死なせない、と手にした毒入りシチューの皿。
これはキースに渡せないから、後で自分が処理するだけ。
この執務室に付属のキッチン、いつものように其処へ流して。
何事も無かったように皿を洗って、トレイに戻しておくだけのこと。
(不死身のキース…)
また伝説が一つ増えるけれども、それもキースの実力の内。
ミュウの自分を飼っていることも、裏切られないで心を掴んでいることも。
食事が一品、欠けてしまった食事のトレイ。
それをキースの執務室へと運んでゆく。
扉を軽くノックして。
「遅くなりました」と、「よろけて、シチューを駄目にしました。すみません」と。
「かまわん」と背を向けたままでいるキース。
本当にきっと、彼はどうでもいいのだろう。
シチューが消えた理由など。
毒入りだろうが、間抜けな部下がヘマをして駄目にしてしまおうが。
(あなたが、そういう人だから…)
此処にいなければ駄目だと思う。
裏切り者でも、化け物でも。
「ご苦労」とさえ言って貰えなくても、これが自分の生き方だから…。
守りたい人・了
※「ぼくが毒を盛っているかもしれませんよ?」というのがマツカの台詞なわけで。
誰かが毒を盛ったからこそ、こういう台詞になるんだよな、と。きっと日常茶飯事な世界。
