(あ…)
今日も、とマツカが零した溜息。
また今日もだ、と。
キースが去って行った後。
下げに出掛けたコーヒーのカップ、底に少しだけ残ったコーヒー。
本当にほんの少しだけ。
多分、一口で飲める程度の。
(…今度は何が…)
あったんだろう、と心の中だけで一人呟く。
キースの心を占めるのは何か、何が心を覆うのかと。
こういう風に残ったコーヒー、たまにキースが飲み残す時。
きっとキースは、何かに捕まってしまっている筈。
それの中身は分からないけれど。
苛立ちなのか、頭を悩ませるような何かか。
それとも悲しみ、あるいは後悔。
(…ぼくには何も分からないけれど…)
キースの心は読めないけれども、カップの底に残ったコーヒー。
今夜のように残っている日は、そうだから。
此処にキースの心は無いから、何処かへと飛んでいる筈だから。
初めてそれを目にした時には、自分が失敗したと思った。
キースの口には合わないコーヒー、不味いコーヒーを淹れたのだと。
(てっきりそうだと…)
考えたから、自分を叱った。
「次は、気を付けて淹れなければ」と。
そうして心を砕いているのに、キースのカップに残るコーヒー。
ほんの一口か二口分だけ、すっかり冷めてしまったものが。
これでは駄目だ、と懸命に覚えたコーヒーの淹れ方。
「美味いコーヒーを飲ませる店だ」と耳にしたなら、休暇の時に出掛けて行った。
国家騎士団にいるコーヒー好きにも、それとなく淹れ方を聞いたりした。
(キースが美味しそうに飲んだ時だって…)
どう淹れたのかを書き留めておいた。
キースは顔に出さないけれども、美味しそうに飲めば分かるから。
後姿を見ているだけでも、なんとなく分かるものだから。
それが自分がミュウだからなのか、そうでないかは分からない。
けれど、理由はどうでもいいこと。
キースが「美味い」と思うコーヒー、それを淹れられたら嬉しいから。
「役に立てた」と、心がほどけてゆくのだから。
そうやって覚えていったコーヒー。
キースの好む豆や淹れ方、そういったものを一つずつ。
なのに、キースはコーヒーを残す。
いつも通りに淹れた筈なのに、けして不味くはない筈なのに。
だから「変だ」と思った自分。
キースがコーヒーを残す理由は、味のせいではないかもしれない、と。
ならば、理由は何なのだろう?
コーヒーを運んだ自分の態度が気に入らないとか、気に障ったとか。
その可能性だって考えた。
自分が淹れたコーヒーなのだし、原因はきっと自分だろうと。
(ぼくのせいなら…)
少しもキースの役に立たない。
憩いのひと時の筈のコーヒー、それを「不味い」と思わせたなら。
「今日のコーヒーは美味くなかった」と、キースがカップに残すなら。
もっと、もっと気を配らねば。
コーヒーの味にも、「どうぞ」とキースに差し出す時にも。
指の先まで、神経をピンと張り詰めて。
声を出す時も、柔らかな声になるように。
キースが不快に思わない声、それから態度。
視線はもちろん、コーヒーを置いて去ってゆく時の背中にだって。
どれも気を付けて、キースの機嫌を損ねないように。
コーヒーを飲んで、心からホッと出来る時間を置いてゆけるように。
それなのに、やはり残るコーヒー。
たまにだったり、何日もそれが続いたり。
いったい何がいけなかったかと、何度も悩んだ。
「昨日のぼくは…」と思い返して、今日の自分と重ねてみたりと。
けれど解けない、分からない理由。
キースが飲まずに残すコーヒー、カップの底にほんの少しだけ。
もしかしたら、と気付いた日は…。
(…サムの病院…)
いつものように、キースについて出掛けた病院。
自分は病室に行かないけれども、外で帰りを待っていた時。
出て来たキースの顔に感じた、微かな曇り。
普段だったら、此処へ来た後、キースの心は晴れているのに。
心をわざわざ覗かなくても、凪いでいるのが分かる病院。
サムに会ったら、キースの心は晴れるのだと。
ステーション時代からの友人、サムは今でも、たった一人のキースの大切な友なのだ、と。
(…でも、あの時は…)
晴れる代わりに曇った心。
キースは何一つ、自分に話しはしなかったけれど…。
(きっと、サムの具合が…)
良くなかったに違いない、と直ぐに分かった。
風邪でも引いて熱があったか、薬で眠らされていただとか。
酷く興奮していたのならば、そういう治療もあるだろうから。
(その夜、キースは…)
コーヒーをカップに残していった。
ほんの少しだけ、まるで飲むのを忘れたかのように。
次の日も、同じに残ったコーヒー。
サムの病院から連絡が入って取り次いだ日まで、コーヒーはカップに残り続けた。
連絡があった日、下げに行ったら綺麗に飲んであったコーヒー。
それでようやく「そうか」と気付いた。
心に重い何かがある時、キースはコーヒーを残すのだと。
最後まで飲むことを忘れているのか、残っていることに気付きもしないで立ってゆくのか。
(…どっちなのかは分からないけれど…)
コーヒーを飲んでも、キースが心から安らげない日。
そういう時にはコーヒーが残る。
どんなに美味しく淹れてみたって、心を配って差し出したって。
一度気付けば、ピタリと嵌まり始めたピース。
「まただ」と、「今日も何かあった」と。
そう思ってキースを見ていたならば、纏う空気が違うのが分かる。
心の中身は分からなくても、「今日のキースは、いつもと違う」と。
コーヒーを残すほどだから。
心が何処かに行ってしまって、一口か二口、置いてゆくから。
今日もそうだ、と溜息をついてカップを下げる。
いったい何がキースの心を占めるのだろうと、あの人に何があったろう、と。
(…任務のことは、ぼくには何も…)
分からないから、何も出来ない。
キースの心を軽くするための手伝いは無理で、何の役にも立てない自分。
(…サムの具合が悪い時だって…)
やっぱり自分は役に立てない。
「大丈夫ですよ」と気休めなどは言えないから。
「元気を出して下さい」とも。
自分はキースの友達ではなくて、部下の一人で、部下の中でも…。
(ぼくが一番、役に立たない…)
「コーヒーを淹れることしか能が無い、ヘタレ野郎だ」と言われるほどに。
面と向かって言わない者でも、そう思っていることだろう。
だからキースに何も言えない、掛けられる言葉を自分は持たない。
こうして心配することだけ。
「明日はコーヒーが残らないように」と願うしかない、たったそれだけ。
自分は何も出来ないから。
キースに言葉も掛けられないから。
(ぼくに出来ることは…)
ただコーヒーを淹れることだけ。
「コーヒーを頼む」と言われたら。
キースがそれを望んだならば。
精一杯に、心をこめて。
キースの心が此処に無いなら、せめて舌だけでも安らぎを覚えて欲しいから…。
(…美味しく淹れて、丁度いい熱さで…)
明日もキースにコーヒーを。
そのコーヒーが、カップの底に少しだけ残らないといい。
明日は綺麗に飲んで貰えて、空のカップを下げられたらいい。
キースの心が軽くなったら、コーヒーが残りはしないから。
それを祈るしか出来ないのだから、明日は空になったカップを下げたい。
少しでも早く、キースの心が晴れればいい。
自分は何も手伝えないから。
ほんの小さな気の利いた言葉、それさえも言えはしないから。
だから、心から祈ることだけ。
明日はカップが空になるように、キースの心を覆う何かが消えるようにと…。
底に少しだけ・了
※「コーヒーを淹れることしか能の無い、ヘタレ野郎」と、セルジュが言うほどのマツカ。
それだけではない筈なんですけど…。コーヒーに気を配っているのは確かだよね、と。
「忘れるな、キース・アニアン! フロア001…!」
自分の目で真実を確かめろ、と叫んで終わったシロエの言葉。
キースの止める声も聞かずに、保安部隊の者たちが意識を奪ったから。
「スーパーエリートが逃亡補助か」
そう言った男をギッと睨み付けた。お前たちは何も知らないくせに、と。
けれど、自分も押さえられているから動けない。
この両腕さえ自由に出来たら、保安部隊など敵ではないだろうに。
「連れて行け」とシロエの連行を命じた男。
ヘルメットで顔が半分隠れているから、表情さえも分からない。
「後でマザー・イライザからコールがあるだろう。…キース・アニアン」
そう言い捨てて、男たちは部屋から出て行ったけれど。
意識を失くしたシロエを引き摺って行ったけれども。
(…シロエの本…!)
ハッと気付いた、ベッドの上に残された本。
ピーターパンというタイトルのそれを、シロエが胸に抱くのを見た。
両腕でギュッと、まるで大切な宝物のように。
あの時のシロエの、ホッとした顔。
幼い子供のようだった顔は、一度も見たことがなかったもので。
それが本当のシロエだと知った、あの一瞬に。
この部屋で意識を取り戻した時に、自分の存在にシロエが気付くよりも前に。
自分と視線が合った途端に、本当のシロエは消え去ったけれど。
いつものシロエが戻ったけれども、消えたシロエの方が本物。
本を抱き締めたシロエの方が。
この本を何よりも大切に思い、今も持っているシロエの方が。
(シロエ…!)
慌てて掴んだ、シロエの本。
此処に置いてはおけないから。
シロエが何処かで目を覚ました時、この本はきっと必要だから。
今の自分は、もう知っている。
どうしてシロエが本を抱き締めたか、幼い子供のように見えたか。
本をシロエに返さなければ。
彼に返してやらなければ。
男たちを追い掛け、飛び出した部屋。
何事なのかと、振り返った彼らに表情は無い。
今もヘルメットを脱いでいないから、顔が半分見えないから。
「これを…!」
本を差し出したら、「なんだ」と返った不快そうな声。
用は済んだと言わんばかりに、立ち去ろうとしている男たち。
けれども負けてはいられないから、「シロエのです」と本を突き出した。
「一緒に運んでやって下さい」と、「そのくらいはしてもいいでしょう」と。
移動用のベッドに寝かされたシロエ。
最初から意識を奪うつもりで、ベッドまで用意していた彼ら。
(逮捕するだけでは足りないと…?)
自分の足で歩くことさえ許さないのか、と覚えた怒り。
ギリッと奥歯を噛み締めたけれど、直ぐに考えを改めた。
これは恐らく、偽装工作。
シロエを連行してゆく途中で、出会うかもしれない候補生たち。
逮捕劇を彼らに悟られないよう、病人の搬送を装ってゆく。
そんな所だ、と理解したから、もう一度、本を突き付けた。
「これも一緒に」と、「シロエの本です」と。
それでも彼らは動かないから、シロエに被せられた上掛け。
その上にそっと本を乗せてやった。
これで駄目なら…。
男たちと喧嘩するまでだ、と固めた覚悟。
どうしてもシロエに、本を持たせてやりたいから。
何処で目覚めるかは知らないけれども、本が無ければシロエが悲しむ。
彼の大切な本だから。
シロエが本を抱き締める前から、自分はそれに気付いていたから。
(子供の時から持っていたんだ…!)
本来、許される筈のないもの。
成人検査を受ける時には、持って行けないと聞いている私物。
それをシロエは持っていた。
故郷で宝物にしていたろう本、一目でそうだと分かる本を。
此処へ来てから、手に入れたわけではない本を。
ライブラリーの蔵書かどうかを確認したから、もう間違いない。
シロエが故郷から持って来た本。
「もう大好きだったことしか覚えていない」と叫んだ故郷と、両親の思い出。
それが詰まった、宝物の本。
もしもこのまま本を失くしたら、シロエの心はきっと壊れる。
本はシロエの心の砦。
それと同時に、魂の器。
逮捕された者が行かされる場所は謎だけれども、彼の心まで壊したくない。
たった一つの心の砦を、魂の器を、奪われて失くして壊れるなどは。
此処まで大切に持って来た本、それを失くして悲しみの内に壊れるなどは。
それはあまりに酷だから。
心だけでも、シロエに残してやりたいから。
どう出るのか、と身構えたけれど、何も言わなかった男たち。
「それは駄目だ」とも、「余計なことをするな」とも。
呆気ないくらいに、本はシロエの胸の傍らへと戻って行った。
そしてシロエは運ばれて行った、本と一緒に。
彼の大切な思い出と共に。
男たちが彼を連れてゆく先は、想像さえも出来ないけれど。
(…あの本だけでも…)
返してやれて良かった、と戻った一人になった部屋。
マザー・イライザからのコールはまだ無い。
部屋に現れる映像すらも、未だ姿を見せようとしない。
(全て承知ということなのか…)
自分がシロエを匿ったことも、彼と話していたことも。
シロエが最後に叫んだフロア001、其処に行ったら何があるのかも。
(…フロア001…)
人形なのだ、と言われた自分。
成人検査を受けていないとも、マザー・イライザが作ったとも。
きっとシロエは何かを見た。
何かを知って、それで追われた。
そんな最中にも、手放さないで持っていた本。
これを離したら終わりだとでも言うように。
本の正体に気付いた今では、本当に終わりだったのだと分かる。
シロエにとっては、あの本だけが砦だから。
心の鎧で、魂の隠れ場所だから。
(ピーターパン…)
シロエが意識を取り戻す前に、何の本かを調べてみた。
ライブラリーの蔵書ではないと分かった時に。
幼い時から持っていたのだと、故郷の思い出が詰まった本だと気付いた時に。
(永遠の少年…)
大人にならない、永遠の子供。
SD体制の時代においては、有り得ない世界がネバーランド。
シロエは其処に焦がれ続けて、あの本を持って来たのだろう。
いつか行こうと、行ける日が来ると。
(なのに、記憶を…)
奪われたのだと叫んだシロエ。
機械がそれを奪い去ったと。
両親も故郷も、大切だったものの全てを。
(…覚えていない、ぼくとは違う…)
シロエも言った、「あなたは違う」と。
成人検査を知らないからだと、「幸福なキース」と。
それが本当かどうかはともかく、シロエが大切に持って来た本。
ピーターパンの本の中身を、シロエと語ってみたかった。
彼があれほど成人検査を憎んでいるなら、なおのこと。
(過去や、思い出…)
自分には無い、そういったもの。
それがあったら、この世界はどう見えるのか。
不条理だとも思えるシステム、それがシロエにはどう見えるのかを。
今となっては遅いだろうか、と溜息が一つ零れたけれど。
シロエが無事に戻るようなら、もう一度彼と話してみたい。
彼の瞳に、この世界はどう映るのか。
ピーターパンの本に書かれたネバーランドは、魅力溢れる場所なのか。
SD体制の思想とは相容れなくても、それが理想の世界なら。
人が持つべき夢の世界なら、今のシステムは誤りだから。
正してゆくべきものだろうから、それをシロエに訊きたいと思う。
「マザー・システムをどう思う?」と。
だから、彼には戻って欲しい。
逮捕されても、然るべき処分を受けたなら。
多少記憶を処理されていても、「シロエ」のままで戻れるのなら。
(…あの本が役に立つといい…)
シロエが自分を保つために、と心から思う。
どうか壊れてくれるなと。
自分に何を言ってもいいから、あのままのシロエで戻って欲しい。
「お人形さんだ」と嘲笑われても、甘んじてそれを受けるから。
もう一度シロエと語り合えるなら、何と言われてもかまわないから…。
返すべき本・了
※シロエが連行されて行く時に、ベッドの上にあったピーターパンの本。
あれを渡したのはキースなんですよね、いいヤツなんだと思いますです。本当にね。
(何度やっても此処でエラーか…)
どういうことだ、とシロエが見詰めるキースのデータ。
他の者だと表示されるのに、キースだとエラーメッセージ。
何度やっても。…何度試みても。
(キース・アニアン…。何者なんだ)
とても普通だとは思えない。
マザー・イライザの、機械の申し子。
その名の通りに、普通の人間ではなさそうなキース。
過去を覚えていないという上、他の者たちも知らないらしいキースの過去。
同じ宇宙船で此処に着いた筈の者も、キースと同郷だった筈の者も。
(そのデータさえも…)
詳しく見ようとする度にエラー。どうしても見られない映像記録。
普通の者なら引き出せる筈の、ステーション到着直後のデータ。
監視カメラが捉えた映像、それこそ到着した瞬間から。
けれども、それが表示されないキース。
彼のデータは、新入生のためのガイダンスから。
それよりも前を調べようとしたら、必ずエラーメッセージ。
そしてどうしても辿り着けない、此処へ着いた時のキースの表情。
(誰でも、何処か不安そうな顔で…)
自分自身もそうだった。
だから今でも、わざわざそれを見に行くくらい。
どんな心境で此処へ着いたか、機械に騙された時の気分を忘れないために。
最初は、ごくごく単純な興味。
キースの過去を知ってやろうと、トップエリートの鼻を明かしてやろうと。
彼にも過去はある筈だから。
それを忘れたと気付かされたら、心に穴が開くだろうから。
(あいつだって、此処に着いた時には…)
不安そうな顔の筈だったんだ、と確かめたくなったキースの表情。
養父母の記憶も過去も忘れたなら、平然といられるわけがない。
落ち着きを失くしてキョロキョロしていたか、あるいはボーッと立ち尽くしていたか。
今のキースからは想像も出来ないような表情と姿。
それを存分に堪能してから、過去を探っていこうと思った。
キースが忘れただろう養父母や、故郷や、育った家や幼馴染を。
(なのに、エラーばかり…)
人為的なものとしか思えないエラーメッセージ。
意図して隠しているとしか。
(あいつ、本当に機械なのかも…)
そんな思いさえ生まれてくる。
精巧に出来たアンドロイド。機械仕掛けの操り人形。
マザー・イライザが此処で作って、人間の中に混ぜ込んだ。
そうではないかと、それがキースの正体では、と。
疑問は解けずに、募る一方。
苛立ちさえも覚え始めていた時、出くわしたキース。
レクリエーション・ルームで、エレクトリック・アーチェリーに興じている所。
「天才は勉強だけじゃなくって、何でも出来るってわけか」と、評する声が癇に障った。
キースに負けてはいられないから。
彼の成績を全て塗り替え、いつかは地球のトップに立つのが夢だから。
(あんなヤツがトップに立ったって…)
このシステムは変わりはしないし、機械に支配されたまま。
自分がトップに立った時には、このシステムを止めてやるのに。
機械に「ぼくの記憶を返せ」と命じて、それから「止まれ」と言ってやるのに。
(子供が子供でいられる世界…)
成人検査は消えて無くなり、子供は両親といつまでも一緒。
そういう世界を作るのだから、キースに負けるわけにはいかない。
たかがゲームでも、負けられない。
(大したことないのに、目立ち過ぎだ)
ぼくがあいつの点数を抜く、と前に出て行ったら、受けて立ったキース。
何も言葉にしてはいないのに、「リセットしてくれ」と。
(いったい、あなたは何なんだ…)
機械仕掛けの人形なのか、マザー・イライザが作ったアンドロイドか。
それならば、余計に負けられない。
自分は機械に勝つのだから。
いつかは地球のトップに立って、マザー・システムを止めるのだから。
(負けないよ)
キースなんかに負けるものか、と始めた勝負。
次から次へと的を射抜いてゆく間にさえ、覚える苛立ち。
(機械みたいに撃ってんじゃないよ)
正確すぎる、と思ったキースの腕。
もっと遊びのある撃ち方は出来ないのか、と的から逸れてゆく思考。
キースは本当に機械のようだ、と。
思考がズレれば、自然と的も外れてゆくもの。
(外した…!)
射損ねた的を、またも正確に射抜いたキース。
こんな筈ではなかったのに。…キースに勝たねばならないのに。
生じた焦りがまた的を外す。一度外せば、二度、三度と。
(負けるもんか…!)
あんなヤツに、と焦り、苛立つから、また射損ねる。
その繰り返しで…。
「タイムアップ!」
機械の声が告げた戦績、それはキースに及ばなかった。
自分が勝てると思っていたのに。
(次こそは…)
ぼくのペースに持ち込んでやる、と平静さを装って称賛した敵。
「流石ですね、先輩。どうです、もう一勝負」と。
今度は勝つ、と。
けれど、挑発に乗らなかったキース。「これでおしまいだ」と。
「勝負はついた」と、ゲームばかりか、全て切り捨てて来た。
「これ以上、ぼくに付き纏うのはやめて貰おう」と、勝負の一切を。
途端に頭に昇った血。
「逃げるのか、卑怯者!」とキースの背中に叫んでいた。
けして冷静ではないだろうキース。
人の気持ちが分からないから、そう見えるだけの機械の申し子。
きっと本当に機械仕掛けで、思考さえもプログラミングされたもの。
感情のままにそれをぶつけた、当のキースに。
「やっぱり、あなたはマザー・イライザの申し子だ」
機械仕掛けの冷たい操り人形なんだ、と自分が辿り着いた答えのままに。
そうしたら、殴り飛ばされた。
機械仕掛けの人形に。マザー・イライザが作ったアンドロイドに。
唇が切れて血が出たけれども、面白い。
「機械でも…怒るんだ」
怒るだろうね、と浮かんだ笑み。
マザー・イライザだって、叱るのだから。
コールされた生徒が恐れる怒りは、機械でも怒る証拠だから。
ますますもって面白い、と。
型通りだった、キースの一撃。
今度はこっちがお見舞いしてやる、と挑みかかったのを止められた。
候補生たちに寄ってたかって。
キースの方もサムに手を引かれ、逃げるように去って行ってしまった。
「逃げるのか、キース!」
叫び続ける間に、手首の辺りでツーッと響いた音。
マザー・イライザからのコールサイン。
(…まただ…)
これは嫌いだ、と一気に引き戻された現実。
コールされる度、自分は何かを失うから。
心が晴れたような気持ちになるのは、何かを消されてしまったから。
ただでもおぼろになってしまった、両親のことや故郷の記憶。
そういったものを消されてゆくから、コールされるのは嫌なのに。
(あいつのせいだ…!)
キースのせいでコールされた、と募る憎しみ。
機械仕掛けの人形のくせに、キースがぼくを陥れた、と。
けれども、逆らえないコール。
このステーションで暮らす間は、マザー・イライザを無視できない。
(…ぼくがトップに立つためには…)
マザー・イライザの命令は絶対。
背けば、評価を下げられるから。キースに負けてしまうから。
(…また何かを…)
消されるんだ、と唇を噛んで向かうしかない。
マザー・イライザがいる場所へ。
自分が何かを失う場所へ。
そして現れた、母の姿を真似ている機械。マザー・イライザ。
「セキ・レイ・シロエ。…コールされた理由は分かっていますね?」
あなたの心を導きましょう、と引き込まれてゆく眠りの淵。
眠れば何かを失うのに。また何か失くしてしまうのに。
(マザー・イライザ…)
導くのなら、ぼくに応えろ、と薄れてゆく意識の中で叫んだ。
キースはいったい何者なのか。
何処へ行ったら答えがあるのか、それを知ることが出来るのかと。
それきり眠ったシロエは知らない。
マザー・イライザの顔に浮かんだ冷たい笑みを。
「疑問には答えを」と嗤った声を。
「時は満ちたから、教えましょう」と。
こう行くのです、と刻み込まれた答えのことを。
(待ってろよ、キース・アニアン…)
昨日はキースに殴られたけれど、ゲームでも負けてしまったけれど。
あの後、自分は勝負に勝った。
ついに突破した、キースの過去に関するデータ。
其処に示されたルートを辿れば、きっと答えが見付かる筈。
キースの正体は何なのか。
彼は何処からやって来たのか、何もかもがきっと分かる筈。
E-1077の奥深く潜り込んだなら。
狭い通風孔を通って、奥へ奥へと進んだなら。
キースの秘密は、このステーションの中に隠されていると示したデータ。
(お前の澄ましたその顔を、このぼくが…)
壊してやる、と深く潜ってゆくステーションの奥。
それを教えたのがマザー・イライザだとは、夢にも思わないままで。
破滅への道とも知りもしないで、勝ったとシロエは笑い続ける。
もうすぐ答えが出る筈だから。
機械仕掛けの操り人形、キースの正体が分かるから。
そうすれば、自分はキースに勝てる。
きっとキースは、愕然とするのだろうから。
自分は人ではなかったのかと、崩れ、壊れてゆくだろうから…。
仕組まれた罠・了
※シロエがステーションにいた理由が、マザー・イライザの計算だったということは…。
何もかも最初から罠なんだよな、と思うわけで。シロエ、気の毒すぎ…。
「待て! そんな子供を!」
叫んだ瞬間、張られた頬。
そして引き戻された現実、目の前にいたミュウの長。
(ジョミー・マーキス・シン…)
してやられたな、とキースが歪めた唇。
ミュウの長はもう、いないけれども。
心の中に飛び込まれてしまった動揺の原因、自然出産児だというミュウの子供も。
ガラス張りのドームのような牢獄、此処に囚われてどのくらいになるか。
助けがやって来る気配も無ければ、この牢獄から出る方法すら見付からない。
出られさえすれば、逃走可能なルートは頭の中にあるのに。
(…あのミュウの女…)
自分と同じイメージを持った、盲目らしい女。
マザー・イライザかと驚いたくらい、よく似ていた。
その女が漏らした船の構造、どう走ったら格納庫なのかは掴めたのに。
(これでは、どうにもなりはしないか…)
何度調べても、蟻の這い出る隙間さえも発見出来ない牢獄。
それでも諦めたら無いのが未来。
なんとしてでも、と脱出の機会を窺う間に、またもジョミーに心を読まれた。
一度目はジルベスター・セブンに墜落させられ、意識を取り戻した瞬間。
さっきので二度目、きっとジョミーは見ただろう。
自分自身でさえ、日頃は殺している感情。
システムに対する疑問や反感、そういったものの集大成を。
不覚だったと思うけれども、あれが真実。
自分の心の中にあるもの。
(…いくらミュウだと断定されても…)
本当に殺すべきなのかどうか、あんな子供を。
「もうしません」と泣きじゃくる子を、許す代わりに通報する教師。
社会の秩序を乱すからだ、と。
通報されれば、ミュウかどうかは直ぐ分かる。
ただの子供なら、多分、叱られて終わるのだろうに。
養父母の家へと連れ帰られて、説教程度で済むのだろうに。
(…ミュウの子供だと…)
武装した兵士に連れてゆかれて、撃ち殺される。虫けらのように。
その子が何もしていなくても。
ただ泣くことしか出来ない子でも。
(…酷いシステムだ…)
人類とミュウは相容れないけども、幼い子供を殺すのはどうか。
子供に罪があるとしたなら、ミュウに生まれたということだけ。
たったそれだけ、けれども処分されるのがミュウ。
かつて自分が、シロエの船を落としたように。
マザー・イライザに命じられるままに、撃ち落とすしかなかったように。
(しかし、シロエは…)
確固たる意志を持っていた。
このシステムには従えないと、機械の言いなりにはならないと。
明確だった反逆の意志。
それを口にすればどうなるかさえも、シロエは充分承知していた。
知っていて逆らい、消されたシロエ。
彼は自分の立場を承知で、殺されてもいいと逆らい続けて、宇宙に散った。
シロエもMのキャリアだった、と後に聞いたけれど。
処分せねばならないミュウだったけれど、幼い子供ではなかったシロエ。
(ああいうミュウなら、仕方ないのかもしれないが…)
放っておいたら、システムが綻びかねないから。
シロエの強い意志に引かれて、人類までもがシステムの矛盾に気付きそうだから。
けれど、幼い子供は違う。
単にミュウだというだけのことで、何の脅威にもならない子供。
成人検査で発覚したなら、相応の年と言えるわけだし、数ヶ月も経てばシロエのようにもなる。
システムに反抗し始めたならば厄介だから、と消すのも分かる。
処分すべきだということも。
(だが、子供は…)
ジョミーに心に入り込まれた時、自分が見た夢。
あれも一種の夢なのだろう、実際に目にした映像だから。
ミュウと戦うことを想定して、軍で訓練を受けていた時に。
(…皆は平気で見ていたのに…)
平静なふりをするのが精一杯だった自分。
あの時に叫びたかった言葉を、ジョミーに聞かれた。
「待て」と「そんな子供を」と叫んだ自分。
それはあんまりだと、幼い子供にすべきではないと。
映像の中で殺された子供は、何も分かっていなかったろうに。
どうして自分が殺されるのかも、ミュウという言葉も、まるで分からない幼い少女。
何故、殺さねばならないのか。
敵でもなければ、反逆の意志も持っていないような、泣くだけの子供。
そのやり方は間違っている、と本当に叫びそうだった。
かつてシロエを、この手で殺めた自分でさえも。
友になれたかもしれないシロエを、殺してしまった過去を持っていても。
あまりに惨いと思うシステム。
いくら相容れない人種と言っても、其処までせねばならないのかと。
自分の行動に責任を持てる年になるまで、見逃してやれはしないのかと。
ミュウは人類の敵だけれども、まだ敵とさえも呼べない子供。
幼い子供をミュウと断じて、それだけの理由で命を奪う。
本当にそれが正しいだなどと、一度も思ったことなどは無い。
あんな子供でも殺すと言うなら、何故育てたのか。
もっと早くにミュウの因子を取り除ければ、とさえ考えてしまう。
(…ミュウの因子があるならば、だがな…)
最初から生まれて来なかったならば、幼い子供は殺されないから。
泣くだけの子を撃ち殺さずとも、社会の秩序は保たれるから。
(…私が甘いのか、他の奴らが狂っているのか…)
何度も繰り返し考えたけれど、今も答えは出ないまま。
疑問を抱えて生きてゆくだけで、とうとう此処まで来てしまった。
ミュウに囚われ、その船の中へ。
逃げ出そうにも、方法が見えない牢獄の中へ。
(挙句の果てに読まれるとはな…)
ジョミー・マーキス・シンは、きっと見た筈。
「待て」と叫んでいた自分を。
「そんな子供を」と、叫んだ本音を。
だから余計に腹立たしい。
自分でも答えが出せていないのに、あっさりと読まれてしまった心。
「人類とミュウは相容れない」と言い捨てたけども、今も投げ出せない疑問。
システムを頭から信じられない、罪も無い子を殺すシステム。
他の者たちは当然のように、あの映像を見ていたのに。
見終わった後には、一刻も早くミュウを殲滅しなければ、と高揚していたくらいなのに。
手放しで賛同出来ないシステム。
けれども、ミュウは倒さなければならない敵。
現に自分も囚われの身だし、ミュウは危険な存在だろう。
(星の自転も止められるほどの…)
力を、サイオンを秘めた化け物。
だから排除する、其処までは分かる。
そのために自分が来たのだけれども、この船にはきっと…。
(幼い子供が何人も…)
さっきジョミーが連れて来た子供、幼児と呼ぶのが相応しい子供。
映像の中で撃ち殺された少女の方が、ずっと大きい。
トォニィという名の、あの子供。
他にも何人か生まれているらしい、自然出産児のミュウの子供たち。
彼らを何のためらいも無く殺せるのか、と尋ねられたら答えは否。
「待て」と叫んだ自分だから。
「そんな子供を」と、何度叫んだか知れないから。
あの映像を見せられた日から、今日までに。
夢に見た時は、いつも叫んでしまうから。
(やはり私は甘すぎるのか…?)
ジョミーは其処まで読んだだろうか、自分の心を。
ミュウといえども、幼い子供を殺すことには疑問があると。
自分にその任が回って来たなら、やり遂げる自信はあるのだけれど。
ためらわずに引き金を引くだろうけれど、きっと自分は忘れない。
罪も無い子の血で、染まった手を。
遠い昔にシロエの血で赤く染まった罪の手、その手が再び重ねた罪を。
どうしてこういうことになるのかと、きっと繰り返し見るのだろう。
この手で幼い子を殺めたと、自分はそういう宿命なのかと。
もしもジョミーに読まれていたら、と自分でも恐れる心の弱さ。
ミュウは敵だから殺すけれども、幼い子でも殺せるけれど。
(…そう訓練をされているだけのことで…)
自分の意志で動いていいなら、子供を逃がしてやるだろう。
いつかは殺さねばならないけれども、今ではないと。
もっと成長して、シロエのように逆らい始めてからで充分だ、と。
明らかに「敵」と認識出来るような存在。
そう育つまでは見逃すべきだと、子供に罪は無いのだからと。
(…さっきの子供…)
トォニィが自分に牙を剥くなら、考えを変えねばならないけれど。
幼くてもミュウは危険なのだと、殺すべきだと思うけれども、今はまだ…。
(…この船を爆破する気にはなれんな)
上手い具合に逃げられたとしても、船を丸ごと爆破できる方法があったとしても。
幼い子供も乗せている船、それを壊そうとは思わない。
それでは自分も、あの映像の兵士たちと何処も変わらないから。
幼い少女を容赦なく撃った、血も涙もない兵士と同じになってしまうから。
(…ジョミー・マーキス・シン…)
何処まで私の心を読んだ、と忌まわしいミュウの長を思い浮かべる。
この考え方まで読まれていたなら、戦わずして負けだから。
「どうせ、あいつには何も出来ない」と、高笑いされるだけだから。
幼い子供がいるというだけで、船の爆破も出来ない腰抜け。
メンバーズと言ってもその程度なのかと、ならば囚われているがいいと。
(…ミュウの子供か…)
とんでもないものに出会ってしまった、と舌打ちをする。
知らなかったならば、逃げ出せたら直ぐに、艦隊を連れて戻るのに。
ミュウを星ごと殲滅するのも厭わないのに、船にいた子供。
きっと自分は殺せない。
幼い子供は、ただ泣くことしか出来ないから。
そんな子供を殺す役目が回って来たなら、逃がしてやりたくなるのだから。
(マザー・システムのお膝元なら、それは無理だが…)
此処に監視している者はいないから、自分は子供を見逃すのだろう。
泣くだけの子供、幼い子供を自分は撃てない。
いくら敵だと教えられても、子供に罪は無いのだから。
ミュウに生まれたというだけのことで、殺意などは持っていないのだから…。
殺せない子供・了
※ジョミーが心に飛び込んだ時にキースが見た夢。ミュウの少女が撃ち殺されたわけですけど。
「待て」と叫ぶんですよね、キース。こういう部分もきっとある筈、と思ったり…。
「チョロイね。シークレットゾーンのくせに」
ぼくにかかれば簡単なこと、とシロエが足を踏み入れた部屋。
E-1077のフロア001、此処にキースの秘密がある筈。
マザー・イライザのメモリーバンクから盗んだ情報、ME5051C。
無機質な記号、どうやら、それがキースのことらしいから。
「キース・アニアン」という名前ではなくて、「ME5051C」と呼ばれるモノ。
やっと見付けたと躍った心。
機械の申し子、キースはまさにその名の通りだったから。
フロア001から作り出される、マザー・イライザの人形そのもの。
だから確かめにやって来た。
キースにも真実を見せてやろうと、撮影用のカメラも準備して。
(…アンドロイドの製造室…)
そういう部屋だと思った場所。
フロア001でパーツを作って、組み立てるのだと。
其処にあるのは、精巧な人形を作り上げるための設備だろうと。
なのに…。
(…これは…?)
打ち捨てられた部屋かと思った、暗い空間。
ほのかに青く発光している、何かが入ったガラスケースたち。
(…何なんだ、此処は?)
見上げた頭上のガラスケース。それは小さめで、奥へゆくほど大きなケース。
天井ではなくて壁際に並ぶ、幾つものガラスケースの中には…。
まさか、と思わず見開いた瞳。
頭上のケースに入っているモノ、それは機械のパーツではなくて。
(……胎児……)
明らかに人間だと分かる物体、人工子宮で育てられるモノ。
生育過程を示すかのように、尾のあるモノから尾が消えたモノまで。
胎児はともかく、其処よりも奥に並んでいるモノ。
(…キース・アニアン…)
それともME5051Cと呼ぶべきだろうか、彼は此処から生まれたから。
とうに呼吸を止めている標本、その顔はキースそのものだから。
(機械じゃなかった…)
幼児から今のキースに瓜二つのモノまで、並んだ標本。
こういうモノが存在するなら、キースはアンドロイドではない。
機械仕掛けの人形どころか、もっと精巧だろう物体。
人間と全く同じ身体で、血だってきっと流れている。
此処にあるような、標本になっていないなら。
呼吸して動き回っているなら、キースは人間なのだろう。
ME5051Cだとしても。
此処で生まれて、ガラスケースで育ったとしても。
(これがME5051C…)
ならば、向かい側に並ぶケースは何だろう?
キースと同じにME5051Cの筈だけれども、そちらは女性。
二体あるとは思わなかった、とME5051Cを眺める。
これらはいったい何だろうかと、どういう理由で此処にあるのかと。
機械だとばかり思っていたから、まるで予想もしなかった胎児。
その胎児から育つ物体、それがME5051C。
男だったら、キースになる。
女性の場合はなんと名付けるのか、全くの謎。
(ステーションでは見掛けない顔…)
こんな顔をした女性は知らない。
標本の女性は長い髪だけれど、それをショートに切ってあっても…。
(同じ顔がいれば分かる筈…)
現にキースに育つ物体、そちらの髪も長いから。
身長と同じくらいに伸びているから。
ME5051Cは二種類、男性と女性。
男性の方はキースだけれども、女性の方は見たことが無い。
とうに育ってステーションから出て行ったのか、それとも完成していないのか。
(どっちなんだ…?)
首を捻っても、標本だけでは分からない。
それに、ME5051C。
どうやってこれを作り出すのかも、どういう生まれのモノなのかも。
(…多分、クローンだ…)
男性も女性も、どちらも同じ顔ばかりだから。
胎児の間は顔の区別もつかないけれども、育ち始めたらハッキリと分かる。
幼い顔立ちか、もっと大きく育っているかの違いだけ。
男性の顔は全部キースで、女性の方も同じ顔立ちばかり。
つまりはクローンなのだろう。
最初の一体を写し取っては、次のを作ってゆく仕組み。
そっくり同じなDNAを持つ、男性と、それに女性とを。
やっと分かったキースの正体。ME5051Cの名を持つ物体。
(…最初の一体が鍵なんだ、きっと)
恐らく最高に優秀な人間、マザー・イライザが選んだのだろう組み合わせ。
本来はランダムに行われる筈の、卵子と精子の交配過程で。
これだと見込んだ卵子を一つ。
精子も特別に優れたものを。
きっと機械なら、把握しているだろうから。
無限大とも言える卵子と精子のデータの全てを、それが育ったらどうなるかを。
(とても優秀になる筈のモノ…)
男性も女性も、他とは比較にならない能力を持っている筈のモノ。
最初の一体をそうやって作り、後はコピーを作ってゆくだけ。
全く同じ遺伝子データのクローンたちを。
此処のガラスケースの中で育てて、何らかの方法で施す教育。
キースは此処から作り出された。
ランダムに交配するのではなくて、明らかな意図で為された交配。
こうなるだろうと、こう育つと。
(マザー・イライザの最高傑作…)
それがキースと呼ばれる人間。
フロア001で作られ、ステーションへと送り出された。
本当の名前はME5051Cなのに。
此処で作られたクローンの一つで、申し分なく育った一体。
だからキースは世に出て来た。
標本にならずに、候補生として。
将来を嘱望されるエリート、マザー・イライザが自ら育てた傑作として。
(…せっかくだから…)
データの方も見せて貰おう、とコントロールユニットに繋いだケーブル。
どういう卵子と精子を使って、ME5051Cを作ったか。
その卵子たちは、他の人間を生み出すためにも使われているモノなのか。
(交配はあくまでランダムな筈…)
けれども、マザー・イライザがこだわるからには、選り抜きの卵子と精子がある筈。
優秀だからと選び出された、ME5051Cを生み出す卵子と精子。
最初の一体はどう作ったのか、この世界にはME5051Cの兄弟たちもいるのか、と。
単純に知りたかっただけ。
キースの「兄弟」や「姉妹」はいるのか、いたのか。
過去には何人もいた筈だけれど、これから先も生まれるのかと。
優秀な卵子と精子が残っているのなら。
普通の人間を生み出すためにと、交配システムに戻されたなら。
(…ぼくがキースの兄弟だったら、最悪だけどね…)
その可能性もゼロとは言えない。
卵子か精子か、どちらかがキースと同じだったというケース。
(それだけは勘弁願いたいね)
キースの情報を抜き取ったならば、簡単に調べがつくだろう。
自分を生み出した卵子と精子のデータの方も、きっとハッキング出来るから。
(あいつと兄弟だったら最悪…)
もしもそうだと答えが出たなら、自業自得というものだけれど。
自分の墓穴を掘るわけだけれど、此処まで入り込んだ以上は、土産にデータ。
キースは、ME5051Cはどう生まれたか。
ズラリと並んだ標本たちの、最初の一体はどう作ったのか。
そう考えただけだったのに。
興味本位でデータを取ろうとしただけなのに…。
(……そんなことが……)
愕然と見詰めた、ME5051Cに関するデータ。
卵子も精子も、提供されてはいなかった。
マザー・イライザは何も交配しはしなかった。
(…本当に人形だったんだ…)
正真正銘、マザー・イライザが作った人形。それがME5051C。
三十億もの塩基対を繋ぎ、DNAという鎖を紡ぐ。
キースは無から生まれたモノ。
対になるのだろう女性体の方も、全くの無から作られたモノ。
どちらにもいない、兄弟たち。いたことすらない、兄弟や姉妹。
卵子も精子も無いのでは。
それを提供した、人間すらも存在しないのでは。
(人間でさえもなかったなんてね…)
機械が無から作ったモノ。
何度もコピーし、作り続けて、最高傑作としてケースから送り出したキース。
本当の名前はME5051C、その後に続く記号は作り出された順を示しているもの。
(…これがぼくなら…)
どうするだろうか、人でさえもないと知ったなら。
自分は無から作られたのだと、人形だったと知らされたなら。
(…アンドロイドでした、というのも衝撃だけど…)
こっちの方がもっと酷い、と見回したフロア001。
人間なのに、人ではないから。
その肉体は人間なのに、作り出された人形だから。
きっとガラガラと崩れるだろう存在意義。
人ですらないと言われたら。
無から生まれた人形なのだと、恐ろしい真実を突き付けられたら。
(…きっと、キースでも…)
その衝撃には耐えられないに違いない。
泣き叫ぶのか、狂ったように笑い続けるのか、声も失くして崩れ落ちるか。
マザー・イライザの、機械の申し子。
本当にそうだと知らされたならば、キースはいったいどうするのだろう?
(…楽しみだね…)
思った以上の収穫があった、と取り出したカメラ。
これを撮影して、キースに見せる。
その瞬間のキースの顔を思うと、もう可笑しくてたまらない。
「見てますか、キース・アニアン。此処が何処だか分かります?」
…フロア001。あなたの「ゆりかご」ですよ。
そういう言葉で始めた撮影。
(ゆりかご、ね…)
自分でも言い得て妙だと思う。
本物の人間の赤ん坊なら、ゆりかごの中で育つのに。
母の手で優しく揺すって貰って、成長してゆくものなのに。
キースには無かった、本物のゆりかご。
見るがいい、と回してゆくカメラ。
これがお前の正体だ、と。
マザー・イライザが作ったのだと、真実を知って心ごと壊れてしまうがいいと…。
見付けた真実・了
※何の説明もなくフロア001の中身を知ったら、クローンだと思うのが普通だよな、と。
シロエにガイドはいなかったしね、とお得意のハッキングをして貰いました~。
