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カテゴリー「地球へ…」の記事一覧

(嫌…。嫌だ…!)
 来るな、と叫んでも消えてくれない忌まわしい機械。
 子供時代の記憶を消してしまった、テラズ・ナンバー・ファイブの姿。
 苦しみ続けるシロエは知らない、自分が何処にいるのかを。
 これは夢ではないことを。
 フロア001、進入禁止セクションに足を踏み入れた報い。
 囚われた末にサイオン・チェックの最中だとは。
 本当に記憶の中を探られ、掻き回されているのだとは。
(…助けて!)
 何度目に叫んだ時だったろうか、不意に姿を見せた少年。
 金色の髪に赤いマントの、幼かった頃に出会った少年。
(ピーターパン!!)
 きっと彼なら助けてくれる、と思った途端に軽くなった身体。
 まるで翼が生えたかのように。
 ピーターパンと一緒に空へ舞い上がって、何処までも飛んでゆけるかのように。


(…今の…)
 飛べた、と見回した瞳に映った、自分のカメラ。
 それを手にして何処へ行ったのか、少しも思い出せないけれど。
(ぼくのカメラ…!)
 取り戻さなきゃ、と思ったら宙を飛んで来たカメラ。
 腕の中にストンと収まるように。
 それを抱き締め、ホッとついた息。
(良かった…)
 カメラにはケーブルが繋がれたままで、誰かが見ようとしている中身。
 大切なものが入っているのに。
 けして中身を見せるわけにはいかないのに。
(このケーブル…)
 ケーブルを抜いて捨てるのがいいか、中身を抜いてカメラを捨てるか。
 一瞬迷って、選んだ中身。
 それさえあったら、もうカメラには用は無いから。
 中のチップが大切だから。


 そして抜き出したカメラのチップ。
 もう要らない、と放り出したカメラ、それは床へと落ちたから。
(落ちちゃ駄目だ…!)
 せっかく空を飛べたのに、とトンと蹴った宙。
 飛ぼうと、ぼくの部屋まで、と。
 此処にいたなら、また捕まってしまうから。
 ピーターパンが飛ばせてくれた空から、床に引き戻されるから。
 引き戻されたら、待っているのは恐ろしい機械。
 テラズ・ナンバー・ファイブの手先で、頭を、記憶を掻き回す悪魔。
 だから逃れた、空へ、部屋へと。
 きっと飛べると、ピーターパンが来てくれたから、と。
(ぼくの部屋まで…!)
 飛べる筈だよ、と宙を蹴って飛んで、ストンと床に着いた足。
 其処は自分の部屋だった。
 明かりは灯っていなかったけれど。
 薄暗い闇に覆われたままで、空気も冷えていたけれど。


(…ピーターパン…?)
 来てくれたよね、と思うのに、誰もいない部屋。
 自分一人が立っているだけ、制服さえも失くしてしまって。
 手の中にはチップ、カメラに仕込んでいた筈のもの。
(…どうして此処に?)
 それにカメラは、と俄かに覚えた激しい恐怖。
 自分の身に何が起こっていたかを、思い出したから。
 捕まったのだと、フロア001で、と。
(それじゃ、どうして…?)
 自分は此処にいるのだろう?
 どうやって逃れて来られたのだろう、あの悪魔たちが潜む部屋から。
 頭を、記憶を掻き回す機械、其処に囚われていた筈なのに。
 自分の力で出られるわけなど、無い筈なのに。
 カメラのチップにしても、そう。
 どうやってそれを取り戻せたのか、何故、手の中に持っているのか。
(…覚えていない…?)
 何も。
(…誰がぼくを…?)
 分かるわけがない。
 けれど、確かに逃げ出した自分。此処は自分の部屋なのだから。


 考えても思い出せないこと。
 何処だったのかも謎の監獄から、気付けば此処に戻っていた。
 奪われた筈の、カメラのチップを取り戻して。
 悪魔のような機械の牢獄、其処から自由の身になって。
(……ぼくは、どうして……)
 何も覚えていないけれども、一つだけ、今も確かなこと。
 きっと悪魔は諦めていない、自分を捕えて苦しめることを。
 カメラのチップを取り上げることも。
(…隠さなきゃ…)
 自分が見付けた、キースの秘密。
 それを収めた大切なチップ、これを誰にも捜せない場所へ。
 何処へ、と考えなくても分かる。
 いつも自分と一緒だった本、ピーターパンの本がいい。
 あの本はいつも一緒だから。
 どんな時でも、きっとこれからも、けして自分は離さないから。


(ピーターパン…)
 もう顔さえも思い出せない、両親がくれた大切な本。
 この本を失くす時があるなら、離れる時が来るのなら…。
 それは自分が死んだ時だけ、そうだと心に決めている本。
 此処に隠せば、離れない。
 きっと誰にも見付からないから、この中に隠しておくのがいい。
(…ごめんなさい…)
 ぼくを許して、と剥がしたピーターパンの本の見返し。
 「セキ・レイ・シロエ」と、自分の名前が書いてある箇所。
 其処を剥がして、隠したチップ。
 元通りにそっと貼って戻して、見返しの下に。
(これで大丈夫…)
 もう見付からない、と安堵したけれど。
 チップは本に隠せたけれども、此処にいたなら、来るだろう悪魔。
(隠れなきゃ…)
 逃げ切らなくちゃ、と潜り込んだ床下。
 前に其処から下へと潜って、ステーションの奥まで入ったから。
 通風孔を伝って行ったら、きっと何処かへ出る筈だから。


 逃げてみせる、と入って隠れて、やり過ごした保安部隊の捜索。
 けれど分からない、自分が此処まで逃げられた理由。
 あの悪魔から。
 地獄のような牢獄から。
 カメラのチップも無事に取り戻して、部屋まで戻って来られた理由。
(…ぼくは、どうやって…?)
 分からないけれど、まるで見当もつかないけれど。
 きっとこうだ、と立てた推論。
 あの部屋で何か騒ぎが起こって、それに乗じて逃げ出せた。
 けれども熱にうかされていたか、でなければ混乱していたか。
 この部屋に戻るまでの記憶を失くして、今、此処にいるに違いない。
 だから追われているのだと。
 保安部隊が捜していると、姿を隠した逃亡犯の自分を、と。
(逃げなくちゃ…)
 そしてキースにこのチップを、と抱えた本。
 大切なピーターパンの本。
 あいつにチップを突き付けてやると、これを見ればキースも終わりだと。
 澄ましたエリートの顔は崩れて、きっとパニックになるだろうと。


 そうするまでは捕まらない、と上げた通風孔の蓋。
 此処を抜けてと、なんとしてでもキースに会ってこれを見せねばと。
 そのために自分はこんな目に遭って、今も追われているのだから。
 地獄の責め苦を受けたのだから。
(キース・アニアン…)
 見付けてやる、と進むシロエは、まるで知らない。
 自分が何をしたのかを。
 どうやって悪魔の手から逃れて、自分の部屋まで飛んだのかを。
 カメラのチップを取り戻せたのも、空を飛べたのも、全部自分のサイオンなのに。
 夢で出会ったピーターパンから、その切っ掛けを貰ったのに。
 ピーターパンはミュウの長だから。
 サイオンを使った思念波通信、シロエはそれに晒されたから。


 呼応するように目覚めたサイオン、その力で空へ飛び立った。
 瞬間移動で機械の壁をすり抜け、カメラからチップを抜き取って。
 宙を蹴って飛んで、自分の部屋へ。
 そうして移動したというのに、自分では覚えていなかった力。
 覚えていたなら、変わったろうに。
 サイオンを自由に扱えたのなら、その後の運命も変わったろうに。
 けれど、シロエは気付かないまま。
 目覚めた力を使いこなせたら、呼べていただろうピーターパン。
 直ぐ其処に来ていた白い鯨を、シャングリラという名のミュウの箱舟を。
 かつて自分が乗り損ねた船、それに乗ることも出来ただろうに。


(…キース・アニアン…)
 あいつ、とシロエは追い続ける。
 通風孔の中を這って進んで、キースが来そうな場所へ出ようと。
 ピーターパンの本を抱えて、チップを仕込んだ本を手にして。
 もしもキースを忘れたならば、彼の代わりに、ピーターパンを思い出したなら…。
(…ぼくは必ず…)
 キースの奴を、と憎む代わりに、子供の心を捕まえたなら。
 ネバーランドに行きたかった夢を、ピーターパンを追っていたならば。
 きっと全ては変わるのに。
 ピーターパンは、白い鯨は、直ぐ近くまで来て飛んでいるのに。
 今、呼んだならば、それは必ず、シロエを救いに来てくれるのに。
 気付かないから、ただひたすらに進んでゆく。
 ピーターパンの本と一緒に、破滅へと。
 もう一度空へ飛び立つ代わりに、二度と戻れない道へ向かって…。

 

       目覚めたサイオン・了

※シロエがサイオン・チェックから逃げたルートは謎だよな、と前から思っていたわけで。
 どう考えてもサイオンを使った脱出マジック、けれど本人には自覚ゼロ。自覚してればね…。





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(伝説のタイプ・ブルー…)
 あれがオリジン、とキースの脳裏に浮かんだ顔。
 旗艦エンデュミオンの一室、指揮官用にと設えられた部屋で。
 モビー・ディックの中で出会ったアルビノの男、ソルジャー・ブルー。
 実在するとは思わなかった。
 今もなお生きていたなどとは。
 かつて確かに存在したモノ、けれど途絶えたその痕跡。
 モビー・ディックがアルテメシアを離れた後には、掴めなくなった彼の消息。
(…ジョミー・マーキス・シンの方なら…)
 自分も確かにこの目で見たから、ジルベスター星系に来る前に既に知っていた。
 ソルジャー・ブルーの次のソルジャー、ミュウの長だと。
 彼が自らそう名乗ったから、E-1077を思念波攻撃した時に。


 あの頃、自分は知らなかったM。ミュウを示す言葉。
 メンバーズとしてミュウを学ぶまでには、暫くかかった。
 其処で教えられた、ソルジャー・ブルー。
 彼が最初に発見されたと、最強のタイプ・ブルーだったと。
 ただし、アルテメシアを出てゆくまでは。
 それよりも後の消息は不明、恐らく死亡したのだろうと。
 今のミュウの長は、別人だから。
 ジョミー・マーキス・シンなのだから。


 モビー・ディックに囚われてからも、その名を耳にしなかった。
 だから「いない」と信じていた。
 もう死んだのだと、過去のものだと。
 彼がどれほど強かろうとも、死んだのでは何の意味もない。
 敵として出会うことなどは無いし、今のソルジャーでは足りない手応え。
 伝説の男は強かったろうかと、それとも彼もこの程度かと嗤ってもいた。
(…いくら私を捕えても…)
 心を読むことも出来ない男が、ソルジャー・シン。
 ミュウの長でも、その程度。
 子供を使って入り込むのが精一杯。
 それ以上のことは出来はしないと、自分の敵とも言えはしないと。
 何も情報を引き出せないなら、ミュウに勝機は無いのだから。
 たとえ自分を殺したとしても、代わりは幾らでもいるのだから。


 そう思ったから、嘲笑ったミュウ。
 いずれ殲滅されるだろうと、その人柱でもかまわないと。
 自分の消息が此処で消えたら、次は艦隊がやって来るから。
 有無を言わさず殲滅するから、そうなるのを待っているがいいと。
(…だが、あの男…)
 死んだとばかり思った男。
 伝説と言われたタイプ・ブルー・オリジン、ソルジャー・ブルー。
 彼に出会って、負けを悟った。
 勝てはしないと、自分の負けだと。
 たまたま運良く生き残れただけ、ミュウの女が何かしただけ。
 どういうわけだか自分を庇った、同じ記憶を持つ女。
 あれが自分を庇わなければ、きっと殺されていただろう。
 防ぐ間も無く、あの一瞬で。
 頭の中身を木っ端微塵に打ち砕かれたか、心臓を握り潰されたか。
 そんな所だと分かっている。
 「アレなら出来る」と、「私の力では防げなかった」と。
 彼がそうすると読めなかったから。
 殺意の欠片も見せることなく、あの男はそれを放って来たから。


(…本当に、よくも助かったものだ…)
 死なずに此処へ来られたとは。
 ミュウの殲滅に向かう艦隊、その指揮権を任されるとは。
 本当だったら、自分は生きて此処にはいない。
 ソルジャー・ブルーが放った一撃、あれに息の根を止められて。
 死骸になって宇宙に棄てられ、それをマツカが拾えたかどうかも危ういくらい。
 「行方不明」とだけ上がる報告、後はグランド・マザーの判断。
 やはりあの星は怪しいと。
 ミュウの巣だから滅ぼすべきだと、彼らが宇宙に広がる前に、と。
 きっと同じにメギドは用意されただろう。
 こうして自分が依頼せずとも、グランド・マザー直々に。
 星さえ砕けばミュウは消せるし、モビー・ディックも破壊出来るから。
(…私は運が良かっただけだ…)
 人質に取った、あの女。
 あれがいなければ死んでいたのだと、負けだったのだと分かっている。
 易々と心に入られたから。
 心の中身を読み取られたから、ソルジャー・ブルーに。


 なんとも無様な負けっぷり。
 ミュウの女に庇われたのなら、それで危険に気付くだろうに。
 次は何かと構えるだろうに、その前に読まれていた心。
 誰も読めない筈なのに。
 ジョミー・マーキス・シンには、無理だったのに。
(あのまま、いたなら…)
 どうなっていたか、今頃は。
 人質を二人取っていたから、辛うじて逃げ延びられただけ。
 「人質を一人、解放しよう」と、子供を放り投げたから。
 ソルジャー・ブルーの注意を逸らして、その隙に船に逃げ込めたから。
 もう一人、人質を引き連れたままで。
 ミュウの女を放さないままで。
(…もしも、人質が一人だったら…)
 そんな姑息な手は使えなくて、ソルジャー・ブルーに殺されていたか、捕えられたか。
 心を読めるくらいなのだし、ソルジャー・シンよりも遥かに強い。
 彼とまともに対峙していたら、きっと命は無かっただろう。
 人質無しで出会っていたら。
 その人質がいたとしたって、一人しか連れていなかったなら。


 尻尾を巻いて逃げるしか無かった、あの格納庫。
 余裕の欠片もありはしなくて、それから後も運が良かっただけ。
 たまたまマツカが来合わせただとか、人質が価値あるモノだったとか。
 ソルジャー・シンが自ら飛んで来たほど、大切らしいあの女。
(…あれが下っ端の女だったら…)
 やはり無かったろう命。
 躊躇いもなくミサイルが来るとか、遠隔操作で船ごと爆破されるとか。
 「シールドすれば助かる筈だ」と、「ミュウの女なら出来るだろう」と。
 重要人物だったからこそ、ミュウどもが手出しを躊躇っただけ。
 他に手段が何か無いかと、いきなり爆破は無礼すぎると。


(…本当に、運が良かっただけだ…)
 自分が生きて此処にいるのは。
 メギドを携え、ジルベスター星系へとミュウを滅ぼしに行けるのは。
(そして、あそこには…)
 今もソルジャー・ブルーがいる筈。
 あれで終わるとは思えない。
 きっと彼なら出て来るのだろう、他の者では手に負えないと知ったなら。
 メギドの炎で燻し出したら、あの時、自分に向けた闘志を此方へと向けて。
 今の長では、まるで話にならないから。
 人類に勝てはしないから。
(私一人が逃げ出しただけで…)
 大混乱だった船の中。
 彼がきちんと指揮していたなら、あんなことにはならないから。
 ソルジャー・ブルーが出て来なかったら、自分はまんまと逃げおおせていた筈だから。


 敵と呼べるのは、きっとソルジャー・ブルーだけ。
 自分と戦い、勝ちを収めることが出来るのも、きっとソルジャー・ブルーしかいない。
 そんなつもりは無いけれど。
 彼に容易く倒される気は無いけれど。
(…しかし、アレなら…)
 自分を殺す力を持っているのだろう。
 現に自分は殺されかけたし、生きているのが不思議なほど。
 アレにもう一度会いたいと思う、真正面から。
 一対一で彼に会ったら、どちらが死ぬのか、どちらが生きるか。
 それを無性に知りたいと思う、生き残れるのは何方なのかと。
 ソルジャー・ブルーか、自分なのかと。


(…負けたままでは…)
 尻尾を巻いて逃げたままでは、きっと一生、彼に勝てない。
 メギドの炎が彼を焼いても、星ごと砕いてしまっても。
 それは自分の力ではなくて、メギドの破壊力だから。
 自分は「発射!」と命令するだけ、他の者でも、それこそ部下でも出来るのだから。
(……ソルジャー・ブルー……)
 此処へ出て来い、と握り締めた拳。
 メギド如きに滅ぼされるなと、生きて私の前に立てと。
 そうすれば、仕切り直せるから。
 今度こそ自分が勝ちを収めて、真の勝者となってやるから。


(…私を殺せるような男を…)
 敵に出来たら、そして勝てたら、きっと爽快だろうから。
 ジルベスターまで来た価値があるから、もう一度チャンスが欲しいと思う。
 あの伝説のタイプ・ブルーと、ソルジャー・ブルーと戦える場所。
 それが欲しいと、たとえ負けても構わないからと。
 彼ともう一度向き合えなければ、戦えなければ、ずっと負け犬のままだから。
 尻尾を巻いて逃げて行ったと、運が良かっただけの男だと、きっと嗤われるだけだから。
 ソルジャー・ブルーに、あの男に。
 自分を窮地に追い込んだ男、殺すことさえ出来る力を秘めた男に。
 「地球の男は、あの程度か」と。
 メギドに頼らねば勝てないのかと、よくも偉そうな口を叩けたと。
 そうならないよう、今はチャンスを願うだけ。
 ソルジャー・ブルーが出て来ることを。
 メギドの炎に滅ぼされずに、生きて再び自分を殺しにやって来ることを…。

 

        伝説のミュウ・了

※自分が本当にソルジャー・ブルーのファンなのかどうか、疑われそうなブツを書いた気が…。
 ブルーのファンには間違いないです、根っからのブルー・ファンです。マジで…。





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「ただいま、シロエ」
「パパ!」
 開いた扉の向こうに、父。
 駆け寄って行けば、父は高々と抱き上げてくれた。
 まるで重さなど無いかのように、シロエの身体を高く、高く。
 クルクルと回ってくれる父。
 もう嬉しくてたまらないから、歓声を上げて回り続けた。
 父と一緒に、クルリクルリと何回も。
「さあさあ、パパもシロエも、御飯にしましょ」
 母が呼んでくれて、下り立った床。
「わあ!」
 美味しそう、と眺めたテーブルの上。
 母の得意な料理が並んで、今日は御馳走。
(ふふっ、御褒美…)
 きっと、この間のテストの点数。
 誰も満点を取れなかったのに、自分は満点だったから。
 学校の先生も褒めてくれたし、父も母も喜んでくれたから。
 いただきます、とパクリと頬張った。
 とても美味しくて、頬っぺたが落っこちてしまいそう。
(すごく幸せ…)
 こんな日はきっと、夜になったら…。
(ピーターパンが来てくれるかも!)
 いい子でベッドに入ったら。
 「おやすみなさい」と、ベッドに入って目を閉じていたら。
 そのまま寝ないで待っていたら、きっと…。


 だから寝ないで待つんだもん、と頑張ったのに。
 知らない間に眠ってしまって、素敵な夜は過ぎてしまって…。
(もう朝なの!?)
 嘘、と目覚めたベッドの上。
 目覚まし時計を止めようとしたら、伸ばした自分の手に驚いた。
(えっ…?)
 ぼくの手、と凍ってしまった瞳。
 夢の中の自分の手とは違って、もっと大きくなっているから。
 子供と言うより、大人に近い手。
 どうしてなの、と見詰めたけれども、鳴り続けている目覚ましの音。
 冷たい音で、規則正しく。
 急き立てるように、けたたましく。
(…マザー・イライザ…)
 途端に引き戻された現実、此処は自分の家ではなかった。
 E-1077、エネルゲイアから遠く離れた教育ステーション。
 其処で目覚めた、十四歳の自分。
 幼かった日は消えてしまって、今の自分は…。
(パパ、ママ…)
 何処、と見回しても、いる筈がない父と母。
 自分の家ではないのだから。
 故郷からは遠く離れてしまって、帰る道も、もう…。
(覚えていないよ…)
 帰れないよ、と零れた涙。
 目覚ましだけは止めたけれども、もう戻れない夢の中。
 せっかく父に会えたのに。
 懐かしい母が作る御馳走、それを美味しく食べられたのに。


(ぼくって馬鹿だ…)
 どうして眠ってしまったのだろう、あの夢の中で。
 もしも眠らずに起きていたなら、飛べていたかもしれないのに。
 夜の間に、ピーターパンが来てくれて。
 一緒に空へと舞い上がれていて、今頃はきっと、ネバーランドへ。
 あのまま空を飛んで行ったら、きっと此処にはいないのだろう。
 子供が子供でいられる世界へ、ネバーランドへ、高く高く空を飛んで出掛けて。
(…こんな所から…)
 逃れて、焦がれ続けた空へ。
 ネバーランドへ旅立って行って、二度と戻らずに済んだのだろうに。
(…パパとママだって…)
 離れずに済んでいたのだろう。
 ネバーランドに飛んで行っても、会いたくなったら、きっと帰れる。
 心でそれを願ったならば。
 「パパとママに会いに帰りたいよ」と、ピーターパンに言ったなら。
 子供の味方は、子供を泣かせはしないから。
 ピーターパンなら、夢を叶えてくれるから。
(…パパ、ママ…)
 ぼくはどうして寝てしまったの、と叫びたい気分。
 どうして起こしてくれなかったのと、ピーターパンを待っていたのにと。
(…寝る前に、ちゃんと頼んでおいたら…)
 父が揺すってくれただろう。
 「今夜は起きて待つんだろう?」と。
 母だって、きっと起こしてくれた。
 「眠っちゃ駄目よ」と、「起きたまま待っているんでしょう?」と。


 パパとママに頼み損なっちゃった、と呪った夢。
 きちんと頼んで眠っていたなら、今頃はきっと別の世界にいただろうから。
 E-1077は丸ごと消えてしまって、ネバーランドを飛び回って。
(…ネバーランドに行きたいよ、ママ…)
 パパ、と呟いて、気付いたこと。
 夢の世界で確かに会った。
 顔もぼやけてしまった両親、夢ではハッキリ見えていた顔。
 何処も霞んでいなかった。
 家も、テーブルも、母が作った御馳走も。
 料理を口にした時の美味しさだって、何もかも全部、みんな本物。
 夢の世界で見ていた全ては、きっと本当にあったもの。
(…ぼくが忘れてしまっただけで…)
 成人検査で奪われただけで、あれは全部、自分が見ていたもの。
 両親の顔も、父が入って来た扉だって。
(…どんな扉だっけ…?)
 パパはどうやって入って来たっけ、と考えても思い出せない扉。
 父の顔だって覚えていなくて、母の顔だって記憶に無くて。
(……ママの御馳走……)
 並んでいた料理も思い出せない、大好物だった筈なのに。
 とても美味しくて、顔が綻んだ筈なのに。
(…夢の中でしか、見られないの…?)
 目覚めた途端に消えてしまう夢、その中でしか。
 夢を見ている間だけしか、きっと見付からない真実。
 自分は何処で暮らしていたのか、両親はどんな顔だったのか。
 どういう日々を過ごしていたのか、楽しかったことは何だったのか。
(……そんなの、酷い……)
 本当のことは、夢の中にしか無いなんて。
 目覚めた途端に消える泡沫、パチンと壊れるシャボン玉だなんて。


 あんまりだよ、と思うけれども、これが現実。
 自分の記憶は機械に消されて、目覚めたら忘れる夢の中のこと。
 嫌な夢なら、起きた後にも心の中に残っているのに。
 「捨てなさい」と迫る、テラズ・ナンバー・ファイブなら。
 「忘れなさい」と記憶を消してしまった、忌まわしい機械の夢の時なら。
 そっちの方こそ忘れたいのに、忘れないままで目が覚める。
 何度も自分の悲鳴で飛び起き、その度に怖くて泣き続ける夢。
 「パパ、ママ…」と肩を震わせて。
 失くしてしまった記憶を取り戻したくて、両親のいた家に帰りたくて。
 両親だったら、きっと守ってくれるから。
 「怖いよ」と自分が怯えていたなら、「大丈夫」と抱き締めてくれる筈だから。
 それなのに、思い出せない両親。
 家があった場所も、家の扉も、テーブルだって。
 何もかも自分は忘れてしまって、夢で出会っても、また忘れた。
 目覚ましの音が鳴った途端に、本当のことを。
 自分が子供でいられた時代を、子供の視点で見ていたことを。
 それこそが、きっと真実なのに。
 今も何処かに、本当のことはある筈なのに。
(……パパもママも、家も……)
 エネルゲイアに今もそのままで、自分だけが此処に放り出された。
 ピーターパンの本だけを持って、独りぼっちになってしまって。
 本当のことを全部忘れて、夢に見たって、掴み取れずに。


(……もう一度……)
 眠り直したなら、夢の世界に戻れるだろうか。
 講義に出ないで眠り続けたら、もう一度あの夢に入れるだろうか。
(もしも、戻れたら…)
 今度こそ寝ないで、夢の中で待とう。
 両親に頼んで起こして貰って、ピーターパンがやって来るまで。
 夜の空を飛んでネバーランドへ、ネバーランドよりも素敵な地球へ。
(…飛んで行かなきゃ…)
 もう一度だけ、と切った目覚まし。
 チャンスは掴み取りたいから。
 テラズ・ナンバー・ファイブの夢が来たって、かまわない。
 少しでも希望が残っているなら、それに賭けたいと思うから。
 機械の言いなりになって講義に出るより、今日は機械を無視したいから。
(今日の講義くらい、出なくても…)
 遅れは直ぐに取り戻せるから、夢の世界へ戻ってゆこう。
 夢の世界が本物だから。
 子供が子供でいられた時代は、確かにあった筈なのだから。
(パパとママに会って、御馳走を食べて…)
 夜は寝ないでネバーランドへ、と目を閉じて戻った上掛けの中。
 運が良ければ、きっと真実が見えるから。
 怖い夢が来たってかまわないから、夢の世界へ飛び立とう。
 父と母がいた時代へと。
 本当のことがあった世界へ、機械がすっかり消してしまった子供時代へ。
 その世界への扉が開いたら、真っ直ぐに飛んでゆこうと思う。
 夜は寝ないでピーターパンを待って、ネバーランドへ、ネバーランドよりも素敵な地球へ。
 夢の世界は本物だから。
 真実はきっと其処にあるから、夢に隠れている筈だから…。

 

        戻りたい夢・了

※成人検査で消された記憶は、何処かに残っている筈で…。何かのはずみに出て来る筈。
 だったら夢でも出て来るかもね、と書いてみたけど、シロエ、可哀相…。夢、見られたかな?





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「取材なら、軍の広報を通してくれ」
 無関心にそう言い捨てたキース。
 久しぶりに見たスウェナだけれども、特に関心は無かったから。
 「この花、覚えてる?」と訊かれた花にも。
 「E-1077の中庭にも咲いていたわ」と言われた所で、もう昔のこと。
 サムでさえも何処かに行ってしまった。
 姿は昔と同じにサムでも、「キース」を覚えていたサムは。友達だったサムは。
 だからスウェナと話すことは無い。
 まして彼女が知りたい内容、ジルベスター星系の事故調査となれば任務だから。
 Mと関係があるかもしれない、国家機密を明かせはしない。
 無駄な話をするつもりも無い、つまらない思い出話など。
 けれど…。


「ピーターパン」
 スウェナがいきなり口にした言葉、それがキースの足を縫い止めた。
 遠い昔にシロエが語った、その本の中身そのままに。
 シロエが乗った練習艇を追っていた時、通信回線を通して聞こえて来た声。
 ピーターパンの本に書かれていること、それをシロエは語り続けていた。
 「影がくっつかないよ」と泣いたピーター、「私が影を縫ってあげる」という言葉。
 まるで時の彼方から戻ったかのように、影の代わりに足を縫われた。
 「ピーターパン」と聞いた途端に。
 縫い止められて立ったままの背中、振り返れないでいたらスウェナは続けた。
「あなた宛のメッセージが発見されたわ」
 …そう、セキ・レイ・シロエのものよ。サムの事故には、私の追っている…。
 白い宇宙鯨が関わっている、とスウェナが前へと回り込んだけれど、どうでも良かった。
 そんな話は。
 問題はシロエ、彼の名前とメッセージ。
 スウェナは「今度会えたら、そのメッセージを渡せるんだけど」と見詰めて来たから。
「戻ったら連絡しよう」
 迷うことなく、そう応えた。
 シロエが残したメッセージならば、どうしても見ておきたいから。
 そう思ったから、「その時は二人だけの同窓会でもしましょ」と言ったスウェナを見送った。


(…変わったのは君の方だ。…スウェナ)
 渡された花を手に持ったままで、心の中で呟いたけれど。
 強くなったと思ったけれども、それもどうでもかまわないこと。
 手の中の花も、今では何の意味も持たない。
 同じ花でも、この白い花は病院の花。
 違う所で咲いた花。
 花を頼りにE-1077に戻れはしないし、サムの心も昔に戻りはしないだろうから。
 見上げれば、病室から手を振るサム。
 「キース」だとは分かってくれないのに。
 サムは笑顔を向けるけれども、それは「関心を持ってくれた人間」だから。
(…何もかもが…)
 変わってしまったんだ、と地面に投げ捨てた花。
 持っていたって、何の役にも立たないから。
 車の運転の邪魔になるだけ、それだけの存在に過ぎないから。


 そうして走り出して間もなく、気付いたこと。
(…シロエ…!)
 その瞬間に踏んだブレーキ、後ろの車が憤るように鳴らしたクラクション。
 メンバーズ・エリートらしくもないミス、慌てて路肩に車を寄せた。
 こんな所で事故を起こすなど、軍に迷惑をかけるだけ。
 けれども今は運転出来ない、そう思ったから停めようと決めた。
 激しく脈を打つ心臓。
 E-1077に、それからシロエ。
(…誰も覚えていない筈なんだ…)
 あのステーションに、セキ・レイ・シロエがいたことを。
 ステーションの運営に関わる者ならともかく、生徒だった者は。
 シロエと同じ時期に其処に居た者、彼らの記憶は消されたから。
(…マザー・イライザ…)
 記憶を消させたマザー・イライザ、皆がシロエを忘れてしまった。
 サムも、シロエの同級生たちも。


 誰もが忘れてしまったシロエ。
 彼の船を撃った自分以外は、一人残らず。
 マザー・イライザの計算の下に奪われた記憶、それは戻りはしないだろう。
 サムのようにでもならない限り。
 今は子供に戻ったサム。
 あんな具合に、シロエのいた時代に心だけが戻れば、有り得るけれど。
(だが、それは…)
 精神状態が普通ではないということ。
 年相応の話はまるで出来ない、ただの子供になるということ。
 候補生時代を「子供」と呼ぶかどうかは、ともかくとして。
(……スウェナ……)
 けれど、スウェナは覚えていた。
 E-1077の中庭に咲いていた花を。
 ステーションにいたセキ・レイ・シロエを、あの頃のままに。
 そしてそのまま成長を遂げて、自分の前に戻って来た。
 「ピーターパン」と。
 シロエが残したメッセージを持って、普通に会話が出来る者として。


(……システムの誤算……)
 それに違いない、マザー・イライザの手から離れたスウェナ。
 ステーションから出て行った時は、結婚という道を選んでいたから、記憶はそのまま。
 何も処理されずに旅立って行った、セキ・レイ・シロエを覚えたままで。
(本当だったら…)
 スウェナは子供の母親になって、それきり消えていただろう。
 シロエの記憶を持っていたって、単なる知り合い程度のこと。
 「昔、そういう人間がいた」と思い出しても、その時限りで消えてゆくもの。
 その後のシロエを追いはしなくて、無関心に記憶の淵に沈むもの。
(しかし、スウェナは…)
 ジャーナリストの道を選んで、離婚してまで今の世界を追っている。
 宇宙鯨を、モビー・ディックを。
 Mの母船がそれの正体だと、スウェナが知っているわけがない。
 ミュウの存在も、Mとは何を指すのかも。
 なのに、核心に迫りつつある、ジャーナリストの勘だけで。
 其処に何かが隠されていると、モビー・ディックが鍵なのだと。


 スウェナが此処まで辿り着いたなら、そしてシロエを覚えているなら。
 メッセージまで持っていると言うなら…。
(…神がシロエに…)
 味方したのか、忘れ去られてしまわぬように。
 どんな形かは分からないけれど、彼のメッセージが届くようにと。
 本当だったら、それは残りはしないのに。
 ステーションの中で処理されているか、何処かに廃棄されて終わりか。
(それが残ったのも…)
 残ってスウェナの手に渡ったのも、神の采配なのだろう。
 スウェナがモビー・ディックを追っていたから、全ての糸が繋がった。
 たった一人だけ、シロエを覚えていた人間。
 それがスウェナで、彼女は何故だか、モビー・ディックを追い始めたから。
 離婚してまで、ジャーナリストになったから。


(……こんなことが……)
 この世にあるのか、と心臓は今も激しく脈打ったまま。
 マザー・システムにもミスはあるのかと、その手を逃れる者もいるのかと。
 シロエは逃れ損なったのに。
 逃げ切れないまま、宇宙に散って行ったのに。
(……シロエ……)
 彼は自分に何を残したと言うのだろう。
 「ピーターパン」とスウェナが口にした言葉、それで思い出すのは古びた本だけ。
 シロエが大切に抱いていた本、子供時代からの持ち物だった本。
(あの時、保安部隊がシロエを…)
 ベッドに乗せて運び去った時、ピーターパンの本を持たせてやった。
 シロエの大事な本なのだからと、側に置いてやって。
(まさか、あの本が…)
 戻って来るとは思えないけれど、他には心当たりが無いから。
(……そうなのか?)
 あれが手元に来るのだろうか、次にスウェナに会ったなら。
 ジルベスターから戻ったなら。


 「ピーターパン」の本、シロエが大切に持っていた本。
 練習艇で宇宙へ逃げ出した時も、中身を語り続けていた本。
 「影がくっつかないよ」と、「縫うって何さ?」と。
 それがあるなら、もう間違いなくマザー・イライザの、マザー・システムのミス。
 シロエはシステムに消されたけれども、あの本は消えずに何処かに残った。
 きっとそうだという気がするから、まだ暫くは…。
(……動けないな……)
 メンバーズ・エリートが、自動車事故など起こせないから。
 運転ミスは出来ないから。
 揺り起こされてしまった感情、それが落ち着いて凪いでくれるまでは、このまま路肩に。
 早くなった鼓動が鎮まるまでは、車を走らせることは出来ない。
 E-1077に、シロエがいた日に、引き戻されてしまったから。
 シロエの船を撃ち落とした日に、あの瞬間へと、心だけが飛んでしまったから。
(…今、走ったなら…)
 前をゆく船が見えるのだろう。
 あの日、シロエが乗っていた船が。暗い宇宙を飛んでゆく船が。
 それを見たなら、また踏むのだろう急ブレーキ。
 今も後悔しているから。
 シロエを乗せた船を見たなら、今の自分は追えはしないで、止まる方をきっと選ぶのだから…。

 

         彼方からの記憶・了

※スウェナが「シロエを覚えている唯一の生徒」なんですよねえ、皮肉なことに。
 いくらマザー・システムでも、そこまでは計算していなかったと思うんですけど…?





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(もしかしたら、パパ…?)
 そうだったのかな、とシロエが見詰める手の中。
 小さなコンパス、磁石を使った初期型のもの。
 このステーションに来てから間もない頃に、自分で作って持っているそれ。
(作り方を教えてくれた人…)
 今は全く思い出せない、その人の顔。
 男性だったか、女性だったのか、それさえも。
 何処で教わったか、それも分からないまま。
 学校だったか、家だったのかも分からないから、まるで無い手掛かり。
 けれども、これを手に取った時に、スイと頭を掠めた思い。
 父だったかも、と。
(…エネルゲイアは…)
 技術関係のエキスパートを育てることを目標としていた、育英都市。
 記憶はどんどん薄れてゆくけれど、そのくらいの情報は今も得られるから。
(…技術関係のエキスパートなら…)
 きっと苦もなく作れるのだろう、コンパスくらい。
 これよりももっと凝ったものでも、高度なものでも。
 だから父でも不思議ではない、作り方を教えてくれた誰かは。
 逆に言うなら、他の誰でも、おかしくないということだけれど。
 学校の教師でも、近所に住んでいた誰かでも。
 あるいは年上の友達でも。

 父だったなら、と思いたい。
 ピーターパンの本をくれた両親、今も大好きな父と母。
 顔さえ思い出せなくなっても、好きだったことは忘れないから。
 今も覚えているのだから。
(きっとパパが教えてくれたんだ…)
 そう信じたなら、少し心が軽くなる。
 コンパスの中には、父の思い出。
 自分が忘れてしまっていたって、この手は父を覚えていたから。
 こうして作る、とコンパスのことを覚えたままでいてくれたから。
(……パパ……)
 パパだったよね、と尋ねてみたって、返らない答え。
 コンパスは何も話しはしないし、エネルゲイアは遠いから。
 父のいる家に、声が届きはしないから。
 何処に在ったかも分からない家。
 高層ビルとしか覚えていなくて、町の景色も思い出せない。
 映像を見ても湧かない実感、何もかもが全部、偽物に見える。
 機械だったら、映像くらいは簡単に処理してしまえるから。
 偽の情報を混ぜていたって、誰も気付きはしないから。
(…機械の言うことは嘘ばかりだ…)
 記憶を奪った成人検査も、あんな中身だとは自分は思いもしなかった。
 誰もそうだと教えはしないし、一度も習いはしなかったから。
 大人になるための節目の一つで、十四歳の誕生日。
 目覚めの日と呼ばれる日がそうなのだと、旅立ちの日だと教わっただけ。
 荷物を持っては行けないとだけ。

 何もかもが嘘で塗り固められた、機械が支配している世界。
 本当のことなど探せはしなくて、きっと一つも見付けられない。
 自分の記憶が曖昧なように、世界そのものが曖昧だから。
 真実はきっと、機械が隠しているだろうから。
(ぼくの家だって、捜せない…)
 住所を覚えていないから。
 家へ帰るための道順さえも、思い出すことが出来ないから。
 覚えていたなら、このコンパスが役に立つのに。
 エネルゲイアの町に立ったら、「こっち」と歩いてゆけるのに。
 家が在った場所も分からなければ、両親の顔も思い出せない自分。
 まるで迷子のロストボーイで、何もかも全部、機械のせい。
 真実は伏せて、嘘ばかりの。
 いいように嘘を教える機械の。
(…パパの名前だって…)
 此処にデータはあるけれど、と呼び出した画面。
 ステーションに着いて以来の自分の記録で、生年月日と両親の名前。
 それを眺めてもピンと来ないし、赤の他人を見ているよう。
 顔写真すらついていないから、ただの文字でしかないのだから。
(…コンパス、パパならいいんだけど…)
 パパに教わったなら嬉しいけれど、と見詰める名前。
 父だと言われればそうも思うし、違うと言われても「そうか」と思う。
 そのくらい曖昧になっているのが、今の自分の両親の記憶。
 誰かの記録と入れ替わっていても、丸ごと信じてしまいそうなほどに。
 これが父かと、母の名前かと、しみじみと眺めていそうなほどに。

(……パパ……)
 本当に思い出せないよ、と画面を見ていて気付いたこと。
 コンパスの記憶は無いのだけれども、父の仕事は…。
(…凄く大事な研究だった…?)
 そんな気がしてたまらない。
 エネルゲイアでも屈指の技術者、そうでなければ研究者。
 父が誇らしかったから。
 いつか自分も父のように、と憧れたように思うから。
(だとしたら…)
 嘘で固められた世界だけれども、真実を掴めるかもしれない。
 父が優秀な技術者だったら、研究者だったというのなら。
(きっと何処かに、パパのデータが…)
 あるに違いない、と閃いた。
 いくら機械が隠し続けても、嘘をついても、消せない真実。
 優秀な人間の名前や功績、それはデータが残るから。
 SD体制の時代の分も、その前の分も。
 子供相手なら隠せたとしても、大人社会への入口に立ったら、データは開示される筈。
 それは役立つ情報だから。
 誰がどういう研究をしたか、どういう成果を上げたのか。
(…パパの名前も…)
 ある筈なんだ、とデータベースに打ち込んだ名前。
 きっと故郷に繋がるから。
 パスワードなどをくぐり抜けたら、懐かしい家にも辿り着けるから。

 心を躍らせて打ち込んだ名前、此処で機械は嘘をつけない。
 父の名前は父の名前で、他の誰かでは有り得ないから。
 其処まで細かい細工はしないし、自分の名前は今も昔もセキ・レイ・シロエ。
(パパだって、セキ…)
 ミスター・セキ、と呼ばれていた筈。
 父の名前はきっとある筈、ミスター・セキでも、フルネームでも。
 「エネルゲイア」と区切って入れた。「アタラクシア」も。
 データベースに名前があるなら、これだけ絞れば、と。
 ドキドキしながら出したコマンド、「この条件で探すように」と。
 一瞬、明滅した画面。
 そして出て来た、ミスター・セキの名。
 父のフルネームも一緒にあるから、間違いなく父。
(パパだ…!)
 ぼくのパパだ、と詳しいデータを表示させようとしたのだけれど。
 いきなり住所は出ないとしたって、所属の部署や顔写真なら、と指示したけれど。
(…エラー…?)
 嘘だ、と受けた衝撃。
 ブロックされている父の情報、それは確かにある筈なのに。
 データベースに存在するなら、開示されている筈なのに。
(…ぼくには引き出せないデータ…?)
 自分がセキ・レイ・シロエだから。
 養父の情報を引き出そうとして、アクセスしたと判断されて。
 機械だったら、そのくらいのことはやりかねない。
 この端末からマザー・イライザが来るのだから。
 「どうしたのですか?」と呼ぶのだから。
 きっとそうだ、と机に激しく叩き付けた拳。
 せっかく此処まで辿り着いたのに、自分は先へと進めないのかと。
 パスワードさえもくぐれないのかと、「セキ・レイ・シロエ」だから駄目なのかと。

 またも機械にしてやられたから、目の前で父を隠されたから。
 他の者なら引き出せるだろう、父の情報は開かないから。
(これも機械のやり方なんだ…)
 許すもんか、と零れる涙。
 此処まで自分で辿り着いたのに、やっと見付けた手掛かりなのに。
(何もかも、いつか思い出してやる…)
 機械が此処までやるのだったら、自分が地球のトップに立って。
 国家主席の地位に昇り詰めて、憎い機械を必ず止める。
 「ぼくの記憶を全部返せ」と命令して。
 記憶を全て取り戻したなら、「止まってしまえ」と機械に命じて。
 その日が来たなら、懐かしい父を取り戻す。
 優しかった母も、大好きだった家も。
(……パパ……)
 ぼくは必ず帰るからね、と「ミスター・セキ」としか表示されない画面を閉じた。
 父の名前しか表示されない、自分を拒否する憎い画面を。

 そして眠ったシロエは知らない、エラーメッセージの本当の理由。
 父の所属は、国家機密のMを扱う研究所。
 サイオニック研究所は存在自体が極秘なのだと、国家機密だとシロエは知らない。
 国家機密のエラーメッセージ、それをシロエは知らないから。
 まだ学んではいなかったから。
 知っていたなら、シロエは機械に従ったろうか?
 父のデータを見られる日までは、逆らいながらもエリートの道を進んだろうか?
 それは今でも分からないまま。
 シロエは空へと飛び立ったから。
 いつまでも、何処までも、自由に飛び続けられる広い空へと…。

 

        隠された父・了

※シロエのお父さんのデータは捜せるんじゃないの、と一瞬、思った管理人ですけど。
 所属している部署が悪かったっけ、と気付いたことから出来たお話。Mじゃ国家機密…。
 シロエが持っているコンパスは捏造、「後は真っ直ぐ」に出て来ます。





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