忍者ブログ

カテゴリー「地球へ…」の記事一覧

「そうだわ、これ…。約束の」
 スウェナに手渡された大きな封筒。「じゃあね、サム」と立ち去る前に。
(…これが…)
 シロエからのメッセージなのか、と見詰めたキース。
 スウェナが前に言った通りなら、自分宛だというメッセージ。
(…この重さなら…)
 それに大きさ、中身は多分、予想通りのものだろう。
 シロエが大切に持っていた本。子供時代からのシロエの友。
(ピーターパン…)
 これが、と腰を下ろしたベンチ。
 さっきまでスウェナも座っていたベンチ、今はサムとの二人きり。
(…あの本だ…)
 中身はそうだ、と開いて出そうとしたけれど。
 其処で止まってしまった手。
 「ピーターパン」と書かれたタイトル、それが現れた所あたりで。
 …何故なら、本は焦げていたから。右上の方が、黒く無残に。
 それに端の方が破れてもいた、シロエが大切に持っていたのに。
 シロエだったら、こんな風に本を損ねるようには、扱ったりはしないのに。
(……シロエ……!)
 本当に私宛なのか、と見開いた瞳。
 きっと何かの間違いだろうと、この本は自分宛ではないと。
 本全体を取り出してみたら、確信に変わっていた思い。
(…シロエ……)
 そんなにも大切だったのか、と。
 この本を持っていたかったのかと、失いたくない本だったかと。


 あちこちが焦げて、破れたりして、無残な姿になっている本。
 遠い日のシロエの宝物。
(…この本だとは思っていたが…)
 シロエが何かを残したのなら、キーワードが「ピーターパン」ならば。
 けれども、焦げて破れている本。
 かつて見た本は、ただ古びていただけだったのに。
 シロエと共に在った年数、それを示していただけなのに。
(…あれより、幾らか…)
 過ぎた歳月、十二年分だけを経た本が来ると信じていた。
 目にするものは、それだと思った。
 廃校になったE-1077、その中の何処かに眠っていたのが見付かったのだと。
 今は政府の関係者すらも、簡単に入れはしない場所でも。
(…だが、これは…)
 この本は其処に在ったのではない。
 E-1077で見付かったのなら、何処も焦げてはいないだろうから。
 十二年分の歳月だけを映した本の筈だから。
 なのに、本には焼け焦げた跡。
 シロエが見たなら、きっと悲しむことだろう。
 「ぼくの本…」と。
 どうして焦げてしまったのかと、破れているのは誰のせいかと。
 きっと瞳から涙を零して、ギュッと両腕で抱き締めて。
 …遠い昔に、そうしたように。
 追われるシロエを匿った時に、目覚めて直ぐにしていたように。
 「ぼくの本…!」と胸に抱き締めたシロエ。
 自分の視線に気付くまでの間、それは幼い子供の顔で。


 シロエがやった、と直ぐに分かった。
 この本が何処からやって来たかも、どうして焦げてしまったのかも。
(……ピーターパン……)
 逃げるシロエの船を追う時、通信回線の向こうで聞こえた声。
 ポツリポツリとシロエが語り続けた、ピーターパンの本に書いてあること。
(…あれはシロエの記憶ではなくて…)
 記憶していた本の文章、それを語っているのだと思った。
 あの船を追っていた時は。
 後には考え直したりもした、「あれは音読だっただろうか?」と。
 ピーターパンの本と一緒に、シロエは宇宙(そら)へ逃げたのかと。
 本を絶え間なく読み続けながら、宇宙を飛んで行っただろうかと。
(…私宛のメッセージだと聞いて…)
 あの本だろう、と考えた時に、あっさりと捨ててしまった仮説。
 「シロエは本と一緒だった」という仮説。
 ピーターパンの本があるなら、シロエが読んでいた筈がないから。
 シロエと一緒に在った本なら、残っている筈が無いのだから。
(……撃ったんだ……)
 この手で、シロエが乗っていた船を。
 左手で合わせたレーザー砲の照準、発射ボタンを親指で押した。
 そしてシロエは宇宙から消えた、レーザーの光に焼き尽くされて。
 もう本当に一瞬の内に、溶けて蒸発しただろうシロエ。
 「何か光った」と思う間もなく、跡形もなく。
 髪の一筋も、血の一滴も、何一つ残さないままで。
(…シロエの姿が残らないのに…)
 もっと弱くて燃えやすい本、紙の本が残るわけがない。
 本があるなら、シロエはそれを持って逃げたりはしなかった。
 E-1077に置いて去ったと考えたのに…。


(……シロエ、お前は……)
 こんなにも大切だったのか、と見詰めたピーターパンの本。
 自分の身よりも本を守ったかと、命よりも大切な本だったのか、と。
 レーザー砲に焼かれながらも、この程度で済んだ本の損傷。
 それがシロエの意志だったから。
 「ぼくの本…!」と、あの日、抱き締めたように、きっとシロエが抱き締めたから。
 この本だけは、と。
 大切な本で、守りたい宝物だから、と。
(…どうして自分を守らなかった…!)
 お前は馬鹿だ、と涙が溢れそうになるのを堪える。
 此処で自分は泣けはしないし、膝の上にはサムが頭を乗せているから。
 感情の乱れを外には出せない、もうじき部下もやって来るから。
(…シロエ……)
 そう、じきに現れるだろうマツカ。
 ペセトラ基地で出会ったマツカも、シロエと同じにMだから分かる。
 彼に命じたサイオン・シールド、それで自分は生き延びたから。
 ミュウの追手から逃れたから。
(…やったことが無い、と叫んだマツカにも出来たんだ…)
 Mが、ミュウが使うサイオン・シールド。
 爆発から身を守れるもの。
 実験で何度も目にしていたそれを、自分自身が体験した。
 「凄いものだ」と、「やはり化け物」と。
 シロエも、きっと同じにやった。
 レーザー砲を撃った瞬間、本を守ろうと。
 大切なピーターパンの本をと、シロエが展開したろうシールド。
 …自分を守れば良かったのに。
 ピーターパンの本を抱えて、自分ごと守れば助かったろうに。


(…マザー・イライザ…)
 今だから分かる、あの日、イライザが命じたこと。
 シロエの船を撃ち落とした場所、其処へと船を向けさせたこと。
(…シロエが爆発から逃れていないか……)
 それを確かめさせたのだ、と。
 イライザは知っていたのだから。
 シロエはMだと、ミュウならば生き残ることもある、と。
 上手くシールドを展開したなら、船が微塵に砕けた後も。
 レーザー砲で焼かれた後にも、シロエは宇宙に浮いているかもしれないと。
(…どうして、本だけを守ったんだ…!)
 お前は馬鹿で、大馬鹿者だ、と叫びたいけれど、これが結果で、残ったのは本。
 シロエが上手くやっていたなら、きっと生き延びただろうに。
 もしも宇宙に浮いていたなら、あの時、発見していたとしても…。
(…マザー・イライザには、何も見なかったと…)
 戻って報告していたろう。
 どうせシロエは死ぬのだから。
 漆黒の宇宙に浮いていたって、何処からも助けは来ないのだから。
 けれど、自分は知っている。
 今の自分は、その後のことを聞かされたから。
 「鯨」が目撃されたこと。
 シロエの船を撃った場所から、そう離れてはいない所で。
 「鯨」はMの、ミュウたちの母船。
 それがいたなら、シロエを救いにやって来た筈。
 彼らは気付くだろうから。
 Mの仲間が宇宙にいると、生命の危機に瀕していると。


 助かり損ねてしまったシロエ。
 本を守って、自分は散って。
 もう少しばかり、シロエが自分を大事にしたなら、大切に思っていたのなら。
(…本だけではなくて…)
 シロエも助かっただろうに。
 Mの母船に、鯨に救われ、彼らと共に去っただろうに。
(…命よりも大事だったのか…)
 機械の言いなりになって生きる人生、そんな命に何の意味が、と言っていたシロエ。
 彼の心の支えだった本、きっと命よりも大切に思っていたのだろう本。
(…それが残ってしまったか…)
 シロエの代わりに、此処に、こうして。
 レーザー砲の光を浴びても、焦げて破れたりしただけで。
(…これほどに…)
 強い力を生むのか、Mの思いは。ミュウの心というものは。
 ならば恐らく、人類はいつか敗れるのだろう。
 今は狩られるだけのミュウでも、いずれは牙を剥くだろうから。
 その兆候は既に、出ているから。


「大佐。…先ほど、ペセトラ基地の部隊が全滅したとの報告がありました」
 キルギス軍管区から増援を送るそうです、と現れた部下。
 靴音でもう分かっていたけれど、スタージョン中尉。その隣にマツカ。
(……シロエ……)
 マツカにシロエを重ねていた。
 かつて殺すしか道が無かったシロエの代わりに、Mのマツカを生かそうと。
 どうしてシロエも生き残る方へと行かなかったか、本を守って逝ったのか。
「…無駄なことを」
「は?」
 何が無駄だと、という風な顔の部下だけれども。
 ピーターパンの本を何気ない顔で仕舞って、見上げたサムの病院の上に広がる青空。
 「戻るぞ」とベンチから立ち上がりつつも、その空の向こうに見えた気がした。
 Mの母船が舞い降りる日が。
 シロエを乗せていたかもしれない、鯨が空から降りて来る日が。
 いつか人類は、Mに敗れるだろうから。
 命よりも大切だった本を守って、Mのシロエは空へと飛んで行ったのだから…。

 

         此処に在る本・了

※ピーターパンの本が焼けずに残った理由は、コレだろうな、と前から思っているわけで…。
 同じネタをシロエ側から書いているのが「宝物の本」というヤツ、短いですけどね。





拍手[0回]

PR

(…まただ…)
 多分、とマツカがかざした右手。
 さっき運ばれて来た、キースの昼食。「大佐のお食事をお持ちしました」と。
 いつも通りに受け取ったけれど、感じた違和感。手にした途端に。
 けれど顔には出さずに応えた、「ありがとう」と。
 恐らく、彼は何も知らない。食事を運んで来ただけのことで。
(…あんな若い子に…)
 秘密を漏らす筈がないから。それに知ったら、動けなくなってしまうだろうから。
 「お食事が終わった頃に、また伺います」と敬礼して去って行った青年。
 国家騎士団に配属されて間もない新人、そういった感じ。
 他の者と食堂で食べたりはしない、キースのような上級士官。
 彼らの部屋まで食事を届ける、それを仕事にしている青年。
 緊張しながら配って回って、頃合いを見て下げにゆくのが任務の下っ端。
(…でも、彼が…)
 この責任を負わされるんだ、とトレイの上から取った一皿。
 見た目にはただのシチューだけれども、きっと一口、食べただけでも…。


 誰が、と集中してゆくサイオン。
 残留思念を追えはしないかと、いったい誰の仕業なのかと。
 人類はサイオンを持たないけれども、ミュウと同じに思考する生き物。
 だから思念の痕跡は残る。それをサイオンとは呼ばないだけで。
(……薬……)
 これは薬だ、と言い聞かせている誰かの心。
 薬なのだから、問題無いと。
 アニアン大佐の健康のためを思ってしていることなのだから、と。
 その裏側に隠れた冷笑。
 これで大佐も、さぞお元気に…、と。
 日頃の激務をすっかり忘れて、リラックスなさることだろうと。…永遠に。
(……誰?)
 誰の思いだ、と読み取ろうと捉えかけたのに。
 被さって来たのが別の心で、そちらは明らかに好意。
 「お出しする前に、冷めないように」と気遣う心。
 もう一度、温めておくのがいいと。
 鍋に戻せはしないけれども、このままで少し温めようと。


 消えてしまった不穏な思念。
 キースを「永遠に」眠らせる薬、それを入れたのは誰なのか。
 厨房の者か、あるいは「水をくれないか?」と入って行った誰かか。
 階級がかなり上の者でも、その口実なら入れるから。
 まるで気まぐれ、たった今、思い付いたかのように。
 何処かへ移動してゆく途中で、突然に喉が渇いたから、と。
(…厨房だったら、水をくれって言って入っても…)
 言葉そのままに、水を渡しはしないから。
 「本当に水でよろしいのですか?」と確認の言葉、「コーヒーでもお淹れしましょうか?」と。
 それを承知で入ってゆくのが、自分の都合で動く者たち。
 「ああ、頼む」と鷹揚に構えて、コーヒーが入るまでの間は…。
(…誰に遠慮もしないから…)
 興味があるなら、鍋だって開ける。「これは何だ?」と。
 並んだトレイを眺めだってする、「今日の食事はこれなのか」と。
 トレイには名札が添えてあるから、簡単に分かることだろう。
 どれがキースの食事なのかも、毒を入れるのに適した品も。


(…そういうことも…)
 きっとあるんだ、と見詰めるシチュー。
 自分がミュウでなかったならば、ただの人類だったなら…。
(…何も知らずに、キースに渡して…)
 キースの方も、「ご苦労」とさえも言わずに受け取る。
 彼はそういう人だから。
 心では「ご苦労」と思っていたって、けして言葉にしない人。
 もちろん顔にも出しはしないし、部下を労うことなどはしない。
 けれど、充分、伝わる思い。
 キースの心は読めないけれども、「ご苦労」と彼が思ったことは。
(そうやって、ぼくから受け取った後は…)
 仕事でもしながら、黙々と食べてゆくのだろう。
 毒が入っているかどうかも、きっと考えさえせずに。…調べさえせずに。
(…何度も、何度も…)
 暗殺計画が立案されては、キースを襲って来たというのに。
 この瞬間にも誰かが何処かで、次の計画を練っているかもしれないのに。


(不死身のキース…)
 いつの間にやら、キースについていた渾名。
 戦場でついた渾名だけれども、今では更に高まったその名。
 襲撃も爆破も、命を奪えはしなかったから。
 彼を狙って発砲したって、一発も当たりはしなかったから。
(…それでも、懲りずに…)
 こうして毒を入れる者たち。
 それが一番手っ取り早くて、リスクも低いものだから。
 毒入りシチューでキースが死んだら、真っ先に疑われる者は…。
(さっきの青年…)
 最後にトレイに触れた者だし、彼が届けに来たのだから。「お食事をお持ちしました」と。
 キースの部屋まで、「アニアン大佐に」と、毒入りシチューを載せたトレイを。
(…本当は、最後に触れたのは…)
 受け取ってキースに手渡した者は、自分だけれど。
 ジョナ・マツカという名の側近だけれど、側近を疑う者などはいない。
 長い年月、キースに黙々と仕え続けて此処にいるから。
 ジルベスター星系以来の部下だし、キースが自分で選んだ側近なのだから。


 その側近が一番危険なのだと、いったい誰が気付くだろう?
 最初にキースの命を狙った、多分、そういう人間が自分。
 ミュウを人間と呼ぶかはともかく、人類と一緒に扱っていいかは別にしたなら。
(…あの頃のキースは、メンバーズだったというだけで…)
 今ほどに敵は作っていないし、きっと暗殺計画も無い。
 冷徹無比な破壊兵器の異名を取っていたって、キース個人を恨むような者は…。
(戦場で根こそぎ消されてしまって、キースの側へは…)
 きっと来られなかった筈。命を失くせば、キースを殺せはしないから。
 そんな頃にキースと出会った自分。
 身を守ろうとして、キースの命を奪おうとして…。
(…失敗して、殺される筈だったのに…)
 キースに命を救われたから、今日まで彼について来た。
 こうしてミュウの力を使って、何度もキースを守りながら。
 ミュウの母船から逃げ出したキース、彼をサイオン・シールドで包んで救ったのが最初。
(…ミュウたちから見れば、裏切り者で…)
 それ以外の者ではないだろうけれど、それが罪でも、守りたいキース。
 彼の命を救ったせいで、ミュウの血がまた流されても。
 此処でキースが死んでいたなら、何人ものミュウが助かるとしても。


(…あの人は、死に場所を探してるんだ…)
 どういうわけだか、そんな気がする。
 誰よりも強い心を持つ筈のキース、彼は死に場所を求めていると。
 その時がいつ訪れようとも、きっと悔やみはしないのだろう。
 だから、キースは気にも留めない。
 渡された食事のトレイに誰かが毒を盛ろうが、毒入りシチューを届けられようが。
 何も心に留めはしないで、毒入りシチューを食べるだけ。
 スプーンで掬って、口に運んで、それで命を失おうとも…。
(…キースは、きっと困りもしない…)
 その時が今やって来たか、と血を吐いて倒れ伏すだけで。
 助けを呼ぼうとしさえしないで、一人きりで死んでゆくのだろう。
 「これで終わりだ」と、遠い日にメギドでミュウの長に告げていた言葉。
 赤い瞳を打ち砕いた弾、それを撃った時のキースの言葉。
 それをそのまま、自分自身に向けるのだろう。
 「これで終わりだ」と、「全て終わった」と。
 きっと言葉に出しはしないで、毒で薄れゆく意識の底で、彼の心の中だけで。
 「ご苦労」と口にしないのと同じに、自分だけで一人、納得して。


(…そんな、あなただから…)
 ぼくはあなたを殺せないんだ、と見詰めるシチュー。
 これをキースに運んで行ったら、何人ものミュウを救えるだろうに。
 キースを殺した犯人だって、トレイを運んで来た青年。
 きっとそういうことになるから、自分の身には及ばない危険。
 「今度のことでは大変だったな」と、セルジュたちだって言うのだろう。
 これから先はどうするつもりかと、新しい部署を用意しようかと。
(…そうなった時は、何処か、適当に希望を出して…)
 其処に配属されるまでの間に、何日か貰えるだろう休暇。
 それを使ってノアを離れれば、ミュウの母船へ行くことが出来る。
 国家騎士団の中に隠れていたから、山のような機密を手土産に持って。
 キースの側近だったからこそ得られた情報、国家騎士団や人類軍に纏わるデータ。
 土産を山と持って行ったら、きっと不問に付されるのだろう。
 ジルベスターからキースを救って逃げ出したことも、ミュウの長を見殺しにしたことさえも。
(…そのまま、モビー・ディックに隠れて…)
 彼らと地球を目指せるのだろう、請われるままにアドバイスをして。
 人類軍と国家騎士団、その艦隊とどう戦うべきかを。


 けれど、選べはしない道。…選びたいとも思わない道。
 キースを守って此処にいようと、とうに心に決めているから。
 「役に立つ化け物」と呼ばれていようが、自分はそれでかまわないから。
(…裏切り者でも、化け物でも…)
 ぼくがあなたを死なせない、と手にした毒入りシチューの皿。
 これはキースに渡せないから、後で自分が処理するだけ。
 この執務室に付属のキッチン、いつものように其処へ流して。
 何事も無かったように皿を洗って、トレイに戻しておくだけのこと。
(不死身のキース…)
 また伝説が一つ増えるけれども、それもキースの実力の内。
 ミュウの自分を飼っていることも、裏切られないで心を掴んでいることも。


 食事が一品、欠けてしまった食事のトレイ。
 それをキースの執務室へと運んでゆく。
 扉を軽くノックして。
 「遅くなりました」と、「よろけて、シチューを駄目にしました。すみません」と。
 「かまわん」と背を向けたままでいるキース。
 本当にきっと、彼はどうでもいいのだろう。
 シチューが消えた理由など。
 毒入りだろうが、間抜けな部下がヘマをして駄目にしてしまおうが。
(あなたが、そういう人だから…)
 此処にいなければ駄目だと思う。
 裏切り者でも、化け物でも。
 「ご苦労」とさえ言って貰えなくても、これが自分の生き方だから…。

 

          守りたい人・了

※「ぼくが毒を盛っているかもしれませんよ?」というのがマツカの台詞なわけで。
 誰かが毒を盛ったからこそ、こういう台詞になるんだよな、と。きっと日常茶飯事な世界。





拍手[0回]

(あいつら…)
 何も分かっていないくせに、とシロエがギリッと噛んだ唇。
 講義が終わって帰った部屋で。
 ピーターパンの本を抱えて、ベッドの上に座り込んで。
(パパとママの本…)
 この本をくれた両親のこと。
 とても身体の大きかった父と、優しかった母と。
 それは間違いないのだけれども、両親は確かにいたのだけれど…。
(…何処に行ったの?)
 パパ、ママ、と瞳から零れる涙。
 何処にいるのか、まるで分からない父と母。
 貰った本は此処にあるのに、この本は持って来られたのに。
(…全部、忘れた…)
 住んでいた家も、町も、故郷も。
 両親の顔も、何もかも、全部。
 気付いた時には失われた後で、もう戻っては来なかった。
 どんなに記憶の糸を手繰っても、どれも途中でプツリと切れる。
 こうして起きている時も。
 ベッドで眠って、遠い記憶を捕まえたように思った時も。
 消えてしまった本当の記憶、子供時代に見聞きした全て。
 故郷の空気も風も光も、両親と過ごした筈の日さえも。


 自分はそれを悔いているのに、失くした過去を今も捜しているのに。
 ピーターパンの本に何か欠片が隠れていないか、何度も開いて確かめるのに。
(パパも、それにママも…)
 見付からないよ、と零れ落ちる涙。
 いくら捜してもいない両親、はっきり「そうだ」と分かる形では。
 こういう顔の人たちだったと、懐かしさがこみ上げる姿では。
(…いつも、ぼやけて…)
 見えないんだ、と止まらない涙。
 記憶の中に残った両親、その顔はいつも掴めない。
 涙でぼやけるからではなくて。
 向こうを向いているからではなくて。
(ちゃんと、こっちを向いているのに…)
 どうしても見えてくれない顔。
 薄いベールで覆われるのなら、まだ仕方ないと思えるけれど。
 遠い記憶はそんなものだと、紗に包まれると考えないでもないけれど…。
(テラズ・ナンバー・ファイブ…)
 あれが消した、と今も悔しくてたまらない。
 両親の顔は、焼け焦げて穴が開いたよう。
 写真が焦げたら、そうなるだろうといった具合に。
 顔の上に幾つも滲む穴たち、それが邪魔して見られない顔。
 どんな顔立ちの人だったのか。
 父はどういう顔をしていたか、母の面差しはどうだったのか。
 機械が焦がして、消してしまったから分からない。
 「捨てなさい」と告げて、消し去ったから。
 古い写真に火を点けるように、記憶を燃やしてしまったから。


 失くしたのだ、と自分には分かる両親の記憶。
 それに故郷も、育った家も。
 ただでも苛立ち、焦る日々なのに。
 少しでも記憶を取り戻したくて、こうして本を抱き締めるのに。
(…あいつら、何も知りもしないで…)
 みんな嫌いだ、と頭の中から追い出したくなる同級生たち。
 出来ることなら、纏めて宇宙に捨てたいほどに。
 今日の彼らの忌々しい会話、それが聞こえて来ない宇宙へ。
(…パパ、ママ…)
 ぼくだけが忘れたわけじゃないのに、と唇をきつく噛むけれど。
 みんな同じだと思いたいけれど、今日のような日は心に湧き上がる不安。
 もしかしたら、と。
 彼らが普通で、自分がおかしい。
 両親を、故郷を忘れているのは、自分だけではないだろうか、と。
(……分かっているけど……)
 それは違うということは。
 他の者たちは皆、根無し草で、両親も故郷も自分と同じに忘れた筈。
 ただ、そのことにこだわらないだけ。
 かつては父と母がいたのだと、故郷があったと思っているだけ。
 だから容易く口にする。
 「ぼくの父さんは…」とか、「母さん」だとか。
 親しみをこめて、それは明るく。
 いい人だったと、優しかったと。
 顔も覚えていないのに。
 一緒に暮らした家も記憶に無いというのに、明るい彼ら。
 子供時代は楽しかったと、自分の父は、母はこうだと。


(…父さんだなんて…)
 それに母さん、と余計に覚えてしまう苛立ち。
 自分にも覚えがあったから。
 今も残った記憶の断片、その中にある言葉だから。
(ぼくのパパはパパで、ママはママなのに…)
 あれは、いつ頃だっただろうか。
 目覚めの日が近くなって来た頃か、それよりも少し前だったろうか。
 それまでは「パパ」「ママ」と両親を呼んでいた者たち。
 顔も覚えていない者たち、多分、友達かクラスメイトか。
 彼らの言い方が変わっていった。
 父親を呼ぶ時は「父さん」と。
 母を呼ぶなら「母さん」と。
 「パパ」と「ママ」は少しずつ減ってゆく呼び方、「父さん」と「母さん」が増えてゆく。
 それが大人への一歩に思えて、自分も同じに背伸びした。
 いつまでも「パパ」と「ママ」では駄目だと。
 家では「パパ」と「ママ」のままでも、皆の前では「父さん」と「母さん」。
 初めてそれを口にしたのは、何歳の時だっただろうか。
 けれど、不思議に高鳴った胸。
 やっと言えたと、これで大人に近付いたと。
 ネバーランドより素敵な地球にも、一歩近付いたんだから、と。
(…大人が何か、知らなかったから…)
 大人になったら何が起こるか、自分は知りもしなかったから。
 目覚めの日が来るのを、胸をときめかせて待っていたのと同じ。
 記憶を消されるとも知らないままで。
 大人になるのは子供時代を捨てることだと、夢にも思わないままで。


 背伸びして言えた「父さん」と「母さん」、あの時には誇らしかったこと。
 こうして自分も育ってゆくのだと、きっと地球にも行けるだろうと。
 なのに、間違っていた自分。
 大人への道は、子供の自分を捨てること。
 大好きだった父も、母も、家も、自分自身の記憶でさえも。
(…こうなるんだって分かっていたら…)
 夢を描きはしなかった。
 ネバーランドよりも素敵な地球へ、と。
 そんな所へ行くくらいならば、あのまま夜空へ飛び立ちたかった。
 二つ目の角を右に曲がって、後は朝までずうっと真っ直ぐ。
 そうやって行けるネバーランドへ、子供が子供でいられる国へ。
 今の自分がそうなったように、両親を忘れるくらいなら。
 思い出せなくなるくらいならば、故郷の空からネバーランドへ。
 「父さん」「母さん」と、背伸びなどせずに。
 周りの者たちがそう呼んでいても、一人だけになっても「パパ」と「ママ」のままで。
 そうしていたなら、きっと子供でいられたから。
 機械が支配するこんな時代でも、本当の子供でいられたから。
(…ピーターパンだって…)
 きっと迎えに来てくれたんだ、と悔しくて辛くてたまらない。
 どうして周りに染まったのかと。
 誇らしさに満ちて「パパ」と「ママ」とを捨てたのかと。
 誰も「パパ」とは呼ばなくなっても、自分だけは「パパ」と呼べばよかった。
 「ママ」と呼ぶ者たちがいなくなっても、一人でも「ママ」と言えばよかった。
 子供の世界にしがみついて。
 大人の世界へ踏み出す代わりに、しっかりと足を踏ん張って。


(…本当に、誰も…)
 何も分かっていないくせに、と腹立たしくなる同級生たち。
 「父さん」「母さん」と賑やかに話す、親を忘れている者たち。
 機械が消してしまった記憶は、自分と変わらない筈なのに。
 おぼろに霞んで穴だらけなのに、彼らは笑顔で話し続ける。
 「ぼくの父さんは…」と、「母さんは」と。
 自分が今も悔やみ続ける言葉で、「パパ」や「ママ」とは違う言葉で。
 どうして彼らは笑えるのだろう、明るく語り合えるのだろう。
 彼らの故郷や両親のことを。
 自分と同じに機械に消されて、捨てさせられた筈なのに。
(…そのことに気付いていないから…)
 だからあいつらは笑えるんだ、と理屈では分かっているけれど。
 それでも、こんな日は辛い。
 子供だった自分が背伸びした言葉、何も知らずに切り替えた言い方。
 「パパ」と「ママ」をやめて、「父さん」と「母さん」。
 一歩大人に近付いたのだと、胸を張りたくなっていた言葉。
 それを彼らが口にしたから、それを使って両親のことを語り合ったから。
(…何も覚えてないくせに…)
 ぼくと変わりはしないくせに、と零れる涙。
 あの日、背伸びをしなかったなら、と。
 「パパ」と「ママ」という言葉を抱き締めて一人、子供の世界に残ったなら、と。


 そうしたらきっと、今も子供でいられたろうに。
 ネバーランドに行けただろうに、と抱き締めるピーターパンの本。
(…パパ、ママ…)
 あの時、ぼくは間違えたんだ、と思っても、もう戻れない過去。
 涙は溢れて止まらないまま、幾つも零れ落ちるまま。
 背伸びした自分は間違えたから。
 子供が子供でいられる世界に、自分から背を向けたから。
 「父さん」、それに「母さん」と言って。
 これで大人に一歩近付いたと、「パパ」と「ママ」に背を向けたのだから…。

 

        背伸びした言葉・了

※ステーション時代のシロエは「父さん」「母さん」と言っていたんですけど…。
 いつからそっちになったんだろう、と考えていたら、こんな話に。シロエ、可哀相。





拍手[0回]

「百八十度回頭」
 トォニィがそう命じた声に、問い返したツェーレン。「地球を後にするの?」と。
 それに応えてトォニィは言った、「そうだ」と。
 「もう、ぼくらに出来ることは何もない」と。
 フィシスも話した、カナリヤの子たちに。「ここ、何処なの?」と尋ねた子供に。
 「あなたたちを連れてゆく箱舟の中」と。
 「何処へ?」と問われて、「清らかな大地へ」と。
 そしてシャングリラは旅立って行った、地球を離れて遠い宇宙へ。
 …人の未来へ。


 残されたものは揺れ動く地球で、其処に人影は見えないけれど。
 何一つ見えはしないのだけれど、去って行った船が見落としたもの。
 トォニィもフィシスも、他の誰もが、気付かないままで行ってしまったもの。
「箱の最後には…」
 希望が残っているものなのに、とジョミーが呟くパンドラの箱。
 禍をもたらすパンドラの箱は開いたけれども、箱の底には希望があると。
「そうだな…。あんな地球でもな」
 しかし、気付けと言う方が無理だ、とキースが零した深い溜息。
 人は目に見えるものが全てで、見えないものは信じないから。
 壊れ、滅びゆこうとしている地球の姿が全てだから。


 地球の地の底、最期まで共に戦ったからこそ分かること。
 この星も、人も、これからだと。
 どんなに無残に壊れようとも、人も大地も、また立ち上がると。
 今直ぐには、とても立てなくても。
 立ち上がる術さえ見付からなくても、人は必ず歩き出すから。
 二本の足が使えなくとも、先へと進む力があるから。


 人だけが持ち得る、パンドラの箱に残った希望。
 それは未来を夢見る力。
 明けない夜など無いということ、夜の先には光があること。それこそが希望。
 今は見えなくても、希望は誰もが持っているもの。
 自分自身が気付かなくても、箱の中を覗くことが無くても。
 いつか希望は顔を出すもの、人が未来を目指したならば。
 災いの箱が開いた後でも、また立たねばと思う時が来たなら。


 だからシャングリラも、いつか戻って来るだろう。
 母なる地球へ、人を生み出した水の星へと。
 清らかな大地が其処に無くとも、その上にそれは戻る筈だと。
 人が希望を持っていたなら、母なる地球を忘れなければ、いつか未来は訪れるから。
 パンドラの箱は開いたけれども、人の未来はきっと来るから。
 今は揺れ動く地球の大地に、裂けてしまった地面の上に。
 惨く引き裂かれた星の上にも、希望は残っているのだから。


「キース、どのくらいかかると思う?」
 人は強いと思うけれども、というジョミーの問い。
「彼らの心次第だろう。…立ち上がるのも、未来を築き始めるのも」
 だが、見えるような気がするな…、と語り合う間にも地球は揺れるのだけれど。
 崩れゆこうとするのだけれど。
 パンドラの箱の底には必ず、希望があるもの。
 人も、大地も、また立ち上がる。
 そして其処には、緑の丘が、人々の笑顔が蘇る筈。
 人だけが持ち得る、未来への思い。
 誰の心にも在る希望の光が、人の未来を掴み取るから。
 今は闇しか見えないとしても、明けない夜など、何処にもありはしないのだから…。

 

        地球の緑の丘・了

※4月14日の熊本地震と、4月16日の地震と。
 「地球へ…」のラストに重ねて応援、熊本も九州も、一日も早く立ち直りますように。
 只今、16日の午後4時です。これ以上酷くならないように、と祈りながらUP。





拍手[1回]

(化け物の力も使いようだ)
 マツカは役に立つだろうな、とキースの唇に浮かんだ笑み。
 丁度いいモノが手に入ったと。
 ミュウの調査に出掛けるためには、お誂え向きと言ってもいい。
(可哀相だ、と助けてしまったが…)
 サムが、シロエが重なったから。
 怯え、震えるマツカの上に。
 「そうなれなかった」と叫んだ顔に、その声に。
 単なる気まぐれ、一匹くらいは生かしておいてもいいだろうと。
 ミュウを相手に戦うのならば、きっとマツカは役立つから。
 その辺の兵士などよりも。
 対サイオンの訓練を知らない者よりは、よほど。
 だからマツカを連れてゆこうという心づもり。
 グレイブが何を言って来ようが、あれを連れて、と。


 あと一時間もすれば出発、ジルベスター行きの船にマツカも乗せる。
 誰にも文句を言わせはしないし、マツカの力を役立てるために。
 そういうつもりでいるのだけれども…。
(……違うな……)
 本当の理由は別にあるのだ、と自分でも分かる。
 マザー・システムの目から逃れて、生きていたミュウ。
 劣等生だったと泣いていたマツカ。
 彼の向こうに、どうしても見えるミュウの少年。
 何処もマツカに似ていないのに。
 むしろ逆だと言っていいほど、気性が激しかったのに。
(…シロエ…)
 自分が処分した少年。
 E-1077の卒業間際に、マザー・イライザの命令で。
 「撃ちなさい」という冷たい声で。
 シロエが乗った船を撃ち落とした、自分の手で。
 追われていたのを匿ったほどに、話したいとも思ったシロエを。
 あの時は何も知らなかったけれど、メンバーズになってから聞かされたこと。
 シロエはMのキャリアだったと、ミュウだったのだと。


(偶然、成人検査をパスしただけ…)
 マツカと同じ。
 そうそういない筈の人間、シロエは例外の筈だった。
 二人目、三人目のシロエに出会うことなど、けして無いだろうと思っていた。
 けれど、出会ってしまったマツカ。
 シロエと同じに、成人検査をパスしたミュウ。
 見た目も中身も違うけれども、其処だけは同じ。
 それからマザー・システムが施す教育、それに順応出来ない所も。
(…二人目のシロエ…)
 まるで違うのに、似ているマツカ。
 何処が似ているかと問われたならば、境遇だけしか似ていないのに。
 シロエが辺りを焼く劫火ならば、マツカは消えそうな風の前の灯。
 劇薬のような毒を振りまく者がシロエなら、マツカは湖に落ちた一滴の薬。
 それほどに違う、二つの存在。
 なのに重なる、不思議なほどに。
 マツカの怯えた表情の上に、シロエの皮肉な表情が。
 ただ泣いていたマツカの涙に、勝ち誇ったシロエの笑い声が。


 だから助けた、と本当は分かっている真実。
 マツカを殺さず、生かした理由。
 それはシロエの身代わりなのだと。
 遠い日に自分が殺したシロエ。
 マザー・イライザに逆らえないまま、命を奪ってしまったシロエ。
 あの時、自分が強かったならば、シロエの船を見逃がせた筈。
 何処へなりと行けと、機首を返して。
 船のエネルギーが尽きる所まで、思いのままに飛んでゆくがいいと。
(…放っておいても、シロエの船は…)
 何処へも行けはしなかった。
 練習艇に積まれた燃料、それだけで地球は目指せないから。
 何処の星へも、辿り着くことは不可能だから。
 エネルギーが尽きた時点で、断たれてしまう酸素の供給。
 シロエの命は其処で潰えて、けして何処にも辿り着けない。
 永遠に宇宙を漂い続ける船と一緒に、シロエもまた。
(…なのに、私は…)
 その選択肢を選べなかった。
 あまりにも真面目すぎたから。
 マザー・イライザに、システムに疑問を抱いていたのに、漠然としたものだったから。
 今ならば分かる、今ならば出来る。
 シロエの船を見送ることも。
 何処までも飛べと、撃墜しないで機首を返すことも。


 かつて自分が出来なかったこと。
 思い付きさえしなかったことが、今なら出来る。
 シロエと同じに成人検査をパスして来たミュウ、それを生かしておくことが。
 マザー・システムの監視を振り切り、手元に隠しておくことが。
(私の側が何処よりも安全なんだ…)
 まさかミュウなど、生かすようには見えないから。
 冷徹無比な破壊兵器と、皆が言うような存在だから。
(…私にも情があるなどと…)
 誰も思うまいな、と苦い笑みが浮かぶ。
 「らしくないな」と、「キース、お前は何をしたい?」と。
 答えなら、とうに持っている。
 とうに出ている、「マツカを生かし続ける」こと。
 それが自分のやりたいこと。
 シロエのようにはさせないことが。
 上手く生かして、自分の役に立てて、マツカの評価も上げてゆくこと。
 マザー・システムが、けしてマツカを疑わぬよう。
 誰一人として、彼がミュウだと気付かないよう。
(……私なら出来る)
 マザー・システムを、軍を欺くことも。
 一生、マツカを匿い続けて、人類の世界に置いてやることも。


 もう決まっている自分の道。
 今日から自分はマザーを裏切る、ミュウを側に置いて。
 処分させずに、素知らぬふりで。
(…ミュウの調査に行くのだがな…)
 それとこれとは別の話だ、と自分の中に引いた一本の線。
 自分の側に入ったミュウは殺さない。
 誰にも殺させたりはしないし、命ある限り匿い続ける。
 それがマザー・イライザへの自分の復讐、マザー・システムに対する反抗。
 このくらいしか出来ないから。
 今の自分に出来そうなことは、まだそれだけしか無いのだから。
(…しかし、この線の向こうのミュウは…)
 敵だ、と断じる心もある。
 人類とミュウは相容れないから、ミュウは危険な生き物だから。
 追い詰めて狩り出し、処分すべきモノ。
 それもまた、自分の行くべき道。
 …今の所は。
 天が、歴史がミュウを選ぶまでは、ミュウに与する日が来るまでは。
 ミュウの前に自分が膝を折る日が、首を垂れて跪く時が訪れるまでは。


 けれど、自分はもう決めた。
 マザー・システムへの裏切りを。
 遠い日に「撃ちなさい」と命じたマザー・イライザ、あの機械への復讐を。
 弱いマツカを生かしておくこと、それが自分の一生の使命。
 システムにマツカを殺されたならば、また同じことの繰り返しだから。
 二人目のシロエを失くしてしまって、深い後悔に苛まれるだけ。
 だから負けない、この戦いには負けられない。
(…マツカが最後のミュウになろうが…)
 生かすのだから、と誓う相手は自分の心。
 マザー・システムに忠誠を誓った、同じ心に違う誓いを。
(私が生きている限り…)
 マツカは誰にも殺させない、と固めた決意。
 二人目のシロエは、もう沢山だと。
 それをこの目で見るくらいならば、ミュウをいくらでも殺してみせる。
 心の中に引いた一本の線の、向こう側にいるミュウならば。
 端から殺して焼き払ってみせる、それも自分の行く道だから。
 たとえ、矛盾していようとも。
 マツカを生かし続ける隣で、何万のミュウが死のうとも。


 線の向こうと、こちらの側と。
 恨み言なら、線を越えてから言うがいい。
 こちら側へと渡り、踏み越えて。
 それから責める言葉を浴びせて怒り狂うがいい、そう出来るミュウがいるのなら。
 この線を越えるミュウがいるなら。
 こちら側へと踏み越えたならば、そう、そのミュウは殺さない。
 自分自身に誓ったから。
 二人目のシロエは見たくないから。
(…本当に越えて来たならな…)
 そのミュウもまた、生かしておく。
 マザー・システムを裏切り、騙し、欺いて。
 「実に役立つ、いい部下です」と涼しい顔をし、軍の者もまた欺いてやる。
 そうすると、もう決めたから。
 遠い昔に出来なかったこと、それが出来るだけの強さを自分は持っているから…。

 

        生かしたいミュウ・了

※キースがマツカを見逃がした理由。どうしてマツカを生かしておくのか、ちょっと捏造。
 本当はもっと単純でしょうけど、せっかくシロエがミュウなんだから、と。…ダメ?





拍手[0回]

Copyright ©  -- 気まぐれシャングリラ --  All Rights Reserved

Design by CriCri / Material by 妙の宴 / powered by NINJA TOOLS / 忍者ブログ / [PR]