- 2016.02.06 ゆりかごのレクイエム
- 2016.01.30 忘れなかった夢
- 2016.01.23 夢の中の瞳
- 2016.01.23 罪人の証
- 2016.01.16 ブラウニーの味
(思った以上の結末だ…)
醜悪だな、とキースが歪めた唇。
こんな代物が存在するとは、これが自分の「ゆりかご」だとは。
とうの昔に廃校になった、ステーションE-1077。
処分して来るよう、グランド・マザーに命じられた場所。
過去が眠る墓場。
その命令が下るよりも前、偶然、手にしたメッセージ。
長い歳月を越えて再び、現れたピーターパンの本。
あちこち擦り切れ、破れてはいても、一目で「あれだ」と分かる一冊。
かつてシロエが持っていた本、とても大切にしていた本。
それは宇宙で見付かったという、自分がシロエの船を撃墜した後に。
何故か上層部の監視を免れ、回収されて、今頃になって現れた。
(……シロエ……)
表紙の内側、シロエが書いた本の持ち主の名前。「セキ・レイ・シロエ」と。
触れようとしたら、下にチップが隠されていた。
シロエが残したメッセージ。
きっと自分の手に渡ると信じて、勝ち誇ったように。
「見てますか、キース・アニアン」と。
「此処が何処だか分かります?」と。
(フロア001…)
あなたの「ゆりかご」ですよ、とシロエは嗤った。
遠く遥かな時の彼方で、今も少年のままの姿で。
なんという皮肉な時の悪戯か、少年のままで現れたシロエ。
遠い日にサムが口にしたように。
ジョミーと名乗ったミュウの長の少年、彼の姿は昔のままだと。
あの時は知らなかったけれども、シロエもミュウの少年だった。
もしも彼がまだ生きていたなら、あのままの姿だったのだろうか。
シロエの船を撃たなかったら。
…ステーションの近くにいたという鯨、ミュウの船がシロエを救っていたら。
そんなことさえ考えてしまう、この現実を突き付けられたら。
シロエはとうに目にしていたのに、自分は今日まで知らなかったモノ。
(…ミュウの女と…)
そして私か、と溜息しか出ない標本たち。
順に並んだ水槽の中に、ほんの幼子から大人まで。
自分そっくりのモノが浮いている、命は抜けてしまったものが。
標本になるまでは生きていたであろう、その時の姿を留めたモノが。
不意に戻って来た記憶。
水の壁の向こう、自分を見ていた研究者たち。
ならば自分も此処に居たのか、並ぶ水槽の中の一つに。
標本にならずに済んだだけなのか、運良く選ばれた一体として。
「ゆりかごか…。そうか、此処か」
フッと零れてしまった笑い。
予想以上に醜い「ゆりかご」、標本だったかもしれない自分。
そっくりの顔が中にあるから。
今の自分よりかは若いけれども、それは自分の顔だったから。
たまたま選ばれただけの一体、水槽から出されて育ったモノ。
それが自分で、これが「ゆりかご」。
幾つも並んだ水槽の一つ、其処で自分は育ったのだろう。
シロエが自分を嘲笑ったのも無理はない。
どうやら自分は、人間でさえもなさそうだから。
もしも普通の人間だったら、こんな風には育てないから。
シロエが言った通りに人形、マザー・イライザが作った人形。
どうやってこれを創り上げたか、想像はつく、と考えた時。
姿を現したマザー・イライザ、彼女は誇らしげに告げた。
三十億もの塩基対を合成し、DNAという鎖を紡ぐ。
全くの無から創り出された、完全なる生命体なのだと。
サンプル以外は処分したとも、事も無げに。
(…サムも、スウェナも…)
ジョミー・マーキス・シンとの接触があった者たちだったから、選ばれた。
自分の友になるように。
サムと二人で救出に向かった事故でさえもが、マザー・イライザの差し金だという。
ミュウ因子を持っていたシロエとの出会い、それにシロエを処分させたことも…。
(全ては私を…)
育てるためのプログラムだった。
サムもスウェナも、シロエも機械の都合で集められ、そしてシロエは…。
(…無駄死にだった…)
そうだったのだ、と震える拳。
マザー・イライザは自分を「理想の子」と呼ぶけれども、標本たちと何処も変わらない。
どう違うのかと叫びたいくらい、どれも見分けがつかないのだから。
(こんなモノが…)
水槽の中に浮かぶ標本、醜悪としか言えない光景。
自分もその中の一つに過ぎない、たまたま選び出されただけ。
プログラム通りに育てられただけ、それが成功したというだけ。
(……シロエ……)
握り締めた拳が震えるのが分かる。
彼は本当に無駄死にだった、と。
シロエが秘密を探り当てた時、あのメッセージを残した時。
追われていたシロエを匿ったから、彼の口から直接聞いた。
「忘れるな」と、「フロア001」と。
其処へ行けと叫んでいたシロエ。
踏み込んで来た警備兵たちに意識を奪われ、連れ去られるまで。
それから何度試みたことか、フロア001へ行こうと。
マザー・イライザにも問いを投げ掛けた、其処には何があるのかと。
けれども、謎は解けずに終わった。
見えない何かに阻まれるように、開かれないままで終わった道。
フロア001には近付けないまま、卒業となって送り出された。ステーションから。
マザー・イライザからも何も聞けずに、閉ざされてしまったシロエに教えられた場所。
(…あのメッセージは受け取ったが…)
あまりにも時が経ち過ぎていた。
シロエが其処で何を見たのか、撮影していた動画の中身。
肝心の画像は劣化していて、何があるのか分からないまま。
「ゆりかご」とは何のことだろうか、と考えていた所へ命じられた任務。
E-1077を処分して来いと、「あの実験はもう不要だから」と。
実験と聞いて想像して来た、様々な答え。
遺伝子レベルで何かしたかと、DNAを弄りでもしたかと考えたけれど。
(…無から創った…)
シロエはそれも知っていたろう、此処へ侵入したのだから。
必要なデータは見ただろうから、その上で嘲笑していたのだろう。
お人形だと、マザー・イライザが作ったのだと。
それを自分がもっと早くに知っていたなら…。
(…………)
様々なことが変わったのだろう、シロエが意図していたよりも、ずっと。
違う生き方をしたことだろう、大人しくシステムに従う代わりに。
(…しかし、もう…)
後戻り出来ない所まで来た、前へ進むしかない所まで。
今さら後へ戻れはしなくて、ただがむしゃらに進むしかない。
歩いてゆく先が何処であっても、システムと共に滅ぶ道でも。
ミュウと戦い、滅びるとしても、もう後戻りは許されていない。
そのように歩いて来てしまったから。
マザー・イライザのプログラム通りに、自分は作り上げられたから。
シロエは全てを見たというのに、命を懸けて伝えたのに。
(フロア001…)
此処へ行くよう言ってくれたのに、彼は本当に無駄死にだった。
このフロアへと続く扉は、時が来るまで開かれないから。
どんなに行こうと試みてみても、無駄だった理由を今、知ったから。
全ては機械が仕組んだこと。
今日まで自分に知らせないよう、「理想の子」とやらが出来上がるよう。
シロエは秘密を盗み出したのに、それを生かせはしなかった。
命を懸けて盗んだ秘密を、自分に伝えようと叫んでいたフロア001のことを。
機械の方が上だったから。
時が来るまで明かすべきではないと決めたら、とことん隠し通すのだから。
(シロエを私に接触させて…)
心の中に入り込ませて、その上で消させるプログラム。
一番最初に殺さなければならない人間、それが無名の兵士などではないように。
後々まで記憶に残る人間、そういう者をこの手で殺させるように。
きっとシロエはうってつけだった、ミュウ因子を持っていたせいで。
システムに反抗的な所も、負けん気の強さも、何もかもが。
(……シロエ……)
彼にレクイエムを捧げてやろうと、そのつもりで此処へ来たけれど。
なんと罪深いものだったことか、自分という醜い存在は。
人間ですらもなかったモノは。
シロエとの出会いは、彼が乗った船を撃ち落としたことは、成長のためのプログラム。
この醜悪な標本の群れと、自分は何も変わらないのに。
たまたま選ばれた一体だったというだけなのに。
(…私は…)
なんと詫びればいいと言うのか、無駄死にになってしまったシロエに。
彼の船を撃つよう命じられた時、見逃しもせずに撃ち落とした自分。
(こんなモノのせいで…)
これがシロエを殺したも同じ、と操作してゆく「ゆりかご」を維持するコントロールユニット。
幸いなことに、これは任務だから。
堂々と全て消せるのだから。
せめてシロエに捧げてやりたい、標本どもが消えてゆく様を。
マザー・イライザが上げる悲鳴を、いずれ断末魔へと変わるだろうそれを。
これがシロエへのレクイエム。
彼の命を弄んだ者を、自分はけして許しはしない。
シロエは、多分、友だったから。
一つ違ったなら、シロエとも多分、友人になれていただろうから…。
ゆりかごのレクイエム・了
※この時点まで、キースはフロア001に行けないんだな、と受け取れるのがアニテラ。
だったらシロエは無駄死にじゃないか、とキースでなくても思いますよねえ…?
(二つ目の角を右へ曲がって…)
後は朝まで、ずうっと真っ直ぐ。
そうすれば行ける筈なのに、とシロエが広げるピーターパンの本。
ネバーランドに行くための方法はこう、と。
いつか行けると信じていた。
きっと行けると、自分もネバーランドへ行くのだと。
ピーターパンが来てくれたら。
空を飛んでゆこうと、子供たちが暮らす楽園へと。
けれど、来てくれなかった迎え。
代わりに此処へと送り込まれた、監獄のような教育ステーションへ。
その上、機械に奪われた記憶。
ネバーランドへ行く方法ならば、本に書かれているけれど。
二つ目の角を右へ曲がって、後は朝までずうっと真っ直ぐ。
そうすれば辿り着けるのだけれど、忘れてしまった家への道。
両親と一緒に暮らしていた家、其処へ帰るにはどうすればいいか。
どの角を曲がって行けばいいのか、幾つ目の角を曲がるのか。
右に曲がるのか、左に曲がるか、それさえも思い出せない自分。
後は真っ直ぐ行けばいいのか、もう一度、角を曲がるのかさえも。
(…それに、ネバーランド…)
このステーションからは旅立てない。
本に書かれた方法では。
此処には朝が来ないから。
本物の朝日は、此処では昇って来はしない。
それに、ずうっと真っ直ぐ歩きたくても、ステーションは弧を描いているから。
辛いけれども、これが現実。
どんなに行こうと努力してみても、開かないネバーランドへの道。
おまけに家にも帰れない自分、ピーターパンの本を開けば零れる涙。
空を飛べたらいいのに、と。
ネバーランドにも行きたいけれども、その前に家へ。
ちょっと寄ってから、飛んで行きたい。
幼い頃から憧れた国へ、ピーターパンと一緒に空に舞い上がって。
(パパとママに会って、話をして…)
ネバーランドに行きたいよ、と見詰めるピーターパンの本。
この本は此処へ持って来られたのに、故郷に落として来てしまった記憶。
育った家も、両親だって。
全部、落として失くしてしまった。
頭の中身を、機械にすっかり掻き回されて。
いいように記憶を消されてしまって、思い出せないことが山ほど。
(だけど…)
忘れなかった、と読み直すネバーランドへの行き方。
この本のお蔭で忘れなかったと、ネバーランドを夢見たことも、と。
此処で暮らす内に気付いたこと。
誰もが忘れているらしいこと、子供時代に描いた夢。
何処へ行こうと夢を見たのか、何になりたいと思っていたか。
(…みんな、忘れてしまってる…)
そして夢見るのは、地球へ行くこと。
いい成績を収めてメンバーズになること、誰もが同じ夢を見ている。
その道に向かって走り続ける、此処へ来た皆は。
エリート候補生のためのステーション、E-1077に来た者たちは。
(地球へ行くことと、メンバーズと…)
どうやら他には無いらしい夢。
ネバーランドに行こうと夢見る者も無ければ、家に帰りたい者だっていない。
機械に飼い慣らされてしまって。
そうなる前でも、夢も、記憶も機械に消されて失くしてしまって。
(でも、ぼくは…)
忘れないままで、今でも夢を見続けている。
いつか行きたいと、ネバーランドに続く道を。
ピーターパンと一緒に空を飛ぶことを、家に帰ってゆくことを。
両親に会って、色々話して、それから飛んでゆく大空。
二つ目の角を右へ曲がって、後は朝までずうっと真っ直ぐ。
そうすれば行けるネバーランドへ、幼い頃から夢に見た国へ。
忘れなかったこと、それこそが奇跡。
それに唯一の希望だと思う、自分はきっと選ばれた子供。
ネバーランドに行ける子供で、ピーターパンが迎えに来る子。
そうでなければ、このシステムを変えるためにと生み出された子供。
機械が統治する歪んだ世界。
子供から家を、親を取り上げてしまう世界。
それを正せと、元に戻せと、神は自分を創ったのだろう。
人工子宮から生まれた子供でも、きっと神の手が働いて。
世界は本来こうあるべきだと、何度も繰り返し教え続けて。
(…みんなが夢を忘れない世界…)
子供が子供でいられる世界。
自分はそれを作らなければ、メンバーズになって、もっと偉くなって。
ただがむしゃらに出世し続けて、今は空席の国家主席に。
いつか自分がトップに立ったら、このシステムを変えられるから。
機械に「止まれ」と命令することも、「記憶を返せ」と命じることも。
その日を目指して努力することは、少しも苦ではないけれど。
頑張らなければ、と思うけれども、帰りたい家。
それに、行きたいネバーランド。
ピーターパンと一緒に空を飛んで行って、家へ、それからネバーランドへ。
(忘れなかったら…)
行けるのかな、とピーターパンの本の表紙を眺める。
ピーターパンと一緒に空を飛ぶ子たち、この子たちのように飛べるだろうか、と。
子供の心を忘れなかったら、夢を手放さなかったら。
しっかりと抱いて生きていたなら、いつか迎えが来るのだろうか。
国家主席への道を歩む代わりに、今も夢見るネバーランドへ。
子供が子供でいられる世界へ、今からでも飛んでゆけるだろうか。
(…ずっと昔は…)
ピーターパンの本が書かれた頃には、何処にも無かった成人検査。
人は誰でも、子供の心を失くさずに育ってゆけたのだろう。
だからピーターパンの本が書かれて、ネバーランドへの行き方も残っているのだろう。
この本を書いた人は、きっと大人になっても、ネバーランドへ飛べたのだろう。
ピーターパンと一緒に空に舞い上がって。
ネバーランドへはこう行くのだった、と確認しながら旅を続けて。
二つ目の角を右へ曲がって、後は朝までずうっと真っ直ぐ。
そう道標を書いて残して、次の時代の子供たちへ、と。
(ぼくは、メッセージを貰えたんだ…)
遠く遥かな時の彼方で、ピーターパンの本を書いた人から。
それに、神から。
子供たちを其処へ連れて行くよう、子供が子供でいられる世界を作るようにと。
(ぼくも行きたいな…)
ネバーランド、と思うから。
自分だって飛んでゆきたいから。
国家主席への道を歩むにしたって、一度は其処へ飛んで行きたい。
子供の心を忘れずに持ったままでいるから、ピーターパンのことも忘れないから。
そうして生きていったなら、きっと…。
(…ピーターパンが来てくれるよね…?)
このステーションにいる間だろうが、メンバーズになった後だろうが。
子供の心を失くさなければ、家へ帰りたい気持ちや、幼い頃からの夢を決して忘れなければ。
(……ピーターパン……)
待っているから、と抱き締めたピーターパンの本。
ぼくはいつまでも待っているからと、ネバーランドへ連れて行って、と。
その時は少し寄り道をしてと、ママとパパに会って、話をしてから行きたいから、と…。
忘れなかった夢・了
※きっとシロエは、ネバーランドにも行きたかった筈。家に帰りたいのと同じくらいに。
あの時代だと消されていそうな子供時代の夢。覚えているだけで、充分、特別。
「違う、ぼくは…!」
叫んだ声で目が覚めた。真っ暗な部屋で。
(夢…)
またあの夢だ、と肩を震わせたマツカ。
こちらを見詰めている瞳。
青い光の中、射すくめるように。
相手は何も言いはしないのに、その声が心を貫いてゆく。
「裏切り者」と、「恥知らずが」と。
だから「違う」と叫んでいた。ぼくは違う、と。
けれど、こうして飛び起きてみたら、心の奥から湧き上がる疑問。
本当に違うのだろうかと。
あの夢の中で聞こえた声こそ、真実なのではないだろうかと。
(…裏切り者…)
多分、本当はそうなのだろう。
キースが前に告げたこと。「お前と同じ化け物だ」と。
ジルベスター・セブンに潜んでいたもの、それは自分と同じなのだと。
(ぼくが殺した…)
そう、殺させたようなもの。
あの星からキースを救い出したから、ジルベスター・セブンは滅ぼされた。
メギドに砕かれ、あの星にいた者たちも。
自分と同じ仲間を殺した、その手伝いをしてしまった。
(……知っていたのに……)
同じものだと。自分と同じ存在なのだと。
あれから何度、夢を見たろうか。
夢の中で自分を見詰めてくるのは、いつも、いつだって赤い瞳で。
それも片方の瞳だけ。
もう片方は失われていて、閉じた瞼の下だったから。
(…ソルジャー・ブルー…)
あの時、自分は間違えたろうか。
キースを助けに駆け込んで行った、青い光が溢れていた部屋。
退避勧告が出ていたメギドの制御室。
其処で目にした、ソルジャー・ブルー。
キースの銃口の向こうにいた者、それが誰かは分かっていた。
皆が噂をしていたから。
伝説と言われたタイプ・ブルー・オリジン、ミュウの長だと。
ミュウの長なら、自分の仲間。
(…ぼくが助けるのは、キースじゃなくて…)
ソルジャー・ブルーだっただろうか、あの場に居合わせたのならば。
彼を救って、何処からか船を奪って逃げる。
それが取るべき道だったろうか、自分も同じミュウならば。
(…でも、ぼくは…)
考えさえもしなかった。
救いたかったのは、ただ一人だけ。
キースだったから、懸命に「飛んだ」。
まさか出来るとは思いもしなかった、空間を一気に飛び越えること。
そしてキースを救ったけれども、それは間違いだっただろうか。
(……分からない……)
誰もぼくには教えてくれない、と膝を抱えたベッドの上。
あの日、目にしたソルジャー・ブルー。
片方だけだった赤い瞳が、いつも自分を見詰めてくる。
青い夢の中で。
今夜のように責める日もあれば、蔑むように見ている時も。
憐れみに満ちた瞳の時も、ただ悲しみに濡れている時も。
夢に出て来た瞳に合わせて、声なき声もまた変わる。
「可哀相に」と言われる夜やら、「それでいいのか?」と問われる夜や。
だから自分でも分からない。
どれが本当の声なのか。
ソルジャー・ブルーの声は一度も聞いていないし、思念も受けていないから。
(…あの人は、ぼくに…)
何を言おうとしていただろうか、自分が見たのは驚きに満ちていた瞳。
ただそれだけで、彼が自分をミュウだと知ったか、そうでないかも分からないけれど。
(…気付かなかった筈がないんだ…)
皆が噂をしている通りの存在ならば。
たった一人でメギドを沈めた、あれだけの力の持ち主ならば。
彼は自分をミュウだと見抜いて、あの時、何を思ったろうか。
キースを救って逃げ出したミュウに、敵の船に乗っていたミュウに。
(ぼくの心を…)
読んだだろうか、ソルジャー・ブルーは。
自分自身でも気付かないほど、奥の奥まで読まれたろうか。
だとしたら、とても恐ろしいけれど。
怖くて震えが止まらないけれど、ソルジャー・ブルーが怖いけれども。
それと同時に、彼に訊きたい。
自分は裏切り者なのか。
それとも、ただの腰抜けなのか。
(…ぼくは、いったい…)
何なのだろうか、こうして此処にいるけれど。
ミュウを滅ぼす側にいるけれど、キースに仕えているのだけれど。
(…あの瞳…)
ソルジャー・ブルーは何を見たのか、自分の中に。
「可哀相に」と夢で自分を見詰めてくる時、赤い瞳の奥に見えるもの。
憐れみと同時に深い悲しみ、それから包み込むような思い。
「独りぼっちで可哀相に」と、「本当に後悔していないのか」と。
(…後悔だったら…)
何度でもした、ジルベスター・セブンが砕かれてから。
赤い瞳を夢に見る度、何度も何度も、自分を責めた。
裏切り者だと、「ぼくのせいだ」と。
仲間たちを殺す手伝いをしたと、きっと地獄に落ちるのだと。
けれど、同時に思うこと。
(…キースを助けたことだって…)
後悔などはしていない。
だから何度も夢にうなされ、こうして飛び起きる羽目になる。
自分でも答えが出せないから。
裏切り者なのか、そうでないのか、今も自分が分からないから。
あの赤い瞳、片方だけだった瞳の奥。
彼が自分に何を思ったか、それが分かればいいのにと思う。
蔑みだったか、憐れみだったか、裏切り者への強い憎しみか。
(…でも、どれも…)
違う、と心が訴えてくる。
自分が出会った瞳は違うと、夢のそれとは違っていたと。
ただ、驚いていただけだから。
「どうしてミュウが」と、彼は自分を見ていたから。
ソルジャー・ブルーは気付いていたのに、知っていたのに、黙って逝った。
「裏切り者」と責めもしないで、「逃げるな」と自分を止めもしないで。
キースの代わりに自分を救えと、命じることさえしようともせずに。
(…あの人は、ぼくに…)
何かを期待したのだろうか、と思う度にゾクリと冷えてゆく身体。
彼は自分に託したのかと、「其処にいるならミュウを頼む」と。
滅ぼす側にいるのだったら、何か手立てがあるだろうと。
滅びの道からミュウを救えと、そちら側から手を差し伸べろと。
ミュウを生かせと、ミュウの未来をと。
(……そんなこと、ぼくに……)
出来る筈がない、と思うけれども、赤い瞳に捕まったから。
夢の中まで追ってくるから、きっと一生、後悔の中で生きてゆくしかないのだろう。
(…ぼくには、ミュウをどうすることも…)
出来やしない、と零れる涙。
あの瞳でいくら見詰められても、どんな思いを託されても。
彼の思いには応えられない、ソルジャー・ブルーが、そのために自分を行かせたとしても。
キースを救って逃げる自分を見送っていても。
自分はただの腰抜けだから。
キースの後ろについてゆくだけの、臆病な裏切り者なのだから…。
夢の中の瞳・了
※マツカはブルーに会ってるんだな、と思ったばかりにこうなったオチ。
ブルーの側から書いたことならあったけれども、マツカから見たら怖いよね、ブルー…。
「停船しろ。…シロエ…!」
どうか、と祈るような気持ちで口にしたけれど。
止まってくれ、と叫び出したいけれど。
(マザー・イライザ…)
撃ちなさい、と冷たく告げて来た声。
それに逆らえない自分が悔しい、どうして逆らえないのかと。
何故、とキースは唇を噛む。
もしも自分に、シロエの強さがあったなら。
マザー・イライザに、システムに逆らい続けた、彼の強さがあったなら、と。
けれど出来ない、どういうわけだか。
けして弱くはない筈なのに。
気弱でも、腰抜けでもない筈なのに。
「停船しろ」と願うより他に道の無い自分。
シロエの船がこのまま飛んでゆくなら、本当に撃つしかないのだから。
左手の親指で合わせた照準、シロエの船はロックオンされているのだから。
どうして自分がそれをするのか、そうするより他に術が無いのか。
自分でもまるで分からないけれど、メンバーズはそうあるべきなのだろうか。
マザー・イライザが「撃て」と言うなら、そのように。
自分の心が「否」と叫んでも、撃つのが自分の道なのだろうか。
(シロエ…!)
どうしようもないと分かっているから、願ってしまう。
止まってくれと、そうすればシロエの船を連行するだけだから、と。
けれども、速度を上げてゆく船。
前をゆく船は止まらないから、また左手で操作したレバー。
レーザー砲へとエネルギーを回す、此処まで来たら、後は撃つだけ。
シロエの船が止まらなければ。
真っ直ぐに飛んでゆくだけならば。
カチリ、と左手の親指が押し込んだボタン。
遥か彼方で弾けた閃光。
星雲のように光が弧を描いてゆく、シロエの船があった辺りに。
(…シロエ…)
もういないのだ、と心に生まれた空洞。
たった今、彼はいなくなった、と。
ついさっきまでは、自分の先を飛んでいたのに。
シロエの船が見えていたのに、もうレーダーにも映らない機影。
漆黒の宇宙で船を失くせば、潰えてしまう人間の命。
まして船ごと撃たれたのなら。
あの閃光の中にいたなら、シロエは消えてしまっただろう。
一瞬の内に、光に溶けて。
船の残骸は残ったとしても、シロエの痕跡は残りはしない。
レーザーの光に焼き尽くされて。
瞬時に蒸発してしまって。
もうこれ以上は見ていたくない、とステーションに船を向けようとしたら。
「確認なさい」とマザー・イライザからの通信。
本当にシロエの船を撃ったか、反逆者はこの世から消え失せたのか。
それを確認して戻るようにと、現場を飛んでくるようにと。
(……マザー・イライザ……)
あまりにも惨い、と思った命令。
確認せずとも、シロエは消えていったのに。
レーダーを見れば分かることなのに、どうして行かねばならないのか。
他の者でも出来そうな任務、もっと時間が経ってからでも。
Mの精神波攻撃の余波が、ステーションから消えた後にでも。
そう思うけれど、また逆らえない。
シロエのように「否」と言えない、臆病者ではない筈なのに。
強い精神を持っていなければ、メンバーズになれはしないのに。
(…ぼくは、どうして…)
こうなるのだろう、と機首を逆さに向けるしかない。
マザー・イライザが命じたから。
行くようにと命じられたのだから。
そうして船を進めた先。
光がすっかり消えた空間、ポツリ、ポツリと漂い始めた欠片たち。
さっきまでシロエを乗せていた船、それが砕けた後の残骸。
ぶつからないよう、間を縫って飛んでゆく内に、増えてゆくそれ。
(……この辺りなのか……)
多分、爆発の中心は。
シロエが宇宙に散った辺りは、彼の命が消えたろう場所は。
髪の一筋も、血の一滴も、残さないままに消え去ったシロエ。
船の残骸だけを残して、彼だけが高く飛び去ったように。
自由の翼を強く羽ばたかせ、彼方へと消えて行ったかのように。
(…本当に飛んで行ったなら…)
シロエが大切に持っていた本、ピーターパンというタイトルの本。
あの本に書かれた子供たちのように、宇宙を飛んで何処かへ去ったのなら、と。
そう思うけれど、それは有り得ないこと。
シロエは空を飛べはしなくて、宇宙などは飛んでゆけなくて。
今、自分の船が飛んでいる辺り、この辺りで消えて行ったのだろう。
マザー・イライザに逆らい続けて、システムに抗い続けた末に。
行き場を失くして消えて行った命、何の欠片も残しはせずに。
いなくなった、と溢れ出した涙。
追われていた所を匿ったほどに、話してみたいと思ったシロエ。
強すぎる意志を持っていたシロエ、違う出会いをしていたのなら…。
(……シロエ……)
友達になれていただろうか、と彼の死を心から悼んだけれど。
もっと時間をかけていたなら、友だったろうか、と涙したけれど。
(……ぼくが殺した……)
殺したんだ、とゾクリと冷えた左手の親指。
この親指が彼を殺した。
レーザー砲の発射ボタンを押し込んで。
シロエの船を撃って殺した、友達だったかもしれない彼を。
それに、何より…。
(……訓練じゃない……)
何度も繰り返し練習して来た、手順通りにやったのだけれど。
その先に人がいたことはなくて、いつも、いつだって遠隔操作の無人機ばかり。
自分は初めて人を殺した、それも何度も言葉を交わしていた人間を。
友になれたかもしれなかった人を、部屋に匿ったほどのシロエを。
(…マザー・イライザ…)
これだったのかと、やっと分かった命令の意味。
見届けて来いと言われた理由は、人を殺した自分を確認させるため。
メンバーズたる者、どうあるべきか。
どのように歩み続けるべきかを、その目で確かめてくるようにと。
(…ぼくが初めて殺した人間…)
それが友かもしれなかったなど、なんという皮肉なのだろう。
こうして涙が止まらないほど、その死を痛ましく思う人間。
生きて戻って欲しかったシロエ、彼をこの手で、自分が殺した。
「撃ちなさい」という命に従わなければ、シロエは何処かへ飛び去ったろうに。
あの船のエネルギーが尽きる場所まで、船の酸素が切れる時まで。
(…放っておいても、どうせシロエは…)
死ぬだろうことは、マザー・イライザも承知だった筈。
けれど自分に彼を追わせて、「撃ちなさい」と命じ、今はこうして…。
(…血にまみれた手を、見て来るがいいと…)
血の一滴さえも、シロエは残さず消えたけれども。
自分の手はもう、人を殺して血に染まった手。
友になれたかもしれなかったシロエ、彼を最初に殺してしまった。
人を殺すなら戦場だろうと、ずっと先だと思っていたのに。
いつか自分が殺す相手は、悪なのだろうと思ったのに。
(……そんなに甘くはないということか……)
メンバーズならば、友であっても撃てと、殺せというのだろうか。
それが自分の道なのだろうか、自分は逆らえなかったから。
シロエの船を撃ってしまったから。
忘れまい、と心に刻んだ己の罪。
人を殺したと、友になれたかもしれない者を、と。
きっと自分は罪人だから。
いつか、裁かれるだろうから。
システムがけして正義ではないと、思いながらも逆らえないこと。
それこそが自分の最大の罪。
(…ぼくは、シロエを…)
殺したんだ、と噛んだ唇。
自分で殺して、なのに涙を流し続けて、きっとこれからも逆らえない。
何故か、そういう人間だから。
臆病者でも、腰抜けでもないのに、逆らうことが出来ないから。
だから、いつの日か裁かれるだろう。
今の自分は、人殺しだから。
シロエの血で染まった左手の親指、それが罪人の証だから…。
罪人の証・了
※考えてみたら、「冷徹無比な破壊兵器」のキースが、最初に手にかけた人間はシロエ。
撃墜した後、涙したキース。本来のキースは、冷徹無比より、そっちの方だと思ってます。
(ブラウニー…!)
今日はツイてる、とシロエの顔に浮かんだ笑み。
ステーションの食堂、ティータイムの趣味は無いのだけれど。
暇がある日は欠かさないチェック、どういう菓子が出されているか。
メニューにブラウニーがあればラッキー、これだけは食べていかなければ。
「ブラウニーと…。シナモンミルクも、マヌカ多めにね」
注文したら、渡されたトレイ。
それを手にして向かったテーブル、邪魔をされない隅っこがいい。
丁度いい具合に壁際に空席、今日は本当にツイている。
ストンと座って、早速頬張るブラウニー。
チョコレート味の小ぶりなケーキを、手づかみで。
これはそういう菓子だから。そうやって食べるケーキだから。
(ママのブラウニー…)
とっても美味しかったんだよ、と顔が綻ぶ。
此処のブラウニーはママのと同じ味だと、ママのケーキ、と。
成人検査で消されてしまった沢山の記憶。
ぼやけて霞んでしまった両親、けれどブラウニーの記憶は残った。
母が得意なケーキだったと、いつも出来るのが楽しみだったと。
そのブラウニーがメニューにあるのを発見した時、どれほど嬉しかっただろう。
どんなに心が弾んだだろうか、初めて注文してみた時は。
(ママの方がきっと上手なんだよ、って…)
そう思いつつも、心の何処かで願っていたのが母の味。
ブラウニーが得意だった母は自慢だけれども、あれと同じ味のが食べられたら、と。
料理上手な人がいたなら、同じ味かもしれないと。
(あんまり期待はしてなかったけど…)
マザー・イライザが支配しているステーション。
そんな所に母のような人がいるわけがないし、どうせ美味しくないのだろう。
やたらパサパサしているだとか、チョコレートの味が濃すぎるだとか。
そうだとばかり思っていたのに、食べてみたら同じだった味。
奇跡のように此処で出会えてしまった、懐かしい母のブラウニー。
あれ以来、ずっとチェックを欠かさない。
ブラウニーをメニューに見付けた時には、それを頼んで至福の時。
誰にも邪魔をされない席で。
手づかみで食べる小ぶりなケーキを、頬を緩めて。
今日も美味しい、と大満足だったブラウニー。
顔さえおぼろになった両親、けれども舌は忘れなかった。
母のブラウニーはこの味だったと、ステーションでも出会えた、と。
少し汚れてしまった手を拭き、空になったトレイを返しに行ったのだけれど。
途中で擦れ違った生徒のトレイに、ブラウニー。
さっきまで自分が食べていたケーキ。
そのせいだろうか、耳が捉えたその生徒の声。
並んで歩く友人に向けて言った言葉で、なんということもない言葉。
「美味いんだよな、ここのブラウニー。母さんのと同じ味なんだ」
えっ、と見開いてしまった瞳。
呆然と見送った、トレイを持った生徒。
彼の母もブラウニーが得意だったというのは、まだ分かるけれど。
(……同じ味……)
まさか、と信じられない気持ち。
どうして母のと同じ味のを、彼の母親が作るのだろう?
そんなにありふれたケーキだったろうか、母の得意のブラウニーは?
(誰でも作れて…)
同じ味になるとでも言うのだろうか、あの思い出のブラウニーは?
(ぼくだけの思い出の味なんだ、って…)
思っていたのに、違うかもしれないブラウニー。
それならばそれで、いいのだけれど。
ブラウニーが得意だった母親の子供は、誰でも「この味!」と思うのならば。
大切にしていたブラウニーの記憶。
自分だけだと思った偶然、ステーションで出会った母の味。
けれど、さっきの生徒もそうだと言ったから。
他にもきっといるに違いない、あのブラウニーが大好きな生徒。
(ぼく一人だけじゃなかったんだ…)
まるで特別な儀式のように味わっていたブラウニー。
もう一つの思い出、マヌカ多めのシナモンミルクとセットにして。
その思い出が揺らいだ気がして、ラッキーな気分も減ってしまった感じ。
他にも同じ儀式をしている生徒が何人もいるだなんて、と。
ガッカリしながら戻った部屋。
机の前に座って溜息を一つ、台無しになったラッキーデー。
せっかく母の思い出の味を食べたのに。
ブラウニーに出会えた日だったのに。
(本当に美味しかったんだけどな…)
ママのと同じ味のブラウニー、と頬杖をついて考えていたら、閃いたこと。
料理にも、お菓子作りにも…。
(レシピ…!)
それが同じなら、同じ味にもなるだろう。
さっきの生徒の母のレシピと、自分の母のが偶然にも同じだっただけ。
ついでに、ステーションのレシピも。
きっとそうだ、と救われた気分。
幸運にも同じレシピで作ったブラウニーに出会えた生徒が二人。
自分と、さっき見掛けた生徒。
(ステーションのは…)
レシピを調べられる筈、とアクセスしてみたデータベース。
其処で見付けた、ブラウニーのレシピ。
(ママもこうやって…)
作ったんだ、と懸命に記憶を掻き回すけれど。
後姿しか思い出せなくて、その手元までは分からない。
材料をどう混ぜていたのか、どうやって型に入れていたのか。
でも、これなんだ、と眺めたレシピ。
母の手元を思い浮かべながら、こんな感じ、と粉をふるって。
卵を溶いて、チョコレートを湯煎にして溶かして。
(ママが作っていたブラウニー…)
これを忘れずに覚えておきたい。
いっそ書き抜いて持っておこうか、ピーターパンの本に挟んで。
そしたら何処へ行くにも一緒で、いつか地球まで行った時にも同じ味のを食べられるだろう。
自分で作る機会はなくても、誰かに頼んで。
「この通りに作って」とレシピを渡して、母のと同じブラウニーを。
(それがいいよね…)
書いておくのが一番だから、とメモする紙を取り出したけれど。
はずみに指が滑ってしまって、どうスクロールしたのだか。
(……嘘……)
ズラリと並んだブラウニーのレシピ、それこそ画面を埋め尽くすほどに。
幾つも幾つも、得意とする人の数だけありそうなほどに。
ついでに其処に書かれていたこと。
ブラウニーの由来はハッキリしないと、アメリカ生まれだとも、イギリスだとも。
だからレシピも、「これだ」と決まったものなどは無いと。
(それじゃ、ステーションのブラウニーのレシピは…)
母のと偶然同じだったのか、それとも違うものなのか。
ゾクリと背筋に走った悪寒。
もしかしたら、違うのは自分の方かもしれない。
(マザー・イライザ…)
それに、記憶を消してしまった成人検査。
母の味だと思っていたのは、偽りの記憶だっただろうか。
ステーションに馴染みやすいようにと、機械がわざと作った仕掛け。
ブラウニーが得意な母の子供には、このステーションの味がそれだと思わせる。
さっきの生徒も、それに自分も、まんまと罠にかかっただけ。
本当は違う味のを食べていたのに、これがそうだと思い込まされて。
母の味だと勘違いをして、それは幸せな気分になって。
(……まさか、ママの味……)
違うのだろうか、あのブラウニーは母の味ではないのだろうか。
またしても自分は騙されたろうか、成人検査に引き摺り込まれた時と同じに…?
そんな、と涙が零れたけれど。
本物の母のブラウニーを食べられたら分かることなのだけれど、それは叶わないことだから。
いつか偉くなって、エネルゲイアに戻る日までは、どうすることも出来ないから。
(きっと、違うんだ…)
あれは本当にママのなんだ、と唇を噛んで言い聞かせる。
疑問を覚えた自分の心に、辛くても今は騙されておけ、と。
母の味だと考えておけと、ブラウニーが得意だった母がいたのだから、と。
もしも注文しなくなったら、それまで忘れそうだから。
母の美味しいブラウニーまで、それを作ってくれた母まで。
そうなれば機械の思う壺だから、今は我慢して騙されたふりを。
可能性はとても低いけれども、本当なのかもしれないから。
このステーションで食べるあのブラウニーは、母の味かもしれないから…。
ブラウニーの味・了
※シロエが夢に現れたジョミーに、「美味しいんだよ」と自慢したママのブラウニー。
幸せそうな顔で作る姿を見ていたっけね、と考えていたら…。ごめんね、シロエ。
