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(パパ、ママ…。会いたいよ…)
 ほんの少しの時間でいいから、とシロエはベッドの上で膝を抱える。
 Eー1077の夜の個室で、思うのは故郷のことばかり。
 けれど、鮮やかには思い出せない。
 成人検査で消された記憶は、努力してみても蘇らない。
 逆に、どんどん薄れてゆく。
(ぼくが忘れたくなくて、あれこれ努力してるのを…)
 此処を支配するマザー・イライザは、とっくの昔に見抜いている。
 過去にこだわり続ける「シロエ」が、システムから離脱してゆく危険にだって気付いている。
(だから、せっせとコールされて…)
 マザー・イライザに呼び出される度に、「何か」を其処に「落として来る」。
 それが何だったか、自分でも分からないのだけれども、大切な「何か」。
 シロエの「過去」に繋がる記憶で、大切に守り抜きたいピースが、消されて無くなる。
(…パパとママの顔も、あちこちが欠けてしまってて…)
 どんな面差しで、どんな瞳の色だったのかも、今では忘れ去ってしまった。
 記憶の中の両親の顔は、まるで焼け焦げた写真のよう。
 「こういう顔だ」とピンと来る部分、肝心の所が霞んでしまって残っていない。
(…それでも、ぼくは…)
 両親のことを忘れはしないし、今も会いたくて堪らない。
 一瞬だけでも家に帰れたら、どれほど幸せなことだろう。
 「パパ、ママ!」と呼び掛けて、両親が振り向いてくれた瞬間、許された時間が終わっても。
 「面会時間は終わりですよ」と係が扉を閉めてしまって、お別れになってしまっても。
(…ホントに、一瞬だけでいいから…)
 会わせて欲しいよ、と思うけれども、システムはそれを許しはしない。
 成人検査で別れた両親や故郷、それらは確かに在るというのに、子供は其処に帰れはしない。
 SD体制が敷かれた世界は、大人の社会と子供の社会を分けているから。
 「大人と子供が、一緒に暮らしてゆける世界」は、育英都市の中だけにしかない。
 十四歳になった子供は、其処を離れて旅立つしか無くて、記憶も消されてしまうのだから。


 それでも、其処に帰りたい。
 そう願うことは、機械にとっては「有り得ない」ことで、誤った考えだとされる。
 「シロエ」の軌道を修正するべく、機械は記憶を「消し続ける」。
 一つのピースを消しても結果が出ないのならば、次のピースを、といった具合に。
(……悪循環だよ……)
 自分でも自覚しているけれども、頑張っても、どうすることも出来ない。
 心は両親を求めてしまうし、故郷に帰りたい思いも消えない。
(…帰りたいのに…)
 パパとママがいる家に帰りたいよ、と膝に顔を埋めていて、ハタと気付いた。
 「帰りたい」のは、「懐かしい」のは、「ぼくの方だけかもしれない」と。
(……パパとママにとっては、ぼくは何人目かの子供だよね……?)
 けして若くはなかったのだし、「シロエ」の前にも、子供を育てていただろう。
 育英都市で暮らす夫婦の仕事は、まず一番に「子供を育てること」。
 父は研究者だったけれども、それは「二番目の仕事」に過ぎない。
 「シロエの父親であるということ」、それこそが父の仕事だったと言ってもいい。
 母の場合は言うまでもなく、「シロエの母」であることが役目。
 二人とも、「シロエ」を愛して、可愛がってくれたけれども…。
(…もしかして、あれも…?)
 仕事だったというのだろうか、「シロエ」を愛して育てることが。
 そういう教育を受けて来たから、愛して、大事に育てたのか。
(……まさかね……?)
 いくらなんでも、そんなこと…、と思いはしても、「そうではない」という証拠は無い。
 両親が見せてくれた笑顔も、優しかった手も、何もかも「仕事上」のものだったろうか。
 育てる子供が「シロエ」でなくても、両親は同じに「愛した」ろうか。
(…そうじゃなかった、なんていうことは…)
 それこそ無いよ、と薄れてしまった記憶の中の両親を思う。
 あの優しさが演技だったとは、とても思えない。
 そして「本物だった」としたなら、両親は「違う子供」でも愛するだろう。
 「シロエ」ではない子供でも。
 まるで違った顔立ちの子で、性格も、性別も違ったとしても。


(……パパとママなら……)
 きっとそうだ、と悔しくなる。
 今も会いたくて堪らない二人は、他の子供の「両親」でもある。
 どんな子供かも知らないけれども、その子は、きっと「何処かにいる」。
 「シロエ」と違って、両親のことなど忘れてしまって、普通に暮らしていることだろう。
 マザー・システムの言いなりになって、大人しい羊になってしまって。
(…そんなの、酷い…)
 パパとママを忘れてしまうなんて、と悲しくて、辛い。
 あんなに優しい人たちのことを、どうして忘れられるのだろう。
 何もかも忘れ去ってしまって、平気で生きてゆくことが出来るのだろう。
 両親は「愛してくれた」のに。
 それが両親の「仕事」だとはいえ、愛も、優しさも、本物なのに。
(…相性の悪い子供だった、って言うのなら…)
 まだ分かるけど、と唇を噛む。
 人間には「相性」というものがあるから、「合わない」場合は、どうしようもない。
 子供同士でも、それで喧嘩になったりもする。
(…養父母のことは、此処では学ばないから…)
 知らないけれども、子供と相性が悪かった時は、養父母を替えたりもするのだろうか。
(養父母と、衝突してばかりだと…)
 健全な精神を持った子供は育たないだろうし、そういう時には「替える」かもしれない。
 相性の良さそうな夫婦を探して、「途中から」の育児になったとしても。
(子供を育て終わった親なら、手が空いてるし…)
 前にも子供を育てているから、途中からでも「上手くやる」だろう。
 もしも、そういうことが「ある」なら、「取り替える」まではいかなくとも…。
(…両親と、あまり合わない、って子も…)
 この世界には「いる」のだろうか。
 「シロエ」の両親のように優しい親でも、「何処となく」肌が合わない子供。
 さほど親には関心が無くて、成人検査で引き離された後は、思い出しさえしないような子。
 「親を愛していなかった」ならば、そうなるだろう。
 懐かしいとも、「また会いたい」とも、思う理由が「無い」のだから。


(…パパとママが、ぼくより前に育てた子供の中にも…)
 そういう子供がいたのだろうか。
 それとも、「愛されて、愛して」育ったけれども、成人検査で「忘れた」ろうか。
 Eー1077にいる候補生たちが、誰もが「そうである」ように。
 二度と戻れない過去のことなど、気にもしないで暮らしているように。
(…どっちなのかは、今のぼくには分かりもしないし…)
 分かったところで、得なことなど何も無いけれど、一つの「可能性」を見付けた。
 「そうなっていたら」、今の暮らしが「楽になる」もの。
 膝を抱えて嘆く代わりに、毎日、楽しく生きてゆけそうな道。
 「ぼくは自由だ」と歓声を上げて、未来だけを見て、過去など捨ててしまえる人生。
 「シロエ」はそうはならなかったけれど、「そうなる」可能性なら「あった」。
(…パパとママのことを、愛さなかったら…)
 大好きになっていなかったならば、「シロエ」の「今」は楽だったろう。
 もう「両親」は「いない」のだから、彼らのことなど「二度と考えなくてもいい」。
 システムもそれを推奨していて、「思い出しなさい」とは、けして言わない。
 そういう場合は、成人検査は、まさしく「未来への扉」。
 まるで好きではない両親がいた家を離れて、希望に満ちた社会に向けて旅立ってゆける。
 何処のステーションに行ったとしたって、もう両親は「いない」から。
 うるさく小言を言われもしなくて、生活に口を出されもしない。
 それほど自由なことがあるだろうか、「もう両親はいない」だなんて。
 「二度と会わずに生きてゆける」上に、「忘れてしまってかまわない」なんて。
(……最高だよね……)
 ホントに最高、と「その可能性」について考えてみる。
 両親に関心が無かったならば、どれほど素敵だっただろうか、と。
 記憶が薄れてしまったところで、嘆き悲しむ必要は無い。
 むしろ「思い出せない」くらいに、綺麗に忘れ去ってもいい。
 両親のことなど「どうでもいい」し、「まるで好きではなかった」のだから。


(…そうなっていたら…)
 楽だったろうし、今だって、こうして嘆いてはいない。
 この時間まで起きているなら、きっと勉強しているのだろう。
 「なんとしてでも、メンバーズになってやるんだから」と、懸命に。
 他の候補生たちが寝ている間に、寝る間も惜しんで、自分の能力に磨きをかける。
 より良い成績を出して、皆より百歩も、二百歩も先を行くように。
 「睡眠時間を削った」分も、「深く眠る」ことで取り戻す。
 でないと訓練についてゆけずに、成績を落とすことになるから、体調管理も抜かりなく。
(絵に描いたような、立派な候補生ってヤツだよね…)
 それにシステムにも逆らわないから、マザー・イライザの覚えだって「いい」。
 その時が来たら、メンバーズに相応しい人材として、推薦もしてくれるだろう。
 「シロエなら、間違いありません」と、太鼓判を押して、出世コースに送り出してくれる。
 間違いなく、そうなる道なのだろうし、とても楽ではあるのだけれど…。
(…パパとママが嫌いで、早く離れてしまいたい、なんて…)
 日々、思いながら生きることなど、絶対に「したくなかった」と思う。
 後に苦しむことになろうと、愛して生きていたかった。
 実際、「シロエ」が「そうした」ように。
 今も会いたくて堪らないほど、両親が大好きだった子供時代は、大切な宝物なのだから…。



           愛さなかったら・了


※子供の行動が怪しいから、と通報するような親がいるのが、SD体制の時代ですけど。
 親の愛情がその程度だったら、子供の方はどうなんだ、と思った所から生まれたお話です。









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(またか…)
 懲りるということを知らん奴らだ、とキースは溜息を一つ零した。
 首都惑星ノアの、国家騎士団総司令のための個室で。
 今日もマツカが未然に防いだ、「キース・アニアン」の暗殺計画。
 初の軍人出身の元老として、パルテノン入りするのが内定してから、何度目だろうか。
(以前は、暗殺計画を立てる者と言ったら…)
 同じ軍人で、出世しそうな者同士での足の引っ張り合いだった。
 もっとも、そう考えているのは相手だけのことで、キースは出世に興味など無い。
 今までもそうだし、これから先も、その考えは変わらないだろう。
(出世したところで、私は嬉しくなどないし…)
 地位にも金にも執着は無いし、出世しなくともかまわない。
 終生、ただのメンバーズとして、任務一筋に生きたっていい。
(…だが、そうやって生きてゆくことは、私には…)
 けして許されてはいないのだ、と覚悟しているし、諦めてもいる。
 「キース・アニアン」は「作られた者」。
 Eー1077で、マザー・イライザが無から「キース」を作り上げた。
 その目的は、理想の指導者を生み出すこと。
 SD体制を揺るぎなく守り、人類を導いてゆくことこそが「キース」の存在意義だと言える。
 だから逸脱など許されないし、何処までも出世してゆくしかない。
 いつの日か、頂点に立つために。
 二百年間も不在のままになっている、国家元首の座に就くことが「キース」の使命。
 直接、グランド・マザーの意を受け、人類を、地球を導いてゆく。
(…最初から、そう決められていて…)
 そのために作られた人間なのだし、誰にもそれは覆せない。
 そうとも知らずに、愚かな人間たちの方では、せっせと暗殺計画を立てる。
 かつては軍人だけだったけれど、今はパルテノンにいる元老たちまで加わりつつある。
 自分たちの地位を脅かしそうな、目障りな「キース」を消そうとして。
 「出る釘は、早く打たねばならん」と、芽を出す前に摘み取り、葬り去るために。


 しかし彼らが何をしようと、計画は端から破綻してゆく。
 誰も「ミュウ」とは知らない側近、「マツカ」が才覚を発揮して。
 サイオンを使って計画を見抜き、暗殺者の弾も「素手で」受け止められるのが「マツカ」。
(…マツカがいる限り、どんな計画を立てても無駄というもので…)
 「キース」の命は潰えることなく、出世の階段を昇ってゆく。
 グランド・マザーが意図する通りに、パルテノン入りを果たした後には、国家元首の座へと。
(もしも、マツカがいなかったなら…)
 暗殺計画を防ぐ役目は、誰が担っていたのだろうか。
 今はマツカの活躍のせいで「影が薄い」、本来の部下たちなのか。
(奴らの方では、マツカを能無し呼ばわりで…)
 コーヒーを淹れることしか出来ない、と揶揄するほどだし、そうかもしれない。
 「マツカ」を拾っていなかったならば、案外、使える人材な可能性もある。
(…そうでなければ、大変なことになるのだからな?)
 グランド・マザーが期待する人材、マザー・イライザが作った「キース」。
 人類は「キース」を失えないし、グランド・マザーも、それは同じこと。
 「キース」無しでは、人類はおろか、SD体制も立ち行かない。
 グランド・マザーも充分、承知している筈だし、策を講じることだろう。
 部下たちが「使えない人材」だった時には、先手を打って、暗殺者を消してしまうとか。
(…グランド・マザーならば、可能だろうな…)
 暗殺計画の実行者を「実行する前に」探し出し、処分することは出来る。
 全ての人類を「支配している」機械なのだし、怪しい動きも見抜けるだろう。
(監視カメラをフル稼働すれば、簡単に出来ることなのだし…)
 必要とあらば「寝ている間に」全人類の思考もチェック出来る筈。
 「キース」に関わりそうな者たちだけを「選んで」やるなら、もっと容易いことだと思う。
(暗殺計画を立てる奴らが、私という芽を、先に摘もうとするように…)
 グランド・マザーも、同じ行為を「彼ら」を相手にやってゆくだけ。
 「疑わしい者は、葬っておけ」と言わんばかりに、「疑い」の時点で処分する。
 軍人ならば、辺境の最前線へでも飛ばして、戦死を装って消せばいい。
 元老だったら、車に細工するなど、不慮の事故でいくらでも「消す」手段はある。
 グランド・マザーが「消す」と決めたら、誰も逃れることは出来ない。
 SD体制の社会においては、全ては「グランド・マザーの御意志」のままなのだから。


 つまり、「キース」は「消し去れない」。
 誰がどんなに努力しようと、出世を止めることは出来ない。
(私がマツカを拾っていなくて、部下たちも「使えない」者だったなら…)
 屍が無駄に増えただろうな、という気がする。
 暗殺者と、計画を立てた者だけを「選んで消す」など、グランド・マザーは恐らく、しない。
 「そうなる前に」疑わしい者を全て消しておくのが安全な策で、安心でもある。
 機械が考えそうな良策、効率の良さも「そちらの方が」遥かにいい。
 何人死のうが、代わりは「いくらでもいる」わけなのだし、誰も困りはしないのだから。
(…「キース」が死んだら、そうはいかないのだからな…)
 何千人でも「先に殺してしまう」だろうさ、と考えた所で、ハタと気付いた。
 確かに「それでいい」のだけれども、「キースの次」はどうなるのだろう、と。
(今は、確かに…)
 「キース」がいれば間違いは無いし、SD体制も、地球も、人類の未来も安泰と言える。
 現状ではミュウに押され気味でも、機械は危機とは考えていない。
 「キース」が頂点に立ちさえすれば、巻き返せると踏んでいるのがグランド・マザー。
 そのために「キース」を作ったからには、きっと役立つに違いない、と。
(…確かに、そうかもしれないが…)
 勝算はゼロとは言わないけれども、問題は「次」。
 暗殺計画を防ぐことは出来ても、「キース」の寿命を延ばせはしない。
 「人類」として「作られた」キースは、あくまで「人類」、寿命も人類と変わらない。
 ミュウどものように長寿ではなくて、メギドで対峙したソルジャー・ブルーとは事情が違う。
(私は、タイプ・ブルー・オリジンのように、何百年も…)
 生きて人類を導けはしない。
 せいぜい、もって百年だろうか。
(…その間だけは、グランド・マザーの理想の統治が出来たとしても…)
 「キース」の寿命が尽きてしまったら、その次の代はどうするのか。
 Eー1077の実験室は、既に「キース」が破壊した。
 あそこで「キース」の後継者を作り、育てることは「もう出来ない」。
 ならば、何処かで「作る」のだろうか。
 それとも、「キース」の「次の代」など、まるで考えてはいないのか。


(…どちらかと言えば…)
 後者のような気がするのだが、と恐ろしくなった。
 「私の後を引き継ぐ者など、いないのでは」と。
 グランド・マザーの言動からして、その可能性は非常に高い。
 「キースの次」を考慮に入れていたなら、Eー1077を処分するにしても…。
(…あれほど長く、廃墟のままで放置するよりは…)
 早々に消して、痕跡を残さないのが「上策」だろうと思われる。
 「シロエ」のように「好奇心旺盛な」探索者の類が、再び出ないとは限らない。
 あんな廃校を放っておいたら、調べたくなる者も出るだろう。
(立ち入り禁止、と規制してみても…)
 宇宙空間を旅する者は、SD体制に従順な者たちばかりではない。
 枠から外れた海賊なども、あの宙域を通る恐れがある。
(何か、お宝でも見付かるかも、と…)
 彼らが其処へ舵を向けたら、隅々まで探し回るだろう。
 当然、フロア001にも、彼らは「遠慮なく」入り込む。
(マザー・イライザが、それを防げるかどうか…)
 怪しいものだな、と「廃校になっていた」Eー1077を思い返した。
 監視カメラも、恐らく壊れていたことだろう。
 侵入者を探知出来はしないし、迎撃用のシステムが生きていたかも危うい。
 「押し入った者たち」は、フロア001に入って「キース」を目にする。
 人類の世界で異例の出世を遂げてゆく「キース」と同じ顔の標本、それが「在る」のを。
 彼らが「真実」を手にすることも、そこまでいったら「ある」に違いない。
 それを彼らが「脅し」に使うか、どうするのかは分からないけれど…。
(危険なことは、間違いなくて…)
 そういう危険を伴うからには、早々にE-1077を、この世から消しておかなければ。
 「もう使わない」施設と、とうに終了した実験なら、跡形も無く。
 何処かで「キースの次」を作っているのだったら、なおのこと。
(データは全て取った筈だし、私だったなら、そのように…)
 古い施設は破壊し、次の実験に全力を注ぐ。
 「キース」の統治の後を引き継ぎ、次の時代の要になるべき指導者を育成するために。


 なのに、機械は「そうしなかった」。
 長い年月、Eー1077を宇宙に捨て置き、無策のままで「其処に置いていた」。
 誰が入り込み、「キース」の秘密を暴き出しても、不思議ではない状態で。
(…あれほど、無関心だったのは…)
 多分、「キース」で「片が付く」と思っていたからだろう。
 ミュウどものことも、人類の、SD体制の行く末にしても、何もかも「キース」が片付ける。
 厄介事は「キース」の代で終わりで、其処から先は…。
(どんな輩がトップだろうが、国家元首が空位だろうが…)
 安泰だと思い込んでいるのだろうな、と深い溜息が零れ落ちた。
 「私の次など、きっと作っていないのだ」と。
 ならば、この先、何があろうと、どうなろうとも、「キース」一人が背負うしかない。
 後を継ぐ者は、いないから。
 どう人類を導こうとも、人類に未来は「無いのだ」と思う。
 着実に「次の代」を作って、代替わりしてゆくミュウのようにはいかないから。
 ミュウには「次の世代」がいるというのに、「キース」には「次がいない」のだから…。



              後を継ぐ者・了


※原作だと、キースの「次」の実験体を作っていたわけですけど、違うのがアニテラ。
 「キースの後は、誰が継ぐわけ?」と考えた所から生まれたお話。真面目に、後が無い…。









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(仕組み自体は…)
 ごくごく単純なんだけどね、とシロエが睨み付けるモノ。
 Eー1077の夜の個室で、仇のように憎々しげに。
 苛立ちをこめて眺める先には、ごく平凡な通信機が一つ据えられていた。
 此処にいる生徒たちなら誰でも、自室にそれが置かれている。
 マザー・イライザとの連絡用とは違った機械で、用途は文字通りに「通信機」。
(Eー1077の生徒は全員、エリート候補生だから…)
 他者との同居や共同生活は禁止で、個室に他人を招き入れることも許されない。
 当然、部屋では「一人きり」だけれど、だからと言って孤立しているわけではない。
 「部屋に招いてはいけない」だけで、食堂などの共用スペースで会うのは自由。
 もちろん待ち合わせだって出来るし、そのためには連絡手段が必要になる。
(あらかじめ、場所や時間を決めていたって…)
 何か用事が出来てしまうとか、急に体調を崩したとかで、行けないこともあるだろう。
 マザー・イライザにコールされたり、授業でいきなり課題を貰って、自由時間が消えたりも。
 そういう時に、相手を放っておいてはいけない。
 なにしろ約束しているのだから、相手は待っていることだろう。
 「あいつ、遅いな」と時計を眺めながらも、「その内、来るさ」と待ち続ける。
 暇つぶしにと本を読んだり、通り掛かった誰かと話をしたりするかもしれないけれど…。
(待ってる間も勉強しよう、なんて考える奴は…)
 いくら此処でも、ほぼいないよね、と断言出来る。
 黙々と勉強しながら人を待つなど、Eー1077の候補生でも、あまりやりたくないだろう。
 喜んでやる者がいるとしたなら、普段の日常生活からして、既に変人に違いない。
(…例えば、キース・アニアンとかね…)
 彼ならそうだ、と思うけれども、他の候補生たちは「キース」ではない。
 無駄に待たされる時間が出来ても、勉強などをするわけがなくて、それは決して…。
(好ましくも、望ましくもないことで…)
 マザー・イライザは喜ばないから、其処で通信機の出番になる。
 約束している相手を呼び出し、「悪いが、行けない」と連絡するのが此処でのルール。
 相手を待たせてしまわないよう、時間を無駄にさせないように。
 新たに待ち合わせの時間を決めるとか、先送りにするとか、通信機を使って連絡を取る。
 この通信機の役目の一つは、そういったこと。


 候補生同士で通信機を使う場面としては、待ち合わせなどの他に「勉強」もある。
 食堂などで集まる代わりに、各自、個室で勉強しながらの学習会。
 仲間と活発に意見を交わして、知識を増やして、実力をつける。
(ぼくは、そういうのは御免だけどね)
 マザー牧場の羊なんかと群れたくないよ、と思っているから、出たことは無い。
 けれど、その種の集まりはあるし、通信機は活用されている。
 候補生同士で使う他にも、教授たちとの連絡手段にもなる。
 予習や復習をしている時に、自分では分からないことが出来たら、担当の教授に質問せねば。
(多分、普通は、教授に質問する前に…)
 仲間同士で「どう思う?」などと、自分たちの力で解決を図ることだろう。
 下手に教授に連絡したなら、藪蛇になってしまいかねない。
 質問をした内容以外に、逆に質問をされてしまうということもある。
 「君は何処まで、この学問を理解しているのかね?」と、実力を試される羽目に陥る悲劇。
 エリート候補生といえども、それを喜ぶ者など、恐らくは「皆無」。
 いたとしたなら「キース・アニアン」、彼の他には、きっと一人も…。
(いやしないから、通信機は、やっぱり…)
 候補生同士で使うのが基本の筈なんだよね、とシロエは機械を睨み付ける。
 「ぼくには使う機会が無いけど」と、「教授に質問することだって、無いんだから」と。
 何か質問したいのだったら、授業で出会った時にする。
 個室からまで聞きたいくらいに、「勉強」に執着してなどはいない。
(…ぼくは、キースとは違うんだから…)
 オンとオフとは切り替えるよね、と通信機を指の先で弾いた。
 「これをどういう風に使うか、考える方が有意義だよ」と。
 そう、この機械は「通信機」であって、連絡用の機械。
 その気になったら、「キース・アニアン」だって「呼び出せる」。
 彼から連絡先を聞き出し、それを打ち込みさえすれば。
 「聞き出さなくても」、調べる方法だってある。
(ハッキングなんかしなくても…)
 候補生たちを管理しているセクションに通信を入れて、問い合わせれば答えが出る。
 自分の名前や学生番号、そういったことをきちんと伝えて、聞きたい相手を告げたなら。
(向こうで勝手に、ぼくが本人かどうかを調べて…)
 正しいことが確認出来たら、簡単に教えて貰えるだろう。
 「キース・アニアン」の連絡先なら、これになります、と、アッという間に。


(連絡先さえ知っていたなら、連絡出来て…)
 相手と会話も出来る機械が、この「通信機」というモノになる。
 ただし此処では、通信範囲がかなり制限されていた。
 連絡を取れる相手は、あくまでEー1077の「関係者」だけ。
 候補生や教授、管理セクション、それに食堂などの施設などとも通信可能な機械だけれど…。
(Eー1077のポートに入って来た船や…)
 船の乗員と通信しようとしたって、それは全く出来ない仕組み。
 エリート候補生としての日々の暮らしに、「彼ら」は無関係だから。
 余計なことに気を取られないよう、候補生たちは「隔離されている」と言っていいだろう。
 とはいえ、相手は「たかが通信機」だし、シロエから見れば「単純な」機械。
 制限をかけている仕組みは分かるし、それを解除する方法も分かる。
 ほんの数回、あるコマンドを打ち込んでやれば、機械は直ちに、何処とでも通信可能になる。
 ポートの宇宙船はもちろん、この宙域を飛行中の宇宙船とも繋がるようになるけれど…。
(でも、制限を解除したって…)
 ぼくが通信したい先には繋がらないんだ、と深い溜息が胸の奥から溢れて来る。
 この制限を解除したなら、この通信機から連絡不可能な場所は無くなるのに。
 理屈から言えば、宇宙の何処でも、何処の星でも「呼び出せる」のに。
(…地球には連絡出来ない、っていうのは無理もないけれど…)
 地球は「人類の聖地」と呼ばれて、座標も明かされていない星。
 其処に在るという「グランド・マザー」ともども、SD体制の最高機密の一つ。
 だから「繋がらなくて当然」、それを不思議だと思いはしない。
 機密とは「そうしたもの」なのだから、知るべき時がやって来るまで、知らなくていい。
(…だけど、ぼくが通信したいのは…)
 地球なんかとは違うんだよね、と、また溜息が零れてしまう。
 「通信したい」と思う場所には、何の機密も、恐らく存在していない。
 あったとしても、大したものではないだろう。
 宇宙に幾つも散らばっている育英惑星、其処なら「何処でも」ありそうなモノ。
 子供の育成に関する機密で、ユニバーサル・コントロールの管轄下に置かれている「何か」。
 きっと「大したものではない」のに、それが「シロエ」の邪魔をする。
 故郷の惑星、アルテメシアと「通信したい」と願っているのに、不可能だから。
 この通信機にかけられている制限を解除したって、繋がってはくれない「連絡先」。
 アルテメシアに繋ぐだけなら、問題は全く無いのだけれども、希望の場所には繋がらない。


(…パパ、ママ…)
 声だけでも聞けたら嬉しいのに、と通信機をいくら睨み付けても、繋がらない「それ」。
 通信するための方法だったら、今も忘れていないのに。
 Eー1077で更に通信に詳しくなって、アルテメシアの「呼び出し方」も知ったのに。
(…惑星には、それぞれ固有の番号があって…)
 通信する時は「その番号」を打ち込んでやれば、特定の惑星に連絡出来る。
 それに加えて、それぞれの星で使われている「連絡用の番号」、それが連絡先になる。
 例えば、父が所属していた研究所ならば、アルテメシアの番号を入れて…。
(それから、エネルゲイアの番号で…)
 その後に続けて、父の研究所の連絡番号を打ち込めばいい。
 そうすれば「機械」は、即座に自分の役目を果たして、父の研究所を呼び出してくれる。
 呼び出し音が何回か鳴って、誰かが、応答するのだろうけれど…。
(通信に出るのは、きっと、担当の職員で…)
 父を呼び出してくれと言っても、願いは叶えられないだろう。
 研究所の番号は分かるけれども、その番号は「誰でも連絡出来る」表向きの番号に過ぎない。
 所属している研究員を呼び出すためには、他に専用の番号が要る。
(その番号は、ぼくが此処から調べても…)
 見付け出せない辺りからして、何か「機密」を扱っているに違いない。
 だったら仕方ないのだけれども、本当に連絡したいと願っている先は「其処ではない」。
 アルテメシアの番号の後に、エネルゲイアの番号を入れて…。
(その番号を入れてやったら、呼び出し音が鳴って、ママが「はい?」って…)
 懐かしい声で「セキですけれど」と、応えてくれる「連絡先」。
 故郷で暮らした家の「番号」、それは機密でも、秘密でもない。
 エネルゲイアの、いや、アルテメシアの住人だったら、誰でも知ることが出来る番号。
 「セキ博士の家に連絡するなら、この番号」と、教えてくれる番号さえも存在する。
 あの星の住人が「その番号」に通信を入れて、問い合わせれば「貰える」答え。
(それなのに、いくら、どう頑張っても…)
 パパとママの家が見付からないよ、とシロエの瞳から大粒の涙が溢れ出す。
 かつて故郷で暮らした頃には、その番号を知っていたのに、機械に記憶を奪い去られた。
 今も「通信の知識」はあるのに、子供時代より増えたというのに、その番号が分からない。
 分かりさえすれば、この通信機の制限を解いて、両親の家を呼び出すのに。
 懐かしい声を聞けさえしたなら、それだけで、きっと満足なのに…。



              分からない番号・了


※成人検査で家から引き離される子供ですけど、養父母は、そのまま住み続けるわけで…。
 だったら「連絡先」は変わらないし、機密事項でもないよね、と思った所から出来たお話。









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(計算通りだとは思えんのだが…?)
 どう贔屓目に見積もってもな、とキースは、部下が先刻、消えた方へと目を遣った。
 国家騎士団総司令の個室に出入り自由な、ジルベスター・セブン以来の側近。
 さっきコーヒーを運んで来たのだけれども、今夜はもう彼の仕事は無い。
 だから「下がって休め」と簡潔に告げて、忠実な側近に休息を取らせることにした。
 誰も気付いていないけれども、側近の「マツカ」の正体はミュウ。
 彼にしか出来ない役目は多くて、実際、とても役に立つ。
 暗殺者が撃って来た弾を防いだり、爆発物が仕掛けられた場所を見破ったり、といった具合に。
(マザー・イライザは、私を作って…)
 理想的に生育するよう、全てを計算して与えたと言った。
 Eー1077で出来た友人のサムも、サムの幼馴染だったスウェナも、計算された人材。
 トップ争いを繰り広げていた、「実はミュウだった」シロエもそうだ、と。
(あの頃の私は、自分の生まれを何も知らずに…)
 計算された道を走り続けていたのだという。
 スウェナを乗せた宇宙船の事故さえ、「キース」の資質を開花させるために仕組まれていた。
 そんなこととは全く知らずに、懸命に考え、対処したのに。
 シロエがミュウの因子に目覚めて逃げた時にも、心が引き裂かれるような気持ちで…。
(追い掛けて撃墜したというのに、それもイライザの計算で…)
 その後、Eー1077は廃校になって、長く宇宙に放置されていた。
 「それ」の処分をグランド・マザーに任され、初めて知った「自分の生まれ」。
 マザー・イライザが全くの無から作り上げた生命、「キース・アニアン」。
(…何もかもが計算通りだったと…)
 ようやく生まれた理想の子だ、とマザー・イライザは喜んでいた。
 その「子」が自分を処分しに来たとは、多分、思いもしなかったろう。
 だから歓喜し、嬉しそうに全てを明らかにした。
 フロア001に纏わる真実、遠い昔にシロエがその目で確かめたことを。
 「キース」は無から作られたことを、それにシロエも知りようがなかったシナリオを。
 サムやスウェナという友人を与え、ミュウ因子を持った「シロエ」を配する。
 全ては整えられた環境、計算された様々な出来事。
 それらを糧に「キース」は育って、いずれ理想の指導者となる。
 SD体制を、地球を導く、唯一無二の存在として。


 何もかもが「計算されていた」、キースの人生。
 知っていたなら、途中で絶望していたろうか。
 何をしようが、何をどのように考えようが、全て機械の計算なのだ、と嫌になって。
 生きてゆくのも、思考することも、放棄してしまいたくなって。
(…だから、真実を明かすまでの間に…)
 長い時間を置いたのだろうか、という気もする。
 シロエが命懸けで暴いた「フロア001」の秘密は、ずっと後まで伝わらなかった。
 Eー1077でシロエから直に、その存在を聞かされたのに。
 「フロア001に行け」とシロエは告げて、それから間も無く宇宙に散った。
 マザー・イライザの計算通りに、キースの船に撃墜されて。
 キースの心に棘を残して、飛び去って行ったミュウだったシロエ。
(…本当に、あれも計算だったとしたら…)
 なんとも空しい人生だけれど、幸い、気付きはしなかった。
 フロア001には行けずに、そのまま卒業してEー1077を去ったから。
 たまに思い出すことはあっても、訪れる機会は無かったから。
(そして私は何も知らずに、機械が敷いたレールの上を…)
 走り続けて来た筈だけども、そうは思えない部分がある。
 机の上で湯気を立てるコーヒー、それを淹れて去った側近、「マツカ」。
 彼と出会って「拾った」時には、キースの階級は、まだ少佐だった。
 側近くらいは選べるけれども、大きなことは、そうそう出来ない。
 なのに、システムに「逆らった」。
 SD体制が異分子と断じる「ミュウ」を拾って、側近に据えた。
 ミュウの「マツカ」を助命するだけでも、充分に反逆罪なのに。
 まして「キース」を殺そうと試みた危険なミュウなど、生かしておいてはならないのに。
(その場で射殺し、報告するのが軍人としての義務なのだがな?)
 私はそうはしなかったのだ、とマツカとの出会いを思い出す。
 もしも「キース」が軍人としては平凡だったら、即座にマツカを射殺したろう。
 自分の命が危ういわけだし、考えている余裕などは無いから。
 しかし、メンバーズなら、そんな風には行動しない。
 まずは捕らえて、色々と尋問せねばならない。
 射殺するのは「その後」のことで、それまでは生かしておかなければ。


 実際、「キース」は、そのようにした。
 マツカの攻撃を退けた後に、襲撃の背景を探り出そうと考えたのに…。
(…マツカはミュウのスパイどころか、自分の能力さえも知らないミュウで…)
 弱々しくて、ただ怯えていた。
 その姿に「シロエ」の姿が重なり、もう「殺せなくなってしまった」。
 シロエを二度も殺すことなど、出来はしないし、したくもない。
 なら、どうすればいいのだろうか。
 マツカを「見逃してやった」だけでは、再び、同じことが起きるかもしれない。
 命の危険を感じたマツカが、他の軍人を攻撃するという事態。
 そうなればマツカは、殺されてしまうことだろう。
 たとえメンバーズが相手であっても、そのメンバーズはマツカを「見逃しはしない」。
 必要な情報を聞き出した後は、問答無用で射殺して終わり。
 そういう悲劇を防ぎたかったら、「マツカ」を連れてゆくしかない。
 「キース・アニアン」の側近に据えて、身の回りの世話でもさせておいたら安全だろう。
 無能な部下になったとしても、眼鏡違いだったと笑われるだけ。
(気まぐれで選び出すからだ、と…)
 「キース」が陰口を叩かれはしても、「マツカ」の身に危難が及びはしない。
 そう考えて、後に実行した。
 マツカの能力はこの目で見たから、もはや迷いはしなかった。
 「マツカ」の見た目がどうであろうが、「役に立つ」のは本当だから。
 思いがけない優秀な部下を、手にすることが出来そうだから。
(…どう考えても、あの時の私の感情は…)
 マザー・イライザが計算していたものとは違う、と思えてならない。
 計算された感情だったら、「マツカ」を救うことなど出来ない。
 機械は「理想の子」になるようにと、キースを育てたのだから。
 システムに逆らうことなど考えもしない、SD体制を守るための指導者として。
(だからこそ、私はシロエが乗った練習艇を…)
 マザー・イライザが命じるままに、撃墜するしか道が無かった。
 シロエをそのまま行かせることなど、あの時の「キース」には不可能だった。
 今から思えば、逃がす方法が無かったわけではなかったのに。
 「取り逃がしました」と嘘の報告をしても、叱られて終わっていただろう。
 本当の所は見逃していても、「力が及びませんでした」と悔し気に詫びていたならば。


(…今の私は、そういう風に考えることが出来る上に…)
 マツカという側近も持っているから、マザー・イライザの計算通りとは思えない。
 何処かで計算が狂い始めて、今に至るのではないのだろうか。
 なにしろ、あの水槽から出した時点で、もはや「キース」は無垢ではない。
 機械が教えることが全てであった時代は終わって、環境に左右され始める。
 友人、知人や教師といった、「キース」を取り巻く周りの者に。
(それを見越して、サムやスウェナやシロエを揃えて…)
 イライザは環境を整えたけれど、「キース」の世界は、もっと複雑なものだった。
 機械が作った人間とはいえ、生きてゆく上で関わる人間たちは、たった三人では済まない。
 他の人間も目にするわけだし、声だって耳に入って来る。
 教室で講義を受ける他にも、様々なことを見聞きしながら「キース」は育つことになる。
 いくら環境を整えようとも、それらを遮断することは出来ず、少しずつ世界を歪めてゆく。
 マザー・イライザもそれと気付かない内に、ゆっくりと。
 整えられた世界は歪んで、軋んで、ずれ始める。
 機械が意図して作ったものとは、まるで違った方向へ。
 「キース」という人間に「個性」が生まれて、「独自の感情」が芽生える方へ。
(…そう考えた方が、何かと合点がゆくのだがな?)
 計算通りに今も育っているよりは…、とキースはコーヒーのカップを傾ける。
 「何処かで計算が狂ったのだ」と、「今の私は計算の外で生きているのに違いない」と。
 恐らくマツカを拾った時には、もう計算は狂い始めていたのだろう。
 けれど機械はそうと気付かず、軌道修正をしなかった。
 それとも機械が作ったものでも、一度、感情が目覚めたならば…。
(もはや修正は不可能なのか…?)
 そうなのかもな、という気もする。
 ならば、計算の外で生きることを始めた「キース」が、もしも…。
(…ミュウどもの船で、もっと紳士的な扱いを受けて…)
 世話係でもついていたなら、恋をすることもあっただろうか。
 毎日、食事を運んでくれて、世話をしてくれるミュウの女性に。
 あるいはシロエに面差しの似た、同い年くらいのミュウの友達が出来るとか。


(…シロエに似ている、というだけで…)
 その可能性は充分あるな、と思うものだから、苦笑が浮かんで来る。
 「あの連中は、私の扱いを間違えたな」と。
 捕らえて尋問するにしたって、違う方法があっただろうに、と。
(……ジョミー・マーキス・シン……)
 お前は道を間違えたぞ、とミュウの長に心で呼び掛けたくなる。
 「私を紳士的に扱っていたら、メギドは持ち出さなかったかもな」と。
 機械の計算が既に狂い始めていたのだったら、その可能性は大いにある。
 ミュウの女性に恋をしたとか、シロエに似たミュウと友達になったキースだったら…。
(…ミュウどもの船を宇宙に逃がして、それから戻って…)
 グランド・マザーに、「しくじりました」と言い訳を並べて、失態を詫びることだろう。
 自分のミスで「モビー・ディックを取り逃がした」と、心の中では舌を出しながら。
 その後も何かと計算の外で、色々なことをしそうな「キース」。
 理想の指導者にはなれそうもない、様々な失敗の数々を。
 機械の計算が狂った世界で、ミュウたちに有利になりそうなことを…。



          計算の外で・了


※マザー・イライザが「理想の子」が出来た、と喜んでいた「キース」ですけれど…。
 あの時点で既に、マツカを側近に据えていたわけで、計算違いだったのでは、というお話。







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「シナモンミルク、マヌカ多めでね」
 いつものように注文したのは、シロエのお気に入りのドリンク。
 Eー1077に連れて来られる前から、その飲み物が好きだった。
 マヌカハニーとシナモン入りのミルクを飲むと、今も心が落ち着く気がする。
 ハードな訓練をこなした後には、食堂まで来て、人が少ない静かな席を選んで味わう。
(騒がしいのは嫌いだよ)
 マザー牧場の羊の群れの中なんかは御免だね、と目だけで空いている席を探した。
 何処がいいかと、ザッと食堂を見渡して。
(あの辺りかな?)
 あそこにしよう、と見当をつけて、カウンターの方に視線を戻す。
 注文の品は出来て来たかと、何の気なしに眺めた先に、メニューがあった。
 普段は気にも留めない「それ」。
 この時間帯にだけ提供されるスイーツ、甘い菓子類に特に興味は無い。
 シナモンミルクがあれば充分、余計なカロリーは摂らない主義を貫いている。
 カロリーなんかは、必要な量があればいい。
 余分に摂取したのだったら、その分、何かして消費しないと太るだけ。
 体調管理もエリートの条件の一つなだけに、マイナスになる要素は少ない方がいい。
 間食を取る習慣などは、無駄なものだとシロエは考えていた。
 シナモンミルクに入っているマヌカ、その独特な甘味があれば、それでいい。
 だから菓子類などはどうでもよくて、スイーツのメニューも見ないのだけれど…。
(ブラウニー…!)
 メニューに、母が得意だった菓子の名前があった。
 幼い頃から何度も食べた、母がキッチンで作ってくれたブラウニー。
 「これは食べねば」と、心が跳ねた。
 カロリーだの菓子だの、そういったことは抜きでいい。
 故郷の母が作っていた菓子、その味を、この舌で確かめてみたい。
 もう早速に、カウンターの向こうへ身を乗り出した。
「あっ、これ! ブラウニーもお願い!」
 一つね、と頼んで頬を緩める。
 「ママのお菓子が食べられるよ」と、「太ったって、構わないんだから」と。


 注文の品が増えたお蔭で、少し余分に待つことになった。
 それも全く気にならないけれど、其処へ後からやって来た客が、こう注文した。
「アップルパイ、一つ。テイクアウトでお願いね」
 客はエリート候補生の制服の少女で、店員が「はい」と返して箱を取り出す。
 アップルパイを入れる箱だ、と直ぐに分かった。
(スイーツなんか、ぼくは頼まないから…)
 他のメニューと同じように「食堂で」食べるものだと、シロエは思い込んでいた。
 食べ終わったら食器を返して、自分の部屋へ帰るのが食堂のルール。
 朝、昼、夜の三度の食事も、体調を崩していない限りは、食堂で食べるという決まり。
 「持ち帰り」があるとは、考えさえもしなかった。
(…だけど、よくよく考えてみたら…)
 テイクアウトは、あって当然だろう。
 夜遅くまで、自分の個室で勉強している候補生は多い。
 彼らの勉強の効率を思うと、食堂へ出て来て何か夜食を食べるよりかは…。
(ピザとか、サンドイッチとか…)
 自室で手軽に食べられるものを、持って帰った方がいいのに決まっている。
 どうして今まで、全く気付きもしなかったのか。
(食べることに執着してないからかな?)
 栄養ドリンクや栄養剤などで補えばいい、というのが此処でのシロエのスタイル。
 食堂で他人の姿を見るより、自室に籠っていたいタイプなゆえの考え方。
(夜食なんかを食べに来るのは、面倒なだけで…)
 部屋に帰ったら、次の日まで外に出る気もしないや、と今の今まで思って来た。
 その気持ちは変わらないのだけれども、テイクアウトを知ったのは…。
(大収穫だよ!)
 これを使わない手などは無い、とカウンターの向こうへ声を張り上げた。
 丁度、注文の品を載せたトレイを持った店員が、こちらへやって来るところ。
 その店員に、「ごめん、ブラウニー、テイクアウトで!」と。
 テイクアウトを知ったばかりだとは顔にも出さずに、たった今、思い付いたかのように。
 「アップルパイね」と頼んだ少女に釣られて、自分もその気になったんだ、という風情で。
 店員は「お待ち下さい」と返すと、嫌な顔一つしないでシロエの注文に応じてくれた。
 もう白い皿に載せてあったブラウニー、それを箱へと詰め替えて。
 シナモンミルクのカップの隣に、その紙箱を並べて置いて。


 こうしてシロエは、ブラウニーを「個室に持って帰る」ことに成功した。
 シナモンミルクを飲んでいる間も、何度、紙製の箱を眺めたことか。
 「ふふっ」と、「部屋で食べられるんだ」と、心の中では「幼いシロエ」が笑っていた。
 ただし、食堂に座っていたシロエは、まるで笑っていなかったけれど。
 あくまで冷静、いつもと少しも変わらない顔で、黙ってカップを傾けていただけ。
 もしも誰かが見ていたとしても、不審には思わなかったことだろう。
 テイクアウト専用の紙箱がトレイに載っているのも、気にしなかったに違いない。
 「彼ら」にとっては、テイクアウトは「見慣れた光景」、さして珍しくもない代物。
 注意を引くようなものではないから、それをシロエが持っていたって…。
(今夜は徹夜で機械弄りか、って…)
 勘違いをする程度だよね、とシロエは夜の個室でクスリと笑う。
 「生憎と、そうじゃないんだな」と。
 「誰も考えもしないことだよ」と、紙箱の中身を覗き込んで。
(…自分の故郷のことなんか…)
 此処では、誰も深く考えてみたりはしない。
 成人検査で記憶を手放し、機械に書き換えられた後では、誰もがマザー牧場の羊。
 故郷に思いを馳せはしないし、養父母を懐かしんだりもしない。
 彼らが食堂で、故郷の母の得意料理に出会ったとしても…。
(こういう料理を食べたっけ、って思うだけのことで…)
 母や故郷の家のことなど、しみじみ思って食べたりはしないことだろう。
 どんなテーブルで食べていたのか、両親と囲んでいた食卓を思い返すことさえ。
 けれど「シロエ」は、彼らとは違う。
 今も故郷を、両親のことを、忘れはすまいと努力している。
 機械がどんなに消しにかかろうとも、懸命に抵抗を続ける戦士。
(忘れさせるんなら、こっちは忘れないように…)
 残った記憶を守って戦い、手放さないように心を強くするだけ。
 機械の力に負けてしまえば、端から消されてしまうのだから。
(ぼくは今でも忘れないから…)
 忘れてないからブラウニーだって手に入るんだ、と菓子を紙箱から取り出した。
 この部屋に皿の類は無いから、手掴みで食べることにする。
 行儀なんかは気にしない。
 マザー・イライザが叱りに来ることも、この程度ならば無いだろうから。


(…そうだ、こういう味だったっけ…)
 懐かしいな、とブラウニーを一口齧って味わう。
 チョコレートの味がする、何処かケーキを思わせる菓子。
(でも、ケーキほどしっとりしてはいなくて…)
 焼き菓子に近い感じだっけ、と懐かしい。
 そう、この菓子が大好きだった。
 母が作ってくれる時には、大喜びで焼き上がるのを待っていたもの。
 「出来たわよ、シロエ」という声を聞いたら、何処にいたって走って行った。
 甘い香りがしているキッチン、焼き立てのブラウニーが待っている場所へ。
 熱いオーブンから出て来たばかりで、母が切り分けている所へと。
(大きな天板で、いっぺんに焼いて…)
 それを食べやすいサイズに切って、母は「シロエ」の皿に載せてくれた。
 「まだ熱いから、火傷しないでね」と微笑みながら。
 「冷ましたブラウニーも美味しいけれども、焼き立てもいいでしょ?」と言っていた母。
(…ママの顔は、もう思い出せなくなっちゃったけど…)
 あちこち焼け焦げた写真みたいに、欠け落ちてしまった母の顔の記憶。
 そうなってしまった今の「シロエ」でも、ブラウニーが詰まった天板のことは忘れていない。
 「大きな天板に一杯だったよ」と、「そこから切り分けるんだっけ」と。
(このブラウニーも、そうやって…)
 食堂の厨房で焼いたんだよね、と思いを巡らせ、ハタと気付いた。
 ブラウニーの記憶は、何処も欠けてはいないのだ、と。
 オーブンで焼くことも、天板一杯に焼いて切り分けることも、今も鮮明に覚えている。
 材料を混ぜていた母の後ろ姿も、ボウルなどが置かれたキッチンだって。
(…ブラウニーは、ぼくのママとか家のこととは…)
 密接に結び付いてはいなくて、母の得意な菓子だというだけ。
 更に言うなら「ありふれた菓子」で、知らない方が「おかしい」だろう。
 食堂にあったメニューにだって、注意書きの類は見当たらなかった。
 「エネルゲイアの名物です」とも、「アルテメシアの郷土料理です」とも。
(…誰でも知ってて当たり前のお菓子で、食べたことだってあるだろうから…)
 機械は「ブラウニー」にまつわる記憶を「消さなかった」に違いない。
 消す必要も無かっただろうし、消した方が後で困ったことになりそうだから。


(……だったら、これの作り方とかも……)
 何処でもきっと共通なんだ、と母の手順を知りたくなって、データベースを検索してみた。
 ブラウニーはどうやって作るものかと、詳しく思い出したくなって。
 母の顔は欠けてしまっていたって、手元は思い出せそうだから、と記憶の欠片を追い掛けて。
(絶好のチャンス…)
 これを手掛かりにしてやるんだ、と意気込んで挑んだシロエだけれども、突き当たった壁。
 意気揚々と検索した先に、ズラリと並んだブラウニーのレシピ。
 「オススメです」とか「簡単です」とか、ありとあらゆる短い言葉を纏った「それ」。
(…こんなにあるわけ?)
 これじゃ分からない、と頭を抱えて、次に思い付いたものは「材料」。
 その部分はどれも共通だろう、と考えてレシピを眺めていったのだけれど…。
(…バターを入れるか、マーガリンにするか…)
 材料からして違ってるんだ、と絶望的な気持ちになった。
 母のレシピがどれだったのかは、これではとても分かりはしない。
 天板一杯に焼いていたことも、捏ねていたことも、今も忘れていないのに。
 ボウルがあったキッチンだって、記憶に残っているというのに。
(……ママの手伝いをしていたら……)
 一緒にブラウニーを焼いていたなら、ぼくは覚えていたのかも、と悲しくなる。
 「シロエ、次はマーガリンを量ってくれる?」と言われて、量っていたら。
 あるいはバターだったのだろうか、それを量って、他の材料も加えていたら。
(ママと一緒に、捏ねて、天板に入れて、オーブンに…)
 入れて温度も調節していたら、鮮やかに思い出せたのだろうか。
 そして今でも此処で作れただろうか、小さなオーブンを自作して。
 機械弄りの合間の時間に、材料も食堂で調達して。
(…手伝って作っていればよかった…)
 どうして手伝わなかったんだろう、と悔しくて涙が頬を伝って落ちる。
 ブラウニーの記憶は、残ったろうに。
 母と作った懐かしい味を、自分で再現出来ただろうに、と…。



           ブラウニーの記憶・了


※機械が消す記憶と残しておく記憶、境目は紙一重かもね、と思った所から生まれたお話。
 以前、『ブラウニーの味』というのを書いていますが、それとは違うシロエになりました。







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