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(…キース・アニアン…。おかしな奴…)
 本当に、とてもおかしな奴だ、とシロエは首を傾げるしかない。
 このEー1077に来てからの月日は、さほど長いとは言えないけれど…。
(子供時代の記憶が、全く残っていないなんて話は…)
 ただの一度も、耳にしてはいない。
 確かに、子供時代の記憶は「あまり」定かではなく、おぼろではある。
 自分はそれで苦しんでいるし、成人検査を呪ってもいる。
 とはいえ、記憶は「皆無」ではない。
 両親や故郷の家の記憶は薄れたけれども、他の記憶は充分にある。
 学校のことや、クラスメイトや先生、そういった「今」に繋がることなら。
(…同級生だとか先生とかは、これから先も…)
 人生に関わってくるだろうから、機械は記憶を「消さずにおいた」。
 Eー1077には「同級生」が誰もいなくても、先はどうなるか分からない。
 何処かでバッタリ出くわした時に、覚えていたなら、プラスになることもあるだろう。
(…エリートにはなっていなくったって…)
 優秀な技師に育っているとか、研究者としては一流だとか。
 そういう人物の顔や名前を「知っている」のと、「知らない」のとでは…。
(大きく差がつく時だって、きっと…)
 人生の中では、出て来るだろう。
 自分が目指すのはメンバーズ・エリート、任務は多岐にわたっている。
 あちこちの星に出向いて行って、様々なことをせねばならない。
(戦うだけじゃなくて、指揮を執ったり、作戦だって…)
 立ててゆかねばならないのだから、当然、周りの協力が必須。
 同じメンバーズだけではなくて、基地の職員やら、技術者たちの力も要る。
(そういった時に、技術者の中に、エネルゲイアで一緒だった子が…)
 混じっていたなら、仕事は上手く進むだろう。
 エリートは敬遠されがちだけれど、知っている顔なら話は別。
 快く協力してくれる上に、あちらにもメリットがあるかもしれない。
 働きぶりが「シロエ」の目に留まったなら、引き抜かれて昇進出来るだとか。


 機械が「記憶を全て消さない」のは、機械なりの計算があってのこと。
 それぞれの子供の「先」を考慮し、大切なピースは「残しておく」。
 だから「全てを消しはしない」のに、キースには、それが無いという。
 本人から直接、聞いたわけではないけれど…。
(あれだけ噂になっているなら、間違いないよ)
 噂が「ただの噂」だったら、とうの昔に消えている。
 キース本人も、流石に否定するだろう。
 「それは違う」と、「ぼくにだって、親はいるんだから」と。
 いくらキースが冷血漢でも、それとは違った次元の話が「自分の過去」。
 誰でも通って来ている道だし、記憶も「持っている」のが当然。
 根も葉もありはしない噂が流れていたなら、キースなら、きっと、こう考える。
 「ぼくは全く気にしないけれど、皆の勉強の妨げになっているのでは」と。
 噂話に夢中になって、講義に遅れてしまう者やら、課題を忘れてしまう者たちもいそう。
 それでは駄目だし、エリート候補生としても好ましいとは、とても言えない。
(…サッサと噂話を鎮めて、「みんな、勉強するべきだ」って…)
 説教するのが、「キース」という人間には相応しい。
 なにしろエリート中のエリート、マザー・イライザの覚えもめでたい「キース」。
 彼が噂の中心になって、Eー1077の秩序を乱すことなど、あってはならない。
(キース自身もそう考えるし、イライザだって…)
 早く噂を終わらせなさい、とキースに指導するだろう。
 「この状態は良くありません」と、キース・アニアンをコールして。
 「あなたがこれを収められないなら、失点になってしまいますよ」と叱咤して。
(…そうなる筈なのに、そうはならなくて…)
 今も噂は流れているから、「キースには、過去の記憶が無い」のは明白な事実。
 なんとも奇妙な話だけれども、何故、そうなったのかが、大いに気になる。
 機械が「残しておくべき」記憶が、キースの中には「残されていない」。
 その原因は、何だったのか。
 成人検査で機械がミスを仕出かしたのか、それとも逆か。
 どちらの可能性もある。
 それを「やった」のは、機械だから。


(…ミスだとしたなら、機械の出力の問題で…)
 消さなくてもいい記憶までをも、消してしまう結果になったということ。
 キースには不幸な事故だけれども、事故は「いい方」に働いた。
 過去の記憶が「全く無い」から、キースは過去に左右されたりはしない。
 思い出話に花を咲かせたり、懐かしんだりする「過去」が残っていないのだから。
(誰かと一緒にいる時にしても、キースしかいない個室にいても…)
 余計な記憶に煩わされることが無いから、常に勉強に集中出来る。
 サムとスウェナという友人はいても、キースの交流の輪は、それ以上には広がらない。
 彼自身が「広げる必要は無い」と思っていたなら、広がる理由は全く無い。
 同郷の者が誰かいないか、探す必要さえ「無い」のだろう。
 覚えていない過去のことなど、追い求めるだけ無駄というもの。
 そんなことよりも「まずは勉強」で、トレーニングにも余念が無いのだと思う。
(結果的には、凄いメリットがあったってわけで…)
 キースの成人検査をやった機械は、イライザに褒められているかもしれない。
 「本来、ミスは認められませんが、今回に関しては例外です」と。
 「素晴らしい人材が出来ましたから」と、キースの能力を褒めちぎって。
(…何処の星だか知らないけどね…)
 まあ、その内に気が向いたなら調べてみよう、と思う程度の「キースの故郷」。
 知った所で得はしないし、噂話をしている中に入ってゆく気も、まるで無いから。
(いい仕事をしたとは言えるわけだよ、ミスにしたって)
 なんと言っても結果が「アレ」だ、と「キース」の優秀さは認めざるを得ない。
 過去を覚えていない分だけ、いい方向に転ぶのは分かる。
(ぼくだって、過去にこだわらなければ…)
 もっと勉強時間が増えるだろうし、そうなれば成績も今よりも上がる。
 どうしても「削ることが出来ない時間」を、丸ごと削ってしまえるから。
 記憶を繋ぎ留めようと足掻く努力も、全く必要無くなるから。
(…それを思うと、ミスじゃなくって…)
 わざとだった可能性も出て来るんだよ、とシロエは顎に手を当てる。
 「いったい、どっちだったんだろう」と、首を捻って。
 機械のミスか、「全て消す」という操作をしたのか、どちらなのだろう、と。


 今の時点では、どちらなのかは分からない。
 まだ情報が足りなすぎるし、噂だけで判断出来るものでもない。
(…どっちなんだろう…?)
 このまま噂が収まらないなら、調べてみるのも一興だろう。
 データベースを掘り返したなら、事故か否かは、簡単に分かるかもしれないから。
(…わざとじゃなくて、機械がミスした結果だったなら…)
 少しキースが羨ましいな、と、ふと思った。
 成人検査を受ける前までは、キースにも両親がいたのは確かで、家だって在った。
 キースの故郷は知らないけれども、其処で育って、学校に行って…。
(毎日、「ただいま」って自分の家に帰って、お母さんが作る料理を食べて…)
 母親の得意料理の他にも、お菓子だって食べていたのだろう。
 「シロエ」の母が得意だったお菓子は、ブラウニー。
 キースの母は、何を得意としていたろうか。
 パウンドケーキか、シュークリームか、あるいは「シロエ」の母と同じに…。
(…ブラウニーってことも、まるで無いとは言えなくて…)
 キースがそれを「覚えていた」なら、今のようにライバルになっていたかは怪しい。
 カフェテリアで出て来た「ブラウニー」が縁で、仲良くなっていたかもしれない。
 互いの母の思い出話を、それを食べながら話したりして。
 「あまり覚えていないというのが、残念なんだが…」と、キースも苦笑したりして。
(そうなっていたら、ぼくは友達が出来るけれども、キースの方は…)
 シロエとの競争に励む代わりに、シロエと「過ごして」勉強の時間を無駄にする。
 それでは成績は上がりはしないし、機械はガッカリするけれど…。
(普通は、そういうものなんだしね?)
 キースの場合が例外なんだ、と分かっているから、羨ましくなる。
 何も「覚えていない」キースが。
 懐かしむ過去を全く持っていなくて、前だけを見詰めてゆけるキースが。


(…キースが忘れてしまったことが、事故だというなら…)
 それと同じ事故が、自分の身にも起こっていたら、とピーターパンの本に目を遣った。
 自分は「あの本」を、このステーションまで持って来た。
 今も大切にしているけれども、「キースのような」事故に遭っていたなら、事情は変わる。
(成人検査が終わった後で、宇宙船の中で気が付いて…)
 膝の上を見たら「知らない本」が一冊、チョコンと乗っかっている。
 それがいったい何の本なのか、目覚めた「シロエ」には「分からない」。
(ピーターパンの本で、子供向けの本なんだ、って所までしか…)
 過去の記憶を失くした「シロエ」は、把握出来ないことだろう。
 どうして「その本」が此処にあるのか、膝の上に置いてあるのかさえも。
(…船に子供は乗っていないだろうし、きっと何かの間違いで…)
 自分の所にあるだけなのだ、と「シロエ」は思って、船員に本を届け出る。
 「誰かの忘れ物だと思うんですけど」と、「ぼくの本ではありませんから」と。
 そうやってピーターパンの本と別れて、Eー1077に着いたなら…。
(メンバーズになれるように、頑張らなくちゃ、って…)
 一念発起で、両親も故郷も思い出しもしないで、ただひたすらに勉強する。
 先に来ていた「キース」との仲は、どうなるのかは知らないけれど…。
(…思い出す過去が何も無いなら、パパもママも、どうでもいいわけで…)
 今よりも楽な毎日だよね、と思うけれども、慌てて首を横に振る。
 「それは嫌だよ」と。
 どんなに苦しい日々であろうと、自分は「覚えていたい」から。
 いくら「キース」が羨ましくても、心の底から「ああなりたい」と思いはしないのだから…。



           覚えていなければ・了


※キースには過去の記憶が無い、と聞いたシロエが考えるのは、そうなった原因。
 もしも事故なら、シロエにも起きた可能性があるのです。何も覚えていなかったなら…。
 







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(…ミュウか…)
 使いようではあるのだがな、とキースはマツカが消えた扉を見遣る。
 たった今、コーヒーを淹れて置いて行った側近の正体は、ミュウ。
 SD体制の不純物で忌むべき異分子、本来、生かしておいてはならない。
 けれど「マツカ」が側にいたから、自分は現在、この部屋にいる。
(…初の、軍人出身の元老…)
 そういう地位まで昇れた理由は、命を落とさなかったから。
 マツカが持っているミュウの能力、それが「キース」を救い続けた。
 数多の暗殺計画を退け、時には盾にもなっていた「マツカ」。
 これから先も、「彼」の助けを借りながら生きてゆくのだろう。
 他の元老には目障りな「キース」、それを消したい輩は幾らでもいる。
(寛げるのは、夜更けだけだな)
 流石に部屋に戻った後まで、命を狙われたことは無い。
 明日の朝、部屋を後にするまで、差し迫った危機は訪れはしない。
 マツカが誰かの不穏な思考を、この時間に察知していても…。
(わざわざ伝えに来なくていい、と…)
 言ってあるから、マツカは此処へは来ない。
 代わりに「不穏な思考」を追い掛け、誰のものかを確実に掴み、更に読み取る。
 思考の持ち主が「キース」に何をするのか、どういう罠を仕掛けるのかと。
(実に便利で、役に立つのがミュウというヤツだ)
 有効活用すればいいのに、と何度思ったことだろう。
 発見されたミュウを「処分する」より、「活用する」道は無いのだろうか、と。
 自分が「マツカ」を使う要領で、適切な対応を誤らなければ、彼らは便利な生き物と言える。
 様々な場面で役に立つ上、忠実な部下にも成り得る存在。
 彼らは「恩義を受けた相手」を、けして忘れはしないから。
 その相手から惨い仕打ちを受けても、本気で逆らい、殺すことなど無いのだから。


 今日という日まで、「そのように」マツカを使って来た。
 ソレイドで命を救った事実が、マツカに「キース」を「仕えるべき相手」と認識させた。
 キースが傷付くことがないよう、マツカは能力を使い続ける。
 疲労困憊している時でも、虚弱な身体が高熱を出している時でも。
(…使いようだと思うのだがな…)
 それとも「キース」にしか「使いこなせない」ほど、彼らの扱いは難しいのか。
 何と言っても「キース」は普通ではなくて、ミュウとは違う意味で「特殊な存在」。
 人類を導くために作られ、育て上げられた「機械の申し子」。
 生まれながらに優秀なのだし、「キース」には容易いことであっても…。
(他の者には、ミュウを使うのは不可能なのか?)
 そういうことなら、「活用」ではなくて「処分」になるのも仕方がない。
 どれほど便利な生き物だろうが、使いこなせなければ猛獣と同じ。
 いつ牙を剥いて主人を殺すか、それこそ分からないのだから。
(……猛獣か……)
 まさにそうだ、という気がする。
 ミュウの能力は様々だけども、マツカを長年、見ていれば分かる。
 外見だけでは判断出来ない、彼らが秘めている力。
 たとえサイオンが弱かろうとも、追い詰められれば、凄まじい力を発揮するだろう。
 実験室で「日々、殺されている」ミュウは、まだまだ未熟なミュウだからこそ。
 彼らが自由を手にした時には、その能力はいくらでも伸びる。
(タイプ・ブルーには及ばなくても…)
 そこそこの力を手に出来る筈で、だからこそ「役に立つ」と思った。
 彼らを便利に使いこなせば、人類の方にも充分なメリットがあるだろうに、と。


 とはいえ、「キース」にしか「使えない」なら、生かしておいても危険なだけ。
 「全て処分する」という、グランド・マザーの意見は正しい。
(…そうは思うが、なんとも惜しいな…)
 ミュウを有効に使えれば…、と考えていて、ハタと気付いた。
 「彼ら」が便利で役に立つなら、何故、「キース」には…。
(…ミュウの能力が備わってはいないのだ?)
 持たせておけばいいではないか、と顎に手を当て、首を傾げる。
 もしも「キース」に「マツカのような力」があったら、全ては変わって来るだろう。
 マツカを側近に据えていなくても、自分の力で危機を見抜いて切り抜けられる。
 暗殺計画は端から潰して、突発的なテロとも言える襲撃だって…。
(マツカが弾を受け止めるように、私がこの手で…)
 撃ち殺される前に弾を握って、止めてしまえば問題は無い。
 不意に爆弾を投げ付けられても、自分自身でシールドも張れる。
(それらを全て、サイオンのせいとは気付かせないで…)
 誰にも「ミュウ」だと知られないよう、隠して生きるのは難しくない。
 現に「マツカ」は、グランド・マザーにさえ見抜かれはせずに「生きている」。
 「キース」の場合は、SD体制の頂点に立つ「グランド・マザー」が作らせたのだし…。
(マザー自身が、今の私が「マツカ」を隠しているように…)
 真の能力に誰も「気が付かない」よう、仕向けることは簡単だろう。
 仮に気付いた者がいたなら、記憶操作か、抹殺するか。
 そうすれば「誰にも」知られることなく、「キース」はミュウの能力を持って…。
(あらゆる危難を全て退け、他の者たちの心を読み取り、今の私よりも…)
 優れた者になっていたろう、と容易に想像がつく。
 更に言うなら、ミュウは「寿命が長い」生き物。
 「キース」の寿命は、せいぜい持って百年だけども、彼らは「違う」。
 ソルジャー・ブルーの例がある通り、ミュウの因子さえあれば「キース」も…。
(…三百年は生きて、指導者として…)
 人類を導いてゆけるわけだし、その方が「遥かにいい」と思える。
 「人類のふりをしている」以上は、表立っては出られなくても、導く方法は幾らでもある。
 忠実な腹心の部下を選んで、傀儡として据えて、操るだとか。


(私が、ミュウでさえあれば…)
 優に三百年の間は、人類を指導出来た筈だし、後継者をも立派に育て上げられただろう。
 傀儡として選んだ部下であっても、教育次第で「キース」の後継者にすることは可能。
 それに「キース」が、人類を治め続ける間に…。
(…私の後を継ぐ能力を持った「誰か」を…)
 またしても「無から」作り出すことも、長い時間さえあったら出来る。
 処分されたEー1077の代わりに、新たな実験場を設けて。
 マザー・イライザとは違う機械に、次の時代を担う「誰か」を作り上げるよう命令して。
(…そうしておけば、ミュウどもが暴れ続けていても…)
 人類はなんとか「やってゆける」だろうと思うし、聖地たる地球も持ち堪えられる。
 ミュウどもの手に落ちることなく、人類の支配下に置き続けて。
(…良いことずくめだとしか思えないのだが…)
 実際、そうだと思うのだが、とキースは首を捻るしかない。
 「それなのに、何故」と、解せない「現実」。
 ミュウの因子を組み込んでおけば、今よりも「優れたキース」を作れた。
 因子を作るのが「不可能だった」とは思えない。
 仮に「不可能だった」としたって、それならば「持ってくればいい」。
 「全くの無から作り出す」ことにこだわり続けず、ミュウの因子だけを何処かから…。
(持って来て、組み込めばいいだけのことで…)
 機械に「こだわり」などは無いから、結果さえ出せれば「それで充分」。
 自分が作った因子でなくとも、「キース」に組み込み、発現させることが出来たなら。
(…しかし、マザーは…)
 その道を選びはしなかった。
 それは何故だ、と疑問が湧き上がって来る。
 「どうして、私を人類にした」と、「何故、ミュウの因子を組み込まなかったのだ」と。
 考えるほどに、「そちらの方が」上策なのに。
 キースが「ミュウだ」という真実さえ隠しておいたら、最高の指導者が出来上がるのに。


 どうしてなのだ、と自分自身に問い掛けてみても分からない。
 「ミュウは虚弱だ」という定説にしても、ジョミー・マーキス・シンという「例外」がある。
 彼のようなミュウが存在するなら、もちろん「作れる」ことだろう。
 今の「キース」と全く同じに、健康な肉体を持っている「ミュウのキース」を。
 メンバーズの厳しい訓練に耐えて、軍人としてやってゆける「キース」を。
(…それなのに、そうしなかったのは…)
 まさか…、と恐ろしい考えが過っていった。
 「作れる筈」の「ミュウのキース」を、機械が「作らなかった」理由があるのでは、と。
 それが何かは謎だけれども、恐らくは「禁忌」。
 ミュウの因子を「触ってはならず」、それを「操作する」ことも出来ない。
 機械には「その権限」が無くて、それゆえに「作れはしなかった」。
 「キース」にミュウの因子さえあれば、優秀になると分かっていても。
 ミュウの因子を作り出すためのノウハウ、それをマザー・イライザが持ってはいても。
(…そうだとしたなら…)
 グランド・マザーが何と言おうとも、ミュウは「進化の必然」だろう。
 人類よりも「進化した」種で、次の時代を託された者。
 彼らが「そういう位置付け」だったら、「キース」に因子を組み込みたくても…。
(出来はしないし、してもならない…)
 グランド・マザーには、そうする権限が無い、と考えれば全てに納得がゆく。
「あれば役立つ」筈の力を、「キース」は持っていないこと。
 ミュウの因子を持っていたなら、「より優秀なキース」になることも。
(…つまり、ミュウどもの方が遥かに…)
 人類よりも優れているから、「世界が彼らのものになるよう」、ミュウの因子は弄れない。
 いつか、その日が「やって来る」のを、機械に止めることは出来ない。
 「生まれて来たミュウ」は抹殺出来ても、根源を断ち切ることだけは…。
(…けして出来ない、というわけか…)
 そして「私」は、それが出来ない象徴なのか、と自嘲の笑みを浮かべてコーヒーを呷る。
 「私は古い人間なのか」と、「新しい種族にしてはならないモノだったのか」と…。



            持たない因子・了


※キースにミュウの因子があったら、より優秀な人材になった筈だ、と思ったわけで。
 そのことにキースが気付いたとしたら、どうなるだろう、というお話。少し可哀相かも…。







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(……結婚ねえ……)
 このステーションにもあるだなんてね、とシロエは机に頬杖をつく。
 授業は終わって、とうに夜更けになっている。
 もっとも、このEー1077には、人工の夜しか無いのだけれど。
 とはいえ夜は落ち着く時間で、他の候補生たちを気にしないで済む。
 自分の個室に引っ込んでいれば、誰も思考を邪魔しに来ない。
(…邪魔っけで、うんと目障りだった、キースの衛星…)
 忌々しいライバル、キース・アニアン。
 彼の周りをいつも回っていた二つの衛星、その片方が、今日、消えていった。
 「結婚」という、信じられない選択をして。
 エリートを育てる最高学府の、Eー1077を捨ててしまって。
(…一般人の道へ行くなんて…)
 どう考えても「有り得ない」けれど、スウェナは「それ」を選んで去った。
 エリート候補生には相応しくない、冴えない職の男と共に。
 Eー1077を離れたら最後、もうメンバーズ・エリートにはなれないのに。
(いなくなったことは、嬉しいんだけどね…)
 とても目障りだったから、と「スウェナが消えた」ことは喜ばしい。
 もう一つの衛星、サム・ヒューストンが残ってはいても、衛星が二つあるよりは…。
(一つの方が、遥かにマシさ)
 苛立たされる回数が半分になる、と精神衛生上の利点を挙げる。
 スウェナ・ダールトンが「消えた」からには、キースを庇う者だって減る。
 面と向かって「シロエ」を詰っていたのが彼女で、まさにキースの衛星そのもの。
 その点はサムも同じだけれども、スウェナと二人で「かかって来る」ことは二度と出来ない。
 二人を一度に相手にするより、一人の方が楽に決まっている。
 どんな言いがかりをつけられようとも、サムだけならば、適当に…。
(あしらえばいいし、無視をしたって…)
 もう片方の「衛星」が騒ぐことも無いから、いいだろう。
 此処での暮らしは、これで幾らか「改善される」に違いない。
 目障りなものが一つ消えたら、その分、神経が逆立つことも減るだろうから。


 手放しで喜び、祝福したいほどの「スウェナの結婚」。
 エリートらしからぬ彼女の選択、それが招いた有難い「結果」。
 その筈なのに、何故か心に引っ掛かる。
 此処では「考えられない」ことが起こって、彼女が「消えた」せいなのだろうか。
(…結婚なんか…)
 エリート候補生が進む先には、けして無い筈の生き方と言える。
 誰もが目指す「メンバーズ・エリート」、それは「独身」が条件になる。
 結婚という道を選んだ時点で失格となって、メンバーズの職を辞すしか無い。
(そんな馬鹿な奴がいたなんて…)
 一度も聞いたことが無いから、「そうした」者はいないのだろう。
 「メンバーズを目指す」と決めたからには、余計なことは「考えない」のが正しい道。
 結婚したくなるような要素や切っ掛け、それらの全てに背を向けて生きる。
 「彼氏」や「彼女」なんかを作りはしないで、ただ勉強に打ち込んで。
(それが出来ないような奴では…)
 到底、メンバーズになれはしないし、落ちこぼれるだけ。
 そういう輩も「多い」けれども、このステーションに「いる」間は…。
(誰かと親しく付き合っている、というだけで…)
 結婚を選んで、Eー1077を離れたりはしない。
 なんと言っても「最高学府」で、卒業すれば「それなりの」評価が得られる。
 卒業後の道が何であろうと、他のステーション出身の者よりも良い職に就ける筈。
(そうなった後も、まだ付き合いが続いていたら…)
 彼らは「結婚する」のだろうか。
 良い職業を失うことなく、そのままで。
 追加で「一般人のためのコース」を履修し、養父母となる道へ進んで。
 何処かの星で「子供」を育てて、一緒に仲良く年を重ねて。
(…ぼくのパパとママも…)
 もしかしたら、それに似ていたのかも、とハタと気付いた。
 父が卒業したステーションの名は、聞いたことなど無いけれど…。
(研究所では、うんと偉かったんだし…)
 一種の「エリート」には違いないから、一般人向けのコース出身ではないかもしれない。
 メンバーズと違って「独身が条件」ではなかっただけで、エリートかも、と。


 「優秀な技術者」を養成するためにある、教育ステーション。
 父はそういう場所で学んで、その間に「母と出会った」可能性はある。
(四年間も勉強するんだものね…)
 様々な人間と出会うのだろうし、知り合う機会は幾らでもあったことだろう。
 授業もあれば、学生向けのカフェテリアもあるし、公園などの休憩場所も沢山。
 そういった場所で「偶然」出会って、気が合ったから、互いの連絡先を知らせて…。
(また会って、いろんな話とかをして…)
 別れる時に「次」の約束、何日か経てば「また会って」話す。
(…そうやって何度も会って、話して…)
 ステーションを卒業する頃になったら、二人で決めていたのだろうか。
 「卒業したら、結婚しよう」と。
 二人一緒に、一般人向けのステーションへ行って、「一から勉強し直そう」と。
(そうじゃない、って言い切れる…?)
 むしろ、そっちの可能性の方が高いんじゃあ…、と思えてくる。
 父は、あまりにも「優秀」だった。
 Eー1077に来てから調べてみても、「セキ博士」の名は見付けられる。
 その分野での権威の一人で、所属している研究機関のトップでもある。
(…一般人向けのコースなんかで…)
 それほどの高い技術や知識を、習得出来るとは「とても思えない」。
 現に、今ではおぼろになった記憶の中でも、エネルゲイアという場所は…。
(技術者を育てるための育英都市で…)
 友人たちの父親の職も、技術者が飛び抜けて多かった。
 他の職業だと、ごくありふれた会社員とか、様々な施設で働く者とか。
(…ぼくのパパみたいに、凄い人って…)
 いなかったよね、と思い返して、「やっぱり、そうかも」と顎に手を当てる。
 「パパはエリートだったのかも」と、「ママとは、たまたま出会っただけで」と。
 母が「父と同じステーション」にいたのだったら、父の優秀さも頷ける。
 本来なら「一般コースには行かない」技術系のエリート、母も「その卵たち」の中の一人。
 父と出会って恋をしたから、「今日消えた、スウェナ」がそうしたように…。
(…技術系のエリートになって、研究者の道を進む代わりに…)
 父に合わせて選んだ道が「母親になる」道で、それしか選べなかったのかも、と。


(…育英都市で暮らす、養父母の場合は…)
 女性の方は、職業に就くことは無い。
 家で「子供を育てる」のが役目で、職に就いてはいられない。
(…ぼくのママも、母親をやらなきゃいけないから…)
 父と出会ったステーションで「学んだ」知識や技術を捨てて、母親をやっていたろうか。
 ブラウニーを作ってくれていた手は、他の技術を「本当は」持っていたのだろうか。
(…そうだった、って考えた方が…)
 あるいは「自然」なのかもしれない。
 一般人向けのコースで学び直したのなら、元々の技術は「忘れなさい」と教えられるだろう。
 「それ」は子育てには不要なのだし、忘れて封印するのが一番。
 代わりに料理や家事を学んで、そちらのエキスパートになるべき。
 最初から一般人向けのコースで育った女性に、引けを取ることが無いように。
 将来、子供を育てる時には、「最高の母親」になれるよう。
(…ママはそうやって、ぼくのママになって…)
 父も「一般人向けのコース」の知識を、元の知識や技術の上に、重ねて乗せて…。
(ぼくのパパをやっていたのかな…?)
 そうだとしたら、優秀なのも分かるんだよね、と頷かざるを得ない。
 「そっちの方が有り得るんだよ」と、「最初から、一般人向けのコースよりかは」と。
(…でも、パパもママも…)
 そんなそぶりは、ただの一度も「見せてはいない」。
 成人検査で記憶を奪われてはいても、そのくらいのことは「覚えている」。
 父も母も「理想の両親」だったし、今でも忘れられない存在。
 温かくて優しかった二人も、涙が出るほど懐かしい家も、どちらも確かに「本物だった」。
 元々は「違うステーションで育った二人」だったとは、まるで全く思えはしない。
 また、そうでなければ「一般人向けのコース」で学んだ意味は無いだろう。
 育てている子に「何処か変だよ」と、違和感を持たれる養父母では。
 「ぼくのパパとママって、何か違うよ」と、友人の両親たちと比較されてしまうようでは。
(……ぼくのパパとママだって、ひょっとしたら……)
 スウェナと良く似た道を選んで学んで、「シロエ」の親になっただろうか。
 母には「他の技術と知識があった」のに、それらを捨てて「家事」を選んで。


 そうなのかも、と考える内に、ふと浮かんで来た「可能性」。
 両親も歩んで来た道ならば、スウェナが選んで去って行った道へ…。
(…ぼくだって、絶対、進まないとは…)
 言えないのかも、と視線をピーターパンの本へと移す。
 本の表紙に描かれている、夜空を駆ける子供たち。
 いつか「子供が子供でいられる世界」を取り戻そうと、懸命に努力しているけれど…。
(運命の相手ってヤツに、出会っちゃったら…)
 今の気持ちや固い決意は、太陽に晒された氷のように、儚く溶けてしまうのだろうか。
 それこそ、ほんの一瞬の内に。
 「この人と、ずっと話していたいな」と思う相手に、何処かで出会ってしまったら。
(…Eー1077では、出会わなくても…)
 メンバーズに選ばれて進んだ先で、出会わないとは言い切れない。
 任務で出掛けた星で出会うとか、所属先の基地に勤務している女性と知り合うだとか。
(そうなった時は、この本のことも忘れてしまって、夢中になって…)
 相手の女性と何度も何度も会って話して、やがて結婚を選ぶのかもしれない。
 メンバーズを辞した「最初の人間」になってしまって、一般人向けのコースに行って。
 相手の女性と二人で一から学び直して、何処かの星で養父母になって。
(…ピーターパンの本は、とっくに失くして…)
 手元に無いかもしれないけれども、今度は「自分で」買って、育てている子に贈るとか。
(そして、その子が気に入ってくれたら…)
 故郷の父がそう言ったように、「パパも子供の頃に読んだ」と、自分も笑顔で話すだろうか。
 「この本はね…」と、成人検査に持って出掛けたことなどを。
 SD体制のシステムに染まって馴染んで、「パパは悪い子だったかもな」と苦笑して。
(……うーん……)
 それもいいかな、という気もする。
 恐らく、今夜だけだろうけれど。
 「スウェナの結婚」に毒気を抜かれて、「シロエ」らしさが減ってしまって、そう思うだけ。
 きっと明日には、元の通りの「シロエ」が笑っていることだろう。
 「キースの衛星が一つ消えたよ」と、「有難いよね」と…。




             消えた衛星・了


※「シロエだって、恋をしたなら変わるんじゃあ?」と思った所から生まれたお話。
 キースを育てるために選ばれた時点で、そうなるわけがないんですけど、可能性について。







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(…何故、マツカが…)
 マツカが何故、とキースの思考は、普段の冷静さを欠いていた。
 さっき目にした、国家騎士団の制服よりも鮮やかだった赤。
 マツカの身体から、いや、「左半分しか無い」マツカから溢れて、流れ出ていた血液。
 そう、「血」と呼ぶには、あまりにも生々しく、「血液」という言葉が相応しい。
 マツカが失くした右半身に入っていた血が、そのまま床に広がったよう。
 袋に入った輸血用の血液、それを叩き付けて破ったかのように、あったのは赤い液体だけ。
 其処にあった筈のマツカの「右半身」は、何処にも影も形も無かった。
 木端微塵に砕け散ったか、あるいは蒸発してしまったのか。
(…マツカ、どうして…)
 何故、こうなってしまったのだ、と頭の中が一向に纏まって来ない。
 マツカの「死体」を目にした直後は、まだ幾らかは「キースらしさ」があったのに。
 感情など無い機械の申し子、冷徹無比な破壊兵器の異名通りに振舞えたのに。
(……後始末を、と……)
 言い捨てて「あの部屋」を後にするまでは、いつもの「キース」だったと思う。
 「アニアン閣下なら、こうするだろう」と、誰もが考えている通りの「キース」。
 なのに、この様はどうだろう。
 マツカが流した赤い液体、彼の「命」を構成していた「赤」が未だに渦巻いている。
 頭に、心に、それに目の前に、あの赤い色が焼き付いたまま。
(…私らしくもない…)
 本当に、自分らしくもない、と叱咤してみても、禍々しい赤は消えてくれない。
 マツカの身体という器を失い、行き場を失くして流れ出た血が。
 もう血管の中を巡っていなくて、ただの「血液」と化していた「もの」が。
(…あの死に様のせいなのか…?)
 それとも「マツカ」が「キース」よりも先に、「逝ってしまった」ことが衝撃だったか。
 どちらなのか、それさえも判断出来ない。
 見えるのは、赤い色だけで。
 その「赤」を流した「マツカ」の骸が、赤を引き立てているだけで。


 Eー1077に在った「水槽」、其処を出てから、今日までの長い歳月。
 幾多の戦場を経験して来て、修羅場を何度もくぐり抜けて来た。
 「マツカ」との間にも、色々とあった。
(…しかし、今日までの人生で…)
 此処まで冷静さを失ったことは、ただの一度も無かった気がする。
 「シロエ」をこの手で葬った時には、涙が止まらなかったけれども…。
(…だが、これほどには…)
 混乱してはいなかった、と自分でも不思議で堪らない。
 自分が「年を取った」せいなのか、「マツカ」の存在が「大き過ぎた」か。
(多分、マツカと…)
 共に過ごした年月が長過ぎたせいだろうな、と纏まらない頭で結論を出す。
 「きっと、そうだ」と、「ただ、それだけのことなのだ」と。
(しっかりしろ、キース…)
 呆然としている暇などは無い、と自分自身を叱り付ける。
 「マツカが死んでしまった」原因、それは「暗殺者が潜り込んで来た」こと。
 オレンジ色の髪と瞳の青年、あのミュウが「キース」の暗殺を企てなかったら…。
(私が命を落としかけることも、マツカが命を失うことも…)
 無かったのだし、部下に命じて、警備体制を見直すべきだろう。
 今のキースは「国家主席」で、代わりになれる人材は無い。
 もしも「キース」が死んでしまえば、人類も地球も、指導者を失うことになる。
 そんなことなど「あってはならない」。
 けして「起きてはならない」事態なのだし、繰り返さぬよう、対処しなければ。
(それを命じて、皆を指揮して…)
 ミュウの艦隊と対峙してゆくためにも、「冷静さ」を取り戻さなければならない。
 いつまでも「赤」だけを見てはいないで。
 マツカが流した赤い血の色も、半身だけになってしまった骸も、頭から放り出して。
(……そうだな……)
 私はそうすべきなのだ、と「先刻までとは違った自室」に、部下の一人を呼び付けた。
 直属の者は「マツカ」の始末に忙しいから、「誰でもいい」と。
 呼ばれて現れた下級士官に、「コーヒーを」と命令する。
 淹れて「この部屋」に持って来るよう、如何にも「キースらしい」口調で。


 下級士官の顔を見たからか、「いつものキース」を演じたからか。
 少し「冷静さ」が戻った気がして、息を大きく一つ吐き出す。
 「コーヒーを飲めば、落ち着くだろう」と。
 さっきの部下が持って来たなら、その一杯をゆっくりと飲んで、持ち場に戻る。
 何食わぬ顔で、「国家主席」として。
 もう「後始末」が済んでいるようなら、直属の部下を全て揃えて…。
(警備体制の見直しと、今回の失態を招いた原因の究明と…)
 他にもさせるべきことがある筈だ、と指で机をトントンと叩く。
 今は、まだ「赤」が渦巻いているから、「それが消えたら考えよう」と。
 熱いコーヒーを口にしたなら、きっと思考も纏まってくれる。
(私は、いつもコーヒーだしな)
 ずっと昔からそうだった、と候補生時代にまで遡っていたら、下級士官がやって来た。
「閣下、コーヒーをお持ちしました」
 緊張している彼に向かって「ああ、其処に置け」と告げ、「下がっていい」と下がらせる。
 彼が扉の向こうに消えてから、コーヒーのカップを手に取った。
 いつも、そうしているように。
 何も考えたりはしないで、自然に、流れるような動きで。
(…ああ…)
 ホッとするな、とコーヒーの香りを楽しみ、カップに口をつけたけれども…。
(……この味は……)
 違う、と舌が、心が叫んだ。
 「欲しかったのは、これではない」と。
 確かに「コーヒー」なのだけれども、明らかに違う。
 カップの中身は「ただのコーヒー」、何度も、あちこちで「飲んで来た」もの。
 会議の席やら、出張先やら、他の者たちと同席している時に。
(…そうした時には…)
 コーヒーを淹れて持って来るのは、其処で働いている者たち。
 さっきの下級士官と同じで、「コーヒーを淹れるように」と命じられただけ。
 彼ら、彼女らの役目の一つには違いなくても、それだけのこと。
 ただ「コーヒーを淹れる」というだけ、それ以上の意味を持ってはいない。
 要は淹れればいいだけのことで、「コーヒー」が出来れば、運んで、終わり。


(…私が飲んで来たコーヒーには…)
 そうか、二種類あったのだな、と今更のように気付かされた。
 「様々な所で出て来る」ものと、「マツカが淹れて、持って来る」もの。
 前者は、まさに「今、此処にある」味のコーヒー。
 取り立てて「こう」という特徴も無くて、特に「美味しい」とも思わない。
 けれど、マツカが淹れて来るものは違った。
 絶妙なタイミングで差し出されるからか、コーヒーを淹れるのが上手かったのか。
(…コーヒーを淹れることしか出来ない、能無し野郎、と…)
 直属の部下たちが「マツカ」を揶揄して詰っていたから、いい腕を持っていたのだろうか。
 「後始末を」と命じられた彼らも、マツカが淹れたコーヒーの味を知っているだろう。
 同じ部下同士で、しかも「マツカ」は彼らよりも格が下になる。
 マツカを見下していた連中なのだし、休憩時間に「淹れて来い」と何度も言ったろう。
 「お前は、それしか出来ないからな」と、「早くしろよ」と。
(…そうした挙句に、マツカのコーヒーは美味い、と知って…)
 やっかみや妬みも混じった渾名を、「マツカ」に付けたに違いない。
 「コーヒーを淹れることしか出来ない、能無し野郎」と。
 コーヒーを淹れる腕がいいというだけで、側近に取り立てられているなんて、と。
(…そういうわけではなかったのだが…)
 だが、本当に美味かったんだ、とカップの中身をじっと見詰める。
 「この味ではない」と、「これでは癒されない」と。
 マツカが淹れてくれたものとは、まるで違った味わいの「それ」。
 コーヒーには違いないのだけれども、飲みたかったコーヒーは「これ」とは違う。
 こんな時こそ、飲みたいのに。
 波立ち、渦巻き続ける感情、欠いてしまった「冷静さ」。
 千々に乱れてしまったままの心を落ち着け、いつもの「キース」に戻るためには…。
(…あの味でないと、駄目なのだがな…)
 そう思っても、もう、あの味は「味わえない」。
 淹れてくれる「マツカ」は、もはや何処にもいないから。
 「コーヒーを」と頼みたくても、死んでしまった「マツカ」に頼むことは出来ない。
 どれほど「あの味」を求めようとも、「あのコーヒー」は二度と戻って来ない。


(…マツカを失くして、あの赤が頭から消えなくて…)
 それを消し去り、早く癒されるための手段も、どうやら「キース」は失くしたらしい。
 ジルベスター・セブン以来の側近だった「マツカ」と一緒に、失くしてしまった。
 失くしたばかりか、これから先は…。
(コーヒーを口にする度に…)
 違和感を覚え、マツカの面影が胸を過るのだろうか。
 「二度と飲むことは出来ない」コーヒー、幻となってしまった味が懐かしくて。
 あれこそが「本物のコーヒーだった」と、「まるで違う味」のコーヒーに顔を顰めながら。
(私の人生の残りというのが、どれだけあるかは分からないが…)
 不味いコーヒーを飲まされ続けて、この生涯を終えるのか、と溜息が零れ落ちてゆく。
 これから先は、もう「コーヒー」では、心が癒えはしないから。
 激務に疲れ果てた時でも、「寛ぎの一杯」は出て来ないから。
 「マツカ」と一緒に失ったものは、「安らぎ」というものだったろう。
 こうなってしまって初めて気付いて、喪失感に苛まれる。
「何故、早く気付かなかったのか」と。
 キースの「人生」の中で「マツカ」が占める部分は、なんと大きいものだったか、と…。




            失ったもの・了


※「マツカが淹れるコーヒーは美味しい」というのが、アニテラの設定ですけれど。
 だったら、マツカがいなくなった後のキースは、美味しいコーヒーは無しかも、というお話。







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(……ああ……)
 もう持たないな、とブルーはベッドの上で思った。
 追われるようにアルテメシアを後にしてから、今日で何日経っただろうか。
 とうに寿命を迎えた身体は、ジョミーの強い願いのお蔭で、奇跡的に永らえて来た。
 けれど日に日に、眠っている時間が長くなりつつある。
 その傾向は以前からあったけれども、宇宙に出てから顕著になった。
 限界の時が近付いていて、ついに「その日」を迎えた気がする。
(…なのに、何故だか…)
 死ぬという感じが全くしない。
 この状態で起きていられなくなれば、普通は死んでしまうのだろうに。
(眠れば、死んでしまうから…)
 いつも懸命に意識を保って、気を失うまで耐え続けていた。
 もっとも、今のことではなくて、遥か昔に、実験体だった頃のこと。
 「眠っては駄目だ」と歯を食い縛って、限界まで起きて、また目覚めた。
 そうやって目を覚ました後には、次の実験という地獄が待っていたのだけれど。
(…それでも生きて、生き延びるんだ、と…)
 自分自身を励まし続けた遠い昔が、まざまざと脳裏に蘇って来る。
 けれども、今は「違う」と身体が訴えていた。
 今の眠気は「それとは違う」と、眠っても死にはしないのだ、と。
(ならば、何故…?)
 どうして眠りそうなのだろう、とブルーは心の奥底を探る。
 其処に沈んだ青いサイオン、そのサイオンは「尽きてはいない」。
 充分あるとは言えないものの、まだ人類と一戦交えられる程度の力は残っていた。
 もう一度「ジョミーを追い掛け、連れ戻したとしても」、余力は幾らかあるだろう。
(…それなのに、ぼくは…)
 どうして眠ってしまうのか、と自身に問うて、ハタと気付いた。
 「これは予知だ」と。
 予知の力は、フィシスに与えてしまったけれども、欠片が残っていたらしい。
 それが「眠れ」と、意識に働きかけて来る。
 「今は眠って、その時を待て」と。
 いつか「ブルー」が必要とされる時まで、眠って「力を残しておけ」と。


 そういうことか、と納得したら、「眠ってもいい」と思えて来た。
 ジョミーの今後が気に掛かっていて、今日まで気力を振り絞って起きて来たのだけれど…。
(…ぼくの力が、いつか必要になるのなら…)
 その局面が訪れるまでは、ジョミーに任せていいだろう。
 仲間たちを乗せた箱舟、このシャングリラも、ミュウという種族の未来のことも。
 ジョミーなら上手くやれるだろうし、そうでなければ「この先」は無い。
 ブルー亡き後、ジョミーが一人で立てないようでは、ミュウが生き残ることは出来ない。
(…ジョミー…。君なら、出来る)
 ぼくが眠ってしまっても、きっと立派にやってゆける、と思うからこそ、言うべきではない。
 今度眠ったら、「時が来るまで」起きないだろう、ということを彼に告げてはならない。
 いつも通りに「ぼくは眠るよ」と、微笑んで「それで終わり」にすべき。
 次に目覚める時が来たなら、もうジョミーとは…。
(言葉も交わせず、会うこともなくて…)
 それきりになるかもしれないけれども、そうなったとしても後悔は無い。
 眠って、次に起きた時には、戦いが待っているだろうから。
 ミュウの未来を、このシャングリラを守り抜くために、戦い、そして散ってゆく。
 残されたサイオンを全て使って、やって来た敵と刺し違えてでも滅ぼして。
(……それでいい……)
 時が来るまで、ぼくは眠ろう、と自分自身に言い聞かせる。
 ジョミーには何も言わずにおこうと、そうすることが最善なのだ、と。


 その夜、ブルーは、青の間を訪ねて来たジョミーから一日の報告を受けて、幾つか助言をした。
 普段と変わらない時を過ごして、「ぼくは眠るよ。また明日」とジョミーを送り出した後…。
(…ジョミー。ぼくが起きなくなってしまっても、君は自分で道を見付けて…)
 仲間たちを導き、歩いてゆくんだ、と若きソルジャーに未来を託す。
 言葉にも思念にもしなかったけれど、心の中で強く思って、ジョミーの未来に幸多かれ、と。
(……ぼくは眠るよ、長く、長く……)
 どのくらい長い眠りになるのか、それは自分でも分からない。
 時期が読めるほどの予知能力は残っていなくて、いつ目覚めるのか分かりもしない。
 ただ、僅かに残された予知の力に、祈るように暗示をかけてゆく。
 「その時が来たら、ぼくを必ず起こすんだ」と。
 「ぼくが死ぬべき時に起こせ」と、「そのためにだけ、ぼくは眠る」と。
(……そう、これで……)
 これでいいんだ、とブルーの意識は眠りの底へ落ちてゆく。
 時が来るまで目覚めない眠り、死が待つだけの「目覚めの時」まで眠り続ける深い闇へと。


 そうして、どれほどの時が流れて、何があったのか、ブルーは知らない。
 けれどサイオンは「命じられた通りに」、ブルーを起こした。
(…私を目覚めさせる者。…お前は、誰だ)
 誰だ、とブルーは眠りの淵から浮かび上がって、自分を起こした「誰か」の姿を探し始める。
 サイオンは完全に目覚めてはおらず、その正体は掴めないけれど、強大な「敵」。
(……ぼくが戦い、倒すべき相手……)
 それが来たか、と戦士としての自覚が身体を動かしてゆく。
 起き上がることも辛いけれども、「戦わねば」と。
 この命を捨てるべき時がやって来たから、サイオンはブルーに知らせて、「起こした」。
 ならば「相手」が何であろうと…。
(…戦って、そして倒さなければ…)
 仲間たちの、ミュウの未来のために、とベッドから降りて歩き始める。
 よろめき、肩で息をしながら。
 ブルーを起こした「誰か」がいる場所、其処を目指して。
 そう、なんとしてでも戦わなければ。
(…そのためにだけ、ぼくは眠って、眠り続けて…)
 今日まで眠っていたのだから、とブルーは「敵」を探し出すために長い通路を歩いてゆく。
 自らの死へと向かう旅路を、ただ一人きりで、踏み締めるように。


(待っているがいい、ぼくを起こした者よ)
 ぼくは必ず、お前を倒す。
 命を捨てて倒しにゆくから、覚悟して待っているがいい。
 けして、お前を逃がしはしない。
 そのためだけに「待ち続けた」ぼくから、お前が逃れることは出来ない。
 お前は何も知らないだろうが、「ぼくの目覚めには、必然がある」。
 ぼくを眠りから起こした者には、死と滅びだけが待っているのだから…。



           必然の目覚め・了


※ブルー追悼、「まだ書くのか」と言われそうですけど、今年はアニテラのBlu-ray が出た年。
 ついでに仏教の場合、ブルー様の十七回忌になるのが今年であります。
 書かないわけにはいかないだろう、と16年目も書きました。
 とは言うものの、「思い付いたネタ」を書きたかったのも否定はしません、本当です。
 16年目にして閃いたんです、「ぼくの目覚めには、必然がある」という台詞の意味が…。
 何年、アニテラを追い続けるんだか、自分でも真面目に謎です、はい~。
 







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