(船は立派に出来たんじゃが…)
どうもイマイチ、とゼル機関長は感じていた。
元はコンスティテューションとかいう、人類の船だったシャングリラ。長い年月、そいつで宇宙を旅する間に、培ったミュウの技術力。
それを生かして改造した船、元の船とは比較にならない巨大な船が出来上がった。白い鯨のような船体、人類の船には備わっていないシールドとステルス・デバイスもつけて。
(これで総員、一致団結…)
地球を目指したい所だけれども、生憎と地球の座標は謎。
さりとて大気圏内を長く航行できる性能、それを生かさない手は無いだろう。人類のレーダーに捕捉されないステルス・デバイス、そっちだって。
というわけで、雲海の星、アルテメシアにやって来た。雲海の中なら更に安全、人類の育英都市があるから最新情報もゲット出来そうだ、と。
(じゃがなあ…)
どうにも士気が高まらんのじゃ、と考えるゼルの理想の船。
皆が朝からシャキッとしていて、希望が溢れて、やる気満々。そんな船がいい、と思うのに…。
(なまじ面子が固定じゃからのう…)
遠い昔にアルタミラから脱出したミュウ、その顔ぶれは今も変わらない。
ソルジャーにキャプテン、機関長だの航海長だの、役職がついていっただけ。今更やる気満々も何も、と心機一転とはいかなかった。
せっかく船が出来たのに。
人類軍だって持っていないような、シールドまで備えた船なのに。
なんとも悲しいキモチになるゼル、彼が改造の最高責任者だった。博識な友のヒルマンと検討を重ね、船を造った。
現場で働いた者は他の面子で、改造案にゴーサインを出したのもソルジャーとキャプテン、つまりはゼルは「縁の下の力持ち」という立ち位置になる。
脚光を浴びる立場ではないから、船の現状に不満があっても、どうこう言える権限は無い。
皆が「これでいい」と現状維持なら、ソルジャーとキャプテンも同じなら。
(もうちょっと、こう…)
このカッコイイ船に相応しく、と士気の高まりを願ってみたって、どうにも出来ない。やる気を出そうと発破をかけるには、やはり材料が要るのだから。
(地球の座標も分からんのでは…)
仕方ないのう、と入った船のライブラリー。
SD体制以前のデータも豊富に揃った、紙の本から映像までがギッシリある場所。これまた船の自慢の施設で、大いに誇りたいのだけれども…。
(利用者がイマイチ増えんのじゃ…)
面子が固定のままじゃからのう、と零れる溜息。新しい船が出来ただけでは、新しい風は吹かないらしい。いくら自慢の新造船とも呼びたい船でも。
(こういう時には…)
腐っていたって仕方ないわい、と何か観ようと考えた。
同じ観るなら、馬鹿々々しいのがいいだろう。うんと笑えて、楽しい気分になれるモノ。憧れの地球が絡めばもっといいが、と気まぐれに打ち込んでいった文字。
そうしたら…。
(釣りバカ日誌?)
見るだに馬鹿っぽい雰囲気のタイトル、遠い昔に人気を博した笑える映画らしいから。
(とにかく釣りをするんじゃな?)
それならば青い地球の自然が溢れまくっているだろう。水の星、地球の本領発揮で、そこで釣りをして、おまけにお笑い。
これに決めた、と呼び出してみたら、「釣りバカ日誌」はシリーズだった。幾つもあるから、どれを観ようか悩ましい所。
タイトルを端から順に眺めて、目に留まったのがシリーズ16、「浜崎は今日もダメだった」。
のっけから笑わせてくれるというから、それで様子見してみよう。
本当に笑える映画なのかどうか、冒頭で判断可能だから。時間を無駄にしないから。
よし、と観賞し始めた映画、いきなり高らかなファンファーレ。
何事なのか、と仰け反っていたら、たちまち歌が始まった。それは陽気に、能天気に。
(社歌じゃと?)
主人公が勤める鈴木建設、そこで毎朝、歌われる社歌。いわば会社のテーマソングで、社員が歌うものらしい。
(ほほう…)
なるほど、と眺めた社歌を歌っている登場人物。会社で働く関係者は皆、もれなく楽しく歌いまくっていた。受付嬢から、重役まで。デスクワークの社員はもちろん、現場でガテンな面々も。
(掃除係も歌うんじゃな?)
トイレ掃除をしているオバチャンも歌いまくる社歌は素晴らしかった。
社内はもちろん、ツルハシを担いで建設現場なガテン系まで歌うのだから。経営者の社長を除く面子は、一人残らず。
(素晴らしい会社じゃ…!)
わしの理想じゃ、と惚れ込んでしまった鈴木建設、其処の社歌。
朝一番には皆で歌って、ついでに踊って、やる気満々。
シャングリラもこういう船だったら、と心の底から湧き上がる思い。社歌を歌って始まる一日、きっと最高の船になる。
希望もやる気も溢れまくりの、誰もが元気一杯の船。そうあって欲しい、シャングリラに。
思い立ったが吉日とばかり、コピーしたデータ。鈴木建設の社歌のシーンを。
そして長老会議を開いた、ソルジャーとキャプテンも出席するヤツを。
「社歌だって…?」
それはどういう、とブルーが訊くから、「社歌じゃ」と胸を張って答えた。「これを見てくれ」と会議室の大きなモニターで再生、流れ始めた例の社歌。ファンファーレで始まって、景気よく。
「「「…………」」」
誰もが唖然としたのだけれども、歌は確かに見ものではあった。偉そうな重役からヒラ社員までが揃って歌って、掃除係も現場なガテンの兄ちゃんたちも。
「どうじゃ、シャングリラにもこんな歌をじゃな…」
作ればいいのではなかろうか、と提案したゼル。朝から歌えば一致団結、やる気もきっと、と。
「ちょいとお待ちよ、誰が作曲するんだい?」
ブラウの疑問はもっともだった。作曲の才能を持った仲間は一人もいない。
「何かをパクればいいじゃろうが!」
名曲は幾つもある筈じゃから、と自信満々、曲はパクッて替え歌で良し、と。
「替え歌か…。その手があるか…」
それも悪くはないかもしれん、と頷いたのがキャプテン・ハーレイ。彼も薄々、今の船では駄目だと思っていたらしい。変える切っ掛けでもあれば、と。
「なるほどねえ…。それもいいんじゃないのかい?」
こういう陽気な船もいいし、とブラウも乗り気になってくれた。ヒルマンもエラも。
この流れなら社歌が作れそうだ、と思ったゼル。
社歌というわけではないけれど。シャングリラという船の歌だし、何と呼ぶやら。
けれど出来ると、何をパクろうかと、ヒルマンたちと検討し始めていたら…。
「…ぼくはこのままでいいと思うよ」
下手にパクるより、とブルーが口を開いた。歌詞もそっくりそのままでいいと、鈴木建設の社歌で充分だと。
「なんじゃと!? しかし、ソルジャー…!」
それでは鈴木建設になってしまいますぞ、とゼルはもちろん、誰もが慌て始めたけれど。
「でもね…。歌の見本は此処にあるんだし、歌詞も素敵だと思うから…」
聴いてみたまえ、というブルーの言葉。
改めて社歌をよく聴いてみれば、歌詞はなかなかのものだった。
「悩みは無用、光を胸に」だとか、「大きな理想、挫けぬ心。時代を築く礎よ」だとか。
そう、「鈴木建設」と歌うくだりをスルーしたなら、立派にミュウのための歌で通る歌。
「躍進する」だの「邁進する」だの、「あなたの町の明るい明日を」だのと、前向きだから。
「すっきり、ずっしり、きっちり、鈴木」も、船の精神にはピッタリだから。
「…で、では、ソルジャー…」
このままですか、と尋ねたキャプテンの声に、ブルーは重々しく頷いた。「これでいこう」と。
かくして決まってしまった社歌。
シャングリラには毎朝、鈴木建設の社歌が景気よく流れて、皆が歌って踊ることになった。
「すっきり、ずっしり、きっちり、鈴木」と、「鈴木建設」と。
ゼルの狙いは見事に当たって、一気に高まった団結力。朝一番には皆で歌おうと、今日も一日、元気にいこうと。
(…あの歌にしようと言って良かった…)
皆がここまでノリノリでは、と青の間でホッと息をつく一人。ソルジャー・ブルー。
「鈴木建設の社歌でいい」と推した理由は、メロディと歌詞にもあったのだけれど…。
(…替え歌にされたら、ぼくの立場がマズイんだ…)
なにしろ、自分がソルジャーだから。
鈴木建設が邁進する分には気にしないけれど、シャングリラが躍進したって気にしないけれど。
下手に弄られたら、歌詞に「ソルジャー・ブルー」と入る恐れが大。
毎朝、毎朝、自分の名前を皆が連呼し、士気を高めるなどとんでもない。歌う方は良くても、歌われる方の身になって欲しい、それは激しく恥ずかしすぎる。
こうも誰もがノリノリでは。朝一番から「すっきり、ずっしり、きっちり、鈴木」では。
(鈴木で、鈴木建設だから…)
高みの見物を決め込めるけれど、「ソルジャー・ブルー」と歌われたのでは堪らない。ウッカリ外を歩けもしなくて、歩きたいとも思わない。…歌が流れる時間帯には。
そういう事情があったとは誰も気付かないままで、鈴木建設の社歌は定着した。
アルテメシアの育英都市から救出されたミュウの子たちも、船に来るなり覚えて歌った。新しい世代は「そういうものだ」と思っているから、それは素直に。
シドもリオもヤエも元気に歌って、ブルーが連れて来たフィシスも歌った。シャングリラの朝は歌で始まると、今日も一日、元気にいこうと。
そんな調子だから、ジョミーが船に来た時も…。
「…鈴木建設?」
なにそれ、と変な顔をしたジョミーは、キムたちにフルボッコにされてしまった。
「俺たちの歌に文句があるか」と、「嫌なら船から出て行け」と。
それくらいに愛された歌が「鈴木建設の社歌」で、後にはジョミーも歌うようになった。よく聴いてみたら前向きな歌で、やる気が出て来る歌だから。
「すっきり、ずっしり、きっちり、鈴木」と歌いながらだと、頑張れるような気がするから。
なんと言っても、元はガテンな兄ちゃんたちまでもがツルハシ担いで歌った社歌。
それでやる気が出ないわけがない、やたらと元気で、「歌って踊れる」社歌なのだから。
アルテメシアを離れた後にも、鈴木建設の社歌は毎朝、船に流れた。
人類軍に追われまくって、誰もが疲れ果てていた時にだって、朝一番だけは溢れた気力。今日もやるぞと、今日こそはと。
たとえ行き先が見えない船でも、「すっきり、ずっしり、きっちり、鈴木」と。
そうやって歌ってナスカまで行って、相も変わらず鈴木建設。ナスカに入植した若い者たちも、この歌で育っていたものだから。
船を離れて古い世代と対立しようが、赤い大地を開拓するには、歌の精神がピッタリだから。
「大きな理想、挫けぬ心」で、「すっきり、ずっしり、きっちり、鈴木」。
「明日へ築く、木槌の音よ」で、「すっきり、ずっしり、きっちり、鈴木」。
シャングリラの中でも歌い続けられて、毎朝、流れ続ける社歌。揃って歌って、踊ったりして。
そんなわけだから、ナスカで捕虜にされたメンバーズのキース、彼も朝から聞く羽目になった。
彼が押し込まれた部屋の周りにも、高らかに響き渡る社歌。朝一番には、朗々と。
「すっきり、ずっしり、きっちり、鈴木」と、「鈴木建設」と。
(…この船は、いったい…)
どうなっているのだ、とキースの優れた頭脳をもってしても分からない。
何ゆえに鈴木建設なのかと、ミュウの長の名は「鈴木」だっただろうかと。ミュウどもは何処で建設業をと、請け負う仕事は無い筈だが、と。
いくら考えても出て来ない答え、仕方ないからジョミーに訊いた。
少々、間抜けになったけれども、「一つ訊きたい」とキメる代わりに…。
「待て、二つ訊きたい。…星の自転を止めることが出来るか?」
「…さあ? やってみなければ分からないが」
「残念だったな。その力がある限り、人間とミュウは相容れない」
それと、もう一つ。鈴木建設というのは何だ?
お前たちのことか、と投げた質問、ジョミーの答えは…。
「さあ…? 多分、そうなんだろう。相容れないなら、残念だ」
言い捨てて去ってしまったジョミー。
鈴木建設の謎は残って、とうとう解けないままだったから…。
「パンドラの箱を開けてしまったな…。良かったのだろうか」
グランド・マザーが崩壊した後、地球の地の底で、致命傷を負った者同士。
ジョミーと暗闇で語り合う中、「お前に出会えて良かった」と口にしてみたら…。
「ぼくもだ」と返って来た言葉。
やっと友が、という気がした。遅きに失した気はするけれども、友が出来たと。
「キース…。箱の最後には希望が残ったんだ」
ジョミーに言われて、ふと思い出した。遠い昔に聞かされた歌を。ミュウの船の中で毎朝々々、流れまくっていた前向きな歌を。
「すっきり、ずっしり、きっちり、鈴木」と、「大きな理想、挫けぬ心」と。
あれは希望の歌だったのか、と今頃になって合点がいった。
ミュウの長の名が鈴木かどうかは、関係無く。本当に鈴木建設かどうか、細かいことはサラッと抜きで。ひたすら前へと躍進、邁進、そういう歌を歌っていたか、と。
「分かったぞ、ジョミー。お前たちは…」
鈴木建設をやっていたのではなくて、あの歌が大切だったのだな、と言おうとしたのに。
「今もあの歌を歌っているか?」と、「いい歌だな」と褒めたかったのに…。
ジョミーの声は返らなかった。先に命が潰えてしまって、その魂は飛び去ったから。
(…最後まで、私は一人か…)
けれど、キースの唇に浮かんだ笑み。
ミュウの船で毎朝流れていた歌、あの歌は本当にいい歌だった、と。
ジョミーの跡を継ぐ青年だって、きっとあの歌を歌うだろうと。
何処までも生きて進んでくれと、この世界を、地球を、未来を頼むと。
「すっきり、ずっしり、きっちり、鈴木」の精神で。
「悩みは無用、光を胸に」で、「大きな理想、挫けぬ心」で…。
ミュウたちの社歌・了
※真面目なんだか、ふざけてるのか、悩ましい話になったオチ。…キースのせいで。
作中の社歌は嘘ついてません、youtubeで「鈴木建設 社歌」と検索すると本物が出ます。
(もしかしたら、パパ…?)
そうだったのかな、とシロエが見詰める手の中。
小さなコンパス、磁石を使った初期型のもの。
このステーションに来てから間もない頃に、自分で作って持っているそれ。
(作り方を教えてくれた人…)
今は全く思い出せない、その人の顔。
男性だったか、女性だったのか、それさえも。
何処で教わったか、それも分からないまま。
学校だったか、家だったのかも分からないから、まるで無い手掛かり。
けれども、これを手に取った時に、スイと頭を掠めた思い。
父だったかも、と。
(…エネルゲイアは…)
技術関係のエキスパートを育てることを目標としていた、育英都市。
記憶はどんどん薄れてゆくけれど、そのくらいの情報は今も得られるから。
(…技術関係のエキスパートなら…)
きっと苦もなく作れるのだろう、コンパスくらい。
これよりももっと凝ったものでも、高度なものでも。
だから父でも不思議ではない、作り方を教えてくれた誰かは。
逆に言うなら、他の誰でも、おかしくないということだけれど。
学校の教師でも、近所に住んでいた誰かでも。
あるいは年上の友達でも。
父だったなら、と思いたい。
ピーターパンの本をくれた両親、今も大好きな父と母。
顔さえ思い出せなくなっても、好きだったことは忘れないから。
今も覚えているのだから。
(きっとパパが教えてくれたんだ…)
そう信じたなら、少し心が軽くなる。
コンパスの中には、父の思い出。
自分が忘れてしまっていたって、この手は父を覚えていたから。
こうして作る、とコンパスのことを覚えたままでいてくれたから。
(……パパ……)
パパだったよね、と尋ねてみたって、返らない答え。
コンパスは何も話しはしないし、エネルゲイアは遠いから。
父のいる家に、声が届きはしないから。
何処に在ったかも分からない家。
高層ビルとしか覚えていなくて、町の景色も思い出せない。
映像を見ても湧かない実感、何もかもが全部、偽物に見える。
機械だったら、映像くらいは簡単に処理してしまえるから。
偽の情報を混ぜていたって、誰も気付きはしないから。
(…機械の言うことは嘘ばかりだ…)
記憶を奪った成人検査も、あんな中身だとは自分は思いもしなかった。
誰もそうだと教えはしないし、一度も習いはしなかったから。
大人になるための節目の一つで、十四歳の誕生日。
目覚めの日と呼ばれる日がそうなのだと、旅立ちの日だと教わっただけ。
荷物を持っては行けないとだけ。
何もかもが嘘で塗り固められた、機械が支配している世界。
本当のことなど探せはしなくて、きっと一つも見付けられない。
自分の記憶が曖昧なように、世界そのものが曖昧だから。
真実はきっと、機械が隠しているだろうから。
(ぼくの家だって、捜せない…)
住所を覚えていないから。
家へ帰るための道順さえも、思い出すことが出来ないから。
覚えていたなら、このコンパスが役に立つのに。
エネルゲイアの町に立ったら、「こっち」と歩いてゆけるのに。
家が在った場所も分からなければ、両親の顔も思い出せない自分。
まるで迷子のロストボーイで、何もかも全部、機械のせい。
真実は伏せて、嘘ばかりの。
いいように嘘を教える機械の。
(…パパの名前だって…)
此処にデータはあるけれど、と呼び出した画面。
ステーションに着いて以来の自分の記録で、生年月日と両親の名前。
それを眺めてもピンと来ないし、赤の他人を見ているよう。
顔写真すらついていないから、ただの文字でしかないのだから。
(…コンパス、パパならいいんだけど…)
パパに教わったなら嬉しいけれど、と見詰める名前。
父だと言われればそうも思うし、違うと言われても「そうか」と思う。
そのくらい曖昧になっているのが、今の自分の両親の記憶。
誰かの記録と入れ替わっていても、丸ごと信じてしまいそうなほどに。
これが父かと、母の名前かと、しみじみと眺めていそうなほどに。
(……パパ……)
本当に思い出せないよ、と画面を見ていて気付いたこと。
コンパスの記憶は無いのだけれども、父の仕事は…。
(…凄く大事な研究だった…?)
そんな気がしてたまらない。
エネルゲイアでも屈指の技術者、そうでなければ研究者。
父が誇らしかったから。
いつか自分も父のように、と憧れたように思うから。
(だとしたら…)
嘘で固められた世界だけれども、真実を掴めるかもしれない。
父が優秀な技術者だったら、研究者だったというのなら。
(きっと何処かに、パパのデータが…)
あるに違いない、と閃いた。
いくら機械が隠し続けても、嘘をついても、消せない真実。
優秀な人間の名前や功績、それはデータが残るから。
SD体制の時代の分も、その前の分も。
子供相手なら隠せたとしても、大人社会への入口に立ったら、データは開示される筈。
それは役立つ情報だから。
誰がどういう研究をしたか、どういう成果を上げたのか。
(…パパの名前も…)
ある筈なんだ、とデータベースに打ち込んだ名前。
きっと故郷に繋がるから。
パスワードなどをくぐり抜けたら、懐かしい家にも辿り着けるから。
心を躍らせて打ち込んだ名前、此処で機械は嘘をつけない。
父の名前は父の名前で、他の誰かでは有り得ないから。
其処まで細かい細工はしないし、自分の名前は今も昔もセキ・レイ・シロエ。
(パパだって、セキ…)
ミスター・セキ、と呼ばれていた筈。
父の名前はきっとある筈、ミスター・セキでも、フルネームでも。
「エネルゲイア」と区切って入れた。「アタラクシア」も。
データベースに名前があるなら、これだけ絞れば、と。
ドキドキしながら出したコマンド、「この条件で探すように」と。
一瞬、明滅した画面。
そして出て来た、ミスター・セキの名。
父のフルネームも一緒にあるから、間違いなく父。
(パパだ…!)
ぼくのパパだ、と詳しいデータを表示させようとしたのだけれど。
いきなり住所は出ないとしたって、所属の部署や顔写真なら、と指示したけれど。
(…エラー…?)
嘘だ、と受けた衝撃。
ブロックされている父の情報、それは確かにある筈なのに。
データベースに存在するなら、開示されている筈なのに。
(…ぼくには引き出せないデータ…?)
自分がセキ・レイ・シロエだから。
養父の情報を引き出そうとして、アクセスしたと判断されて。
機械だったら、そのくらいのことはやりかねない。
この端末からマザー・イライザが来るのだから。
「どうしたのですか?」と呼ぶのだから。
きっとそうだ、と机に激しく叩き付けた拳。
せっかく此処まで辿り着いたのに、自分は先へと進めないのかと。
パスワードさえもくぐれないのかと、「セキ・レイ・シロエ」だから駄目なのかと。
またも機械にしてやられたから、目の前で父を隠されたから。
他の者なら引き出せるだろう、父の情報は開かないから。
(これも機械のやり方なんだ…)
許すもんか、と零れる涙。
此処まで自分で辿り着いたのに、やっと見付けた手掛かりなのに。
(何もかも、いつか思い出してやる…)
機械が此処までやるのだったら、自分が地球のトップに立って。
国家主席の地位に昇り詰めて、憎い機械を必ず止める。
「ぼくの記憶を全部返せ」と命令して。
記憶を全て取り戻したなら、「止まってしまえ」と機械に命じて。
その日が来たなら、懐かしい父を取り戻す。
優しかった母も、大好きだった家も。
(……パパ……)
ぼくは必ず帰るからね、と「ミスター・セキ」としか表示されない画面を閉じた。
父の名前しか表示されない、自分を拒否する憎い画面を。
そして眠ったシロエは知らない、エラーメッセージの本当の理由。
父の所属は、国家機密のMを扱う研究所。
サイオニック研究所は存在自体が極秘なのだと、国家機密だとシロエは知らない。
国家機密のエラーメッセージ、それをシロエは知らないから。
まだ学んではいなかったから。
知っていたなら、シロエは機械に従ったろうか?
父のデータを見られる日までは、逆らいながらもエリートの道を進んだろうか?
それは今でも分からないまま。
シロエは空へと飛び立ったから。
いつまでも、何処までも、自由に飛び続けられる広い空へと…。
隠された父・了
※シロエのお父さんのデータは捜せるんじゃないの、と一瞬、思った管理人ですけど。
所属している部署が悪かったっけ、と気付いたことから出来たお話。Mじゃ国家機密…。
シロエが持っているコンパスは捏造、「後は真っ直ぐ」に出て来ます。
(あ…)
今日も、とマツカが零した溜息。
また今日もだ、と。
キースが去って行った後。
下げに出掛けたコーヒーのカップ、底に少しだけ残ったコーヒー。
本当にほんの少しだけ。
多分、一口で飲める程度の。
(…今度は何が…)
あったんだろう、と心の中だけで一人呟く。
キースの心を占めるのは何か、何が心を覆うのかと。
こういう風に残ったコーヒー、たまにキースが飲み残す時。
きっとキースは、何かに捕まってしまっている筈。
それの中身は分からないけれど。
苛立ちなのか、頭を悩ませるような何かか。
それとも悲しみ、あるいは後悔。
(…ぼくには何も分からないけれど…)
キースの心は読めないけれども、カップの底に残ったコーヒー。
今夜のように残っている日は、そうだから。
此処にキースの心は無いから、何処かへと飛んでいる筈だから。
初めてそれを目にした時には、自分が失敗したと思った。
キースの口には合わないコーヒー、不味いコーヒーを淹れたのだと。
(てっきりそうだと…)
考えたから、自分を叱った。
「次は、気を付けて淹れなければ」と。
そうして心を砕いているのに、キースのカップに残るコーヒー。
ほんの一口か二口分だけ、すっかり冷めてしまったものが。
これでは駄目だ、と懸命に覚えたコーヒーの淹れ方。
「美味いコーヒーを飲ませる店だ」と耳にしたなら、休暇の時に出掛けて行った。
国家騎士団にいるコーヒー好きにも、それとなく淹れ方を聞いたりした。
(キースが美味しそうに飲んだ時だって…)
どう淹れたのかを書き留めておいた。
キースは顔に出さないけれども、美味しそうに飲めば分かるから。
後姿を見ているだけでも、なんとなく分かるものだから。
それが自分がミュウだからなのか、そうでないかは分からない。
けれど、理由はどうでもいいこと。
キースが「美味い」と思うコーヒー、それを淹れられたら嬉しいから。
「役に立てた」と、心がほどけてゆくのだから。
そうやって覚えていったコーヒー。
キースの好む豆や淹れ方、そういったものを一つずつ。
なのに、キースはコーヒーを残す。
いつも通りに淹れた筈なのに、けして不味くはない筈なのに。
だから「変だ」と思った自分。
キースがコーヒーを残す理由は、味のせいではないかもしれない、と。
ならば、理由は何なのだろう?
コーヒーを運んだ自分の態度が気に入らないとか、気に障ったとか。
その可能性だって考えた。
自分が淹れたコーヒーなのだし、原因はきっと自分だろうと。
(ぼくのせいなら…)
少しもキースの役に立たない。
憩いのひと時の筈のコーヒー、それを「不味い」と思わせたなら。
「今日のコーヒーは美味くなかった」と、キースがカップに残すなら。
もっと、もっと気を配らねば。
コーヒーの味にも、「どうぞ」とキースに差し出す時にも。
指の先まで、神経をピンと張り詰めて。
声を出す時も、柔らかな声になるように。
キースが不快に思わない声、それから態度。
視線はもちろん、コーヒーを置いて去ってゆく時の背中にだって。
どれも気を付けて、キースの機嫌を損ねないように。
コーヒーを飲んで、心からホッと出来る時間を置いてゆけるように。
それなのに、やはり残るコーヒー。
たまにだったり、何日もそれが続いたり。
いったい何がいけなかったかと、何度も悩んだ。
「昨日のぼくは…」と思い返して、今日の自分と重ねてみたりと。
けれど解けない、分からない理由。
キースが飲まずに残すコーヒー、カップの底にほんの少しだけ。
もしかしたら、と気付いた日は…。
(…サムの病院…)
いつものように、キースについて出掛けた病院。
自分は病室に行かないけれども、外で帰りを待っていた時。
出て来たキースの顔に感じた、微かな曇り。
普段だったら、此処へ来た後、キースの心は晴れているのに。
心をわざわざ覗かなくても、凪いでいるのが分かる病院。
サムに会ったら、キースの心は晴れるのだと。
ステーション時代からの友人、サムは今でも、たった一人のキースの大切な友なのだ、と。
(…でも、あの時は…)
晴れる代わりに曇った心。
キースは何一つ、自分に話しはしなかったけれど…。
(きっと、サムの具合が…)
良くなかったに違いない、と直ぐに分かった。
風邪でも引いて熱があったか、薬で眠らされていただとか。
酷く興奮していたのならば、そういう治療もあるだろうから。
(その夜、キースは…)
コーヒーをカップに残していった。
ほんの少しだけ、まるで飲むのを忘れたかのように。
次の日も、同じに残ったコーヒー。
サムの病院から連絡が入って取り次いだ日まで、コーヒーはカップに残り続けた。
連絡があった日、下げに行ったら綺麗に飲んであったコーヒー。
それでようやく「そうか」と気付いた。
心に重い何かがある時、キースはコーヒーを残すのだと。
最後まで飲むことを忘れているのか、残っていることに気付きもしないで立ってゆくのか。
(…どっちなのかは分からないけれど…)
コーヒーを飲んでも、キースが心から安らげない日。
そういう時にはコーヒーが残る。
どんなに美味しく淹れてみたって、心を配って差し出したって。
一度気付けば、ピタリと嵌まり始めたピース。
「まただ」と、「今日も何かあった」と。
そう思ってキースを見ていたならば、纏う空気が違うのが分かる。
心の中身は分からなくても、「今日のキースは、いつもと違う」と。
コーヒーを残すほどだから。
心が何処かに行ってしまって、一口か二口、置いてゆくから。
今日もそうだ、と溜息をついてカップを下げる。
いったい何がキースの心を占めるのだろうと、あの人に何があったろう、と。
(…任務のことは、ぼくには何も…)
分からないから、何も出来ない。
キースの心を軽くするための手伝いは無理で、何の役にも立てない自分。
(…サムの具合が悪い時だって…)
やっぱり自分は役に立てない。
「大丈夫ですよ」と気休めなどは言えないから。
「元気を出して下さい」とも。
自分はキースの友達ではなくて、部下の一人で、部下の中でも…。
(ぼくが一番、役に立たない…)
「コーヒーを淹れることしか能が無い、ヘタレ野郎だ」と言われるほどに。
面と向かって言わない者でも、そう思っていることだろう。
だからキースに何も言えない、掛けられる言葉を自分は持たない。
こうして心配することだけ。
「明日はコーヒーが残らないように」と願うしかない、たったそれだけ。
自分は何も出来ないから。
キースに言葉も掛けられないから。
(ぼくに出来ることは…)
ただコーヒーを淹れることだけ。
「コーヒーを頼む」と言われたら。
キースがそれを望んだならば。
精一杯に、心をこめて。
キースの心が此処に無いなら、せめて舌だけでも安らぎを覚えて欲しいから…。
(…美味しく淹れて、丁度いい熱さで…)
明日もキースにコーヒーを。
そのコーヒーが、カップの底に少しだけ残らないといい。
明日は綺麗に飲んで貰えて、空のカップを下げられたらいい。
キースの心が軽くなったら、コーヒーが残りはしないから。
それを祈るしか出来ないのだから、明日は空になったカップを下げたい。
少しでも早く、キースの心が晴れればいい。
自分は何も手伝えないから。
ほんの小さな気の利いた言葉、それさえも言えはしないから。
だから、心から祈ることだけ。
明日はカップが空になるように、キースの心を覆う何かが消えるようにと…。
底に少しだけ・了
※「コーヒーを淹れることしか能の無い、ヘタレ野郎」と、セルジュが言うほどのマツカ。
それだけではない筈なんですけど…。コーヒーに気を配っているのは確かだよね、と。
(ソルジャー・ジョミー…)
どうも据わりが今一つ、とハーレイがついた大きな溜息。
アルテメシアを後にしてから、これが頭痛の種だった。ソルジャー・ブルーは日に日に弱って、世代交代の日が近そうで。
(お亡くなりになるとは思わないが…)
近い将来、陣頭指揮は執れなくなってしまうだろう。青の間から一歩も出られない上に、思念も細くなっているから。
そうなれば跡を継ぐのはジョミーで、ソルジャー候補からソルジャーになる。その時、彼をどう呼ぶのかが大いに問題、慣例で行けば「ソルジャー・ジョミー」。
慣例も何も、初代はソルジャー・ブルーなのだし、二代目だけれど。
大袈裟に騒ぎ立てなくても良さそうだけれど、「ソルジャー・ジョミー」は据わりが悪い。
前々からゼルたちも指摘していた、その件について。
(呼びにくいわい、と言われても…)
ジョミーの名前はジョミー・マーキス・シン、ファーストネームは「ジョミー」でしかない。
それを「ソルジャー」の後につけたら、どう転がっても「ソルジャー・ジョミー」。
どんなに据わりが悪かろうとも、これより他に道は無いわけで…。
(……弱ったな……)
いっそ改名して貰おうか、とまで思うくらいに悩ましい問題、「ソルジャー・ジョミー」。
ジョミーの名前がジョーだったなら、悩まないのに。
「ソルジャー・ジョー」と呼べるのだったら、何処からも苦情は来ないのに。
なんとも困った、と悩みまくっても、どうにもならないジョミーの名前。
刻一刻と近付く世代交代、その時が来た時、どうしたものか。
悩み続けていたら、「ハーレイ」とゼルに呼び止められた。ブリッジから部屋へと帰る途中で、「ジョミーの件じゃが」と。
とうとう来たな、と振り返ったら、エラもブラウも、ヒルマンもいた。
(…敵全逃亡は不可能か…)
仕方ない、と溜息交じりに皆を引き連れ、帰った部屋。場の雰囲気を和らげようと出した秘蔵の合成ラムは、「結構」とゼルに跳ね付けられた。
「分かっておろう。…ジョミーの名前をどうするんじゃ」
「ソルジャー・ジョミーって呼べってかい?」
あたしは勘弁願いたいね、とブラウもまるで遠慮が無い。エラもヒルマンも頷いているし、案を出すしかないだろう。
「…改名して貰うのが一番かと…」
「ほほう…。それはいいかもしれないね」
うん、とヒルマンの顔が綻んだ。ジョミーだったらジョーだろうかと、他にも何か、と。
「ジョーじゃな、それが据わりが良さそうじゃ」
それに「ミ」を抜くだけで済むし、とゼルも乗り気な「ソルジャー・ジョー」。
やはり改名しかないのだな、と思ったものの、ジョミーになんと切り出したものか。
(無理やりソルジャーに仕立て上げた上に、名前まで…)
変えろと言っていいのだろうか、と眉間に皺を寄せていたら…。
『その件で、ぼくも話がある』
いきなり飛んで来た思念。
「ソルジャー・ブルー?」
「ソルジャー?!」
今のを全部聞かれていたか、と慌てふためき、それでも急いで取った礼。
思念波の主は「続きは後で」と、青の間に来るよう指定した。思念を飛ばすのは疲れるからと、会って話すなら問題無いが、と。
「…ソルジャーがお呼びじゃ。行くしかないのう…」
「ソルジャー・ジョミーにしておくように、と仰るのでしょうか?」
エラが不安そうな顔をしているけれども、恐らく、そういうことだろう。次期ソルジャーに改名させるとは何事か、と叱られた上に、「ソルジャー・ジョミー」で確定な呼び名。
ソルジャー・ブルーが出て来た以上は、他に考えられないから。
(…喜ばしくはあるのだが…)
ジョミーのためにはソルジャー・ジョミー、と思うけれども、呼びにくい。船の者たちも苦労をするだろうな、と溜息は深くなるばかり。
それでも長老の四人と一緒に青の間に向かい、「遅くなりました」と入ったら…。
「ハーレイ。…君の名前は何だった?」
ベッドに横たわったままのブルーに向けられた視線。「君の名前は?」と。
「は、はい? …ハーレイですが」
「違うだろう? 君はウィリアムの筈だ。ウィリアム・ハーレイ」
それがどうしてハーレイなんだい、と見上げてくる瞳。何故そうなった、と。
「…キャプテン・ウィリアムは呼びにくい、と…」
そう答えながら、「何処かでこういう話を聞いた」と気が付いた。ジョミーのことだ、と。他の四人も気付いたようで、「そういえば…」と上がった声。
「ゼルが言ったんじゃなかったかねえ、あの時もさ」
「わしだけではないぞ、エラもヒルマンもじゃ!」
お前だ、いやいや、あんただ、お前だ、と揉め始めたけれど、確かに昔、起こった事件。
キャプテン・ウィリアムは据わりが悪い、とキャプテン・ハーレイになったのだった。
(…私もすっかり忘れ果てていたが…)
似たような話が前もあったか、と遠い昔を振り返っていたら、「分かったかい?」とブルーが皆を見回した。
「…ジョミーも、あの時と同じでいい。ソルジャー・シンでいいだろう」
「ソルジャー・シンですか?」
訊き返したら、「そうだ」とブルーは頷いた。これで文句は無いだろう、と。
「そうじゃな、ソルジャー・シンならマシじゃ」
それにジョミーも納得するじゃろ、とゼルが引っ張った髭。「ハーレイの例があったわい」と。
「ええ、前例はありますね。…ソルジャーではなくて、キャプテンですが」
よろしいでしょう、とエラも賛成。ヒルマンもブラウも文句は無くて、ソルジャー・シンという呼び名が決まった。
いつかジョミーが跡を継いだら、ソルジャー・シン。それでいこうと、前例もある、と。
なにより、ソルジャー・ブルーの指示。
誰からも苦情は出ないだろうし、ジョミーも素直に従う筈。改名させるわけではないし、ファーストネームか、ファミリーネームかの違いだけだから。
(これで私も肩の荷が…)
下りた、とホッとしていたら、「もう一つある」と聞こえた声。ベッドの方から。
「…ソルジャー?」
今度は何を、と思った途端に、「遺言だ」という物騒な台詞。
まさか寿命が尽きるのか、と誰もが愕然、神妙な顔でベッドの周りに立ったのに…。
「真に受けないでくれたまえ。…まだ死なない」
だが、遺言だと思って聞いて欲しい、と赤い瞳がゆっくり瞬いた。
「地球は遠い」と始まった言葉。ジョミーの代で辿り着けるとは限らない、と。
次のソルジャーが呼びにくい名前だったなら。…どうしようもないケースだったら、と。
「…どうしようもないケースとは?」
どのような、とハーレイが問い返したら、「一つ挙げよう」とクスッと笑ったブルー。
「アルフレートがいるだろう。彼がソルジャーだったなら…?」
「「「アルフレート!?」」」
それは難しい、と誰もが思った。ソルジャー・ジョミーどころではない名前。アルフレートが次のソルジャーなら、「ソルジャー・アルフレート」にしかならない。
「…無理じゃ、わしには呼べんわい!」
舌を噛みそうじゃ、とゼルが騒ぐのも分かる。ソルジャー・アルフレートは無理すぎ。
「分かったかい? だから遺言だと言ったんだ」
そういう場合は、改名も仕方ないだろう。…呼ぼうとしても呼べない名前では。
けれど、そこまで難しくないなら、愛称という手を使うといい。
たとえば、ソルジャー・ゼルだとしよう。
ソルジャー・ゼリーになったとしたって、改名よりかはマシだろうね。…愛称だから。
ぼくの遺言だ、とソルジャー・ブルーが語った言葉は、正式な文書となって残った。
ジョミーがソルジャー・シンになった後にも、しっかりと。
「へえ…。こういう決まりになったんだ?」と、ジョミーも興味津々で見ていた文書。
ソルジャー・シンで済んで良かったと、でも愛称なら許容範囲かも、などと。
そういう文書がキッチリ残ったものだから…。
ジョミーの跡を継いだソルジャー、トォニィの代で文書は生きた。
ソルジャー・トォニィは少し呼びにくかったし、ファミリーネームの方もイマイチ。こういう時こそ、あの文書だと。
偉大なるミュウの初代ソルジャー、ソルジャー・ブルーの御遺言だ、と。
「ソルジャー・トニー! スタージョン中尉から通信です!」
「分かった。…繋いでくれ」
「ご無沙汰しております、ソルジャー・トニー」
こんな具合で、ソルジャー・トニーになってしまったソルジャー・トォニィ。
初代のソルジャーが残した遺言、それは正式なものだったから。呼びにくい名前のソルジャーが来たら、改名、あるいは愛称で行けと、文書が残っていたものだから。
ソルジャー・シンの次の代にはソルジャー・トニー。
トォニィではなくてソルジャー・トニーで、呼びやすいのが一番だから…。
ソルジャーの名前・了
※ソルジャー・ジョミーではなくて、ソルジャー・シン。舞台裏はきっとこうだな、と。
連載当時にあったんですよね、「ソルジャー・ジョミー」。第一部の終わりで。
総集編が出る時、直されてしまった幻のキャプテン・ハーレイの台詞。いや、マジで。
流石にリアルタイムじゃ読んでないです、古書店バンザイ。
ナキネズミ。
どの辺がどうネズミなのか、と尋ねられた人が悩んでしまいそうな生き物。何処から見たってリスの親戚、フサフサの尻尾と首の周りの襟巻みたいな毛。
ついでに思念波で喋れたりもする、ミュウが作った生き物だから。「宇宙の珍獣」という立派な触れ込み、それだってミュウの捏造だから。
早い話が、ミュウの世界にしかいない生き物。
ミュウたちを乗せたシャングリラにだけ、コッソリ生きているらしいモノ。
此処に一匹、ちょいと有名なのがいた。
ナキネズミは船に何匹もいるのだけれども、別格と言えるナキネズミ。
何故なら、ミュウを束ねるソルジャー、ジョミーのペットだったから。ソルジャー・シンを船に迎えた時から、そういう立場になっていたから。
(でも、名無し…)
長いこと名無しだったんだ、と一気に広がってしまった評判。ミュウはもちろん、ナキネズミたちの世界でも。
ソルジャー・シンのペットで別格、けれども「名無し」だったそうだ、と不名誉すぎる評判が。
ずっと「お前」と呼ばれていただけ、それを自分の名前と勘違いしていたのだと。
(…ぼく、お前…)
そうだと信じ込んでいたのに、違うと思い知らされたあの日。
ジョミーは慌てて「レイン」と名前をくれたけれども、赤っ恥な噂も広まった。レインという名を貰う前には名無しだったと、それで納得していた間抜け、と。
ミュウたちに笑われるだけならいい。まだマシな方で、我慢は出来る。
けれども、同じナキネズミ。その連中が注ぐ視線が痛くて、いたたまれないのが現実なるもの。
今更「レイン」と名乗ってみたって、後付けだから。
「元は名無しだ」と言われた時には、まるで反論出来ないから。
(ぼく、名無し…)
名無しなことにも気付かなかった馬鹿だなんて、とナイーブな心が傷つく毎日。
本当だったらソルジャー・シンのペットで、「キング・オブ・ナキネズミ」という立場なのに。
他のナキネズミとは一味、いやいや百味も違うナキネズミなのに。
そうは思っても、拭い去れない「名無し」だった事実。
ミュウの世界では忘れられても、ナキネズミの世界ではキッチリ記憶されたまま。
「いくらソルジャー・シンのペットでも、名無しでは」と。
「レインという名は後付けなんだ」と、「十二年ほど名無しだった」と。
酷い評判は消えないままで、今も「名無し」と呼ばれる毎日。
ミュウたちは「レイン」と呼んでくれても、同じナキネズミが呼ぶ時は「名無し」。もしくは、もっと強烈な「お前」、そういう名前。
シャングリラの中を歩いていたなら、「名無しが来た」と囁く思念波。「お前が来たぞ」と。
あちこちでキュウキュウと鳴いている仲間、それが交わしている思念。
「名無しが通る」と、「あれが「お前」だ」と。
ナスカで生まれた自然出産児、トォニィたちにも可愛がられる自分なのに。
きっと最高のナキネズミなのに、「名無し」で「お前」。
もうグサグサと刺さりまくりで、よっぽどのことをしないと消えてくれない評価。
「凄いナキネズミだ」と認められる何か、それを自分がやってのけないと。
仲間たちからの尊敬の眼差し、そういったものを勝ち取らないと。
でも、どうしたら…、と悩んでいたら。
ある日、シャングリラに来た人類の男。
キース・アニアンというメンバーズ・エリート、それが問題になっているらしい。
(…ジョミーの敵…)
だったら、自分にとっても敵。
そいつと互角に渡り合えたら、ナキネズミ仲間も認めるだろう。「あいつは凄い」と。
「名無し」で「お前」な日々にお別れ、きっと「キング・オブ・ナキネズミ」。
ちょっと出掛けて、キースなるものを見てみよう、と思い立ったが吉日だから。
(…キース・アニアン…)
あれがキース、と捕虜を閉じ込めたガラス張りのドームに近付いた。
まずはドームを開けることから、そして中へと入ってみる。
(…拘束されてないけど…)
その方がきっと好都合、と思うレインは何も考えてはいなかった。
どうやってキースと渡り合うのか、互角に何をするのかさえも。
なにしろ、元が動物だから。思念波で話すことは出来ても、人間とは別の生き物だから。
単純なオツムが叩き出した考え、それは「キースに会う」ことだけ。
だから小さな足でカタカタ、ドームを開けて中へ入った。自分が通れる隙間の分だけ。
「なんだ、こいつは!?」
何処から湧いた、と睨み付けているキースだけれども、渡り合うことが大切だから。
「キュウ!」と鳴いて近付いて行ったら、意外なことに…。
「ほほう…? ナキネズミか?」
これが本物のナキネズミなのか、とニュッとキースの手が伸びて来た。頭を、首周りのフサフサの毛を撫で回し始めたのがキース。
(…元気でチューか?)
そういう心の声が聞こえて、嬉しそうな顔。
昔、サムという友達とやっていたらしい。ナキネズミのぬいぐるみを持って。キュッと握って、それをペコリとさせたりしながら、「元気でチューか?」と。
他にも色々、沢山のこと。キースの心の声が聞こえる、「懐かしいな」とか、「一つ違ったら、シロエもマツカも、この船に乗っていたかもな」などと。
(…シロエにマツカ?)
誰だろうか、と考えなくても分かった答え。シロエはキースが殺してしまった友達のミュウで、マツカは出会ったばかりのミュウだ、と。
(シロエで、マツカで…)
元気でチューか、と毛皮を撫でてくれているキース。
ジョミーの敵だと聞いたけれども、けっこう友達多めな男。サムは人類らしいけれども、シロエとマツカはミュウなのだから…。
『元気でチューか?』
とりあえず、そう挨拶してみた。ナキネズミお得意の思念波で。そうしたら…。
「何故、それを…!?」
私の心を読んだのか、と愕然とされても、こっちが困る。キースの心は筒抜けだったし、向こうが勝手に「元気でチューか?」とやったのだから。「懐かしいな」と笑みまで浮かべて。
シロエとマツカなミュウの友達、それだってキースが自分で披露したのだから。
『えっと、友達…。シロエとマツカ』
どっちもミュウ、と送った思念。キースはと言えば顔面蒼白、「読める筈がない」と大慌てだけれど、そういう心の動きまで分かる。パニックなんだ、と。
だから重ねてこう訊いた。「キースの心、読める筈がない?」と。
全部見えるのに、それは変だと。丸見えなのに、読めるも何も、と。
「そんな馬鹿な…。私の心理防壁は…」
眠っていたって完璧な筈で、とパニックなキース、そういう訓練を受けているらしい。けれども読めるものは読めるし、今も変わらず筒抜けなわけで…。
変な男だ、と見詰めていたら、いきなり尻尾を掴まれた。「そうか、分かったぞ」と。
「貴様、ミュウとは違うからな…。ナキネズミだからな?」
同じ思念波でも仕組みが違うというわけか、と睨み付けて来るアイスブルーの瞳。
どうしてくれようと、私の心を読んだからにはタダではおかん、と。
普通だったら、此処でビビって逃げるけれども、ナキネズミだけにズレている思考。人間の枠に囚われないから、それは真面目に訊き返した。「捕虜なのに?」と。
『キース、出られない。ジョミーの敵』
「貴様、ジョミーに喋るつもりか!」
それこそタダでは済まさんぞ、とキースはギリリと歯軋りをして。
「舐めるなよ?」と尻尾を鷲掴んだままで、「丸刈りにするぞ」と言い放った。
捕虜だけれども、身づくろいのためのシェーバーくらいは持っていると。あれを使えば貴様の毛皮を一気に毛刈りで、綺麗サッパリ丸刈りなのだ、と。
(毛刈り…!?)
それに丸刈り、と覚えた恐怖。
ナキネズミにとって、毛皮は命だったから。フサフサの尻尾も首周りの毛も、フサフサと生えていてこそだから。
(…前に、丸刈り…)
そういう仲間がいたことがあった。何かのはずみで罹った皮膚病、それの治療で見事に丸刈り。
いわゆる獣医にあたる人物、それがバリカンでバリバリと刈った。バリバリ、ウイーンと。
(毛皮、刈られたら…)
尻尾も身体も貧相になって、おまけに、つるり、ぬるりと見えるものだから…。
(名前、丸禿げ…)
毛刈りをされてしまった仲間は、元の名では二度と呼ばれなかった。「丸禿げ」だとか、「ぬるり」に「つるり」で、世を儚んで…。
(…ずっと、引きこもり…)
もう恥ずかしくて生きてゆけない、とヒッキーになって、愛する彼女にも捨てられた筈。丸刈りになった段階で。毛皮を刈られてしまった時点で。
(……名無しで、お前……)
それが自分の評価だけれども、丸刈りはその上を行く。
ナキネズミとしての人生、丸刈りにされたら終わったも同じ。ソルジャー・シンのペットでも。
毛皮が無ければ、もう間違いなく、未来の「み」の字も無いものだから…。
『しゃ、喋らない…!』
死んでも言わない、とキースに伝えて、うるうる泣いた。
丸刈りにされたら人生終わりで、後が残っていないから、と。「キング・オブ・ナキネズミ」になれはしなくて、もう引きこもるしかないんだから、と。
「そうか、利害は一致したな」
貴様が黙っているのだったら、私も丸刈りはやめてやろう、と尊大なキース。
立場はまるっと逆転した。
「心を読んだことは、決して誰にも喋りはしない」と誓わされた上で放り出された。喋ったら毛皮は無いと思えと、私が此処から出られた時には丸刈りにする、と。
(キース、怖すぎ…)
名無しでお前な人生どころか、丸刈りにされておしまいだから、と後をも見ずに逃げたオチ。
仲間たちに自慢をしに行けもせずに、もちろんジョミーに喋れもせずに。
(喋ったら、丸刈り…)
人生おしまい、と怯えまくりのナキネズミ。
なにしろ、毛皮が命だから。丸刈りにされたら、「名無し」よりも酷いことになるから。
そんなこんなで、ナキネズミは喋りはしなかった。
キースの所に出掛けたことも、心の中身を読みまくったことも。
「元気でチューか?」とやった男がキースで、ミュウの友達のシロエとマツカがいたことも。
ちょっと冷静に考えたならば、「喋った方がお得なのだ」と分かるのに。
いくらキースが丸刈りの危機を突き付けていても、所詮は捕虜だと気付くのに。
(…丸刈り、怖い…)
あれは危険、としか思わないのがナキネズミ。
どう転がっても、動物だから。人間とは思考回路が違って、考え方もズレているから。
こうして勝負はついてしまった、天はキースに味方した。
彼がシェーバーを持っていたから。
「髭くらいは自分で剃れ」とばかりに、ちゃんと突っ込んであったから。
歴史なんぞは、つまらないことで変わるもの。
たかがシェーバーくらいでも。
もしもキースが持っていなかったら、きっと何もかもコロッと変わって、違う未来があった筈。
けれど、シェーバーはバリバリと刈った、ミュウと人類にあった別の未来を。
もっと早くに和解できる未来、それをすっかり、綺麗サッパリ…。
ナキネズミの価値観・了
※ナキネズミ相手ならキースも油断するかも、とチラと思ったのがネタの始まり。
気付けば毛刈りになっていたオチ、「動物のお医者さん」、好きだったなあ。毛刈り万歳。
