「ただいま、シロエ」
「パパ!」
開いた扉の向こうに、父。
駆け寄って行けば、父は高々と抱き上げてくれた。
まるで重さなど無いかのように、シロエの身体を高く、高く。
クルクルと回ってくれる父。
もう嬉しくてたまらないから、歓声を上げて回り続けた。
父と一緒に、クルリクルリと何回も。
「さあさあ、パパもシロエも、御飯にしましょ」
母が呼んでくれて、下り立った床。
「わあ!」
美味しそう、と眺めたテーブルの上。
母の得意な料理が並んで、今日は御馳走。
(ふふっ、御褒美…)
きっと、この間のテストの点数。
誰も満点を取れなかったのに、自分は満点だったから。
学校の先生も褒めてくれたし、父も母も喜んでくれたから。
いただきます、とパクリと頬張った。
とても美味しくて、頬っぺたが落っこちてしまいそう。
(すごく幸せ…)
こんな日はきっと、夜になったら…。
(ピーターパンが来てくれるかも!)
いい子でベッドに入ったら。
「おやすみなさい」と、ベッドに入って目を閉じていたら。
そのまま寝ないで待っていたら、きっと…。
だから寝ないで待つんだもん、と頑張ったのに。
知らない間に眠ってしまって、素敵な夜は過ぎてしまって…。
(もう朝なの!?)
嘘、と目覚めたベッドの上。
目覚まし時計を止めようとしたら、伸ばした自分の手に驚いた。
(えっ…?)
ぼくの手、と凍ってしまった瞳。
夢の中の自分の手とは違って、もっと大きくなっているから。
子供と言うより、大人に近い手。
どうしてなの、と見詰めたけれども、鳴り続けている目覚ましの音。
冷たい音で、規則正しく。
急き立てるように、けたたましく。
(…マザー・イライザ…)
途端に引き戻された現実、此処は自分の家ではなかった。
E-1077、エネルゲイアから遠く離れた教育ステーション。
其処で目覚めた、十四歳の自分。
幼かった日は消えてしまって、今の自分は…。
(パパ、ママ…)
何処、と見回しても、いる筈がない父と母。
自分の家ではないのだから。
故郷からは遠く離れてしまって、帰る道も、もう…。
(覚えていないよ…)
帰れないよ、と零れた涙。
目覚ましだけは止めたけれども、もう戻れない夢の中。
せっかく父に会えたのに。
懐かしい母が作る御馳走、それを美味しく食べられたのに。
(ぼくって馬鹿だ…)
どうして眠ってしまったのだろう、あの夢の中で。
もしも眠らずに起きていたなら、飛べていたかもしれないのに。
夜の間に、ピーターパンが来てくれて。
一緒に空へと舞い上がれていて、今頃はきっと、ネバーランドへ。
あのまま空を飛んで行ったら、きっと此処にはいないのだろう。
子供が子供でいられる世界へ、ネバーランドへ、高く高く空を飛んで出掛けて。
(…こんな所から…)
逃れて、焦がれ続けた空へ。
ネバーランドへ旅立って行って、二度と戻らずに済んだのだろうに。
(…パパとママだって…)
離れずに済んでいたのだろう。
ネバーランドに飛んで行っても、会いたくなったら、きっと帰れる。
心でそれを願ったならば。
「パパとママに会いに帰りたいよ」と、ピーターパンに言ったなら。
子供の味方は、子供を泣かせはしないから。
ピーターパンなら、夢を叶えてくれるから。
(…パパ、ママ…)
ぼくはどうして寝てしまったの、と叫びたい気分。
どうして起こしてくれなかったのと、ピーターパンを待っていたのにと。
(…寝る前に、ちゃんと頼んでおいたら…)
父が揺すってくれただろう。
「今夜は起きて待つんだろう?」と。
母だって、きっと起こしてくれた。
「眠っちゃ駄目よ」と、「起きたまま待っているんでしょう?」と。
パパとママに頼み損なっちゃった、と呪った夢。
きちんと頼んで眠っていたなら、今頃はきっと別の世界にいただろうから。
E-1077は丸ごと消えてしまって、ネバーランドを飛び回って。
(…ネバーランドに行きたいよ、ママ…)
パパ、と呟いて、気付いたこと。
夢の世界で確かに会った。
顔もぼやけてしまった両親、夢ではハッキリ見えていた顔。
何処も霞んでいなかった。
家も、テーブルも、母が作った御馳走も。
料理を口にした時の美味しさだって、何もかも全部、みんな本物。
夢の世界で見ていた全ては、きっと本当にあったもの。
(…ぼくが忘れてしまっただけで…)
成人検査で奪われただけで、あれは全部、自分が見ていたもの。
両親の顔も、父が入って来た扉だって。
(…どんな扉だっけ…?)
パパはどうやって入って来たっけ、と考えても思い出せない扉。
父の顔だって覚えていなくて、母の顔だって記憶に無くて。
(……ママの御馳走……)
並んでいた料理も思い出せない、大好物だった筈なのに。
とても美味しくて、顔が綻んだ筈なのに。
(…夢の中でしか、見られないの…?)
目覚めた途端に消えてしまう夢、その中でしか。
夢を見ている間だけしか、きっと見付からない真実。
自分は何処で暮らしていたのか、両親はどんな顔だったのか。
どういう日々を過ごしていたのか、楽しかったことは何だったのか。
(……そんなの、酷い……)
本当のことは、夢の中にしか無いなんて。
目覚めた途端に消える泡沫、パチンと壊れるシャボン玉だなんて。
あんまりだよ、と思うけれども、これが現実。
自分の記憶は機械に消されて、目覚めたら忘れる夢の中のこと。
嫌な夢なら、起きた後にも心の中に残っているのに。
「捨てなさい」と迫る、テラズ・ナンバー・ファイブなら。
「忘れなさい」と記憶を消してしまった、忌まわしい機械の夢の時なら。
そっちの方こそ忘れたいのに、忘れないままで目が覚める。
何度も自分の悲鳴で飛び起き、その度に怖くて泣き続ける夢。
「パパ、ママ…」と肩を震わせて。
失くしてしまった記憶を取り戻したくて、両親のいた家に帰りたくて。
両親だったら、きっと守ってくれるから。
「怖いよ」と自分が怯えていたなら、「大丈夫」と抱き締めてくれる筈だから。
それなのに、思い出せない両親。
家があった場所も、家の扉も、テーブルだって。
何もかも自分は忘れてしまって、夢で出会っても、また忘れた。
目覚ましの音が鳴った途端に、本当のことを。
自分が子供でいられた時代を、子供の視点で見ていたことを。
それこそが、きっと真実なのに。
今も何処かに、本当のことはある筈なのに。
(……パパもママも、家も……)
エネルゲイアに今もそのままで、自分だけが此処に放り出された。
ピーターパンの本だけを持って、独りぼっちになってしまって。
本当のことを全部忘れて、夢に見たって、掴み取れずに。
(……もう一度……)
眠り直したなら、夢の世界に戻れるだろうか。
講義に出ないで眠り続けたら、もう一度あの夢に入れるだろうか。
(もしも、戻れたら…)
今度こそ寝ないで、夢の中で待とう。
両親に頼んで起こして貰って、ピーターパンがやって来るまで。
夜の空を飛んでネバーランドへ、ネバーランドよりも素敵な地球へ。
(…飛んで行かなきゃ…)
もう一度だけ、と切った目覚まし。
チャンスは掴み取りたいから。
テラズ・ナンバー・ファイブの夢が来たって、かまわない。
少しでも希望が残っているなら、それに賭けたいと思うから。
機械の言いなりになって講義に出るより、今日は機械を無視したいから。
(今日の講義くらい、出なくても…)
遅れは直ぐに取り戻せるから、夢の世界へ戻ってゆこう。
夢の世界が本物だから。
子供が子供でいられた時代は、確かにあった筈なのだから。
(パパとママに会って、御馳走を食べて…)
夜は寝ないでネバーランドへ、と目を閉じて戻った上掛けの中。
運が良ければ、きっと真実が見えるから。
怖い夢が来たってかまわないから、夢の世界へ飛び立とう。
父と母がいた時代へと。
本当のことがあった世界へ、機械がすっかり消してしまった子供時代へ。
その世界への扉が開いたら、真っ直ぐに飛んでゆこうと思う。
夜は寝ないでピーターパンを待って、ネバーランドへ、ネバーランドよりも素敵な地球へ。
夢の世界は本物だから。
真実はきっと其処にあるから、夢に隠れている筈だから…。
戻りたい夢・了
※成人検査で消された記憶は、何処かに残っている筈で…。何かのはずみに出て来る筈。
だったら夢でも出て来るかもね、と書いてみたけど、シロエ、可哀相…。夢、見られたかな?
「よく、御無事で…!」
その上、この度の敵本拠地発見。
やはり少佐にかかれば、ただの事故調査では終わりませんね。
流石です、と勢い込んでキースに挨拶したセルジュ・スタージョン上級中尉。
グランド・マザー直々の選抜でキースの補佐官を拝命したのだけれども…。
「貴様は?」
誰だ、と言わんばかりに返したキース。せっかく張り切って駆け寄ったのに。
(…こういう教官だったんだ…)
想定内だ、と自分に気合で、自己紹介をすることにした。
「少佐の補佐官を拝命しました、セルジュ・スタージョン上級中尉であります」
マザー直々の選抜により、少佐のお迎えと…。
ミュウ殲滅を命じられました、とハキハキと言って、「よし!」と自分に及第点。そしたら後ろから来たのがパスカル、なんだかんだで腐れ縁な男。
「以後、スローターハウス作戦の指揮権は少佐に。御無沙汰しております、教官」
「ヴォグ少尉か。マザーには選りすぐりを、と上申したが…」
見た顔も多いな、と見回すキースは、パスカルの名前を覚えていた。顔とセットで。
(どうして、あいつが…!)
こっちは忘れ去られていたんだよ、と叫びたいのに、いけしゃあしゃあと続けるパスカル。
「皆、アニアン教官の教え子です。当然の結果かと」
残りの者も、打てば響くツワモノばかりです、と補佐官をスルーで続いてゆく喋り。
「期待しよう。メギドはどうか」
キースはこちらを向きもしないで、パスカルの方に訊いているから…。
(あの野郎…!)
補佐官はパスカルじゃなくてこっちなんだ、と強引に割って入ってやった。
「作戦ポイントでの合流に向け、三光年先で調整中です」
運用の際、有効射程を考慮して…、と顔を向けたキースに説明しようとしているのに。不要、とキースが上げた右手に遮られてしまった言葉の続き。
「最短の時間で、最大の効果を上げろ。以上だ」
こう言われたら仕方ないから、総員、敬礼。
キースはその場を歩き去りながら、振り返りもせずにこう言った。
「マツカ、着替えを調達して来い」と。
補佐官の自分を見事にスルーで、宇宙海軍から転属して来たばかりの青年に。有能そうな者ならともかく、どう見ても弱そうなヘタレ野郎に。
「は、はいっ…!」と答えて走ってゆくヘタレ、果たして用事が果たせるやら…。
(…どいつも、こいつも…)
なんだってこうも続くんだか、と顰めた眉。パスカルの次はヘタレ野郎か、と。
けれども、此処は任務が大切。
いくらキースにスルーされまくりでも、補佐官は自分なのだから。
「各自、持ち場へ戻り、第一種戦闘配置!」
解散! とやって、解散させたパスカルその他の部下の面々。
誰もがキリッと自分に敬礼、つまりは自分がキースの次に偉い立場の筈なのに…。
なんだってこうなるんだか、と部屋に戻った後も収まらない苛立ち。
(ヘタレ野郎が道に迷うかと思ったら…)
初めて来た筈の船の中でも、ヘタレは道に迷わなかった。ヘタレにはヘタレのスキルというのがあるらしい。なまじヘタレに出来ているから、最初から無いのがプライドなるもの。
(誰にでも道を訊けるよな…!)
警備兵どころか、清掃係のオッサンでもな、と叩きたい愚痴。
誰に訊いたか確かめる気も起きないけれども、ヘタレは立派に任務を果たした。それが証拠に、さっき報告があったから。「アニアン少佐は…」とキースの現状について。
グランド・マザーとの通信用の部屋に行ったなら、着替えは済んだ筈だから。
(…あんなヘタレを使わなくても…!)
ちょっと一声掛けてくれれば、着替えは自分が調達したのに。「行け」と誰かを顎で使って。
なのにアッサリ持って行かれた、補佐官な筈の自分の仕事。
ヘタレなマツカも不快だけれども、もっと頭に来るのがパスカル。
(…ぼくの顔は忘れていたくせに…!)
パスカルは忘れていなかったんだな、とギリギリと噛みたくなる奥歯。
しかも「ヴォグ少尉」と階級までスラスラ出て来たからには、キースは何処かで見たのだろう。軍が発行している冊子か何かで、パスカルの顔を。
(そして、覚えて…)
ぼくを無視してパスカルとばかり喋っていたし、と思い出すだにムカつく光景。
まるで昔と変わっていないと、嫌な予感はしていたんだと。
そう、この作戦に選抜されての顔合わせがあった段階で。揃ってこの船に乗った時点で。
ずっと昔からこうだったよな、と蘇ってくるキースの教官時代。
「見た顔も多いな」と言われた面子は、全員、同期の者ばかりだった。パスカルも込みで。
因縁とも呼べる腐れ縁な面子、顔合わせで思わず仰け反ったほど。「こいつらかよ!」と。
「よりにもよって、この面子かよ」と、「この連中を纏めて行けってか?」と。
補佐官なのだと聞いた時には、最高の気分だったのに。
アニアン少佐の下で力を発揮できると、ミュウ殲滅が上手くいったら昇進だって、と。
ところがどっこい、エンデュミオンに乗り込む前に集まってみたら…。
(…あいつらが揃っていやがったんだ…)
その瞬間から嫌な予感がヒシヒシ、案の定、パスカルに持って行かれた喋り。
かてて加えて、自分の顔も名前もキースにスッパリ忘れ去られて、「貴様は?」と訊かれていたというオチ。
パスカルの方は「ヴォグ少尉か」と即レスな上に、階級まで把握されていたのに。
(…本当に昔から、何も変わっちゃいないんだ…!)
いつもババばかり引かされていて、と予感的中で覚える頭痛。
この作戦でもきっと自分がババだと、貧乏クジを引きまくりだと。
キースが教官だった頃から、そうだったから。
今の面子が全員教え子だった頃から、あの頃から自分がババだったから。
(アニアン少佐…)
あの人も昔からああいう人で…、と溜息しか出ない教官時代。
自分たちがヒヨコでペーペーだった頃、キースは腕こそ立ったけれども、教官の中では孤立していたし、好んで群がる生徒も少なめ。
さっき自分に「貴様は?」とやったほどなのだから、対人スキルが低めな男。頭はいいのに、同僚や生徒の顔はスルーで、まるで覚える気も無かったから。
(…普通は誰も入らないよな、アニアン・ゼミ…)
メンバーズ・エリートが自ら仕切るのがゼミなるもの。
顔を売っておいて損は無いから、人気のゼミには人が集まる。人当たりのいい教官のゼミとか、出世街道まっしぐらな教官が教えるゼミだとか。
けれど、サッパリ人気が無いのがキースのゼミ。年によっては誰もいないとか、二人もいたなら上等だとか。
(その二人だって、途中でトンズラ…)
他のゼミへと逃亡すると噂が高かったアニアン・ゼミ。他のゼミの方が人気だから。どうしても肌の合わない教官、そういう場合は途中で移籍出来るから。
(ぼくたちの年は、どういうわけだか…)
今から思えば、多分、不幸な事故というヤツ。
ゼミを選ぶための参考資料に書かれていたゼミの紹介文。それが他所のと入れ替わるというミスが起こって、集まった生徒。「此処にしよう」と。
「ゼミの生徒との交流がメイン、親睦旅行やコンパも多数開催」と書いてあったから。
自分もコロリと騙されたクチで、よく確かめもしないで入った。先輩たちの口コミを聞いたら、きっと入りはしなかったゼミ。もちろんパスカルや他の面子も。
その年のアニアン・ゼミは豊作、お蔭で事は上手く運んだ。入ってみたら教官はアレで、旅行やコンパを開催したがるような人では全くなかったけれど…。
(なまじ人数が多かったから…)
教官にその気が無いのだったら、自分たちの力で行け行けゴーゴー。
コンパも旅行もやってなんぼだと、教官だって一緒に連れて行ったらオッケーだよな、と。
(親睦旅行も、コンパも、全部…)
幹事をやらされていたのが自分。「細かいことによく気が付くから」と祭り上げられて、毎回、毎回、旅行の手配に会場の手配。
(でもって、美味しい所だけを…)
持って行きやがったのがパスカルなんだ、と今でも忘れられない恨み。
コンパや旅行の予定が立ったら、パスカルがいそいそ出掛けて行った。キースの所へ。
「アニアン教官も如何ですか?」と、「今回も楽しくなりそうですよ」と。
元が喋りの上手い男で、言葉巧みに誘うものだから…。
(アニアン教官だって、その気になるんだ…!)
コンパも旅行も、まるでキャラではない筈なのに。
どちらかと言えば苦手なタイプで、参加したって楽しめる筈もなさそうなのに…。
(パスカルの座持ちが上手すぎるから…)
キースもそれなりに飲んでいたのがコンパで、旅行も途中で「帰る」と言いはしなかった。その旅行だのコンパだのでも、自分は幹事だったから…。
(アニアン教官と喋っている暇は殆ど無くて…)
幹事の役目に追われる始末で、パスカルにすっかり持って行かれた美味しい所。
それが今日まで尾を引いたとしか思えない。
キースは会うなり「貴様は?」と言ってくれたわけだし、パスカルの方には「ヴォグ少尉か」と一拍さえも置かずに即レス、あまつさえ今の階級つきで。
(パスカルの野郎…!)
この作戦でも美味しい所を持って行くんじゃないだろうな、と嫌な予感しかして来ない。
作戦の肝になる筈のメギド、それの操作はパスカルの担当だったから。
(…ぼくはあくまで補佐官で…)
ああしろ、こうしろと指示を出すだけ、実務担当はパスカルになる。メギドが首尾よくミュウを焼き払えば、褒められるのはパスカルの手腕。
(…最悪だ…)
しかもキースはパスカルの顔を覚えていたし、と泣きたいキモチ。
かてて加えて、他の災難まで降って来た。宇宙海軍から国家騎士団に転属して来たヘタレ青年。
あれが新たな災いの種になりそうで…。
(…アニアン教官が直々に…)
転属させたと聞いているから、もう間違いなくアニアン教官のお気に入り。ヘタレなスキルしか持っていないのに、きっとヨイショが上手いのだろう。…パスカルのように。
(…パスカルに、さっきのヘタレ野郎に…)
今日は厄日か、と言いたい気分だけれども、この先、ずっと厄日な毎日。
スローターハウス作戦はまだ始まったばかりで、厄日な面子でやって行くしか無いわけだから。
どう転がっても、面子が変わりはしないから。
(……ツイていないぞ……)
最悪なことにならなきゃいいが、と思うけれども、逃げられないのが補佐官な立場。
たとえ今度もババを引きまくりで、美味しい所をパスカルに持って行かれても。
マツカとかいうヘタレ野郎に、まるっと美味しい思いをされても。
(……昔から、こういう役回りで……)
コンパも旅行もこうだったんだ、とスタージョン中尉の嘆きは尽きない。
どうして人生こうなるんだと、今の面子が揃った時点で死亡フラグが立っていたよな、と。
アニアン教官のゼミ時代からの腐れ縁。
それが自分の運の尽きだと、其処へマツカまで来やがるなんて、と…。
補佐官の厄日・了
※いや、ツッコミどころが満載だよな、と思うのがコレの冒頭のシーンのアニテラ。
なんでセルジュの名前は覚えていなくてパスカルなんだ、と。ネタで書くならこうなるオチ。
「この色がいいと思うけれどね?」
ジョミーには、とブルーが示したデザイン画。
今はソルジャー候補のジョミーが着る服、それのマントの色が今日の話題で。
「確かに目立つ色ではあるのう…」
何処におっても目を引きそうじゃ、とゼルも頷く真っ赤なマント。これでいいじゃろ、と。
「あたしも赤に賛成だよ。やっぱり目立つのが一番じゃないか」
地味な色だとイマイチだし…、とブラウが眺めるハーレイの背中。其処には地味な緑のマント。こういう色より、派手に真っ赤に、と。
「私も赤だと思います。赤は王者の色ですから」
紫と並ぶ高貴な色です、とエラも乗り気の真紅のマント。目立って、おまけに王者の色だと。
「王者の色ねえ…」
赤もそういう色だったとは、とブルーが漏らした大きな溜息。何故なら、ブルーの紫のマント。それも同じに押し付けられた色だったから。
ずっと昔に、高貴な色だと。ソルジャーに相応しい色は紫、皇帝の色、と。
「…その件はもう、水に流して欲しいのだがね…」
時効が成立している筈だ、と逃げの姿勢が見えるヒルマン。彼は、いわゆる戦犯だった。皇帝の紫を推した戦犯、ブルーに着せた張本人。
かなり長いこと、ヒルマンはブルーに恨まれていた。
「皇帝の色の紫だなんて、仰々しいマントにしなくても」と。
キャプテンのマントみたいに地味なのでいいと、よくも紫をプッシュしたな、と。
紫のマントで悪目立ちをした嫌な思い出。それがブルーの心の傷で、いわゆるトラウマ。
なにしろ、着せたヒルマンと来たら、当時に宣伝しまくったから。
じっと黙っていたならともかく、「紫は皇帝の色だ」と喋りまくって、偉い色だと持ち上げた。紫はソルジャーに相応しいのだと、ブルーこそシャングリラの帝王なのだ、と。
(あれのお蔭で…)
雲の上の人にされてしまった、と今でも悲しい紫のマント。同じマントでも地味な色なら、他の色なら人生違っていたのかも、と。
(もっと、みんなとフレンドリーに…)
ワイワイやりたかったのがブルーの本音で、只今、会議中の青の間。この部屋だって楽しく使いたかった。これだけの広さがあるのだから。仲間を集めてドンチャン騒ぎも出来そうだから。
(なのに、宝の持ち腐れで…)
お偉方な長老の四人とキャプテン、その程度しか自由に出入りしない部屋。
雲の上の人にされたお蔭で、紫のマントを背負ったせいで。
(ジョミーには、ぼくのような思いを…)
して欲しくない、と考えてしまう。
ソルジャーの肩書きを継いだ時点で、充分、雲の上だけど。
雲の上の人にされた自分の後継者ならば、そういうコースで当然だけれど。
(…そうなるのだから、せめてマントは…)
普通の色にしてやりたい。自分の二の舞にならないように、王者の色は避けるのが吉。
赤がいいな、と思った考え、それは彼方へブン投げて。
ジョミーが祭り上げられないよう、もっと普通の色を選んで。
そう思ったから、しげしげ眺めたデザイン画。赤いマントは却下だ、と。
(…赤が駄目だと…)
ハーレイのマントと被るけれども、緑とか。こっちの青もけっこういいな、と見ていたら…。
「ソルジャー。…赤に決まったじゃろうが」
わしらは赤と言っておるぞ、とゼルが揚げ足を取りにかかった。ハーレイも赤に賛成だし、と。
「はい。特に異存はございませんが…。赤のマントでよろしいのでは?」
それにソルジャーが赤だと仰いましたが、とハーレイに突かれた痛い所。言い出しっぺは確かに自分で、他の誰でもなかったから。「この色がいい」と最初に言った記憶は鮮明だから。
「……赤ということになるのかい?」
そしてジョミーも、雲の上の人にされてしまうというわけかい、と見詰めた遠い昔の戦犯。
紫のマントを背負わせてくれて、皇帝の色だの、シャングリラの帝王だのと言ったヒルマン。
「…しかし、ソルジャー…。その件は、もう…」
とうに時効で、とヒルマンは逃走する気だけれども、ジョミーの今後が目に見えるよう。
赤いマントを纏った時には、またもヒルマンが旗振り役をするのだろう。今回はエラが加担する可能性も大、「王者の色です」とヒルマンよりも先に言ったのだから。
きっとジョミーも、自分と同じコースを辿るに違いない。
赤いマントは王者の色で、シャングリラで一番偉いのだ、と妙な設定がついて来て。
皇帝の紫にも負けていないと、赤のマントはシャングリラの王者の証だと。
(…それではジョミーが…)
可哀相すぎる、と経験者だからこそ分かる、マントの色の大切さ。
それが人生を左右するのだと、ジョミーの今後の運命だってマントで決まる、と。
だから…。
「…赤だけは駄目だ。どうしても赤を推したいのなら…」
然るべき理由を考えたまえ、とジロリと睨み回した、四人の長老たちの顔。キャプテンの顔も。
王者の色よりマシな理由を考えて来いと、皆に親しまれる理由がいいと。
それが無いなら、赤い色は却下。
さっきの言葉は撤回すると、青か緑のマントを選ぶと。
「…ソルジャー、それは御命令ですか?」
そういうことなら従わざるを得ませんが、とハーレイが訊くから、「そうだ」と答えた。
赤にしたいなら他に理由をと、王者の色なら赤は駄目だ、と。
今でも微妙な立ち位置のジョミー、勝手に船から出て行った上に、えらい騒ぎを起こしたから。船の仲間たちは忘れていなくて、まだ陰口も消えないから。
(…皆に親しまれるソルジャーになって欲しいのに…)
王者の色のマントを着せたら、更に開いてしまう距離。仲間たちとの間がグンと。
赤いマントは意地でも避けるか、他に理由を見付けるか。
「雲の上の人だ」と崇められる代わりに、誰もが気軽に名前を呼んでくれるソルジャー。
マントの色には、邪魔されないで。
むしろ歓迎される赤色、それを纏ったソルジャーになってくれれば、と。
こうして青の間から叩き出された長老たち。キャプテンも含めて、一人残らず。
ゼルやブラウは「駄目だと言うなら仕方ないねえ…」と投げてしまって、ハーレイも同じ。赤が駄目なら別に青でもいいじゃないか、という程度。青でも緑でも、何でもオッケー。
けれど、違ったのがエラとヒルマン。
「…赤で決まりだと思いましたのに…」
「まったくだよ。…まだ根に持っていたとはねえ…」
何年経ったと思うんだね、とヒルマンがぼやく紫のマント。
そうは言っても、それを纏って雲の上の人になったのがブルー、彼の意向には逆らえない。赤いマントを選びたいなら、理由を捻り出すしかない。
ちなみに皇帝の色の紫、それは染料が高かったから。遠い昔は小さな貝から採れる染料、それを大量に使って染めていたから、べらぼうな値段で、皇帝くらいしか買えなかったオチ。
王者の赤もそれと同じで、貝を使った紫の染め方が失われた後、カイガラムシなる小さな虫から採った染料で染めていた。やっぱり同じにべらぼうな値段、ゆえに王者の色は赤色。
「由緒正しい赤ですのに…」
「私だって、あれを諦めたくはないのだが…」
何かいい手は無いだろうか、とエラとヒルマンは踏ん張った。何かある筈、と。
そして…。
「ソルジャー、先日のジョミーのマントの件ですが…」
如何でしょうか、とエラが披露した赤についての話。青の間に長老とキャプテンを集めて。
曰く、今年は申年とやらで、その年の赤は非常に縁起がいいらしい。それも赤い服が。
「なるほど、今年は赤色がいい、と…」
それは全く知らなかった、とブルーは先を促した。申年というのは初耳だけれど、遠い昔には、こだわる人たちも多かったらしい。申年を含む十二の干支に。
「申年に赤い服を誂えると、無病息災なのだそうです。それに…」
その赤い服を誂えた人が、赤い下着を着ていた場合。周りの人にも幸運が及んで、それは幸せな最高の年になるのだとか。しかも、申年から赤い下着を着け始めると…。
無病息災も、周りの人への幸運のお裾分けパワーも一生モノに、と言い切ったエラ。
実際、デッチ上げではなかった。
遠い昔の申年の話、赤い下着が売れた時代の言い伝え。それが何処かで曲がってしまって、この時代にはこうなっていた。シャングリラが誇る、データベースの情報では。
「赤い服を誂えて、赤い下着か…。すると最高の年になる上に、今、始めると…」
幸運が持続するのだね、と確認したブルーは、とうに赤へと傾いていた。
王者の色なら却下だけれども、幸運の色なら大歓迎。
それにジョミーも、皆に好かれることだろう。申年に誂えた赤いマントとセットで、赤い下着を着け始めたなら。
(ジョミーが赤いパンツを履いたら…)
これから先も履き続けたなら、一生の間、周りに幸運のお裾分け。
申年に初めて身に着け始めた、赤いマントと赤いパンツのパワーとやらで。
「いいだろう。そういう赤なら、ジョミーの立場もきっと良くなるだろうから」
マントの色は赤にしよう、とブルーが出したゴーサイン。
赤いマントが出来上がったら、ちゃんと宣伝するように、と付け加えることも忘れなかった。
申年に誂えた赤いマントは縁起がいいと、赤いパンツで周りの運気も一気にアップ、と。
それを皆にも伝えて欲しいと、王者の赤より、申年の赤いマントと赤いパンツ、と。
(これでジョミーも、皆に親しまれるソルジャーに…)
なる筈だから、というブルーの読みは見事に当たった。
ソルジャー候補ながらも赤いマントで赤いパンツになったジョミーは、縁起の良さで人気上昇。
誰もが幸運のお裾分けをと狙っているから、仲良くしておいて損は無いから。
(…ぼくの二の舞にならなくて良かった…)
本当に、とホッと息をつくブルーは、まるで知らない。
赤いパンツを履く羽目になったジョミーの、「なんで、ぼくが」という嘆きの声を。
「一生、赤いパンツなんて」と、涙目になっていることを。
これから一生、ジョミーのパンツは赤で決まりで、泣けど叫べど赤一択。
幸運の赤いパンツだから。
申年に誂えた赤いマントとセットものだから、赤いパンツは運気上昇の縁起物だから…。
幸運の赤いマント・了
※今年は申年だったっけな、と考えていたら降って来たネタ。赤いマントだよね、と。
一生、赤いパンツを履くらしいジョミー。気の毒すぎる運命かも…。ブルー、酷すぎ。
「取材なら、軍の広報を通してくれ」
無関心にそう言い捨てたキース。
久しぶりに見たスウェナだけれども、特に関心は無かったから。
「この花、覚えてる?」と訊かれた花にも。
「E-1077の中庭にも咲いていたわ」と言われた所で、もう昔のこと。
サムでさえも何処かに行ってしまった。
姿は昔と同じにサムでも、「キース」を覚えていたサムは。友達だったサムは。
だからスウェナと話すことは無い。
まして彼女が知りたい内容、ジルベスター星系の事故調査となれば任務だから。
Mと関係があるかもしれない、国家機密を明かせはしない。
無駄な話をするつもりも無い、つまらない思い出話など。
けれど…。
「ピーターパン」
スウェナがいきなり口にした言葉、それがキースの足を縫い止めた。
遠い昔にシロエが語った、その本の中身そのままに。
シロエが乗った練習艇を追っていた時、通信回線を通して聞こえて来た声。
ピーターパンの本に書かれていること、それをシロエは語り続けていた。
「影がくっつかないよ」と泣いたピーター、「私が影を縫ってあげる」という言葉。
まるで時の彼方から戻ったかのように、影の代わりに足を縫われた。
「ピーターパン」と聞いた途端に。
縫い止められて立ったままの背中、振り返れないでいたらスウェナは続けた。
「あなた宛のメッセージが発見されたわ」
…そう、セキ・レイ・シロエのものよ。サムの事故には、私の追っている…。
白い宇宙鯨が関わっている、とスウェナが前へと回り込んだけれど、どうでも良かった。
そんな話は。
問題はシロエ、彼の名前とメッセージ。
スウェナは「今度会えたら、そのメッセージを渡せるんだけど」と見詰めて来たから。
「戻ったら連絡しよう」
迷うことなく、そう応えた。
シロエが残したメッセージならば、どうしても見ておきたいから。
そう思ったから、「その時は二人だけの同窓会でもしましょ」と言ったスウェナを見送った。
(…変わったのは君の方だ。…スウェナ)
渡された花を手に持ったままで、心の中で呟いたけれど。
強くなったと思ったけれども、それもどうでもかまわないこと。
手の中の花も、今では何の意味も持たない。
同じ花でも、この白い花は病院の花。
違う所で咲いた花。
花を頼りにE-1077に戻れはしないし、サムの心も昔に戻りはしないだろうから。
見上げれば、病室から手を振るサム。
「キース」だとは分かってくれないのに。
サムは笑顔を向けるけれども、それは「関心を持ってくれた人間」だから。
(…何もかもが…)
変わってしまったんだ、と地面に投げ捨てた花。
持っていたって、何の役にも立たないから。
車の運転の邪魔になるだけ、それだけの存在に過ぎないから。
そうして走り出して間もなく、気付いたこと。
(…シロエ…!)
その瞬間に踏んだブレーキ、後ろの車が憤るように鳴らしたクラクション。
メンバーズ・エリートらしくもないミス、慌てて路肩に車を寄せた。
こんな所で事故を起こすなど、軍に迷惑をかけるだけ。
けれども今は運転出来ない、そう思ったから停めようと決めた。
激しく脈を打つ心臓。
E-1077に、それからシロエ。
(…誰も覚えていない筈なんだ…)
あのステーションに、セキ・レイ・シロエがいたことを。
ステーションの運営に関わる者ならともかく、生徒だった者は。
シロエと同じ時期に其処に居た者、彼らの記憶は消されたから。
(…マザー・イライザ…)
記憶を消させたマザー・イライザ、皆がシロエを忘れてしまった。
サムも、シロエの同級生たちも。
誰もが忘れてしまったシロエ。
彼の船を撃った自分以外は、一人残らず。
マザー・イライザの計算の下に奪われた記憶、それは戻りはしないだろう。
サムのようにでもならない限り。
今は子供に戻ったサム。
あんな具合に、シロエのいた時代に心だけが戻れば、有り得るけれど。
(だが、それは…)
精神状態が普通ではないということ。
年相応の話はまるで出来ない、ただの子供になるということ。
候補生時代を「子供」と呼ぶかどうかは、ともかくとして。
(……スウェナ……)
けれど、スウェナは覚えていた。
E-1077の中庭に咲いていた花を。
ステーションにいたセキ・レイ・シロエを、あの頃のままに。
そしてそのまま成長を遂げて、自分の前に戻って来た。
「ピーターパン」と。
シロエが残したメッセージを持って、普通に会話が出来る者として。
(……システムの誤算……)
それに違いない、マザー・イライザの手から離れたスウェナ。
ステーションから出て行った時は、結婚という道を選んでいたから、記憶はそのまま。
何も処理されずに旅立って行った、セキ・レイ・シロエを覚えたままで。
(本当だったら…)
スウェナは子供の母親になって、それきり消えていただろう。
シロエの記憶を持っていたって、単なる知り合い程度のこと。
「昔、そういう人間がいた」と思い出しても、その時限りで消えてゆくもの。
その後のシロエを追いはしなくて、無関心に記憶の淵に沈むもの。
(しかし、スウェナは…)
ジャーナリストの道を選んで、離婚してまで今の世界を追っている。
宇宙鯨を、モビー・ディックを。
Mの母船がそれの正体だと、スウェナが知っているわけがない。
ミュウの存在も、Mとは何を指すのかも。
なのに、核心に迫りつつある、ジャーナリストの勘だけで。
其処に何かが隠されていると、モビー・ディックが鍵なのだと。
スウェナが此処まで辿り着いたなら、そしてシロエを覚えているなら。
メッセージまで持っていると言うなら…。
(…神がシロエに…)
味方したのか、忘れ去られてしまわぬように。
どんな形かは分からないけれど、彼のメッセージが届くようにと。
本当だったら、それは残りはしないのに。
ステーションの中で処理されているか、何処かに廃棄されて終わりか。
(それが残ったのも…)
残ってスウェナの手に渡ったのも、神の采配なのだろう。
スウェナがモビー・ディックを追っていたから、全ての糸が繋がった。
たった一人だけ、シロエを覚えていた人間。
それがスウェナで、彼女は何故だか、モビー・ディックを追い始めたから。
離婚してまで、ジャーナリストになったから。
(……こんなことが……)
この世にあるのか、と心臓は今も激しく脈打ったまま。
マザー・システムにもミスはあるのかと、その手を逃れる者もいるのかと。
シロエは逃れ損なったのに。
逃げ切れないまま、宇宙に散って行ったのに。
(……シロエ……)
彼は自分に何を残したと言うのだろう。
「ピーターパン」とスウェナが口にした言葉、それで思い出すのは古びた本だけ。
シロエが大切に抱いていた本、子供時代からの持ち物だった本。
(あの時、保安部隊がシロエを…)
ベッドに乗せて運び去った時、ピーターパンの本を持たせてやった。
シロエの大事な本なのだからと、側に置いてやって。
(まさか、あの本が…)
戻って来るとは思えないけれど、他には心当たりが無いから。
(……そうなのか?)
あれが手元に来るのだろうか、次にスウェナに会ったなら。
ジルベスターから戻ったなら。
「ピーターパン」の本、シロエが大切に持っていた本。
練習艇で宇宙へ逃げ出した時も、中身を語り続けていた本。
「影がくっつかないよ」と、「縫うって何さ?」と。
それがあるなら、もう間違いなくマザー・イライザの、マザー・システムのミス。
シロエはシステムに消されたけれども、あの本は消えずに何処かに残った。
きっとそうだという気がするから、まだ暫くは…。
(……動けないな……)
メンバーズ・エリートが、自動車事故など起こせないから。
運転ミスは出来ないから。
揺り起こされてしまった感情、それが落ち着いて凪いでくれるまでは、このまま路肩に。
早くなった鼓動が鎮まるまでは、車を走らせることは出来ない。
E-1077に、シロエがいた日に、引き戻されてしまったから。
シロエの船を撃ち落とした日に、あの瞬間へと、心だけが飛んでしまったから。
(…今、走ったなら…)
前をゆく船が見えるのだろう。
あの日、シロエが乗っていた船が。暗い宇宙を飛んでゆく船が。
それを見たなら、また踏むのだろう急ブレーキ。
今も後悔しているから。
シロエを乗せた船を見たなら、今の自分は追えはしないで、止まる方をきっと選ぶのだから…。
彼方からの記憶・了
※スウェナが「シロエを覚えている唯一の生徒」なんですよねえ、皮肉なことに。
いくらマザー・システムでも、そこまでは計算していなかったと思うんですけど…?
「トォニィ。お前が次のソルジャーだ」
ミュウを、人類を…導け、とジョミーがトォニィに渡した補聴器。
「グランパ…」
ぼくはまだ子供だ、と繰り返したいのに、ジョミーがいない世界なんて嫌なのに。
ジョミーは真っ直ぐ見詰めて来るから、どうしようもない今の状況。
(…グランパ…)
補聴器を着けろ、と促すジョミーの瞳。いくら泣いてみても、もう無駄らしい。ジョミーは命を捨てているから、助かるつもりも無いらしいから。
(…メギドなんて…。こんな星なんて…)
どうでもいい、と叫びたくても、それがジョミーの最期の望み。地球を破壊しようとしている、六基のメギドを止めること。ジョミーを救うことではなくて。
それにソルジャーを継げとも言われた。「ぼくの自慢の強い子だ」とも。
(……グランパの自慢の……)
強くなんかないのに、と思うけれども、ジョミーの期待は裏切れない。望みを叶えないわけにもいかない、選べる道はただ一つだけ。
こうすることだ、とトォニィが仕方なく着けた補聴器。それは嬉しそうに微笑むジョミー。
(…これでいいんだ…)
ぼくにはこれしか、と溢れた涙に重なったもの。
ジョミーの顔が滲むようにぼやけて、その彼方から…。
「ウゼエんだよ、ジジイ!」
とんでもない罵声が聞こえて来たから驚いた。いったい何処にジジイが、と。
あえてジジイと呼べそうな者は、さっきジョミーが「共に戦った仲間だ」と言っていたキース。通信機の向こうの自分の部下に、メギドを止めろと伝えていたようだけれど…。
(……ジジイ?)
ウザいジジイとはアレのことか、と思う間もなく、今度は聞こえた「クソババア!」の声。
ジジイはともかく、ババアはいそうにない空間。いや、さっきまではいたのかも…。
(…グランド・マザー…?)
とうに瓦礫と化していたけれど、キースがジジイなら、クソババアはアレ。なるほど、と合点はいったけれども、誰が叫んでいたかが問題。
(此処には、ぼくたち三人だけ…)
だったら誰が叫ぶんだ、と見回そうとしてハタと気付いた。今の罵声の正体に。
(…この補聴器……)
それに入っていたジョミーの記憶。
ナスカで生まれた初めての自然出産児だった、自分たち。急成長していった七人の子供、従来の育児書の類は役に立たない。「目覚めの日」だの、成人検査だのというシステムの方の情報も。
(…グランパ……)
ジョミーは懸命に勉強していた。戦いのことしか考えていないように見えたのに。
その裏側で、遠い昔の、子供が自然に生まれて育った時代のことを、あれこれ調べて。
(…反抗期があって、それに中二病…)
遥かな昔の子育ての脅威、それが反抗期に中二病。世の親たちが手を焼いたらしい、その現象。
実の父親に「ウゼエんだよ、ジジイ!」と怒鳴って、母親に向かって「クソババア!」。
ついでに色々ややこしい上に、こじれまくるのが中二病。
そうだったんだ、と改めて気付いたジョミーの愛情。
育児についても気を配ってくれた、優しいジョミー。置いてゆくなんて、とても出来ない。
こんな記憶を見せられたら。知ってしまったら、もう無理なのに…。
(…でも、行くしか…)
ないんだから、とグイと涙を拭った瞬間、不意に閃いた解決策。これならいける、と湧き上がる自信、ジョミーを置いて行かなくてもいい。ジョミーの戦友だというキースの方も。
(軌道上のメギドは、全部で六基…)
キースの部下たちも攻撃に向かう筈なのだから、全部を一人で止めなくてもいい。それに応援も呼べる筈だし、メギドの方は何とかなる。
「行け」と促すジョミーの方だって、ガチでやったら勝てないけども…。
(…今は死にかけてて、ぼくの方が…)
絶対強いに決まっているから、やるぞ、とスックと立ち上がった。ジョミーはといえば、もう本当に孫を見る目で「ありがとう」と別れの言葉を口にしたけれど…。
「グランパ、ぼくは今、反抗期だから!」
「…え?」
なんだ、と見開かれたジョミーの瞳。キースも唖然としているけれども、此処で言わねば。
「もう反抗期で中二病だから、思いっ切り、ぼくの好きにするから!」
「トォニィ…?」
待て、と声を絞り出そうとしたジョミーに向かって言い放った。「ウゼエんだよ!」と。
「いいから、ジジイは死んでいやがれ!」
ブッ殺す、と言い捨てて放ったサイオン、もろに食らったジョミーは気絶。
「な、何をする…!」
狂ったのか、と慌てるキースにも「ウゼエ!」と怒鳴って、同じに一発食らわせたから、止める者はもはやいなかった。ジョミーとキースが見事に気絶しているだけ。
(やった…!)
反抗期で中二病の子供は無敵なんだ、と感謝してしまったジョミーの記憶。これが無かったら、ジョミーの言いなりになっていた。「ぼくの自慢の強い子」のままで。
(反抗期だったら何でもアリで、中二病だとこじれてて…)
ぼくにもそういう時期があったって、と開き直った無敵のトォニィ。
とにかくジョミーとキースの救助を最優先で、と凍らせて仮死状態にした。かつてキースに胸をグッサリ刺された時に使った手だから、今回だって有効な筈。
(シャングリラに二人を連れて帰って、それから手術…)
でもって、その前にメギドだったな、と確認してから、二人を抱えて飛び出した。地球の地の底から地上へ一気に、其処から更にジャンプで宇宙へ。
もちろん、ジョミーとキースにはキッチリ、シールドをかけて。
(先にメギドで…)
この辺でいいか、と二人を軌道上に仮置き、思念で呼び掛けたシャングリラ。
「タキオン、ツェーレン、ペスタチオ、手を貸せ!」
メギドを撃つ、と飛んでゆく間に、キースの部下たちもやって来たから、いける筈。ジョミーの望み通りにメギドを破壊出来る、と頑張ったのに…。
「残弾ゼロだ…! 残るメギドはあと一つなのに…!」
そういう人類の声が届いて、発射体制に入っているメギド。
「駄目か…!」
「間に合わない…!」
もう駄目だ、と覚悟した時、「どけーい、ヒヨッコどもーっ!!」と突っ込んで来たのが人類の船で、旗艦ゼウスとかいうヤツで。
(…マードック大佐…!)
ヤバイ、と悟った自分の危機。メギドの炎は地球の地表を掠めただけで済んだけれども、それをやったのは人類が「マードック大佐!」と呼び掛けた男。
そのマードック大佐が乗っている船は、メギドと一緒に燃え盛りながら落下中で。
(…これがジョミーとキースにバレたら…)
怒鳴られまくりの叱られまくりで、もう確実に後が無い。「だから置いて行けと言ったのに」と二人がかりでネチネチ言われて、どうにもこうにもならないから…。
「ツェーレン、ちょっと行ってくる!」
メギドを止めるのは無理だったけれど、一人助けるくらいなら、と大慌てで追った地球へと落下してゆくメギド。追い掛けて中へ飛び込んで…。
(間に合った…!)
やった、と躍り上がったけれども、同時に「え?」と仰天もした。爆風を食らって倒れた人類、一人だけだと思っていたのに、なんと二人もいたものだから。
(…女もいたんだ…)
でもまあ、誤差の範囲内、と抱えて飛び出した人類が二人。マードック大佐と、パイパー少尉。
当然、きちんとシールドをかけて、さっき仮置きしたジョミーとキースも回収して…。
これでオッケー、と戻って行ったシャングリラ。
「ソルジャー・シン!?」
船はたちまち上を下への大騒ぎになり、何故にキースが、と半ばパニック状態だけれど。
「どうでもいいから、さっさと手術だ!」
ノルディを呼ぶんだ、と凄んでやった。手術の順番はジョミーが最初で、次がキースで、と仕切りまくって。残る二人もしっかりキッチリ治療しろ、と。
(…反抗期と中二病の話は…)
此処ではしないのが吉だ、と判断したから、ジョミーが意識を取り戻すまではソルジャー代理。
幸か不幸か補聴器もあるし、皆は素直に納得した。ソルジャー代理、大いに結構、と。
キースとマードック大佐とパイパー少尉は、人類の船に移せるような状態ではなくて、当分の間はシャングリラで治療に専念するという方向になって…。
「…ジョミー。一つ訊いていいか?」
包帯グルグルで点滴つきのキースが眺めた隣のベッド。個室もあるのに、意識が戻ったら相部屋希望と言い出した二人。ジョミーとキース。
「…なんだ?」
ジョミーも同じに包帯グルグル、腕には点滴。
「いや、トォニィが言っていた、あの…」
反抗期とか中二病とかいうのは何だ、と訊かれたジョミーが「ああ…」と浮かべた苦笑い。
「多分、ああいうのを言うんだろう。…まさか今頃、反抗期なんて…」
「お前に向かって、ウゼエと怒鳴っていたようだが…」
おまけにジジイと、とキースには解せないトォニィの豹変、けれども、それが反抗期だから。
中二病の方も、そういったものだと学んで記憶したのがジョミーだったから…。
「トォニィは反抗期に入ったらしい。…初めてぼくに反抗したよ」
「そうなのか…。お前もこれから苦労しそうだな」
「君の方こそ、大変なんじゃないのかい…?」
復帰したらきっと仕事が山積み、とジョミーは言ってやったのだけれど、「お前の方こそ苦労しそうだぞ」と返された。「ウザいジジイと言われたろうが」と。
「…あいつがソルジャー代理だそうだが、ソルジャー復帰はウザがられないか?」
「その時は、隠居するまでだよ。トォニィが本当に反抗期で中二病ならね」
口で言ってるだけじゃないかと思う、と答えるジョミーは、ダテに勉強していなかった。本物の反抗期で中二病なら、ああいうことにはならないと。
(…やっぱりトォニィは、ぼくの自慢の…)
後継者なんだ、と誇らしい気持ちもするのだけれども、ソルジャーに復帰した暁には、おしおきから始めるべきだろう。
(…ぼくの最期の頼みを無視して…)
勝手に暴走したんだから、とガッツリお灸をすえるつもりでいるジョミー。
そしてトォニィの方は、ちょっぴり後悔し始めていた。
(……やり過ぎたかな……)
反抗期なんだと叫ぶだけにしておけば良かったかな、と。
いくら助けるためだとはいえ、大好きなグランパに向かって「ウゼエんだよ!」と叫んだから。
「いいから、ジジイは死んでいやがれ!」と、思い切り怒鳴ってしまったから…。
恐るべき後継者・了
※アニテラのラスト、トォニィだったらジョミーもキースも助けられたのでは、という可能性。
同じツッコミをなさった貴腐人のコメントで降って来たネタ、謹んで献上させて頂きます~v
